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 Wilco 「Clue Country」

 


Label: Bpm Records/BMI

 

Release:05,27.2022



シカゴのインディーロックバンド、Wilcoの5月27日にリリース済みである二枚組のスタジオ・アルバムは、フロントーパーソンの、ジェフ・トゥイーディーによって書かれた21曲収録の作品です。

 

バンドは、パンデミックの最中にこのアルバム制作に着手し、ゆっくりと作品が完成へと導かれました。録音は、彼らの地元であるシカゴの「The Loft」にて、ライブセッションのような形で行われています。

 

元々は、シカゴのマリンタワーのアートワークで知られる2002年の名作アルバム「Yankee Hotel Foxtrot」に代表されるオルタナ・カントリーともいえる作風で一世を風靡したバンドではありますが、どことなく2000年代のコンピュータープログラミングの要素をそれらの伝統的な音楽の中に取り入れたアヴァンギャルド性も垣間見えるバンドです。当時、フロントマンのジェフトゥイーディーは「カントリーバンド」とみなされることに懐疑的ではありましたが、時を経て、彼は今ではそのことをいくらか感謝しているというように語っています。


ウィルコの最新作については、ジェフ・トゥイーディーの言葉にあらわれている通り、コンテンポラリーなカントリー/フォークというより、さらに、それよりも古い時代の音楽に接近しようと試みており、それらがアルバム全体に独特なこのバンドらしい渋さ、叙情性、さらにそれにくわえ、センチメンタリズムが込められています。ジェフ・トゥイーディーは、年月を経て、世の中の出来事について深い理解をし、それを歌、バンドとしてのレコーディングにおいて「メモのように書き留めておきたかった」というように話しています。彼が気がついたこと、それらはときにエモコアに近い叙情性を滲ませた温和なカントリー/フォークという形で表現されています。


アルバムは、全体的に、現代のミュージック・シーンから一定の距離を置き、自分たちが求める音楽を徹底的に追求しているように見受けられます。それがウィルコにとってはカントリーという形であって、それをストイックに追い求めることで、このアルバムに強い芯のようなものが通っている。

 

古典的なフォーク/カントリー性を突き出した#10「Tired of Taking It Out On You」#15「Hearts Hard To Find」といった楽曲も、ジョージ・ハリスンの晩年の名曲を思わせるものがあり、爽やかな雰囲気が込められています。その他にも、ウィルコらしい実験的手法を交えた「Many Words」では、「Yankee Hotel Foxtrot」のクライマックス「Reservation」を彷彿とさせる美麗さが味わえます。本作は、円熟期を迎えたロックバンドの音を介しての歴史の探求と称すべきロマンチシズムにあふれており、もちろん、2000年代初頭の名作「Yankee Hotel Foxtrot」のような劇的さこそ感じられませんが、表向きの静かな印象と異なり、かなりワイルドさが込められた作品です。

 

78/100

 

 

 

 

・Apple Music


 

Album of the year 2021 

 

 

ーIndie Folkー

 

 


 

・Lord Huron

 

 「Long Lost」Republic

 

 Lord Huron 「Long Lost」 


 

 

元来、コンテンポラリーフォークの魅力というのは、もしかしたら、音楽性における時間性の欠如、音楽を介して現代という時間を忘れさせてくれることなのかもしれない。もし、仮にそうだとしたら、ニール・ヤングの2021年の新作「Barn」の他に、今年のフォーク音楽として出色の出来栄えの作品を挙げるなら、Lord Huronの作品「Long Lost」がふさわしいと言えるだろう。


ロード・ヒューロンの中心人物、ベン・シュナイダーは、ミシガン州出身のマルチインストゥルメンタルミュージシャンで、ヴィジュアルアートの領域でも活躍する人物である。


彼は故郷のミシガンからLAに旅行した際に、ヒューロン湖で音楽上のインスピレーションを得て、最初のレコード「Lord Huron」の制作に取り掛かった。その後、幼馴染を中心にバンドを結成、現在はLAを拠点として四人組で活動している。

 

今作「Long Lost」の魅力は、ベン・シュナイダーのフォーク音楽の伝統性、そして、アメリカの伝統的な音楽、アメリカーナに対する敬意に尽きるだろう。

 

それは、このレコードにおいて多種多様な形で展開される。時に、戦後間もない頃のUSAのテレビ番組のオマージュであったり、はるか昔の西部劇のサントラ、マカロニウエスタンやノワールといった映画の持つロマンチシズム、そして、第二次世界大戦後まもない頃、フォーク音楽家として国内で大人気を博した、レッド・フォーリーへの憧憬にも似たエモーションがこの作品には漂っている。


ロード・ヒューロンの描き出すフォーク音楽は、アメリカの独特なノスタルジアに彩られている。そして、表題にもあるとおり、現代と過去の間に時間性を失いながら音楽が続く。それは、この作品中のコラボレーション楽曲「I Lied(with Allison Ponthier)」にて最高潮に達する。

 

しかし、この作品で表現される主題は、果たして、アメリカの人々にだけ通用するものなのだろうか。いや、多分、そうではないように思われる。


この独特な第二次大戦直後の時代を覆っていた雰囲気、一種のロマンチシズムにも喩えられる感慨は、実は、アメリカだけでなく、世界全体に満ち広がっていたのかもしれない。いうなれば、絶望の後のまだ見ぬ明るい希望の満ち溢れた未来に対する希望でもあるのだ。それは現代の我々からの目からみても、一種の陶酔感、ロマンスを覚えるのかもしれない。そして、それは、現代のパンデミック時代にこそふさわしい、多くの人に明るい希望を与える音楽でもあるのだ。


 

  

 


 

 

 

 

・Surfjan Stevens Angelo&De Augustine 

 

「Beginner’s Mind」 Athmatic Kitty

 


Surfjan Stevens Angelo&De Augustine 「Beginner’s Mind」  


A BEGINNER'S MIND 

 


スフィアン・スティーヴンス、アンジェロ・デ・オーガスティンは、双方ともアメリカ国内では根強い人気を誇るフォークアーティストである。特に前者のスフィアン・スティーヴンスは、コンテンポラリーフォークに神話性や物語性を加味した幻想的なフォーク音楽で多くの人を魅了している。


そして、アメリカの人気フォークアーティストの二人が共同制作した「Beginner's Mind」はニューヨーク北部の友人の山小屋に共同生活を営み、生み出されたヘンリー・D・ソローの「ウォールデン森の生活」の現代版といえるレコードである。


もちろん、アルバムアートワークのガーナのモバイルシネマを象徴するデザインも、味わい深い雰囲気がかもしだされているが、実際の音楽については、痛快ともいえるほどのストレートなフォーク音楽が今作では堪能できるはずだ。


それは、二人が山小屋の中で毎晩のように、「羊たちの沈黙」をはじめとするホラー映画、そしてヴィム・ヴェンダースの「欲望の翼」といった名画を見ながら音楽的なインスピレーションを得た、というエピソードにも見受けられるように、ユニークな質感、そして、スフィアン・スティーヴンスの持つ物語性、幻想性、神話性というのが、この作品の中で遺憾なく発揮されている。

 

また、このニューヨーク北部の山小屋での作品制作中、彼ら二人が、易経をはじめとする禅の思想に触発されたことや、ブライアン・イーノの「Oblique Strategies」(メッセージを書いたカードを介して偶然性を交えて物事を決定に導く実験的手法)が作曲中に取り入れられている。もちろん、言うまでもなく、難しい話を抜きにしたとしても、遊び心満載の魅力的な楽曲が数多く収録されている作品。「Beginner's Mind」は、2021年のフォーク音楽の象徴的なレコードの一つに挙げられる。

 

 

 

 

 


 

 

 

・Shannon Lay 

 

「Geist」 Sub Pop

 

Shannon Lay 「Geist」 


GEIST  

 

 

シャノン・レイは、ここ数年、フォーク音楽をどういった形で自分なりのスタイルにするのか絶えず模索し続けてきたアーティストである。


元々、パンク・ロックバンド、Feelsのギタリストとして活動していたシャノン・レイは、ソロ活動の最初期、そのパンクロックの色合いを残したコンテンポラリー・フォークを主な特徴としていた。しかし、Sub Popと契約を結んで発表された前作「August」から、強いフォーク性を押しだすようになった。


例えば、それは、アコースティックギターの演奏の面でいうなら、フィンガーピッキングの弛まざる追究、自分らしい奏法を探求した結果が、演奏面、作品制作に良い影響を与え、以前に比べると、演奏面で、音楽性に幅広いニュアンス、特に、淡い叙情性が引き出されるようになっている。そして、目下のところ、シャノン・レイの作品の主題がどこに置かれているのかについては、自分自身のアイルランド系アメリカ人としての移民のルーツを、「フォーク音楽」というギターの表現を介して、ひたすら真摯に、探求しつづけることにほかならないのかもしれない。

 

おそらく、彼女自身が探し求める、はるか遠くの精神的な故郷、そして、その土地の風合いを表す音楽、アイルランドフォークロアに対する接近、それは、前作に続いてSub Popからリリースされた「Geistー概念」の背後を通して、展開される重要な主題に近いものである。もちろんこの作品は、最初のソングライティングの骨格をシャノン・レイ自身が生み出し、その後、シャロン・ヴァン・エッテンをはじめ、多くのアメリカのミュージシャンが携わることにより、完成した作品であるので、個人的な音楽というよりかは、複数のミュージシャンによる作品でもある。

