Wilco 『Cousin』

Label: dBbm

Release :2023/9/29/


Review



今週はどの新譜も良質で、聴き応えがあったという、珍しい週間でした。多分、今年一番の豊作だったかと思われます。ジェフ・トゥイーディー要するシカゴのWilco(ウィルコ)の新作アルバム『Cousin』もまた、フロントマンが「世界を従兄弟のようであると考える」と述べるように、世界に対する親しみが凝縮された一作。世間の間で酷いことばかり起こると考えることもできれば、トゥイーディーのように素晴らしきものと考える事もできる。トゥイーディーの考えは、かつての偉大なフォーク・シンガーの巨人と同じように、少し偏った見方を本来のフラットな考えへと戻してくれる。悪い面に焦点を当てることもできれば、それとは別の良い面に目を向ける事もできる。確かに米国南部では先月辺りから不法移民問題が抜き差しならぬ問題となっているものの、別の良い側面は実は、すぐ目の前に転がっているということなのです。

 

少なくとも、2000年代から良質なインディーロックの継承者として活躍してきたWilcoは少なくとも後者の良い側面に目を向けるバンドであるようです。昨年の二枚組のアルバム『Cruel Country』では古典的なフォーク/カントリーの音楽性に転じたWilcoは、この最新アルバムで、それらの音楽性を踏襲しつつ、2000年代の傑作『Yankee Hotel Foxtorot』に見受けられる実験的なインディーロックのアプローチを取り入れている。そして、もうひとつ、ベッドルームポップやAlex Gのモダンなインディーロックのアプローチを上手くウィルコ・サウンドの中に取り入れ、旧来のアルバムの中でも魅力的な一作を生み出した。その新鮮なサウンドを構築するために一役買ったのが、ウェールズ出身のシンガーソングライター、ケイト・ル・ボン。ルボンのマスター/ミックスはWilcoの良質なメロディーセンスを上手く引き出している。

 

 

前作では、現実的な音楽を作り出していたウィルコではあるものの、『Cousin』では、夢想的な雰囲気が全体に立ち込めている。果たして、ケイト・ル・ボンのプロダクションによる賜物なのか、ウィルコの甘いメロディーがそうさせているのか、定かではないものの、オープニング「Infinite Surprise」から、ボン・イヴェールのごときサウンド・プロダクション(ギターやベース、ドラムのミクロな要素を重ね合わせたトラック)に、トゥイーディーのフォーク/カントリーに触発された穏やかなボーカルが乗せられる。徐々にイントロから中盤に掛けて、曲そのものが盛り上がりを見せると、同じようにサウンド・プロダクションも複雑になり、フィルターを掛けたホーンセクションにディレイの効果を与えて、バンドサウンドやボーカルの雰囲気を上手く引き出そうとしている。途中からトゥイーディーのボーカルがアンセミックな響きを帯びると共に、ギターのサイケデリックな響きがコラジューのようの散りばめられていく。何より、手法論に終始していた前作に比べ、トゥイーディーのボーカルにはビートルズのような親しみがあり、また前作には求めがたかった感情的な温かさに充ちていることがわかる。幻想的な雰囲気は曲のアウトロにかけてさらに顕著になる。「Infinite Surprise」のリバーブを交えたコーラスが夢想的なイメージを携えながら絶妙な感じでフェードアウトしていく。最後は花火のような印象を体現したノイズで華やかなオープニングとして機能している。

 

 

昨年、ジェフ・トゥイーディーは自宅で、フォーク/カントリーのカバーを個人的な録音として発表していたが、前作のフルレングスに続いて、それらのアメリカーナへの愛着が次の「Ten Dead」には示唆されている。CSN&Y、Niel Youngの黄金期を彷彿とさせる芳醇なギターのアルペジオのあとには、ディランのように渋いトゥイーディーのボーカルがくわわり、ワイルドな印象を生み出す。これらの堅実なフォーク/カントリーのアプローチは、バロックポップのような意外性のある移調を時々織り交ぜながら、最初のモチーフへと回帰する。ペダルスティールは使用されていないけれど、それをあえてギターで表現しようとしているのがウィルコらしいといえる。やがてボソボソと呟くようなトゥイーディーの声は、サイケデリックなギターラインと掛け合わされ、オープニングと同様に夢想的な雰囲気でアウトロに向かってゆく。

 


ウィルコは、00、10年代前後のインディーバンドに触発を受けているような印象もある。取り分け、「Leeve」では、ニュージャージーのReal Estate(Martin Courtneyは、良質なソロ・アルバム『Magic Sign』を発表している。)がデビュー・アルバムで試行したレトロな感覚とオルトロックの融合に近い質感を持った楽曲に取り組んでいる。そして、フォーク/カントリーの範疇にあった全2曲とは対象的に、トゥイーディーのボーカルは、にわかにルー・リードのようなポエトリー・リーディングの影響を加味したようなスタイルへと変化する。ここにウィルコというバンドのオルタネイトな性質を読みとることが出来るが、それをセンス溢れるクールな楽曲として昇華させているのは、バンドの長い経験とキャリアによる賜物であるとも言える。



「Evicted」では、前作のフォーク/カントリーのルーツへの探求をより親しみやすい形で昇華している。フォーク・ソングのスタイルとしてはニール・ヤングや、サザン・ロックの影響を思わせるものがあるが、やはりジェフ・トゥイーディーのボーカルのメロディーは徹底してわかりやすく伝わりやすいようにシンプルさを重視している。ウィルコが古典的なアプローチを取り入れようとも、それは決して古びた感じにはならず、比較的、スタイリッシュな印象のある曲としてアウトプットされる。「Never Gonna See You Again」といった、少しセンチメンタルなリリックを散りばめながら、情感豊かなフォークソングのアンセムを生み出している。

 

「Sunlight Ends」では、ケイト・ル・ボンのプロデュースの性格が色濃く反映されている。The Nationalの最新作のようなモダンなサウンドだが、これはまた2000年代のフォーク/カントリーバンドとは別の実験的なロックバンドとしての性質が立ち現れたような一曲となっている。それは間奏曲のような意味もあり、またアルバムの中に流れをもたらすような役割を果たしている。続く「A Bowl and A Pudding」は、新旧のフォークの音楽性を取り入れ、アコースティクギターのなめらかな三拍子のアルペジオを基調にした良曲である。特に中盤にかけてトゥイーディーのボーカルはバラードに近い性質を帯びる。哀愁を備えたメロディーラインはしなやかなドラミングと合わさり、ジョージ・ハリソンのソロアルバムのような清廉な感覚へと変遷を辿ってゆく。この曲にウィルコの真骨頂が表れているというべきか、または、彼らが2000年代から一定の支持を獲得してきたのか、その理由が示されているという気がする。

 

 

アルバムのタイトル曲「Cousin」では、マージー・ビートや70年代のロックのプリミティヴな感覚を復刻させている。ギターラインに関しては、The Whoのピート・タウンゼントのシンプルではあるがロックンロールの核心を捉えたサウンドに近い玄人好みの感覚が引き出されている。そのバンドサウンドに呼応し、ジェフ・トゥイーディーのボーカルも他の曲に比べるとクランチな性質を帯びている。これらのサウンドは、ケイト・ル・ボンのモダンなサウンドプロデュースと上手くバランスが図られたことによって、懐古的ではありながら、精細感のあるグルーヴ感を生み出すことに成功している。この曲では、フォーク・カントリー、オルト・ロックとは別のスタンダードなロックンロール・バンドとしての意外な一面を見出すことが出来る。

 

 

「Pittsburgh」ではバラードに近い静謐なフォークと、彼らの代名詞である実験的な音楽性を綿密に融合させ、ウィルコ・サウンドの真骨頂を示そうとしている。繊細なサウンドとダイナミックなサウンドが絶えず立ち代わりに出現した後、トゥイーディーの情感たっぷりのボーカルがその後の展開を先導していく。ボーカルの渋さは細野晴臣の最近の性質に近いものがあり、もちろんそれは良いメロディーとリズムという要素を重視しているから発生する。そしてルボンのイヴェールに近いプロダクションは、ボーカルの声の渋さを引き出し、ある種の郷土的な愛着のような感覚をボーカルや言葉からリアルに醸成させる。それらの感覚的なものは、フォークを基調にした、静かで落ち着いたサウンドと、ディストーション・ギターとノイジーなドラムを生かしたダイナミックなサウンドと交差するようにし、この曲全体を通じてなだらかな起伏を描いている。そして、それらの抑揚やアクセントを支えているのはやはり緻密なプロダクション、リズムを強調したバンドサウンド、ボーカルの3つである。この曲は2000年代の作品とは別に、ウィルコが新しいサウンドを生み出したことの証左ともなるかもしれない。

 

 

「Soldier Child」では現行のインディーフォークと親和性のあるアプローチを示し、アルバムを締め来るかと思いきや、クローズ「Meant to be」では、ウィルコのバンドとしての潜在的な可能性が残されていることが示唆されている。アルバムの冒頭の2曲と同じように、夢想的な感覚とともに、やはり明るい感じで作品を締めくくろうとしている。こういった清々しい感じは実は前作にはそれほどなかった。とすれば、ウィルコは今後もいくつか良いアルバムを作り出す可能性が高い。彼らが2000年代のバンドと見るのは、早計であるように感じる。ウィルコは現在進行系のバンドなのであり、2020年代も渋い活躍をすることが予想される。

