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 Guided By Voices 『Nowhere To Go But Up』
 


Label: Guided By Voices Inc.

Release: 2023/11/24



Review

 

1980年代、当時、学校教師をしていたロバート・ポラードを中心に結成されたオハイオの伝説的なオルタナティヴロックバンド、GBV(Guided By Voices)は、最も活躍した年代こそ不明であるが、90年代、00年代のUSオルタナティヴ・ロックの大御所と見なされてもおかしくない。

 

このシーンには、Pixies、Superchunk、Dinasour Jr.(J. Mascis)のオルタナ御三家を筆頭に、Pavement、Archers Of The Loaf、Sebadoh,そして、Guided By Voicesが並んでいる。さらに、マニアックになると、4ADに所属するThrowing Muses、Breeders、Amps(双方ともに、Pixiesのベーシスト/ボーカル、キム・ディールのバンド)、Drive Like Jehu、Galaxie 500、さらにはシカゴのレーベル、タッチ・アンド・ゴー界隈のインディーロックバンドというように無数のバンドがいる。もちろん、さらにアンダーグランドに潜っていくと、オーバーグラウンドのグランジの対抗勢力である、Red House Painters、Codeineといったスロウコアのバンドに繋がるということになる。サッドコアやインディーフォークの代表格であるElliot Smithあたりも挙げられるだろう。

 

サブ・ポップのレーベル紹介でも書いた事があるが、そもそも80年代後半くらいまでは、米国にはインディーズシーンというのが明確に存在しなかったという。例外としてはThe Sonics等、ガレージロックの原点にあるバンドがいる。ただ単体でやっているバンドはいても、象徴的なシーンが存在しなかったということは、ポスト・パンクとハードコア・パンクという二つのファクターを介してであるが、「インディーズ」という概念が明確に存在したイギリスの音楽シーンとは対照的である。そこで、サブ・ポップのファウンダーとカート・コバーンは協力して、サブ・ポップを立ち上げ、独立のラジオ局でしか流れていなかったメジャーと契約していないインディペンデントのアーティストを支援した。当初、サブ・ポップはシングル・コレクションというのを企画し、『Nevermind』以前のGreen Riverを始めとするグランジの源流を形成した。

 

これは、それ以前に、アバディーンのMelvinsが呼び込もうとしていた流れでもあったのだが、その流れを汲み、90年代以降のR.E.Mに代表されるようなカレッジ・ロック(大学生に親しまれるラジオでオンエアされるロック)が流行るようになったというのが個人的な見解である。以後、インディーズシーンというのが形成され、90年代にはメジャーと契約せずに活動するバンドというのが、米国でも主流となっていったというような印象がある。おそらく当時は、インディーズで活動するということに何かしらメインストリームに対する反骨的な意味が含まれていたものと思われる。しかし、現在では、Dead Oceans、ANTI、Matador、Merge等、主要なインディーズレーベルが群雄割拠している米国のレコード業界であるが、インディーズはインディーズとしての原初的な意義を失いつつあるということで、たとえば、メジャーリーグの始球式にインディーズ・レーベルが所属するアーティストをブッキング出来ることを鑑みると、メジャー、インディーズの垣根が2010年代頃から取り払われた、もしくは、取り払われつつあるというような流れを捉えられる。

 

そういった昨今のミュージック・シーンの動向の中、主流になりつつあるのが以前とは正反対のスタイルである。つまり、メジャーに所属することも出来るけれど、あえてバンドのインプリントのレーベルからリリースを行うバンドがいる。例えば、大御所でいえば、メタリカ等が挙げられるが、これは商業的な側面では、その限りではないものの、セルフリリースに近い趣旨で作品を発表してきたいという、バンドメンバーやマネージメント側の思惑があるのかもしれない。『Nowhere To Go But Up』を発表したGuided By Voicesも、バンドの独立したレーベルから昨今、リリースを行い、よりコアなファンを取り込もうとしている。

 

そもそも、Guided By Voicesというバンドは、Archers Of The Loafと同様に、誰もが傑作と呼ぶアルバムを持たない。それに加え、Sebadohの「Skull」のような、「このバンドであればこれを聞こう」という代名詞的な一曲もほとんどない。にもかかわらず解散した時期もあったが、現在も活動を継続している。これは、よく考えるまでもなく、驚異的なことである。しかし、日本のロックバンド、怒髪天のメンバーがいっていたように、「飛ぶように売れすぎない」ことが、バンドの寿命をより長くする秘訣でもあるという。この成功事例に則っているのが、Guided By Voicesであり、それほどメガヒットを記録することもないけれど、90年代から以降の年代にかけて、じわりじわりとファンベースの裾野を拡大していき、USオルタナティヴロックの大御所というべき地位を獲得していったのである。これはかなり根気のいることなのは確かで、現在も辛抱強く活動を続けているいうことが奇跡であり、まさしくレジェンドたる所以なのだろう。音楽は、必ずしも人生の最重要事項になりえないため、活動を長く維持することはきわめて困難なのである。


『Nowhere To Go But Up』は、バンドがR.E.Mに代表されるカレッジロックやオルタナティブロックの原点に回帰したアルバムである。近年、過去のリイシューを含め、ガレージ・ロック的な荒削りな作風を発表していたGBVだが、今作ではよりキャッチーで親しみやすい作風へと転じている。

 

アルバムのタイトル、オープニング「The Race Is On,The King is Dead」を始め、啓示的な題名が目立つが、楽曲そのものは90、00年代のオルタナティヴロックの王道の音楽性である。ここにはGuided By Voicesとしてのスタンダードなインディーロックのスタイルにとどまらず、Superchunk、Archers Of The Loafのようなロックバンドに近いアプローチも綿密に取り入れている。特に、ロバート・ポラードのボーカルのメロディーは、Superchunkの90年代ごろの懐かしさを思わせ、また、じんわりとした温かみがあり、琴線に触れるものがある。

 

例えば、二曲目の「Puncher's Parade」はそのことを物語っている。この年代のバンドとしては珍しく深い叙情性を失っていないし、デビュー間もないバンドに見られる荒削りな側面もある。ポラードのボーカルラインには、90、00年代の懐かしさが漂う。そして、ひねりのあるオルタナのギターのコード進行に対し、驚くほど丹念にボーカルを紡いでいる。ここにはメンバー間の信頼関係を読み取れる。それと同じように、三曲目「Local Master Airline」でも、バンドは米国のインディーズの源流を捉え、ガレージ・ロックやグランジのようなオーバードライブをかけたイントロから、円熟味と渋さを兼ね備えたロックソングへと移行する。


ただ、この曲に関しては、オルタナティヴとは断定しきれないものがある。どちらかと言えば、普遍的なアメリカンロックという感じで、スプリングスティーンのような安定感のあるソングライティングである。ただ、それはスタジアム級のアンセムではなく、少人数のライブスペースを意識したロックという範疇に収められている。つまり、Husker Duのボブ・モールドがSUGARで追求した抒情的なアメリカンロックに近い。


昨年あたりのGBVのリリースから継続して行われていたことだったが、例えば、Big Muffを思わせるファジーな音作りはこのアルバムでも健在で、「How Did He Get Up There?」はその先鋒となるトラックだろう。ミドルテンポのカレッジ・ロックというフィルターを通して、適度なクランチさと心地よさを兼ね備えたロックソングを提示している。そしてここには、ガレージ・ロックの傍流であるストーナーロックのようなワイルドさもあり、キャッチーさを意識した上で、パンチとフックの聴いた曲を書こうというバンドの思惑も感じられる。


他にもバンドやロバート・ポラードのボーカルの指針として、ボブ・モールドのSUGARのスタイルが念頭にあるという気がする。「Stabbing at Fanctions」では、バンドとしてのパンチやフックを失わずに、それをゆったりとした安定感のあるロックソングに濾過し、それをさらに、Green River、Mother Love Boneといったグランジの出発点にあるプリミティヴなロック性に焦点を当てている。しかし、最終的にボラードのボーカルはボブ・モールドのようなメロディー性に重点が置かれ、それほど暗くはならず、重苦しくもならず、カレッジロックのように気軽な曲として楽しめるはず。

 

中盤まではいつものGBVと思えるが、オルタナティヴロックバンドとしての新しい試みをいくつか行われている。「Love Set」では、シンセサイザーでバグパイプのような音色を生み出し、それをクラウト・ロックやプログレッシヴ・バンドのような手法で組み直している。バンドはセッションの面白みに重きを置き、テンポをスローダウンさせたり、変拍子的な展開を込めたりと、かなり工夫を凝らしている。しかし、やはり、ポラードのボーカルについては変わらず、温和なインディーロックというアーティスト独自の個性を付け加えている。

 

ただ、中盤まではそれなりに良曲も収録されているが、アルバムの終盤では、序盤の野心的なアプローチが薄れる瞬間もある。これは使い古されたスタイルをアルバムの空白を埋めるような感じで収録してしまったことに要因がある。ハードロック的なアプローチを図った「Jack Of Legs」、民族音楽の要素を取り入れ、Led Zeppelinのインディーロックバージョンとも称せる「For The Home」は、バンドが新しい方向性に進んだと解釈出来なくもないが、デビュー時のMarz Voltaのような鮮烈な印象をもたらすまでには至っていないのが残念だ。

 

ただ、アルバムの最終盤で持ち直す瞬間もある。「Cruel For Rats」では貫禄のあるロックバンドの風格を漂わせる。相変わらずバンドのロックは渋さがあり、聞き入らせる。


そして、アルバムのクローズ「Song and Dance」は、本作の唯一のインディーロックのアンセムとも称すべきか。ギターとボーカルコーラスの調和的な意味合いを持つ最後の曲の効果もあってか、『Nowhere To Go But Up』は、バンドの数あるカタログの中でも聴かせる作品となっている。GBVは最高のロックバンドではないのかもしれないが、平均的な水準以上の音楽を提供し、今も世界のファンを魅了しつづけている。

 

 


74/100



Featured Track 「Puncher's Parade」

 Spector 『Here Come The Early Nights』 

 


Label: Moth Noise

Release: 2023/11/24



Review

 

ロンドンのSpectorの『Here Come The Early Nights』は、現在、ストリーミングとLPヴァージョンで発売中。ディミトリ・ティコヴォイ(ゴースト、ザ・ホラーズ、マリアンヌ・フェイスフル、プラシーボ)と彼らの地元であるロンドンで13日間かけてレコーディングされた。

 

フレッド・マクファーソン、ジェド・カレン、ニコラス・パイ、ジェニファー・サニンの現在のツアー・ラインナップをフルにフィーチャーしたアルバムで、モス・ボーイズとのコラボレーター、ブラッド・オレンジこと、デヴ・ハインズが5曲で楽器演奏を担当している。ミックスはキャサリン・マークス(ボーイジニアス、ウルフ・アリス、アラニス・モリセット)が担当し、ニューヨークを拠点に活動するアーティスト、サラ・シュミットによる見事なダイカットLPパッケージが施されている。ヴァイナル・バージョンの本体には目がデザインされている。

 

ロンドンの大多数のインディーロックバンドは、新鮮な音楽や野心的な音源を制作することで知られている。一方、スペクターはそれとは対象的に、ノスタルジア溢れる作風を展開させている。

 

フロントマンのフレッド・マクファーソンの胸中には、仕事と家庭を両立させつつ、どのように音楽を制作するかという思いがあった。それはむしろこのアルバムで、安心感と安定感のあるアプローチという形で現れている。ブリット・ポップの一角を担ったASHの90年代の作風にも近い空気感が感じられる。ASHほどパンキッシュではないものの、オルタナティヴロックのアプローチの中には良質なメロディー、そしてシンガロングを誘うコーラスワークの妙が光る。


現在のレコーディングの過剰な演出やマスタリングが優勢な中、スペクターのアルバムは、むしろ90年代や00年代のインディーロックと同様に、素朴なミックスが施されている。派手なミックスはたしかに人目を惹くものの、他方、長く聴いていると聴覚が疲れるという難点もある。そういった観点から見るかぎり、『Here Come The Early Nights』は前2作のようなパンチこそないが、安心感があるのは事実のようである。 90年代のブリット・ポップに親しむリスナーであれば、何かの親近感を覚えるようなアルバム。これはまたフロントマンを始め、四人組がイギリスのロックの普遍的な良さを追求した作品ともいえる。夜に、ディズニープラスを子供と一緒に見ているような快適さをフロントマンのフレッド・マクファーソンは求めたというのだ。

 

2020年に発表された「No Fiction」、及び昨年の「Now or Whenever」ではインディーロックやダンスロック的な要素があり、また、特に2作目では、シンセサイザーを駆使して実験的なアート・ロックにも挑んでいたスペクターであるが、この三作目のLPではより親しみやすいブリットポップに傾倒しているように感じられる。それは前の2作を通じて提示されたインディーロックのバンドアンサンブルと深みのあるボーカルと相まって、オープニングを飾る「The Notion」のような初期のColdplayのような渋さと哀愁を兼ね備えたロックソングを生み出す契機となった。

 

その一方、ダンス・ロックへの親しみはこの最新アルバムにも受け継がれている。それは「Some People」に見出せる。The KIllersほどにはアリーナ級の観客の期待に応えるバンガーではないかもしれないが、一方、ボーカルラインに含まれるマクファーソンの人格的に円熟した感情性は、イントロからサビにかけて盛り上がりを見せ、80年代から90年代初頭のUKロックのノスタルジアへと続く。曲にはディスコサウンドの反映が留められ、それは現行のネオ・ソウル勢とは一線を画している。どちらかと言えば、MTV時代の懐古的な時代へと飛び込むかのようだ。

 

 

中盤に収録されている「Never Have More」は、前の2作で構築してきたSpectorサウンドをより親しみやすいロックとしてアウトプットしている。この曲も性急さや過剰さを避けながら、緩やかなインディーロックのアプローチを図っている。マクファーソンはサビの部分では渋さと円熟味のあるボーカルを披露しているが、それらを支えているのが繊細さとダイナミックス性を兼ね備えたギターライン、そしてメロディーやビートを損ねないドラム、もちろん、その補佐役となるベースラインである。これらのアンサンブルが渾然一体となり、ブリット・ポップ全盛期の思わせる一曲が生み出されることになった。BlurやAshといった名バンドを彷彿とさせる。


アルバムの中盤から終盤にかけて、人生を生きる上での必要性とアーティストとして生きる上での必要のある2つ、あるいは3つの側面を秤に掛けるような音楽性が続いている。それは足元の土を均すか、踏みしめる感覚にもよく似ている。


「Not Another Weekend」は、バンドの2020年の頃の回想とも取れるし、以後の「Pressure」では、家庭と仕事との合間にある緊張感が示されていると解釈出来る。一方、前作までとは異なり、信頼感と安定感のあるロックバンドとしての貫禄も表れている。「Another Life」は、2020年頃とは異なる人生の側面に焦点を絞っている。シンガロングを誘発する緩やかなサビを制作したのは、リスナーとの歩みと協調性を重視した結果とも考えられる。さらにシンプルなバラード「Room With a Different View」では三年でバンドやフロントマンの人生が変化したことが伺える。

 

スペクターのバンドとしての緩やかな変化や成長は、タイトル曲『Here Come The Early Nights』に特にわかりやすい形で反映されている。さらに、グルーブ感を意識したダンスポップソング「All of The World is Changing」は、デビュー時からスペクターが追求してきたスタイルの集大成と言える。スペクターはひとつずつ階段を上り続けている。今後のさらなる飛躍に期待しよう。

 

 

76/100

 

 

 Featured Track-「Driving Home For Halloween」

 Mo Troper 『Troper Sings Brion』


Label: Lama-O

Release: 2023/11/17


 

Review


オレゴン/ポートランドのパワーポップ・マエストロ、Mo Troper(John Brion)は、ギターロックのアーティストとして注目です。

 

『Troper Sings Brion』を通じてビートルズを始めとするバロック・ポップの王道のスタイルを継承し、聞きやすいジャングルポップ・アンセムを生み出している。アーティストはこれまで、ビートルズの「Revolver」、ビヨンセの「Irreplaceable」等、広範囲のカバーに取り組んでいる。

 

オープナー「Heart of Dysfunction」を聴くと分かる通り、ジョン・ブリオンは、ビートルズが「Magical Mystery Tour」で繰り広げたシアトリカルなアート・ロックを、Alex Gに象徴されるような現代的なオルタナのサウンドプロダクションに落とし込んでいる。序盤のブリオンのボーカルは、ジョン・レノンのオマージュとも言え、模倣的ではあるけれど、節回しには貫禄も感じられる。アーティストのソングライティングは、ビートルズを下地にしつつ、逆再生等、ローファイな音作りに基づいている。トリップ感溢れる曲の展開力を見せる時も稀にある。レトロで牧歌的なポピュラーミュージックの根底には、サイケデリックやアシッド的な雰囲気が漂う。

 

ミュージカル調のシアトリカルな作風はその後も続く。「Into The Atlantic」では、ハープの軽やかなグリッサンドの駆け上がりを足がかりにし、同じようなレトロ感のあるバロックポップ、アート・ロックへと転じていく。

 

