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 The National 『First Two Page of Frankenstein』

 


Label: 4AD

Release: 2023/4/28                                            

 

Review


アートワークに関しては、2013年のアルバムに近いニュアンスが見出すことが出来る『First Two Page of Frankenstein』は、ザ・ナショナルのマット・バーニンガーがライターズブロックの壁にぶつかった時にその原点が求められる。

 

ザ・ナショナルは、ニューヨークのインディーロックバンドとしてベテランの境地にさしかかっているが、どうやらインスピレーションが枯渇し、曲が思いつかなくなるというのは、その人物の才能如何に関わるわけではなく、突如としてアーティストに訪れるのかもしれない。それはバーニンガーのように、真摯に音楽の制作に携わる人物であれば尚更なのだろう。おそらくその当時、ソングライターにとってライターズブロックは怪物のように思えたかもしれない。

 

結果的に、マット・バーニンガーは、メアリー・シェリーの古典小説『フランケンシュタインの怪物』の書籍を紐解き、小説のある一節に突き当たった時、このアルバムのインスピレーションの端緒としたのである。そして、この小説は、内的な孤独、悪魔という主題を置いた内容である。もしかすると、ライターズブロックに突き当たり、憔悴しきっていたマット・バーニンガーにとっては、いささかこの怪物に親しみや共鳴する何かが求められたかもしれない。

 

イギリスの小説家、メアリー・シェリーはこのフランケンシュタインという物語の中で次のように書いている。

 

「どうすれば、お前の心を動かせるのだろう/お前に作られたものが、お前に親切と憐れみを乞い求めているというのに、どう願っても、お前は好意の目を向けることが出来ないというのか?/ 信じてほしい、フランケンシュタイン、俺は善意の人間だったのだ。俺の魂は、愛と人情とに燃えている。だが、俺は孤独じゃないだろうか? 惨めなほど孤独ではないだろうか? 俺の作り主であるお前ですら、俺を毛嫌いしているではないか?ーー以下略」

 

このことについて、イタリアの文学者、ボローニャ大学で教鞭をとったウンベルト・エーコは、人間の関心と個性の発達によって、また、世界の中世から現代にかけての文化的な発展の過程において、この小説を通じて、メアリー・シェリーは人間の中に強固な自意識が芽生えることの不幸を鋭く描きだし、更に、ここに人間の持つ醜さが描出されていると指摘し、この戯画的な小説をロマン主義の最大の傑作として紹介したのである。そして、以上の有名な一節を照らし合わせると、このアルバムには音楽の神様であるミューズに対するソングライターの悲願のような感慨が込められているとも言えなくもない。創作の神様はいつも気まぐれで時に冷酷だ。製作者のことを温かく見守ってくれているとは限らないのである。

 

音楽に関しては、以前のアルバムよりも、深みのあるバラード曲が増えたという気がする。確かに2013年までは、ポスト・パンクと称してもおかしくないような勢いのある楽曲も収録されていて、それがまたナショナルの代名詞ともなっていたと思うが、今回、マット・バーニンガーは徹底して渋いバラードを書き、それを親しみやすいロックという形に織り込もうとしているのかもしれない。


もちろん、それは表向きには歌われていないことと思われるが、ここにはミュージシャンあるいはバンドとして長い年月を過ごしていくうちに、以前は見えていなかったものが見えるようになってしまったという不幸のような悲嘆が音楽的に、そして文学的に織り交ぜられているように思える。ただし、それは見方を変えれば、単なるインディーロックバンドであることに見切りをつけて、いくらかU2のような世界的なロックバンドへと歩みを進めることを決意したとも取れる。そのことを象徴づけるのが、すでにストリーミングで高い再生数を記録している「Eucalyput」である。ここで、マット・バーニンガーは自分の感情の中にある悲観的な思いを織り交ぜ、それを比較的朗らかな形で昇華しようとしているように見受けられる。そしてそれは以前のザ・ナショナルの音楽性とは少し違った形でリスナーの心を捉えるのである。

 

これらの主要な渋いロックソングの中にあって、それとは異なる華やかさを添えているのが、二人の米国の現代のミュージックシーンを象徴づける女性歌手であろうか。「The Alcott」において、テイラー・スウィフトは、マット・バーニンガーの書く渋さのある現代的なバラードに、自らの得意とするミステリアスな雰囲気を付け加えている。


もうひとりのコラボレーターであるフィービー・ブリジャーズは「This Isn't Helping」において、同じようなバラード曲の内省的な雰囲気を外側に解放させる力を加えている。米国を代表する歌手の参加は少なくとも、ザ・ナショナルの楽曲により深みと奥行きを与えていると言えそうである。 




75/100


 

 Avalon Emerson   『& the Charm』

 

 

Label: Another Dove/One House

Release: 2023/4/28



Review

 

アヴァロン・エマーソンは元々、テクノシーンでは著名なDJである。カルフォルニア出身であり、2014年からはベルリンに活動拠点を移し、ヨーロッパのクラブカルチャーの活性化に貢献してきた。またかつて日本にもDJとして来日しており、そのときはチケット売り切れ続出だったという。


そして、一般的にエマーソンが才媛と呼ばれるのには正当な理由がある。フロアに出演する傍ら、ソフトウェア開発に携わり、さらに、後継の若手の育成にも取り組んできた。エマーソンが支援したのは、Minor Science,Erckonwrong,Lanark Artefaxといったミュージシャン。ソロ活動に転ずる以前は、優良レーベル、Whitiesからテクノ作品をリリースしていた。

 

今作は、正確に言えば、デビュー・アルバムではない。2020年に『DJ KIcks』をリリースしている。しかし、前作は明らかにテクノアーティストとしての作品であったのに対して、今週リリースされた『& The Charm』はアヴァロン・エマーソンがポップアーティスト/シンガーソングライターの劇的な転身を果たした作品として注目しておきたい。エマーソンはボーカリストとしての道を模索することを選んだのである。


『& the Charm』は、コアなDJとしての矜持がアルバムのいたるところに散りばめられている。テクノ、ディープハウス、オールドスクールのUKエレクトロ、グライム、2 Step、Dub Step、とフロアシーンで鳴らしてきた人物であるからこそ、バックトラックは単体で聴いたとしても高い完成度を誇っている。さらにエマーソンの清涼感のあるボーカルは、彼女をDJと見くびるリスナーの期待を良い意味で裏切るに違いない。今回、アヴァン・ポップ界でその名をよく知られるブリオンをプロデューサーに起用したことからも、エマーソンがこのジャンルを志向した作曲を行おうとしたことはそれほど想像には難くない。そして何より、これらの曲は、踊りやすさと聞きやすいメロディーに裏打ちされポピュラーミュージックを志向していることが理解出来る。

 

エマーソンは、極力、トラックメイクの存在感を抑えつつ、AOR/ソフト・ロックのような爽やかな音楽性を追求している。その成果が最も素晴らしい形で現れたのが、オープニング曲である「Sandrail Silhouette」、二曲目の「Entombed In Ice」となるだろうか。ここでは、The Cars、The Police、TOTOの持つ清涼感に充ちたポップワールドを再現し、それをフロア寄りのダンサンブルな楽曲として昇華している。特に前者は、ストリングスのアレンジを交え、叙情的な音楽性を探ろうとしている。もちろん、テクノミュージックが必ずしも叙情的ではないとは言えないけれども、ボーカルトラック(自分の声)を交えることで、エマーソンは音楽性の中にある奥深い感情的な側面を探究しようとしたとも解釈出来る。


ただし、テクノシーンから台頭したミュージシャンとしてのキャリアを完全に度外視しているわけではない。「Dreamliner」では4つ打ちのシンプルなテクノ/ハウスをベースに、コアなダンスミュージックに取り組んでいる。他にも、「Hot Evening」では、DJのキャリアを踏まえたテクノ・ポップが収録されている。ここでは2 Steps/Dub Stepのビートを取り入れ、それをキャッチーなポップスとして昇華している。アヴァロン・エマーソンのボーカルは器楽的な響きを持つが、現時点ではボーカルとしてどのようなスタイルを確立していくか、模索している段階にあるようにも思える。

 

シンガーとしてのデビュー作の中で、意外な曲を挙げるとするなら、クローズ曲「A Dam Will Always Diviede」となるだろうか。楽曲自体はUKエレクトロに根ざしたものであると思われるが、少しドリーム・ポップに近いスタイルを追い求めているように感じられる。依然としてバックトラックに依拠するようなボーカルである一方、非凡なセンスを感じさせるのも事実だろう。



78/100


 aus 『Everis』

 


 

Label: FLAU

Release: 2023/4/26



Review

 

 

おそらくリワーク、リミックス作品等を除くと、フルレングスとしては2009年以来のニューアルバム『Everis』でausはカムバックを果たす。


ausは東京のレーベル"FLAU”の主宰者でもあり、ポスト・クラシカルやモダンクラシカルを始めとするリリースを率先して行っている。しかしご本人に話を伺ったところでは、あるジャンルを規定しているというわけではなく、幅広いジャンルの良質なリリースをコンセプトに置いているという話である。

 

かなり久しぶりのフルアルバムは、レーベルオーナー/アーティストとしてどのような意味を持つのだろうか?

 

少なくとも、アルバムに触れてみた時点の最初の印象としては、前作のフルレングスの延長線上にあるようでいて、その実、まったく異なるジャンルへのアプローチも窺い知ることが出来る。

 

これはもちろん、そのミュージシャンとしての空白の期間において、アーティストがまったく音楽に関して没交渉ではなかったこと、つまり、リリースしていなくとも、ミュージシャンでない期間はほとんどなかった、という雰囲気を伺わせるのである。アンビエント風のイントロからはじまる「Halser Weiter」から続くのは、時間という不可解な概念を取り巻く抽象的なエレクトロニカであり、また、喩えるなら、このジャンルをひとつの大掛かりなキャンバスのように見立て、その見えない空間に電子音楽というアーティストの得意とする形式によって絵筆をふるおうというのだ。そして、それは作品という空間の中で様々な形で音楽という概念が流れていく。少なくとも、自分の考えとしては、それほど以前のようにジャンルを規定せず、現時点の自らの力量を通じ、どのような音楽が生み出されるのかを実験していったようにも感じられる。

 

先行シングルとして公開された「Landia」は、実際にアーティストご本人に伝えておいたのだが、春の雰囲気を感じさせるトラックで、麗しい空気感に満ちている。かつてのレイ・ハラカミの「lust」の作風にも通じる柔らかなシンセのアプローチは聞き手の心を和ませる。ダウンテンポやハウスの影響を交えたこのシングルは、終盤のコーラスにより、アーティスト自身がテーマに込めたフォークロアの要素を盛り上げる。そして、この民謡のようなコーラスは確かにノスタルジックな雰囲気を漂わせており、古い日本の町並みや、黄昏のお祭りの中を歩くかのような郷愁がこめられている。

 

その後は、パーカッシヴな効果を取り入れ、さらに、既存の作品よりもミニマル・ミュージックの要素を取り入れた「Past Form」では、スティーヴ・ライヒや、フィリップ・グラスの現代音楽の要素をエレクトロニカの観点からどのように組み直そうか苦心したように思える。そして、ausはその中にアバンギャルド・ジャズの要素を部分的に導入し、そのミニマルの反復的な平坦なイメージの中にアクセントをもたらそうとしている。 終盤では、シンセサイザーのストリングスのレガートを導入することで、ミニマルの中にストーリー性をもたらそうとしているようにも感じられる。

 

アルバムの中で最もミステリアスな感覚を漂わせているのが、「Steps」である。ここでは、コラボレーターのGutevolk(アート・リンゼイ、ヨ・ラ・テンゴの前座も務めたことがある)が参加し、イントロのチェンバロのような繊細な叙情性を掻き立てる。そして、イントロの後は、一つのジャンルを規定しないクロスオーバーの音楽性に繋がる。Gutevolkのボーカルはアンニュイな効果を与え、アヴァン・ポップを絡めた前衛的なボーカルトラックとして昇華される。捉え方によってはボーカルトラックを、アヴァン・ポップをよく知るアーティストとしてどのように組み直すことが出来るかに挑んだように思える。そして、そのアンビエントの要素を多分に含んだ音楽性は、最初のチェンバロに近い音色に掛け合わさることにより、最後でノイズに近い前衛的な雰囲気をもたらすことに成功している。

 

続く、「Make Me Me」ではさらに別の領域へと足を踏み入れ、アシッド・ハウスやトリップ・ホップ、ローファイヒップホップの要素を絡めた一曲を生み出している。ここでもまた、クラシカルの要素を加味し、コラボレーターのGrand Salvoのボーカルが加わることで、アヴァン・ポップへと繋がっていく。ただ、このボーカルは前曲とは異なり、ニュージャズや現代的なオペラのように格式高い声楽の要素が込められている。暗鬱な雰囲気に彩られているが、何かしら傷んだ心をやさしく労るような慰めが漂っている。そして、バックトラックのアシッド・ハウス寄りのビートがその雰囲気を盛り立てる。続く「Flo」は、前曲のトリップホップの気風を受け継ぎ、それをモダンクラシカルの要素を交えることで、アルバムの中で最も幻想的な空間を生み出している。そして、それは形而上の深い領域へと音楽そのものが向かっていくようにも思える。

