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 Nilufer Yanya 『My Method Actor』

 

Label: Ninja Tune

Release: 2024年9月13日

 


Review

 

『Method Actor(メソッド・アクター)』について、ニルファーは、曲のコンセプトがどのように生まれたかを次のように語っている。「メソッド演技について調べていたんだけど、読んだところによると、メソッド演技は、人生を左右するような、人生を変えるような思い出を見つけることに基づいているんだ。メソッド演技がトラウマになったり、精神的に安全でないと感じる人がいるのは、常にその瞬間に立ち戻るからなんだ。良いことも悪いこともあるけれど、常にそのエネルギー、自分を定義づける何かを糧にしている。それはミュージシャンになるのと少し似ている。演奏しているときも、最初に書いたときのエネルギーや感情を、その瞬間に呼び起こそうとしている。その瞬間、その瞬間のエネルギーや感情を呼び起こそうとして試みた」

 

ロンドンのシンガーソングライター/ギタリスト、Nilufer Yanya(ニルファー・ヤンヤ)は、多彩な表情を持つ。多角的なクロスオーバー性とハイブリットな音楽性により、2022年頃から熱心な音楽ファンの注目を集めてきた。そして、The Faderが「衝撃的な復活」と称したように、今年の5月頃に、「Like I Say(I Runaway)」を引っ提げて、久しぶりのカムバックを果たした。

 

このシングルでは、2022年のアルバム「Painless」のR&B、ベッドルームポップ、ブレイクビーツ、ラップ、オルタナティヴ・ロック(グランジ)を劇的に結びつけた。歌詞の中では少し棘のあるリリックの表現を取り入れている。それはミュージシャンとしての深化を意味し、人間的に一歩先へと踏み込んだことへの表れでもある。これはアルバムのオープニングを飾る「Keep On Dancing」にも顕著に表れ出ているかもしれない。表向きをなぞらえるソングライティングの影は立ち消え、より深い領域に踏み込むことをためらわなくなった。おそらくそれがシンガーソングライターをして、「より過激なアルバム」と言わしめることになった。過激さとは、表現性において、今までよりも一歩先に踏み込み、未知の領域へと差し掛かることを意味している。実際的に、それは、轟音性の強いディストーションギターに反映される場合がある。しかし、2022年頃の音楽と同様、エレクトリックギターによるサウンド・デザインの趣旨が強い。ヤーニャのギターの演奏の趣旨は、まごうことなきサウンド・デザインなのであり、それらのイメージを的確に体現させ、強調させるのが彼女自身のボーカルというわけである。

 

もうひとつ、これらのサウンド・デザインの方向性は、トラック制作全般にも適用され、ブレイクビーツを反映させたビートメイク、そして、しなるようなリズムに組み合わされるソフトな感覚を持つR&Bのテイストを加え、独立した音楽を構築していく。ヤンヤのソングライティングは、ビートを組み合わせることにより、それらにグルーヴ感を付与し、最終的に、そのグルーブにどのようなギターやボーカルを乗せるべきか、デザインやテキスタイルのような観点から幾つかの可能性を検討するという趣旨である。ゼロからイチを作り出すというよりも、複数ある選択肢からソングライターにとって最善のものを選び、それらを聞きやすく、乗りやすいキャッチーなナンバーへ昇華させる。これらは、人物的なセンスを象徴づけるだけではなく、歌手がファッション的なセンスを重視していることを表す。他の一般的なミュージシャンとは異なり、ニルファー・ヤンヤにとって音楽制作とは、自分に最も似合う服を選び、それらをデコレート、つまり装飾し、まったく想像だにしえない音楽作品へと仕上げるということである。

 

このアルバムでは、本来の自分とは別の何かを演ずることにより、別の視点から本来の自己の姿を見出すという概念的なテーマも含まれていることは事実なのだろうが、それは音楽性の基底にある肉付けのような要素、スクリプトのように内側に埋め込まれており、表面的に表れ出てくることはほとんどない。このアルバムの中に含まれているテーマやイデアは、それはもっと言えば、聞き手側がやって来るのを口を開けて待つだけでは不十分で、自分の方から近づいていかないと発見出来ないのである。つまり、より的確に言えば、受動的なポピュラーアルバムではなく、能動的なリスニングを促されるポピュラーミュージックなのである。このアルバムの真価を求めるためには、みずから、アルバムのジャングルのなかに分け入っていかないといけないかもしれない。それは、表面的な音楽の響きの奥底に、観念的なものが情念の炎のように揺らめき、その炎の幻影を、聞き手は表面的な掴みやすく親しみやすいポピュラーミュージックの渦中に発見することを意味する。つまり、ニルファーの『My Method Actor』は、ミルフィールのような構造を持った奇妙なアルバムなのである。フォークをひとつその表面に差し込むと、その先に別の何かが見出だせる。言い換えれば、音楽というページをめくるたびに、別のストーリーや局面が見つかるという、これまでにあまりなかったタイプの音楽なのである。


 

音楽的に言えば、ベッドルームポップや、エレクトリックギターの細かな演奏をコラージュのように組み合わせ、それらをトラック全体の背景となるヒップホップのビートとかけ合わせる、というスタイルが際立っている。これはしかし、何も最近生み出されたものではなく、2022年のアルバムから続いているスタイルである。ところが、『My Method Actor』では、前作アルバムよりも音楽的な選択肢が広がり、そしてアウトプットの受け皿のようなものが多くなった。それらは、序盤の流れを形づくる「Binding」、「Mutations」という2曲において、メロウでアーバンなネオソウルという形にはっきりと表れている。特に、「Mutations」は前作アルバムの収録曲ほどには派手さはないけれど、よりソングライターとして深い領域へと踏み入れたことを象徴付けている。それはオルタナティヴロック/マス・ロックのギターとネオソウルの艷やかなボーカル、及び、コーラスというフランク・オーシャンの次世代に位置づけられるポスト・ネオソウルのスタイルに立ち表れている。さらに曲の後半では、シンセサイザーによるストリングスを配置させ、R&Bミュージックの中に複数の新しい要素をもたらそうとしている。

 

別のジャンルからの引用や影響を元の自分の音楽的なスタイルとかけ合わせるというこのアルバムのソングライティングの方向性は、続く「Ready For Sun」を聞くとより瞭然かもしれない。オーケストラストリングスをシンセサイザーのシーケンスのように敷き詰め、その空間的な音の処理の中で、何が出来るのかというのが、この曲の目論見であると推測される。それはやはり、前作アルバムの延長線上にあるネオソウルとオルタナティヴ・ヒップホップの中間にある形式をとって繰り広げられる。しかし、注目すべきは、今回のアルバムでは、ヤンヤは必ずしも彼女自身の声を主体としているとは限らないということである。ときには、優雅なオーケストラストリングが前面に出てきたり、ビートがそれと立ち代わりに主体になったりと、流動的な音楽を重視している。もちろん、歌手の声がメインになることもあるのだが、必要以上にその音楽的な空間を専有するということがないのである。そしてこれは、内的な感覚の告白ともいうべき際どい感覚を持つリリックの印象とは異なり、非常に控えめな音楽的な態度を取り、主体となる音楽に対して、一歩距離を置くような姿勢を全面的に維持し続けている。いわばそういった柔軟性のある音楽性が、このアルバムに一度聴いただけでは分からない深みを付与する。

 

ニルファー・ヤンヤの音楽は、制作時の観点における難易度とは裏腹に、それほど難しくなりすぎることはない。基本的には、誰にでも親しめるようなポピュラーアルバムを制作しようとしているのは明らかで、たとえソングライターとしての視点が高い水準にあろうとも、初歩的なリスナーにも聞きやすい曲を制作することを最優先事項にしている。これは作曲家としての親切心であり、過度なサウンドエフェクトや、難解な展開を極力避けて、一貫してグルーヴ感を意識した曲構成を心がけている。これはまた、ニルファー・ヤンヤが構成的な側面に心を配りながらも、感覚的な側面を軽視しないことに理由がある。「なんとなく良い感じ」とヤンヤが言うように、理想的な音楽とは、言葉では言い表せず、また、文章にも出来ない部分があることを踏まえ、それらをしなやかな感覚を持つポピュラー・ミュージックに仕上げる。この感覚的なポピュラー、ロック、R&Bを制作する手腕にかけては、現時点のところ、このシンガーソングライターに比肩する存在は見当たらない。「Call It Love」、「Faith's Late」は、このアルバムにおいて、制作者が単に曲の寄せ集めではなく、音楽性のバリエーションを基にし、一連の流れを持つレコードを制作しようとしたことを伺わせる。そして、反面、少し意外なことに、それは同時に、名曲とまではいかないかもしれないが、良曲を輩出させる重要な契機ともなった。

 

このアルバムでは、音楽そのものが個人的な告白や軽薄なロマンチシズムに終始するのを避けている傾向がある。それでもなお、一貫して、人生の中から引き出される感覚的なものはコントロールされているが、終盤になって、それらの何かに恋い焦がれたり、理想的な人生の側面を追い求めるような、夢想的な感覚が堰を切るようにして溢れ出る。AOR(ソフィスティ・ポップ)、ヨットロック、ボサノヴァを題材にし、80年代のポップのフィルターに通した「Faith's Late」、オルタナティヴフォークをシリアスな風味を持つネオソウルとして解釈した「Just A Woman」に反映させている。これは古典的なポップやソウルをアーティストが咀嚼していることの証でもある。現代的なものを作り上げるためには、時々、過去にも目を向けねばならない。

 

現代的なサウンド・プロダクションによって、表向きには隠されているが、後者のトラックには、ザ・スプリームスのようなディスコソウルの古典的なR&Bに対する憧れが示されている。ニルファー・ヤンヤのディスコの概念とは、きらびやかなミラーボールの華やかさにあるのではなく、フロアのサイドにあるメロウでまったりとした空間なのだろうか。それはまた、このアーティストがチルウェイブに近い音楽を推していることを示唆し、表面的なオルタナティヴ・ポップの裏側にある、ヨット・ロック、AOR、あるいは、ブラック・コンテンポラリー/アーバン・コンテンポラリーといった、複数の音楽的な文脈を浮かび上がらせる。もうひとつのギターヒーローのアーティストとしての表情は「Wingspan」に見出せる。もしかすると、性別こそ異なれ、ニルファー・ヤンヤはフランク・オーシャンの次世代の立場を担うかもしれない。時代が変わり、ソロアーティストでもバンドのような音楽を制作することは困難ではなくなっている。これは今後の音楽シーンで一層顕著になっていく可能性がある。それを受け、ソロアーティストとバンドは一体何が違うのかを示す必要がある。『My Method Actor』は、密林のカメレオンのように多彩な保護色に変化する。従来の音楽の聴き方の常識を覆すような作品。

 

 

 

88/100


 

 

Best Track 「Faith's Late」




 Jessie Murph 『That Ain't No Man That's The Devil』

 

 

 Label: Columbia

Release: 2024年9月6日

 

Review  

 

アラバマ州出身のジェシー・マーフは、驚くべきことに若干19歳のシンガーだ。2021年、コロンビア・レコードとレコード契約を結び、デビューシングル「Upgrade」をリリースした。現代的なシンガーソングライターと同様に、TikTokやYoutubeから登場したシンガーである。すでに彼女の楽曲「Pray」は、UKチャート、ビルボードチャート、それからカナダのチャートの100位以内にランクインしている。今後ブレイクする可能性の高い歌手と見るのが妥当だろうか。


ジェシー・マーフは、エイミー・ワインハウスのポスト世代の歌手である。喉を潰したような、この年齢からは想像の出来ないハスキーな声の性質は、むしろこの歌手の最大の強みであり、スペシャリティとも言えるだろう。そして、巧みなビブラートを駆使することによって、ハスキーな声は、人間的な奥深さや業へと変化する。そして、アラバマ出身という長所は、「サザン・ソウルの継承」という音楽的なテーマに転化し、カントリー、ブルース、R&Bを変幻自在に横断する。さながら今は亡きエイミー・ワインハウスの歌声が現代に蘇ったかのようでもあり、リリックの内容も歌手のプライベートのきわどい話題に触れている。実際的にオープナー「Gotta Hold」でのブレイクビーツに反映されているように、ヒップホップのビートからの影響も含まれていることがわかる。ソーシャルメディア全盛期に登場したシンガーと言うと、耳障りの良いライトな感じのインディーポップを思い浮かべる方もいるかもしれないが、ジェシー・マーフの音楽性はそれとは対極にあり、現代のミュージックシーンから孤絶している。マーフは、むしろ自分自身の声色のダーティーさや醜さをいとわず、米国南部的な感覚を徹底して押し出そうと試みる。それもまたワインハウスの人間的な業のようなものを引き継いでいると言える。近年のR&Bの流れに与せず、70年代のソウルミュージックのヘヴィーさに重点が置かれている。この点に、並み居るシンガーとはまったく異なる個性を見出すことが出来る。

 

ジェシー・マーフの曲は、お世辞にもきれいだとか都会的に洗練されているとは言いがたい。いや、むしろその粗削りで、どこまで行くか分からない、潜在的な凄みがデビューアルバムの醍醐味でもある。現代の歌手は、どこにいようと、インターネットで楽曲をオープンにすると、音楽ファンやレーベルに見出されてしまうが、コロンビアがこういったある意味、現代性とは対極にある古典的なR&Bシンガーに期待していることは、この名門レーベルが時代を超越するような存在、そして現代の音楽シーンを変えうる存在、さらに宣伝的なアイコンではなく、本物の歌のパワーで音楽そのものの意味を塗り替えてしまう存在を待望していることの証でもある。トラックの編集や他の楽器による脚色、ないしは、マスタリングのエフェクトとは関連のない「音楽そのものの良さ」を表現することが、2020年代後半の音楽家やアーティストの使命である。そういった重圧にジェシー・マーフが応えられるかどうかはまだ定かではない。

 

しかしながら、このデビューアルバムでポップスターとしての前兆は十分見えはじめている。もちろん、ラディカルな側面だけが歌手の魅力ではあるまい。「Dirty」では、Teddy Swimsとの華麗なデュエットを披露し、カントリーやアメリカーナ、そしてロックをR&Bと結びつけて、古典的な音楽から現代への架橋をする素晴らしい楽曲を制作している。ジェシー・マーフの歌声には偉大な力が存在し、そしてどこまでも伸びやかで、太陽の逆光を浴びるかのような美しさと雄大さを内含している。この曲こそ、南部のソウル・ミュージックの本筋であり、メンフィスのR&Bを次世代へと受け継ぐものである。そこにブルースの影響があることは言うまでもない。さらに「Son Of A Bitch」も、バンジョーの演奏を織り交ぜ、カントリーをベースにして、ロック的な文脈からヒップホップ、そしてモダンなR&Bへ、まるで1970年代から50年のブラック・ミュージックの歩みや変遷を再確認するような奥深い音楽的な試みがなされている。


ヒップホップに近いボーカルのニュアンスが披露されるケースもある。「It Ain't Right」は、背景となるソウルミュージックのトラックに、ポピュラー、ラップ、ロックの中間にある歌声を披露している。音楽としての軸足がラップに置かれたかと思うと、次の瞬間にはロックへと向かい、そしてポップスへと向かう。これらの変幻自在のアプローチが音楽そのものに開放的な感覚を付与し、聞き手側にもリラックスした感覚を授けることは疑いがない。一つの形式に拘泥せず、テーマとなる音楽を取り巻くように音楽を緩やかに展開させていることが素晴らしい。


アルバムの冒頭では、マスタリング的なサウンドは多くは登場しないが、反面、中盤にはエクスペリメンタルポップの範疇にある前衛的なポップスの楽曲が登場する。例えば、「I Hope It Hurts」はノイズポップの編集的なサウンドを織り交ぜ、シネマティックなR&Bを展開させている。また、続く「Love Lies」では、ヒップホップの文脈の中で、ロックやカントリーといった音楽を敷衍させていく。これらは、「ビルボードびいきのサウンド」とも言えるのだが、やはり聞かせる何かが存在する。単に耳障りの良い音楽で終わらず、リスナーを一つ先の世界に引き連れるような扇動力と深み、そして音楽における奥行きのようなものを持ち合わせているのだ。

 

アルバムの中盤の2曲では、形骸化したサウンドに陥っているが、終盤になって音楽的な核心を取り戻す。いや、むしろ19歳という若さで音楽的な主題を持っているというのが尋常なことではない。探しあぐねるはずの年代に、ジェシー・マーフは一般的な歌手が知らない何かを知っている。それらは、「High Road」を聞くと明らかではないだろうか。マーフはこの曲で基本的には、主役から脇役へと役柄を変えながら、デュエットを披露している。実際的に、Koe Wetzelのボーカルは、80年代のMTVの全盛期のブラック・コンテンポラリー/アーバン・コンテンポラリーのR&Bの世界へと聞き手を誘うのである。サビやコーラス、そしてその合間のギター・ソロも曲の美しさを引き立てている。何より清涼感と開放感を持ち合わせた素晴らしいポップスだ。さらに、Baily Zimmmermanとのデュエット曲「Someone In The Room」では、アコースティックギターの演奏を基にこの年代らしいナイーヴさ、そしてセンチメンタルな感覚を織り交ぜ、見事なポップソングとして昇華させている。また、マーフのボーカルには、やはり、南部のR&Bの歌唱法やビブラートが登場する。もちろん、デュエットとしての息もピッタリ。二人のボーカリストの相性の良さ、そして録音現場の温和な雰囲気が目に浮かんできそうだ。

