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 Christina Vanzou 『No.5』

 

 

 Label: Kranky

 Release: 2022年11月11日


Listen/Stream



Review


 

 ベルギー在住の実験音楽家、クリスティーナ・ヴァンゾーは、インド古典音楽のラーガに触発された前作『Christina Vanzou,Michael Harrison,John Also Benett』において、複数のコラボレーターを見事にディレクションすることにより、殆ど非の打ち所がない傑作を生み出したが、わずか二ヶ月という短いスパンで発表された『No.5』では、前作とはまったく異なる境地を開拓している。


この作品『No.5』は、2011年から発表されている連作の第5作目となるが、クリスティーナ・ヴァンゾー自身は、この曲を「ファースト・アルバムのようだ」と称している。その言葉通り、これまでとは一風異なる新鮮な実験音楽のアプローチを図っている。『No.5』は、ヴァンゾーがギリシャのエーゲ海に浮かぶシロス島にショーのために滞在していたとき、「集中する瞬間」を見出し、レコーディングが行われた。その後、ヴァンゾーは、別の島に移動し、ラップトップとヘッドフォンを持って屋外に座り、サウンド・プロダクションを生み出していったという。


今作は、シカゴのKrankyからのリリースというのもあり、全体的にはアンビエントに近い作風となっている。メレディス・モンクのように神秘的なヴォーカル、そして、洞窟の中に水がしたたり落ちる音を始めとするフィールド・レコーディング、家具音楽に近いピアノのフレーズ、モジュラーシンセの実験音楽的なアプローチ、もしくは、映画音楽のサウンドトラックに触発された間奏曲、これらが一緒くたになって、1つのフルアルバムの世界が綿密に構築されていく。そして、『No.5』は、近年のヴァンゾーの作風の中で最も静謐に充ちた作品となっているように思える。この作品を通じて、神秘的な洞窟の中で音に耳をすましているかのような異質な体験をすることが出来る。この作品は音を介して繰り広げられる不可思議な旅とも称することができよう。

 

オープニングトラックの「Enter」のイントロにある外気音や、そして、洞窟の中に風が通り抜けていくようなアンビエンスを導入し、異世界への神秘的な扉が開かれる。その後に続く音楽には、足音の反響が響き渡る中、シンセサイザーのシークエンスを通じて、特異な音響性が生まれる。その合間に挿入されるヴォーカルは、奇妙であり、神秘的であり、それらの奥に続く得体のしれない異空間に繋がっていくようでもある。映画のようにストーリテリング的でありつつ、ここには実験音楽でしか生み出し得ない深い情緒的な物語が充ちているのだ。

 

続く、「Greeting」では、一転して、マンチェスターのModern Lovers所属の電子音楽家、ダムダイク・ステアやアンディ・ストットのような妖しげな音響をシンセサイザーを通じて展開していく。もちろん、ダブステップのようなダンサンブルなリズムは一切見られないが、ボーカルを音響として捉え、シンセサイザーのトーンのゆらぎの中、幻想的な実験音楽が繰り広げられる。その後の「Distance」では、メタ構造の音楽を生み出しており、映画の中に流れるショパンの音楽を1つのフレーム越しに見ることが出来る。その後も映画音楽に近いアプローチが続き、「Red Eal Dream」では、ピアノのフレーズ、虫の声のサンプリング、グリッチ的なノイズを交え、視覚的な効果を強めていく。音楽を聴き、その正体が何かを突き詰める、そのヒントだけ示した後、このアーティストは、すべて聞き手の解釈に委ねていくのである。続く「Dance Reharsal」では、20世紀の実験音楽家、クセナキスやシュトゥックハウゼンに近い、電子音楽の原子的な音楽性を踏まえた音楽を提示している。無調性の不気味な感じの音楽ではあるが、近年こういった前時代的な方向性に挑戦する音楽家は少ないので、むしろ新鮮な気風すら感じ取れる。 


これらの一筋縄ではいかない複雑な音楽が続いて、連曲の1つ目の「Kimona 1」はこのアルバムの中で最も聞きやすい部類に入る楽曲である。モートン・フェルドマンのような不可思議なピアノのシュールレアリスティックなトーンの中に響くボーカルは、神秘的な雰囲気に充ちている。ピアノのフレーズは一定であるが、対比的に広がりを増していくヴォーカルの音響は、さながら別世界につながっているというような雰囲気すら漂う。嘆きや悲しみといった感情がここでは示されていると思うが、その内奥には不可思議な神聖さが宿り、その神聖さが神々しい光を放っているのである。さらに続く「Tongue Shaped Shock」では修道院の経験溢れる賛美歌のような雰囲気に満ち、その後はオーボエ(ファゴット)の音色を活かし、シンセサイザーとその音色を組み合わせることにより、得難いような神秘的な空間を押しひろげていく。この上に乗せられるボーカルのフレーズの運びは不可解ではあるのだが、はっきりとメレディス・モンクのようなアプローチが感じられ、それはひろびろとした大地を思わせ、表現に自由な広がりがある。

 

その後もアルバムの音楽は、崇高な世界へと脇目も振らず進んでいく。バッハのチェロの無伴奏ソナタの影響を色濃く受けた「Memory of Future Melody」は、チェロの演奏の緻密なカウンターポイントを駆使した音楽ではあるが、その和音の独特な進行の中には、ストラヴィンスキーの新古典派に象徴される色彩的な管弦楽のハーモニーの性質と、その乾いた響きとは正反対にある華美な音の運びを楽しむことが出来、サウンドプロダクションを通じてのチェロの信じがたいようなトーンのゆらぎにも注目したい。これらの現代音楽のアプローチに続き、7曲目の連曲「Kimona Ⅱ」では、「Ⅰ」の変奏を楽しむことが出来る。落ち着いたピアノ音楽、そして、シンセサイザーのオシレータを駆使したクセナキスのような実験音楽的な音色、そして、ヴォーカルの神秘的な音響が一曲目とは異なる形で展開されている。作曲のスタイルは、ブゾーニのバッハのコラールの編曲のように、不思議な荘厳さや重々しさに満ちている。さながらそれは内的な寺院の神聖さを内側の奥深くに追い求めるかのようだ。しかし、この二曲目の変奏もまた、ピアノ演奏は非常にシンプルなものはありながら、崇高で、敬虔な何かを感じさせる。しかし、その敬虔さ、深く内面に訴えかける感覚の正体が何であるのかまでは理解することは難しい。 


これらのきわめて聴き応えがあり、一度聴いただけでは全てを解き明かすことの難しいミステリアスなアルバムの最後を飾る「Surreal Presence for SH and FM」では、クリスティーナ・ヴァンゾーの音楽家としての原点であるDead Texanのピアノ・アンビエントの音楽性に回帰している。

 

この後にStars Of The Lidとして活動するAdam Witzieとのプロジェクト、The Dead Texanの一作のみリリースされた幻のアルバム『The Dead Texan』で、クリスティーナ・ヴァンゾーは、Adam Wiltzieの導きにより、映画の世界から、音楽家ーー実験音楽やアンビエント・プロデューサーに転身することになったが、それは2004年のことだった。最初のデビュー作からおよそ18年の歳月を経て、このアーティストは今作を通じて、人生の原点をあらためて再訪したかったように感じられる。

 

そのことを考えると、ある意味で、本作は、このアーティストの1つの区切り、分岐点になるかもしれない。『No.5』は、クリスティーナ・ヴァンゾーのキャリアの集大成のような意味を持つと共に、このアーティストが新しい世界の次なる扉をひらいた瞬間である。しかし、果たして、次に、どのような音楽がやってくるのか・・・、それは実際、誰にもわからないことなのだ。

 

 

 

96/100






昨日、米国のシンガーソングライター、Sharon Van Etten(シャロン・ヴァン・エッテン)は最新アルバム『We've Been Going About This All Wrong』のデラックス・エディションをリリースしました。アルバムのレビューは下記よりお読み下さい。

 

リリースに合わせて、このアルバムの収録曲「When I Die」のリリックビデオが公開されました。この曲のリリック・ビデオも公開されています。


Sharon Van Ettenは以前のプレスリリースで、リスナーがアルバム全体を一度に聴くことを望むことについて、次のように語っている。

 

「最初から最後まで、このアルバムは、私たちがそれぞれの方法で経験したこの2年間のジェットコースターを記録した感情の旅です。その旅に一緒に乗っていただければと思います。私の側にいてくれてありがとう」


以前、ヴァン・エッテンがアルバムの予告編を公開していた。このアルバムには彼女の2022年のシングル「Used to It」は収録されておらず、またデラックス・エディションにも収録されていない。


『We've Been Going About This All Wrong』は、Jagjaguwarから2019年にリリースされた『Remind Me Tomorrow』に続く作品である。


ヴァン・エッテンは『We've Been Going About This All Wrong』をダニエル・ノウルズと共同制作し、ロサンゼルスの実家に新設した特注スタジオでそのほとんどを自らレコーディング、エンジニアリングしている。Van Ettenはこのアルバムでギター、シンセサイザー、ピアノ、ドラムマシン、ウーリッツァー、鍵盤などを演奏していますが、ドラムにJorge Balbi、ベースにDevon Hoff、シンセサイザーとギターにライブ音楽監督のCharley Damskiという彼女の通常のツアー・バンドが参加しています。


ヴァン・エッテンは、前回のプレスリリースで、「今回のリリースでは、アルバム全体をひとつの作品として提示するために、これまでとは異なるアプローチで、意図的にファンを巻き込みたかった」と語っています。「この10曲は、希望、喪失、憧れ、回復力といったより大きな物語が語られるように、順番に、一度に聴くことができるように設計されている」


アルバム・ジャケットについて、ヴァン・エッテンはこう語っている。「必ずしも勇敢ではなく、必ずしも悲しくもなく、必ずしも幸せでもない、全てから立にち去る私をイメージして、それを伝えたかった」

 

 

 

 

 

 Sharon Van Etten  『We've Been Going About This All Wrong』 deluxe edition



 

Label: jagujaguwar

 

Release: 2022年11月11日

 


Review 

 

オリジナル盤は5月に発売され、軒並み、海外のレビューは概ね好評であったものの、傑作以上の評価まで到達したわけではなかった。この作品のレビューを飛ばしたのは、その週に多くの注目作がリリースされたことがあったのが1つ、そして音楽性の本質を掴むことが出来なかったという理由である。

 

アルバムは、ロックダウン中、LAの自宅のスタジオでレコーディングされた。5月に聴いた際には、オープンニングトラック「Darkness Fades」を始め、重苦しい雰囲気に充ちた楽曲が印象的であった。これは、シャロン・ヴァン・エッテンが、この作品に、家族との生活を通して見る、内面の探求というものがテーマに掲げられているからだと思う。このアルバムは非常に感覚的であり、抽象的な音楽性であるためか、第一印象としては影の薄い作品の一つだった。


ところが、このアルバムは聴いてすぐ分かるタイプの作品ではないのかもしれないが、少し時間を置いて改めて聞き返したとき、他のアルバムより遥かに優れた作品であることが理解出来る。アルバムの出足は鈍さと重々しさに満ちているが、徐々に作品の終盤にかけて、このシンガーの存在感が表側に出てきて、クライマックスでは、このアーティストらしい深い情緒が出てきて、その歌声に、神々しい雰囲気すら感じられるようになるのである。特に、オリジナル盤の収録曲として、#7「come back」と#8「Darkish」が際立っている。この2曲は、このアーティストのキャリアにおける最高傑作の1つと言っても差し支えなく、ダイナミックさと繊細さを兼ね備えた傑出したポップミュージックであるため、ぜひとも聞き逃さないでいただきたい。

 

しかし、全般的に高評価を与えられたにも関わらず、傑作に近い評価が出なかったのには原因があり、全体的に素晴らしい作品ではあるものの、オリジナル盤は、展開が盛り上がった来た時に、作品の世界が閉じてしまうというような、いくらか寂しさをリスナーにもたらしたのも事実だったのだろうと思われる。これらは5月の始めに聴いた時も思ったことで、オリジナル・バージョンについては作品自体が未完成品という感もあり、聞き手が、この音楽の世界にもっと浸っていたいと思わせた瞬間に、作品の世界が終わり、突如として遠ざかっていってしまったのである。つまり、この聞き手の物足りなさや寂しさを補足する役目を果たすのが、今回、4曲を新たに追加収録して同レーベルからリリースされたデラックスバージョンなのではないかと思う。

 

オリジナルアルバム発売の直前に公開された、Covid-19のロックダウン中の閉塞した精神状態からの回復について歌った「Porta」や、同じく発売以前に公開された「I Used To」といったスタイリッシュな現代的なシンセ・ポップが追加収録されている。二曲目は、曲名が似ているが、昨年リリースされたエンジェル・オルセンとのフォーク・デュエット曲「Like I Used To」とは別作品となっている。これらの曲については、アーティスト本人が、この最新アルバムの収録曲にふさわしくないと考えたかもしれない。


しかし、改めてこのデラックス・バージョンを聴くと、作品の印象が一転しているのに気がつく。不思議なことに、オリジナルバージョンでなくて、今回発売されたデラックスバージョンこそが完成品なのではないかと思えてくる。デラックスバージョンとして見ると、名盤に近い、傑出した作品である。

 


95/100

 

 

