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Album of the year  2021 

 

 

苦心の末に生み出された2021年の最高傑作

 

Snail Mail「Valentine」 Matador


 


Snail Mail 「Valentine 」

 

 

Scoring

 


このスタジオアルバムを制作することは、これまでの私の人生以来、最も偉大な挑戦の一つでした。私は、この作品のごく細部、隅々に至るまで、心と魂を込めて制作しました。


2021年の11月5日に、ニューヨークの名うての名門インディーレーベル、Matadorから新作アルバムをリリースした際、スネイルメイルの名を冠して18歳からソロ活動を行ってきたバルティモア出身のリンジー・ジョーダンは、上記のように、公式の声明をTwitterアカウントを通じて発表しています。

 

そして、この作品が、なぜ、今年の最高傑作として挙げられるべきなのかについては、上記のリンジー・ジョーダンの言葉に表れ出ているからといえます。つまり、「Valentine」はすばり、”恋人”をテーマに取り上げ、痛快なポップソングに昇華させた傑作であり、このアーティストの魂が込められた会心の一作ともいうべきなのです。


この作品「Valentine」は、軒並みアメリカよりも、イギリスのメディアの好意的に迎えいれられ、アルバム・レビューにおいて満点評価を与えた英国の最大手の音楽メディアNMEは、この作品を「Beautiful Progression」と評しています。 


また、ブリストル大学の学生が発行する独立新聞では「スネイルメイルはひとまわり成長して帰ってきた」という賛辞を送り、もちろん、他にも、現地ニューヨーク・タイムズも詳細なアルバム・レビューを行い、リンジー・ジョーダンの作品に見目よい評価を与えています。もちろん、それらの様々なメディアからの称賛は、この作品「Valentine」自体に美しい華を添え、その価値を高めているといえるでしょう。



ボン・イヴェールの作品のプロデュースを手掛けたブラッド・クックをエンジニアとして招いた「Valentine」は、スネイルメイルのデビュー作「Lush」がリリース後、すぐにリンジー・ジョーダンが取り組んだ作品でした。


この作品のリードトラックであり象徴的な意味をなしている「Valentine」は、レズビアンの叶わぬ恋について書かれており、リンジー・ジョーダンは、セクシャルマイノリティに対する考えをしめし、生きづらい中で生きていく中でのたくましさがポピュラー音楽として見事に昇華された名曲です。  


 

 

 


「学校の放課後に制作された作品」とジョーダンが恬淡と語る「Lush」のデビュー当時において、リンジー・ジョーダンはオルタナティヴ・ロックを中心に聴いていて、USインディーロックの申し子としてアメリカのシーンに登場しましたが、既に二作目において、スネイルメイルは、新たな境地を開拓し、インディーロックの枠組みの中では語りつくせない偉大なアーティストに登りつめたと言えるでしょう。


もちろん、この二作目を手掛けるにあたり、スネイルメイル、リンジー・ジョーダンは、目の眩むほどの高い山を上るような挑戦を強いられました。


「インディー・ロックの名作」との呼び声高いスタジオアルバム「Lush」のリリース後のツアーの真っ最中、その作品評価が高かったゆえ、次なる作品の期待が高まる中において、リンジー・ジョーダンは二作目の「Valentine」のソングライティングのアイディアを練りはじめましたが、この作品は一作目とは全く意味が異なるプロフェッナル性をミュージックシーンから要求された作品でした。


リンジー・ジョーダンは、コアなインディーロックからさらにその一歩進んだミュージックスターとしての道のりを歩み始めねばなりませんでした。


フルレングスのアルバム「Valentine」を完成させていく過程、全て自分ひとりの力で生み出さねばならない、というこれまでにない重圧を感じながら、リンジー・ジョーダンはシンセサイザーを何度も実際に弾きながらメロディーが頭に浮かんでくるのを待ち、楽曲を入念に組み立てていきました。


しかし、このアルバムの制作が始まった当初、スネイルメイルとして大規模ツアーに出ていたこともあり、ソングライティングに集中する時間を持つことが出来なかったことから、作品制作は難航を極めます。


そうしているうち、他の今年の多くの傑作アルバムをリリースしたアーティストと同じように、スネイルメイルは、COVID-19という難局に直面しました。このことが、ソングライティングの面、レコーディングの面で作品制作の難易度を高めたのです。リンジー・ジョーダンの登りつめようという一つの高い山は、当初このアーティストが想定していたよりも厳しいものであったのです。

 

この期間、リンジー・ジョーダンは活動を拠点に置くニューヨークを一旦離れて、両親のいる故郷バルティモアに帰っています。そして、この決断が「Valentine」制作を前進させたといえるでしょう。