 

 

アルバムの最終盤では、エイミー・ワインハウスのポスト世代としての声明代わりのアンセム「Bang Bang」が登場する。この曲では、自身のダーティーな歌声や独特なトーンを活かして、フックの効いたR&Bを生み出している。やはり19歳とは思えない渋みと力感のある歌声であり、ただならぬ存在感を見せつける。デビューアルバムでは、そのアーティストが何者なのかを対外的に明示する必要があるが、『That Ain't No Man That's The Devil』では、その水準を難なくクリアしている。何より、商業主義の音楽でありながら、一度聴いて終わりという代物ではない。

 

本作のクローズでは、現代のトレンドであるアメリカーナを主体とし、アラバマの大地を思い浮かばせるような幽玄なカントリー/フォークでアルバムを締めくくっている。音楽や歌の素晴らしさとは、同じ表現性を示す均一化にあるわけではなく、他者とは異なる相違点に存在する。最新の音楽は「特別なキャラクターが尊重される」ということを「I Could Go Bad」は暗示する。2020年代後半の音楽シーンに必要視されるのは、一般化や標準化ではなく、他者とは異なる性質を披瀝すること。誰かから弱点と指摘されようとも、徹底して弱点を押し出せば、意味が反転し、最終的には大きな武器ともなりえる。そのことをジェシー・マーフのデビュー作は教唆してくれる。文句なしの素晴らしいアルバム。名門コロンビアから渾身の一作の登場だ。



 

90/100




Best Track 「Dirty」




Jessie Murphのデビューアルバム『That Ain't No Man That's The Devil』はコロンビアから発売中。ストリーミングはこちらから。

Oscar Lang [pieces] 

 

Label: Self Release

Release: 2024年9月6日

 

 

Review

 

イギリス/ロンドンのシンガーソングライター、Oscar Lang(オスカー・ラング)は、個人的には一番好きなミュージシャンの一人である。日本の大型レコード店では、「ギターロックの鬼才」と紹介されることもあった。


それには大きな理由があり、ラングは一般的に、これまでのミュージシャンとしてのキャリアの中で、作風を一度たりとも固定したことがなく、柔軟性のあるソングライティングや作曲をおこなってきたからである。最初期は、サイケデリックなギターロック、ローファイ、スラッカー・ロック、そして、Dirty Hitから昨年発表された最新作『Look Now』では、ザ・ヴァーヴの影響下にあるポスト・ブリット・ポップから、ビリー・ジョエル調の古典的なピアノ・バラードに至るまで、広汎にわたる音楽性を発揮し、毎度のようにリスナーに驚きをもたらしてきた。


[pieces] はアーティストの駆け出しの頃の録音を集めたもので、ベッドルームでの作品を中心に構成されている。オスカー・ラングのファン向けのマニアックなアルバムだろうと思いきや、意外なことに、先週発売されたアルバムの中では一線級のクオリティを誇っている。既発の2作のフルレングスとは異なり、70年代のUKのフォークミュージックからの影響や、昨年のアルバムの素晴らしいピアノバラード曲がどのように完成へと導かれていったのか。オスカー・ラングの最初期のデモソング集を聴くと、その音楽的な変遷を捉えることが出来るかも知れない。


特に昨年のアルバム『Look Now』で初期の集大成をなしたピアノバラードと、メロディー構成の天才的な才覚は、この一、二年で突発的に出現したのではなくて、若い時代からのピアノの演奏の経験の延長線上にあったことが痛感できる。オープナー「could november everything」を聞けば、ラングのメロディーセンスと作曲そのものをピアノの演奏と結びつける才覚は、活動最初期から傑出していることが理解出来る。そして彼は、それを70年代のビンテージのUKフォークと結びつけている。早書きの作品なのかもしれないが、ここには、この後、ソングライターとして一歩ずつ成長を続けるオスカー・ラングの出発点を見出すことが出来るはずである。

 

現在では商業的なロックや、ポピュラーソングなど、ライブでの聞こえかたを意識した作曲も行うラングであるが、瞑想的なピアノバラードが最初期のソングライターの音楽的なテーマであったことが伺える。そして、やはり、このアーティストの作曲の基礎となるのが、ピアノとギターであったことが分かる。「holding u」では、ジョン・レノンのデモトラックのようなフォーク・ソングを意識しているし、さらに、「confused」においては、デビュー・アルバムの頃のサイケフォークの片鱗を把捉出来る。これはデビュー作でアコースティックからエレクトリック・ギターに作曲の方向性が組み替えられたことで、実際的にオスカー・ラングの音楽の印象が華やかになったのである。「im doing great」では、エド・シーラン以降の作曲からプロデュースまでを独力で行うという現代的な音楽の制作プロセスを受け継いだ上で、それを次世代のポピュラーシンガーとしてどのように組み上げていくのか。その過程や変遷を捉えることが出来る。


そして、音楽的なバリエーションの多彩さは後付けのものではなく、最初期の時代からしっかりと備わっていたことが分かる。現在では、ハイファイに変化したオスカー・ラングの音楽は、最初期にはテープ音楽のようなローファイの側面の影響も内包されていたことは、「too scared」を聞けば明らかである。もちろん、デビューアルバムのサイケデリックな音楽性の片鱗を同曲に見出すこともさほど困難ではない。同様に、続く「hope full-e」では、ローファイ/ミッドファイの影響をとどめている。また、直截的に二作のフルレングスに登場することはなかったが、オスカー・ラングのソングライティングには、ネオソウルからの影響も含まれていることが『pieces』を聴くとはっきりする。Samphaを彷彿とさせるメロウなイントロからミッドファイの影響を絡めたポップソングには新旧のUKロックやフォークの多彩な側面が反映されている。


デモソング集なので、脈絡がなく、とりとめのないように思える本作。しかし、アーティストの音楽的な興味がどのように変遷していったのかを断片的に捉えるのに最適で、意外とオリジナルアルバムのような流れを持ち合わせていることに大きな驚きを覚える。「just 2 b with u」も同様に、オスカー・ラングのソングライティングに、ローファイやスラッカーロックの影響がちらつくことを示している。ただ、それは単なる荒削りな駄曲に終わらず、ホーンセクションのアレンジを見るとわかる通り、この時代にはプロデューサー的な才覚が立ち表れていることに驚く。アルバムの最後に収録されているラフなデモソング「fadein」もオルタナティヴフォークとして聞かせる一曲で、この歌手らしい独特の雰囲気が音楽からぼんやり立ち上ってくる。それはまだ完全な形にはなっていないかもしれないが、以降の良質なポップソングやロックソングの萌芽は、これらのベッドルームの録音の時代から目に見える形で出現していたのである。



80/100




 Oceanator 『Everything Is Love And Death』

 


 

Label: Polyvinyl 

Release: 2024年8月30日

 

Review 

 

Elise Okusamiのソロ・プロジェクト、Oceanatorの最新作『Everything Is Love And Death』は前作と同様に、70年代終盤から80年代の産業ロックに焦点を置いたロックソングアルバムである。オーシャネーターのソングライティングには、80年代の西海岸のLAロックや、ボストンのロックシーンへの憧憬のようなものがちらつく。基本的には、スリーコード(パワーコード)を中心にオクサミのギターサウンドは構築されていることもあってか、パンキッシュなテイストを漂わせる。ただ、やはり良い曲を書くセンスがあり、またそれを具現化する能力も持っているのだが、もしかすると、バンド単位の方がよりオクサミの音楽は輝く可能性があるかもしれない。

 

ただ、オクサミのロックソングに対する情熱は間違いなく本物である。アルバムの冒頭を飾る「First Time」は、アルバムを聴く際の掴みとしては十分である。硬質なメタリックなギターと、シンプルな8ビートのドラムが組み合わされ、そして80年代の産業ロックに見受けられる夢想的な感覚が織り交ぜられる。女性シンガーらしからぬ硬派な音楽性により、この曲はグイグイと求心力を持ち始め、叙情的なメロディーラインを織り交ぜながら、曲の後半ではハードロックの曲調へと変遷していく。もちろん、シンガーとしての特色であるワイルドな感覚は、この曲、ひいてはアルバム全体の重要なテーマ/モチーフとして、本作全体をリードしていく。同じようにメタリックな性質を帯びるハードロックソングが続く。「Lullaby」では、AC/DCのようなシンプルなギターリフ、そして、アメリカン・ロックの系譜にある音楽性を受け継いでいる。これが時に、RunawaysのようなもうひとつのUSロックの系譜を浮かび上がらせる。

 

アルバムの中で最も刺激的なのは、「Cut String」である。 オレンジ・カウンティのパンクを受け継ぎ、それらにAORのサウンドのテイストを添えている。モダンなギターロックとしては、Nilfure Yanyaの「Painless」の収録曲とおなじように、アーバンなR&Bとの融合性も感じさせるが、オーシャネーターの場合は、それほどR&Bの影響はなく、一貫して80年代のハードロックやメタルに焦点が絞られている。しかし、驚くほど暑苦しい感じにはならず、さらりとした切なさを織り交ぜ、まさしくポリヴァイナルらしい音楽性を組み込むことに成功している。これまでオーシャネーターが書いてきたロックソングの中では、おそらく最も革新的な響きが含まれている。また、アーティストとしての温和な性質が彼女が書くロックソングの中にさりげなく立ち現れることがある。「Happy New Year」は、前作『Nothing Ever Fine』の作風の延長線上にあり、ハードロックやメタル、そしてメロディックパンクの中間にあるキャッチーな音楽性が特徴である。そして、この曲には、やはり前作の主要曲と同じように、ストリートの感覚や、産業的なものに対する愛着、それはとりもなおさず、自動車産業の発展とともに成長してきたアメリカンロックの核心に迫るものでもある。つまり、UKロックと決定的に異なるのは、デトロイト等の街にある産業的な響きが、これらのロックソングには内包されているということである。「Get Out」もまたバイクで疾走するようなワイルドな感覚が最大限に引き出されている。

 

 

表面的なワイルドな感覚を愛する人間性に加えて、アルバムの中盤ではセンチメンタルな側面が示されることもある。「Home For Weekend」ではオーケストラの鍵盤楽器であるクレスタを中心に内的な世界を音楽により表現している。アルバムの序盤とは打って変わって、ナーバスな側面をバラードソングという形で表現している。また、現代的なオルトポップソングに近い曲が続き、「Be Here」では、フィーダー/リバーブを合わせた抽象的なギターラインと8ビートのドラムを背景にシンセポップに近い音楽性を選んでいる。これは本作を期に、ロックという形だけではなく、ポップの音楽性に新しく挑戦した瞬間を捉えることができる。実際的に、このSSWの特徴である淡い叙情性がボーカルに乗ると、エモーショナルな感覚を呼び起こすことがある。かと思えば、やはり続く「All The Same」では、80年代のハードロックやRunawaysのロックンロールスタイルに回帰している。ポイントはオクサミの音楽はロックではなく、ロール、要するにダンス・ミュージックの一貫として制作されている可能性があるということである。

 

アルバムの終盤では、このアーティストのロックに対する愛情が見事なエネルギーとして結実する瞬間がある。「Drift Away」は、やはりアルバムの重要なテーマであるワイルドな感覚を元にして、ハードロックの魅力を蘇らせることに成功している。ロックとはエネルギー体なのであり、それが力強く、はつらつとしていることが重要であるが、オーシャネーターはこの水準をなんなくクリアし、それらをエネルギッシュなロックンロールとして余すところなく詰め込む。 同じように、この曲では、ヘヴィ・メタル好きの性質が、ボーカルのオズボーン的なニュアンスに乗り移っている。Black Sabbathのごとき重量感のあるヘヴィ・ロックの要素は、オクサミがトニー・アイオミのようなギタリストから影響を受けていることをうかがわせるものである。


本作のクローズ「Won't Someone」も不思議な一曲である。メロトロンの演奏を背後に配して、抽象的な音楽世界を構築している。そして、スロウコアやサッドコアのような曲展開を経たかと思えば、やはり最後の最後でハードロック/メタルのラウドネスが激しく放出され、スパークを放つ。次に何が出てくるのか読めないのが、Oceanatorの曲の魅力だ。それは今後もこのアーティスト、ひいては、それにまつわるプロジェクトの最大の長所となりえるだろう。他人が何を言おうが、そんなことは全然関係ない。これからも「好きなもの」を突き詰めていくべし。

 



72/100



 

Best Track 「Cut String」

 Enumclaw 「Home In Another Life」

 

Label:Run For Cover

Release: 2024年8月30日

 

Review

 

アラミス率いるワシントン/タコマ出身のインディーロック・バンド、Enumclaw(イナムクロウ)がパワフルでダイナミックなロックソング集を引き下げて帰ってきた。『Save The Baby』よりハードロックなアルバムで、ドラムやベース、ギターのミックス/マスターは以前よりも明らかにヘヴィネスを強調している。イナムクロウはファイティングスピリット溢れるサウンドで、生半可なリスナーをノックアウトしにかかる。本作の迫力のあるディストーションギターは、80年代のUSハードロックやメタルの直系に当たり、グランジはもちろん、Dinasour Jr.のJ マシスとルー・バーロウの息のとれたコンビネーションを思わせる叙情的なオルトロックへの愛情が余さず凝縮されている。ワイルドさと繊細さを兼ね備えたロックサウンドに心酔しよう。

 

ワシントン/タコマのバンドの一番の魅力は、大型のハーレーで荒野をひとり突っ走るようなギターサウンドの迫力、安定感のあるドラム、ベース、そして、繊細さとダイナミックさを兼ね備えたアラミスの絶妙なボーカルスタイルにある。これはデビュー・アルバムと同じように、『Home In Another Life』の主眼ともなっている。彼らのロックサウンドは、以前よりも磨きが掛けられ、そして病気のことなど、人生の変化やその中で感じられる恐れが歌われることもある。

 

「I'm Scared I'll End Up All Alone」は孤独に対する恐れがタイトルに据えられ、それらの恐ろしさをかいくぐるようにして、パワフルなハードロックソングが紡がれていく。アラミスのボーカルをバックアップするのは、J Mascisのようなトレモロを活用した苛烈なディストーションサウンドのギター、そして、パンクロックの影響下にあるリズム・セクションである。彼らのサウンドは、驚くほど直情的であるものの、また同時に、グランジ誕生前夜のハードロックバンドがそうであったように、痛快なロックソングの原初的な魅力を呼び覚ます。「Not Just Yet」でも、イナムクロウの志すサウンドに全くブレはない。デビュー・アルバム『Save The Baby』の頃から引き継がれるパワフルなロックが哀愁のあるオルタナティヴの要素と結び付けられ、パンキッシュな響きを織り交ぜ、タイトルの部分でシンガロング性を沸き起こす。以前よりもドラムやギターの音像はコンプレッサーにより極大になり、迫力味とリアリティを帯びることがある。


ただ、『Home In Another Life』は、デビューアルバムのようなハードロック一辺倒のサウンドというわけではない。「Sink」では、Dinosaur Jr.の90年代のサウンドに触発されており、アコースティックギターをメインに、オルタナティヴ・フォーク寄りのアプローチに傾倒している。これがルー・バーロウのソングライティングと同様に、ローファイの要素と結び付けられ、エモーショナルな一面を強調させ、おのずとアルバムの序盤の収録曲の流れに少しの変化を及ぼしている。デビュー作よりも、多彩な音楽を制作しようというバンドの意図も伺い知れる。続く「Spots」ではオーバードライブを掛けたベースを元にして、グランジロックの原点に立ち返ろうとしている。このジャンルは、泥臭い感覚やファッションに象徴される汚れた感覚が特徴であったが、イナムクロウはそれらのグランジの中核にあるサウンドを受け継いでいる。



イナムクロウのサウンドには、オルタナティヴロックやパンク、そしてグランジの他、90年代ごろのエモのテイストが漂うこともある。「I Still Feel About Masturbation」は、これまでにバンドが書いてきた曲の中で最も若く、そして切ない感覚に縁取られている。エモに内在する若さと内省的な感覚を織り交ぜ、バンド特有のパンキッシュなサウンドで彩っている。その他、アメリカン・フットボールやそのフォロワーのサウンドに近い「Haven't Seen That Family In A While, I'm Sorry」では、セッションを基軸に精細感のあるロックサウンドを構築している。この曲もまた、デビュー・アルバムには見受けられなかったバンドの新たな挑戦を刻印している。同じように、中盤のハイライトをなす「Grocery Store」では、エモの系譜にあるロックサウンドが続いている。フェイザーを掛けたギターサウンドに乗せ、アラミスは「サリーの馬鹿らしさ」について歌っている。A-Bというシンプルな構成から繰り広げられるロックサウンドは、90年代のグランジやDinasour Jr.のサウンドの継承の範疇にあるが、と同時に、彼らがデビュー時に話していた「オアシスのようなロックバンドになりたい」という憧れが、ブリット・ポップに近い清涼感のあるサウンドと結び付けられている。実際的に、アルバムの中では最も心を揺さぶられるような一曲である。そしてまたイナムクロウの新しいアンセムナンバーの誕生である。


 

アラミスはこれまでそれほど高い音程を歌ってこなかったが、続く「Change」において珍しく高いピッチを披露している。しかし、それは歌というより、彼の内的な苦悩をを外側に押し出した叫びであり、何か胸を鋭くかきむしられる思いがする。イナムクロウのサウンドは洗練されているわけでもなければ、ヒット・ソングの明らかな予兆があるわけでもない。しかし、にもかかわらず、部分的には惹きつけられるものがあり、夢中になってしまう箇所もある。これはイナムクロウがバンドセクションの中で、不器用でありながらも何ができるかを模索している最中だからであり、その範疇でグループとしての様々な体験を織り込んでいるからなのかもしれない。