 

後半部にかけては、 「Make Me Me」の後に続くアルバムの前半部の雰囲気とは一風異なる真夜中のような雰囲気を持ったトラックが続く。


「Swim」ではピアノの響きを取り入れながら、それをポストモダニズムの要素、ノイズやリズムの破壊という観点からアバンギャルドな雰囲気を持つアンビエンスを取り入れている。そして、意外にもそれほどニッチにもマニアックにならず、すっと耳に入ってくる何かがある。この曲にも部分的にボーカルのサンプリングが導入されるが、それはポーティスヘッドのような陶酔した雰囲気や蠱惑的な雰囲気に彩られているのである。


この曲以降は、一気呵成に書いた連曲のような形式が続き、一貫性があり、連続した世界観を作り出している。ただ、最後の曲「Neanic」だけは、静かなポスト・クラシカルの曲として楽しめる。この曲だけは2010年前後の作風に近いものが感じられ、最後にアーティストらしいアンビエントという形でクライマックスを迎える。

 

しかし、果たしてこれらの音楽は十年前に存在したものだったのだろうか。いや、少なくとも数年前からこのアーティストの音楽を知る者にとってはその印象はまったく異なっている。世界が変わったのか、それともミュージシャンが変わったのか、きっとその両方なのかもしれない。


ぜひこのニューアルバムを通じて、日本のエレクトロニカアーティストの凄さを実感していただきたい。

 

 80/100

 

 

  ausの新作アルバム『Everis』はFLAUから発売中です。全曲のご購入/ストリーミングはこちらから。


 

 

Label: SUB POP

Release: 2023/4/21



 

Review



Lael Neale(ラエル・ニール)は、2020年、ロサンゼルスからバージニアの田舎にある家族の農場に帰った。そして彼女は世界を遠巻きに眺め、夢のような2年を過ごし、着実にアルバムの制作に取り組んだ。

 

この三作目のアルバムは、都会の喧騒から距離を起き、静寂をミュージシャン自らの手により壊すことを強いたという。それは実際の作品に色濃く反映されている。カントリーという中心点を取り巻くように、ジョン・レノンやルー・リードのソングライティングを思わせる楽曲をニールは作り上げたのだ。そのせいか、これらは静寂に対する反動であるかのように、ノスタルジア溢れるチェンバーポップ風のバラードとオルタナティヴロックが複雑に混在している。それはバージニアの農場のノスタルジアと、古きよきポピュラー・ミュージックや乾いた感じのあるインディーロックの混交という形で、アルバム全体に表れ出ている。

 

アップテンポなナンバーで始まる「I Am The River」は、彼女の故郷であるバージニアへの称賛と祝福に満ちあふれている。そしてそれらはエレクトーンの音色とシンセ・ポップのビートが組み合わさることで、軽快なオープニングとして機能し、アルバムの持つストーリーのようなものが転がり始めるのである。一曲目を受けて、「If I Had No Wings」は、よりロマンチックなナンバーとしてその序章を引き継いでいる。オルガンのサステインの上に乗せられるラエル・ニールの歌声は、カントリーミュージックを踏襲しているが、このシンプルな組み合わせは、バージニア農場の開放的な雰囲気や、それにまつわるロマンを象徴しているように思える。実際、彼女の歌声は教会音楽のゴスペルのような厳粛ではありながら優しげな雰囲気に充ち溢れ、オーケストラとポップスの融合であるチェンバーポップの核心を捉えようとするのである。


これらの2曲の後に、再び、音楽のストーリーは変化する。70年代のプリミティヴなオルタナティヴロックを踏まえたインディーロックソング「Faster Than Medicine」は、必ずしも、このシンガーソングライターがバラードばかりを制作の主眼に置く歌手ではないことを象徴している。さながらサーフロック時代のノスタルジア溢れるサウンドを回想するかのように、ラエル・ニールは、オルガンの持続音に合わせて痛快に歌う。それはまたVelvet Undergroungのような原始的なプロトパンクやオルトロックの要素を多分に含ませ、リスナーの心を捉えようとする。

 

アンビエント調の抽象的な雰囲気から始まる「In Velona」は、アルバムの中でも最もロマンチックなナンバーのように思える。ただ、ここでラエル・ニールはロサンゼルスでの生活を送ってきたことを踏まえ、それらの憧れに対して一定の距離を置き、それでもなお内面の憧憬のような繊細な感覚を織り交ぜようとする。 そして、曲の中盤にかけてリズム的な役割を司るピアノにより60年代のポップスのごとき映画的な展開を交え、内的なドラマティックな雰囲気をニールは作り出そうとする。曲の後半では、アンセミックなコーラスワークを繰り返すことにより、よりロマンチシズムに裏打ちされた抽象的で混沌とした感覚を生み出すことに成功している。

 

さらに、それらの摩訶不思議な感覚は、続く「Must Be Tears」でより深度を増していこうとする。同じく、6、70年代の懐かしのチェンバーポップの鍵となるメロトロンの音色を最大限に活かし、また、それをフレンチ・ポップスを想起させる、おしゃれな感覚で彩ることにより、ラエル・ニールは心ほだされるような音響空間を生み出している。さらに中盤にかけては懐かしくもある一方、現今のインディーポップに近い雰囲気が綿密に掛け合わさることで、古いとも新しいともつかない奇妙な感覚が生み出される。曲自体はフランスのシルヴィ・バルタンを彷彿とさせるが、パティーシュに止まらない何かがこの曲には込められている。

 

あらかじめ「Faster Than Medicine」で手の内をみせておいたオルタナティヴ・ロックの趣味は、続く「No Hands Barred」でより顕著になる。


ここでは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの『Loaded』の時代の作風を彷彿とさせる温和でプリミディヴなロックサウンドを呼び覚ましてみせている。そのことは確かに、VUのファンにとどまらず、Guided By VoicesやGalaxie 500を始めとするそれ以後のUSオルタナティヴロックバンドのファンの心に何らかのノスタルジアをもたらすことだろう。


そして、この曲の中で、ラエル・ニールは、古き良きカントリー・ポップス歌手のように、のびのびとした歌声を披露している。ここには、たしかにバージニアの農場の風景から匂い立つような何かが込められており、徹底してそれらの感覚をノスタルジアを込めて歌手は歌おうとする。もちろん、サウンドプロダクションの効果は、楽曲の雰囲気をうまく引き立てようとしている。

 

いわば都会の生活を経た後にもたらされる故郷への弛まない郷愁、それらのこの歌手らしいロマンチシズムはその後も薄れることなく、より深みを増していく。さながらラエル・ニールはそのロマンを心から寿ぐかのように、自然に、恬淡と歌おうとする。そしてそれは確かに長い都会の暮らしにいくらか疲れ、のびのびとした風景を渇望するリスナーの心にひとしずくの癒やしをもたらす。アルバムの最後に収録されている「Lead Me Blind」は、その夢見るような感覚を補足するために存在する、いわばコーダのような役割を担うトラックである。


ラエル・ニールは、この曲でロサンゼルスの喧騒に戻ることを忍びなく思うかのように、故郷であるバージニアの農場の風景への変わらぬ郷愁を、自らの知りうる形で反映させようと努めている。田舎から都会に移り住んだ事がある方なら、ご理解いただけると思われるが、盲目であるということは、必ずしも不幸せではないということを、歌手は暗に伝えようとしているのである。


76/100


 Josiah Steinbrick 『For Anyone That Knows You』

 

 

Label: Unseen Words/Classic Anecdote

Release: 2023/4/21

 

 

Review


残念なことに、先日、坂本龍一さんがこの世を去ってしまったが、彼の音楽の系譜を引き継ぐようなアーティストが今後出てこないとも限らない。彼のファンとしてはそのことを一番に期待してきたいところなのだ。

 

さて、これまでJosiah Steinbrickという音楽家については、一度もその音楽を聴いたことがなく、また前情報もほとんどないのだが、奇異なことに、その音楽性は少しだけ坂本龍一さんが志向するところに近いように思える。 現在、ジョサイア・スタインブリックはカルフォルニアを拠点に活動しているようだ。またスタインブリックはこれまでに三作のアルバムを発表している。

 

ジョサイア・スタインブリックのピアノソロを中心としたアルバム『For Anyone That Knows You』の収録曲にはサム・ゲンデルが参加している。基本的には、ポスト・クラシカル/モダンクラシカルに属する作品ではあるが、スタインブリックのピアノ音楽は、モダンジャズの影響を多分に受けている。細やかなアーティスト自身のピアノのプレイに加え、ゲンデルのサックスは、簡素なポスト・クラシカルの爽やかな雰囲気にジャジーで大人びた要素を付け加えている。

 

スタインブリックのピアノは終始淡々としているが、これらの演奏は単なる旋律の良さだけを引き出そうというのではなく、内的に豊かな感情をムードたっぷりの上品なピアノ曲として仕立てようというのである。ジャズのアンサンブルのようにそつなく加わるゲンデルのサックスもシンプルな演奏で、ピアノの爽やかなフレーズにそっと華を添えている。それほどかしこまらずに、インテリアのように聞けるアルバムで、またBGMとしてもおしゃれな雰囲気を醸し出すのではないだろうか。

 

ただ、これらの心地よいBGMのように緩やかに流れていくポスト・クラシカル/モダン・ジャズの最中にあって、いくつかの収録曲では、ジョサイア・スタインブリックの音楽家としてのペダンチックな興味がしめされている。二曲目の「Green Glass」では、ケチュア族の民族音楽家、レアンドロ・アパザ・ロマス/ベンジャミン・クララ・キスペによる無題の録音の再解釈が行われている。これらの音楽家の名を聴いたことがなく、ケチュア族がどの地域の民族なのかも寡聞にして知らないが、スタインブリックはここで、ポーランドのポルカのようなスタイルの舞踏音楽をジャズ風の音楽としてセンスよくアレンジしているのに着目したい。

 

その他にも、 「Elyne Road」では、マリアン・コラ(Kora: 西アフリカのリュート楽器)の巨匠であるトゥマニ・ドゥアバテの原曲の再構成を行い、ソロピアノではありながら、民謡/フォークソングのような面白い編曲に取り組んでいる。加えて、終盤に収録されている「Lullaby」では、ハイチ系アメリカ人であるフランツ・カセウスという人物が1954年に記録したクレオールの伝統歌を編曲している。ララバイというのは、ケルト民謡が発祥の形式だったかと思うが、もしかすると、スコットランド近辺からフランスのクレオール諸島に、この音楽形式が伝播したのではないかとも推測出来る。つまり、これらの作曲家による再編成は音楽史のロマンが多分に含まれているため、そういった音楽史のミステリーを楽しむという聞き方もできそうである。

 

もうひとつ面白いなと思うのが、アルバムのラストトラック「Lullaby」において、ジェサイア・スタインブリックはクロード・ドビュッシーを彷彿とさせるフランス近代和声の色彩的な分散和音を、ジャズのように少し崩して、ピアノの音階の中に導入していることだろう。この曲は、部分的に見ると、民謡とジャズとクラシックを融合させた作品であると解釈することが出来る。

 

『For Anyone That Knows You』は、人気演奏家のサム・ゲンデルの参加により一定の評判を呼びそうである。また、追記として、スタインブリックは、作曲家/編曲家/ピアニストとしても現代の音楽家として素晴らしい才覚を感じさせる。今作については、その印象は少しだけ曇りがちではあるけれど、今後、どういった作品をリリースするのかに注目していきたいところでしょう。

 

Josiah Steinbrick 『For Anyone That Knows You』は4月21日より発売。また、ディスクユニオンNewton RecordsTobira Recordsで販売中です。

 

 82/100

 

 Shannon Lay 『Covers Vol.1』

 

 

Label: SUB POP

Release: 2023/4/14




Review



2018年からコンスタントに作品をリリースしている、ロサンゼルスのフォークシンガー/シャノン・レイは昨年、サブ・ポップと契約し、哲学的なテーマを込めたドイツ語で"概念"を意味する『Geist』を発表している。昨年のアルバムもコンテンポラリーフォークとして聴き応えのある作品であったが、今回、初のカバー集となる『Covers Vol.1』も同様に素敵な快作となっている。

 

元々はロックバンドのメンバーとして活動を行い、ソロ活動を始めた当初はカルフォルニアのレドンドビーチを題材にしたサウンドスケープを髣髴とさせる繊細なフォーク/カントリーを書いてきたシャノン・レイではあるが、キャリア初となるカバー集『Vol.1』もまたこのシンガーソングライターらしい叙情性が引き出されているように思える。もちろん、今回、シャノン・レイがカバーに取り組んだのは、純粋なフォーク・ミュージックのジャンルだけにとどまらない。ざっと名を挙げると、Nick Drake、Arthur Russell、Sibylle Baier、Vashti Bunyan、Ty Segallの曲を演奏しており、なかにはラップもある。それを彼女の得意とするアコースティック・ギター、ピアノ、ボーカルというシンプルな構成を通じて再構成に取り組んでいる。そう、これは単なるカバー集というより、他のアーティストの作品の再構成とも称すべき作品集なのである。

