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ソフィア・ヤウ・ウィークスの音楽は、音楽的な成功というのが必ずしもミリオンセラーや世界的なコンサートのように華やかなものとは限らず、個人的でささやかなものでもあっても良いことを思い出させてくれる。アルバムを聴くにつけ考えるのはミュージシャンにとっての幸せとは何かということだ。
ソフィア・ウィークスの音楽的な道のりは紆余曲折があり、一筋縄ではいかなかった。4歳でクラシックのヴァイオリニストとして英才教育を受けてきたが、長年をわたって彼女は音楽に対する複雑な思いと苦手意識を抱えてきた。よくあることだが、厳格なレッスンと高いパフォーマンスが求められるプレッシャーが音楽との関係を難しくした。年を重ねるにつれ、家族からのプレッシャーにより、その不安はさらに強まった。彼女にとって音楽は名門大学への合格、そして、その後の医師や弁護士といった専門職への道を開くための手段の一部に過ぎなかった。
不安と抑うつは大学生活にもつきまとい、彼女は燃え尽き症候群になり、キャリア重視の未来像から距離を置くようになり、一般的な幸福が当てはまらないと悟った。2020年、大学3年生の時、パンデミックが到来した。それは多くの人々の当たり前や常識を根底から揺さぶり、覆すような苛烈な時期でもあった。世界中の人々と同様、ヤウ・ウィークスも自宅に籠もる生活を送った。ロックダウンが長期化するにつれ、高まる孤独感と悲しみを吐き出す場が必要となった。
彼女は、それまでカバー曲を練習するためにしか使用していなかったアコースティックギターを取り出し、自分自身のオリジナル曲を書いてみることにした。一日ずつ進める日記のように曲を書き進めると、ゆっくりと、確実に、音楽との関係は変化し、不安を掻き立てるものから、感情を整理する詩的な手段へと移ろっていく。最終的に、音楽制作は創造的な表現の道のりに変わり、周囲の世界や自身の個人的な経験を理解したり、解釈するための手立てとなった。
その後しばらく、ギターを携えて、ヤウ・ウィークスはカルフォルニアからロンドンへ移り住んだ。そこで過ごした2年間、インスピレーションは絶え間なく湧き出し、形になっていった。彼女はそれらを慎重に、忍耐強く、寝室からボイスメモとして録音していった。現在27歳となり、故郷のカリフォルニア州オークランドに戻ったヤウ・ウィークスは、デビューアルバム『Misty Mountain』をリリースする。この繊細な作品は、ゆったりとしたテンポと内省に根ざしている。
楽曲のほとんどは、ベビーシッターの仕事と、ジョージ・タバーンやウィンドミル・ブリクストンといったロンドンのインディーズ・ライブハウスでの夜のライブの合間を縫って5年で書かれた。ライブハウスで、彼女はロンドンのバンド仲間を含む素晴らしいミュージシャンや友人と出会い、音楽に対する新たな手応えを得た。しかし、地元の音楽シーンで足場を固めようとしていたその矢先、ヤウ・ウィークスはコロナウイルスに感染し、免疫不全状態に陥った。しかし、このことが内省の機会を与え、孤独と人間の繋がりとは何かを考えさせる機会になった。
『Misty Mountain』は、およそ5年をかけて丁寧に制作されたアルバムである。共同プロデューサーのマリアム・クドゥス(アラニス・モリセット、SASAMI、SPELLLING、グレイシー・エイブラムス)と共に、Tiny Telephoneでテープに録音された。芸術表現とコラボレーションを重視し、愛や人間関係、悲嘆やトラウマ、そして精神的な回復力や共同体意識といったテーマを探求しつつ、ニック・ドレイクやビッグ・シーフらからサウンドのインスピレーションを得ている。
ウ・ウィークスがアナログ録音を選んだ理由は、その温もりのある音質だけでなく、幼い頃から刷り込まれてきた生産性や完璧主義を遠ざけると共に、緩慢と不完全を受け入れる試みでもあった。結果的にはミュージシャンとして幸運にも成果主義から逃れることが出来たのだった。具体的にはテープ録音を中心にレコーディングが進められた。「アナログ録音は、私の音楽性を信頼させ、各テイクの単一性を受け入れさせました。スタジオで時間制限があるアナログ録音を行う際には、直感に従うしかなかった。これらの制限により、私の最高のパフォーマンスを発揮でき、細部にまでこだらなくなった」ソフィア・ウィークスは録音過程を振り返る。
