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Album of the year 2021  

 

ーPost Punk/Post Rockー




 

・Idles  

 

「Crawler」 Patisan Records 

 



Crawler 

 

英ブリストル出身のポスト・パンクバンド、アイドルズはデビュー時から凄まじいポストパンク旋風を巻き起こし、快進撃を続けてきた。昨年リリースされた「Ultra Mono」ではUKチャート初登場3位、最終的には首位を奪取してみせ、英国に未だポスト・パンクは健在であるという事実を世界のミュージックシーンに勇ましく示し、2021年の最高のアルバムと呼び声高い作品を生み出した。


もちろん、今年、2021年もまた、アイドルズ旋風はとどまるところを知らなかったといえよう。このロック史に燦然と輝く「Crawler」の凄まじい嵐のようなポスト・パンクチューン・ハードコア・パンクの激烈なエナジーを見よ。ケニー・ビーツ(Vince Staples、Freddie Gibbs)を招き、アイドルズのギタリスト、Mark Bowenが共同プロデューサーとして名を連ねる11月十二日にリリースされた作品「Crawler」は、Idlesの新代名詞というべき痛快な作品である。


このアルバムは、パンデミックの流行に際し、世界中の人たちの精神、肉体的な健康状態が限界に達したことを受け、反省と癒やしのために制作された。


「トラウマや失恋、喪失感を経験した人たちに、自分たちは一人ではないと感じてもらいたい、そうした経験から喜びを取り戻すことが可能であることを知ってもらいたい」


Idlesのフロントマン、ジョー・タルボットは、この作品について上記のように語る。彼の言葉に違わず、アイドルズの「Crawler」は、パンデミックの流行により、失望や喪失を味わった弱い人々に強いエナジーを与え、前進する活力を取り戻させる迫力に満ちた重低音のパワーが、アイドルズの凄まじい演奏のテンションと共に刻印されている。特に#2の「The Wheel」は聞き逃してはならない。この豪放磊落な楽曲はあなた方の疲弊した精神に生命力を呼び戻してくれるだろう。


 

 

 


 

 

 

 


 ・Black Midi

 

  「Cavalcade」 Rough Trade 

 

 Black Midi  「Cavalcade」

 

 

ワインハウスやアデルを輩出したご存知ブリット・スクールから、ミュージックシーンを揺るがすべく登場したブラック・ミディ。フロントマンのGeordie Greepをはじめ、メンバーの四人全員が19歳という若さであり、近年、ラフ・トレード・レコードが最大の期待を持って送り出した大型新人である。


ブラック・ミディは、既に、日本に来日しているアヴァンギャルド・ロックバンドであるが、彼ら四人がリリースした「Calvalcade」もまた上記したアイドルズの「Crawaler」と共に今年一番の傑作に挙げられる。


この作品「Calvalcade」の制作は、デビューアルバム「Schlangenheim」2019の発表後それほど時を経ずに開始された。 


フロントマンのGeordie Greepは、このアルバムの制作の契機について、「Schlangenheimの発表後、多くの人達がこのデビュー作品を素晴らしいと評価してくれたこと自体はとても嬉しかった。でも、僕たちはこのアルバムに飽きが来てしまって。そこで、もっと素晴らしいアルバムを作ろうじゃないかと他のメンバーたちと話し合って、次作「Calvalcade」の制作に取り掛かることに決めたんだ」と語っている。


アルバム制作時までに、ギタリストのMatt Kwazsniewski-Kevinが一時的にメンタルヘルスの問題を抱え、休養を余儀なくされたが、彼はこのアルバムのソングライティング、レコーディングに参加している。


前作までに、ドイツのCanに影響を受けたインダストリアル・ロック、ヒップホップ、ポストロック、フリージャズ、前衛的な音楽のすべてを経験したブラック・ミディは今作においてさらに強いアヴァンギャルドの領域に入り込んでいる。


サックス奏者としてKaidi Akinnnibi、キーボード奏者としてSeth Evansがゲスト参加した「Calvalcade」は、2020年の夏の間にアイルランドのダブリン、モントピリアヒルのリハーサルスタジオでレコーディングされた作品であり、窓の外を飛び交っていたヘリコプターの音が録音中に偶然に入り込んでいることに注目である。


前作では、ジャムセッションを頼りにソングライティングをしていたブラックミディの面々は、今作で、よりインプロバイゼーション、即興演奏を繰り返しながら、アルバムを完成へと近づけていった。