ジョン・ブリオンのソングライティングの土台を形成するのは、マッカートニー/レノン/ハリソンのピアノをベースとして処理したポップス。しかし、そのボーカルは、60年代のヴィンテージ・ロックのフレーズを意識しつつも、Big StarのAlex Chilton(アレックス・チルトン)のような艶気を漂わせている。これはBig Starの「The Ballad of El  Goodo」、「Thirteen」といった伝説的なインディーロックの名曲を聴くとよくわかる。けれど、それらは洗練されたサウンドプロダクションではなくて、ローファイ/サイケの範疇にあるプリミティブな感じで展開される。今はそうではなくなったけれど、Dirty Hitに所属するOscar Langのデビュー当時のギターロックの質感に近い。

 

「Pray For Rain」は、ビリー・ジョエル、ビートルズの古典的なポップのソングライティングを継承し、華やかな印象を持つトラックに昇華している。ミュージカル調のイントロから、ドラムが加わることにより、親しみやすいバロック・ポップ/ジャングル・ポップの王道のソングへと変遷を辿る。そこに、The Rubinoosを始めとするThe Beach Boysのドゥワップに触発された甘酸っぱいファルセットを基調とするコーラスワークが加わると、この曲はファニーな雰囲気を帯びる。

 

中盤でもパワーポップの佳曲が満載となっている。アーティストは「Citigo Sign」において、プロミティブな質感を持つギターロックを土台にして、オーケストラベルやダイナミックなドラムの演奏を加え、 クラシカルなロックソングを制作している。この曲を聴くと、古いということが悪いわけではなくて、現代的なプロダクションとして、古典的なロックソングをどう扱うのかが重要ということがわかる。この曲でも往年のパワー・ポップバンドと同様、少し舌っ足らずで、もったいぶったような感じで歌うジョン・ブリオンのボーカルは、The Rubinoos、20/20のような、甘酸っぱい感じのギターロックサウンドの原初的な魅力を呼び覚ましている。

 

レトロなサウンドを現代的なロックの語法に置き換えていこうという試みは、Real Estate/Beach Fossilsのようなバンドが2010年代に率先してやっていたものの、Mo Troperのサウンドはさらにレトロでアート・ロック志向である。


「Through With You」では、60、70年代のピアノバラードに立ち返り、ジョン・レノンのソングライティングに対するオマージュを捧げている。しかし、この曲には、単なる模倣以上の何かがあるのも事実で、独特な内省的な情感、古典的な音楽に漂う現代性がリスナーの心を鷲掴みにする。

 

以後もワイアードな魅力を擁するサウンドが続く。「Love Of My Life」ではシニカルな眼差しを自らの人生に向け、The Dickiesの「Banana Spilt」を思わせる少しキッシュなサウンドに挑戦している。しかし曲そのものは、パンクとまではいかず、Young Guv(Ben Cook)を彷彿とさせる風変わりなジャングル・ポップ/パワー・ポップの範疇に収められている。これは「ロックはもう古いのでは?」というような考えを逆手に取ったシニカルなサウンドといえるかもしれない。

 

さらに、Mo Troperのジャングル・ポップはコアな領域に入っていき、ロックフリークを大いに驚かせる。 「Any Other You」では、R.E.Mを思わせるセンス抜群の90年代のカレッジ・ロックの音楽性をリバイバルしている。続く「Not Ready Yet」では、ストーンズのキース・リチャーズのような渋みのあるブギー/ブルースのイントロのリフを元にして、モダンなローファイソングを制作している。それと同様に、不完全で荒削りなプロダクションを基調とする「Stop The World」は、ジョン・レノンの「Across The Universe」の現代版とも言えるかもしれないし、Big Starのアレックス・チルトンの「Thirteen」のインディーフォークの現代版とも称せるかもしれない。

 

「No One Can Hurt Me」では、ローファイなカレッジ・ロックやビートルズ風のアプローチに転じる。クローズ曲では米国の最初のインディーロック・スター、アレックス・チルトンにリスペクトが捧げられている。

 

 

 

82/100

 


*記事公開時のアーティスト名に誤りがありました。訂正とお詫び申し上げます。

Aneon 『Moons Melt Milk Light』

Label: Tonal Union

Release: 2023/11/17


 

Review 


Tonal Unionからリリースされた『Moons Melt Milk Light』は、ロサンゼルスのAnenon(ブライアン・アレン・サイモン)による作品である。Aneonは、2010年以来、高い評価を得ている「Tongue」(2018年)や「Petrol」(2016年)を含む複数のアルバムやEPをリリースしている。

 

「 Moons Melt Milk Light」の制作は2022年の秋に始まり、ロサンゼルスのシルバーレイクにある自宅で録音された。

 

この制作には、2022年にパリで開催されたSusan Cianciolo(スーザン・チャンチオロ)の展覧会「RUN 14: FIELD of existence」の会期中に行われたアーティストのスーザン・チャンチオロとのアコースティック・コラボレーションや、同年ヨーロッパ各地のワインバーや旅館などカジュアルな非会場でのソロ・パフォーマンスが一役買っている。ブライアンが即興のアコースティック楽器演奏を追求するようになったのは、こうした経験の積み重ねがあったからだという。



これまで私が作ってきた他のどの音楽にもない、運動的で雑然とした正直さを感じる。今までの音楽にはない、運動的で乱雑な正直さを感じる。落ち着いているという感覚もある。ここには偽りはない ーAnenon

 

 

ブライアン・サイモンが上記のように説明している「偽りのない音楽」とは、制作者の内側にある雑然とした感情を、複数の楽器や、その楽器しか持ち得ない特性を生かし、旋律やフレーズで表現するということに尽きる。それは、制作者の観念や固定概念により、音楽そのものを捻じ曲げたり、歪ませたりせず、内的な感情をフラットにアウトプットするということである。

 

『Moons Melt Milk Light』の冒頭を飾る「Untitled Sky」を聴くと、そのことは瞭然なのではないか。サム・ゲンデルを彷彿とさせる前衛的なテナー・サックスのソロにより始まるこの曲は、単なるアヴァンギャルド・ジャズにとどまらず、流動的で精細感のある音の世界を構築していく。サックスに対してカウンターポイントのように導入される瞑想的なピアノが加わると、イントロでの雑然とした感覚が、それとはまったく異なる「哀感」とも呼ぶべき感覚に変化していく。そしてテナー・サックスが束の間のブレイクを挟み、途切れがちになると、ピアノのフレーズが鮮明に浮かび上がり、研ぎ澄まされた感覚が露わとなる。いわば、表面上の雑然たる神秘的な幕が取り払われ、それとは対比的な澄明なエモーションが立ち表れる。そして、その断続的な音の流れにはフィールドレコーディングが加わり、再びイントロの雑然的な感覚が舞い戻ってくる。内的な感覚をたえず往き来するような不可思議なオープニングになっている。

 

一曲目のミステリアスな感覚は、続くタイトル曲「Moons Melt Like Light」にも反映されている。制作者は、内的な不安と明るさの間を揺らめく感情を見据え、それを哀感溢れるピアノのセクションとして濾過している。

 

制作者の内的な不安や心の揺らめきを象徴するような不協和音に充ちたフレーズは、程よい緊張を保ちながら進んでいく。しかしそれらの不協和音の中に、不思議な調和性が頭をもたげる時がある。そして、そのピアノ伴奏の雰囲気を強化する形で、テナー・サックスの前衛主義やバスクラリネットの低音が追加され、ピアノのフレーズが醸し出す感情性を引き出す。確かにタイトルにあるように、夜空に浮かぶ月を観察し、その情景が時の経過とともに微細な変容を辿るプロセスを3つの楽器の演奏によって記録するかのようである。しかし、感情的な側面に重点が置かれつつも、音のセクションの構築には論理性がある。感覚的なものと数学的なものが絶妙なバランスを保ちながら、このアルバムのミステリアスな印象をさらに強化しているのだ。

 

続く「Maine Piano」は、落ち着いたアンビエント風のピアノ曲として楽しむことが出来る。前の曲を支点として、視点が上空から地上に移ろい変わるかのように、音のサウンドスケープが変化していく。逆再生のアンビエント風のシークエンスの後、虫の声のフィールドレコーディングとピアノの演奏を掛け合せ、安らいだアトモスフィアを作り出している。フィールドレコーディングとピアノの融合は、草むらやその周辺の情景を脳裏に呼び覚ますかのようでもある。


「Night Painting Ⅰ」では一曲目と同様に、ニュー・ジャズ/エキゾチック・ジャズの影響を反映させた前衛的なサックス/バスクラリネットの演奏で始まる。そしてスピリチュアル・ジャズの先駆者のひとりであるPharoah Sandersのように瞑想的な雰囲気を生み出す。ブレスや休符の余韻を強く意識したサックスの演奏は、Arve Henriksenの奏法に近く、日本の楽器、尺八を彷彿とさせるトーンのエキゾチズム性を生み出している。サックスの奏法の中で重視される「間」という概念は、ECM JAZZの金管楽器の演奏者ような精細感のある情緒性を生み出している。やがて、その演奏はアウトロにかけて、水の音を収録したサンプリングの中に溶け込むように消えていく。

 

同じように、「A Million Birds Ⅱ」でも前衛的なテナーサックスの演奏を元にして、描写的なアヴァンギャルド・ジャズを展開させていく。フリージャズに近い演奏をベースにし、アルバムのシステマチックな枠組みを離れ、自由な領域にリスナーを誘う。特に、サックスの高い音程の激しいテンションとそれとは対象的な落ち着いた低音を組み合わせることで、刺激的な演奏が繰り広げられる。さながらライブのようなリアルな質感を持つレコーディングにも注目である。

 

 一転して、激した感覚は続く「As It When It Appears」を通じて、静かな雰囲気に縁取られていく。イントロのフランス語の人声のサンプリングに続いて、再びポスト・クラシカルや、モダンクラシカルを基調としたピアノを展開させる。坂本龍一、及び、Goldmundに近い聴きやすさを重視した簡素なピアノ曲である。それに続く「Champeix」は、雨の音のサンプリングでやすらぎをもたらす。ピアノとサックスの合奏を元にして、イントロからは想像もできないようなクライマックスへと移行していく。個人的な苦悩をピアノ/サックスという二つの感覚を別に表現したこの曲は、アルバムの一つのテーマともなっている感情の最も深い地点に到達する。

 

 

四曲目の連曲である「Night Painting Ⅱ」もサックス/バスクラリネットの対比的な演奏を元に深みのあるアヴァンジャズの領域を開拓している。迫力のある重低音を持つバスクラリネットとそれとは対象的に華やかな印象を持つサックスの融合は、ときに和風なエキゾチズムを生み出している。特に四曲目と同様に、バスクラリネットのブレスや息継ぎの巧みさやトリル等の前衛的な奏法の妙は、他の現代の木管楽器の奏者に比べて傑出しているものがあるように思える。

 

以上のように流動性のある音楽的な流れを構築した後、アルバムの終盤においても、内的な感覚に偽りのない曲が繰り広げられている。「Hand Petory」ではGoldmundを思わせる悩まし気なポスト・クラシカル調のピアノ曲で鎮静を与える。それは内的な祈りに近いものである。続いて「Ending」では華麗なサックスのソロが披露されている。そしてアルバムの中盤の収録曲と同様に、この曲でも一貫して厳粛な雰囲気が重んじられている。サックスの演奏はこの曲の最後で、トリル等の前衛的な奏法、そしてブレスの絶妙な間を取り入れながら曲の終わりへと向かっていく。

 

アルバムのクローズを飾る「Sightless Eyes」は意外にも、そういった厳粛な空気感から離れて、海のかもめの声をサンプリングとして取り入れ、清々しい感覚を生み出している。何かこのアルバム全体を通じて、制作者の人生の流れを追体験したかのような不可思議な感覚にさらされる。そしてまた、このアルバムは、制作者の内的な苦悩等が前衛的なジャズ、もしくはモダン・クラシカルやポスト・クラシカルの観点から、実に精密に表現されている。しかし、アルバムを聴き始めた時と聴き終えた時では、その音楽の印象がガラリと変化していることに驚きを覚える。 



 



88/100




'Moons Melt Milk Light', released on Tonal Union, is the work of Los Angeles-based Anenon (Brian Allen Simon) . Anenon has released several albums and EPs since 2010, including the acclaimed 'Tongue' (2018) and 'Petrol' ( 2016), and has released several albums and EPs, including.


Production on 'Moons Melt Milk Light' began in the autumn of 2022 and was recorded at his home in Silver Lake, Los Angeles.


The production included an acoustic collaboration with artist Susan Cianciolo during her exhibition 'RUN 14: FIELD of existence' in Paris in 2022, as well as a solo performance in Solo performances in casual non-venue venues such as wine bars and inns across Europe have played a role. It was the accumulation of these experiences that led Brian to pursue improvised acoustic instrumental playing.


I feel a kinetic, messy honesty that is unlike any other music I have ever made. I feel a kinetic and messy honesty that is unlike any other music I have ever made. There is also a sense of calm. There is no pretence here - Anenon.


The 'no-false music' described above by Brian Simon is all about expressing the messy emotions inside the creator with melodies and phrases, making use of multiple instruments and the characteristics that only those instruments can have. It means that the music itself is not twisted or distorted by the creator's ideas and fixed concepts, but rather the internal feelings are output in a flat manner.


This is evident when listening to 'Untitled Sky', the opening track on Moons Melt Milk Light. Opening with an avant-garde tenor sax solo reminiscent of Sam Gendel,the song is not merely avant-garde jazz, but builds a fluid and detailed sound world. When the meditative piano, which is introduced as a counterpoint to the saxophone, is added, the sense of chaos in the introduction is transformed into a completely different sense of what might be called 'pathos'. Then, as the tenor saxophone breaks off for a brief moment, the piano phrases emerge clearly and the sharpened sensation is revealed. In other words, the mysterious curtain of surface clutter is lifted, and a contrasting, clear emotion emerges. The intermittent flow of sound is then joined by field recordings, and the chaotic feeling of the introduction returns. It's a mysterious opening, a constant back-and-forth between internal sensations.


The following track, 'Maine Piano', can be enjoyed as a calm, ambient piano piece. Using the previous track as a fulcrum, the soundscape changes as if the perspective changes from the sky to the ground. After an ambient sequence of reverse playback, a field recording of insect voices is crossed with a piano performance to create a restful atomosphere. The fusion of field recordings and piano seems to evoke scenes of grassy fields and their surroundings in the mind.


'Night Painting I' begins like the first track, with an avant-garde saxophone/bass clarinet performance that reflects the influences of New Jazz/Exotic Jazz. It then creates a meditative atmosphere in the manner of Pharoah Sanders, one of the pioneers of spiritual jazz. The saxophone playing, with its strong emphasis on lingering breaths and rests, is close to Arve Henriksen's technique, creating an exoticism in tone that is reminiscent of the Japanese instrument shakuhachi. The concept of 'pause', which is emphasised in the saxophone technique, creates a detailed emotionality similar to the brass players of ECM JAZZ. Eventually, the performance fades away over the outro, melting into a sampling of recorded water sound.

Similarly, 'A Million Birds II' develops descriptive avant-garde jazz based on avant-garde tenor saxophone playing. Based on a performance close to free jazz, A Million Birds II invites the listener to leave the systematic framework of the album and enter a realm of freedom. Particularly stimulating is the combination of the saxophone's high pitched, intense tension with the calm bass notes that are in contrast to it. The recording is also noteworthy for its realistic texture, as if it were a live performance.


For a change, the intense feeling is framed by a quieter atmosphere through the following 'As It When It Appears'. Following the sampling of French human voices in the intro, the piano again develops with post-classical and modern classical tones. It is a simple piano piece with an emphasis on ease of listening, similar to Ryuichi Sakamoto and Goldmund. Champeix' follows, bringing a sense of relaxation with its sampling of rain sounds. Based on a piano and saxophone ensemble, it moves to a climax that is unimaginable from the intro. The song, which expresses personal anguish through the two separate senses of piano/saxophone, reaches the deepest point of emotion, which is also one of the themes of the album.


The fourth song in the series, 'Night Painting II', also explores deep avant-jazz territory based on a contrasting saxophone/bass clarinet performance. The fusion of the bass clarinet with its powerful bass sound and the saxophone with its contrasting flamboyant impression creates a sometimes Japanese exoticism. In particular, as in the fourth piece, the bass clarinet's mastery of breaths and breathes, trills and other avant-garde techniques seem to be outstanding in comparison with other contemporary woodwind players.


After building a fluid musical flow as described above, the songs continue to unfold with a false sense of interiority towards the end of the album. 'Hand Petory' offers sedation with a haunting post-classical piano piece reminiscent of Goldmund. It is almost an internal prayer. This is followed by a brilliant saxophone solo on 'Ending'. And, as with the mid-album recording, the solemn atmosphere is consistently emphasised in this song. The saxophone performance comes towards the end of the song, incorporating avant-garde techniques such as trills, and exquisite pauses in the breath.


'Sightless Eyes', which closes the album, surprisingly moves away from such a solemn atmosphere and incorporates a sampling of sea gulls' voices to create a sense of freshness. Something about the whole album exposes us to a mysterious sensation of reliving the flow of the creator's life. And also, the album is a very precise expression of the inner anguish, etc. of its creator from an avant-garde jazz, or modern classical or post-classical perspective. However, it is surprising how the impression of the music changes drastically from when you start listening to the album to when you finish listening to it.