リンジー・ジョーダンは、ミュージシャンとしての重圧から束の間ながら解き放たれ、このバルティモアの両親の家で、「Valentine」のソングライティングに真摯に取り組んでいきました。しかし、この後も、作曲面で異様な労苦を強いられたリンジー・ジョーダンは、アルバム制作に完全に行き詰まってしまい、一度、アリゾナのリハビリセンターで数週間を過ごしています。


そのことについては、このスタジオアルバムの話題曲「Ben Franklin」中の歌詞で、リンジー・ジョーダンが赤裸々に告白しています。いわば、強いプレッシャーをはねのける過程、一方ならぬ労苦があったことがこのエピソードには伺えるようです。


ここで付け加えておきたいのは、他の映像作品、文学についても同じことがいえるはずですが、音楽を聴くこと自体のは一瞬の出来事であるものの、その「一瞬の感動」を作るために、アーティストやレコーディングに携わるエンジニアは、制作の裏側でその何十倍、何百倍もの時間を割いているということなのです。 


 

 


実際の音楽性についていえば、「Valentine」は、これまでのスネイルメイルのアルバム、シングル作とは全く雰囲気が異なる華やかさが感じとられる傑作です。


一作目において、オルタナティヴ性の強いインディーロックを生み出したスネイルメイルは、Lushのツアー中にポップス、ジャズを中心に聴き込んでいました。以前は五分を超える楽曲も超えるトラックを中心に書いてきたジョーダンは、ごく短い、三分以内の曲を中心に作曲を行っています、その理由は、


「言いたいことをいうのには三分で充分じゃない?」というリンジー・ジョーダン自身の言葉にあらわれています。


また、この作品の制作秘話としては、「Valentine」製作中に、リンジー・ジョーダンが最も戸惑いを覚えたであろうことは、実際にソングライティングを終え、いざ、出来上がった楽曲をスタジオアルバムとしてレコーディングを行っている際に、微妙な声変わりが起こったことでしょう。


元々、EP「Habit」や「Lush」といった傑作において、どちらかと言えば、ハイトーンのヴォーカルを特徴としていたジョーダンは、「レコーディングに取り組む過程、徐々に声が低くなり、ハスキーな声質に転じていったのがおかしかった」と回想しています。

 

そのあたりの声質の変化は、レコーディング最初期に録音されたと思われる「Valentine」から、ラストトラックの「Mia」に至るまでの楽曲の印象の急激な変化に表れ、それは実際に聴いていただければ分かる通り、まるで別のシンガーが歌っているような印象を受け、一、二年で録音された作品ではなく、五年や十年という長い時間をかけて生み出されたレコードのような興趣を添えています。

 

 

最後に、この「Valentine」が、なぜリスナーの胸を打つものがあるのか言い添えておくならば、このリンジー・ジョーダンの心情の変化がパンデミック時代を通して克明に描き出されているからなのです。


レズビアンであることを公表していなかったであろうデビュー作「Lush」で、ジョーダンは「誰ももう他の人を愛さない」と痛切に歌っていましたが、最新作「Valentine」において、何らかの大きな心変わりがあったことが、アルバムの有終の美を飾る最終曲「Mia」にて、暗にほのめかされています。


 

「Mia Don't Cry,I Love You Forever」 (ミア、どうか泣かないで、あなたを永遠に愛しているから)

                  Valentine 「Mia」より

 

 

実直に捧げられるリンジー・ジョーダンの愛の賛辞。まさにそれは、この世で最も美しい純粋な感情によって彩られています。


それは、これからの時代の新たな愛の姿を真摯に描き出すものであり、レズビアンとしてこの世を生きることの辛さ、そして、それとは反対に、「力強く貫かれる愛」の切なさを端的に表しており、実は、それが最初の「Valentine」から通じる一貫した主題であったと気がつかされるのです。


つまり、このアルバム「Valentine」全体を通して描かれる力強い愛の姿が、この作品を美麗で儚げにしているわけです。


異質な重圧と厳しい環境の中で制作され、苦心の末、完成へと導かれたインディー・ロックの名盤、スネイルメイルの「Valentine」は、2020年代の名盤として後世に語り継がれるにふさわしい傑作です。


 


 

 

 

Album of the year 2021  

 

 

ーBreakthrough Albumー

 


 

ここで取り上げるのは、鮮烈な2021年にデビューを飾った来年以降注目すべきアーティストのデビュー作。2022年のミュージックシーンがどのように変化するのか、これらのアーティストたちがその鍵を握っていると言えるかもしれません。





・Parannoul 

 

「To See The Next Part Of Dreams」 Parannoul

 

 

 Parannoul 「To See The Next Part Of Dreams」

 

To See the Next Part of the Dream  

 

 

 

