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日本で唯一のプロ・タブラ奏者、U-zhaanさんの魅力について語る

 

 

 

Tablaというのは、インドの伝統楽器で、いくつかの複数の音階を持つ太鼓を組み合わせて両手で鳴らすことにより、メロディアスな音の響きをもたらす特殊なインドの民族打楽器のひとつです。

 

さて、このタブラという民族楽器のプロミュージシャン、日本で最初のプロタブラ奏者といわれるミュージシャンが埼玉県川越出身のU-zhaanさんは、二十代の頃から単身インドに渡り、インド、コルカタで、アニンド・チャタルジー、ザキール・フセインに師事。どうやらタブラというのは演奏法を覚えるのにもかなりの修行が必要であるらしく、習得の難しい楽器といえるかもしれません。

 

彼は、以前から、故ハラカミ・レイとのライブ共演をはじめ、国内で様々なアーティストとの共演を重ねてきました。近年では、2014年、ソロアルバム「Tabla Rock Mountain」、「猫村さんのうた」で、坂本龍一との共同作業、ヒップ・ホップアーティスト、環ROY、鎮座DOPENESSとのコラボを中心に、ミュージシャンとしての活躍の領域を広げつつあるようです。

 

原曲「Energy Flow」を、坂本龍一氏自身のプリペイドピアノの演奏、そして、環ROY、鎮座DOPENESSのヒップホップアーティストによるライム風の歌詞を新たに加え、U-Zhaanのタブラの演奏により新たにアレンジした「エナジー風呂」という、かなりユニークな作品もリリースしています。

 

直近では、蓮沼執太のNHKドラマ「きれいのくに」オリジナルスコアへのゲスト参加であったり、(これも名作です)そして、これまで活動を共にしてきた盟友、環ROY、そして、鎮座DOPENESSとのトリオ編成でのスタジオアルバム「たのしみ」をGolden Harvest Recordingから新作としてリリースし、いよいよ、日本のアーティストとして最盛期を迎えつつあるように思えます。 

 

 

 

 

このタブラという楽器は、他の地域のどの民族楽器類にも属さず、独特の倍音性を持ち、涼し気な音の響きをもたらすのが特徴といえます。

 

これはインドという土地ならではの特殊な楽器の一つといえるかもしれません。とりわけ、ユザーンさんのタブラ演奏の面白い特徴は、独特な打楽器としての味にとどまらず、旋律楽器としての叙情性を併せ持つ。

 

最初、日本にもこんな凄いアーティストがいると純粋に驚いた部分もありました。そして、彼のプロフェッショナルなタブラ演奏は、必ずといっていいほど、ゲスト参加したアーティストの音に他にはない効果、涼しげで、色彩的な質感”をもたらすように思える。それは他のどの楽器にも見つからない、このインドの民族楽器タブラしか持ちえない特性といえるかもしれません。

 

彼は、演奏中も、その音を長年の経験に培われた五感によって聞き分け、繊細なタッチで、そして、目にも止まらぬビートの早さにより、この民族楽器の音の個性を最大限に引き出す。そして、彼の演奏が素晴らしい理由は、共同作業をするアーティストの音楽に、打楽器としての側面、旋律としての側面、双方から、メインアーティストのサウンドを強固に支えている。そして、さらに、この楽器の性質、タブラの豊かな倍音の複雑なコントラストによって、既存の楽曲に異なる色彩を与え、元の空間上に立体的な倍音の空間を新たに生み出すからなのでしょう。

 

 

もちろん、それは、彼の長い確かな経験から来る盤石かつ巧緻な職人気質の演奏によって引き出される精髄だと思われます。

 

とくに、普通のドラムセットとも、電子楽器のドラムマシンとも異なる民族楽器の倍音を活かした独特なサウンドは、コラボするアーティストの音楽性の魅力を最大限に引き出す。そして、また、これまでその楽曲に見えなかった異なるニュアンスを生み出す。つまり、このタブラというのは、打楽器でもあり旋律楽器でもあるという特異な性質を持つ楽器といえるのかもしれません。

 

特に、近年では、タブラの演奏者としての役割だけにとどまらず、作曲作業の一貫として、この「Tabla」を、どのようにコラボするアーティストの楽曲の中に取り入れるかを熟慮している気配も窺えます。

 

 

 

新作アルバム「たのしみ」では、以前、シングルカットとして先行リリースされていたスチャダラパーのカバー「サマージャム’95」を収録。ここで、完成度の高いアレンジメントを完成させています。 