その過程で、ラフ・トレードの主催するライブで、何度も実際に演奏を重ねながら無数の試行錯誤を重ねながら、より完成度の高い作品へつなげていこうとする彼らの音楽にたいする真摯な姿勢が、作品全体に宿っている。それがこの作品を飽きのこない、長く聴くに足る作品となっている理由なのだ。


そして、この作品は、ロック作品でありながら、偶然にもマイクロフォンが拾ってしまったヘリコプターの音のエピソードをはじめ、自分たちが演奏している空間の外側に起きている現象すら、一種の「即興演奏」のように捉えた、実験性の強い作品である。


実際、ブラック・ミディは、CANのダモ鈴木と共演、その強い影響も公言しているが、今作において衝撃的に繰り広げられる新時代のクラウトロック/インダストリアル・ロック、ポストロックというのは、前時代の音楽をなぞらえたものではなく、SF的な雰囲気すら感じられる未来のロック音楽の模範だ。


個々の楽曲の凄さについて七面倒な説明を差し挟むのは礼に失したことだ。ただ「John L」、ポストロックの一つの完成形「Chondromalacia Patella」の格好良さに酔いしれてもらえれば、音楽としては十分だ。

また、独特なバラード「Asending Forth」というブラック・ミディの進化を表す落ち着いた楽曲に、このロックバンドの行く先にほの見える、明るい希望に満ち溢れた未来像が明瞭に伺えるように思える。 

 

 

 

 


 

 



・Black Country,New Road 

 

「For The First Time」 Ninja Tune 

 

Black Country,New Road 「For The First Time」  



For the First Time 

 


ロンドンを拠点に活動する七人組のBCNRは、ブラック・ミディと同じように、十代の若者を中心に結成された。


既存のロックバンドのスタイルに新たな気風を注ぎ込み、バンドメンバーとして、サックス,ヴァイオリンといったオーケストラやジャズの影響を色濃く反映させた新時代のポスト・ロックバンド。彼らの音楽の中には、ロック、ジャズ、その他にも東欧ユダヤ人の伝統音楽、クレズマーからの影響が入り込んでいることも、このバンドの音楽性を独立独歩たらしめている要因である。


このデビュー作「For The Fiest Time」のリリース前から、先行シングル「Track X」がドロップされるなり、ロックファンの間では少なからず話題を呼んでいたが、実際にアルバムがリリースされると、その話題性はインスタントなものでなく、つまり、BCNRの実力であることが多くの人に知らしめられた。 


特に「Track X」に代表されるように、このアルバムは、閉塞した・ミュージックシーン(ミュージックシーンというのは、我々の日頃接している社会を暗示的に反映させた空間でもある)に新鮮味を与えてくれる作品だったし、言い換えてみれば、既存のロックに飽きてきた人にも、ロックって、実はこんなに面白いものだったんだという、ロック音楽の新たな魅力を再発見する重要な契機を与えてくれた作品でもあった。


これまでスティーヴ・ライヒ的なミニマル構造をロック音楽の構造中に取り入れること、あるいはテクノのような電子音楽の構造中に取り入れることを避けてきた風潮があり、それはこれまでのミュージシャンが、自分たちの領域とは畑違いの純性音楽の音楽家に対して気後れを感じていたからでもあるが、しかし、BCNRは、前の時代の音楽家たちの前に立ち塞がっていた壁を見事にぶち破ってみせた。


ブラック・カントリー、ニューロードの七人は若い世代であるがゆえ、そういった歴史的な音楽における垣根を取り払うことに遠慮会釈がない。また、そのことがこの作品を若々しく、みずみずしく、安らぎに近い感慨溢れる雰囲気を付与している要因といえるのである。


つまり、これまで人類史の中で争いを生んだ原因、分離、分断、排除、そして、差別といった概念は既に前の時代に過ぎ去った迷妄のようものであることを、ブラック・カントリー、ニューロードは「音楽」により提示している。そのような時代遅れの考えが彼らを前にしてなんの意味があろうか。


このロンドンの七人組ブラックカントリー、ニューロードの新しい未来の音楽は、それらとは対極にある概念、融合、合一、結束、そういった人間が文明化において忘却した概念を、再び我々に呼び覚ましてくれる。それがスタイリッシュに、時に、管弦楽器などのアレンジメントを介して、きわめて痛快に繰り広げられるとするなら、ロックファンは、彼らのこのNinja Tuneから発表されたデビュー作を、この上なく歓迎し、好意的に迎えいれるよりほかなくなるはずだ。