 

しかし、それでも、この作品に、シャノン・レイらしい概念性が失われたわけではない。それどころか、以前の作品よりも強いアイルランド音楽の色合いが出たシャノン・レイというミュージシャンにとって、一つの到達点、もしくは、記念碑的なレコードといえるかもしれない。


以前まではたしかに、シャノン・レイにとって、アイルランドのフォークロアは憧憬の対象であったかもしれないが、それを、今回の作品において、シャノン・レイは過去に埋もれかけた時の中からその原石ともいうべきものを見出し、それを自分の元に手繰り寄せることに成功し、シャノン・レイ自身のフォーク音楽として完成させていることが、このレコードが魅力的にしている。もちろん、こういった深みのある音楽は、短期間で生み出されるものではない、そう、一夜の生半可の知識や技術、浅薄な楽曲の理解により、生み出されるものではないのだ。

 

つまり、このレコード「Geist」が今年リリースされた作品中で、なぜ、コンテンポラリーフォークとして傑出し、華やいだ印象を聞き手に与えるのだろうか。その理由は、近年、シャノン・レイ自身が、フォーク音楽に、誰よりも長く、真剣に向き合ったがゆえに生み出されたレコードだからである。一見、聴いて楽しむためのように思えるフォーク音楽というのは、実は徹底的に突き詰めると、概念的な表現に変容すると明示した意義深い作品である。


 

 





Naima Bock



ナイマ・ボックは現在、サウスロンドンを拠点に活動するシンガーソングライター。幼少期をブラジルのサンパウロで過ごし、ギリシャ語、英語を話すバイリンガルの母親を持ち、そしてブラジル人の父親の元で過ごした。

 

ナイマ・ボックは、幼い頃から、様々な人種の入り混じったサンパウロの様々な音楽に触れています。ナイマ・ボックの家庭では、またビーチに車でドライブに向かう際には、バーデン・パウエル、シコブアルキ、ジェラルド・ヴァンドル、カルトーラといったブラジル人アーティストの音楽が流れていた。その独特なブラジル人の音楽を日常的に触れたことが、ナイマ・ボックの他のヨーロッパのアーティストはことなる音楽上の素養を育んだ。

 

七歳には家族揃ってサンパウロからサウスロンドンに移住した。十代の頃には既に、ナイマ・ボックは早い音楽家としてのキャリアを歩み出し、 Windmil Brixtonのショーに出演するようになる。

 

また若い時代の音楽家の常として、十五歳の頃には、友人とバンドを組み、音楽活動に励んでいる。その形が最終的には、Goat Gailというバンドの音楽性で最初に実を結んでいる。このバンド活動において、ナイマ・ボックは六年もの間、ギリシャをはじめとする国々のツアーをまわり、さらにここで多種多様な文化観と音楽性に磨きをかけた。それはソロ活動に引き継がれた要素である。

 

2021年の11月には、シアトルの名門Sub Popと契約を果たし、デビュー作を12月にリリースした。ブラジルのボサノバ、フォーク、その他ロックのテイストを交えた独特な音楽性として注目が集まっている。

 

 

 

「30 Degrees」 Sub Pop   2021

 

 

Naima Bock 「30 Degrees」  

 


 

 

Tracklisting

 

1.30 Degrees

2.Berimbau

 

 

Featured Track 「Berimbou」Official Audio Listen on youtube: 

 

 

 

 

この12月7日にリリースされたばかりのシングル作「30 Degrees」は、既にリリース情報として記事に書いていますが、再び、今週の一枚として是非とも取り上げておきたいシングル。今週リリースされた中で飛び抜けて傑出した作品です。(追記・以前の記事におきまして、リリースが決定!!とするべきところを、既にリリースされたかのように書いてしまったことをお詫び申し上げます。)

 

特に、ナイマ・ボックのイギリスのミュージックシーンへの登場は、またサブ・ポップというアメリカのインディーシーンへの影響力も加味してみると、現在、画一的になりつつあるヨーロッパやアメリカのインディー・ミュージックに新しい息吹をもたらす可能性もありそうです。ボサノヴァ、そのほか民族音楽を交えたフォーク音楽として、今週のリリース作品の中でも随一の出来といえるでしょう。

 

このシングル「30 Degrees」に収録され二曲が例えば十二曲収録されたスタジオアルバムの品質に劣るのかといえばそうではないはずです。薄められた十二曲の楽曲を聴くよりは、強い印象を持つ二曲のシングル作を聴いた方が有益であることは確かでしょう。より音楽を踏み込んで聴く、何度も聴いてその作品の良さを堪能するという方が、十二曲収録のアルバムを一度聴いただけで飽きて放り出してしまうよりはるかに、音楽ファンにとってはふさわしい時間の使い方であるはずです。そういったことをこのシングル作は思い至らせてくれるかもしれません。

 

このシングル作に収録されている二曲は、おしゃれな印象によって彩られています。それはカフェで流れているようなラウンジ音楽のようなつかみやすい雰囲気が漂っていて、くつろいだ気分を聞き手に与えてくれるでしょう。

 

一曲目の「30 Degrees」は、独特なインディー・フォークの楽曲です。インドのシタールが取り入れられているのは、民族音楽へのボックの傾倒が伺え、それが付け焼き刃ではない深い理解による音楽が生み出されています。何と言っても、独特なリズム感がナイマ・ボックの音楽性の個性で、強拍を徐々に後ろにずらしていくというシンコペーションの手法が見られ、それが心地よいフォーク音楽として昇華されています。 

 

二曲目の「Berimbau」もまたヨーロッパの主流の音楽とは異なり、ボサノヴァの音楽性、リズム性を瀟洒に取り入れた楽曲。勿論、それは上辺だけの音楽性をみずからの作風に取り入れただけではないことはこの楽曲を聞いていただければ理解してもらえるはずです。

 

ここには、幼少期のサンパウロで過ごした時代の深みのあるブラジルの土地に対するナイマ・ボックの憧憬が、歌やギターの演奏により、音を楽しむ、という形でのびのびと表されています。このなんとも、オシャレで優雅、そして、開放感に溢れた楽曲の雰囲気には、ナイマ・ボックの幼少期のサンパウロのビーチの情景を追体験するかのような爽快感を感じていただけるはず。さらに、ナイマ・ボックの音楽性には、インディー・ロックらしい強い個性に彩られているようにも思え、これは、ブラジルのサンパウロのサンバで奏でられるアクの強いリズム性により強固に支えられているがゆえ、このような強い存在感を持った楽曲が生み出されるわけなのです。


このシングル「30 Digrees」は、ブラジルの音楽を文化に真摯な敬意を表し、それを聴きやすい形で提示したという面で、新鮮味溢れる作品です。これからのイギリス、あるいはアメリカのインディーミュージック・シーンに良い影響を及ぼしそうな画期的な作品としてご紹介しておきます。

 

 

 

 ・Sub Pop Naima Bock 「30 Digrees」offical HP 


 

https://www.subpop.com/releases/naima_bock/30_degrees 

 


 

 Grouper

 

グルーパーは、リズ・ハリスのソロ・プロジェクト。米ポートランドを拠点に活動していたアーティスト。現在は、ベイエリア、ノースコーストと、太平洋岸の海沿いで音楽活動を行っているようです。


リズ・ハリスは、コーカサス出身の宗教家ゲオルギイ・グルジエフの神秘思想に影響を受けたアーティスト。


そのあたりはリズ・ハリスの幼少期の生い立ちのコミューンでの経験に深い関係があるようです。


幼少期のコミューンでの経験は、彼女の精神の最も深い内奥にある核心部分に影を落としており、音楽といういわば精神を反映した概念にも影響を及ぼし、内的な暗鬱さの中で何かを掴み取ろうとするような雰囲気も感じられます。


リズ・ハリスの音楽は暗鬱である一方で、こころを包み込むような温かいエモーションを持った独特な雰囲気を漂わせています。それは彼女の生活に結びついた「海」という存在にも似たものがあるかもしれません。


海というのも、画家、ウィリアム・ターナーが描き出した息を飲むような圧倒されるような自然の崇高性が存在するかと思えば、その一方で、ほんわかと包み込むような癒やしや温かさをもたらしてくれる。だからこそ、長い間、リズ・ハリスは海沿いの土地に深い関わりをもってきたのでしょう。


リズ・ハリスの生み出す精神的概念を映し出したもの、それは、決して、一度聴いてハッとさせられる派手な音楽ではないですけれども、「アンビエント・フォーク」とも喩えられる落ち着いた音楽性が醍醐味であり、聴けば、聴くほど、深みがにじみ出てくる不思議な魅力を持っています。


2010年からRoom 40,Yellowelectricと、インディーレーベルでのみ作品をリリースしてきており、アンビエント、ドローンの中間を彷徨う抽象性の高い音楽に取りくんでいるアーティスト。これまでに、グルーパーこと、リズ・ハリスは「Ruins」を始めとするスタジオ・アルバムで、暗鬱なアンビエントドローンの極地を見出しているソロミュージシャンですが、その後の作品「Grid Of Points」では「Paradise Valley」時代のインディー・フォーク寄りのアプローチを図るようになってきています。