そんな中で、ロックソングとして最も心をかき乱される瞬間がある。「This Light Of Mine」は、フロントパーソンの私生活の暗い部分から放たれる強固な光であり、また、内側からメラメラと燃え立つ、抑え難い生命力の輝きでもある。これをかき消すことは誰にも出来ない。それが彼とバンドが生きている証なのだから……。この曲の哀愁のあるサウンドは、90年代のPearl Jam、Alice In Chains、Soundgardenのグランジの核心に接近する箇所もあり、バンドとして新しいフェーズへと到達した瞬間である。もし、これらのワイルドさと繊細さを兼ね備えたサウンドに更なる磨きが掛けられると、ポスト・グランジのバンドとしてかなり良い線を行くかもしれない。

 

 


80/100


 

 

Best Track-「The Light Of Mine」

 



 Molly Payton 『Yoyotta』

 

 

Label: Molly Payton

Release: 2024年8月30日

 

Review   ◾️ニュージーランドの気鋭のシンガーソングライターのデビュー作

 

ニュージーランドのモリー・ペイトンのフルレングス・デビューアルバム『YOYOTTA』は、彼女が最も傷つきやすい状態のアーティストを描いた、深く個人的なプロジェクトである。


このアルバムでは、彼女がキャリアで初めてクリエイティブの首座に座り、プロジェクトのサウンドだけでなく、ビジュアル面でも主導権を握った。結果、過去のリリースを結びつけ、アーティストの人生と感情に新たな文脈を与える作品となった。ペイトンは、Beabadoobee、Arlo Parks、Alex G、Tom Odell、Palaceなど数多くのアーティストとのツアー、Primavera、Laneway、Pitchfork Parisでのプレイを経て、2024年後半は8月に「All Points East」でプレイし、アルバム『YOYOTTA』のリリース後、イギリスとヨーロッパでのヘッドライナー・ツアーに乗り出す。


オセアニア圏ではそれ相応の知名度を誇るペイトンのデビュー・アルバムは、世界で支持されるだろうか。少なくとも、全体としては、オルタナティヴロックをベースにしたポップソングが心地よい雰囲気を醸し出している。このアルバムがきっかけとなり、より大きな人気を獲得したとしても大きな不思議ではないだろう。モリー・ペイトンのソングライティングのスタイルは、上記のBeabadoobee、またはアーロ・パークスに近いが、声質がクリアで澄んでいるため、開放的な感覚のポップスとしても楽しむことが出来る。アルバムでは、センチメンタルな感覚が漂い、それがペイトンが10代の頃からソングライティングという形で培ってきたスタイルと上手く合致している。


オープナーを飾る「Asphalt」では、インディーフォーク風のイントロから、オルダス・ハーディングの系譜にあるオーガニックな音楽性、そして、編集的なオルトロックサウンドを織り交ぜたポップスへと展開していく。さほど物珍しさはないものの、良質なポップスと見て差し支えないだろう。


二曲目の「Benchwarmer」では一転して、ギターロックの範疇にあるオルタナティヴロックソングが繰り広げられる。この曲もまた同じく現代的なロックソングであるが、単調のフレーズを部分的に織り交ぜながら、若い年代としてのセンチメンタルな感覚を組み込んでいる。サビでは、求心力のあるギターサウンドをバックグラウンドにして、感染力のあるポップバンガーを書こうとチャレンジしている。これは、大型のライヴツアーをこなすようになったシンガーソングライターの「アリーナで映える曲を書こう」という意識が、こういった曲を生み出すことになったものと推測される。

 

アルバムの中盤では、シンセサイザーをオルガンのように見立てた「A Hand Held Strong」において、深妙なポップスを制作している。繊細な感覚を示すことをためらわず、アーティストなりの神聖な感覚で縁取ろうとしている。若手のシンガーソングライターであるにも関わらず、それほど傲慢にならず、謙虚な姿勢を持つことは、アーティストとして素晴らしい資質のひとつである。音楽に対する敬意を欠かさない姿勢や音楽に対して一歩距離を置いたような控えめな感覚は、実際的に良質な作品を生み出すための入り口となる。モリー・ペイトンは現在のところ、完璧なソングライティングの術を身につけたとまではいいがたいが、音楽に対する真摯な姿勢は、今後、何らかの形で花開く時が来るかもしれない。少なくとも、この曲では、それらがバラードというポピュラーシンガーとしての最初の関門をくぐり抜けるきっかけを与えている。

 

若いシンガーソングライターとして、感情の揺れ動きを曲の中で表現することは、それ以上の年代のミュージシャンよりもはるかに重要な意味が求められる。もちろん、若いリスナーに強いカタルシスをもたらすことはそれほど想像に難くない。現代的な生活の中で、たしかにSNSでもそういったことはできるが、楽曲の制作や録音現場で自分の本来の姿を見つけるということはありうる。


アルバムの中盤では、起伏のあるサウンドが描かれていて、それは開放的で癒やしのあるインディーフォークソング「Thrown Over」、続く「Accelerate」では、パンチとフックのあるオルタナティヴロックソングという対象的なコントラストを形成する。これらの気分の激しい揺れ動きや変調は、単なる衝動性以上の動機が含まれている。例えば、後者の場合は、シンセポップと現代的なロックの融合というフローレンス・ウェルチのようなスタイルを彷彿とさせ、これはスターシンガーとしての道を選んだことの証ともなり得る。実際的には、音楽に既視感があるという弊害を差し引いても、こういった曲が今後どのような特性を持ち得るのかに注目してきたいところだ。

 

同じように、オルトロックシンガーとしての性質と合わせて、繊細な感覚を持つポピュラーソングが本作の終盤に登場する。続く「Devotion」では、オルガンの演奏を背景にして、精妙な感覚を持つポップスを書こうと試みている。果たして、歌手が志すのが、ゴスペルのようなブラックミュージックなのか、教会音楽のような讃美歌なのかまでは分からないが、ここに理想とするポップスの雛形のようなものが暗示されたといえるだろう。また、それに続く「Doing Our Worst」では、映画的なポップスを書いており、「Pretty Woman」の主題歌を持ち前の自虐的なジョークで縁取っている。

 

これらのモダンなポップスはオルダス・ハーディングの系譜や、ヨーロッパの移民系のポピュラーシンガーの脱力感のあるソングライティングの形式を受け継いでいる。全般的には、良質なポピュラー・ソング集として楽しめるが、じっくりと聞かせるものや、核心となるものが乏しいのが懸念事項である。つまり、才能があるのにそれをイマイチ使いきれていないのが惜しい点だ。


「Teenager Bedroom Floor」では、再びクランチなギターロックへと舞い戻り、総仕上げとなるクローズ「Get Back To You」では、アルバムの冒頭と同じように、夢想的なオルタナティヴフォークを最後のテーマに掲げている。しかし、これらは、流行りのサウンドの模倣的な側面を示したに過ぎない。デビューアルバムとしては、一定の力量以上の何かが示されている。しかし同時に、現時点では、「スペシャル・ワン」の存在感が示されたとまでは言いがたい。オセアニア圏のシンガーソングライターとして世界の音楽ファンに何を伝えていくのか、そして、モリー・ペイトンとは一体何者なのか、二作目のアルバムにおいて、それらが明示されることを期待してやまない。

 

 

 

78/100 

 

 


「Asphalt」

 Marmo  「Deaf Ears Are Sleeping」EP

 

Label: area127

Release: 2024年8月28日

 

Review    ◾️ロンドンのダンスユニットの新作 リズムの組み替えからもたらされる新しいEDM


ロンドンの二人組、marco、dukaによるエレクトロニック・プロジェクト、MARMO(マルモ)は当初、メタルバンドのギタリストとボーカルによって結成された。おそらく両者とも、覆面アーティストであり、Burialのポスト世代のダンスユニットに位置付けられるが、まだまだ謎の多い存在である。


昨年、マルモはアンビエントとSEの効果音を融合させた近未来的なエレクトロニックアルバム『Epistolae』を発表し、ベースメントであるものの、ロンドンに新しいダンスミュージックが台頭したことを示唆していた。

 

『Deaf Ears Are Sleeping  EP』も新しいタイプのダンスミュージックで、聞き手に強いインパクトを及ぼすのは間違いない。三曲収録のEPで、逆向きに収録されたリミックスが並べられている。オリジナル曲との違いは、リミックスバージョンの方がよりディープ・ハウスに近いダンサンブルなナンバーとなっている。

 

当初、メタルバンドとして出発したこともあってか、Marmoの音楽はサブベースが強く、徹底して重低音が強調されている。それはヘヴィメタルから、ドラムンベースやフューチャーベース、ダブステップ等の現地のベースメントの音楽にアウトプット方法が変遷していったに過ぎないのかも知れない。しかし、ロンドンのダンスミュージックらしいエグさ、ドイツを始めとするヨーロッパのEDMを結びつけるという狙いは、前作よりもこの最新作の方が伝わりやすい。

 

「Inner System」は、ドイツのNils Frahm(ニルス・フラーム)の「All Armed」のベースラインの手法を、モジュラーシンセ等を用い、ダブステップのリズムと結びつけて、斬新なEDMを作り上げている。特に、Squarepusherの最初期からの影響があるのは歴然としており、それは、Aphex Twinのような細分化したハイハットやドリル、SE的なアンビエント風のシークエンスという形に反映されている。まさにロンドンのダンスミュージック文化の威信をかけて制作されたオープナーである。実際的に、ローエンドの強いバスドラム(キック)とMARMOの近未来的な音楽性が結び付けられるとき、ダンスミュージックの新奇な表現が産声を上げるというわけなのだ。

 

二曲目「Deaf Ears Are Sleeping」は、例えば1990年代のCLARKの『Turning Dragon』など、ドイツのゴアトランスに触発された癖の強いダンスミュージックだが、オープナーと同じようにSEの効果音を用いながら、オリジナリティ溢れる音楽を追求している。部分的には、最近のオンラインゲームのサウンドトラックのようなコンセプチュアルな音楽が、ダブステップのようなリズムと結び付けられ、近未来的なEDMが構築されている。


「Deaf Ears Are Sleeping」に発見できるのは、バーチャル(仮想空間)の時代の新しい形式のダンスミュージックであり、それらが一貫して重低音の強いベースやバスドラム、Spuarepusher(スクエアプッシャー)のようなアクの強いリズムと結び付けられている。さらに、モジュラー・シンセなのか、サンプラーで出力しているのかまでは判別出来ないが、ドローン風の効果音もトラック全体に独特なドライブ感と、映像的な音楽性を付け加えていることも付記すべきだろう。

 

3つのリミックスは、オリジナル曲をアシッドハウス、ゴアトランス寄りのミックスとして再構成されたものなので、説明は割愛したい。しかし、「Aztec Euphoria」は、ドラムンベースやフューチャーベースの次の新しいジャンルが誕生した、もしくは、その芽吹きが見えはじめたといっても差し支えないかも知れない。リズムが複合的で面白く、アンディ・ストットのようなリズムの重層的な構築に重点を置いたトラックとして楽しめる。また、ブラジルのSeputula(セパルトゥラ)が、民族音楽をヘヴィメタルに置き換えてみせたように、マルモは民族音楽のリズムを彼らの得意とするダンスミュージックの領域に持ち込んだと解釈することができる。


近年、どれもこれも似たり寄ったりなので、EDMは飽和状態に陥っているとばかり思っていたが、どうやら思い違いだったらしい。解決の糸口は思いもよらない別のジャンルにあるのかも知れない。少なくとも、アフリカの打楽器のような音をサンプラーとして処理し、ドラムンベース、ダブステップ、フューチャーベースとして解釈するというマルモの手法は、まったく未曾有のもので、ロンドンのアンダーグラウンドから興味深い音楽が台頭したことの証ともなりえる。

 

例えば、Killing Jokeは、かつてイギリスに固有の音楽が存在しないことを悩んでいたが、彼らの場合は、すでに存在するリズムを複雑に組み替えることで、新しいイギリスの音楽(複合的なリズム)の形式を確立させた。これは、Gang Of Fourはもちろん、Slitsのようなグループを見ても同様だ。新しい音楽が出来ないと嘆くことはなく、すでにあるものに小さな改良を加えたり、工夫をほどこすだけで、従来に存在しなかったものが生み出される場合がある。Killing Jokeのようなポスト・パンクの代名詞的なグループは、歴史的にこのことを立派に実証している。ロンドンのMarmoもまたこれらの系譜に属する先鋭的かつ前衛的なダンスユニットなのである。
 



85/100

  


 Los Bitchos 『Talkie Talkie』


Label: City Slang

Release: 2024年8月30日

 

Review

 

ロンドンの四人組、Los Bitchosのセカンド・アルバムは、カッティングギターでダンサンブルなミュージックを構築し、そしてダンスフロアのような熱狂を巻き起こす。オーストラリア等、移民を中心に構成されるバンドは、演奏における純粋な楽しみや、彼らの音楽的なモチーフ、クンビアをバレアリック等のダンス・ミュージックと絡めて、エンターテインメント性をもたらす。

 

ロス・ビッチョスのサウンドはテキサスのクルアンビンに近く、カッティングギターはサイケデリックなテイストに縁取られる。それほど難しく考えず、体を揺らすためのダンスミュージックとして楽しめるが、 これらのサウンドは薄まり過ぎて、ライト過ぎる印象を受けなくもない。アルバムのオープニングから、「Hi」という掛け声とともに軽快なダンスミュージックが始まる、それは時々、ファンカデリックのようなP-Funkに依拠したサウンドを呼び起こすこともあるが、オリジネーターのようなコアなファンクサウンドには接近出来ていない。軽やかさという点は利点であり、大きな長所であるが、これらのサウンドは薄められすぎている気もする。


確かに、「Talkie Talkie, Charlie Charlie」では、カッティングギターが軽快なグルーブを呼び覚ましている。ただ、このサウンドも70年代の音楽の焼き増しか後追いに過ぎず、いまいち新奇性に乏しい。AORとクンビアのような民族音楽をかけ合わせた「Don't Change」は、ロス・ビッチョスの持ち味であるトロピカルなテイストと、ダンサンブルな熱狂を呼び起こすことに成功している。ただ、ボーカルなしのインストであるため、飽きの来るサウンドであるのが気がかりである。また、曲の盛り上がりにも欠け、非常に平坦なサウンドであるのも難点である。

 

ただ、アルバムの一つのポイントとしては、ロス・ビッチョスの持ち味であるラテン音楽の影響が本作に個性味を与えることがある。「Kiki, You Complete Me」では、ラテン音楽の旋律とリズムが、バンドサウンドとしてエキゾチズムをもたらす。 ただ、難点としては、クルアンビンのようなセッションとしての白熱した感覚や、ライブのような雰囲気を形づくるまでには至っていない。このサウンドでボーカルなしというのは、少し間が持たないため、飽きてしまうのだ。

 

方や、サウンドの中に変化をもたらそうという工夫が随所に見受けられるのも事実である。ワウサウンドを絡めたギターロック「1K!」は、クルアンビンのようなサイケ性とリゾート的な感覚に縁取られ、それらがファニーな印象を形づくることがある。ただ、スケールとして同じような進行が多いため、どうしても音階的、及びリズム的にマンネリ化しているのが懸念事項である。


「La Bomba」は、アルバムの中では最も勢いを感じさせ、ライブパフォーマンスの期待を盛り上げてくれるが、やはりスケール進行として単調な印象をおぼえざるを得ず、音楽的なバリエーションやひらめきに乏しい。それに加えて、70年代の後追いのようなサウンドであるため、目を引くものがないように思える。アルバムジャケットの派手なイメージは良いけれども、それが実際のサウンドと比べると、あまりにも落差が大きいように思える。楽しいライブサウンドを期待してアルバムを聴くと、少しだけ落胆してしまうかもしれない。これはこの「Talkie Talkie」がレコーディング作品の範疇から一歩飛び出すような冒険心が乏しいことに起因する。

 

アルバムの終盤でもほとんどサウンド的な変化が見受けられず、その中には眠気を誘うものもある。また、ボーカルがなく、インスト中心なのもちょっと寂しく、色気にかけるという気がする。ギターやベースの音作りへのこだわりはたしかに見受けられるが、サウンドチェックの段階で終わってしまっている気がする。つまり、これらの曲は曲にすらなっておらず、それ以前で録音され、パッケージ化されたものに過ぎない。だから世に出た時、既に形骸化している。

 

唯一、終盤に収録されている「Tango & Twirl」ではアルゼンチンタンゴの音楽性が登場するが、果たして、ピアソラが築いたアルゼンチンの文化がこのように軽薄な内容であると考えることは妥当と言えるのだろうか。アルバム全体に感じるのは、ヨーロッパ主義から見た他の地域の文化に対する奇妙な優越感と搾取的な軽視である。その点ははっきり言えば、容認することが出来ない。音楽の表現は自由であるべきだが、表現における放埒と自由性はまったく意味が異なる。最大の問題は、他地域の文化圏に対する敬意が欠如していることである。このアルバムを手に取るくらいなら、クルアンビンの最新作「A La Sala」を先に聴くことをおすすめする。

 

 

 

68/100 

 

 





 Kitty Craft 『I Got Rulez』

Label; Takotsubo Records

Release: 2024年8月30日

 