Feature Track 『Come Back』

 



Cavetown 『Worm Food』

 



 Label: Sire Records 

 Release 2022年11月4日


 

 

Review 

 

 UKのシンガーソングライター、Robin Skinnerは、2015年にデビューを果たした若いアーティストなのだが、既に膨大なバックカタログを有しており、多作なミュージシャンとして知られる。もともとyoutubeを通じて音楽をアップロードしていたところに、人気に火が付き、大ブレイクを果たしている。既にspotifyでは、総ストリーミング再生が2億5千回を越えており、ストリーミング界隈では世界的な知名度を持つミュージシャンとしての地位を確立している。

 

しかし、これらの話題先行のアーティスト像を先入観に入れて、ケイヴタウンの音楽を耳にすると意外の感に打たれると思われる。ロビン・スキナーの楽曲は、鋭い感性に裏打ちされた親しみやすいポップスであり、しかも聴き応えと説得力を兼ね備えている。現時点で、ベッドルームポップ系のアーティストの最高峰にあり、その繊細なアーティスト像とは裏腹に、ポスト・エド・シーランと称しても差し支えないような大きなオーラを持つミュージシャンなのである。

 

このアルバムは、TikTok世代のミュージシャンとして、若い世代の心に共鳴させる何かが込められている。ロビン・スキナーは、LGBTを公言するアーティストではあるが、それらの固定化された性のアイデンティティに対する何らかの怒り、そして戸惑いのようなものもこれらの楽曲には音楽的な表現やときには詩の表現として多角的な視点を持って捉えられている。ロビン・スキナーの楽曲は、既に与えられた固定概念から心を開放させてくれる癒やしがある。それはこのミュージシャンが固定概念を超える考えを持っている証拠でもある。

 

アルバム全体を見ると、細部まで緻密に作り込まれた楽曲が際立つ。オープニングを飾るタイトルトラック「worm food」は本作のハイライトの一つであり、繊細でソフトなポップスをロビン・スキナーは提示しているが、面白いことに彼の楽曲は非常にストイックである。 口当たりの良いポップスを演じつつも、曲の小さな構成部分に目を凝らすと、エレクトロニカのドリルンベースの要素も取り入れられている。しかし、それらはエイフェックスのようにエクストリームな表現にはならず、あくまで、口当たりの良いポップスの範疇に留められているのである。

 

このアルバムの中には、若い世代として生きる人間として、今ある世界と、また目の前の日常とどのように接していくのか、その戸惑いのような感覚がひとつずつ歌詞や音楽という表現を介して繊細かつ叙情的に発露していく。


それらは、ぽっと目の前で発光したかと思うと、ふっとその光はたちどころに立ち消えてしまい、次の情景や感覚へと絶えず移ろい変わっていく。それはロビン・スキナーが内的な感覚の流れを微細な観点から捉え、それらをモダンなポップス、インディーフォーク、エレクトロニカ、実に多彩な表現を、みずからの感覚を通じて、ひとつの音楽作品として丹念かつ緻密に組み上げているように思える。これらの曲は、キャッチーでありながら、深く聞き入らせる何かがある。

 

他にも、日本文化に少しの親しみを表した「Wasabi」は、穏やかな自然の雰囲気を感じさせる穏やかなインディーフォークとして楽しめると思われるが、ここにもやはり内的な風景をソフトに表現しようとするレコーディング時のロビン・スキナーの姿が垣間見えるかのようである。そして、ロビン・スキナーは、驚くべきことに、アルバムの序盤では、デジタル社会へ最接近し、その中に腰を下ろしているのだが、一方で、それとは対極にあるデジタル社会とは正反対にある自然派としての感覚を同時に探求しようとしている。それはまったく世代を問わない、人間としての原初の渇望、本質的な性質ともいえるのだろうか?? 他にも、このミュージシャンには、優しさ、怒りといった対極にある感覚が、かなり明け透けに表現されているが、この両極端の対極性の中にこそ、この秀逸なシンガーソングライターの進化が込められている。

 

さらに、この最新アルバムの中で、最もベッドルーム・ポップの色合いを感じさせるのが、フィリピン/イロイロ出身のシンガーソングライター、beabadoobeeが参加した「fall in love with a girl」となるはずだ。オープニングトラック「Worm Food」と共に今作のハイライトとなるこの楽曲では、beabadoobeeとのボーカルの息の取れた掛け合いにより、涼やかなポップスの色合いを見事に引き出して見せている。ロビン・スキナーは、最近、LGBTQを支援する独立団体をみずから立ち上げているが、この楽曲は、それらの考えを直接的に後押しするような内容となっている。


本作は、冷たさー温かさ、怒りー優しさ、機械的なものー人間的なもの、こういった対極にある概念が、一つの作品の枠組みの中に自然に取り込まれて、それが複雑な機微として綿密に絡み合いながら、多彩なバリエーションを持つ楽曲を通じて滑らかに繰り広げられていく。これらのロビン・スキナーにしか生み出しえない感性の尖さが聞き手の心をしっかりと捉えてやまない。

 

 

84/100

 

 

 

Featured Track  「Worm Food」

 

 First Aid Kit 『Palomio』


 

 

  Label: Columbia/Sony Music Entertainment

  Release: 2022年11月4日


 Listen/Buy



 Review 


 デビュー・アルバム『The Big and the Blue』から12年、スウェーデンのソダーバーグ姉妹のデュオ、ファースト・エイド・キットは、穏やかなフォーク/カントリーミュージックを自分たちなりの方法で探究してきました。

 

最初期はナチュラルかつオールドスタイルの音楽を主眼に置いていましたが、5thアルバムとなる『Palamio』では、シンセ・ポップを絡めた華やかな音楽へとシフトチェンジを果たしています。


さらに、この姉妹デュオがリスペクトを表している、フリートウッド・マック、そしてホラー映画「ストレンジャー・シングス」で再度復活を遂げたケイト・ブッシュ、トム・ペティといった古き良きポップス/ロックをファースト・エイド・キットは今作でよりモダンに再現しようとしています。

 

オープニングを飾る「Out Of My Head」では、デビュー当時には見られなかったようなポップバンガーを提示しており、アルバム全体に華やかな質感をもたらしている。続く、「Angel」では、チェンバロのアレンジを交えて、70年代のポップスをより親しみやすい形に再現しています。これらのノスタルジックな音楽性を強固にしているのは、姉妹ならではの息の取れたボーカルのハーモニーであり、ソダーバーグ姉妹は、ケイト・ブッシュやジョニ・ミッチェルをはじめとする往年の名曲の影響下にある楽曲を、華やかで淑やかなコーラスで彩っている。他にも「Turning Onto You」では、フリートウッド・マックのフォークとロックの中間にある爽やかでありながらブルージーな楽曲に挑戦。ハミングのハーモニーは爽やかな雰囲気をこの曲にもたらしています。 


これらの新しい試みに加え、活動最初期からの特性だった新旧のフォーク/カントリーの混在させた楽曲性も維持されている。「Fallen Angels」では、シンプルなベースライン、曲の雰囲気を損ねないソフトなギターライン、そして、ケルトフォークの牧歌的な雰囲気をストリングスのアレンジにより演出しています。ソダーバーグ姉妹のボーカルのハーモニーは曲の雰囲気を重視しつつ、息の取れたコーラスワークによって楽曲の性格に華やかな色を添えている。さらに、続く「Wild Horses」は、もはやタイトルとしてもカントリーの定番となっていますが、デュオはそれらの全時代のカントリー音楽のコードやビートを踏襲しつつ、中盤からはシンセサイザーのアレンジを通じて、ワイルドかつダイナミックな迫力を持つ展開へと繋げられていきます。

 

それから、淑やかでまったりとした雰囲気を擁するオルタネイティヴフォークの楽曲が続いた後、タイトルトラックのダイナミックなフォーク・ロックで、このアルバムは幕引きを迎えます。この曲での姉妹のボーカルの兼ね合いは円熟味すら感じさせ、コーラスの妙味は熟練の領域に達している。イントロのフォーク・ロックのテイストから、曲展開が段階的に様変わりしていき、曲のクライマックスにかけて、チャントのような雰囲気をもった清涼感のあるボーカルを体感出来る。ここに十二年の活動の集大成のようなものが体現されています。

 

アルバム全体としては、牧歌的なフォーク/カントリーが一貫して展開されていますので、それほど音楽の難易度は高くなく、多くのリスナーの共感を得る作品になるだろうと思われます。そして、これらの楽曲では、ソダーバーグ姉妹は最新鋭の音楽ではなく、遠ざかった時代のポピュラー/ロックの名曲群の音楽の懐かしさや、その音楽の持つ温和さを再現させようとしているように感じられます。


作品全体としてみると、先行シングルのMVを見ても分かる通り、ソダーバーグの姉妹が掲げているサウンドスケープのテーマがリスナー側に今ひとつ伝わりにくく、もう一歩何かあればよかったという感もありますが、他方、この作品には姉妹の人間関係の良さが表れており、温和な空気感が通っているのも確かです。もしかすると、聴くごとに本質が滲み出てくるような長く愛聴出来る作品になるかもしれません。

 

82/100

 

 

Featured Track 「Out of My Head」 

 

 Ezra Collective 『Where I’m Meant To Be』

 


 Label: Partisan

 Release:2022年11月4日



Review 

 

 

ロンドンのジャズ集団、エズラ・コレクティヴは、近年、 盛り上がりつつあるロンドンのジャズシーンの熱狂を象徴するようなクインテットである。彼らは、エズラ・コレクティヴとしてだけでなく、他のジャズバンドでも演奏しているのでスーパーグループと見なされる場合もあるようだ。

 

エズラ・コレクティヴの音楽は大まかにNu Jazzに属すると思われるが、その中にもこのグループの人種を問わない構成からも分かるように、多様性に富んだ内容となっている。レゲエ、アフロ・ビート、アフリカンミュージック、ネオ・ソウル、ヒップホップ、さらには、UKガラージ、ベースラインにいたるまで様々な国々の音楽を吸収し、これらの要素をセンスよくニュージャズの中に取り入れている。

 

とりわけ、この五人組の中で、ひときわ強い存在感を放っているのが、ドラマーのモーゼズ・ ボイドだ。彼は、なんと、ナイジェリア出身のアフロビートの始祖、Fela Kutiのバンドで活躍したトニー・アレンにドラムの手ほどきを受けた、言わば、ドラム奏者として一廉の人物である。このボイドの生み出すドライブ感抜群の超絶技法のドラムをもとに、TJ Koleosoが凄まじいグルーブ感を保つベースラインを加わることで、アンサンブルとしての骨格が出来上がっている。個人的な意見としては、この二人のリズム奏者は、格式あるモダン・ジャズシーン全体を見渡しても、世界最高峰の技術を擁していると思われる。もちろん、ベースとドラムだけで十分演奏自体はスリリングなのだが、これらの堅固な土台に、軽やかで、陽気な、サックス、トランペット、ピアノが加わることにより、ロンドンの最新鋭のジャズ・グループ、エズラ・コレクティヴの音楽は完成に導かれるのである。

 

最初期のエズラ・コレクティヴの音楽性は、Nu Jazzの領域にありながら、レゲエの要素が強かった。そして、この最新作では、「Togertheness」、「Ego Killah」ではその影響が若干残っているが、レゲエやアフロ・ビートの要素が少しだけ弱められ、ヒップホップや、ベースライン、ダブの流動的なリズムを押し出した作風となっている。基本的には、即興演奏をもとにしたジャズ曲としてのキャラクター性が強いが、ザンビア出身のラッパー、Sampa The Great.Kojey Radicalら、秀逸なラップアーティスト、さらに、UKのシンガーソングライター、Emeli Sandeのゲスト参加により、ボーカル・トラックがインスト曲の合間に導入されることで、アルバムのアートワークからも見えることではあるが、華やかで陽気な雰囲気を持つ作品に仕上がっている。

 

 エズラ・コレクティヴのメンバーは、最新作『Where I’m Meant To Be』において、ロンドンの最新鋭のジャズと、アフリカの音楽性を架橋するような作風を志したと説明しているが、他にもこのアルバムには、ラテン・ミュージック、特にカリブ音楽の影響が色濃く反映されており、それらが彼らの音楽性の根幹にあるアクの強いアフロビートと見事に合体を果たしている。常に、エズラ・コレクティヴの演奏は、最初のモチーフのようなものをバンドのセッションを通じて即興的に転がし、流麗な展開を形作って曲の構想を発展させていき、誰も予測のつかない着地点を曲のクライマックスで見出す。そして、このアルバムの楽曲の展開は、スリリングとしか言いようがない。エズラ・コレクティヴのメンバーは、ジャズの基本の型であるコールアンドレスポンスを通じて、彼ら五人は楽器で軽やかに会話をし、さらにそれらの会話を、大きな構成を持つ楽曲へと昇華させているのだ。

 

アルバムの中には、「No Confusion」「Words By Steve」の二曲に、語りのインタルードが導入されているが、これらが、キャッチーな印象を持つラップソング、ポップス/ソウル、そして、エズラ・コレクティヴの音楽性の基礎であるニュージャズの楽曲の中に、ストーリー性を付け加えている。今作において、エズラ・コレクティヴは、演奏の面白みを追求するだけではなく、万人に親しめる音楽性を示しつつ、音楽の持つ文学性や物語性を掘り下げようとしているように見受けられる。そして、それらを実際のセッションだったり、ボーカリストとの白熱した共演を通じ、このグループの最大の魅力である多様性をもとに一つのアルバム作品として組み上げているのだ。