 

Anenon Biography:


 

アネノンはブライアン・アレン・サイモンのプロジェクト。2010年以降、複数のLPとEPをリリースし、いずれも高い評価を得ている。

 

ブライアンは、ローレル・ヘイロー、ジュリア・ホルター、リチャード・ヘル、モートン・スボトニック、ケリー・モランなどのアーティストのサポートで国際的に演奏している。また、サム・ゲンデル、ライラ・サキニ、ナイト・ジュエル、ミハ・トリファ、シャンタル・ミシェル、伝説的ポストパンクバンドVazzのヒュー・スモール(Melody As Truth、2021年)、ビジュアル・パフォーマンス・アーティストのスーザン・チャンチオロ(2022年、パリのザ・コミュニティでの彼女のショーのヴァーニサージュで共演)とコラボレーションしている。

 

ブライアンは2018年に坂本龍一の「Life, Life」を公式にリミックスし、2016年にはロサンゼルス現代美術館でアンビエント・ミュージック・パフォーマンスのシリーズ「Monument」の共同キュレーターを務めた。また、LAのラジオ機関dublabの月例番組「Non Projections」の司会を長年務めている。ロサンゼルス在住。


Anenon is Brian Allen Simon, whom since 2010 has released multiple LPs and EPs, all critically acclaimed. Brian has performed internationally in support of artists such as Laurel Halo, Julia Holter, Richard Hell, Morton Subotnick, Kelly Moran, and many more. 


He has collaborated with Sam Gendel, Laila Sakini, Nite Jewel, Miha Trifa, Chantal Michelle, Hugh Small of legendary post punk band Vazz (Melody As Truth, 2021), and with the visual and performance artist Susan Cianciolo, during the vernissage of her show at The Community in Paris, 2022. 


Brian officially remixed Ryuichi Sakamoto's "Life, Life" in 2018, and In 2016 was co-curator of Monument—a series of ambient music performances at the Museum of Contemporary Art, Los Angeles. He is also a long time host of Non Projections, a monthly show on LA radio institution dublab. Brian lives and works in Los Angeles.


Cat Power  『Cat Power Sings Bob Dylan:The 1966 Royal Albert Hall Concert』 

 

 

Label: Domino

Release: 2023/11/10



Review


キャット・パワーは近年、カバーという表現形式に専念しており、その可能性を追求してきた。元々、ストリートミュージシャンとしてニューヨークで活動を始め、Raincoatsの再結成ライブでスティーヴ・シェリーとの親交を深め、トリオ編成として活動を行うようになった。


その後、ソロ転向してMatadorからリリースを行い、「What Would The Community Think」等を発表、CMJチャートでその名を知られるようになる。


2000年代にローリング・ストーンズのカバーを収録した「Cover Records」の発表後、率先してカバーに取り組んで来た。


2022年にDominoから発売された「Covers」では、フランク・オーシャン、ザ・リプレイスメンツ、ザ・ポーグスの楽曲のカバーを行っていることからもわかるが、無類の音楽通としても知られている。エンジェル・オルセン、ラナ・デル・レイ等、彼女にリスペクトを捧げるミュージシャンは少なくない。

 

ロイヤル・アルバートホールでのキャット・パワーの公演を収録した『Cat Power Sings Bob Dylan』は、ボブ・ディランの1966年5月17日の公演を再現した内容である。このライブは、ちょうどディランのキャリアの変革期に当たり、マンチェスターのフリー・トレード・ホールで行われたディランのライブ公演のことを指している。


しかし、この公演のブートレグには、実際はマンチェスターで行われたにもかかわらず、「ロイヤル・アルバート・ホールで開催」と銘打たれていたため、一般的に「ロイヤル・アルバートホール公演」として認知されるに至った。


キャット・パワーにとって、ボブ・ディランは最も模範とすべき音楽家なのであり、彼女はその尊敬の念を絶やすことがない。


「他のいかなるソングライターの作品よりも」とマーシャルは語っている。「ディランの歌はわたしに深く語りかけてくれたし、5歳のときに、ディランを聴いて以来、私に強いインスピレーションを与えてきた。過去に”She Belongs To Me”を歌う時、私は時々それを一人称の物語に変えていた。私はアーティストだから振り返らないって」

 

ボブ・ディランの1966年の公演の伝説的な瞬間は、「Ballad Of a Thin Man」が始まる直前に観客が「Judah」と叫ぶ箇所にある。


ご承知の通り、新約聖書のエピソードが込められており、「あれは衝撃的な瞬間でした。ある意味、ディランはソングライティングを行う私達にとって神様のようなものなのです」とマーシャルは説明している。


ボブ・ディランの公演の再現を行うことは、ロイヤル・アルバートホールでの公演を行うことと同程度にアーティストにとって光栄の極みであったことには疑いを入れる余地がない。しかしながら、この伝説的な公演を再現するにあたって、かなりのプレッシャーに見舞われたことも事実だった。


公演のリハーサル中に行われたマンチェスターのThe Guadianのインタビューの中で、「心臓がバクバクして本当に怖い」とキャット・パワーは率直に胸中を打ち明けている。「ああ、ボブ・ディランはこのことをどう思うだろう? 私は何か、正しいことをしているのだろうか?」 


この言葉は、ミュージシャンとして潤沢な経験を擁するキャット・パワーが、どれほどの決意を抱えて伝説のライブの再現に臨んだのかという事実を物語っている。さらに、マーシャルはライブの再現に関して、「原曲を忠実に歌うことを心がけた」とも説明している。

 

カバーというのは、原曲のマネをすれば良いわけではないのだと思う。その曲にどのような意図が込められているのか。どのような意味を持つのか。およそ考えられる限りの範囲の事実に配慮し、原曲の意義を咀嚼した上で、その曲を再現したりアレンジしたりしなければ、それは単なる模倣の域を出ない。原曲から遠く離れすぎてもいけないし、同時に近すぎてもいけないという難しさもある。


ところが、これまで多数のカバーを手掛けたきたキャット・パワーのライブには、単なる再現以上の何かが宿っているという気がする。ライブ開場前から多数の観客が客席に詰めかけ、キャット・パワーの公演を心待ちにしていたが、そのリアルな感覚のある本物のライブを、レコーディングという観点から生の音源として収録している。


このライブは、その瞬間しか存在しえないリアルな空気感を見事に捉えており、ドミノのレコーディングの真骨頂が表れた名盤とも言える。ポップスというジャンルの範疇にあるアルバムではあるが、名作曲家と名指揮者、名オーケストラによるクラシックコンサートのような洗練された空気感を感じ取ることが出来る。つまり、実に稀有な作品なのだ。

 

オーディエンスの拍手から始まる「She Belongs To Me」は、しなやかなアコースティックギターの演奏に、キャット・パワーのブルージーな歌がうたわれる。その中におなじみのブルース・ハープがさらに哀愁のある雰囲気を生み出す。特に素晴らしいと思うのは、楽曲の演奏を通じて、米国の牧歌的な雰囲気をロイヤル・アルバート・ホール内の空間に呼び覚ましていることだろう。円熟味のあるギターの演奏、この異質なシーンに気後れしないキャット・パワーの歌声に、ぼーっと聞き惚れてしまう。そして、そのブルージーな色合いを生み出しているのは、キャット・パワーが駆け出しの頃、貧しいストリート・ミュージシャンとして活動していた人生経験である。これは、全く別の人物の歌をうたいながらも、みずからの体験を反映させ、それをカバーという形に昇華させているからこそ、こういった深さがにじみ出てくるのである。

 

一見したところ、ライブでは、直接的に感傷性に訴えかけるようなフレーズはそれほど多くないように思える。しかし、続く「Fourther Time Around」では、アコースティックギターのストロークを掻い潜るようにして紡がれるマーシャルのボーカルは、バラードという形式の核心にある悲哀を捉え、涙を誘う。感情をそのまま歌に転化させ、美しい流れの中に悲しみをもたらす。フォーク・バラードという形で紡がれていく歌やギターの中にはブルースに近い渋みが漂う。


続いて、ギターを持ち替えたと思われる「Visions Of Johanna」では、大きめのサウンドホールの鳴りを活かし、緩やかでくつろいだフォーク・ミュージックを奏でている。ブルージーな渋さのあるキャット・パワーのボーカルの後のブルースハープの演奏もムードたっぷりだ。

 

中盤で圧巻なのは、12分に及ぶ「Desolation Row」である。旅の郷愁が歌われた楽曲をキャット・パワーは再現させ、この曲の真の魅力を呼び覚ましている。ブルースとソウルの中間にあるフォークミュージックであり、キャット・パワーは「Fortune Teller Lady」といったこのジャンルのお馴染みのフレーズをさらりと歌いこなしている。イントロの演奏に続いて、シンプルな曲の流れの中から、スモーキーな感覚と渋みを上手く作り出している。驚くべきことに、12分という長さは欠点にならず、いつまでもこの渋さの中に浸っていたという気を起こらせる。

 

 「Desolation Row」

 

 

アルバムの中盤の収録曲、「Mr. Tambourine Man」も聴き逃がせない。原曲は、フォーク・シンガーでありセッション・ギタリストだったブルース・ラングホーンがモデルとなっている。クラシックギターの演奏を基調とした演奏の中で、キャット・パワーはやはり渋さのあるボーカルでこの曲を魅力的にしている。牧歌的な感覚と哀愁のある感覚がボーカルから滲み出て、なんともいえないようなアトモスフィアを生み出している。しかし、それほどこの曲がしつこくならないのは、パット・メセニーのようにさらりと演奏されるギターの清々しさに要因がある。

 

もちろん、このライブの魅力は敬虔な雰囲気だけにとどまらない。ボブ・ディランの楽曲のエネルギッシュな一面性をライブの中で巧みに再現し、その曲の持つ本当の魅力をリアルに体現させている。


その後、The Byrdsのようなロック性を思わせる「Tell Me,Momma」はラグタイムジャズ、ビッグバンド風のリズムを取り入れ、華やかで楽しい雰囲気を作り出し、観客を湧かせる。この曲では、キャット・パワーのロックシンガーとしての意外な一面をたのしむことが出来る。「I Don’t Believe You」は、表向きには70年代のロックのアプローチを取っているが、キャット・パワーはアレサ・フランクリンのようなR&Bの歌の節回しを取り入れることで、曲に深みと渋さを与えている。この曲もまた中盤のロック的な音楽性の一端を担っている。

 

アルバムの前半では静かなアコースティック・フォーク、そして、中盤ではヴィンテージ・ロックと進んでいくが、終盤では、ディランのフォーク・ロックの巨人という側面に焦点が当てられている。


「Baby You Follow Me Down」では同じく、フォークロックに挑んでいる。さらには「Just Like Tom Thumb's Blues」ではカントリーとブルースをロック的な観点から解釈している。これらの2曲は、終盤の流れの中に意外性をもたらしており、ディランのロックミュージックの醍醐味を体感出来る。


同じように、スタンダードなブルース・ロック「Leopard」も渋いナンバーとして楽しめる。同じように、ライブ・アルバムの終盤では、リラックスした感覚を維持しながら、ロックそのものの楽しさをライブで再現している。カントリーをフォークロックとして解釈した「One Too Many Morning」でも切ない郷愁を思わせるものがあり、ゆったりした気分に浸れる。

 

最も注目すべきは、1966年のロイヤル・アルバート・ホール公演と同様に、観客が本当にステージに向けて「Judah」と言った後、キャット・パワー自身が「Jesus…」と返すシーンにある。


キャット・パワーは、ここでボブ・ディランを神様のように見立てていることには驚愕だ。「Judah」という声が、ドミノ・レコードの社員や関係者の仕込みでないことを願うばかりだが、その後、厳粛な感じで曲に入っていく瞬間は、伝説的なシーンの再現以上の意義が込められているのではないだろうか。


ライブのクライマックスを飾るのは、伝説の名曲「Like A Rolling Stone」。少し意外と思ったのは、この曲は女性のシンガーが歌った方が相応しく聞こえるということ。ディランの曲よりも柔らかい感じのカバーであり、原曲よりも聴きやすさがある。

 

 

 

95/100



 

「Like A Rolling Stone」

 Pinkpantheress 『Heaven Knows』

 

 

Label: Warner

Release: 2023/11/10

 

 

Review

 

2021年頃にTikTokから彗星のごとく登場し、オルタナティヴのサウンドの旋風を巻き起こしたPinkpantheress。 そのサウンドは英国圏にとどまらず、日本のリスナーも惹きつけるようになった。

 

Pinkpanthressはポップシンガーと呼ぶには惜しいほど多彩な才能を擁している。DJセットでのライブパフォーマンスにも定評がある。ポップというくくりではありながら、ダンスミュージックを反映させたドライブ感のあるサウンドを特徴としている。ドラムンベースやガラージを主体としたリズムに、グリッチやブレイクビーツが搭載される。これがトラック全般に独特なハネを与え、グルーヴィーなリズムを生み出す。ビートに散りばめられるキャッチーで乗りやすいフレーズは、Nilfur Yanyaのアルバム『PAINLESS』に近い印象がある。

 

もちろん、熱心なファンを除けば、すべての人が音楽をゆったりと聞ける余裕があるわけではない。Tiktok発の圧縮されたモダンなポピュラー音楽は、それほど熱心ではない音楽ファンの入り口ともなりえるだろうし、また、その後、じっくりと音楽に浸るための布石を作る。現代的なライト層の要請に応えるべく、UKの新星シンガーソングライター、Pinkpanthressは数秒間で音楽の良さを把握することが出来るライトなポップスを制作する。ポピュラーのニュートレンドが今後、どのように推移していくかは誰にも分からない。けれども、Pinkpanthressのデビュー・アルバムでは、未来の可能性や潜在的な音楽の布石が十分に示されていると言える。

 

荘厳なパイプ・オルガンの音色で始まる「Another Life」は、その後、ドラムンべースの複雑なリズムを配したダンス・ポップへと移行するが、ボーカルラインには甘い感じが漂い、これがそのままPinkpanthressの音楽の最たる魅力ともなっている。日本国内でのGacya Popにも近い雰囲気のあるTikTokでの拡散を多分に意識した音楽性は、2023年の音楽シーンの最前線にあるといえるかもしれない。そして、ピンクパンサレスは、バックトラックのダンサンブルなビートを背後に、キュートさと落ち着きを兼ね備えたボーカルで曲にドライブ感とグルーヴ感を与えている。途中に加わるコラボレーター、RemaのラップもトラックにBad Bunnyのようなエキゾチシズムとチルアウトな感覚を付け加えている。両者の息の取れたボーカルワークの妙が光る。

 

観客の歓声のSEで始まる「True romance」は、Nilfur Yanyaのソングライティングのスタイルに近く、ダンス、ポップ、そして、ラップ的なリズムのテイストを組み合わせたバンガーである。ヨーロッパにおいて、DJセットで鳴らしてきたアーティストがあらためて多数のオーディエンスの目の前で、どういうふうにポップバンガーが鳴り響くのか、そういった空間的な音響性を最重要視した一曲である。 このトラックもTikTokサウンドを過剰なほど意識しているが、魅力はそれだけにとどまらない。ボーカルワークの運びの中には、胸を締め付けるような切ないフレーズが見られ、 アーティストの人生におけるロマンスを音楽を通じて表現している。

 

ストリーミングで驚愕的な再生数を記録している「Mosquito」では、グリッチサウンドを元にして、同じようにドライブ感のあるダンス・ポップが展開される。しかし、21年頃からTiktokがアーティストの名声を上昇させたのは事実であるとしても、Pinkpanthressはそこにべったりより掛かるのではなく、そのプラットフォームに関するアンチテーゼのようなものをさりげなく投げかける。それは反抗とまではいかないかもしれないが、このプラットフォームに親しみながらも、冷やかしを感じる人々に対して共感を呼び覚ます。オートチューンを掛けたボーカルは、2020年代のポップスの王道のスタイルが図られているが、このアーティストの持ち味であるキュートさを呼び覚まし、同時に、軽やかでインスタントな印象をもたらす。

 

「Aisle」は、序盤のアルバムのハイライト曲として注目したい。イントロにヒップホップ的なサウンド処理を施し、それに現代的なハウスのビートやグリッチを加えている。この曲にわだかまるアシッド的な空気感は、アーティストのボーカルと掛け合わされた途端、独特なオリジナリティーを生み出す。音楽的な手法や解釈ではなく、ある意味ではアンニュイな空気感がダンスビートの回りにまとわりつく。これが実際、アシッド・ハウスで感じられるような快感を呼び起こす。そしてそれは一貫して口当たりの良いしなやかなポップスという範疇で繰り広げられる。最終的にはロサンゼルスのローファイの質感を持つコアなポップスへと変遷を辿っていく。

 

Central Ceeが参加した「Nice To Meet You」はピンクパンサレスからの初見のリスナーに送られた挨拶状、グリーティングカード代りである。実際にキュートなポップスとは何かを知るのには最適なトラックであり、タブラの打楽器を加えることで、その中にインド的なエキゾチズムをもたらす。エスニック・ポップとも称すべき新味なポップサウンドを探求している最中であることがわかる。トラックの後半で登場するCentral Ceeのラップは爽やかな感覚に満ちている。ドリルのリズム対し繰り広げられるCeeのスポークンワードのテクニックにも注目。曲のリズムは最後にドリルからドラムンベースに変わり、ボーカルのサンプリングを遊びのような感じで付け加えている。

 