 

これまでと同様、開放的な自然味を感じさせるレイのボーカルにそれほど大きな差異はないが、以前よりも感覚や感情の共有に重点を置いているように思える。そして、デビュー当時の内省的な雰囲気に加え、コミュニケーションを重視しているため、これらのカバーソングは親和性に満ちている。さらに、原曲に細やかなリスペクトを込め、しっかりとアコースティックギターのサウンドホール内の共鳴を意識するかのように、慎ましく繊細なピッキングにより伴奏やフレーズが紡がれていき、それらが和やかなフォークシンガーの世界観と合致を果たす。淡々としているが、ときに、ボブ・ディランのようなノスタルジアも「Close My Eyes」には感じ取ることが出来るはずだ。

 

近年では、わりと明るい雰囲気に彩られたフォークソングを中心に書きあげてきたシャノン・レイではあるが、デビュー当時のようなサウンドスケープを思わせる内省的なフォークソングのカバーにも取り組んでいる。「Glow Worms」は、フォークソングという一貫したスタイルを図ってきたミュージシャンの集大成を為す楽曲である。あらためてレイは、フォークミュージックの親しみやすさとオリジナルの楽曲が持つ旋律の輝きをこのトラックで呼び覚まそうとしている。

 

このカバー集は、必ずしもコンテンポラリーフォークのカバーのみにとどまらないところに興味を惹かれる。そして、明るい感じの曲から、最初期の憂鬱さを感じさせる曲まで幅広い感情を込めた曲風に取り組んでいる。カバーとはいえども、ギターの演奏やボーカルの合致から汲み出される深い感情性は胸に迫るものがある。シャノン・レイは、このカバー集の中であらためて新旧のフォークミュージックが感情の表出であることを明示し、それらの感覚を温かく包み込むかのように歌っている。今回のカバー集はじっくりと聴く価値がある。それは歌手がハンドクラフトのように真心を込めてカバーに取り組み、歌を大切にうたっているからなのである。

 

カバーの女王といえば、ロイヤル・アルバート・ホールでボブ・ディランの伝説的なコンサートの再現を行ったキャット・パワー(シャーン・マーシャル)が思い浮かぶ。だが必ずしも本作は、キャット・パワーのような形でのカバーを意図しているわけではないと思う。シャノン・レイは自分なりの"概念"を凝らすことで、原曲の隠れた魅力を伝えようとしている。そういった意味では『Geist』と無関係ではなく、前作と組み合わせて聴くとより楽しみも増えるかも知れない。



85/100

 

 

 Featured Track 「Glow Worms」

 malegoat   『plan infiltration』(Reissue)

 

 

Label : Waterslide Records

Release: 2023/4/14



Review 


東京/八王子出身のエモーショナルハードコアバンド、Malegoat(メールゴート)は、2000年代より、西東京のパンクロックシーンにおいて力強い存在感を示して来た。八王子のライブハウス、Matchvoxと関わりが深く、The Well Wellsとともに、新宿周辺のパンクシーンとは一風異なる魅力的なミュージックシーンを作り上げてきた。



 

例えば、東東京のパンクシーンが都会的に洗練された雰囲気を持つメロディックパンクやポスト・ハードコアの音が優勢なのに対して、他方、西東京のパンクシーンは、ミッドウェストエモや、往年のパワーポップに触発された個性的で親しみやすいメロディックパンクバンドが数多く活動を行っている。

 

四人組エモ/ハードコアバンド、Malegoatの楽曲はそのすべてが英語で歌われ、そして疾走感のあるスピードチューン、ポストロック/マスロックに触発された変拍子の多い曲展開、プロミス・リングのようにヘタウマ(下手だけど上手い)のボーカルを特徴とする。

 

Malegoatは、以前から、米国のエモシーンとも関わりがあり、Algernon Cadawallderのライブツアーにも参加しているほか、Empire! Emprire!とのスプリットも発売している。もしかすると、米国のエモ/ハードコアのファンで、Malegoatを知っている人も少なくないのではないか。実際、Malegoatの音楽性は米国中西部のミッドウェスト・エモ/トゥインクル・エモの範疇にある。テクニカルで色彩的なギターのフレーズ、ラウドなスクリーモのボーカルの掛け合いは、まさしくAlgernon Cadwallderの兄弟分といえるかもしれない。



 

先週末、アートワークを一新し、バンド初のヴァイナル盤としてWaterslideから発売された『Plan Infiltration』は、デビューEPの再発とともに、複数の未発表曲が新たに収録されている。十年前、私はディスクユニオンで初盤のオリジナル盤を購入していますが、音質自体はそれほど初盤と変わらない印象である。とはいえ、この再発は単なる思い出づくりのために行われたわけではないだろう。現行のどのバンドとも似て非なるMalegoatの音楽性の印象は、より強められ、鮮明になったと言えるかもしれない。

 

リイシューアルバムでは、デビューEPにも収録された「Transparency」、そして、The Get Up Kids/Promise Ring/Algernon Cadawallderを合体させたドライブ感のあるエモ・ソング「Resistance Activity of Brain」、ポスト・ロックのような変拍子に近いテクニカルな構成力とひねりが効いたコード進行、そして、分厚いベースラインが特徴である「Entire」、さらに、近年のリバイバル・エモバンドとも近似性を見出せる「Cogwheel」を中心として、疾走感のあるポストハードコアサウンドが際立っている。また、その一方で、Don Caballero/American Footballに近いミニマルなギターロックサウンドの真骨頂を「Osmosis」に見出すことも出来るはずである。




 

この度、デビューEPに未発表トラックを加えて再発された『plain Infiltration』は、現代の米国のエモバンドのサウンドに比べても遜色ないどころか、音の完成度と勢いに関しては現地のバンドよりも上回る部分もあるかもしれない。ライブ・バンドとして、着実に東京のベースメントシーンでファンベースを広げ、その知名度を上げてきたMalegoatの真骨頂を味わうにはこれ以上はない一枚。また、”日本のパンクロック/ハードコアの決定盤”としても是非おすすめしておきたい。現在、Waterslide Recordsの公式ショップのほか、ディスクユニオンでも購入可能。 

 

82/100



 Fenne Lily 『Big Picture』

 


Label: Dead Oceans

Release: 2023年4月15日

 

 

 

Review

 

フェン・リリーの最新作は、ブリストルで制作され、20年の思いを手放すために曲が書かれました。レトロなポップスの影響を感じさせる一方で2020年代を生きる私達の日常的な感覚を繊細かつ巧みに表現した一作となっています。アルバムにはフェン・リリーというアーティストが音楽をどれだけ愛しているか、そして日常的に溢れる感覚を温かな感慨によって包み込もうとしているのか理解出来るはずです。

 

このアルバムの全体は、アメリカの90年代のUSインディーロックと、アーティストの趣向である70、80年代のポップスをかけ合わせた柔らかい感覚に充ちた作品となっている。フェン・リリーは詩の言葉を抱きしめるかのように丹念に歌っている。結果的には、ディストーションを交えたギターロックや、ノスタルジア溢れるフォーク・ミュージックと結びつくことで、心地よいサウンドが生み出された。フェン・リリーのサウンドは、海のように果てしなく、そして癒やされる感慨が漂っている。そして、それが彼女らしい素朴な表現性により、聞きやすい音楽という形で昇華されている。こういった音楽が嫌いという人はあまりいないのではないでしょうか?

 

オープニングトラックとして収録され、また、先行シングルとして紹介された「Map Of Japan」はアルバムの代表的なナンバーとなる。まるで春の到来を告げ知らせるかのようなリリーの歌声は、聞き手の心を和ませ、穏やかな感慨をもたらす。そして、オーストラリアのジュリア・ジャックリンのように、ポップスの中には、コアなオルタナティヴロックの要素が自然な形で入り込んでいる。ただし、オルタナの要素があるにしても、それらは部分的な効果として導入されているに過ぎず、ポピュラーな歌そのものが持つ柔らかさを損ねることはありません。また曲の終わりにかけて導入されるエレクトリックピアノの音色は切ない余韻を残しています。

 

続く「Downcolored House」は一曲目の雰囲気を受け継ぎ、カントリーやフォークの影響を絡めたインディーロックであり、自然味に溢れるフェン・リリーの歌声がバックトラックと絶妙な合致を果たしている。 そして、一曲目と同様に、彼女は内向的な感覚を自然な形で歌っていますが、特にアルバム全体の穏やかな雰囲気は、この曲を通じて、深みを増していくように思える。さらに、同じくカントリーの影響を交えた「Light Light Up」でも、二曲目の温和な雰囲気が受け継がれている。続く「2+2」は、それ以前の曲よりもブルージーに歌い、コアなインディーロックと絡めることで、心地よい雰囲気がを生み出されている。それらは繊細なギターフレーズと彼女自身のコーラスの多重録音により、アンセミックな音響効果すら兼ね備えている。

 

これらの前半の流れを受け継いで、穏やかなスローテンポのオルタナティヴフォークが清らかな川の流れのごとく続いていく。フェン・リリーの繊細なビブラートを交えたボーカルによって心地よい音楽空間を先んじて提供し、聞き手がそのことを受け入れるのならば、それはやはり、作者が予測していた以上のコンフォータブルな空間に変化する。そして、そのフレンドリーな雰囲気が作品の後半に至るほど、音楽の深みと温かみが増していくように感じられる。それは歌の中に日常の些細な出来事を織り交ぜることで、聞き手に近づきやすさをもたらしているとも言える。これは内省的なエモーショナルな音楽として胸に迫る場合もある。

 

そういったアーティストの持つ温和さと親しみやすさが最高潮に達するのが終盤に収録されている「Red Deer Day」となる。おそらく、Get Up Kidsの「Red Letters Day」に因んだと思われる、バンジョーのようなギターの音色とペダルスティールの音色が織り交ぜられたカントリーポップスは、フェン・リリーというアーティストの正体がボン・イヴェールの女性版であることの証ともなるかもしれません。これらの曲は2020年代のポップスのメインストリームにある音とは別の側面を刻印したものとしてアルバムの最後まで続いていくのです。


このアルバムはアーティストと聞き手の対話のようでもあり、またそれは聞き手がフェン・リリーの作品に参加してはじめて完成となる。穏やかな週末の午後、ゆったりした気分に浸りたいときにお勧めしたい作品です。

 

 

84/100 



Featured Track 「Map Of Japan」

 Wednesday『Rat Saw God』

 


Label: Dead Oceans

Release: 2023年4月7日


Review


Dead Oceansより発売された『Rat Saw God』は、先週のオルタナティヴロックの話題作の一つであり、バンドの飛翔作といってもおかしくないアルバムである。


本作はアッシュビルのDrop of Sunというスタジオで一週間掛けて制作された。個性的なアートワークについては中世ヨーロッパの宗教画を彷彿とさせるが、これには意図が込められており、バンドのギタリスト/ボーカリストのカーリー・ハーツマンがストーリーコレクターであること、そして、この作品自体が短編小説、断片的な記憶、米国南部の肖像を交えた内容として制作されたことによる。これは美と醜が共生するハーツマンのの記憶をより強化するデザインとなっているのである。

 

またプレスリリースによると、『Rat Saw God」はハーツマンの若い時代のことが詳細に描かれているという。それは例えば、以下のような記憶である。Ipad NanoでMBVを聞きながら、グリーンズボロ郊外を自転車で走り、そして壊れたガラス、コンドームが散乱する近所に流れる小川、葛で埋め立てられた寂しく交配した家を通り過ぎた若い時代の記憶、それらの思い出を丹念にたどり、Wednesdayはハリのあるインディーロック作品として仕上げた。これは、テーマ的には、カナダの作家アリス・マンローのように個人的な記憶を交えた自伝的な一作と呼べるのだが、そこには奇妙な皮肉や冷笑のようなニュアンスも含まれている。それはおそらく音楽家にとって、そういった穿ったような視点を交えないでいると、鋭い感覚を持つ人々はみなが同じことではあるのだが、それらの記憶を自分の回りにごく自然に存在するものであると認めることは難しかったのだろう。自伝的な記憶の奥底にうごめく午後のうららかな光のような麗しさと生々しく猥雑な日常空間の重なり合いは、感覚の鋭いハーツマンにとっては、ほとんど混沌とも呼べるものであったと思われる。そして、それらの細やかな個人的な記憶は、ときに奇妙なトラウマや心の息苦しさなど、明るい側面と奇妙な暗さが複雑に渦巻いたような感覚の異質さが複雑に織り交ぜられている。それはあまりに表向きのサウンドとは異なり、その核心にある感覚はほとんど煩雑とも呼ぶべきものである。ロックという形以外ではなかなか共有しえない何かがある、だからこそ、彼らはこのアルバムを制作する必要に駆られたのだと思うのである。

