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・フォークトロニカ、トイトロニカ おとぎ話のような幻想世界 (2024 Edit Version)

mum

フォークトロニカ、トイトロニカ、これらの2つのジャンルは、エレクトロニカのサブジャンルに属し、2000年代にアイスランド、ノルウェーといった北欧を中心として広がりを見せていったジャンルです。  

 

一時期、2010年前後、日本でもコアな音楽ファンがこのジャンルに熱中し、日本国内の音楽ファンの間でも一般的にエレクトロニカという愛称で親しまれたことは記憶に新しい。

 

このジャンルブームの火付け役となったのは、アイスランドの首都レイキャビクのアーティスト、Mum。フォーク、クラシック音楽の要素に加え、電子音楽、中でもグリッチ(ヒスノイズを楽曲の中に意図的に組みいれ、規則的なリズム性を生み出す手法を時代に先んじて取り入れていました。  

 

これはすでにこのエレクトロニカというジャンルが発生する前から存在していたグリッチ、クリック要素の強い音楽性に、本来オーケストラで使われる楽器、ストリングス、ホーンを楽曲のアレンジとして施し、ゲーム音楽、RPGのサウンドトラックのような世界観を生み出し、一世を風靡しました。


この後、このジャンルは、ファミリーコンピューターからMIDI音源を取り込んだ「チップチューン」という独特な電子音楽として細分化されていく。8ビットの他では得られない「ピコピコ」という特異な音響性に海外の電子音楽の領域で活躍するアーティストが、他では得られない魅力を見出した好例です。 

 

フォークトロニカ、トイトロニカという2つの音楽は、つまり、 1990年代から始まったシカゴ音響派、ポスト・ロック音楽ジャンルのクロスオーバーの延長線上に勃興したジャンルといえなくもなく、ポスト・クラシカル、ヒップホップ・ジャズと並び、今でも現代的な性格を持つ音楽のひとつに挙げられます。

 

しかし、このフォークトロニカ、トイトロニカという音楽性の中には、北欧神話的な概念、日本のゲーム会社のRPG制作時の重要な主題となった様々な北欧神話を主題にとった物語性、神話性を、文学性ではなく、音楽という切り口から現代的なニュアンスで表現しようという、北欧アーティストたちの芸術性も少なからず込められていました。

 

もし、このフォークトロニカ、トイトロニカという2つのジャンルの他のクラブ・ミュージックとは異なる特長を見出すとするなら、グリッチのような数学的な拍動を生み出し、シンセサイザーのフレーズを楽曲中で効果的に取り入れ、2000年代以前の電子音楽の歴史を受け継ぎ、ダンスフロアで踊るための音楽ではなく、屋内でまったり聴くために生み出された音楽です。いってみれば、オーケストラの室内楽のような趣きなのです。

 

こういったダンスフロア向けではない、内省的なインストゥルメンタル色の色濃い電子音楽は、穏やかで落ち着いた雰囲気を持ち、北欧の音楽シーンであり、アイスランド、ノルウェー、イギリスのアーティストを中心として発展していったジャンルです。

 

もちろん、ここ、日本にも、トクマルシューゴというアーティストがこのジャンルに属していること、特に、活動最初期はフォークトロニカの影響性が極めて強かったことをご存知の音楽ファンは多いかも知れません。一般的に、この電子音楽ーーフォーク、クラシック、ジャズーーと密に結びついた独特なクロスオーバージャンルは、総じて、エレクトロニックに属するカテゴライズ、IDM(Intelligense Dance Music)という名称で海外のファンの間では親しまれています。

 

2000年代にアイスランドのムームが開拓した幻想的な世界観を表した電子音楽という領域は、以後の2010年代において、北ヨーロッパの電子音楽シーンを中心として、フロアミュージックとは対極に位置するIDMシーンが次第に形づくられていくようになりました。

 

このフォークトロニカ、トイトロニカのムーブメントの流れを受けて、2010年代後半からの現代的な音楽、宅録のポップ・ミュージック「ベッドルーム・ポップ」が、カナダのモントリオール、アメリカのニューヨーク、ノルウェーのオスロを中心に、大衆性の強いポップ/ロック音楽として盛んになっていったのも、以前のこの電子音楽のひそかなムーブメントの流れから分析すると、不思議な話ではなかったかもしれません。

 

 

・エレクトロニカ、フォークトロニカ、トイトロニカのアーティスト、名盤ガイド


  

・Mum

「Finally We Are No One」2002




 

アイスランドの首都レイキャビクにて、ギーザ・アンナ、クリスティン・アンナと双子の姉妹を中心に、1997年に結成されたムーム。 日本でのエレクトロニカブームの立役者ともなった偉大なグループです。 

 

2002年に、ギーザ、2006年にはクリスティンが脱退し、このバンドの主要なキャラクター性が残念ながら失われてしまったが、現在も方向性を変え、独特なムーム節ともいうべき素晴らしい音楽を探求し続けています。

 

ムームの名盤、入門編としては、双子のアンナ姉妹の脱退する以前の作品「Finally We Are Not One」が最適です。

 

ムームの音楽的には、アクの強いグリッチ色が感じられる作品ですが、そこに、この双子のアンナ姉妹のまったりしたヴォーカル、穏やかな性格がマニアックな電子音楽を融合させている。

 

一般的に、アンナ姉妹のヴォーカルというのは、様々な、レビュー、クリティカルにおいてアニメ的と称され、このボーカリストとしての性質が一般的に「お伽噺の世界のよう」と形容される由縁かもしれません。 

 

特に、このムームの音楽性は、北欧神話のような物語性により緻密に構築されており、チップチューンに近いゲームのサントラのような音楽性に奥深さを与える。表面上は、チープさのある音のように思えるものの、その音楽性の内奥には物語性、深みのあるコンセプトが宿っています。

 

実際の土地は異なるものの、ムームの音楽性の中には、スコットランド発祥のケルト音楽「Celtic」に近い伝統性が感じられ、それを明確に往古のアイスランド民謡と直接に結びつけるのは短絡的かもしれませんが、シガー・ロスと同じように、このレイキャビク古来の伝統音楽を現代の新たな象徴として継承しているという印象を受けます。

 

次の作品「Summer Make Good」もエレクトロニカ名作との呼び声高い作品ではあるものの、より、音の整合性、纏まりが感じられるのは、本作「Finally We Are No One」でしょう。  

 

 

 

・Amiina

「Kurr」2007

 


 

アイスランドのレイキャビク出身の室内合奏団、amiina(アミーナ)。電子音楽、IDM性の色濃いムームと比べ、ストリングスの重厚なハーモニーを重視したクラシックの室内楽団に近い上品な性格を持った四人組のグループ。 

 

amiinaの音楽は、インストゥルメンタル性の強い弦楽器のたしかな経験により裏打ちされた演奏力、そして弦楽の重奏が生み出す上質さが最大の魅力。ムームと同じように、「お伽噺のような音楽」「ファンタジックな音楽」とよく批評において表現されるアミナの音楽。

 

しかし、その中にも、新奇性、実験音楽としての強みを失わず、楽曲の中に、テルミンという一般的に使われない楽器を導入することにより、他のアーティストとはことなる独特な音楽を紡ぎ出している。一般的に、名作として名高いのは、2007年の「Kurr」が挙げられます。

 

ここでは、グロッケンシュピールのかわいらしい音色が楽曲の中に取り入れられ、弦楽器の合奏にによるハーモニクスの美麗さに加え、テルミンという手を受信機のようにかざすだけで演奏する珍しい楽器が生み出す、ファンタジー色溢れる作品となっており、ほんわかとした世界観を味わうのに相応しい。

 

アイスランド、レイキャビクのエレクトロ音楽の雰囲気、フォークトロニカという音楽性を掴むのに適したアルバムのひとつとなっています。室内楽とフォーク音楽の融合という点では、個人的には、トクマルシューゴの生み出す音楽的概念に近いものを感じます。  




・Hanne Hukkelberg

「Little Things」2008





Hanne Hukkelberg(ハンネ・ヒュッケルバーグ)は、ノルウェー、コングスベルグ出身のシンガーソングライター。活動中期から存在感のある女性シンガーとして頭角を現し、ノルウェーミュージックシーンでの活躍目覚ましいアーティストです。

 

ハンネ・ヒュッケルバーグの初期の音楽性は、ジャズ音楽からの強い影響を交えた実験音楽で、フォークトロニカ、トイトロニカ寄りのアプローチを図っていることに注目。

 

このあたりは、ハンネ・ヒュッケルバーグはノルウェー音楽アカデミーで体系的な音楽教育を受けながら、学生時代に、ドゥームメタルバンドを組んでいたという実に意外なバイオグラフィーに関係性が見いだされます。

 

クラシック、ジャズ、ロック、メタル音楽、多岐にわたる音楽を吸収したがゆえの間口の広い音楽性をハンネ・ヒュッケルバーグは、これまでのキャリアで生み出しています。

 

特に初期三部作ともいえる「Little things」「Rykestrase 93」「Bloodstone」は、ジャズと電子音楽の融合に近い音楽性を持ち、そこにシンガーソングライターらしいフォーク色が幹事される傑作として挙げられます。

 