Review

 

LAのプロデューサー、Pamela Valfer(パメーラ・ヴァルファー)は、最初期のローファイポップを形成する重要な制作者であるとともに、ベッドルームポップの先駆者のアーティストでもある。


Kitty Craftは、原初的なブレイクビーツのスタイルに、夢想的なドリーム・ポップの要素を加え、ホーム・レコーディングにおける理想的なサウンドプロダクションを探求してきた。特に、カットアップ・コラージュのように細かなマテリアルを組み合わせて、文字通り、「ハンドクラフトのインディーポップ」を構築する。オルタナティブポップやベッドルームポップなどという言葉が流行る以前の1990年代から、Palmela Valferは独力でそれらの音楽を作っていた。それがKity Craftが独自に体系づけた音楽ジャンル「Kitchen Pop」の正体なのかも知れない。

 

『I Got Rulez』は長らく入手困難だった96,97年の音源の再発である。そして、Palmelaの音楽制作とは、最初期のヒップホップに近いものであり、ターンテーブルのような音のディレイ等を活かし、ループサウンドとなるビートをトラックの背景に敷き詰め、ラップの代わりにインディーポップ風のさらりとしたボーカルを歌う。淡白な音作りなのは事実だが、聴いていると妙に癖になるものがありはしないか。ブレイクビーツの影響を絡めた音楽は、男性の音楽のように血気盛んになることはなく、午後の白昼夢さながらにほんわかとしていて、安らいだ空気感に縁取られている。これが、ローファイとしてのドリーム・ポップに近づくことがある。

 

「I Got Rulez」は、インディーロックのギター、レトロで安価なシンセ、サンプラーをブレイクビーツのドラムに乗せ、それらにThrowing Musesのようなファンシーなボーカルを乗せる。時々、気の抜けたようなコーラスが加えられる。これらの適度に脱力したサウンドが、ニッチなローファイの魅力を呼び覚まし、テープ音楽のプリミティヴな音の質感を呼び起こす。デジタルリマスターを掛けても、音のラフさや荒削りさは立ち消えにならず、良いウェイブを生み出す。また、ヴィンテージのアナログレコードのようなあたたかな質感を呼び起こすこともある。

 

Pamela Valferは、絵本のような童話的な世界を作り出すことで知られているが、「Alice」はまさしくこのアーティストの代名詞となるようなトラックである。90年代頃のインディーロックを参考にしたような音楽だが、レトロでチープなシンセがファンシーな感覚を生み出している。そして、Palmela Valferのボーカルは、ボソボソと小声で歌われ、ドラム、ギター(ベース)の演奏の間が取れていないこともあるが、それらの演奏の違和感もむしろ長所のように聞こえてくる。そして、音作りもへったくれもないギターは、曲の最後になって良い雰囲気を生み出す。アマチュア志向のサウンドであるが、完成度の高い作品よりも聴きやすさあるのは不思議だ。

 

「Find Out」では、90年代のYo La Tengoの作風をベースにし、ブレイクビーツのドラムを背景に一気呵成に録音し、ドリーム・ポップやインディーポップの音楽性で縁取っている。MTRで録音したような素人臭さがあるのだが、結局、やはり前の二曲と同じように、それらの荒削りなプロダクションの向こうから、Palmela Valferのボーカルが立ち上ると、独特な空気感を呼び覚ます。 

 

アルバムのクローズ「Wuite Clear」では、サイケデリック風のグワングワンなギターが聞き手の頭を掻き回す。最初期のガレージロックやグランジのような荒削りなギター、The Vaselines,Violent Femmesのように破天荒で破れかぶれな感覚、これらすべての食材をボウルの中で混ぜ込み、夢想的な音楽という形で提供している。放課後にガレージで録音したようなアルバム。やはり、既存の音楽に似ているようでいて、どれにも似ていないのが、Kitty Craftの音楽の凄さなのだ。



76/100


 

 Fennesz 「Venice 20」

 



 
Label: Touch
Release: 2024年8月23日



オーストリアの実験音楽家や現代音楽の大家で、坂本龍一とのコラボレーション・アルバム「Cendre」でよく知られるクリスチャン・フェネスの2004年の名作「Venice」の20周年記念リマスター盤『Venice 20』は、以前よりも音がクリアになり、当時、クリスティアン・フェネスが何をやろうとしていたのかが手に取るように分かるようになった。2000年代には、フェネスの音楽は、とっつきづらく難解なイメージに縁取られていたが、このアルバムでフェネスが試そうとしたことは、私達が考えていた以上にポピュラーな音楽だったのかもしれない。

 

このアルバムの発売後、以降、Pitchforkの編集長を最も長く務め、ウォール・ストリートジャーナル等の執筆も手掛けたマーク・リチャードソン氏がフェネスのインタビューを行った。しかし、この時のインタビューは、非常にためになるものがあった一方、かなりユニークな内容が含まれていた。特に、ビーチ・ボーイズを比較対象にしたことに関し、フェネス氏は少しだけ困惑するような気配があったのである。ただおそらく、チルウェイブの萌芽や楽園的な音楽が含まれていることを指摘したかったのではないかと思われる。また、同インタビューでフェネスは、「なぜノイズを作るのか」というマーク・リチャードソン氏の問いに対して「私は美しいものを作るためにノイズを制作する」と述べていたが、この言葉の趣旨や真意は、今回の二度目のリマスターでより明らかとなるはずである。というのも、2000年頃のオリジナル盤の音源は荒削りで、かなり精度の高いスピーカーでもなければ、全体的な音像を把握することは難しかっただろうからである。もちろん、当時はアンビエントというジャンルはそれほど主流ではなかっただろうし、ドローンというジャンルもなかったので、こういった音楽をどのように説明するのか分からなかったのは当然のことだと言える。

 

実験音楽としては名盤の呼び声の高い作品なので、今更くだくだしく述べるまでもないが、おそらく、この時代にこのアルバムに何らかの形で興味を抱いたということ自体が先見の銘があった。というのも、主要なマガジンの評価は平均的で、Mojoは3/5という評価を下すにとどまっていた。しかし、以降の現代音楽界での活躍や、実験音楽界で象徴的なミュージシャンとなったことを考えると、このアルバムの評論に関しては、Pitchforkだけが正当な評価を下していたことになる。そして、今回の二度目のリマスタリングで音質面での不安要素が取り払われて、音楽の全容が明瞭となり、精妙でクリアな印象に縁取られている。現在まで不透明であった音質が、最新のリマスターで澄明に変化した。つまり、このアルバムは2度生まれ変わることになったのだ。

 
今考えると、「Venice」の音楽はあまりに予見的で、時代の先を行き過ぎていたかもしれない。2000年代はじめといえば、ドイツを中心にグリッチミュージックが出てきた頃である。しかし、まだそれは大雑把に言えば、テクノ/ハウスという枠組みの中で実験音楽が動いているに過ぎなかった。反面、フェネスの音楽は、単なるギターロック、テクノ/ハウスやノイズというのには惜しく、例えば、2010年代のカナダのTim Heckerのようなダウンテンポ、ノイズ・アンビエントに近い、非常に画期的な音楽性も含まれていた。現代の「アブストラクト」と呼ばれる音楽であり、これはヒップホップにも登場するが、フューチャー・ベースのようなジャンルの源流に位置する。
 
 
また、このアルバムのいくつかの収録曲は、メインの出力がモジュラーシンセかエレクトリックギターであるかを問わず、2020年代の実験音楽の先鋒であるドローン音楽を予見している。フェネスは、リヒャルト・ストラウスの「2001年 宇宙への旅」のように、音楽の時間旅行を試み、この2004年の時点から、十年後、あるいは、二十年後に流行する音楽を「偶発的に見てしまった」と言えるかも知れない。そして、むしろ、このアルバムは、2024年の音楽として聴くと、ぴったり嵌るというか、今こそ聞かれるべき作品なのではないかとすら思えてくる。

 
アルバムには、ニューロマンティックの象徴的なグループ、JAPANからソロ活動に転じた後に前衛音楽の大御所となったデイヴィッド・シルヴィアンがボーカルを提供した「Transit」等、後から考えると、微笑ましくなるような曲もある。さらに、このアルバムには、ドローンミュージックとして聴いても、2020年代の音楽に比肩する楽曲もある。「City Of Light」、「Onsay」などはその好例であり、現代のドローンミュージックの一派が一つの体系を築く上でのヒントとなったはずだ。また、「Circassian」はポスト・ロック/ギターロックの音響派に近い作風である。


また、当時、ドイツを中心に発生したコンピューターのエラー信号からビートを抽出するグリッチ・サウンドの影響も含まれているのは、当時、クリスチャン・フェネスがヨーロッパのアンダーグラウンドのダンスミュージックや電子音楽の流行の流れを的確に読んでいたことを暗示する。「The Stone of Impermanence」や11曲目以降の収録曲は、アーティストにしては珍しく衝動的というか、若気の至りで制作したという印象も受ける。しかし、ある意味では、理想的な実験音楽は、完璧性から導き出されることはほとんどなく、それとは対象的に、不完全性から傑出した作品が生み出されることを考えると、こういった曲があるのも頷けるような部分はある。前衛音楽は、短所を活かし、最終的にはそれらをすべて長所に反転させることを意味している。

 
本作のオープニング「Rivers of Sound」、「The Point of All」、「Asusu」等、不朽の電子音楽の名曲も収録されている。このアルバムには、以降の20年の電子音楽の未来が集約されていると言っても大げさではないだろう。少なくとも、アルバムのこれまでとは一味違う魅力を堪能出来るはずである。しかし、ギターロックにしても、テクノにしても、現代には同じような音楽がたくさん存在するが、このアルバムは実のところ、それらと明らかに一線を画している。同時に、きわめて機械的なのに、深い抒情性がある。もしかすると、当時のクリスチャン・フェネスさんは、現代人がすっかり忘れた感覚を持っていたのだろうか。
 
 
 
 
 
90/100
 
 
 
 
 
 






最新のリマスターに関して


デニス・ブラッカム:

「2024年まで早送りして、2003年に使ったのと同じオリジナル・マスター・ミックスを使って、このアルバムの新しい拡張版、『Venice 20』を作ることにした。あれから20年あまりが経ち、オーディオ制作、レコーディング、マスタリングの技術は大幅に進歩した」



ジョン・ウォゼンクロフト:

「...作品全体には、本質的に時代を超越した静けさと風格がある。これはもちろん、デヴィッド・シルヴィアンとの『Transit』でのコラボレーションに象徴される。私は、ジャケット・アートが絵画のようなレベルで、音楽のように永続することを願っていた。私が絵を描けるとは決して言わないし、写真が絵画のように長く持ちこたえられるとも思っていないからだ。クリスチャンとの仕事はいつも私を感動させる」



クリスチャン・フェネス:
 

「アコースティック・ギターやエレクトリック・ギターの短いレコーディング、新しく導入したソフト・シンセやサンプラーを使った実験、フィールド・レコーディングなどだ。この街の音と音響は私を魅了した」
 
 
「私の部屋からは、夜、窓を開けると会話がはっきりと聞こえたが、それが隣の家から聞こえてきたのか、数ブロック先から聞こえてきたのかは定かではなく、まるでヴェニスの音波が独自のルールに従っているかのようだった。威厳のある衰退、腐敗、死、そして再生を暗示するような表現として、アルバム・タイトルとしてのヴェニスのアイデアが浮かんだのはこの頃だった。「Transit」のデヴィッド・シルヴィアンの歌詞とヴォーカル・パフォーマンスは、私にとってこのアイデアを完璧に表現していた。この作品は、現在進行中の素晴らしいコラボレーションのハイライトであり続けている」 
 
 
 
 
Venice:
 
 
2004年にリリースされ、ベストセラーとなったフェネスの「Venice」の20周年記念再発盤が、デニス・ブラッカムによるリマスタリングで、CDやレコードには未収録の新曲や追加曲を含むデラックス・バージョンとして登場。DVDフォーマットのエディションには、フェネス自身、デニス・ブラッカム、ジョン・ウォゼンクロフトによるテキストと、2004年のオリジナル・セッションの未公開写真が掲載されたブックレットが付属する。ブックレットにはデヴィッド・シルヴィアンの「Transit」のオリジナル手書きの歌詞も掲載。この「デヴィッド・シルヴィアンとの見事なコラボは、シルヴィアンのアルバム『Blemish』での素晴らしいデュオ・トラックから続いている。控えめなリスニング体験の真ん中に位置する「Transit」は、文字通りスピーカーから飛び出し、アルバムのポップな特徴だけでなく、抑制された瞬間も際立たせている。

 Fontaines D.C.  『Romance』


Label: XL Recordings

Release: 2024年8月24日


Review


結局、現代のロック・バンドと連動するように、ポスト・パンクバンドとしてダブリンから出発したフォンテインズ・ダブリン・シティは、PartisanからXLに移籍後第一作において、彼らのフレンドであるThe Murder Capitalの最新作に触発されたか、シンセサイザーやメロトロンを駆使したダイナミックなサウンドに移行している。それに加えて、現在はロンドンに活動拠点を移してはいるものの、ダブリンのバンドの伝統性である叙情性や哀愁を追い求めることになった。そして全体的なプロダクションとしてはアークティック・モンキーズのように、起伏のあるサウンドを意識しているように感じられる。これは、彼らがライブ・バンドとしてのみならず、ビートルズのようにレコーディング・バンドとして歩みはじめたことをカタログとして刻印する。

 

一つの作品ごとに着実にステップアップを図ってきたフォンテインズD.C.。このアルバムは端的に言うと、現時点のバンドの最高傑作に挙げられる。彼らはごつごつとした無骨なポストパンクバンドとして台頭したが、今や力や勢いのみで、フルアルバムを制作することは本格派のロック・バンドとして活躍する上では、遠回りになることを肌身で感じ取ったのだろう。映画のオープニングのような形で始まり、メロトロンのクラシカルな響きのイントロからアークティック・モンキーズの最初期を彷彿とさせるロックバンガーへと変化する「Starbuster」はフォンテインズD.C.のライブでは今後不可欠なアンセムナンバーである。この曲では、オアシスやカサビアンといったダイナミックな展開力を持つUKロック伝統性を継承し、そこに「ゾンビ・ボイス」のコーラスを追加している。都会の若者の暮らしを親しみやすいロックソングとして的確に表現し、酔い潰れた後の酩酊や脱力感が曲の中盤まで支配するが、そこから開放的で清涼感のあるUKロックへと移行する瞬間は本作のハイライトとなりえる。


続く「Here's The Thing」では、彼らのメロディアスなロック・バンドとしての意外な才覚が伺える。現時点で、都会の夜の幻想的な雰囲気や、そこから亡霊がでてきそうな空気感を作り出す。そして最初期から培われたポスト・パンクバンドとしてのパンチ力を付け加えている。叙情性とメロディアス性、そして、ポスト・パンクを巡るように、UKロックの一つの重要なテーマである孤独感や都市に棲まう亡霊に対して語りかけるような音楽、これらが組み合わされ、新しいフォンテインズD.Cの新しい代名詞が生み出されたといえるはずである。

 

中盤の三曲は、これまでのバンドの音楽性とはカラーが明らかに異なる。シンセ・ポップやAOR、フォーク等、前作よりもバンドの音楽が多彩性を増したことを象徴付けている。瞑想的な響きからラウドなロックソングへと移行する「Desire」は、バンドの新しいスタイルが誕生したことを伺わせる。「In The Modern World」はフォークミュージックを基にして、瞑想性のある音楽を作り上げる。「Bug」はオアシスの代名詞を基に、それらをアイルランドの音楽で縁取ろうとしている。この三曲は、まだオアシスほどの良質なメロディー性には乏しいが、バンドの新しいチャレンジを感じる。全体的に洗練されていないという難点もあるけれども、より磨きを掛けると良い曲がでてきそうだ。

 

続く2曲はダンスミュージックとオルタナティヴロックの融合を見出すことができる。ボーカルループを用いた「Motorcycle Boy」は、アコースティックギターに続いて、グリアン・チャッテンの哀愁のあるボーカルが良い雰囲気だ。昨年、ソロ・アルバムをリリースしたことは無駄ではなく、ソングライターとしての成長という素晴らしい側面をもたらしたのではないだろうか。オーケストラヒットのようなパーカッシヴなポイントを設け、この曲は、よりダイナミックなロック・バンドとして歩きはじめたフォンテインズD.C.のたくましい背中を捉えることができる。「Sundowner」は「Starbuster」と並んで、このアルバムの重要なポイントとなりえる。90年代のUnderworldのような音楽をベースにして、メロトロンの逆再生等、ビートルズの影響を感じさせながら、ブリット・ポップの抽象的な音楽性に磨きを掛け洗練させる。この曲では、二曲目の「Starbuster」と同じように、ライブステージで映える一曲を書こうというバンドの強い意識を感じる。実際的にライブステージでは幻想的なロックとして、オーディエンスの心を掴みそうだ。

 

アルバムの節々には「オアシスやアークティック・モンキーズの次世代のバンドとして何をすべきか」というバンドのソングライティングの意図を見出だせる。それは完全な形になったとまでは言えぬものの、まだまだこのバンドが成長曲線を描いている段階にあり、次の作品あたりで何か凄いものを作りそうな予感もある。良質な曲を書こうというバンドの強い意識の表れなのか、聴き応えのある曲が最後まで用意されている。「Horsess In The Whatness」では、より内省的な感覚を表すことを躊躇しなくなったことを示唆し、グリアン・チャッテンがボーカリストとしてまだまだ成長過程にあるのを感じさせる。ストリングスやシンセサイザーというバンドの新しい要素と合わせて、ポスト・オアシスとしてのバンドの意義を示そうと試みる。続く「Death Kick」ではパンチのあるオルタナティヴロックソングで、メリハリをもたらす。