 

表向きには、プレスリリースの通りで、MBVのような分厚いファズ/ディストーションがこのアルバム、あるいはバンドの象徴的なサウンドと化している。 そして、知るかぎりでは昨年のアルバムや21年の「Twin Plagues」のシューゲイズサウンドの延長線上にあるように感じられる。ところが、今作は、単なる青春の雰囲気を前面に突き出した前作とはまったく異なる雰囲気に彩られていることに気づく。それはときに醜く、シニカルで、冷笑的な感覚が前面に押し出されている。


ただ、これらのオルタナティヴロックサウンドの中に救いがないかと言えば、そうではあるまい。米国南部の緩やかな感覚を留めるカントリー・ミュージック等ではお馴染みのペダル・スティールは、これらのときにシリアスの傾きすぎる向きのあるロックサウンドに、ちょっとしたスパイスとおかしみを交えている。これがこのアルバム自体をそれほどシリアスにせず、聞きやすくしている要因でもある。そのことは、オープニングトラックを飾る「Hot Rotten Grass Smell」に最もよく反映されている。ここに、20年代のオルタナティヴと90年代のオルタナティヴを絶えず往来するかのような特異なサウンドが生み出されることになったのだ。

 

アルバムの収録曲はその後、シューゲイズを彷彿とさせるディストーションサウンドと、例えば、テキサスからニューヨークに拠点を移したWhy Bonnieのようなソフトなインディーフォーク性を上手く絡めながら、パワフルなロック・ミュージックという形で展開される。ただ、それは前作よりも遥かに感覚的であり、これらのギターサウンドとベースラインは、記憶を織り交ぜて感覚的な爆発をしたかのようなエネルギッシュでパワフルなサウンドが続く。「Got Shocked」は、現代的なロックの王道を行くナンバーであるが、そこには上記のWhy Bonnieのように南部的な幻想性に満ちあふれている。そして、そのロマンチズムはディストーションサウンドの蜃気楼の向こうに奇妙な形で浮かび上がってくる。激しい幻惑的なロックサウンドに耳を澄ましていると、その奥底には非常に繊細なエモーションが漂っていることが分かる。これがこの曲を聴いていると、何かしら琴線に触れるものがあり、心を揺さぶられる理由なのだろう。

 

アルバムの中盤では、「Bath Country」を始めとする内省的なオルト・フォークと、バンドの今後のライブのアンセムともなりそうな「Chosen To Derserve」を始めとする明るく外交的なロックバンガーが折り重なるようにしている。これらの一筋縄ではいかない、多重性のあるロックサウンドが感覚的なグルーヴのように緻密に折り連なっている。それらは、美しいもの、醜いものに接したときの原初的な気持ちと綿密にオーバーラップしあいながら、構成力の高いロックサウンドという形で組み上げられ、ひとつの音楽のストーリーが完成されていく。Wednesdayのロックとは別の側面を表すオルト・フォーク/オルト・カントリーの魅力は、終盤に収録されている#8「Turkey Vulture」で花開くことになる。ゆったりしたリズムから性急なリズムへと変化させることで、未知の世界へのワクワクした気持ちや期待感を表現しているように思える。さらにローファイとオルト・フォークを融合させた#9「What's So Funny」は、現代のオルトロックファンの期待に十分応える内容となるはずである。また、この曲には少しジャズの要素が込められていて、これまでのバンドのイメージとは相異なるムーディーなナンバーとして楽しめる。

 

また、アルバムの最後を飾る「TV In The Gus Pump」では、Big Thiefの音楽性に触発されたモダンなオルトフォーク/オルトロックの境地を開拓してみせている。現時点で、ストーリーテリングの要素を今作で導入したことからも分かる通り、Wednesdayはシューゲイズサウンドとオルトフォークサウンドをどのような形で新しく組み上げるのかを模索している最中という印象がある。


『Rat Saw God』はWodnesdayの次なるチャレンジを刻印したものであり、試行錯誤の過程にある意欲作と呼べるかもしれない。おそらくWednesdayのキャリアの中で変革期に当たるようなアルバムに位置づけられるものであるため、バンドのバックカタログと聞き比べて、以前とどのように変化したのかを考えながら、音楽性の変化の一端に触れてみるのも面白いかもしれない。

 


80/100

 

 

Featured Track 「What's So Funny」

 Daughter 『Stereo Mind Game』

 



Label: 4AD

Release: 2023年4月7日



 

Review

 


最近、4ADはErased Tapesと同様に、SNSで4AD Japanのアカウントをローンチし、遂に日本で本格的なマーケティングを開始するようである。その先駆けとして、イギリスのインディーロックバンド、Daughterがいる。4ADは早速、このアルバムのリリースパーティーを企画し、6日に渋谷のコスモプラネタリウムで世界最速のリスニングパーティーが開催されている。

 

エレナ・トンラ(ボーカル)、イゴール・ヘフェリ(ギター)、レミ・アギレラ(ドラム)のトリオは、元々、イギリス、スイス、フランスとそれぞれ異なる国籍を持つロック・バンドではあるが、そのワールドワイドなメンバー構成は実際のレコーディング時にも反映されている。この4thアルバムは、 イギリスのデヴォン、ロンドン、ブリストル、カルフォルニア、ワシントン、バンクーバーと複数の別のスタジオでレコーディングされた作品となっている。


Daughterの7年ぶりの新作は、今流行りの4ADサウンドを象徴づけるようなアルバムと言えるだろうか。ただ、絶対的なものの中で仕事をしないということなんだ」とHaefeliは言うように、アルバムは暗鬱なロマンチックさに根ざしながらも、流動的にその曲の雰囲気を変化させていく。トラックメイク自体は、The Golden Gregsや、Bon Iverに近いものでありながら、エレナ・トンラのアンニュイなボーカルや、センス十分のへフェリのギターサウンドの兼ね合いはときに同レーベル所属のBig Thiefのようなマイルドなオルトロックの雰囲気に包まれる場合もある。例えば、ビックシーフファンは収録曲の「Party」に親近感を覚え、琴線に触れるものがあるに違いない。

 

そして、なんといっても先週、青葉市子のレビューでも紹介したとおり、このアルバムにはロンドンの名アンサンブル、12 Emsembleと聖歌隊が参加し、ストリングスやコーラスの面で貢献している。ただ、それは大掛かりな映画の音楽をイメージするかもしれないが、どちらかといえば、バンドのオルトロックの中に組み込まれるようにして、これらのオーケストラレーションやクワイアはあくまでバンドの叙情性を引き出すためのサポート役に徹しているのである。

 

パンデミック時には、物理的な距離をとっていたトリオではあるが、その後に再会を果たし、ソングライティングを行っている。それは言い換えれば、このアルバム自体が鬱屈とした瞬間からより建設的な瞬間への移り変わりの時期を捉えているように思える。例えば、今、その時点にいることにためらいを覚えながらも、その場から立ち上がり、次のステップとなる明るい方向へむけて走り出していく期間を捉えたようなロックサウンドとも言いかえられる。そのあたりは、「Dandelion」の曲にわかりやすい形で現れている。それほど明るいサウンドではないけれども、実際に癒やされるような感覚がこの曲には潜んでいるような気がするのである。

 

上記の二曲に加えて、Daughterの象徴的なサウンドとしてアンビエントとポップスをかけ合わせたようなスタイルがある。例えば、「Neptune」での天文学的な興味に支えられるようにして、これらの宇宙的なロマンスを反映したサウンドは、Big Thiefを思わせるインディーロックサウンドのさなかにあって、アルバムの曲の流れの中に緩急とアクセントをもたらしているように思える。また、現在、ストリーミング回数が好調である「Swim Back」もまたダンサンブルなシンセ・ポップに宇宙的な雰囲気を加味したシングルとなっている。また、「Junkmail」もノイジーなポップであるが、ノリの良いグルーブが体感出来る一曲となっている。

 

そして、全体的に見れば、エレナ・トンラの歌い上げるボーカルは、淡い切なさを漂わせている。それは理論的に見れば、彼女がソフトに歌い上げるメロディーラインからそういったエモーションが引き出される思えるけれど、しかし、そうとばかりも決めつけがたい。おそらく、このボーカリストの外向性と内向性という双方の性質が曲の中で感覚的なものとして複雑にせめぎ合っているからこそ、それらのエモーションが他には求めがたいようなミステリアスな雰囲気として表側に期せずして現れる場合があるのだろう。Daughterの感覚的な音楽は、愛や孤立といった両端にある生と負の感情の間で揺れ動いていくが、もしかすると、 論理的に説明しがたい人間の機微のようなものを、トリオはこのアルバムの中で追い求めようとしたのかもしれない。もちろん、心地よさや感覚的な美しさを感じさせるアルバムとして十分楽しむことが出来ると思われるが、より深く聴き込むと、何かしら新しい発見がありそうな作品でもある。

 

 

84/100

 


 Featured Track 「Swim Back」

Deerhoof (ディアフーフ)『Miracle-Level(奇跡レベル)』 

 

 

Label: Joyful Noise Recordings

Release: 2023年3月31日




Review


1994年、サンフランシスコで結成されたディアフーフは、ボーカル/ベーシストのサトミ・マツザキを中心にユニークなノイズロック/アバンギャルドロックの音楽性を開拓してきた。稀にJ-Popの影響を感じさせるファニーな唯一無二の音楽性は、 他のどのロックバンドにも求められぬもので、ニューヨークのブロンドレッドヘッドと同様、まさに「ディアフーフ・サウンド」と呼ばれるべきサウンドである。最初期、ディアフーフは、ローファイ、アート・ロック、そしてエクスペリメンタルポップと、多種多様な音楽性を長きにわたるキャリアで追求してきた。



 

今回、バンドとしては初の日本語歌詞による新作アルバム「奇跡レベル」は、ディアフーフというおよそ三十年近く活動してきたバンドにとって一つの分岐点に当たる作品なのではないかと思う。またこのアルバムは、サウンフランシスコのバンドとしては珍しくカナダのウィニペグで録音された。 

 

近年、アバンギャルドポップやエレクトロニック風の作品をリリースし、バンドの可能性をひろげようと模索している印象があったが、今回の日本語歌詞のアルバムにはディアフーフらしさを全編にわたって体感することが出来る。変拍子を織り交ぜたカクカクしたリズムと、ディストーションの強いギター、そしてファニーなメロディーを基調にしたロックアルバムという点では、 穿った見方かもしれないが、バンドは活動当初のKill Rockstarsに在籍していた時代のディアフーフの原点を、この作品を通じて追い求めようという感じも見受けられる。



 

「Sit Down,Let Me Tell Me a Story」では、「これから話すものがたり、愛と奇跡~」という歌詞で始まるが、サトミ・マツザキが紙芝居の語り手に扮し、リスナーをめくるめくワンダーランドへ招き入れる、まるでアリス・イン・ワンダーランドのように。それからは、これまでのディアフーフの作風と同じように、ジャズの影響を交えたアバンギャルドの世界が繰り広げられていく。アルバムに通底する世界観とも称すべきものは、村上春樹の文学作品のような、つかみどころのないシュールな音楽が幅広いバックグランドを通じてダイナミックに展開されるのだ。

 

分厚いディストーションサウンドも相変わらず健在である。先行シングルとして公開された「My Lovely Cat」では、このバンドが最初にローファイのロックバンドとしてみなされた理由が込められている。パンチが効いていて、荒削りなディストーションサウンドはバンドの長きにわたるテーマでもあり、代名詞のようなものである。そのディアフーフ・サウンドに、ボーカリストのサトミ・マツザキは、以前のようなシュールでユニークな歌詞をあらためて日本語という観点から探求しようとしている。シングルのアートワークに象徴されるように、可愛らしいネコのキュートなモチーフが実際の音楽の中に見出すことが出来るはずである。 



 

その後、「The Poignant Melody」はSea And Cakeを彷彿とさせる、ジャズとロックの中間にある渋いポストロックとしても楽しむことが出来る。さらに、中盤で抑えておきたい曲がタイトルトラック『Miracle Level」で、ここで、ディアフーフは珍しくバラード調の曲を通じ、愛というものが何であるのかを表現しようとする。そのメロディーは、これまでのディアフーフとは異なり、何らかの日本的な郷愁をボーカリストのサトミ・マツザキが懐かしく歌い上げようという感じの曲となっている。これまでのディアフーフの中で、最もセンチメンタルな一面を捉えることが出来る。

 

さらに、Husker Duの最初期のデモ音源のようなオリジナルパンクの影響を感じさせる「And The Moon Laughts」で、バンドは未だに最初期のパワフルさを失っていないことを熱く宣言しようとしている。もちろんその中には、少し戯けた感じのサトミ・マツザキのボーカルフレーズが特異なグルーブとリズムをバンドサウンドに加味し、アグレッシヴなサウンドが組み上げられているのだ。




