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 Ozzy Osbourne  「Patient Number 9」

 

 


Label: Epic/Sony Music Entertainment

 

Release: 2022年9月9日


Listen/Stream


 

Review

 

なぜ、オジー・オズボーンという人物が神格化されるのか、そして、米国のNFLのオープニングセレモニーに出演するまでのスターになったのか。

 

それは取りも直さず、このアーティストの生命力の強さ、そして、生来のエンターテイナーとしての輝きそのものにあるものと考えている。オズボーンは、ライブステージに投げ込まれた生きた鳩をレプリカと思い込んで、それをかじった後に奇跡的に生還した。その後、交通事故にあっても、病室でのビートルズの音楽の支え、家族、友人たちの支えにより二度目の生還を果たし、そして、今回はパーキンソン病の大手術から3度目の奇跡的な生還を果たしたのでした。


オジー・オズボーンの最新作「Patient Number 9」は、そういった人間としての生命力の強さ、そして、彼の生粋のエンターテイナーとしての輝きを余すところなく体現させたアルバムと言えます。このアルバムには、ブラック・サバス時代からのバンドメイト、トニー・アイオミ、そして、ソロバンド時代のザック・ワイルド、さらには、イギリス国内の最高峰のギタリスト、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ガンズ・アンド・ローゼズのダフ・マッケイガンもアルバムレコーディングに参加しています。しかし、これは、単なる友情共演と捉えるべきでなく、正真正銘のコラボレーション、白熱したオズボーンとの共演を心ゆくまで楽しむことが出来るはずです。

 

最新アルバムにおいても、オズボーンは「ヘヴィ・メタル」という形に頑なにこだわっています。彼は、ブラック・サバスとともに、ヘヴィ・メタル音楽の先駆者である。メタルの流儀をやめるときは、プロのミュージシャンとしての看板を下ろすときなのかもしれません。そして、アメリカの作家、ウィリアム・バロウズが初めて考案した「メタルー鉱物的な音楽」という概念を最初に体現したアーティストとしての強い自負心のようなものも、この最新アルバムには反映されているように見受けられます。

 

オズボーンが精神病患者を舞台俳優のように演じることにより、ゴシック/コミックホラーのような雰囲気を演出するタイトルトラック「Patient Number 9」は、引き立て役に回ったジェフ・ベックのタイトなギター・プレイに支えられ、このアーティストらしい相変わらずのコミカルさ、ユニークさを見せつつ、多くのリスナーの共鳴を獲得するような王道のヘヴィ・メタル/ハード・ロックサウンドとなっています。この曲で、オジー・オズボーンは、持ち前のポピュラー性を維持しつつ、ストーナー・ロックのように、重く、図太いヘヴィ・ロックサウンドで聞き手を魅了してみせます。

 

アルバムの注目曲は他にも目白押しで、トニー・アイオミが参加した「Degradation Rules」では、ブラック・サバス時代の、泥臭い、ブルース・ハープを取り入れた渋いハードロック・サウンドに回帰を果たしていますが、以前よりもアイオミのギタープレイは刺激的で円熟味を増しているように思える。

 

さらに、ザック・ワイルドと共演を果たした「Nothing Feels Right」では、「Shot In The Dark」を彷彿とさせる抒情性あふれるメタルバラードを聴かせてくれます。この曲では、オズボーン自身が”ザ・ガーディアン”のインタビューで話していたとおり、パーキンソン病における苦しい闘病時代の経験に根ざして書かれたもので、その時代の感情を真心を込めて歌っている。このメタルバラードは、このアルバムではハイライトであるとともに、きっと、新時代のクラシックソングとなるはずです。ザック・ワイルドのギタープレイは相変わらず、世界で最も重く、低く、誰よりもタフですが、やはり、このギタリストの弾くフレーズは繊細さと淡いエモーションを兼ね備えている。

 

その時代の流行の音楽を巧みに融合させることで、今日まで伝説でありつづけてきたオズボーンは、本作のクローズ・トラックにおいて、意外な作風「ブルース・メタル」に挑戦している。この曲は、デルタ・ブルースのように、渋く、ワイルドな雰囲気を漂わせている。「Darkside Blues」において、オジー・オズボーンは、米国の文化に多大な敬意と感謝を表するとともに、住み慣れたもうひとつの故郷に友好的な別れを告げる。これは、いかにもオズボーンらしい、ヘヴィ・メタルの「フェアウェル・ソング」とも言えるのではないでしょうか?

 

このアルバムは発売当初から、英国では売上が好調で、オジー・オズボーンのこれまでのキャリアでチャートの最高位を獲得していて、それも頷けるような内容となっています。


また、本作は、「Diary Of A Madman」を始めとする最初期の名盤群に匹敵するようなセンセーショナル性は乏しいかもしれませんが、幅広い年代のリスナー層が安心して聴くことの出来るヘヴィ・メタルの良盤と言えそうです。


オジー・オズボーンは、73歳という年齢になっても、若い時代からそうであったように、今もなお、清涼感のあるハイトーンの声質を維持しているのはほとんど驚異です。そのボーカルは、彼がこれまでの人生で関わりをもって来た素晴らしい友人たち、そして、伝説的なロックミュージシャンたちの支えもあってか、以前よりもさらに力強い性質が引き出されているように思えます。


85/100


 

Featured Track 「Patinet Number 9」


©︎Ross Halfin

 

 オジー・オズボーンが、今週金曜日に発売される新作アルバム『Patient Number 9』収録のラスト・プレビュー「Nothing Feels Right」を公開しました。この曲は全盛期の名曲「Shot In The Dark」時代の音楽性を想起させるもので、抒情性と暗鬱さを兼ね備えたオズボーンらしいシングルです。

 

これで新作発売前の先行曲は全て出揃い、後はアルバム『Patient Number 9』の到着を待つばかり。シングルリリースに合わせてオフィシャルビジュアライザーが公開されていますので、下記より御覧下さい。

 

最新シングル「Nothing Feels Right」は、ランディー・ローズの後任としてオジー・オズボーンバンドに加入して以来、数十年にわたり共に演奏してきた盟友、Zakk Wylde(ザック・ワイルド)をフィーチャーしています。依然としてザック・ワイルドのギター・ソロの鋭い輝きは健在です。


先週末、オズボーン・ファミリーを取材した「Home To Roost」というドキュメンタリー番組がBBCにより来年放映されることが発表された。また、オジー・オズボーンは、木曜日の夜のNFLの開幕戦mロサンゼルス・ラムズ対バッファロー・ビルズのハーフタイム・ショーにゲスト出演する予定。同日、彼のZane Loweによるインタビューが一般公開される予定となっています。


 

Photo: Ed Mason

ブライトンのメタルコアバンド、Architectsが10月21日にEpitaphからリリースされるニューアルバム「the classic symptoms of a broken spirit」に先駆けて2ndシングル「deep fake」を公開しました。

 

『the classic symptoms of a broken spirit』は、昨年の「For Those That Wish To Exist」に続く、アーキテクツにとって10枚目のスタジオ・アルバムとなります。

 

 


アイオワのヘヴィメタルバンド、Slipknotは、バンドメンバー、M. Shawn "Clown" Crahanが監督した「Yen」のミュージックビデオでを昨日公開しています。映像ではm覆面女性の軍隊、暗くて不気味な屋敷、炎に包まれた幽霊のような人物、ターンテーブル・ソロ、調子の狂ったおもちゃのピアノを駆使しながら、このバンドらしいホラームービー的な演出効果を生み出していきます。


新作アルバム『The End, So Far』からの先行配信曲の第2弾となる「Yen」は、最初の先行シングル「The Dying Song (Time to Sing)」と比較すると、イントロはよりミドルテンポの落ち着いたメタルバラードとして始まるものの、やがて、「ナイフが入る時/私の皮膚を切る/私の死が始まる時/私はあなたのために死んでいたことを知りたい」といったホラーチックな歌詞でSlipknotのトレードマークであるヘヴィーロックへと場面転換のように切り替わっていく。


Slipknotは、9月20日にナッシュビルでキックオフする”KNOTFEST Roadshow Tour"第3弾で、7枚目のスタジオ・アルバム『The End, So Far』の曲を中心にセットリストを組む予定のようです。この公演では、Ice Nine Kills、Crown The Empireがサポートアクトを務める予定です。

 

 



Ozzy Osbourneが新作『Patient Number 9』を発表した際、Osbourneのソロアルバムとしては初めてBlack Sabbathのバンドメイト、ギタリストのTony Iommiが楽曲収録に参加していることを明らかにしました。次回作からの2ndシングル「Degradation Rules 」と名付けられたこの曲は、オジー・オズボーンがブラック・サバス時代の古典的なハードロックに回帰したものとなり、サバスの「The Wizard」を彷彿とさせるブルージーなハーモニカも導入されている。


今年の春頃、人生の命運を分ける大手術から復活を果たしたオジー・オズボーンは、7月22日(金)に開催されるアメリカ国内のイベント、SAN DIEGO COMIC CONVENTION(Comic-Con International)に出演した。オジー・オズボーンとカナダの漫画家トッド・マクファーレンは、Stern Pinball/Rebellion Republicのブース内にて、ファン向けのサイン会を開催し、マクファーレンデザインの限定スペシャルコミック(一部のスペシャルエディションのアルバムパッケージの一部として販売)のアートワークを一般公開した。(詳細は近日発表予定のようです)。

 

さらに、昨日、2人はニューアルバム『PATIENT NUMBER 9』(9月9日にEpicから発売)の限定版カバーのバリエーションとして、McFarlaneとJason Shawn Alexanderによるアートワークの代替ジャケットを公開している。こちらもコミカルホラー風の面白いデザインとなっています。先行シングル「Degradation Rules」の視聴と合わせて下記にてチェックしてみて下さい。 

 

 

 

 

「Patent Number 9 限定版アートワーク」

 



 



アイオワのSlpiknotがニューアルバム「The End, So Far」を発表しました。アルバムは9月30日に、米国のヘヴィ・メタルの名門レーベル”Roadrunner Records”からリリースされる予定です。今回発表された12曲入りのこのアルバムは、シングル「The Dying Song (Time To Sing)」に始まり、バンドのM. Shawn 'Clown' Crahanが監督したミュージックビデオも同時公開されています。また、ニューアルバムのカバーアートワークとトラックリストについては、下記にて御確認下さい。


『The End, So Far』は、2019年の『We Are Not Your Kind』に続く、スリップノットの7枚目のスタジオ・アルバムとなる。

 

このレコードは、バンドとジョー・バレジによってレコードが制作された。"新しい音楽、新しいアート、そして新しい始まり "とクラハンはプレス・リリースで述べている。"終わりへの準備"であると。

 




Slipknot 『The End, So Far』





Tracklist:

1. Adderall
2. The Dying Song (Time To Sing)
3. The Chapeltown Rag
4. Yen
5. Hivemind
6. Warranty
7. Medicine For The Dead
8. Acidic
9. Heirloom
10. H377
11. De Sade
12. Finale


Zakk Wylde

 

Black Label SocietyのギタリストZakk WyldeとAnthraxのドラマーCharlie Benanteが、再結成Panteraの来る2023年のツアーに参加することが7月15日に明らかになった。これを受けて熱烈なファンの間では賛否両論を巻き起こしているようだ。

 

Billboard(とBlabbermouth)のサイトの掲載文によると、このツアーとWyldeとBenanteの加入は、PanteraのギタリストDimebag DarrellとドラマーVinnie Paulの遺族によって承認されたものだそうだ。これは、Brownが長年に渡り、Wyldeは是非やりたいとコメントしていたにもかかわらず、昨夜、Wyldeは参加しないと発言したことを考えると、特に興味深いことである。


ワイルドの加入は結局のところ衝撃的なことではない--ワイルドは長年にわたって、バンドが再結成することがあればぜひ参加したいと公言してきたのだ。ワイルドは2019年のインタビューで、再結成が実現してもディメバッグの代わりにはならず、彼の音楽を祝うことになると感じていると語っている。


