Vijay Iyer



このレコーディング・セッションは、昨年(2023年)に起きた残酷な事件に対する私たちの悲しみと憤り、そして人間の可能性に対する信頼によって行われた。 - Vijay Iyer(ヴィジャイ・アイヤー)

 

2016年の『A Cosmic Rhythm With Each Stroke』に続く、ヴィジャイ・アイヤーとワダダ・レオ・スミスのECMへの2作目のデュオ形式のレコードとなる『Defiant Life』は、人間の条件についての深い瞑想であり、それが伴う苦難と回復の行為の両方を反映している。しかし同時に、このデュオのユニークな芸術的関係と、それが生み出す音楽表現の無限の形を証明するものでもある。ヴィジャイとワダダが音楽で出会うとき、彼らは同時に複数のレベルでつながるからだ。

 

「出会った瞬間から演奏する瞬間まで、私たちが一緒に過ごす時間は、世界の状況について話したり、解放の歴史を学んだり、読書や歴史的文献を共有したりすることに費やされることが多かった」


アイヤーは、ライナーノートの中で、彼とスミスとのそのような会話を長々と書き起こし、このアルバムにインスピレーションを与えた個々のテーマと、特に「反抗的」という言葉について、より詳しく明らかにしている。

 

ワダダの「Floating River Requiem」は1961年に暗殺されたコンゴの首相パトリス・ルムンバに、ヴィジャイの「Kite」は2023年にガザで殺害されたパレスチナの作家・詩人レファート・アラレアに捧げられたものだ。このような思考と考察の枠組みの中で、この作品は生まれた。


Wadada Leo Smith


ヴィジャイとワダダはともにECMと幅広い歴史を共有しており、ワダダは1979年のリーダー作『Divine Love』で早くからこのレーベルに参加している。


さらにワダダは、ビル・フリゼルと共演したアンドリュー・シリルの『Lebroba』(2016年)や、1993年のソロ・アルバム『Kulture Jazz』にも参加している。スミスは過去のヒーローへのオマージュを捧げながらも、レトロな模倣に翻弄されることはない。(『ザ・ワイヤー』1993年)

 

ヴィジャイのECMでの活動は急速に拡大しており、リンダ・メイ・ハン・オー、タイショーン・ソーリーとの現在のトリオ(2021年『Uneasy』、2024年『Compassion』)、ステファン・クランプ、マーカス・ギルモアとの以前のトリオ(2015年『Break Stuff』)、そして好評を博したセクステット・プロジェクト『Far From Over』(2017年)などがある。

 

ピアニストは、2014年に弦楽四重奏、ピアノ、エレクトロニクスのための音楽で高い評価を得た録音『Mutations』をリリースし、ロスコー・ミッチェルの2010年のアルバム『Far Side』、すなわちクレイグ・タブーンとのデュオで『Transitory Poems』(2019年)に参加している。そのほかにも2014年にDVDとブルーレイでリリースされた、ヴィジャイと映像作家プラシャント・バルガヴァの鮮やかなマルチメディア・コラボレーション『Rites of Holi』も忘れてはならない。 


「私たちは、それぞれの言語と素材を使って仕事をしている」とヴィジェイは広範なライナーノートに記しています。共同制作の必然性というのは、楽曲ごとに異なる形で体現される。「Sumud」では不吉なことを言い、「Floating River Requiem」では祝祭的なオーラを放ち、「Elegy」では疑念を抱きながらも明るい兆しが見える。そして終結の「行列」では破滅的に美しい。


ワダダ・レオ・スミスは、ヴィジャイとの親密さと、音楽を単純に 「出現 」させるという2人の共通の能力について尋ねられ、「ユニークなことのひとつは、自分たちが何かを修正すること(つまり、音楽を完全に事前に決定すること)を許さないこと。私はそういうふうに思う」と述べる。


ワシントン・ポスト紙は、このデュオの前作について、「スミスとアイヤーの演奏が見事に交錯している。 二人はテンポ、サステイン、音符やフレーズの思慮深い選択の感覚を共有している。 アイヤーとワダダが共有するディテールへの愛情と、慎重なセンテンスとやりとりを構築する忍耐は、展開される各構成を独自の音圏に変え、ヴィジャイの "Kite"では、フェンダー・ローズとトランペットの深い叙情性となだめるような相互作用に現れている」と評しています。


『Difiant Life(ディファイアント・ライフ)』の包括的な人生についての瞑想であるとするならば、実際に表現されているのはそのセンス・オブ・ワンダーである。スイス・ ルガーノで録音されたこのアルバムは、レーベルのオーナー、マンフレート・アイヒャーがプロデュースした。



Vijay Iyer / Wadada Leo Smith 『Difiant Life』- ECM


 

これが最後かもしれない。私たち(パレスチナ市民)は、それ(爆撃にさらされて無差別に殺されるようなこと)に値しません。

 

私は、アカデミックです。恐らく、私が家の中で持っている中で、一番強いものは、このマーカーです。

 

でも、もしイスラエル兵が家々をめぐって私たちを襲撃し虐殺することがあれば、私はイスラエル兵の顔をめがけて、このマーカーを投げつけるでしょう。

 

たとえそれが(人生の)最後に私ができることであろうとも。これが(ガザで無差別爆撃にさらされている)多くの人々の感じていることです。私たちに、失うものなんてありません。

 

パレスチナの作家・詩人リファアト・アルアリイールによる最後の声明



ニューヨークの鍵盤奏者、ヴィジャイ・アイヤー、ミシシッピのトランペット奏者のワダダ・レオ・スミスの共同制作によるアルバム『Difiant Life』は二人の音楽家が持ち寄った主題を重ね合わせ、アヴァンギャルドジャズの傑作を作り上げた。


ご存知の通り、現在のパレスチナとイスラエルの紛争は黙字録の象徴となっている。歴史はそれを「イスラエルとパレスチナによる衝突」と詳述するかもしれないが、これはイスラエル側による国際法の違反であるとともにパレスチナに対する民族浄化であるということを明言しておきたい。そして、もうひとつの東欧の火種、ウクライナとロシアの戦争についても同様であり、この二つの代理戦争は、離れた地域の国家、もしくはある種の権力を操る勢力が企図する''身代わりの戦争''である。これはある地域を欲得のため力づくで平定しようとする勢力の企みなのです。

 

パレスチナの作家リファアト・アルアリイールさんは、2023年のガザで空爆が続く中で死去した。彼の痛切な死から人類が学ぶべきことは何なのか? その答えは今のところ簡単には出せませんが、少なくとも、アルアリイールさんは物語を作りつづけることの重要性を訴えかけていた。


それはなぜかというと、彼等は真実を伝えようとするが、いつも歴史は虚偽や嘘によって塗り固められていくからである。多くの歴史書、それは聖書のような書物であろうとも、体制側の都合の良いように書き換えられ改ざんされていく。これを未然に防ぐために、真実の物語を伝え続けることが大切なのだということを、リファアト・アルアリイールさんは仰っていたのです。

 