 

 

85/100

 


©Ebru Yildiz


ブルックリンを拠点とするシンガーソングライター、TORRES(別名 マッケンジー・スコット)がニューアルバム『What an enormous room』を発表し、ファーストシングル「Collect」のミュージックビデオを公開しました。


『What an enormous room』はMergeより2024年1月24日リリース予定。Collect」のビデオはダニ・オコンが監督。アルバムのトラックリストとジャケット・アートワークは以下の通り。


「この曲は正義が果たされることを歌っている。何年も書こうとしていた怒りの曲だ!」とスコットはプレスリリースで語っている。


スコットはサラ・ジャッフェと共にアルバムをプロデュースし、昨年秋にノースカロライナ州ダーラムのスタジアム・ハイツ・サウンドでレコーディングした。ライアン・ピケットがエンジニアを務め、TJ・アレンが海外のブリストルでミックス、ヘバ・カドリーがマスタリングを担当した。


アルバムのバイオグラフィーを書いたジュリアン・ベイカーは、次のように語っている。「TORRESについて言えることは、この音楽は確信に満ちたところから生まれているということだ...。そして、聴いていて信じられないほど良い音楽だと思う」

 

 

「Collect」




Torres 『What an enormous room』


Label: Merge

Release:  2024/1/24

 

Tracklist:


1. Happy man’s shoes 

2. Life as we don’t know it

3. I got the fear

4. Wake to flowers

5. Ugly mystery

6. Collect

7. Artificial limits

8. Jerk into joy

9. Forever home

10. Songbird forever


 

©Walker Bankson

Truth Clubは、10月6日(金)に発売されるアルバム『Running From the Chase』からの新曲「Siphon」を公開しました。「Exit Cycle」「Uh Oh」に続くニューシングル。以下からチェック。


『”Siphon”に命を吹き込む過程はエキサイティングだった」とドラマーのエリス・ジャッフェは声明で説明しています。「トラヴィス、イヴォンヌ、そして私が曲の核となる構成を組み立てている間、カムは練習の度に新しいクレイジーなギター・ラインを持って来て、曲全体の雰囲気をがらりと変えてくれた。『Siphon』の共同作業という性質は、私たち全員にとってとても新鮮に感じられたし、バンドとして一緒に音楽を作ることのやりがいを強く感じさせてくれた」


「Siphon」


スリーター・キニーがニューアルバム「Little Rope」を1月19日にリリースすることを発表しました。


2019年の「The Center Won't Hold」では軋轢が前面に出るようになった。ドラムのジャネット・ワイスは直後に脱退し、キャリー・ブラウンスタインとコリン・タッカーという中心コンビは2021年の「Path of Wellness」を共に作り上げた。

 

昨年、キャリー・ブラウンスタインは、イタリアでの休暇中、母親と義理の父親が交通事故に遭い、2人とも亡くなったという知らせを受けた。悲しみに打ちひしがれた彼女は音楽制作に戻り、コーリン・タッカーと新曲を作り上げた。


ニュー・アルバム「Little Rope」には10曲が収録。1月19日にLoma Vista Recordingsからリリースされる。このアルバムは、オレゴン州ポートランドのFlora Recording and Playbackで、グラミー賞受賞プロデューサーのジョン・コングルトンとともにレコーディングされた。


アシュリー・コナー監督、ミランダ・ジュリー主演の「Hell」のビデオは現在オンライン公開中です。

 

「Hell」




 Sleater Kinny 『Little Rope』


Label: Loma Vista

Release: 2024/1/14


Tracklist:

 

1. Hell

2. Needlessly Wild

3. Say It Like You Mean It

4. Hunt You Down

5. Small Finds

6. Don’t Feel Right

7. Six Mistakes

8. Crusader

9. Dress Yourself

10. Untidy Creature



今週金曜日にリリースされるニュー・アルバム『Javelin』に先駆け、スーファン・スティーヴンスがシングル「A Running Start」を公開しました。ハンナ・コーエン、ミーガン・ルイ、ネデル・トリッシのヴォーカルをフィーチャー。この曲は、前作「Will Anyone Ever Love Me?」「So Tired」に続くシングルです。


先月、スティーヴンスはギラン・バレー症候群の合併症で入院していたことを明らかにしました。現在は歩行訓練のため、集中的な理学療法を受けています。一刻も早い恢復を心よりお祈りいたします。

 

「A Running Start」

©Maclay Heriot

キング・ギザード&ザ・リザード・ウィザードは、最新アルバム『The Silver Cord』を10月27日にリリースすると発表しました。


アルバムの冒頭を飾る組曲「Theia」、「The Silver Cord」、「Set」は、付属ビデオと共に本日公開された。


6月の『PetroDragonic Apocalypse; or, Dawn of Eternal Night(惑星地球の消滅と無慈悲な天罰の始まり)』に続く新作アルバムは、2つのバージョンで発売される。「最初のバージョンは、本当に凝縮されたもので、脂肪分をすべてカットしている」とフロントマンのステュー・マッケンジーはプレスリリースで説明している。

 

「そして、2つ目のバージョンでは、1曲目の "Theia "が20分もある。これは "すべて "のバージョンで、最初のバージョンですでに聴いてもらった7曲に、制作中にレコーディングした他の曲を加えたんだ。ギズヘッズ向けだよ」


「私はドナ・サマーのジョルジオ・モロダーとのレコードが大好きだけど、ショート・バージョンは絶対に聴かない。私たちは音楽を聴くということに関して、人々の注意力の限界を試しているのかもしれない」





King Gizzard & The Lizard Wizard 『The Silver Cord』


 

Label: KGLW

Release: 2023/ 10/ 27


Tracklist:

1. Theia

2. The Silver Cord

3. Set

4. Chang’e

5. Gilgamesh

6. Swan Song

7. Extinction

 Oneohtrix Point Never 『Again』

 

 

Label: Warp

Release: 2023/9/29


Review

 

イギリスのOneohtrix Point Neverこと、ダニエル・ロパティンの2年振りのアルバムは、「思索的な自伝」と銘打たれている。


Boards Of Canada、Aphex Twin、Squarepusher、Autechreと並んで、ワープ・レコードの代表的なアーティストで、レーベルの知名度の普及に貢献を果たした。


表向きには、ダニエル・ロパティンはアンビエントのアーティストとして紹介される場合もあるが、印象的には、オウテカのようにノンリズムや無調、ノイズのアプローチを取り入れ、電子音楽という枠組みにとらわれず、前衛音楽の可能性を絶えず追求してきた素晴らしい音楽家である。


今回のアルバム、「よく分からなかった」という一般的な意見も見受けられた。もしかすると、ダニエル・ロパティの『Again』は分かるために聴くという感じでもなく、また、旧来のジャンルに当てはめて聴くという感じでもないかもしれない。ランタイムは、54分以上にも及び、電子音楽による長大な叙事詩、もしくは、エレクトロニックによる交響曲といった壮絶な作品である。


実際に、畑違いにも関わらず、交響曲と称する必要があるのは、すべてではないにせよ、ストリングの重厚な演奏を取り入れ、電子音楽とオーケストラの融合を図っている曲が複数収録されているからだ。また、旧来の作品と同様、ボーカルのコラージュ(時には、YAMAHAのボーカロイドのようなボーカルの録音)を多角的に配し、武満徹と湯浅譲二が「実験工房」で制作していたテープ音楽「愛」「空」「鳥」等の実験音楽群の前衛性に接近したり、さらに、スティーヴ・ライヒの『Different Trains/ Electric Counterpoint』の作品に見受けられる語りのサンプリングを導入したりと、コラージュの手法を介して電子音楽の構成の中にミニマリズムとして取り入れる場合もある。


さらに、ジョン・ケージの「Chance Operation」やイーノ/ボウイの「Oblique Strategy」における偶然性を取り入れた音楽の手法を取る時もある。Kraftwerkの「Autobahn」の時代のジャーマン・テクノに近い深遠な電子音楽があるかと思えば、Jimi Hendrix、Led Zeppelinのようなワイト島のロック・フェスティヴァルで鳴り響いた長大なストーリー性を持つハードロックを電子音楽という形で再構成した曲まで、ジャンルレスで無数の音楽の記憶が本作には組み込まれている。そう、これはアーティストによる個人的な思索であるとともに、音楽そのものの記憶なのかもしれない。

 

一曲の構成についても、一定のビートの中で音のミクロな要素を組み立てていくのではなく、ノンリズムを織り交ぜながら変奏的な展開力を見せる。ビートを内包したミニマル・テクノが現れたかと思えば、それと入れ替わるようにして、リズムという観念が希薄な抽象的なドローン/アンビエントが出現する。そして、聞き手がそのドローンやアンビエントを認識した瞬間、音楽性をすぐに変容させて、一瞬にして、まったく別のアプローチへと移行する。良く言えば、流動的であり、悪く言えば、無節操とも解釈出来る「脱構築の音楽」をロパティンは組み上げようとしている。建築学的に言えば、「ポスト・モダニズムの電子音楽」という見方が妥当なのかもしれない。ロパティンは、構造性や反復性を徹底して排除し、ある一定のスタイルに止まることを作品全体を通じて、忌避し、疎んじてさえいる。それに加えて、曲の中において自己模倣に走ることを自らに禁じている。これは、とてもストイックなアルバムなのだ。