 

 特に、このスーパーグループの演奏の超絶技法、即興演奏におけるクリエイティビティが最大限に高められているのが「Belonging」だ。この曲では、ベースとドラムの演奏技術の力のみで曲が最後まで牽引されていくが、中盤から変拍子を巧みに駆使し、ピアノの即興演奏、ホーンセクション、パーカッション、ストリングスを交え、スリリングな展開に繋げていく。それに加えて、アフリカの民族音楽のメロディーも卒なく取り入れられ、最後には予測のつかない華やかなエンディングが待ち受けている。

 

その後に続く「Never The Same Agein」で、エズラ・コレクティヴは、エキゾチックジャズの新境地を勇猛果敢に開拓してゆく。イントロの哀愁あふれるピアノのフレーズから陽気で心楽しいカリブ音楽へ一挙に様変わりし、ジャズのアンセミックな響きを持つ、言わば、ダイナミックな展開へ導かれる。この刺激的なライブセッションにこそ、最新作『Where I’m Meant To Be』の最大の迫力が込められており、エズラ・コレクティブの晴れやかなジャズ・スピリットの真骨頂が体感出来る瞬間となるだろう。


ロンドンのジャズ・クインテット、エズラ・コレクティブは、この最新作においてさらなる進化を遂げ、既存の作風を軽やかに超越し、ニュージャズの次なるフィールドに歩みを進め始めている。本当に見事だ。

 

 

86/100



Featured Track「Never the Same Again」

 

 Aoife Nessa Frances  『Protector』

 


 

Label: Partisan

Release: 2022年10月28日


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Review

 

2020年、デビュー・アルバム『Land of No Junction』をリリースした後、イーファ・ネッサ・フランシスは、パンデミックに直面し、父親とともに、出身地である首都ダブリンから西に向かい、クレア州へと向かいました。

 

その後、イーファ・ネッサ・フランシスは、日記を記したり、散歩をしたり、また独学でタロットを学び、天体の運行にも興味を持つようになったという。これらの新たな習慣と合わせて、彼女の若い時代のヒーローたち、ゲンスブール、ニルヴァーナ、ホワイト・ストライプス、カニエ、そして、アイリッシュ・フォークからテクノミュージックまで広範な音楽の背景に思いを馳せることは決して、このセカンド・アルバムを生み出す上で何ら無関係であるとは言いがたい。


このセカンド・アルバムは、ニコ、ブロードキャスト、オルダス・ハーディングといった古い時代から現代にかけての個性的な女性シンガーソングライターの作品を彷彿とさせます。それらのマテリアルは、常に、上記のクレア州の風光明媚な海岸、牧歌的な風景、そして幻想的な情景と分かちがたく結びついている。これらの楽曲を父親の家の裏にある小屋でアイルランドの歌手、イーファ・ネッサ・フランシスは、ゆっくりと時間をかけて書き上げていったのです。

 

『Protector』は、アイリッシュ・フォーク、それも古い時代の民謡からの影響も感じさせる。その点では、アイルランドの固有言語のコーニッシュ語で歌われているわけではないけれども、今年マーキュリー賞にノミネートされたGwennoの『Tresor』音楽性にも近い性質を持つ。そして、これらの楽曲は親しみやすく、メロディー・エコーズ・チャンバーのようにドリーミーであり、ハーディングの不条理ポップの興趣もある。さらにネッサ・フランシスの歌声は常に瞑想的であり、身近な日常の風景、生活を寿ぐかのような雰囲気に彩られている。

 

そして、これらのフォークミュージックのアプローチをより個性的にしているのが、サイケデリックの要素です。古めかしいオルガン、フランジャーをかけたエレクトリックギター、落ち着いたアコースティックギター、曲調に反してダイナミックなドラム、そして対旋律的なアプローチをとるベースライン、オーケストラ楽器のハープ、 ホルン、これらの楽器が緻密に組み合わされることによって、『Protector』持つ世界観は構成されていく。このアルバムは全般的に、内省的な響きを感じさせるが、それは同時に外向きな心地よさにも焦点が当てられています。


特筆すべきなのは、その中にもこのアーティストの無類の音楽ファンとして表情を見せ、時折、オルガンの音色は、ザ・ドアーズの名曲のように、サイケデリックな色合いを帯びる。しかしながら、それらは極彩色のサイケではなく、常に落ち着いたイーファ・ネッサ・フランシスの抑制の聴いた歌声に中和されることで、全編にわたって温和な響きが絶妙に維持されているのです。

 

この作品は、細やかな日々にまつわる感情や出来事を丹念にしるした日記のようでもある。それは叙事的な響きを持ち合わせており、抒情的でもある。そして、それらは改めて混乱していた時代の中で、フォーク音楽を介し、みずからの内面に起こった出来事をひとつずつ解き明かしていくかのようでもある。言い換えれば、絡まった糸を手作業でひとつずつ解いていくような作業でもあるのです。本作のサイケ・フォークは、タロット的な天体と人体における関連性にもとづいた考えから導かれるミステリアスな趣を持っていますが、それらの中には、アイルランドという土地と関連を持たぬ人々にも共鳴する一般的な何かが込められているように思える。それは平らかで心温まる情景に接したいという渇望にも似た感覚である。それらの内的な省察を踏まえ生み出された本作は、常に、このシンガーが2020年のアイルランドのクレア州の美しい海際の風景と接し、デジタルが氾濫する世界と一定の距離を置いたからこそ生み出されたレコードであるのかもしれません。

 

このセカンドアルバム『Protector』の楽曲は、情報過多になりがちな現代人の心にちょっとした束の間の休息や治癒を与えてくれるでしょう。いわば無数の混沌の中の東屋、退避場ともなる作品であると共に、隙間のない空間に、心地よい余地、ほどよい空白をもたらしてくれる音楽となるはずです。

 

 

78/100

 

 

Featured Track「Emptiness Follows」


 Benjamin Clementine 『And I Have Been』

 



Label: Preserve Artists

Release: 2022年10月28日

 


Review

 

このレコードは、パンデミック中に作られ、UKのアーティストの長期にわたる内省的な期間から生まれた。先ずはベンジャミン・クレメンタインのコメントを紹介しておきましょう。

 

「And I Have Been "はCOVID中に構想された。みんなと同じように、私も特別な人と道を共有することに関わる多くの教訓、複雑さ、そして啓示に直面した。パート1はシーンの設定に過ぎず、より深い「パート2」の舞台となる氷山の一角なんです」

  

クレメンタインは、ホームレスからスターダムへと駆け上がった人物であり、トーキング・ヘッズのデイヴィッド・バーンは、このアーティストのステージを見た際にニューヨーク・タイムズ誌に、「ステージにふらりと現れたベンジャミン・クレメンタインは、裸足でロングコートの下にシャツも着ていなかった。彼はそのまま高いスツールに腰かけ、ほぼ立ったままでピアノを弾いた。彼はまるで、その場にいる1人1人に直接聞かせるような歌い方をしていたよ。その素晴らしい『声』に、私は驚きを隠せなかった」と説明している。彼は大きな注目を浴びたとしても、それを全く意に介さぬふてぶてしさを持つ。クレメンタインは、はなからスターになど興味はないのかもしれません。

 

2ndアルバム『And I Have Been』の音楽は、オープニングからミュージカルの雰囲気を帯びている。「Residue」 からして、展開力のある音楽が提示される。クレメンタインのボーカルは、古い時代のブルースのように泥臭く、アフリカの民族音楽のような迫力に満ちており、そして、舞台音楽の語りのように物語性を併せ持っている。それらがエレクトロニクス、映画音楽を彷彿とさせるオーケストラストリングス、R&Bや今日のラップミュージックの要素と複雑に絡み合ってストーリーは展開されていく。それは、何らかの音楽を意図して展開させるというより、何らかのヴォーカルトラックをバックミュージックにあわせて、即興演奏で繰り広げるというような雰囲気に満ちている。『And I Have Been」の中に内包されているストーリーテリングはなんの停滞もなく、ほとんどなめらかな質感を持って次から次へと移り変わっていく。それは、ベンジャミン・クレメンタインの人生の一側面を表した何らかのシーンの切り替わりのようでもあります。しかし、上記のデイヴィッド・バーンの言葉も分かる通り、クレメンタインの音楽にはふてぶてしさがあり、まるで裸足で弾き語りを演奏するようなワイルドさが感じられるのです。

 

こうして、オープニングトラックと二曲目の「Delighted」で、音楽を聴くというスタンスでリスニングに臨むリスナーを幻惑し、まるでみずからの世界に満ちる特異な煙幕の中にクレメンタインは私達を引き込んでみせる。続く三曲目の「Difference」は全2曲と打って変わってラップミュージックや現代的なR&Bの音楽へとシフトチェンジを果たす。この曲は、豪奢なストリングスアレンジと女性コーラスを交えたアルバムの中では比較的親しみやすいが、そこにはこのアーティスト特有の哀愁と繊細さがないまぜとなっている。さらに続く4曲目の「Genesis」では、ジャズやブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのようなエキゾチックな雰囲気を持ったカリビアン調の楽曲が展開される。これらの曲は、古い時代のアプローチを感じさせるが、それはアナクロニズムを志向しているわけではなく、クレメンタインの本能的な感性によって哀愁のある音楽へと導かれている。続く「Gypsy,BC」ではスパニッシュ音楽やジプシー音楽の影響を感じさせる音楽性に取り組んでいる。クレメンタインのピアノの弾き語りは、哀愁に満ちていますが、途中からストリングス・アレンジや、女性のコーラスワークにより物語性を帯びてくるのです。

 

他にも意外な癒やしがある「Last Movement of Hope」では、エリック・サティのような近代フランス音楽のピアノ曲にクレメンタインは挑戦しています。全体的にはソナタの構成が取り入れられている。アルバムの前半部のボーカルトラックとは一変して、この曲はキリコの絵画のようなシュールレアリスティックな響きにあふれている。ピアノの演奏はすごくシンプルでミニマルへの傾倒を感じさせますが、表面的な暗鬱な響きの中に奇妙な明るさが感じられる。まるで曲の途中から内的な空虚さの中に明るい兆しが表現されているようにも思える。この曲でのクレメンタインの演奏は即興的ですが、そこには凛とした気品があり、奇妙な美しさがこのクライマックスにかけて広がりを増していくように感じられます。

 

その後も渋さと哀愁を擁する「Copeing」でクレメンタインは、 内的な悲しみを吐露しながら、ピアノの弾き語りを続ける。前半部の楽曲と同じようにストリングスを交えた楽曲ですが、同じような手法でありながら新鮮味を感じさせる。それは、聞き手に聴かせるというより自分の内面の奥深くに静かに語りかけるような歌であるため、短い曲ではありながら聴き応えがあります。続く、「Weakend」では、ミステリアスなピアノの響きによって、クレメンタインの歌が引き継がれていく。やはり、曲の抑揚や起伏は、シンプルなストリングスのビブラートにより増幅されるが、この曲では、古い時代のフランスの映画音楽、あるいはその時代のポピュラーミュージックやカリブ音楽の影響をモダンな雰囲気を持った美麗なボーカルトラックへと昇華させている。

 

アルバムの終盤に差し掛かると、これらのミュージカルの音楽の色合いはさらに強くなっていく。「Auxiluary」では、1960-70年代のポピュラーミュージックを下地にしたより多彩なアプローチが取り入れられ、その音楽の持つ物語性を増していく。フランク・ザッパほどにはマニアックではないが、それに近いコアな雰囲気もある。メロトロンなどを卒なく楽曲のなかに取り入れたり、さらに民族音楽的なコーラスを取り入れたりと、ここで時代を超越したような楽曲を生み出しています。そして、クローズを飾る古典音楽のワンフレーズをピアノ音楽のモチーフとし、このアーティストらしい哀愁に満ちた南欧の民族音楽の性格を取り入れた「Recommence 」も新たな発見に満ちている。ミニマルへの傾倒を見せつつ、そこには複雑なこのアーティストのバックグランドが垣間見える。ピアノ演奏は一貫して抑制され冷静さに満ちているが、時に、クレメンタインのボーカルは、時に、内的な感情を吐き出すような本能がむき出しになる場合もある。これらの楽曲は、アンドリュー・バードのシュールさに近い方向性を感じさせる。


全体を見渡すと、クレメンタインの楽曲は、一見、シンプルで親しみやすく、スタイリッシュな雰囲気すら感じられますが、他方、その音楽の奥深くにあるのは、岩のように硬質な表現性、形而下のなにかを音として表側に引き出すかのような強烈さが込められている。そして、クレメンタインの音楽は哀愁に満ち、シュールさを感じさせるが、その表現はきわめて暗示的な示唆に富んでおり、一聴しただけで、その内奥を理解するのは困難をきわめる。この作品自体の好みや評価もかなり分かれると思いますが、少なくとも、このセカンド・アルバムは、他のどこを探しても見つけることの出来ないベンジャミン・クレメンタインの創造性と個性が発揮された一作で、彼の人生の精神的な部分が音楽として表側に表出したのかもしれません。体系的に音楽を学んだふうには見えないのに、このようなコンセプチュアルなミュージックを生み出すというのは、ほとんど驚愕に満ちている。