 

驚いたのは、すでに今年のグラストンベリー・フェスティバルのステージで披露された「Favourite」だろう。イギリス英語のスペルを選んだのも一興であるが、 ここでは彼らのルーツへの回帰が示されている。このロックソングは、スコットランドのギターポップ、ネオアコースティックを下地にして、曲の最後においてアイルランドの伝統性(Thin Lizzy)である美麗なツイン・ギターへと移り変わり、本作の中で最も甘い雰囲気が漂う。曲の最後では彼らの音楽の背後からスピリットが僅かに立ち上ってくる。ミュージック・ビデオにも示されている通り、それは「過去へのロマンス」という形を取り、私達をまだ見ぬ美しい音楽の旅へといざなう。フォンテインズD.C.は、見事にこれらの夢想的な雰囲気を最後の最後で生み出す。最も素晴らしい一曲がアルバムの最後で出てくることは、ファンにとって本当に喜ばしいことだ。

 

 

 

85/100

 

 

 

Best Track- 「Favourite」

 Horse Jumper of Love 「Disaster Trick」

 

 

Label: Run For Cover

Release: 2024年8月16日

 

 

Review

 

現在、イギリスでもスロウコアのリバイバル運動が地味に沸き起こりつつあるが、ボストンの(ベーシストのジョン・マーガリスとドラマーのジェイムズ・ドーランを擁する)ホース・ジャンパー・オブ・ラブも、2020年代のスロウコア/サッドコアのリバイバルを牽引する存在。

 

スロウコアとはシアトルのオーバーグラウンドに引き上げられたグランジに対する抵抗であり、アンチテーゼでもある。


この運動は、エモの最初期のムーブメントに近く、インディーロックそのものが商業主義に絡め取られていく中、いまだ地下に潜り続けることの意義を示そうとしたのだった。その代表格が、コデイン、レッド・ハウス・ペインターズ、レッド・スターズ・セオリー、ロウとなるか。

 

スロウコアの音楽的な特徴を挙げるとするなら、内省的なサウンド、激情的なハードコアとエモの中間にある感覚をスロウテンポの重量感のあるロックソングに仕立てるということだろうか。またメインストリームに反感を示しながらも、スロウコアがシアトル/アバディーンから発生したグランジをライバル視しているのは明らかで、コデイン、レッド・ハウス・ペインターズに見受けられる、サイレンスとラウドを瞬時に行き来するような極端なサウンドが特徴である。


これらのスロウコアの音楽性は、後にポストロックへと部分的に受け継がれていったが、最近の若手バンドがスロウコアを参考にするのは、オルタナティヴロックバンドとしてのパンクスピリット、つまり、ワシントンDCのDischordのハードコアサウンドの影響があるからではないか。実際、ボストンは80年代の重要なハードコアの拠点であり、この地域から気概のあるバンドが登場するのは、必然的であるとも言える。オルタナティヴなロックをやるのに欠かせないのは、パンクバンドとしての反抗心のようなもので、それは本来硬派な気風から生み出される。


Horse Jumper of Loveのサウンドには、ポストハードコアのスクリームも咆哮もないが、ギターサウンドには、それに近い感覚がある。もちろん、パンクの基本的な解釈がアップテンポなビートであることを考えると、あえて曲のBPMをテンポダウンさせ、ダウナーな気分を歌うという反骨的な内容である。パンクの原義から距離を置いているとは言え、バンドのサウンドにはパンクのテイストが含まれている。それは、オープナー「Snow Angel」に見受けられるように、内省的な感覚の吐露と苛烈なディストーションサウンドという鋭い対比によってもたらされる。


屈強ではなく、少し弱々しげだが、彼等のサウンドの内奥には、鋭い牙のようなものがギラついている。そしてアンサンブルの妙によって、徐々にサウンドのダイナミクスを増し、スロウコアのジャンルの代名詞であるエクストリームな激情性につながる。つまり、オールドスクールではなく、ポスト世代のハードコアの性質をバンドは自らの強みにしているらしいのである。

 

もうひとつ、スロウコアの特徴といえば、内的な美麗な感覚をインディーロックソングに折り混ぜるというものである。これらはオルタナティヴフォークでは、頻繁に行われていることだが、彼らは轟音性によって、美麗な感覚を作り出そうとする。かつてメタルバンドが行っていたような様式美を、スロウテンポのオルトロックという側面から作り出そうというのである。もちろん、「Wink」には、ヘヴィ・メタルのごときアンセミックなフレーズはおろか、シンガロングを誘う展開も出てこないが、ペドロ・ザ・ライオンや最初期のエモコアバンドのように、素朴な感覚が心地よいギターラインに乗せられ、音楽全体の叙情性が緻密に作りあげられる。


ポスト・ハードコア的な要素の他に、90年代のUSインディーロックの黄金時代に迫ろうという曲もある。例えば、それに続く「Today's Iconoclast」は、Pavement、Guided By Voices、Garaxie 500、Sebadohといったローファイで荒削りな性質を押し出したオルトロックサウンドを展開させる。90年代から00年代の原初的なオルトロックの正体とは、以前のカントリー/フォークを反映させた音楽だったのだが、彼らはこの特徴を巧みに捉えて、ザラザラとした質感を持つギターロックを構築する。そして、その中から、わずかにソングライティングの妙から生じる切ない抒情性が導き出されることもある。この曲では、Guided By Voices、Garaxie 500の時代に存在した、インディーロックバンドの拙さや未熟さから引き出される独特なエモーションを汲み出す。それは上記のバンドを知るかはともかくとして、特異なノスタルジアを呼び起こすのだ。

 

「Word」はスロウコア/サッドコアとしてはおなじみのスタイルである。ゆったりとしてラフな感じのイントロのアンサンブルから、エリオット・スミスやスパークルホースといったシンガーの代名詞である鬱屈した感覚を、ボーカル、ギターのダウンストロークのアルペジオ、そして、休符を重視したゆったりとしたドラムとベースのアンサンブルによって発生させる。これらは、ソロシンガーの作品では生み出し得ない''バンドとしての化学反応''を捉えることができる。そして、最終的には、アメリカン・フットボールの「LP1」のデモトラックのような憂鬱な空気感を生み出す。これが若いリスナーにとって、何らかのカタルシスをもたらすに違いない。

 

中盤にも、素朴なインディーロックの魅力が凝縮されている。ホース・ジャンパー・オブ・ラブのサウンドには、バンドメンバーの美的なセンスが立ち現れることがあり、それはゴシック/ドゥーム的な暗鬱さという形で出現する。そして、それは、Sunny Day Real Estateが1995年に発表した「LP2」に見出される、「音楽における美学」のようなスタイルとして現れることがある。


「Lip Reader」は、同じように憂愁をモチーフにしたインディーロックソングで、その暗さの向こうから、あたたかなエモーションがふいに立ち上ってくる。そして、夕闇の切なさのような絶妙な感覚が、ギター、ドラム、ベースの化学反応から生み出されることがある。続いて「Wait By The Stairs」は、エリオット・スミスのオルタナティヴ・フォークをロックとして再構築したような一曲。一貫して、暗鬱で物憂げなサウンドに縁取られているが、暗鬱さの向こうから癒やしの感覚がうっすらと浮かび上がってくる。どこまでも感覚的なのがサッドコアというジャンルで、バンドはその音楽形式に、ヘヴィメタルやメタルコアの重力を加えている。これが繊細でナイーヴでありながら、バンドとしての重厚感を感じさせる理由なのかもしれない。

  

バンドの音楽は、スロウコア、原初的なカレッジロック、USオルタナティヴという三つの要素が主体となっているが、もう一つ、サイケ・フォークからの影響も伺える。例えば、「Heavy Metal」は、シド・バレットのソロアルバムのような抽象的な感覚をシュールなギター、そして、物憂げなエモーションを醸し出すボーカルを中心に構築されている。ジョージ・ハリソンとバレットのフォーク・ミュージックに対する考えはきわめて対称的であり、ハリソンはアイルランド民謡の清々しさを神秘思想と結びつけた。他方、バレットは、どこまでも純粋な芸術的な感覚を押し出し、形而下の音楽をピンク・フロイドや以後のソロ活動を通じて探求していた。ハウス・ジャンパー・オブ・ラブは、どちらかと言えば、アーティスティックな感覚を擁するシド・バレットに近いフォークで、Kill Rock Stars(レーベル)に近似するサウンドと言える。


アルバムの後半に差し掛かると、American Footballの最初期の学生時代のモラトリアムのような感覚が立ち上がってくる。これは例えば、若者特有のナイーヴな感覚を捉え、それらをストレートに表現していると言える。「Curtain」は、コデインのような内的な激しさを擁するサウンド。これらのマニアックな音楽性には繊細な癒やしが存在し、それはスラッカーロック/ローファイのような激情性へと繋がる。これは例えば、マック・デマルコのツアーミュージシャンとしてキャリアを出発させたHorsey(ピーター・サガー)の「CD Wallet」に近いサウンドだ。

 

アルバムの終盤では、「Death Spiral」において、メタルの重さとエモの繊細さをかけ合わせて、「エモ・メタル」ともいうべき、異質な音楽を作り出している。「Gates of Heaven」では、90年代のUSオルタナティヴの原点に立ち返り、R.E.M、Pavementのようなカレッジロックの後継的なバンドの音楽を復刻しようとしている。クローズ「Nude Descending」は、少しだけバンドとしての遊び心が感じられ、Wednesday、Rartboysを始めとするノースカロライナ周辺の現代的なロックバンドの音楽を彷彿とさせる。この曲は、現代的なインディーロックソングの特徴である”アメリカーナの反映”という現代のインディーズバンドの主要なテーマが内包されている。




76/100


 

 *初掲載時にバンド名に誤りがございました。訂正とお詫び申し上げます。

 


 Best Track 「Curtain」

 Arve Henriksen 「Kvääni」

Label: Arve Music

Release: 2024年8月16日


Review

 


今年、ECMから『Touch Of Time』を発表しているアルヴェ・ヘンリクセンであるが、立て続けに自主レーベルからフルレングスのリリースを控えていたとはかなり驚きだった。新作アルバム「Kvääni」は、Laraajiを彷彿とさせるニューエイジ/アンビエントの作品であり、エレクトロニックジャズやストーリーテリングのような試みも行われている。推察するに、ECMでは出来ない音楽を、このアルバムで試してみたかったのではないだろうか。ジャズとは、スタンダードな作風を継承するのみならず、既存にはない前衛的なチャレンジを行う余地が残されているジャンルである。そのことを裏付けるかのように、短い曲が中心であるものの、様々な試みが本作に見出だせる。それは音楽のこれまで知られていなかった意外な側面を表すものでもある。


例えば、音楽は、言葉と音階やリズムという構成要素によって生ずるが、このアルバムを聴くかぎり、言葉がなくとも、何らかのイメージや思想形態、そして作品に込められた真摯な思いのようなものをテレパシーのように伝えることができることが分かる。


シンセサイザー、民族音楽の楽器、そして、トランペットの編集的なサウンドプロダクションを通して伝わってくるのは、アルバムの全体には東洋の神秘思想や、奥の院にある神秘主義への傾倒が通底しているということだ。さながら小アジアの寺院を観光で訪れ、その秘教の神秘主義の一端に触れるような不思議な味わいを持つ。曲自体は、それほど長大になることも冗長になることもなく、一貫して端的さが重視されている。およそ4分半以下にまとめられたシンプルなスピリチュアルジャズの中には、その枠組みから離れ、神秘的な源泉に迫るものもある。


音楽には、表側に鳴り響くものとは別に、裏側に鳴り響く何かを聴取する魅力がある。それは音楽の持つ源泉に触れることを意味する。ノルウェーのトランペット奏者、アルヴェ・ヘンリクセンは、神秘主義の音楽を一つの入り口として、宇宙のミクロコスモスに近づこうとする。その試みはララージや、生前のファラオ・サンダース、テリー・ライリーに近いものであろう。

 

アルバムの冒頭部「1-Kvenland」では、チベット・ボウルのようなアジアの民族音楽の打楽器の音響を始まりとして、神秘主義の扉を押し開くかのようである。現代社会の喧騒の中で生活していると、瞑想的な側面に触れる機会は自ずと少なくなってしまう。それは、この世に本当の音楽がきわめて希少だから。そして、アルヴェ・ヘンリクセンは、これらの未知の扉をゆっくりと開こうと試みる。その響きはチベット寺院の祈りのようであり、無限的な音楽が内包されている。


本作の序盤では、「編集的なサウンド」という、アルヴェ・ヘンリクセンのジャズの主要な特徴を捉えられる。「2-Ancestors From North」は、流浪の旅人をどこかの異郷で見かけるようなエキゾチズムがあり、それを空間的なジャズーーアンビエント・ジャズーーという新しい形で表現している。


全体的なスピリチュアル・ジャズの枠組みにおいて、ECMのマンフレッド・アイヒャーがもたらしたミニマルミュージックを基にしたエレクトロニックやテクノの要素が加わることもある。


「3-Secret Language」は、序盤の重要なハイライトであり、ノルウェーのJan Garbarek(ヤン・ガルバレク)が、2004年のアルバム『In Praise Of Dreams』 でもたらしたエレクトロニックジャズの要素を、トランペット奏者として踏襲している。これらの瞑想的かつ催眠的なエレクトロニックの要素が、ヘンリクセンの巧みなブレスと巧みに合致しているのは言うまでもない。

 

トランペット奏者のソロアルバムであるのにもかかわらず、純粋なエレクトロニックも収録されている。それはやはり、ララージやテリー・ライリーのようなニューエイジ系のサウンドに縁取られることが多い。


「4-Raisinjoki」は、レトロなシンセサイザーの音色を組み合わせ、アジアの民謡、あるいは東ヨーロッパの民謡のような一般的に知られていないワールドミュージックが繰り広げられる。簡素でありながら、無限の音楽が含まれているような奇異な感覚、まさしく万里の長城を登るときや、小アジアの隠された秘教の寺院の回廊を歩く時に感じるような神秘性を体感できる。「5-Sappen」は、従来のヘンリクセンの作曲の延長線上にある一曲。枯れたトランペットのミュートのブレスの渋い味わいがECMのエキゾチックジャズの魅惑的な響きとピタリと重なり合う。


「6-Voices From The Highlands」では山岳地帯をモチーフにしている。アラビア風の旋法が登場し、エキゾチズム性に拍車が掛かる。アルメニアの楽器、ドゥドゥクのような民族音楽の要素を強調している。従来の作品の中で、最もエキゾチックといえ、グルジエフのような秘教的な雰囲気が含まれている。そして、通奏低音をもとにして、色彩的なタペストリーを織り上げていく。


「7-Hansinkentta」では、ダルシマー/サントゥール/ツィターの楽器の特性を捉え、インド風の旋律で縁取っている。さらに、これらの弦楽器の演奏の上に、ドイツのクラフトワークのような原始的な電子音楽が付け加えられる。音の旅のようなニュアンスと神秘性を象徴付ける一曲として楽しめる。


中盤では、スピリチュアル・ジャズの瞑想的な響きを体験できる。「8-Invisible People」は、思弁的なトランペットの主旋律に導かれるように、複合的な対旋律が折り重なり、絶妙なハーモニーを形成する。ミュートとレガートを織り交ぜたヘンリクセンの演奏は、一般的なマイルスやエンリコ・ラヴァの系譜にある主流の演奏法とは明らかに異なる。スタッカートのような気高い演奏ではなく、むしろ徹底して感情は抑制され、厳粛な音の響きが重視される。少しだけ物悲しく、哀感溢れる演奏は、現代の混乱する世界情勢に対する演奏家の深い嘆きのような感慨が込められているのではないか。それは明確な言葉よりも、深く心を捉える瞬間もあるのだ。


「9-Kjelderen」は、アルバムの中で最も奇妙な一曲で、ジャズとしては問題作の一つである。ドローン風の効果音は、ホラー映画のサウンドトラックのような冷んやりとした感覚を呼び覚ます。隠された地下トンネルを歩くかのような、もしくは異世界のゆっくりと次元に飲み込まれていくような、おぞましくも奇異な感覚に満ちている。


更に「10-A New Story Story Being Told」において、ヘンリクセンは、勇猛果敢にも、東アジアの民族音楽をベースにして、アヴァンギャルドミュージックの最前線に挑む。旋律性や調性を度外視したフリー・ジャズの形式を、民族音楽の観点から組み直している。どことなく調子はずれな響きは、何を脳裏に呼び覚ますだろうか。

 

 

アルバムの後半部は、実験音楽、現代音楽、トランペットの音響の革新性、スポークンワードのサンプリング等、多彩な音楽性が発揮されている。「11-Creating New Traditions」では、カール・シュトックハウゼンのトーンクラスターの作風を踏まえた実験的な電子音楽を聴くことができる。


「12-Heritage」は、トランペットの音響の未知なる可能性を編集的なサウンドで抽出している。かと思えば、「13-The Mountain Plateau」では、民族音楽風の作風に舞い戻ったりと、変幻自在なサウンドを織り交ぜ、異なるモチーフを出現させる。「14-Moliskurkki」では、野心的な試みが見出される。エレクトリックジャズの先鋭的な側面を強調させ、ミニマルミュージックの構造性を作り上げ、無調の旋律のレガートをトランペットのブレスで強調させる。これらは、アフロジャズの原始性と現代的なエレクトリックジャズの融合を図っていると推察できる。