サンプリングを駆使し、水の音をパーカッションのように導入したり、クロテイルや、オーボエ、ファゴットを導入したジャズとポップソングの中間に位置づけられるような面白みのある音楽性、加えて文学的な歌詞もこのアーティストの最大の魅力です。

 

特に、上記の初期三部作には、可愛らしい雰囲気を持ったヒュッケルバーグらしいユニークな実験音楽の要素が感じられ、聴いていてもたのしく可笑しみあふれるフォークトロニカきっての傑作として挙げられます。 

 

* アーティスト名のスペルに誤りがありました。訂正とお詫び申し上げます。(2024・2・25)

 


・Silje Nes

 「Ames Room」2007



 

ドイツ、ベルリンを拠点に活動するノルウェー出身のミュージシャン、セリア・ネスは、歌手としてではなく、マルチ楽器奏者として知られています。

 

北欧出身でありながら、世界水準で活動するアーティストと言えるでしょう。イギリスのレーベルFat Cat Recordから2007年に「Ames Room」をリリースしてデビューを飾っています。

 

特に、このデビュー作の「Ames Room」は親しみやすいポップソングを中心に構成されている作品であるとともに、サンプリングの音を楽曲の中に取り入れている前衛性の高いスタジオアルバム。

 

現在のベッドルームポップのような宅音のポップスがこのアーティストの音楽性の最大の魅力でまた、特に、本来は楽器ではない素材、楽器ではなく玩具のような音をサンプリングとして楽曲中に取り入れ、旧いおとぎ話を音楽という側面から再現したかのような幻想的な世界観演出するという面では、ムーム、トクマルシューゴといったアイスランド勢とも共通点が見いだされます。

 

セリア・ネスのデビュー作「Ames Room」は、フォークトロニカ、トイトロニカという一般的に馴染みのないジャンルを定義づけるような傑作。このジャンルを理解するための重要な手立てとなりえるでしょう。

 



・Lars Horntveth

「Pooka」2004 



ノルウェーを拠点に活動する大所帯のジャズバンド、Jaga Jazzistは同地のジャズ・トランペット界の最高峰をアルヴェ・ヘンリクセンと形成する"マシアス・エイク"が在籍していたことで有名です。

 

そして、また、このJaga Jazzistの中心メンバーとして活躍するラーシュ・ホーントヴェットも、またクラリネットのジャズ奏者として評価の高い素晴らしい演奏者として挙げられる。

 

もちろん、ジャガ・ジャジストとしての活動で、電子音楽、あるいは、プログレッシブ要素のあるロック音楽の中にジャズ的な要素をもたらしているのがこの秀逸なクラリネット奏者ですが、ホーントヴェットはソロ作品でも素晴らしい実験音楽をうみだしていることをけして忘れてはいけないでしょう。

 

特に、ラーシュ・ホーントヴェットはマルチプレイヤー、様々な楽器を巧緻にプレイすることで知られており、かれの才気がメイン活動のジャガ・ジャジストより色濃く現れた作品がデビュー作「Pooka」です。

 

このソロ名義でリリースされた作品「Pooka」では、ジャガ・ジャジストを上回るフォーク色の強い前衛的な音楽性が生み出され、そこに、弦楽器が加わり、これまで存在し得なかった前衛音楽が生み出されます。先鋭的なアプローチが図られている一方、全体的な曲調は、牧歌的で温和な雰囲気に彩られています。

 

このノルウェー、オスロが生んだ類まれなるクラリネット奏者、ラーシュ・ホーントヴェットは、クラリネット奏者としても作曲者としても本物の天才と言える。ジャズ、フォーク、プログレッシヴ、電子音楽、多様な音楽の要素を融合させた現代的な音楽性は、同年代の他のアーティストのクリエイティヴィティと比べて秀抜しています。

 

リリース当時としても最新鋭な音楽性であり、この作品の新奇性は未だに失われていません。フォーク、エレクトロニック、そしてクラシックをクロスオーバーした隠れた名作のひとつとして、レコメンドしておきます。 



・Psapp

 「Tiger,My Friend」2004

 


Psapp(サップ)は、カリム・クラスマン、ガリア・ドゥラントからなる英国の実験的エレクトロニカユニットです。 

 

デュオの男女の生み出す実験音楽は、トイトロニカというジャンルを知るのに最適です。この音楽の先駆者として挙げられ、おもちゃの猫を客席に投げ込むユニークなライブパフォーマンスで知られています。

 

サップは、電子音楽をバックボーンとしつつ、子ども用のトランペットを始め、おもちゃの音を楽曲の中に積極的に取り入れると言う面においては、他のエレクトロニカ勢との共通点が少なからず見いだされる。

 

その他、この二人の生み出すサウンドに興味深い特徴があるとするなら、猫や鳥の鳴き声や、シロフォン(木琴)等、ユニークなサンプリング音を用い、様々な楽器を楽曲の中に取り入れていることでしょう。

 

このユニークな発想を持つ二人のミュージシャンの生み出すサウンドは、J.K.ローリングの文学性に大きな影響を与えたジョージ・オーソン・ウェルズの魔法を題材にした児童文学の作品群のような、ファンタジックで独創的な雰囲気によって彩られています。

 

サップの生み出す音楽には、子供のような遊び心、創造性に溢れており、音楽の持つ可能性が込められており、それは生きていくうちに定着した固定観念を振りほどいてくれるかもしれません。

 

二人の生み出す音楽は、音楽の本質のひとつ、音を純粋に演奏し楽しむということを充分に感じさせてくれる素晴らしい作品ばかりです。

 

「トイトロニカ」というジャンルの最初のオリジナル発明品として、2004年にリリースされた「Tigers,My Friend」は今なお燦然とした輝きを放ちつづける。この他にも、ユニークな音楽性が感じられる「The Camel's Back」もエレクトロニカの名盤に挙げられます。

 

 


・Syugo Tokumaru(トクマルシューゴ)

 「EXIT」2007

 

 


Newsweekの表紙を飾り、NHKのテレビ出演、明和電機とのコラボ、また、漫画家”楳図かずお”との「Elevator」のMVにおけるコラボなど、多方面での活躍目覚ましい日本の音楽家トクマルシューゴは、最初は日本でデビューを飾ったアーティストでなく、アメリカ、NYのインディーレーベルからデビューしたミュージシャンである。

 

アメリカ旅行後、音楽制作をはじめたトクマルさんは、最初の作品「Night Piece」を”Music Related”からリリースし、ローリング・ストーンやWire誌、そしてPitchforkで、この作品が大絶賛を受けたというエピソードがある。

 

トクマルシューゴの音楽性は、フォーク、ジャズ、ポップスを素地とし、実験的にアプローチを図っている。特に、日本で活躍するようになると、ポップス性、楽曲のわかり易さを重視するようになったが、最初期は極めてマニアックな音楽性で、音楽の実験とも呼ぶべきチャレンジ精神あふれる楽曲を生み出す。

 

ピアニカ、おもちゃの音、世界中から珍しい楽器を集め、それを独特な「トクマル節」と称するべき、往時の日本ポップス、そしてアメリカンフォークをかけ合わせた新鮮味あふれる音楽性に落とし込んでいくという側面においては、唯一無比の音楽家といえる。上記の英国のサップと同じ年代に、「トイトロニカ」としての元祖としてデビューしたのもあながち偶然とはいえない。

 

デビュー作「Night Piece」、二作目「L.S.T」では、サイケデリックフォークに近いアプローチを図り、この頃、既に海外の慧眼を持つ音楽評論家たちを唸らせたトクマルシューゴは、三作目「EXIT」において新境地を見出している。フォークトロニカ、トイトロニカの先に見える「Toy-Pop」、「Toy-Folk」と称するべき世界ではじめて独自のジャンルを生み出すに至った。

 

三作目のスタジオアルバム「EXIT」に収録されている楽曲、「Parachute」「Rum Hee」は、その後の「Color」「Lift」と共に、トクマルシューゴのキャリアの中での最高の一曲といえる。実際、「ラジオスターの悲劇」のカバーもしていることからも、Bugglesにも比するユニークなポップセンスを持ち合わせた世界水準の偉大なミュージシャン。今後の活躍にも注目したい、日本が誇る素晴らしいアーティストです。



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アンビエントを形作る基本概念とは? 