 

平均的な創造性をもとに音源制作を行う制作者にとっては、それほどクリエイティビティを掻き立てられないようなシンプルきわまりないシンセの基礎的な音源も、ダニエル・ロパティンという名工の手に掛かるや否や、驚愕すべきことに、優れた素材に変化してしまう。オーケストラのストリングスの録音とボーカルのコラージュを除けば、ロパティンが使用しているMIDI音源というのは、作曲ソフトやDTMの最初から備わっているシンプルで飾り気のない音源ばかり。

 

しかし、偉大な音の魔術師、ロパティンは、パン・フルート、シンセ・リード、シークエンス、アルペジエーター、エレクトリック・ピアノ、そういった標準的なシンセの音源を駆使して、最終的にはアントニオ・ガウディの建築群さながらに荘厳で、いかなる人も圧倒させる長大な電子音楽のモニュメントを構築してしまう。おそらく、この世の大多数の電子音楽の制作者は、ロパティンと同じ様な音源を所有していたとしても、また、同じ様な制作環境に恵まれたとしても、こういったアルバムを書き上げることは至難の業となるだろう。微細なマテリアルを一つずつ配し、リズムをゼロから独力で作り出し、彼はほとんど手作業で精密模型のような電子音楽を丹念に積み上げていく。そこに近道はない。アルバムの制作には、気の遠くなるような時間が費やされたことが予測出来る。そして驚くべきことに、そういったものはなべて、アーティストの電子音楽に対する情熱のみによって突き動かされ、オープニング「Elsewhere」からクローズ「A Barely Lit Path」に至るまで、その熱情がいっかな途切れることがないのだ。

 

このアルバムには、モダン・オーケストラ、ミニマル・ミュージック、プログレッシヴ・テクノ、ノンリズムを織り交ぜた前衛的なテクノ、アンビエント/ドローン、ノイズ、ロック的な性質を持つ曲に至るまで、アーティストが知りうる音楽すべてが示されている。アルバムのオープニングとエンディングを飾る「Elsewhere」、「A Barely Lit Path」は、Clarkが『Playground In A Lake』で示した近年の電子音楽として主流になりつつあるオーケストラとの融合を図っている。

 

これらのアルバムの主要なイメージを形成する曲を通じて、制作者は、従来の音楽的な観念の殻を破り、現代音楽の領域へと果敢に挑戦し、ダンス・ミュージック=電子音楽という固定観念からエレクトロニックを開放させ、IDMの未知の可能性を示している。「World Outside」、「Plastic Antique」では、ノイズ・ミュージックとミニマル・テクノの中間にある難解なアプローチを図っている。他方、比較的、取っ付きやすい曲も収録されている。「Gray Subviolet」では、ゲーム音楽が示した手法ーーレトロな電子音楽とクラシックの融合ーーに焦点を当て、RPGのサントラのような印象を擁する作風に挑む。ゲームミュージック的な手法は、ボーカル・コラージュとチップ・チューンを融合させた「Again」にも見いだせる。彼は、8ビットの電子音を駆使し、レトロとモダンのイメージの中間にある奇妙なイメージを引き出そうとしている。


その他にも、同レーベルに所属する”Biblo”のような叙情的なテクノ・ミュージックを踏襲した曲も聞き逃すことは出来ない。「Krumville」、「Memories of Music」では、電子音楽のAI的な印象とは別のエモーショナルなテクノを制作している。電子音楽というのが必ずしも、人工的な印象のみを打ち出したものではないことを理解していただけるはず。 他にも、ボーカル・アートの領域を追求した「The Body Train」では、スティーヴ・ライヒのミニマリズムとボーカルのコラージュを踏襲し、電子音楽という切り口から現代音楽の可能性に挑んでいる。カール・シュトックハウゼンが夢見た電子音楽の未来に対するロパティンの答えが示されていると言えそうだ。


さらに、ロック・ミュージックをテックハウスから解釈した曲も収録されている。とりわけ、「On An Axis」では、リズム・トラックにギターの演奏を交え、ケミカル・ブラザーズ、プライマル・スクリームが志向したようなダンスとロックのシンプルな融合性が示されている。最終的には、ロパティンの音楽性の一つの要素であるノイズが加味されることで、ポスト・ロックのような展開性を呼び起こす。


他にも、Clarkが『Body Riddle』の時代に試行した、ロックとテクノを融合させ、ある種の熱狂性を呼び起こそうという、90年代のテクノが熱かった時代の手法を「Nightmare Paint」に見いだせすことができる。ここでは、静と動を交え、緩急のあるテクノを作り出している。こういった旧来の手法一つをとっても、曲そのものから只ならぬ熱狂性が感じられるのは、制作者が受け手と同じか、それ以上の熱情を持ってトラックの制作に取り組んでいるからに違いない。つまり、制作者が徹底して熱狂しなければ、潜在的な聞き手を熱狂させることは難しいのである。

 

 

こういった無数の数限りない音楽ジャンルや手法が複雑に絡み合いながら、電子音楽の一大的な構成は、サグラダ・ファミリアの建築物のような神聖な印象を相携えながら、アルバムのサブストーリーを形成している。そして、音楽の印象を絶えず変化させながら、アルバムはクライマックスに至る。


「Memories of Music」は、叙情的なイントロから始まり、ハードロックのような音楽性へと変化する。そして、その中にはシンセのギターリードの演奏を交え、ギター・ヒーロに対するリスペクトが示されている。また、70年代のジャーマン・テクノへの愛着も、長大なストーリー性を持つ電子音楽に副次的に組み込まれている。そして、圧倒的な電子音楽の創造性は、終盤で花開く。アンビエントとテクノの中間点に位置する「Ubiquity Road」では、古典的なアプローチや音色を選び、ストーリー性を擁する電子音楽の理想形を示している。さらに、アルペジエーターを駆使したミニマル・テクノ「A Barely Lit Path」は、わずかに神聖な感覚を宿している。

 

このアルバム『Again』を聞き終えた頃には、プレスリリースに違わず、ダニエル・ロパンティンの長大な個人的な思索を追体験したような気がし、また、同じように、広大な電子音楽の叙事詩を体験したような不思議な達成感を覚えてしまう。少なくとも、難解なリズム、構成、着想を併せ持つ本作ではあるが、これらの音楽には、「未来への希望」という明るいイデアを部分的に感じとることが出来る。希望というのは何なのか。それは、次にやってくる未知なるものに対し、漠然と心湧き立つような期待感を覚えるということ。電子音楽としては、極めて前衛的でありながら、気持ちが晴れやかになってくる稀有な作品の一つだ。これもまた、長きにわたり、ワープ・レコードというダンス・ミュージックの本丸を支えてきたアーティストの矜持にも似た思いが、こういった長大かつ聴き応え十分のアルバムを生み出したのかもしれない。

 

 

88/100

 


「Ubiquity Road」

 

 

ハワイ出身のシンガーソングライター、ジャック・ジョンソンの13年ぶりとなる来日公演が決定しました。Smash-jpn主催の本公演は2月26日(月)にZEPP OSAKA、28日(水)に東京ガーデンシアターで開催される。

  

ハワイ出身でサーフィンとギターを弾いて育ち、2001年以来7枚のスタジオ・アルバムと2枚のライブ アルバムをリリースし、全世界で2,500万枚以上のセールスを記録している。

 

彼のレーベルであるBrushfire Records とツアー・クルーは音楽業界の緑化のリーダーであり、彼が主宰するAll At Onceというソーシャル・アクション・ネットワークはツアー各地でファンと地元の非営利団体を結び付けている。妻のキムとともに設立したコクア・ハワイ財団では地元ハワイの学校や地域コミュニティーの環境教育を支援し、ジョンソン・オハナ財団では世界中の環境、芸術、音楽教育を支援しており、アルバムやツアーの収益と個人的な慈善活動により、2001 年以来 3,700 万ドル(50億円)以上が慈善団体に寄付されています。

 

最新スタジオ・アルバム『ミート・ザ・ムーンライト』は 昨年リリースされ、北米、南米、オセアニア、ヨーロッパ各地でソールド・アウトのツアーを続けており、今秋はメリーランド州のオーシャンズ・コーリングと南カリフォルニアのビーチライフ・ランチに出演が決まっている他、来年春にはバイロンベイ・ブルース・フェスティヴァルでヘッドライナーを務めることが発表された。

 

 さらなる公演の詳細につきましては、Smash-jpnの公式サイトをご確認下さい。



ローランドは、シンセサイザー、電子ピアノ、ギター関連製品など最新の電子楽器を取り扱う、国内初の直営店「Roland Store Tokyo」を、10月1日に東京・原宿エリアにオープンします。


同社は創業50年にあたる2022年に、初の直営店となる「Roland Store」を、英国・ロンドンにオープンした。Roland Storeでは、楽器演奏や音楽制作を通して創造力が刺激されるような体験を提供し、ユーザーの音楽ライフをより豊かにするためのサポートを行っており、初心者からプロまで幅広い来場者を集めている。


そこでの大きな特徴が、楽器の専門知識を持つ「ローランド・プロダクト・スペシャリスト」による個別対応だ。オンライン事前予約制で、製品説明やデモンストレーション、効果的な楽器の使い方のレクチャーなど、ひとりひとりの要望に応じたソリューションを提供してくれる。