 

ポピュラー・ソングにスポークンワードをサブリミナル効果のように挿入する最近の音楽的な手法は、新しい作風の台頭のように見る人もいるかもしれない。しかし、実際は新しくはなく、2007年にHeiner Goebbelsが「Landshaft mit entfernten Verwandten」において、現代音楽や舞台音楽として、いち早く実践していたのだった。おそらく、これまでニュージャズの最前線を追求してきたアルヴェ・ヘンリクセンにとって、スポークンワードを物語のように導入することは、古典に近いニュアンスがあると思われる。「15-My Father From Isolagti」は、老人の声が悲しげな雰囲気を帯び、空間的な印象を呼び覚ます。それらの後に、ヘンリクセンのトランペットが登場するが、それは物語性の延長か、はたまた音楽の印象を強化するような役割を担っている。

 

終盤においてヘンリクセンは実験音楽の最前線に挑んでいる。 「16-Truth and reconciliation」では、アコーディオンの先祖であるコンサーティーナの音響を踏まえ、シュトックハウゼンのトーンクラスターと融合させる。この曲を聞くかぎりでは、金管楽器奏者のヘンリクセンは、作曲家/編曲家としてのみならず、電子音楽家としても深い音楽的な知識と理解、何より、実践力を兼ね備えていることが痛感出来る。この曲はむしろ、アヴァンギャルド・ジャズというよりも、ライヒやグラスの先にある現代音楽の新しいスタイルが断片的に示されていると言えよう。

 

しかし、前衛的なミュージック・セリエルの後、パイプオルガンのような敬虔な音響が登場する。シュールレアリズムや形而下にある概念を音楽で表現したような奇妙な音楽が続いている。


それらの前衛性は、トランペットの音響の潜在的な側面に向けられることもある。「17-On A Riverboat To Bilto」では金管楽器のルーツや楽器の出発に回帰する。イントロのドローン/ノイズに導かれるように、原始的な響きが始まる。細やかなブレスのニュアンスの変化からもたらされるヘンリクセンのトランペットの演奏には、音楽に対する深いリスペクトのような感覚が滲む。

 

この曲を起点とし、本作の最終盤では、原始的な音楽に接近する。原始的というのは、楽曲構成が未発達であり、旋律的ではなく、リズムも希薄であるということ。古来の西欧諸国の音楽は、スペイン国王のアルフォンソが音楽に旋律性をもたらし、英国圏のデーン人に伝えるまで、グレゴリオ聖歌のモノフォニーという要素が、その後分岐するようにしながら発展していったに過ぎない。以降、多声部のカウンターポイントが体系化され、教会旋法からポリフォニーが発生し、イタリアンバロックにおいて対旋律が洗練され、以後、ドイツの古典派やヨーロッパのロマン派、新古典派の作曲家が和声法や対位法を洗練させ、19世紀ごろにアフリカ発祥のリズムが加わり、以降のポピュラーやジャズ、ミュージカルという形式に変遷していった。

 

そして、現代の商業音楽の基礎を作ったのは、ニューヨークのジョージ・ガーシュウィン、近代和声を確立したラヴェル、ドビュッシーのようなフォーレのもとで学んだ作曲家だろう。また、日本の元旦に流れる「波の盆」のような和風な曲ですら、JSバッハの曲をヨナ抜き音階に再構成し、日本の伝統的な民謡のリズムや音階を付与したものに過ぎない。西洋にせよ、東洋にせよ、最近のポピュラー音楽など、悠久の歴史にとっては、束の間の瞬きのようなものなのだ。


想像しがたいことに、現在のような音楽は、多く見積もっても一世紀半くらいの歴史しか持たず、それ以前の系譜の方がはるかに長い。多くの人は、現在の感覚が全てだと思うからか、それを忘れているだけなのだろうか。しかし、あらためて、そのことを考えると、「18-New Awareness」のような曲は、音楽の原点回帰ともいえ、歴史の原始的な魅力を呼び覚ます。「19-Kaipu」も同じように、ECMのニュージャズを見本にして、音楽の原初的な一端を表現している。

 

最後の「20-Nature Knowledge」は何かしら圧倒されるものがある。この曲は、サントゥール/ダルシマーの弦楽器や鍵盤楽器のエキゾチズムとルーツを的確に捉えている。


ハープシコードやフォルテピアノを始めとする西洋楽器は、オーストリアのハプスブルグ家のお雇いの技術者が財閥の命令によって開発したのが由来である。しかし、原初的なモデルが存在し、それがダルシマー/サントゥールのような弦楽器だ。(日本の”琴”の同系に当たる。)この話は、西洋文化や音楽自体が小アジアやアナトリアのような地域から発生したことを伺わせる。

 

この曲では、そういった音楽の長きにわたる文化の混淆に触れることが出来る。サンプリングやエレクトロニック、ミュージック・コンクレートといったモダンな要素は限定的に留められていて、作品の最後になって、音楽的なスピリットがぼんやりと立ち上ってくるような気がする。


こう言うと、神秘主義者のように思われるかもしれない。しかしながら、音楽の最大の魅力というのは、論理では説明出来ず、文章化はおろか体系化もできぬ、密教の曼荼羅のような部分にある。本作の最終曲では、霊感の源泉のような得難い感覚が示唆されている。まさしく、それこそ、今は亡きジャズの巨匠、ファラオ・サンダースが追い求めていたものだったのだろうか。

 

 


86/100




 

 

 

 Details:

 

「1-Kvenland」A

「2-Ancestors From North」B

「3-Secret Language」A+

 「4-Raisinjoki」B

 「5-Sappen」B+

 「6-Voices From The Highlands」A

 「7-Hansinkentta」A

 「8-Invisible People」B+

 「9-Kjelderen」B

「10-A New Story Story Being Told」B+

 

 

 「11-Creating New Traditions」B−

 「12-Heritage」B

「13-The Mountain Plateau」 C+

「14-Moliskurkki」B

 「15-My Father From Isolagti」B+

 「16-Truth and reconciliation」C+

 「17-On A Riverboat To Bilto」B

 「18-New Awareness」A+

「19-Kaipu」A

 「20-Nature Knowledge」A+

 Wishy 「Triple Seven」


Label: Winspear

Release: 2024年8月16日




Review  

 

インディアナポリスの四人組……、いや、五人組は、学生時代にケヴィン・クラウターとニーナ・ピッチカイツを中心に結成された。学生バンドから出発したバンドのソングライティングは、放課後のインディーロック性に根ざしている。EP「Paradise」ではシューゲイズ/ドリーム・ポップと紹介されることもあったウィッシーのサウンドは、デビューアルバムにおいてカレッジ・ロックに近い音楽性へと進化している。デビューバンドらしい初々しさ、そして荒削りなロックソングは、彼らの音楽の魅力のほんの一部分にすぎない。Lemonheads、R.E.M,GBV、Cocteau Twins等、甘酸っぱい感じのインディーロックソングが「Triple Seven」には凝縮されている。

 

ウィッシーのサウンドの魅力は、洗練されていることではなく、荒削りであること。それから、完成されていないということ。それはバンドの未知数の潜在的な可能性を象徴付けている。バンドのデビュー作は、80年代のカレッジ・ロックのような、わかりやすいフックのあるソングライティングに加えて、若いバンドのはつらつとした感覚を10曲に詰め込んでいる。

 

「Sick Sweet」は、ネオ・アコースティックギターの後、甘酸っぱい旋律を持つディストーションギターというギターポップ/ネオ・アコースティックの要素が、ケヴィン・クラウターのヴォーカルと合致している。着古されたように思える懐古的な音楽も、彼らの手にかかると、なぜかしれないが、新しい雰囲気に変化するのは驚くべきこと。そして、ピクシーズのジョーイ・サンティアゴの系譜にあるチョーキングをもとにしたオルタネイトなギターは、中西部としてのバンドの姿ーーカントリー性ーーを浮かび上がらせる。80年代のダンスミュージックの系譜にあるシューゲイズの影響は、続くタイトル曲に示されている。彼らは、ダンスビートを基底に、それらをギターポップで彩るというこのジャンルのスタイルの基本に立ち戻っている。


更に、デビューEPの系譜にある親しみやすく口ずさめるメロディーが夢想的な空気感を生み出す。これらは、シューゲイズとドリームポップが地続きであることを、あらためて思い出させてくれる。Lemonheadsの影響下にあるパワーポップのナンバー「Persuation」も聴き逃がす事が出来ない。カレッジロックの範疇にある8ビートのシンプルなリズム、ローファイの質感を帯びる乾いたギター、それからドリームポップのような陶酔感を呼び覚ますボーカルの融合は、彼らがシューゲイズの子孫であるだけではなく、「カレッジ・ロックの末裔」であることを表す。アルバムの序盤で、彼らは、あらためてオルトロックのシンプルな魅力に焦点を当てている。

 

一見すると、荒削りなように思えるデビューアルバム。しかし、彼らの輝かしいセンスが垣間見える瞬間もある。「Game」では、苛烈なディストーション/ファズサウンドをもとに、韓国のシューゲイズプロジェクト、Parranoulのデビュー作に見られたような切ない感覚を織り交ぜる。80年代や90年代のメタルやハードロックに触発されたギターに、本作の冒頭と同じように、英国圏のネオ・アコースティック/ギター・ポップの要素を織り交ぜることで、Corneliusに近いアブストラクトなエモーションを作り上げる。フレーズの繋ぎ目で何度も移調を繰り返し、抽象的ではありながら甘い幻想的なメロディーを作り上げる。更に同曲では、他曲よりもドラムのプレイが冴え渡り、これらの激しいサウンドのテンションを巧みに背後から補佐しながら、バンド全体の司令塔のような役割を果たしている。ウィッシーが単なる二人のプロジェクトではなく、全体のグループとして録音を行った成果が、こういった一体感のあるサウンドを形作り、目の前に迫ってくるかのような迫力のあるダイナミクスを呼び起こしたのだろうか。


これらのオルタナティヴロックの真髄にあるソングライティングに加えて、ニューヨークやロサンゼルスの都市部のバンドとは少し異なるカントリー性が反映された曲も収録されている。「Love On The Outside」では、カントリーをもとにオルトロックソングを組み上げるという、R.E.Mが行ったソングライティング性を巧みに継承している。ペダル・スティールこそ使用されないが、彼らの持つ素朴な感覚が曲に乗り移り、80年代後半や90年代初頭のUSオルタナティヴロックの原点に立ち戻る。それらは、Pavementのような温和な空気感を呼び起こす場合もある。曲に満ち渡る友愛的な雰囲気は、聴いていると、微笑ましいような温かさが感じられる。

 

ロンドンのバンド、Whitelandsの雰囲気に近いドリーム・ポップに傾倒した曲も収録されている点に注目したい。「Little White」では、Cocteau Tiwns(コクトー・ツインズ)、Pale Saints(ペール・セインツ)のようなドリーム・ポップバンドの音楽が現代の音楽的な感性に上手く合致していることを表している。彼らは、上記のバンドの音楽性を次世代に受け継ごうとしているらしい。フィードバックを活用したディストーションサウンドの向こうから、おぼろげに立ち上るピッチカイツのボーカルは、バンドの多彩性の特性が反映されているように思える。当然のことながら、この曲には、90年代のUnderworldのような英国のダンスビートからのフィードバックも含まれている。ダンスミュージックのグルーヴをもとに夢想的な感覚を作り上げていく。その手腕はデビューバンドらしからぬ鋭い才覚が含まれていると見て違和感がない。


「洒脱」と呼ぶべきラフに着崩したようなインディーロックソングもまた、デビューアルバムのもう一つの魅力になるに違いない。「Busted」は、彼らがR.E.M、Lemonheadsのようなバンドと併せて、ストロークスのようなガレージロックリバイバルのバンドからの影響を持つことをうかがわせる。これらは、カナダのロックバンド、Colaのようなガレージ・ロックのリバイバルの系譜にあるサウンドと、Wishyらしいカレッジロックの系譜にあるサウンドと結び付けられ、スペシャリティがもたらされる。バンドのメンバーの音楽的な多彩さが見え隠れする一曲である。


また、続く「Just Like Sunday」はブリット・ポップを踏襲しつつ、それらを彼らの得意とするカントリー/フォークの要素ーーアメリカーナーーという形に置き換えている。イントロのアコースティクギターは、オアシスの名曲を彷彿とさせるが、それらをインディアナポリス風の田舎性で縁取る。時折、曲そのものから草原を駆け抜ける微風のようなサウンドスケープが呼び覚まされる。これらの想像力を掻き立てるサウンドは、彼らの思い出と十代の記憶によるものなのだろうか。しかし、それらは最終的に売れ線のナンバーへ移行するのに興味が惹かれる。


若さというのは、その一瞬にしか発揮されず、10年後に戻ってくることはない。10年後に同じような音楽をやろうとしても、なぜか同じものにならないことが多い。なぜなら、人間は同じようでいて、同じであることはほとんどありえないのである。してみると、彼らの数年の記憶、そして、短い期間に内在する人間関係のようなものを、アルバムという記録に残しておくことは、Wishyにとって重要なことだったのではないだろうか。「Honey」は、バンドとしての若さを象徴付ける一曲で、「スタンド・バイ・ミー」のような青春の雰囲気に浸されている。

 

本作は、夏休みの終わりに、米国の中西部の田舎道でティーンネイジャーの若者たちが笑って戯れあうような素晴らしい空気感に満ちている。そこに何を見出すかは、リスナー次第ということになろう。しかし、それは、夕日を浴びて、彼らの背後の影となり、長い長い一連なりの道を形作っている。「Honey」、「Spit」は、バンドがぜひとも収録しておきたかった曲ではないだろうか。そして、十年が経った時、ふと、自分たちの歩んできた道を振り返った時、これらのデビューアルバムの収録曲は、バンドのメンバーにとって美しいレガシーとなるに違いない。

 

 

 

82/100

 

 


 

WishyのデビューEP「Paradise」の特集についてはこちらからお読みください。

 

Details:

 

「1.Sick Sweet」B+

「2.Triple Seven」A+

「3.Persuasion」B

「4.Game」A−

「5.Love On The Outside 」B

「6.Little While」B−

「7.Busted」B+

「8.Just Like Sunday」C+

「9.Honey」A

「10.Spirit」 B+

NIKI 『Buzz』

 

Label: 88rising

Release: 2024年8月9日



Review

 

今週最後に紹介するのは、インドネシア出身で現在ロサンゼルスをベースに活動するシンガーソングライター、NIKIの最新作『Buzz』です。ニューヨーク・タイムズの特集で紹介されたほか、イギリスのDIYでも取り上げられた現在最も注目を受けるシンガーソングライターで、世界的なブレイクの予兆は見えている。新世代のベッドルームポップ/インディーポップの新星の登場です。

 

前作アルバムでは、高校生時代のヤング・カルチャーを織り交ぜた若い年代のポップスを制作したが、最新作『Buzz』では、ベッドルームポップやインディーポップをベースにし、R&Bやファンクのテイストを織り交ぜている。もちろん、アルバムの音源という単位でも良作であるには違いないが、TikTokやInstagramの現代的なデジタルカルチャーを反映させていることに注目だ。曲ではソーシャルメディアの影響を織り交ぜ、軽やかで耳障りの良いポップスは今、多くのリスナーの需要に応える内容である。また、同時的に、beabadoobeeにも近いソングライティングで、その中にはバロックポップや古いファンクからの影響もあるが、NIKIの場合は、ソフィスティポップに近い爽やかな質感を持っている。夏の暑さを取り払うのに最適な13曲で、NIKIは並み居る現代的なシンガーソングライターの中で力強い存在感を示そうとしている。

 

全般的には現行のインディーポップの範疇にあるソングライティングが際立っているが、それと同時に、西海岸のビーチ周辺のリゾート的な雰囲気も漂う。アルバムのタイトル曲「Buzz」はAORをベースにし、ギターロックやベッドルームポップのテイストを添えている。また、スポークンワードを部分的に取り入れるという点では、現代的なソングライティングの範疇に属する。耳障りの良いギターロック/インディーポップという側面ではヒットの要素が凝縮されているが、同時に88rinsingのストリート系のアパレルを扱うファッションブランドとしての要素も度外視することが出来ない。NIKIのポップスは、アパレルショップのBGMに最適であり、スタイリッシュな感覚に縁取られている。それほど音楽に詳しくないリスナーにとって「Buzz」は刺さる何かがあるに違いない。そして西海岸のストリートを肩を切って歩くようなクールな感覚もシンガーの曲の特徴である。

 

アルバムにはアジア的というよりも、サンセット・ブールバードのようなカルフォルニアの観光地の空気感に浸されている。ヤシの木の間をはしる大通りをスポーツカーで流すような感覚。時間の移ろいとともに、西海岸の海の向こうに陽が沈んでいく様子、時には情景……。それらのロマンティックでリラックスした感覚は、ハリウッドスターが出没するかもしれないスポット、あるいはシネマカルチャーを反映させたロサンゼルスの名産地の空気感を体現している。

 