サウスコリアのインディーズシーンでは、今、Asian Glowをはじめ、苛烈なシューゲイズに電子音楽の要素を混ぜ合わせた音楽が台頭していて、非常に勢いが感じられる。しかも、かなりラフでプリミティヴなミックスのまま完成品としてリリースしてしまうところに魅力があるように思える。

 

この雪崩を打って新たな概念を提示するアーティストが登場するような雰囲気こそ、何らかの「シーン」と呼ばれるものが現れる瞬間の予兆であり、それは、東京のシーンにLiteやToeが出現したポストロックの黎明期に重なる雰囲気がある。これからいくつかの新星がサウスコリアから登場すると思われるが、その筆頭格ともいえるのがこのパラノウルというソロアーティスト。


Parannoulは自身のプロフィール、バイオグラフィーについてオープンにしていない。学生のアーティストで、ホームーレコーディングを行って作品の発表を行うインディーミュージシャンであるということしか判明していない。


パラノウルは、最初の作品「Let's Walk on the Path of aBlue Cat」をWEB上で公開するところから活動をはじめた。


楽曲の公開は、2021年にBandcampという配信サイトを通じて行われただけにもかかわらず、Rate Your MusicやRedditでカルト的な人気を呼び、一躍パラノウルは世界的な知名度を得る。今後、2020年代、こういったWEBでの楽曲配信をメーンとするインディーミュージシャンが漸次的に増加していくような気配も感じられる。


「To See The Next Part Of Dreams」は、パラノウルの実質的なデビュー作である。LP,デジタルに加え、カセットテープ形式でリリースされているのも個性的な活動形態を感じさせる内容だ。パラノウルのこのデビュー作品は、特にインディー・ロックファンの間で好意的に受け入れられた作品で、日本にもファンは多い。

 

「To See The Next Part Of Dreams」独特な内省的なエナジーの強い奔出のようなものが感取られる個性的なアルバムである。そしてこの荒削りでゴツゴツした質感は現代の他の国々の高音質のデジタルレコーディングに失われてしまったものでもある。いわば、このパラノウルが自宅で一人きりで生み出した「音の粗さ」のようなものを多くの音楽ファンは求めているのかもしれない。


このデビュー作で、サウスコリアの宅録アーティスト、パラノウルが試みたアプローチは、明らかに、シューゲイズとテクノの融合、その挑戦が見事にデビュー作らしい美しい結晶を成した記念碑的な作品と呼べる。


他でも言われている通り、パラノウルの音楽性には、淡い青春のイメージが沸き起こされる。それは、アルバムジャケット、実際の音楽にも表されているとおり、なにか鬱屈とした内的な切なさのような情感を、激烈なディストーションサウンドによって彩ってみせている。


そして、アーティストがシンセサイザーを介して生み出す奇妙な迫力というのに、聞き手は驚かずにはいられない。そう、ものすごい迫力、パワーがこの作品には宿っているのだ。


二作目において、ポストロックのアプローチに転じたパラノウルだが、この最初の鮮烈なデビュー作にはこのアーティストの青春、そして、内的な感情に根ざした強いエネルギーが余すところなく込められている。


おそらく、誰もが若い頃に一度くらいは感じたことのある切ないエモーションを、パラノウルは電子音楽という形で見事に描き出している。

 

そして、このデビュー作品「To See The Next Part Of Dreams」がWeb配信中心のリリースであったにもかかわらず、アメリカのインディーシーンでもカルト的な人気を呼んだのは、この強い内省的なパワーに共感するリスナーが多かったからと思われる。パラノウルの描き出す青春は一人だけのものではなく、世界中の若者の心に響くにたる普遍性が込められていたのだろう。

 

パラノウルは、強い創作に対するエネルギーを保ち、この一、二年で、既に三作目の「Down Of The Neon Fall」を発表していることにも注目。今後もまだパラノウルの破格の勢いは途切れないように思われる。  

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

・Geese 

「Projector」 Partisan

 

 

Geese 「Projector」 


 PROJECTOR  

 

 

2021年現在、UKではポスト・ロックをはじめ、パンクムーブメントが再燃しているように思える。

 

騒乱にまみれた世界に対抗するには、上記のような若い力が音楽によって何らかの強いエナジーを示すことが必要なのかもしれない。つまり、若い人たちの前向きな力が生み出し、社会に働きかけるのがロックミュージックの醍醐味なのである。


もっとも、そのことは、今年、鮮烈なデビューを果たしたニューヨークのブルックリンを拠点に活動する十代の五人組、Geeseについても全く同じことが言えるかもしれない。