アメリカ国内では、アンビエント・アーティストとして知名度が高いリズ・ハリスのようですが、カテゴライズするのが難しい音楽家であることは確かでしょう。アンビエントアーティストとして、ティム・ヘッカーのようなノイズ性の色濃いアンビエントのアプローチを図ったかと思えば、アコースティックギターで穏やかで秀逸なインディー・フォークを奏でることもしばしばです。


特に、リズ・ハリスの生み出すフォーク音楽は、精神的な目に見えない形象を音という見える形に変え、それが「グルーパー」という彼女の今一つの映し身ともいえる音楽に奥深さを生み出しています。

 

ほのかな暗鬱さがありながら、それに束の間ながら触れたときにそれとは対極にある温みが感じられるという点では、エリオット・スミスとの共通点も少なからず見いだせるはずです。

 

 

「Shade」 2021 Kranky

 

 



 
1.Followed the ocean
2.Unclean mind
3.Ode to the blue
4Pale Interior
5Disoredered Minds
6.The way her hair falls
7.Promise 
8.Basement Mix
9.Kelso(Blue Sky)
 

Listen on:

bandcamp

https://grouper.bandcamp.com/album/shade 

 


この作品は「休息」と「海岸」をテーマに制作されたアルバムで、「記憶」と「場所」を中心点とし、その2つの概念を手がかりに、アンビエント、ノイズ、フォーク音楽という多角的なアプローチを図ることにより完成へ導かれています。 ときに、アンビエント、ときに、ノイズ、また、時には、フォーク音楽として各々の楽曲が組み上げられた作品です。


ある楽曲は、数年前にハリス自身が制作したタマルパイス山のレジデンスで、またある楽曲は、以前活動拠点を置いていたポートランドで、その他、アストリアでのセッションを録音した作品も収録。録音された時間も、レコーディングされた場所もそれぞれ異なる奇妙な雰囲気の漂う作風に仕上がっているのはグルーパーらしいと言えるでしょう。


そして、一つの完成されたアルバムとして聴いたときに、奇妙なほど一貫した概念が流れていることに気が付きます。今回も、前作と同じく、ハリス自身の弾き語りというスタイルをとったヴォーカルトラックが数曲収録されています。


そこでは、喪失感、欠陥、隠れ場所(Shade)、愛という、一見なんら繋がりのない概念が歌詞の中に込められていますが、関連性を見出しがたい幾つかの概念を今作品において、リズ・ハリスはノイズ、フォークというこれまた関連性が見出し難い音楽によってひとつにまとめ上げているのです。

 

アンビエントとして聴くと物足りなさを感じる作品ですが、インディー・フォークとして聴くとこれが名作に様変わりを果たす妙な作品。


特に、ヴォーカルトラックとして秀逸な楽曲が、#2「Unclean Mind」#6「the way Her Hair Falls」#7「Promise」#9「Kelso(Blue Sky)です。ここでは、女性版エリオット・スミス、シド・バレットとも喩えるべき内省的で落ち着いたインディー・フォークが紡がれています。

 

これらの楽曲は、ゴシックというよりサイケデリアの世界に踏み入れる場合もあり、これをニッチ趣味ととるか、それとも隠れたインディーフォークの名盤ととるかは聞き手を選ぶ部分もなくはないかもしれません。しかし、少なからず、このグルーパーというアーティストは、意外にSSWとして並外れた才覚が秘められているように思えます。


近年までその資質をリズ・ハリス自身はアンビエントという流行りの音楽性によって覆い隠していたわけですが、いよいよ内面世界を音という生々しい表現法によって見せることにためらいがなくなり、それが作品単位として妖艶で霊的な雰囲気を醸し出しています。

 

その他にも、いかにも、近年、バルトークのように、東欧ルーマニアの民族音楽にルーツを持つ異質な音楽家として再評価を受けつつあるグルジエフに影響を受けたリズ・ハリスらしい、スピリチュアル的な世界観を映し出した不思議な魅力を持つ楽曲も幾つか収録されているのにも注目しておきたいところです。


リズ・ハリスの奥深い精神世界が糸巻きのように紡ぎ出す音楽に耳を傾ければ、いくら歩けど、ほの暗い迷い森の彷徨うかのように、終点の見えない、際限のない異質で妖しげな世界にいざなわれていくことでしょう。

 

 

Shannon Lay 


Shannon LAY ... 

 

SUB POPといえば、80-90年代のシアトルのグランジシーンを牽引したアメリカでも最重要インディペンデントレーベルであることをご存知の方は多いハズ。

かつて、Nirvanaを世に送り出し、Green River、Mudhoney,TADといったシアトルグランジの代表格を数多く輩出、90年代のアメリカのインディー・ロックシーンを司っていたレコード会社です。 しかし、2010年代くらいからはアメリカではロックシーンが以前に比べると下火になったのはたしかで、近年このレーベルから90年代のような覇気を持ったバンドが台頭してこなかったのも事実。

最近のサブ・ポップはどうなってるのかと言えば、 90年代よりも取り扱うジャンルの間口が広くなっていて、近年のリリースカタログをザッと見わたした感じ、アメリカ出身のインディー・ロックのマニア向けのアーティストを取り扱っており、その中には、コアなクラブ・ミュージック、R&B系統のアーティスト、ラップ系アーティストのリリースも積極的にリリースするようになっています。

このあたりは、サブ・ポップもさすが、昨今のアメリカのインディー・シーンの売れ線に対して、固定化したシーンの一角に、一石を投ずるかのような鋭〜い狙いを感じます。その一石がどのような波紋を及ぼすのか、かつてのニルヴァーナのように、ミュージックシーンを揺さぶるようアーティストが出てくるのかは別としても、サブ・ポップが、なんとなく全盛期の勢いを取り戻したようなのを見るにつけて、熱烈なインディー・ロックファンとしては嬉しいかぎり。

さて、NYのラナ・デル・レイを筆頭に、シャロン・ファン・エッテン、エンジェル・オルセンといった個性的な面々がシーンの華やかに彩るアメリカのインディー・ロック/フォークシーンにおいて、知性の溢れる音楽を引っさげて、サブ・ポップから満を持して台頭した女性シンガーソングライターがいます。

"Shannon LAY ..." by Patrice Calatayu Photographies is licensed under CC BY-SA 2.0

この”シャノン・レイ”という赤髪のひときわ素敵な女性SSWは、現在、2020年代のサブ・ポップレーベルが一方ならぬ期待をこめて送り出すミュージシャンです。レーベル公式のアーティスト紹介の力の入れようを見るかぎり、会社側もこのアーティストに相当な期待を込めている雰囲気が伝わって来ます。

彼女の2021年発表の最新スタジオ・アルバム「Geist」の完成度に対してレーベル、アーティスト双方が「よし、これは行ける!」と大きな手応えを感じているからなのでしょう。

作品紹介に移る前に、このシャロン・レイのバイオグラフィーについて簡単にご説明しておきましょう。 シャノン・レイは、カルフォルニア、レドンド・ビーチ出身のミュージシャン。

13歳の時からギターの演奏に親しみ、17歳の時、生まれ故郷レドンドビーチを離れて、LAに向かう。ほどなくして、Facts on Fileというロックバンドのリードギタリストとして活動。

その後、Raw Geronimoというロックバンドに参加。このバンドは、後に”Feels”と名乗るようになる。シャノン・レイはFeelsのメンバーとして「Feels」2016、「Post Earth」2019の二作のオリジナル・アルバムをリリースしていますが、レイはこのFeelsというバンドを2020年1月に脱退しています。

このロックバンドFeelsの活動と並行して、ソロアーティスト”シャノン・レイ”としての活動をはじめる。最初のリリースは、Bandcamp上で楽曲を展開した「Holy Heartache」2015となるが、この作品について「バンドキャンプで作曲した楽曲を公開しただけに過ぎず、公式な作品であるとは考えていない」と彼女自身は語っています。

その後、"Do Not Disturb"から10曲収録のスタジオ・アルバム「All This LIfe Gonig Down」を発表し、SSWとして正式にデビューを果たす。

その後、二作目のアルバム「Living Water」をWoodsist/Mareからリリース。さらに、2019年、シアトルの名門”SUBPOP”と契約を結び「August」を発表。2021年、最新作「Geist」をリリース。

この作品はアメリカの音楽メディアを中心に大きく取り上げられており、好意的な評価を受けています。他にも「Sharron Lay on Audio Tree Live」2018「Live at Zebuion」2020と二作のライブアルバムを発表しています。


Sharron Layの主要作品


「All This Life Going Down」2016  Do Not Disturb 

 

 

 

TrackLists

1.Evil Eye

2.All This Life Going Down

3.Warmth

4.Anticipation

5.Leave Us

6.Backyard

7.Parrked

8.Ursula Kemp

9.Thoughts of You

10.Jhr

 

シャノン・レイの公式なデビュー作「All This Life Going Down」。フォーク音楽、あるいはケルト音楽に近い雰囲気の清涼感のある格式あるフォーク音楽としてのイメージを持つシャノン・レイは、このデビュー作にて、その才覚の片鱗を伺わせつつある。

ローファイ感あふれるインディーロックを展開しており、ディレイ/リバーブを覿面に効かせたインディー・ロックが今作では繰り広げられていますが、その中にも何となく、ケルト音楽に近い民謡的、あるいは牧歌的な雰囲気を感じさせる楽曲が多い。アメリカをはじめとする多くの音楽メディアはこの音楽について、ベッドルームポップと称しているようですが、今作は民謡的な音楽性をインディー・ロック、ローファイとして表現していると評することが出来るかもしれません。

