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 The Libertines 『All Quiet On The Eastern Esplanade』

 

 

Label: Universal Music

Release: 2024/04/05



Review  -20年以上の歳月の重み-

 

 

2002年のデビュー・アルバムからおよそ23年の月日が流れた。リバティーンズは一時、フロントマンの二人のホテルでの機材の所有のトラブルが原因で空中分解することになった。これは音楽雑誌のバックナンバーを探ってもらいたい。以後、ピート・ドハーティのドラッグの問題等もファンの念頭にはあった。もちろん、カール・バラーの精神的な落ち込みについてはいわずもがなである。

 

以後、UKの音楽シーンを象徴するロックバンドでありながら、沈黙を守り続けていた。2000年代、ガレージロックリバイバルの流れに乗って登場したリバティーンズだが、結局のところ、このバンドは他のバンドと同じようにプリミティヴなロックのテイストを漂わせつつも、明確に異なる何かが存在した。いわば、リバティーンズはいつも”スペシャル・ワン”の存在だった。

 

音楽のシーンというのは、単一の存在から作られるものではない。誰かが何もない土壌に種を撒き、そしてその土壌から生育した穀物を摘み取る。しかし、その一連の作業は一つのバンドだけで行われるものではない。昨日、誰かがそれをやり、そして、次の日には別の人がそれを続ける。その連続性がその土地の音楽のカルチャーを形成する。つまり、何らかの系譜が存在し、どのようなビックスターもその流れの中で生き、音楽の作品をファンの元に届けるのである。

 

ザ・リバティーンズのアウトサイダー的な立ち位置、デビュー当初のアルバムジャケットの左翼的、あるいは急進的とも言うべきバンドの表立ったイメージ、そしてチープ・トリックの『Standing On The Edge』のアルバムジャケットの青を赤に変えた反体制的なパンクバンドとしての性質は、たとえ本作がイギリス国内だけで録音されたものではないことを加味したとしても、完全に薄れたわけではない。

 

例えば、バンドは先行シングルとして公開され、アルバムのオープニングを飾る「Run Run Run」においてチャールズ・ブコウスキーの文学性を取り込み、それらを痛快なロックサウンドとしてアウトプットする。ピカレスク小説のようなワイルドなイメージ、それは信じがたいけれど、20年以上の歳月を経て、「悪童」のイメージから「紳士的なアウトサイダー」の印象へと驚くべき変化をみせた。そして何かバンドには、この20年間のゴシップ的な出来事を超越し、吹っ切れたような感覚すら読み取れなくもない。特に、サビの部分でのタイトルのフレーズをカール・バラーが歌う時、あるいは、2002年のときと同じようにマイクにかなり近い距離で、ピート・ドハーティがツインボーカルのような形でコーラスに加わる時、すでに彼らは何かを乗り越えた、というイメージが滲む。そして2002年のロックスタイルを踏まえた上で、より渋さのある音楽性が加わった。これは旧来のファンにとっては無上の喜びであったのである。

 

リバティーンズは、以前にはなかったブルースの要素を少し付け加えて、そして旧来のおどけたようなロックソングを三曲目の「I Have A Friend」で提供する。2010年代にはリバティーンズであることに疑心暗鬼となっていた彼らだったが、少なくともこの曲において彼らが気恥ずかしさや気後れ、遠慮を見せることはない。現代のどのバンドよりも単純明快にロックソングの核を叩きつける。彼らのロックソングは古びたのだろうか? いや、たぶんそうではない。

 

リバティーンズのスタンダードなロックソングは、今なお普遍的な輝きに満ち溢れ、そして今ではクラシックな「オールド・イングリッシュ・ロックソング」へと生まれ変わったのだ。もちろん、そこにバンドらしいペーソスや哀愁をそっと添えていることは言うまでもない。これはバンドのアンセムソングでライブの定番曲「Don’t Look Back In The Sun」の時代から普遍のものである。マイナー調のロックバラードは続く「Man With A Melody」にも見出すことができる。


 

もうひとつ、音楽性のバリエーションという点で、長年、リバティーンズや主要メンバーは何か苦悩してきたようなイメージがあったが、この最新作では、オールドスタイルのフォーク・ミュージックをロックソングの中にこっそりと忍ばせているのが、とてもユニークと言えるだろう。「Man With A Melody」では、ジョージ・ハリスンやビートルズが書くようなフォークソングを体現し、「Night Of The Hunter」では往年の名ロックバンドと同様にイギリスの音楽がどこかでアイルランドやスコットランドと繋がっていることを思わせる。ここには世界市民としてのリバティーンズの姿に加え、イギリスのデーン人としての深いルーツの探求の意味がある。あたり一面のヒースの茂る草原、玄武岩の突き出た海岸筋、そして、その向こうに広がる大洋、そういった詩情性が彼らのフォークバラードには明確に反映されている気がする。そして、それらのイギリスのロマンチシズムは、彼らのいるリゾート地からその望郷の念が歌われる。これはウェラーのJamの「English Rose」の中に見られる哀愁にもよく似たものなのだ。

 

リバティーンズは、デビュー当初、間違いなくThe Clashの再来と目されていたと思う。実際、もうひとつのダブやレゲエ的なアクセントは続く「Baron's Clow」に見出すことができるはずである。ここには「Rock The Casbah」の時代のジョー・ストラマーの亡霊がどこかに存在するように感じられる。なおかつリバティーンズの曲も同様にワイルドさと哀愁というストラマーの系譜に存在する。また、70年代のUKパンクの多彩性を24年に体現しているとも明言できるのだ。


彼らは間違いなくこのアルバムで復活のヒントを掴んだはずである。「Oh Shit」はリバティーンズが正真正銘のライブバンドであることのステートメント代わりであり、また「Be Young」は今なお彼らがパンクであることを示唆している。アルバムのクローズ「Songs That Never Play On The Radio」では、あえて古びたポピュラー音楽の魅力を再訪する。20年以上の歳月が流れた。しかしまだ、リバティーンズはUKのロックシーンに対して投げかけるべき言葉を持っている。今でも思い出すのが、バンドの登場時、意外にも、Radioheadとよく比較されていたことである。

 

 

80/100

 



Best Track- 「Run Run Run」

Khruangbin 『A LA SALA』



Label: Dead Oceans

Release: 2024/04/05


 

Review


ヒューストンのR&Bグループ、クルアンビンはCoachellaへの出演を控えている。『A LA SALA』はアルバムのオープナーで示されるように、シンプルに言えば、安らぎに満ちたアルバムである。

 

2021年頃から多くのバンドに散見されたケースは、バンドアンサンブルの一体感を失いつつあった。しかし、徐々にであるが、それらの分離的な感覚も解消されつつあり、バンドらしい息の取れたサウンドが出てくるはずだ。


その手始めとなるのが、クルアンビンの『A LA SALA」となるかもしれない。クルアンビンのサウンドは全般的にはアフロソウルの範疇にあり、トミー・ゲレーロ(Tommy Guerro)のサウンドを彷彿とさせる。


もちろん、それだけではなく、レゲエ/ダブに近いギターサウンドやリズム、ヨットロックに比する安らいだトロピカルなサウンドというように、単一のジャンルでは語り尽くせないものがある。月並みな言い方になってしまうが、クロスオーバーサウンドの代表例となりえる。しかし、最新作に共通したサウンドの特徴があるとすれば、ホリー・クックの主要な楽曲に見出されるような”リゾート的な雰囲気を帯びたダブ/レゲエ・サウンド”と言えるかもしれない。ただ、クルアンビンはバンドであるので、スタジオのライブセッションの妙味に重点が置かれている。

 

アルバムで抑えておきたい曲を挙げるとすれば、3曲目の「May Ninth」がその筆頭となりそうか。ダブ風のスネアの一打から始まり、反復的なベースラインとフュージョンジャズに基軸をおいたギターサウンドがしなやかなグルーブ感を生み出す。そこに心地よいボーカルが合わさり、メロウなムードを生み出す。


クルアンビンのトリオが重視するのは曲の構成やロジカルではなく、スタジオのライブセッションから作り出されるリアルな心地良さ。ムード感とも言えるが、シンプルなスネアドラムとベースライン、フランジャーの印象が強いギターは見事な融合をみせ、アフロソウルを基調とする唯一無二のサウンドを丹念に作り上げていく。ライブセッションでの間の取り方やリズムの合わせ方など、演奏面では目を瞠るものがあり、それらはリゾート的な雰囲気を越えて、Architecture In Helsinkiの名曲「Need To Shout」のように天国の空気感にたどり着く場合がある。

 


前のアルバムがどうだったのかは定かではないが、アフロソウルやフュージョンの要素に加え最新作ではレゲエ/ダブのサウンドが強い印象を放つ。「Todavia Viva」はスネアのリムショットで心地よいリズムを生み出し、淡いダブサウンドを追求する。「Juegos y Nubes」は、Trojan時代のボブ・マーリーの古典的なレゲエをベースに、ライブセッションを通じて、心地よい音を探ろうとしている。


やはり「May Ninth」と同じように、ムード感が重視されていて、コンフォタブルな感覚を味わうことができる。正確な年代こそ不明であるが、60年代、70年代のファンクソウルをベースにした「Hold Me Up」はヴィンテージソウルに対する彼らの最大の賛辞代わりである。アルバムの終盤に収録されている「A Love International」では、セッションのリアルな空気感とスリリングな音の運びを楽しむことができる。この曲でもフュージョン・ジャズに焦点が置かれている。

 

アルバムの中にダンスフロアのクールダウンのような形で導入されているトラックが複数ある。例えば、「Farolim de Felguriras」では、ダブやアフロソウルをニューエイジやアンビエントのような形に置き換えていて面白い。その他、「Caja de la Sala」ではギターのリバーブやディレイのエッフェクトを元に、ニューエイジ/ヒーリングミュージックに近い質感を作り出している。


アルバムの終盤は、やはりトミー・ゲレーロを彷彿とさせるジャズとアフロソウルの中間に位置するコアなアプローチ。ただ、ライブセッションを重視している中でも、曲の起伏のようなものが設けられている点が今作の最大の特徴である。これはリスニングの際にもユニークさが感じられるかもしれない。アフロソウルをサティのフランスの近代和声と組み合わせたクローズ「Les Petis Gris」は新しい気風があり、ちょっとしたエスプリみたいなものを感じる。

 

このアルバムはムードや空気感やライブセッションの心地よさが追求されている。その点では、聴くごとに渋さが出てくるような作品と言えるかもしれない。 ソウルというより、レゲエやダブ、そしてフュージョンジャズに近いアルバムで、たしかにビンテージな感覚に満ちている。

 

 

78/100
 

 

 「May Ninth」

 Dana Gavanski 『Late Slap』

 

Label: Full Time Hobby

Release: 2024/ 04/05



Review


ロンドンを拠点に活動するシンガーソングライター、ダナ・ガヴァンスキーはセルビア系の移民である。ガヴァンスキーのアルバムの中に移民としてのディアスポラが主題に掲げられることは稀であるが、表向きからは見えづらい形でそれらのテーマが感情的に貫流していたとしても不思議ではない。

 

2ndアルバム「When It Comes」は単刀直入に言えば、傑作とまではいかないが、いくつか良質なナンバーが収録されていた。例えば、ハイライト「Bend Away And Fall」はチェンバーポップとバロックポップの中間にある音楽のアプローチを図り、 ニュージーランドのAldous Hardingsのようなアーティスティックな性質を漂わせるものがあった。つまり、ガヴァンスキーにとってのボーカルやソングライティングとは、ある種の自己表現の一種なのではと推測されるのである。

 

三作目のアルバム 『Late Slap』では明確にソングライティングの手法を変化させ、曲そのものの雰囲気も若干であるが変容したような印象を受ける。今まではギターやピアノを中心に曲を書いていたというが、今回はシンセ・ポップやアヴァン・ポップをアーティストなりのユニークな風味で彩って見せる。アルバムの感情的なテーマの中に、悲哀やシニズム、そして絶望等を織り交ぜ、それをそれほど深刻にならない程度のユニークさで縁取って見せる。これは何事もシリアスに考えてしまう傾向があるリスナーにとっては救いのヒントを示すとも言えるのだ。

 

ダナ・ガヴァンスキーの音楽の中にはシンセ・ポップやアヴァン・ポップの影響に加えて、ポール・サイモンのような古典的なポピュラー・ミュージックの反映がある。今作の場合は、それをスロウなテンポで親しみやすい作風として提示している。オープニングを飾る「How To Feel Comfotable」はアーティストらしいファンシーな性質が漂い、ギターロックやホーンセクションに模したシンセ等、多彩なアレンジが加えられている。それはカラフルなポップとも称すべき印象を与える。そしてこのオープニングで瞭然なように、2ndアルバムに比べると、ギターリフのユニゾンを導入したりと、手法論としてロック的なアプローチが強まったように思える。


二曲目「Let Them Row」はピアノバラードに属する親しみやすいナンバーで、それらをバンドサウンドに置き換えている。温和なボーカルの風味に加えて、男性のコーラスが入ると、夢想的な感覚が漂う。スケールの進行自体は60年代や70年代のバロックポップに属しており、それらがノスタルジックな感覚を漂わせている。続くタイトル曲「Late Slap」に関しても、現代的なシンセポップの手法論を踏まえながら、それらをクラシカルなタイプのポップソングに落とし込む。これらの序盤の2曲は、それほど先鋭的とはいえないものの、ほんわかとした気分に浸れる。

 

もう一つ、ギター・ポップに近いナンバーもあり、「Ears Were Growing」がその筆頭格である。クラシカルなポップスではあるものの、変拍子を交えるあたりが、このアーティストらしいと言える。それほど音域の広い歌手ではないのだけれども、ボーカルの微細なニュアンスでおどけたようなファニーな印象をもたらす。いわば言葉やスポークンワードの延長線上にあるのがガヴァンスキーのボーカルの特徴と言える。それらがファンクに主軸においたベースライン、そして夢想的なシンセのテクスチャーが重なり、温和な音楽的な空間を作り出していくのだ。

 

続く「Singular Concidence」はアルバムのハイライトと呼べそうだ。 ベスアンドセバスチャンのようなシンセのフレーズを交えたインディーポップにオルガンの音色を加え、ガヴァンスキーの夢想的なボーカルのメロディ、そしてベースラインを意識したドラムのビートのオンオフを駆使して、バンドアンサンブルの妙味を作り出そうとしている。これらの複合的な要素は、ロシアのKate NVのようなドリーミーな雰囲気を越えたマジカルな雰囲気へと至ることもある。

 

アルバムの先行シングル「Song For Rachel」は他の主要曲と同じように夢想的な空気感を漂わせながら、軽やかなインディーポップ/シンセポップを展開させる。重さではなく、軽さにポイントが置かれており、これが日曜の午後のような温和な雰囲気が生み出される理由でもあるのだ。そして、これらの「脱力したポップ」ともいうべきユニークなサウンドは、ちょっと炭酸の抜けたソーダのように苦く、さらにアルバムの後半に至ると、その性質を強めていくようなイメージを受けざるをえない。そして奇しくも、同日発売のクルアンビンのようにリゾート志向の安らいだサウンドに直結し、続く「Ribbon」では、スティールパンを模したシンセの音色を導入し、The Beach Boysの「Kokomo」のようなトロピカル・ポップスの系譜を受け継ぐ。まさに国籍不明のサウンドで、ヨーロッパを飛び越え、米国の西海岸へとたどり着くのだ。ただガヴァンスキーの場合はソウルフルというか、それほどメロディーの跳躍を持たず、比較的落ち着いたムーディーなサウンドに重点が置かれている。これもまたクルアンビンと同じだ。

 

アルバムのプレスリリースでは、負の感情に基づいたソングライティングがなされていると説明されているが、曲全般を観る限り、ほとんど暗さではなく、どちらかと言えば明るさの方に足が向いている。しかし、それは以前にも述べたように暗さを一貫して直視したがゆえの明るさなのであり、ダナ・ガヴァンスキーの場合は、それらをウィットのあるユニークさやファンシーな印象により華麗に彩るのである。アルバムの終盤でも、序盤から中盤の収録曲のイメージが覆されることはほぼない。「Dark Side」だけは少しぎょっとさせるタイトルだが、奇妙なことに心を浮き立たせるものがある。


クローズ「Reiteration」は孤独な感情を温かさと持ち前のユニークさでおおおうとしている。ポール・サイモンの古典的なバラードをシアトリカルなサウンドを介して、ダイナミックなポップスへと昇華しているのは見事だ。「Dark Side」は特に、ソングライターとしての弛まぬ前進を捉えており、着実に成長しつつあることを示している。

  

 

74/100



Best Track 「Let Them Row」

 Fabiana Palladino 『Fabiana Palladino』

 

 

Label: XL Recordings(Paul Institute)

Release: 2024/ 04/05



Review


ロンドンを拠点に活動するソングライター/プロデューサーによる記念すべきデビュー・アルバム『Fabiana Palladino』は、大胆不敵にもアーティスト名をタイトルに冠している。ファビアーナは、間違いなくジェシー・ウェアのポスト世代に位置づけられるシンガーである。現在、ロンドンではR&Bのリバイバルが盛んで、JUNGLEを始めとする、ディスコソウルをヒップホップ的に解釈するグループ、もしくはGirl Rayのようにディスコサウンドをインディーロック風に再解釈を試みるグループ等、多彩なディスコリバイバルによるシーンが構築されつつあるようだ。