多くの人々は、フィクションや虚構を好む。ややもすると、それは現実から離れていればいるほど、一般的に支持されるし、なおかつ好まれやすいものです。それは現実を忘れられるし、そして現実をどこかに葬り去れるからである。しかし、扇動的な音楽、主題が欠落した音楽、真実から目を逸らさせるもの、これらは虚しさという退廃的な経路に繋がっていることに注意を払わなければいけません。そしてもし、音楽というメディアが、アイヤーさんのように、現実の物語を伝えることの後ろ盾になるのであれば、あるいはまた、もうひとりの演奏家レオ・スミスさんのように、コンゴのような一般的に知られていない国家の動向や現状を伝えるためのナラティヴな働きを成すとあらば、それほどまでに有益なことはこの世に存在しえないのです。

 

この両者のジャズによる真実の物語は、ピアノ、ローズ・ピアノ、そしてトランペット、アナログのシンセサイザー、そしてパーカッションによって繰り広げられる。つまり、音楽や演奏に拠る両者の対話によって繰り広げられる。作風としては、ファラオ・サンダースとフローティング・ポイントの変奏曲により作り上げられた『Promises』に近いが、ジャズとしての完成度はこちらの方がはるかに高い。複数の主題が的確な音楽的な表現によって描写され、息をつかせぬような緻密な構図に集約されているからである。

 

そして、モーツアルトの「幻想曲」、リストの「巡礼の年」、ドビュッシーの「イメージズ」、レスピーギの「ローマの松」、チャイコフスキーの「1812年」、リゲティの「アトモスフェール」など、古くから音楽という形態の重要な一部分を担う”描写音楽”というのが存在してきたが、『Difiant Life』は前衛的なジャズの形式による描写音楽とも言えるのではないでしょうか。


しかし、最大の問題や課題は、概念や感覚という目に映らない何かを形あるものとして顕現させることが困難を極めるということである。それは言い換えれば、伝えがたいものを伝えるという意味でもある。そういった本来は言語圏には属さない作品を制作するためには、音楽的な知識の豊富さ、実際的な高い演奏技術、それらを音符にまとめ上げるための高度な知性、さらには文化的な背景に培われた独自のセンス、これらのいかなる要素も欠かすことができません。


しかし、幸いにも、ヴィジャイ・アイヤー、ワダダ・レオ・スミスという、二人の稀有な音楽家(両者は実際的な演奏家だけではなく、作曲家としての性質を兼ね備えている)はその資質を持っている。つまり、音楽的に豊富な作品を作り上げるための素養を両者とも備えています。アルバムを聞くと、「ローマは一日にしてならず」という有名な言葉をありありと思い出させる。良質で素晴らしい音楽の背後には、気の遠くなるような長い時間が流れているのです。

 

2つのジャズ・プレイヤーの性質はどうか。ヴィジャイ・アイヤーは、古典的なものから現代的なものに至るまで、幅広いジャズのパッセージを華麗に演奏する音楽家であるが、同時に、オリヴィエ・メシアン、武満徹、細川俊夫といった現代音楽の演奏にも近いニュアンスを纏う。彼の演奏は気品があり、神経を落ち着かせるような力、パット・メセニーのグループで活動したライル・メイズのような瞑想性を併せ持つ。そして、このアルバムにおいて、アイヤーはアコースティックピアノとエレクトリック・ピアノを代わる代わる演奏し、曲のニュアンスをそのつど変化させる。そして、このアルバムに関して、アイヤーは指揮振りのような役割を担い、音楽の総合的なディレクションを司っているように感じられる。一方、ワダダ・レオ・スミスも素晴らしいトランペット奏者です。マイルス・デイヴィス、ジョン・ハッセル、エンリコ・ラヴァなど、”ポスト・マイルス”の系譜に属している。レオ・スミスのトランペットの演奏はまるで言葉を語るかのような趣があり、同時に実際的な言葉よりも深遠な力を持つ。特に注目したいのは、マイルス・デイヴィスが用いた象徴的な特殊奏法、「ハーマン・ミュート」も登場する。そして前衛的なブレスの演奏を用い、アトモスフェリックな性質を付与するのです。

 

 

 

『Survival(サヴァイヴァル)』と銘打たれたプレリュード(序章)で始まる。すでにガザの戦争の描写的なモチーフがイントロから明確に登場する。ジョン・ハッセルの系譜にあるトランペットの演奏が低音部を担うアイヤーのピアノの演奏と同時に登場する。モーツアルトの『幻想曲』のように不吉なモチーフが敷き詰められ、バリトンの音域にあるピアノの通奏低音、それと対比的なガザの人々の悲鳴のモチーフとなるレオ・スミスの前衛的なトランペットの奏法が登場します。まるでこの中東の戦争の発端となった当初の”病院の爆撃”を象徴付けるかのように、ピアノが爆撃の音の代わりのドローンの通奏低音、その向こうに取り巻く空爆の煙霧や人々の悲鳴の役割をトランペットが担う。その後のレオ・スミスの演奏は圧巻であり、さながら旧約の黙字録のラッパのように、複雑な音階やトリル、微細なニュアンスの変化、さらにはサステインを駆使して、それらの音楽の物語の端緒を徐々に繋げていこうとする。この曲では、シンプルに戦争の悲惨さが伝えられ、これは断じてフィクションではないということが分かる。

 

このアルバムの根幹を担うガザの主題のあとには、神秘的な印象を持つ現代音楽「Sumud」が続いています。この曲のイントロでは、レオ・スミスのトランペットの演奏がフィーチャーされている。シュトックハウゼンのトーン・クラスターの手法を用いたシンセサイザーの電子音楽が不吉に鳴り渡り、そしてそれに続いてスミスのトランペットの演奏が入る。アイヤーのシンセサイザーの演奏は、ドローン音楽の系譜にあり、この曲のアンビエント的なディレクションを象徴づけている。一方、レオ・スミスのトランペットの演奏はマイルス・デイヴィスの系譜にあり、カップ・ミュート、もしくはハーマン・ミュートを用いた前衛的な奏法が登場する。


これらは落ち着いた瞑想的な音色、そして、つんざくような高い音域を行来しながら、瞑想的な音色を紡ぎ出す。トランペットの演奏でありながら、テナー・サックスのような高い音域とテンションを持った素晴らしい演奏が楽しめるでしょう。そして、それらの演奏の合間に、ローズ・ピアノ、そして早いアルペジオのパッセージのピアノが登場し、音楽の世界がもう一つの未知なる領域へと繋がっている。


さらに、レオ・スミスはヨシ・ワダのようなバグパイプのドローンのような音色、そしてトランペットの原初的な演奏を披露している。それらの演奏が途絶えると、エレクトリック・ピアノが入れ替わりに登場する。曲の背景となるドローンの通奏低音の中で、瞑想的な音楽を拡張させていく。しかし、不吉な音楽は昂ずることなく、深妙な面持ちを持ちつつ進んでいく。アイヤーのシンセの演奏がライル・メイズのような瞑想的な音の連なりを作り上げていくのである。そして12分にも及ぶ大作であるが、ほとんど飽きさせるところがないのが本当に素晴らしい。

 

 