既によく知られている通り、アンビエント音楽の出発は、ブライアン・イーノが怪我をして入院中に、友人が病室に持ってきてくれた壊れたハープのレコードをかけた瞬間にもたらされた。音楽を介しての崇高な啓示という言葉が相応しいのかどうかはわかりませんが、傑出した音楽家には人生のある分岐点において、何らかの音楽を介しての悟りのようなものがもたらされるのが常です。


この後、ブライアン・イーノは既に「Discreet Music」で、その音の萌芽は充分見られるものの、Ambientシリーズという傑作を1978年から1982年にかけて発表、アンビエントという概念を広めていくわけです。


現代では、アンビエント=環境音楽という概念は広義において使用されることが常であり、アシッド・ハウス系のアーティストの音楽にも、このカテゴライズが与えられ、リズム性が希薄なクラブ・ミュージックのアーティストにも適用されるようになりました。厳密に言えば、両者の音楽はリスニングに特化した音楽と、工学的な機能を持つ音楽に分類されるのは事実ですが、広義の意味でのアンビエントという概念として今回は言及させていただきます。


しかし、基本的に、このアンビエント音楽の本義は「主役を引きたてるため」にある存在する音楽であり、例えば、演劇でいうところの舞台の書き割りであるとか舞台照明のような主役の舞台上での演技を引き立てるような役割を果たすものです。


それが、後のWindows98の起動音、横断歩道を渡る際の機械音楽、駅のホームで流れている環境音楽という概念に引き継がれていく。これらの音楽は、その場に交通する多くの人が主役であり、起動音、横断歩道の短い音楽、駅で流れている音楽は、常に脇役であり主役ではありえないわけです。  


もちろん、これらの環境音楽の作曲者も自分の作製した音楽を聞き手の空間に際立たせようと作曲するのでなく、その場の空気を尊重して短いBGMを作製しているのが常です。

 

これは、初期の任天堂等のゲーム音楽においても同じ。つまり、アンビエント音楽の真髄は、演劇の舞台背景のような機能を果たす音楽=BGM(バッググランドミュージック)であり、演奏者のいる空間性を重視するのではなく、聞き手のいる空間性を重視し、それを尊重する音楽であると言えかもしれません。


ですから、近代フランスの酒場で、ショパンを客前で好んで演奏していたエリック・サティが一般にアンビエントの元祖としてみなされるわけです。エリック・サティは客のおしゃべりの引き立てとしてショパンを弾いていたわけです。


しかし、これは、近年、このアンビエントという語があまりに広い範囲で使われるようになったため、見えづらくなった本義といえる。

 

そのため、実を言うと、エイフェックス・ツインの初期作品はアンビエントに該当するものの、ティム・ヘッカーはドローンであるものの、本流に属さないオルタネイティヴなアンビエントと言っておきたいのです。


元々、ブライアン・イーノは、最初期の作品をアナログシンセサイザーを用い、「空間の広がり=アンビエンス」を発生させていましたが、多分、イーノが表現しようとしていたものは音というよりも概念に近かったろうと思われます。


おそらく彼にとって病室で身動きがままならなかった際に聴いた壊れたハープのレコードの音楽は疲弊した精神に潤いを与えるものであったろうし、その音楽的啓示が与えられた「祝福された瞬間」を再現しようと試みようとしたことが「Ambient」シリーズ、「Apollo」「The Pearl」という名作群の誕生に繋がった。これらの作品においてイーノが表現したかったもの、おそらくそれは、病室でいたんだ肉体、そして、疲れた精神を癒す、ハートがじんわりする音楽です。


昨今、このアンビエント音楽が多くの人に求められるようになったのはひとつ理由があり、現代の人々がより温かな癒やしを求めているからなのかもしれません。


常に、日常の中にまみれる喧騒、常に、毎日のようにもたらされる無数の情報、常に、何かに忙殺される時間、常に、劇的に移ろい変わり、混沌としつつある世の中の状況、常に、 おびただしくもたらされる無数の刺激の数々。

 

実は、21世紀に入るまでに、我々、現代人は、これらの自分では抱えきれないものを所有していることに辟易としており、自分は既に生涯における充分なものを既に所有しているのに、外側から常に何かが供給されているため、コレ以上は何も要らないと思う「本心」を常に覆い隠し生きねばなない。


世の中で重要だとされている出来事、多くの人が重要という出来事の殆どが我々にとって不必要でとるにたらぬもの。そして、本当に重要な出来事が見えにくくなっていることことに気が付かねばなりません。


現代社会において、人間にとってもっとも必要なものが何なのか。明言しませんが、現代社会を生き得る人たちが見失ってしまったように思える「何か」を探すきっかけを、アンビエント音楽、アーティストの名盤は、音という言語よりも高らかな啓示により授けてくれるかもしれません。


ここでは、定番の作品から風変わりな作品まで、様々な側面からアンビエントをご紹介致します。是非、以下、リストアップする作品の中から貴方にとってピッタリな癒やしの音楽を探してみて下さい。

   



アンビエントの名盤ガイド


 

・Brian Eno

 

「Ambient1 Music For Airport」1978

 



アンビエントという概念は全てこの作品「Ambient 1 Music For Airport」から出発したというべきでしょう。 

 
「人を落ち着かせ、考える空間を作り出そう」
 

ブライアン・イーノは、ドイツのケルン・ボン空港で暇を潰していた時、この伝説的な環境音楽の着想を思いついたようです。
 
 
ジャケットワークのデザインもまたブライアン・イーノ自身が手掛けたこの作品は、アンビエントの祖でもあり、ミニマルミュージックの究極系。異なるテープレコーダーを介して録音したシンセサイザーの音色を同期し、さらにその音色をランダムに変えることにより生み出されています。
 
 
アコースティック・ピアノのシンプルな音色は、洗練された空港内の空間、そして無数の人々がいる会話をする空間という本来、2つの分離した空間を音楽によって合一させる効果を持っています。会話をするのにも邪魔にならず、空港のロビーの広々とした空間というものの静かに馴染む音楽が前半部。 
 
 
一方、後半部では、パッヘルバルのカノンをサンプリング的に処理、テンポ、ピッチを変更した楽曲。どちらも、イーノの考案した人を落ち着かせるというコンセプトに沿った音楽と言えます。実際に「Music For Airport」は、NYのラガーディア空港で環境音楽として使用されていました。 
 
 
 

 

「Plateux Of Mirror」1978

 



 

アンビエント音楽の感じを何となく掴むためには、このブライアン・イーノ、そして故ハロルド・バッドの共作が最適と言えます。


ジョン・ケージが考案したピアノの本来ディケイするはずの音を極限まで伸ばす手法を、さらに、ここで、イーノは「Above Chiangmai」という世紀の傑作において自身のサウンドエンジニアとしての手腕により見事に実現してみせました。

 

加えて、ハロルド・バッドのピアノ演奏というのも、徹底的に聞き手のいる空間を重視した家具の音楽としての概念を両者の音楽家はアンビエントという新たな形に昇華させてみせています。 

 

ロキシー・ミュージックのキーボード奏者として活動したのち、事故による負傷、その病室で壊れたハープのレコードを聴いたときに、ブライアン・イーノが体感した一種の音楽的な啓示がここで音によって体現されています。

 

それは、アンビエンスー空間に既に満ちている音をピアノの演奏、アナログシンセを駆使して奥行きのある空間を生み出すことにより体現されています。

 

また、忘れてはならないのは、ここでは、他では得難い癒やしが込められ、傷ついた魂、精神を癒やす効果も込められている特異な音楽。心が疲れているときに聴く音楽として、オススメしておきたいところです。  


 

 

「Apollo Atmospheres and Soundtracks 」 1983

 



 

もうひとつ、ブライアン・イーノがアンビエント音楽という得難い概念を明確に定義づけたのが伝説的な作品「Apollo(Ascent)」。

ここで得られる音楽的な体験は神秘的ともいえ、これまでにはないような異質な感慨を与えてくれるでしょう。

 

特にアンビエントの歴史からみても屈指の名曲「An Ending」では、地球を離れた宇宙に普遍的に満ちている空間、音、そこに満ちている概念を克明にアンビエンスにより捉えてみせています。この宇宙的な音を表現するスタイルは、その後のアンビエントの重要なファクターとして引き継がれていきます。

 

またその他の楽曲においても、ブライアン・イーノは電子音楽としての新たな実験性に挑んだ作品が多く収録されており、この次の世代に繋がっていくアンビエントの基礎を生み出した。

 

その後、生み出されるアンビエントの多くの作品の重要なインスピレーションの源泉となった伝説的な作品です。  

 


・Jon Hassell 

 

 

「Vernal Equinox」1977(original)  2020(remastered)

 


 

1978年にイーノがアンビエントという概念を生み出す以前に実はアンビエントの本流に当たる音楽を既に生み出していた人物、それが2021年6月下旬に亡くなられたジョン・ハッセルという伝説的な名トランペット奏者です。

 

ジョン・ハッセルはダブ音楽に代表されるようなトランペットの録音をダビング、サンプリングにより、新たな手法のジャズ音楽を追求した音楽家でもあります。

 

特に、この1977年の作品「Vernal Equinox」は、クロスオーバージャズの先駆的作品としてもよく知られていて、また、アンビエントをモダンジャズ的手法で体現した最初の作品でもある。

 

このスタジオ・アルバムには、モダンジャズ、ダブ、民族音楽(インドネシアのガムラン)、電子音楽と、様々な前衛的な音楽のアプローチが見受けられます。四曲目の「Blues Nite」には後のドローンアンビエントのも通じる音楽をハッセルは1977年において生み出していることに驚く。

 

非常にエクスペリメンタル色の強い作品ではありますが、アンビエント音楽の歴史を線として捉えた場合には、この作品を度外視することは難しいでしょう。 

 

 

・Harold Budd

 

 

「Avalon Sutra」2005

 



 

1978年の共作において、アンビエントという概念を提言したのち、バッドはピアノ音楽としてのアンビエントを追求していくようになる。 

 

その一つの音楽としての探求が逸早く明瞭な形となったのがデイヴィッド・シルヴィアンをゲストとして迎え入れた「Avalon Sutra」。

 