 

 

86/100

 

 

 

Featured Track 「Last Movement Of Hope」

 


 Ásgeir 『Time On My Hands』

 

 

 

 Label:  One Little Independent

 Release:  2022年10月28日

 

Listen/Stream



 

Review

 

現在の北欧のアイスランドのミュージック・シーンには、性別を問わず、傑出したシンガーソングライターが数多く見受けられる。JFDR,Jojiを始め、これから活躍しそうな歌手の例を挙げると枚挙に暇がないが、 しかし現在のアイスランド国内のミュージックシーンで絶大な支持を得ているのが、Ásgeir(アウスゲイル)である。アウスゲイルは2012年のデビュー作『Dyrd i daudapogn』で、国内のグラミー賞に該当するアイスランド・ミュージック・アワードの2つの主要部門を含む4部門を受賞し、国内のシーンにおける地位を確立し、今や、アイスランド国民の10人に一人が、このアウスゲイルのアルバムを所有しているともいわれ、アイスランド国内の音楽ファンでこのÁsgeirを知らない、という人を探す方が難しくなっているようだ。

 

若い時代、カート・コバーンに憧れ、グランジサウンドに目覚めた後、Ásgeirに薫陶を与えたのは、ロンドンのネオ・ソウル/エレクトロの象徴的なアーティスト、ジェイムス・ブレイクにほかならなかった。さらに、アウスゲイルのデビューした年代に活躍したBon Iverが彼の才覚を覚醒へと導いた。つまり、アウスゲイルの音楽は、ジェイムス・ブレイクのような人間味あふれるネオソウル、そして、ボン・イヴェールのエレクトロニクスとフォークの融合性にある。察するに、これらのサウンドを、アイスランドのMumに代表されるような自然味溢れるフォークトロニカサウンドと上手く合致させようというのが、このアイスランドの次世代のSSWの役割なのかもしれない。

 

デラックスバージョンを除いて通算五作目となる『Time On My Hands』は、近年の作品の中で最も内的な静けさと、このアーティストの持ち味であるソウルミュージックへの深い愛着が示された一作に位置づけられる。そしてアウスゲイルはアーティストとして深みのある表現性に到達したとも言える。

 

アウスゲイルは、今年ラフ・トレードからデビューしたCarolineを始めとする実験的なバンドの音楽を聴きながら、散歩やドライブをしているときに、アルバムの曲を思いついたという。そして、彼の頭脳の中に溢れる豊かなアイディアやイマジネーションは、このアーティストらしいソングライティングの手法、レコーディングスタジオに置かれていたMinimoog,Korg PS-3100といったヴィンテージのシンセサイザーを介して、纏められた作品として洗練されてゆく。

 

アルバム全体のアプローチは、やはり、このシンガーソングライターが信奉するBon Iverの主な音楽性であるエレクトロニクスとフォーク・ミュージックの劇的な融合性にあると思う。そして、これらのモダンミュージックの核心を突くアプリーチに洗練性を与えているのが、アウスゲイルのJames Blakeに近いソウルフルで温かみのあるボーカルなのである。アウスゲイルのボーカルは、ブレイクのように内省的であり、熱さを持ち合わせつつも冷静さを兼ね備えている。そしてこれらの曲がなぜ多くの人の心に共鳴するのかというと、それは、「人間味のあふれるソウル・レコード」というBlakeの主要な音楽性の核心を、このアーティストは継承しているからでもある。

 

このアルバムには、上記の二人のアーティストの性格を引き継いだエレクトロ・ポップのシンガロング性を上手く引き出した#2「Borderland」、先行シングルとして公開された、まったりとしたフォークとソウルを融合した#1「Time On My Hands」といった楽曲の中で、これまでのファンの期待に応え、以前より渋みのある内的な世界を探求し、新たなファンの心を捉える。このアーティストのファルセットは美しく、聴いていて心地よい。いわば一度聴いて分かる親しみやすい楽曲ではある反面、したたかな渋い歌唱力も持ち合わせているため、繰り返して聴いていても飽きさせない安定感のあるタイプの音楽になっているのだ。

 

しかし、Bon Iverのような売れ筋のアプローチの中にも、アイスランドのアーティストらしい独特な気風も込められている。独特な気風とはつまり他には見出すことの出来ないマニア性でもあるのだが、「Blue」では明らかに2000年代のMumのようなフォークトロニカのアプローチを、Minimoogの音色の面白さを駆使しながら新しいサウンドを探求しているように思える。それはポピュラー性の高い楽曲の中で異彩を放っており、このアルバム全体を俯瞰した際に、一筋縄ではいかないという感じを与え、いわば厳格で硬質な雰囲気をもたらしている。もちろん、これらのキャッチーさと聴き応えの両側面を兼ね備えたアルバムは、聞き手に一定のリズムと心地よさを与えつつら音楽の世界へ誘なうに足る求心力が込められているのにも注目である。

 

アウスゲイルの新作は、全体的に綿密な曲の構成がなされていて、始めから最後までじっくり聴き通せる。そして、アルバムの最後にも、重要な曲が収録されていて気を抜くことが出来ない。#8「Wating Room」 では、ダイナミックなソウル・バラードを展開する。このファルセットは技巧的で美しく、そして、この曲こそがこのアルバムに大きな存在感をもたらしていると言える。

 


84/100

 


Featured Track 「Waiting Room」


 Sobs 『Air Guitar』

 

 

 

 Label: topshelf/inpartmaint

 Release: 2022年10月21日




Review

 

ボーカリスト、セリーヌ・オータム(Vo)を中心に、ジャレッド・リム(Gt)、ラファエル・リム(Gt)からなるシンガポールの新時代のインディーポップバンド、Sobs!!

 

2017年のデビューEP「Catflap」は米国のメディアにも高評価を受け、 続く、2018年にはデビュー・アルバム「Telltale Sign」を発表している。現在、人気急上昇中のアジアのホープである。

 

近年、アジア圏では、シンガポール、マレーシアを中心に魅惑的なミュージックシーンが形成されつつある。これらの国では、都市圏を中心に、米国のポップスや、日本のシティ・ポップに影響を受けたバンド、アーティストが活躍する。

 

Sobsもまた、最近、盛り上がりを見せている東南アジア圏のミュージックシーンの活況を象徴付けるような勢いのあるインディーポップ/オルタナティブポップ・グループのひとつに挙げられる。

 

Sobsは、カナダのAlvveysや、米国のミシェル・ザウナーのソロ・プロジェクト、Japanse Breakfastとの比較がなされることからも分かる通り、キュートな雰囲気を持ったセリーヌ・オータムのボーカル、とジャングルポップに近い親しみやすいバックバンドで構成されている。ほかにもUKのSarah Midori Perry擁するKero Kero Bonitoのキャラクター性にも近い雰囲気がある。

 

特に、上記のアーティストの中で、Sobsの音楽性は、J Brekkieやbeabadoobeeに近いように感じられる。ドリーミーなボーカル、シューゲイザーやドリームポップの音楽性をどのように現代風のポピュラーサウンドに組み替えるのか模索し、若者の心に共鳴するような音楽を提示するという点で、ミシェル・ザウナーと同様であると思われる。二作目のアルバムとなる『Air Guitar』はローファイなギターロックの影響を感じさせながらも、ファニーなポピュラー・ソング、そして、セリーヌ・オータムのメロディセンスの才覚が遺憾なく発揮された快作となっている。


#1のタイトルトラック「Air Guitar」で、Sobsは、派手な親しみやすいポップバンガーでリスナーの心をグッと掴んでみせる。楽曲自体は、近年流行のインディーポップの王道を行くものであるが、どことなくメロディーの節々には、アジアンなテイストが込められており、またノスタルジアも感じられる。最近の米国のインディーポップの影響と取り入れつつ、卒なく渋谷系のおしゃれさを取り入れている。そのほか、このトリオのパンキッシュな一面を伺わせる「Lucked Out」は、ポップバンガーとポップパンクを絶妙に融合してみせた傑作である。この曲はカナダのAlvveys、NJのThe Bethの音楽性に近いなにかを感じさせるが、もしかすると、それよりもパワフルでドラマティックかもしれない。メロディーの運びについてはポップパンクのアプローチが図られ、また変拍子が取り入れられたり、EDMを始めとするダンスビートを卒なく導入したりと、自由自在に多様なジャンルをクロスオーバーしており、非常に新鮮な気風を感じる。

 

さらに中盤にも、聴きごたえのある曲がいくつか見受けられる。「Burn Book」では、シューゲイズに近いアプローチを図っており、歪んだディストーションギターに、ポピュラーな旋律を持つボーカルと、このジャンルらしい方向性が取り入れられているが、セリーヌ・オータムのボーカルは相変わらず、ファニーなキュートさを維持し、メロディーはパワーポップのように甘くせつなげな空気感を擁する。派手でポピュリズムに根差した楽曲ではあるものの、その中には繊細なエモーションが込められている。単なるポップバンガーと称するには惜しいような一曲だ。

 

終盤にさしかかかってもこのアルバムはダレることはなく、聴き応えのある曲でリスナーの集中力を維持する。「LOML」では、ドリーム・ポップとハイパーポップの中間にある新鮮な楽曲で聞き手を見事にその世界観の中に留まらせる。イントロではレトロさを感じさせるシンセポップのアプローチは、クライマックスに至ると、ダイナミックなハイパーポップに様変わりする。この曲で前半部と異なるニュアンスを示すことにより、アルバム全体に多彩な印象性を与え、さらに強烈な印象をリスナーに与える。このエバーグリーンでエモーショナルな楽曲は、東南アジアの若者の日々の暮らしにまつわる個人的な思いがそのまま表されていると言える。 


二作目のアルバム「Air Guitar」を聴くかぎりでは、Sobsは、Beabadoobeeに比するソングライティングの実力を持ち、J Brekkieのようなファニーさを併せ持っている。現時点では大きな知名度には恵まれていないものの、今後、世界的なバンドとなっても不思議ではない刮目すべきグループだ。

 

追記として、日本盤のアルバムの10曲目には、Rocktship(ロケットシップ)の「I Love You Like The Way That I Used To」のカバーが収録されている。また、『Air Guitar』は日本国内でCD化されている。アートワークについては、フィリピンのイラストレーター、ミッチ・セルヴァンデスが手掛けている。

  


92/100










Sobs  -Profile-




アジアで最も期待されるインディー・ポップ・バンドのひとつに挙げられるシンガポール出身の3人組。2017年にEP『Catflap」でデビュー。ヴォーカルのセリーヌ・オータムの魅力的な歌声と、90年代のインディー・ポップから影響を受けた抜群のメロディーでアジアのみならずアメリカでも高く評価された。2018年、1stフル・アルバム『Telltale Signs』をリリース。Liricoから国内盤がリリースされ、2019年に初来日ツアーを行う。2022年秋に待望の2ndアルバム『Air Guitar』をリリース予定。セリーヌ・オータムはハイパー・ポップ・プロジェクトCayenne(カイエン)としても活動。ギタリストのジャレッド・リムはSubsonic Eyeのメンバーとしても活動している。

 Loyle Carner 『hugo』

 


 

 Label: Universal Music

 Release: 2022年10月21日

 

 

Official-order



Review

 

2017年のデビュー・アルバム『Yesterday’s Gone』、そして2ndアルバム『Not Waving But Drowing』と快作を発表している、サウスロンドンのラッパー、ロイル・カーナーは三作目でもその好調を維持しその表現力にさらなる磨きをかけようとしている。どうやら国内では、メインストリームのラッパーというよりも、アンダーグラウンドシーンに位置するラッパーとして見なされているようだが、カーナーはこのユニバーサルミュージックからの三作目でラッパーとしての地位を完全に確立したとも言える。

 

近年の二作のアルバムを見ても分かる通り、ロイル・カーナーのラップというのは、ローファイヒップホップのような手法が取り入れられ、都会的に洗練された雰囲気に満ち、ジャズやネオ・ソウルとの融合がなされており、フロウに関しても爽やかな雰囲気に満ちている。それほどこのジャンルに詳しくないリスナーも惹きつける魅力がある。カーナーのリリックは、社会的な意見と個人の関係性を鋭く抉って見せるが、一方、その表現性はさっぱりとしていて、軽快なのである。

 

3作目の『Hugo』でロイル・カーナーは、これまで書くことを躊躇してきたこと、黒人であることと、社会的に黒人としていきること、そのほかにも、家族との関係性、現代の父なき時代に生きる若者としての声を代弁している。

 

今作『Hugo」におけるロイル・カーナーのラップソングは、ポピュラー性の高いスタイルをとり、親しみやすい感じがあるが、しかし、侮ることができないのは、社会的な主張性がリリークの節々にはしたたかに取り入れられているのである。もちろん、彼は、BLMのような看板を掲げているわけではなく、日々、生きていて感じることをラップとして淡々と表現しているのだ。それはときに私小説のような文学性もこのアルバムには見出すことも出来るかもしれない。

 