今作においてのシャノン・レイの音楽は徹底して穏やかで知性のあふれる質感によって彩られています。ディラン、サイモン&ガーファンクルに代表されるような穏やかで詩情あふれる清涼感のあるアメリカンフォークをよりコアなオルタナティヴ音楽として現代に引き継いだと言う面で、後年のシャノン・レイの音楽性の布石となる才覚の片鱗が感じられる知性あふれるフォーク音楽。詩を紡ぐように歌われるヴォーカル、ナイロンギターの指弾きというのも真心をこめて丹念に紡がれていく。なおかつ、ゆったりした波間をプカプカと浮かぶような雰囲気があり、これは彼女の故郷、カルフォルニア、レドンド・ビーチに対する深い慕情にも似た「内的な旅」なのか。

シャノン・レイは、ボストンの”Negative Approach”をはじめとするDiscord周辺のハードコア・パンクに深い影響を受けているらしく、ロックとしての影響は、この陶然として雰囲気を湛えるインディーフォークに表面的にはあらわれていない印象を受けますが、 ハードコアパンクのルーツは、彼女のフォーク音楽に強かな精神性、思索性を与え、音楽性をより強固にしているのかも知れません。

アルバム全体として、穏やかで、まったりとした空気感の漂うデビュー作。近年のアメリカのインディーシーンには存在しなかった旧い時代の民謡にも似た温かな慕情に包まれている。

 

「Living Water」2017 Woodsist/Mare

 

 

 

TrackLists

1.Home

2.Living Water

3.Orange Tree

4.Caterpiller

5.Always Room

6.Dog Fiddle

7. The search for Gold

8.The Moons Detriment

9.Recording 15

10.Give It Up

11.ASA

12.Come Together

13.Coast

14.Sis

 

海際の崖に座り込むシャノン・レイを写し込んだアルバムワークを見ても分かる通り、前作の牧歌的でありながらどことなく海の清涼感を表現したような作風は、二作目「Living Waterにおいてさらなる進化を遂げています。

一作目はアメリカンフォークに対する憧憬が感じられましたが、今作はさらにその詩的な感情は、美麗なヴァイオリンのアレンジメントにより強められたという印象を受ける。

前作に続いて、ディラン直系のフォークが展開されていきますが、このストリングス・アレンジによる相乗効果と称すべきなのか、アメリカンフォークというよりケルトの伝統楽器フィドルを用いた「ケルト音楽」にも似た音楽の妙味が付加されたという印象を受けます。

このスタジオ・アルバムの表向きの表情ともいえる表題曲「Living Water」に代表されるように、前作に比べて音楽性はより内面的な精神のあわいを漂いつつ、そのあたりの外界と内界の境界線にうごめく切なさがこの音楽において、前作のようなアコースティック弾き語りのフォーク音楽により表されています。前作が爽やかさを表したものなら、より今作は、悲しみとしてのフォーク音楽が体現されているようにも思えます。

 しかし、そういった主要な楽曲の中に「Caterpiller」「Always Room」で聴くことの出来る心休まる牧歌的なフォーク音楽もまたこのアルバムの見逃せない聞き所といえる。これは2020年代のアメリカの男性ではなく、女性によって紡がれる新たなフォーク時代の到来の瞬間を克明に捉えた作品。

 

「August」2019 Sub Pop 


 

 

TrackLists


1.Death Up Close
2.Nowhere
3.November
4.Shuffing Stoned
5.Part Time
6.Wild
7.August
8.Sea Came to Shore
9.Sunday Sundown
10.Something On Your Mind
11.Unconditional
12.The Dream
 

シアトルの名門インディーレーベル「Sub Pop」に移籍しての第一作「August」でよりシャノン・レイの音楽性は一般的なリスナーにも分かりやすい形となってリスナーに対して開かれたと言えるかもしれません。

二作目に続いて、ストリングス・アレンジを交えて繰り広げられるギャロップ奏法を駆使したシャノン・レイのアコースティックギターの演奏は精度を増し、トロット的な軽快なリズム性において深くルーツ音楽に踏み入れています。

もちろん、フォーク、カントリー音楽のルーツに対して深い敬意をにじませつつ、シャノン・レイの音楽はアナクロニズムに陥っているというわけではありません。そこにまた、新奇性や実験性をほんのり加味している点が今作の特徴であり魅力でもあります。さらには、レコーディングのマスタリングにおいて、豪華なサウンド処理が施され、ルーツミュージックの影響を漂わせながら、ポップ音楽として聞きやすく昇華された作品。

以前のリリース作に比べ、収録曲の一部には、サブ・ポップのレーベル色ともいうべきオルタナティヴ性も少なからず付け加えられた印象もあります。

噛めばかむほど、味わいがじわりと広がっていく渋みのあるフォーク音楽。今作ではシャロンレイの才気がのびのびと発揮されています。

大いなる自然の清涼感を感じさせる牧歌的でさわやかな雰囲気は次作の布石になっただけではなく、最早、シャロン・レイの音楽性の代名詞、あるいは重要なテーマのひとつとして完成されたというような雰囲気も伺えます。特に、今作において、シャノン・レイのシンガーとしての才覚、音楽性における魅力は華々しく花開いたといえる。

 

「Geist」2021 Sub Pop 

 


 

TrackLists 

1.Rare To Wake
2.A Thread to Find
3.Sure
4.Shores
5.Awaken and Allow
6.Geist
7.Untitled
8.Last Night
9.Time's Arrow
10.July

2021年10月8日に前作と同じく「SUB POP」リリースされた「Geist」はドイツ語で「概念」の意味。

コラボレーション作で、Devin Hoff 、Tu Segallが参加、そしてプロデューサーにJarvis Taveniereを迎え入れたスタジオ・アルバムとなります。このシャノン・レイの最新スタジオ・アルバムで目を惹かれるのはサイケデリックフォークの第一人者、Syd Barretの「Late Night」のカバーのフューチャー。

アコースティックギターに歌という弾き語りのスタイルはこれまでと変わりませんが、ピアノ、エレクトリック・ピアノ、ストリングスアレンジの挿入をはじめ、パーカッションの導入にしてもかなりダイナミックな迫力が感じられる傑作となっております。

そして、以前の三作ではぼんやりとしていたような音像が今作は、より精妙なサウンド処理が施されているよりハッと目の醒めるような彩り豊かな叙情性溢れるサウンドが生まれ、そして、インディーフォーク作としてこれまでの歴代の名作と比べてもなんら遜色のない、いや、それどころかそれらの往年のフォーク作品をここでシャノン・レイは上回ったとさえ言い得るかもしれません。

これまでのレイの音楽性はより清涼感を増し、このフォーク音楽に耳を傾けていると、さながら美しい自然あふれる高原で清々しい空気を取り込むような雰囲気を感じうることができるでしょう。表題曲「Geist」をはじめ、「A Thread To Find」「Sure」と、フォークの名曲が目白押し、さわやかな癒やしをもたらしてくれるインディー・フォークの珠玉の楽曲ばかり。アルバム全体が晴れ晴れとした精妙さがあり、特に、ラストトラックを飾るインスト曲「July」を聴き終わった時には、音楽をしっかり聴いたというような感慨を覚え、音楽の重要な醍醐味、曲が終わった後のじんわりした温かな余韻を味わえるでしょう。

シャノン・レイの最新作「Geist」は、アメリカのフォーク音楽の2020年代を象徴するような作品で、これから女性アーティストのフォークがさらに盛り上がりを見せそうな予感をおぼえます。



 Sharon Van Etten・Angel Olson 



今週は、先週のアンノウンモータルオーケストラに引き続いて、魅力的なシングル盤を御紹介しようと思います。

この作品は、 今、アメリカの女性シンガーとして最も注目されている二人、シャロン・ヴァン・エッテンとエンジェル・オルセンという二人の共作という形で、オリジナルバージョンが2021年5月、続いて、アコースティックバージョンが8月のシングル盤リリースされています。

肝心の作品について触れる前に、インディーズシーンで活躍するこの二人の女性シンガーのバイオグラフィについて簡単におさらいしておきましょう。


 Sharon Van Etten


シャロン・ヴァン・エッテンは、インディーロックシンガーとして、米、ニューヨークのブルックリンを拠点にミュージシャンとして活動している女性ミュージシャンです。2009年に、Drag Cityの傘下に当たる「Language Of Stone」から、「Because I Was In Love」でデビュー、これまでに六作のスタジオアルバム、二十作を超えるシングル盤を発表している実力派の女性シンガーソングライターです。

ヴァン・エッテンは、米インディアナ州のインディーレーベル、「Jagujaguwar」を中心に作品を発表していて、このレーベルを代表する存在といえるでしょう。 

ヴァン・エッテンは、これまでの二十一年のキャリアにおいて、音楽家にとどまらず、多方面の分野で目覚ましい活躍をして来ています。

中でも、女優としての顔を持つ彼女は、Netflixのアメリカのテレビドラマ「The OA」、デヴィッド・リンチ監督の名作「ツイン・ピークス」の新バージョンへの出演等、女優としても、近年、注目を集めているマルチタレントといえそうです。 