 

レディオヘッドなどのリリースでおなじみのXL Recordingsは90年代にはロックのリリースも手掛けるようになったが、80年代まではクラブミュージックを得意としていたレーベルであった。つまり、今回のファビアーナ・パラディーノの最新作は、レーベルにとって原点回帰のような意味を持つ。R&Bにとってターニングポイントとなるようなリリースになるかもしれない。

 

ファビアーナ・パラディーノのサウンドは、やはりリバイバルの気風に彩られている。 アーティストは、80年代のクインシー、ダイアナ・ロス、ジョージ・ベンソンといったブラック・コンテンポラリー/アーバン・コンテンポラリーの象徴的なアーティストの音楽の系譜を受け継ぎ、それらを現代的なクラブミュージックの視点を通し、斑のないモダンなサウンドを見事に構築する。それらのモダンなテイストは、現代のR&Bのスター、ジェシー・ウェア、ロイシン・マーフィーのようなデュープ・ハウスを絡めた重厚なサウンドのプロダクションが特徴である。

 

しかし、リバイバルや現代の音楽シーンを踏襲しているとはいえ、アーティストの唯一無二のカラーがないかといえばそうではない。ロジャー・プリンスがかつて、ファンクソウルを下地にジャズやロック、ラップ、そしてポップスと、このジャンルの可能性を敷衍してみせたように、ファビアーナもアーバン・コンテンポラリーをベースとして、多彩なサウンドをその中に織り交ぜる。これこそが、このアーティストが”次世代のプリンス”と称される所以なのである。

 

 

アルバムのオープニングを飾る「Closer」はディープ・ハウスの気風を残しつつも、そのサウンドの風味は驚くほど軽やかで爽やかである。それはかつてのアーバン・コンテンポラリーに属するアーティストがR&Bとポップスを融合させ、ブラック・ミュージックとしての深みとは対極にある軽やかさという点に焦点を絞っていたのを思い出す。これらのサウンドの最終形態は、チャカ・カーンの1984年の「Feel For You」によって集大成を見ることになった。チャカ・カーン等のニューソウルにまつわるサウンドについては、ブラック・ミュージックの評論の専門家によると、以前のR&Bに比べて、「編集的なサウンド」と称される場合がある。これはソングライターのリアルな歌唱力や、R&Bそのものが持つ渋さとは相異なる新境地を開拓し、その後のマイケル・ジャクスンに象徴されるような、きらびやかなポップスへの流れを形作った経緯がある。これは、現代的なオルタナティヴロックと同じように、録音したものをスティーブ・ライヒのようにミュージック・コンクレートの編集を加え、磨き上げるという手法によく似ている。

 

しかし、ソロ作品としてのプロデュース的なサウンドが目立つとはいえ、ファビアーナの生み出すサウンドは驚くほど耳に馴染む。編集的なサウンドだからといって、複雑な構成を避けて、ジェシー・ウェアのようなビートに乗りやすく、そして、なめらかな曲の構成が重視されている。そこにロジャー・プリンスのように色彩的な和音やメロディーが加わる。これが現時点のファビアーナの音楽の最大の長所であり、言い換えれば唯一無二のオリジナリティである。

 

迫力のあるベースラインを強調するロイシンやジェシーとは異なり、明らかにファビアーナのR&Bサウンドは、軽妙なAOR/ソフト・ロックの系譜に属する。いわばその軽やかさは、二曲目の「Can You Look In The Mirror?」で示されるように、クインシー・ジョーンズやマーヴィンの80年代のアプローチに近いものがある。そしてこの点が低音域が強調されるハウスのサウンドとはまったく異なる。ファビアーナのサウンドは、ココ・シャネルのデザインのように足し算ではなく引き算によって生み出される。これがおそらく耳にすんなりと馴染む理由なのだろう。

 

80年代のアーバンコンテンポラリーの見過ごせない特徴として、いわばドリーミーな感覚がR&Bサウンドの中に織り込まれていた。それらの特徴は、「I Can't Dream Anymore」に見出すことが可能だ。そして面白いことに、パラディーノの場合はそれらをエクスペリメンタルポップのフィルターを通し、かつてのプリンスが試みたように近未来的なR&Bを構築するのである。もうひとつ、現代的なR&Bのシーンのアーティストとは少し異なるサウンドの特徴が垣間見える。それが80年代以前のブラック・ミュージックの重要なテーマのひとつだったファンクの要素である。これらは、カーティス・メイフィールドのR&Bやマーヴィン・ゲイの曲のベースという形で繋がっていったのだったが、それらの系譜をファビアーナは踏襲した上で、最終的には、やはり軽快で聞きやすいポップスとして落とし込んでいる。ここにもアーティストのシンガーソングライターとは相異なる、敏腕プロデューサーとしての表情を伺い知ることができる。

 

そして、かならずしもR&Bという枠組みに囚われていないということも痛感し得る。「I Care」では現代的なUKのピューラーミュージックを踏襲し、ボウルの中でかき混ぜ、R&Bやネオソウルのテイストをバニラ・エッセンスのようにまぶす。これがメロウなサウンドから、ほんのりと甘い香りが立ち込めてきそうな理由なのだ。特に、心を惹かれるのは、商業主義のポピュラーサウンドに軸をおいた上で、その中にエクスペリメンタルポップのニュアンスを添えていること。ここにも歌手とは異なるプロデューサーとしての才覚が非常にさりげなく示されている。

 

R&Bシンガーとしての才覚が遺憾なく発揮された「Stay With Me Through The Night」はこのアルバムのハイライトとなりそうだ。ダイアナ・ロスの80年代の作風をわずかに思い出させる。この時代、ロスは以前の時代の作風から離れ、開放的で明るいサウンドを志向していた。ファビアーナの場合は、それよりも落ち着いたメロウなサウンドを作り出している。この曲には、デビューアルバムということを忘れさせてしまうほど、どっしりとした安定感が込められている。もちろん、その道二十年で活躍するようなベテランのシンガーのような信頼感がある。また他の曲に比べ、ファンクソウルの性質が強く、そしてベースラインも強調されている。これが他の曲よりも深いグルーブ感をもたらしている。ダンスフロア向きのナンバーと言えそうだ。

 

80年代のジョージ・ベンソンを始めとする、偉大なブラックミュージックの開拓者は、あの時代に何を求めていたのか、そして何を提示しようとしていたのか。おそらくであるが、彼らすべてのブラックミュージックに属する歌手やグループは、どのような苦難の時代にあろうとも明るい未来を見据えていたし、そして心から希望を歌っていた。だからこそ、多くの人を勇気づけてきたのだった。最終的には決して絶望を歌うことはなかったことは、ライオネル・リッチーやマイケル・ジャクスンといった面々が示したことである。ファビアーナの場合も同様で、現代的な悲壮感に基軸を置く場合もあるが、ベンソンのように未来における希望を歌おうとしている。そして、これが音楽そのものにワクワクした感覚や漠然とした期待感をもたらす。

 

ファビアーナ・パラディーノのアーバンソウル/ネオソウルの次世代を行くサウンドは、その後、さらに明るい印象を以ってクライマックスへと向かう。 「Deeper」では同じように、ジョージ・ベンソンの近未来的なソウルのバトンを受け継ぎ、よりモダンな印象を持つサウンドへと昇華させる。続く「In The Fire」では、低音域の強いディープ・ハウス、アシッド的な香りを持つR&BをEDMのサウンドと結びつける。パラディーノのR&Bの表現は、その後もスムーズに繋がっていく。これらの流動的なR&Bサウンドを経たのち、クローズ「Forever」において、しっとりとしたメロウなソウルでエンディングを迎える。分けてもバラードという側面でシンガーの並々ならぬ才覚が発揮された瞬間だ。今年度のR&Bの中では間違いなく注目作の一つとなる。

 

 

 

90/100

 

 

Best Track- 「I Can't Dream Anymore」

RIDE 『Interplay』


 

Label: Withica Recordings Ltd.

Release: 2024/03/29

 


Review

 

オックスフォードの四人組、RIDEは1990年代にマンチェスターの音楽ムーブメントの後に登場し、オアシスやブラーの前後の時代のUKロックの重要な中核を担う存在であった。もちろん、アンディ・ベルはオアシスから枝分かれしたビーディー・アイとしても活躍した。RIDEの音楽は、1990年代の全盛期において、ストーン・ローゼズとシューゲイザーサウンドの中間にあるものであった。 

 

バンドの中心人物でギタリストのアンディ・ベルはUKロックの象徴的な人物とみても違和感がない。彼は先日、Rough Trade Eastを訪れ、レコードをチョイスする姿が同レーベルの特集記事と合わせて公開されていた。そしてその佇まいのクールさは、今作の音楽にも反映されている。

 

今作の音楽はスコットランドのギター・ポップを元に、シンセ・ポップや1990年代のUKロックを反映させている。その中には、シューゲイザーの元祖であるJesus And Mary Chainや同地のロックシーンへのリスペクトが示されている。しかし、80年代から90年代のUKロック、スコットランドのギター・ポップが音楽の重要な背景として示されようとも、RIDEの音楽は、決して古びてはない。いや、むしろ彼らのギターロックの音楽の持つ魅力、そしてメロディーの良さ、アンディ・ベルのギター、ボーカルに関しても、その醍醐味はいや増しつつある。これは、実際的に、RIDEが現在進行系のロックバンドでありつづけることを示唆している。もちろん、これからギター・ポップやシューゲイズに親しむリスナーの心をがっちり捉えるだろう。

 

面白いことに、昨年に最新作をリリースしたボストンのシューゲイザーバンド、Drop Nineteensとの音楽性の共通点もある。

 

オープニングを飾る「Peace Sign」はギターロックのアプローチとボーカルが絶妙にマッチした一曲として楽しめる。音楽の中には回顧的な意味合いが含まれつつも、ギターロックの未来を示そうというバンドの覇気が込められている。曲そのものはすごく簡素であるものの、アンディ・ベルのギターはサウンド・デザインのように空間を自在に揺れ動く。いわば90年代のような紋切り型のシューゲイズサウンドは、なりを潜めたが、その中にはUKロックの核心とそのスタイリッシュさが示されている。二曲目の「Last Fontier」では改めてシューゲイズやネオ・アコースティックの元祖であるスコットランドの音楽への親和性を示す。そして彼らはこれまでの音楽的な蓄積を通し、改めてかっこいいUKロックとは何か、その理想形を示そうとする。

 

シューゲイズサウンドやギターポップの魅力の中には、抽象的なサウンドが含まれている。アンビエントとまではいかないものの、ギターサウンドを通じてエレクトロニックに近い音楽性を示す場合がある。RIDEの場合は、三曲目の「Light In a Quiet Room」にそのことが反映され、 それをビーディー・アイのようなクールなロックとして展開させる。アンディ・ベルのボーカルの中に多少、リアム・ギャラガーのようなボーカルのニュアンスがあるのはリスペクト代わりなのかもしれない。少なくとも、この曲において、近年その意義が失われつつあったUKロックのオリジナリティーとその魅力を捉えられる。それは曲から醸し出される空気感とも呼ぶべきもので、感覚的なものなのだけれど、他の都市のロックには見出しづらいものなのである。

 

「Monaco」ではよりエレクトロニックに接近していく。ただ、この曲でのエレクトロとはUnderworldを始めとする 80年代から90年代にかけてのクラブ・ミュージックが反映されている。もちろん、92年からRIDEは、それらをどのようにしてロックと結びつけるのか、ストーンローゼズと同じように追求していた。そして、多少、80年代のディスコサウンドからの影響も垣間見え、ベースラインやリズムにおけるグルーブ感を重視したバンドアンサンブルを通じて、アンディ・ベルのしなやかで爽やか、そしてクールなボーカルが搭載される。少なくとも、曲には回顧的な音楽以上の何かが示されている。これは、現在も音楽のチョイスはもちろん、ファッションにかけても人後に落ちないアンディ・ベルらしいセンスの良さがにじみ出ている。それが結局、踊りのためのロックという形で示されれば、これは踊るしかなくなるのだ。

 

続く「I Came to See The Wreck」でも80年代のマンチェスターサウンドに依拠したサウンドがイントロを占める。「Waterfall」を思わせるギターのサウンドから、エレクトロニック・サウンドへと移行していく瞬間は、UKロックの80年代から90年代にかけてのその音楽の歩みを振り返るかのようである。その中に、さりげなくAOR/ソフト・ロックやシンセロックの要素をまぶす。しかし、異なるサウンドへ移行しようとも、根幹的なRIDEサウンドがブレることはない。

 

続く「Stay Free」は、従来のRIDEとは異なるポップバラードに挑戦している。アコースティックギターに関しては、フォーク・ミュージック寄りのアプローチが敷かれているが、ギターサウンドのダイナミクスがトラック全体に重厚感を与えている。いわば、円熟味を増したロックソングの形として楽しめる。そしてここにもさりげなく、Alice In Chains,Soundgardenのようなワイルドな90年代のUSロックの影響が見え隠れする。もっといえばそれはグランジやストーナー的なヘヴィネスがポップバラードの中に織り交ぜられているといった感じである。しかし、ベルのボーカルには繊細な艶気のようなものが漂う。中盤でのUSロック風の展開の後、再びイントロと同じようにアイリッシュフォークに近いサウンドへと舞い戻る。


あらためてRIDEは他のベテランのロック・バンドと同じように普遍的なロックサウンドとは何かというのを探求しているような気がする。「Last Night-」は、Whamのクリスマスソングのような親しみやすい音楽性を織り交ぜ、オーケストラベルを用い、スロウバーナーのロックソングを書いている。そして反復的なボーカルフレーズを駆使しながら、トラックの中盤では、ダイナミックかつドラマティックなロックソングへと移行していく。そこには、形こそ違えど、ドリーム・ポップやシューゲイズの主要なテーマである夢想的な感覚、あるいは、陶酔的な感覚をよりポピュラーなものとして示そうという狙いも読み解くことができる。これらのポップネスは、音楽の複雑性とは対極にある簡素性というもうひとつの魅力を体現させている。

 

アンディ・ベルの音楽的な興味は年を重ねるごとに、むしろよりユニークなものへと向けられていることもわかる。シリアスなサウンドもあるが、「Sunrise Chaser」ではシンセポップをベースに、少年のように無邪気なロックソングを書いている。ここには円熟したものとは対極にある音楽の衝動性のようなものを感じ取ることができる。また、この曲にはバンドがトレンドの音楽もよくチェックしていて、それらを旧知のRIDEのロックサウンドの中に取り入れている。 


アルバムの中で、マンチェスターのダンスミュージックのムーブメントやHappy MondaysやInspiral Carpetesのようなストーン・ローゼズが登場する前夜の音楽性が取り入れられてイルかと言えば、間違いなくイエスである。「Midnight Rider」はまさにクラブハシエンダを中心とする通称マッドチェスターの狂乱の夜、そしてダンスフロアの熱狂へとバンドは迫っていこうとする。そして実際、RIDEはそれを現代のリスニングとして楽しませる水準まで引き上げている。これは全般的なプロデュースの秀逸さ、そしてベルの音楽的な指針が合致しているからである。

 

前にも述べたように、RIDEは、PixiesやPavementのようなバンドと同じように、年齢と経験を重ねるごとに普遍的なロックバンド、より多くの人に親しまれるバンドを目指しているように思える。「Portland Rocks」は、スタジアム・ロック(アリーナ・ロック)の見本のような曲で、エンターテイメントの持つ魅力を音源としてパッケージしている。この曲には何か、何万人収容のスタジアムで、スターのロックバンド、またはギターヒーローのライブを見るかのような楽しさが含まれている。それはとりも直さず、ロック・ミュージックの醍醐味でもある。


アルバムの終わりでは、アンディ・ベルの音楽的な趣味がより強く反映させている。いわば、バンドという枠組みの中で、ソロ作品のような音楽性を読み解ける。最後2曲には、RIDEの別の側面が示されているとも言える。

 

「Essaouira」はマンチェスターのクラブ・ミュージックの源流を形作るイビサ島のクラブミュージック、あるいは現代的なUKのEDMが反映されたかと思えば、クローズ「Yesterdays Is Just a Song」では男性アーティストとしては珍しい例であるが、エクスペリメンタル・ポップのアプローチを選んでいる。強かな経験を重ねたがゆえのアーティストとしての魅力がこの最後のトラックに滲み出ているのは疑いない。それは哀愁とも呼ぶべきもの、つまり、奇しくも1992年の『Nowhere』の名曲「VapourTrail」と相通じるものがあることに気づく。

 

 

 

84/100




「Peace Sign」

 


Label: YSM Sound.