"セイント・ヴィニー(2018年6月に亡くなったパンテラのドラマー、故ヴィニー・ポール・アボット)がまだいた頃、彼らはその時のことを話していたよ。つまり、俺がいつも見ていたのは、パンテラのお祝いであり、名誉であるということだ。つまり、俺がオズと演奏している夜は毎晩、セイント・ローズ(オジーのギタリスト、故ランディ・ローズ)を称えているんだ。俺は毎晩ランディの曲を演奏しているが、俺は恵まれているし、それを演奏するのは名誉なことだ。基本的に俺たちは毎晩ランディに敬意を表して、彼の音楽を生かし続けているんだ」。


パンテラ再結成ツアーは昨夜発表された。ヴォーカリストのフィル・アンセルモとベーシストのレックス・ブラウンは、2023年のいつか行われるパンテラのツアーのためにアーティスト・グループ・インターナショナルと正式に契約したが、特定の日程や時間帯は現時点では発表されていない。


 



アトランタのプログレッシヴメタルバンドMastodonが「More Than I Could Chew」の新しいミュージックビデオを公開しました。この曲は、昨年10月にReprise Recordsからリリースされた、バンドにとって4年ぶりの最新スタジオアルバム『Hushed & Grim』に収録されています。


この曲のミュージックビデオのヘビーでサイケデリックな雰囲気は、『Godzilla』も手がけた映画監督のゼヴ・ディーンズによる派手なホラーイメージとブレンドされており、エデンの園の物語のシーンをリサ・サエボエがイブ役を演じ、ブレンデン・マクガワンが恐ろしいルシファー役を演じています。


「全体的に『Hushed & Grim』は、プログレの要素が強いアルバムだったと思う」ギタリストのビル・ケリハーは語っている。「それは、より全体的であり包括的なものだ。他のアルバムでは、あちこちにプログレっぽい曲があるけど、ここでは全ての曲が少しずつ”プログレ”しているんだ」

 

 

 

 

・『Hushed & Grim』 Amazon Affiliate Link


 


イギリスのメタルコアバンド、Architectsは、ニューアルバム「the classic symptoms of a broken spirit」の制作を発表しました。この告知に伴い、バンドは、Epitaphから10月21日にリリースされるこのニューアルバムの1st single「Tear Gas」を公開しています。 
 
 
 
 

前作リリース後すぐにレコーディング制作が開始されたこのニューアルバムは、メンバーのダン・サールとジョシュ・ミドルトンがプロデュースを担当し、ディーコンのミドルファームスタジオとブライトンの自身のHQ、エレクトリックスタジオでサム・カーターが追加プロデュースを行っている。
 
 
Architectsの10枚目のスタジオアルバム「The Classic Symptoms of A Broken Spirit」は、昨年のチャート上位にランクインした「For Those That Wish To Exist」に続く作品です。また、オリジナルアルバムの発売後、今年3月、アビーロードスタジオでのオーケストラとのライブセッションを収録した「For Those That Wish To Exist At Abby Road」も発表しています。
 
 
 
 
Archtects  『The Classic Symptoms of A Broken Spirit』
 
 
 Architects - the classic symptoms of a broken spirit
 
 
 
Tracklist


1.Deep Fake

2.Tear Gas

3.Spit The Bone

4.Burn Down My House

5.Living Is Killing Us

6.When We Were Young

7.Doomscrolling

8.Born Against Passimist

9.A New Moral Low Ground

10.All The Love In The World

11.Be Very Afraid




Epitaph Records official :


https://www.epitaph.com/artists/architects/release/the-classic-symptoms-of-a-broken-spirit/




今月の初め、オジー・オズボーンは、大きな手術を臨みました。これは、オズボーンの愛妻のシャロンにして「彼の残りの人生を左右することになる」と真面目に言わしめた手術でしたが、その後、手術は成功し、順調に回復していると報じられています。彼のファンとしては、このことを大変嬉しく思っていることでしょう。さらに、同時に、オジー・オズボーンは、「Patient Number 9」という新作アルバムについての発表を携えて、ファンの前に戻ってきました。


次作『Patient Number 9』は、2020年の『Ordinary Man』に続くアルバムで、前作と同様、グラミーを受賞しているAndrew Watt(アンドリュー・ワット)がプロデュースを手掛けています。

 

また、本作は非常に多くの秀逸なコラボレーターを誇っています。エリック・クラプトン、ジョシュ・オム、ダフ・マッケイガン、チャド・スミス、ロバート・トゥルージロ、マイク・マクレディ、クリス・チェイニー、今年、急遽したテイラー・ホーキンスがレコーディングに参加。さらに、今回、オジー・オズボーンは、ブラック・サバスのトニー・アイオミをゲスト・リード・ギタリストとして迎えており、アイオミがオズボーンのソロ・アルバムで演奏するのは初めてのこと。

 

さらに、オジー・オズボーンは、この最新アルバムのリリースにあたって複数のコメントを添えています。



・タイトル曲「Patient Number 9」について

 

これは、精神科病院についての曲なんだ。ジェフ・ベックのようなスーパースターが俺のアルバムでプレイしてくれるなんて、とにかく信じられない。素晴らしい。まったく光栄きわまることさ。彼のようなプレイが出来るギタリストは他に誰もいないんだ。「Patient Number 9」での彼のギターソロについては驚嘆するばかりだよ。



・トニー・アイオミ、三作品ぶりの参加となったザック・ワイルドについて

 

Tonyと一緒にプレイするのは最高だった。彼はリフ・マスターだからね。その意味で彼に叶うやつはいない。せめて、これらの曲がブラック・サバスのアルバム「13」にあればよかったのにと思っている。

 

Zakkについては、今もこれからもずっと俺のファミリーの一員だよ。このアルバムには、あいつのプレイがもたらしてくれる重みが必要だった。 あいつはただスタジオに入り、しかり曲を決めてくれたんだ。

 


・パンデミック後に制作/発売となる初のアルバムについて

 

ワクチンの追加接種を受けていたのに、実は、最近、また、コロナウイルスに感染してしまったんだよ。 前作「Ordinary Man」をパンデミックが始まるほんの数週間前にリリースした。その時、俺は、この新作アルバムに取り組もうと思って、スタジオに入る準備を整えていたところで、全世界がシャットダウンしてしまった。他にも、いろいろなことが起きたこの四年間は、俺にとって本当に大変だったのは周知の通りさ。でも、このアルバムを制作することで、それらの悩みはすべて解消されたんだ。

 

 

このタイトルトラックには、TrujilloとSmithが参加し、OsbourneのバンドのギタリストをつとめたZakk Wyldeと並び、Jeff Beck(のギターもフィーチャーされている。『Patient Number 9』のリリースと共に、Todd McFarlaneが監督したミュージックビデオも公開されています。

 

 




 

Architecs

 

2004年にアーキテクツは、双子の兄弟、ダン・サールとトム・サールによって、イギリス・イーストサセックスのブライトンで結成された。

 

現時点のバンドのライナップは、ドラムのダン・サール、ボーカルのサム・カーター、ベースのアレックス・ディーン、ギターのアダム・クリスティアンソン、ジョシュ・ミドルトン。2013年、オフスプリング、NOFX、Bad Religionをレーベルメイトとして要するEpitaphと契約を結んでいる。



 

The Dillinger Escape Planをはじめとするポストハードコアバンドの影響を受けた最初のアーキテクツの通算3枚目のアルバム「The Here and Now」からメロディアスなポスト・ハードコアの方向性へ進んでいった。彼らは、その後、「Daybreak」で最初期のスタイルに原点回帰し、政治的な歌詞を導入しながら、楽曲におけるメロディーと演奏テクニックの均衡を図るようになった。2014年、六枚目のアルバム「Lost Forever//Lost Together」のリリース後、アーキテクツは、英国内の屈指のメタルコアバンドとして不動の人気と批評家の賞賛を獲得した。

 

7作目の「All Our Gods Have Abandoned Us」のリリース直後、バンドは不幸に見舞われた。2016年にギタリスト兼ソングライターのトム・サールが三年間皮膚がんの闘病を送った後、この世を去っている。この後、オリジナルメンバーはダン・サールのみとなった。2017年9月、トム・サールが死に見舞われる直前に取り組んでいたシングル「Doomsday」をリリースする。これは、トム・サールなしでレコーディングされたアルバム「Holy Hell」に収録されている。その後、最高傑作との呼び声高い「For Those That Wish To Exist」を2021年にリリースしている。







「For Those That Wish To Exist At Abbey Road」 Epitaph   2022





Tracklist

 

1.Do You Dream of Armageddon? ーAbbey Road Versionー

2.Black LungsーAbbey Road Versionー

3.Giving BloodーAbbey Road Versionー

4.Discourse is DeadーAbbey Road Versionー

5.Dead ButterfliesーAbbey Road Versionー

6.An Ordinary ExtinctionーAbbey Road Versionー

7.ImpermanenceーAbbey Road Versionー

8.Fight Without FeathersーAbbey Road Versionー

9.Little WonderーAbbey Road Versionー

10.AnimalsーAbbey Road Versionー

11.LibertineーAbbey Road Versionー

12.GoliathーAbbey Road Versionー

13.Demi GodーAbbey Road Versionー

14.MeteorーAbbey Road Versionー

15.Dying Is Absolutely SafeーAbbey Road Versionー




今週の一枚としてご紹介させていただくのは、UKのメタルコアバンド・アーキテクツの最新作「For Those That Wish To Exist At Abbey Road」となります。



 

この作品は、昨年リリースされたアーキテクツの最新のオリジナルアルバムのリテイクとなります。何と言っても、このアルバムの最大の魅力は、ザ・ビートルズ、ピンク・フロイド、英国内の偉大なロックバンドがレコーディングを行ってきたレコーディングスタジオ「アビー・ロード・スタジオ」で録音が行われたことに尽きるでしょう。

 

この作品には、ライブ盤のような生演奏のド迫力、ハリウッドの映画音楽のような大掛かりなスケール、そして、物語性を感じさせる話題作です。前作のスタジオ・アルバム「For Those That Wish To Exist At Abbey Road」についても同様に、UKメタルシーンの屈指の名作に挙げられる作品で、インディペンデントレーベルからのリリースだったのにも関わらず、英国内のチャートで堂々1位を獲得。彼らの現時点での最高傑作と言っても差し支えないでしょう。



 

今作のアルバムは、メタルミュージックのこれまでの歴史を振り返っても屈指の名作の一つに挙げてもおかしくはないかもしれません。それくらいの壮大なスケール、物語性を兼ね備えているように思えます。メタル・コアというパンクロック寄りのアプローチが図られていながらも、1980年代のメタルミュージックの「様式美」に対する敬意がにじみ出たような作品です。今作では、ライブ・アルバムのコンセプトが取られ、メタリカの往年の名作「S&M」に近いスタイルーーメタルバンドの演奏とオーケストラレーションの融合ーーを試み、それらを長大な交響曲として完成させようという試みが行われています。

 

この両者に違いがあるとするなら、メタリカの方は、観客を入れて視覚的なエンターテインメント性を確立したのに対して、今回のアーキテクツの試みは、純粋な音楽として未知の領域へ挑んでいます。往年のUKの名ロックバンド、ピンク・フロイドやビートルズの恩恵に浴し、このライブレコーディングにおいて、メタルとクラシックの融合をレコーディングライブとして行っています。



 

レコーディングに際して、アーキテクツは、パララックス・オーケストラの指揮者、英国作曲家賞(BASCA)を三度受けているサイモン・ドブソンに前作の編曲を依頼。今回、編み出されたアビー・ロードのライブレコーディングでは、原曲に忠実なアレンジメントが施され、さらにそこに、ハリウッド級のドラマ性、緩急、迫力が加わり、ゴシック建築のような堅固な構造を持つ楽曲が生み出され、メタリカの名作「S&M」のような緊迫感を持ったスリリングな傑作が誕生しています。

 