こうした音楽の中で都会的なジャズの趣を持つ曲が「Floating River Requiem」である。この曲は、変拍子を駆使した前衛的な音楽。アルバムの中では、ピアノとトランペットによる二重奏の形式が顕著で、聴きやすさがあります。この曲では、アコースティック・ピアノが用いられ、Jon Balkeの系譜にある実験音楽とモダンジャズの中間にある演奏法が取り入れられています。アイヤーはこの曲でオクターブやスタッカートを多用し、洗練された響きをもたらしている。対するレオ・スミスも、前衛的な演奏という側面においてアイヤーに引けを取らない。長いサステインを用いた息の長いトランペット、それを伴奏として支えるピアノという形式が用いられる。

 

この曲は表面的に見ると、前衛的に聞こえるかもしれませんが、コールアンドレスポンスの形式、そして、マイルス・デイヴィスとビル・エヴァンスによる名曲「Flamenco Sketches」のように、モーダルの形式を受け継ぐ、古典的なジャズの作曲法が取り入れられています。結局のところ、マイルス・デイヴィスは、ストラヴィンスキーのリズム的な革新性というのに触発され、そしてビーバップ、ハード・バップの先にある「モード奏法」という形式を思いついた。それはまた、ジャズのすべてがクラシックから始まったことへの原点回帰のようでもあり、バロック音楽以降のロマン派の時代に忘れ去られていた教会旋法やパレストリーナ旋法のような、横の音階(スケール/旋法という)の連なりを強調することを意味していた。これらを、JSバッハによる対旋律の音楽形式を用い、復刻したのがマイルス・デイヴィスであったわけです。「Floating River Requiem」はそういったジャズとクラシックの同根のルーツに回帰しています。

 

この曲の場合は、同音反復を徹底して強調するミニマリズムの要素とモーダルな動きをもたらすトランペットという音楽的な技法を交えた「ポスト・モード」の萌芽を捉えられる。それらは、結果的に、グスタフ・マーラーのように音楽を複雑化して増やすのでなく、簡素化して減らしていくというストラヴィンスキー、モーツァルトが目指していた音楽的なディレクションと重なる。 音楽の要素をどれほど増やしても、聴衆はそれを支持するとは限らない。それはいついかなる時代も、聴衆は美しく心を酔わせる音楽を聞くことを切望しているからである。そして、その期待に添うように、同音反復を続けた後、麗しいピアノのパッセージが最後に登場します。このアルバムの中の最もうっとりするような瞬間がこの曲のラストには含まれています。

 

 

「Elegy」とは哀歌を意味しますが、この曲は追悼曲のような意味合いが色濃い。しかし、哀切な響きがありながらも、必ずしもそれは悲嘆ばかりを意味していません。レオ・スミスによる神妙なトランペットのソロ演奏は、ドローン奏法を駆使したシンフォニックなシンセサイザーの弦楽器のテクスチャーと溶け合い、国家的な壮大さを持つアンセミックな曲に昇華されている。そして、その合間に現れる瓦礫や吹き抜けていく風のような描写的な音の向こうからアラビア風の趣を持つアイヤーのピアノの演奏が蜃気楼のごとくぼんやりと立ち上る。そして「哀歌」というモチーフを的確に表しながら、神妙なジャズの領域を押し広げていく。その中には同音反復を用いた繊細なフレーズも登場し、悪夢的な中東の戦火の中で生き抜こうとする人々の生命の神秘的なきらめきが立ち現れる。そして、その呼吸と同調するように、微細なスタッカートの特殊奏法を用いたトランペットの前衛的な演奏が呼応するかのごとく続いている。最終的に、それを引き継ぐような形で、主旋律とアルペジオを織り交ぜたアイヤーの淡麗なジャズ・ピアノが無限に続いてゆく。これらの哀歌の先にあるもの……、それは永遠の生命や魂の不滅である。これらの音楽は傑出したドキュメンタリーや映画と同じようなリアルな感覚を持って耳に迫ってくる。一度聴いただけでは探求しがたい音楽の最深部へのミステリアスな旅。

 

戦争、死、動乱という重厚なテーマを扱った作品は一般的に重苦しくなりがちですが、「Kite」はそういった気風の中に優しさという癒やしにも似た効果を付与する。 アイヤーによるエレクトリック・ピアノを用いた演奏は子守唄やオルゴールのように響く。他方、スミスのトランペットは、マイルス・デイヴィスやエンリコ・ラヴァの系譜にある旋律的に華麗な響きをもたらす。


この曲では、レオ・スミスのソリストとしての演奏の素晴らしさが際立っている。そして、今は亡きリファアト・アルアリイールが伝えようとした物語の重要性というのを、トランペットにより代弁しているように思える。それらはジャズの最も魅惑的な部分を表し、フュージョン・ジャズ、スピリチュアル・ジャズのような瞑想的な感覚を蘇らせる。この曲ではジャズの慈愛的な音楽性がチック・コリアの系譜にあるローズ・ピアノ、そして慎ましさと厳粛さ、美しさを兼ね備えた蠱惑的な響きを持つトランペットにより、モダン・ジャズの最高峰が形作られる。ムード、甘美さ、音に酔わせる力など、どれをとっても一級品です。ここで両者が伝えようとしたことは明言出来ません。しかし、ガザの作家の死を子守唄のような慈しみで包もうという美しい心意気が感じられる。それが音楽に優しげな響きがあるように思える要因でもある。

 

 

『Difiant Life』の終曲を飾る「Procession」では再びアルバムの冒頭曲「Prelude」のように緊張感を持つ前衛的なトランペットで始まります。そしてパーカッションのアンビエント的な音響性を活かして、ニュージャズの未来が示されています。それはまたマイルス・デイヴィス、ジョン・ハッセルのアンビエント・ジャズの系譜を受け継ぐものです。そして、この音楽には、素晴らしいことに、遠くに離れた人生を伝えるというメディアとしての伝達力が備わっている。また、まったく関連がないように思えるかもしれませんが、遠くに離れた人の考えを糧にすることや、それらの生活文化の一端を垣間見ること、そこらか何かを学びとること、それはすなわち、現在の私たちの卑近な世界を検分することと同意義なのではないかということに気がつく。

 

『Difiant Life』は、全体的に見ると、はじめと終わりが繋がった円環構造のように考えることも出来ますが、むしろ生命の神秘的な側面である''生々流転''のような意味が含まれているのではないかというように推測出来ます。生々流転というのは、様々な生命や意識がいつの時代も流動的に動きながら、無限の空間をうごめき、社会という共同体を形成していることを意味している。


アルバムの音楽の片々に見出だせるのは、レフ・トルストイが『人生論』で明らかにしたように、人間の肉体ではなく、魂にこそ生命の本質があるという考えです。無論、本稿では神秘主義やスピリチュアリズムを推奨するものではないと付言しておきたいですが、人間の本質が魂(スピリット)にあるとする考えは、ギリシア思想の時代から受け継がれる普遍的な概念でもある。現代文明に生きる人々は、デジタルの分野やAIなど技術的な側面においては、中世の人々よりも遥かに先に進んでいる。もちろん、工業や宇宙事業などについてもまったく同様でしょう。

 