代表取締役 ゴードン・レイゾン氏

地下1階のイメージ。電子ドラム「Vドラム」シリーズとBOSSブランド製品のフロアーで、電子ドラムは、プロ向けのモデルからエントリーモデルまで取り揃えている。ギター関連製品は、コンパクト・エフェクター、マルチ・エフェクター、ギターアンプなどを多数展示予定


 Roland Store Tokyoでもそのコンセプトを基本とし、ローランドの電子楽器をよりよい環境で体験してもらい、音楽を創造する楽しさを存分に味わい、末永く音楽ライフを楽しんでもらうことを目指している。店舗は地下1階〜地上2階で、最新の電子楽器を数多く取り揃え、ローランド・プロダクト・スペシャリストもスタンバイしている。


 Roland Store Tokyoは、近年話題の “裏原宿” にオープン予定。このエリアは、ファッションやグルメなどトレンドの発信地で、日本だけでなく、世界中から訪れる流行に敏感な観光客にも人気のスポットとなっています。


「Roland Store Tokyo」:

●オープン予定日:2023年10月1日(日)

●住所:東京都渋谷区神宮前四丁目25番37号

●営業時間:12:00〜19:30 ※2023年10月1日(日)〜14日(土)は時短営業

●定休日:毎週火曜日







Chirsrtina Vanzou/ John Also Benett / Κ​λ​ί​μ​α (Klima)




Label: Editions Basilic

Release: 2023/ 9/29

 

 

Review

 

CVとJABによる『Κ​λ​ί​μ​α (Klima)』は、「Christina Vanzou,Michael Harrison,and John Also Benett」『No.5』に続くフルアルバム。全2作のインドのラーガ音楽、さらにフィールド・レコーディングを交えた実験音楽の延長線上にある作風となっている。先日、デュオは、英国で初めてジブリ作品を上映したことで知られるロンドンのバービガン・センターでライブを開催した。

 

デュオとしてのライブでは、ハードウェア・シンセやフルートの演奏を取り入れて、実験音楽とジャズ、エレクトロニックの融合をライブ空間で披露しているようだ。また、JABは、ニューヨークのRVNGからアルバムを発表しているSatomimagaeさんの友人でもあるとのことである。

 

昨年、2作のフルレングスを発表しているCVではあるが、最新作については、それ以前に制作が開始されたという。2021年、ポルトガルのブラガにある、ユネスコの世界遺産、”ボン・ジェスス・ド・モンテ”での公演に招かれたことをきっかけに、『Κλίμα』の音楽は、以後の2年間、ライブ実験、周期的なスタジオ・セッション、テネリフェ島のアンビエンスへの旅を通じて、作品の完成度を高めていった。アルバムの核心をなす物語が生まれたのは、火山島でのこと。風景を彩る極端に異なる微気候の中で、1ヵ月にわたってレコーディングが行われた。砂漠から熱帯雨林へと移り変わるCV & JABの創造性の閃きは、10曲にわたって、作品に浸透する外界と内界の抽象的なオーディオ・ガイドとして呼び起こされる、とプレスリリースでは説明されている。

 

このアルバムの実際の音楽の印象については、ブライアン・イーノのコラボレーターであり、アンビエント音楽の定義に一役買った、LAの現代音楽家、Harold Budd(ハロルド・バッド)に近いものである。


ピアノ・アンビエントや、フィールド・レコーディングを交えた実験的なコラージュ、そして、 アフロ・ジャズ/スピリチュアル・ジャズを想起させるフルートの伸びやかな演奏、さらには、「Christina Vanzou,Michael Harrison,and John Also Benett」で見受けられたインドのラーガ音楽の微分音を取り入れたアプローチ、それに加え、構造学的な音作りやCVのアンビエントの主な性質を形成するアートへの傾倒という観点も見過ごすことは出来ない。デュオは、これまでの豊富な制作経験を通して培ってきた音楽的な美学を組み合わせて、構造的でありながら感覚的でもある、具象芸術とも抽象芸術ともつかない、アンビバレントな音像空間を造出している。

 

#1「Κ​λ​ί​μ​α (Klima)」#4「Lands of Permanent Mist」の2曲は、これまでのCVの主要な音楽性の一端を担ってきたピアノ・アンビエントの形でアウトプットされている。

 

前者は、アルペジオを中心としたアイディア性と閃きに満ちた短い前奏曲であり、後者は、テネリフェ島の空気感をハードウェア・シンセサイザーのシークエンスとピアノで表現し、抽象的なアンビエントを作り出す。


「Lands of Permanent Mist」は、ピアノの弦をディレイてリバーブで空間的に処理し、音像をプリペイド・ピアノのように変化させる。さらに、デチューンを掛け、ピアノの倍音の音響性の可能性を広げる。上記2曲に関しては、CVの作曲性の中に組み込まれる癒やしの質感を擁し、リスナーの五感に訴えかけようとする。まるでそれは音楽が外側に置かれたものとして見做すのではなく、人間の聴覚と直にリンクさせる試みのようでもある。

 

同様の手法を用いながらも、こういった従来の安らいだピアノ・アンビエントと対極に位置するのが、#3「Messengers of The Rains」となる。この曲ではCVの作風としては珍しくゴシック的な気風が取り入れられ、ミニマル・ミュージックと結びつけられる。その中に、ボーカルのコラージュを取りいれ、『Biohazard』に登場するゾンビのようなボイスを作り出すことで、ホラー映画や、フランシス・ベーコンの中後期の絵画に見られる、近寄りがたく、不気味な印象性を生み出す。


一見したところ、#1、#4におけるアンビエントの癒やしの感覚が、アルバム全体の主要な印象を形成しているように思えるが、こういったワイアードな感性を持つ楽曲がその合間に組み込まれると、デュオのもう一つの特徴である前衛性の気風が表向きの印象を押しのけて矢面に押し出され、美的な感覚と醜悪な感覚が絶えず、せめぎ合うかのようなシュールな感覚を覚えさせる時がある。これらのコントラストという西洋美術史の基礎を形成する感覚は、アルバムの中で動きを持った音楽、及び構造的な音楽という印象をもたらす。

 

ボーカルのサンプリングのコラージュの手法は、#5「Jetsteam」にも見いだせる。ラスコーの壁画を思わせる原始的な芸術への傾倒や、実際に洞窟の中で響き渡るようなボーカルの音響性は、前作アルバム『No.5』で示された作風であるが、それらの感覚を原始性の中に留めておくのではなく、モダンな印象を持つシンセのシークエンスやピアノの断片的な演奏を掛け合わせ、オリジナリティ溢れる音楽性を確立している。


ここにも、CVとJABの美的な感覚が抽象的に示されている。曲の終盤においては、ディレイや逆再生の手法の前衛性の中に突如、坂本龍一が用いたような和風の旋法を用いたピアノのフレーズが浮かび上がる。従来のデュオのコンポジションと同様、立体的な音作りを意識した音楽であり、「空間芸術としてのアンビエント」という新鮮な手法が示されている。やがて、タイトルにもある「ジェット・ストリーム」をシンセサイザーで具象的に表現したシークエンスが織り交ぜられ、アンビエントの重要な構成要素であるサウンドスケープを呼び起こしている。

 

このアルバムをより良く楽しむためには、CVのピアノやシンセの音楽的な技法を熟知しておく必要があるかもしれないが、もうひとつ、本作の主要なイメージを形成しているのが、JABのフルートである。#6「Fields Of Aloe Vera」では、海辺の風景を思わせる情景へと音楽の舞台は移ろっていく。


そこに、ニューエイジ/スピリチュアル・ジャズを多分に意識したJABのフルートのソロの演奏が加わるや否や、アルバムの表向きのイメージは開けたジャングルへと変遷を辿ってゆく。しかし、JABの演奏は、Jon Hassel、Arve Henriksenさながらに神妙で、アンビエントに近い癒やしの質感に溢れている。トリルのような技巧を凝らした前衛的な演奏は見られないが、JABのフルートの演奏、及び、オーバーダビングは、水音のサンプリングと不思議と合致しており、広々とした安らぎや癒しを感じさせる。

 

そういった不可思議なスピリチュアルな感覚に根ざした実験音楽の片鱗は、他にも、フィールド・レコーディングの前衛性を徹底して打ち出した#8「Take The Hot Route」、JABのジャズに触発されたアンビエントとの融合体である「Pottery Fragments」で分かりやすく示されている。


CV、JABの作曲技法や音楽的なインスピレーションを余すところなく凝縮した『Κ​λ​ί​μ​α (Klima)』。これは、文明社会が見落として来た、音楽を通じて繰り広げられる原初的な人間の感覚への親和、あるいは、その感覚への回帰であり、また言うなれば、五感の旅を介しての魂の里帰りなのである。

 

 

 

85/100

 



10年近く前に撮影されたピッチフォークのドキュメンタリーの中で、マック・デマルコはイタロ・ディスコ・シンガーのライアン・パリスと彼の1983年の世界的ヒット曲「Dolce Vita」への感謝を語りました。パリスはデマルコにこの曲の再レコーディングの誘いをかけることで応え、デマルコは2016年のビデオで彼に返信し、一緒に仕事をする見込みに興奮しているようだった。


2023年末の今、デマルコとパリスはついにタッグを組んだ。「Dolce Vita 」の再レコーディングではなく、「Simply Paradise 」という新曲のためだ。イタル・ディスコに戻るのではなく、シンガーたちは少しほろ苦いR&Bに挑戦している。