Release: 2024/03/29


Listen/Stream


Review:


イギリス/レスターから登場したローカルラップのヒーロー、Sainteのアルバム『Still Local』は今年最初のヒップホップの注目作である。

 

レスターの地域性、そこから生まれたローカルな人間的な仲睦まじいつながり、フレンドシップは、サンテの場合、彼のグループがこよなく愛する、カスタマイズされたスポーツカーのようにスタイリッシュかつクールなヒップホップとしてアウトプットされる。2000年代以降、メインカルチャーに押し上げられたヒップホップは、かつての地域性を失いつつあり、また、人間的なつながりも以前に比べると、遠くになっているような感じもある。そして、グローバルな音楽やアートとして一般的にみなされるようになったヒップホップ。しかし、それらが稀に、宣伝やプロパガンダのようになっていることを気が付くことはないだろうか。確かに以前とは異なり、アメリカの場合は、ニューヨーク出身のラッパーと、そうでない地域のラッパーとの間にあるライバル関係から開放されつつあるようで、これは良い側面かもしれない。しかし、それはある意味では、ヒップホップが一般化され、無個性なものとなりつつあり、その土地や、アーティストの持つ個性やユニークさが削ぎ落とされつつある要因ともなっているようだ。これは、N.W.A、ICE CUBEの時代のラッパーと比べると、かなり顕著であるかもしれない。ヒップホップのワールドワイド化は、ローカル性の消失という弊害も生じさせつつあるのだ。


そんな中、ヒップホップそのものが持つ地域性やローカル性、そして、その土地のコミュニティーを重視しようとしているのが、サンテというラッパーなのである。彼のラップは地方都市から生み出されたがゆえに、ロンドンのような主要都市に対するライバル心や反骨精神のようなものも見え隠れするが、少なくとも、それは単なる嫉妬とは言いがたいものである。サンテの音楽は、レスターの夜の若いグループから生み出される無尽蔵のエナジーを持ち合わせている。しかし、それは一般的なラッパーとは少し異なり、内側から静かに表出されるエナジーなのである。サンテのラップは、UKラップの英雄で、アディダスとのコラボレーションで知られるストームジー(Stormzy)のような、いわばスタイリッシュで洗練された印象を兼ね備えるUKラップの系譜に位置するように感じられる。しかし、メインストリームの存在に対し、サンテの音楽が主張性が乏しいのかと言えば、そうではない。彼は、主要な都市圏の文化に対し、何か言うべきことをいくつか持っているのである。確かに、ロンドンやマンチェスターといった主要都市の音楽に目を向けながらも、そのなかでレスター特有のカルチャーや音楽性を汲み取ろうとしている。その都市にしか存在しえないもの、それはつまり、「土地の空気感」とも称すべきものであるが、今作には、確かに真夜中のレスターの奇妙な落ち着きや静寂がこだましている。それにフットボールチームの試合の勝利の後に訪れる例の充実感のようなものもある。

 

これまでサンテは少なくとも、実際的な地域のフレンドシップを何よりも重視してきたという印象を受けるし、他方ではソーシャルメディア等での繋がりも大切にしてきた。つまり、彼は表向きの功名心や名誉よりも、そういった人間的な関係性に重点を置いてきた。そして彼のアートの感覚には、コラボレーターや彼を支えるグループと足並みを揃えながら、DIYの姿勢でクールな音楽を作り上げようという意図も見いだせる。このアルバムには、ロンドンの国立劇場やバービカン・センターで上演される有名ミュージカルのような大掛かりな仕掛けはない。しかし、彼の音楽やアートは、手作りのような感覚で緻密に構築されていく。これが感動的とはいわないまでも、サンテのフロウが心に響く理由なのである。それは見え透いた偽物の感覚ではなく、ハートフルな感情がアルバム全体に貫流している。そして、ミュージカルを比較対象に置くのは、何も一時の気まぐれによるものではない。オープナー「Too Much」は、ベンジャミン・クレメンタイン(Benjamin Clementine)のような劇伴的なサウンドで始まり、アルバムのインタリュード代わりとなっている。華やかなピアノのイントロに続いて繰り出されるサンテのスポークンワードは、舞台袖から中央に演劇の主人公が登場するようなユニークな印象をもたらす。


年明けにリリースされたアルバムの先行シングル「Tea Over Henny」は、BNTとしてご紹介している。ミュージックビデオも素晴らしかった。スポーツカーの周りに、サンテとそのグループがスポーツカーでドリフトをかけながら、火花を散らす。少なくとも、UKドリルの属するヒップホップは、単なる宣伝材料になるのではなく、リアルな音楽として昇華されている。彼のリリックには精細感があり、内的な落ち着きがある。ヒップホップをモンスターのように捉えるのではなく、身近な表現手段、あるいはリベラルアーツの一貫としてサンテは体現しようと試みる。それをかつてのヴァンダリズムのような手段で、シンプルに、そして誰よりもダイナミックに表現する。この曲のサンテのリリック/フロウには、ニュアンスがあり、節回しも絶妙だ。 

 

 

「Tea Over Henny」


 

メインストリームを踏襲し、それをきわめてシンプルで安らいだ感じを持つリリックに落とし込む力がある。「Route 64」は、同じくロンドンのドリルに属する音楽性が魅力だが、その中に夜のドライブに見出される奇妙な安らぎが表現されている。人が寝静まった夜中、都市の郊外を駆け回るときのあの爽快な感じつながる。そして、もうひとつ、音楽そのものがプリ音楽の効果を持つ。つまり、車のBGMとしての最良の効果を見込んで制作されたような感じがある。

 

アルバムの序盤は明らかにUKドリルの音楽性に重点が置かれているが、続く「Stop Crying」ではどちらかと言えば、アトランタのJIDのようなラップが展開される。都会的なラップではなく米国南部の巻き舌のリリックのようなニュアンスを踏まえ、それをチルウェイブのような音楽として濾過している。そして、JIDの場合は比較的古典的なソウルに踏み込む場合があるが、サンテの場合はUKソウル(ネオソウル)に近いニュアンスが含まれている。これらは最終的に、JIDのようなニュアンスをどこかに残しつつ、洗練されたラップとしてブラッシュアップされる。サンテが必ずしもUKラップだけを意識しているわけではないことが、なんとなく理解出来る。

 

「Currency」でも同じくアトランタサウンドとも言えるトラップの影響下にあるトラックが続く。EDMやグリッチをベースにした心地よいビートを背後にリラックス感のあるリリックを乗せる。そしてユニークなのは、コラボレーターのDraft Dayの助力を得て、トラップの要素にソフト・ロックやAORのようなアダルト・コンテンポラリーの要素を付け加えていることである。トラックの全般的な印象としては紛れもなくトラップの範疇にあるが、そこに新しい何かを付け加えようとしている。Draft Dayとのフロウの掛け合いに関しては一体感が生み出されている。

 

その後はまるで車のラリーやドライブのあとに、クラブフロアに立ち寄るかのようである。同じくEDMを間奏曲として解釈した「Changing Me Interlude」、「Fancy」はアルバムの中盤になだらかな起伏を作る。チルウェイブ/EDMの寛いだトラックはクラブフロア的な心地良さがある。アルバムの序盤のトラックと同様に上記もまたラッパーの日常的な生活が反映されているように感じられる。またそれは自分だけではなく、レスターの若者の日常の代弁する声でもある。この曲の後、再びトラップを基調としたグリッチのヒップホップに舞い戻り、都会的な感覚を表す。この曲もまたストームジーのようなトラックとして楽しめること請け合いである。

 

「Y2K」にはオールドスクールのヒップホップの影響が反映されている。まったりとした寛いだサウンドは、JIDのサイドトラックのニュアンスにも近いが、古典的な音楽の中にアブストラクトヒップホップの影響も曲の後半で垣間見ることが出来る。しかし、サンテの場合は、ニューヨークのラッパーほどには先鋭的にならず、曲のメロウなムードを最重視し、リリックやフロウのクールさにポイントが絞られている。サンテのフロウは、稀にアッパーな表情を見せることもあるが、全体的には、ミドルの感覚やダウナーな感覚をリリックに絶妙に織り交ぜている。

 

当初は地方都市の音楽にも思えたサンテのサウンドは、アルバムの中盤でより都会的で洗練された空気感を漂わせる。これらの肩で風を切るかのような感覚は、その後の収録曲でも受け継がれている。そしてアルバムの中では、歌詞の中で言及されているかは分からないが、アーティスト自身とグループ、そしてレスターの若者たちの日常的な生活が描かれているように思える。それは自分が主役になったかと思えば、彼らが主役にもなりえる。「They'll See」は他者を主役に置き、彼らが何を見たのかを第三者的な視点を通じて見定めようとする。そしてカーライフにまつわるグループとのやりとり、さらに、ドリフトを華麗に決めたときの言いしれない恍惚と快感、また、それに付随する、ちょっと虚脱するような空白の時間を的確にグリッチサウンドを元にしたヒップホップで表現していく。丹念で作り込まれたカスタムカーのようなサウンドにはこのジャンルにそれほど詳しくないリスナーの心を惹きつける力があるように思える。

 

サンテのラップはそれほどUKのメインストリームの音楽とはかけ離れていない。そしてかつてのブリストルサウンドのように、なぜか夜のシーンが音楽そのものから浮かんでくることがある。そして、その後の収録曲では得難いほどに深淵な音楽へと迫る瞬間がある。「Love Is Deep」は、かなりピクチャレスクな瞬間が立ち表れ、サンテのなめらかで流麗なリリック、フロウ捌きの連続......、それはやがて都会的なビル、その合間に走るレスターの曲がりくねった国道、夜の闇にまみれた通りを疾走していくスポーツカーのイメージに変化していく。サンテが表現しようとするもの、それは人間的な情愛に限らず、フレンドシップにまつわる友情に近いものもありそうだ。そして、それを彼はナイーブでディープなラップによって表現している。泣かせるものはないように思える。ところが、そこには奇妙なペーソスがある。リズム的にもドラムンベースの影響を付加し、ローエンドが強く出るエレクトロサウンドを生み出す。メインストリームのラップとは一線を画しており、このあたりに"ローカルラップ"の醍醐味がありそうだ。


サンテのラップは一貫してローカルラップというテーマの元に構築されている。しかし、ロンドンの音楽への親近感が示される瞬間もある。Lil Silvaをフィーチャーした「Safe」はジョーダン・ラケイのようなレゲエ/レゲトンとEDMの中間のあるサウンドを追求している。これらはサンテの音楽が単なるマニア性だけに支えられたものではないことを示している。もちろん、メインストリームに引き上げられる可能性をどこかに秘めていることの証ともなるだろう。続く「Milwaukee」ではUKのドリルを離れ、どちらかと言えばシカゴドリルに近いニュアンスを探る。車を揺らすような分厚いベースライン、そして、広い可動域を持つリズムの上げ下げをシンセのフレーズを通じて装飾的なサウンドを組み上げている。派手さと深さを兼ね備えたドリル、そして、その中に展開される痛快なフロウは、今作の中で最も鮮烈な瞬間を呼び起こす。

 

表向きには大きな仕掛けがないように思える。しかし、聴き応えがある理由は、トラックの入魂の作り込みがあり、アーティスト自身が表現したいものを内側に秘めていることだ。これらの二つの要素は、リスニングに強いインパクトを及ぼし、そして実際、洗練されたラップとしてアウトプットされている。アルバムの最後でも、ドラマティックなトラックが収録されていて聴き逃がせない。クローズ「G's Reign」は、流行りのアルバムの全体的な構造として連関した役割をもたせようという流れに準じている。オープニングと対になっているが、アルバムの最初と最後では、まったく音楽の印象が異なるのが面白い。このクローズは、ダークでありながらクールな印象を最後の余韻として残す。 2024年度の最初のUKラップの収穫と言えるだろう。

 

 


85/100
 
 

 Best Track−「G's Reign」

 Sam Evian 『Plunge』

 

Label: Flying Cloud Recordings

Release: 2024/03/22



Review

 

サム・エヴィアン(Sam Evian)はニューヨークのシンガーソングライター。前作『Time To Melt』で好調なストリーミング回数を記録し、徐々に知名度を高めつつあるアーティスト。エヴィアンの音楽的な指針としては、サイケ、フォーク、ローファイ、R&Bなどをクロスオーバーし、コアなインディーロックへと昇華しようというもの。彼の制作現場には、アナログのテープレコーダーがあり、現在の主流のデジタル・サウンドとは異なる音の質感を追求している。このあたりはニューヨークというよりもロサンゼルスのシーンのサイケサウンドが絡んでいる。


サム・エヴィアンは『Plunge』でもビンテージなテイストのロックを追求している。オープニングを飾る「Wild Days」は、70年代のアメリカン・ロックや、エルヴィス・コステロの名作『My Aim Is True』のようなジャングルポップ、そしてアナログのテープレコーダーを用いたサイケ/ローファイのサウンドを吸収し、個性的なサウンドが組みあげられている。ノスタルジックなロックサウンドという点では、Real Estateに近いニュアンスも求められるが、エヴィアンの場合はスタンダードなロックというより、レコードコレクターらしい音楽が主な特徴となっている。

 

70年代のUSロックに依拠したサウンドは、ジャンルを問わず、現代の米国の多くのミュージシャンやバンドがその音楽が持つ普遍的な価値をあらためて再訪しようとしている。ご多分に漏れず、サム・エヴィアンの新作のオープナーも、いかにもヴィンテージなものを知り尽くしている、というアーティストの自負が込められている。これは決してひけらかすような感じで生み出されるのではなく、純粋に好きな音楽を追求しているという感じに好感をおぼえる。イントロのドラムのロールが立ち上がると、ソロアーティストとは思えない緻密なバンドサウンドが展開され、そこにウェストコーストサウンドの首領であるDoobie BrothersのようなR&Bを反映させたロックサウンド、そしてエヴィアンのボーカルが入る。トラックメイクの試行錯誤を何度も重ねながら、どこにシンコペーションを置くのか、グルーヴの重点を据えるのか。いくつもの試作が重ねられ、かなり緻密なサウンドが生み出されている。このオープナーには確かに、いかなるレコードコレクターをも唸らせる、コアなロックサウンドが敷き詰められている。

 

 

「Jacket」以降もエヴィアンの志す音楽は普遍的である。同じく、Doobie Brothers、Byrds、CSN&Yを彷彿とさせる音楽で今や古びかけたと思われたものを、きわめて現代的な表現として2024年の時間軸に鮮明に浮かび上がらせる手腕については脱帽である。このサウンドは70年代のアナログレコードの旨味を知るリスナーにとどまらず、それらのサウンドを初体験する若いリスナーにも新しいサウンドとして親しまれるだろう。 その中にチェンバーポップやバロックポップ、つまりビートルズの中期の音楽性、あるいは、それ以降の米国の西海岸のフォロワーのバンドの系譜にあるサウンドを組み上げてゆく。ロックソングの中に遊びのような箇所を設け、マッカートニーのようなおどけたコーラスやハネ感のあるリズムで曲そのものをリードしていく。

 

サム・エヴィアンの制作現場にあるアナログレコーダーは、ロックソングのノイズという箇所に反映される。「Rolling In」も、70年代のUSロックに依拠しているが、その中にレコードの視聴で発生するヒスノイズをレコーダーで発生させ、擬似的な70年代のレコードの音を再現している。ここには良質なロックソングメイカーにとどまらず、プロデューサー的なエヴィアンの才覚がキラリと光る。そして彼はまるで70年代にタイムスリップしたような感じで、それらの古い時代の雰囲気に浸りきり、ムードたっぷりにニール・ヤングの系譜にあるフォーク・ロックを歌う。これには『Back To The Future』のエメット・ブラウン博士も驚かずにはいられない。


もし、先週末のエイドリアン・レンカーの『Bright Future』が女性的な性質やロマンチシズムを持つフォーク・ミュージックであると仮定するなら、エヴィアンの場合は、ジャック・アントノフ率いるブリーチャーズと同じように、きわめて男性的なロマンチズムが示されている。それはおそらくアーティストの興味の一貫として示されるスポーツカーやスーパーカー、ヴィンテージのアメリカン・カジュアルのようなファッション、あるいはジョージ・ルーカス監督の『アメリカン・グラフィティ』に登場するような郊外にあるドライブスルー、そういったアメリカの代名詞的なハイカルチャーが2020年代の視点から回顧され、それらの良き時代への親しみが示唆される。それは例えば、バイカーやカーマニアのカスタムメイド、それに類するファッションというような嗜好性と密に結び付けられる。女性から見ると不可解なものであるかもしれないが、それは男性にとってはこの上なく魅了的なものに映り、そしてそれはある意味では人生において欠かさざるものとなる。エヴィアンは、そういった均一化され中性化した文化観ではなく、男性的な趣向性ーー個別の価値観ーーを華麗なまでに探求してみせるのである。

 

本作の序盤では一貫してUSのテイストが漂うが、彼のビンテージにまつわる興味は続く「Why Does It Takes So Long」において、UKのモッズテイストに代わる。モッズとはThe Whoやポール・ウェラーに象徴づけられるモノトーンのファッションのことをいい、例えば、セミカジュアルのスーツや丈の短いスラックス等に代表される。特に、The Whoの最初期のサウンドはビートルズとは異なる音楽的な意義をUKロックシーンにもたらしたのだったが、まるでエヴィアンはピート・タウンゼントが奏でるような快活なイントロのリフを鳴らし、それを起点としてウェスト・コーストロックを展開させる。ここには、UKとUSの音楽性の融合という、今までありそうでなかったスタイルが存在する。それらはやはりアナログレコードマニアとしての気風が反映され、シンコペーション、アナログな質感を持つドラム、クランチなギターと考えられるかぎりにおいて最もビンテージなロックサウンドが構築される。そして不思議なことに、引用的なサウンドではありながら、エヴィアンのロックサウンドには間違いなく新しい何かが内在する。

 