アルバムの中には複数の聴き応えのある佳曲が数多く収録されている。父親との緊張性をリリックに込めたという「Nobody Knows」ではネオ・ソウルをブレイクビーツのスタイルで処理していて、バンガーとして聴くことも出来る。その他にも、John Agardとのコラボレーションソング「George Town」もまた生彩味を帯びたラップソングで、ソウル・ミュージックの醍醐味を凝縮した楽曲となっている。さらに、このアーティストのジャズのバックグランドを感じさせる「Homerton」では深みのあるヴィンテージ・ソウルとラップの核心を見事に捉えた一曲として楽しむことができる。2者のコラボレーターを迎えた「Blood On My Nikes」は、前二作のアルバムの音楽性の延長線上にあり、「Huh」と前乗りなビート感を与えつつ、渦のように内向きなグルーブ感を増幅させる、カーナーの唯一無二のラップスタイルの特性が生かされた一曲となっている。

 

そして、ロイル・カーナーの特性の内省的で哀愁に満ちた「A Lasting Place」はこのアルバムの一番の聴かせどころとなる。ピアノのアレンジと、フィルターを施したトラックメイクに、ロイル・カーナーは、せつないリリークを込め、このトラックに淡い抒情性を加味している。 コーラスワーク、語りのサンプリングとともに、カーナーのリリックはこの曲に描かれる物語の抒情性を高めている。インテリジェンスとエモーションがバランスよく感じられるバラードである。

 

『hugo」は、それほどラップに詳しくないというリスナーの心にも響くアルバムである。それは彼の音楽や表現がそれほどマニアックではなく、常に一般的で普遍性を持つ概念だからである。このサード・アルバムは、傑作として見なすかどうかは別として、少なくとも良作以上の何かが潜んでいるように思われる。そして、このアーティストのソウルミュージックへの深い敬愛が表されているから、こういった深みが出る。その中に、知的な表現性を込められているから、聴き応えもある。『hugo」は、2022年現在のロンドンのラップシーンの文化性を併せ持つと共に、現代のラップミュージックとして大きな意義を持った作品であることは疑いがなさそうだ。

 

 

92/100

 


Featured Track 「A Lasting Place」

 

Kathryn Mohr 『Holy』 


 

 Label:  The Flenser

 Release: 2022年10月21日

 

Official-order


 

Review

 

 キャサリン・モーアは、この作品のレコーディングをニューメキシコの田舎で行い、アンビエントドローン、ローファイ、フィールドレコーディング、エクスペリメンタルミュージックと、多角的な音楽のアプローチを追求している。

 

アルバム制作の契機となったのは、サンフランシスコ海岸に打ち上げられた不可思議な浮遊物、その誰のものともつかない、どこから来たものとも解せないミステリアスなテーマを介して、この音の世界をひとつらなりの物語のように丹念に紡いでいきます。その中に、このアーティストなりの内的に収まりがつかないいくつかの抽象的な概念、人間という存在の儚さ、記憶の歪み、そしてトラウマがこの世界の体験をどのように変化するのかを追い求める音楽となっている。


 一曲目の「___(a)」という不可解な題名からして、グロッケンシュピールのような音色を交えたシンセサイザーのフレーズが展開され、それは際限のない抽象的な空間の中へとリスナーをいざなう。ミステリアスでもあり、なにか次のトラックの呼び水となり、さらにはEP全体のオープニングのようでもある。それを受けて展開されていくのは、意外にも暗鬱なスロウコアを彷彿とさせるローファイの世界。粗いギターの音色、そして同じようなコードを反復しながら、キャサリン・モーアはローファイ感のあるボーカルトラックを紡ぎ出している。それは、歌声を介して、これらの内的な不可思議な世界や、作品のテーマであるサンフランシスコの海岸に流れ着いたミステリアスな浮遊物の存在をおもむろに解き明かしていくかのようでもある。その雰囲気は、アンビエントとフォークの融合を試みている、ポートランドのGrouperのアプローチに比するものがありますが、キャサリン・モーアはコーラスの多重録音により、この楽曲に親しみやすさを与えている。

 

その後も、ミステリアスな世界はジャンルレスに続いていく。エレクトロニカ/フォークトロニカに近い「Red」では内向的な電子音楽の領域を探求する。ミニマルとグリッチとノイズの中間にあるこの三曲目でさらに、キャサリン・モーアは内側の世界へ、さらなる奥深い世界へと静かにその階段を降りていく。それはまるで、はてない内的な空間を切り開いていくかのようである。


そうかと思えば、次のタイトルトラックでは、Girl In Redのようなベッドルームポップ/ローファイの質感を持った親しみやすいボーカルトラックが提示されている。しかし、それらはやはりスロウコア/サッドコアのようにきわめて内省的なサウンドが繰り広げられ、淡々と同じコードが続き、また同じコーラスワークが続いていく。曲は単調ではあるのだが、不思議と飽きさせないような奥行きがあるように感じられる。

 

その後の一曲目と同系にある「___(b)」では、フィールドレコーディングで録音したと思われる大気の摩擦するような音だけが延々と再生される。これは、もしかすると、ニューメキシコの砂漠がちな大地で録音された音と考えられるが、わずか一分半の短いトラックは、この土地のワイルドな雰囲気を思わせるのみならず、際限のない空間がそれとは対極にあるコンパクトなサンプリングとして取り入れられている。これは、アンビエントともドローンともいえない、音楽の連想的な作用を生じされる特異なエクスペリメンタルミュージックである。


続く「Glare Valley」で、キャサリン・モーアは、モダンな雰囲気を持つ、ローファイ/インディーロックを展開させていく。ノイズを過度に施したエフェクト処理は、最近のハイパーポップへの傾倒も伺わせるが、おそらくキャサリ・モーアが追い求めるのは、この音楽に代表されるような脚色や華美さなのではなく、きわめて質朴で純粋な感覚である。キャサリン・モーアは、ただ、ひたすら、自分自身に静かに何度も何度も問いかけるように、内側の世界へとエレクトリックギターの弾き語りを通じ、抽象的な表現性の核心にこの音楽を通じて向かっていく。きわめて内省的で危うげな世界へ、このアーティストはおそれしらずに踏み入れ、内面を丹念に検めていくのだ。


EPのクローズとなる「Nin Jiom」では、再び、エレクトロニカの世界へと舞い戻る。これも「Red」のように、そつないミニマルミュージックではあるが、この中にもローファイなコーラスワークが取り入れられている。それは内面の感情をコーラスとして置換したかのように亡霊的な響きを持ち、聞き手をさらなるミステリアスな世界へ引き込んでいく。そして、それらの断続的な世界は、ふと、作品のクライマックスの語りのサンプリングにより途絶えてしまう。得難いことに、それまであった空間が、このサブリミナル効果のあるサンプリングにより一気に遮断されるのだ。きわめて部分的であり、瞬間的であり、感覚的であり、断片的でもある。そもそも、連続性という概念を、この作品全体の中で完膚なきまでに拒絶しているようにも見受けられるが、してみれば、それこそがこのアーティストが表現したかったなにかなのかもしれない。

 

総じて、この新作EP『Holly』は、ニューメキシコの砂漠地方の乾いた雄大な風景を思わせるとともに、内的な感覚を繊細かつ綿密に表現し、アーティストの心の中にわだかまる聖なるものと邪なるものの間で、たえず揺れ動くかのような作風となっている。しかしながら、作者は、常に、この形而下の狭間に落ち着かなく身を置きつつも、たしかに、聖なるもののほうへ魅力を感じており、そちらがわに引きずられようとしている。それが、本作のタイトルが『Holly』となった所以なのかもしれない。

 

これらの多次元的で分離的な作風が、より大がかりな形式のフルアルバムとなった時、どのような作品になるのだろうかと、「Holly」は大いに期待させてくれるものがある。今作は、耳の肥えた実験音楽のファンにとどまらず、ローファイのファンにとっても見逃せないリリースとなっている。



78/100




  Arctic Monkeys  『The Cars』

 


 

Label: Domino

Release: 2022年10月21日



Reveiw

 

全世界のロックファン待望のアークティック・モンキーズの四年ぶりのアルバム『The Cars』遂に発売となりました。この新作の到着には、往年の熱心なファンにセンチメンタルな感涙すらもたらしたでしょう。

 

さて、シェフィールド出身のアークティック・モンキーズの最新作は、すべての楽曲のソングライティングをフロントマンのアレックス・ターナーが手掛けている。そして、アルバムのレコーディングは、イギリスのサフォークで行われている。アルバムのレコーディングの様子を映した写真が公開されているので、それを、以下に掲載しておきます。この写真は、アレックスと古くからの盟友であり、バンドの屋台骨でもあるマット・ヘルダースが撮影したものです。 

 

 


 

このアルバムには、明らかに、以前よりもソウルミュージックや1960年代のビートルズのマージーサウンドに象徴されるアクの強いアプローチが取り入れられていますが、一体、アレックス・ターナーとバンドは何をこのアルバムで志向しようとしたのでしょう。実は、ターナーは、一ヶ月前に、自身のお気に入りの楽曲を集めたspotifyのプレイリスト公開していて、この最新アルバムの謎を解き明かす上で、このプレイリストはかなり参考になると思いますのでぜひチェックしてみてください。ここで、アレックス・ターナーは、セルジュ・ゲンスブール、ジョン・カーペンターをはじめとする、かなり渋い選曲をしていることからも分かる通り、どうやら、ロック/ポップスの核心を徹底して追求しようとしたのが「The Car」の正体のようです。


最初の先行シングル「There’d Better Be A Mirrorball」は、アルバムの中で最も説得力のある楽曲に挙げられる。アナログテープの逆再生の手法を交え、クラシカルなロックと古典的なR&Bの中間にあるポイントを探っているように見受けられる。この新たなポイントに加え、アークティックの最初期の名曲「Only Ones Who Know」を彷彿とさせる内省的なロマンチシズムが漂う。その他、この曲と同系統に当たる「Body Paint」もまた、アレックス・ターナーのボーカリストとしての円熟味を感じさせるバラードソングとして十分に楽しんでいただけると思われます。

 

これらの最初期のガレージロックバンドとしての性質の中に隠れていた要素、実はこのバンドの最も重要な性質でもあるソウル・バラードをアルバムの全体像として捉えることも出来るのですが、その他にも、表題曲の「The Car」では、近年の『AM』『Tranquility Base Hotel & Casino』の音楽性の延長線上にあるゴージャスな雰囲気を持ったR&Bソングに、ダンスホール時代のソウル・ミュージック、ファンク、はては、フランスのゲンスブールのようなイエイエの時代のダンディズムを加えた、玄人好みの音楽観を感じさせる。それらが、ピアノ、ギター、ベース、ストリングスを交えて、多角的なアプローチに取り組んでいる。これはありえないことではあるものの、音楽から、往古の時代の芳醇なノスタルジアが匂い立つように感じられる。映画音楽、また、古い時代への温かなロマンチズムやノスタルジア、つまり、それこそ、アレックス・ターナーがこの最新作『The Car』で描きたかった表現性なのかもしれません。

 

バックトラックに関しては精妙に作り込まれており、完璧なポピュラー/ロックミュージックの表現性が引き出されています。この点は、バンドのしたたかな経験が作品に目に見える形で表出している。ただし、ひとつ大きな問題を挙げるとするなら、その完璧なバックトラックに対して、ややもすると、アレックス・ターナーの掲げる理想のイメージが高すぎるのか、ボーカルが背後のダイナミックなトラックメイクに合致しているとは言いがたい部分もある。もっというならば、ボーカルがバックグラウンドから少しだけ浮いているようにも感じられるわけです。


アークティック・モンキーズは、すでに『AM』の時代から、初々しく突っ走るガレージロック/ダンスロックのイメージから脱却しようと試みており、その凄まじいチャレンジ精神が前々作、前作、そして、この最新作にも引き継がれていることは事実ですが、この最新作の転身ぶりには若干の不安も残ります。アルバム到着を待ち望んでいたファンの期待には大いに答えてみせている作品ではあるにしても、最初期からのファンとしては違和感を少し覚える部分もある。

 

いずれにしても、この作品だけで最終的な結論を出すのは難しい。ニック・オマリーのPファンクをベースにした演奏のアプローチについては卓越しており、さらに映画のサントラのようなドラマティック性についてもバンドの進化と呼ぶべきでしょう。今後、このアプローチがよりバンドの結束した意思となり、それぞれの概念が融合を果たした時、時代を超える傑作が生み出される瞬間となるはず。正直、最初のリスニングでは、このアルバムに関して複雑な感情を覚えた部分もありますが、後に少しだけ考えを改めました。ひょっとすると、アークティック・モンキーズは、この作品でバンドとして一つの通過点を迎えたに過ぎないのかもしれません。

 


82/100

 


Featured Track 「There’d Better Be A Mirrorball」

 



 Frankie Cosmos 「Inner World Peace」

 


 Label: Sub Pop 

 Release: 2022年10月21日

 


 

 

 

Review


 

 NYを拠点とするインディーロックバンド、フランキー・コスモスは、同時代を生きる多数のバンド、アーティストと同様、パンデミックの難局に直面した。この間、フロントパーソンのグレタ・クラインは、家族と暮らしながら曲を書き溜めていた。その後、他のバンドメンバーと合流し、およそ500日ぶりに出会い、書き溜めたデモを何らかの形にしようと試みました。NYのFigure 8 Recordingで、フランキー・コスモスは、Nate Mendelsohn,Katie Von Schleicherというプロデューサーの助けを借り、『Inner World Peace』の制作に取り掛かったのです。