また、シャロン・ヴァン・エッテンは、ニューヨークのレコード会社のスタッフとして働き、新人発掘も積極的に行い、文化的役割も担っている。もちろん、歌手としての実力は、アメリカの音楽シーンでも随一で、癖がなく、透き通るように清らかな声質が魅力です。もちろん、音楽についても、ロック/ポップスだけでなく、インディーフォーク、ソウル、R&Bと、多種多様なバックグランドを感じさせるアーティストです。

 

 Angel Olson


一方のエンジェル・オルセンは、イリノイ州シカゴを拠点に活動する女性シンガーソングライターです。ヴァン・エッテンと同じく、「Jagujaguwar」を中心として作品のリリースを行っています。

近年、アメリカとイギリスで、人気がうなぎ登りの女性シンガーソングライターで、特に、音楽メディア方面からの評価が高いアーティストでもある。なぜ、そのような好ましい評価を受けるのかは、ひとえに、エンジェル・オルソンの異質な存在感、頭一つ抜きん出たスター性、センセーション性に依るといえ、ド派手な銀色のウィッグを付けて、プロモーションビデオに登場したり、あるいは、作品のコンセプトごとに、ミュージシャンとしてのキャラクターを見事な形で七変化させる、器用で見どころのあるアーティストといえるでしょう。

エンジェル・オルソンは、レディ・ガガというより、それより更に古い、グラムロック界隈のミュージシャン、プリンス、マーク・ボラン、デヴィッド・ボウイといったビッグ・スターの再来を予感させるような雰囲気があり、そのあたりに、アメリカ、イギリスの音楽メディアは、この類まれな才覚を持つオルソンに対して、大きな期待を込めているように思えます。

実際の音楽性についても、トラック自体が綿密に作り込まれていて、長く聴くに耐える普遍性を兼ね備えています。

シンセ・ポップやAOR,グラムロック、と、様々な音楽性を併せ持つ点では、ヴァン・エッテンの音楽性と同じような特質を持つものの、どちらかといえば、エンジェル・オルセンの方がアクが強く、近年のアメリカのポップス界隈では特異な存在といえるでしょう。実際の歌声についても、普通の声質とは少し異なる音域を持つのがオルセンであり、特に、高音の伸び、ビブラートの仕方が独特で、シンディー・ローパーの初期の歌声に比する伸びやかなビブラート、そして、キャラクターの強さを併せ持つ個性的なシンガーといえそうです。これから、もしかすると、グラミー辺りにノミネートされたり、又は、受賞者となっても全然不思議ではない気配も漂っていますよ。 

それでは、今回、2021年の5月と8月にリリースされた2バージョンの「Like I Used To」という作品の魅力について簡単に触れていきましょう。


 

 「Like I Used To」 Sharon Van Etten・Angel Olson 2021


 


 1.LIke I Used To  

 

元々、この作品のリリースの経緯については、シャロン・ヴァン・エッテンが中心となって行われたプロジェクトのようです。

実際のところは、「Jagujaguwar」のレーベルメイトとして、長く共にこのレコード会社に在籍してきたため、ツアーの際に一緒に過ごしたり、もしくは、その途中のハイウェイでハイタッチをしたりと、仕事仲間という感じで、付き合いを重ねてきたヴァン・エッテンとオルソンの両者。 それが、ヴァン・エッテンがこの「Like I Used To」の原型となるデモを作成し、エンジェル・オルソンを共同制作者として選び、電話でコンタクトを取ったようです。それまではさほど親しくない間柄であったとエッテンは話していますが、このプロジェクトの原点となる一本の電話をオルソン側に掛ける際にも、ヴァンエッテンは相当緊張したんだと語ってます。このあたりになんとなく、ヴァン・エッテンの人柄の良さというか、奥ゆかしさのようなものを感じます。

しかし、いざレコーディングに入り、作品としてパッケージされたこの楽曲を聴いて、驚くのは、コラボレーションの作品としては考えられないほどの完成度の高さ。しかも、本来、まったくかけ離れたような性質を持つ二人のシンガーの個性がここでがっちり合わさって、まるで何十年来も活動を共にしてきた名コンビであるかのような関係性があり、絶妙な間合いが採られている事。これは、実際にやってみないことには、合うかどうかはわからない実例といえるでしょう。


「Like I Used To」については、ヴァン・エッテンの曲ではあるものの、どちらが作曲をしたのか、なんていうことは最早どうでもよくなるほど、楽曲の出来栄えが素晴らしい。それほど二人の歌声、存在感が絶妙にマッチした作品です。シンセサイザーを使用した良質なポップスで、それが大きなスケールのサウンドスケープを作り、往年のティアーズ・フォーティアーズのようなAOR、あるいはアバのような癖のないポップス、又は、その中間点にある親しみやすく、誰にでも安心して楽しんで頂ける楽曲です。楽曲の構成についても、Aメロ、Bメロ、サビという、ポップスの王道を行くわかりやすい構成は、より多くの人に理解しやすいように作られています。AメロとBメロが、長調と短調で、対比的に配置され、それがサビで、また長調に戻り、壮大なハーモニクスを作るという面においては、昔の日本のポップスや歌謡の名曲に通じるような雰囲気があり、洋楽のポップス・ロックに馴染みのない方でも、きっと楽しんで頂けるはず。


そして、この「Like I Used To」は、シャロン・ヴァン・エッテン、そしてエンジェル・オルセンが交互に一番、二番を歌い、そして、サビの部分で、ツインボーカルとして二人の声のパワーが倍加され、素晴らしいハーモニクスを形成するというのも、ポップスの王道スタイルを踏襲していて、むしろ、そのあたりが最近の手の込んだ音楽が多い中で、非常に新鮮に思える。そして、この二人の歌を聴いていて思うのは、ソロ作品としては異なるタイプのシンガーであるように思えていたのに、実際にツインボーカルとして聴くと、二人の声質の近いものがあることが理解出来る。

 

そのため、絶妙な具合に二人の歌声が溶け合っている。そして、この素晴らしい二人の歌姫の歌声は、サビの部分で異質なほどの奥行きを形作り、それが聞き手の世界を変えてしまうような力を持っている。そして、歌詞にも現れているとおり、表向きには、Like I Used Toという後ろ向きにも思えるニュアンスはその過去を見つめた上、さらに未来に希望を持って進もうという、力強さ、もしくは決意、メッセージのようなものが感じられる。聞いていると、何だか勇気が出てくる名曲です。


 

 「Like I Used To」(Acoustic Version) Sharon Van Etten・Angel Olson 2021

 


 

 1.Like I Used To  (Acoustic Version)

 

そして、こちらは、5月に、リリースされたオリジナル・バージョンから三ヶ月を経て、つい先日、8月10日にリリースされたばかりのアコースティックギターバージョンです。

オリジナルの「Like I Used To」に比べ、ここではフォーク寄りのしとやかなアプローチが採られていて、ゆったり聴くことの出来る穏やかな雰囲気の楽曲です。アコースティックギターのコード進行自体はとてもシンブルなのに、この二人の声の兼ね合いというのが曲の中盤から終盤にかけて力強くなり、想像のつかないほどの壮大さに変貌していくのが、このバージョンの一番の聴きどころといえるでしょう。

このアコースティックバージョンでは、オリジナル・バージョンの「「Like I Used To」と同じように、シャロン・ヴァン・エッテンとエンジェル・オルセンが、一番、二番のフレーズを交互に歌うというスタイルは一貫してますが、ここでは、より、情緒豊かな風味を味わっていただけると思います。

オリジナル・バージョンに比べ、二人の関係性の親密さが増したというのが楽曲の雰囲気にも現れています。

オリジナル・バージョンより、ふたりとも歌をうたうことを心から楽しんでいるように思え、そして、音の質感としても異様なみずみずしさによって彩られている。

とりわけ、こちらのアコースティックバージョンの方は、それぞれのソロ作品での歌い方とはまた異なるボーカルスタイルが味わえる、つまり、二人のまた普段とは違う表情が感じられる作品で、とくにエンジェル・オルセンの歌唱の実力の凄さが、オリジナルより抜きん出ているように思えます。この何かしら、魂を震わせるかのようなオルソンの歌声の迫力、ビブラートの伸びの素晴らしさを体感できるでしょう。


何故か、この二人の歌声を聞いていると、歌というものの本質を教えてくれるような気がします。

特に、複雑なサウンド処理を施さずとも、美しい歌声というのは、そのままでも十分美しいと、この楽曲はみずから語っている。これは、魂を震わせるような2020年代のインディー・フォークの名曲の予感。それは、この二人が心から歌をうたっているからこそ滲み出てくる情感といえるでしょう。


二人の咽ぶような感極まった歌の質感は、妙に切ないものが込められていますが、これこそ歌姫の資質といえるもので、歌声だけですべてを変えてしまう力強さがあります。サビ、それから、曲の終盤にかけての部分のヴァン・エッテンとオルセンの呼びかけに答えあうように呼び込まれる歌というのは、ほとんど圧巻というよりほかない、息をゴクリと飲むほどの美しさ。アメリカのインディーシーンきっての実力派シンガーの個性が見事に合わさったこそ生み出された問答無用の傑作として推薦致します。



参考サイト


indienative.com


https://www.indienative.com


last.fm


https://www.last.fm/ja/music/Sharon+Van+Etten/+wiki



 