しかし、進化の中で退化した側面もある。本作の音楽を聴いていますと、多くの人々は文明という概念と引き換えに何かを見失ってきたのではないだろうかと考えさせられます。現代主義ーー合理性や利便性ーーという目に見える価値観と引き換えにし、人類は別の利点を血眼になって追いかけるようになった。それは断じて進化などというべきではなく、退廃以外の何物でもなかった。その結果として表側に現れたのが現代の代理戦争や民族浄化であるとすれば、納得のいくことであるように思えます。また、ガザの作家リファアト・アルアリイールさんは「人の死は数ではない」とおっしゃっていました。人間や生物の命を軽視し、別の何かに挿げ替えようとする。それは考えられるかぎりおいて最も恥ずべき行為であると言わざるをえません。本作はまさしく、そういった現代社会の風潮に対する''反抗''を意味する。それはまた、パレスチナの作家の遺志や彼が伝えようとしたことを後世に受け継ぐ内容でもある。「Difiant Life」は、10年後、20年後も、ECMの象徴的な作品となりえるかもしれない。いや、ぜひそうなってほしい。アルバムのライヒを思わせるアートワークのモチーフを見れば瞭然と言えるでしょう。

 

 

 

100/100

 

 





Vijyar Iver/ Wadada Leo Smith『Difiant Life』ECMより本日発売。


愛される作曲家でありエチオピアの修道女でもあるエマホイ・ツェゲゲ・マリアム・ゲーブル(Emahoy Tsege  Mariam Gebru)によるピアノ、オルガン、ハルモニウムを通じて奏でられるスピリチュアル・ミュージック。


今作は彼女が1972年に自主制作したアルバムに未発表のピアノ録音2曲を収録した「エチオピア教会音楽」へのアプロー チを探求した作品。


「Ave Maria」は彼女が録音した作品の中でも特に印象的な一曲であり、澄んだピアノの音色が古い石造りの壁に反響しています。


「Spring Ode - Meskerem」では彼女の親しみ深い旋律がハルモニウムを通じて新たな響きを表現。その他に彼女のヨーロッパ古典音楽の訓練と長年にわたるエチオピア宗教音楽の研究が融合した、壮大なオルガン演奏2曲も収録。


なかでも「Essay on Mahlet」では、エチオピア正教の典礼における自由詩の精神を一音一音ピアノで 表現し、独自の感性との融合が最も際立った楽曲。


どちらも1963年に自主制作したアルバム『Der Sang Des Meeres』 からの作品。ジャケットには、メタリックシルバーの箔押しが施され、学者でピアニストのトーマス・フェンによるライナーノーツを掲載した12ページのブックレットを収録。彼女の102年目の誕生日に合わせてリリースされます。 




Emahoy Tsege  Mariam Gebru  『Church of Kidane Mehret』



アーティスト : Emahoy Tsege Mariam Gebru (エマフォイ・ツェゲ・マリアム・ゲブル)

タイトル : Church of Kidane Mehret (チャーチ・オブ・キダネ・メレット)

レーベル : Mississippi Records

発売日 : 2025年5月23日


<国内流通盤CD>

品番 : AMIP-0377

価格 : 2,750円(税込)/2,500円(税抜)

バーコード : 4532813343778


<国内流通盤LP>

品番 : AMIP-0378LP

価格 : 5,940円(税込)/5,400円(税抜)

バーコード : 4532813343785

*限定Clear Vinyl



【Emahoy Tsege Mariam Gebru】


エチオピアの修道女であり作曲家/ピアニスト。エチオピアのアディスアベバの裕福な家庭に生まれる。


6歳のとき、姉とともにスイスの寄宿学校に入学し、そこでヴァイオリンを学んだ。帰国後は戦 争や国の情勢に振り回され音楽活動は出来なくなり、19歳の時エチオピア・ウォロ州のギッシェン・ マリアム修道院に逃げ込み21歳で修道女となる。


1960年代には、かつてエチオピア王国の首都が あったゴンダール県に住みそこでエチオピア正教会の聖楽を創始したとされる6世紀の聖ヤレドの 宗教音楽を学ぶ。その頃から母国の孤児院に資金を供給する為に楽曲制作を始める。


1984年、母の死後に彼女は共産主義のデルク政権を逃れエルサレムのエチオピア修道院に移り住む。彼女のレコードの収益は孤児院を支援するために使われています。2023年3月に惜しまれつつこの世を去りました。

 


「Bank On」は、David Longstreth(デイヴィッド・ロングストレス)、Dirty Projectors(ダーティー・プロジェクターズ)、s t a r g a z eによるコ『Song of The Earth(ソング・オブ・ジ・アース)』の3rdシングルである。この曲には(皮肉な)メッセージが込められている。 視聴はこちら


6分半にわたって、ロングストレスは丁寧なインディーロックとして聴き取れるような音楽を作るという見栄を捨て、その結果、力作が生まれた。

 

ダーティ・プロジェクターズのフェリシア・ダグラスのゴージャスなソロ、ハープシコードを使った『Songs In The Key of Life』(スティーヴィー・ワンダーによる1976年の傑作)のようなロングストレスのヴァース、ダーティ・プロジェクターズの特徴である女性ハーモニーのコーラス、グスタフ・マーラーのようなブラスのファンファーレ。 

 

”Bank On"は、地球の大規模な破壊を前に、資本主義と製造された自己満足との間の歪んだ関係に立ち向かっている。


デヴィッド・ロングストレスのコメント:

 

この曲のタイトルは、『Fast Times At Ridgemont High』のショーン・ペン演じるスピッコリの声で想像できる。 このタイトルは、歌詞の中のフレーズ、"bank on apocalypse(黙示録の銀行)"の略だ。


ショック・ドクトリン的な発想である。 コーラスは、未来からの逆反転の祈りの呼びかけであり、地球の管理に失敗したことへの恐怖と後悔を呼び起こす。 「Bank On」の中心的なイメージは、侵食されつつある砂の上に建てられた、大きな花崗岩のブロック、ドーリア式の柱のような、永続的な組織の象徴である。

 




 Photo: Marcus Maddox

デイヴィッド・ロングストレスのオーケストラと声楽のための歌曲集『Song Of The Earth(ソング・オブ・ジ・アース)』は2025年4月4日にリリースされる。 


ロングストレスと彼のバンド、ダーティ・プロジェクターズ(フェリシア・ダグラス、マイア・フリードマン、オルガ・ベル)、そして、ベルリンを拠点に活動する室内管弦楽団”s t a r g a z e”(アンドレ・ド・ライダー指揮)が共演するこのアルバムには、フィル・エルヴァーラム(マウント・イーリー)、スティーヴ・レイシー、パトリック・シロイシ、アナスタシア・クープ、ティム・ベルナルデス、アヨニ、ポートレイト・オブ・トレイシーが参加し、ジャーナリストのデイヴィッド・ウォレス=ウェルズが言葉を寄せている。

 

ダーティ・プロジェクターズの『Lives Above』が、そのベースとなったブラック・フラッグの『Dameged(ダメージド)』とは似ても似つかないように、『Song Of The Earth(ソング・オブ・ジ・アース)』もその名の由来とは似ても似つかない。グスタフ・マーラーの1908年の歌曲『大地の歌(Das Lied Von Der Erde)』とは似ても似つかない。 しかし、ロングストレスは "マーラーの作品のテーマ、感情、そして矛盾を解消する精神が飽和状態にある "と指摘している。