デビューアルバムとして異例ともいえるソフトなサウンドが印象的なアルバムで、制作のコンセプトについては、他者が共感出来るような音作りを優先しているという。また、曲を書く時、具体性と普遍性のバランスを取るよう努めているという。「私自身の経験に関する具体性は、人生の出来事や感情、好奇心を処理する際、私にとって意味がある。同時に、私は、他者が音楽に共感できるように、そして自分がその曲を振り返って新たな形で共感できるように、集合的な何かを示すよりも広いメッセージを取り入れることを好んでいる」
また、孤独や繋がりについての主題がふんだんに盛り込まれ、それはテクノロジー時代の交流とは何かを解き明かすための手立てでもある。「私にとって、孤独とつながりの間には緊張があり、社会的にも精神的にも、その二つの領域の間を行き交っているように思います。それらは私が自然に惹かれるところです。私の音楽は、孤独とつながりの関係を明らかにしたいと思い、さらにそれらが私の内面的な世界にどのように影響を与え続けているかを探っていると思う」
どことなく物憂げでありながら探求心に満ちた『Misty Mountain』。ヤウ・ウィークスが過去を消化し、現在を省察し、未来を予見するプロセスにおける、彼女の内面世界への親密な覗き込みである。これは彼女の経験が思慮深く織り交ぜられた作品で、他者と交わりつつも、この世界で孤独であることの意味について語っている。率直な歌詞と時代を超越したインディーフォークサウンドを備えた『Misty Mountain』は、間違いなく聴く価値のあるデビュー作となる。
Sophia Yau-Weeks 『Misty Mountain』- Sophia Yau-Weeks
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デビュー作というのは、それまで蓄積してきた音楽経験を惜しみなく詰め込める。よって、そのミュージシャンやバンドの思いがぎっしり凝縮されている。そこに一人の音楽ファンとしては、大きなロマンスを感じる。カルフォルニアのシンガーソングライターによるデビュー作『Misty Mountain』は、イギリスの有力メディア、CLASH、The Line of Best Fitを中心に取り上げられ、好評を博している。アナログ録音をもとにしたオーガニックな雰囲気を持つインディーフォークアルバムで、それほど派手な印象はないけれども、長い時間をかけてゆっくりと聴きたい良質な作品である。
ヤウ・ウィークスのミュージシャンとしての全貌のすべてが明らかにされたわけではない。しかし、幼少期からヴァイオリニストとしての訓練を受けたこともあり、音感という側面では、同年代のミュージシャンよりも先んじている。しかし、このアルバムはシンガーソングライターとしての背景を象徴するかのように、過剰さや卓越性を避けた一般的な共感を呼び覚ます作品である。音楽全体は過剰な和声進行を避け、ときには三つのコードや和音を中心に進行していく。しかし、アコースティックギターとボーカルという簡素な構成を持つ楽曲は、波にゆらゆらとゆれられているかのような感覚があり、いつまでも聴きつづけられるような心地よさがあるのが不思議だ。
そもそも人間の脳は過剰な情報量を捉えられないように設計されている。氾濫する情報、それをすべて把握しているようでいて、ほんの一部しか理解していないのである。過剰な音楽は、ほとんど瞬間的な認識しか得ることは難しい。情報量の多いものは、それがどのような形態であれ、人間の脳や精神を疲弊させる。現今のソーシャルメディアの問題は、過剰な情報量を頭脳が処理しきれないことにある。すると、心にはモヤモヤが残り、消化しきれなくなってしまう。
若いミュージシャンやバンドの間でアナログ録音やテープリールなどを使用した録音が流行っているのは、情報過多に対する反動とも言える。デジタル録音は間違いなく音を精細にし、マクロからミクロに至るまで音の解像度を上げた。しかし、同時に、解像度が明瞭になりすぎることで、情報量が異常なほど増加した。すると、今まで聞けなかったり見えなかったものまでくっきりと見えたり、聞けたりする。そもそも、音楽作品は主体となる要素が増えれば増えるほど、音楽の持つ印象は、対象的にぼやけたり、霞んでいくという反比例の相関関係にある。単純明快でシンプルなロックソングがかっこよく思えるのは、こういった理由があるわけなのだ。