ギースは2000年代に特にNYで隆盛をきわめたガレージロックバンド、StrokesのDNAを受け継ぐ新世代のロックバンドといえる。


ギースの音楽活動は手狭な地下室で始まり、その地下室でのガレージロックに近い活動形態から生み出されるプリミティヴな音楽性、それに加え、シカゴの1980年代のポストロックバンド、ドンキャバレロのような、音楽を介しての前衛性がこのバンドの最大の魅力ともいえるだろう。


彼らのデビュー作「Projector」は、UKのラフ・トレードが「Album of the Month」として選出したレコードでもあり、 インディーロックの醍醐味が余すところなく発揮された快作である。それはアルバム全体に渡って、若いエナジー、ほとばしるようなパワフルさの込められた作品でなにか頼もしさすら感じてしまう。


その奔放さ、危うい舵取りについて、バンドサウンドの方向性が完全に定まっていないのではないか、という指摘もあるみたいだ。しかし、それでも、リードトラック「Rain Dance」を流した途端に感じる鮮烈な印象というのは、今年のデビュー作のリリースの中でも際立っていたように思える。


他にも、ストロークスの音楽性のクールさのDNAを受け継いだ「Low Era」、ドン・キャバレロやスリントに近いポスト・ロックに挑んだ「Exploding House」も十代とは思えないくらいのすさまじい迫力が込められている。


Geeseは、潜在能力が未知数で末恐ろしさすら感じられるバンド。来年以降、どのような画期的なリリースがあるのか、ファンとしてはワクワクして次作発表を心待ちにしておきたい。

 

 

 



 

 

・Gusokums (グソクムズ)      


 「Gusokums(グソクムズ)」 P-Vine



Gusokums (グソクムズ)      「Gusokums(グソクムズ)」


グソクムズ  

 

 

上記の3つのアーティストに加えてこのバンドを薦めておきたいのは、今後の作品のスタイルの方向性によっては、日本にとどまらず、海外でも人気を博す可能性をグソクムズは有しているからである。


その理由は以下に記すが、グソクムズは、田中えいぞを、を中心に結成された東京吉祥寺を拠点として活動するシティーフォークバンド。はっぴいえんど、シュガーベイブスといった日本の往年の名ポップスを継承する四人組だ。


彼らのバンドサウンド、バンドキャラクターについては、若い時代の細野晴臣、大滝詠一を彷彿とさせるような長髪のヒッピースタイルについても言わずもがな、音楽性についても日本のシティポップの系譜を新時代に伝えるものである。もちろん、吉祥寺のバンドということで、中央線沿線のサブカルチャー色に加え、まったりとした時代に流されない普遍的な雰囲気が漂っている。


P-vineから、満を持して発表されたデビュー作「グソクムズ」は、そういったシティフォークのコード感、あるいは、メロディの良さを再発見しようという試みがなされた痛快な一作である。


先行シングルとしてリリースされた「すべからく通り雨」 「グッドナイト」のセンスの良さもキラリと光るものがあり、リードトラックの「街に溶けて」の素晴らしさについても非の打ち所がないように思える。


繰り返しともなって大変申し訳ないけれども、今、マック・デマルコのカバーの影響もあってか、LAの若者の間で、細野晴臣、あるいは、シティポップの人気がそれがいくらか限定的なものであるとしても徐々に高まっているのは事実である。そして、Ariel Pinkを始めとするローファイサウンドやサイケデリック、また、リバイバルサウンドの盛んな西海岸のロサンゼルスのミュージックシーンでも、このグソクムズのデビュー作は、それらのバンドに近い雰囲気を持っているため、一定のコアな音楽ファンの間で好意的に受けいられそうな気配のある作品である。


グソクムズのデビュー作「Gusokums」は、インディーフォークやシティポップの色合いに加え、ローファイの雰囲気を併せ持ち、日本の歌謡曲に対する淡い現代人のノスタルジアに色濃く彩られている。日本のフォーク音楽の雰囲気を掴むのにうってつけの名盤のひとつといえる。







 

 


KEG 

「Assembly」


 

  



Assembly ['tatooine Sun' Orange Colored Vinyl] [Analog]


 

KEGは、英ブライトンを拠点に活動する七人組のポストパンクバンドである。ヨーロッパを中心に旅する過程の国々で集められたいわばEUのバンドともいえる。彼らのサウンドの下地には、1970年代のレジデンツのようなちょっと不気味なサンフランシスコのサイケデリア、そしてオハイオのディーヴォのニューウェイブの核心とも呼ぶべき音楽性を引き継いだバンドといえる。

 

近年、UKには、他にもブラックカントリー、ニューロードをはじめ、バンド形態というより、小さな楽団のような形の活動形態をとるバンドが多く、UKのミュージック・シーンで存在感を見せているが、このKEGについては、男のみで結成されたユニークさ、笑ってしまうような雰囲気を持ち合わせたバンドである。