 

ロングストレスは、s t a r g a z eの依頼で『大地の歌』の初稿を6週間かけて "躁状態 "で書き上げた。

 

パンデミックの混乱、新しい父親としての "ラディカル・サイケデリア"、大編成のアンサンブルのための作曲という斬新さなど、自分が置かれた状況に混乱しながらも、活力を感じていた。 その後3年間、オランダ、ロサンゼルス、ニューヨークのスタジオや自宅で、改訂、書き直し、編曲、レコーディングを行った。

 

『ソング・オブ・ジ・アース』は、ロングストレスがコンサート音楽の分野に進出した最大の作品である。 

 

この曲は、2024年3月にロサンゼルスのディズニー・ホールでLAフィルハーモニー管弦楽団と共演し、完売のうちにアメリカ初演された。 また、2022年から2024年にかけて、ロンドンのバービカン、ハンブルクのエルプフィルハーモニー、アムステルダムのムジークヘボウでもワークインプログレス公演が行われた。

 

ロングストレスは、「この音楽の必要性は、Tが娘を妊娠していた2020年秋の数日間に生まれた。 今年もそうだったが、カリフォルニアの大火は異常だった。 私たちはジュノー行きの空の便に乗った。 パンデミックの真っ最中で、誰も飛行機に乗っていなかった。 炭素を多く燃やすことで火災から逃れるという皮肉だ」。 アラスカの美しさと涼しさ。 サケの遡上後の腐った死骸に囲まれた沿岸の沼地の頁岩石の堤防に、泥だらけの白頭ワシが座っていた」と述べている。

 

ロングストレスは、『ソング・オブ・ジ・アース』は "気候変動オペラ "ではないが、"悲しみを超えた何かを見つけたかった "と言う。「希望、皮肉、ユーモア、怒りが散りばめられた認識」である。中東にせよ、東欧にせよ、現在の一筋縄ではいかない世界情勢を如実に反映するような音楽である。

 


 

 

 

 

David Longstreth/ Dirty Projectors/ stargaze 『Song of the Earth』


Label: Transgressive/ Nonsuch

Release: 2025年4月4日

 

Tracklist

 

1. Summer Light

2. Gimme Bread

3. At Home

4. Circled in Purple

5. Our Green Garden

6. Walk the Edge (with Anastasia Coope)

7. Opposable Thumb

8. More Mania

9. Spiderweb at Water’s Edge (with Patrick Shiroishi)

10. Mallet Hocket

11. So Blue the Lake

12. Dancing on our Eyelids

13. Same River Twice

14. Armfuls of Flowers (feat. Steve Lacy)

15. Twin Aspens (feat. Mount Eerie & Patrick Shiroishi)

16. Uninhabitable Earth, Paragraph One

17. Kyrie/About My Day

18. Shifting Shalestones

19. Appetite (with Tim Bernardes)

20. Bank On (with Portraits Of Tracy)

21. Paper Birches, Whole Scroll

22. Raven Ascends (with Patrick Shiroishi)

23. Blue of Dreaming (with Ayoni)

24. Raised Brow



デヴィッド・ロングストレスはグラミー賞にノミネートされたシンガー、ソングライター、プロデューサー。 ダーティ・プロジェクターズというバンドを立ち上げ、ソランジュ、ビョーク、リアーナなどとのコラボレーションで知られる。 ここ2年間は映画音楽を担当。インディペンデント長編映画『Love Me』(2025年)とA24の『The Legend of Ochi』(2025年2月28日全国劇場公開予定)。

 

レッドホットのコンピレーション『TRANSA』(2024年11月リリース)では、カーラ・ジャクソン、アイハ・シモンと「My Name」を共作・プロデュースしたほか、ケイト・ボリンジャー、ブレイク・ミルズ、ヴァンス・ジョイとの曲も手がけている。 

 

彼は、TBA-d/loシリーズの進行中の音源を携えて、選択的に全米ツアーを行っている。 ダーティ・プロジェクターズの最新作は、バンドのメンバーを紹介する連動EPシリーズ『5 EPs』(2020年)。 ダーティ・プロジェクターズは、フェリシア・ダグラス、マイア・フリードマン、オルガ・ベル、デヴィッド・ロングストレスの4人。

 

s t a r g a z eは、現代音楽家によるヨーロッパのオーケストラ集団で、現代的な作曲とオルタナティブな姿勢やサウンドを融合させ、著名なアーティストや場所との無数のコラボレーションを行いながら、クラシック音楽とポピュラー音楽の間にある冗長な溝を絶えず埋めながら、進化し続けるプロジェクトである。s t a r g a z eは、テリー・ライリー、ジョン・ケイル、ジュリア・ホルター、リー・ラナルド、ケイトリン・オーレリア・スミス等と過去に共演している。

 

アンドレ・デ・ライダーは、バロックから現代音楽まで、その多才なスタイルにより、多くの需要がある指揮者である。 2013年にs t a r g a z eを設立し、マックス・リヒター、ブライス・デスナー、ジョニー・グリーンウッドなどの作品を録音している。 デ・リダーは、アルバム『Africa Express Presents』に収録されたテリー・ライリーの『In C』のレコーディングを主導した。マリのミュージシャン、デーモン・アルバーン、ブライアン・イーノと共演している。


 


今週初め、クレイグスリスト(米国のコミュニティサイト)を通じて新曲「Immigrant Songs」を初公開したディアフーフは、20枚目のアルバム『Noble and Godlike in Ruin』(4月25日、ジョイフルノイズより発売)を正式に発表した。 このプラットフォームを選んだのはナチズムではない場所ということらしい。


ディアフーフは、地球を闊歩する偉大なロック・グループとしての地位を確立して久しいが、もし、それを大げさだと思うなら、ディアフーフを聴くのに十分な時間を費やしていないことになるだろう。 そのどれもが、ハードロックのリフとフリージャズのパーカッシブなフリークアウト、ポップなフックと恐るべき不協和音、鋭い社会批判とシュールなユーモアなど、これまで知られていなかった組み合わせを発見するという、自分自身へのチャレンジでもあるのだ。

 

それでいて、なぜか信頼できる。奇妙な形容だが、このバンドは創造的に落ち着きがない。 自分たちの好奇心と野心にどこまで従おうとも、自分たちのアイデンティティの本質的な部分から外れることはない。 ディアフーフの新しいアルバムがどのようなサウンドになるかはわからないが、常にディアフーフらしいサウンドであることだけは明確だ。


20作目のアルバム『Noble and Godlike in Ruin』が再確認しているように、彼らはそのような逆説によって定義されている。 彼らの最新アルバムは、怪物的な憎悪、非人間化、ドル箱に堕ちていく世界の肖像画、もしくはバンド自体がモンスターであるという胸に迫る自画像である。

 

 

Deerhoof 『Noble and Godlike in Ruin』

 

Label: Joyfulnoise Records

Release: 2025年4月25日

 

Tracklist;

 

1. Overrated Species Anyhow
2. Sparrow Sparrow
3. Kingtoe
4. Return of the Return of the Fire Trick Star
5. A Body of Mirrors
6. Ha, Ha Ha Ha, Haaa
7. Disobedience
8. Who Do You Root For?
9. Under Rats
10. Immigrant Songs