ここではハロルド・バッドの生み出す音楽の重要な鍵となる癒やしの効果が作品全体に漂っている。ひたすら穏やかで、甘美で、心温まるようなピアノ音楽がここでは味わえます。サウンド面でも革新的な処理がなされており、シンセ音楽とクラシカル,ジャズと、3つのジャンルのクロスオーバーに取りくんだ画期的な作品です。 

 

シンセサイザーのシークエンスとの融合、広い空間処理により、さながら天井の高い石造りの教会の中で音が響くような独特のピアノの音色を生み出しています。このピアノ作品は、のちのアンビエントの派生ジャンルの一、ピアノ・アビエントの重要なルーツとなった傑作。

 

もちろん、アンビエントだけではなく、弦楽器、金管楽器、木管楽器との合奏と言う面で、ポスト・クラシカル、クラシカルクロスオーバーの先駆的作品と称すべきなのかもしれません。

   

 

 

「After The Night Falls」2007

 

 


 

ブライアン・イーノの提唱した最初のアンビエント作品「Ambient」の共同制作者として知られるハロルド・バッド。

 

その後、バッドはソロ活動において、ピアノ演奏を介して彼にしか生みだしえないアンビエント音楽、音の空間性を音楽的な探求者として独自に追求していくようになります。 

 

バッドの長年の音楽的な探求の集大成を形作ったといえる作品が「After The Night Falls」。ここではアンビエント音楽の理想形が追求され、それがピアノ音楽によって見事に昇華されています。

 

この作品において際限なくひろがっていく心地よい空間、癒やし、穏やかさ、温和さ、といった感覚が慎ましやかな音楽性により彩られています。バッドの音楽で体感できる思索的な感覚は他の音楽では得難いもので、ここに、ハロルド・バッドの奥ゆかしい人格が滲み出ています。

 

ブライアン・イーノとの共作「Ambient」の延長線上にあるアンビエント音楽のひとつの頂点と言えるでしょう。



 


・William Basinsky 

 

 

「The Disintegration Loops」original 2002  Remastered 2014

 

 

 


ウィリアム・バシンスキーは既にアメリカのアンビエント界きっての重鎮と称してもおかしくはない存在。

 

元々はテキサス大学でジャズのサックスを体系的に学んだ後にイーノ、ギャヴィン・ブライヤーズといった音楽家に影響を受け、アンビエント制作を行うようになる。

 

バシンスキーのアンビエント音楽作製において革新的な技法をもたらし、ダンスフロアのDJのように、元あるサンプルネタを引用(たとえば、ラジオ放送でかかっているクラシック音楽)し、それをテープの切り貼りしていき、ターンテーブルのスクラッチのような手法を駆使することにより、ぶつ切りのホワイトノイズを発生させ、サンプリングネタの原型をとどめないような斬新で複雑怪奇な作品を生み出すのがバシンスキーの作曲の特徴。

 

一つの短いシンプルなフレーズを入念にトラック上で複合的に組み合わせ、それを徐々に重層的なヴァリエーションとして変形させていくという点では、ライヒのようなミニマル音楽の要素も多分に持ち合わせています。 

 

バシンスキーのDJ的手法がひとつの完成形を成したのが2002から2003年にかけて発表された「The Disintegration Loops」。

 

ここでは、わずか数秒楽節がLPレコードを再生する際に生ずるノイズのブツッという音をフレーズの合間に挟み、永遠と同じフレーズが繰り返される音楽。しかし、最終盤では、完全に元の原型が破壊され、ノイズだけが鳴りひびく摩訶不可思議なアヴァンギャルド音楽に様変わり。

 

ドローン・アンビエントとニュアンスが異なる「アンビエント・ノイズ」というこれまでに存在しえなかった新しいジャンルを生み出したモンスターアルバム、ウィリアム・バシンスキーの最高傑作の一つ。    


アーティスト名に誤りがありました。訂正とお詫び申し上げます。(2023年9月5日)

 

 

「92982」2009

 



 

元は故郷テキサスでアンビエント制作を行っていたウィリアム・バシンスキーは、その後、ニューヨークに移住し、映像と音楽を融合させた独特な活動を行う。

 

最初期は明らかにイーノやブライヤーズを意識した音楽を作曲していたバシンスキーではありますが、徐々にニューヨークに移住した影響はあってか、SF的というべきか宇宙的な広大なスケールを持つアンビエント制作を行うようになっていきます。

 

そして、どことなくバシンスキーの作品では彼らしくない作風ともいえるのが2009年発表の「92983」。

 

ここでは最初期からの特徴である変奏方式を導入しているバシンスキーではありますが、どことなくNYの街に満ちている生活の風景、人々の雑踏や哀愁をアンビエントとして叙情的に切り取ってみせた作品。

 

他の作品とは異なり、目の前の日常的な空間性を表現したバシンスキーの異色のスタジオアルバム。

 

この作品からさらにバシンスキーはSF的なアンビエントの作風に取りくんでその最終形となったのが2019年にリリースされた「On  Time Out Of Time」この作品も併せてオススメします。    



・Aphex Twin 

 

 

「Selected Ambient Works 85-92」1992

 

 


 

実験音楽としてのアンビエントではなく、クラブ・ミュージックや、デトロイト中心に盛んだったテクノ、アシッド・ハウスの影響をドラムンベースと融合し、ドリルンベースというこれまでになかったジャンルを生み出したことでも知られているエイフェックス・ツイン(リチャード・D・ジェイムス)。

 

既にスクエアプッシャーと共に、ワープ・レコードの看板アーティストといえるリチャード・D.ジェイムスは、クラブミュージック以外にも、ジョン・ケージをはじめとする現代音楽や実験音楽に色濃く影響を受けている実験的なグラブ音楽を生み出すアーティストです。 

 

エイフェックス・ツインとして、ソロ活動を始める以前の宅録時代の未発表作品を収録した「Selected Ambient Works 85-92」はエイフェックスの最良の名盤。ここには実験的なクラブミュージックの宅録の名曲に加え、テクノ、アシッド・ハウスからみたアンビエント音楽ともいえる楽曲が「Xtal」を中心に見られます。

 

クラブミュージック界にアンビエントの概念を持ち込み、その後のクラブ・ミュージックのシーンを導いた重要な作品です。   



 ・Gas

 

 

 「Pop」2000

 

 
 
GASは、ジャーマン・テクノ・シーンを1990年代に率いていたウルフガング・フォイトによる電子音楽プロジェクト。ミニマル・テクノを最初にドイツのクラブシーンに導入したオリジネーターです。
 
 
GASの電子音楽は、ハウス、テクノ、アンビエントといった3つのジャンルを自由に行き来するような作風であり、ドローン、ゴアトランスにも近い質感のあるフロアで踊るための音楽も数多くリリースしています。  
 
 
特に、アンビエントの名盤としてあげたいのが、2000年発表の「Pop」でしょう。
 
 
テクノ音楽からみたアンビエントと称するべきダンスフロア向けの独特な作風を生み出しています。
 
 
他のアンビエントアーティストに比べ、フロアで踊るための縦ノリの音楽は、まさにウルフガング・フォイトのお家芸というべき。テクノ音楽もグルーブ感を追求し、コアな電子音楽を生み出そうすると、徐々にリズム性が希薄になり、最終的には、テクノ、ハウスとは対極にあるアシッド・ハウスに近い独特なアンビエントに行き着くということが理解出来ます。   



・Dead Texan 

 

 

「Aegina  Airlines」2004

 



 

既に、アルバム・レビューの方で一度取り上げている作品「Aegina Airlines」ですが、良い作品なので、再びここで取り上げておきたいと思います。

 

2000年代以降の密かなアンビエントムーブメントをさきがけて発表されたこの作品は後にStars Of The lidを結成し、アメリカのアンビエントシーンで著名な存在となるアダム・ウィリツィー。そして、後に実験音楽、アンビエントのソロアーティストとして活躍するクリスティーナ・ヴァンゾーのツインプロジェクト。

 

後に、スターズ・オブ・ザ・リッドのメンバーとしてアンビエントの名物的な存在となるアダム・ウィリツィー、その後、映像作家から音楽家に転向を果たし、アンビエントの傑作を数多くリリースしているクリスティーナ・ヴァンゾーの音楽家としての活動を始める契機となった「幻の傑作」。

 

一般的にはあまり知られていない作品ですが、ブライアン・イーノの「Music For Film」にも比する甘美なピアノのフレーズ、シンセサイザーのシークエンスが絶妙に融合を果たしている。思わず、美しいと言いたくなる傑作、アンビエント・ファンは必聴の名盤です。 

 



・Biosphere

 

 

「Dropsonde」2006

 



バイオスフェアこと、ゲイル・イエンセンは、ノルウェー/トロムソ出身のアンビエント・アーティスト。ブライアン・イーノやデペッシュ・モードに影響を受けて、1983年に音楽制作をはじめる。 
 
 
元々、イエンセンは、シンセポップユニットとして活動していましたが、後にバイオスフィアとしてソロ活動を開始、電子音楽、アンビエント制作に入る。
 
 
1991年には、デビュー作「Microgravity」を発表、アンビエントテクノの先駆けと称される。1997年発表の「Substrata」は、90年代最高のアンビエント作品と高評価を受けています。
 