Kelelaが参加した「Bury Me」は、アルバムの中盤の注目曲としてチェックしておくべし。アンビエント的な癒やしのテクスチャーから始まり、以後、グリッチやドリルを絡めたナンバーで、チップチューンからの影響も伺い知れる。これが例えば、インドネシアのYeuleが志向するハイパーポップのような現代的なボーカルのアプローチと取り入れ、清涼感を生み出す。ボーカルにオートチューンを掛け、キュートさが重視されているのは他の曲と同様であるが、ロンドンのネオソウルのボーカルワークの影響を反映させたフレーズは、琴線に触れる瞬間がある。トレンドのサウンドを重視しながらも、そこに何らかの独自性を併せ持つのが強みである。

 

以後、22歳になったアーティストは、ユースカルチャーを振り返るように、「Internet Baby」において、8ビット風のゲームサウンドの影響を反映させた、バーチャルな空間に繰り広げられるポピュラーという概念を音として昇華している。しなるようなドリルのリズムが特徴となっているが、コアなラップを避け、ポップスの範疇にサウンドを収束させている。ここではよりK-POPの主要なグループやそれに近いサウンドを押し出し、Tiktokファンにアピールを欠かさない。その後に続く、「Ophelia」もハイパーポップサウンドに主眼を置いているが、中盤から後半にかけて意外な展開力を見せ、実験的なエレクトロニックの領域に踏み入れている。こういった才気煥発なソングライティングの創造性や意外性のある曲展開はアルバムを楽しむ上で、重要なポイントとなり、予想以上に長くアルバムを聴き続けるための足がかりとなりえる。

 

アルバムの中盤から終盤にかけて、ポップスを軸点として、遠心力で離れていくかのように、序盤以上に多彩な音楽性が展開される。「Feel complete」は、UKガラージやベースラインを基調とし、遊び心のあるシンセリードがそれに加わる。リズムに関しては、アシッド・ハウスに近いスタイルに移行する場合もある。しかし、トラックメイクがダンス・ミュージック寄りになりすぎると、一般的にボーカルの印象性が霞んでしまうケースが多いのにも関わらず、このトラックだけはその限りではない。同じように、ハイパーポップやインドネシアのYeuleの志向する次世代ポップスに準ずる「機械的なものに対する人間的なエモーション」を鋭く対比させることで、アーティストしか生み出し得ない唯一無二のポピュラー音楽を作りだそうとしている。 


アルバムの終盤にも良曲が並んでいて聴き逃がせない。それは考えようによっては、これまでに定着したTikTok発のアーティストというイメージを十分に払拭し、彼女が次のメガスターの階段をひとつずつ上り詰めていくためのプロセスを示しているとも考えられる。「Blue」におけるダンス・ミュージック、ポップ・ミュージックの痛快なクロスオーバーも素晴らしく、ドラムンベースのリズムを発展させた「Feelings」も、UKのフロアシーンのリアルな空間をレコーディングとして絶妙に反映させている。「Capable of love」では、ブレイクビーツを元にして、コアなポップスを生み出している。Ice Spiceが参加したアルバムのクローズ「Boy's a Liar Pt.2」でもチップ・チューンを元にして、キラキラと輝くようなエレクトロポップを制作している。

 


88/100

 

 

「The Aisle」

 Ian Sweet  『Sucker』

 

Label: Polyvinyl

Release: 2023/11/3



Review


 

ロサンゼルスは世界的に見ても、大きな夢が存在する都市であることに疑いはないと思う。しかし、ときに、その大きさゆえに何かを見失うこともある。結局、2021年に秀逸な女性ロックシンガーを多数輩出するPolyvinylからデビューしたジリアン・メドフォードにもそういった出来事が訪れたのであり、メドフォードはニューヨークの保養地である山岳地帯、キャッツキルでしばらくの間、自分自身を見つめ直す必要に駆られたのだった。それは考え方によっては、旧来の音楽性から脱却する必要に迫られたといえ、同時に音楽活動を行う必要性について考えを巡らせる時期に当たった。イアン・スウィートは当時についてこう回想している。「そもそもなぜ音楽を始めたのか、その理由を見直したの。もっと個人的になりたかったし、音楽的にも歌詞的にももっと自信に満ちた面を見せたかった。私はいつも自分の作品にとても疑問を持っていて、それを多くの人と共有することはあまりなかった。でも、このアルバムには、自分が書いていることにとても安心感があり、みんなに聴いてもらいたいという気持ちがあったんだ」

 

このニューヨーク北部にある山岳地帯には有名なスタジオがあることは、既に何度か言及している。USインディーロックの聖地であり、オードリー・カンを擁するインディーロックバンド、Lightning Bugもまた最新作のレコーディングをこの山岳地帯で行っている。都会よりも北部に位置するため、寒冷な土地であることは想像に難くない。結局のところ、キャッツキルでレコーディングの拠点を張ることに何らかの欠かさざる意味を求めるとしたら、多少そのことに厳しさが付随するとしても、都会の喧騒や名声からしばし距離を置き、自らを見つめ直す機会を得るという点に尽きる。そして、レコーディングが行われる場所の空気が実際の音楽に反映されるケースがあるように、山岳地帯の清涼な空気感を反映した音楽を制作できる余地を設けるということである。実際、LAからニューヨークへと大陸を横断したことは、この東海岸で盛んなシンセ・ポップという切り口や観点を最新アルバム『Sucker』にもたらすことになった。


NYの大御所シンガー、セイント・ヴィンセントの次世代を受け継ぐダイナミックなシンセポップソング「Bloody Knees」は鮮烈な印象性を擁し、同時にイアン・スウィートというシンガーの音楽性の一端を知るヒントとなりえる。キャッツキルの高地であるがゆえの澄んだ空気感というのも本作のサウンドに織り込まれている。そして、ロック寄りのサウンドを絡めながら、静と動の展開を交差させ、外交的な性質と内省的な性質を併せ持つボーカルワークを鋭く対比させている。曲の序盤では、清濁併せ呑むボーカルや音楽性という表現が表向きの印象性を作っているが、後半では、繊細でセンチメンタルな一面性を伺わせる時がある。これはアーティストの素直な感情が反映されているのか。見方によっては、商業的な側面を見て取る場合もあるかもしれないし、それとは正反対にDIYのアーティストとしての一面が見て取れる場合もある。

 

現在のニューヨークでは、Nation Of Languageを見ると分かる通り、聴きやすいインディーポップがシーンの一角を担っているという印象がある。「Smoking Again」は、Palehoundのようなヘヴィネスではなく、ソフト・ロックのような軽さを重視し、ダンスミュージックを反映した軽妙なポップで聞き手を魅了する。同様に、Big Thief、Slow Pulpのようなモダンなオルトロックのスタンダードな感性を踏まえた「Emergency Contact」でも、現代の耳の早いリスナーを魅了してやまない。上記の2曲は、アルバム全体を聴き通した後、また聴き返したいと思わせる要因を作るはずだ。

 

さらに、『Sucker』の制作環境において、イアン・スウィートは心の痛みやまた苦悩といった、一般的には負の側面とも思われる感情性を、丹念にソングライティングに反映させていることは賛嘆に値する。タイトル曲であり、重要なハイライトでもある「Sucker」は最もセンチメンタルな側面が表れ、その中にはいままで見過ごしていたアーティストの自己よりも更に深いインナーチャイルドのようなものも見出すことができる。イアン・スウィートは、アーティストとしての原点に帰り、そして誰よりも深く自己と向き合うことにより、(ときにそれは強さが必要となることもある)共感性に富んだ、柔らかく靭やかなインディーポップソングを書くことが出来たのだろうか。そして、驚くべきことに、そういった内面の痛みや切なさ(脆弱性)というマイナスの側面を持つ曲を書くことで、アーティストと同じような場所にいるリスナーを苦しみから救い出せる。もちろん、リスナーの心に癒やしを与えることもできるのだ。

 

以後、アルバム、あるいはアーティストは、内省的になることを恐れず、そして「他者から見る自己」よりも「自分自身が見つめる自己」を重視し、しなやかなインディーポップソングを書いている。それは言い換えれば、本当の自分を見つめ、その姿をそのまま音楽に素直に昇華するということなのかもしれない。「Come Back」では、内省的なインディーポップの音楽性を選んでいるが、ここにも2年間のイアン・スウィートの人生が何らかの形で反映されているという気がする。みずから地を足で直に踏みしめるかのようなリズムに対する、自己に言い聞かせるようなボーカルは説得力があり、心深くに共鳴するものがある。派手さや華美を避け、徹底して内面の感情性を見つめ、それを繊細なポップソングとして昇華させているのが素晴らしいと思う。そしてサビの部分では、山岳地帯の清涼感のある空気感を表現しようとしている。

 

続いて、ダイナミックなシンセポップバンガー「Your Spit」も聴き逃がせない。クランチなギターとマシンビートを融合させ、Japanese Breakfast、Samiaのようなキュートな感覚を表現しようとしている。シンセ・ポップの現行のトレンドの王道にある音楽性とシンプルなオルト・ロックサウンドの融合は爽快感がある。「Clean」では、Clairoを思わせるベッドルーム・ポップとオルト・フォークの融合に焦点が絞られていて、これらの繊細な感覚は琴線に触れるものがある。「Fight」においても、ベッドルーム・ポップを踏襲したトレンドのサウンドで聞き手を魅了する。「Slowdance」ではドリーム・ポップ/シューゲイズに近い陶然とした感覚に浸らせる。

 

さらに、クローズ「Hard」は、Phoebe Bridgersのソロ作に近いインディーポップソングで締めくくられる。ただ、アルバムの中盤までのオリジナリティーが、後半にかけて副次的なサウンドに変化し、キャッツキルの清涼感や雰囲気が、曲が進む毎に立ち消えていくような感覚があったのは少しだけ残念だった。アンチテーマという考えもあり、ストーリー性をあえて避けるという考えもあるため、アルバムの中には、必ずしもテーマや概念が必要とはかぎらない。けれども、音楽の中に内在する一連のイメージの流れのようなものが結実せず、最後に少しずつしぼんでいくような印象がある。これは、Squirrel Flowerの最新作のクローズ曲の心震わせるような圧倒的な凄みを聴くと、その差は歴然としている。もちろん、反面、『Sucker』は良いアルバムであることに変わりない。タイトル曲、「Bloody Knees」、「Come Back」を始め、聴き応えのある良曲も数多く収録されている。インディーポップ/ロックファンを問わず、ぜひチェックしてほしい良盤の一つ。

 

 

78/100

 


 「Sucker」

bar italia  『The Twits』

 

Label: Matador

Release: 2023/11/3



Review



前作『Tracy Denim』に続く『The Twits』は、ビョークの作品等のプロデューサーとして知られるマルタ・サローニを迎えて制作された。スペインのマヨルカ島の間に合わせのホーム・スタジオで録音されたアルバムだという。

 

先日、現地の大手新聞のThe Guardianで紹介されたとはいえ、一般的にはミステリアスな印象のあるロンドンのトリオの音楽をよく知るための最良の手がかりとなるはずである。全般的な印象としては、少し冗長な印象もあった前作に比べ、サウンド・プロダクションがタイトでスマートになった。これはよりプロデューサーとバンドの良好な関係が実際の音源に表れ出たと考えられる。


実際のアルバムは、bar italiaのメンバーのプリミティヴなプロトパンクに対する親近感を読み取ることができる。そのサウンドの質感は、Television、Sonic Youth、Richard HellといったNYのレジェンドに近いものである。オープニングを飾る「my little tony」は、bar italiaがSonic Youthの次世代のバンドであることのしたたかな表明代わりとなる。ガレージ・ロックを吸収したダイナミックなギターラインは、前作よりも信頼感のあるロックグループとしての道を選択したことの証ともなる。実際に、ソリッドで硬質なギターラインは、bar italiaの代名詞であるボーカルを入れ替えるスタイルと劇的に合致し、従来よりもタイトなサウンドが生み出されるに至った。

 

一方で、前作で象徴的だったローファイで荒削りなニューヨークのNo Waveに近いアヴァンギャルドなオルタナティヴロック・サウンドは、今作でも健在である。「que surprise」では、ホーム・スタジオならでは感覚が重視されていて、ライブ・セッションに近いリアルな息吹を感じる。サローニのラフなミックスも、曲のローファイな感覚を上手く引き出している。スローテンポな曲ではありながら、バンドの演奏のリアルな感覚を楽しめる。同じように「Blush w Faith」においても、ジャム・セッションの延長線上にあるラフなロックが展開される。Violent Femmesを思わせる寛いだインディーロックから、曲の後半にかけてDinasaur Jr.の系譜にあるダイナミックなオルトロックサウンドに移行する瞬間は必聴である。こういったダイナミックさと繊細さを併せ持つ特異なオルトロックサウンドは、「calm down with me」にも見出すことができる。


ローファイな感覚を擁するコアなインディーロックと合わせて、このアルバムの別のイメージを形成しているのが、渋さとクールさを兼ね備えた古典的なフォーク音楽である。アイリッシュ・フォークの影響下にあるロックサウンドは、先行シングルとして公開された「twist」、「Jelsy」という2曲に明瞭な形で表れ出ており、アルバムの今一つのハイライトを形成している。これは前作にはなかった要素であり、バンドの新しいサウンドの萌芽を見出す事ができる。

 

アルバムの収録曲の中でひときわ目を惹くのが、発売前の最後の先行シングルとして公開された「Worlds Greatest Emoter」である。ドライブ感のあるインディーロックサウンドに、お馴染みのトリオのボーカルが入れ替わるスタイルが示されている。実際、以前よりも清涼感があり、従来のバー・イタリアのイメージから脱却を図った瞬間であると解釈できる。曲の構成は一定であるのに、ボーカルのフレーズを変えると、その印象が一変する。これはバンドの重要なテーマである多様性や人格の独立性を尊重した結果が、こういったユニークなトラックを生み出す契機ともなったのかもしれない。音楽の方向性としては、USインディーロックが選ばれているが、その枠組みの中で展開されるのは、ロンドンという街の持つ、多彩で流動的な性質である。さらに「Shoo」では、従来の手狭なロックという領域を離れて、ジャズともボサノヴァともフレンチ・ポップとも付かない、世界市民としての音楽に取り組んでいるのにも注目したい。


さらに、bar italiaは、Matadorと契約する以前から、シューゲイズ、ドリーム・ポップの音楽にも取り組んで来た。それらはローファイという形でアウトプットされることは旧来のファンであればご承知のはずである。しかしながら、今まさにバンドは、過酷なライブツアーを目前に控えて、「Hi Fiver」、「Sounds Like You Had To Be There」と、原点回帰の意味を持つ曲を書いている。これはとても重要なことで、今後、何らかの形で生きてくる可能性が高い。

 

正直に言うと、前作アルバム『Tracy Denim』と比べて、何かが劇的に変わったというわけではない。もっといえば、バンドとして、今後どうなるかわからず、未知数の部分が残されている部分がある。けれど、人間もバンドもいきなり著しい変化を迎えることはない。何かを一つずつ着実に積み上げていった結果、それが突然別のものに変化し、誰も想像しえないオリジナリティーに辿り着く。そして、このアルバムのサウンドの中には、原石のようなものが眠っているという気がしている。未完成の荒削りなサウンドであるがゆえ、大きな飛躍をする可能性も残されている。いずれにしても、未だこのバンドに対し、何らかの期待感を抱いていることには変わりがない。

 

 

84/100 

 

 

 Paint It Black 『Famine』

 

 

Label: Revelation

Release: 2023/11/3


Review


フィラデルフィアのハードコア・アウトフィット、Paint It Blackは、Kid Dynamite/Lifetimeのメンバーとして知られるDanが所属しているという。意外にも長いキャリアを持つバンドらしいが、今作では、USハードコアの王道を行くパンク性により、パンクキッズをノックアウトする。

 

Kid Dynamite,Lifetime、Dag Nasty周辺を彷彿とさせる硬派なボーカルスタイルやハードコアの方向性には、Discordを中心とするDCのハードコアやストレイト・エッジのオールドスクール性が漂うが、一方、グルーブ感を生かしたニュースクールのリズムと鋭いエッジを擁するギターやドラム、無骨なボーカルスタイルが特徴である。さらに、Paint It Blackの音楽性にはニューメタルやメタルコア等の影響も滲んでいる。アルバムの蓋を開けば、怒涛のノイジーさとアジテーションの応酬に塗れること必至だが、他方、Converge以後のニュースクール・ハードコアのスタイルの中には、奇妙な説得力や深みがノイジーさの向こう側に浮かび上がってくる瞬間がある。つまり、プレスリリースで説明されているとおり、「ハードコア・パンクの最も強力なリリースは、弱さ、正直さ、信憑性の空間から生まれるものであることを証明するもの」なのである。

 

そのことはオープニング「Famine」において示されている。フックやエッジの聴いたギターラインと屈強なリズムとバンドのフロントマンの咆哮にも近いスクリーモの影響を絡めた痛撃なハードコアサウンドは、バンドがこれまでどのような考えを持ち、活動を行ってきたのかを示している。ノイジーなサウンドの中核を担うのは、オールドスクールのDCハードコア、そしてFiddleheadに近いモダニズムである。他方、ヨーロッパのニュースクール・ハードコア/ポスト・ハードコアの独特な哀愁も漂う。それは、イタリア/フォルリの伝説、La Quiete、フランスのDaitro、スウェーデンのSuis La Luneのポストハードコアバンドと比べても何ら遜色がないことがわかる。

 