 

実際の音楽にしても、バンドキャラークターにしてもサーカス団のような面白みを持ち合わせている。レコーディングに対しても暑苦しさを感じさせるヴォーカルのハイテンション、そして、その突き抜けた奔放さに一種の鎮静を与えているバックバンド、ジャズを下地にしたトロンボーンの音色が、コメディ番組に近いユニークさをもたらす。つまり、その前衛性については、The Residentsほどまでとはいかないが、シュールなユニークさというのがKEGの最大の魅力でもある。

 

今年の10月にリリースされた「Assembly」は、大きな話題を呼んだわけでもなく、商業的な成功をみた作品でもない。

 

しかし、それでも個人的に、このブライトンの七人の男たちに肩入れしたくなってしまうのは、KEGが、社会的な常識であるとか、通念だとかを跳ね返すような本来のアートのパワーを強固に保持しているからに尽きる。

 

もちろん、ここでは、反体制だとか、政治的なことについて言及したいのではない。ブライトンの海岸で結成されたKEGは、パンクロックの持つ本来の魅力を、どうにかして現代にほじくり返してやろうと試みる面白い奴らなのであって、彼らの音を奏でることを心から楽しむ姿勢が、この作品には目に浮かぶような形で溢れている。それは、ここ、二、三年のような厳しい社会情勢だからこそ、このバンドの持つ青春の輝きというのは対比的に強まるではないだろうか。

 

KEGの社会情勢を度外視したような淡い青春の一瞬の輝きは、パンクロックという形で繰り広げられる。彼らのテンションは余りに嵩じているが、しかし、一定数のコアなロックファン、パンクファンの心に揺り動かすに足るものと思う。








Album of the year 2021 

 

ーRap/Hiphopー 

 

 

 

 


・Nas  

 

「King Disease Ⅱ」 Mass Appeal 

 

 

 Nas 「King Disease Ⅱ」


 King's Disease II [Explicit]

 


アメリカ合衆国でディスコが衰退した後に登場したラップ、ヒップホップという音楽ジャンルは、1970年代後半のニューヨークのブロンクス地区の公園で、街中の電線から違法に電気を引いてきて、移民のDJがレゲエ、ダブを掛け始めることで始まった文化である。


この音楽文化を、Bボーイズ、ガールズ、数多くのDJインディーズレーベルがクラブカルチャーを通じて徐々に広めていった。当時、アメリカの主要な音楽を取り扱う最大手のビルボード紙にも、このラップ音楽の理解者が殆どおらず、一種のカウンターカルチャーとして見なされていた。しかし、今日のアメリカのミュージックシーンでは、ヒップホップがメインカルチャーに変わり、レコード産業はこの最も売れるジャンルに依存すらしているのは、時代の変遷ともいえるだろう。


長い時代を通して、アメリカの表社会からは見えづらい社会の闇、人種問題、人権問題、ゲットゥーの悲惨な生活、そういう影の部分にスポットライトを当てる役割がその後の世代を通して出現したラッパーたちには存在した。


もちろん、アメリカで最も著名なDJラッパーのひとり、ニューヨークのクイーンズ出身のNasについても全く同じことが言える。


ナズは、元々、八歳で学校をドロップアウトしたのち、ドラッグの売人をしながらゲットゥーをさまよった。彼に、教養、そして文学性を与えたのは、聖書、コーランといった聖典だった。


今日、ナズのラップが未だにアメリカ国内にとどまらず、ヨーロッパ圏でも大きな人気を獲得している理由は、「ラッパーの王者」となってもなお、そういった弱者、表社会からはじき出された人々に対する愛着を失わないからかなのかもしれない。赤裸々にアメリカ社会の闇を暴き出す姿勢、歯に衣着せぬ物言いが、特に、アメリカ国内の人々には痛快な印象すら与えるのだろう。


エミネムをゲストとして招聘した今作「King Disease Ⅱ」は、「王者のヒップホップ」というように、海外の複数の音楽メディアから数々の賛辞を与えられており、その中には歯の浮くような評言も見いだされる。もちろん、作品の話題性については言わずがな、グラミーも受賞するであろうレコードと率直に思う。現在も、ナズは、アメリカのラップ界のアイコンともいえる存在であることは、張りのあるスポークンワードだったり、そして、苛烈なフロウを見れば理解できる。そして、ゲトゥーからスターダムに這い上がってなお、ギャングスタ・ラップの色合いの強い、デンジャラスな雰囲気を今作でも過分に残しているというのは殆ど驚愕すべきことだ。


それはやはり、ナズが若い時代のゲトゥーでの生活、社会の底に生きる人々に一種の愛着のようなものを持ち続けていることに尽きると思う。このレコードに収録されている楽曲のトラックメイクについても王道のヒップホップを行くもので、全く売れ線を狙うような姿勢を感じさせないのも見事。