 
バイオスフェアのアンビエントは、イーノからの強い影響を感じさせ、存在感の希薄で、どことなく温かみのあるような空気感に包まれている。音というのではなく、心地よい空気感を感じるための音楽。
 
 
「Dropsonde」はモダン・ジャズとアンビエントを図った前衛的なクロスオーバーの作風で、様々なジャンルの音楽が入り乱れながら、イエンセンらしい穏やかな空気感が生み出されている傑作。  
 
 
特に、一曲目の「Dissolving Clouds」はアンビエント屈指の名曲の一つに数えられます。 



・Brian Mcbride

 

 

「When the Detail Lost its Freedom」2005

 



ロスシルにも比する美麗な音像の世界を提供しているブライアン・マクブライド。テキサス州、アーヴィング出身のアンビエント・アーティスト。

 

アダム・ウィリツィーとのユニット、スター・オブ・ザ・リッドのメンバーとしてもよく知られています。 

 

特に、ブライアン・マクブライドの生み出すアンビエントは、電子音楽的なアプローチではあるものの、大いなる自然の恵みを感じさせるような、穏やかで、大いなる手のひらに包み込まれるような作風です。

 

特に、スター・オブ・ザ・リッドの音楽性の全体的な印象を形作っているのはブライアン・マクブライドの方であると思われ、そのあたりの上記のユニットにも似たアンビエントの質感を持っています。

 

特に2005年にリリースされた「When the Detail Losts Its Freedom」はパンフルートのようなシンセサイザーの音色を生かし、ひたすらやさしく、穏やかで、温かなシンセサイザー音楽が立体的な構造として紡がれていく作品。

 

シンセサイザーの織りなす壮大なオーケストラレーション。特に、「Overture」は大いなる自然の息吹を眼前にしたときに感じる、あの奇妙なほどの神々しさを彷彿とさせるアンビエント屈指の美しい名曲です。   



・Rafael Anton Irisarri

 

 

「Daydreaming」2007

 


 

ラファエル・アントン・イリサリは、シアトルを拠点に活動するアンビエント・アーティスト。

 

最初期はポスト・クラシカル寄りのピアノ音楽をフューチャーしたアンビエント音楽に取り組んでいました。 

 

他の電子音楽家に先駆けてドローン音楽を追求し、このジャンルの先駆者のひとりともいえます。

 

アントン・イリッサーリの音楽性には独特な暗鬱さ、そして、ロマンティックさが滲んでおり、それが上品で官能的な美を生み出す。絵画芸術にも近い雰囲気のあるピクチャレスクな趣向性を打ち出し、およそイリサーリ節と称するべき独特なゴシック調の世界観により彩られています。 


ラファエル・アントン・イリサリのアンビエントの名盤は近年のコアでマニアックなドローン作品も捨てがたくはありますが、ポスト・クラシカル寄りのアプローチを図った美麗な印象のあるデビュー作「Daydream」はアンビエントの名盤として挙げられる。暗鬱で静謐なゴシック的な世界観は、深い霧の中を歩くようなおぼろげな雰囲気により彩られてます。

 

特に、一曲目の「Walking Expectations」はアンビエントの屈指の名曲、フィールドレコーディングの手法を取り入れた作品です。

 

深いおぼろげな深い霧の中をひとり歩くような独特な寂寞感が漂う。ここに現れているのは美麗なだけでなく、甘美な音楽の追求者として荒野を切り開くイリサリの姿。その後のアンビエントドローン音楽の流行の予言となった一枚。  


   

・Fennesz & Ryuichi Sakamoto

 

 

 「cendre」 2007



 

オーストリアのエレクトリック・ギターでアンビエント世界を追求するクリスティアン・フェネス。

 

そして、近年ゴルトムントを始め、若手の電子音楽家と共同作業を行ってきたご存知、元YMOの坂本龍一の両者の才覚が十二分に発揮されたピアノアンビエントの最高峰とも言える作品が「Cendre」。

 

ここではフィールドレコーディングのサンプリングを用いた独特なアンビエンスの中に坂本龍一らしい繊細なビアノの旋律が絶妙に溶け込んでいる。

 

坂本龍一の作品の中でも日本的な感性が色濃く感じられる作品。西欧の電子音楽の最先端と日本の現代音楽の純粋な合体はきわめて完成度の高い非の打ち所がない作品。

 

このスタジオ・アルバム収録の「haru」は特に、坂本龍一のピアノ作品として間違いなく最高傑作の一つ。

 

メシアンをはじめとするフランス近代和声を下地にした和音構成、繊細でわびさびのきいた叙情性、そして、”やさしみ”にあふれる感性こそが坂本音楽の真骨頂と言えるでしょう。フェネス、サカモトという抜群の相性を持つ二人の秀逸な音楽家による最高のコラボレート作品です。     



・Loscil

 

 

「Coast/Range/Arc」2011

 



 

カナダ、ヴァンクーバー出身の電子音楽家、別名、音響彫刻家とも呼ばれるロスシルはスコット・モーガンのソロプロジェクト。

 

1998年からMultiplexというマルチメディア集団のメンバーとして活動。アメリカの電子音楽専門レーベル、クランキーレコードの代表的な存在としてアンビエント界をリードし、アメリカでのアンビエントという音楽、このレーベルの知名度を高めるのに貢献的な役割を果たした重要なアーティスト。

 

既に、イーノやシャルティエ、バシンスキーに並んでアンビエント界の巨匠といっても良いかも知れません。それほどアメリカではアンビエントが盛んでなかった時代から勇猛果敢にこの音楽にスポットライトを当ててきた気骨あるミュージシャンです。 

 

ロスシルは、2001年の「Triple Point」クラブミュージック、実験音楽、そして、アンビエント、ドローンにいたるまで多角的なアプローチを図り、音楽性も幅広いですが、ロスシルの音楽の魅力は粒の精細な音作り、知性的な構成を持った楽曲を生み出すことにかけては名人級です。 

 

特に、ロスシルの名作として名高い「Coast/range/Arc」は、非常に美しいサウンドスケープを思い浮かべられるエモーションに富んだ傑作。

 

ひたすら穏やかな波に揺られるかのような心地よい空気感をシンセサイザーにより表現した名作。ロスシルは、長いアンビエントの道のりの最果てにほのみえるこの世のものと思えない、癒やしに満ち溢れた音像風景を描出する。    



・Tim Hecker 

 

 

「Ravedeath 1972」 2011

 



ティム・ヘッカーは、カナダ、ヴァンクーバー出身の電子音楽家。コンコルディア大学卒業後、カナダ政府で政治アナリストとして活動した後、DJ活動を行い、2001年に「Haunt Me」にて鮮烈なデビューを飾る。 

 

特に、この「Ravedeath 1972」がリリースされた年は、相当なセンセーショナルな影響をミュージック・シーンにもたらしました。

 

基本的には実験色の強い電子音楽家としての表情を持つティムヘッカーですが、この作品はアンビエント・ドローンの最高傑作との呼び声が高い。知性派のアーティストであり、空間内に音がどのように広がっていくか、音響学を一つのアンビエンスとして解釈しようと最初期から取りくんでいたティム・へッカーは、この作品でひとつの頂点を極めてしまった。

 

「Ravedeath 1972」はコンセプト・アルバム色の強い実験音楽にも関わらず、ティム・ヘッカーの名を一躍アンビエント界にとどまらず、一般的な音楽シーンに知らしめた伝説的なスタジオ・アルバム。

 

この年にリリースされた中で最高作品の一つです。未だこの作品の衝撃性というのはおよそ十年が立っても色褪せていない、音楽の未来を変えた独特なアンビエント。2023年に発表された『No Highs』もヘッカーのキャリアの最高峰に位置する作品となる。    



・Eluvium 

 

 

「VirgaⅠ」 2020 




 

Eluviumは、ポートランドを拠点に活動するマシュー・クーパーによる電子音楽のプロジェクト。

 

最初期は、ポスト・クラシカル寄りの美麗なピアノ曲を中心とした「An Accidental Memory In the Case Of Death」を2007年に発表してデビュー。この作品はポスト・クラシカルの隠れた名盤として挙げておきたい。

 

特に、2020年の連作シリーズとしてリリースされている「VirgaⅠ」は、エルヴィムの最高傑作のひとつ。「Viga-Abyss Forms-House Taken Ober」と同じ主題をバリエーションとして変奏させる手法はバシンスキーに通じるものがありますが、エルヴィウムの生み出すアンビエントはひたすら心地よさ、そして、癒やしに重点を置いた作風です。

   

本作において展開されるアンビエントは、他のアーティストに比べると、それほど目新しさはないものの、一方では、アンビエント音楽の真髄を突いている。ひたすら、奥行きのある心地よい空間が広がりを増していく音楽は、古典音楽の未来を形作る電子音楽の華麗な交響曲とでも称するべき。

 

このアルバムは、マシュー・クーパーの飽くなき音楽の探究心から生み出された音楽に対する深い愛の顕現にほかなりません。

 

アンビエント・ドローン寄りの音楽性を追求した次作「Virga Ⅱ」と共に、2020年代のアンビエントの大作と言えそうです。 


 


・Roji Ikeda

 

 

「Ryoji Ikeda EP」 2021

 