そして、アルバムの序盤では、アメリカ的な観念として提示されたものが、中盤を境に国境を越えて、明らかにブギーを主体としたローリング・ストーンズのイギリスの60年代の古典的なロックサウンドへと肉薄する。「Freakz」はキース・リチャーズの弾くブルースを主体としたブギーのリフにより、耳の肥えたリスナーやギターフリークを唸らせる。エヴィアンのギターは、リチャーズになりきったかのような渋さと細かいニュアンスを併せ持つ。しかし、それらの根底にあるUKロックサウンドは、現代のロサンゼルス等のローファイシーン等に根ざしたサイケデリアにより彩られたとたん、現代的な音の質感を持つようになる。結局、現代的とか回顧的といった指針は、どこまでそれを突き詰めるのかが重要で、その深さにより、実際の印象も変化してくる。エヴィアンのコアなサイケロックサウンドは、ファンクとロックを融合させた70年代のファンカデリックのようなR&B寄りの華やかなサウンドとして組み上げられる。ギタリストとしてのこだわりは、Pファンク風のグルーヴィーなカッティングギターに見いだせる。

 

同じように70’sのテイストを持つロックサウンドを挟んだ後、「Runaway」ではエヴィアンのロックとは別のフォーク音楽に対する親しみがイントロに反映されている。それはビートルズのアート・ロックに根ざした60年代後半のサウンドへと変化していく。エヴィアンのボーカルは稀にマッカートニーのファニーなボーカルを思わせる。それを、ビクトロンのような音色を持つアナログシンセサイザーの音色、そして、リッケンバッカーに近い重厚さと繊細さを持つギターサウンド、同音反復を特徴とするビートルズのバロック・ポップの音階進行やビートの形をしたたかに踏襲し、それらをしなやかなロックソングへと昇華させる。コーラスワークに関しても、やはりビートルズの初期から中期にかけてのニュアンスを踏まえ、ソロプロジェクトでありながら、録音のフィールドにポールの他にレノンのスピリットを召喚させるのである。これらはたしかに模倣的なサウンドとも言えなくもないが、少なくとも嫌味な感じはない。それは先にも述べたように、エヴィアンがこれらの音楽を心から愛しているからなのだろうか。

 

ウェストコーストロック、サンフランシスコのサイケ、さらにストーンズやビートルズの時代の古典的なUKロックという流れでアーティストの音楽が示されてきたが、アルバムの終盤の2曲はどちらかと言えば、エルヴィス・コステロのようなジャングル・ポップやパワー・ポップの原点に近づいていく、そのコーラスの中には、Cheap Trickのニールセンとサンダーのボーカルのやり取り、または、武道館公演の時代のチープ・トリックの音楽性が反映されているように見受けられる。厳密に言えば、アイドル的なロックではなくて、どちらかといえば、パンキッシュな嗜好性を持つコステロの骨太なサウンドの形を介して昇華される。果たして、これらの音楽にマニア性以上のものが存在するのか? それは実際のリスニングで確認していただきたいが、少なくともロックファンを唸らせる何かが一つや二つくらいは潜んでいるような気がする。

 

アルバムのオープナー「Wild Days」とクローズの「Stay」はジャングルポップや良質なインディーフォークなので聴き逃がせない。

 


76/100

 

 

 

Best Track- 「Stay」

 Waxahatchee 『Tigers Blood』

 

Label: Anti-

Release: 2024/03/22

 

Review


今週のもうひとつの注目作がAnti-からリリースされたワクサハッチーによる最新作『Tigers Blood』。このアルバムもエイドリアン・レンカーと同じく、アメリカーナやカントリー、フォークを主体としている。ワクサハッチーはジェス・ウィリアムソンとのデュオ、Plainsとして活動しており、このプロジェクトもアメリカーナとロックやポップスを結びつけようとしている。

 

今回のアルバムはアートワークを見ると分かる通り、カンサス出身のワクサハッチーが米国南部的なルーツを掘り下げようとしたもの。しかし、ワクサハッチー自身はこれまで人生を行きてきた中で、南部的なルーツを隠そうとはしなかったものの、それを明るみには出さなかったという。そしてこのアルバムは、Anti-のスタッフの方が言及する通り、「それが存在する前からそこにあったような気がする」という、普遍的なアメリカン・ロックとなっている。どこまでも純粋なアメリカンロックで、それがかなり親しみやすい形で昇華されている。非常に聞きやすい。

 

全般的にはそれほどアメリカーナというジャンルを前面に押し出していないように思えるが、それは飽くまで表向きの話。オープニングを飾る「3 Sister」からインディーロックを基調としたソングライティングの中にスティールギターを模したエレクトロニックギターを織り交ぜたり、そして歌唱の中にもボーカルピッチをずらしてう歌うアメリカーナのサングのスタイルが取り入れられている。しかし、ワクサハッチーはそれをあまりひけらかさないように、オブラートに包み込む。おおらかなソングライティングの中で彼女が理想とするポップを体現させようとする。

 

続く「Evil Spawn」はコラボレーターのジェス・ウィリアムソンのソングライティングに近く、アメリカン・ロックを温和なムードで包み込んでいる。ウィリアムソンの最新作ではいかにもアリゾナにありそうな砂漠や幹線道路を砂埃を上げて走る車のようなイメージが立ち上ってくることがあったが、ワクサハッチーの曲のイメージは、より牧歌的な温和さに縁取られている。その歌声の中には温かさがあり、また雄大な自然のムードが反映されているように思える。


アルバムはその後、70年代のウエストコーストロックや、サザンロックのビンテージなロックへと続いている。「Ice Cold」は、ソロアーティストというよりもバンドスタイルで書かれた曲で、ByrdsやCCRを始めとするUSロックの源流へと迫っている。セッション自体も楽しげであり、聴いているだけで気持ちが沸き立ってくるような気がする。その中で、ワクサハッチーは南部的な風景やムードを上手く反映させている。時折、それはボーカルの節回し、あるいはメロディーの進行と理論的に展開させるというよりも、体感したものを音楽という形で表現していく。

 

アメリカーナの固有の楽器も取り入れられている。続く「Right Back To It」ではスーパーチャンクの名曲「1000 Pounds」にようなインディーロックとアメリカーナの融合のソングライティングに取り組んでいる。しかし、ワクサハッチーの場合は、ロックソングというよりも普遍的なポップスに焦点が絞られ、映画のワンシーンで流れるような寛いだサウンドトラックを思わせる。それほど聞きこませるというよりも、聞き流せるという音楽として楽しめる。ワクサハッチーの音楽は主要なメインテーマといよりかは、BGMや効果音のような聞きやすいポップスなのである。

 

ワクサハッチーの音楽は、単なる古い時代の音楽を尋ねるというよりも、どこかの時代にラジオで流れていた70年代や80年代のロックやポップス、それらの記憶を元に、現代的に親しみやすいポップソングに再構築しようというような意図が感じられる。


「Burns Out at Midnight」はスプリングスティーンのようなUSロックの王道を行くが、その中には単なるイミテーションという形ではなく、子供の頃に聴いていたラジオからノイズとともに聞こえ来る音楽を再現しようという狙いが伺える。それは、ノスタルジアなのか、それとも回顧的というべきなのかは分からないが、懐かしさに拠る共感覚のようなものを曲を通じてもたらすのである。続く「Bored」に関してもこれと同様に、映画のサウンドトラックで流れていた曲、そしてその音楽がもたらすムードや雰囲気を曲の中で再現させようとしているように感じられる。


クラシカルな音楽に対する親しみはその後より深い領域に差し掛かる。「Lone Star Lake」、「Crimes Of The Heart」は、ムードたっぷりのバンジョーやスティールギターがやはり南部的な空気感を生み出している。穏やかさと牧歌的な気風が反映されているが、正直なところ、このあたりはなにか二番煎じの感が否めない。穏やかな感覚はどこかで阻害されているという気がし、残念だと思うのは、ルーツまでたどり着いていないこと。それがなんによるものかは定かではないが、本当の音楽がなにかによってせき止められてしまっているような気がする。

 

難しいけれど、遠慮ともいうべきもので、米国南部的な感性が都会的な感性にからめとられてしまっているからなのかもしれない。純粋なカントリーやフォーク音楽に対して、なにか遠慮が感じられる。奥ゆかしさともいうべきもので、長所たりえるのだけれど、音楽の核心に至る途中で終わっている。ただ、「Crowbar」は閃きがあり、また比較的明るいエネルギーが感じられて素晴らしい。アルバムの中では、ポップに内在するソウルやR&Bに近いアーティストのもう一つのルーツに迫ることが出来る。

 

「365」はよりポピュラー寄りの音楽に進むが、シンプルなポップスとして楽しんでもらいたい。「The Wolves」は全般的な印象と連動して、少し寂しい感じをおぼえるわ、もう少し、編集的なプロダクションや楽器を増やしても面白かったかもしれない。

 

ワクサハッチーは個人的にも好きなアーティストではあり、表現すべき世界観や音楽観を持っている良いミュージシャンであるが、ピアノやバイオリンがないのが、結局、レンカーのような遊び心のある作品にならなかった理由なのかもしれない。本作の中盤から終盤にかけて、安らいだ感じを越えて、少し音楽が緩みすぎているところがあるのが難点。ただ、アメリカンロックやポップスにこれから親しんでみようというリスナーには最適なアルバムになるはず。

 



72/100


  Four Tet 『Three』

Label: Text Records

Release: 2024/ 03 /15


Review

 

以前、Four Tetはライセンス契約をめぐり、ドミノと係争を行い、ストリーミング関連の契約について裁判を行った。結局、レーベルとの話し合いは成功し、ストリーミングにおける契約が盛り込まれることになった。

 

ジェイムス・ブレイクにせよ、フォー・テットにせよ、フィジカルが主流だった時代に登場したミュージシャンなので、後発のストリーミング関連については頭を悩ませる種となっているようなのは事実である。しかし、直近の裁判についてはレーベルとの和解を意味しており、関係が悪化したわけではないと推測される。

 

ともあれ、新しいオリジナル・アルバムがリリースされたことにエレクトロニック/テクノファンとしては胸を撫で下ろしたくなる。アルバム自体も曇り空が晴れたかのような快作であり、からりとした爽快感に満ちている。今回のアルバムはテクスト・レコードからのリリースとなる。


フォー・テットことキーラン・ヘブデンは、エレクトロニック・プロデューサーの道に進む以前、ポスト・ロックバンドに所属していたこともあり、テクノ/ダウンテンポのアプローチを図るアーティストである。


生のドラムの録音の中に、ジャズやグライム、フォーク・ミュージックを織り交ぜる場合がある。Warp Recordsに、”Biblo”というプロデューサーがいるが、それに近い音楽的なアプローチである。また、音楽的な構図の中には、サウンドデザイン的な志向性があり、それらがミニマルテクノやブレイクビーツ、そして、インストのポストロックのような形で展開される。インストのロックとして有名なプロデューサーとしては、まっさきにTychoが思い浮かぶが、それに近いニュアンスが求められる。ヘブデンのテクノはモダン家具のようにスタイリッシュであり、建築学における設計のような興味をどこかに見出すこともそれほど無理難題ではないのである。

 

今回のアルバム『Three』は現代的なサウンド、あるいは未来志向のサウンドというよりも、90年代のAphex Twin、Clark、Floating Points、Caribouあたりの90年代のテクノに依拠したサウンドが際立っている。レトロで可愛らしい音色のシンセが目立つが、中には、この制作者らしいカラフルなメロディーが満載となっている。それらは、グリッチ/ミニマルテクノのデュオ、I Am Robot And Proudのような親しみやすいテクノという形で昇華される。ただ、Squarepusherほど前衛的ではないものの、(生の録音の)ドラムのビートに重点が置かれる場合があり、オープナー「Loved」に見出すことが出来る。それほど革新的ではないにせよ、言いしれない懐かしさがあり、テクノの90年代の最盛期の立ち帰ったようなデジャブ感がある。そしてアシッド・ハウス風のビートとカラフルなシンセの音色を交え、軽快なテクノへと突き進むのである。

 

アルバムの序盤は安らいだ感覚というべきか、アンビエントに近い抽象的な音像をダウンテンポやテクノの型に落とし込んでいる。「Glinding Through Everything」はサウンド・デザイン的なサウンドで聞き手を魅了する。Boards Of Canadaに比するアブストラクトなテクノとして楽しんでほしい。ポスト・ロック的なアプローチが続く。「Storm Crystals」は、Tychoのようなインストのロックに近い音楽性が垣間見え、それらは比較的落ち着いたIDM(Intelligence Dance Music)という形で展開される。ダンスフロアではなく、ホームリスニングに向けた落ち着いたテクノであり、ここにも冒頭のオープナーと同様に90年代のテクノへの親しみが表されている。


もちろん、音楽は新しければ良いというものではなく、なぜそれを今やるのかということが、コンポジションの方法論よりも重要になってくる場合がある。ヘブデンはそのことをしっかり心得ていて、無理に先鋭的なものを作らず、シンプルに今アウトプットしたいものを制作したという感じがこのアルバムの序盤から読み解くことが出来る。


続く「Daydream Repeat」では、ビートそのものは、おそらくデトロイトハウスの原点に近いサウンドをアウトプットしているが、ここにもアーティストのサウンド・デザイナー的なセンスが光り、ピアノのカラフルなメロディーが清涼感を持って耳に迫る。苛烈なサウンドではなく、癒やしに充ちたサウンドは、雪解けの後の清流のような輝きと流麗さに充ちている。ここでも叙情的なテクノというアーティストの持つセンスが余すところなく披露されているように思える。

 

「Skater」もTychoのようなギターロックのインストや、ポストロック的なアプローチが敷かれている。ここでも前曲と同じように清涼感のあるサウンドが味わえる。比較的、スロウなテンポを通じたくつろいだセッションの意味合いがあり、ギター、電子ドラムを中心にスタイリッシュなテクノ/ロックを制作している。ダブやファンクといった本来の電子音楽からはかけ離れた要素も込められている。少なくとも難しく考えず、リラックスして乗れるナンバー。続く「31 Room」はアナログなテクノに回帰し、2000年代の彼自身の作風を思い返させるものがある。2000年前後のグリッチ・サウンドを元にし、Caribouのようなユニークなサウンドを構築している。このあたりに、ベテランプロデューサーとしての手腕が遺憾なく発揮されている。

 

ヘブデンは同じようにアルバムの後半でも、無理に新しいものや先鋭的なものを制作するのではなく、みずからの経験や知見を元にし、最もシンプルで親しみやすいテクノを提供している。「So Blue」は驚くほどシンプルで、そして出力される部分とは対極にある「間」が強調されている。やはり一貫して、ホームリスニングに適したIDMであるが、しかし、そこには気負いがない。そして、安らいだテックハウスの中に、グライムやダブステップの影響下にある生のドラムを導入し、曲全体に変化をもたらす。レトロな音色は、やはり90年代のAphex Twinの「Film」で見られるテクノを思い起こさせる。一貫して身の丈にあったシンプルなダンスミュージックを提供しようというプロデューサーの考えは、クローズでもほとんど変わることがない。ここでは、ギターのノイズに焦点が置かれ、曲の中盤ではSigur Ros(シガーロス)のような北欧のポスト・ロック/音響派のアプローチへと突き進んでいる。このアルバムは、あらためてプロデューサーが90年代以降のキャリアを総ざらいするような作品になっている。ここにはセンセーショナルな響きはほとんどないものの、電子音楽の普遍的な魅力の一端が示されている。

 

 

 84/100

 

Best Track-「Loved」

 Charles Lloyd 『The Sky Will Still Be There Tomorrow』

 

 

Label: Blue Note(日本盤はユニバーサルミュージックより発売)

Release: 2024/03/15

 


Review

 

2022年から三部作「Trios」に取り組んできた伝説的なサックス奏者のチャールズ・ロイド(Charles Lloyd)は、北欧のヤン・ガルバレクと並んで、ジャズ・サックスの演奏者として最高峰に位置付けられる。


ECMのリリースを始め、ジャズの名門レーベルから多数の名作を発表してきたロイドは86歳になりますが、ジャズミュージシャンとして卓越した創造性、演奏力、 作品のコンセプチュアルな洗練性を維持してきました。驚くべきことに、年を経るごとに演奏力や創作性がより旺盛になる稀有な音楽家です。彼の名作は『The Water Is Wide』を始め、枚挙に暇がありません。スタンダードな演奏に加え、ロイドは、アヴァンギャルド性を追求すると同時に、カラフルな和音性やジャズのスケールを丹念に探求してきました。近年、ロイドはジャズの発祥地である米国のブルーノートに根を張ろうとしています。これはジャズのルーツを見れば、当然のことであるように思える。

 

 『The Sky Will Still Be There Tomorrow』は彼のサックスの演奏に加え、ピアノ、ドラムのバンド編成でレコーディングされた作品です。冒険心溢れるアヴァンギャルドジャズの語法はそのままに、アーティストがニューオリンズ・ジャズの時代の原点へと回帰したような重厚感のあるアルバムです。

 

ブレス、ミュート、トリル、レガートの基本的な技法は、ほとんどマスタークラスの域に達し、エヴァンスやジャレットの系譜にあるピアノ、オーリンズとニューヨークの奏法のジャズの系譜を受け継いだドラムとの融合は、ライブ・レコーディングのように精妙であり、ジャレットのライブの名盤『At The Deer Head Inn』のように、演奏の息吹を間近に感じることが出来る。チャールズ・ロイドは、あらためてジャズの長きにわたる歴史に焦点を絞り、クラシカルからモダンに至るまですべてを吸収し、それらを華麗なサックスとバンドアンサンブルによって高い水準のプロダクションに仕上げました。スタンダードな概念の中にアヴァンギャルドな性質を交えられていますが、これこそ、この演奏家の子どものような遊び心や冒険心なのです。