これらの遊園地のアトラクションのように絶えず移ろい変わっていくサウンドは、やがて「Phase-Out All Remaining Non-Miracle by 2028」で誰も予測がつかないような形でエキセントリックな着地点を見出す。ここでは、近年鳴りを潜めていたディアフーフの音楽が以前とは異なる形で新たなフェーズへと突入し、未来への憧憬を表現しようとしている。SFの雰囲気に包まれているこの曲には、バンドの象徴的なカラフルなサウンドの真骨頂を見出すことができよう。


"このアルバムが奇跡レベルに達した"というのは誇張表現となるかもしれないが、バンドはこれまでのアバンギャルドな作風と同様、次なるレベルの境地を見出そうとしていることは確かである。94年から、ディアフーフは、世界がどのような状況にあろうとも”ディアフーフ”でありつづけてきたが、どうやら、そのポリシーは次の時代にもしっかり受け継がれていきそうだ。



76/100

 


Featured Track 「Phase-Out All Remaining Non-Miracle by 2028」



 The New Pornographers 『Continue As A Guest』

 

Label: Merge Records

Release: 2023/3/31


Review


ご存知の方も少ないないと思われますが、Merge Recordsは、Superchunkのマック・マコーン氏が主宰するレーベルなわけで、少なからず、このバンドのユニークな気風のようなものは、ジャンルを問わず所属するアーティストに受け継がれているようです。スーパー・チャンクについては、Yo La Tengoや、Pixiesとならんで、USインディーの伝説的なバンドで80年代から活動する長いキャリアを持つロックバンドです。

 

先日、発表されたように、スーパーチャンクのドラマーのJon Wurster(ジョン・ワースター)が脱退することが報じられた。 もう心ここにあらずという感じなので一線を退くという発表をしているわけですが、これはまた他の意味があって、後継的なバンドが見つかったという安心感もあったようです。つまり、何を言わんとするのかというと、ワシントンのザ・ニュー・ポルノ・グラファーこそ、スーパー・チャンクの正当な後継のロックバンドなのだということです。

 

ワシントンの6人組のインディーロックバンドは、90年代のSuperchunkや、Throwing Musesのインディーロック性をこのアルバムの中で展開させようとしているように感じられる。

 

アルバムの全体には、バンドのリーダーであるA.C.ニューマンのマック・マコーンを彷彿とさせる穏やかなボーカル/メロディーライン、Throwing Musesを思い起こさせる柔らかい女性コーラスがかけ合わさり、90年代のノスタルジア満載のUSインディーのコアな音楽性が通奏低音のように響いている。それがトラック全体のシンセの雰囲気と合わさり、現代のオルトロックとは一線を画す内容となっていることが分かる。オープニングトラック「Really Really Shape」は、上記の2バンドに加え、Weezerの初代ベーシスト/マット・シャープのバンド、The Rentalsのようなエモーショナルなインディーロックを気風が受け継がれた最高の一曲となっている。

 

一方、The New Pornographersを単なるスーパー・チャンクやヨ・ラ・テンゴの後継者として見做すことは惜しい。6人組のバンドのアプローチには、明らかにシンセ・ポップの影響が反映されており、以前のUSオルタナとは少し違った風味をもたらしている。「Cat and Mouse With The Light」では、Superchunkの可愛らしい音楽性の影響をとどめつつ、そこにコンテンポラリーフォークの要素を加えて新鮮味をもたらそうとしている。


その他、TOTOの「Africa」のようなポップネスを受けついだ「Last and Beautiful」もアフリカの民族音楽を彷彿とさせ、先行のオルトロックっぽくはないし、タイトル曲「Continue As a Gurest」もネオソウル/ラップ、シンセポップの影響を絡めた上で新時代のオルトロックへと歩みを進めようとしている。これはどういうことかと言うと、USオルトの良い部分を受け継いだ上で、何かしら現代的な新しい解釈を加えようというバンドのチャレンジ精神を読み解くことが出来るわけなのです。


また、そうかと思えば、「Bottle Episode」ではSuperchunkのノスタルジックな雰囲気に舞い戻り、「Detroit Has A Skyline」を彷彿とさせる和やかなオルトロックで楽しませてくれる。「Marie and the undersea」では一転して先鋭的なアプローチを展開させ、ダイナミックなシンセポップを通して清新な解釈を付け加えようとしている。これらの新旧の音楽の影響をジグザグに織り交ぜた曲の流れは、行けども行けどもゴールが見えない曲がりくねった坂道のような印象を与える。

 

その後にも、バンドはある一つの地点に留まるのを極力避けるかのように、バリエーション溢れる展開力を見せることに驚きを覚える。「Angelcover」では、ビートルズを思い起こさせるバロック・ポップへと転じ、音の核心に迫ったかと思えば、すっとかわされてしまうようなユニークな感覚に満ちている。次いで、「Firework in the Falling Show」に関しては、Tears For Fearsを想起させるニュー・ロマンティックやソフトロックの名曲の雰囲気を受け継いだナンバーとして楽しめる。


全体的にみれば、『Continue As A Guest』はSuperchunkやGalaxie 500、R.E.Mの音楽性に触発された音楽として位置付けられる。しかし、オルトロックという固定観点から距離をおいて聴いてみると、AOR/ソフトロックのようにも聞こえるし、その他、オアシス/ブラーのような良質なブリット・ポップにも聞こえる。音楽の核心に迫るほど聞こえるものが変化する。ジャンルを問わず、洋楽ファンにチェックしてみてもらいたい作品です。

 

 

85/100 

 


Featured Track 「Fireworks In The Falling Snow」

 Louis Ⅵ 『Earthling』

 

 

Label:  HiyaShelf Recordings Unlimited

Release:  2023年3月31日



Review


 UK/ノースロンドンの最注目のラップアーティスト、Louis Ⅵ(ルイ6世)は2016年から二作のアルバムを発表している。Nighmare On Waxの指揮のもと、新たに設立されたレーベル、HiyaSelf Recordings Unlimitedと契約を交わし、三作目のアルバム『Earthling』をリリースした。Lex Armor、Mick Jenkins、Moses Boyd,Alex Cosmo Blake、Osker Jerome、Bluestaeb、Arena、Greg Paulといった気鋭のミュージシャンがコラボレーターとして参加し、3年の月日を費やして制作。特にOsker Jerome、Lex ArmorとMick Jenkinsの参加が何とも豪華である。

 

 さらに、このアルバムでは、ルイが人間であることの意味を示すため自ら探求する姿をラップミュージックとして記録している。ノースロンドン出身のルイは、ライムやフロウの中で「これまで最も正直で、最もエキセントリックな自分」を表現しようと努め、黒人社会が歴史の中でどのような変遷を辿ってきたのか現代人の見地から検めようとしている。警察の残虐行為、人種差別、アフリカの植民地の背景、彼のリリックには重要なテーマが複数見いだされるが、それらを自然な感情--喜び、怒り、探求の物語を描きだそうと試みている。 さらに、ノースロンドンの文化的に活気のある街で育った彼は、自身の経験や課題からインスピレーションを受けている。カリブ海、フランス、イギリスの3つの血を受け継ぐルイは、ロンドンの主要なカルチャーであるラップとジャズに強く触発されるとともに、それらに新たな解釈を加えようとしている。かねてから、社会に馴染めないと考えていたアーティストにとって音楽とは外界からの逃避場となるだけでなく、家庭内での暴力から逃れるための方策でもあった。

  

  前作『Sugar Like Salt』で一定の支持を集めた後、このサード・アルバム製作中に、ルイは様々な体験をした。


 人種差別にまつわる不可解な司法制度を象徴するような裁判を家族が体験し、そしてバスケットボールの怪我から立ち直らねばならず、マーキュリー賞にノミネートされた友人であるTYを失った。その後、家庭内暴力で育った彼はさらに、これらの家族のトラウマに直面するようになり、一時的に精神状態が悪化したという。その後、ルイは自然ガイドと一緒にセラピーの旅に出ることになった。さらにこのアルバムの製作時に、彼は実の妹からアドバイスを受けたそうで、過去数年間を振り返り、本当の自己に忠実であることの重要性を教わったという。その影響もあってか、これらの音楽にはルイの力強いメッセージを読み取る事もできる。


 サード・アルバムは、例えば、レゲエ/レゲトンとラップ・ミュージック、ロンドンのクラブ・ミュージックをセンスよく融合させ、フレンドリーな音楽を提示している。一見すると、上記の複雑なテーマは表向きには重苦しい印象を与えるかもしれないが、実際の音源を聴くとわかる通り、『Earthling』は不思議な開放感に満ち、モダンでリラックスした雰囲気に包まれている。決して悲惨な状況に相対したからといって投げやりにはならず、それらの課題を踏まえた上で自らがやるべきことに専念している。また、Louis Ⅵは、UKドリルやトラップの現代のラップ・ミュージックを踏襲し、ジョーダン・ラカイ(ラケイ)のような落ち着いたクラブ・ミュージックに置き直している。加えて言えば、これは大人のためのラップミュージックなのである。

 

 アルバム全体にはアマゾンという主な舞台を通じて、一貫した音楽性が根底に通じている。ときに、リラックスしたムード、そしてミニマルな構成のクラブミュージックの最中にあって、曲ごとに雰囲気が少しずつ変化する様子は、さながら熱帯雨林の変化しやすい気候を象徴づけるかのようでもある。そして、その舞台はブラジルにとどまらず、彼の地元であるロンドン、それからメキシコに移る場合もある。めくるめくような展開力は、落ち着いたチルアルト風のクラブ・ミュージックと合わせて、ミュージカルの一幕のような印象をもたらす場合もある。稀に、それは実際に複数の場所で録音されたサンプリングーー、アマゾンの嵐、イギリスの深閑とした森、メキシコの海岸にいる熱帯の鳥のサンプリング等が施されることによって、ボーカルトラックの合間に絶妙なアクセントをもたらし、多彩な変化をアルバム全体に与えているのである。

 

 アーティストは、地元のロンドンを離れ、アマゾンに滞在したことで、より懐深い宇宙の叡智である慈しみの源泉に迫ることができたのだろう。Louis Ⅵは最新アルバムの中で自己のアイデンティティを探求するというテーマと合わせて、気候変動のテーマに興味を持ち、一個人として地球に対して出来ることは何かを探求しようとしている。それは、本作のタイトル『The 『Earthling』がCOP26のサミットで開催された基調講演や、ドキュメンタリーフィルム『Nature Ain't A Luxury』、さらに短編小説『The Earthing』にヒントを得ていることからもわかる。アーティストは、大きな問題を自分の内在的な問題と交えつつ、明るく建設的な意見をラップミュージック/クラブ・ミュージックのコンテクストの中にもたらそうと考えているのかも知れない。



90/100

 


Featured Track 「When I Blow」

boygenius  『the record』

 

 

Label: Interscope

Release: 2023年3月31日



Review


今週最大の話題作であり、また、ソロアーティストとしても活動するフィービー・ブリジャーズ、ルーシー・デイカス、ジュリアン・ベイカーのスーパーグループ、boygeniusの待望のデビュー・アルバムは非常に高いクオリティーを擁する聴き応えのあるロックアルバムとなっている。


昨年、いまだ記憶に新しいが、boygeniusのトリオはロサンゼルスに突如姿を現し、撮影を行っていたことがメディアの間で話題に上った。さらにファンの間ではデビュー・アルバムのリリースが間近なのではないかという噂が流れた後、遂に公式にインタースコープから『The Record』のリリースが発表された。その後、boygeniusのメンバーはカート・コバーンが死去する直前のローリング・ストーン誌で特集が組まれた際、コバーン、ノヴォセリック、グロールを模したスーツ姿で撮影に臨み、表紙を華々しく飾った。これはトリオの大胆不敵なメッセージ代わりとなり、多くの音楽ファンに鮮烈な印象を与えたことだろうと思われる。


既に、今作は、Pitchfork,Stereogum、DIYといった世界の著名な音楽メディアに好意的に迎え入れられており、その音楽性の良さに関しては既に疑いないものとなっていることは事実である。特に、このアルバムが聴き応えがあるのは、トリオが単なる趣味のバンドとしてboygeniusを立ち上げたわけではなくて、実際に曲作りやレコーディングに関して本気度の高さが感じられることによる。他のメディアも指摘しているとおり、三者の結束がもたらす友情性の魅力もさることながら、時々、ライブセッションの節々からはギターロックとして熱狂性すら感じられる。これまで本格的なガールズロックバンドは数少なかったが、その歴史を今まさにboygeniusは塗り替えようとしているわけなのだ。いや、それはニルヴァーナを模していることからも分かる通り、ロック史を塗り替えたいというboygeniusの声明代わりとなるようなアルバムと言えるのである。もはやロックは男性だけのものではない、というメッセージがこのアルバムから読み取ることも出来る。

 