さらに、彼らはパンクバンドとしてのNOFXのようにメッセージ性もさりげなく取り入れている。前回の米大統領選に公平性に関する疑惑を歌った「Dominion」では、大型の戦車が走り回り、すべての草木をなぎ倒していくかのような怒涛の疾走感とパワフルさをサウンドに搭載し、理想的なハードコアパンクとは何かをみずからのアティテュードで示す。ミリタリーの性質があるのは瞭然で、このあたりは80年代のボストン・ハードコアや、以後のニューヨークのAgnostic Frontを思わせるものがある。

 

特に、エッジの効いたベースラインについては、バンドの最大の長所と言える。「Safe」ではオーバードライブを搭載した屈強なベースラインでパンクキッズを完全にノックアウトしにかかる。メタルコアやラップにも近いボーカルラインが加わることで、エクストリームなサウンドが生み出される。さらに、そのモダンなハードコアサウンドの中に、Dropkick Murphysのような古典的なパンクのギターソロを中盤で披露することにより、曲そのものに変化を与えている。ライブを意識した痛撃なサウンドはもちろん、パンクファンの心を鼓舞するためのものであるが、一方、その中にもDag Nasty/Lifetimeのようにじっくりと聴かせるなにかが備わっていることがよくわかる。

 

もちろん、疾走感や無骨さだけが、Paint It Blackの魅力なのではない。「Explotation In Period」では、イギリスのNew WaveやニューヨークのNo Waveを系譜にあるアヴァンギャルド音楽をポスト・ハードコアという形に落とし込んでいるのが美点である。これらの前衛性は、彼らがパンク・スピリットとは何かという原義的なものを探し続けた来た結果が示されていると言える。そして、実際、アルバムの全体的な音響性の中に面白い印象の変化をもたらしている。

 

ハードコアパンク・サウンドの中にある多彩さというのは、本作の最大の強みとなっている。 「Serf City, USA」では、Kid Dynamiteを思わせるメロディック・ハードコアのアプローチを選んでいる。ストップ・アンド・ゴーを多用したパンクサウンドはアンサンブルの深い理解に基づいており、Paint It Blackのバンドとしての経験豊富さやソングライティングにおける引き出しの多さを伺わせる。ダブル・ボーカルに関しても苛烈で痛撃な印象を及ぼし、もちろんハードコア・パンクファンの新たなアンセムと言って良く、拳を突き上げてシンガロングするよりほかない。

 

Paint It Blackは、このアルバムを通じて、パンクロックそのものの最大の魅力である簡潔性や衝動性に重点を置いている。それはその後も続いている。


「The Unreasonable Silence」では、レボリューション・サマーの時代のOne Last Wish、Fugaziの系譜にあるアヴァンギャルドなロックへの展開していく。さらに、Minor Threat、Teen Idlesを思わせる「Namesake」では、ストレイト・エッジを、近年のConvergeのように、ポストハードコアの側面から再解釈しようとしている。表向きにはきわめてノイジーなのに、内側に不思議にも奇妙な静寂が感じられるのは、La Quieteと同様である。クローズ曲「City Of Dead」では、王者の威風堂々たる雰囲気すら漂う。最後の曲では、暗示的に政治不安や暗黒時代の何かが歌われているのだろうか。そこまではわからないことだとしても、アルバムの全般を通じて、フィラデルフィアのPaint It Blackは現代のハードコアパンクの未来がどうあるべきなのか、その模範を断片的に示そうとしている。

 

 

86/100

 


Drop Nineteens 『Hard Light』

 


Label: Wharf Car Records

Release: 2023/11/3



ボストンの伝説的なシューゲイズバンド、Drop Nineteensは1993年以来新作から遠ざかっていた。92年の『Declare』をリリース後、一時的にメンバー内の均衡が変化し、グループという形態から離れざるをえなかった。以後、95年までにバンドに残ったのはアッケルだけとなった。昨年、ほとんど30年もの歳月を経、再結成を発表し、そして、全米各地でのレコーディングに取りかかった。しかし、長年のブランクにより失われた感覚的な何かを取り戻すことは容易ではなかった。Drop Nineteensの音楽は、現代の最新鋭のものではないし、流行の先を行くようなバンドではないことは明白だった。しかしながら、結局のところ、彼らが再び、Drop Nineteensとして立ち上がり、新しい作品の制作に着手し、失われていたバンドの核心となる音楽を追求し、友人としての絆を深めるように促したのは、Merge Recordsに所属するThe Clienteleだったのである。懐かしさと新しさが混在する陶酔感のあるインディーロックの音楽性は、Drop Nineteensに力を与え、そして早足ではないものの、前に向けて歩き出すことを促した。

 

ドロップ・ナインティーンズのフロントパードンであるアッケルが強い触発を受けたと語る、The Beatles、The Clientele、 LCD Soundsystem。一見したところ、共通項を見出すことが難しいように思える。けれど、表向きにアウトプットされる音楽こそ違えど、普遍的な音楽を探求するというテーゼがある。現代に染まらないサウンド。時代という観念を遠ざけるサウンド。音楽の中にとどまらせることを約束するサウンド。誇大広告がなされる現代の音楽業界の渦中にあり、それとは正反対に位置づけられる音楽に対して深い信頼感を覚えるリスナーもいることを忘れてはいけない。アッケルもまたそのひとりなのであり、「クライアンテレがただレコードを作ってくれるなら、私はそれだけで生きていけると考えていた、あるいはビートルズかもしれない。私はそれを永遠に聴き続けることだろう」と語っている。


無限に細分化していき、音楽そのものが消費されるための商品として見なされる風潮の中、ボストンの5人組は普遍的な音楽とは何なのかを探しもとめることになった。アッケルの言葉によれば、「永遠に聴き続けられる」音楽とは何なのかということである、およそ30年の歳月を経て発売された『Hard Light』の中には、その答えが全般的に示されている。アルバムの音楽には、ビートルズのようなアート・ロックを下地にしたポップネスもあるし、クライアンテレの最初期の60年代志向のレトロなロック、ブリット・ポップ、ネオ・アコースティック、そしてシューゲイズ/ドリーム・ポップのアプローチがほとんどダイヤモンドのように散りばめられている。

 

アルバムのオープニングを飾るタイトル曲「Hard Light」は、Drop Nineteensが直接的な影響を受けたと語る、MBV、Jesus&Mary Chains の系譜に属するネオ・アコースティックとギターロック、ドリーム・ポップの中間にある方向性を選んでいる。アイルランド/ウェールズの80年代のギターロックをベースにし、この時代の音楽に内包されるレトロな感覚や陶酔的な雰囲気を繊細なギターラインによって再現しようとしている。90年代のシューゲイズの登場前夜のプリミティヴなドリーム・ポップやシューゲイズの音楽性から滲み出るエモーションは、二人のボーカリスト、アッケルとケリーの声の融合性によってもたらされる。

 

Drop Nineteensが戻び制作に取り掛かることは、既に誰かがやっていることを後から擬えるのとは意味が異なっていた。ほとんど前例のないことであり、彼らは、電話で連絡を取りあった後、ほとんど制作前には曲を用意していなかったという。しかし、それは良い効果を与え、新しい学びや経験の機会をもたらした。「Scapa Flow」は、80、90年代のギターロック/ネオ・アコースティックの影響を取り入れ、よりモダンでダイナミックなシューゲイズ・サウンドへと進化させている。しかし、その中にはやはりノスタルジアが滲み、内省的な感覚とレトロな雰囲気を生み出し、アッケルの親しみやすいボーカルがディストーションの轟音と合致している。

 

続く「Gal」は、シンセサイザーの反復的なマシンビートを元にし、瞑想的な雰囲気のあるインディーロックとディケイサウンドが展開される。表向きには70年代のポスト・パンクや最初期のドイツ時代のMBVに象徴されるシューゲイズの原始的な響きを留めているが、アッケルのボーカルは、どことなくYo La Tengoのアイラ・カプランの声の持つ柔和な響きに近い雰囲気が漂う。ギターロック、ネオアコ、ドリーム・ポップ、シューゲイズをクロスオーバーし、アンサンブルの核心となるUSのオルタナティヴ性を捉えようとしているといえるかもしれない。これらの複数のサウンドの合致は、どちらかといえば和らいだ響きを作り出し、さらに曲の後半では、シネマティックなストリングスが導入されることで、曲に漂う感情性を巧みに引き出している。

 


 

 

続く「Tarantula」は、 スコットランドのネオ・アコースティックやアノラックの要素を受け継いだ上で、ビートルズのポップセンスの影響を取り入れ、懐古的な音楽性を探求している。シューゲイズサウンドとともにボーカルのコーラスワークの秀逸さが光る。そのメロディーはウェールズのYoung Marble Giants等に象徴される奇妙な孤独感や切なさが漂っている。さらに「The Price Was High」では、ボーカルが入れ替わり、ドリーム・ポップに近い音楽性に転じる。彼らのルーツであるMTV時代のサウンドを受け継ぎ、それをシューゲイズとして解釈している。ポーラ・ケリーのボーカルは、このトラックにわずかながらのペーソスを添えている。

 

「Rose With Smoke」は「Gal」と同様に、MBVの2ndアルバム『Isn’t Anything』に見出された ディケイサウンドの復刻が見受けられる。ギターのトーンの独特の畝りは聞き手の感覚に直に伝わり、切なさや陶酔的な感覚を呼び覚ます。シューゲイズバンドをやっているプレイヤーはかなり参考になる点が多いと思われる。30年もの長い試行の末にたどり着いた究極のサウンドである。


 

 

 

続く「A Hitch」では、The Clientele、The Beatlesに対するリスペクトが示されている。レトロなオルトロックサウンドをローファイ寄りのサウンドで処理し、安江のシューゲイズギターが炸裂し、劇的なハイライトを作る。他方、アッケルのボーカルは気安い感覚を生み出し、レトロな感覚を擁し、リスナーを淡いノスタルジアの中に招き入れる。曲の展開の中では、80、90年代のブリット・ポップやネオ・アコースティック風のサウンドへと鞍替えをする瞬間もある。多少、これらのサウンドは時代に埋もれかけているような気もするが、アッケルのソングライティングの才質とドロップ・ナインティーンズの潤沢な経験によるバンドアンサンブルは、シューゲイズの一瞬のキラメキのような瞬間を生み出す。ビートルズのデモ・トラックのようなローファイ感のある「Lookout」。その後に続く「Another on Another」では、ドロップ・ナインティーンズのサウンドの真髄が示され、「Policeman Getting Lost」では再びポーラ・ケリーが牧歌的なフォークの音楽性を示す。クローズ「T」では、The Clienteleのフォロワーであることを示し、ローファイと幻惑的な雰囲気を兼ね備えたサウンドでアルバムを締めくくっている。


 


80/100

 

 

「Scapa Flow」



John Tejada 『Resound』

 

 

Label: Palette Recordings

Release: 2023/11/3

 

Review

 

オーストリア出身で、現在ロサンゼルスを拠点に活動するジョン・テハダ。もはや、この周辺のシーンに詳しい方であればご存知だろうし、テック・ハウスの重鎮と言えるだろうか。テクノ的なサウンド処理をするが、ハウス特有の分厚いベースラインが特徴である。もちろん、ジョン・テハダのトラックメイクは、ダンスフロアのリアルな鳴りを意識しているのは瞭然であるが、アルバムの中にはいつも非常に内的な静けさを内包させたIDMのトラックが収録されている。さらに、数学的な要素が散りばめられ、理知的な曲の構成を組み上げることで知られている。近年のジョン・テハダの注目曲を挙げておくと、「Father and Fainter」、「Reminische」等がある。 



今年既に3作目となる『Resound』はテハダ自身がこれまで手掛けてきた音楽や映画からインスピレーションを得ている。クラシックなアナログのドラムマシンとフィードバック、そしてノイジーなディレイによるテクスチャを基盤として、テハダは元ある素材を引き伸ばしたり、曲げたり、歪ませたりしてトーンに変容をもたらす。さらにはシンセを通じてギターのような音色を作り出し、テックハウスの先にあるロック・ミュージックに近いウェイブを作り出すこともある。

 

「Simulacrum」は、テハダの音楽性の一貫を担うデトロイトテクノのフィードバックである。さらに、Tychoが近年、ダンスミュージックをロックやポップス的に解釈するのと同じように、テハダもロック的なスケールの進行を交え、ロックに近いフレーバーを生み出していることがわかる。ただ、複雑なEDMの要素を散りばめたダンスビートの底流には、CLARKのデビュー作で見受けられたロック的な音響性や、ダンスミュージックの傑作『Turning Dragon』でのゴアトランスの要素が内包されているように思える。これらのベテランプロデューサーらしい深い見地に基づくリズムの運行は、ループサウンドを徐々に変化させていくという形式を取りながらも、より奥深い領域へとリスナーを導いてゆく。ダンスフロアでの多幸感、それとは対極にある冷静な感覚が見事に合致した、ジョン・テハダの代名詞的なサウンドとして楽しめる。

 

 続く「Someday」では、Authecre(オウテカ)の抽象的なビートと繊細なメロディーを融合させている。ベースラインを元にしたリズムに、Tychoのようなギターロックの要素を加味することにより、一定の構造の中に変容と動きをもたらしている。その中には、Aphex Twinの「Film」に見受けられるような内省的な感覚が含まれているかと思えば、それとは対極に、ダブステップのしなやかなリズムが強固なコントラストを形成している。その後、ノイジーなテクスチャーが音像の持つ空間性をダイナミックに押し広げ、その中にグリッチテクノで使用されるようなシンプルかつレトロなシンセリードが加わる。リズム的には大げさな誇張がなされることはないにせよ、入れ子構造のような重層的なリズムが建築さながらに積み上げられていき、しなやかなグルーブを生み出す。曲のクライマックスでは、ノイジーなテクスチャーに加えて崇高な感覚のあるシークエンスを組み合わせることで、シネマティックな効果を及ぼしている。

 

 

三曲目の「Disease of Image」はテックハウスの代名詞的なサウンドといえるかもしれない。ループサウンドを元に、複数のトラック要素を付け加えたり、それとは反対に減らしながら、メリハリのあるダンストラックを制作している。特にリズム、メロディー、テクスチャーの3つの要素をどこで増やし、どこで減らすのか。細心の注意を払うことによって、非常に洗練されたサウンドが生み出されている。5分40秒のランタイムの中には音によるストーリー性や流れのようなものを感じ取ることもできる。アウトロに至った時、最初のループサウンドからは想像もできないような地点にたどり着く。こういった変奏の巧緻さも醍醐味のひとつ。

 

「Fight or Flight」ではテハダのバンド、オプトメトリーのパートナーであるマーチ・アドストラムがボーカルを担当している。ビートのクールさは言わずもがな、このボーカルがトラック自体に奇妙な清涼感を与えている。Massive Attackの黄金時代のサウンドを思わせる瞬間もある。こういったボーカルトラックが今後どのような形で集大成を迎えるのかを楽しみにしたい。

 

 次の「Centered」は、シンセの音色の選択と配置がかなりユニークな魅力を放つ。 反復的なビートはアシッド・ハウスのエグみのある幻惑の中に誘う。バスドラムのビートに対比的に導入されるシンセベースは色彩的な響きを生み出し、さらに続いてゴアトランスのような抽象的なサウンドへと行き着く。 テハダは、アルバムの序盤のトラックとおなじようにトーンシフターを駆使し、音響性に微妙な変化を与える。しかし、音の運びは、脇道にそれることは殆どなく、力学的なベクトルやエネルギーを、中心点に向け、的を射るかのように放射する。これが実際に表向きに鳴らされるサウンドに集中性を与え、音に内包される深層の領域に踏み入れることを促すのである。

 

「Trace Remnant」は、ダウンテンポのイントロからしなやかなテックハウスに展開していく。この曲でも従来のループ構造のトラック制作から離れ、より劇的な展開力のある曲構成へと転じており、ドラムに関してはロック的な効果が重視されている。これらはTychoが近年制作しているような「ポップスとしてのダンスミュージック」の醍醐味を味わえる。アルバムのクローズでも凄まじい才覚が迸る。「Different Mirror」は、TR-909によるドラムマシンのジャムである。しかし、アシッド・ハウスの核心をつく音楽的なアプローチの中には、アルバムの全般的なトラックと同様、遊び以上の何かが潜んでいることが分かる。

 

 

86/100

 


「Fight or Flight」

 Sofia Kourtesis 『Madras』


 

Label: Ninja Tune

Release: 2023/10/27

 


Review



ドイツ、ベルリンを拠点とするシンガーソングライター、ソフィア・クルテシスの最新アルバム『Madras』は、ハウスをベースとして、清涼感と強いグルーブを併せ持つ快作となっている。


『マドレス』は、レーベルのプレスリリースによると、クルテシスの母親に捧げられた作品だ。しかし、もっと驚くべきことに、この曲は世界的に有名な神経外科医ピーター・ヴァイコッツィにも捧げられている。世界的に有名な神経外科医がこのレコードのライナーノーツに登場することになった経緯は、粘り強さ、奇跡、すべてを飲み込む愛、そして最終的には希望の物語である。オープニング曲「Madras」を聴くと分かる通り、原始的なハウスの4つ打ちのビートを背に、ソフィア・クルテシスの抽象的なメロディーが美麗に舞う。歌の中には取り立てて、主義主張は見当たらない。しかし、そういった緩やかな感じが心地よさを誘う場合がある。メロディーには、ジャングルの風景を思わせる鳥の声のサンプリングが導入され、南米やアフリカの民族音楽を思わせる時もあり、それが一貫してクリアな感じで耳に迫る。フロアで聴いても乗れる曲であり、もちろんIDMとしても楽しめる。オープニングの癒やしに充ちた感覚はバックビートを背に、少しずつボーカルそのものにエナジーを纏うかのように上昇していく。