「映画配給会社の最大手、パラマウントのテレビ・スタジオが今週末にも閉鎖され、また、会社の従業員の何割かが解雇予定であり、制作中の映画がテレビ・メディアのCBSの管轄に入り、さらに、同社の社長のクレメンス氏がすでに会社を離れる準備をしている」と、昨日報道されたような映画業界の難しい事情があるにせよ、NIKIは、そういったシネマ・スターのいるであろう街角で、現代的な産業の動向を軽やかに笑い飛ばすかのように歌い、涼やかな目で見守り続ける。''スターなんてどこ吹く風''という感じなので、どちらかと言えば、アンチ・ヒーローのような立ち位置を取り、涼やかなボーカル及びポップソングを披露するのである。これが現代的なリスナーに支持される要因ではないかと思われる。つまり、歌手は、トレンドを見ているようでいて、そこから少し距離を取っているのである。ただし、NIKIという歌手が単なるソーシャルメディア世代の範疇を出ないティーンネイジャー風のシンガーソングライターであると侮るのは早計かもしれない。「Too Much of A Good Thing」は、 レニー・クラヴィッツのようにファンクとロックを融合させたスタイルで本格派のミュージシャンの気配を漂わせる。この曲はロサンゼルスのR&Bのニューエイジを象徴付けるような素晴らしいナンバーである。


アルバムの中盤では、他のインディーポップスターと同じように、ギターロックやロックスターへの愛着を象徴付ける収録曲が目立つ。例えば、それは現代的な他のベッドルームポップのアーティストと同じようにヘヴィネスを徹底して削ぎ落とした聞きやすく耳障りの良いロックソングという形に昇華されている。ただ先にも述べたように、トレンドを意識しているからとはいえ、まったくこのシンガーのカラーやキャラクターがないかといえばそうではない。「Colossai Loss」では、エンジェル・オルセン風の「ポスト・プリンス」としてのポップソングが登場し、また、アルバムの前半のハイライト「Did You Like Her In The Morning?」では、内省的なインディーポップへと傾倒している。これらの2曲は一貫して、甘口のメロディーとキャチーなフレーズという現代のポップスの黄金比を駆使しながら、しなやかな雰囲気を持つ楽曲へと昇華させている。そして特に「Did You Like Her In The Morning?」では、バラードシンガーとしての才覚を秘めていることを伺わせるのである。まだそれは涙腺を震わせるほどのものではないにしても、少なくとも良質なポップソングを書こうというソングライターの心意気を感じさせる。

 

ドイツの人気ポピュラーシンガー、クリス・ジェームス(Chris James)のように軽快な感じで始まったこのアルバム。特に中盤において歌手の優れた才覚が見出だせる瞬間がある。「Take Care」は、 ストリングスの録音をミニマルミュージックとして解釈し、その枠組みの中で、Lana Del Reyの系譜に属するポピュラー・ソングを構築しようとしている。この曲に満ちわたるセンチメンタルな感覚と内省的な叙情性は、もしかすると、西海岸のポップスターの再来を断片的に予兆するものなのかもしれない。また続く「Magenets」でも、ティーンネイジャーらしいセンチメンタルな感覚をモチーフにして、キュートな感覚をポップスにより表現している。また、西海岸の歌手らしくローファイやチルウェイヴの反映もある。日本語のトラック「Tsunami」は、ヒップホップの系譜にあるメロディアスな要素を持つこのジャンルの特徴を受け継ぎ、西海岸の夕暮れの感覚や海辺の情景が暗くなっていく頃の切ない感覚を巧みに表現している。アンビエント、チルアウト、ローファイを複合的に組み合わせ、詩的で情緒溢れる音楽を巧みに作り上げるのだ。

 

 

トレンドのポピュラーとしては、「Blue Moon」にも着目したい。音程を暈すという手法は、現代的なポップスの範疇にあるが、その後、ヒップホップのビートを反映させ、ステップを踏むようなグルーヴを作り出す。反面、ポピュラーとしてのボーカルのメロディーはシーラン、スウィフトといったメガスターの作法を踏襲している。ただ、この曲に強い印象を及ぼしているのは、間違いなくヒップホップの系譜にあるビート。 それが曲に強いカラーをもたらす。

 

アルバムの後半では、コンテンポラリーフォークとベッドルームポップの融合というテーマがある。これがオーガニックな雰囲気を持つアンビエント風のシーケンスにより演出されている。「Strong Girl」はポピュラーとしては注目したい曲で、商業的なコンテンポラリーフォークの歌手としての卓越した才覚が示されている。ただ、本格派というより、親しみやすいTikTok時代の歌手としての立ち位置を取っているため、メロディーが聴覚にすんなり馴染んでくる。「Paths」では、Lana Del Reyが示唆した映画的なポップスという手法を受け継ぎ、バイオリンのピチカートをトラックの背後に配置し、モダン・クラシカルの影響下にあるポピュラー音楽を作り上げている。これらは実のところ、ディズニー映画のサウンドトラックで何度も繰り返されてきた作曲の手法であるが、ポピュラーの領域にそれを呼び込もうという姿勢に関しては、2020年代後半の商業音楽の呼び水、言い換えれば、前兆のようなものとなっている。

  


アルバムの後半では、ベッドルームポップの良質なナンバーが収録されている。例えば、この夏の終わりに、週末の友達の車で「Heirloom Pain」が流れてきたとしたら、センスが良いと思うだろう。この曲には繊細なメロディー、それとは対極にあるポップバンガーの要素が併存している。クローズにおいても、スタイリッシュなポップスというNIKIの主要なイメージは相変わらず。カルフォルニアの波のように爽やかなポップソングがアルバムの最後を華麗に彩る。

 

 

 

85/100

 


Best Track- 「Take Care」





Details:

 

「1- Buzz」A

「2- To Much of A Good Thing」A

「3- Colossai Loss」B

「4- Focus」C

「5- Did You Like Her in The Morning?」A


「6- Take Care」 S

「7- Magnets」 A

「8- Tsunami」A

「9- Blue Moon」B

「10- Strong Girl」B

「11-  Paths」A

「12-  Nothing Can」B−

Fucked Up 「Another Day」

Label: Fucked Up Records

Release: 2024年8月9日



Review


カナダ・トロントのハードコアバンド、Fucked Upの新作アルバム『Another Day』は、昨年発売された伝説的な『One Day』に続くコンセプト作品である。Jade Tree,Matador,Margeと数々のレーベルを渡り歩いてきたファックド・アップは相変わらず今作でも好調な状態を維持している。昨年の一日でレコーディングされた『Another Day』ほどの痛撃さはないかもしれないが、ダミアン・アブラハムの屈強なボーカル、そしてノイジーかつメロディアスなギターリフ、そしてシンセサインザーのアレンジ、さらにはこのバンドらしいスピリチュアルな感覚に根ざしたコーラスワーク等、ファックド・アップの魅力が凝縮されたアルバムであることは変わりがない。

 

やはり、パワフルでエネルギッシュなパンクという側面では、このバンドに叶う存在はいない。今回のアルバムもゴツゴツとした岩のような、あるいは、重戦車のようなアブラハムのボーカル、屈強なギターリフがオープニングを飾る「1- Face」から炸裂する。疾走感と無骨なイメージがこのバンドの代名詞であるが、前作からそうであったようにメロディアスなハードコアパンクという指針のようなものが伺える。もちろん、経験のあるバンドとして新しい挑戦も見出すことができる。最近、The Halluci Nationなどのコラボレーションを通して、電子音楽的なパンクに取り組んでいたことからも分かる通り、このアルバムがそれ以前に録音されたものであるとしても、電子音楽とハードコア・パンクという現在のバンドの音楽的なディレクションを捉えることができる。それはやや、ノイジーでハードな印象であることは確かであるが、それと同時に旧態依然としたパンクの文脈に新しい要素や意味をもたらそうとしているのだ。

 

しかし、実験的なハードコア・パンクという方向性を選んでもなお、彼らのアンセミックなパンクの要素は健在である。2曲目の先行シングルとして公開された「2- Stimming」は、イントロでは、スコットランドのバクパイプの音色を元にして、Dropkick Murphysの次世代のハードコア・パンクが組み上げられる。この曲は、アルバムのハイライトで、バンドの新しいアンセムソングが登場したとも見ることができる。この曲ではボーカルのアンセミックな響きはもちろん、コーラスワークやシンセサイザーの演奏を効果的に用いながら精妙な感覚を表そうとしている。その精妙な感覚はノイズや轟音によってかき消されることもあるが、ナイスなナンバーであることに変わりはない。続く、「3- Tell Yourself You Will」でもテープサチュレーションのような効果、そしてシンセサイザーを駆使して、近未来的なハードコア・パンクを構築している。メインボーカルとサブコーラスの兼ね合い、つまり、このバンドの対比的なボーカルとコーラスが絶妙な心地よさを生み出す。それらのボーカルを主体としたハードコア・パンクは、やはりバンドの副次的な魅力である疾走感のある楽曲のスタイルに縁取られている。

 

新しいパンクの形式を選びながらも、ポップパンクの王道のスタイルの影響下にある曲も含まれている。「4- Another Day」はグリーン・デイの系譜にあり、あらためてパンクとしての簡潔性やシンプルさを体現している。この曲では、ややボーカルアートのような趣向性も凝らされているが、パンクソングそのものの楽しさや痛快さといった彼のサウンドの中核にあるものを抽出している。それは実際、快哉を叫びたくなるほどの痛快さを持って聴覚を捉える。「5 - Parternal Instinct」は、イントロはメタル的な雰囲気から、ミドルテンポのパンクソングへと以降していく。このバンドのヘヴィネスの要素は、もしかするとメタル由来のものであるのかもしれない。そしてここでも、アブラハムのボーカルは、ポップパンクのアンセミックな響きに焦点が絞られている。ヘヴィネスという要素の他に、曲のわかりやすさや、ライブで映えるソングライティングをファックド・アップが心がけていることが伺える。そして曲の後半でもややヘヴィ・メタルに触発されたギターリフを元にヘヴィな質感を持つロックへと移行している。

 

シャウトに近いアブラハムのボーカルは、バンドのメロディアスなパンクの助力を得ることによって、エモーショナル・ハードコアの領域に差し掛かることもある。「6- Divining Gods」は、前作アルバムの音楽性と地続きにあると言えるかも知れない。このバンドの屈強なハードコア・パンクと清涼感のあるメロディアスパンクの要素が劇的に合致し、見事な一曲が生み出された。そしてボーカルそのものにも旋律的な要素が立ち現れる時、いくらか近づきにくいボーカルは、むしろどことなくユニークで可愛らしいような雰囲気に変わる。ハードコアバンドとしての表向きからは見えづらい親しみやすさが込められている。メタリックなギターも当然ながら、最もハードで激烈なスクリームに近いボーカル、さらに激しいディストーションとタイトさを重視したドラムというこのバンドの持つプレイスタイルが掛け合わされた時、ファックド・アップの「エモーショナル・ハードコアとしての一面」が立ち表れてくる。つまり、夏の蜃気楼のように立ち上る純粋な叙情性により、迫力のある瞬間を出現させるのである。

 

エモーショナル・ハードコアとしての要素は、続く「7- The One To Break It」にも引き継がれている。ここでも叙情的なリードギターをいくつか重ね合わせ、メタルコアとエモーショナル・ハードコアの中間にある際どいサウンドを追求している。そして同じように、ボーカルとコーラス、そしてタメを意識した巧みなドラム、さらにリードギターを複雑に重ね併せて、精妙な感覚を作り出す。いうなれば最もハードでノイジーな曲の中に、それとは対比的な静謐な瞬間を見事に生み出すのである。これについては、パンクロックのノイズ、及び、それとは対象的なサイレンスという二つの側面をよく知るベテランバンドとしての音楽的な蓄積と勘の良さのようなものが感じられる。このアルバムの中では、最も素晴らしい一曲なのではないかと、個人的には思った。

 

このアルバムには形骸化したパンク・ロックに新しい風を呼び込もうという狙いを読み取ることができる。それはカットアップコラージュのような現代的な編集的なサウンドであったり、実際的に録音現場での楽器の組み合わせや、リズムやグルーヴという演奏者しか分からない領域に至るまで、精巧に作り込まれていることが分かる。 問題を挙げるとするなら、それが脚色的なサウンドになり過ぎ、パンクの持つ簡潔性を削ぎ落としているということだろう。これが一般的なパンクファンからはちょっと近づきづらさを覚える要因となるかもしれない。

 

しかし、個人的には、このバンドの持つ特異なヘヴィネスには癖になるものがあると思う。実際的なライブバンドとしては、高い評価を獲得しているファックド・アップのメロディアスな要素とは別の魅力は、「8- More」のような得難いヘヴィ・ロックに求められるのかもしれない。また、友愛的なパンクの要素を押し出そうとしていることも、アルバムの主要な特徴となっている。

 

この世界の本質は、憎しみでもなく、ましてや分離でもなく、友情で繋がること、無条件の愛によって一つに収束する、ということなのである。ファックド・アップは、苛烈な印象を持つハードコアパンクサウンドによって、それらのことを伝えようとしているのではないだろうか。「9- Follow Fine Feeling」はまさしく、そんなことを表していて、彼らの友愛的なパンクの一面が導き出されている。このアルバムを聴いて、あらためてパンク・ロックの素晴らしさに気づく人も少なくないだろうと思われる。真実の伝道師、ファックド・アップは、クローズ曲「10- House Light」においてもやはり同じように、パンクロックの結束力や友情という側面に焦点を当てている。

 

 

 

Best Track- 「7 The One To Break It」

 

 

 

 

84/100

 

 


Details: 

 

「1- Face」B

「2- Stimming」A+

「3- Tell Yourself You Will」A

「4- Another Day」B

「5 - Paternal Instinct」C

「6- Divining Gods」B+

 「7- The One To Break It」S

 「8- More」B

 「9- Follow Fine Feeling」B+


前作「One Day」のレビューはこちらからお読みください。

 beabadoobee  『This Is How Tomorrow Moves』

 

Label: Dirty Hit

Release:2024年8月9日

 

 

Review  

 

フィリピン/イロイロ島出身のロンドン在住のシンガーソングライター、beabadoobeeはデビューアルバムでは音楽性が定まらなかったが、このセカンド・アルバムでようやく「一家言を持つようになった」とも言える。一家言といえば大げさかもしれないが、主張性を持つようになったことは明確である。音楽的にも、スポークンワードに挑戦し、ロンドンの現代的な音楽を吸収しているのを見るかぎり、「海に飛び込む覚悟!!」という歌手の説明は、単なるブラフではあるまい。もちろん、海に飛び込んだ後、どこにたどり着くかは、依然としてはっきりとしていない。ドーヴァー海峡を越えて、別のユーラシアの国にたどり着くのか、それともほかに??


さて、最近、88risingのNIKIを見ると分かる通り、アジア系のシンガーソングライターに注目が集まっている。beabadoobeeもその一人には違いないが、このセカンド・アルバムにアジア的なテイストはあるのだろうか。フィリピン時代に、シンガーが聴いていたと思われる日本のポピュラー音楽の影響も微かに感じられるが、それは色付けや脚色のような範疇に留められている。(タイを始めとする東南アジア圏では、シティ・ポップをはじめとする日本の音楽が若者に親しまれている。)間違いなく、このアルバムの根幹にあるのは、モダンなロンドンのポップスであるが、ソングライターは自分らしいカラーをこの作品で探求しているように思える。ファースト・アルバムのようなアルバムを期待して、少し雰囲気が変わってしまったことに落胆を覚えるリスナーは、息子や娘が自分の元から旅立ってしまったとき、ショックを覚えるタイプの人々だろう。少なくともセカンドには、歌手としての成長のプロセスが示されているらしい。

 

Dirty Hitの所属アーティストは、それほど地域性という側面にこだわらないような気がしている。基本的には、Dirty Hitには商業的なポップスを制作するミュージシャンが多いが、彼らの共通点を挙げると、ローカルな音楽ではなくて、コスモポリタニズムの範疇にある音楽を制作するということである。つまり、彼らの出発は地域的だが、そこを飛び出し、より広いコスモポリタンとしての領域へと踏み出そうとするのである。唯一の例外は、オスカー・ラングだが、最もイギリスらしい曲を書く歌手である一方、やはりローカルなポップスとは言い難く、「インターナショナルなポピュラー」という点では共通している。そして、beabadoobeeのセカンドアルバムの作曲性についても、インターナショナルな観点を重視しており、イギリス的な音楽というよりも、ヨーロッパ的な音楽が、この二作目には通奏低音のように響いている。そしてそれは、現代のトレンドになりはじめているチェンバーポップのリバイバルから、イエイエのようなフレンチ・ポップの復権、バブリーな雰囲気を持つアジアのポピュラー等、多角的な音楽性を基底にして、デビューアルバムより完成度の高い作品が制作されたと見るのが妥当である。

 

しかし、何かが変わったことは事実だが、デビュー作の音楽性が完全に立ち消えとなったかと言えばそうでもない。依然としてベッドルームポップの範疇にあるガーリーなポップスは引き継がれている。

 

「1- Take A Bite」は今最もストリーミングで人気がある一曲。いちばん興味を惹かれるのは、Tiktok、Instagramの時代の即時的な需要に応えながらも、曲全体の作り込みを軽視することがないということ。緻密に作り込まれているが、他方、聞きやすい曲を渇望するリスナーの期待にも応えてみせる。

 