マックは、ソウルメイトを探す情熱的なロマンチストの役を演じ、パリスは、ナイトクラブのクルーザーの役を演じ、彼らは「The Girl Is Mine」的なやり方でセリフを交換するというなんともほろ苦い内容だ。イタリアのビーチの夕暮れ時に撮影されたミュージック・ビデオをぜひご覧下さい。



60年代、及び、70年代のアメリカン・ロックにも様々なジャンル分けがある。CSN&Y、イーグルスに象徴されるカルフォルニアを中心とするウェストコースト・サウンド、オールマン・ブラザーズに代表される南部のブルースに根ざしたサザン・ロック、ニューヨーク、デトロイトを中心に分布するイーストコーストロックに分かたれる。特に、西海岸と東海岸のジャンルの棲み分けは、現在のヒップホップでも行われていることからも分かる通り、音の質感が全然異なることを示唆している。兼ねてからロサンゼルスは、大手レーベルが本拠を構え、ガンズ・アンド・ローゼズを輩出したトルバドールなどオーディション制度を敷いたライブハウスが点在していたこともあり、米国の音楽産業の一大拠点として、その歴史を現代に至るまで綿々と紡いでいる。


当時、最もカルフォルニアで人気を博したバンドといえば、「Hotel California」を発表したイーグルスであることは皆さんもご承知のはずである。しかしながら、のちのLAロックという観点から見て、また当地のロックのパイオニアとしてロック詩人、ジム・モリソン擁するドアーズを避けて通ることは出来ないのではないだろうか。ジム・モリソンといえば、ヘンドリックスやコバーンと同様に、俗称、27Clubとして知られている。今回は、このバンドのバックグランドに関して取り上げていこうと思います。

 

 

1967年、モリソン、マンザレク、デンズモア、クリーガーによって結成されたドアーズ。本を正せば、詩人、ウィリアム・ブレイクの「天国と地獄の結婚」の「忘れがたい幻想」のなかにある一節、

 

近くの扉が拭い 清められるとき 万物は人の目のありのままに 無限に見える

 

に因んでいるという。そして、オルダス・ハックスレーは、この一節をタイトルに使用した「知覚の扉」を発表した。ドアーズは、この一節に因んで命名されたというのだ。


いわば、本来は粗野な印象のあったロック・ミュージックを知的な感覚と、そしてサイケデリアと結びつけるのがドアーズの役目でもあった。 そして、ドアーズは結成から四年後のモリソンの死に至るまで、濃密なウェスト・コースト・ロックの傑作アルバムを発表した。「ロックスターが燃え尽きる」という表面的なイメージは、ブライアン・ジョーンズ、ヘンドリックスやコバーンの影響も大きいが、米国のロック・カルチャーの俯瞰すると、ジム・モリスンの存在も見過ごすことが出来ないように思える。

 

ただ、ドアーズがウェスト・コーストのバンドであるといっても、その音楽は一括りには出来ないものがある。カルフォルニア州は縦長に分布し、 また、サンフランシスコとロザンゼルスという二大都市が連なっているが、その2つの都市の両端は、相当離れている。そして、両都市は同州に位置するものの、文化的な性質がやや異なると言っても過言ではない。ドアーズもまた同地のグループとは異なる性質を持っている。


そもそも、ウェスト・コースト・サウンドというのは、1965年にオープンした、フィルモア・オーディオトリアムを拠点に活躍したグループのことを示唆している。ただ、これらのバックグランドにも、ロサンゼルスの大規模のレコード産業と、サンフランシスコの中規模のレコード産業には性質の違いがあり、それぞれ押し出す音楽も異なるものだったという。つまり、無数の性質を持つ音楽産業のバックグランドが、この2つの都市には構築されて、のちの時代の音楽産業の発展に貢献していくための布石を、60年代後半に打ち立てようとしていたと見るのが妥当かもしれない。

 

ザ・ドアーズの時代も同様である。60年代後半のロサンゼルスには、サンフランシスコとは雰囲気の異なるロック産業が確立されつつあった。ドアーズはUCLAで結成され、この学校のフランチャイズを特色として台頭した。一説によると、同時期にUCLA(カルフォルニア州立大学)では、ヘルマン・ヘッセの『荒野のオオカミ』が学生の間で親しまれ、物質的な裕福さとは別の精神性に根ざした豊かさを求める動きが大きなカウンター・カルチャーを形成した。


この動きはサンフランシスコと連動し、サイケデリック・ロックというウェイブを形成するにいたったのであるが、レノンが標榜していた「ラブ・&ピース」の考えと同調し、コミューンのような共同体を構築していった。そういった時代、モリソン擁するドアーズも、この動向を賢しく読み、西海岸の若者のカルチャーを巧みに音楽性に取り入れた。一つ指摘しておきたいのは、ドアーズは同年代に活躍したグレイトフル・デッドを始めとするサイケ・ロックのグループとは明らかに一線を画す存在である。


一説では、サンフランシスコのグループは、オールマン・ブラザーズやジョニー・ウィンター等のサザン・ロックと親和性があり、ブルースとアメリカーナを融合させた渋い音楽に取り組んでいた。対して、ロサンゼルスのグループは、明らかにジャズの影響をロックミュージックの中に才気煥発に取り入れようとしていた。これはたとえば、The Stoogesが「LA Blues」でイーストコーストとLAの文化性をつなげようとしたように、他地域のアヴァンギャルド・ジャズをどのように自分たちの音楽の中に取り入れるのかというのを主眼に置いていた。


サンフランシスコのライブハウスのフィルモア・オーディオトリアムの経営者であり、世界的なイベンター、ビル・グラハムは、当初、ドアーズがLAのバンドいうことで、出演依頼を渋ったという逸話も残っている。ここにシスコとロサンゼルスのライバル関係を見て取る事もできるはずである。

 

 


 

さて、ザ・ドアーズがデビュー・アルバム 『The Doors』(邦題は「ハートに火をつけて」)を発表したのは1967年のことだった。後には「ロック文学」とも称されるように、革新的で難解なモリソンの現代詩を特徴とし、扇動的な面と瞑想的な面を併せ持つ独自のロックサウンドを確立した。

 

デビューアルバム発表当時、モリソンの歌詞そのものは、評論家の多くに「つかみどころがない」と評されたという。


デビュー・シングル「Light My Fire」は、ドアーズの代表曲でもあり、ビルボードチャートの一位を記録し、大ヒットした。その後も、「People Are Strange」、「Hello I Love You」、「Touch Me」といったヒットシングルを次々連発した。ドアーズのブレイクの要因は、ヒット・シングルがあったことも大きいが、時代的な背景も味方した。

 

当時、米国では、ベトナム戦争が勃発し、反戦的な動きがボブ・ディランを中心とするウェイヴが若者の間に沸き起こったが、ドアーズはそういった左翼的なグループの一角として見なされることになった。しかし、反体制的、左翼的な印象は、ライヴステージでの過激なパフォーマンスによって付与されたに過ぎない。ドアーズは、確かに扇動的な性質も持ち合わせていたが、 同時にジェントリーな性質も持ち合わせていたことは、ぜひとも付記しておくべきだろう。

 

ドアーズの名を一躍全国区にした理由は、デビュー・アルバムとしての真新しさ、オルガンをフィーチャーした新鮮さ、そして、モリソンの悪魔的なボーカル、センセーショナル性に満ち溢れた歌詞にある。ベトナム戦争時代の若者は、少なくとも、閉塞した時代感覚とは別の開放やタブーへの挑戦を待ち望んだ。折よく登場したドアーズは、若者の期待に応えるべき素質を具えていた。同年代のデトロイトのMC5と同じように、タブーへの挑戦を厭わなかった。特にデビュー・アルバムの最後に収録されている「The End」は今なお鮮烈な衝撃を残してやまない。 


 

 

「The End」の中のリリックでは、キリスト教のタブーが歌われており、ギリシャ神話の「エディプス・コンプレックス」のテーマが現代詩として織り交ぜられているとの指摘もあるようだ。


歌詞では、ジークムント・フロイトが提唱する「リビドー」の概念性が織り込まれ、人間の性の欲求が赤裸々に歌われている。エンディング曲「The End」は、究極的に言えば、セックスに対する願望が示唆され、人間の根本的なあり方が問われている。宗教史、あるいは人類史の根本を形成するものは、文化性や倫理観により否定された性なのであり、その根本的な性のあり方を否定せず、あるがままに捉えようという考えがモリソンの念頭にはあったかもしれない。性の概念の否定や嫌悪というのは、近代文明がもたらした悪弊ではないのか、と。その意味を敷衍して考えると、当代の奔放なカウンター・カルチャーは、そういった考えを元にしていた可能性もある。



これらのモリソンの「リビドー」をテーマに縁取った考えは、単なる概念性の中にとどまらずに、現実的な局面において、過激な様相を呈する場合もあった。それは彼のステージパフォーマンスにも表れた。しかし、性的なものへの欲求は、ドアーズだけにかぎらず、当時のウェスト・コーストのグループ全体の一貫したテーマであったという。つまり、性と道徳、規律、制約、抑圧といった概念に象徴される、社会的なモラル全般に対する疑念が、60年代後半のウェストコーストを形成する一連のグループの考えには、したたかに存在し、時にそれはタブーへの挑戦に結びつくこともあった。その一環として、現代のパンク/ラップ・アーティストのように、モリソンは「Fuck」というワードを多用した。今では曲で普通に使われることもあるが、この言葉は当時、「フォー・レター・ワード」と見なされていた。放送はおろか、雑誌等でも使用を固く禁じられていた。”Fuck”を使用した雑誌社が発禁処分となった事例もあったのだ。