デビューアルバムであるにもかかわらず、ソフィア・ウィークスのインディーフォークサウンドは、それほど過剰な音楽の情報量がなく、自然な形の録音に仕上がっている。これは情報の飽和や過剰さが人間の感情や感覚にどのような影響を及ぼすのかという弊害をよく知っているからである。それは、結局、クラシック音楽のようなジャンルがトーンクラスター(群衆和音)などの過剰な情報量を経て、現代の音楽として衰退していき、一般性から離れ、ポピュラーやロック、ソウル、フォークにとって代えられたことを見れば、一目瞭然なのではないか。また、私達のような世代は、未来的とか先進的という言葉に惹かれたが、一回り下の若い世代は、むしろ時代に逆行するかのように、近代から現代の人々が見落とした本質的な概念を探そうとしている。2020年代後半はおそらく、旧来の価値観が塗り替えられるような時代となるだろう。
『Misty Mountain』は、内的な静寂から出てきたかのような深遠な趣を持つフォークサウンドで縁取られている。驚きなのは、例えば、2000年代以前よりもヤウ・ウィークスのような年代の人々は、比較的多くの情報量に接してきたはずなのに、 それとは対象的に音の情報量やボリュームを絞っている。そして大胆ともいえる形で、自然を感じさせるインディーフォークソングを奏で、小さなミクロな音楽に、大きな自然や宇宙、マクロコスモスを映し出す。つまり、ウィークスの音楽は、田舎で満点の星空を眺めるようなロマンティックな感覚がある。
タイトル曲で始まる本作は、結局、2020年代前半のパンデミック時代がもたらしたもう一つの意外な効果を反映している。ささやかなアコースティックギターのストロークの演奏と穏やかなハミングで始まる「Misty Mountain」は、現代人が接する過剰なノイズからの解放を意味する。彼女は詩人のように奏で、平らかなハミングを歌い、 自然味や開放感を感じさせるフォークの世界を作り上げる。しかし、ウィークスのサウンドに独自性をもたらしているのが、アナログのディレイや逆再生を交えたアトモスフェリックな印象を持つアンビエントのサウンドである。
リードボーカルやバックボーカルの美麗な旋律は、子供の時代からのヴァイオリンの経験に根ざしている。しかし、次世代のミュージシャンらしいサウンドが温和な空気感を作り出す。アイスランドの室内楽グループ、amiinaのようなささやかで上品な器楽的なサウンドが、ゆったりしたテンポを通じて繰り広げられていく。ループペダルを用いたギターや夏の入道雲のように舞い上がるアンビエンス、これらの現代的なサウンドは、おそらくロンドン仕込みと言えるだろうか。その一方で、カルフォルニアらしくアメリカーナのペダルスティールが登場し、幻想的な雰囲気を作り上げる。結果として、長く聞き続けたいと感じさせるフォークミュージックが構築される。歌詞の一面でも、出来るだけ説明的な表現を避けて、本質的な言葉を率先して歌っている。
「me,you,us」というような心に残るフレーズを聴いて気持ちが開けたり、また、明るくなるのは、そこに本質的な概念が宿っているからなのだろう。このあたりのオーガニックなフォークサウンドは、イギリスのフォークシンガー、Anna B Savage(アンナ・サヴェージ)の系譜にあるといえる。実験的なサウンドを織り交ぜながらも、曲の構成はシンプルで、一番から二番に移行し、演奏には弦楽器が加わる。そして音楽的に最も重視されるのは、全体的なハーモニーや調和である。気負いがなく、親密で開放的な演奏がボーカルと巧みに融合している。総合的に見れば、自然体な感じがするフォークミュージックを介して、リスナーの心を優しく解きほぐしてくれる。
「Nobody’s Laughing」ではドラムの演奏が入るが、本質的な音楽性は変わらない。 同じように細やかなフォークソングを中心にしているが、この曲は、ポップソングに近く、琴線に触れるボーカルが含まれている。どこのフレーズが共鳴するのかは、人それぞれだと思うが、結局、制作者がここだという見本を示してくれないと、共鳴のような瞬間も出てこない。つまり、曲を聴いていら人に、ここが良いかもしれないなという気持ちを抱かせてこそ、音楽としての良さが入り込む余地が出来る。また、同時に、旋律的にも、過剰にドラマティックな表現を避けている。淡白な印象をもたらすかもしれないが、そこには言い難いような淡さと心地よさが共存している。