 

 

 


 

Album of the year  2021 

 

ーAmbientー



 

・Christina Vanzou /Lieven Martens  

 

「Serrisme」 Edicoes CN

 

 

Christina Vanzou /Lieven Martens  「Serrisme」  

Serrisme  


 

Stars Of The Ridの活動で知られるアダム・ウィットツィーとの共同プロジェクト、The Dead Texanとして音楽家のキャリアを開始したベルギーを拠点に活動するクリスティーナ・ヴァンゾー、リーヴォン・マルティンス、ヤン・マッテ、クリストフ・ピエッテの四者が携わった今年9月1日にベルギーのレーベルからリリースされた「Serrisme」は、それぞれが独特な役割を果たすことにより、アンビエント音楽の新たな形式、ストーリー性のある環境音楽を提示している。

 

この作品において、クリスティーナ・ヴァンゾー、リーヴェン・マルティンスは、サウンドプロデューサーとしての立ち位置ではなく、サウンドイラストレーション、つまり、音楽を絵画のように解釈し、雨の音、ドアの音、そして風の唸るような音、多種多様のフィールドレコーディングの手法により表現することで、作品に物語性、また音楽の音響自体を大がかりな舞台装置のような意味をもたせた画期的な作品である。


今作品の音楽の舞台は、ベルギ、フランダースにある広大な田園風景の中にある葡萄の栽培温室で繰り広げられる。雨の音、風の音、嵐、小石が転がる音、ドアのバタンという開閉、時には、鳥の鳴き声。これらはすべて、音楽そのものにナラティヴ性、視覚的効果を与えるための素材として副次的役割を果たす。これらの環境音は、実際のフィールドレコーディングにより録音され、様々な形でサンプリングとして挿入されることにより、物語性を携えて展開されてゆく。

 

近年、クリスティアン・ヴァンゾーが取り組んできたサウンド・デザインの手法は今作でも引き継がれている。BGMのような効果を介して、一つの大掛かりなサウンドスケープー音風景を建築のような立体性を持って体現させている。

 

作品の前半部は完全な環境音楽として構成されるが、後半の2曲「GlistenⅠ、Ⅱ」は電子音楽寄りのアプローチが図られている。

 

これまで、ドイツのNative InstrumentsをはじめとするDTM機材、実際のオーケストラの演奏を交えて、アンビエントをサウンドデザインの形に落とし込むべく模索しつづけてきたクリスティーナ・ヴァンゾウはこの二曲において完全な独自のアンビエントの手法を完成させている。

 

そこには、アルバムの前半部の物語性を受け継いで、フランダースのぶどうの農園のおおらかな自然、そして、広々とした風景が電子音楽、それから、人間の歌という表現を通して絵画芸術のごとく綿密に描き出される。

 

今作は、前衛性の高い実験音楽の性格が強い一方で、聞き手との対話が行われているのが画期的な点だ。「Terrisme」の7つの楽曲で繰り広げられる音楽ーー音楽を介しての絵の表現力ーーは、聞き手に制限を設けるのでなく、それと正反対の自由でのびのびとした創造性を喚起させる作品である。

 

芸術性、創造性、実際の表現力どれをとっても一級品、今年のアンビエントのリリースの中で屈指の完成度を誇る最高傑作として挙げておきたい。 

 

 

  

 

 

 

 

 

・Isik Kural 

 

「Maya's Night」 Audiobulb Records



Isik Kural 「Maya's Night」  

Maya's Night

 

 

トルコ、イスタンブール出身で、現在はスコットランドグラスゴーを拠点に活動するisik kuralは、今年デビューを果たしたばかりの気鋭の新進音楽家。アンビエント界のニューホープと目されており、アンビエント音楽を先に推し進めるといわれる音楽家である。マイアミ大学で音楽エンジニアリングを専攻したKuralの音楽は、ブライアン・イーノの初期のシンセサイザー音楽を彷彿とさせる。

 

Kuralのデビュー作となる「Maya's Night」はブライアン・イーノの音楽と同じように、徹底して穏やかで、清らかなアトモスフェールに彩られている。

 