 

アルバムの制作の前に、アーティストはペルーへの旅をしているが、こういったエキゾチックなサウンドスケープは、続く「Si Te Portas Bonito」でも継続している。よりローエンドを押し出したベースラインの要素を付け加え、やはり4ビートのシンプルなハウスミュージックを起点としてエネルギーを上昇させていくような感じがある。さらにスペイン語/ポルトガル語で歌われるボーカルもリラックスした気分に浸らせてくれる。Kali Uchisのような艶やかさには欠けるかもしれないが、ソフィア・クルテシスのボーカルにはやはりリラックスした感じがある。やがて、イントロから中盤にかけて、ハウスやチルと思われていたビートは、終盤にかけて心楽しいサンバ風のブラジリアン・ビートへと変遷をたどり、クルテシスのボーカルを上手くフォローしながら、そして彼女の持つメロディーの美麗さを引き出していく。やがてバック・ビートはシンコペーションを駆使し裏拍を強調しながら、 お祭り気分を演出する。もし旅行でブラジルを訪れて、サンバのお祭りをやっていたらと、そんな不思議な気分にひたらせてくれる。

 

クルテシスの朗らかな音の旅は続く。北欧/アイスランドのシーンの主要な音楽であるFolktoronica/Toytoronicaの実験的な音楽性が、それまでとは違い、おとぎ話への扉を開くかのようでもある。しかしながら、クルテシスはこの後、このイントロの印象を上手く反転させ、スペインのバレアック等のコアなダンスフロアのためのミュージックが展開される。途中では、金管楽器のサンプリング等を配して、この南欧のリゾート地の祝祭的な雰囲気を上手くエレクトロニックにより演出する。しかしながらクルテシスのトラックメイクはほとんど陳腐にならないのが驚きで、トラックの後半部では、やはりイントロのモチーフへと回帰し、それらの祝祭的な気風にちょっとしたエスプリや可愛らしさを添える。ヨーロッパの洋菓子のような美しさ。


「How Music Makes You Better」では、Burialのデビュー当時を思わせるベースライン/ダブステップのビートが炸裂する。表向きには、ダブステップの裏拍を徹底的に強調したトラックメイクとなっているが、その背後には、よく耳を済ますと、サザン・ソウルやアレサ・フランクリンのような古典的な型を継承したソフィア・クルテシス自身のR&Bがサンプリング的に配されている。それらのボーカルラインをゴージャスにしているのが、同じくディープソウルの影響を織り交ぜたゴスペル/クワイア風のコーラスである。そしてコーラスには男性女性問わず様々な声がメインボーカルのウェイブを美麗なものとしている。 曲の後半部ではシンセリードが重層的に積み重ねられ、ビートやグルーヴをより強調し、ベースラインの最深部へと向かっていく。


「Habla Con Ella」は、サイモン・グリーンことBonoboが書くようなチルアウト風の涼し気なエレクトリックで、仮想的なダンスフロアにいるリスナーをクールダウンさせる。しかし、先にも述べたようにこのアルバムの楽曲がステレオタイプに陥ることはない。ソフィア・クルテシスは、このシンプルなテクノに南米的なアトモスフィアを添えることにより、エキゾチックな雰囲気へとリスナーを誘う。ビートは最終的にサンバのような音楽に変わり、エスニックな気分は最高潮に達する。特に、ループサウンドの形態を取りつつも、その中に複雑なリズム性を巧みに織り交ぜているので、ほとんど飽きを覚えさせることがない。分けてもメインボーカルとコーラスのコールアンドレスポンスのようなやり取りには迫力がある。ダンスビートの最もコアな部分を取り入れながらも、アルバムのオープナーのようなくつろぎがこぼたれることはない。

 

 

「Funkhaus」はおそらくベルリン・ファンクハウスに因んでいる。2000年代、ニューヨークからベルリンへとハウス音楽が伝播した時期に、一大的な拠点となった歴史的なスタジオである。この曲では、スペーシーなシンセのフレーズを巧みに駆使し、ハウスミュージックの真髄へと迫る。00年代にベルリンのホールで響いていたのはかくなるものかと想像させるものがある。しなるようなビートが特徴で、特に中盤にかけて、ハイレベルなビートの変容を見いだせる。このあたりは詳細に説明することは出来ない。しかし、ここには強いウェイブとグルーブがあるのは確かで、そのリズムの連続は同じように聞き手に強いノリを与えることだろう。この曲もコーラスワークを駆使して、リズム的なものと、メロディー的なものをかけあわせてどのような化学反応を起こすのかという実験が行われている。それはクライマックスで示される。

 

一転して「Moving House」はアルバムで唯一、アンビエント風のトラックに制作者は挑戦している。テープディレイを用いながら、ちょっとした遊び心のある実験的なテクノを制作している。ただこの曲もまたインストでは終わらずに、エクスペリメンタルポップのようなトラックへと直結していく。しかし、こういったジャンルにある音楽がほとんどそうであるように、ボーカルは器楽的な解釈がなされている。これはすでにトム・ヨークが「KID A」で示していたことである。



アルバムの終盤にかけては、タイトルを見るとわかる通り、南欧や南米のお祭り的な気分がいよいよ最高潮を迎える。「Estacion Esperanza」は、土着的なお祭りで聴かれるような現地の音楽ではないかと思わせるものがあり、それは鈴のような不思議な音色を用いたパーカッション的な側面にも顕著に表れている。ただイントロでの民族音楽的な音楽はやはり、アーバン・フラメンコを吸収したハウスへと変遷を辿っていく。この両者の音楽の相性の良さはもはや説明するまでもないが、特にボーカルやコーラスを複雑に組み合わせ、さらに金管楽器のコラージュを混ぜることで、単なる多幸感というよりも、スパニッシュ風の哀愁を秘めた魅惑的なダンスミュージックへと最終的に変遷を辿っていく。ベースラインを吸収し、「Cecilla」はサブウーファーを吹き飛ばす勢いがある。さらにダンス・ミュージックの核心を突いており、おしゃれさもある。クローズ「El Carmen」はタイトルの通り、カルメンをミニマル的なテクノへと昇華させて、南欧的な雰囲気はかなり深い領域にまで迫っていく。これらの音楽は南欧文化にしか見られない哀愁的な気分をひたらせるとともに、その場所へ旅したかのような雰囲気に浸ることができる。そういった面では、Poolsideの最新作とコンセプト的に非常に近いものがあると思う。



82/100


 King Gizzard & The Lizard Wizard 『The Silver Cord』

 

Label: KGLW

Release: 2023/10/27

 

Review

 

メルボルンのスチュアート・マッケンジーを中心とするキング・ギザードは作品毎に作風を変化させることで知られている。弛まざる変化を自らの活動形態に課しているという感じで、サイケデリックロック・バンドという名が定着したかと思えば、メタルバンドへと移行し、かなりベタな音楽へ転じた。そして、今回は、なんとシンセサイザーを主体としたダンスグループに変化している。アルバムのメンバーが分身をしたかのようなアートワークについても、笑いを取りに来ているのか。それとも真面目なのか……。もしかすると、そのどちらでもあるのかもしれない。


キング・ギザードは、オーストラリア国内にとどまらず、米国やイギリスにもファンが多く、実際のレビューの採点に関わらず、海外メディアからの評価は、軒並み高い。彼らの評価を決定づけているのが、劇的なライブであり、オーディエンスを狂乱の渦へと導く熱狂性である。メタルやヘヴィーロックのアプローチが彼らのライブの代名詞ともなっているが、その中にはハードコアやパンクの要素が少なからず含まれている。これがチル/サイケというもう一つの音楽性と結びつき、キング・ギザードの主要な音楽性を形成している。そして、もうひとつ忘れてはいけないのが、ギタリストのジョーイ・ウォーカーがIDMの別名義、Bullantの元で活動していることである。「モジュラーシンセの使い方を知っている振りのロックバンド」というマッケンジーの評はブラフで、このアルバムがEDM/IDM問わず、かなりの深い理解によって制作された作品であることは、エレクトロニックをよく知るリスナーであればお気づきになられるはず。

 

アルバムの冒頭を飾る「Theia」は、宇宙との交信を開始するかのようなユニークなイントロに続き、UnderworldともDepeche Modeとも取れるEDMが始まる。あるいはそのどちらでもないかもしれない。とにかく、そのサウンドをさらにユニークにしているのがポピュラーなボーカルワークで、ボコーダーを交えたジャーマン・テクノ的なサウンドがドライブ感を生み出す。テクノ的なビートの背後にはイタロ・ディスコに象徴される重低音を突き出した重さが加わる。さらに、プログレッシヴ・テクノに見受けられるような複雑な展開力を交えて、キング・ギザード独自のサウンドを構造的に生み出していく。曲の中盤から終盤にかけては、ループの要素を効果的の駆使してユーロビートを思わせるような刺激性と多幸感を兼ね備えた展開に繋げていく。

 

アルバムは、その後、コンセプチュアルな設計が施され、タイトル曲「The Silver Chord」では、エジプト風の旋律を取り入れているのを見ると分かる通り、Radioheadの『Kid A』で示されたエレクトロニックとロックの究極系を再現している。コラージュなのか、イミテーションなのか。そんなことはどうでもよくなるほどの愚直かつ痛快なサウンドが展開される。しかし、これらの土台が既存のものであるとしてもそれを再構成するテクニックやジャンルへの理解度が尋常ではないため、曲の終盤ではそれなりに聞けるサウンドになってしまうのが凄い。メタルの超絶的な演奏力だけがKing Gizzardの魅力ではないことがわかる。

 

「Set」はもう一つのハイライトとして楽しめる。ほとんど表向きには知られていなかったことではあるが、皮肉にも、キング・ギザードが平均的以上のEDMのグループであったことが判明する。クラフトベルク風のレトロな音色で始まるイントロに続いて、Underworldを思わせるベースラインを貴重としたサウンドに、彼らは新たにサイケ的な要素を付加している。不思議なことにその使い古されたループサウンドからエグミのあるグルーヴが立ち上る瞬間がある。これはメタルバンドとしてボーカルワークやコーラスでの前衛性を別のジャンルに置き換えている。結果、イントロではイミテーションに過ぎないものが、最終的には唯一無二のEDMに変化する。 


「Chang'e」は、大きな変化こそないけれども、JAPAN/Human Leagueのボーカルワークを踏襲し、その背後にユーロビートやトランスの要素を加え、ライブで映えるような空間性を持つダンスミュージックを展開させる。そしてボーカルの多彩性を組み合わせながら多幸感を重視したEDMの中にウェイブを生み出す。その熱狂的なウェイブは、ジャンルこそ違うがメタルの反復的なギターリフの刻みの中で偶然的に生み出されるものとその本質は変わらない。彼らは異なる音楽性を通じて、「Gaia」のライブセッションでしか得られない一体感を生み出している。 

 

「Gilgamesh」は、もうひとつのハイライト曲。Massive Attackを思わせるUKのベースメント等の要素を絡めたクールな反復的なハウスビートとKG&LWの代名詞のサイケ性を掛け合わせている。さらにサビの部分では、このバンドの重要なパンク性が出現し、アンセミックな展開を呼び起こす。現時点ではそこまで評価が高くないアルバムだが、むしろこのトラックが存在することにより、表向きのメタルというアプローチを選んだ前作よりもはるかに力強くダイナミックな印象がある。彼らがメタルという領域で培ってきたシンガロングという長所をダンスミュージックのエクストリームな側面へと持ち込んで見せている。その流れは、すぐに次のトラック「Swan Song」に引き継がれていき、Underworld風のビートにメタル的な熱狂性、サイケと結びつけて、クールなダンスミュージックを生み出している。4つ打ちのシンプルなハウスのトラックメイクにわずかに充溢するアシッド・ハウスの要素が、この曲にクールなノリを与えている。

 

『The Silver Chord』のB面はA面のリミックスとなっているため、レビューは割愛したい。クローズを飾る「Extinction」ではジャーマンテクノ/プログレッシヴ・テクノの形を軸に、メタルやサイケデリックロックという表向きの音楽性に隠されていた歌もののバンドとしての真価を見せる。KG&LWは、世界的に見ても、卓越したアンサンブル、チームワークを持つことで知られるが、今作を聴くと分かる通り、どうやらそれはロック/メタルだけの話にとどまらなかったらしい。

 

 

84/100

 

 

 「Gilgamesh」

 

 Wild Nothing  『Hold』 

Label: Captured Tracks

Release: 2023/10/28



Review


2010年に発表された『Gemini』からニューヨークのキャプチャード・トラックスの屋台骨となり、同レーベルの象徴的な存在として名を馳せてきたWild Nothing(ワイルド・ナッシング)こと、ジャック・テイタム。

 

デビュー時からの盟友とも称せるBeach Fossils(ビーチ・フォッシルズ)のジャスティン・ペイザーと同様に、ミュージシャンとしての道のりを歩む傍ら、家庭を持つに至り、人生における視野を広げ、新たな価値観を作りあげつつあるのを見ると、確実に十三年という時の流れを象徴づけている。5thアルバムは、ジェフ・スワン(キャロライン・ポラチェックやチャーリーXCXの作品を手掛ける)がミックスを担当。パンデミック時に書かれ、現代的な時代背景から「模索的で実存的な音楽になるのは必然だった」とレーベルのプレスリリースには明記されている。

 

デビュー当時の名曲「Golden Haze」(同名のEPに収録)の時代からインディーロックやシューゲイズ/ドリーム・ポップのポスト世代の担い手として日本国内でも紹介されてきたワイルド・ナッシングではありながら、プレスリリースでも言及されている通り、オルタネイトなロックのみが、このアーティストの音楽的なバックグランドを構築しているわけではないことは瞭然である。そして、ひとつこのアルバムを聴くとよく分かることがあるとするなら、シューゲイズ/ドリームポップと、ポスト世代で多くのバンドが追求してきた当該ジャンルの主要な要素であるメロディーの甘美さや陶酔感と併行して、ダンス・ミュージックからの強いフィードバックが、テイタムのオルタナティヴ・ロックサウンドの背後には鳴り響き、重要なバックボーンを形成していたという意外な事実である。さらに、「ピーター・ガブリエルとケイト・ブッシュに最も触発を受けた」とテイタム自身が説明している通り、彼がこの13年間を通じて、良質なポピュラー音楽から何かを掴み、それを一般的に親しめる曲としてアウトプットしてきたという事実を物語っている。つまり、表面上からは伺いしれないワイルド・ナッシングの本質的な音楽性にふれることが出来るという点に、本作の最大の魅力が反映されているのだ。デビュー時の派手な印象は薄れてはいるものの、一方、かなり聴き応えのある作品となっている。少なくとも、オルトロックファンとしては素通りできないレコードとなるかもしれない。おそらく、このアーティストの作品に幾度となく慣れ親しんできたリスナーにとどまらず、新たにワイルド・ナッシングの作品に触れようという方も、そのことを痛感いただけるものと思われる。

 

ファーストシングルとして公開された「Headlights On」は、ホルヘ・エルブレヒトやBeach Fossilsのトミー・デイヴィッドソン、ハッチーが参加し、「アシッド・ハウスに匹敵するベースグルーヴとブレイクビーツが特徴ではあるが、このクラブの雰囲気はミスディレクション」と記されている。テイタムはオープニング曲を通じて、バランスを取ることを念頭に置いており、背後のダンスビートの中にAOR/ソフト・ロックに象徴される軽やかで涼し気なサウンドを反映させる。表面的な印象に関しては、ダンスロックやシンセポップからのフィードバックを感じ取る場合もあるかもしれないが、同時にビリー・ジョエルのサウンドに関連付けられる良質なバラードやポップスにおけるソングライティングがグルーブの中に何気なく反映されている。モダンなトラックとしても楽しめるのはもちろんなのだが、往年の名バラードのような感じで聞き入る事も出来るはずだ。「Headlights On」は、いわば、キャッチーさと深みを併せ持つ音楽の面白みを凝縮させたシングルなのである。アルバムのイントロとも称すべき一曲目で、懐かしさと新しさの融合性を示した後、#2「Basement El Dorado」では、さらにユニークなダンス・ポップが続く。Dan Hartmanの「Dream About You」を思い起こさせる懐かしのシンセ・ポップを背後に、テイタムはそれとは別の彼らしいオリジナリティを発揮する。現在、ニューヨークでトレンドとなっているシンセ・ポップのモダンな解釈を交え、それらにHuman Leagueのような軽やかなノリを付加している。

 

こういった新鮮な音の方向性を選んだ後、#3「The Bodybuilder」では2010年のデビュー当時から続くドリームポップのメロディー性を踏襲し、新鮮な音楽性を開拓しようとしているように感じられる。メロディーの中にはSheeranのようなポップネスもあり、LAのPoolsideと同様にヨット・ロックからのフィードバックも感じとれる。リゾート的な気分を反映しつつも、Cocteau Twinsのような陶酔的なメロディーもその音の中に波のように揺らめいている。しかし、曲の途中からは雰囲気が一変し、マーチングのようなドラムビートを交えた聴き応えのあるギターロックへと移行していく。断片的なバンドサウンドとしての熱狂性を見せた後、クラブのクールダウンのような感じで、曲も落ち着いた印象のあるコーラスが続き、そして再び、サウンドのバランスを取りながら、それらの二つの音楽性を融合させ、メロディーとビートの両方の均衡を絶妙に保ち、曲はアウトロへと向かう。そのサウンドの中に一瞬生じるグルーブは旧来のワイルド・ナッシングの音楽とは別の何かが示されていると思う。