Lord Huron

 

ロード・ヒューロンは、Ben Schneiderを中心に2010年に結成され、現在、ロサンゼルスを拠点に活動する四人組インディー・ロックバンドである。

 

このバンドの成り立ちの逸話には面白いエピソードがあり、それは、今から、十一年前に遡らなければならない。

 

なんでも、ロード・ヒューロンの中心人物であるベン・シュナイダーが、LAからミシガン北部に旅行した際に、アメリカの五大湖の一つ、ヒューロン湖において、最初のEP作品「Into The  Sun」の楽曲の着想を得たことからすべては始まったのだという。

 

このヒューロンという湖は、面白い魚が数多く生息している場所であるが、ベン・シュナイダーは、この海の雰囲気に非常によく似た地質形状を持つヒューロン湖の風光明媚な景色に心を打たれて、音楽という形で、心象風景、又は、純粋な感動を、ギターやヴォーカルで表したいと考えたのかもしれない。

 

つまり、このどことなくドラマティックなエピソードから引き出される「ロード・ヒューロン=ヒューロンの神様」というバンド名には重要な意味が込められている。このミシガンの湖の自然の恩恵に対するシュナイダー自身の感謝を表しているのかもしれない。

 

その後、そして、その奇妙な小旅行の後、LAに戻ったベン・シュナイダーは、時を経ずして、デビュー作となった三曲入りEP作品「Into The Sun」のレコーディング作業に入った。この作品は、当時のヒューロン湖でのシュナイダーの数奇な体験をモチーフにした自然を賞賛するような開放感にあふれたデビュー作で、独特な雰囲気を持つインディー/ローファイの名盤といえるはず。

 

そして、また、同年にリリースされた「Mighty」の2つは、信じがたいことに、このベン・シュナイダーが全部の楽器のパートを自身で演奏、録音しているという。それから、ベン・シュナイダーは、その後、古くからの幼馴染だったマーク・バーリーをメンバーとして引き入れた。それから、他の二人のメンバー、ミゲル・ブリセーニョ、トム・レナルドを招き入れ、現在のLord Huronのバンドとしての体制が整えられた。


 

 

ロード・ヒューロンの音楽性自体も、ヒューロン湖で楽曲の着想を得たというエピソードに違わぬもので、ナチュラリストとしての音楽と形容すべきか、ハワイアン、スペインのジプシー音楽、果ては、インドネシアのガムランと、実に多種多様な民族音楽の要素を取り入れつつ、アメリカの古いタイプ、それも、戦後間もない時代のカントリー/フォーク音楽をバンドサウンドの背骨にしている。すべての存在を温かく包み込むような大きさが彼等のサウンドの特長である。

 

もちろん、ロード・ヒューロンの音楽は、古い時代の音楽に主題を取るからといって、アナクロニズムに堕することはない。そこには現代的な電子音楽的なアプローチも多分に施されている。ラップトップのマスタリングを介し、絶妙なノイズのニュアンスを紡ぎ出し、リバーブにより奥行きのある空気感を生み出すことにより、現代的なサウンドアプローチとしての古典カントリー/フォークを、ものの見事に現代のサウンドとして蘇らせることにあっけなく成功している。そして、このバンドの中心人物、ベン・シュナイダーが生み出す楽曲には、さらに昔の時代の音楽への興味、モータウン・レコードのアーティスト、または、ブラック・ミュージックの元祖スター、サム・クックの楽曲に見られるような奇妙なほど強い存在感が宿っているように思える。  

 


そして、新たなインディー・ロックの名盤の誕生の瞬間というように言ってもいいように思えるのが、今週御紹介する、Lord Huronの最新スタジオ・アルバム「Long Lost」である。

 

 

 

「Long Lust」 2021

 


 

 

 

 

1.The Moon Doesn't Mind

2.Mine Forever

3.(One Hellluva Performer)

4.Love Me Like You Used To

5.Meet Me in the City

6.(SIng For Us Tonight)

7.Long Lust

8.Twenty Long Years

9.Drops In The Lake

10.Where Did the Time Go

11.Not Dead Yet

12.(Deep Down Inside Ya)

13.I Lied(with Allison Ponthier)

14.At Sea

15.What Do It Mean

16.Time's Blur



Listen on Apple Music

 

 

 

このアルバムリリースの前から、ロード・ヒューロンは「Not Dead Yet」を皮切りとして、四つのシングル盤をリリースしている。

 

そして、先行の4つのシングルのアルバム・ジャケットを見ても分かる通り、ルネ・マグリットのようなジャケットデザインの雰囲気が、このスタジオ・アルバム「Long Lost」発売以前のシングル盤に見られていたが、このアルバムもそのスタイルを受け継ぎ、ルネ・マグリットのシュールレアリスムの絵画のような印象を受ける、きわめて魅力的なアルバムアートワークである。

しかし、アルバムアートワークからにじみ出る雰囲気とは、実際の音の印象は異なるように思える。それは、いくらかユーモラスな概念によってアートワークの意匠が手がけられているからだ。

 

「Long Lost」と銘打たれたロード・ヒューロンの新作はコンセプト・アルバムのような趣向性を持っているように思える。全体に通じて、リバーブ感の強いサウンドプロダクションによって蠱惑的に彩られている。

 

また、このスタジオ・アルバムの音楽性の中に一貫しているのは、ノスタルジックな音像の世界。そこには、近年、インディー・ロック界隈で盛んなリバイバルの要素がふんだんに取り入れられている。そして、今作もまた、最初期からの音楽性が引き継がれており、大自然の素晴らしさを寿ぐかのような温和な雰囲気が、楽曲全体にはじんわりと漂っている。しかし、ここには、蠱惑的な雰囲気もある。おそらく、聞き手は、このスタジオ・アルバムの音に耳を傾けていると、思わず、その独特な世界、ロード・ヒューロン・ワールドの中にやさしく誘われていくことだろう。

 

そして、ロード・ヒューロンの音楽には、ジョニー・キャッシュのようなダンディズム性の雰囲気は乏しいかもしれないが、反面、戦後のアメリカン・カントリーのレジェンド、レッド・フォーリーのような渋さが込められている。このあたりに、ロード・ヒューロンの強みが有り、あるいは、このバンドのフロントマンのベン・シューナイダーの通好みというか、音楽フリークとしての温かな情感が満ち溢れている。そして、それこそがこのアルバムの最大の魅力でもある。

 

また、音楽性の中にさらに踏み入れてくと、そこにはほとんど無尽蔵といえるほどの多種多様なアプローチが込められていることが理解できる。カントリー/フォークという主だった表情の裏側には、古典的なR&Bの影響もそれとなく伺える。全体のサウンドプロダクションも古い映画の中のサウンドトラックの雰囲気が滲み出ている。このあたりの一歩間違えば、古臭いともいわれかねない音楽を、実に巧みなセンスにより、ギリギリのところで均衡を保っているのが今作の凄さ。つまり、これは、往古と現代の鬩ぎ合いが極まったところにあるエクストリームなインディー音楽といえる。

 

特に、楽曲の合間には、昔のラジオから聞こえてくるようなノスタルジックなBGM(観客の拍手、あるいはラジオパーソナリティーの語り)が積極的に取り入れているのも、往年のカントリーやフォークへの深い憧憬が感じられる。そして、実際の音楽性というのも、かつてのヒップホップがそうだったように、既にあった音のフレーズを新たにデザインし直すアプローチが採られている。

 

この音楽は、けして新しくはない。しかし、新奇さばかりを追い求めることが、必ずしも有益ではないことを、ロード・ヒューロンの新作スタジオ・アルバムは教えてくれている。古いものの良い要素を未来に引き継ぐ伝統性、アメリカの古い音楽に対する深い矜持が、彼等、ロード・ヒューロンの音には徹底して貫かれる。それはアルバムを通して失われることがない醍醐味である。

 

とりわけ、このバンドの音の感性の良さというのは、#7「Long Lust」#8「Twenty Long Years」#15「What Do It Mean」#13「I Lied(with Allison Ponthier)」を聴いてもらえれば、十分理解しただけるはず。

 

また、#11「Not Dead Yet」では、エルヴィス・プレスリー5.60年代の原初的なロックンロールに、つまり、”踊り”のためのロックに、ロード・ヒューロンは回帰を果たしている。言い換えれば、これは、近年のロックに失われていた重要な魅力「Long Lost」を、彼等は再発見しようと試みているのだ。そして、このカントリー/フォーク、又は、ロックンロールの偉大な名曲は、「20年代を代表するインディー・ミュージックの名曲」と称しても差し支えないはずである。

 

ベン・シュナイダー、ひいては、ロード・ヒューロンが、とことん、良い音楽だけを追求しつくした十一年の成果が、このスタジオ・アルバムに表れているように思える。それは音というよりも、強固な概念に近いように思える。

 

そして、また、ベン・シュナイダーの最初の音楽をはじめる契機になった重要な原体験、ミシガン北部のヒューロン湖での神秘的な体験からもたらされる霊感が、今作にもしっかりと引き継がれているように思える。

 

果たして、十年前、ミシガンのヒューロン湖で、彼は、何を見、何を感じたのだろう? それは、なんらかのお告げのようなものだったのか?? その応えは、今作に表されているので、実際の音を聴いてみて頂きたいところです。とにかく、このスタジオ・アルバム「Long Lost」には、時代を問わない、音楽の本来の魅力が詰まってます。誇張なしの大傑作としてオススメします。