聞き方によってはテクノ寄りのアプローチともいえるかもしれないが、この癒やし効果抜群の音に耳を傾ければ、この音楽がアンビエント寄りのアプローチであると理解していただけると思う。シンセサイザーの音色自体は古典的な手法で用いられるが、Kuralは、そこに粒子の細やかな精細感ある斬新なシンセサイザー音色アプローチを取り入れ、驚くほど簡素に端的に表現している。

 

特に、Isik Kuralのデビュー作「Maya's Night」が画期的なのは、シンセサイザーの音色、実にありふれたプリセットを独創的に組み立てることにより、これまで存在しなかったアンビエントを生み出していることだろう。そして、近代から現代の作曲家が取り組んできた作曲の技法、例えば、レスピーギの「ローマの松」を見れば一目瞭然であるが、自然の中に在する生物のアンビエンス、例えば、「Maya's Night」の作中では、鳥の声をはじめとする本来電子の音楽ではない音までも、Isik Kuralはシンセサイザーを用いてそれらの生命を鮮やかに表現しているのは驚くべきことで、そこには、Kuralの夾雑物のない生まれたての子供のような精神の純粋さが見て取れる。

 

加えてKuralのサウンドエンジニアとしての知性、哲学性、表現性、すべてが自由にのびのび表現されているのがこの作品をとても魅力的にしているといえる。秀逸なサウンドエンジニアとしてのテクニックを惜しみなく押し出し、テープディレイをトラックに部分的に施すことにより特異なミニマル構造を生み出し、サウンドデザインに近い形式に昇華させているのも素晴らしい。アンビエント音楽を次の段階に推し進めるアーティストとして注目しておきたい作品である。  

 

 
 

 

 



 

・A Winged Victory  for the Sullen 

 

「@0 EP2」 Ahead Of Our Time



A Winged Victory  for the Sullen 「@0 EP2」  

@0 EP2  

 

 

2021年のアンビエントの傑作の中で最も心惹かれるのが、これまでBBC Promsでロイヤル・アルバート・ホールでの公演も行っているA Winged Victory  for the Sullenの「@0 EP2」である。

 

このアンビエントプロジェクトのメンバー、アダム・ウィットツィーはかつてクリスティーナ・ヴァンゾーとの共同制作を行っていた人物で、現代のアンビエントシーンでも著名なプロデューサーに挙げられる。これまで2000年代から長きに渡ってアンビエントシーンを牽引してきたミュージシャンだ。

 

近年のアンビエントシーンにおいて残念なことがあるなら、プリセット、音色の作り込みにこだわり過ぎ、楽曲の持つ叙情性、表現性が失われた作品が数多く見受けられることだろう。

 

しかし、そういった叙情性、表現性を失わずに秀逸なアンビエントとして完成させたのが10月14日にリリースされた「@0 EP2」である。

 

ここでアダム・ウィットツィーとダスティン・オハロランのアンビエントの名手たちは、広大な宇宙に比する無限性をアンビエント音楽として描出しようと試み、それがアンビエント本来の持つ叙情性を交えて組み立てられる。これまでアンビエントシーンのプロデューサーたちは、アナログ、デジタル問わず、どこまでシンセサイザーによって音の空間性を拡張させていくのかをひとつのテーマに掲げていたように思われるが、今作において、その空間性はいよいよ物理的な制限がなくなり、「Σ」に近づいた、と言っても良いかもしれない。シンセサイザーのシークエンスの重層的な構築はまるで、地球内の空間性ではなく、そこから離れた無辺の宇宙の空間を表現しているように思える。


これまで多くのアンビエントプロデューサーたちが、「宇宙」という人間にとって未知数の形態を、音楽という芸術媒体を介して表現しようと試みてきたが、そのチャレンジが最も魅力的な形で昇華されたのが今作品といえるかもしれない。

 

宇宙という、これまでアポロ号の月面着陸の時代から人類が憧れを抱いてきた偉大な存在、そのロマンともよぶべきものが今作でついに音楽芸術という形で完成された、というのは少し過ぎたる言かもしれない。

 

それでも、アダム・ウィットツィーとダスティン・オハロランのアンビエントの名手が生み出した新作「@0 EP2」は、ミニアルバム形式の作品ながら、広大無辺の広がりを持ち、未知なる時代のロマンを表現した快作。そしてまた、現代を越えた未来への扉を開く重要な鍵ともなりえる。






Album of the year  2021   


ーElectronicー





・Squarepusher 

 

「Feed Me Weird Things」 Warp Records

 