例えば、メタリカの「S&M」に代表されるメタルとクラシックを融合したライブレコーディングにおいて、こういった異なるジャンルの試みとして、どうしても大きな障壁となっていたのが、オーケストラの楽器とロックバンドの楽器の音域の重複でした。 ロックバンドとオーケストラの演奏を並列させてみた際には、ベースにしろ、ドラムにしろ、ギターにしろ、ストリングスと管楽器の特性であるミドルレンジの音域が重なってしまうので、ライブとして出音される楽曲の印象がぼやけてしまうという難点があります。



 

そこで、かつて、メタリカのライブステージの音楽監督を担当したマイケル・エメリックは、この問題に対して、ドラマーのラーズ・ウルリッヒと何度も話し合いを重ねた結果、最終的には、カラヤンがベルリン・フィルとチャイコフスキーの交響曲を演奏した時に近い、画期的な管弦楽法の手法を選び、弦楽器の奏者の数を単純に倍加させ、オーケストラ奏者の大編成を作ることによって、なんとかメタリカのサウンドに負けない、分厚い中音域を生み出すことに成功しました。

 

しかし、このメタリカのS&Mでの先例を知ってのことなのか、今回、サイモン・ドブソンはこれと異なる手法を選ぶことによって、前作の「For Those That Wish To Exist」自体を新たに生まれ変わらせました。ストリングスや管楽器の編成を増やすという手法ではなく、このバンドの楽曲を徹底分析し、ミドルレンジの音域が重複しないように細心の注意を払いつつ既存の楽曲に巧みなアレンジメントを施し、ギター、ベース、ドラムのフレーズの引きどころを踏まえた上で、ギターのフレーズ、ドラムのショットを利用し、4つのストリングスのトレモロ、パーカッションのオーケストラ・ベル、フレンチホルンを始めとする、迫力ある金管楽器のアレンジメントを導入することで、これらの原曲にダイナミックでドラマチックな効果を添えています。



 

前作のアルバムと同じく、アーキテクツの今回のライブ・アルバムには、The Usedに代表されるスクリーモの影響を受けた激しい火花のような印象を持つメタル・コアの楽曲、北欧メタルやパワー・メタルの美麗な叙情性の滲んだ楽曲、それらの苛烈な楽曲の合間に挿入されるクールダウンの効果を持つドラマティックなバラード、これらの三つの要素を擁する楽曲がバランス良く収録されています。今回のアビー・ロード・スタジオでのライブは、きわめて聴き応えがあり、メタルとしての熱狂性を持ち、それと対比的な思索性を兼ね備えた非の打ち所のない作品です。

 

さらに、アーキテクツのメンバーは、このレコーディングに凄まじい覇気をこめており、それがライブの音の中にありありと込められているように思えます。今回の貴重なライブレコーディングを聞くかぎりでは、やはり、英国のロックバンドにとって、Abbey Road Studioは、格別の思い入れが込められた「聖域」とも呼べる場所なのでしょう。さらに、アーキテクツのメンバーのこの伝説的なスタジオに対する深いリスペクトがこのレコーディングの瞬間に全力で投じられています。それが、作品自体に、鬼気迫るような迫力、まばゆいばかりの煌めきをもたらしています。

 



 


 

 

 今年は様々なジャンルを取り上げて参りましたが、考えてみれば、ヘヴィメタルの作品についてはほとんど取り上げてきませんでした。

 

 1970年から1980年代のイギリス、そして、アメリカ、日本のジャパコアを中心に根強い人気を誇って来たこのジャンル。

 

 音楽フェスティヴァルについても、以前から、オジー・オズボーンの主宰するアメリカのOzzFest,フランスで開催されるHell Festという大規模のヘヴィ・ロックフェスティヴァルが開かれていて、屈強なヘヴィメタルバンドが活躍し続けています。

 

 もちろん、KISSやVan Halen,Europe、Iron Maiden、Judas Pirestが世界のチャートを席巻した時代のヘヴィメタル最盛期に比べると、いくらかメタルブームは下火になったようにも思えますが、ニューメタル、メタルコア、その他にも、ラップメタルと2000年代からジャンルが枝分かれしていき、依然として一定数の熱烈なファンによって支持されているのがヘヴィメタルのようです。


 そして、ヘヴィメタル自体が流行りではなくなっても、アメリカ、イギリスでは、時代に関係なくクールなメタルバンドが数多く登場しているのは事実で、しかもそれらのバンドがビルボードをはじめとする上位チャートを賑わせていることは変わりがないようです。未だに現代の音楽ファンは、クールなメタル音楽を渇望し、その凄まじい重低音に合わせ、ヘッドバンキングで乗りたい、と考えていることに何ら変化はありません。支持層の多いヘヴィ・メタルというコアなジャンルは永久不変であります。

 

 さて、今回は、近年発表されたヘヴィメタルの作品の中からピンときたものを中心に取り上げていきたいと思います。

 

 私のヘヴィメタルライフについては、イン・フレイムスやアーチ・エネミーの全盛期で止まってしまったため、以前ほどメタルについては聴かなくなりましたので、それほど精確なディスクガイドにはならないかもしれませんことをご理解下さい。以下、掲載していくのは、デスメタル、ハードコア、グランドコアの影響を色濃く感じさせるモダン・ヘヴィ作品が中心となります。

 

 

 

 

 

1 TREMONTI 「Marching In Time」Napalm Records 2021 

 



 

 


 

 

CREEDの解散後に、マーク・トレモンティが新たに始動させた米フロリダ州を拠点に活動するTREMONTI。

 

既に4000万枚のセールスを記録しており、ヘヴィロック界の大御所バンドといっても良いでしょう。近年最も勢いのあるヘヴィメタルバンドとして快進撃を続けているトレモンティ。

 

今年にリリースされた「Marching In Time」は、2000年代が全盛期であったモダンヘヴィネスに加え、ハードコアパンク、グラインドコアといったといった主要要素に北欧メタルの雰囲気をほのかに添えたような作風。モダンヘヴィネスに加え、往年のメタルの様式美を踏襲している作品ともいえます。マーク・トレモンティーの清涼感のあるヴォーカルは楽曲に洗練性を与えています。それほど、ヘヴィメタル、もしくはモダン・ヘヴィネスに理解がなくとも楽しめる。今年のヘヴィメタル作品の最高傑作に挙げても差し支えない迫力満点のアルバムです。次世代のメガデス、メタリカと目されてもおかしくない、今が旬のヘヴィ・メタルバンドのひとつに挙げられるはず。 

 

 

 

 

 

 

 

2.Mastodon 「Hushed and Grim」Reprise Records 2021

 


 

 

 


 

 

トレモンティと共にアメリカのモダンメタル界で大きな人気を獲得しているのがマストドンです。 

 

既に、グラミーのメタル部門を獲得し、リリース作品の多くをUSチャート上位に送り込んでいるメタルの未来を担うと称されるバンド。

 

トレモンティに比べると、プログレメタル、ストーナーロックといった主要な音楽性に加え、メロディアスという面で、往年の北欧メタルやパワー・メタルの叙情性も感じられるメタルバンドで、2000年代あたりの一時期には時代遅れとされていた北欧メタルの音楽性を2020年代になって改めて光を投げかけようとしているのがマストドンの素晴らしさ。

 

今作「Hushed And Grim」は、モダンヘヴィネスの要素もありながら、北欧メタルのようなアプローチが図られている作品。

 

重低音よりも高音域を強調したマスタリングがなされていて、さながら1980年代のメロディックメタルが最もホットであった時代に立ち返りを果たし、メタリカの「ライド・ザ・ライトニング」時代のようなヘヴィネスとほのかな叙情性を絶妙に融合させた美麗さのあるサウンド。往年のメタルファンも安心してたのしんでいただける快作です。

 

 

 


 

 

 

3.Trivium「In The Court Of The Dragon」Roadrunner records 2021

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トリヴィアムは、米フロリダ州のヘヴィメタルバンド。フロントマンのマシュー・キイチ・ヒーフィーは、山口県岩国市出身の日系アメリカ人です。(バンド名はトリビアの単数形で、様々な音楽分野を一つにとりまとめようという意図で、このように名付けられたようです)

 

トリヴィアムの音楽性の魅力はスラッシュメタルのザクザクっとしたリフ満載のモダンヘヴィネスの屈強性に尽きるといえるでしょう。上記したトレモンティ、マストドンに比べ、近年のメタルコアシーン寄りの音楽といえ、少なからず他のモダン・ヘヴィネスのバンドと同様、ハードコアパンクの影響下にあるメタルバンドのようです。

 

今作の「In The Court Of Dragon」は、旧来からのメタル音楽の様式美といえる、ストーリーやコンセプト性を感じさせ、表向きにはモダン・ヘヴィネスの作品といえるはずですが、アルバム作品の中で、楽曲の印象を変幻自在にくるくると変えていきながら、ファーストトラックからラストトラックまで、勇猛果敢にノンストップで突き進んでいきます。その印象というのは、重戦車がゴリゴリ突き進んでいくかのようなド迫力に喩えられるはず。

 

また、今作の最大の魅力は、前のめりなスラッシュメタルサウンド、グラインドコアのブラストビートに近い重低音サウンド、そしてなんといっても、日系人マシュー・キイチのデスヴォイスの凄まじい存在感、これらの三要素が巧みに融合させた未来を行くヘヴィメタルサウンドにあります。かっこいいからと言ってヘッドバンキングのやりすぎにはくれぐれも御注意。

 

 

 

 

 



4.Boris  「No」Third Man Records 2021



 

 

 

 

 

 

 

ご存知、日本が誇る世界のヘヴィロックバンド、ボリス。1992年から活動を続ける古株のヘヴィロックバンドで、メタルのみならず、ストーナーロック、サイケデリックロック、ノイズ、ドローンロックと、重いものであればなんでも取り入れてしまう重低音バンド。

 

灰野敬二、メルツバウと作品の共同製作を行ったこともあり、日本のアングラシーンの象徴的な存在、日本で最も屈強でヘヴィなロックバンドのひとつと称しても差し支えないかもしれません。


今年にリリースされた「NO」は、ストーナーロックのような泥臭いヘヴィ・ロックが全面的な展開、そこにBorisらしい目のくらむほど奥行きのある世界観が広がっているという有り様。重さ、いわゆるヘヴィ性については、上記のトレモンティと同等かそれ以上の重圧を感じる楽曲が今作には数多く収録。加えて、なんというべきか、三十年以上も現役を続けてきたがゆえの堂々たる風格もアルバム全体にみなぎっている作品です。

 

シアトルのメルヴィンズの初期作品にも比するストーナー性を前面に掲げたアクの強い作風、往年のメタルサウンドを交えたサウンド。軟弱なものは立ち去るがよいとでもいうような重厚感。日本のヘヴィ・ロック界にボリスあり、ということを世界に証明付けた屈強な一枚です。  

 

 



 

5.Converge 「Bloodmoon :1」 Epitaph 2021

 

 

 

 

 

 

 

2000年代の「Jane Doe」をリリースした時代にはニュースクール・ハードコアのスター的な存在であったコンヴァージ。

 

元々は、ジェイコブ・バノンの歌うというよりかは、金切り声でがなりたてるスタイルのヴォーカルを特徴としていて、重低音とド迫力の疾走感のあるニュースクール・ハードコアで一世を風靡しました。

 

その後、Epitaph Recordsと契約を結び、世界的なヘヴィ・ロックバンドへと成長していき、現在はデリンジャー・エスケープ・プランと共にマスコアの代表格とされています。

 

2021年11月19日に、ゲスト・ヴォーカルにChelsea Wolfeを招いて製作された作品は、これまでよりもさらにヘヴィ・メタルサウンド寄りのアプローチを図っている点に注目でしょう。デヴュー当時はとにかく若さと勢いと凶暴性という要素を突き出したサウンド、そして2010年代はとにかくヘヴィなロックをひたすら追究していく、という印象があったコンヴァージ。

 

この最新作「Bloodmoon:1」においては、ゲストボーカルのチェルシー・ボルフというキャラクターが加わったことによって、これまでにはなかったドゥーム・メタル色を打ち出した新鮮なサウンドが提示されていることに注目です。

 