それらの禁忌に対する挑戦、言葉の自由性や表現方法の獲得は、モリソンの人生に付きまとった。特に、1968年、彼は、ニューヘイブンの公演中にわいせつ物陳列罪で逮捕、その後、裁判沙汰に巻き込まれた。しかし、モリソンは、後日、この事件に関して次のように供述している。「僕一人が、あのような行為をしたから逮捕された。でも、もし、観客の皆が同じ行為をしていたら、警察は逮捕しなかったかもしれない」


ここには、扇動的な意味も含まれているはずだが、さらにモリソンのマジョリティーとマイノリティーへの考えも織り込まれている。つまり多数派と少数派という概念により、法の公平性が歪められる危険性があるのではないかということである。その証として彼は、この発言を単なる当てつけで行ったのではなかった。当時の西海岸のヒッピーカルチャーの中で、コンサートホール内は、無法状態であることも珍しくはなく、薬物関連の無法は、警官が見てみぬふりをしていた事例もあったというのだから。

 

さらに、ジム・モリスンのスキャンダラスなイメージは、例えば、イギー・ポップやオズボーンと同じように、こういった氷山の一角に当たる出来事を取り上げ、それをゴシップ的な興味として示したものに過ぎない。上記二人のアーティストと同様に、実際は知性に根ざした文学性を発揮した詩を書くことに関しては人後に落ちないシンガーである。文学の才覚を駆使することにより、表現方法や言葉の持つ可能性をいかに広げていくかという、モリソンのタブーへの挑戦。それは、考えようによっては、現代のロック・ミュージックの素地を形成している。


デビュー作から4年を経て、『L.A Woman』を発表したドアーズの快進撃は止まることを知らなかった。しかし、人気絶頂の最中にあった、1971年7月3日、ジム・モリソンは、パリのアパートにあるバスタブの中で死去しているのが発見された。死亡時、パリ警察は検死を行っていないというのが通説であり、一般的には、薬物乱用が死の原因であるとされている。しかし、他の幾人かのミュージシャンと同じく、ジム・モリソンの死には不可解な点が残されている。

 Weekly Music Feature


 Slow Pulp




フレンドシップがもたらした温かみのあるUSインディーロック



エミリー・マッシー(ヴォーカル/ギター)、ヘンリー・ストーア(ギター/プロデューサー)、テディ・マシューズ(ドラムス)、アレックス・リーズ(ベース)の4人は、『Yard』で新たなサウンドの高みに到達し、劇的な化学反応を起こしている。初期の楽曲に見られた粘着性のあるフックとドリーミーなロックをベースに、Yardはより大きなサウンドを作り上げた。落ち着いたギター、泣きのアメリカーナ、骨太のピアノ・バラード、そしてベルト・アロングにふさわしいポップ・パンクを通し、彼らは孤独というテーマと、自分自身と心地よく付き合うことを学ぶ過程、そして他者を信頼し、愛し、寄り添うことを学ぶ重要性に向き合った。

 

『Yard』の中毒性のあるニュー・シングル「Slugs」のコードは、ギタリスト兼プロデューサーのヘンリー・ストーアが小学6年生の時に片思いの相手のために書いた。マッシーは、暖かいギターのファズとシロップのようなバック・ヴォーカルに乗せ、「君は夏のヒット曲だ // 僕はそれを歌っているんだ」と歌う。「スラッグスは簡単に言えば、夏に恋に落ちることを歌っている」


「この曲は、誰かと知り合うことの新鮮さとフレッシュさが、その人のことをどれだけ気にかけるようになったかを実感することで、一抹の恐怖に変わるようなシーンに生きている。私は人間関係に関して、不安や無常感に支配されがちだ。おそらく、過去に人間関係の基盤が不安定だったり、複雑だったりしたせいだろう。それでも、突然、初めて、健全な愛着と相互賞賛のある、安全だと感じられるものの中にいる自分に気づき、不確実性の必然性がより簡単に受け入れられるようになった。この曲は、恋愛におけるさまざまなタイプの初めての瞬間という時代を超越したもので、この一周の瞬間を見つけたというのは、とても素敵なことだと思う」

 

 

スロー・パルプは、ウィスコンシン出身であり、この土地に大きな思い入れを抱いているという。そして、10年以上の長い友情に根ざしている。ストウアとマシューズは、マディソンの小学校に一緒に通い、地元の音楽プログラムを通じてリーズと知り合った。マッシーは大学で仲間入りし、リーズはミネアポリスの大学に、他のメンバーはマディソンにいた。カルテットはレコーディングを始め、中西部でライヴを行い、最終的に2017年のEP2をリリースした。親密で落ち着きがなく、明らかにローファイな17分のデビュー作で、YouTubeチャンネルやブログで人気を集めた。


2018年、バンドはシカゴに拠点を移した。『Big Day EP』の大半を書き、レコーディングした。ステージやスタジオで時間を費やしながら、彼らは作品に磨きをかけ、2019年までには、Alex Gとツアーを行い、デビュー・フルレングス・レコード『Moveys』の制作に取り掛かった。マッシーのライム病と慢性モノラルの診断、そして、彼女の両親を巻き込んだ重大な交通事故により、バンドは孤立した状態で『Moveys』を完成させた。エミリーは一時的に家に戻り、病院に通い介護をしながら、父親のマイケルの小さな自宅スタジオでヴォーカルを録音した。紆余曲折あったが、バンドは『Yard』で再びマイケルとヴォーカルを録音することを選んだ。

 

「一緒に仕事をすることで、見知らぬ人や家族ではないプロデューサーとはできないような方法で、お互いにとても正直になれる」とマッシーは言う。


「彼は、私の人生をとても親密に知っているので、曲の内容についてすでに多くの背景を持っている。彼はとても率直で、私が聞きたくないけど聞く必要があることをよく言ってくれる。それが僕から最高のテイクを引き出すことにつながっている」スロー・パルプのパンデミック時代のアルバム制作から、バンドが次のアルバムに持ち込んだ教訓はそれだけではなかった。


『Yard』は2022年2月、マッシーがウィスコンシン州北部の友人宅の山小屋に1人で滞在していたとき、形になり始めた。


『Yard』の制作プロセスにおいて孤立は重要な要素だったが、彼らはそれを戦略的に用いた。「私たちが発見したことのひとつは、意図的に孤立する時間を取ることが本当に重要だということ。このプロセスを通して、バランスをとること、意図的にそれを行うことについて多くを学んだ」

 

スロー・パルプの中で、メンバー間の信頼関係は、彼らのクリエイティブ・プロセスの源である遊び心にあふれたコラボに表れている。『Yard』では、ニュアンス、印象、矛盾、つまり、これまで適切な言葉が見つからなかったフィーリング特有の緊張感をボトルに詰め込み、微調整された音と歌詞のポケットに、心地よく寄り添った。おそらくこれは、バンド自身が共有する歴史と化学反応から生まれた。様々な意味で、4人は共に育ち、今も共に成長し続ける。



Slow Pulp 『Yard』/ Anti-



元々は、シューゲイズの括りで語られることもあったSlow Pulpではあるが、今やそのようなマニアックな呼称は相応しくないだろう。


高評価を受けた前作アルバム『Moveys』に続いて、Anti- Recordsと契約を結んで発表された2ndアルバムは、四人組の広汎な音楽の背景を感じさせるとともに、彼らの友情の温かみ溢れるインディーロックサウンドが生み出された。およそ、いくつかの困難がアルバム制作前後に立ちはだかったとは思えない作品である。


そして、最も称賛すべきなのは、これらの10曲を通して、インディーロックという括りではあるものの、バンドの人生が深く反映され、聴き応え十分のサウンドが生み出されたこと。他でもなく、四人組のフレンドシップが、こういった聞きやすくも強固なバンドサウンドを形成したのだ。

 

アルバムのオープニング「Gone 2」は、「RHCPの曲のビデオを無音で見た時に思いついた」という。ギターのカウントから始まる現代的なベッドルームポップとAlex Gのようなクールなインディーロックを合体させ、エミリー・マッシーのエモーショナルなボーカルが心地よい雰囲気を生み出す。

 

その背景にはアメリカーナへの愛着が示され、アコースティックギターやほろりとさせるシンセ、ベースのカンターポイントが複雑に絡み、Superchunkのごとき温かみのあるサウンドが生み出された。前作で確立したディストーション・サウンドをポップスという形に落とし込んでいる。もちろん、Anti- Recordsらしいポップ・パンクからの影響もある。彼らはこの曲で、一つのサウンドから多くのサウンドへ拡散させるのではなく、複数のサウンドから一つのサウンドへと収束させる。感覚的な面でも、多彩なエモーションが現れている。ほろ苦さを思わせたかと思えば、少し明るくなる。そして、明るくなったかと思えば、また、ほろ苦い。その繰り返しなのだ。

 