 

 


Radioheadが2025年のツアー開催を計画中であることを彼らの所属マネージメント会社が明かにした。Resident Advisorによると、バンドのマネージメント会社は、ロサンゼルスのパリセーズ高校で行われた火災救済オークションの一環として、「あなたが選ぶレディオヘッドのコンサート」のチケット4枚を寄付したようだ。 オークションのリストには、落札者はバンドの今後のツアー・スケジュールから希望の都市と日程を選ぶことができると記載されていた。


バンドに近い情報筋によると、レディオヘッドはこの秋、ヨーロッパの特定の都市でレジデンシー公演を行う予定だという。 この公演は、2018年8月1日にフィラデルフィアのウェルズ・ファーゴ・センターで行われた「A Moon Shaped Pool」ツアー最終日以来のライブ出演となる。


今回のライブ出演の確認は、バンドが最近、新しい有限責任事業組合「RHEUK25」を結成したことに続くものだ。 トム・ヨーク、ジョニー・グリーンウッド、コリン・グリーンウッド、エド・オブライエン、フィリップ・セルウェイの5人のメンバー全員がパートナーシップの役員として名を連ねており、重要なバンド活動に先駆けてLLPを設立するという彼らの確立されたパターンを踏襲している。


「バンドの将来に関する憶測について聞かれたヨークは、以前Double Jにこう答えている。 「悪気はないし、気にかけてくれてありがとう。 でも、僕たちは、自分たちを説明したり、自分たちが何をすべきかという誰かの歴史的な考えに答えたりすることなく、自分たちにとって意味のあることをする権利を得たと思うんだ」



ロラパルーザが2025年のラインナップを発表し、オリヴィア・ロドリゴ、サブリナ・カーペンター、タイラー・ザ・クリエイター、ドーチ、エイサップ・ロッキー、グレイシー・エイブラムス、ルフュス・デュ・ソル、コーン、TWICE、ルーク・コムズの出演が決まった。また、日本からは藤井風、おとぼけビーバーも出演予定。


今年で34回目を迎えるこのフェスティバルは、7月31日から8月3日までの4日間、シカゴのグラント・パークで開催される。 幅広いラインナップには、クライロ、ケイジ・ザ・エレファント、ザ・マリアス、Djo、ドム・ドラ、マーティン・ギャリックス、ブリーチャーズらが出演する。




その他、Mk.gee、Wallows、Dominic Fike、Foster the People、T-Pain、Sierra Ferrell、Finneas、Remi Wolfなどの出演が決定している。 また、ロイエル・オーティス、マリーナ、ブレイド、バリー・キャント・スイム、JPEGMAFIA、2ホリス、フリップターン、マグダレーナ・ベイ、アイザイア・ラシャド、マライア・ザ・サイエンティスト、アマラエの出演も決定している。


ラインナップは、ダミアーノ・デヴィッド、ロール・モデル、ISOXO、スティル・ウージー、デル・ウォーター・ギャップ、ラヴィン・レナエ、ザ・デア、チェイス・アンド・ステイタス、フラックス・パヴィリオン、オトボケ・ビーバー、ラ・ファム、オーラ・ガートランド、ウィロー・アヴァロン、ジョーイ・ヴァランス&ブレイ、ジェーン・リムーバー、フッカーズ、ワンダーホース、シャーロット・ローレンス、ラットボーイズ、ウィネクタ・ボウリング・リーグ、ランドン・バーカーで完成する。


フェスティバルのチケットは、3月20日午前10時(米東部時間)から始まるプレセールで入手可能で、価格はGAチケットが385ドル、GA+が715ドル、VIPが1,565ドル、プラチナパスが4,500ドルとなっている。

 

Alexa Viscius

アラン・スパーホークは、2024年のソロデビュー作『White Roses, My God』に続き、ダルース出身のミュージシャン、トランプルド・バイ・タートルズとともに録音した新作を発表した。

 

ニューアルバム『With Trampled by Turtles』は、5月30日にSub Popからリリースされる。アルバムは2023年末にミネソタ州キャノンフォールズのPachyderm Studiosで録音された。

 

みずみずしくヴォーカルが魅力的な「Stranger」が収録されている。このシングルでカントリーに根ざした渋いインディーロックソングに回帰している。

 

ロウの友人で指導者でもあるトランプルド・バイ・タートルズは、バー・バンドとして活動していた初期からスパーホークとパーカーの指導を受けており、スパーホークとは何年にもわたって数え切れないほど共演している。ダルースとのつながりは深い。「小さな町出身の負け犬症候群に関係するある種の雰囲気が込められている」とアラン・スパーホークは説明している。「大自然に翻弄されることで、奇妙な気苦労や気の緩みが生まれるんだ。謙虚になるんだ」

 

 

「Stranger」

 



Alan Sparhawk 『With Trampled BY Turtles』

 

Label: SUB POP

Release: 2025年5月20日

 

Tracklist:

 

 1. Stranger
 2. Too High
 3. Heaven
 4. Not Broken
 5. Screaming Song
 6. Get Still
 7. Princess Road Surgery
 8. Don't Take Your Light
 9. Torn & in Ashes

 

Pre-save: https://music.subpop.com/alansparhawk_withtrampledbyturtles



ミネソタ州キャノンフォールズ。2024年冬。Trampled by Turtlesは、Pachyderm Studiosでのレコーディングを予約していた。ローで仕事をしたことがない曲もあれば、新鮮で適切な環境を待っていた曲もあった。何年もの間、2人は一緒に何かを作ろうと話していたが、その話は仮説以上のものではなかった。スパーホークが最も必要としていたとき、その約束はかつてないほど鋭く、再び姿を現した。「チャンスだと思ったら、飛びつくんだ」とスパーホークは言う。

この『With Trampled by Turtles』は、まさにその名の通りのレコードである。 集団。共同体、友愛。共感。完全な孤独の瞬間はない。この『With Trampled by Turtles』は安らぎの器であり、親しい人たちに囲まれたときにもたらされるハーモニーを思い出させてくれる。

 

完全な信頼のもと、両アーティストは溢れ出る人間の感情に任せてコラボレーションを進めた。

 



carolineのニューシングル「Total euphoria」はイギリスの実験的なロックバンドによる、2022年のセルフタイトルアルバム『Caroline』以来初の新曲。その後、バンドはClaire Rousayの楽曲をカバーしている。

 

 Jasper LlewellynとMagdalena McLeanがユニゾンで歌うこの曲は、By Storm(fka Injury Reserve)のメンバーとしての活動で知られるアリゾナ州フェニックス出身のミュージシャン兼ディレクター、Parker Coreyが監督したビデオとともに到着した。 以下よりご覧ください。


「この曲の最初の反復は、2020年に3人(マイク、キャスパー、ジャスパー)でファースト・アルバムを書いている時に演奏された。 この曲は、『ナチュラル・デス』の後半のギターと似たようなスタイルで、オフキルターでシンコペーションに富んでいた。 当時、私たちが書いていた/レコーディングしていた音楽とは、どういうわけかまったく合わなかった。だけど、その中に、後に私たちが探求したいと感じる何かの核があった」