特に、8曲目の「Scorpion's Sting」に代表されるように、重低音ヘヴィロックだけではなく、落ち着いたメタルバラード寄りの楽曲も収録されています。

 

もちろん、コンヴァージらしいヘヴィさは他の追随を許さぬ屈強さが感じられる作風ですが、その他にも、ヴォーカルトラックとして渋みの効いた楽曲が多く収録。少なからず、アリス・イン・チェインズのような1990年代のグランジサウンドの影響性も感じられる一作で、2020年代のヘヴィメタルシーンの流れを象徴づけるような作品といえるかもしれません。 

 


 





 
6.Sepultura  「SepulQuarta」 WARD RECORDS 2021 
 


 

 

 

 

 

 

 

ブラジルの先住民インディオの民族性とヘヴィ・メタルを融合し、新たなメタル音楽の可能性を世界に対して屈強に提示し続けてきたセパルトゥア。

 

デビュー当時は、メンバー全員が短パンを履いていたため、革パンと革ジャンを着なければメタラーにあらず、というふうに考えていた旧来のメタル音楽評論家に嫌悪されていたセパルトゥアではありますが、1996年の「Roots」の大成功により、世界的なヘヴィ・メタルバンドとして認られるようになり、現在も屈強すぎる重低音をブラジルの地で響かせ続けています。

 

今年、セパルトゥアは、ラップメタルに果敢に挑戦した意欲作「Black Steel In the Hour Of Chaos」をリリース、このシングルは、モダンヘヴィネスの屈指の名曲といえそうですけれども、8月13日にリリースされたアルバム「SepulQuarta」も聴き応えのある作品です。

 

ソリッドなギターリフ、過度にハイエンドを持ち上げたドラムスのマスタリング、それに加え、これまでと同じように、ゴリゴリの屈強なサウンドが貫かれている作品。そのサウンドの強度というのは、ブラジルのサンパウロのイエス像にも喩えられるでしょう。

 

今作には、スラッシュ・メタル、ブラックメタル、ストーナー、メタルコアといったサウンドがごった煮になっていて、ブラジルのメタル・ゴッドとしてのすさまじい風格が漂う作品。

 

もちろん、このアルバムの魅力は、単純に作品の音の重さだけにはあらず、Chaos A.Dに収録されていた「kaiowas」のリテイクでは、トラディショナルフォークのようなアート性の高い音楽にチャレンジしているのにも着目。セパルトゥアのこれまでのキャリアの集大成ともいえる傑作です。

 






来る9月11日にメタリカの「Metallica」通称「ブラック・アルバム」のリマスターボックスセットの輸入盤の発売が予定されている。

既に、Spotifyでは、シングル盤の「Nothing Else Matters」が配信されている。特に、ギターの音色、ストリングス・アレンジが艶気が漂っており、ファンとしては要チェック。

往年のメタリカのファンはこのシングルを聴きながら、このモンスターボックスセットの発売を待ち望んでいるはず。良い機会なので、このアメリカで最も有名なメタルバンド 、メタリカのサクセスストーリーについてあらためておさらいしておきましょう。 

 

1.メタリカとしての出発 


Metallicaは今や、アメリカ、いや、世界的な知名度を誇る最もクールなロックバンドである。この群をぬいてかっこよい四人衆メタリカは、現在ですら、それほど音楽を知らない人もその名くらいは耳にしたことがあるような存在となった。しかし、多くの伝説的なロックバンドが様々な体験を乗り越え、スターダムに上り詰めるのと同じように、彼らメタリカ四人の歩みの道のりは必ずしも平坦なものとはいえなかった。きっと事実は小説よりも奇なりという言葉がふさわしい、フィクションよりもはるかにフィクション的な魅力あるエピソードがいくつか引き出されるだろう。

METALLICA ST ANGER 200 grams vinyl

そもそも、最初のメタリカのレコーディングのエピソードからして、スキャンダラスな雰囲気が漂っている。メタリカは、元Megadeth(日本でも、テレビタレントとして、お馴染みのマーティー・フリードマンが在籍)のギターボーカル、デイヴ・ムスティンが在籍していたバンドとしても有名だが、いざ、メタリカの面々がファースト・アルバムをNYでレコーディングする直前、音楽的な方向性が違うという有りがちな理由で、デイヴ・ムスティンは解雇通知を受けたという。

その後、メタリカは、レコーディングを続け、無事、この最初のアルバム作品を完成へとこぎつける。一方、デイブ・ムスティンは失望の最中、メタリカに対抗意識を燃やし、Meagadethを結成、最初の作品「Killing My Business」をリリースする。これは、メタリカのデビューアルバム「Kill’Em All」に対するあてこすりという見方も出来なくもない。実際の音楽性においても、デイヴ・ムスティンのメタリカへの私怨がメタルとして、どす黒〜く渦巻いているような危ない雰囲気に満ちた刺激的な作品である。

このデイヴ・ムスティンという人物は、元々、十代の頃から、麻薬の売人として生計をたてていた。ハイスクールにもろくすっぽ通わず、ガールフレンドの家に入り浸り、地下の売人として、タフにこの世を生き抜いてきた経歴を持つロックミュージシャンだ。ムスティンは、若い頃から、ロックとギターを誰よりも愛し、ギターのテクニックを縁に生きてきた人物であるため、この時のメタリカの解雇という経験に、大きなショックを受けたであろうことは確実である。このときの、怒り、哀しみ、また、あるいは、綺麗事の背後ににじむシニカルさを主題とし、その後、ムスティンは、ヘヴィメタル音楽、重〜い音楽として昇華させていくようになる。ようやく、ムスティンの思いは、スタジオ・アルバム「Peace Sells..(But Who's Buying?)「Rust In Peace」という作品で結実を見る。その後、メガデスは、メタリカという存在に肩を並べるロックバンドとして、世界的に認知されるようになる。特に、国連本部らしき建造物が破壊された過激なアルバムジャケットが描かれている「Peace Sells...But Who' Buying」1986、は、ブレクジットでの英国の離脱をはじめとする事象、表面上の「EU共同体という幻想」がのちに打ち砕かれると、あろうことか、国連本部が設立される以前、1986年に予見している。

しかし、少なくとも、メタリカ、メガデス、この二つに分かたれたロックバンドは、初めの経緯こそほろ苦いものがあるにしても、その後は、善きライバル的としての良好な関係を保ちながら、アメリカのスラッシュ・メタルシーンを共に牽引していくアーティストとなった。 その後、デイヴ・ムスティンが、メタリカの出世作「Ride the Lightning」にレコーディングセッションに参加しているのは、メタリカとメガデスという両ロックバンドが和解した何よりの証拠でもある。

デイヴ・ムスティンを解雇した後、メタリカが「Kill ’Em All」という、なんとも身も蓋もない、ヤバそうな名のアルバムを引っさげてデビューした際、この作品は、当初から大きな反響を呼んだわけではない。

 

 


のちに、メタル系をアルバム使う雑誌媒体において、再評価の試みはなされるものの、それはメタリカが有名になってからの後付評価でしかない。もちろんごく一部の目ざと〜いリスナーには注目されていたという話もあるにせよ、少なくとも、最初の音楽シーンに与えたインパクトというのは微々たるもので、アメリカンドリームどころか、一般的なビッグサクセスの概念からはかけ離れていたのは事実である。 

おそらく、このバンドのデビュー時、メタリカというロックバンドが、80年代終盤から90年代にかけて世界的なスターロックバンドに成長していく、しかも、そののちには、サンフランシスコ交響楽団と共演する、あるいはまた、ウォルト・ディズニーのサウンドトラックにギタリストとしてゲスト参加する、なんてことを言っても、誰もが不可解そうに首を振り、にわかに信じようとしなかったはずだ。

事実、筆者も、このサクセスストーリは今でも眉唾もののように思う。音楽性においても確かにクールなメタリカではあるが、他のバンドと際立ってすぐれていたのかというと、必ずしもその理論は当てはまらないように思える。以前に、デビュー当時は、一部のメタルマニアしか知らないマニアックなバンドでしかなかったから、まだブレイクする直前は、メタリカという名を聞いてもよくわからない、なにそれ、という状態だった人が多かったはずだ。それは、勿論、このロックバンドがアングラの象徴のような音楽ジャンル、スラッシュ・メタルから出発したロックバンドだからである。 

しかし、メタリカは、事実、後に、大きな星を掴みとり、ロック界のアメリカンドリームを手中に収め、一躍スターダムに上り詰める。それから、押しもおされぬ世界的ロックバンドに成長していったわけである。なぜ、メタリカは、それほど、時代を代表するような目もくらむほど強大なロックバンドとして成長していったのだろう? そもそも、この異様なサクセスストーリーは、ゴールドラッシュ時代のアメリカンドリームを、メタリカという四人組は、ロックミュージックシーンにおいて見事に体現させたという表現がふさわしい。つまり、メタリカという存在は、地べたから汗まみれ、いや、彼らの90年代の「ガレージ・インク」という名作に因むのなら、ガソリンの煤まみれになって、頂点に這い上がって来た正真正銘の叩き上げの実力派ロックバンドである。 

それは、この四人の風貌についても同じで、デビュー当時は、アメリカのメタル界に無数に溢れていたブリーチした長髪、革ジャン革パンという、いかにも、メタルバンドらしいちょっとダサダサなファッションスタイルについても、その後、九十年代に入り、音楽性が変わるとともに様変わりし、徐々に別のロックバンドへ変身していった。それは常に、モンスターロックバンドとしての進化を繰り返したゆえの男としてのコンフィデンスが、彼ら四人の風格からは滲んでおり、そのプライドが他のバンドよりも遥かに強いがゆえ、今日まで長らくロックシーンの最前線を走り続けて行くことが可能となった理由といえる。その辺りが、メタリカという存在が今なお、多くのアメリカ人に絶大な支持を受け、不動のロックバンドとして君臨する要因でもある。     

そして、メタリカのデビューを「Kill 'Em All」がリリースされた1983年とすると、これまで、四十年近い道のりにおいて、メンバーチェンジこそあっても、活動自体にそれほど大きな中断を挟むこともなく、ロックシーンの最前線を全速力で走ってきた。この事実はほとんど信じがたいことである。

  

 2.スラッシュメタルシーンへの台頭

  

そもそも、あまりメタルというジャンルに詳しくない方のためにも、このメタリカが看板として掲げる「スラッシュ・メタル」という音楽について、あらためて確認しておく必要があるかもしれない。

このスラッシュ・メタルというのジャンルは、1980年代を中心にアメリカで起こり、盛り上がったジャンルで、ザクザクと、痛快なギターリフが刻まれるアップテンポの楽曲を特徴とするメタルミュージックである。このあたりのバンドは、アメリカに多く分布し、SLAYER、S.O.D,Anthraxといったグループが有名である。この中でも、スレイヤーは、複数回、グラミー賞メタル部門の勝者に輝いている世界的なスラッシュメタルバンドだ。もちろん、このスラッシュ・メタルというのは、かつては、ごく一部しか知られていないニッチでアングラなジャンルであったものの、今や実際のコアな音楽性から想像できないほど、大きな人気を博すようになった。                

これらのバンドに代表される、激烈で性急なザクザクという音を立てるソリッドなギターリフ、そして、16ビートを特徴とした楽曲のテンポ自体の速さを競うようなスラッシュというジャンルは、80年代のイギリスを中心に流行したNWOHMのジャンルの後に勃興した音楽であり、パンク・ロック、ハードコア・パンクの下地を持つという点で、イギリスのメタル音楽と異なる部分がある。

このジャンルは、メタリカとメガデスという存在が世界的な知名度を与えるのに貢献した。そして、このジャンルはのちになって、エクストリームな音楽性が付加され、より早いグラインド・コアというジャンルに直結した。このグラインドコアというのは、ブラストビートというリズムの破壊性、異質なテンポの速さを持つのが特徴で、速さを競う音楽でもある。バンドとしては、ナパーム・デスというバンドが有名であり、世界一最も短い楽曲を書いていることでもよく知られている。 