 

現在、フランス、パリを拠点に活動する池田亮司は、映像と音楽の劇的な同期を行う前衛音楽家。 

 

テクノ、グリッチやクリックとして有名な電子音楽家です。最初期はオーケストラレーションを配した現代音楽寄りの音楽を生み出していましたが、徐々に先鋭的で実験的な電子音楽を追求する。

 

アルヴァ・ノトとの共同制作者としても知られ、超音波、周波数から音楽を解釈した物理学、及び数学的な観点から精密なアプローチを行うのが池田亮司の音楽の特徴。特に前衛派としての印象の強い池田亮司は最新作においてアンビエントの世界へ踏み入れていきました。 

 

今作で繰り広げられているのは、精妙な音の粒子の質感が如実に感じられるひたすら心地よいアンビエントであり、旧来の池田作品より、比較的聞きやすく、親しみやすい作風となっています。

 

ウィリアム・バシンスキーの近年のアプローチにも近い宇宙的引力を持つ独特な音楽であり、暗闇の中で、音に耳を静かに傾けていると、さながら広い宇宙と対峙するかのような偉大な迫力に満ちた作品。

 

音楽の世界は、ついに、2020年代に入り、未来の電子音楽家たちは、宇宙的な概念を表現する世界に突入したことを告げ知らせる2020年代。いや、2030年代の未来を行くアンビエントの傑作。

 

 

・Laurel Halo 

 

 

『Atlas』2023




ロサンゼルスを拠点に活動するLaurel Halo(ローレル・ヘイロー)のインプリント”Awe”から発売された『Atlas』(Reviewを読む)は、2023年の実験音楽/アンビエントの最高傑作です。

 

アルバムの発売後、NPRのインタビューが行われた他、Washington Postでレビューが掲載されました。米国の実験音楽の歴史を変える画期的な作品と見ても違和感がありません。



2018年頃の「Raw Silk Uncut Wood」の発表の時期には、モダンなエレクトロニックの作風を通じて実験的な音楽を追求してきたローレル・ヘイロー。彼女は、最新作でミュージック・コンクレートの技法を用い、ストリングス、ボーカル、ピアノの録音を通じて刺激的な作風を確立しています。


『Atlas』の音楽的な構想には、イギリスのコントラバス奏者、Gavin Bryers(ギャヴィン・ブライヤーズ)の傑作『The Sinking Of The Titanic』、William Basinskiの傑作群があるかもしれないという印象を抱きました。それは、音響工学の革新性の追求を意味し、モダン・アートの技法であるコラージュの手法を用い、ドローン・ミュージックの範疇にある稀有な音楽構造を生み出すことを意味する。元ある素材を別のものに組み替えるという、ミュージック・コンクレート等の難解な技法を差し置いたとしても、作品全体には、甘いロマンチシズムが魅惑的に漂う。制作時期を見ても、パンデミックの非現実な感覚を前衛音楽の技法を介して表現しようと試みたと考えられます。

 

アルバムの中では、「Last Night Drive」、「Sick Eros」の2曲の出来が際立っている。ドローン・ミュージックやエレクトロニックを始めとする現代音楽の手法を、グスタフ・マーラー、ウェーベルンといった新ウィーン学派の範疇にあるクラシックの管弦楽法に置き換えた手腕には最大限の敬意を表します。もちろん、アルバムの醍醐味は、「Belleville」に見受けられる通り、コクトー・ツインズやブライアン・イーノとのコラボレーションでお馴染みのHarold Budd(ハロルド・バッド)のソロ・ピアノを思わせる柔らかな響きを持つ曲にも求められます。


表向きに前衛性ばかりが際立つアルバムに思えますが、本作の魅力はそれだけにとどまりません。音楽全体に、優しげなエモーションと穏やかなサウンドが漂うのにも注目です。


昨日(12月18日)、ローレル・ヘイローは来日公演を行い、ロンドンのイベンター「Mode」が開催する淀橋教会のレジデンスに出演。ドローン・ミュージックの先駆者、Yoshi Wadaの息子で、彼の共同制作者でもある電子音楽家、Tashi Wadaと共演を果たしました。



Selah Broderick & Peter Broderick 


『Moon in the Monastery』 2024



『Moon in the Monastery』(Reviewを読む)は、彼の母親との共作であり、瞑想的なセラのスポークンワード、フルートの演奏をもとにして、ピーター・ブロデリックがそれらの音楽的な表現と適合させるように、アンビエント風のシークエンスやパーカッション、ピアノ、バイオリンの演奏を巧みに織り交ぜている。アルバムのプロダクションの基幹をなすのは、セラ・ブロデリックの声とフルートの演奏です。


ピーターは、それらを補佐するような形でアンビエント、ミニマル音楽、アフロ・ジャズ、ニュージャズ、エクゾチック・ジャズ、ニューエイジ、民族音楽というようにおどろくほど多種多様な音楽性を散りばめる。それは舞台芸術のようでもあり、暗転した舞台に主役が登場し、その主役の語りとともに、その場を演出する音楽が流れていく。主役は一歩たりとも舞台中央から動くことはありませんが、しかし、まわりを取り巻く音楽によって、着実にその物語は変化し、そして流れていき、別の異なるシーンを呼び覚ます。 


主役は、セラ・ブロデリックの声であり、そして彼女の紡ぐ物語にあることは疑いを入れる余地がないですが、セラのナラティヴな試みは、飽くまで音楽の端緒にすぎず、ピーターはそれらの物語を発展させるプロデューサーのごとき役割を果たしています。


プレスリリースで説明されている通り、セラは、「オレゴンの田舎町の丘に日が沈むある晩、野生の鹿との神秘的な出会い」というシーンを、スポークンワードという形で紡ぐ。声のトーンは一定であり、昂じることもなければ、打ち沈むこともない。ある意味では、語られるものに対して従属的な役割を担いながら、言葉の持つ力によって、一連の物語を淡々と紡ぐ。 


 シャーウッド・アンダソンの『ワインズバーグ・オハイオ』の米国の良き時代への懐古的なロマンチズムなのか、それとも、『ベルリン 天使の詩』で知られるペーター・ハントケの『反復』における旧ユーゴスラビア時代のスロヴェニアの感覚的な回想の手法に基づくスポークンワードなのか。はたまた、アーノルト・シェーンベルクの「グレの歌」の原始的なミュージカルにも似た前衛性なのでしょうか。いずれにしても、それは語られる対象物に関しての多大なる敬意が含まれ、それはまた、自己という得難い存在と相対する様々な現象に対する深い尊崇の念が抱かれていることに気づく。



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 ・パワーポップとはどんなジャンル??

 

今更、パワー・ポップというジャンルについて語るのはいかがなものかという話もあるかもしれませんが、元々、ビートルズやビーチ・ボーイズ、ローリング・ストーンズにしても、普通のロックンロールとは異なる原始的なロックンロールサウンドに甘酸っぱいメロディを散りばめた楽曲というのが見受けられる。

 

中期から後期にかけてアート・ロック色を強めていくビートルズの最初期は、センチメンタルで甘酸っぱいラブソングも多く、最初期のローリング・ストーンズも「アウト・オブ・ザ・タイム」といった楽曲では、センチメンタルなポップス/ロックのアプローチを図っている。


米カルフォルニアのビーチ・ボーイズについては言わずもがな、このバンドの表面的な魅力のひとつパーティーロック、サーフロックというのは分かりやすいバンドキャラクターに過ぎず、実際のビーチボーイズの音楽的な魅力というのは、「All Summer Long」に代表されるようなパワー・ポップ寄りの軽快なバンドサウンドにこそ、彼等の音楽性の真価があるようにおもえてならないのである。


しかし、もちろん、ビーチ・ボーイズどころか、その後のザ・フー、チープ・トリックの時代に入ってもまだ「パワーポップ」なるジャンルは確定していなかった。日本の音楽評論家は一般的に、特にザ・フーのようなモッズシーンの代表格のロックバンドに対して、「ニューウェイヴ世代によるポップでシンプルなロックンロール」と評していたようである。そもそも、このパワー・ポップというジャンルは、1970年代のロンドンパンク、ニューウェイブの時代に登場したロックバンドの一部がニューウェイブ・パンクサウンドとは少しニュアンスの異なる音楽(甘くキャッチーで切ないセンチメンタルだけども一本気のあるプリミティヴな輝きを放つシンプルなロックンロール)を奏でていたため、便宜上、適用されることになったジャンル名なんだそう。


つまり、パワーポップの始まりというのは、音楽が先にあって、評論家がその一つのジャンルに呼称を与えたというわけではないらしく、どちらかといえば、独立したファンジンの編集者によって扇動的に使い始められた言葉であるらしい。パワーポップという言葉が一般的に知られるようになったのは、主に1970年代の終わりから1980年代の始めで、他でもない、ニューヨークのファンジンにおいて、ニューヨークの女性パンクロックバンド、ラナウェイズのプロディーサーを務めていたキム・フォウリーは、彼自身が編纂を務めるファンジン誌「Bomb」78年3月号において、

 

「パンク・ロックは終わった。ニューウェイヴの未来は、パワーポップにある」と、大々的に書いている。

 