ヤウ・ウィークスは、”AIの時代にこそ、人間的な感情を重視すべき”と説明するが、素晴らしい考えだと思う。人間にしか成し得ないことをする。まさに、そのことを体現する繊細で切ないフォークソングである。サビ/コーラスにおける旋律進行の素晴らしさは、やはり生来の音感の良さに根ざしたものだろう。しかも、それをじっくり丁寧に歌い上げるスタンスに、共感のような瞬間が存在する。そしてサビを効果的に繰り返し、温かな感情性を増幅させていく。
「繰り返しやベタなフレーズを恐れないで」といったのは、ボウイのベルリン三部作のプロデュース時のブライアン・イーノ氏(その考えを示したカード)だったと思う。これは聞き手が感情移入する余地を作るためなのだと思う。経験のあるミュージシャンは特に、軽率な繰り返しを避けたがることが多いが、リフレインやオスティナートは意図的にやると、非常に効果的である。また、ふと口ずさんでしまうような瞬間にこそ、音楽の持つ崇高さが宿ったりする。
「Nobody’s Laughing」
『Misty Mountain』では、テープ録音に根ざした、かすかなアナログ感とエレクトリックとアコースティックの演奏の混合に美しさが存在する。そして、古いものと新しいものを混在させたサウンドの中で、時代性を持たない、あるいは時代性を忘れさせる普遍的なボーカルが甘美な響きを作り出す。そして、思想としての明瞭性を避けた、中和的なボーカルが音の濃さを薄めて、和らいだ音の印象を生み出す。色のトーンで言えば、原色を避けて、パステルカラーのような淡い色を持つフォークサウンド、中和するようなサウンドが主な特徴である。
また、「Lone Wolf」にも象徴されるように、テンポ感を心持ち落として、ゆったりとしたリズムを重視している。これもまた加速する情報化社会に対する反動とも言える内容だろう。また、そこには人間の本質的な意味が宿り、あくせくせず、ゆったりする時も必要だということである。また、音楽的にはそれは、休符や間という概念に反映され、静けさが強調される。アルバムの序盤を聴いて、安らぎを感じる理由は、そこに内省的な静けさが存在するからである。
こうした中、アーティストによる個人的な趣味が色濃く出る「Monster」が序盤のハイライトとなる。おとぎ話や古いアンティーク家具のような印象を持つフォークソングで、2/4の緩慢なリズムを描き、そこにワンダーワールドを作り上げる。しかし、ここでいうモンスターとは怖い怪物ではない。おとぎ話に登場するようなピクシーのような可愛らしい怪物だ。まるでミステリアスな森の中を歩くかのようなサウンド、それらは映像的な示唆に富み、安らぎを越えた神秘的な音楽空間へとリスナーを誘う。楽曲の途中で、四拍子から三拍子に変化する瞬間に、アーティストの幻想主義が映し出される。音楽としては、ロサンゼルスのSSW、Nikiの音楽性を彷彿とさせる。
個人主義の音楽と言えるだろうが、同時に壮大な音楽世界を描くことに成功している。続いて、フォークバラードをもとに、しっとりした楽曲に挑戦した「Sylvia's House」もまた前の曲の延長線上にあるフォークソングで、アルペジオを中心としたアコースティックギターとソフトなボーカルによって紡がれるが、ここでもまたボーカルのメロディの良さが際立ち、ベースラインの働きを成すギターとティンパニのような効果を狙ったドラムが心地良い音の空間を作り出す。全体的に言えば、ヤウ・ウィークスの音楽世界は、まるで音楽という空間の中にお気に入りの家具を並べて、そして自分らしい色に縁取っていくようなもの。それはまた、手編みの縫製のような質感を持って、微笑ましいような音のタペストリーを作り上げる。旋律的に追うと、ノラ・ジョーンズの代表曲「Don't Know Why」の系譜にあるすごく素敵な曲である。
『Misty Mountain』は「内省的なサウンド」と説明されているが、その繊細な感覚が出てくるのがアコースティックギターのシンプルな弾き語りで構成される「The Rain」となる。家の外から見る、雨の情景の憂鬱さ、そこに宿る美しさや癒しといった感覚を縁取っている。器楽的にいえば、減7和音を駆使し、ジャジーでおしゃれな響きを活かし、現代的な詩人のあるべき姿を思いこさせる。それは、誰にでもあるようなありふれな日常を丁寧に歌い、感覚的なものから、ありきたりな常識を遠ざけるということである。この曲には、アルバムの主題的なテーマの孤独を深く感じさせる。