Squarepusher「Feed Me Weird Things」 

 

Feed Me Weird Things [先着特典キーホルダー付/リマスター/高音質UHQCD仕様/本人よる各曲解説対訳・解説 / 紙ジャケット仕様 / 国内盤] (BRC671)  


今年6月4日リリースされたスクエアプッシャーの「Feed Me Weird Things」はトム・ジェンキンソンの幻のデビュー作、今から25年前の1996年、エイフェックス・ツインの所属するレーベルからアナログ盤としてリリースされた再発盤である。


この作品は、英国のドラムンベースの伝説的な作品で有るとともに、その後のイギリスのエレクトロニックシーンの潮流をひとつの作品のみの力で一変させてしまった、超がつくほどの名盤である。


この作品は、当時、トム・ジェンキンソンは、チェルシー・カレッジ・オブ・アートの学生であったが、入学時に還付された奨学金をレコーディング機材に充て、制作されたアルバムでもある。


トム・ジェンキンソンは、これらの奨学金で購入した90年代のレコーディング機器、そして友人から借りたベース等の楽器、そして、旧来の英国のダンスミュージックにはなかった音楽を新たに生み出した。


作品がリリースされた当時、英国の音楽メディアはこの作品をフュージョンジャズの名作として取り上げたけれど、当の本人、トム・ジェンキンソンはその評価を意に介しはしなかった。なぜなら、ジェンキンソンは、このデビュー作において、彼が若い時代に夢中になった、ジミ・ヘンドリックスのようなハードロックの音楽の熱狂性をあろうことか、ホームレコーディングにおいて、電子音楽で再現しようと試みていたのだ。リリースから二十五年、初めて今作はデジタル盤、CD盤として、音楽ファンの前にお目見えしたが、2021年になっても、今作を上回る電子音楽は存在しないと言って良い、おそらく、今年の中で最も衝撃的な作品のリリースだった。 

 

 

  

 

 

 

 

・Andy Stott 

 

「Never The Right Time」 Modern Lovers 

 

Andy Stott 「Never The Right Time」 

 

 Never The Right Time  

 

ダムダイク・ステアと共にマンチェスターのモダン・ラヴァーズのコアメンバーとしてダブステップ・シーンの最前線を行くアンディ・ストットの4月16日にリリースされた最新作は今年の一枚にふさわしい出来栄えである。


「ノスタルジアと自己省察」という哲学的なテーマを掲げて制作された「Never The Right Time」は世界情勢が混迷を極める2021年という年に最もふさわしいアルバムである。

 

これまでストットは、複雑なダビングの手法を用い、リズム、メロディ、曲構成という多角的な視点から、作品ごとに異なるアプローチに取り組んできた電子音楽アーティストで、この作品は、ストットの十年の活動の集大成と捉えたとしても的外れではない。テクノ、ダブステップ、ダウンテンポ、ヴォーカルトラック、この十年で取り組んできたアプローチを総まとめするような形で今作の楽曲は構成されている。


特に、「Faith In Stranger」時代からゲストヴォーカルとして長年制作をともにしてきたストットのピアノの先生を務めるアリスン・スキッドモアの独特な妖艶ともいえるヴォーカルの妙味は今作においても健在である。


「決して(未だ)正しい時ではない」と銘打たれたアルバムタイトルについてもレコーディングが行われた2020年の英マンチェスターの世相を色濃く反映している。作品中には、民族音楽、特にインド音楽の香りが漂うが、アンディストットの描き出す世界というのは、ーー現実性を失い、場所も時間もない、完全に観照者が行き場を失ったーーような孤絶性にまみれている。

でも、この奇妙な感覚というのは、ほぼ間違いなく、2020年のロックダウン中のマンチェスターの人々の多くが感じていた情感ではなかっただろうか。そして、この作品には、なにかしら窓ガラスを透かして、「現実性の乏しい夢のような現実社会」を、束の間ながらぼんやり眺めるような瞬間、そのなんともいえない退廃美が克明に電子音楽として昇華されている。「Never The Right Time」は、電子音楽でありながら、非常に内的な感情を表現した人間味あふれる作品である。 

 

 

 

 

 

 

 

・John Tejada

 

 「Year of the Living Dead」Kompakt 

 

John Tejada 「Year of the Living Dead」  

 

Year Of The Living Dead  

 