「最終的にそれは、20分間演奏し続けるのが気持ち良いと感じるものに偶然出会った多くのもののひとつになった」と彼らは続けた。 

 

「この曲は特に、一貫して "ラウド "で、当時の僕らにとっては珍しかったかもしれない。フル・オンだったし、みんなが3つの異なるリズムを同時に演奏していたから果てしなく循環しているように感じられた」

 

「それからジャスパーがメイン・コードを取り出して、歌うための本当に素晴らしいトップ・ラインをたくさん書いた。 ジャスパーとマグダがユニゾンで歌うというスタイルが、どれだけ良いサウンドになるか、その可能性に気づいた」

 


「Total euphoria」

 


Yukimiがニューシングル「Peace Reign」をリリースした。リトル・ドラゴンのリードシンガーとしてよく知られているユキミは、近日発売予定のアルバム「For You」でソロに転向する。 彼女自身の名義では初となるこのアルバムは、3月28日にNinja Tuneからリリースされる。

 

個人的な曲の数々で、ユキミは終始、心の内を解き明かす。 ニューシングル「Peace Reign」は、彼女の息子による「信じなければ叶わない、目の前にある」という美しい言葉で始まる。 彼女のアルバムからの最新シングルは、レトロなファンクビートとR&Bを融合した渋い感じの新曲。

 

ユキミはこのニューシングルについてコメントしている。「”Peace Reign”は、この世界が平和な場所になるという夢を諦めないこと。 希望と、来るべき世代への明るい未来を信じて...」

 

「Peace Reign」


Lunar Vacationがニューシングル「Lights Off」をリリースした。 この催眠術のようなセルフ・プロデュースのトラックは、昨年の『Everything Matters』以来の新曲となる。


「この曲は公開書簡のような感じだ」とシンガー/ギタリストのゲップ・レパスキーは声明で語っている。 

 

当然、僕なりの意味が込められているんだけど、それが憧れの手紙なのか、最後の別れなのか、それは僕が言うことじゃない。 それが物理的なものなのか、無形のものなのか、それも私にはわからない。

 

その両方かもしれないし、どちらでもないかもしれない。 聴く人が自分で意味を考え、自分の心に響くものを受け取り、それを感情、創造性、思考、理解という成長する炎の薪にする。

 


「Lights Off」

 


Wishyは来月『Planet Popstar EP』のリリースを控えており、その後、Mommaと共にツアーに出る予定。 バンドは「Over And Over」を発表した。ミュージックビデオはビデオゲームのオープニングのように始まり、エレクトロニカとロックを融合したセンスのよいロックソングが続く。

 

「この曲の主なテーマは、欲望、野心、失望、受容、配られたカードに従うこと」とシンガー/ギタリストのケヴィン・クラウターは言う。 「バンドが存在する前の2020年にこの曲を書いたんだけど、それ以来、きちんとレコーディングしてリリースする予定はなかったんだ。 でも、ベンがミックスとプロダクションでこの曲を仕上げてくれるだろうし、ニーナの歌声がこの曲を最高のものにしてくれるだろうと思っていた。 Wishyの曲でなければならなかったんだ」


「Over and Over」

 Circuit Des Yeux 『Halo On The Inside』

Label: Matador

Release: 2025年3月14日


Listen/Stream

 

 

Review         潮流を変えるモーダルなアートポップ

 

マタドールに移籍して発表された『Halo On The Inside』。シカゴのミュージシャン、ヘイリー・フォアの最新作で、シンガーとしてのひとつの変容の瞬間が刻印されている。しかし、このアルバムの主題の芽生えは、2021年のアルバム『Sculping The Exsodus』に見出すことが出来た。オーケストラストリングスとの融合を基底にしたシアトリカルなアートポップ。その本領はまだ数年前には発揮されず、ぼんやりとした印象に留まっていたが、今作ではより明瞭な感覚をもって聴覚を捉える。

 

ギリシャ神話をモチーフにして、半身半獣の怪物、悪魔的なイメージを持つヤギ、それらの神話的なモチーフは、地下室のスタジオでの午後9時から午前5時という真夜中の雰囲気と密接に結びつけられることになった。録音現場のひんやりとした静けさ、それは制作者の内面にある感覚と符合し、アルバムのサウンドの全体を作り上げる。独特な緊張感と強固なキャラクターを持つ異形としての実験的なアートポップ。これらの全9曲は、トリップ・ホップとハイパーポップ、グリッチポップ、それらの先鋭的な音楽性を内包させた孤絶したアルバムの一つである。

 

アルバムにはダンサンブルなポップが裾野のように打ち広がっている。結局、それをどのような形でアウトプットするのか、アーティストは相当な数の試行錯誤を重ねただろうと推測されるが、デモーニッシュなイメージ(悪魔的な印象)と小形式のオペレッタのような歌唱が全般のエレクトロニックの要素と合致し、その上にロックやメタルといった音楽が取り巻き、薄く、もしくは分厚い層を形成している。

 

これがアルバムを聴いたとき、複数の層がぼんやり揺らめくように聞こえる要因なのかもしれない。なおかつ、それらのサウンドとしての機能をはっきりと浮かび上がらせたのは、フリーフォームの即興、絵画、オーディオ・ビジュアルといったヘイリー・フォアが親しんでいるというリベラルアーツの全般、そして、内的な探検を通して得られたもう一人の自己の"分身"である。これらは、例えば、カフカの『変身』のようなシュールレアリズムの範疇にある内的な恐怖としてポップサウンドの向こうがわに渦巻いているというわけである。 そのアンビバレントな(抽象的な)音の層に目を凝らし、耳を静かに傾けたとき、一つの核心のようなものに辿り着く。これはもしかすると、音楽を通したフランツ・カフカ的な探検を意味するのではないか、と。

 

本作は、EDMをベースにしたダークを超越したエレクトロポップ「Megaloner」で幕を開ける。そして同じく、Underworldのエレクトロをベースにした「Canopy Of Eden』といった曲を聞くと、音楽そのものが旧約聖書の黙示録の要素を持って繰り広げられる。聞き手はそれらを宗教としての符牒ではなく、アーティスティックな表現下にあるポップソングという側面で捉えることになろう。


しかし、その中では、ブリューゲルのバベルの塔や洪水から救済するためのノアの方舟といった西洋絵画などのモチーフに度々登場する絵画的な表現性によって音楽という名の媒体が展開されていく。これらのポップソングとしての構造の背景には、明らかに中世の西洋的な概念が揺らめく。それが的確なソングライティング、そして中性的な印象を放つアルトやバリトンの音域に属するヘイリー・フォアのボーカルによって、強固な音楽空間が綿密に構築される。音楽としては、ロックらしい情熱を持つ瞬間があり、二曲目「Canopy Of Eden』ではユーロビートやレイヴのようなアシッド・ハウスに近い音像の広い奥行きのあるサウンドが熱狂的に繰り広げられる。決して安易に箱庭の音楽を作ろうとせず、ライブでの熱狂を意図したサウンドが楽しめる。

 