そういった意味において、プレスリーの時代、またのちのビートルズ、オアシスやニルヴァーナの時代、また、その後に続く時代を経て、『The Record』はロックの一つの転換点にあるような作品と呼べる。そして、ポストロック、カントリー、グランジ、ポップス、R&Bというように、楽曲ごとに音楽性が切り替わっていく。そして、ソロアーティストとしても活動するフィービー、ルーシー、ジュリアンのボーカルは曲ごとに分たれているのではなく、一曲の中で、メインボーカルが切り替わり、常に流動的な流れを形作り、聞き手をほとんど飽きさせることがない。何より、ポップネスが何たるかを熟知するフィービー、そしてカントリーの影響をポップスとして落とし込むダカス、さらにはフォーク寄りの音楽的なルーツを持つベイカーの三者三様の個性がセッションを通じてスパークする場合もある。つまり、ソロアーティストの寄せ集めではなく、トリオの本気のロックセッションがクールな形で繰り広げられていくのである。

 

アカペラでオープニングを温和な雰囲気で彩る「Without You Without Them」で気持ちが和むが、続くポスト・ロックの影響を受けた乾いた質感を持つ「$20」でboygeniusは自分たちが最高のロックバンドであると世界に対して勇敢に主張する。さらに続くフィービーを中心に書かれたという話である「Emily,I'm Sorry」は個人的な記憶にまつわる悔悟のような意味が見出せ、そこに切なさすら感じる。


「True Blue」は新時代のロックアンセムといえ、特にアルバムの中で最もコーラスが絶妙に溶け合っており、ときに凛とした美しさすら感じられる。その他、爽やかなミュージック風のイントロからロックアンセムへと様変わりする「Not Strong Enough」もアルバムのハイライトとなる一曲である。ギターのバッキングの心地よさと、メイン・ボーカルのクールさがきらりと光る。またアルバムの後半に収録されている「Leonard Cohen」は偉大なカナダのフォーク/ロックの影響下にある最も渋さのあるブルージーなナンバーとしてリスナーを聴き入らせる力を持っている。

 

「Satanist」はboygeniusのグランジへの讃歌代わりとなるナンバーで、このトリオの音楽的なルーツを探ることが出来る。特にシンプルでありながら、ひねりの聴いたコード進行を打ち出そうという点は、2020年代において最も勇気を必要とすることなのである。またアルバムの最後に収録されている「ある年老いた詩人への手紙」は意味深なニュアンスを読み取る事ができるが、エンディングにふさわしい繊細なバラードソングだ。アルバムの最初と同じように、アカペラ風のモチーフが最後になって美しいエンディングへと繋がっていることがわかる。

 

『The Record』は、他の媒体のクリティックにおいてboygeniusの友情ばかりが重要視されているが、もちろん魅力はそれだけにとどまらない。これは、フィービー・ブリジャーズ、ルーシー・デイカス、ジュリアン・ベイカーという秀逸な音楽家の勇気が美しい結晶となったデビュー作でもある。

 

 

 

94/100

 

 

「True Blue」

 Lankum  『False Lankum』

 

 

Label: Rough Trade

Release Date: 2023年3月24日



Review

 

アイルランド/ダブリンの四人組フォークグループ、Lankumは先週末4作目のフルアルバム『False Lankum』をリリースした。現代の音楽の主流のコンテクストから見ると、フォーク・ミュージックはポップネスやオルタナティヴロックと融合し、その原初的な音楽を核心に置くグループは年々少なくなってきているように思える。しかしながら、ダブリンの四人組はこのフォーク-つまり、民謡の源流を辿り、再びアイルランド地方の歴史性、そして文化性に脚光を当てようとしている。


バンドは、この4作目のアルバムを制作するに際して、かなり古いアイルランド民謡のアーカイブを丹念に調査し、そして実際の楽譜や歌詞を読み込み、それらを組み直している。このアルバムに収録されている曲の多くは、米国にもイングランドにも存在しえないアイルランド固有の音楽でもある。そして、アイルランド民謡が祭礼的な音楽として出発したという歴史的な事実を現代のアーティストとして再考するという意味が込められている。


例えば、オープニングトラック「Go Dig My Grave」は、そのタイトルの通り、葬儀における祭礼的な音楽として生み出された。そして、キリスト教のカソリックの葬儀の祭礼で演奏された宗教音楽やバラッドの幻影をランカムは辿っている。「Go Dig My Grave」は、ランカムのレイディ・ピートが1963年にアルバム『Jean Ritchie and Doc Watson at Folk City』に収録したジーン・リッチーの歌声からアルバムに収録されている特定のヴァージョンを発見したことに端を発する。この曲は、元々様々なバラッドのスタンザ(押韻構成のこと)として作曲された、いわゆる「浮遊詩」で構成されている曲の一つで、17世紀にそのルーツが求められる。

 

この曲は死者との交信といういくらか霊的な要素を備えており、ボーカルとアイルランドの民族楽器の融合は、悠久の歴史のロマンへの扉を開くかのようである。歴史家が古代の遺跡の探査にロマンチシズムを覚えるように、この曲には、アイルランドの歴史的なロマンと憧憬すら見出すことが出来る。そして複数の民族楽器の融合は、死靈へ祈りとも言いかえられ、曲の中盤から終盤にかけて独特な高揚感をもたらす。これはクラブミュージックともロック・ミュージックとも異なるフォーク・ミュージック特有の祈りに充ちた器楽的な抑揚が表現されている。

 

同じく、先行シングルとして公開された8曲目の「New York Trader」は、2021年一月に制作が開始された。

 

この曲はバンドがリングゼンド出身のルーク・チーヴァースから教わったという。この曲はまた19世紀にイギリスのブロードサイドに印刷された人気曲で、その後、20世紀ウィルトシャー、ノーフォーク、ノバスコシアでバージョンが集められた。渋さとダイナミックさを兼ね備えたバラードは、淡い哀愁に満ちており、舟歌としてのバラッドがどのようなものであるのかを再確認することが出来る。

 

アルバム発売前の最終シングルとしてリリースされた「New Castle」は、他の先行シングルと同様に17世紀のフォークミュージックを再考したものである。この曲については、The DeadliansのSeán Fitzgeraldから学びんだという。


このフォークバラッドは、『The English Dancing Master』1651年)という媒体に初めて掲載されたのが初出となる。一方、この曲の歌詞は、1620年に印刷された「The contented Couckould, Or a pleasant new Songe of a New-Castle man whose wife being gon from him,shewing how he came to London to her, and when he found her carried her backee again to New-Castle Towne」というタイトルのバラッドと何らかの関連があるかもしれないという。いくらか宗教的なバラッドとしてアクの強さすら感じられるフォーク・ミュージックの中にあって、最もハートフルで、聞きやすい曲として楽しむことが出来る。爽やかで自然味溢れるフォークソングは、バンドがアイルランドの名曲を発掘した瞬間とも言える。それらをランカムは、ノスタルジアたっぷりに、そして現代の音楽ファンにもわかりやすい形で土地の伝統性を伝えようとしている。それはアイルランド地方の自然や、その土地に暮らす人々への温かな讃歌とも称することが出来るかもしれない。

 

 

4作目のアルバム『False Lankum』では、古典音楽の一であるフーガ形式の3つの曲を取り巻くようにして、ロマンチックかつダイナミックなアイルランドのフォークバラッドの世界が飽くなき形で追求されている。あらためてアイルランド民謡の醍醐味に触れるのにうってつけの作品といえ、最終的に、本作の音楽はランカムのメンバーのこの土地の文化への類稀なる愛着という形で結実を果たす。上記に挙げた曲と合わせて、クライマックスを飾る「The Turn」には、これまでのランカムとはひと味異なるフォーク・バラッドの集大成を見出すことが出来るはずだ。

 

 

78/100

 

 

 Featured Track  「New Castle」

 marine eyes  『Idyll』(Extended Edition)

 

 


 

Label: Stereoscenic

Release Date: 2023/3/27



andrewと私が「idyll」CDのリイシューについて話を始めたとき、これを完全な別アルバムにするつもりはなかった。しかし、私たちが追加で特別なものを作っていることはすぐに明らかになったので、私たちは続け、そうすることができて嬉しく思う。

この小さなプロジェクトに心を注いでくれた、レイシー、アンジェラ、フィービー、ルドヴィッグ、ジェームス、アンドリューに深く感謝します。また、彼女の素晴らしいアートワークを提供してくれたNevia Pavleticにも大感謝です!

そして、B面の「make amends」は、オリジナル・アルバムに収録される寸前で、共有されるタイミングを待っていたものです。

この曲のコレクションを楽しんで、あなた自身の安らぎの場所を見つける手助けになれば幸いです。

 

 

と、このリリースについてメッセージを添えたロサンゼルスのアンビエント・プロデューサー、Marine Eyesの昨日発売された最新作『Idyll』の拡張版は、我々が待ち望んでいた癒やし系のアンビエントの快作である。2021年にリリースされたオリジナル・バージョンに複数のリミックスを追加している。

 

Marine Eyesは、アンビエントのシークエンスにギターの録音を加え、心地よい音響空間をもたらしている。アーティストのテーマとしては、海と空を思わせる広々としたサウンドスケープが特徴となっている。オリジナル作と同じように、今回発売された拡張版も、ヒーリングミュージックとアンビエントの中間にあるような和らいだ抽象的な音楽を楽しむことが出来る。日頃私達は言葉が過剰な世の中に生きているが、現行の多くのインストゥルメンタリスト、及び、アンビエント・プロデューサーと同じように、この作品では言葉を極限まで薄れさせ、情感を大切にすることに焦点が絞られている。


タイトルトラック「Idyll」に象徴されるシンセサイザーのパッドを使用した奥行きのあるアブストラクトなアンビエンスは、それほど現行のアンビエントシーンにおいて特異な内容とはいえないが、過去のニューエイジのミュージックや、エンヤの全盛期のような清涼感溢れる雰囲気を醸し出す。それは具体的な事物を表現したいというのではなく、そこにある安らいだ空気感を単に大きな音のキャンバスへと落とし込んだとも言える。しかし、そのシンセパッドの連続性は、情報や刺激が過剰な現代社会に生きる人々の心にちょっとした空間や余白を設けるものである。

 

二曲目の「cloud collecting」以降のトラックで、アーティストが作り出すアンビエントは風景をどのようにして音響空間として描きだすかに焦点が絞られている。それは日本のアンビエントの創設者である吉村氏が生前語っていたように、 サウンドデザインの領域に属する内容である。Marine Eyesは、例えばカルフォルニアの青々とした空や、開放感溢れる海の風景を音のデザインという形で表現する。そして、現今の過剰な音の世界からリスナーを解き放とうと試みるのである。これは実際に、リスナーもまたこの音楽に相対した際に、都会のコンクリートジャングルや狭小なビルの部屋から魂を開放し、無限の空間へと導かれていくような感覚をおぼえるはずである。

 

サウンドデザインとしての性格の他に、Marine Eyesはホーム・レコーディングのギタリストとしての表情を併せ持つ。ギタリストとしての性質が反映されたのが「shortest day」である。アナログディレイを交えたシークエンスに繊細なインディーロック風のギターが重ねられる。それはアルバム・リーフのようなギターロックとエレクトロニックの中間点にある音楽性を探ろうと言うのである。それらは何かに夢中になっている時のように、リスナーがその核心に迫ろうとすると、すっと通りすぎていき、消えて跡形もなくなる。 続く「first rain」では、情景ががらりと変わり、雨の日の茫漠とした風景がアンビエントを通じて表現される。さながら、窓の外の木々が雨に烟り、視界一面が灰色の世界で満たされていくかのような実に淡い情感を、アーティストはヴォイスパッドを基調としたシークエンスとして表現し、その上に薄く重ねられたギターのフレーズがこれらの抽象性の高い音響空間を徐々に押し広げ、空間性を増幅させていく。まるでポストロックのように曖昧なフレーズの連続はきめ細やかな情感にあふれている。


続く、「roses all alone」はより抽象的な世界へと差し掛かる。アーティストは内面にある孤独にスポットライトを当てるが、ギターロックのミニマルなフレーズの合間に乗せられる器楽的なボーカルは現行の他のアーティストと同じように、ボーカルをアンビエンスとして処理し、陶然とした空間を導出する。しかし、これらはドリーム・ポップと同じように聞き手に甘美な感覚すら与え、うっとりとした空間に居定めることをしばらく促すのである。朝のうるわしい清涼感に満ち溢れたアンビエンスを表現した「on this fresh morning」の後につづく「pink moment」では、かつてのハロルド・バッドが制作したような安らいだアンビエント曲へと移行する。Marine Eyesは、それ以前の楽曲と同じように、ボーカルのサンプリングと短いギターロックのフレーズを交え、ただひたすら製作者自らが心地よいと感じるアンビエンスの世界を押し広げていく。タイトル曲「idyll」と同様に、ここではニューエイジとヒーリングミュージックが展開されるが、この奥行きと余白のある美しい音響性は聞き手に大きなリラックス感を与える。

 