 

 

参考サイト

 

last.fm  Lord Huron https://www.last.fm/music/Lord+Huron





Elliot Smith

 

 

エリオット・スミスは、アメリカではインディー系のアーティストとしては、異常なほどの人気を誇るミュージシャンである。それは一つ、彼の音楽性の本質的な良さというものの背後に潜んでいる悲しき運命も、彼の人気を後押ししていると思われる。彼の生み出す楽曲に明瞭に表れているのは、いわゆるアメリカのインディー・ロック/フォークの系譜を真っ当に受け継いだストレートな音楽の持つ魅力である。 

 

また、彼の音楽は非常に静かで昂じるようなところがない。それはもちろん、アコースティックギター一本で奏でられる本格派のフォーク・ロック/ポップスだからだけれども、さらにエリオット・スミスのボーカル、声というのは一貫して明るさはなく、どんよりとした印象が滲んでいる。

 

自分の中にある暗く淀んだ感情をしかと直視し、それをゆるい感じフォーク音楽として何気なく表現する。彼の音楽は、ディランのような張りこそないものの、素晴らしいポップセンスがあり、いまだに不思議な魅力を放ちつづけている。

 

つまり、それがインディーロックの系譜にあるローファイ、サッドコアという音楽ジャンルの本質なのだろうか?

 

 

しかし、エリオット・スミスは、その全生涯の作品において、その自分の中の暗さの最中でもがき苦しみ、そこからどうにか這い出ようと努めていたように思える。これは信じられないことに、実は、グランジのカート・コバーンの芸術性と本質的には一緒なのかもしれない。

 

つまり、グランジは、苛烈なロックンロールの申し子として、そして、ローファイ、サッドコアは、インディー・フォークの静かなる後継者として、この2つの音楽は、八十、九十年代のアメリカのアンダーグラウンドシーンに在し、アメリカの若者たちの魂を癒やしつづけたのだろう。 

 

エリオット・スミスは、「Kill Rock stars」というインディー・レーベルからデビューを飾り、このレーベルを中心に活動をしていたミュージシャンである。当時、つまり、リアルタイムの80年代後半、九十年代において、アメリカで、どれくらいの人気が獲得したのかまではあまり知らない。

 

しかし、その音楽的な素朴な良さというのは、普遍的な価値があり、少なくとも、2000年代に入っても全然古びることはなく、多くのアメリカ人の共感を呼び続け、今では彼の知名度、人気だけが一人歩きをしている感がある。それは、彼の音の表現には普遍的な人間の弱さ、誰にも存在する内的な暗さに、そっと寄り添う慈しみが込められているからなのだろうと思う。

 

今ではすっかり、アメリカのインディー・ロックの大御所というように目されるようになったエリオット・スミス。もし、今でも健在であったら、どのような素晴らしい音楽をファンの元に届けてくれたのだろうか。

 

2000年代初頭、正確に言えば、2003年の10月21日、エリオット・スミスは、胸に刺し傷がある状態で、自宅で発見された。当時の恋人による他殺説もあるが、現在では、自殺という説が最も有力視されている。

 

そして、彼の不可解な死は、毎年10月になると、ミュージックシーンの話題に上ることがあり、同アメリカの伝説的ミステリー作家アラン・ポーのように、いまだ多くのベールに包まれ、様々な憶測を呼びつづけている。


 

 

「Either/or」 1997  Kill Rock Stars

 

 

 

 

 

 

TrackLisiting

 

1.Speed Trails

2.Alameda 

3.Ballad of Big Nothing

4.Between the Bars

5.Pictures Of Me

6.No Name No.5

7.Rose Parade

8.Punch And Judy

9.Angeles

10.Cupid Trick

11.2:45 AM

12.Say Yes

 

 

 

 

所謂、エリオット・スミスの代表作、最高傑作として一番良く知られている作品である。個人的にはこのアルバムを十年前くらいに購入したが、当時、どことなく地味な印象があったためか、それほど深く聴き込まなかった覚えがある。まだ、この渋さのある音の本質がいまいちつかめなかったのかもしれない。

 

当時としては、かなり陰鬱な印象をうけたからか、いくらか倦厭するような向きがあったものの、それは大きな思い違いだったのだ、と、自分の耳の過ちを認めるよりほかない。現在、あらためて聴き直してみたところ、やはり、良質で素晴らしいインディーロック/ ポップスで、これほど痛快なフォーク・ロックは見当たらない気がする。どことなく、ビック・スター、マシュー・スイートの後の世代のアメリカのインディー・ロックの後継者という感じであり、しかも、同時に、ビートルズのような親しみやすい普遍的なポップ性も兼ね備えているのが特徴といえる。 

 

このアルバムを、当時はインディー・ロックというジャンルを知るために聴いたような部分もあったけれども、再生能力の高いオーディオでじっくり聴いてみると、彼の音楽の本質が何となく掴むことができた。

 

そして、何と言っても、このアルバムは、インディー・レーベルからのリリースでありながら、非常にみずみずしい質感に彩られた上質な作品である。アコースティックギターの音の粒のようなものが非常にあざやかであり、また、あたたかみのある弦楽器としての魅力が凝縮されている。

 

そして、エリオット・スミスの作曲というのは、渋みあるアメリカンフォークの系譜を引き継いでいる。そして、それをいくらかスタイリッシュさをまじえて表現しているあたりがこのアルバムの本質かもしれない。 

 

アルバムの全体の印象としては、やはり、からりとした明るさはないと思う。しかし反面、その要素が多くのファンから支持を受ける理由でもあると思う。派手さこそないものの、親しみやすさがある。言い換えれば、純朴さ、素朴さというのがエリオット・スミスの音楽の魅力なのかもしれない。 

 

「Speed Trials」 「Between the Bars」「Punch and Judy」といった楽曲には、エリオット・スミスらしい内省的で繊細なポップセンスが感じられる。また、サイモン&ガーファンクル、ビック・スターの音楽性からの影響を感じさせる「Rose Parade」「Alameda」といった楽曲では、フォーク寄りのアプローチを図っている。表面的には、フォーク音楽の系譜にあるのだけれども、そこに、エリオットらしい、どことなく暗澹とした情感が込められている気がする。

 

また、そこには、男としての弱さ、というのも明け透けに表現されている。強いばかりが人間ではない、弱さを見せたって構わないのだというのは、マッチョイズムの支配するアメリカ社会の息苦しさがいかほどに深甚なものなのかを端的に表しているように思える。

 

つまり、エリオット・スミスの音楽は、アメリカ人としての健全さだとか一般的な価値観からはずれてしまった人々を救い上げるような温かみが込められている。これは日本人にはよく理解しえない概念かもしれないと思われるが、全く関係のない話ではないように思える。果たしてここ、日本にも、健全とされる概念が全然蔓延していない、と断言しきれるだろうか。だとすると、これは、非常に現代的なフォーク、真の意味でのヘヴィな音楽ともいえる。これらの複雑に絡み合った要素が、エリオット・スミスの親しみやすいポップソングとして昇華されているから、今日まで、この作品がアメリカのインディーロックの傑作として語り継がれているように思える。

 

そして、このアルバム「Either or」で最も素晴らしい曲は、最終トラックとして収録されている「Say Yes」ではないかと個人的には考えている。ここで、エリオット・スミスは、インディー・ロックという表面的ベールを剥ぎ取り、素晴らしいポピュラー音楽のシンガーソングライターとしての才覚を遺憾なく発揮してみせた。これから、どのような素晴らしい作品が聴けるものかと多くのファンが期待した矢先の生命の断絶であり、あまりに唐突な死であったように思える。


Y La Bamba

 

 

今回、歌姫、Divaとしてご紹介する"Y La Bamba"は、メキシコをルーツに持つ女性アーティストである。

 

Y La Bambaは、現在、アメリカ、オレゴン州のポートランドを拠点として活動しているインディーロックミュージシャンではあるが、やはり、良い意味で現代アメリカのアーティストらしくはない。どことなく儚げでありながら、ワイルドさも感じられる。彼女自身が生み出し、そして完成品としてパッケージされる涼し気な楽曲からは、独特なスタイリッシュさが感じられる、現代のポップス界隈のミュージシャンには感じ得ない特異な歌姫の感性が読み取れるはずだ。 

 

 

Y La Bamba at KEXP - Seattle on 2012-06-27 - _DSC1768.NEF"Y La Bamba at KEXP - Seattle on 2012-06-27 - _DSC1768.NEF" by laviddichterman is licensed under CC BY-NC-ND 2.0

 

 

一体、Y La Bambaは、他のアーティストと何が違うのだろう? とにかく、その佇まいにも異質な雰囲気が滲んでいる。もちろん、見かけだけではなく音楽性についても同様で、どの現代のポップス、ロック・ミュージックにも似ていない。そのルーツからして、全く異なる気配が滲んでいる。

 

まるで、往年の名画、「バグダッド・カフェ」のサウンドトラックで聞くことのできるような音楽の雰囲気である。サボテン、砂漠、荒野、砂嵐、こういった風物が彼女の音楽を聴くと、おのずと脳裏によぎる。

 