ロイドは落ち着いたムードを持つR&Bに近いメロウなブルージャズから、それと対極に位置するスタイリッシュなモダンジャズの語法を習得している。彼の演奏はもちろん、ピアノ、ドラムの演奏は流れるようにスムーズで、編集的な脚色はほぼなく、生演奏のような精細感がある。ブルーノートの録音は、ロイドを中心とするレコーディングの精妙さや輝きをサポートしています。



オープニング「Defiant, Tendder Warrior」は、まごうことなきアメリカの固有のジャズのアウトプットであり、ウッドベースとドラムの演奏とユニゾンするような形で、チャールズ・ロイドは、スタッカートの演奏を中心に、枯れた渋さのある情感をもたらす。年を重ねてもなお人間的な情感を大切にする演奏家であるのは明確で、それは基本的に繊細なブレスのニュアンスで表現される。チャールズ・ロイドの演奏は普遍的であり、いかなる時代をも超越する。彼の演奏はさながら、20世紀はじめの時代にあるかと思えば、それとは正反対に2024年の私達のいる時代に在する。

 

抑制と気品を擁するサクスフォンの演奏ですが、ときに、スリリングな瞬間をもたらすこともある。二曲目の「The Lonely One」ではライブのような形でセッションを繰り広げ、ダイナミックな起伏が設けられる。しかし、刺激的なジャズの瞬間を迎えようとも、ロイドの演奏は内的な静けさをその中に内包している。そしてスタンダードなジャズの魅力を伝えようとしているのは明らかで、曲の途中にフリージャズの奏法を交え、無調やセリエリズムの領域に差し掛かろうとも、アンサンブルは聞きやすさやポピュラリティに焦点が絞られる。ジャズのライブの基本的な作法に則り、曲のセクションごとにフィーチャーされる演奏家が入れ替わる。ドラムのロールが主役になったかと思えば、ウッドベースの対旋律が主役になり、ピアノ、さらにはサックスというようにインプロヴァイゼーション(即興演奏)を元に閃きのある展開力を見せる。

 

ロイドの最新作で追求されるのは、必ずしも純粋なジャズの語法にとどまりません。「Monk's Dance」において音楽家たちは寄り道をし、プロコフィエフの現代音楽とジャズのコンポジションを融合させ、根底にオーリンズのラグタイム・ジャズの楽しげな演奏を織り交ぜる。この曲には、温故知新のニュアンスが重視され、古いものの中に新しいものを見出そうという意図が感じられる。それは、最もスタイリッシュで洗練されたピアノの演奏がこの曲をリードしている。 

 

アルバムの中で最も目を惹くのがチャールズ・ロイドの「Water Series」の続編とも言える「The Water Is Rising」です。抽象的なピアノやサックスのフレージングを元にし、ロイドは華やかさと渋さを兼ね備えた演奏へと昇華させる。この曲では、ロイドはエンリコ・ラヴァに近いトランペットの奏法を意識し、色彩的な旋律を紡ぐ。トリルによる音階の駆け上がりの演奏力には目を瞠るものがあり、演奏家が86歳であると信じるリスナーは少ないかもしれません。ロイドの演奏は、明るいエネルギーと生命力に満ち溢れ、そして安らぎや癒やしの感覚に溢れている。サックスの演奏の背後では、巧みなトリルを交えたピアノがカラフルな音響効果を及ぼす。

 

アルバムの中盤では、内的な静けさ、それと対比的な外的な熱量を持つジャズが収録されています。「Late Bloom」は北欧のノルウェージャズのトランペット奏者であるArve Henriksenの演奏に近く、木管楽器を和楽器のようなニュアンスで演奏している。ここでは、ジャズの静けさの魅力に迫る。続く「Booker's Garden」では、それとは対象的にカウント・ベイシーのようなビックバンドのごとき華やかさを兼ね備えたエネルギッシュなジャズの魅力に焦点を当てている。

 

古典的なジャズの演奏を踏襲しつつも、実験性や前衛性に目を向けることもある。「The Garden Of Lady Day」では、コントラバスのフリージャズのような冒険心のあるベースラインがきわめて刺激的です。ここにはジャズの落ち着きの対蹠地にあるスリリングな響きが追求される。この曲では、理想的なジャズの表現というのは、稀にロックやエレクトロニックよりも冒険心や前衛性が必要となる場合があることが明示されている。これらは、オーネット・コールマン、アリス・コルトレーンを始めとする伝説的なアメリカのジャズの演奏家らが、その実例、及び、お手本を華麗に示してきました。もちろんロイドもその演奏家の系譜に位置しているのです。


タイトル曲はスタンダードとアヴァンギャルドの双方の醍醐味が余すところなく凝縮されている。この曲はスタンダードなジャズからアヴァン・ジャズの変遷のようなものが示される。ロイドの演奏には、したたな冒険心があり、テナー・サックスの演奏をトランペットに近いニュアンスに近づけ、演奏における革新性を追求しています。また、セリエリズムに近い無調の遊びの部分も設け、ピアノ、ベース、ドラムのアンサンブルにスリリングな響きを作り上げています。微細なトリルをピアノの即興演奏がどのような一体感を生み出すのかに注目してみましょう。

 

ブルーノートからのリリースではありながら、マンフレート・アイヒャーが好むような上品さと洗練性を重視した楽曲も収録されています。「Sky Valley, Spirit Of The Forest」は、Stefano Bollani、Tomasz Stanko Quintetのような都会的なジャズ、いわば、アーバン・ジャズを意識しつつ、その流れの中でフリージャズに近い前衛性へとセッションを通じて移行していく。しかし、スリリング性はつかの間、曲の終盤では、アルバムの副次的なテーマである内的な静けさに導かれる。ここにはジャズの刺激性、それとは対極に位置する内的な落ち着きや深みがウッドベースやピアノによって表現される。タイトルに暗示されているように、外側の自然の風景と、それに接する時の内側の感情が一致していく時の段階的な変遷のようなものが描かれています。

 

 

本作の後半では、神妙とも言うべきモダン・ジャズの領域に差し掛かる。ウッドベースの主旋律が渋い響きをなす「Balm In Gilead」、ロイドのテナー・サックスをフィーチャーした「Lift Every Voice and Sing」では歌をうたうかのように華麗なフレージングが披露される。アルバムの音楽は、以後、さらに深みを増し、「When The Sun Comes Up, Darkness Is Gone」でのミュートのサックスとウッドベース、ピアノの演奏の絶妙な兼ね合いは、マイルスが考案したモード奏法の先にある「ポスト・モード」とも称すべきジャズの奏法の前衛性を垣間見ることが出来ます。

 

続く「Cape to Clairo」ではセッションの醍醐味の焦点を絞り、傑出したジャズ演奏家のリアルなカンバセーションを楽しむことが出来る。このアルバムは、三部作に取り組んだジャズマン、チャールズ・ロイドの変わらぬクリエイティヴィティーの高さを象徴づけるにとどまらず、ジャズの演奏家として二十代のような若い感性を擁している。これはほとんど驚異的なことです。

 

また、本作にはジャズにおける物語のような作意もわずかに感じられる。クローズ「Defiant, Reprise; Homeward Dove」は、ピアノとウッドベースを中心にジャズの原点に返るような趣がある。この曲は、ロイドの新しい代名詞となるようなナンバーと言っても過言ではないかもしれません。



95/100

 


Charles Lloyd 『The Sky Will Still Be There Tomorrow』の日本盤はユニバーサルミュージックから発売中。公式サイトはこちら。 

 


「Defiant, Tendder Warrior」

 zakè 『B⁴+3 』

 

 

 

Label: zakè drone recordings

Release: 2024/03/08

 

 

【Review】



zakèはザック・フリゼル(Zack Frizzell)のアンビエント/ドローンの別名義であり、アメリカでは「Past Inside the Present」のレーベル・ボスでもある。反復と質感のあるアンビエントドローンが彼のオーディオ・アウトプットの真髄である。ザック・フリゼルは、Pillarsのオリジナル・ドラマーとして活動し、以前、dunk!records / A Thousand Armsから「Cavum」をリリースし、高評価を得た。dunk!recordsからの初のソロ・リリースは、スロー・ダンシング・ソサエティとのコラボ・リミックス・トラックで、ピラーズの「Cavum Reimaged」2xLPに収録されている。


『B⁴+3 』は「煉獄状態におかれたまま」の状態を表しており、未完成のものをそのままにしておく。それはつまり、アルバムの音楽の向こう側に、余白や続きがあることを示唆している。zakèのアルバムでのアプローチは一貫している。グリッチノイズ、ヒスノイズ、ホワイトノイズをアンビエントやダウンテンポの中に散りばめ、精妙な感覚をドローン音楽の形で表現する。アウトプットの手法は、ニューヨークのラファエル・アントン・イリサリに近いものがある。

 

しかし、イリサリの最新リマスター作『Midnight Colours』がディストピアへの道筋を示したものであるとするなら、ザックのアンビエントはその先に続くユートピアへの道筋を暗示する。しかし、「人々が天国と地獄の中間にある煉獄に置かれたまま」と仮定するなら、このアンビエント作品は先見の明があり、理にかなったものだと言える。

 

どこまでも永続的であり、まったく終わることのない抽象音楽がリスナーの前に用意されている。多くのポピュラーやロックとは異なり、ザックの音楽は聞き手に1つの解釈を強制することはない。何かを強いるということは受け手の心を締め上げる行為である。


 

彼は、無限の選択肢を用意し、それを受け手に投げかけ、恣意的にその中にある解答を受け手に選ばせる。それが良いものなのか、悪いものなのかを決めるのは、受け手次第なのであり、無数の解答が用意されている。ある意味では、それは「受け手側が作り出した影の反映」とも言うべきものである。さながらブライアン・イーノが開発した「オブリーク・ストラテジーズ」や、ブラック・ボックスの中にあるカードを引くかのようでもあり、受け手次第により、音楽の意義も異なるものに変わる。zakèが差し出した7つの無色透明のカードに書かれている音楽的言語の意味がナンセンスと取るのか、それとも、有意義であるかを選ぶのは受け手次第である。音楽そのものが、受け手側の解釈や価値観、あるいは、意識がどの階層にあるのかによって、理解度や解釈が異なるのと同じように、zakèの音楽は1つの価値観にとどまることはない。

 

ただ、アルバムの中に流れる音楽が、何らかの意図に欠けたもので、設計もなしにランダムに制作されたと思うのは早計となるかもしれない。本作に流れるアンビエントは無限の時間の中に存在するように思える一方、地形的な起伏が設けられ、その中に複数のアクセントが置かれている。山岳地帯の精妙な空気感を反映したようなドローン・アンビエントの抽象的な音像の中には、デジタルの信号を刻した効果音(SE)が導入され、それが曲の中にアクセントをもたらしている。

 

アルバムの収録曲は、「記号論のアンビエント」として制作されており、仮に、1から7曲までを別のアルファベットや数字、ローマ数字に置き換えることも出来るかもしれない。少なくとも、アルバムの収録曲ごとに調性と雰囲気を変え、制作者が意図する「煉獄におかれたままであるということ」を段階的に表現しているということが、リスニングを通して伝わってくる。それは記号論的に言えば、AーGまでの7つの表層的な音楽が別の意図を持ち、異なる性質を持ち、そして、煉獄の中にある異なる段階を表しているとも解釈することが出来る。例えば「A」という階層に親近感を覚える受け手もいるだろうし、最後の「G」という階層に心地よいものを覚える受け手もいる。いわば受け手のアンテナの周波数の差により音の解釈が変わるのだ。

 

因数分解のような不可解な数式をタイトルに冠した曲は、例えば、他にもウィリアム・バシンスキーの『On Time Out Of Time(2019)』のクローズに収録されている「4(E+D)4(ER=EPR)」がある。また、数学的な周波数を元にグリッチを発生させるアーティストとして、パリを拠点に活動している池田亮司が挙げられる。これらのアーティストは、前の時代の黄金比や純正律といった音楽の音階の基礎を作り出した方法論に対し、新しい意義を与えようというグループである。zakèに関しても、同じように7つの曲の中で異なる調性の階層を設けている。良く聴くと、アンビエント・ドローンのアウトプット方式も若干異なることが理解出来るはずである。それは、グリッチノイズやホワイトノイズの出力方式、あるいは王道の抽象的なサウンドスケープを呼び覚ますためのシークエンス、パンフルートのプリセットをアレンジしたパッドの音色、そしてシンセの波形を操作し、パイプオルガンのような音色を作り、それらをスウェーデンのアーティストのように保続音として伸ばすというもの。このアルバムに収録された七曲それぞれに、ザック・フリゼルは異なる意匠を凝らし、バリエーションをもたらしている。


 

78/100

 

 


 Kim Gordon 『The Collective』



 

Label: Matador

Release: 2023/03/08


Listen/ Stream



【Review】

 


ニューヨークのアンダーグランドシーンの大御所のジョン・ケールがソロ・アルバムをリリースしたとなれば、手をこまねいているわけにはいかなかったのだろう。ノイズロックとアートロックを融合させた『No Home Record』に続く『The Collective』は、ボーカリストーーキム・ゴードンがいまだ芸術的な感性を失わず、先鋭的なアヴァンギャルド性とアイデンティティを内側に秘めていることを明らかにする。

 

キム・ゴードンはこのアルバムを通して、ヤー・ヤー・ヤーズ(YYY’s)、リル・ヨッティ(Lil Yachty)、Charli XCX,イヴ・トゥモア(Yves Tumor)といった現代のポピュラーシーンに一家言を持つバンドやアーティストとコラボレーションを行い、同じように、一家言を持つレコードを制作したということになる。


アルバムの冒頭を飾る「BYE BYE」ではNYドリルが炸裂し、不敵なスポークンワードが披露される。ノイズロックとオルトロックを通過した、いかにもこのアーティストらしいナンバーは、ソニック・ユース時代からの定番のノイズ・ギターによって絡め取られる。そんな中、縦横無尽に張り巡らされた蜘蛛の巣を縫うかのように、スタイリッシュかつパンチ力のあるボーカルを披露する。ロックシンガー、そしてラッパーでもあるキム・ゴードンは、それらの合間のアンビバレントな領域を探ろうと試みる。


このレコードは率直に言えば、旧来のロックという文脈からしばし離れ、ハイパーポップの領域へと歩みを進めたことを示唆している。アプローチが多少遊び心に満ちているとは言え、ゴードンのボーカルは従来と変わらず緊張感があり、リスニングに際して程よいストレスを生じさせる。それはつまり、このレコードがヘヴィネスの切り口から制作されていることを示すのである。


二曲目の「The Candy House」では、NYドリルとトラップをかけあわせた前衛的なスタイルを介し、JPEGMAFIA、Billy Woods、Armand Hammerといった米国のアブストラクトヒップホップシーンの最前線にいる、いかにもやばげなラッパーの感性を吸収しようとする。


''甦るロックとラップの吸血鬼''ーーそんな呼称がふさわしいかは定かではないが、実際のところ、ニューヨークのアンダーグランドの気風を吸い込んだロックとラップの融合は、先鋭的な気風を持ち合わせている。

 

最初期のソニック・ユースの象徴的なサウンドと言えばメタルに近い硬質なノイズギターが挙げられるが、サーストン・ムーアが不在だとしても、3曲目「I Don't Miss A Mind」では文字通り、それらの原初的なノイズ性(アーティストが持つスピリット)を未だに失っていないことを示唆している。


インダストリアル・ロック風の苛烈なノイズに支えられ、NYドリルの先鋭的なリズムを交え、”ノイズ・ラップ”とも称すべきスタイルにより、JPEGMAFIAのアブストラクト・ヒップホップに肉薄していこうとする。


トラックに乗せられるライオットガールを基調としたアジテーションに富むゴードンのボーカル。そこに加えられるわずかなメロディー、セント・ヴィンセントのシンセポップの風味。これらは、この数年間、ゴードンが現代のミュージックシーンに無関心ではなかったことを象徴付けている。そして、改めてアーティストが知る最もクールな手法でそれらを体現させている。

 

ラップとノイズの融合性は、続く「I'm A Man」により、最高潮に達する。アーティストは、現代的なノンバイナリーの感覚や、トランスジェンダーの感覚を聡く捉えながら、まるで秘められた内的な男性性、獣的な感性を外側に開放するかのように、ワイルドで迫力のあるボーカルを披露する。

 

シネマティックなサウンドはビートの実験性と結びつくこともある。「Tropies」では、ハリウッド映画のアクションシーン等で使用されるオーケストラ・ヒットをラップのドリルから解釈し、前衛的なリズムを生み出す。そして、ゴードンは、ハリウッドスターやムービースターに与えられる栄誉に対し、若干のシニカルな眼差しを向ける。


それはゴードンによる「横目の疑いの眼差し」とも呼ぶべきものである。そのトロフィーは墓場に持っていくほど価値のあるものなのか、というような現代的な虚栄に対する内在的な指摘は、ライオット・ガールの範疇にあるボーカルという表現を以て昇華される。そして、そこには確かに華美なアワードやレセプションに見いだせる虚偽への皮肉や揶揄が含まれている。これが奇妙な共感やカタルシスを呼び起こす。

 