 

グレタ・クラインはこのアルバム『Innner World Peace』について、「私にとって、このアルバムは知覚について表すものです。 私はだれかという疑問、その答えが重要なのかどうかといこと。量子的な時間、目に見えない世界の可能性について、このアルバムは、新しい文脈の中で浮遊する自分自身を発見するためのものです」とプレスリリースを通じて説明しています。つまり、この言葉から、このアルバムは、以前、4ADからデビューした米国のインディーロックバンド、Throwing Musesのような可愛らしさのあるインディーロックのアプローチが取り入れられながら、いくらかそこには内的な空間の神秘性に詩や音楽を通じて迫るような意図が込められているわけです。つまり、フランキー・コスモスは、素朴な質感をもった親しみやすいオルトロックを通じて、内的な世界の平和を描き出そうと試みているようにも感じられるのです。

 

今回のアルバムの制作時には、カプコンの格闘ゲーム『ストリート・ファイター』の「K.O」の画面のキャプチャ、そして、Mad Magazineの表紙がバンドが制作を始めるにあたって作った巨大スライドに映し出されていたとプレスリリースには書かれている。これは、バンドから提示されたあらかじめの設計図であり、それらの一見何ら関係のないように思われるシュールなコンセプトの融合は、しかし、『Inner World Peace」の全編に通じている要素でもあるわけです。


本作には15曲というボリュームを擁する曲数が収録されていますが、決して飽きさせるような長さではありません。グレタ・クラインが持ち込んだデモ曲を、実にバンドは見事な形でアンサンブルとして昇華させ、二人のプロデューサーはそれらを秀逸なインディーロック/パンクソングとして仕立てています。それらは、オーストラリアのThe Bethにも近い雰囲気を持ち、バンドが強い影響に挙げる1960年代のポップス、サイケの色合いを持ったかなり奥深い世界がこのアルバムには満ち広がっている。それは表面的なファニーな印象とは裏腹に、行けども行けどもたどり着くことのない、無限のオルタナティヴ・ワールドに足を踏み入れるようにも思える。

 

 これらの収録曲は、中学生からの同級生であるというグレタ・クラインとマーティンのボーカルの絶妙な兼ね合い、そして、ハモンド・オルガンやシンセサイザーを活かしたノスタルジックなインディーロック/ポップソングの要素が前面に押し出されており、それらは先述したようにいくらかのサイケデリックな色合いを擁する。

 

しかし、これらの音楽は、耳の肥えたリスナーの興味を惹きつけるだけにとどまらず、より幅広い一般的なリスナーの心に共鳴する普遍性が込められています。それは、フランキー・コスモスが、これらのサウンドの中に内的な平和というテーマを掲げ、それが懐かしく、温かな雰囲気のあるインディーロックとして昇華されているからなのです。もちろん、彼らは内的な平和こそ最も尊い概念であると知っているのです。なぜならそれは明日の平和を生み出すに至るのだから。


量子学においては、内的な世界は必ず外的な世界とどこかでリンクします。内的な争いは外側の争いを別の場所で生む。その逆も然り。フランキー・コスモスの最新作『Inner World Peace』は、それらの物理学の根本的な真実を物語るのみならず、この世を照らす温和な明るい光でもある。



 

 86100

 

 

Featured Track 『F.O,O.F』


Sylvain Chauveau「I'effet  rebound(version silisium/version iridium)

 

 


 

 

Label: Sub Rosa

Release: 2022年10月14日

 

 

 

 Sylvain Chauveauは、フランス出身、現在、ベルギー在住の音楽家で、アンビエントやポスト・クラシカルのジャンルにおいては中心的な役割を担う人物です。2000年代から活動を行っており、その音楽性は、実験音楽から、ポスト・クラシカル、また、アンビエントに近い電子音楽のアプローチにいたるまでそのアプローチは幅広い。ピアノ作品としての傑作としては、2003年の「Un Autre Decembre」がある。その他にも、アイスランドのヨハン・ヨハンソンと同時期にモダンクラシカルの領域を追求した2004年の「Des Plumes Dans La Tete」といった傑作も残しています。

 


先週の10月14日、お馴染みのベルギー/ブリュッセルのレコードレーベル”Sub Rosa”から発売となった最新アルバム「I'effet  rebound(version silisium)」は、12曲入りのアルバム、と24曲入りのアルバム、2つのバージョンでリリースされています。今回、主にレビューを行ったのは、12曲入りのストリーミングバージョンversion silisiumで、24曲入りのバージョンversion iridiumはより、モダンクラシカル/アバンギャルドミュージックの色合いを持つアルバムとしてお楽しみいただけます。

 

 

「I'effet  rebound」は日本語に訳すと、「リバウンド効果」。本作は、2012年に発表されたニルス・フラームの「Screws」に近い、連曲形式で書かれた作品ですが、今回、シルヴァン・ソヴォは、同じくポストクラシカル/モダンクラシカルのシーンで象徴的なアーティスト、Peter Broderick(ピーター・ブロデリック)ほか二人の音楽家をゲストに招き、ポスト・クラシカル/モダン・クラシカルのアプローチを探求する。

 

 Sylvain Chauveauは、これまでの二十年のキャリアの蓄積を踏まえつつ、アコースティックギター、ピアノ、そして、シンセサイザーのシークエンスを中心に作品の全体構造を組み上げていきます。アルバムの収録曲は、オープニングの17分にも及ぶ「SCG」を除いて、一分以内のトラックで構成されていますが、それらはデモトラックのようであり、また、新たな形式の変奏曲のようでもある。

 

これまでの Sylvain Chauveauの作品と同様、今作においても緩やかな音楽観や抒情性は健在で、それらが美麗な自然を思わせるインストゥルメンタルとして昇華されている。基本的には、ミニマルミュージックの構造を持つイージーリスニングのように癒やしを目的として制作された作品のようにも感じられますが、一方で、このアーティストらしい実験的なアプローチの才覚の輝きも随所に迸っている。Machinefabriekをゲストに招いた壮大なオープニング「SCG」では、アコースティックとピアノのみで楽曲のクライマックスまで引っ張っていきますが、およそ一小節にも満たない反復構造のアコースティックは心地よいもので、昼下がりの太陽の光を反映する木の葉のきらめきのごとく伸びやかであるとともに、渓流の水のように清冽な雰囲気に満ちている。

 

その他、残りの連曲では、電子音楽、ポスト・クラシカル、ジム・オルークのGaster Del Solが1996年に発表した「Upgrade & Ufterlife」の作風を彷彿とさせるアヴァンギャルド・フォークに至るまで、幅広いアプローチが取り入れられている。器楽的な楽曲の他にもボーカルトラックが収録されていて、さらに、 Sylvain Chauveauは、#6「MB」において日本語のボーカルに挑んでいる。

 

ここで、シルヴァン・ソヴォは、日本の俳句や短歌のような言語的な実験を行いたかったものと思われますが、日本人から見ると、その試みは、少し言語的な誤解があるため、残念ながら不発に終わったという印象です。これらの実験的なアプローチの合間を縫って、実験的なピアノ曲「IA」のような楽曲と、Jim O'Rourkeのアヴァンギャルドフォークの色合いを持つ「LN」、「JG」といった楽曲を織り交ぜつつ、おぼろげだった音楽観が中盤に差し掛かると徐々に明瞭となっていく。

 

「I'effet  rebound(version silisium)」に収録される曲は、ひとつずつ再生するごとに、その向こうがわにある定かならぬ世界を、一つずつ恐る恐るどんなものだろうと垣間見るかのようではあるが、それらはカメラのフラッシュのように一瞬で終わり、また、次の世界は矢継ぎ早に立ち現れてくる。 Sylvain Chauveauは、ボーカルのつぶやきをふいに楽曲の中に取り入れていますが、それらは最終的に、クラシカル/エレクトロニックのバックトラックの中に溶け込むようにしてすぐに消え果てる。それは主張性を表現するためでなく、没主張性をこれらのトラックの中に込める。それは何かこの世の儚さというのをこれらの音楽で表現しているようにも見受けられる。

 

瞬間的ではあるが、断続的でもある不可思議な世界。これらの螺旋状の多次元的な構造を、アヴァンギャルド/ポスト・クラシカルという、このアーティストの長年の符牒を通して、リスナーにスライドショーのように提示していく。 Sylvain Chauveauの描出しようとする音響世界は、抽象的であり、それは時に、絵画芸術でいえば、シュルレアリスムに近い意義を有している。これらの表現は、さながら、シュルレアリスムのアンドレ・ブルトンの自動筆記による小説のように、即興の演奏を組み合わせたような趣がある。ひとつの側面から音楽をじっと見ると、その裏側にもそれとまったく異なる印象を持つ音楽が存在することを明示しており、したたかな経験を持つ音楽家だからこそ生み出し得る秀逸な表現をこのアルバムに見出すことができる。

 

2つのバージョン共に、オーケストラのバレエ音楽の組曲のような手法で書かれた作品であり、それは、現代的なバレエの振り付けの音楽のような意図が込められているように思える。そして、もうひとつ、指摘しておくべき点は、この作品に触れるにつけ、これまでとは異なる音楽の聴き方を発見できることでしょう。造形的なモダンアートや舞台芸術を音楽という切り口から解釈しているようにも感じられますが、これは、一見、奇をてらっているようにも思えて、よく聴くと、単なるスノビズムに堕しているわけではありません。それは、このフランス/ベルギーのアーティストが、現代社会というレンズを介し、何かを大衆に深く問いただしているようにも感じられるのです。


しかし、製作者として、問いこそ提示するが、答えは出さないという、きわめて曖昧な手法をシルヴァン・ショボーは選んでいるため、最後の答えはリスナーの手に委ねられる。そして、「リバウンド効果」という意味や正体はミステリアスな雰囲気に包まれたまま、 Sylvain Chauveauがこのアルバムで何を表現しようとしたのか、それは一聴しただけではわからないだろうと思われます。 


 

89/100

 

 

 

 

 

 

 

 

Sylvain Chauveau  Profile

 


 Sylvain Chauveauは、FatCat, Sub Rosa, Type, Les Disques du Soleil et de l'Acier, Brocoli などのレーベルからソロ作品を発表している。



フィリップ・グラス、マックス・リヒター、ギャビン・ブライヤーズ、坂本龍一&アルヴァ・ノト、ハウシュカなどとともに、コンピレーション『XVI Reflections on Classical Music』(デッカ/ユニバーサル)に作品が収録されている。



彼の音楽はBBCのジョン・ピールの番組で演奏され、The Wire, Pitchfork, Mojo, The Washington Post, Les Inrockuptibles, Libérationなどの雑誌で批評された。


ヨーロッパ、カナダ、アメリカ(ニューヨークのLe Poisson RougeとKnitting Factory、シアトルのDecibel festival、シカゴのThe Wire festival)、ロシア(モスクワ)、アジア(日本、台湾、シンガポール)でライブを行う。



彼は、2012年6月1日から2019年5月31日の間にインターネット上で配信された、ほとんど沈黙に満ちた「You Will Leave No Mark on the Winter Snow」というタイトルの7年間の作品を作曲しているほか、長編映画やダンスショーのサウンドトラックの制作を手掛ける。

シルヴァン・ショーヴォーは、アンサンブル0(ステファン・ガラン、ジョエル・メラらと共演)、アルカ(ジョアン・カンボンとの共演)の一員でもある。1971年、バイヨンヌ(フランス)生まれ、ブリュッセル(ベルギー)在住。

 The 1975  「Being Funny In A Foreign Language」

 


 

Label: Dirty Hit

Release: 2022年10月14日


Review


マンチェスターのロックバンド、The 1975の「Being Funny In A Foreign Language」のレビューをお届けします。

 

The 1975は多くの人が知っている通り、英国内では、賛否両論あるロックバンドです。レディングのヘッドライナーを務めたときも、批判もあった。彼らのロックは親しみやすいものであるとともに、また消費的な商業音楽でもあり、その点が意見が左右される場合があるのでしょう。しかし、この点は、例えば、日本国内でのこのバンドの評価を見た際に、洋楽初心者と、比較的、洋楽に慣れ親しんだリスナーとの間で評価が二分されることも事実かもしれません。しかし、間違いなく、The 1975のライブパフォーマンスは、世界的に見ても随一のクオリティーであり、フロントマンのマッティー・ヒーリーも、ロックバンドのフロントマンとしては世界的に見ても秀でた歌唱力を持っている、そのことはまず認めておかなければなりません。

 

ダーティー・ヒットからの最新作「Being Funny In A Foreign Language」は、マッティー・ヒーリーが、「外国語で人を笑わせることが出来たら、どれほど世界が朗らかになるだろう?」というアーティストなりの提言となっている。そして、アルバムのアートワークに関しても、モノトーンに映された写真で車の上に乗っているのは、他でもないマッティー・ヒーリー本人で、これは2013年に発表された「Music For Cars EP」時代のThe 1975のイメージからの脱却という意味、暗示が込められている。この2013年の自分たちの古びたイメージとの決別を告げている(古い自分たちを乗り越えよう)という表明と捉えることも出来るわけです。