 

このサマージャム’95は、個人的にものすごく好みの曲でもあるし、また、夏の暑い盛りに聴くのに最適な曲ともいえるでしょう。ここで、日本のポップス、クラブ音楽の音の中に新たな風をもたらし、タブラの音によって異なるニュアンス、色彩、そして、涼しげな旋律効果を与えている。

 

これは、彼のタブラの演奏能力の巧みさ、そして、楽器の特性を深く知りつくしてるからこその名人芸だといえそうです。現在、ソロの演奏者をのぞいて、こういったふうに、様々な楽器の中にタブラの音を巧緻にマッチさせることが出来るアーティストは、U-zhaanさん以外考えられないでしょう。

 

 

 

あともうひとつ、少し補足的な話になりますが、U-zhaanさんは、音楽家という表情の裏側に、情熱的なカレー愛好家としての表情を併せ持つことを忘れてはならないでしょう。

 

彼は、インドの本場仕込みのカレーの味をよく知る、熱烈なカレー愛好家としても知られていて、実は、インド、マトン・レトルトカレーの監修をシタール奏者、石濱匡雄氏と共同で行っており、「ベンガルマトンカレー」が絶賛発売中!!。これは、現地ベンガル地方の本場の味を知る人間だからこそ、聞き逃す、いや、いっかな食べ逃すことのできない商品だといえるでしょう。

終わりに、U-zhaanさんのタブラの演奏は、インドの民族楽器の精神性を余すことなく表現しているがゆえに本当に素晴らしいのでしょう。そして、これまでずっと、そうであったように、これからもずっと、彼は、日本でインドの伝統楽器の素晴らしさを伝えてくれるだろうと信じています。

 

 

 

参考

 

U-zhaan Wikipedia

tabla Wikipedia 

 



Kimonosというバンドを簡単に紹介しておくと、今井レオと向井秀徳という日本音楽界きっての鬼才、いわばの理論派と感覚派の2つの個性がしっかりと組み合わさることによってこれまではなかった異質な化学反応が起こり、きわめてハイクオリティーな音楽が生みだされました。
 
向井秀徳は、すでにナンバーガールやザゼン・ボーイズのフロントマンとして、数多くの先鋭的なロック音楽をうみだしてきた実績があり、そして、今井レオの方も、ソロ・プロジェクトやMeta Fiveなどにおいて、ダンスミュージック方面での活躍が目覚ましくなってきています。
 
 
下北沢の通称”Maturiスタジオ”で、綿密に何度もリハーサル、レコーディングがなされたと思われる、このKimonosのデビューアルバム「Soundtrack to Murder」は、彼らの音の煮詰め方がストイックであるためか、きわめて洗練された完成度抜群の音楽が誕生したといって良いでしょう。

とりわけ、アルバム表題曲「Soundtrack To Murder」の出来栄えは文句なしに素晴らしく、向井秀徳の清涼感のある日本語のボーカル。そして、今井レオにしか出しえないネイティブの英語の歌声の響きが掛け合いのように繰り広げられ、洋楽とも邦楽ともいえない独自の匂いを生み出しています。
 
また、どことなくキーボードの旋律とギターのフレーズのプロダクションが、ザ・ポリスを彷彿とさせ、他の海外のバンドが、こぞってポリス的な音楽を生み出そうと躍起になってもなしえなかったことを、彼らはこの楽曲において、ザ・ポリスの領域にまでやすやすと踏み込んでしまっている。しかし、彼らがただのザ・ポリスのフォロワー的な存在に堕しているわけでもありません。
いかにも、向井秀徳らしい時代劇風の世界観がいかんなく発揮されており、辻斬りを彷彿とさせる日本語の歌詞と英語の歌詞が対比的に並んでいます。向井秀徳の歌と今井レオの歌が交互に配置されて、それが独特な風味を生み出している。そこでは、対比という西洋の古典的な美学により、呼応するフレーズが楽曲の中に”男の美学”として生みだされているという気がします。
そして、サビのところで、和風のテイストから、いきなり西洋風のテイストに移行する時、なんともいえない妙味があり、そこには、今井レオの高い声質からくるものか、爽やかな印象すらうけます。
そして、ややもすると退屈になりそうな曲展開が、彼の持ち味のグルーブ感のある歌声が加わることで、非常に複雑な印象を与えもする。つまり、何度聴いても全然飽きのこない良質な楽曲が実に堅固な基盤により築き上げられている。そんなところが、この名曲の持つ独特な魅力だといえるでしょう。