ジャンルとしても、非常に類する音楽を探すのに労を要するはずだ。ラテンとも、スパニッシュとも、また、メキシカンともいえない独特な感性を持ったアーティストといえそうだ。

 

これは、多種多様な文化が生活圏にあってこそ生まれ出るような音楽なのかもしれない。そして、ファッション性でも、群を抜いて奇抜、風変わりで、近年流行のボーイッシュなスタイルを追究しているとてもクールなアーティストである。

 

率直に言うと、Y La Bambaの音楽には、実に不思議な魅力が宿っている。近年の欧米のポップスブームからは想像もつかない得意な音楽である。それを自身の音作り、マスタリング作業において古いレコードタイプのノイズを楽曲に掛けることにより、楽曲に古風な演出をほどこしている。

 

実にサウンドエンジニアとしても見事な手腕である。彼女の楽曲には、すでにデビュー当時から特異なノスタルジアが滲んでいて、これが他の現代アーティストにはない魅力を生み出している 。

 

分けても、1950年代に活躍したRed Foleyというアメリカの第二次世界大戦後の年代に活躍したカントリーアーティストの音楽性、もしくは、さらに古い、1930年代のアルゼンチンタンゴの音楽性の復古を現代の地点から試みようとしているように思える。


また、これまでのリリース作品には、Y La Bamba自身が生まれる以前にあった音楽への憧憬と残影がはっきりと滲んでいる。

 

それも、クールかつスタイリッシュに滲んでいる。Y La Banmbaの音楽を聞いていると、体験したこともない、古い時代にタイムスリップを果たすかのような錯覚にとらわれる。

 

Y La Banbaのアコースティック、エレクトリックギターの演奏も、他のアーティストとは異なる。

 

 

それは、どことなくローファイ感を出すことで、より、渋みのあるアプローチも見られる。コードやアルペジオを「弾く」というのでなく、ギターを介して、そっと語りかけるような情感がある。

 

ジプシーのように自由で、抒情性のあるギター演奏、それはジプシーが街角で奏でるようなワイルドな音楽を彷彿とさせる。そして、その中に、バランス良くクールさも込められている。

 

もちろん、歌姫、ディーヴァとしての資質は十分。Y La Bambaの声の性質には艶があり、他のビックアーティストのスター性にもまったく引けを取らない、妖しげなボーカルにリスナーは魅了されるはず。

 

そして、Y La Bambaは自身の声の多重録音という要素はアシッド・ハウス的な効果も演出する。しかも、艶やかさとともに、そこに、女性アーティストとしてのワイルドさを併せ持つのだから、リスナーとしては白旗を上げるしかない。

 

 

ところが、どうも音楽的なアバンギャルド性が一般的なリスナーには倦厭されているのか。それとも、ただ一般的に知られていないだけなのか、どちらともつかないけれども、世界的な知名度という側面では、残念ながら実際の実力に比べると、まだまだという気がする。

 

ここで、あらためて、最注目すべきアーティストの一人として挙げられる、”Y La Bamba”の素敵な作品を取り上げていきましょう。

 

 

「Alida St」2008  

 

 

 

”Gypsy Record”からリリースされたY La Banbaの衝撃的なデビュー作である。

 

 

 

 

 

 TrackListing

 

1.Alida St.

2.Festival of Panic

3.Fasting in San Francisco

4.My Lukewarm Recovery

5.Isla de Hierva Buena

6.Winter's Skin

7.Las Aguas Venenosas

8.Bravo Gustavo

9.Borthwick Magic

10.Knuckles

 

 

独特なサウンドプロダクションが施されていて、つまり古い時代のレコードのピンクノイズのような演出効果を図ることにより、およそデビュー作とは思えないほどの渋みのある作品となっている。

 

これは近年のWAVESといったマスタリングソフトにより、古めかしい音を容易に加工することができるようになったからこそ生み出し得た秀逸なサウンドプロダクションである。

 

この作品「Alida St.」で展開される音楽性について、どこかで聞いたことがあるなと思っていたが、その源泉のようなものを辿ることに非常に苦労をした。最初、1950年代のカントリーフォークへの憧憬が垣間見える作品と思っていたが、彼女が探し求める音楽の観念は、それよりさらに二十年以上昔になった。

 

多分、その音楽的な理想というのは驚くべきことに、1930年代のCarlos Gardelの奏でていたようなアルゼンチン・タンゴの雰囲気だったのである。このアルゼンチンタンゴからのラテンの匂いがこのアルバムの随所に充溢している。それがこの作品をただのポップスではなく、ローファイ味あふれる渋い雰囲気にさせているという感じがする。

 

 

少なくとも、この作品にはすでに何作かリリースしてきたような風格、経験の蓄積が感じられるのはデビュー以前にも様々な音楽的な冒険、実験を試みてきたからかもしれない。

 

 

アルバムはほとんど二、三分代の短いトラックで占められている。

 

 

一曲目の表題曲「Alida St.」は他の曲とは異なり、現代的なローファイポップ寄りのアプローチが見え、すでに聞き手の心を捉える。

 

そして、「Fasting in San Francisco」で見せる奥行きのあるボーカル、そして、穏やかなインディーフォークというのも、Y La Bambaのギターのフレーズもシンプルでいいし、さらに、さらりと無理なく歌いのけていることにより、涼し気な雰囲気にさせてくれることだろう。

 

また、この後の作品でも同じように、彼女はこの作品において、英語とスペイン語の両方の言語を歌詞上で巧みに使い分ける。見事という表現が稚拙に思えるくらい、その言語の雰囲気、特徴を掴んでいるからこそ、こういった美しい歌唱法を内側から引き出すができるのかもしれない。

 

スペイン語の独特な響きの美しさが感じることができるのが、アルバム五曲目に収録されている「Isla de Hierva Buena」。

 

ここで、驚くべきことに、英語の歌い方とはまた異なる歌唱法を採り、スタイリッシュな洗練性が読み取れる曲。ジャンク感もありながら、それが全然チープに感じられないのは、作曲の高度さ、そして本格派の歌唱によって、この楽曲がぎりぎりのところで支えられているからだろう。

 

 

また、九曲目「Borthwick Magic」ではインディーローファイを街角で流しの演奏しているようなアンビエンスを演出しているあたりも通好みといえる。

 

 

アルバムの最後を飾る「Knuckles」は、内向的な雰囲気を醸し出す鳥肌の立つような美しく切ない感じのある楽曲である。いきなり、ぶつっと曲が急に終わってしまうあたりにも、このアーティストの抜けさがない感じが現れているのは、この作品の次があると確信したからこそである。

 

 

この鮮烈なY La Bambaのデビュー作に一貫しているのは、涼やかなボーカルの風味であり、これはかの世界的な歌姫のひとりとして挙げられるセイント・ヴィンセントのデビュー作にも存在していた資質である。



 

「Entre Dos Ros」2019

 

 

Y La Bambaは、それほど世界的な知名度を得なかったせいか、自身の作品制作及びライブ活動に集中、よりその才覚に磨きを掛け、音楽性もまた洗練させてきた。

 

デビュー作「Alida St.」での瑞々しさというのは、十年経っても不思議なことに薄れるどころか、さらにより強くなってきているようにも思える。

 

 

 

 

 

 TrackListing

 

1.Gabriel

2.Entre Los Dos

3.Rios Suektos

4.Octavio

5.Sonadora

6.Las Platicas

7.Los Gritos

 

 

そして、Y La Bambaの近年の作品リリースにおいて、ミュージシャンとしての勢いが最もよく際立って現れているのが2019年リリースのアルバム「Entre Dos Ros」である。

 

実に完成度の高い楽曲で占められていて、またそこには以前よりも痛快さが加わったというような印象を受ける。 

 

この作品では、Y La Bambaのアップテンポの楽曲、ロック音楽に対する歩み寄りのようなものも感じられ、ヴァリエーションの富んだ傑作となっている。そして、デビュー作からのラテンミュージックに対する深い理解、それを独自のスタイルとして完全に確立したような気配を今作には感じていただけるはず。

 

一曲目の「Gabriel」からしてサンバ調のリズムで構成されるアップテンポなナンバーが目を惹く。その中には、デビュー作よりもはるかに、本格派としての歌姫の資質が遺憾なく発揮されている。

 

二曲目に収録されている表題曲「Entre Dos Ros」では、シンガーとして着実な成長というのが見えるかと思う。ここで、Y La Bambaは、往年のあるアルゼンチンタンゴの歌手のように、一般的なビブラートをさらに強めた独特な歌唱法に挑戦している。この歌、本物の歌に込められた美しさは言葉に尽くしがたいものがある。

 

また、このアルバム興味深い点を見出すとするなら、「Sonadora」においては、ポスト・ロック風のアプローチにも挑戦してみせていることは、実験音楽としての狙いのようなものも伺える。

 

まさに、音楽に対する貪欲さ、あるいは真摯さというミュージシャンになくてはならない資質がY La Bambaには備わっていて、彼女という存在を今日まで絶えず成長させつづけてきた要因であることが、今作からは明瞭に読み取っていただけるだろうと思う。

 

そして、この作品で示されている音楽性は、あくまで、Y La Bambaの通過点の一つに過ぎないように思える。この先、さらに一歩踏み込んだ、Diva、歌姫としての高い完成形が残されていると言い得る。末恐ろしいポテンシャルを持ったシンガーソングライターとして御紹介しておきます。