「Doubt」は、Slow Pulpがポップ・パンク/メロディックパンクのフォロワーであることの表明代わりとなる。Blink-182の若々しい感性と青春を彩るメロディーラインがスリーコードとAlex Gのごときテクニカルなミックスと結びつく。ポップ・パンク最盛期のメロディーラインやビートの影響を巧みに反映させ、それらをベッドルーム・ポップの感性と結びつけ、最終的には複数の音楽性を吸収し、全般的にカナダのAlvvaysの様なフォーク・パンクとして昇華させる。バンドサウンドとしての完成度もずば抜けて高い。この曲の緻密に作り込まれた精巧なプロダクションは一秒もずれることがない精密機器のようである。さらに、マッシーのボーカルには、Fall Out Boyのようなオーバーグラウンドのエモコア・バンドの旋律に加え、ダイナミックさと繊細さが内包されている。ここに2020年代のポップ・パンクの珠玉の名曲が誕生している。 

 

前作アルバムで構築したディストーション・サウンドの妙は「Cramps」において引き継がれている。イントロの華麗なタム回しの後に始まる痛快なメロディック・パンクは、多くのファンが待ち望んでいたものであり、未知なるリスナーの心を鷲掴みにするに違いない。キム・ディール擁するThe Breedersのオルト・ロックとフォークの融合性を継承し、パンキッシュなグルーブを散りばめている。上記2曲に比べ、グランジの影響が強く、ギターサウンドの尖り具合は、Dinosaur Jr.のJ Mascisが『You're Living All Over Me』においてもたらした、ワウとファズの融合に匹敵する。彼等はそれを誰にでも分かりやすく親しみやすいサウンドへと昇華する。これらのパンクとロックの中間にあるアプローチは、エモコア・サウンドに変貌を遂げる瞬間もある。

 

 

 

 

 「Slugs」は、前曲と同様に、彼らのライブのアンセムとなっても違和感がないように思える。この曲では、Phoebe Bridgersのソロでのベッドルーム・ポップやインディー・フォークの音楽性を上手く吸収し、それを親しみやすく、まったりとしたサウンドへと落とし込んでいる。そしてエバーグリーンな感性がリリックやボーカルに巧みに転化されている。これらは、大学生時代のモラトリアムのような感覚を鋭く捉え、内省的で感覚的な波が揺らめくような切ないポップという形でアプトプットしている。そのポップネスにスパイスをもたらしているのがファズを徹底して突き出した歪んだギターだ。これは、マット・シャープのThe Rentalsが『Friend Of P』で実験していたサウンドである。決してパブリーではなく、ナードであるかもしれないが、何れにしても、それは心地よいインディーロックソングに落着していることは言うまでもない。

 

「Yard」も前曲と同様にプレビューとして公開された。 ここでは、彼らが信奉するAndy Shaufのインディーフォーク性を受け継ぎ、古めかしいピアノの音色を交えて、オルタネイトなソングライティングの方向性を選んでいる。コード進行に関しては、Weezerの「Undone- The Sweater Song」とほぼ同じである。しかし、普遍的なアメリカン・ポップスの影響も見受けられ、フィービー・ブリジャーズのベッドルーム・ポップとビリー・ジョエルの往年のクラシック・ポップが合体し、さらに、それがPixiesの「Where Is My Mind」と融合し、ある種の化学反応を起こしたかのようである。難しい例えになってしまったが、普遍的なUSポップスのスタイルを巧みに踏襲し、オルタネイトなポップとして昇華させている点に醍醐味がある。少なくともこの曲は、アンディ・シャウフのような幻想性は乏しいものの、良質なポップソングとして楽しめる。

 

このアルバムでは、現在ニューヨークを拠点とする若きホープであるWhy Bonnieのようにインディーロックに加え、アメリカーナ(フォーク/カントリー)の影響が重要なファクターとなっており、パンクとベッドルームポップとともに今作を解き明かすための欠かさざるテーマとなっている。『Yard』の後半部では、落ち着いたインディーフォーク的な手法が立ち表れ、その中に強い印象を持つノイジーなインディーロックがコントラストを描くかのように収録されている。


バンドは、作曲に際して、映画作品にインスピレーションを受けるときがあるとのことだが、「Carina Phone 1000」は、Slow Pulpのアウトプットされる音楽とは別のバックグランドを読み解くことが出来る。


これらのシネマティックな媒体からの影響は、この曲のインディーフォークのアプローチの向こう側に、ある種のイメージを立ち上らせ、イマジネーションにおけるナラティヴな効果を発揮するに至る。それは例えば、彼らの故郷、ウィスコンシンやミネアポリスの中西部の風景を喚起させる力を兼ね備えている。耳障りの良いサウンドはもちろんのこと、音により想像性を掻き立てられる瞬間にこそ、このアルバムの最大の魅力を感じ取ることが出来るのではないだろうか。

 

この落ち着いたインディー・フォークを基調とした楽曲の後、再び、このアルバムのサウンドの核心を担う、エバーグリーンかつ才気煥発なオルト・ロックバンドとしての姿に立ち返る。「Worm」は再度ベッドルームポップとポップ・パンク、そしてインディーロックを融合させたSlow Pulpの代名詞のサウンドで、鮮やかな息吹をもたらす。そこにはバンドアンサンブルとしての妙も表れ、鋭いブレイクを挟み、スタジオ録音ではありながらアグレッシヴなライブサウンドの精細感を追求する。オーディオやヘッドフォンを通じてでさえ、Slow Pulpのサウンドが、スタジオライブのごとき密接かつ刺激的な瞬間を呼び覚ます力があることを示唆している。

 

従来、バンドが書きたくても書けなかった、あるいは書くことが出来たのに書かなかった理想的なインディーロックサウンドの真骨頂が、アルバムの終盤のハイライトとなる「MUD」に現れる。この曲では、フィービー・ブリジャーズのソングライティングの手法を踏襲し、甘いポップサウンドの後に訪れるファズ/ディストーションを基底に置いたインディーロック・サウンドで、鮮烈なアルバムのイメージを完成させる。もちろんそれは、アルバム序盤から一貫して示唆されていたエモーショナルな感覚と複雑に溶け合うようにし、新時代のインディーロックサウンドのアンセムを作り出す。「again」というフレーズのボーカル・ループの後の傑出したバンドサウンドは、イントロのモチーフに回帰し、アンセミックなフレーズを相携え、シンセの切ないフレーズを折り混ぜながら、シューゲイズのディストーションの渦中に消え果てていく。 

 

「MUD」

 

 

アルバムのクライマックスを飾る2曲は、落ち着いたアメリカーナ・サウンドを体現している。これらは、Why Bonnieが示すように、現代のUSインディーロックは、The Breedersの時代と同じように、ロックとアメリカーナの融合に焦点が絞られていることが分かる。 もちろん、そこには、ロマンティックなペダル・スティール、バンジョーのような特殊な楽器も登場する。しかし、これらの複合的なサウンドアプローチが散漫にもならず、飽きさせもしないのが本作の1番興味を惹かれる点なのだ。そして、それはクローズで示されているように、Slow Pulpが映画のようなストーリー性をインディーロックサウンドの背景に滲ませているからである。もちろん、それはプレスリリースにも書かれておらず、もちろん、表向きには語られぬことである。

 

しかし、「Bordview」「Fishes」というアルバムのエンディングを飾る2曲を聴いた後に、米国のユース・カルチャーを題材においた短編映画を見終えた後のような爽快感をおぼえてもらえると思う。そして、それは皮相の構造的な話法ではなく、音やバンドサウンドで語られるべきものがしっかり語られているがゆえ、こういった好印象なアルバムが生み出されることになった。


多数のロックファンの間で話題になっている今作。しばらく聴かずに過ごせそうもない。少なくとも、2023年度のインディーロックとしては最高に楽しめるアルバムとなっているのではないだろうか。

 

 

86/100 


Blonde Redhead 『Sit Down For Dinner』

 




Label:  Selection 1

Release: 2023/9/29



Review



Blonde Redheadは、日本から米国に移民として渡ったカズ・マキノ、イタリアからの移民、パーチェ兄弟によるプロジェクトである。1995年、セルフ・タイトルを発表時、当初、ロックシーンの批評家ではなく、ニューヨークのアヴァン・ジャズに精通したジャーナリストから絶賛された。

 

最初期のトリオは「ポスト・ソニック・ユース」とも称すべきアヴァン・ロックの象徴的な存在であったが、以後、彼らは作品ごとにその音楽性を絶えず変化させて来た。パーチェ兄弟のイタリアのバロック音楽からの影響から、パンク的なアプローチはもちろん、クラシック音楽のスケールや旋法を取り入れ、独自の音楽観を確立した。


1995年、自主制作盤の発表後、シカゴのTouch & Goと契約を交わし、『In an Expression of the Inexpressive』ではプロト・パンクの影響を絡めた前衛的なロックの集大成を成し、バロック・ポップを推進したメロディアスな印象を擁する『Misery Is A Butterfly』も象徴的なアルバムである。その後、比較的、ダンス・ポップのアプローチを前面に打ち出すようになり、4ADと契約を結んで発表されたNINのトレント・レズナーのプロデュース作『Penny  Sparkle』では、時代に先んじてアヴァン・ポップの新境地を切り開いた。その過程では、フジロック・フェスティバルにも出演したことは記憶に新しい。

  