 
アルバムの全体的な印象は、ポップ、ロック、ダンスミュージックを融合したような音楽性です。
さほど目新しさはないように思えるのに、この二人の鬼才の個性によって、いいしれない新しい雰囲気が醸し出されています。楽曲の雰囲気はキャッチーではあるけれども、いたるところに、彼ら二人の音楽フリークらしい仕掛けのようなものが施されていて、そこに聞き手はニヤリとしてしまうところがあります。
 
これは、二人がいかにさまざまな音楽を貪欲に聴いてきたのか、そのバックボーンの深さが、ここではっきりと示されているという気がします。
 
「Almost Human」でほの見える、AOR趣味とも、ジャズ・フュージョン趣味とも、またクラブ・ミュージック趣味とも言えなくもないような、多彩なジャンルの色合いを持った楽曲は、向井秀徳が若い頃から、プリンスなどの影響を受けていながら、これまでその機会に恵まれなかったからか、表立っては作ってこなかったタイプの楽曲といえるでしょう。
 
しかし、”今井レオ”というダンスミュージックを誰よりも理解し、それをさらっとネイティブの発音で歌いこなせる盟友を得たことにより、ここで、初めてそういった聴き応えのある楽曲を生み出すに至った。
これはいわば、これは大人のために用意されたゲキシブ音楽といえ、彼の長年のファンとしても、新鮮に聞こえること間違いなしでしょう。
 
そして、また面白いのは、細野晴臣のカバーの「Sports Man」であり、それほど原曲のスタイルと変わらないように思え、一定の忠実さを以って、また、敬意をはらって今井レオの流暢な英語の発音によってしっかり歌いこまれていて、そこには現代的なテクノの味が醸し出されているところが味わい深い。

Kimonosは、本プロジェクトではないにしても、耳の肥えた西洋人をアッと驚かすような高い洗練度を誇り、深い知見と技術に裏打ちされた勘の良い音を奏でる数少ない日本のアーティストであるとはっきり断言できます。
 
 

レイハラカミ


ハラカミレイの特徴は、他の音楽家とは、根本的に音の作り込みが違うような気がします。普通ならこうは作らないというのをハラカミレイは難なくやってのけてしまう。鍵盤の演奏は上手ではなかったらしいですが、その短所が長所に転じ、実際には演奏しえないユニークな音楽性を形作ったのかもしれません。
 
レイハラカミの音楽性というのは、実際には演奏しえないという点で、独特な魅力に満ち溢れています。彼の楽曲は、一見チープなようでいて、玄人も唸らせてしまうような説得力が込められており、それは空間的な奥行きがあり、いくら聞いても飽きない深みに富んでいる。楽曲の印象自体にも電子音楽なのにもかかわらず、生きた楽器でなされているようなエモーションに富んでいて、どことなく、淡く切ないような色彩が楽曲の雰囲気にちりばめられているように思えてなりません。そしてこのアルバムには、彼自身の温和で柔らかな人柄が滲み出ているように思え、そこが何よりの美点といえましょう。
 
生前にハラカミさんが仰っていましたが、彼が曲の打ち込みに使っていた機材というのも、ROLANDの「SC-88pro」でした。
   
 
俗に、「ハチプロ」といわれるレトロかつシンプルなシンセサイザーを駆使していたところを見ると、作曲というのに最も欠かせないものは、やはり、作り手の創造力なんだろうなという気がします。必ずしも、高い機材とか最新鋭の機材をつかわなければ、良質な音楽を生み出せないというのは思い違いなんだよというのを、ハラカミさんはあらためて作り手に教えてくれます。
 
自分がすでに持っているものを、いかに創意工夫を凝らし、何らかのかたちで表現していくべきなのか”。この問いに対する答えを見出すことが、すべてのアーティストにとって避けられない宿命のようなものかもしれません。
 
彼の活動自体は「Rei Harakami」というプロジェクトにとどまらず、アレンジやリミックスや劇伴音楽の仕事まで及び、多岐に渡ります。
 
有名なところでは、くるりの「バラの花」のリミックス、ナンバーガールの「Sappukei」に収録されている「U-Rei」のリミックスの仕事などが挙げられます。
 
向井さんは、結構、ヒップホップとかにも造形が深く、この曲でロックとは異なるスタイルに挑戦しています。レイハラカミの独特な跳ねるようなリズムの上に、向井秀徳のヒップホップ風のボーカルがいい塩梅にマッチしていて、遊び心に溢れた楽曲となっているので、ハラカミファンにとどまらず、ナンバーガールファンも十分魅力を楽しめるリミックスとなっています。
 