しかし、興味深いことに、最新作「Being Funny In A Foreign Language」は、彼らの次なる段階への進歩を示しつつ、原点回帰を図ったアルバムに位置づけられるかもしれません。2018年の「Brief Inquiry Into Online Relationship」ではエレクトロの影響が色濃かったものの、今作では一転、クラシカルなロックのスタイルに方向転換を図っている。それは、普遍的なロックバンドへの歩みを進めつつある過程ともいえ、それらの苦心の跡もアルバムには感じられる。

 

全体的には、アルバムのハイライトで、サマーソニックで初披露された「I'm In Love With You」を始めとする1980年代のディスコ時代のポップス、そして、ダリル・ホール&ジョン・オーツのソフト・ロックを融合させたようなサウンドで、口当たりはよく、それほど洋楽に詳しくないという方でも入りやすさがあるように思われる。さらに、以前に比べて、バリエーションを持たせるべく、バンドは苦心しており、サックスを取り入れたこれらのダンサンブルなロック/ポップスの中に、これまでのアルバムのオープニングと同タイトルである、お馴染みの「The 1975」では、ボン・イヴェールを思わせる実験音楽とポップスの融合を試みていたり、さらには、R&Bの全盛期を思わせる「All I Need To Hear」といったトラックでは、まさにマッティー・ヒーリーのソングライティングの核心とも言える、しっとりとしたバラードソングも聴くことが出来ます


そして、もうひとつ、バンドとしての大きな変化を感じさせるのが、#10「About You」で、ここではこれまでのバンドの経験を踏まえつつ、典型的なスタイルから脱却し、轟音ポストロックサウンドのような斬新なアプローチを図っている。しかし、それらは、このバンドの手にかかると、なぜか、親しみやすいキャッチーなアンセムソングに変化してしまうというのが面白い。

 

フロントパーソンのマッティ・ヒーリーのヒット曲を、それほど苦心せず、さらりと書いてしまうという性質は、ほとんど天性のもので、また、その曲をさほど重苦しくならず、さらりと気安く歌う事もできる、つまり、イメージに爽やかさがあるという点も、このシンガーの類まれなる天性でもある。

 

「Being Funny In A Foreign Language」は、多くの人の心を捉えるような出来となっており、クオリティーも軒並み高い。そして、アリーナクラスの楽曲が勢揃いしていて、何より多くのリスナーの共感を得そうな雰囲気もあるため、洋楽の入門編としては、これ以上のアルバムは存在しない。しかし、ひとつだけ、このアルバムの難点を挙げるとするなら、これらの楽曲は、とっつきやすさがあるのと同時に飽きやすさがあるという点でしょう。実はバンドは、そのことを前作ですでに把握していて、そういったこのバンドイメージにまつわる軽さを払拭しようと苦心し、ロックバンドの経験を踏まえ、円熟味や深みを追求したのが、「All I Nerd To Hear」「About You」あたりの楽曲ではないだろうかと思われます。


しかし、この最新アルバムは、The 1975の結成から20年の集大成であることはたしかですが、このバンドの最終形ではなく、ひとつのターニングポイントに過ぎないのかもしれません。マンチェスターのロックバンド、The 1975のビッグチャレンジは、まだまだこれからも永く続いていくことでしょう。

 

 

80/100

 

 

Featured Track 「I'm In Love With You」

  Enumclaw 『Save the  Baby』

 

 



 

 

Label: Luminelle Recordings


Release:   2022年10月14日




Officiial-order 「Save the Baby」

 

 


Revew

 

 

今週は、音楽ファンとしては嬉しいかぎりで、多くのリリースがあり、そのすべてを網羅するのは難しそうです。そんな中、強い存在感を放っているのが、ワシントン州タコマ出身の四人組のインディー・ロックバンド、Enumclawのデビュー・アルバム『Save The Baby』です。

 

2019年に結成されたインディーロックバンドで、それほどまだ活動期間は短いものの、すでに海外でも注目を集めるようになっている。このバンドの面白さは、フロントマンのアラミス・ジョンソンの人物像に尽きる。 彼はもともと、学生時代にレスリングをやっていたそうで、UKのアーティスト、King Kruleを介して音楽に目覚めた。その後、アラミスは、ラップに慣れ親しんでいったというのです。USオルタナティヴ・ロックという一つの共通点を見出し、バンドを結成してから、最初期のシングル、『Jimbo Demo』をリリースするうち、国内のピッチフォークや、UKの音楽メディアにも注目を浴びるようになっている。これからが楽しみなバンドでしょう。

 

昨日、10月14日に発売されたばかりの『Save The Baby』は90年代のUSインディーロックに根差した親しみやすいアルバムで、「ポップ・アルバム」と彼らは称しているようです。Enumclawの音楽は、軽快で、ドライブ感があり、捉えやすく、人を選ばない。誰もが純粋に親しむ事のできるフレンドリーなインディーロック。それは、彼らがオアシスのようなバンドを志しているというエピソードを伺わせます。

 

しかし、Enumclawの音楽は、単なるポピュラー・ミュージックの領域にとどめておくのはもったいないことでしょう。USオルタナティヴのレジェンド、ダイナソー.Jrの轟音ギターの影響、そして、J Mascisのソングライティングの主な要素である轟音性の背後にある繊細性と内向性を彼らは受け継いでいるように思えます。それは時代を超越した普遍的なロックソングの本質を表すものであるとともに、このアルバムに強いインパクトと聴きごたえをもたらしている。


オープニングを飾る表題曲「Save The Baby」から、イーナムクロウらしさは全開である。轟音のギターロックに加え、哀愁やせつなさをほのかに漂わせる旋律、そして、フロントマンのアラミスのもう一つのルーツでもあるヒップホップの前のめりのグルーブが満載の一曲となっている。この内的な感覚に根差した序章で、彼らはリスナーを轟音の渦に誘うと同時に、トロ・イ・モアのようなローファイ/チルアウトの雰囲気を表現してみせている。ミドルテンポの安定感のあるギターサウンドは、パンクをルーツ持つグランジの要素を内包しているため、パンチ力がある。サンプリングを導入し、ブレイクビーツのような手法を感じさせるのも面白い特徴に挙げられる。

 

その他にも、静謐な印象のある「Blue Iris」でこれらの轟音サウンドに変化を付けてみせている。アラミス・ジョンソンのボーカルは基本的にパワフルであるものの、そこにはそれと真逆の内向性を感じ取ってもらえると思われます。他にもインディー・フォークの素朴で淑やかな雰囲気を漂わせる「Somewhere」は、この人物の温かな心情が表されており、J Mascisのソロ作のように、穏やかで自然味あふれる楽曲となっている。

 

アルバムの中で、ひときわ強い印象を受けるのが、ハイライトのひとつ「Jimmy Neutron」でしょう。Enumclawは、このアルバムに人間関係の葛藤、その他にも友情といった主題をおいているが、まさにそのことを体現したようなインディー・ロックバンガー。この四人組バンドの結束力、温かな友情がこの軽快なロックソングに反映されている。シューゲイザーに近い、苛烈なディストーションギターのせつない余韻、それはこの四人組の人間関係の絢を他のどの表現よりも切実に表現しているからこそ生ずる感覚。イントロが会話のサンプリングで始まるこの曲は、何よりもこのバンドが大事にしている感情が巧みに表現されている。

 

このデビュー・アルバムは、ワシントン州タコマの多彩な文化、人種的な多彩さを反映している。この土地では、アジア系や、その他様々な人種がコミュニティを形作っているという。そして、Enumclawもそれらの文化的な背景と無関係ではない。なぜなら生活のある場所に何かが生きている場所に文化が生じ、表現が生まれるのです。そして、互いの異なる性質を尊重し、その性質を認め合うという美徳が、このバンドの強い屋台骨ともなっている。


Enumclawの音楽は人間における二極性を複雑に表しており、外交的であると同時に、内向的でもある。さらにまた、このデビュー作では、感情の振れ幅の大きさ、かつてのグランジのような両極性を十分実感することが出来、また、そういった人間の中の多面性を表しているのが最大の魅力です。これらの表現が、これからどのような形で奥行きを増していくのか期待していきたい。



 84/100

 

 

Featured Track  「Jimmy Neutron」

 

 Thus Love 「Memorial」

 

 

 

 

Label: Captured Tracks

Release: 2022年10月7日

 

 

Official-order




Review



 もし、そのバンドにとってグループの活動が、バンドの意味以上の何らかの重要な意味があるとしたら? それはきっと説得力溢れる芸術表現として昇華されるに違いありません。そのことを体現してくれているのが、10月7日にCaptured Tracksから記念すべきデビューアルバム『Memorial』をリリースしたThus Loveです。

 

このトリオにとって、Thus Loveとは、バンドという意味があるだけにとどまらず、小さな共同体という意義をも兼ね備えている。バーモント州ブラトルボロ出身のThus Loveは、Echo Mars(彼女/彼)、Lu Racine(彼/彼女)、Nathaniel van Osdol(彼ら/彼女)は、同じ屋根の下で暮らし、自分たちの商品をデザイン・制作し、さらに自分たちのレコーディングスタジオをゼロから作り上げていきました。彼らにとって、音楽活動、及び、その延長線上にある活動は、DIYという流儀を象徴するだけでなく、トランス・アーティストとしての生き様をクールに反映させているのです。 


パンデミック下、元々、Thus Loveは、ライブを主体に地元で活動を行っていましたが、このパンデミック騒動が彼らの活動継続を危ぶんだにとどまらず、彼らの本来の名声を獲得する可能性を摘むんだかのように思えました。しかしながら、結果は、そうはならなかった。Thus Loveは幸運なことに、ブルックリンのインディーロックの気鋭のレーベル、キャプチャード・トラックスと契約を結んだことにより、明日への希望を繋いでいったのである。それは、バンドとしての生存、あるいは、トランスアーティストとしての生存、双方の意味において明日へ望みを繋いだことにほかなりません。

 

この作品は、このブラトルボロでの共同体に馴染めなかった彼らの孤独感、疎外感が表現されているのは事実のようですが、しかし、それは彼らのカウンター側にある立ち位置のおかげで、何より、パンデミックの世界、その後の暗澹たる世界に一石を投ずるような音楽となっているため、大きな救いもまた込められています。Thus Loveのアウトサイダーとしての音楽は、今日の暗い世相に相対した際には、むしろ明るい希望すら見出せる。それは、暗い概念に対する見方を少しだけ変えることにより、それと正反対の明るい概念に転換出来ることを明示している。これらの考えは、彼らが、ジェンダーレスの人間としてたくましく生きてきたこと、そして、マイノリティーとして生きることを決断し、それを実行してきたからこそ生み出されたものなのです。


Thus Loveの音楽性には、これまでのキャプチャード・トラックスに在籍してきた象徴的なロックバンドとの共通点も見出すことが出来ます。Wild Nothingのように、リバーブがかかったギターを基調としたNu Gazeに近いインディーロック性、Beach Fossilsのように、親しみやすいメロディー、DIIVのように、夢想的な雰囲気とローファイ性を体感出来る。さらに、The Cure、Joy Division、BauhausといったUKのゴシック・ロックの源流を形作ったバンド、ブリット・ポップ黎明期を代表するThe SmithのJohnny Marrに対する憧憬、トランス・アーティストとしての自負心が昇華され、クールな雰囲気が醸し出されている。

 

一社会におけるマイノリティー、少数派という立場に置かれる(また、置かれざるを得ない)ことは、彼らのように音楽を表現する上で欠かさざる要素であるように思える。Thus Loveは、このデビュー・アルバムにおいて、自分たちがどのようなバンドであるのか、そして、今後、どのような存在でありつづけたいのかを明示しています。それは、デビューアーティストに対するファンの漠然とした期待感に対する彼等三人のしたたかな回答とも言えるでしょう。

 

さらに、このデビュー作には、Thus Loveの2018年頃からの思い出が色濃く反映されているのが窺える。不思議なことに、彼らの音楽は、どことなく映像的であり、彼らの体験した出来事や感情をこの作品のリスニングを通じてなぞらえる、つまり、彼らの人生の断片を追体験するかのようでもある。それは、単なる音楽を聴くという体験にとどまらず、時に、記憶という得難い概念を通して、何かそれらにまつわるノスタルジアのような感覚を、彼ら、Thus Loveと共有したり、呼び醒ますことに繋がるのです。

 

このアルバム『Memorial』では、バンドとして発足後、最初期から地元のギグで演奏してきたという「Pit and Pont」、次いで、「Morality」がハイライトとなるでしょう。これらの楽曲は、耳の聡いインディーロックファンの期待に沿うばかりでなく、リスナー自身の他では得難い記憶に成り代わるだろえと思われる。Lu Racineのクールなボーカル、シューゲイズに近い歪んだギター、そして、それらのを背後から強固に支えるシンプルなリズムが合致することで、バンドアンサンブルの崇高な一体感が生み出されている。それはバンドのレコーディング風景が如何なるものなのか、これらの音楽から何となく窺えるようでもある。

   

デビュー・アルバム『Memorial』は、Echo Mars、Lu Racine、Nathaniel van Osdol、三者の強い結束力によって結ばれているがゆえ生み出された作品で、強い存在感と説得力を兼ね備えている。このレコードは、社会における少数派として生きざるを得ない人々を勇気づけるにとどまらず、その肩を強く支えるに足るものになるかも知れない。