 

この作品には、いまだに、Nasのアメリカの表社会に対する一種の義憤、そして、ドラッグの売人の時代、ゲトゥーで暮らしていた時代に培われた強かな反骨精神のようなものがタフに感じられる。また、それが、ナズというアーティストが「ラップの王者」でありつづける要因でもあるのだ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

・Kota The Friend  Feat.Statik Selektah 

 

「To Kill a Sunrise」 Fitbys LLC

 

 

Kota The Friend  Feat.Statik Selektah 「To Kill a Sunrise」  


To Kill A Sunrise [Explicit]  



コタ・ザ・フレンドとして活動するAvey Marcel Joshua Joneもヒップホップの発祥の地であるニューヨーク出身のラップアーティストであり、イーストコーストヒップホップシーンを代表するDJである。


近年、オールドスクールのヒップホップスタイルも行き詰まりを見せているように思え、他のジャンルがそうであったようにクロスオーバー、つまり本来異なるジャンルをヒップホップに織り交ぜていこうと模索するDJが出てくるようになった。いわばヒップホップも次の時代に進んでいこうという段階にあるのかもしれない。


コタ・ザ・フレンドも同じように、クロスオーバー・ヒップホップに取り組んでいるアーティストのひとり、大学でトランペットを学んでいて、ラップの要素に加え、ジャズ、そのほかにも、クラブミュージック、チルアウト、ローファイ・ヒップホップの要素を織り交ぜたくつろげる良質なヒップホップ作品をリリースしている。また、追記としては、2019年に発表した「Foto」は、ローリングストーン紙によってヒップホップのベストアルバムの19位に選出されている。


コタ・ザ・フレンドの新作「To Kill a Sunrise」は、カニエ、ナズ、ケンドリックといった大御所ラッパーの作品に比べると、いくらか話題性、刺激性に乏しいように思えるかもしれない。しかし、この作品には普遍的な良さがある。ヒップホップによりアート性を求め、芸術作品へ昇華させていこうというジョシュア・ジョーンズの意思を感じさせる。そして、張り詰めたヒップホップではなくて、それとは正反対のまったりした質感を持ち、くつろいだ感じが漂う作品である。


上記の「King Disease Ⅱ」ような鮮烈な印象こそないが、ローファイホップのようなリラックスして聴くことの出来る作品。ジャズの上品な雰囲気の漂うラップの良盤の一つとしてひっそりと取り上げておきたい。 



 

 

 

 

 

 

 

・Mick Jenkins 

 

「Elephant In the Room」Free Nation Cinematic Music Group

 

 

Mick Jenkins 「Elephant In the Room」  


Scottie Pippen [Explicit]  

 


長い間、ヒップホップ、及びラップアーティストは、このヒップホップ音楽がR&Bを始めとするソウル音楽に強い影響を受けて誕生したジャンルということを半ば否定し、忘れていたように思えるが、ようやく、ヒップホップにビンデージ・ソウルの音楽性を添えるDJが出て来た。それがシカゴ、イリノイ州に活動拠点を置くラッパー、ミック・ジェンキンスだ。ヒップホップのミックステープ文化に根ざした活動を行っており、カセットテープのリリースも率先して行っている。


これまで、アメリカの人種問題について歌ってきたミック・ジェンキンスは、今作「Elephant Int The Room」において、個人的な人間関係を題材とし、痛快なフロウを交えて歌ってみせている。若い時代の父親との疎遠な関係、そして、現在の友人関係であったりを、理知的に、ときには、哲学的な考察を交えながら、スポークンワードという形に落とし込んでいる。つまり、この作品は、表向きのラップの音楽性とは乖離した、内省的な世界が描き出されたレコードなのだ。

 

特に、ミック・ジェンキンスのルーツともいえるアナログレコード時代のビンテージソウルの影響を感じさせる作品である。


「Elephant In The Room」の個々のトラックメイクについては、ソウルミュージックの要素がサンプリングを介して展開されている。なんとなく、哀愁の漂うノスタルジアを感じさせる作品となっている。それは、なぜかといえば、ほかでもない、ミック・ジェンキンスの幼少期の音楽体験によるものだろうと思われる。幼い頃、両親が、家でかけていたビンテージソウルのレコード、それは彼の記憶の中に深く残り続け、今回、このような形でラップとして再現されたのである。


本作において、ミック・ジェンキンスは、形而下の世界に勇猛果敢に入り込み、それを前衛的な手法に導いてみせている。

 