対象的に、「Skelton Key」では、イントロや導入部の箇所においてアルバムの冒頭にある悪魔的なイメージ、旧約聖書の終末的な余韻を残しつつ、神話に登場するようなエンジェリックな印象を持つ曲へと変化させる。曲の始まりでは、ゆったりしたテンポ、清涼感のあるアンビエント風のサウンドと結びつき、緊張感に満ちた音楽が繰り広げられるが、中盤からは、暗黒の雲間から光が差し込むような神秘的なイメージを持つストリングスとピアノの美麗な旋律進行が顔をのぞかせる。すると、当初の印象が一変し、それと相反する祝福的な音楽性が登場する。それらを間奏の楔として、その後再び、ノイズの要素を用いたハイパーポップが後半で登場する。これらの盛り上がりがどのように聞こえるのか、実際の音源で確かめてみてください。

 

収録曲そのものが続編のように繋がる。続く「Anthem Of Me」では再びノイジーなロックやメタル風のサウンドが驚きをもたらす。内的な探検をもとにした内的な自己の発見を端的に表そうという試みなのだろうか。それは、メタル的な興趣を持つギターの代わりとなるシンセのジェネレーター、そしてそれとまったく相反するオペレッタ風のシアトリカルなボーカルというように、これこそ新時代のロック・オペラなのではないかと思わせる何かが込められている。

 

しかし、これは、例えば、クイーンやザ・フーのような大衆的なロック・オペラではない。 現代的なステージ演出とインスタレーションを仮想的に表現した音楽の新しいオペラやミュージカルの形式なのである。それはアルバムの全体的なテーマである恐怖というプロセス、そしてその時間を前に巻き戻して、おそれのない境地まで辿り着こうとする表現者としての歩みが暗示されているのである。


そして実際的に、アーティストは仮想的な舞台の演出の中にある恐ろしい内的な感覚という形而下の世界の情景をダンテの『神曲』の地獄編のように通り抜け、別の境地を探ろうとする。それはまるで中世のイタリアの作家が長い迷路に迷い込んだときや、地獄の門を船でくぐり抜ける情景をサウンドスケープとして脳裏にぼんやり蘇らせることがある。また、この曲では聴取下にある音楽という単一の音楽の意義を塗り替える趣旨が込められているように思えてならない。

 

 

アルバムの音楽にはセイント・ヴィンセントやガガのようなメインストリームにある歌手の音楽とも相通じる感覚も含まれていると思うが、稀に異彩を放つ瞬間がある。「Cosmic Joke」では明らかにPortisheadの影響下にあるトリップホップの要素が体現されている。 『Dummy』の時代のサウンドだが、それらはやはりオペレッタの歌唱やピアノの実験的なサウンドワークによって別の境地に達している。この曲こそ、無響室のひんやりとした感覚、真夜中から明け方の時間、そういった制作現場のアングラな雰囲気がリアルに乗り移っている。アルバムを象徴するような一曲といえるかもしれない。全体的なミックスやマスタリングのアトモスフェリックな音響効果の中で、ひんやりした印象を持つダークなボーカル、サウンド・コラージュのように響きわたる低音部を担うピアノ、それらが組み合わされ、アルバムの中で最も情感あふれる一曲として聞き入らせる。一度聴いただけではわからない、奥深さを持った素晴らしい楽曲である。

 

 

イギリスの象徴的な作曲家/プロデューサー、ジェイムス・ブレイクの系譜に位置付けられる「Cathexis」ではハモンド・オルガンを彷彿とさせるシンセサイザーの伴奏を用い、恐怖とは異なる哀愁や悲哀の瞬間を体現させようとしている。これらはセンチメンタルな響きを持つギターライン、そしてボーカルとハーモニーの層を作りながら、アルバムの最も奇跡的な瞬間ーー淡麗な美しさーーを形作ることがある。さらに注目すべきは、このアルバムの音楽のほとんどは、縦の構造を持つ和声によって音楽が書かれたのではなく、横の構造を持つモーダルの音楽によって紡がれ、従来にはなかった偶発的なハーモニクスが形成されるということである。

 

こういった音楽を聴いていると、和声法だけで音楽を作るのには限界があり、マイルス・デイヴィスのようなモーダル(Modal)の要素がどこかで必要になってくることが分かる。デイヴィスの音楽には、和音という概念が稀にしか出てこないこともあるが、これは複数の音階の横の動きにより、自由度の高い音楽構造を構築していくのである。和声は、全体的な構成の中で限定的な働きしかなさず、和声にこだわるほど自由な音楽性が薄れたりする。その反面、ポリフォニーの音楽(複数の声部の重なり)の方が遥かに作曲の自由度が高くなる。それはなぜかと言えば、音楽の構造を限定させず、次の意外な展開を呼び入れることが可能になるからである。

 

 

一曲目や二曲目を除けば、アートポップやハイパーポップというように、ポップソングの枠組みを取り払うための前衛的な試みが中心となっている。しかし、最も着目すべきは、『Halo On The Inside』は単なる録音作品以上の意味が込められているということである。例えば、ライブ会場でどのように響くのか、もしくはファンを楽しませるための音楽として書かれた曲も発見出来る。

 

「Truth」では、例えば、アヴァロン・エマーソンにも引けを取らないようなDJらしい気質を反映させた刺激的なダンス・ポップに挑戦している。この曲には、ヘイリー・フォアという人物の音楽フリークとしての姿を捉えられる。それは、制作者としての研究者気質のアーティストとは対照的に''音楽を心から楽しもう''という姿勢を映し出す。アルバムは全体的にアーバンな印象で縁取られている。これは中西部の文化を背景とし、現代のミュージシャンとして何が出来るかという未知なる挑戦でもある。同時にアーティストとしての矜持を体現しているのだろう。

 

「Organ Bed」はダンサンブルなビートを生かしたアップテンポな楽曲であるがオーネット・コールマンやアリス・コルトレーンのフリージャズの範疇にある前衛的なサックスフォンを登場させている。 これらはジャズに託けて言うと、フリー・ポップ(ポップソングの解放)のような意味が込められている。

 

 

創作活動の全般における困惑や戸惑いのような感覚は、シンガーソングライターを悪魔的な風貌に変化させた。けれども、実際のサウンドが示す通り、音楽的な収穫や手応えは非常に大きかったように思える。それは音楽的な蓄積、及び、それにまつわる幅広い知識は、プロデューサーの協力により音楽作品として結実した部分もあるかもしれないが、同時にアーティストが自らの志す音楽をじっくり煮詰めていったことに拠るところが大きいのかも知れない。本作の最後でも期待を裏切らない。

 

「It Takes My Pain Away」は、90年代のモグワイの音響派としてのポストロックをインスト曲として更新している。あるいはエイフェックス・ツインの初期のアンビエントの音楽的なアプローチに共鳴する内容である。こういった曲は、90年代や00年代では男性ミュージシャンの仕事と相場は決まっていたが、時代を経て性別に限定されなくなった。前作に比べると劇的かつ飛躍的な進化を遂げた。これは肯定的に見ると、音楽的な変容というプロセスがどこかで必要だったのだろう。サーキット・デ・ユーの従来の最高傑作の一つが誕生したといえるだろう。

 

 

 

 

86/100

 

 

 



 

 「Skelton Key」-Best Track