 

中盤でもダンスミュージックを意識したモダン/レトロのクロスオーバー・サウンドが続く。「Suburban Solutions」でも、やはりドリーム・ポップの基礎的なサウンドを形成しているAOR/ソフト・ロックのサウンドからの影響を織り交ぜ、MTV時代のディスコサウンドに近いナンバーとして昇華している。こういったサウンドでは、旧来よりもエンターテイメント性に照準を絞っているという印象も受ける。実際に、そのことはアウトロでのコーラスワークに反映されており、単なる旋律の良さにとどまらず、清涼感を重視した意外性のあるナンバーとなっている。その後、「Presidio」でも同じように、比較的新しい試みがなされ、アンビエント/エレクトロニックの中間の安らいだ電子音楽を制作している。クオリティーの高さに照準を置くのではなくて、聴きやすさと安らぎに重点を置いているのに親近感を覚える。電子音楽ではありながら、シンセ音源のシンプルな配置を通じて、温かい感情が波のように緩やかに流れていく。こういった心がほんわかするような気分は、もちろん、次の曲でも健在だ。「Dial Tone」では日本のJ-POPの音楽性にも近い叙情的なインディーロック・サウンドが展開される。この曲もまた同様にローファイな感覚が生かされていて、欠点があることに最高の美点が潜んでいる。

 

 「Histrion」でもダンス・ミュージックとソフト・ロックが曲の核心を形成しているが、その中にはやはりオープニング曲と同じように現代的なポップネスが反映されており、彼が尊敬するガブリエルやケイト・ブッシュの良質なソングライティング性を継承し、それらをどのような形で次のポピュラー音楽に昇華するのかという試行をリアルなサウンドメイクにより示している。それはまだ完全に完成されたとは言えない。ところが、その中に何かきらめいた一瞬を見出せる。デペッシュ・モードを彷彿とさせるダンスビートを背に歌われるボーカルラインの節々に本質的な概念が現れ、きらびやかな印象を醸し出す。そのことをひときわ強く象徴づけるのが、アウトロにかけて導入されるダンスビートをバックに歌われるアンセミックなフレーズなのだ。

 

「Prima」では、アルバムのハイライト、象徴的な音楽性が表れている。言い換えれば、今までになかった次なる音楽が出現したという感じだ。ミステリアスな印象のあるシンセサイザーのシークエンスの中に、それらの抽象的な空間に向けて歌われるジャック・テイタムのボーカルに要注目である。和音的な枠組みの中にテイタムのボーカルのメロディーが対旋律のような効果を与える瞬間がある。従来のインディーロックという枠組みを離れて、まだ見ぬ未知の段階にアーティストが歩みを進めた瞬間でもある。レーベルのプレスリリースにも書かれている通り、ジャック・テイタムは、地球の温暖化や、その他、政治的な問題に無関心というわけではない。しかし、それらの考えを言葉でストレートに表現するのではなく、言葉の先にある音楽という形に落とし込んでいる。つまり咀嚼しているということなのだ。ワイルド・ナッシングの音楽に対する探究心は尽きることがないし、それは本作のクライマックスを飾る収録曲においても断続的に示されている。「Alex」では、親しみやすい良質なインディー・フォーク、「Little Chaos」ではエレクトロニック/アンビエント。クローズ曲は『Toto Ⅳ』に見いだせるような、爽やかな感じで、アルバムはさらりと終わる。

 

 

 

88/100

 


 Sampha 『Lahai』

 


 Label: Young

Release: 2023/10/20


Review

 

アルバムの終盤部に収録されている「Time Piece」のフランス語のリリック、スポークンワードは、今作の持つ意味をよりグローバルな内容にし、そして映画のサウンドトラックのような意味合いを付与している。2017年のマーキュリー賞受賞作「Process」から6年が経ち、サンファは、他分野でにその活動の幅を広げている。ケンドリック・ラマー、ストームジー、ドレイク、ソランジュ、フランク・オーシャン、アリシア・キーズ、そしてアンダーグラウンドのトップ・アーティストたちとの共演。ファッションデザイナーのグレース・ウェールズ・ボナーや映画監督のカーリル・ジョセフらとクリエイティブなパートナーシップなどはその一例に過ぎない。

 

『Lahai』は、ネオソウル、ラップ、エレクトロニックを網羅するアルバムとなっている。特に、ミニマル・ミュージックへの傾倒を伺うことが出来る。それは#3「Dancing Circle」に現れ、ピアノの断片を反復し、ビート化し、その上にピアノの主旋律を交え、多重的な構造性を生み出している。しかし、やはりというべきか、その上に歌われるサンファのボーカルは、さらりとした質感を持つネオソウルの範疇にある。ヒップホップの要素がないとは言いがたい。ところが、ボーカルとスポークンワードのスタイルを変幻自在に駆使する歌声は、それほど大げさな抑揚のあるものではないにも関わらず、ほんのりとしたペーソスや哀愁を誘う瞬間がある。

 

内的な感情性を顕にせず、考え方によってはフラットな感覚を元にしたリリックやスポークワードは、意外にも多くの音楽ファンの心に響く可能性がある。他にもオープニングを飾る「Stereo Colour Cloud(Shaman's Dream)」でもミニマリズムの要素がイントロに、かなりはっきりとした形で見えている。イントロのシンセの細かなアルペジエーターは、ドラムン・ベースのビートを背後にして、サンファのスポークンワードに導かれるように、グルーヴィーな展開性を帯びる。効果的なのは、それをドリルンベース的なコアなアプローチへと転化させている点にある。それ以前のベースメントのクラブ音楽を飲み込んだUKのドリルを要素をちりばめ、ケンドリックの「United In Grief」のように、ドライブ感のある展開へと持ち込もうとするのだ。

 

このアルバムに満ちる、ある種のオーガニックな爽やかさは、ネオソウルファンにとどまらず、これからUKのポピュラー・ミュージックに親しもうというリスナーにもとっつきやすさをもたらすに違いない。#2「Spirit 2.0」では、やはりサンファのボーカルはネオソウル風となっているが、 エレクトロニックの要素を部分的に配することで、ボーカルのフレーズとの間に絶妙なコントラストを設けている。ミニマリズムという要素は、#3と同様ではあるが、ドラムンベースやベースラインの複合的なリズムラインを織り交ぜることで、ビートそのものに複雑性をもたらす。それがサンファのしなやかなリリックと組み合わされると、稀に化学反応が起こる。ビートの一端に強いインコペーションの効果と、リズムにおけるジャンプの箇所を生み出すのだ。これがサンファの楽曲をシンプルに乗りやすく、そして聴きやすくしている要因である。

 

アルバムの冒頭はこんなふうにして始まるが、それ移行は落ち着いたモダン・クラシカルや、エレクトロニック、ネオソウルという3つの語法を駆使し、やはりしなやかな楽曲が続いている。本作のハイライトであり、SSWとしての成長を示した#4「Suspended」は、イントロのネオソウルのアプローチからダイナミックなエクスペリメンタルポップへと移行する。これらの作曲における展開力は、しかし、グリッチの要素を加えながらミニマルなトラックメイクを施すことで、無限に拡散し、散漫になりそうな曲のベクトルを中心点に集めることに成功している。これは驚くべき点である。これまで多数のミュージシャンとの共同制作の経験を経たことで、曲を書く上で何が最も必要なのかを熟知しているからこそ、こういった核心を突いたソングライティングを行うことが出来るのである。サンファの曲には、実際に、誇張表現はおろか、無駄な脚色、脚注は一切存在しない。まるで、同心円を描いた上で、たえずその中心点に向かい、曲がランタイム毎に進行していく。その過程をリスナーは見届けることが出来るのだ。

 

実際的な音楽の高水準のソングライティング技術に加えて、もうひとつ注目しておきたいのは、本作の全般に感じられる映画的な雰囲気、そして、ファッション的なおしゃれさという伏在的な要素である。「Satellite Business」では、ジャズ・ピアノを基礎に、ヒップホップのリリックとエレクトロニックの要素を付加し、真夜中の哀愁のようなアンニュイな感覚を織り交ぜる。孤独であるこを自らに許し、自らの魂と対話を重ねる瞬間は、アウトプットされるスタイルこそ違えど、往年のソウルミュージックの名曲にも匹敵する深みがある。それはまたソングライターとしても深化を意味し、人間的な深化がトラックに反映された証でもある。イントロから中盤まではジャズの性質が色濃いが、コーラスワークが加わると、ヒップホップに変化する。

 

とくに面白いと思うのは、リリックの組み合わせにより良いウェイブを生み出そうとしていることである。そしてヒップホップの表向きの印象はモダンソウルへと転化していく。さらにそれらのシネマティックな印象性は、#6「Jonathan L. Seagull」にも見出すことが出来る。ここでは、複数の人物の声を反映させ、ゴスペル的な形で、多様性を表現しようとしている。UKラップのヒーロー、Stormzyは言った。「多様性が重要である」と。そして、声はひとりひとり違う性質を持つ、醜いものもあり、美しいものもある。低いものも、高いもの。しわがれたものも、透き通るようなものも。しかし、それらの多彩さが組み合わさることで、はじめて美が生み出されることを忘れてはいけない。これらのゴスペル的な曲の展開は、ピアノの古典的な伴奏を背後に、シンプルなバラードソングのような普遍性を併せ持ち、開放的な雰囲気に満ちている。

 

これらの曲の展開になかにあるまったりとして落ち着いた雰囲気は、その後、より深い感情性に支えられて完成へと向かっていく。「Inclination Compass」では、モダンクラシカルとネオソウルを組み合わせ、和らいだ感覚を表現しようと努めている。サンファが心情を込めてビブラートを伸ばすと、それはそのまま温かな感覚に変わり、同じように受け手側の心を癒やす。そして、ここでも、前曲と同じようにボーカルのコーラスをコラージュ的に配し、別の形の多様性を表現している。多様性というのは感情における色彩性を表す。その点を見事にシンガーは熟知し、シンセの土台となるスケールの進行がサンファ、及び、正体不明なボーカルに色彩性を与えている。同じ音階やフレーズを歌おうとも、その土台となるベースが変化すると、全く別の表現に変わる。人間の性質は、その背後にある環境によっていかようにも変化するのだ。

 

しっとりとしたネオソウルのトラック「Only」はシンプルな魅力がある。続く、「Time Piece」では冒頭でも述べたように、フランス語のスポークンワードが展開される。ここでは多様性の先にあるグローバルな感覚を表現しようとしている。しかし、サンファの表現にある程度の共感を覚える理由があるとするなら、それはシンプルにそしてわかりやすく内側にある考えをつかみ取り、それをスポークワードという形に昇華しているからなのだろう。フランス語のスポークワードは耳に涼しく、20世紀のパリの映画文化を思わせるものがある。この曲を起点あるいは楔として、アルバムはかなりスムースに終盤の展開へと続いていく。「Can't Go Back」では再度、オーガニックな味わいのあるネオソウルとヒップホップの中間にある音楽性で聞き手の心を穏やかにさせる。そしてこの曲でも、ネオソウル風のソングライティングにスポークンワードを効果的に組み合わせようとするサンファの試行錯誤の跡を捉えることが出来る。

 

「Evidence」では、現代のポピュラー音楽の範疇にあるR&Bの理想的な形を見出すことが出来る。親しみやすく、聴きやすく、乗りやすい。こういった一貫した音楽のアプローチは、アルバムの終盤においても持続される。「Wave Therapy」では、シンセのストリングスのダイナミックな展開力を呼び覚まし、「What If You Hypnotise Me?」では驚くべきことに、和風の旋律をピアノで表現しながら、アルバムに内包される和らいだ世界、穏やかな世界を完成させる。「Rose Tit」では、ソウル/ラップというより、ポピュラーアーティストとしての傑出した才質の片鱗を見せる。ジャズ・ピアノの演奏の華やかな印象はアルバムのエンディングにふさわしい。

 

 

85/100



 Me Rex 「Giant Elk」


 

Label: Big Scary Monsters

Release: 2023/10/20

 

 

Review

 

Me Rexは、2021年に『Magabear』でデビューを飾った。ロンドンをベースにするトリオ編成のバンドで、ここ数年、個性的なリリースを行っている。


2015年に結成後、恐竜や先史時代の哺乳類の名に因んだEPを連続して発表した。バンドの中心人物、マッケイブは、Freshというバンドで活動していたKatherine Woods(キャサリン・ウッズ: 現在は脱退)、Rich Mandel(リッチ・マンデル)、Happy Accidents,Cheerbleederzとして活動していた、Phoebe Cross(フィービー・クロス)を加えてトリオで活動している。(以前、Cheerbleederzの『Even In Jest』のレビューを行っている)

 

今回も、バンドのコンセプトに大きな変更はない。ノルウェーの山岳地帯ににいそうなシカのデザインをあしらった高級感のあるアートワーク。一方、バンド・サウンドはギター・ポップ、インディーロック、コンテンポラリー・フォーク、ブリット・ポップを集約した親しみやすい内容。

 

本作のサウンドを大まかに紐解くと、Built To Spill,Guided By VoicesのようなUSオルタナティヴロックがあるかと思えば、The Pastelsのようなネオ・アコースティックもあり、The Stone Rosesのような若々しいコーラスワークもある。そして、Wedding PresentsのようなUKロックらしい渋さもある。Me Rexの音楽性はそれほど画期的なものではないが、90年代や00年代の懐古的なサウンドの旨味を抽出した上で、それを現代的なオルタナティヴロックサウンドとして仕上げようとしている。そして、Cheerbleederzと同じく、不器用さのなかに清々しい感じがある。また、ロック/フォーク・サウンドの中にコンセプト・アルバムのような狙いを読み取ることも出来なくもない。ロンドンのバンドの中には、先鋭的な音楽を追求するグループとは別に、ビンテージ感のあるサウンドを追求する一派もいる。おそらく、Me Rexは後者に属しており、それはそのままロンドンの街の文化のヴァラエティーを象徴していると言えるのではないだろうか。

 

このアルバムは、学術的な調査のためにやって来た若き探検家の眼の前に突如、(数世紀前に絶滅したと思われていた)古代のシカが、大自然の向こうにその姿を幻想的に現すかのように、シンセサイザーのシークエンスを足がかりにし、深遠な靄の向こうからフォーク・ミュージックがかすかに立ち上ってくる。Me Rexが志向するのは、ジョージ・ハリソンのソロアルバムのポピュラーなフォークにはあらず、よれた感じのヴィンテージ感のあるフォークであり、アリゾナのMeat Puppetsの『Meat Puppets Ⅱ』、シカゴのCap n' Jazzの「Ooh Do I Love You」のようなアメリカーナの影響を絡めたサウンドがアルバムのインタリュード代わりになっている。

 

暗黙のルールとして、アルバムの曲間には、短いタイムラグが設けられているのが通例であるが、ここではそのタイムラグを作らず、すぐに二曲目の「Infinity Warm」に移行する。 ボーカルラインは贔屓目なしに見ても、オアシスのリアム・ギャラガーの系譜にある。しかし、そのブリット・ポップ風のボーカルラインに個性的な印象を付加しているのが、トゥインクル・エモの高速アルペジオを駆使したギターの影響下にあるオルタナティヴロックサウンドだ。メロからサビへと移行したとたん、その印象はWedding Presentの渋いロックサウンド、そしてDavid Louis Gedgeを彷彿とさせるボーカル・ラインへと変わっていく。90年代から00年代に時代を進めていくというよりも、むしろ、それ以前のザ・スミスの時代へ遡っていく。さらに、マッケイブの歌うサビはアンセミックな響きを帯び、同地のSHAMEの最新作のような掴みやすさもある。


アルバムの冒頭の二曲で、初見のリスナーに掴み所を用意した後、Me Rexはゆるやかなフォーク・ミュージックを展開させていく。


「Eutherians(Ultramarine)」では、ニール・ヤング調の渋いフォーク・ミュージックをもとにしているが、ボーカルラインはきわめて個性的だ。シカゴのミッドウェスト・エモの系譜にあるようにも思えるし、アメリカーナやネイティヴアメリカンの歌でもよく見られる、わざとピッチをずらした感じの歌い方をもとにしているようにも思える。


そして、これらのアメリカーナのサウンドの中に、Led Zeppelinがハードロックの音楽に取り入れていたインドのカシミール地方の民族音楽の笛の演奏を加味し、多彩なサウンドを作り上げる。演奏自体は、変拍子を交えたプログレッシヴ・ロックのように難解になることはないけれども、むしろそのシンプルなビートの運びの中に、一定の共感性を見出すこともできる。


一転して、スペーシーなシンセを主体にした 「Giant Giant Giant」は、ロンドンやブライトンの現行のポスト・パンクに近い印象だ。一方で、やはりフロントマンのマッケイブのボーカルラインは、米国のポストエモのサウンドに焦点が絞られており、Perspective,a lovely Hand to Hold、sport.及び、既に解散したフランスの伝説”Sport”を始めとする現代のエモシーンのパンキッシュなノリを追加している。ただ、Me Rexのバンドサウンドは、エモーショナル・ハードコアとまではいかないで、比較的ポピュラーなパンクサウンドの範疇に収まっている。しかし、彼らはパンク性をサウンドの内に秘めながらも、表側にはひけらかすことはない。ただ、よく知る人にとっては、曲の中にパンク性を見出すことはそれほど難しいことではないように思える。