オーストリア・ウィーン生まれ、現在LAを拠点とするジョン・テハダはアメリカ西海岸のテックハウスシーンの生みの親ともいうべき偉大な電子音楽家で、アメリカで最も実力派のサウンドプロデューサーのひとりだ。これまで、二十年以上にも渡り、自主レーベルPalette recordingを主宰してきたジョン・テハダは、今年2月26日にドイツのKompaktからリリースされた今作において、実にしたたかで、名人芸ともいうべき、巧みなデトロイトテクノを完成させている。


「Year of the Living Dead」というアルバム・タイトルも上記のアンディ・ストットと同じくロックダウンの世相を反映した作品である。


今回、ジョン・テハダは、思うように、外的な活動が叶わなかった年、それを逆に良い機会と捉えて、新たな機材、これまで録音に使ったことのない機材をいくつか新たに使用し、今作を生み出している。既に、名人、達人ともいうべき領域に達してもなお、チャレンジ精神を失わず、そういった新たな機材、音色を使用する楽しみをその苦境の中に見出していたのだ。

 

「Year of the Living Dead」は、デトロイト・テクノの正統派として受け継いだ数少ない作品である。

 

中には、グリッチ、ダウンテンポ、といったテクノの歴史を忠実になぞらえるかのようなアプローチが図られ、やはり、今作でも、テハダの音楽性は、知的であり、哲学的でもある。それは一見、電子音楽として冷ややかな印象を受けるかもしれないが、それこそ、まさに表題に銘打たれている通り、ーー生きているもの、と、死んでいるものーー、これは、必ずしも有機体とはかぎらないように思えるが、これらまったく相容れないなにかが混在する今日の世界において、生きている自分、貴方、それから、我々のことを、電子音楽として体現した実に見事な作品である。

 

ドイツのKompaktのレビューにも書かれているとおり、この電子音楽は、極めて現実的でありながら、その中にテハダのユニークさが見いだされる。何か、その冷厳で抜き差しならない現実を、一歩引いて、ほがらかな眼差しで眺めてみようという、この電子音楽アーティストからの提言なのかもしれない。


もちろん、ジョン・テハダのこれまでの作風と同じように、頭脳明晰で、いくらか怜悧な雰囲気も漂うが、その上に叙情性もほのかに感じられる作品でもある。


実に、2020年の世の中に生きる我々の姿を、哲学的な鏡のように反映させた作品であり、生者と死者の間に彷徨う幽玄さに満ち溢れた傑作に挙げられる。


もちろん、本作「Year of The Living Dead」のアルバムアートワークを手掛けた「瞑想的なアーティスト」と称されるグラフィックデザイナー、デイヴィッド・グレイの仕事もまた音源と同じように名人芸といえるだろうか。  

 


 

 

 


 

・Clark

 

「Playground In a Lake」 Deutsche Grammphon

 

Clark「Playground In a Lake」  

 

プレイグラウンド・イン・ア・レイク  

 

これまでエイフェックス・ツイン、上記のスクエアプッシャーと列んでWarp Recordsの代表格として活躍してきたクラークは、近年、イギリスからドイツに拠点を移して、クラシックレコードのリリースを主に手掛けるドイツグラムフォンに移籍した。


代表作「Turning Dragon」では、ゴアな感じのテクノ、相当、重低音を聴かせたダンスフロア向けのトラックメイクを行っていたクラークは、ドイツグラムフォンに移籍する以前からより静謐なテクノ、またクラシックと電子音楽の融合を自身の作風の中に取り入れていこうという気配があった。


クリス・クラークのそういった近年のクラシックへの歩み寄りが見事な形で昇華されたのが「Playground In a Lake」の醍醐味と言えそうだ。


ブダペストアートオーケストラをはじめ、本格派のクラシック奏者を複数レコーディングに招聘し制作された今作はリリース当初からクラークが相当気に入っていた作品であった。ポスト・クラシカルとも、映画音楽のサウンドトラックとも、また、旧来のテクノ、エレクトリックとも異なる新時代のクロスオーバーミュージックが新たに産み落とされた、といっても誇張にはならない。


この高級感のある弦楽器のハーモニーの流麗さ、端麗さの凄さについては、実際の音楽に接していただければ充分と思う。


ピアノのタッチ、弦楽の重厚感のあるパッセージ、電子音楽家としてのシンセサイザーのアーキテクチャー、これらの要素は全て、新たな時代のクリス・クラークの芸術性を驚くほど多彩に高めている。