現代の多くのバンドやソロアーティストと同様、 パンデミックのロックダウンの瞬間は、ブロンド・レッドヘッドにも人生を回顧する機会をもたらした。あるいは、生きるということに関しての述懐を音楽に取り入れることの重要性を思い出させることになった。このアルバムは、トリオにとって重要な分岐点を形成するカタログなのであり、また、28年に及ぶ音楽活動の集大成が刻印されている。本作は、潜在的なファンにアピールするものであるとともに、旧来のファンに何か深く考え込ませ、さらに内面に浸らせる契機を与えてくれるはずだ。


『Sit Down for Dinner』は、ニューヨーク、ニューヨーク北部、ミラノ、トスカーナで5年間かけてじっくりと作曲・録音された。完璧な構成であり、繊細さと明瞭さ、ただならぬ決意が込められたアルバムが制作された。全体を通して、控えめでありながら直感的なメロディーが避けがたい葛藤を描いた歌詞に印象深さをもたらす。2021年の時代の永続的な関係におけるコミュニケーションの断絶、どちらに向かえばいいのか悩むなど、夢を持ち続けることの困難について描かれている。

 

2020年春のこと、カズ・マキノは、アルバム制作の過程で、ジョーン・ディディオンが2005年に発表した悲嘆の回想録『The Year of Magical Thinking』の一節に出会い、食卓で夫の急死を目撃した衝撃的な体験を振り返っている。パンデミック初期に起こった深刻な不安が世界に蔓延するなか、マキノは遠く離れた日本にいる自分の両親のこと、当時、不意に失われた家族と夕食を共にする儀式、私たちの誰もが一瞬にして人生が変わってしまうという重々しく遍在する感覚に思いを馳せざるを得なかった。そういった複雑な思いや、アーティストの人生観にまつわる感覚が渦巻く、従来のブロンド・レッドヘッドのカタログの中で最も意義深いアルバムとなっている。

 

Blonde Redheadは、ベースなしの編成で作品制作に取り組んできた経緯があり、バンドとしては特異なトリオであることは相違ない。ただ、ベースレスのバンドであるからといえ、彼らの音楽が軽薄であったことはなかった。それは、バンドの中期の代表作『Misery Is A Butterfly』でのバロック・ポップの手法を選んでもなお、最初期のノーウェイヴに触発された前衛性やパンク性は、彼らの音楽性の一端を担っていたのだ。パーチェ兄弟の悲哀を織り交ぜたソングライティング、プロト・パンクやダンス・ポップに触発されたマキノのメロディー性が合わさることで、ブロンド・レッドヘッドは唯一無二の存在として名を馳せてきたのだったが、今作においても、それらの音楽性は不変であり、ダブル・ボーカルというアプローチにも変更はない。


アルバムのオープナー「Snowman」を見ると分かる通り、パーカッションの実験性が以前よりも押し出されたというような印象を受ける。その中には、The SlitsGina Birchがソロアーティストとして志向するポスト・パンク性が含まれていることがわかる。また、スカ/ダブや民族音楽からの影響が細やかなリズム性を生み出し、長い活動によって培われた独自のポップネスと融合し、先鋭的なアヴァン・ポップが抽出される。また、近年、ポップネスをその音楽性の主体においてきたバンドにとって、原点回帰のような狙いを見出すことも出来る。

 

今作における実験性、アヴァンギャルド性は最初期の過激さとは比べるべくもない。しかしながら、その反面、ポップスの中にアクセントをもたらし、聴き応えのあるナンバーをいくつか完成させるに至った。現在でも、ブロンド・レッドヘッドはニューヨークの現行のシーンに親近感を持ち、鋭い感性によりリアルなウェイブを掴み、バンドの音楽性の中に上手く取り入れている。

 

例えば、「I Thought You Should Know」でのニューヨークのブルックリンを中心に隆盛をみせるシンセ・ポップのアプローチ、「Before」でのヨーロッパのアヴァン・ポップに対する親和性という形を通じて、現行のウェイブの影響を巧緻に取り入れている。しかし、これらの現代的な手法は、独自のポップセンスや、パーカッシブな音楽的な技法、そして卓越したメロディーセンスにより、バンドしか持ち得ない持ち味が追求され、代名詞となるサウンドとして昇華される。他のアーティストからの影響を断片的に取り入れようとも、オリジナリティー溢れるサウンドになるのは不思議でならない。カズ・マキノ、パーチェ兄弟の持つ深いペーソスが楽曲の構成や旋律、そして、スケール、リズム全般に乗り移り、バンドの象徴的な音楽性が生み出されるのだ。


特に、人生の中での考えさせられるような体験は、「Kiss Her Kiss Her」の中に反映されているという気がする。それらは貴重な何かが失われた時に感じる悲哀をもとに、カズ・マキノなりの愛情という観念を探し求めているように思える。その核心に触れられたかどうかは別としても、この曲に満ちる感情の流れは、水のゆらめきのように、繊細な感覚を作りだす。最初期は、ライオットガールという観念にがんじがらめになっていた印象もあったにせよ、それらは今や労りや慈しみという観念に変化し、感情をやさしく包み込む。この曲を聴くかぎりでは、ことさらジャンルという観念にもこだわっていないという気がするし、普遍的な影響力を持つロックバンドとしての風格も随所に感じられるようになった。

 

これは、今や、アヴァンギャルドや前衛主義という印象を一面的に示唆する必要性がなくなった、つまり、衒学性を表向きに示す必要がなくなったとも解釈できる。それは以前からバンドを知るファンにとってはある種の安心感をもたらし、肩の荷が下りたような感覚を覚えさせる。ただ、普遍的なロックの手法の中にも、トリオらしい実験的な音楽の趣向が見いだせることも事実だろう。特に「melody experiment」では、裏拍を強調したギターラインを、ドリーム・ポップに近いボーカルのメロディーと結びつけている。これらは、Touch & Go所属時代のバンドの夢想的な感覚の復刻であるとともに、「This is Not」に代表されるポップネスの進化系を示したとも解釈出来よう。ダンス・ポップという切り口は、この曲でも健在だが、終盤にかけて、ライブ・セッションでしか発生しえないアグレッシヴな瞬間も見出せる。


この28年間において、バンドは連曲という形式を通して、アヴァンギャルドの精髄を探求してきた経緯があるが、旧来の形式を捨て去ったというわけではない。ブロンド・レッドヘッドの独自の美学は「Sit down for Dinner 1/2」に見出せる。しかし、その手法は以前とは若干異なる。前者ではフレンチ・ポップの踏襲という形で、後者においては、ニューヨークのプロト・パンクを形成するSuicide、Silver Apples、DNAを始めとするノーウェイヴの復刻という形で現れる。そう、たとえ制作やレコーディングの拠点が、ニューヨーク、ミラノ、トスカーナ、複数の国家に跨ったとしても、やはりブロンド・レッドヘッドはブロンド・レッドヘッド。ニューヨークの象徴的なロックバンドであり、同地のカルチャーの重要な継承者であることに変わりはないのだ。



84/100

 

 


 

コクトー・ツインズのボーカルの名前を冠した小惑星”フレイザー”が誕生した。4ADレコードは今日、このニュースを歓喜とともに伝え、こう記しています。「昨日、10年にわたる研究の末、国際天文学連合は、小惑星2013 TF19をエリザベス・フレイザーにちなんで "フレイザー”と命名した」


レーベルは、この恒星間の岩の塊が「人類に脅威を与えるものではなく、何百万年も地球と衝突することはない」と断言しています。高性能の望遠鏡でなければ観測できないという。NASAのウェブサイトでこの小惑星の詳細について確認できます。


フレイザー小惑星は2013年8月31日、ティンカナでM.クシアク、M.ジェウォノフスキーによって発見されたという。

 

 


東京のオルタナティヴロックトリオ、PSP Socialの新作EP『Communication Breakdown vol.』を本日ドロップする。

 

PSP Socialは、スロウコア、オルタナティヴ・ロック、ポスト・ロックをシームレスにクロスオーバーし、日本語歌詞をもとにして、トリオ編成らしい緻密な世界観を生み出すことで知られる。ボーカルの叙情性、ギター・サウンドの硬質な音作りに関しては、Bloodthirsty Butchersを彷彿とさせる。ピンク・フロイドの名作『おせっかい』にヒントを得たという前作アルバム『宇宙から来た人』のリリースからわずか3か月足らずでリリースされる本作にも注目だ。

 

この新作EPには「Interstellar Burst」や「サラバ 未来世紀」に収録されていた「撃滅 サンダーボルト」の再録版を含む全5曲が収録される。PSP Socialの音楽観が確立されたミニアルバム。新作EPの先行シングル「Interstellar Burst」のMVが公開されている。監督は映画作品等で知られる白岩義行が担当した。下記よりチェックしてみよう。

 

なお、10月末に開催される「エスパー教室 vol.3」では、次作の表題曲「Communication Breakdown vol.2」が演奏される予定。バンドは現在、新宿 Nine Spiceを中心に東京で精力的に活動を行っている。

 

 

「International Burst」

 

 

 

『Communication Breakdown vol.1』  PSP Social

 


 


2023年 9月30日リリース
レーベル:エスパーキック
アルバム:900円

 

Tracklist:

 
1.Interstellar Burst
2.Communication Breakdown vol.1
3.FUALA GLIFON
4.My Iron Life
5.Gekimetsu Thunderbolt!

 

配信リンク:

https://big-up.style/Uugon7S1pz