その後、アルバムの雰囲気はガラリと一変する。「Halley」では、Big Thiefのギタリスト、Buck Meekに象徴されるヴィンテージ感のあるフォークサウンドを、実験的なシンセサウンドで包み込む。ロンドンのバンドからのアメリカへの弛まぬ愛情が示され、南部的な憧れの中に可愛らしいシンセが絵本の挿絵のような印象を加えている。この曲は、まるでロンドンからテキサスにひとっ飛びしたと思わせるような感覚に充ちている。その米国的なイメージが果たしてアリゾナの砂漠までたどり着くのか。それは聞き手次第となりそうだが、音像に集中していると、タイトルにあるように、アリゾナの砂漠の夜空の神秘的な彗星が浮かび上がってきそうな気がする。

 

捻りのある変拍子のリズムをポリリズムとして組み込んだ「Oliver」が、『JFK』や『スノーデン』で知られるNYのドキュメンタリーの巨匠、オリヴァー・ストーンに依るのかは定かではない。ただ、少なくとも、このサウンドの中には、ロンドンのポスト・パンクらしいリズムへの弛まぬ探求心を見出せるし、また、映画のサウンドトラックの映像の中で、ポピュラーなボーカルトラックとして響くような象徴的なテーマも垣間見える。90、00年代の簡素なバラードにオルタネイト性を付加し、彼らはこの形式に未知の可能性が秘められていることを示唆している。

 

続く「Spiders」もシネマのサントラで聞こえるようなポピュラー・ソングだ。例えばハートウォーミングなワンシーンを彩るような柔らかさがある。


遅いテンポのシンセのアルペジエーターを元に、「Halley」のアメリカーナの要素をまぶし、それらを温和な空気感で包み込む。さらに、1分50秒ごろから、背後のバンドサウンドに支えられるようにし、激したボーカルに変化し、エド・シーランが書くようなポップネスに比する温和的な感覚と上昇するような感覚を兼ね備えたバラードに変身してゆく。


ミニマルなループサウンドという面では、現在の主流のインディーロックと大きな相違点はないものの、曲の終盤では、アンセミックな瞬間を呼び起こそうとしている。さらに驚くべきことに、Wilcoの「Infinity Surprise」にも似た超次元的な至福の感覚が表現される。これらの変化は、土の中にあった種子が長い時間を経、草木に成長していき、やがて心をうっとりさせるような花を咲かせる。その過程を見るかのような微笑ましさがある。

 

「Jawbone」は、再びパンク的なサウンドに立ち戻る。”Jaw”といえば、パンク・ファンとしては、JawbreakerとJawboxを真っ先に思い浮かべてしまうが、この曲に、上記の二つのバンドと直接的な関連性を見出すのは強引となるかもしれない。しかしながら、シンセサイザーとパンクの融合という点では、シアトルのSub Popに所属するKiwi Jr.のサウンドを彷彿とさせるものがある。その中には、US的なオルトロックに対する愛着すら滲んでいる。ただ、彼らは、ロンドンにいることを忘れたというわけではない。USパンクやオルタナティヴ・サウンドを基礎にしつつも、やはり、Wedding Presentsの英国の直情的なインディーロックの核心を踏まえているのだ。


アルバムの終盤に差し掛かっても、Me Rexのバンドサウンド、またメンバーの人柄を感じさせる温和さは重要なポイントを形成している。「Pythons」では、再びアメリカーナをシンセサウンドというモダンなアプローチと結びつけているが、彼らは完成度の高いサウンドを避け、余白のあるサウンドを提示している。それがそのまま、ローファイ的な旨味を抽出している。シンセサイザーの演奏は遊び心があり、聴いていると、ほんわかして、やさしい気持ちになれる。


セカンド・アルバムに見受けられる温和さ、また、表向きには見えづらい形で潜む慈しみは、ヴィンテージな感覚を持つフォーク・ミュージックの最深部へと接近する。アルバムの最後に差し掛かった時、オープニングから続く幻想的な空気感は最高潮に達する。「Strangeweed」を通じて、ベトナム戦争時代のボブ・ディランにとどまらず、それよりもさらに古い、アパラチア・フォークの米国のカルチャーの最深部に迫っている。アルバムは、「Summer Brevis」で終わる。バンドは、背後に過ぎ去った遠い夏に別れを告げるかのように、爽やかな印象を携えながら、このアルバムを通じて繰り広げられた一連の旅を締めくくっている。

 

 

85/100

 

 

The Rolling Stones  『Huckeney Diamonds』



Label: Polydor

Release:2023/10/20


Review 



 

''Huckney''というのはファッション・ブランドもあるが、一般的にロンドンにほど近い(イギリス人にしか知られていない)隠れた魅力がある行政区のことを指す。 また、英語の原義としては、「使い古された」という意味もあるようだ。「隠れた魅力」、「使い古された」、これらの二重の意味をダイアモンドなる言葉と繋げ、ビンテージ的な意味合いを持つ作品に仕上げようというのが、ミック・ジャガー、リチャーズの思惑だったのではないだろうか。実際、アルバムはストーンズらしいリフが満載である。そして、長きにわたりバンドサウンドの重要な骨組みを支えて来たチャーリー・ワッツはいないけれど、ストーンズらしいアルバムであり、予想以上に聴きごたえがある。もちろん、過去のいかなるアルバムよりも友情と愛を重視している。マッカートニー、ガガ、エルトン・ジョン、スティーヴィー・ワンダーの参加は、ジャクソンやライオネル・リッチーの時代の”We Are The World”のロックバージョンを復刻するかのようである。

 

年を経た時にどのような音楽が作れるのか、そういったことに思いを馳せることは、若い頃に、どんな可能性のある音楽が作れるのかを構想するのよりも遥かに重要である。例えば、ココ・シャネルがいうように、「じぶんの顔に責任を持ちなさい」という言葉がある。つまり二十代までは遺伝的なものが強く、個人的には顔つきや風貌はどうしようもないが、40代、50代、また、それ以降になると、その人の考えや人生観がその顔つきに反映されるようになってくる。ポップ・パンクの伝説のBlink 182のトリオを見ればよく分かるが、 彼らもまた悪童の頃のおもかげを留めながらも、素晴らしい顔つきをしている。その表情には、自分の人生を生きてきたという満足感が宿っている。他人に振り回されず、世間の情勢にも流されない。そして自分が信ずることのみをとことん追求していく。60、70年代頃の全盛期には麻薬問題で空港で逮捕されたこともあったリチャーズ。彼は、その後に裁判所に出頭し、弁論供述を行った。しかし、ジャガーとともに、その表情には自分の人生を一生懸命に生きてきたことに対する自負が現れている。パンデミックが起ころうが、世界各地で紛争が起きようが、ストーンズはストーンズであることをやめたりしない。また、みずからの人生や音楽観に非常に忠実であるのだ。そのことはアルバム『Huckeney Diamonds』が何よりも雄弁に物語っているではないか。

 

アルバムのサウンド・プロダクションの重要な指針となったと推測されるのが、彼らの盟友ともいうべきThe Whoの作品だ。ロジャー・ダルトリー率いるバンドは、実は、密かに2020年のアルバム『The Who(Live at Kingston)』で実験的なロックサウンドを確立していた。このアルバムでは、旧来のモッズ・ロック時代の若い時代のフーの姿と、また、年を重ねて円熟味すら漂わせるフーの姿をサウンドの中に織り交ぜ、革新的なロック/フォークサウンドに挑んだ。今回、ローリング・ストーンズは、ザ・フーの例に習い、同じように若い時代の自己と現在の自己の姿を重ね合わせるような画期的なロック・ミュージックを作り上げている。これらの懐古的なものと現代的なものを兼ね備えたロックサウンドは、ある意味ではミドルエイジ以上のロックバンドにとって、未だ発掘されていないダイアモンドの鉱脈が隠されていることを示唆している。


しかし、ローリング・ストーンズはザ・フーと同じく、自分たちが年を重ねたことを認めているし、若作りをしたりしない。また、年を重ねてきたことを誇りに思っている。それは自分の人生に責任を持っているからだ。しかし、同時に彼らがデビュー当時や、『Let It Bleed』の時代のバラのような華麗さや鋭さのある棘を失ったというわけでもない。もちろん、いうまでもなく、青春を忘れたというわけでもない。彼らは年代ごとに何かを失うかわりに常に何かを掴んで来たのだ。

 

アルバムのオープニングを飾る「Angry」は、全盛期にも劣らぬアグレッシヴかつ鮮明なロックンロール・サウンドで旧来のファンを驚かせる。同じくらいの年代の人はストーンズの勇姿を見て、「老け込んではいられない」と思うかもしれないし、それとは対照的に彼らより20歳も30歳も若いリスナーが、自分よりも若く鮮烈な感性を持っているジャガーやリチャーズの姿を見出すこともあるかもしれない。 少なくとも、AC/DCもそうなのだが、この年代でロックンロール(ロックにはあらず)をプレイするということ自体が、アンビリーバブルであり、エクセレントであり、ファンタスティックでもあるのだ。続く「Get Close」では、80年代のダンス・ミュージックに触発された時代のアプローチをダイナミックに呼び覚ます。シャリシャリとしたストーンズ・サウンドの真骨頂をリアルタイムで味わえることは非常に光栄なことだ。

 

ピーター・ガブリエルのリリース情報の際にも書いたが、ミック・ジャガーというシンガーは、稀代のロックミュージシャンであるとともに、ボウイ、マーレー、レノン、マッカートニーといった伝説と同じように、メッセンジャーとしての役割を持っている。全盛期は、黒人の音楽と白人の音楽をひとつに繋げる役割を果たしてきたが、「Depending On You」は、「己を倚みとせよ」というシンプルなメッセージがファンに捧げられている。つまり、ミック・ジャガーが言わんとするのは、他に左右されることなく、己の感覚を信じなさいということなのかもしれない。それは名宰ウィストン・チャーチルの名言にも似たニュアンスがある。運命に屈するな、ということである。歴代のストーンズのヒットナンバーの横に並べても遜色がない。ストーンズは、「寄せ集めのようなアルバムにしたくなかった」とプレスリリースで話していたが、新しいフォーク・ロックを生み出すため、ストーンズは再び制作に取り組んだのである。

 

 

「Depending On You」

 

 

 

 以後、ローリング・ストーンズはポール・マッカートニーが参加した「Bite My Head」では、アグレッシヴなロックサウンドで多くのリスナーを魅了する。マッカートニーはコーラスのいち部分に参加しているに過ぎないが、これはかつてのストーンズとビートルズの不仲の噂を一蹴するものである。そして、意外にも、ジャガーとマッカートニーのボーカルの掛け合いは相性が良く、上手くシンプルなロックンロールサウンドの中に溶け込んでいることがわかる。80年代のハードロックを彷彿とさせる軽やかさとパワフルさを兼ね備えたナンバーである。

 

 

前曲と同じようにローリング・ストーンズは、英国のTop Of The PopsやMTVの全盛期の時代のロックを現代の中に復刻させている。こういったサウンドはその後のインディーロックファンから産業ロックとして嫌厭されてきた印象もあるのだが、実際、聴いてみると分かる通り、まだこの年代のサウンドには何かしら隠れた魅力が潜んでいるのかもしれない。ストーンズ・サウンドの立役者であるリチャーズが若い時代、モータウン・レコードやブルースの音楽に親しかったこともあり、ブギーやブルースを基調にした渋いロックサウンドがバンドの音楽性の中核を担ってきたが、続く、ストーンズは、「Whole Wide World」では珍しく、メロディアスなサウンドを織り交ぜたギターロックサウンドに挑んでいる。

 

こういったベタとも言える叙情的なハードロックは、全盛期の時代にあまり多くは見られなかった作風であり、ストーンズはあえてこのスタイルを避けてきた印象がある。チューブ・アンプの音響の特性を生かしたギターソロはギタリストの心技体の真骨頂を表しており、一聴に値する。さらい、ダイナミックな8ビートのロックサウンドを下地に歌われるミックの歌声はこれまでにないほど軽快である。同時に、彼は、センチメンタルであることを恐れることはない。続く「Dream Skies」は、ブルース/ブギーとは別のストーンズの代名詞的なスタイルである「アメリカーナ(カントリー/ウェスタン)」の系譜に属するサウンドに転回する。アコースティックによるスライド・ギターはリスナーを『悪魔を憐れむ歌』の時代へと誘い、その幻惑の中に留める。ストーンズはデビュー当時から英国のバンドではありながら、アメリカの音楽に親しみを示してきた。それは「Salt On The Earth」で黒人霊歌という形で最高の瞬間を生み出した。ある意味では、そういったストーンズの歴史をあらためて踏まえて、彼らのアメリカへに対する愛着がこういった巧みなカントリー/ウェスタンという形で昇華されたとも解釈出来る。


明確な年代こそ不明であるが、ストーンズはダンスロックというジャンルも既に00年代以前に挑戦してきた。もちろん、「(I Can’t Get No)Satisfaction」の時代からミック・ジャガーはダンスミュージックとロックンロールの融合の可能性を探ってきたのだったが、そういったダンス・ミュージックに対する愛情も「Mess It Up」において暗に示唆されていると思われる。むしろ経験のあるバンドとして重厚感を出すのではなく、MTVのサウンドよりもはるかにポップなアプローチでリスナーを拍子抜けさせる。ここにはジャガーの生来のエンターティナーとしての姿がうかがえる。もちろん、どのバンドよりも親しみやすいサウンドというおまけつきなのだ。

 

もう一つ、ザ・フーの『The Who』と同じように、スタジオレコーディングとライブレコーディングの融合や一体化というのがコンセプトとなっている。その概念を力強くささえているのはエルトン・ジョン。「Live By The Sword」では、やはり米国のブルース文化へのリスペクトが示されており、両ミュージシャンの温かな友情を感じ取ることが出来る。そして、コーラスで参加したエルトンは、ストーンズのお馴染みの激渋のブギースタイルのロックンロールを背後に、プロデューサーらしい音楽的な華やかさを添えているのにも驚きを覚える。曲調はエルトンのボーカルを楔にし、最終的にライブサウンドを反映させたブルースへと変化していく。ここには、モータウンの前の時代のブルースマンのライブとはかくなるものかと思わせる何かがある。



もちろん、チャーリー・ワットは、この作品には参加していない。しかし、アルバムのどこかで、彼のスピリットがドラムのプレイを彼の演奏のように響かせていたとしても不思議ではない。Foo Fightersのテイラー・ホーキンスのような形のレクイエムは捧げされていない。しかしもし、チャーリー・ワットというジャズの系譜にある伝説的なドラム奏者に対する敬意が「Driving Me Too Hard」に見出せる。ここに、わずかながらその追悼が示されている。ただストーンズの追悼やレクイエムというのは湿っぽくなったりしないし、また、暗鬱になったりすることもない。死者を弔い、そして天国に行った魂を弔うためには悲嘆にくれることは最善ではない。むしろ、自らが輝き、最も理想とするロックンロールを奏でて、生きていることを示すことが死者への弔いとなる。ストーンズはそのことを示すかのように、全盛期に劣らぬ魂を失っていないことを、天国にいるはずのチャーリー・ワットの魂に対して示して見せているのだ。

 

 「Tell Me Straight」では、『The Who』におけるロジャー・ダルトリーのボーカルを思わせるような渋いポップスを示している。近年の作品では珍しくかなりセンチメンタルなバラードでアルバムの後半部の主要なイメージを形成していく。 

 

  「Tell Me Straight」

 

 

 

このバラード・ソングは、『Aftermath』(UK Version)に収録されているローリング・ストーンズの最初期の名曲「Out Of Time」とははっきりとタイプが異なっているが、むしろ、しずかに囁きかけるようなミック・ジャガーのボーカルは、若い時代のバラードよりも胸に迫る瞬間もあるかもしれない。ここに、年を経たからこその円熟味や言葉の重さ、そして、思索の深さをリリックの節々に感じ取ったとしても不思議ではない。「使い古されたダイヤモンド」、あるいは、「隠されたダイヤモンド」の世界は濃密な感覚を増しながら、いよいよクライマックスへと向かっていく。レディー・ガガとスティーヴィー・ワンダーが参加した「Sweet Sounds of Heaven」は、新しい時代の「Salt Of The Earth」なのであり、ローリング・ストーンズのライフワークである黒人文化と白人文化をひとつに繋げるという目的を示唆している。もちろんそれは、ブルースとバラードという、これまでバンドが最も得意としてきた形でアウトプットされる。そして、この7年ぶりのローリング・ストーンズのアルバムは最後、最も渋さのあるブルース・ミュージックで終わりを迎える。  

 

「The Rolling Stones Blues」は、Blind Lemon JeffersonRobert Johnson、Charlie Pattonを始めとする、テキサスやミシシッピのデルタを始めとする最初期の米国南部の黒人の音楽文化を担ってきたブルースのオリジネーターに対するローリング・ストーンズの魂の賛歌である。これらのブルース音楽は、ほとんど盲目のミュージシャンにより、それらのカルチャーの基礎が積み上げられ、その後のブラック・カルチャーの中核を担って来た。それはある時は、ゴスペルに変わり、ある時はジャズに変わり、そして、ソウルに変わり、ロックンロールに変わり、以後のディスコやダンスミュージックを経て、現代のヒップホップへと受け継がれていったのである。



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