さらに、”メタル”という得難い音楽について探ると、一般に、オジー・オズボーンの在籍していたBlack Sabbathの音楽性が、メタル音楽の始まりであり、1stアルバムの「黒い安息日」のBlack Sabbathという楽曲がメタルの発祥だと言われている。この楽曲に登場する、鐘の音の不気味な響き、おどろおどろしい宗教的な趣向性を持つ楽曲、オズボーンの地の底を這うような重苦しい歌い方は、メタル音楽の素地を作り、ロック音楽の中に少なからず宗教性を与えた。それはメタル=宗教性のある音楽という概念を暗黙裡に植え付けた。(もちろん、西洋的なキリスト教的な概念上に限っての話である)

このネーミングについては、最初、「裸のランチ」等の著作で有名な文学者、ウィリアム・バロウズが、鉱物的な概念に「メタル」という名称を与えて、それが、現地NYタイムズなどのメディアを通じて、この重いロック音楽=メタルというワードが徐々に浸透していき、この後、七十年代から八十年代にかけて、ほとんど数えきれないほどのメタルジャンルに細分化されていくに至る。

当時、このメタル音楽がどれくらいのファン層を獲得したかまでは明言できないが、この年代から、英国ではケラング、そして、日本ではBURRNと、メタルを専門とする有名な音楽誌が続々と刊行されるようになる。これらのメディア媒体は、一般的なメタルという音楽の認知度を高める上で、なおかつまた、リスナーの裾野を広げるという側面において、文化的に大きな貢献を果たした。そして、1980年代から、およそ数え切れないほどのカテゴライズが登場する。 

これがレコードショップ、あるいは、音楽メディアが、順々に、こういった呼称を与えていったのかまでは判然としないが、ブラック・メタル、スラッシュ・メタル、LAメタル、北欧メタル、パワーメタル、デスメタル、グラインドコア、さらに細かな分類がなされていくに至る。その後、数え切れないメタルジャンルが、現れては、消え、現れては、消えていく。90年代に入り、メタルとパンクハードコアを融合させたニューメタル(グルーヴ・メタル)というジャンルも登場。もちろん、そのメタル音楽の極北に、セカンド・アルバム「Iowa」で全米チャート初登場一位を獲得するSLIPKNOTのラップ・メタルや、重苦しいというメタル本来の音楽性の対極にある、BABYMETALのようなアイドル・メタルが位置するのが、今日の音楽シーンの現状である。

  

3.メタリカのシーンへの台頭

  

一連のメタル音楽が流行っていく中で、メタリカは、最初、スラッシュメタルシーンの有望株として台頭したのは疑いを入れる余地はない。

しかし、それはあくまで、スラッシュメタルシーン界隈のみで語られるべきで、ロックスターとして将来を嘱望される存在ではなかったように思える。このバンドが、結成最初から、現在のハリウッドスターのようなロックミュージシャンだったと記述をするのは、仮に、私が世界一のメタリカファンであるとしても、これは出来かねる。モーターヘッド、そして、ヴェノムの音楽性を引き継ぐコアなロックバンドとして出発したメタリカ。しかし、実際のところ、現在の一部のスキもない高度な演奏力からは想像出来ないほど、結成当初は、演奏が稚拙で、悪い言葉でいえば、下手なバンドとしてミュージックシーンに登場したのだった。それに加え、華々しい台頭とはお世辞にもいえなかった。さらにまた、このバンドは、元々、売れ線を狙って登場したロックバンドでもなかった。興味深いことには、只、好きな音楽をやっていたら、その延長線上にメタリカという音楽が形作られ、その音楽が世界的に有名になった。ただそれだけのことだった。

このあたりの事情については、「ライド・ザ・ライトニング」のライナーノーツに、音楽評論家の有島博志さんのマーキー出演後のメタリカの取材インタビューが掲載されているので引用する。 

 

”有島さんの、「なぜ、こういう過激な音作りをするの?」という問いに対して、

 

 

ジェイムスが説明する。

 

 

「俺達がMETALLICAをスタートした時、アメリカにはこんな過激な音を出すバンドなんてイヤしなかった。だから、コレだって思ったのさ。それに、こういう音ってやってて気持ちいいんだゼ」

 

 

ラーズが続ける……。

 

 

「理屈や理由なんて要らないんだ。ただ、俺達はこういう音が好きだからこういう音作りをしている。ただ、それだけさ……」

 

2人のそのコメントを耳にした時、何てストレートな連中なんだろう、と心なしか感動したものである。”


 

 

このことは、メタリカの面々がアメリカの、メタル、あるいはロック音楽の時流とは全然関係なしに、ただ単に、自分たちの好きな音楽、ロックを心ゆくまで少年のように純粋に追究しただけだったという事実が伺える。もちろん、売れ線の音楽性、バンドキャラクターから大きくかけ離れているという事実、それは、メタリカの一番最初のスタジオ・アルバム「Kill ’Em All」という血塗りのハンマー、いかがわしく、ホラーチックで、近寄りがたい雰囲気のあるジャケットのアルバムアートワークが象徴している。つまり、このメタリカというロックバンドの出発は、全国区の評判とならず、一部のマニア向けの存在でしかなかった。当時、日本のレコード店でも、大々的に売り出されていたわけではなく、レコードショップの片隅でひっそりと陳列されているような作品であった。つまり、当初、日本では、このメタリカというロックバンドは、いや、もしかすると、母国アメリカでさえも、デビュー当時のスレイヤーのように、メタルマニアしか着目しないような、知る人ぞ知るバンドであったという表現が妥当かもしれない。 

事実、八十年代においてスラッシュ・メタルというのは、きわめてニッチなジャンルでしかなかった。それは後、グラミー・メタル部門を獲得するスレイヤーでさえ、デビューアルバムの発売当時、悪魔崇拝的であるとされ、キリスト教団体からの苦情を受け、1stアルバムはすぐさま発禁処分となり、販売元すら見つからなかったというエピソードがそのことを如実に物語っている。

しかも、このスレイヤーというロックバンドの最初のプロフィール写真もきわめて悪趣味であり、女性の生贄をギャグ的に写し込んだマルキド・サドや澁澤龍彦の描くような耽美的で退廃的な世界観を持ち、いかがわしさとアングラ色が漂っていたことはあまり今では一般に知られていない。

このスラッシュメタル、デスメタル、ブラックメタルの黒魔術的な音楽の要素というのは、70年代のブラック・サバスとオジー・オズボーンの体現させた奇妙で異質なキリスト教観から来ている。 

そして、このメタリカという後のアメリカン・ドリームを体現するロックバンドも、ニッチさアングラさにおいて、ロックバンドとしての駆け出しについては、同時期に台頭したスレイヤー、先輩格にある黒魔術信仰をバンドキャラクターとして打ち出したカルト的なブラックメタルバンド、ヴェノムとさほど大差はなかった。少なくとも、ボン・ジョヴィやエアロスミスのようなハードロック界隈のビッグアーティストとは、その出発点が全然異なるということだけは確実である。

最初のメタリカのメンバーのラインナップは、ジェイムス・ヘッドフィールド(Gt,Vo)ラーズ・ウィリッヒ(Dr)、クリフ・バートン(Ba)、カーク・ハメット(Gt)。クリフ・バートンをのぞいては現在の編成と一緒ではあるものの、最初期の演奏力は、お世辞にも高いとは言えず、現在のような完璧性、他のロックバンドを圧倒するような存在感、超越感はこの時まだ全く感じられない。たしかに、ファースト・アルバムでのギターリフの「ザクザク」という痛快感あるギターリフを聴くかぎりでは、他のバンドより音楽性において秀でている部分もあった。しかし、どちらかといえば、当初、不器用さのあるロックバンドで、B級感のある冴えないグループでもあったのだ。

そもそも、「デビュー前の西海岸でのクラブサーキットも、五十人の動員を確保するのがようやくだった」と、「ライド・ザ・ライトニング」のライナーノーツにおいて、評論家の有島博志さんが綴っているように、メタリカはコアなロックバンドとして出発した。クラブサーキットはドサ回りのようなところから始まり、活動初期において、アメリカ国内で超過密日程のライブを夢中でこなすうち、徐々に地力をつけていった叩き上げの実力派ロックバンドだったのである。  


そして、このメタリカというバンドの人気に最初に火がついたのは、本国のアメリカではなくて、ヨーロッパであった。全米ではまだ知名度の低い時代、デビューから間もない83年のこと。このバンドは、ヘヴィメタル・ファンジンが主催するヨーロッパのツアーを精力的にこなし、一年の間に、めきめきと力をつけ、アクトのヘッドライナーに抜擢される、等の実績を最初にヨーロッパで積み上げていった。

その一番低い、地べたから汗まみれとなり這いずり上がり、ビックアーティストまで一歩ずつ地を踏みしめながらロックの殿堂への階段を上がってきたという実感や誇りが、このメタリカという四人の男たちの最大の結束力を形作り、ちょっとやそっとでは崩折れないプロミュージシャンとしての強みである。もちろん、音楽性についてもメタリカ節と呼ばれるブルージーなフレーズがあるのは、このバンドの泥臭さ、男らしい不器用さからくる哀愁を象徴しているといえよう。 

その後、91年のブラック・アルバムでのビルボード・チャートで打ちたてた200週以上連続ランクインという偉業は、このメタリカというロックバンドの長い歩みを概観してみた際には、ほんのオマケのサインドストーリーにしか過ぎない、といえる。そして、このメタリカの醸し出す、マッチョでスポーティなイメージは、アメリカンロックの基本概念として象徴されるように思える。もちろん、これは、その全く対極にある、アンチテーゼとしての反マッチョイズムを掲げたインディーロックという見過ごしがたい存在があるということを加味した上での話である。


4.メタリカの打ち立てた最初の金字塔 


そして、メタリカの全米のクラブサーキットの成果があってのことか、既に、最初の星を掴む予兆は、セカンド・アルバムのリリースにおいて顕著に現れた。ロックバンドの始まりとしては、マニア向けの限定的な存在でしかなかったメタリカ、米国西海岸のクラブで、五十人の集客を集めるのがようやくだったメタリカは、このセカンド・アルバム「Ride The Lightning」の制作により、急激な変貌を見せ、全米随一のメタルバンドへと成長していく。その間、わずか一年。もちろん、その間に、なんらかの出来事があったはずだが、このエピソードから垣間見える事実は、ファストフードにしても何にしても、アメリカという国は何でも、展開が目くるめく早さで決まるということだ。

このスタジオ・アルバム「ライド・ザ・ライトニング」のレコーディングの直前に、メタリカは、イギリスで華々しいデビューを飾り、ライブ興行を成功させている。今でいうところのワンマンコンサートを、伝説的ライブハウス「マーキー」で開催した。しかし、これはゲリラ的開催で、チケットの手配など、プロモートの面で手抜かりがあった。この悪条件に加え、新聞や雑誌等、メディア告知が思ったほど進捗しなかった。つまり、知る人ぞ知るライブだったはずなのに、「ライブ会場には500人もの観客が集まり、会場の外にも、中に入れない客が百人以上も詰めかけた」というエピソードがこれまた「ライド・ザ・ライトニング」のライナーノーツに見られる。この例から見てもよく分かる通り、メタリカは英国で鮮烈なデビューを飾り、最初、アメリカの国外で知名度を高め、ビッグサクセスへの足がかりにしていったのである。 

本国アメリカではなく、ヨーロッパ、イギリス、海外で、徐々にシェアを高めつつ合ったメタリカは、この好い流れをみすみす逃すことはなかった。彼らは、これらのツアーを成功させたのち、セカンド・アルバムとなる「Ride the Lightning」のレコーディングに入る。 選ばれたのは、アメリカではなく、ドラマーのラーズ・ウィリッヒの故郷、デンマークのコペンハーゲンであった。

  

 

 