それは言ってみれば、疎遠な父親との関係、幼少期の思い出を主題として、ビンテージソウルを介してどうにか歩み寄ろうと努めているように思える。


つまり、ミック・ジェンキンスが志すヒップホップは、このように、内的な感情に根ざした深い心象世界を描き出す。それがこのレコード作品にほのかな哀愁にも似た淡い雰囲気をもたらす。

 

 

 

 

 

Album Of ther year 2021 

 

ーModern Soulー

 


 

・Jungle 

 

「Loving In Stereo」 Caiola

 

 


 LOVING IN STEREO [歌詞対訳・解説書封入 / ボーナストラック追加収録 / 日本盤CD] (BRC672)  




モダン・ソウル、或いはネオ・ソウルは、往年のR&Bに加え、様々なジャンルを交えたクロスオーバーを果たし、年々ジャンルレスに近づいているように思える。


そして、今年の一枚として選んでおきたいのは、ソウルミュージックの正統派の音楽でUKを中心とする数多くのヨーロッパのリスナーを魅了しつづけるJungleの最新のスタジオ・アルバム「Loving In Stereo」だ。


ジャングルは、ロンドンを拠点に活動するジョッシュ・ロイド・ワトソンとトム・マクファーランドを中心に結成された現在は7人組のグループとして活動するネオソウルプロジェクトであるが、デビュー作「Jungle」をリリースし、この作品が話題沸騰となり、イギリスを中心にヨーロッパのダンスフロアを熱狂の渦に巻き込んだ。「Jungle」はマーキュリー賞の最終候補にも選ばれた作品だ。


オアシスのノエル・ギャラガー、ジャミロクワイもジャングルの二人の音楽性については絶賛していて、リスナーだけではなく、ミュージッシャンからも評価の高いジャングルの音楽が人気が高い理由、それは、往年のディスコサウンド、EW&Fを始めとするソウル、ファンカデリックのようなPファンクを、アナログレコード時代のノスタルジアを交え、巧みなDJサンプリング処理を交えて、現代人にも心置きなく楽しめる明快なソウルミュージックを生み出しているからなのだ。


2021年リリースされた最新作「Loving In Stereo」でもJungleのリスナーを楽しませるために一肌脱ぐというスタンスは変わることはない。人々を音で楽しませるため、気分を盛り上げるため、ロイド・ワトソンとマクファーランドの二人は、このアルバム制作を手掛けている。もちろん、彼らの試みが成功していることは「All Of The Time」「Talking About It」「Just Fly,Dont'Worry」といったネオソウルの新代名詞とも呼ぶべき秀逸な楽曲に表れているように思える。


もちろん、Jungleは知名度、商業面でも大成功を収めているグループではあるが、話題ばかり先行するミュージシャンではないことは、実際のアルバムを聴いていただければ理解してもらえるだろうと思う。ブンブンしなるファンクの王道を行くビート、そして、分厚いベースライン、ヒップホップのDJスクラッチ的な処理、これらが渾然一体となった重厚なグルーブ感は実に筆舌に尽くしがたいものである。それは、言葉で語るよりも、実際、イヤホン、ヘッドホン、スピーカーを通してジャングル生み出すグルーヴを味わう方がはるかに心地よいものだといえる。


「Loving In Stereo」にあらわれている重厚なグルーヴ、低音のうねりと呼ぶべきド迫力は、EW&Fやファンカデリックといったアメリカ西海岸の先駆者に引けを取らないものであるように思える。そして、彼らのそういった先駆者たちへの深い敬意がこの作品に込められているのである。 

 

 

  

 

 






・James Blake 

 

「Friends Break Your Heart」 Polydor


 


Friends That Break Your Heart  

 


ジェイムス・ブレイクは、インフィールド・ロンドン特別区出身のソングライターである。デビュー作「James Blake」で前衛的なプロダクションを生み出し、鮮烈なるデビューを果たし、一躍、UKのミュージックシーンのスターダムに躍り出た。


その後、ブライアン・イーノ、ボン・イヴェールといったUKきっての著名なミュージシャンだけでなく、RZAやトラヴィス・スコットといったアメリカのラッパーと深いかかわりを持ってきたミュージシャンであるため、電子音楽、ヒップホップ、ソウル、単一ジャンルにとらわれない、幅広いアプローチを展開している。


ブレイクの新作「Friends Break Your Heart」は今年の問題作のひとつ。アルバム・ジャケットについては言わずもがなで、賛否両論を巻き起こしてやまない作品である。SZAやJIDといったラップアーティストとのコラボについても話題性を狙っているのではないかと考える人もいらっしゃるかもしれない。


主要な音楽メディアは、このアルバムについてどのような評価を与えたのかといえば、イギリスのNMEだけは、このアルバムに満点評価を与えた一方、きわめて厳しい評価を与えたメディアも存在する。