このオープナーには、ソングライターとしてのbeabadoobeeの器用さが表れている。甘口のポップスを書くことに関しては人後に落ちないシンガーの真骨頂とも言うべきナンバーだ。それに加えて新しい音楽的な要素もある、チェンバーポップのリズムを交えながら、曲の後半では、アンセミックなフレーズを出現させる。しかしながら、それはオルトポップの位置づけにある。ここにはインディーズ音楽をこよなく愛するシンガーの好みのようなものが反映されている。


beabadoobeeの音楽性にはデビュー・アルバムの時代からオルタナティヴロックの影響が含まれている。

 

「2-Calfornia」では、オルタナティヴロックをベースに、それらをポップスの切り口から捉えている。サンプリング的なギターロックという側面では、Nilufur Yanyaに近く、また同時に80年代のハードロックの系譜にあるメタリックなギターのリフが際立っている。しかし、やはりオリジナリティがあり、それらのテイストを甘口のベッドルームポップで包み込む。好き嫌いが分かれるかも知れないが、アイスクリームのように甘いメロディーとツインリードを元にしたギターラインが組み合わされる時、このアルバムの序盤のハイライトとも称すべき瞬間が出現する。

 

「3−One Time」では、アーティストが語っていた「他者と自分の関係性」についてのテーマが見え隠れする。いわば前作までは、「他者の影響下にある自己」というテーマがフィーチャーされていたのだったが、今作では、環境に左右されることのない自律性を重んじており、「自分を主体とした他者」という以前とは真逆の見方や考え方が反映されているように思える。ドラムテイクを中心とするバンド形式での録音だが、ここでは前面に立つ自己を許容しており、またおそらく、「自分に自信や責任を持つことの重要性」を対外的に示そうとしているのではないか。それは前項とも関連性があるが、他者に惑わされることのない無条件の肯定感でもある。現代のソーシャルメディアが優勢の時代、一般的には承認を受けなければ価値に乏しいという考えに走りがちだが、それは一つの価値観に過ぎない。他者の承認というのは、一時的なものに過ぎず、それとは別の「無条件の自認」という考えがソングライティングの根幹に揺曳する。歌声自体にも、デビューアルバムに比べて、自負心や、勇敢な気風が備わっている。これは、実際的なライブ等で経験を積みながら、着実にファンベースを獲得してきたシンガーとしての実感のような思いが、歌声やソングライティングにリアリティを付与したと考えられる。

 

「4−Real Time」では、デビュー・アルバムにはなかったタイプの曲で、聞き手を驚かせるはずだ。ララバイやバラッドという西洋音楽の古典的な形式を踏襲し、ディキシーランドジャズのような米国の音楽的な要素を付け加えて、ビートルズの影響下にあるソングライティングに昇華させている。デビューアルバムの夢想的な楽しさという音楽的なテーマは2年を経て、別の感覚に転化したことが分かる。ソングライターとしての音楽性の間口の広さがこの曲に表れている。


「5- Tie My Shoes」では、アコースティックのオルトフォークのイントロから、やはりこのアーティストらしいベッドルームポップのブリッジやサビへと移行していく。そして、前作にはなかったカントリーやフォークの要素が、レビューの冒頭で述べたように、インターナショナルなポピュラー音楽としての機能を果たしている。特に、この曲ではアコースティックギターにバンジョーのようなフォーク音楽の源流にある楽器を使用することで、「モダンとクラシックのハイブリッド」としての現代の商業音楽というウェイブを巧みに表そうとしているのである。

 

 Best Track-「Tie My Shoes」

 

 

さらに、セカンド・アルバムでは音楽性として多彩なバリエーションが加わっている。中盤では、落ち着いた聞かせるタイプの楽曲が多く、シンガーソングライターとしての進化が伺える。


「6-Girl Song」では、オスカー・ラングが最新作で示したような70年代、80年代のビリー・ジョエルのソングライティングを踏襲し、beabadoobeeはピアノ・バラードの領域に踏み入れている。静謐なバラードの導入部には「帰れ ソレントへ」に代表されるカンツォーネからの影響も伺え、牧歌的なフォークの響きとポピュラーとしての深みが見事な合致を果たす。さらに、ジョエルのようなシンプルな構成を元に、”良いメロディーを聞きたい”という要求に、ソングライターは端的に応えている。亜流の音楽ではなく、王道の音楽にストレートに挑んでいる点に、頼もしさすら感じられる。一方、「音楽の楽しさ」という点を重視しているらしく、「7- Coming Home」では、古典的なワルツの形式を踏まえて、それらを遊園地のメリーゴーラウンドのようなきらびやかな楽しさで縁取っている。その中で、往年のイエイエのようなフランスの歌手のボーカルの形式を踏まえ、おしゃれな感覚のあるポップスという形に昇華させている。

 

一方、「5- Tie My Shoes」で登場したフォーク・ミュージックの要素が続く「8- Ever Seen」で再登場する。バンジョーの響きが、beabadoobeeの甘口のポップスと鋭いコントラストを描き、モダンとクラシカルという、このアルバムの副次的なテーマが、表向きのテーマの向こうにぼんやりと浮かび上がってくることがある。この曲では、The Poguesに象徴されるアイルランドのフォークとインディー・ポップの魅惑的な響きが掛け合わされて、このアーティストしか生み出し得ないスペシャリティが生み出される。この曲は最終的に、舞踊曲に変わっていき、踊りのためのポピュラーミュージックへと変遷していく。以前、beabadoobeeeは、彼女自身が出演したバレエのミュージックビデオも撮影していたが、舞踏曲としての予兆が込められていたのである。

 

すでにいくつかのワールドミュージックが登場しているが、続く「9- A Cruel Affair」では、ボサノヴァとイエイエのボーカルをかけ合わせて、南国的な音楽のムードを作り出す。これらは神経質なポピュラーとは対象的に、音楽の寛いだ魅力を呼び起こそうとしている。アルバムの中の休憩所となり、バリ島のリゾート地のようなリラックスした雰囲気を楽しめる。ただ、一貫してbeabadoobee のボーカルは、全盛期のフランソワ・アルディを意識しているのかもしれない。少なくとも、イエイエのようなフレンチ・ポップのおしゃれな語感を活かし、夢想的な感性に縁取ってみせる。途中に導入されるギターは天にも昇るような感覚があり、クルアンビンのサイケロックやホリー・クックのダブのようなトロピカル性やリゾートの感覚を呼び覚ます。



その後、オルタネイトなインディーロックが再登場する。「10- Post」は、バンド形式の録音で、現代的なバンガーとなるべく制作された一曲である。アコースティックのドラムと打ち込みのドラムを交互に配置し、ロックとエレクトロニックの印象を代わる代わる立ち上らせる。そしてボーカルにしても、ギター、ドラムの演奏にしても、従来のbeabadoobeeの曲の中ではパンキッシュな魅力を持つトラックに昇華されている。時々、曲はメタリックな性質が強まることもある。一方、デビューアルバムから一貫している、内省的な感覚を備える切ないメロディーが背後にちらつく。これらのエネルギッシュな側面とナイーヴな側面の融合が多彩性をもたらす。無論、表向きの音楽のみならず、背後に鳴り響く音楽としての性格も具備している。これが音楽に説得力と呼ばれるものや、何度も聞きたくなる要素をもたらすことは明確なのだ。

 

続く「11- Beaches」は、オルトポップ・アーティストとしての総括をするような一曲である。ベッドルームポップの系譜にあるギターの内省的なイントロから、それとは対象的にポップバンガーとして見ても違和感がないダイナミックなサビへ移行する瞬間は、beabadoobeeの最初期のキャリアを象徴付ける最高の一曲が誕生したと見るのがふさわしいかも知れない。この曲は、アーティストとして、次のステップへと進む予兆が暗示されている。さなぎが蝶へと進化し、やがて大空に羽ばたくように、別の存在へと生まれ変わる段階がこの曲には示唆されている。

 

 

終盤の「12- Everything I Want」以降では、本来は少し控えめな歌手の一面が伺えるが、自らのキャラクターを遠慮会釈なく対外的に提示することに大きな意義がもとめられる。実験音楽ではないものの、商業音楽としての実験性が示されていることは事実だろう。オルタネイトなギターロックやイエイエ、ワールド・ミュージック、それから、フォークという多角的な音楽をベースにして、独自のカラーを探っているように感じられる。これは従来の住み慣れた領域から別の地点に向け、ゆっくりと歩き出すシンガーソングライターの背中を捉えることができる。

 

今、beabadoobeeはギターを手にして、どこかへ向けて歩きだしたようだが、そのゴール地点はまだぼんやりとしていて見えない。夢想的でスタイリッシュな音楽という抽象的な概念、それを従来のポップやロックという視点を通して的確に表現する時、beaのポピュラーの概念が完成するのだろう。まだ、その旅程の途上であると思われるが、しかし、シンガーは理想とする音楽に一歩ずつ着実に近づいている。その核心を見出した時、本当の自己を見出すのかも知れない。


終盤の2曲は、シンプルなフォークミュージック、オルゴールのような音色を使ったポップスが心地よく鳴り響き、従来の夢見るような少女的な感覚を決定付けている。最終的には、自己を肯定するという重要な主題が見出すことができ、ポスト・サワヤマとしての歌手の立ち位置を表している。さらに、同時に、どうやらこのアルバムには、現在の自分に対する追憶、そして過去の自分に対する惜別のような際どい感覚がさりげなく織り交ぜられているように感じられる。


ロンドンのSSWのセカンドアルバム『This Is How Tomorrow Moves』は、現在と過去の自分の姿を明瞭に俯瞰した上で、それらを録音で体系的にまとめ、不透明な未来への予測と憧れを示すとともに、「シンガーソングライターとしてのスナップショット」を音楽という形で捉えようとしている。


 

 

 88/100

 


Best Track-「Beaches」

 

 

 

Details: 


「1- Take A Bite」 B+

「2 - Calfornia」 B

「3− One Time」B

「4− Real Time」B

「5- Tie My Shoes」A

 「6- Girl Song」A

「7- Coming Home」B

 「8- Ever Seen」A−

 

 「9- A Cruel Affair」B+

 「10- Post」B+

 「11- Beaches」S

 「12- Everything I Want」C+

 「13 - The Man Left Too Soon」B

 「14- This Is How It Went」 B+


* beabadoobeeのデビューアルバム「Beatopia」のレビューはこちらからお読みください。

 I Love Your Lifestyle 「Summerland(Torpa or Nothing)」

 


 Label: Counter Instuitive  

 Release: 2024年8月2日


Review


スウェーデンのI Love Your Lifestyleは、いわゆる「ポストエモ/リバイバルエモ」として名高いバンド。


これらのジャンルは、2010年前後、Snowing、Algernon Cadwallader、Midwest Penpalsといった米国の中西部周辺の先駆的なバンドが中心となり、「Twinkle Emo」というベースメントの奥深いパンクブームになった。速弾きのギターアルペジオ、メロディックハードコア、スクリーモの作風を反映させたドライブ感のあるパンクで、ジャンルのファンの心を見事に捉えることに。これはメロディックパンク/メタル/エモの中間にある音楽として親しまれた経緯があり、スクリーモのネクスト・ジェネレーションに当たる。たが、オーバーグラウンドでは流行らなかった。

 

ただ、中西部の系譜が完全に断ち切られたというわけではなさそうだ。ここ10年ほど、フランス、イタリア、スウェーデンのアンダーグランドシーンで、エモ/ポストハードコアバンドが多数活躍し、スタジオライブや小さなライブスポットでパンクファンの期待に応えてきた経緯を見る限り、I Love Your Lifestyleがスウェーデンから2010年代に登場したのは自然な成り行きだった。


『Summerland (Torpa or Nothing)』は、妙な言い方になるかもしれないが、ストレートなポストエモのアルバム。2010年代のトゥインクルエモの後継的な作品として楽しめよう。ただ、今作で彼らは現地語で歌詞を部分的に歌っているため、北欧のバンドとしてのスペシャリティが含まれている。


例えば、日本のリスナーがデンマーク語の音楽を聴く時、エキゾチックな魅力を覚えるのと同様に、『Summerland (Torpa or Nothing)』の序盤ではスウェーデン語の持つさわやかな響きがアップテンポなパンクソングと合致している。


ギターアルペジオのタッピング(ライトハンド奏法)、つまり、ヘヴィメタルの影響を伺わせる収録曲もあるが、どちらかというなら、ロック的な響きを持つパンクが多いため、コアなリスナーでなくても取っ付きやすさを覚えるのではないか。本作全般を通してボーカルやコーラスを用いてシンガロング必須のフレーズを組み上げ、言葉の持つ力でタイトル「夏の楽園」の雰囲気を作り出す。パンクバンドでありながら、彼らは言葉の持つパワーを心から信じ切っている。

 

オープナーを飾る「Torpa」はインディーロックの延長線上にあり、スウェーデン語の巻き舌の発音を交えて個性的な空気感を作り出す。シンプルな構成だが、ギターの細やかなフレーズを重ね合わせ、対旋律的なベースがエモの雰囲気を生み出す。バンドアンサンブルならではの連携の取れたサウンドで、時々、変拍子を交え、穏やかな雰囲気を持つエモサウンドへ昇華させる。


特に、ボーカルやコーラスの重ね方にフックがあり、ライブではシンガロングを誘発しそうだ。曲の途中に入るツインギターにはThin Lizzyのようなメタリックな叙情性がある。Get Up Kids、Reggie and the Full Effectからの影響もあり、ムーグシンセがその中に可愛らしい印象をもたらす。

 

続く、「Givet」ではスウェーデン語としてのエキゾチックなパンク性が味わえる。このサウンドは、Perspective, A Lovely Hand To Holdの系譜にあるスポーティーなイメージを持つドライブ感のある性急なポスト・エモであるが、彼らは、スウェーデン語の他言語と異なる独特な発音を元に、米国のパンクバンドとはひと味異なるスペシャリティをもたらす。一般的に北欧の言語は、さわやかな響きが込められているが、これがコーラスの要素と合致し、エバーグリーンな印象を付与する。サビでは高いトーンのボーカルを披露し、曲全体の若々しさに拍車を掛ける。その後、ディストーションギターを一つの起点とし、この曲はメタリックな激情性を持つポストハードコアへと移行していく。取り分け、コントラストという側面において目を瞠らせるものがあり、ギターラインとボーカルの対比からエモーショナルな感覚が呼び覚まされる。

 

 

彼らの音楽のエバーグリーンな感覚は続く「Barnapsgatan」で最高潮に達する。クリーントーンを用いたギターが牽引するこの曲では、トゥインクルエモの代名詞であるギターアルペジオが際立っている。アメリカン・フットボールの系譜にあるミニマルな構成を持つエモをよりパワフルなサウンドに置き換えている。この曲はCap ’N Jazzの系譜にあるエモのルーツを辿っている。


しかし、I Love Your Lifestyleの場合は、シカゴの伝説的なバンドの代表曲「Little League」、「In The Clear」に象徴されるポストハードコアを踏襲、スウェーデン国内のポップスやフォーク音楽へ組み替えている。つまり、北欧のバンドならではの試みが用意されているというわけだ。


同じように「Dunkehalla」は、Cap ’N Jazzの系譜にあるナンバーだが、これにスウェーデンのポピュラー音楽の要素を付け加えている。ここでは、メインボーカルとコーラスの対比によって、このジャンル特有の熱狂性を呼び起こそうとしている。 それと同時に、バンドはこの曲で北欧のポップ・パンクという、これまで一般的に知られなかった音楽を対外的に紹介している。

 

Rodan、Helmetの系譜にある最初期のポストロック/マスロックの影響下にある「Lucking Out」ではバンドの意外な音楽的な要素を捉えられる。ただ、彼らのサウンドは一貫してポピュラーなパンクに重点が置かれている。コーラスでは、女性ボーカルのコーラスを導入してバリエーションをもたらす。これらは、Taking Back Sunday、Saves The Day等を中心とする2000年代の黄金時代のアメリカのインディーロックからの影響も込められているようだ。ただ、それらはバンドの陽気な感覚により鮮明なイメージをもたらすことがある。同じように、ミレニアム年代の米国のインディーロックバンドの音楽性を反映させたポストエモ/リバイバルエモの曲が続く。

 

「Fickle Minds」はファンにとってはお約束のようなナンバーであるが、オルタネイトなコードを対比的に導入することで、従来のI Love Your Lifestyleとは少し異なるサウンドが作り出されている。しかし、バンドサウンドはマニアックになりすぎることはなく、ストレートなパンクスピリットに縁取られている。同曲を聴き、Promise Ring、Jimmy Eat World、Get Up Kidsといった、黄金世代のエモを思い浮かべる人も少なくないと思われる。興味深いのは、曲の後半にはジャングルポップ/パワーポップに近いメロディーが含まれ、甘酸っぱい空気感が漂うことである。

 

アルバムのクローズは、エバーグリーンなパンクソングで締めくくられている。 「Plot Twist」はメロディック・パンク/メロディック・ハードコアの系譜にある。デビューから10年後に、こういった若々しくエネルギッシュなパンクを制作することは簡単なことではない。ジャンルを問わず、バンドを組んだ当初の熱狂性を長い間維持しつづけるのは容易くないものと思われる。


I Love Your Lifestyleの最新作『Summerland(Torpa or Nothing)』は、EPに近いシンプルな構成を擁しているため聞きやすい。同時に、パンクバンドとしてのパッションやパトスを捉えられる。曲構成はコンパクトなサウンドを重視しているが、その反面、バンドとしてはスケールの大きさを感じる。何よりパンクロックの純粋な楽しさが凝視されているのが本当に素晴らしい点だ。

 

 

82/100