これは、当時、もちろん、最初に成功を収めたヨーロッパでさらにリスナー層を増やそうという試みがあり、そして、もうひとつは、当時、人気を博していた北欧メタル勢のような澄明でクラシカルな音を探求しようとし、さらに、また、ひとつは、徐々にアメリカで台頭してきたLAメタル、産業ロックと呼ばれるロックバンドとの差別化を図る。こういった意図も、後付けではあるが、伺えなくもない。つまり、メタリカは、アメリカ国内でのレッドオーシャンではなく、ブルーオーシャンでの格闘を挑んだ。確かに、メタリカの最初期の音楽性は、どちらかといえば、アメリカらしいメタルの風味に乏しく、アイアン・メイデン、ジューダス・プリーストのようなイギリスの硬派なメタルの延長線上に位置づけられる。アメリカでのブレイクは時期尚早と見ての、国外での大きなチャレンジであった。これはよく吟味されたロックバンドとしての秀逸な戦術である。

マーキーでのライブを終えて、コペンハーゲンに飛んだメタリカの四人は、スイート・サイレンススタジオの設立者、フレミング・ラズムッセンをエンジニアに迎え入れ、次作の「Ride The Lightning」の制作作業に入る。メタリカーラズムッセンというタッグは、ボブ・ロックと共にメタルエンジニア界の最強コンビといってもいいはずだ。

この後、両者は良好な関係を保ち、次作の「Master of Puppets」あるいは、「……And Justice For All」でも重要なパートナシップを築くようになり、言わば、盟友のような関係を築き上げていく。

すでに、コペンハーゲンに旅立つ前から、メタリカのメンバーには、このアルバムの着想があり、楽曲の構想を練り上げていたため、難産のレコーディングにならず、実際な期間は判然としないが、メタリカは、二作目のアルバム「ライド・ザ・ライトニング」を短期間で完成させたという。

作品の原題「Ride The Lightning」についても、聖書に因んでおり、また、このアルバムの中の「For Whom The Bell Tolls」はもちろん。ヘミングウェイの小説「誰がために鐘が鳴る」に因んで名付けられたり、この作品は、(次作も同様ではあるが)およそメタリカらしからぬ文学的なイメージが漂う作品である。それは、ひとつ、当時、メタルバンドとして不可欠の要素、音としてのストーリー性を加え、全体的にコンセプト・アルバムとしての方向性を追求しようという意図が伺える。

この中の二曲、「Ride The Lightning」そして「The Call Of Ktulu」には、デビュー・アルバムのレコーディング時に袂を分かったデイヴ・ムスティンが参加し、作曲者としてクレジットされている。ついに、最初は喧嘩別れをしたこの両者は今作において、完全な和解を果たしたことが伺える。 

そして、ファースト・アルバムできわめて無骨で荒々しいメタリカのイメージは、このセカンド・アルバムにおいて最初の変身を果たし、叙情的でドラマティックなツインギターのハーモニクスを追求した美麗なサウンドとなっている。これは、北欧でレコーディングされた影響を受け、メタリカの前作品の中で最も叙情的なメロディが感じられる作品となっている。また、内ジャケにおいての写真、雪の上で微笑む四人のメタリカの姿も、今となってはニヤリとさせるものがある。

既に多くのロックファンがご存知のとおり、「ライド・ザ・ライトニング」でアメリカ国内で商業セールス的にも大成功を収めた。ここで、初めて、インディー界隈の知る人ぞ知る存在であったこのマニアックなロックバンドに、アメリカのマネージメント会社、エレクトラ/アサイラム(のちのアサイラムレコード)がメジャー・デビューの話を持ちかけた。この時点で、メタリカの四人はついにメジャー契約という最初の大きな星を、見事に掴み取ってみせたのである。



5.メジャーシーンでの快進撃


続いて、同じようにデンマークのコペンハーゲンで、ライド・ザ・ライトニングの成功にあやかる形でレコーディングされた84年の「Master Of Puppets」も、前作と同じように、フレミング・ラズムッセンを迎え入れ制作された。これは、前作「ライド・ザ・ライトニング」の勢いや流れをそのまま引き継ごうという、アサイラム・レコードの選択は、結果的に大成功を収めたといえる。 

 

 

  

そのことを証明付けるのは、このアルバム「Master Of Puppets」から、後のメタリカの重要なライブのレパートリーとなるロックの金字塔「Battery」「Master Of Puppets」といった名曲が二度目のコペンハーゲンでのレコーディングで誕生したことからも分かる。また、このセカンドアルバムは、前作の北欧メタルとしての抒情性、物語的な雰囲気、キリスト教的な概念、くわえてアメリカン・ロックのパワフルさ、ワイルドさが絶妙にマッチしたヘヴィメタルの名品である。

メタリカは、今作「Master of Puppets」で、サウンドプロダクションの面でも大きな飛躍を見せ、初期の無骨なメタル、二作目のメロディアスなメタル、この両要素を見事に融合させた。そして、ツインリードギターをはじめとする楽曲性、流麗さもありつつ、儚げな印象のある前作に比べ、アルバムの全体の印象としては、力強く存在感のある、ド迫力の大スペクタルを築き上げた。

今、聴いてもなお、二作目と三作目の作品の出来の相違は顕著であり、メジャーに移籍した恩恵を受け、レコーディング費用を以前よりも捻出できるようになったのが、よりサウンド面での進化をもたらしたように思える。つまり、資金面での心強さというのが実際的なレコーディングの音の良さ、張りにも素晴らしい影響を及ぼしたといえる。そして、このアルバムにおいても、メタリカの最初の音楽上の動機、「自分たちのやりたい音をやるだけだ」という、単純なメタリカイズムは、やはり失われずしっかりと受け継がれている。その延長線上において、メタリカは、「メタリカ節」と称されるひねくれたようなブルージーで渋みのあるメロディを完成させたのである。これは、後に、どれだけ、彼ら自身の音楽性が変えようとも、ミュージックシーンがどれほど変容しようと、不変のメタリカの核、つまり、強固な信念のごときものであった。

そして、このあたりから、徐々に音楽性としても変化が見られ、北欧メタルの後追いではなく、もちろん、モーターヘッドやヴェノムのようなマニアックなロックンロールでもなく、世界で唯一、メタリカしか生み出し得ないフレーズ、独特なねじれるような旋律、電子音楽で言えば、ブレイクビーツに属するようなひねりのあるリズム性がこの作品を機に表れるようになる。これはしかし、突然に出てきたものではなくて、初期からのたゆまざるクラブサーキットの成果から引き出された努力の賜物なのである。

つまり、このロックバンドは自分たちの好きな音と誰よりも長く付き合いを重ねた後、自分たちしか出来ないロックスタイルを完成させた。そして、この四人は、デビューからわずか一年という短期間で最大の成果を挙げた。スラッシュ・メタル、いや、ロックの殿堂入りとして後世に語りつがれる今作「Master Of Puppets」'84で、メタリカはアメリカンロックの頂点に上り詰めたのである。

その後も、メタリカの快進撃は引き続いた。「……And justice For All」は、再び、ラムヘッセンをエンジニアに迎え入れてレコーディングされ、この初期三部作「ライド・ザ・ライトニング」「マスターオブパペッツ」「ジャスティス・フォー・オール」の物語は完結するわけである。このアルバムがリリースされた年代を見ると、LAメタル、産業ロックと呼ばれるグラム・メタル勢、ガンズ・アンド・ローゼズ、スキッド・ロウといったロックアーティストのシーンへの台頭を尻目に、メタリカは、これらの面々と異なる独自のメタルロードをひた走り、着実に地盤を固めていく。

時代は、アメリカ全土において、華やかな存在としてのロックの最盛期にあたり、けばけばしい化粧を施したグラムメタル勢が無数に台頭する。しかし、ご存知のようにそれらの燦然たる輝きは、他の年代のロックシーンと比べて際立っていたのは事実ではあるものの、それほど長く続かなかった。

そんな中、メタリカは、結成当初からそうであったように、これらのシーンの流行には一瞥もくれず、独自の音楽性を追求し、メタリカサウンドをより強固なものとしていく。もちろん、これらのグラム・メタル勢、ガンズ・アンド・ローゼズのようなハリウッドやLAを拠点とするアーティストの台頭の強烈な追い風を受け、八十年代終盤から九十年代初頭にかけて、メタリカはさらに強固なメタルバンドとしての地位を踏み硬め、それを不動なものとしていったのは確かである。

このマンチェスターの八十年代を思わせる、LAを中心にしたアメリカの全土を席巻したロックムーブメント。これは数年間、異様なほどの熱狂を見せた。彼らの時代は終わりが来ず、永遠に続くものと思われたが、しかし、そうはならなかったのである。

 

 

6.メタリカの苦境、そして、生き残りのための模索


やがて、九十年代に入ると、これらのLAの産業ロック、所謂、上辺の華やかさを売りにしたパーティー・ロックは急激に衰退していく。経済も物理と原理は同じで、飽和しすぎたものは必ず最後は萎んでいく運命にあるのかもしれない。これは、アメリカ国内で、ひいては、一時的な好景気、世界経済の成長を受けて起こったムーブメントだったように思える、数々のメガヒット、グラミー、そして、ゴールドディスク。数々の名誉がこれらのミュージシャンの頭上に降り注いだ。

それは最も幸福な時代を象徴するようなものであったか、アメリカの音楽産業は最も美味みのある時代を迎えつつあり、この流れは、八十年代の終わりにかけて急激に進んでいった。この年代から、本来、脚光を浴びないはずのアーティストも、続々とオーバーグラウンドに引き上げられていく。これは、音楽産業自体が、柳の下のどじょうを狙うべく、有望なロックバンドを探してきて、作品リリースを行ったからである。しかし、この華やいだムーブメントは、後にインディーズシーンのロックンロールに覇権を奪われ、アメリカの音楽シーンで急速な衰退を見せるようになる。

ヘヴィ・メタル音楽の衰退は、グラムメタルの衰退、そして、シアトル、アバーディーンのグランジの台頭に相携えて始まった。 

このサブ・ポップを中心としたインディーズ・ムーブメントの凄まじい台頭は、アメリカのロックシーンの全貌を完全に一変させてしまったと言える。マイケル・ジャクソンを米ビルボードの一位から引きずり落としての「ネヴァーマインド」の大成功、これはゲフィン・レコードの最大のマーケティングの成功でもあるが、これは、アメリカ全体のロックシーンを揺るがす出来事であった。

そして、この辺りから、八十年代のアメリカを席巻したヘヴィ。メタル音楽の熱狂は、見る影もなくなり、一部のアーティストを差し引けば、ほとんど草の根一本も生えぬほど燦燦たる状況になりかわっていった。それまでチャートを席巻していた華々しいロックミュージシャンたちは、急激に一般的なファンの求心力や興行面での動員を失い、何らかの面で、プロモーション、ファッション、また、音楽性においての路線変更を余儀なくされた。その過程で、音楽面において流行に乗る、という安易な路線変更を試みようとした多くのロックバンドは、シーンのトレンド、流行に乗ろうとしたために、かえって皮肉なことに、その後、急激な凋落、没落を見せていったのである。 

しかし、この90年代の流れは、それまで数々のメタルの金字塔を打ち立ててきたメタリカとても全然無関係ではいられなかったように思える。グランジの台頭を予感したように、その前年にリリースされた「Metallica」通称ブラック・アルバムにおいて、このロックバンドは、アメリカの急激な変化を嗅ぎ取ってか、その音楽性において僅かな変貌を見せている。また、後になってのオーケストラとの共演を図る地盤作りという面での出来事は、ハリウッドのアクション映画音楽を数多く手掛けるマイケル・ケイメンが「Nothing Else Matters」のストリングスアレンジに参加していることだろう。 

 

 

 

このブラック・アルバムから、メタリカは徐々にモデルチェンジを企図し、それまでのスラッシュ・メタル路線の音楽性を引き継ぎながら、独特なアメリカン・ロック色、そして、ブルースに対する傾倒を見せるようになっていく。これは狙ってのことか、そうでないのか定かではないものの、この最もロックシーンで売れたアルバムにおいて、彼らは、ひっそりと、その音楽の潮流を読むかのような器用さを見せ、そして、その後の年代への方向転換を虎視眈々と模索していたのである。