84/100




Featured Track「Pith and Point」



 

 

 

 

Label: Warp 

Release: 2022 9/30

 



 

 

Review


 近年、クラークは、イギリスからドイツに移住し、昨年には、クラシックの名門レーベル、ドイツ・グラモフォンと契約を交わし、モダン・クラシカルの領域を劇的に切り開いた、最新アルバム「Playground In A Ground」をリリースしています。また、その他にも、ポピュラー・ミュージックとも関わりを持ち始めており、ニューヨークの人気シンガーソングライター、Mitskiとのコラボレーション・シングル「Love Me More」のリミックスを手掛けたり、と最近は、電子音楽にとどまらず、多岐に亘るジャンルへのクロスオーバーに挑戦しています。Clarkは、いよいよ、Aphex TwinとSquarepusherとの双璧をなすテクノの重鎮/ワープ・レコーズの看板アーティストという旧来のイメージを脱却し、新たなアーティストに進化しつつあるように思える。

 

クラークのデビューから十数年にも及ぶバック・カタログの中で最も傑出しているのが、2008年のハード・テクノの名盤『Turning Dragon』、そして、デビュー作としてダンスフロアシーンに鮮烈な印象をもたらした「Body Riddle」である。おそらく、このことに異論を唱えるファンはそれほど少なくないだろうと推察されるが、特に、前者の「Turning Dragon」は、ゴアトランスの領域を開拓した名作であり、クラーク、ひいてはテクノ音楽の真髄を知るためには欠かすことのできないマスターピースといえますが、そして、もう一つ、後者の「Body Riddle」もクラークのバックカタログの中で聴き逃がせないテクノの隠れた傑作の1つに挙げられる。

 

そして、今年、遂に、「Body Riddle」 が未発表曲と合わせて、ワープ・レコーズからリマスター盤として9月30日に再発された。これは、クラークのファン、及び、テクノのファンは感涙ものの再発となる。この再発に合わせて、同レーベルから発売されたのが「05−10」となる。こちらの方は、クラーク自身が監修をし、未発表曲やレア・トラックを集めたアルバムとなっています。

 

最近では、ハードテクノ、ゴアトランスのアプローチから一定の距離を置き、どちらかと言えば、それとは正反対にある上品なクラシック、そしてテクノの融合を試みているクラークではあるが、テクノの重鎮としての軌跡と、ミュージシャンとしての弛まざる歩みのようなものを、このアルバムに探し求める事ができる。次いで、いえば、このアーティスト、クラークの音楽性の原点のようなものがこのレア・トラックス集に見出せる。アルバムの序盤に収録されている#2「Urgent Jell Hack」には、エイフェックス・ツイン、スクエアプッシャーに比するエレクトロの最盛期を象徴するドラムン・ベース/ドリルン・ベースに重点をおいていることに驚愕である。

 

さらに、デビュー作硬質な印象を持ちながらも抒情性を兼ね備えた「Body Riddle」とハードテクノ/ゴアトランスに音楽性を移行させて大成功を収めた大傑作「Turning Dragon」との音楽性を架橋するような楽曲も収録されており、ミニマル/グリッチ、ノイズ・テクノの実験性に果敢に取り組んだ前衛的なエレクトロの楽曲も複数収録されている。元々、クラークは前衛的な音楽に常に挑戦するアーティストではあるものの、そのアヴアンギャルド性の一端の性質に触れる事もできなくはない。そして、近年の映画音楽のように壮大なストーリー性を兼ね備えたモダン・クラシカルの音楽性の萌芽/原点のようなものも#6「Dusk Raid」#8「Herr Barr」、終盤に収録されている#11「Dusk Swells」#12「Autumn Linn」に見い出すことができる。

 

おそらく、「05−10」というタイトルを見ても分かる通り、クラークの2005年から2010年までの未発表曲を収録した作品なのかと思われるが、このレア・トラックス集では、これまで表立ってスポットを浴びてこなかったクラークの音楽性の原点が窺えると共に、このアーティストらしいハードテクノの強烈な個性をこのアルバムには見出すことが出来るはずです。

 

また、驚くべきなのは、このアーティストしか生み出し得ない唯一無二のハード・テクノは、2022年現在になっても新鮮かつ前提的な雰囲気を放っている。それは現時点の最新鋭のモダンエレクトロと比べても全然遜色がないばかりか、しかも、2000年代に作曲された音楽でありながら、時代に古びていない。「なぜ、これらのトラックが今まで発売されなかったのか??」と疑問を抱くほど、アルバム収録曲のクオリティーは軒並み高く、名曲揃いとなっています。

 

『05−10』は、レア・トラックス集でありながら、クラークの新たなオリジナル・アルバムとして聴くことも無理体ではなく、全盛期のエイフェックス・ツイン、スクエア・プッシャーの名盤群の凄みに全然引けを取らないクオリティーをこのレアトラック集で楽しむことが出来る。このアルバムは、クラークの既発のカタログと比べても、かなり聴き応えのある部類に入ると思われます。さすが、ダンス・エレクトロの名門、Warpからのリリースと称するべき作品で、もちろん、テクノミュージックの初心者の入門編としても推薦しておきたい作品となっています。



87/100

 


・ Featured Track「Dusk Raid」


 Beth Orton  『Weather Alive』

 


 

Label:  Partisan Records 

Release: 2022/9/23

 

Official-order

 

 

Review

 

 ベス・ オートンの新作アルバム『Weather Alive』は実をいうと、先週リリースされた中で注目すべき良盤と言える。ベス・オートンは、トリップ・ホップ、フォークトロニカの始祖と見なされる場合があるようだが、この作品では、ブリストルサウンドの妙味を受け継ぎ、それを淑やかな聴き応え十分のアルバムとして仕上げている。

 

 このアルバムを解題する上で大変重要となってくるのが、ベス・オートンがカムデン・マーケットで実際に購入したという、古ぼけたピアノだ。ベス・オートンは、このアルバムの殆どの曲で、この古ぼけたピアノをトラックメイクに導入している。オートンのボーカルは、まさにブリストルサウンドを受け継いでおり、悲哀と暗鬱さ、そしてアンニュイな雰囲気に満ちている。この独特な艷やかなボーカルは、他のどのアーティストにも醸しだしえない作風となっている。

 

 アルバムの収録曲は、ーーポップス、ジャズ、フォーク、ヒップ・ホップーートリップ・ホップの主要な音楽性を綿密にかけ合わせたものとなっている。ムーディーな曲風に乗せられるオートンのヴォーカルは、トム・ヨークのスタイルに類しており、外側の世界を押し広げていくというよりか、 内面の世界を歌をうたうたびに徐々に掘り進めていくかのようでもある。ベス・オートンのボーカルは、夜更けの口笛のような悲哀性と孤独性を兼ね備え、内的感情を絞りだすような質感がある。この作品は、抽象的かつ感覚的な音楽が展開されていくが、全く不安定ではなくて、何かしらどっしりした安定感すら感じられるのに驚くばかりだ。それはきっと、このソングライターの曲作りにおける精度の高さが作品そのものに反映されているからなのだ。

 

 先述したように、このアルバムには、ホーンセクションやマレットの豊潤なアレンジとピアノのシンプルではありながら情感あふれるアレンジが導入されているが、オートンはヒップホップ/ローファイ風のサンプリングを活用し、ポーティス・ヘッドやビョークの全盛期を彷彿とさせる質の高い楽曲として昇華している。オートンのソングライティングの印象は、ポピュラーミュージックを志向していると思われるが、その中にも、様々な要素が込められており、ファンク、R&B,ジャズ、フォーク、と、UK・ポップスらしい多様性を味わえる。ジェイムス・ブレイクのようなクールな雰囲気を持ち合わせる「Forever Young」は、このアルバムのハイライトと言えるだろうか。

 

 今作は、ホーンのスウィープ、ピアノのシンプルな旋律進行、オートンの内省的でソウルフルなボーカルが絶妙にマッチしたアルバムとなっている。トリップポップの初心者にとっても最適な入門編となるだろう。

 

 

85/100

 

 

Featured Track 「Forever Song」


 Nils Frahm 「Music For Animals」

 



Labal: 
Leiter-Verlag

Release Date : 2022年9月23日



Official-order

 


 Review



ニルス・フラームの2022年の最新作「Muisic For Animals」 は、Covid-19の孤立の中で生み出された。彼がマネージャとともに立ち上げたドイツのレーベル"Leiter-Verlag"からの発売された。さらに、彼の妻、ニーナと共にスペインで二人三脚で制作されたスタジオ・アルバムです。

 

この作品について語る上で、ニルス・フラームは明瞭に、商業主義の音楽と距離を置いていると、The Line Of Best Fitのインタビューにおいて明言しています。フラームは、「マイケル・ジャクソン、デヴィット・ボウイ、ビリー・アイリッシュ、といったビックスターとは別の次元に存在する」と語る。それはまた、「自分がその一部だと思われたくありません、再生数ごとにより多くのお金を稼ぐために音楽の寿命を短くする人々です」「誰かが短い曲を作りたいと考えているなら、それは問題はありません。でも、それは私にとって真っ当な判断とは思えないのです」

 

「自分がその一部だと思われたくありません、再生数を稼ぐことや、多くのお金を稼ぐために音楽の寿命そのものを短くする」というフラームの言葉は、現今の商業主義の音楽が持て囃される現代音楽シーンに対する強いアンチテーゼともなっている。実際、再生時間が三時間にも及ぶ壮大な電子音楽の大作「Music For Animals」は、深奥な哲学的空間が綿密に作り上げられ、建築のように堅固な世界観が内包されている。一度聴いただけではその全容は把握しきれず、何度も聴くごとに別空間が目の前に立ち現れるかのような奥深い音楽とも言えるでしょうか。

 

 

これまで、 ニルス・フラームは、2000年代の「Wintermusik」の時代から、ドイツ、ポスト・クラシカル、そして2010年代に入り、第二期の「Screws」の時代に象徴されるコンセプチュアルなピアノ音楽、さらに、2010年代の中期、第三期のそれと対極に位置する前衛的なエレクトニカ/ダウンテンポの作風「All Melodies」、次いで、近年には、UKのPromsとの共演の過程で生み出された、電子音楽とオーケストラレーションとの劇的な融合性に果敢に挑戦した「Tripping with Nils Frah」というように、作品の発表ごとに作風を変えていき、片時もその場に留まることなく、前衛的な音楽性を提示していますが、この最新作「Music For Animals 」も同様に、フラームは既存の作品とは異なる音楽性に挑んでいます。


フラームは、このアルバム「Music For Animals」の発表時、作品中にゆったりとした空間を設けるサティの「家具の音楽」のようなコンセプトを掲げており、近年のポピュラーミュージックの脚色の多い、華美な音楽とは正反対の音楽を目指したと説明していました。プレスリリースにおける「木の葉のざわめきを見るのが好きな人も世の中にはいる」との言葉は、何より、このミュージック・フォー・アニマルズ」の作風を解釈する上で最も理にかなった説明ともなっている。ここでは、木の葉が風に吹き流される際の情景が刻々と移ろいゆく様子が、いわばサウンドスケープのような形を通して描かれていると解釈出来るわけです。

 

近年のエレクトロ/ダウンテンポの作風に比べると、アンビエントに近い音楽性がこの作品には感じられますが、実際の作品を聴けば、アンビエント寄りの作風でありながら、それだけに留まる作品ではないことが理解していただけるだろうと思います。アルバムの収録曲は、シンセサイザーのシークエンスをトラックメイクの基点に置き、バリエーションの手法を用いながら、 徐々にそのサウンドスケープが音楽に合わせて、スライドショーのような形で刻々と変化していくのです。

 

ニルス・フラームのエレクトロニカ寄りの作風として、既存作品の中においては、「All Ecores」/「Ancores 3」に収録されている「All Armed」のような楽曲が、最も前衛的であり、最高傑作とも呼べるものですが、それらの即効性のある電子音楽とは別のアプローチをフラームはこの作品で選択したように感じられます。例えば、その音楽そのものの印象は異なるものの、クラフト・ヴェルクの「Autobahn」の表題曲の系譜にある、音楽としてストーリーテリングをする感慨がこのアルバムの全編に漂い、音楽として1つの流れのようなものが各々の楽曲には通底している。それは喩えるなら、フランスの印象派の絵画のように抽象的でありながら、フォービズム/キュピズムのように象徴的でもある。さらに言えば、今作の音楽の流れの中に身を委ねていますと、表面上の音楽の深遠に、表向きの表情とは異なる異質な概念的な音楽の姿が立ち現れてくる。それはピクチャレスクな興趣を兼ね備えているとも言えるでしょう。

 

現代のヨーロッパのミュージックシーンにおいて、既に大きな知名度を獲得しているフラームではありますが、彼は、この作品で、手軽な名声を獲得することを避け、純性音楽の高みに上り詰めようと苦心している。さらに、フラームは短絡的に売れる音楽をインスタントに作るのではなく、洗練された手作りの工芸品のような形を選び、三時間に及ぶ大作を丹念に完成させました。そのことは、商業主義の音楽ばかりが偏重される現代音楽シーンにおいて、また資本主義経済が最重視されるこの世界で、きわめて重要な意義を持つと断言出来ます。

 

 

 

82/100

 

 

Featured Track  「Seagull Scene」