続く「shortest day(reprise)」は3曲目の再構成となるが、ボーカルトラックだけはそのままで、シークエンスのみを組み替えた一曲であると思われる。しかし、ギターのフレーズを組み替え、ゆったりとしたフレーズに変更するだけで、3曲目とはまったくそのニュアンスを一変させるのである。3曲目に見られた至福感が抑制され、シンプルなアンビエント曲として昇華されている。オリジナル盤のエンディング曲に収録されている「you'll find me」も同様に、ギターロックとアンビエントやヒーリングミュージックと融合させた一曲である。シングルコイルのギターのフレーズは一貫してシンプルで繊細だが、この曲だけはベースを強調している。バックトラックの上に乗せられるボーカルは、他の曲と比べると、ポップネスを志向しているように思える。エンディングトラックにふさわしいダイナミックス性と、このアルバムのコンセプトである安らぎが最高潮に達する。ポストロックソングとしても解釈出来るようなコアなエンディングトラックとなっている。


それ以降に未発表曲「make abends」とともに収録されたリミックスバージョンは、そのほとんどが他のアーティストのリミックスとなっている。そして、オリジナルバージョンよりもギターロックの雰囲気が薄れ、アンビエントやアンビエント・ポップに近いリテイクとなっている。マスタートラックにリバーブ/ディレイで空間に奥行きを与え、そして自然味あふれる鳥のさえずりのサンプリング等を導入したことにより、原曲よりさらに癒やし溢れる空間性が提示されている。これらのアンビエントは、オリジナル盤の焼き増しをしようというのではなく、マスタリングの段階で高音部と低音部を強調することで、音楽そのものがドラマティックになっているのがわかる。オリジナル盤はギターロックに近いアプローチだったが、今回、複数のアーティストのリミックスにより、「Idyll」は新鮮味溢れる作品として生まれ変わることになった。

 

 90/100

 




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 Ralph Towner 『At First Light』

Label: ECM Records

Release Date:2023年3月17日

 

 

Review 

 

ワシントン州出身の名ギタープレイヤー、ラルフ・タウナーはECMとともに長きにわたるキャリアを歩んできた。これまでの作品において、このレーベルに所属する他のアーティストと同様、コンテンポラリー・ジャズ、アヴァンギャルド・ジャズ、エキゾチック・ジャズと幅広い音楽性に挑んできた。ヤン・ガルバレク、ゲイリー・ピーコック、ゲイリー・バートン、これまで世界有数のジャズ演奏者を交え、コンスタントに良質なジャズギターを通じて作品を発表してきた。


ラルフ・タウナーは82歳のギタープレイヤーであるが、この作品はミュージシャンのハイライトを形成する一作である。そして面白いことに、本作には、これまでのジャズギターの革新者としての姿とともに、デビュー作『Diary』のアーティストの原点にある姿を捉えることが出来る。

 

アルバムは、オリジナル曲とカバー曲で構成されている。ホーギー・カーマイケルの「Little Old Lady」、ジュール・スタインの「Make Someone Happy」、フォーク・トラッドの「Danny Boy」、またたタウナー自身のジャズ・バンドであるOregonの曲の再解釈も収録されている。しかし、クラシカル、フォーク、ジャズ、 ミュージカルと多くのポイントから捉えられたクラシカルギター/ジャズ・ギターの素朴な演奏は、一貫してジャズのアプローチに収束するのである。

 

もちろん、そのフィンガーピッキングに拠る繊細なニュアンス、ジャズのスケールの中にスパニッシュ音楽の旋律を付け加えつつ、ラルフ・ターナーは最初の『Diary』の時代の原点に立ち返ろうとしているように思える。また、そのことは一曲目の「Flow」の上品で素朴なギターの模範的な演奏から立ち上る演奏者のクールな佇まいがアルバム全体を通じて感じられる。もちろん、単なる原点回帰というのは、アヴァンギャルド・ジャズ、ニュージャズを通過してきた偉大なジャズプレイヤーに対して礼を失した表現ともなるかもしれない。原点を振り返った上で現在の観点からどのように新しい音楽性が見いだせるのか、あらためてチャレンジを挑んだともいえるだろうか。

 

アルバムは全体的にカバー/オリジナルを問わず、穏やかで素朴な雰囲気に充ちた曲が占めており、演奏自体の豊富な経験による遊び心や優雅さも感じとることが出来る。そしてラルフ・タウナーの旧作を概観した際、タイトル・トラックは往年の名曲のレパートリーと比べても全く遜色がないように思える。デビュー当時の『Diary』の音楽性を踏襲した上で、そこにスペインの作曲家、フェデリコ・モンポウの「Impresiones intimes」を想起させる哀愁に満ちたエモーションを加味し、カントリーの要素を交えながら情感たっぷりのギター曲を展開させている。

 

他にもカバーソングでは他ジャンルの曲をどのようにジャズギターとして魅力的にするのか、トラッド・フォーク「Danny Boy」やブルース「Fat Foot」といった曲を通じて試行錯誤を重ねていった様子が伺える。もちろん、それは実際、聞きやすく親しみやすいジャズとして再構成が施されているのである。他にも、ラルフ・タウナーのOregonにおけるフォーク/カントリーの影響を「Argentina Nights」に見い出すことが出来る。さらに、ディキシーランド・ジャズのリズムを取り入れた「Little Old Lady」もまたソロ演奏ではありながら心楽しい雰囲気が生み出されている。アルバムの最後を飾る「Empty Space」はラルフ・タウナーらしい気品溢れる一曲となっている。


『At First Light」は、ジャズ・ギターの基本的なアルバムに位置づけられ、その中に、フォーク/カントリー、ブルース、クラシックといった多彩な要素が織り交ぜられている。以下のドキュメントを見てもわかる通り、音楽家としてのルーツを踏まえたかなり意義深い作品として楽しめるはずだ。同時に、タウナーの先行作品とは異なる清新な気風も感じ取れる作品となっている。

 

 

94/100

 

 Yves Tumor  『Praise A Lord Who Chews But Which Does Not Consume; (Or Simply, Hot Between Worlds) 』

 

 

Label: Warp Records

Release Date: 2023年3月17日

 


 

 

Review

 

前作『Heaven To A Tortured Mind』でエクスペリメンタル・ポップの旗手としてワープ・レコーズから名乗りを上げたYves Tumor。二作目でどういった革新的なアプローチで聞き手を惑乱するのかと予想していたら、2ndアルバムはクラシカルなシンセポップへとシフトチェンジを果たした。

 

デビューアルバムでは、ブレイクビーツを駆使しながら、R&Bのサンプリングを織り交ぜ、実験的な領域を切り開いたYves Tumorだったが、今作でアーティストのエキセントリックな印象はなりを潜め、どちらかといえば土台のどっしりとしたロック/シンセ・ポップが今作の下地となっている。

 

「God Is A Circle」では、奇矯な悲鳴でいきなりリスナーを面食らわすが、それもアーティストらしい愛嬌とも言えるだろう。遊園地のアトラクションのように次になにが出てくるのかわからない感じがYves Tumorの魅力でもある。前作では前衛的な作風に取り組みつつ、その中にシンプルな4つ打ちのビートが音楽性の骨組みとなっていたが、そういったアーティストの音楽性の背景が前作よりも鮮明になったと言える。


2ndアルバムは、例えば、プリンスのようなグラム・ロックの後の時代を引き継いだシンセ・ポップ、ダンサンブルなビートとクラシカルなロックが融合し、それらがYves Tumorらしいユニークさによって縁取られている。そして、アーティストが意外に古き良きシンセ・ロックに影響を受けているらしいことも二曲目「Lovely Sewer」で理解出来る。70年代のSilver Applesを彷彿とさせるレトロなアナログシンセ風の音色は妙な懐かしさがある。そこにニューヨークのアンダーグランドの伝説、Suicideのようなロック寄りのアプローチが加わっている。この時代、アラン・ヴェガはアナログシンセひとつでもロック・ミュージックを再現出来ることを証明したわけだが、Yvesも同様に一人でこのようなバンドアンサンブルにも比する痛快なロックミュージックを構成出来ることを証明しているのだ。

 

しかし、アプローチがいくらか変更されたとはいえ、ファースト・アルバムの最大の魅力であったこのアーティストらしい雑多性、そしてクロスオーバー性はこの2ndにも引き継がれている。

 

3曲目の「Meteora Blues」では、ブルースと銘打っておきながら、インディーフォークに近い方向性で聞き手を驚愕させる。しかし、この曲に見受けられる聞きやすさ、親しみやすさは明らかにデビュー作にはなかった要素でもある。そして、この曲で明らかになるのは、Yvesのボーカルがグリッター・ロックのような艶やかな雰囲気を擁するのと同時に、その表面上の印象とは正反対に爽やかな印象に満ちていることである。以前のようなえぐみだけではなく、オルト・ポップに内在する涼やかな雰囲気をさらりとしたボーカルを通じて呼び起こすことに成功している。


アルバムの中盤の盛り上がりは「Heaven Surround Us Like A Hood」で訪れる。ここでは、タイトルにも見られるように、一作目の方向性を受け継ぎ、そこにロック風の熱狂性を加味している。一見すると、Slowthaiの書きそうな一曲にも思えるが、実はこれらのバックトラックを掠めるのは、Thin Lizzyのようなツインリードのハードロック調のギターであり、これらが新しいとも古いともつかない異質な音楽性として昇華されている。ノイズを突き出したシンセ・ロックという点では、やはり、近年のハイパー・ポップに属しているが、その最後にはこのアーティストの創造性の高さが伺える。轟音のノイズ・ポップの最後は奇妙な静寂が聞き手を迎え入れるのである。

 

さらに、「Operator」では、ザ・キラーズのようなパワフルかつ内省的な雰囲気をもったインディーロックで前曲のエネルギーを上昇させる。しかし、このトラックを核心にあるのは、やはりグリッター・ロックのきらびやかな雰囲気であり、Yvesの中性的なボーカルなのである。奇妙なトーンの変化で抑揚をつけるYvesのボーカルは、これらの分厚いベースラインとシンセリードを基調とした迫力満点のバックトラックと絡み合うようにし、ボーカルの強いエナジーとアジテーションで曲そのものに熱狂性を加味していくのである。さらに中盤から終盤にかけてそのエネルギーは常に上昇の一途を辿り、ライブに近いリアルな熱狂性を呼び覚ます。


終盤の展開の中でパワフルな印象を与える「Echlolia」も聴き逃がせない一曲となるはずだ。プリンスのようなドライブ感のあるバックビートを背に淡々と歌うYvesではあるが、そこには独特な内省的な雰囲気も感じ取る事ができる。それに加えて、ディープ・ハウスを基調にした分厚いグルーブとディスコ調のビートが組み合わさることにより、特異なハイパーポップが形成されている。以前のシンセ・ポップリバイバルを受け継ぎ、そこにドラムンベースの要素をセンス良く加味することで、ダンスミュージックの未来形をYvesは提示しているのだ。

 

アルバムのクライマックスに至ると、新しい要素はいくらか薄まり、一作目にもみられたブレイクビーツを駆使した曲に回帰する。「Purified By the Fire」では、ヒップホップ/R&Bのトラックをサンプラーとして処理したYvesらしい先鋭的な音楽性を垣間見られる。ここでアーティストは、エクスペリメンタルポップ/ハイパーポップの限界にチャレンジし、未知の境地を切り開いている。総じて本作は、Yvesの新奇性と前衛性を味わうのには最適な快作といえそうだ。


76/100

 

 Sandrayati 『Safe Ground』

 



 

Label: Decca/Universal Music

Release Date: 2023年3月17日

 


 

 

Review

 

インドネシアのサンドラヤティは、今後世界的な活躍が期待されるシンガーソングライターである。


米国人とフィリピン人の両親を持つ歌手、サンドラヤティは、既に最初のアルバム『Bahasa Hati』をリリースしているが、自主レーベルからイギリスの大手レーベルのDeccaへ移籍しての記念すべき第一作となる。元々、英国の名指揮者とロンドン交響楽団のリリースを始め、クラシック音楽の印象が強いデッカではあるものの、サンドラヤティはソフトなポピュラーシンガーに属している。いかにこのシンガーに対するレーベルの期待が大きいか伺えるようである。

 

説明しておくと、サンドラヤティは、メジャー移籍後の2ndアルバムにおいて自身のルーツを音楽を通じて探求している。東インドネシアの固有の民族であるモロ族から特殊なインスピレーションを受けて制作された。

 

彼女の2つのルーツ、英語とインドネシアの言語を融合させ、コンテンポラリー・フォークとポピュラー・ミュージックの中間点に位置するリラックスした音楽性を提示している。サンドラヤティの音楽は、南アジアの青く美しい海、そして自然と開放感に溢れた情景を聞き手の脳裏に呼び覚ますことになるだろう。そして、サンドラヤティの慈しみ溢れる歌声、温かな文学的な眼差しは、インドネシアの先住民の文化性、また、土地と家の関係や父祖の年代との関係、それから、近年の環境破壊へと注がれる。彼女は、COP26で代表としてパフォーマンスを行っているように、ある地域にある美しさ、それは人工物ではなく、以前からそこに存在していた文化に潜む重要性を今作で見出そうとしているように思える。そして、曲中に稀に現れるインドネシアの民族的な音階と独特な歌唱法は、そのことを明かし立てている。穏やかな歌声と和やかなアコースティックギターを基調にした麗しい楽曲の数々は、普遍的な音楽の良さを追求したものであるともいえるかもしれない。