それは、このアルバムの一曲目「Enter Sandman」というこれまた彼らの代名詞的な楽曲によく現れ出ている。

表面的には、ヘヴィメタル音楽としての色は受け継ぎつつも、ここにはなにか、異質な本流のアメリカン・ロックの系譜にあるヘヴィロックの音楽性の萌芽が見られる。そして、どことなくグランジの台頭を予感させるダークさも具備しているのは驚く。つまり、今作において、メタリカは既にその潮流に準じて、スラッシュメタルから別の音楽性への変更の機会を伺っていたともいえる。

そのあたりの初期のスラッシュ・メタル、そして、中期からのアメリカン・ロックという二つのジャンルの架け橋となったのがこの重要なブラック・アルバムという作品の本質であり、これが最も飛ぶように売れたという事実は、まるでアメリカ全体のシーンの流れの変化を象徴づけるようなものだった。

そして、ここでのメタリカの新たな境地へのチャレンジは、他の多くのバンドが凋落していく中で、このバンドをシーンでタフに生き残らせる要因となった。しかし、このブラック・アルバムのリリースの後、スタジオ・アルバムとしては五年という長い期間が流れているのを見ればよく理解できる通り、メタリカの「メタル・ロード」は一筋縄ではいかなかった。この五年は、メタリカという音楽、バンドの形質を変化させるような長年月であったことは確かである。

 

ここに、90年代初頭に起こったアメリカの急激なシーンの変化の中で、五年間、ライブを続けながら、現代の流行から取り残されぬようにたえず模索を続け、生き残るすべを探し求めていた四人の様子がまざまざと伺えるのである。

 


7.大きな変革の時代


そして、事実、ほとんど一夜にして、アメリカのロックシーンがヘヴィ・メタルからヘヴィ・ロックへと完全に推移した。この九十年代から、これまでの音楽性とは異なるロックバンドが出てくる。 

グランジ、ラップメタル、ニューメタル、、、そのジャンルの多さは、これまでの停滞をぶち破るべく立ち現れたあざやかな新風といえる。

アリス・イン・チェインズ、サウンドガーデン、そして、ナイン・インチ・ネイルズ、レッド・ホット・チリペッパーズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、メタリカの王座を背後から虎視眈々と狙い、首座を脅かす存在は多かった。そして、この年代において、メタリカは、それまでのスラッシュ・メタルバンドとしては、ロックの王座に座りつづけることはきわめて困難であるように思えた。頑固一徹、スラッシュメタルという音楽を貫いて、成功したのは、皮肉にも、デビュー当時に最初に発禁処分を受けたスレイヤーで、これは少し妙な言い方になるかもしれないが、それまで溜め込んでいた運のようなものが、ドッと表側に溢れ出したというような感じで、特殊な事例であることは確かだ。元々、マニアックなインディーズバンドが後年にメジャー契約を取り付けた恩恵を受け、ようやくスターダムに上り詰めたという稀有な事例である。

80年代から活躍していたロックバンドが、急激なシーンの変化に対応できず、次々とスターダムから振り落とされていく中、それは後のガンズ・アンド・ローゼズの長い迷走を見ればおわかりのお通り、ほとんどのハードロック/メタルバンドが逃れられなかった運命である。しかし、このメタリカだけは、その座を完全に追われることはなかった。それは、五年という期間を経て発表された次作の「LOAD」において、メタリカは別のロックバンドとして復活を果たすことにより、他の多くの80年代のロックバンドのようには凋落せず、すんでのところで生きぬくことに成功したのだった。つまり、メタリカが他のロックバンドと違うのは、それまで背後に積み上げてきた「功績」「名誉」を捨て、一から出直すことを決意し、前に進みつづけ、モンスターロックバンドとして生き残ることに成功したのだった。そして、このときの選択こそ、最終的には、このメタリカが全米を代表するロックバンドとして不動の地位を獲得した要因でもある。

この96年の「LOAD」において、メタリカは、以前からのファンをある程度失望させるような決意で、表向きのバンドとしてのキャラクターにしても、音楽性にしても、信じがたい変革を巻き起こす。 五年という期間、ベーシストを入れ替え、彼らは既に往年の少しもさいところのあるスラッシュメタルバンドからスタイリッシュな様変わりを試みた。それまで胸の近くまで伸ばしていた髪を短くし、そして、ひげを蓄え、ワイルドかつアウトローなイメージを前面に押し出す。これはどことなくコッポラが描き出すようなイタリアンマフィアのダンディズム、いかにも見てくれは悪い男ではありながら、クールな魅力を持つワイルドな男たち、という独特な洗練された悪漢の雰囲気を、ロックミュージシャンのキャラクターとして体現、確立させたのである。  

 

 

  

この時点で、新星メタリカが誕生した。振り返ってみれば、この1996年に、メタリカの未来の成功が完全に担保されたのである。アルバムの内ジャケット写真には、ワイングラスを傾ける見違えるようなメタリカの悪漢的な雰囲気が伺える。俺たちは、他のバンドと違い、最も泥臭いバンドであり、不器用でありながら、最もクールな男たちである、そんなふうに、バンドイメージとして新たな戦略を打ちだしてみせた。これは、八十年代のメタリカとは別のロックバンドとして再生した決意表明、つまり、ミュージック・シーンに対して突きつけたふてぶてしさのある挑戦状といえる。ここで、メタリカはあえて前進することにより、この難面を乗り越えようとしたのだった。この思い切りの良い転身は、ヘッドフィールド、ウーリッヒ、ハメットというオリジナルメンバーがもたらした凄まじい改革だった。これは、音楽性においても功を奏し、アルバムの一曲目「Ain't My Bitch」「2✕4」という楽曲を聞けば分かる通り、初期の音楽性からは全く想像だにできない、ブルースの色の強い激渋のロックバンドに変身を果たしている。

しかし、この音楽性の顕著な変化は、流行に乗ったということではない。それは、最初期の音楽性にあるひねくれたようなメタリカらしいメロディー性「メタリカ節」は、ここでも引き継がれているからである。そして、このときの思い切った決断は、賛否両論を音楽シーンに巻き起こすことに成功した。

「LOAD」は、如何にも悪漢、黒人でなく、白人としてのギャングスター的雰囲気に満ちみちているが、その中にも、グランジの静と動、アメリカン・ブルースを受け継いだ形の「Hero Of The Day」といった美しいロック・バラードの名曲も収録されていることは見過ごせない点である。八十年代からのスラッシュ・メタルのスターから華麗なる転身を果たすというのは、往年の八十年代からのファンを一定数失望させもしたのは事実だったはずだが、その反面、当時のリンプ・ビズキットのような現代のファンからも大きな支持を獲得する要因となったことは確実である。

事実、この音楽性は、九十年代初頭のグランジやミクスチャー・ロックの台頭したシーンの音楽性に非常によくマッチし、そして、ビルボードでのセールス面でも堅調、アメリカで高売り上げを記録した。メタリカのもうひとつ側面、表情を映し出したモンスターアルバムである。ここで彼らは、再度、上位に返り咲いた。つまり、この作品において、メタリカは、前作で売れたからといって守りに入るのでなく、一点攻勢に打って出ることにより、二度目の華々しいブレイクを果たしたのだった。 

それまでのスラッシュメタル路線から、このヘヴィ・メタルではなく、ヘヴィ・ロックバンドとしての道を選択したことが真っ当な判断であったことは、さらなる快進撃、「LOAD」の連作の「RELOAD」、そして、中期の傑作となる「ガレージ・インク」において、同じようなロックバンドとしての醍醐味、モンスターバンドとしての勢いを全然失っていない点からも証明されている。

 


8.全米を代表するロックバンドへの成長、アメリカンドリームの実現

 

メタリカは、このアメリカの九十年代の音楽シーンの目まぐるしい移り変わりに柔軟に対応し、驚くほどの変身を遂げたことにより、当時のシーンから取り残されることなく、リンプ・ビズキットといったバンドの兄貴分としてアメリカのロックシーンでの王座をさらに盤石たらしめていく。

むしろ、このときの思い切った選択により、メタリカは、より、魅力的なロック界のカリスマとして生まれ変わったといえる。そして、メタリカの音楽、そして、「ショーエンターテインメントとしてのメタリカ」が完成したのが、ご存知、1999年リリースされ、後にはこの年の4月の二日間に及ぶ公演の模様が映像作品化される「S&M」、シンフォニー・アンド・メタリカである。 

 

 

 

この作品で、「ダイハード」「007」といったハリウッド名アクション映画を手掛け、また、これまで、ピンク・フロイドやエリック・クラプトン、布袋寅泰、あるいはデヴィッド・ボウイ・ケイト・ブッシュとの共作を持つ劇伴音楽の巨匠マイケル・ケイメンが、メタリカ側に歩み寄り、この一見、実現不可能にも思える計画を持ちかけた。

元来、メタル音楽は、クラシックに近い音楽性を擁しているものの、表向きには、水と油の関係のように思えていた。実際、クラシカルの弦の生音の音量、管弦楽器のドラムとの音域の被り、大掛かりなライブロックサウンドとの音の兼ね合いを考えてみると、エヴェレストの踏破、いや、K2踏破のように、一見したところ、無謀な計画であったように思える。しかしながら、メタリカとマイケル・ケイメンは共に、この高い山をなんなく乗り越えてみせる。ひとつ、この公演が大成功をおさめた要因は、ケイメンがメタリカの音楽に深い理解を示していたからだろうと思う。これまで、先述したように、マイケル・ケイメンは、ブラック・アルバムの一曲「Nothing Else Matters」で制作者として名を連ねている。つまり、メタリカサウンドをレコーディングの際に間近で体験していたことが、このときの計画に良い影響を与えたように思える。 

しかし、実際の公演まで、困難がなかったわけではない。何度も、相当入念なリハーサルを重ね、そして、楽曲の選考がケイマンとメタリカのメンバー間で行われたようである。実際のオーケストラとメタル音楽をライブステージ上でかけ合わせた時、どの音楽がふさわしく、また、どの音楽が共演にとってふさわしくないのか。メタリカのメンバー、とりわけ、ドラマーのラーズ・ウィリッヒとマイケル・ケイマンの間で、何度も議論がかわされた。その結果、クラシカル音楽の風味が強い、一見、この公演にうってつけのように思われるブラック・アルバム収録の「The Unforgiven」は、実際のセットリストから外されることとなった。そして、この過程で、着々とセットリストが組まれていくが、また、このコンサートを成功させるために、もうひとつ難しい問題があった。メタリカの大音量のサウンドの醍醐味を壊さないため、オーケストラの生音の音をどのような編成で演奏すべきかという難題が浮上するのである。しかし、この難局も、マイケル・ケイメンという劇伴音楽の巨匠は、見事に打開してみせた。

それというのは、実際のオーケストラの編成を、フェルベルト・フォン・カラヤン=ベルリン・フィルも真っ青ともいうべき大編成、総勢104名ものサンフランシスコ交響楽団の演奏者を、このライブコンサートに際して組み入れることを決めたのである。要は、ヘヴィ・メタルに負けない大音量を出すため、また、ドラムの音量に負けない弦楽の重厚さを引き出すため、これくらいの総数は必要だったのである。これは、クラシック音楽、ロック音楽、双方に造詣の深いケイマンの名人芸ともいえる音楽史に残る偉業であった。また、メタリカの盟友といえるカナダの音楽界で殿堂入りを果たしているボブ・ロックをプロデューサーに招いたこともこの公演の成功を後押しした。 

METALLICA S&M With Michael Kamen And San Francisco Symphony Orchestra
左から メタリカのドラマーのラーズ・ウィリッヒと指揮者のマイケル・ケイマン

 

1999年4月、二日間に渡って行われたこのサンフランシスコ交響楽団との共演は結果的に大成功を収める。メタリカは、ヘヴィ・メタルと古典音楽の融合、壮大な「メタル・シンフォニー」をマイケル・ケイマンと協力して完成させた。この作品は、メタリカのこれまでのオリジナル・アルバムほどまでにはセールス面で成功しなかったが、アルバムとしてグラミーを獲得し、後に映像作品としても発売される。この作品では、メタリカのサウンド、そして、サンフランシスコ交響楽団の本気の鬩ぎ合いを味わえる。5.1chサラウンドのマルチアングルが取り入れられた画期的な映像作品で、ハリソン・フォード、シュワルツネッガーといったアクション俳優も真っ青になりそうな視覚的スペクタルを体現した。これは、大げさに言い換えれば、「メタル・ミュージカル」というクイーンのロックオペラに次ぐ新ジャンルを完成させてみせたというわけである。

この映像作品を見るかぎりで、よく分かるのは、マイケル・ケイマンがメタリカと共に作り上げたかったのは、単なる音楽のショーではなかった。おそらくそれは、クラシックとロックの橋渡し、そして、新たなアクション立体映像とメタル音楽との融合であり、これまで存在しえなかったエンターテインメントの表現方法を、ケイマンはメタリカの四人と作り上げるべく試みていたのである。

こうして、後の素晴らしい演奏力を誇るようになったからこそ、こんなことをあえていわせてもらうのだが、デビュー当時、ロンドンのマーキーの公演において、チューニングが全然合わない狂った音で演奏していた”最もチューニングを気にしない”メタリカは、デビューから約16年を経て、”最もチューニングを気にする”由緒あるサウンフランシスコ交響楽団と共演するまでに至ったというわけなのである。これは、俯瞰してみると、ちょっとしたユニークな逸話のように思える。もちろん、実際の作品を聞いていただければ理解してもらえるはずだが、この伝説的公演でのメタリカのチューニングは完璧に整っているのだ!!!! 