レイハラカミ名義のプロジェクトにおいては、1998年の「Unrest」から、テクノ寄りの音楽性を、デビュー当時から追求してきました。 また、京都という土地柄も、音楽性に少なからず影響を与えているかもしれません。お寺の作庭に満ちているような落ちついた雰囲気が、彼の音楽には感じられて、もしかりに、東京の喧騒の中で作られていたら、こういう音楽性にはならなかったでしょう。
 
彼の紡ぎ出す音楽には、はっきりした個性こそあれど、それほど強い自己主張がなく、常に周囲との穏やかな調和を図っているため、聞き手側のいる雰囲気を重んじ、それを台無しにするようなことはなく、不思議にも、聞き手のいる空間の中に、彼の電子音楽は馴染んでいくんです。
 
彼の四作目となる今作、「Lust」は、レイ・ハラカミが行き着いたひとつの音楽の終着点といえる作品。この”渇望”と銘打たれたアルバムには、彼自身の他の作品には見られなかった音楽家としての「覚悟」が宿っている。
 

rei harakami [Lust] 

  
 
 
 
それまでのキャリアで綿密に築き上げてきた音楽性を、ここでひとつ総決算をするような形で展開していったアルバムであり、世界的な他のダンスミュージック界隈のアーティストと比べても全く引けをとらない、どころか、日本的な独自の電子音楽を完成させたという点において、他の海外のアーティストより秀でていると断言しておきましょう。 
 
表題曲、「lust」の複雑で立体的なリズムは、少し難解な曲でもありますが、イントロのハイハットのディレイから始まる抽象画の如き世界は、それまでのダンスミュージックの可能性を押し広げ、新しいレイ・ハラカミというジャンルを形作ってみせた。
 
ドラムのバス、タムによって、複合的なリズムが立体的に展開されていく中、その上をゆるやかに流れていくシンセリードの麗しい旋律が、楽曲自体の難解さを和らげ、て聞き手のほうにやさしく手をさしのべながら、なんともいえない甘美な世界へといざなってくれるかのようです。
 
そして、このアルバムの象徴的な曲ともいえる細野晴臣のカバー「owari no kisetu」は、原曲に敬意を存分に払い、元の風味をしっかりと活かしつつ、まったく風味の異なる楽曲に変身させたという点で、比するところのない名カバーでしょう。 この曲では、レイハラカミ自身がボーカルをとっていて、彼の歌唱法というのも、どことなく手探であるように思えて、頼りなさげに歌っている感もありますが、そこがむしろ愛くるしいという印象を受けます。
 
アルバムの終わりにかけて、”切なさ侘しさ”という、レイ・ハラカミの独特の持ち味が十分発揮されていき、聞き手はおのずと彼の電子音楽に惹きつけられ、「Approach」から「First Period」にかけては、その印象が一段と強まっていきます。
 
音の印象が薄くなり、リズムの規則性すらも不明瞭となり、音の空間的な意味合いを強めていき、ただ、ひたすら、おだやかな静寂が奥行きをまして拡張されていきますら、いうなれば、そこに広がっているのはモネの抽象画のような世界。
 
その落ち着いた音の空間の中にゆったりと身を預さえすれば、なんとも言えない上質で贅沢な時間を味わいつくせるはず。
 
レイ・ハラカミというアーティストは、誰もが若い頃に体験した、もしくは、体験しえなかった、淡い青春のせつないひとこまのような情感、人生の中で瞬間的ともいえる淡い輝きを、テクノという独特の音で表現してみせてくれました。
 
そして、ハラカミさんの紡ぎ出す電子音楽のきらめきは、必ずといっていいほど、ノスタルジックで静かな風景を聞き手の脳裏に再現させます。
 
他の媒体、文学、絵画、グラフィック等では、上手いように表現しえないであろう淡く切ないセンチメンタリズムを、彼独自の素朴で素敵なやり方。つまり、電子音楽という手法で見事に表してみせたという点において、レイ・ハラカミのような素晴らしいアーティストは空前絶後、世界中のどこを見渡しても存在しなかった、いうなれば、唯一無二の電子音楽家だったのかもしれません。