なんとももの凄い書きぶりだ。そして、この謳い文句は、いかにも扇動的で、このジャンルの温和でフレンドリーな音楽性とはそぐわないセンセーショナルな宣伝文句のように思える。


それでも、好意的な見方をしてみれば、キム・フォウリーは、パティ・スミス、テレヴィジョン、ラモーンズを始めとするNYパンク、セックス・ピストルズ、クラッシュ、ダムドといったロンドンパンクの後に新たな気風を感じる音楽ジャンルとして、少々、過激な言葉を選び扇動的に紹介する必要があったかもしれない。彼はおそらく、マルコム・マクラーレンがロンドンパンクというシーンを打ち立ててみせたように、プロデューサー、出版人として、このパワーポップシーンをファンジンにおいて大々的に宣伝し、センセーションを生み出したかったのかもしれない。(いわば、かつては、ザ・フーが「マイ・ジェネレーション」の歌詞において扇動的に歌ったように)


しかし、キム・フォウリー氏の狙いは少し外れた。パワー・ポップは、主流の音楽とはならず、あくまで亜流のジャンルとしてインディーロックファンの間で根強い人気を博するにとどまった。

 

つまり、パワー・ポップはチープトリックやその後のウィーザーをのぞいては、ロンドンパンクやニューウェイヴのようなメインカルチャーとはならず、1993年から1997年にかけて発売された「Yellow Pills」、1996年の「The Roots Of Power Pop」、「Shake Some Action」というコンピレーション文化に代表されるように、少なくとも、パワー・ポップは、インディー系統のロックンロールとして、マニア向けの人気を誇るジャンルにとどまったような印象を受けなくもない。


しかし、1990年代に入ると、さりげな〜くパワー・ポップムーヴメントが到来、マシュー・スウィート、ウィーザー、ファンテインズ・オブ・ウェインといったロックバンドが台頭、セールス面でも健闘をみせた。それから、グリーン・デイ、シュガー・カルトをはじめとするポップ・パンクバンドがパワーポップの甘酸っぱいサウンドに再び脚光を当てたことにより、一般的な音楽ファンの興味がこのジャンルに注がれはじめた。それまではアレックス・チルトンをはじめインディーロックアーティストがこのジャンルを広め、「パワー・ポップ・スター」というべき存在がシーンに続々と登場していたが、アレックス・チルトンはインディー・ロック界のスターであり、ややこしい言い方になるが、一般的なロックスターとは言いづらいのである。


つまり、どこまでいっても、このジャンルは、ザ・ナックやチープ・トリックをはじめ、商業的には大成功を収めているものの、メインカルチャーとして認知されたのではなく、ローファイ等と同じように、インディー中のインディー音楽、サブカルチャーの真髄と称するべき音楽とも言える。


だからこそ、マニア心をくすぐられると言うべきか、より探求してみたくなるジャンルなのである。


常に、何らかのフリークというのは、その対象物がわからないものであるほど興味を惹かれるからである。対象物の印象がぼんやりしていればなおさら。しかし、なぜ、パワー・ポップがこれまで、チープトリック、ウィーザーを除いてメインカルチャーとして浸透しなかったのだろうか疑問に思う。


未だこのジャンルについては曖昧模糊としている部分もあり、評論の専門家にしても、明確な言葉で定義づけるのは難しいように思える。そもそも、ビリー・アイドル擁するジェネレーション・Xはロンドンパンクシーンに位置づけられるロックバンドはよく聴いてみると、パワー・ポップの雰囲気もなくはない。そして、ザ・フーについても、最初期の音楽性は明らかに、モッズであるとともに、パワー・ポップを志向している面もある。こんなことを言うのは他でもないピート・タウンゼント自身が「自分たちの演奏しているのは、パワー・ポップである」とまで明言しているからである。


このジャンルは、1970、1980,1990というように年代別の流れとして追うことは出来る。おびただしい数のバンドを列挙していけば、実際、名盤ガイドは書籍としていくつか発行されているが、相当見栄えのするフローチャートが完成するだろう。しかし、このジャンルはときに、ロックであり、パンクであり、メタルであり、さらに、AOR,ニューロマンティック、フォークでもある。

 

さながら様々に七変化する様相を呈しているといえる。しかし、普通であれば、書いていくうち、物事の核心へと迫っていくはずであるのに、書けば書くほど理解しがたい雰囲気のあるジャンル、それがパワー・ポップというジャンルの正体でもある。これは、実際に聴いて、その善し悪しを自分の耳で判断するしかないかもしれない。ある人にとっては「サイテー!」というものが、ある人にとっては「サイコー!」にもなりえる。でも、それこそがこの音楽の素晴らしさではないだろうか?


言い添えておきたいのは、パワー・ポップというのは、リスナーの数だけ答えが用意されている自由性の高いジャンルでもある。


それぞれ異なる考え、聴き方があってしかるべきジャンルだ。そして、良い音楽を、常に自発的に探しもとめるしか、この問いに対する答え、餓えを癒やす方法は見つからない。でも、だからこそ、というべきか、このジャンルの奥深さは、多分、一生涯かけても知り尽くすことは叶わないだろう。言ってみれば、無類の食通のために用意された味わい深いロックンロールなのである。



パワー・ポップの名盤ガイド


今回は、マシュー・スイートをはじめとすつ後の九十年代のパワーポップバンドは取り扱わず、70年代の初期のパワーポップシーンを担ったバンドについて取り上げていきます。パワーポップ関連の名盤を探す手引にしてみて下さい。


1.Rasberries

「Fresh」1972


ラズベリーズは、エリック・カルメンを中心に、ウォリー・ブライトン、デイヴ・スモール、ジム・ボンファウンティによってオハイオ州で結成されたアメリカンロックバンド。ビートルズの初期の音楽性に比するポップセンスを持ち、甘酸っぱいメロディーを散りばめたキャッチーかつセンチメンタルな楽曲で一世を風靡した。原題は「Fresh」なのに、邦題はなぜか「明日を生きよう」となっている。


日本で、アイドルグループとして最初期に売り出された経緯があるようで、実際の音楽性はシンプルでキャッチーではあるものの、ロックンロールとしても芯の太さを持つ。


そのあたりが、最初、レコード会社が彼等をアイドルとして売出そうとしたため、その事が元で、バンドメンバー間で方向性の違いが生じ、74年のリリースを機に、ラズベリーズとしては解散を迎える。しかし、のち、2017年に見事なリユニオンを果たし、ライブ盤「Pop Live」をリリースして、往年の名曲を披露し、ラズベリーズのパワフルなサウンドが未だなお健在であると証明してみせた。


特に、パワーポップの名盤として名高いのが1972年にリリースされた2ndアルバム「Fresh」である。


一曲目にされている「I Wanna Be With You」はシングルとして日本でも大ヒットしたのを記憶されている方も少なくないはず。この楽曲に刻み込まれている爽やかさ、甘酸っぱっさ、青春の雰囲気はいまだなお輝かしさに彩られている。アルバム全体としてはアメリカン・ロック色が強いが、その他にも「Let's Pretend」といったパワーポップの珠玉の名曲ばかりが収録されている。  

                

 

 

2.Badfinger 

「No Dice」1970


 

ビートルズと同じインディー・レーベル、英アップルからデビューを飾り、世界的なロックバンドとして知られるバッド・フィンガー。メンフィスのビッグ・スターと共に、アメリカのインディーロックバンドの先駆けとして見なしても不思議ではない重要なロックバンド。


後の、マライア・キャリー、ニルソンといったアメリカのポップス界の大御所が彼らの名曲「Without You」をカバーしている。しかし、どことなくその代表曲「Without You」に象徴されるように、メンバーの死、金銭における問題というこの世の儚さがこのバンドイメージを悲哀あふれるものにし、ラズベリーズとは異なる影をこのバンドのイメージに落としているような感じもある。以前は、この英、アップルから発売した「No Dice」は入手困難だったそうなのだけれども、後にリマスター版が再発され、現在は入手しやすくなったのはファンとしては嬉しいかぎり。


「No Dice」に収録されている中では、「No Matter What」「Baby Blue」の二曲がパワーポップの先駆的な楽曲といえるかもしれないが、なんと言っても、このスタジオアルバムの醍醐味は「Without You」という名バラードに集約されている。サビの「君なしでは生きられない」というストレートな歌詞、喉を引き絞るようにして紡ぎ出される純粋な叫びというのは痛烈であり、今でもこの楽曲に匹敵するバラードソングというのは存在しない。後のニルソンのカバーヴァージョンも素晴らしい出来であるものの、切なく物憂げでありながら壮大な世界観を持つこのオリジナルヴァージョン「Without You」は、パワーポップの名曲としてだけでなく、アメリカのポップス史に残る偉大な名曲として、後世に語り継がれていってもらいたいと願うばかり。 

 

                     

 

3.The Flaming Groovies 

「Shake Some Action」1976

 


フレイミング・グルーヴィーズは、ロイ・ロニー、シリル・ジョーダンを中心にサンフランシスコで結成されたロックバンド。


上記の二バンドに比べ、商業的な成功には恵まれなかったものの、ガレージロック、パブロックをはじめとする後のインディー・ロックシーンに影響を与えたロックバンド。


初期はMC5に触発されたガレージロックバンドの荒削りなロックの雰囲気を持っているが、特に、ロイ・ロニーVoが脱退し、後任として抜擢されたクリス・ウイルソンが加入した後は、長髪だったメンバーがすべてビートルズ風のマッシュルームカットにし、そして、スーツ姿を着込み、ストーンズ直系のマージー・ビート、バーズ寄りのフォーク・ロックを奏でるようになった。