しかし、そこには、憐憫も悲哀もない。その基底にあるのは、ほのかな安らぎと癒しである。この曲にも、ありきたりな幸福の価値観から解放してくれる健全なパワーが宿っている。幸福というのは単一に還元されることはなく、形のないもので、それぞれ異なるものだ。こういった曲も、社会学的には理想とは言えまいが、ロックダウンのような瞬間から編み出されたのだ。基本的にはフォークミュージックに根ざしており、ジャズの音楽性も含まれている。しかし、個人的な内容を歌いながらも、アメリカーナを通じて壮大な宇宙的な音楽が出てくる。このあたりに、ミクロからマクロの領域へと推移するこのアルバムの偉大さが反映されている。
「Love Is A Garden」はフォークとポップ、ジャズの中間にある曲で、聴いていて安心感がある。それは、理想主義という空想的な側面から離れて、地に足がついた音楽だから好感が持てる。ゆったりと流れていく雲や空のように、あるいはゆっくりと土から枝を伸ばし、ささやかな花を咲かせるかわいい植物のように、そこに存在するだけで完璧であるという、簡単ではあるが、自然の摂理を示す曲でもある。すでに完璧である事柄に不完全さを与えたがるのが人間の奇妙な性である。それはまた、人間そのものの不完全性を暗示しているのかもしれない。
いずれにせよ、こういった平和主義を体現する楽曲は、現代的なポップシンガーの感性を通じて、多くの人々に共鳴しても全然不思議ではない。最近、残念ながら、肯定感を揺さぶる音楽は多いが、肯定感を与える音楽は少なくなってきている印象だ。これはスーザン・ソンザグが指摘したように、''他者に対する関心の無さ''というのが一因になっている。良い曲の根底には、巡り巡って帰ってくる宇宙のエネルギーの循環のような性質が存在する。そして素晴らしいミュージシャンは、エネルギーを惜しみなく循環させようとする。その点、このシンガーには良い気分を共有したいという思いがあるらしく、それが音楽的な良さに繋がっている。また、このシンガーソングライターは、明るさは暗さから生まれ、暗さは明るさから生まれることをよく知っている。そういった陰陽や正負というような、両極端の性質が絶えず混在しているのだ。
最初の一音に集中が込められている。 最初の一音にすべてを込め、入念の演奏や真摯なボーカルを披露している。素晴らしいと思うのは、音楽や言葉をぞんざいに扱わず、丁寧に捉えていること。しかし、先にも述べたように、変な重圧や気負いを感じさせない。それは結局、全般的な制作過程を通じて、幸運にも成果主義から逃れることが出来た瞬間があったのからだ。そして、それはとりも直さず、今回のレビューの主眼であるアーティストやミュージシャンの幸福とは何だろう、という主題の端的な答えとなる。「Spellbound」のような曲を聴いて良いなと思うのは、奇妙な名誉心がほとんどないからである。(もちろん、たまには名誉心も必要かもしれないが......)
さらに、『Misty Mountain』は、ヤウ・ウィークスが長年抱えてきた音楽との複雑な関係を融和する。それは言ってみれば、過去の自己や周囲の人々との「和解」を意味する。その証拠にダイナミックなストリングスがアルバムの最終盤でフィーチャーされている。それはしかし、単なる脚色のためではない。ある意味では、その人の人生観を彩り、過去の自分を乗り越え、新しい自己へ生まれ変わったモーメントを示唆する。本作は後半の収録曲になるほど、神妙な感覚が立ち上ってくる。しかし、それは、旧態依然とした権威的な奥深さではない。
その時、誰にでも訪れるような心が洗われるような美しい楽の音が優位になる。それはまるで顕在意識が薄れ、神聖な自己が立ち上ってくる瞬間に喩えられる。「Flay Away」や「Kristine」といった曲は依然としてささやかで広やかな音楽である。しかしながら、小さなところから大きな感覚が出てくる箇所が素晴らしいと思う。ある意味では、アルバムの後半でのヴァイオリンの演奏や、''クリスティーン''という、ありふれたフレーズを繰り返す瞬間、このアーティストの潜在的な凄さを感じとられる。それは先にも述べたように、エポックメイキングでもなければ、人を驚かすような手法でもない。『Misty Mountain』は、およそ5年をかけて、ヤウ・ウィークスがじっくりと蓄積してきた何かが溢れ、それがようやく目に見える形になっただけなのである。
90/100
「Kristine」
▪Sophia Yau-Weeksによるデビューアルバム『Misty Mountain』は本日自主制作盤としてリリース。 Bandcampでのストリーミングはこちらから。



