この1999年から二十年後の2019年、メタリカは再び「S&M2」において、サンフランシスコに新たに開いたアリーナのこけら落としの公演において、このメタリカとサンフランシスコ交響楽団は見事な再演を果たし、大きな話題を呼んだ。この頃、既にマイケル・ケイメンは二千年代の初めに心臓発作で亡くなっているため、残念ながら、一度目の「S&M」での公演のように、サンフランシスコ交響楽団のオーケストラの指揮者として、再度メタリカとライブステージにおいて共演を果たす悲願は叶わなかった。しかし、この四万人以上を動員したライブパフォーマンスは、映像作品としてプロモーションされ、新宿ピカデリーでも上映された作品である。

   

9.メタリカが見た未来のヘヴィ・ロック

 

メタリカはここでついにメタル音楽の最高峰に上り詰めた。しかし、二千年代に入っても彼らの勢いは衰えることはなかった。


ベーシストの再度変更を試みた後の2003年の作品「St.Anger」では、アメリカン・ロックと最初期のスラッシュメタルを融合したパワフルなサウンドに回帰し、さらに新境地を開拓する。最初にはじまったメタリカ流フロンティア精神は、ここでも引き継がれている。この作品は、日本のオリコンチャートでも初登場一位の偉業を果たす。メタリカはついに、メタル音楽を欧米圏だけでなく、日本まで普及させ、ここでも覇権を取り、アジア圏の音楽市場でも不動の地位を築き上げた。 

  

 

  

そして、一応、申し添えておくなら、エアロスミスのようなハードロック勢ならいざしらず、これはヘヴィ・メタルバンドとしては信じがたい快挙である。また、この作品のプロモーションビデオでは、実際の囚人をエキストラとして登場させている。つまり、ここでの「セイント・アンガー」とは、囚人たちの怒りを彼らメタリカが代わりに背に負い、ヘヴィロックとして体現させている。

また、その後も、メタリカのフロンティア精神は、ほとんど無尽蔵ともいうべき強大なエネルギーによって支えられ、全く衰えの兆しを見せなかった。

世界規模のツアーを毎年敢行する傍ら、レコーディング制作も精力的にこなしていき、その傍ら、「Some Kind of Monster」2004「Death Magnetic」2008の二作のスタジオ・アルバムをリリース。そして、この二千年代の最もメタリカの注目するべき作品が、アメリカのシンガーソングライターのカリスマ、ルー・リードとの共作「Lulu 」である。これは、マイルスの名作「Tutu」にかけた作品と思われるが、ここで、メタリカの面々は、ルー・リードの最後の創作性を巧みに引き出すことに成功したのだった。そして、プロフィール写真を見ても分かる通り、ルー・リードは、メタリカの五番目のメンバーというような雰囲気があって感慨深い。 

 

 

 

この作品「Lulu」で、ルー・リードは自身の素晴らしい才覚が全然衰えを見せていないことを証明してみせた。それから、メタリカは、このアメリカのロックの伝説、晩年のルー・リードをメタリカ自身の公演にゲストとして招聘、ルーの名曲「Sweet Jane」を共演する。観客のどよめくようなルー・コール、微笑ましくルー・リードを招き入れるメタリカの四人衆。それから、ルーの演奏をサポートするメタリカの面々。メタリカは、このNYの伝説的なミュージシャンを紹介する際、「ルー・リードという存在がなければ、メタリカも存在しえなかったのだ」と語る。

ここで、往年のロックスター、そして、現代のロックスターのキャラクター性が見事な融合を果たした。「スイート・ジェーン」をメタリカのフロントマンとして演奏するルー・リード。これが最後の公の演奏になったのではなかったろうか? ここで、メタリカはついにルー・リードと協力し、ディランの先にある「フォーク・メタル」を完成させる。この例から見ても分かる通り、メタリカという存在は古くからのすべてのインディーミュージックを咀嚼した上で、それをクールにヘヴィ・メタル音楽として再現させた。彼らはまさにアメリカンドリームの体現者であったのだ。

それは、ファンとしての贔屓目に言ってみれば、メタルの伝道師というように喩えられるかもしれない。それは彼らがこれまでの作品において、多くキリスト教の概念を楽曲のストーリーの中に込めてきたからでもある。なおかつ、もうひとつ、この四人の男たちが最も神から愛されたロックミュージシャンだからでもある。これまでのメタリカが、四十年近いキャリアを全力で駆け抜けてこられた、そして、もちろん、これからも同じである要因を探るとするなら、それは、「最初の自分たちの好きな音を演奏する」という動機が今なお継続されているからだろう。

 

実に、子供のような無邪気さを惜しげもなく、世界に向けて、エネルギーとして全方位に放出する。

これがひとえに、ロックの神様にメタリカがこれまで愛されてきた理由であったのだ。そして、すべての教えの神様と同じように、メタリカもまた、けして、人を選ぶことはない。選ぶ方は常に人であって、神は、人を選ばない。つまり、この四人は、天下人から軍人、罪人にいたるまで、全人類にメタルミュージックを介し、大いなる祝福を与えつづけた列聖「セイント・アンガー=怒れる聖人」なのである。

  


さて、最後に、性懲りもなく、最初の話題に戻るとしよう。メタリカの四十年近いキャリアの中で歴代最大の売上を記録した「Metallica」。

通称、ブラック・アルバムのボックスセットが、来る9月11日にリリース予定となっている。輸入盤ではあるものの、あらためて、メタリカファン、いや、メタルファンとして、再注目するべきリイシュー盤である。また、追記として、彼らのボックスセットに対抗するような形で、メガデスが、ライブ・アルバム「Unplugged In Boston」を、ひっそりリリースしている。これはまさに、メタリカとメガデスという一から二に分離した関係が、デビュー時の因縁から始まったように、奇妙なライバル関係を現在まで保ちつづける証左といえよう。

デイヴ・ムスティンは、そもそも、本当に、メタリカを赦しているのか?? それはわからないことだけれども、すくなくとも、この二つのロックバンドの音楽を介しての熾烈なメタル・バトルからは今後も目が離すことが出来ないはずだ。おそらく、このメタリカ、メガデスの間で、常に繰り広げられるWWEのマクマホンも真っ青のメタル・バトルはまだ引き続いている。ああ、そのバトルは、ヘヴィ・メタルという世界一クールなジャンルがこの世に存在しつづけるかぎり、永遠に終わることはないのだ!!

 

 SEPALTURA 「ROOTS」

 セパルトゥアの魅力は、その音楽性の中にブラジルのインディオに対する深い敬意、そして、ただならぬ誇りを持って、その民族的な音を取り入れている点です。こういったバンドは、すでに紙の上の寓話になりつつある、イギリスやアメリカでは容易には出てこない異質な音楽であり、また、郷土にたいする愛着を一身に背負い、傑出したメタル音楽を産み落としたという面では、ジャンルが全然異なりますけれど、古典音楽のバルトーク・ベーラのハンガリー民謡にたいする憧憬にもなぞえられるかもしれません。

 今回ご紹介しますセパルトゥアのアルバム「Roots」は、アメリカの「Roadrunner」からのリリース。 彼等は、それまで「Arise」「Chaos A.D」と、ごく普通のスラッシュ・メタル、デス・メタル、低重音ハードコア・パンク色の感じられる音楽を奏でていましたが、今作「Root」では、さまざまな要素がミクスチャー的に昇華され、アルバム名の通り、ブラジル・インディオの民族性のルーツ色を強く押し出すことにより、唯一無二の屈強なメタルバンドの最高峰へと一挙に上り詰めたといっても過言では有りません。

一曲目の「Root」のイントロの凄まじい予感、それは奥深いジャングルの中の虫の鳴き声の異質な雰囲気を表したSEからはじまって、そして、来るぞ、来るぞと思わせながらの、ドラム缶を殴打するかのような、ハイエンドがコレ以上はないというくらい強調された金属的なタムが印象的なイーゴル・カヴァレラの爆音ドラムからして衝撃の連続。

この楽曲は、およそ、メタル史最高峰の楽曲といっても過言ではなく、その後に警告音のように発せられるギター、そして、ブラジルインディオの祖霊がとり付いたかのようなすごみのある怒りすら感じられる低く唸るようなボーカル、聞こえるすべての音が完璧といえ、これはただのノイジーなメタルミュージックでなく、民族の音楽という言語性を覚悟をもって奏でるという真摯な態度をとって表現されているのがはっきりの伺えます。

「Ratamahatta」では、インディオの呪術的な舞踏のような雰囲気を表していて、まさにミクスチャーロックという表現がふさわしく、先住民の言語、民族打楽器、ターンテーブルのスクラッチ的な手法をまじえてメタルという枠組みには入れるのが惜しいほどの独特な魅力を有しており、ジャズフュージョンの風味であるとか、あるいは独特なインディオの言語の発音がヒップホップのライム的な風味すらをも醸し出しています。

そして、彼等の初期から引き継いできた音楽性の集大成ともいえる「Spit」は、有無をいわさずの名曲。

アルバムの中では唯一、疾走感の感じられる楽曲、重戦車のようにすべての存在をなぎたおしていくかのよう。これはアメリカの爆音ニュースクールハードコアバンド「CONVERGE」に匹敵するほどの力強さと凶暴性を持っています。イントロのギター・チョーキングのキューンというゆらめきからはじまり、その上にガツンと乗ってくる背筋がゾクっとするようなベースの重低音。そして、激しい憤怒すら感じられる低く唸るようなマックス・カヴァレラのボーカル、そして、小気味良いギターの厚みのあるフレーズ、そのすべてがカッコよくて、ほとんど空間を突き刺すように、ゴリゴリと痛快なくらい素早く走り抜けていきます。

ここには聞くものの魂を鼓舞させるほどのパワーがあるのには、ほとんどニヤリとせずにはいられません。

このアルバム「ROOTS」には、ブラジルという土地に入植者として白人が入り込んできて、初めてインディオの独特な音楽に目の当たりにしたときの驚愕のような感慨が宿っており、それがいかほど白人に対して脅威であったのか、それまでの価値観を揺るがすほど独特な魅力を持った文化であったかが、ここにありのままに表現されています。

 インディオにたいする誇りを、ブラジルという国土の入植者である彼らが代わりに背負い、民族性あふれるロックを誇らしげに全世界にむけて発信したこと。これぞまさに、セパルトゥアをワールドワイドな存在とし、アルバム「ROOTS」を永久不変の輝きあふれる伝説的な作品たらしめているのでしょう。