特に、 フレーミング・グルーヴィー図の通算六作目となる「Shake Some Action」は、後に同名のパワー・ポップコンピレーション「Shake Some Action」がリリースされるほど、パワー・ポップの代名詞的なスタジオ・アルバムとなった。ビートルズやストーンズにいかになりきるかを探求したアメリカンロックバンドで、この米Sireからリリースされたスタジオ・アルバムも大半がカバー曲で占められているが、パワー・ポップというジャンルの意味合いを掴むためには、表題曲「Shake Some Action」を素通りすることは難しい。確かに、コピーバンド、コスプレバンドという指摘もされているロックバンドであって、お世辞にも一般的な知名度は高くはないけれど、パワー・ポップというジャンルを知るためには欠かすことのできない重要な傑作。 


                    

 

 

3.The Rubinoors

「Back To The Drawing Board」1979


1970年代後半、ジョン・ルビノー、トミー・ダンバー、ドン・スピント、ロイス・エイダーらによってカルフォルニア、バークレーで1973年に結成されたルビノーズ。特に、コーラス・グループとしてビーチ・ボーイズに匹敵するほどの美麗なハーモニーを生み出す数奇なロックバンド。特にメーンヴォーカルのジョン・ルビノーの裏声ファルセットは息を飲むような美しさがある。


1977年の1stアルバム「The Rubinoos」の後にリリースされた「Back To The Drawing Board」1979はイギリスでレコーディングされた作品で、デビューアルバムに続いて、弾けるようなフレシュな青春の息吹の感じられるスタジオアルバム。特に二曲目「I Wanna Be your Boyfriend」は永遠のパワー・ポップの名曲といっても過言ではなく、後に、イギリスのファラーがカヴァーし、一躍有名となった。ジョン・ルビノーのリードヴォーカルには混じりけのない純粋さ、そして爽やかさ、さらに跳ねるようなポップス感があり、パワー・ポップとしての三拍子が揃った名曲。


この後に、ルビノーズは、この二作目のアルバム「Back To The Drawing Boardリリース後、エルヴィス・コステロのツアー「アームド・フォーセズ・ツアー」に同行し、世界的なロックバンドとして知られるようになった。1985年には、解散するものの、1999年にリユニオンを果たし、現役のロックバンドであり、長く頑張ってほしい良質なロックバンドのひとつでもある。 

 

 


 

4.Big Star 

「#1 Record」1972


ビッグ・スターはアメリカのインディーロックの大御所、アレックス・チルトンの在籍した伝説的なロックバンドである。


しかし、それほど一般的な知名度に恵まれていないのは、スタジオ・アルバムが三作しかリリースされず短命なバンドに終わったからだろうか。 しかし、特にこのロックバンドは歴代のインディーロックシーンを概観した上で、決して見過ごすことの出来ない最重要バンドでもある。


というか、この人物を出発点として、アメリカのインディーシーンはつくられていった側面もなくはない(かもしれない)。アレックス・チルトンは後にザ・リプレイスメンツの「Tim」に参加したりもしているが、特に後発のアメリカのインディーシーンに与えた影響はきわめて大きいものがある。


ビッグ・スターの音楽性は、インディー・フォークの先駆的な音楽で、どことなく牧歌的な雰囲気を持ち、アレックス・チルトンの甘い歌声からもたらされる甘酸っぱいような青春の息吹が込められている。マニアとしては2ndの「Radio City」も聞き逃す事はできないが、やはり永遠のパワー・ポップの名盤としては1stの「Big Star」を挙げておきたい。


特に、「The Ballad of El Goodo」はバッド・フィンガーの「Without You」に匹敵するほどの背筋がゾクリとするような名曲。きっと聴いていただければ、この一曲に出会えて本当に良かったと思っていただけるはず。他にも、インディー・フォークの名曲「Thirteen」「India Song」なども未だにアルバムジャケットデザインに描かれるスターのように、燦然とした輝きを放ち続けている。       

 

 

5.The Scruffs

「Wanna Meet The Scrauffs」  


ビック・スターと同じメンフィスから登場したスティーヴ・バーンズ率いるスクラフスを外すことは出来ない。


メンフィスのインディーレーベル、パワー・プレイからリリースされたこのデビューアルバムは、当初2500枚しかプレスされなかったというが、何故かパワー・ポップ名盤ガイドには必ずと言っていいほど登場する評論家贔屓の一作である。


初回のプレスが2500枚と、そのレア感もあってのことなのか、まだ学生時代に買ったときも中古レコードショップでは相当な高値がついていて、ディスクユニオンに売りさばいた時にも結構な音で売れた作品だったのだ。


スクラフスは、幻のパワーポップバンドであるらしく、後にコンピレーション作品「D. I. Y American Power Pop 1 Come Out And Play」がリリース、一般的にパワー・ポップというジャンルが知られるようになってからも、スクラフスの知名度だけはちっとも上がらなかったという皮肉じみたエピソードもある。


実際に聞いてみたとき、もう少しだけマニアックかと思いきや、意外にもスタンダードな音楽性だったため、逆に驚かされたというか肩透かしを食らったおぼえがある。それは、例えるなら、最初、ラモーンズがデビュー作が表向きは、相当デンジャラスな印象なのに実際聴いてみたら案外ポップだった!!というあの喜ばしい感じ。


スクラフスの音楽性は、ビートルズ、キンクス直系のブリティッシュ・ビートを少し荒削りにしたロックバンドで、どことなく荒削りなガレージ色もあり。ラズベリースにも似た雰囲気を持つ良質なロックバンドとして知られている。 

 

 

 

6.Cheap Trick

 「In Color」1977


日本武道館の公演の大成功により、おそらく日本ではビートルズに次ぐ人気を誇ったチープ・トリック。ロビン・サンダーとトム・ピーターソンの甘いマスクは、特に女性ファンの人気を獲得するのに一役買った。


しかし、このアイドルバンドとして日本で大きな人気を博してきたチープ・トリックサウンドの影の立役者は、まず、間違いなく、ギタリストのリック・ニールセンの紡ぎ出す職人気質なギターリフ、ドラマーのバン・E・カルロスのシンプルなタムストライク。それから、もうひとつは現在のオルタナティヴロックに通じるような雰囲気を漂わせるポップソングにあるように思えてならない。


そして、数々のオマージュ、ビッグ・ブラックのカバーや、リバティーンズのデビュー作のアートワークのオマージュを見ても、意外にもメインストリームのバンドでありながら、米国や英国のインディー・ロック界にかなり影響を及ぼしているロックバンドであることが分かる。


もちろん、商業的に大成功を収めた作品といえば、”Surrender”が収録されている「Heaven Tonight」、日本公演の熱狂性を音としてパッケージした「At Budokan」が真っ先に思い浮かぶが、パワー・ポップの名盤としては、2ndアルバム「In Color」を挙げておきたいところである。


この作品には「I Want You,You Want Me」。後の彼等のライブレパートリーとなる名曲も魅力だが、「Hello There」「Come On,Come On」といったパワー・ポップの傑作、本格派のクールなアメリカン・ロックの楽曲がずらりと並んでいる。もちろん、ジャケットデザインも◎。

 

 


 

7.Elvis Costello

 「My Aim Is True」1977

 

エルヴィス・コステロは世界的な知名度を持つミュージシャンであり、ロンドンパンクのリアル世代の体験者としても知られるミュージシャンである。


ニューヨークのインディーロックのカリスマ、イギー・ポップとも長きにわたる親交があり、当時のシーンを共に語り合うインタビューも記事として残されている。そこで、イギー・ポップですらこのエルヴィス・コステロには頭が上がらないような雰囲気があり、つまり、ミュージシャンの大御所からも敬愛されるような偉大なミュージシャンだ。


コステロのイメージとしてロックンロール、ポップスミュージシャンとしての印象が強いものの、この最初期に発表された「My aim is True」はロックンロールとしての名作でありながらちょっと甘酸っぱいフレーズ満載のパワー・ポップとしての名作にあげても不思議ではない。


特に名曲「Alisson」の素晴らしさについて、最早なんらかの講釈を交える事自体が無粋というもの。このまったりとしていて、さらに心が温かくなるような曲、聴いていると、自然と心に染みスッと渡るようなハートフルな名曲というのは意外に少ない。難しい事抜きにして、メロディーが心に染み入るのがコステロというアーティストの凄さなのだ。コステロの歴代作品の中でも、一二を争う最良の名スタジオ・アルバムとして、ぜひ聴いてもらいたい。1977年のリリースでありながら、ロックンロールとしても未だに色褪せない輝きを放つ作品である。また、ポップチューンとしても文句のつけどころのない。ロックンロールを最もよく知る数少ないミュージシャンの傑作、個人的にも、何度聴いたかわからない思い入れのあるスタジオ・アルバム。

            

 

参考

power pop selected 500 over title of albums&singles シンコー・ミュージック 監修 渡辺睦夫