キム・ゴードンは根幹となる音楽観こそ持つけれど、決して決め打ちはしない。アルバムの中に見えるノイズロック、ヒップホップという2つの両極的な性質は、常にせめぎ合い、収録曲ごとにどちら側に傾くのか全然分からない。いわば、曲の再生をしてみないと、どちらの方向にかたむくのか分からないという「シュレディンガーの猫」のような同時性とパラレルの面白みがある。


続く「I’m A Dark Inside」では、ブレイクビーツの手法を選び、ノイズと融合させる。音が次の瞬間に飛ぶようなトリッピーな感覚を活かし、Yves Tumorのデビューアルバムに近い音楽の方向性を選んでいる。それに「No New York」の頃の前衛性とサイケデリアの要素を加えているが、それは最終的に「ハイパーポップのノイズ性」というフィルターを通してアウトプットされる。


また、方法論的なディレクションが全面的なレコードの印象を作るが、感覚的で抽象的な音楽も収録される。「Pychedelic Orgasm」ではアーティストの中に棲まう2つの人格を対比させながら、ソニック・ユース時代から培われたスポークンワードに近いクールなボーカルで表現しようとする。


音楽表現という範疇に収まらず、ボーカルアート、パフォーミングアートという切り口からゴードンは語りを解釈し、2つの性質を持ち合わせたボーカルを対角線上に交差させる。そして、その2つの別の性質を持つエネルギーを掛け合わせ、中心点に別の異なるエネルギーを生じさせる。これは平均的な歌手ではなしえない神業で、新しいボーカル・パフォーマンスの手法が示されたと見て良い。ここにも音楽的な蓄積を重ねてきたゴードンの真骨頂が垣間見える。

 

ヒップホップのドリルという比較的オーバーグラウンドに位置する音楽スタイルを選ぼうとも、その表現性がNYのアンダーグラウンドの系譜の属するのは、ゴードンが平凡なミュージシャンでないことの証である。

 

「Tree House」では、アーティストが知りうるかぎりのアヴァン・ロックの手法が示されている。ガレージロック、「No New York」のノーウェイヴ、ドイツのインダストリアルロックがカオスに混ざり合いながら、アナログレコードの向こうから流れてくるかのようだ。レコードの回転数を変えるかのように、ローファイな質感を持つこともある。この曲には、10年どころか、いや、それ以上の時間の流れていて、30年、40年のアヴァン・ロックの音楽が追憶の形式をとり、かすかに立ち上ってくる。


終盤でも、ゴードンがソニック・ユースやソロ活動を通して表現しようとしてきたことの集大成が構築されている。そこには一部の隙もなければ、遠慮会釈もない。「Shelf Warmer」では、ロンドンのドリルに近い手法が示される。しかし、オーバーグラウンドの音楽に属するとはいえども、商業主義やコマーシャリズムに一切媚びることなく、絶妙なラインを探っている。続く「The Believer」は、インダストリアル・ノイズに精妙な感覚を織り交ぜたワイアードなサウンドである。

 

クローズでは、Sleaford Modsの英国のポストパンク(当局が宣伝するものとは異なる)を吸収して、ゴツゴツとした硬派な感覚のあるアプローチを図る。そこに、盟友のYYY'sのサイケ・ガレージの色合いを添えていることは言うまでもない。『The Collective』はロサンゼルスでレコーディングされたアルバム。にもかかわらず、驚くほどニューヨークの香りが漂う作品なのである。



80/100

 


Best Track‐ 「Dream Dollar」

Bleachers 『Bleachers』


 

Label: Dirty Hit

Release: 2024/03/10

 

Purchase

 



 

デビュー・アルバムのアートワークがその多くを物語っているのではないだろうか。モノトーンのフォトグラフィ、ジョージ・ルーカスの傑作『アメリカン・グラフィティ』に登場するようなクラシックカー、そして、ニュージャージー郊外にあるような家、さらには、そのクラシックカーに寄りかかり、ナイスガイの微笑みを浮かべるアントノフ。テイラー・スウィフトのプロデューサーという音楽界の成功者の栄誉から脱却し、ロックグループとして活動を始めたアントノフの意図は火を見るよりも明らかである。アントノフが志すのは、米国のポピュラー音楽の復権であり、現代的なシンセポップやソフト・ロックの継承である。そしてなにより、空白の90年代のアメリカンロックの時間を顧みるかのような音楽がこのデビューアルバムを貫く。

 

ブリーチャーズのサウンドを解題する上で、アメリカン・ロックのボスとして名高いブルース・スプリングスティーンが少し前、後悔を交えて語っていたことを思い出す必要がある。ボスは80年代に『Born In The USA』で商業的な成功を収め、アメリカンロックの象徴として音楽シーンに君臨するに至る。しかし、スプリングスティーンのファンはご存知の通り、ボスは90年代にそれほど象徴的なアルバムをリリースしなかった経緯がある。本人曰く、実は結構、録り溜めていた録音こそあったのだったが、それが結局世に出ずじまいだったというのだ。


しかし、音楽的な傾向として見ると、現在は、むしろ80年代のソフト・ロックやAOR、そして、それより前の時代のニューウェイブに依拠したサウンドの方が隆盛である。そして、アントノフのブリーチャーズは、改めて90年代以降に軽視されがちだった80年代のスタンダードで健全なアメリカンロックに焦点を絞り、それをサックスを中心とする金管楽器の華やかな編成を交えたロックで新しいシーンに一石を投ずるのである。アントノフのサウンドは、ブルース・スプリングスティーン、ビリー・ジョエルのロックソング、フィル・コリンズのソフト・ロック、ジョージ・ベンソンやダイアナ・ロスのロックにかぎりなく近いR&B/ファンクとアーティストの並々ならぬ音楽への愛着が凝縮され、それがプロデューサー的なサウンドに構築されている。


 以前、アルバム発売前にアントノフがバンドとともに米国のテレビ番組に出演した時、アントノフはヴォーカルを披露しながら、自分でボーカルループのエフェクターを楽しそうに操作していた。ボーカルの編集的なプロダクションをライブで披露するという点では、カナダのアーケイド・ファイアと同じ実験的なロックサウンドを彼は志向している。それはプロデューサーとしては世界的に活躍しながらも、ミュージシャンとして表舞台に戻ってこれたことに対する抑えきれない喜びが感じられる。アントノフはプロデューサーになる前からバンド活動を行ってきたのだから、演奏者としての原点に戻ってこれたことに歓喜を覚えているはずなのである。なぜなら彼は、過去のグラミー賞の授賞式で次のような趣旨の発言を行った。「グラミー賞の栄誉に預かるのは、人生のどこかで、すべてを投げ捨てる覚悟で頑張ってきた者に限られる」と。おそらくアントノフもそういった覚悟でプロデューサーとしての道のりを歩んできた。


 

ということで、このアルバムはプロデューサーではなく、バンドマンとしての喜びが凝縮されている。本作の冒頭を飾る「I Am Right On Time」はニューウェイブ系のサウンドに照準を絞り、ミニマルなテクノサウンドを基調にしたロックが展開される。アントノフのボーカルはサブ・ポップからもう間もなくデビューアルバムをリリースする''Boeckner''のような抑えがたい熱狂性が迸る。アントノフは意外にも、JAPAN、Joy Divisionの系譜にあるロートーンのボーカルを披露し、トラックの背景のミニマルなループをベースにしたサウンドに色彩的な変化を及ぼそうとする。サビでは、今年のグラミー賞の成功例に即し、boygeniusのゴスペルからの影響を交え、魅惑的な瞬間を呼び起こそうとする。曲全体を大きな枠組みから俯瞰する才覚は、プロデューサーの時代に培われたもので、構成的にもソングライティングの狙いが顕著なのが素晴らしい。

 

「Modern Girl」は近年の米国の懐古的な音楽シーンに倣い、 ホーンセクションをイントロに配し、ビリー・ジョエルやブルース・スプリングスティーン、ジョージ・ベンソンのようなR&Bとロックの中間にあるアプローチを図る。Dirty Hitのプレスリリースでは、結婚式のようなシチュエーションで流れる陽気なサウンドとの説明があり、そういったキャッチコピーがふさわしい。華やかなサウンドとノスタルジックなサウンドの融合は、ブリーチャーズの真骨頂となるサウンドである。そこにブライアン・アダムスを彷彿とさせるアメリカン・ロックの爽快な色合いが加えられると、軽妙なドライブ感のあるナンバーに変化する。コーラスにも力が入っており、テイラー作品とは別の硬派なアントノフのイメージがどこからともなく浮かび上がってくる。


 

ニューウェイブからの影響は、続く「Jesus Is Dead」に反映されている。ドライブ感のあるシンセがループサウンドの形を取ってトラック全体に敷き詰められ、 ぼやくように歌うアントノフのボーカルには現代社会に対する風刺が込められている。ただ、それほど過激なサウンドになることはなく、The1975のようなダンサンブルなロックの範疇に収められている。バッキングギターとベースの土台の中で、シンセのシークエンスの抜き差しを行いつつ、曲そのものにメリハリをもたらす。このあたりにも名プロデューサーとしてのセンスが余すところなく発揮される。

 

続く「Me Before You」は、ドン・ヘンリーのAORサウンドを織り交ぜた、バラードともチルウェイブとも付かない淡いエモーションが独特な雰囲気を生み出す。現代的なポピュラーバラードではありながら、その中に微妙な和音のポイントをシンセとバンドアンサンブルの中に作り出し、繊細な感覚を作り出そうとしている。また80年代のソフトロックをベースにしつつも、アルト/テナーサックスの編集的なプロダクションをディレイとリバーブを交えて、曲の中盤にコラージュのように織り交ながら、実験的なポップの方向性を探ろうとする。しかし、アントノフのプロダクションの技術は曲の雰囲気を壊すほどではない。ムードやアトモスフィアを活かすために使用される。アンサンブルの個性を尊重するという点では、ジョン・コングルトンの考えに近い。このあたりにも、良質なプロデューサーとしてのセンスが発揮されている。

 

先行シングルとして公開された「Alma Mater」は、解釈次第ではテイラー・スティフト的なトラックと言える。ただもちろん、テイラーのボーカルは登場せず、そのことがイントロで暗示的に留められているに過ぎない。イントロのあと、雰囲気は一変し、渋さと深みを兼ね備えたR&B風のポップスへと変遷を辿る。ボーカルのミックス/マスターにアントノフのこだわりがあり、音の位相と音像の視点からボーカルテクスチャーをどのように配置するのか、設計的な側面に力が注がれている。実際に、それらの緻密なプロダクションの成果は淡いエモーションを生み出す。そして色彩的な音楽性も発揮され、それらはダブルのサックスの対旋律的な効果によりもたらされる。曲の後半では確かにレセプションのような華やかな空気感が作り出される。

 

 「Tiny Moves」はジョージ・ベンソンを彷彿とさせるアーバンコンテンポラリー/ブラックコンテンポラリーを下地に古典的なゴスペル風のゴージャスなコーラスをセンスよく融合させる。この曲は本作の中でもハイライトを形作り、アートワークのクラシックカーや、アメリカの黄金期、そしてナイスガイなイメージを音楽的に巧みに織り交ぜる。リスナーはアメリカン・グラフィティの時代のサウンドトラックのようなノスタルジックな感覚に憧れすら覚えるだろう。


「Isimo」は映画好きとしてのアントノフの嗜好性が反映され、実際にシネマティックなポップが構築されている。ブリーチャーズが表現しようとするもの、それは現代の米国のポップシーンの系譜に位置し、アメリカのロマンス、そして黄金期の時代の夢想的な感覚である。それらは実際に夢があり、気持ちを沸き立たせるものがある。そしてここでも80年代のマライア・キャリー、ホイットニー・ヒューストンのようなダイナミックなポピュラー・ソングをバンドアンサンブルとして再解釈し、あらためてMTVの最盛期の音楽の普遍性を追求しようとしている。

 

アルバムは後半部に差し掛かると、いきなり、クラシックな音楽からモダンな音楽へとヴァージョンアップするのが特に心惹かれる点である。#8「Woke Up Today」はバンジョーのようなアコースティックギターの演奏を生かしたフォークソングだ。 この曲で、ブリーチャーズはやはりアパラチアフォークや教会音楽のゴスペルといったアメリカの文化性の源泉に迫り、 ニューイングランドの気風を音楽的な側面から探求する。ゴスペル風のコーラスにこだわりがあり、それが吟遊詩人的なアパラチア・フォークの要素で包み込まれる。草原の上に座りこみ、アコースティックを奏でるような開放感、ブルースの源流をなすプランテーション・ソングを高らかにアントノフは歌う。それは19~20世紀初頭の鉄道員のワークソングのような一体感のある雰囲気を生み出す。続く「Self Respect」でもミニマル・ミュージック/テクノを下地にし、パルス状のシンセをベースに、USAの文化の原点に敬意を表す。そして、敬意と愛、そして慈愛に根ざした感覚は、ゴスペルの先にある「New Gospel」という現代的な音楽を作り出す契機となる。

 

ジミ・ヘンドリックスの名曲に因んだ「Hey Joe」ではアコースティック・ブルースの要素が現れる。アントノフとブリーチャーズはジョン・リー・フッカーやロバート・ジョンスンよりもさらに奥深いブルースソングに迫り、それを現代的に変化させ、聞きやすいように昇華させる。それらの音楽的な礎石の上に、アントノフは現代的な語りのスポークンワードを対比させる。ロックやブルースへのアントノフやバンドの愛着が凝縮されているが、それは決して時代錯誤とはならず、徹底して新しい音楽や未来の音楽に彼らは視線を向け、それを生み出そうとする。



アルバムの残りの4曲はジョン・バティステのような現代の象徴的なR&B、オートチューンをかけたシーランのようなポピュラーソングが付属的に収録されている。アルバムを聴いてくれたリスナーへのねぎらいとも取れるが、その中にも次なるサウンドへの足がかりとなる要素も見いだせる。


例えば、「Call Me AfterMidnight」はクインシー・ジョーンズのアーバン・コンテンポラリーを受け継ぎ、そのサウンドをAOR/ソフト・ロックの文脈から解釈している。その他にも、「We' Gonna Know Each Other Forever」は友情ソングともいえ、それは映画のクライマックスを彩るエンディングのようなダイナミックなスケールを持つポピュラーバラードの手法が選ばれている。

 

「Ordinary Heaven」でもアルバムの冒頭と同様にゴスペル風のコーラスワークを交えてポピュラーソングの理想形を作り出そうと試みる。クローズ「The Waiter」はオートチューンのボーカルを駆使し、2010年代のシーランのポピュラー性を回顧しようとしている。思っていた以上に聴きごたえがある。


『Bleachers』の序盤には、アントノフとバンドの才覚の煌めきも見えるが、アルバムの終盤が冗長なのがちょっとだけ難点で、既存のサウンドの繰り返しになり、反復が変化の呼び水になっていないことがこのアルバムの唯一の懸念事項といえるかもしれない。ただ、デビュー作して考えると、注目すべき良質なポップナンバーが複数収録されている。本作をじっくり聴いてみると、アントノフ率いるブリーチャーズが何を志すのかありありと伝わってくるはずである。

 

 

 

Best Track- 「Tiny Moves」

 




82/100




Bleachers:




明るくソウルフルなテクニカラーに彩られた「Bleachers」では、バンドのサウンドに豊かな深みがある。このアルバムは、フロントマンのアントノフが、現代生活の奇妙な感覚的矛盾や、文化における自分の立場、そして自分が大切にしているものについて、ニュージャージーならではの視点で表現したものだ。


サウンド的には、悲しく、楽しく、ハイウェイをドライブしたり、泣いたり、結婚式で踊ったりするための音楽だ。クレイジーな時代にあっても、大切なものは忘れないという、その心強さと具体的な感情に触れることができる。


2014年にデビュー・アルバム「Strange Desire」をリリースしたバンドは、3枚のスタジオ・アルバムで熱狂的な支持を集め、印象的なライヴ・ショーと感染力のある仲間意識で有名になった。前作「Take the Sadness Out of Saturday Night」では、アントノフの没入感のあるソングライティングと、Variety誌が証言するように「個人的なストーリーを、より大きなポップ・アンセムに超大型化する」生来のスキルが披露され、バンドは新たな高みへと到達した。


ブリーチャーズでも、ソングライター、プロデューサーとしても、2021年にBBCから「ポップ・ミュージックを再定義した」と評価されたアントノフは、テイラー・スウィフト、ラナ・デル・レイ、ザ・1975、ダイアナ・ロス、ローデ、セント・ヴィンセント、フローレンス+ザ・マシーン、ケヴィン・アブストラクト等とコラボレートしてきた。

 寺田創一(Soichi Terada) 『Apes In The Net』


 

Label: Far Eat Recording

Release: 2024/ 03/08

 


Review

 

 

日本のハウスシーンの先駆者、寺田創一。『Apes In The Net』はプレイステーション用ゲーム『Ape Escape』(サルゲッチュ)のサウンドトラックからの6曲を集めたコンピレーションである。


ドラムンベースやブレイクコア、もしくはアシッド・ハウスを思わせるエレクトロが凝縮されている。寺田さんはゲーム音楽で知られるサウンドクリエイターではあるものの、実際の作品を聴くと、スクエアプッシャーに匹敵するほど本格派のプロデューサーで、熟練の卓越した技術を感じる。

 

APHEX TWINのデビュー作やSQUAREPUSHERの実質的なデビュー作『Feed Me Weird Things』の系譜にあり、デトロイトハウスの直系に位置する。近年のブレイクビーツやドラムンベースに親しんでいるリスナーにはリズムがシンプル過ぎるように感じられるかもしれない。


