マスメディアの発達 レコード/ラジオ局の世界的な普及と音楽の伝わり方の変化 


音楽は当初、コンサートでのお披露目の機会、ないしは、楽譜の出版という形で一般的な人々に伝わってきた。20世紀までは、音楽は必ずライブ演奏という性質を伴っていた。人々はまったく見ず知らずの音楽にリアルな形で触れきたのである。それらの接し方が変化したのが、レコードの時代であった。20世紀の時点で、レコードの録音が一般的に始まり、 1877年に、トーマス・エジソンが開発した円筒式の蓄音機を発表し、さらに1987年になると、円盤式が開発され、現在のレコードの基礎が出来上がった。1890年代に入ると、蓄音機が一般的に認知されるに至った。

 

レコードのビジネスを最初に確立させたのが、イギリスのグラモフォン社であった。 まさしくイギリスは、工業的な性質を前面に打ち出して、近代的な覇権を獲得したのである。当社が1900年に発表したカタログには、ヨーロッパの諸言語に加え、ペルシア、ヒンディ、ウルドゥ、ヘブライ、アラビア語ほかの言語による5,000枚のレコードがリストアップされていた。レコード会社は、この時代からレコードそのものを世界的に普及させるべく計画を練っていたのである。それから1920年代に入ると、レコードが一分間78回転で約三分間のスタンダードプレイに規格が統一され、1940年代の終わりになると、LPや17センチ45回転盤が流通するようになった。

 

さて、1920年代のレコードの発展と合わせて、音楽の伝え方にも変化が生じた。無線技術の発展により、音声の伝え方の範囲が広がり、それほどタイムラグもなく遠くに音を無線で伝えられるようになった。この年代になると、マスメディアの発達の過程で、ラジオが急速に発達した。ラジオは無線の電信機器であるが、当初は、海上の船舶のやり取りなどで使われていた。続いて、機械工学の嗜みとなり、その後、新聞の宣伝の代替的なツールとして使用されるようになる。この後の二十年でラジオは急速に一般市民に普及し、暮らしに欠かせぬものとなった。

 

世界初のラジオ局の開設が行われたのは、1920年11月のこと。アメリカのピッツバーグで認可されたフランク・コンラッドが経営するKDKA局であった。これが公式のラジオ曲の出発である。当時の視聴者数は、2000人。あまり多くはなかったのだが、まだ一般的にラジオが普及していない時代に、数千人もの注目を集めたのは見事だ。KDKAの前身は創業者のコンラッドが自宅のガレージに作った8XK局で、コンラッドはお気に入りのレコードをオンエアしていたという。その後、ラジオでオンエアするレコードが枯渇し、そのことを訴えかけると、提供したいと申し出るレコードショップが出てきた。その時、レコードショップはラジオ番組のなかで店の宣伝を行ってほしいと、コンラッドに依頼した。これがCM等の広告宣伝の始まりであった。

 


 

KDKAが開局された後、アメリカでは驚異的なスピードでラジオ局が設立されていった。1922年には、全米各地で30のラジオ曲が国の放送権の認可を受け、さらに、翌年になると、556局にまでその総数は膨れ上がり、文字通り''ラジオ局開設ブーム''が到来する。当初のラジオでは、音楽のレコードを流す場合が多く、ニュースなど、昨今のメインコンテンツは比較的控えめだった。

 

1922年は、世界中でラジオ局開設が活発に行われた。例えば、イギリスでBBCが開設されたのを皮切りに、その後数年の間に、ヨーロッパ諸国で放送局が次々に開設されていった。

 

日本では、NHKの前身である東京放送局(JOAK)が1925年に開局された。アメリカでも続いて、メジャーレコード会社として知られているRCAが初の全国ネットワークを設立する。これが、ラジオ局NBC(National Broadcasting Company)の始まりでもあった。ラジオから流れてくる音声に、当時の人々は驚きと感動を覚えたに違いない。それらは少なくとも、戦前戦後にかけて、一般市民の生活に浸透していくようになったのである。 報道やニュースが紙面やかわら版での文字から音声に変化していった時代であるが、そこには音楽がいつも中心的な存在を担った。

 

1930年の全米国勢調査によると、1,200万もの家庭にラジオ受信機が設置されたという。総数を見るかぎりでは、すでに、この時代には、多くの家庭にはラジオが普及していた。これらの報道局がラジオを重視しているのは、その創設時の伝統性を重んじているからでもあるのだろう。

 

ラジオの普及は、世界的に音楽の伝え方に大きな変化を及ぼした。それ以前まで、一般家庭では、ピアノによる楽譜の演奏が主流であった。各家庭でピアノを演奏しながら、それにあわせて歌うというのが音楽ファンの嗜みであった。


例えば、アメリカでは20世紀に数百万規模の家庭がアコースティックピアノを所有し、楽譜を購入し、当世風のポピュラーソングを演奏していた。ラジオの普及は、リアルタイムでの音楽の普及の流れを促進させ、必ずしもそれらを演奏者として再現する必要がなくなった。ピアノロールによる自動演奏も流行ったが、1923年が最大の売上を記録し、その後少しずつ衰退していく。また、それ以前主流だった楽譜出版(シート・ミュージック)も、売れ行きが下落し始めた。

 

当初、ラジオの各家庭への普及は、レコード業界にとって脅威を意味していた。何しろ、アンテナを設置すれば、音楽が簡単に楽しめてしまう。しかし、レコード業界がラジオ局と提携を結び、協力関係を築き上げ、商業的な構造を盤石たらしめた。当時、ラジオの番組内で、ラジオパーソナリティによって華々しく紹介される楽曲群は、視聴者にとってこの上なく魅力的に聞こえたに違いない。 これらは音楽産業の重要な基盤となり、音楽の楽しみ方を能動的なものから受動的なものへと変化させた。そして、これらが音楽を爆発的に普及させる契機となった。