 

オープニングの「Easy Quiet」から最後までサンドラヤティの音楽は終始一貫している。繊細なアコースティックギターをバックに、その演奏に馴染むような形で、雰囲気を尊重した柔らかな感じのボーカルが紡がれていく。英語とインドネシア語の混交はある意味では、このアーティストのルーツを象徴づけるものといえそうだが、一方で、実際にこのアルバムにゲスト参加しているアイスランドのアーティスト、ジョフリズール・アーカドッティルと同じように、アイスランドのフォークミュージックに近い雰囲気も感じ取ることが出来る。地域性を重んじた上で、そして、その中にしか存在しえぬ概念をサンドラヤティは抽出し、それらの要素を介し、やさしく語りかけるようなボーカルを交え、純粋で聞きやすいフォーク・ミュージックを提示するのである。


サンドラヤティのフォーク・ミュージックは、東南アジアとヨーロッパ、あるいは、米国といった他地域の間を繊細に揺れ動いていくが、中盤に収録されている「Saura Dunia」ではインドネシア語のルーツに重点を置き、モロ族の民族音楽的な音響性を親しみやすい音楽として伝えようとする。特に音楽的に言えば、アイスランドの音楽にも親和性のある開放的で伸びやかな彼女の歌声、そして、この民族音楽の特有の独特なビブラートは他のどの地域にも見出すことが叶わない。地上の音楽というより、天上にある祝福的な音楽とも称せるこの曲は、実際の音楽に触れてみなければ、その音の持つ核心に迫ることは難しいだろう。


他にも「Vast」では、ピアノとストリングスとボーカルの融合させたサウンドトラックのような壮大な音楽性を楽しむ事ができる。しかし、一見して映画のBGMなどではお馴染みの形式は、決して古びたものになっていないことに気がつく。サンドラヤティという歌手の繊細なトーンの変化や、そのボーカルスタイルの変化があり、清新な印象を聞き手に与える場合もある。コラボレーターのアイスランドのオーラブル・アーノルズのピアノは絶妙にシンガーの歌声を抒情的に強化し、繊細かつダイナミックな喚起力を呼び覚ますことに成功している。

 

また、アルバムの最後に収録されている「Holding Will Do」ではゴスペルに近いアーティストのソロボーカルを楽しめる。ピアノのフレーズと共に、ジャズ・ボーカルの影響を受けた曲で、アルバムのクライマックスに仄かな余韻を添える。最後には、語りに近いスタイルに変化するが、これで終わりではなく、次作アルバムへとこれらのテーマが持ち越されていきそうな期待感がある。

 

サンドラヤティの2ndアルバム『Safe Ground』には、インドネシアやバリ島、ジャワ島、それらの土地にゆかりを持つアーティストの人生観が温和なポピュラーミュージックの中に取り入れられている。アーティストは、これらの10曲を通じて、安全な地帯を見出そうと努めているように思える。そして、それらの表現はロジカルな音楽ではなく、詩情を織り交ぜた感覚的な音楽として紡がれてゆく。最初から完成しているものを小分けにして示すというわけではなく、各々のトラックを通じて、何らかの道筋を作りながら、最後に完成品に徐々に変化していくとも捉えることが出来る。


セカンドアルバムで、サンドラヤティの語るべきことが語り尽くされたとまでは言いがたいが、しかし、一方で、シンガーの歌の卓越性の一端に触れる事が出来る。本作は、週末をゆったり過ごしたいとお考えの方に潤沢な時間を授けてくれると思われる。



86/100





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 Hanakiv 『Goodbyes』


 


Label: Gondwana Records

Release Date: 2022年3月10日



Review


エストニア出身、現在、ロンドンを拠点に活動するピアニスト/作編曲家、ハナキフの鮮烈なデビューアルバム。マンチェスターの本拠を置くGondwana Recordsは、同国のErased Tapesとならんで注目しておきたレーベルです。最近では、Olafur Arnolds、Hania Raniらの作品をリリースし、ヨーロッパのポスト・クラシカル/モダンクラシカルシーンにスポットライトを当てています。

 

ハナキフの記念すべきデビューアルバム『Goodbyes』は一見すると、ポスト・クラシカルを基調においた作風という点では、現代の著名なアーティストとそれほど大きな差異はないように思えます。多くのリスナーは、このアルバムの音楽を聴くと、アイスランドのオーラヴル・アーノルズ、ポーランドのハニア・ラニ、もしくは米国のキース・ケニフを始めとする音楽を思いかべるかもしれません。しかし、現在、停滞しがちな印象も見受けられるこの音楽シーンの中に、ハニキフは明らかに鮮烈な息吹をもたらそうとしているのです。

 

ハナキフの音楽は、アイスランドのヨハン・ヨハンソンのように映画音楽のサウンドトラックのような趣を持つ。ピアノのシンプルな演奏を中心に、クラシック、ニュージャズ、エレクトロニカ、これらの多様な音楽がその周囲を衛星のように取り巻き、常に音楽の主要な印象を曲ごとに変えつつ、非常に奥深い音楽の世界を緻密な構成力によって組み上げていきます。特筆すべきは、深いオーケストレーションの知識に裏打ちされた弦楽器のパッセージの重厚な連なりは、微細なトレモロやレガートの強弱のアクセントの変容によって強くなったり、弱められたりする。これらがこのアルバムを単なるポストクラシカルというジャンルにとどめておかない理由でもある。

 

アーティストはそもそも、エストニアが生んだ史上最高の作曲家、アルヴォ・ペルト、他にもジョン・ケージのプリペイドピアノ、ビョークのアートポップ、エイフェックス・ツインの実験的なエレクトロニック、他にもカナダのティム・ヘッカーのノイズ・アンビエント等、かなり多くの音楽を聴き込んでいる。それらの音楽への深い理解、そして卓越した作曲/編曲の技術がこのデビュー作ではいかんなく発揮されている。このアルバムには、現代音楽、ニュージャズ、エレクトロニカ、アンビエントと一概にこのジャンルと決めつけがたいクロスオーバー性が内包されているのです。

 

オープニング「Godbyes」において、ハナキフはみずからの音楽がどのようなものであるのかを理想的な形で提示している。ミニマルなピアノを根底におき、ポリリズムを用いながら、リズムを複雑化させ、リズムの概念を徐々に希薄化させていく。最初のモチーフを受けて、ハナキフは見事なバリエーションを用いている。最初のプリペイドピアノのフレーズをとっかかりにして、エレクトロのリズムを用い、協和音と不協和音をダイナミックに織り交ぜながら、曲のクライマックスにかけて最初のイメージとはかけ離れた異質な展開へと導く。モダンクラシカルとニュージャズを融合させた特異な音楽性を最初の楽曲で生み出している。曲のクライマックスではピアノの不協和音のフレーズが最初のイメージとはまったく別のものであることに気がつく。

 

続く二曲目の「Mediation Ⅲ」は、ジョン・ケージのプリペイド・ピアノの技法を用いている。ポピュラーな例では、エイフェックス・ツイン(リチャード・D・ジェイムス)の実験的なピアノ曲を思い浮かべる場合もあるでしょう。そもそもプリペイド・ピアノというのは、ピアノの弦に、例えば、ゴム等を挟むことで実際の音響性を変化させるわけなんですが、演奏家の活用法としては、必ずしもすべての音階に適用されるわけでありません。その特性を上手く利用しつつ、ハナキフは高音部の部分だけトーンを変化させ、リズムの部分はそのままにしておいて、アンビバレンスな音楽として組み上げています。特に、ケージはピアノという楽器を別の楽器のように見立てたかったわけで、その点をハニキフは認識しており、高音部をあえて強く弾くことで、別の楽器のように見立てようとしているのです。その試みは成功し、伴奏に合わせて紡がれる高音部は、曲の途中でエレクトロニカのサウンド処理により、ガラスのぶつかるような音や、琴のような音というように絶えず変化をし、イントロとは異なる印象のある曲として導かれていくのです。

 

3曲目の「And It Felt So Nice」は芳醇なホーンの音色を生かした一曲です。前の2曲と同様、ピアノを基調にしたトラックであり、ECMのニュージャズのような趣を持った面白い楽曲です。ピアノの演奏はポスト・クラシカルに属するものの、複雑なディレイ処理を管楽器に加えることでサイケデリックな響きをもたらしている。ピアノの叙情的な伴奏やアレンジをもとに、John Husselのような前衛的な管楽器のアプローチを踏襲しています。ここでも前曲と同じように、電子音楽で頻繁に用いられるエフェクトを活用しながら管楽器の未知の可能性を探求している。


4曲目の「Lies」では、二曲目と同じプリペイドピアノ技法に舞い戻る。一見して同じような曲のようにも思えますが、エストニアのアルヴォ・ペルトの名曲「Alina」のように、低音部の音響を駆使することにより、ピアノそのものでオーケストラレーションのような大掛かりな音楽へと導いていきます。前曲とミニマリズムという点では同様ですが、印象派の音楽として全曲とは異なる趣を楽しめるはずです。特に、ミニマルの次のポストミニマルとも称すべき技法が取り入れられている。ここで、ハナキフはプリペイドピアノの短いフレーズをより細分化することによって、アコースティックの楽器を通じてエレクトロニカの音楽へと接近しているわけです。

 

5曲目の「No Words Left」は、Alabaster De Plumeをゲストに迎えて制作されたミニマルミュージックとニュージャズの要素を絡ませた面白い楽曲です。ハナキフはジャズとクラシックの間で揺らめきつつ抽象的な構成を組み上げている。特に、「Goodbyes」と同様、モチーフのバリエーションの卓越性がきらりと光る一曲であり、時にその中に予期できないような不協和音を織り交ぜることにより、奇妙な音階を構成していきます。 時には、ホーンの演奏を休符のように取り入れて変化をつけ、そのフレーズを起点に曲の構成と拍子を変容させ、映像技術のように、印象の異なるフレーズを組み上げています。これが、比較的、ミニマル・ミュージックの要素が強い音楽ではありながら、常に聞き手の興味を損なわない理由でもあるのです。

 

6曲目の「Mediation Ⅱ」はおそらく二曲目と変奏曲のような関係に当たるものであると思いますが、ダイナミックなリズムを取り入れることにより、二曲目とはまったくその印象を変え、 作曲家/編曲家としての変奏力の卓越性を示している。時には、弦楽器のピチカートらしきフレーズを織り交ぜ、シンコペーションを駆使しながら、本来は強拍でない拍を強調している。そこにプリペイドピアノの低音を意図せぬ形で導入し、聞き手に意外な印象を与える。ある意味、バッハの鏡式対位法のように、図形的な作曲技法が取り入れられ、カンディンスキーの絵画のようにスタイリッシュでありながら、数学的な興味を駆り立てるようなトラックに昇華されている。

 

7曲目の「Home Ⅱ」は、このデビュー・アルバムでは最も映画のサウンドトラックのような雰囲気のある一曲で、アイスランドのヨハン・ヨハンソンやポーランドのハニア・ラニの音楽性に近いものを多くの聞き手は発見することでしょう。ピアノの演奏はすごくシンプルで簡潔なんですが、対比となるオーケストラレーションが叙情性を前面に押し出している。特に弦楽器の微細なパッセージの変化がまるでピアノ演奏と呼応するかのように変化する様子に注目です。

 

8曲目の「Home I」は、ポスト・クラシカルの曲としては王道にあるような一曲。日本の小瀬村晶の曲を彷彿とさせる。繊細でありながらダイナミックス性を失わず、ハナキフはこの曲をさらりと弾いていますが、その中にも他の曲にはないちょっとした遊び心が実際の鍵盤のタッチから感じ取ることが出来ます。フランスの近代の印象派の作曲家の作風に属するような曲ですが、それはやはり、近年のポスト・クラシカル派の楽曲のようにポピュラー・ミュージックのような形式として落とし込まれている。演奏の途中からハナキフはかなり乗ってきて、演奏そのものに迫力が増していく。特に、終盤にかけては演奏時における熱狂性すら感じ取ることが出来るでしょう。

 

近年、 ポストクラシカルシーンは似通ったものばかりで、少し停滞しているような印象を覚えていましたが、先日のポーランドのハニア・ラニとエストニアのハナキフを聴くかぎりでは、どうやら見当違いだったようです。特に、ハナキフはこのシーンの中に、ニュージャズと現代音楽という要素を取り入れることで、このデビュー作において前衛的な作風を確立している。MVを見ると、前衛的なバレエ音楽として制作されたデビューアルバムという印象もある。

 

エストニア出身のハナキフは、作曲家/編曲家として卓越した才覚を持ち合わせています。今後、映画のスコアの仕事も増えるかもしれません。活躍を楽しみにしたいアーティストです。

 

 

90/100