しかし、その簡素さゆえに、寺田のダンスミュージックは本格派の雰囲気を醸し出す。それに加え、寺田は、SF的なアナログシンセやMIDIのアウトプットの手法を知り尽くしている。ゲーム音楽で培われた熟練のプロデューサーによる思慮に富んだビートメイクは、ゲームセンターのビートマニアのはるか上を行き、エレクトロの真髄ともいうべき硬質なグルーブ感を生み出す。

 

「Spectors Factory」では4つ打ちのデトロイトハウスに焦点を絞りつつも、ブレイクコアのようなマニアックなクラブ・ミュージックの性質が反映されている。この曲は日本のゲーム音楽がオーケストラとともにダンスミュージックを中心として発展してきたということを思い返させてくれる。


原始的なハウスのビートのシークエンスを執拗に繰り返しながら、そこにちょっとした脚色、つまり、コナミの名作ゲーム『グラディウス』のようなスペーシーな色合いを加えている。性急なビートが矢継ぎ早にボクシングのジャブのように繰り出されるが、アシッド・ハウスを吸い込んだ奇妙な高揚感がリスナーを惑乱と幻惑の奥底へと誘う。


基本的なシークエンスにローエンドのベースライン、ゲームサウンドのチップ・チューンのマテリアルが宝石のように散りばめられ、まるでビートそのものが宙を舞うような高揚感を生み出す。ハウスをベースにしながらも電気グルーブのレイヴ・ミュージックのような恍惚とした感覚を生み出すのだ。

 

「Coaster」は原始的なドラムンベースを下地に置いたトラックで、SQUAREPUSHERが得意とするアウトプットに近いニュアンスも見いだせる。ベースラインはドラムンベース寄りだと思うが、ハイエンドに導入されるゲームのSEのような効果音は、初期のSQUAREPUSHERに近いニュアンスである。時々、その中に細分化され、圧縮されたビートが付属的に導入されると、楽曲はにわかにドラムンベースからドリルンベースに近づいていく。これらはベースやリズムの徹底した細分化が行われた90年代のテクノを復習するような内容となっている。クラブミュージックの実制作者にとっても参考になるのではないか。トラックの中盤ではスリリングな展開が訪れ、聞き苦しくない程度にノイズやグリッチの要素が付け加えられる。シンプルなドラムンベースではあるものの、複雑化したこの最近のジャンルを見るにつけ、新鮮なものが感じられる。


「Spectors」はAPHEX TWINの「Come To Daddy」の時代のテクノの系譜にあり、それほど過激なアプローチはないにせよ、先鋭的な要素が感じられる。ビートに対するメロディーは「グラディウス」やインベーダーゲームの系譜にあり、癒やしの感覚が漂う。8ビットで音楽を出力していた時代のチップチューンやアナログのテクノの懐かしさをどこかに留めている。曲の中盤でブンブン唸るベースラインは迫力があり、寺田サウンドのオリジナリティーが刻印されている。曲の終盤では、ゲームセンターで聞こえるプリクラのSE的な効果がファンシーな雰囲気を醸し出す。これらはゲームのサウンドクリエイターとしての手腕が凝縮されている。

 

『サルゲッチュ』のゲームは1999年にソニーから発売されたが、続く「Haunted House」を聴くと、いかにこのサウンドトラックが時代の最先端を行くものであったのかがわかる。


このトラックでは、アシッド・ハウスの手法を選んでいるが、ゲームの射幸性と熱狂性を表すとともに、長時間のゲームプレイに耐えうるように、音楽のなかに落ち着きと静けさが織り交ぜられている。また、ここには、サウンドデザイナーとしての寺田の手腕が遺憾なく発揮されている。どのシークエンスをどこに配置するのかという設計者としての直感が満載なのである。


リズムやビートは90年代のUKテクノの系譜にあり、シークエンスの中に、細分化され圧縮されたリズムが導入される。とにかく理論的なアウトプットの手段を選ぼうとも情感を失わないのが凄い。リードシンセやシークエンスを散りばめ、ミステリアスな感覚を生み出す。このトラックは今聴いても新しいエレクトロなのだ。

 

寺田創一はハウスやドラムンベースの基本的なスタイルを選んでいるが、「Mount Amazing」ではエキセントリックでトリッピーな技法が発揮される。寺田は得意とするドライブ感のあるビートを下地に、ピッチベンドを駆使し、トーンのうねりを生み出したり、清涼感のあるピアノのフレーズを散りばめ、安らいだ感覚を生み出す。


BPM、ビートやリズムは性急なのに、奇妙な落ち着きを作り出すプロデューサーとしての手腕は見事としか言いようがない。とりわけ、ピッチベンドの使用はシークエンスだけではなく、ベースラインにも導入され、これが全体的なウェイブのうねりを作り出し、所々に聞き手を飽きさせないような工夫が凝らされている。

 

EPの最後に収録されている「Time Station」 は、シュミレーションのような趣を持つトラックだ。これは、ゲームの効果音がアクション、バトル、ロールプレイングの動きのある側面とは異なる「システムのエディット」という要素があったことに拠る。この曲の中で、寺田はバトルやロールプレイング的なアグレッシヴな要素とは別の安らいだ感覚を電子音楽で示唆している。

 

少なくとも、90年代と00年代の日本の全般的なゲーム音楽は、オーケストラ、映画音楽、ダンスミュージックはもちろん、ロック、メタル、民族音楽など、あらゆる音楽の要素を網羅していた。恐るべきことに、グレゴリオ、古楽、さらには、日本の古典的な民謡に至るまで、驚くべき情報量を誇っていたのだった。EP『Apes In The Net』は、ダンス・ミュージックとしても一級品なのは事実だが、日本のゲームカルチャーの変遷のようなものが示されているのがとても素敵である



 

 

85/100


 Mannequin Pussy 『I Got Heaven』

 



 

Label: Epitaph

Release: 2024/03/01

 

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エピタフから魅惑的なロックバンドが登場。フィラデルフィアのマネキン・プッシーは、ホットなライブアクトとして注目しておきたい四人組。

 

ライオットガールのロックから、それとは対極にあるセンチメンタルまで幅広い音楽のアウトプットを要している。マネキン・プッシーのサウンドはエモに近いスタンスを取るという点ではSlow Pulpにも近い。ただ、マリセ・ダビスとコリンズ・"ベア"・レジスフォード、二人のボーカルのアンバランスさに面白さがあり、マネキン・プッシーの醍醐味が宿っている。ダブルボーカルだと思われるが、キム・ゴードンやグレン・ステファニーを真っ青にさせるようなライオット・ガールになったかと思えば、とは正反対に、Wednesday、Ratboy、Slow Pulpのようなしっとりとした歌を紡ぐ、しとやかなオルトロックのシンガーのスタイルに変わるときもある。


エピタフが最も洗練された作品と銘打つ『I Got Heaven』は、名プロデューサー、ジョン・コングルトンがプロデュースを手がけた。シンプルに言えばオルタナティヴロックの楽園であり、バンドが理想とするサウンドが体現されている。ライオット・ガールとしての魅力は、オープニング「I Got Heaven」とアルバムの終盤の「Ot Her」「Arching」に集約されている。

 

マリス・ダビサの脳天をつんざくようなシャウトは目の覚めるような迫力が宿っている。しかし、ボーカルスタイルはスクリームはメロディアスなパンクサウンドを取り入れたバンドサウンドによりポップ・パンクやスクリーモに近い印象を放つ。新しくはないのだが安定感がある。

 

それとは正反対に二曲目「Loud Bark」は、しっとりとしたオルトロックに転じる。しかも月並みなオルタナティヴではない。そこにはちょっとした可愛らしいガーリーな趣味が見え隠れし、ノイジーなサウンドを主体としつつも、そこには微妙なエモーション、そしてセンチメンタルな感覚がスタンダードなロックソングに凝縮されている。現代的なエモソングとも言える。

 

3曲目「Nothing Like」は、ループサウンドとBon Iverや現代的な4ADのプロダクション的なマスタリングをかけあわせたナンバーで、シンプルな魅力がある。ときどき、パンクバンドらしいノイジーなサウンドになったかと思えば、センチメンタルなインディーロックに変化するときもある。バンドアンサンブルの中で、その雰囲気を見て、バリエーション豊かな歌い方をする。

 

4曲目「I Don't Know You」では音楽性の多彩さを見せる。ボサノヴァやワールド・ミュージック、トロピカルやチルウェイブ的な癒やしのあるサウンドはバンドの新たな代名詞的な音楽性と言えるか。バンドアンサンブルとして、シューゲイザーギターの轟音性を織り交ぜるが、これがRentals(マット・シャープのバンド)のようなニッチなポピュラー性を呼び起こすときがある。これらのアプローチはシューゲイザーとドリーム・ポップに位置しており、一曲目と同様に妙な安定感がある。ライブで聴いてみるとよりダイナミックなソングに変身しそうである。

 

マネキン・プッシーのエモの性質は続く「Sometimes」に見いだせる。フランスのエモコアバンド、Sportの代表曲「Reggie Lewis」を思わせるエバーグリーンな感じのイントロに続いて、オルトロック的な疾走感のあるサウンドに移る。このあたりは、日本のナンバーガールや、Mass of The Fermenting Dregsに似ているが、マネキン・プッシーの場合はよりヘヴィなロックへと移行していく。

 

この曲でもシューゲイザー的な轟音性とそれとは対象的なセンチメンタルでナイーブなロックサウンドを展開させる。しかし、サビの部分では、頼もしいほどのライオット・ガールスタイルのボーカルへと変化する。

 

ボーカルを起点として、全体的なバンドサウンドも疾走感とパンチの聴いたサウンドへと変化していく。そして、その中にもエモ的な仕掛けが施されており、昨年のSlow Pulpの「Mud」で見いだせるボーカル・ループ、そして感傷的なボーカルスタイルへと変わる。

 

マネキンプッシーは続く「OK! OK! OK! OK!」で90年代のRATMのようなミクスチャーロック、そしてそれ以降のEVANESCENCEのニューメタル・サウンドを巧みに吸収し、よりモダンなパンクサウンドに昇華させている。ベースラインは特にRHCPのフリーのスラップ奏法のような「バキバキ」した音が出ており、ここにベーシストのテクニック性の高さがうかがい知ることが出来る。

 

これらの気分の変調というか、テンションの急激な上昇と下降は、アルバムの終盤でも引き続いている。かと思えば、続く「Softly」はガーリーを越えて、やや乙女チックな領域に入り、リスナーを震え上がらせる。本気でセンチメンタルになっているのかどうかわからないのが面白く、新鮮さがある。しかし、その後も、バンドサウンドがヘヴィ・ロックのスタイルへ進むにつれて、急に人が豹変したようなノイジーなライオット・ガール風のボーカルスタイルに変わる。

 

「Of Her」では、Pissed Jeansの面々を震え上がらせるほどの苛烈なヴァイオレンスを対外的に示し、軟弱なオルトロックに凄まじいドロップキックをお見舞いするという始末。さらにその後、手がつけられなくなり、続く「Aching」ではストレイトエッジに近いハードコアパンク/ニューメタルで、ファッションパンクスに目潰しを食らわせ、息の根を止めにかかる。かと思えば、最後の曲では柔らかいセンチメンタルなオルトロックに回帰する。恐ろしいほどの二面性、多重人格性がバンドの最大の魅力。一体、どっちが本当のマネキン・プッシーなんだろう??

 

 

 

84/100

 

 

 

 Best Track 「I Don't Know You」




アルバムの発表後、「I Don't Know」 の他にも「Sometimes」「Nothing Like」が先行シングルとして公開されています。

Faye Webster 『Underdressed at the Symphony』 

 


 

Label: Secretly Canadian

Release: 2024/03/01


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アトランタ交響楽団のクラシックのコンサートに行く時、フェイ・ウェブスターは着飾った自分を発見する。いつもと違うおしゃれな自分であったり、いつもと違う着飾った自分であったり。たしかにそれはいつもよりも少し素敵だけれど、それは本当の自分ではないことをアーティストは知っている。それはまた、自分の知らなかった自己を知る瞬間とも言うべきなのだろう。

 

そんなわけで、オーケストラ・コンサートをウェブスターは誰よりも愛しているのだけれど、このアルバムではそれとは対極にある日常的な自己のペルソナを探りながら、それを最終的にオーケストラホールの聴衆であるときの非日常的な自分と重ね合わせようとしている。


ある意味で、自己の中にある二面性に焦点を絞り、ファニーなものを愛する砕けた感じの自己、そして、それとは対極にあるフォーマルな自己を表現する。アートワークはそのベンチマークを暗示し、着飾った自己と着飾らない自己を内在させている。ウェブスターは、この2つの自己像を巧みに使い分け、良作を作り上げた。アーティストにとって、音楽の制作に取り組むことは、本来の自己を深く知ることであるとともに、未だ知らなかった自分との遭遇を意味する。

 

アルバムの音楽はソニック・ランチ・スタジオでバンド形式で録音されたが、まるでホームレコーディングで録音をし、その後にミックスやマスターを行ったかのようなベッドルームポップ色の強いサウンドであることは明らかだ。アメリカーナというよりもハワイアンギターに近いスティールギターの音色、グロッケンシュピール、クレスタのようなオーケストラ楽器は、最新作の重要なポイントを作り、フェブスターの音楽に色彩的なイメージを付け加える。一昔前のフュージョン・ジャズ、チルウェイブのトラックメイク、そして、そういった本格派の音楽性とは対極にある、親しみやすく、可愛らしいボーカルの歌い方、これらはすべて自然に作り上げられたものでありながら、相当な計算を元に緻密に構築されている。しかし、それらの計算高さは、鼻につく感じにはならないのは不思議でならない。いわば、そのファニーな感じを元に音楽をたぐり寄せると、フォルムの印象とは別の上質な素材を見つけることが出来るのだ。

 

アルバムの冒頭で以上のようなことはすべて表されている。「Thinking About You」はちょっと斜に構えたようなラブソングだが、驚くほどシンプルで爽快な感覚に彩られている。リードボーカルを強調するグロッケンシュピールも、それと交差的に導入されるギターラインの音色もすべてがシンプルで裏がない。考えようによっては自分の感情をそのままボーカルに乗せている。それらのメロディーを背後から支えるドラムのプレイも無駄な装飾はなく、着飾らないアーティストが表され、それがちょっと高い場所にいる憧れの自分を慈しみの眼差しで見つめるのだ。曲は日曜の午後の微睡みのように流れていくが、大きなダイナミックスを設けることなく、ローファイやチルウェイブを含めた痛快なインディーポップサウンドが爽やかに駆け抜ける。


続く「But Not Kiss」は同じ系統にあるラブ・ソングに思えるが、アーティストのインディーロッカーとしての性質が垣間見える。


スロウコアやサッドコアの系譜にあるイントロのギターから、ピアノを交えたチェンバーポップへと移行し、スティールギターの音色でメロウなムードが最高潮に達した時、「Gyu Gyu!」という意外性のあるウェブスターのボーカルがそれらのムードの雰囲気を一変させる。


一瞬のブレイクの後、フュージョン・ジャズやロック的な雰囲気のある曲へとその印象が変化する。しかし、いくらかノイジーな展開へと進んだ後、すぐにスロウコアやサッドコア、エリオット・スミスさながらに内省的なオルタナティブフォークに象徴される静かなギターラインへと変遷を辿る。アーティストは曲の展開を決め打ちをすることなく、セクションごとに緻密な構成を組み上げていく。簡素な曲構成ではありながら、その中にはなだらかな感情の起伏が設けられている。これが表面的なファニーな印象とは裏腹に曲そのものに重厚感をもたらしている。

 

「Wanna Quit All The Time」は細野晴臣の「ハネムーン」のようなリゾート的な感覚に充ちている。音楽のジャンル的にはフュージョンジャズをベースにし、それを現代的なチルウェイブへと書き換えている。


アルバムの冒頭の二曲では、ソロアーティストの性質が強いものの、3曲目ではバンドセッションの要素が強い。曲は途中フェードアウトで中断するが、その後、無音のセクションを設けた後、再びフェードインにより、寛いだ感じのライブセッションに舞い戻る。限界まで音楽の情報を雪崩のように詰め込むのではなく、情報量の少なさを元にし、リラックスしたチルウェイブを制作している。これは現代的な情報の過剰さへの反駁、無数に流れる情報からの逃避や、そこから距離を置くことを重んじているとも取れる。

 

西海岸の象徴的なアーティスト、リル・ヨッティの参加も見逃せない。ヨッティはウェブスターの学生時代からの親友であるという。先行シングル「Lego Ring」は、アルバムの中で最もロック的なナンバー。オーバードライブをかけたパンキッシュなベースラインとクランチなギターの融合は、サッカーマミーを彷彿とさせるオルトロック性をもたらすが、ロックの文脈に固執することなく、その後すぐベッドルームポップへと移行する。リル・ヨッティのオートチューンは、必ずしもアーティストがスノビズムにかぶれているわけではないことの表明代わりである。


同じように、ファニーさを徹底して押し出したボーカルにはちょっとした毒気があり、うっかりそこに手を出そうものなら、フェイ・ウェブスターに「がぶり」と噛みつかれることは必須といえる。少なくとも、ボーカルの人間的なものと機械的なものの混在は、現代のポピュラー・ミュージックに対する一石を投じるような意味合いが込められている。


「Feeling Good Today」では、オートチューンをもとにしたモダンなポップソングを聴くことが出来る。オートチューンによりボーカルの単旋律は分裂し、心地よくも奇妙なハーモニーを生み出す。背後のアコースティックギターは、ジャズ的な文脈を元にアップストロークを中心とするプレイが繰り広げられる。アルバムでの一貫したトロピカルな感覚とくつろぎは、この曲でも続き、ときどき、ピアノのフレーズを交えながら、スタイリッシュなポップソングへと昇華している。曲の終盤にかけてのピアノの演奏はアーバン・ジャズ的な雰囲気を生み出す。

 

アルバムの中で先鋭的なリズムを取りいれたナンバー、「Lifetime」はダブステップのリズムを徹底してBPMを落とし、 横乗りのチルウェイブを生み出している。ヨット・ロックや、Poolsideのようにハウスとバレアリックの要素もなくはないが、ウェブスターは一貫してノイズ性を削ぎ落とし、このジャンルの主な特徴であるトロピカルな感じとリゾート的な安らぎを強調する。


音楽的な選択に加え、実際的なサウンドスケープを呼び覚まし、西海岸のビーチで夕焼けとパラソルの群れ、海の向こうに太陽がゆっくり沈んでいくような音像を作り出す。ゆったりとしたリズム、ウェブスターの声、さらにはベース、ドラム、ギター、バンドの緻密なアンサンブルは、波の流れやその先端が夕焼けに染め上げられるサウンドスケープをものの見事に呼び起こす。

 

このアルバムの序盤から中盤にかけては、2020年代らしいモダンなポピュラーサウンドが構築されるが、続く「He Loves Me Yeah!」はビンテージなウェストコーストロックに焦点を絞っている。The Doobie Brothersのようなアクの強いリズムは、しかし、ウェブスターのソングライティング、及び、バンドの手にかかったとたん、爽快感のあるサウンドに変化する。ファニーなボーカルと、ドライブ感のあるシンセが合わさることにより力強いエナジーを放つ。

 

アルバムの終盤になってもフェイ・ウェブスターの音楽的な方向性は一貫しており、1つの線を引いたように繋がっている。「eBay Purchase History」はヒップホップのハナシの系譜にあるソングだが、フェイ・ウェブスターはポップネスという観点から、それを打ち明け話のような形で紡ぐ。

 

アルバムの最後までリラックスした感覚が続く。アメリカーナを通過したバロック・ポップ「Undredded at The Symphony」、Laufeyのソングライティングの同系統にあるジャズ・ポップの影響を反映したクローズ「Tttttime」で終了する。終盤では、少しマンネリに陥りがちなのが難点であるものの、少なくともモダンなポップネスの形骸化に一石を投ずるようなアルバムである。

 

フェイ・ウェブスターのオルタネイトなポピュラーサウンドは、多くのファンを密かに魅了しつづけている。肩ひじをはらずに聞ける軽やかなポップスは、多くの現代の音楽ファンに求められるものでもある。もちろん、NYTを始めとする、ニューヨークのメディアがフェイ・フェブスターを注目のアーティストとして特集で取り上げたのには、それなりの理由があるわけなのだ。

 

 

 

 

82/100

 

 

 

Best Track 「But Not Kiss」

 Pissed Jeans 『Half Divorced』 

 

Label: Sub Pop

Release: 2024/03/04


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アメリカでは、たまに忘れた頃に魅力的なパンク・クルーが登場する。Pissed Jeansはペンシルバニアのハードコアバンドで、結成から20年のキャリアを誇る。今までこのバンドの存在を知らなかったが、実際の音源に触れれば、少なくとも、その活動期間は空虚なものではなかったと理解出来る。

 

パンクには、グループの音楽に内包されるアティテュードや、社会情勢に対してずばり物申すことが不可欠な要素なのだ。もし、それが的を射たものであればあるほど、実際にアウトプットされる音楽にも説得力が籠もるだろうし、より多くのファンを獲得することも出来る。つまり、パンクは、音楽そのものが尖っていれば良いというものでもない。少なくともルーザーから資産家の全方位にむけ、タブー視されていることや、一般的には言いにくいことを、ハードなサウンドに乗せてMCのように痛快にまくしたてる必要がある。かつてはそういったご意見番は、NOFXやGreen Dayといったパンクバンドが担っていたが、そろそろ次の世代が出てこないと、彼らもいよいよ「若い連中は何をやっているのか?」と嘆かわしく思いはじめることだろう。

 

例えば、政治的な揶揄、社会情勢や人生の成功者にたいして「ノー」を突きつけることは、彼らの実際の人生から生じている。バンドが直面した人生の辛酸や皮肉などを中心に、辛辣なハードコアパンク、カオティックハードコアとして昇華される。そこには、世間のいう幸福から遠ざかったことにより、赤裸々なパンクを制作することに躊躇がなくなった見る事もできる。人間誰しも、守るものがあったり、優遇される立場に置かれていると、人生の本質を見失い、そして、表現そのものに遠慮が出てくる。社会的な地位があればなおさら。みずからの発言や表現性により、誰がどんな表情をするのかをあらかじめ予期し、彼らのご機嫌取りしようとばかりに、お体裁の良い言葉や、彼らの気に入るであろう見目好い言葉を矢継ぎ早に投げかけるのだ。

 

そういった虚偽を覆うために奇妙な肩書があり、仰々しい名の元に構成された団体や機構、グループがある。だが、それらは実際、何の役にも立たず、誰も幸福にしない。そもそも、こういった虚偽の元に構成された奇妙な構造を持つ社会が少数の幸福者の下に無数の不幸者を生み出してきた。

 

どのような国家の議会でも聞かれるような言葉。その言葉は確かに配慮に富み、耳障りが良いかもしれないが、その実、そういった嘘くさい言葉は、何も現状を変えることもなければ、大多数の人々を癒やしたり、ましてや救うことなどありえない。なぜなら、それらは成功者、あるいは資本家を喜ばすことしかできず、一般大衆を喜ばすことなど到底なしえないからである。

 

Pissed Jeansが、そもそも他の一般的な人々よりも不真面目であり、真っ当な人生を歩んで来なかった、などと誰が明言出来るだろうのか。少なくとも、彼らのハードコアパンクは不器用なまでに直情的で、フェイクや嘘偽りのないものであるということは事実である。オープニングを飾る「Killing All The Wrong People」は、タイトルはデッド・ケネディーズのように不穏であり、過激であるが、その実、彼らが真面目に生きてきたのにも関わらず、相応の対価や報酬(それは何も金銭的なものだけではない)が得られなかったことへの憤怒である。その無惨な感覚を元にした怒りの矛先は、明らかに現在の歪んだ資本構造を生み出した資本家、暴利を貪る市場を牛耳る者ども、また、そういった社会構造を生み出した私欲にまみれた悪党どもに向けられる。それはパンクの餞であり、彼らなりのウィットに富んだブラック・ジョークなのだ。

 

実際の音楽はカオティック・ハードコアの屈強なスタイルを選んでいるが、これらの曲の中でたえず強調される不協和音は、四人が感じ取る現代社会の悲鳴であり、その中にまみれている不幸者の言葉にならぬ激しい呻きである。これらが長い経験から発生する激烈なカオティック・ハードコアという形で組み上げられていき、PJのサウンドを作り上げていくのだ。その中には、カルフォルニア・パンクの始祖であるBlack Flagのヘンリー・ロリンズのような慟哭もある。

 

バンドのパンクサウンドバリエーションがあり、単調なものに陥ることはほとんどない。オープニングのカオティックハードコアで盛大にぶちかました後、2曲目「Anti-Sapio」ではメロディック・パンクへと舵を取る。彼らのサウンドの下地にあるのは、複数のメディアが指摘しているように、ワシントン、ボストン、あるいは、ニューヨークの80年代から90年代にかけてのオールドスクール・ハードコアだ。彼らのサウンドは、バッド・ブレインズ、バッド・レリジョン、あるいは、ニューヨークのゴリラ・ビスケッツのような象徴的なバンドの系譜に位置する。シンガロング性の高いフレーズを設けるのは、ポップ・パンクに傾倒しているがゆえ。それは以後のドロップキック・マーフィーズやフロッギン・モリーのようなパブ・ロックをメロディックパンクやケルト音楽から再解釈したサウンドを咀嚼しているからなのだろう。Pissed Jeansのサウンドには風圧があり、そして、それが怒涛の嵐のように過ぎ去っていく。

 

3曲目「Helicopter Parent」では、Sub Popのグランジ・サウンドの原点に迫る。『Bleach』時代のヘヴィネス、それ以後のAlice In Chainsのような暗鬱で鈍重なサウンドを織り込んでいるが、それはハードロックやヘヴィメタルというより、QOTSAのようなストーナーサウンドに近い形で展開される。しかし、彼らはグランジやストーナーロックをなぞらえるだけではなく、Spoonのようなロックンロール性にも焦点を当てているため、他人のサウンドの後追いとなることはほとんどない。クールなものとは対極にある野暮ったいスタイル、無骨な重戦車のような迫力を持つコルヴェットのボーカルにより、唯一無二のパンクサウンドへと引き上げられていく。挑発的で扇動的だが、背後のサウンドはブギーに近く、ロックのグルーブに焦点が置かれている。


アルバム発売直前にリリースされた「Cling to a Poison Dream」では、敗残者のどこかに消し去られた呻きを元に、痛撃なメロディック・ハードコアを構築する。アルバムの中では、間違いなくハイライトであり、現代のパンクを塗り替えるような扇動力がある。彼らは自分たち、そして背後にいる無数のルーザーの声を聞き取り、イントロの痛快なタム回しから、ドライブ感のあるハードコアパンクへと昇華している。乾いた爽快感があるコルヴェットのボーカルがバンド全体をリードしていく。リードするというよりも、それは強烈なエナジーを元に周囲を振り回すかのよう。しかし、それは人生の苦味からもたらされた覚悟を表している。バンドアンサンブルから醸し出されるのは、Motorheadのレミー・キルミスターのような無骨なボーカルだ。メタリックな質感を持ち、それがオーバードライブなロックンロールという形で現れる。曲は表向きにはメロディック・パンクの印象が強いが、同時に「Ace Of Spades」のようなアウトサイダー的な70年代のハードロック、メタルの影響も感じられる。アウトロでの挑発的な唸りはギャングスタラップの象徴的なアーティストにも近い覇気のような感慨が込められている。 

 

 

 「Cling to a Poison Dream」

 

 

 

ペンシルバニアのバンドではありながら、西海岸の80年代のパンクに依拠したサウンドも収録されている。そして、それは最終的にワールドワイドなパンクとしてアウトプットされる。これらは彼らのパンクの解釈が東海岸だけのものではないという意識から来るものなのだろう。「Sixty-Two Thousand Dollars in Debt」は、最初期のミスフィッツ、「Black Coffee」の時代、つまりヨーロッパでライブを行っていた時代のブラック・フラッグのサウンドをゴリラ・ビスケッツのハードコアサウンドで包み込む。ボーカルのフレーズはクラッシュのジョー・ストラマーからの影響を感じさせ、ダンディズムを元にしたクールな節回しもある。その中に、現代社会の資本主義の歪みや腐敗した政治への揶揄を織り交ぜる。しかし、それは必ずしもリリックとしてアウトプットされるとはかぎらず、ギターの不協和音という形で現れることもある。バッキングギターの刻みをベースにしたバンドサウンドは親しみやすいものであるが、これらの間隙に突如出現する不協和音を元にしたギターラインが不穏な脅威を生み出し、フックとスパイスを付与している。特に、ギターの多重録音は、PJの代名詞的なサウンドに重厚さをもたらす。

 

その後もブラック・フラッグ的なアナーキストとしてのサウンドが「Everywhere Is Bad」で展開される。相変わらず、不協和音を元にした分厚いハードコアパンクが展開されるが、ここには扇動的で挑発的なバンドのイメージの裏側にあるやるせなさや悲しみが織り交ぜられている。さらに彼らはパンクそのもののルーツを辿るかのように、「Junktime」において、デトロイトやNYのプロト・パンクや、プッシー・ガロア、ジーザス・リザード、ニック・ケイヴ擁するバースデイ・パーティのような、前衛的なノイズパンクへ突き進む。アルバムの序盤で彼らはオーバーグラウンドのパンクに目を向けているが、中盤では、地中深くを掘り進めるように、アンダーグランドの最下部へ降りていく。しかし、その最深部は見えず、目の眩むような深度を持つ。それを理解した上で、彼らはナンセンスなノイズ・ロックを追求しつづける。彼らのアナーキストとしての姿が垣間見え、上澄みの世間の虚偽や不毛な資本主義の産業形態を最下部から呆れたように見つめている。これは確かにルーザーのパンクではあるが、その立ち位置にいながら、まったくそのことに気がづいていない、ほとんどの人々に勇気を与え、彼らの心を鼓舞させるのだ。

 

バンドと彼らが相対する世界との不調和は、世間の人々の無数の心にある苛立ちやフラストレーションを意味しており、それがいよいよ次のトラック「Alive With Hate」で最高潮に達する。挑発的なノイズのイントロに続くボーカルは、腹の底というより、地中深くから怨念のように絞り出され、その後、Paint It Blackを彷彿とさせる無骨なハードコアパンクへと移行する。これらのハードコアパンクは、世間の綺麗事とは対極にある忖度が1つもない生の声を代弁している。

 

地の底を這うようなギターライン、それに合わさるワイアードなノイズ、扇動的なギター、ドラム、ハードコアに重点を置くボーカルが、目くるめく様に繰り広げられる。世の中のたわけきった人々を、彼らはニュースクール・ハードコアの文化に象徴される回し蹴りのダンス、外側に向けて放たれる強烈なエナジーにより蹴散らし、ヘイトをやめようなどと言い、その実、ヘイトを増大させる人々に、「目を覚ませ!」とばかりに凄まじい撃鉄を食らわす。怒涛の嵐の後には何も残らない。Panteraのダイムバック・バレルが墓場から蘇ったかのようだ。

 

アルバムの終盤では、比較的キャッチーな曲が収録されている、しかし、そのキャッチーさは必ずしも上澄みのパンクバンドのものとは一線を画している。


「Seabelt Alarm Silencer」では、80年代のストレート・エッジの性急なビートを元にし、メロディック・ハードコアを展開する。この曲は、Negative ApproachやNegative FXのようなボストン周辺のハードコアのような無骨さとミリタリー・パンクの要素を思わせる。続く「(Stolen) Catalytiic Converter」では、Gorilla Biscuitsのようなニューヨークのハードコアサウンドに立ち返る。ただその中にも現代的な音楽性も伺える。パルス状のシンセは、カナダ/トロントのFucked Upのエレクトロ・ハードコアの系譜にあるが、Pissed Jeansは、それを聞きやすいものにしようとか、親しみやすいものにしようなどという考えはない。ストレートなハードコアサウンドを突き抜けていくのは、耳障りなノイズ、そして、90年代や00年代のミクスチャーロックをベースにしたアジテーションである。


「Monsters」はアルバムの中で最もスリリングなポイントとなる。ボーカルはBad Religionのメロディック・ハードコアをスタイルに属するが、他方、全体的なサウンドとしてはUKのオリジナルパンクやハードコアの系譜にある。どこまでも無骨でゴツゴツとした感じ、一切、忖度やご機嫌取りをしないという生真面目でナーバスな点では、Discharge、Chaos UK、The Exploitedといったカラフルなスパイキーヘア、そして鋲のついたレザー・ジャケットの時代のUKハードコアの影響下にある。もちろん、疾走感のある性急なビートがそれらの屋台骨を形作り、現代的なハードコアがどうあるべきなのかを示している。これらは、Convergeやヨーロッパのハードコアバンドほど過激ではないが、王道にあるハードコアサウンドは、牙をそぎ落とされたファッションパンクばかり目立つ現代のシーンの渦中にあって鮮やかな印象を放つ。彼らはまだパンクが死んでいないことを証し立てる。


アルバムでは、引き出しの多いパンクのスタイルが重厚なサウンドによって展開される。表向きには、ぶっきらぼうな印象もあるが、最後の曲だけは、そのかぎりではない。「Moving On」では、Social Distortionを思わせる渋いメロディック・パンクをベースにし、コルヴェットの唸るようなヴォイスがその上を高らかに舞う。無骨なボーカルであるため、メロディー性は相殺されてしまっているが、サビのシンガロングの部分に彼らの最も親しみやすい部分が現れる。


この曲には、ソーシャル・ディストーションと同じように、カントリーとフォークの影響もわずかに見えるが、まだ残念ながら完全な形で表側には出てきていない。これがもし、ジョー・ストラマーのように、スカやカントリー、フォーク等、パンクの外側にあるジャンルを思い切り盛り込み、それが最も洗練され研ぎ澄まされた時、理想的なサウンドが出来上がるかも知れない。クラフトワークの『Autobahn』を思わせるアルバムジャケットはおしゃれで、部屋に飾っておきたいという欲求を覚えさせる。エミール・シュルトのセンスを上手く受け継いでいる。

 



85/100

 

 

 

Best Track 「Alive With Hate」



『Half Divorced』はSUB POPから3月1日に発売。アルバムからは前作「Sixty-Two Thousand Dollars in Debt」「Moving On」「Cling to a Poisoned Dream」先行シングルとして公開済み。