それは、このアルバムがブレイクの告白的なコンセプト・アルバム、文学でいえば、フランスのルソーの「私小説」に近いニュアンスを持った作品であるからだろう。もしかすると、この点について、多くの音楽メディアは、なぜ、ジェイムス・ブレイクのようなビックアーティストが今更個人的なことについて告白する必要があるのか、と、大きな疑問を持つのかもしれない。ブレイクならば、もっと社会的な問題を歌うべきだ、と多くのメディアは考えているのかもしれない。

 

しかし、本当にそうだろうか。必ずしも、大きな社会的な問題を扱うだけがアーティストの役割とは言えない。

 

つまり、そういった社会の常識に追従しない気迫をジェイムス・ブレイクは本作において示しているように思える。それは、リスナーとしては、とても心強いことであり、なおかつ頼もしいことなのだ。さらに、好意的にこのアルバムを捉えるなら、この作品はPVを見ても分かる通り、いかにもこのアーティストらしい、個性的なユーモアが込められていることに気がつくのだ。


それは、明るい意味でのユーモアというより、ブラックユーモアに近いものなので、ちょっとわかりづらいように思える、イングリッシュ・ジョークに近い、暗喩的ニュアンスが込められているのである。


しかし、「自分の代替品はいくらだってある」と、自虐的に歌うブレイクだが、ラストトラック「If I’m Insecure」では、その諦めや絶望の先に希望を見出そうとしている。つまり、この作品を、寓喩文学に近い側面から捉えるなら、全体的な構成として、暗鬱な前半部、そして、明るい後半部まで薄暗く漂っていた曇り空に、最後の最後になって、神々しい明るいまばゆいばかりの希望の光がほのかに差し込んでくる、それが痛快な印象をもたらすわけである。


つまり、コンセプトアルバムとして、この作品には、ジェイムス・ブレイクの強いメッセージが込められている、生きていると辛いこともあるけど、決して諦めるなよ、という力強いリスナーに対する強いメッセージが込められているように思える。そういった音楽の背後に漂う暗喩的なストーリにNMEは気がついたため、満点評価を与えた(のかもしれない)。個人的な感想を述べるなら、本作は「Famous Last Word」をはじめ、ネオソウルの新しいスタイルが示されているレコードで、ジェイムス・ブレイクは新境地を切り開くべく、ヒップホップ、ソウル、エレクトリック、これらの3つのジャンルを中心に据え、果敢なアプローチ、チャレンジを挑んでいる。


それは、既に国内外でビックアーティストとして認められていながら、この作品を敢えてカセットテープ形式でのリリースを行うというアーティストとしての強い意思表示にも表れている。


つまり、どこまでもインディー精神を失わず、現在まで活動をつづけているのがジェイムス・ブレイクの魅力でもあるのだろう。 

 

 

 

 


 

 


 


・ Hiatus Kaiyote

 

「Mood Valiant」 Brainfeeder

 

 


Mood Valiant  


 

ハイエイタス・カイヨーテはオーストラリアを拠点に活動するネオソウル・フューチャーソウルの代表的なグループである。


この作品は2020年からレコーディングが始まったが、途中、このグループのヴォーカリスト、ナオミ・ネイパームが乳がんに罹患し、その病を乗り越えてなんとか完成にみちびかれた作品ということから、まずこの作品に対し、そして、このヴォーカリストに対して深い敬意を表しておかなければならない。さらに、2つ目のパンデミックという難関を乗り越えて完成へと導かれた作品でもあることについても、同じように深い敬意を表して置かなければならないだろう。


しかし、そういった作品の背後にあるエピソードを感じさせないことが「Mood Valiant」という作品の凄さとも言える。


本作では、ポップ、ソウル、ヒップホップ、エレクトロニック、チルアウト、ローファイ、これらの音楽性が渾然一体となり、ひとつのハイエイタス・カイヨーテともいうべきミュージックスタイルが確立された作品である。


長い期間を経て制作されたアルバムにもかかわらず、時の経過を感じさせないタイトで引き締まった構成力が感じられる。そこに、ネイパームの渋みのあるヴォーカルがアルバム全体に絶妙な艶やかさ、色気とも呼ぶべき雰囲気をそっと静かに添えている。もちろん、そのヴォーカルというのは、このアルバム制作期間において自身の病を乗り越えたがゆえの本当の意味での強い生命力が込められているのだ。


そして、ハイエイタス・カイヨーテがオーストラリア国内にとどまらず、世界的な人気を獲得し、グラミー賞にも、当該作がノミネートされている理由は、トラック自体のノリの良さに加え、その中にも深い味わい、一種のアンビエンス、ソウルという表現性を介してのメロウな雰囲気をもつ、秀逸なソウルミュージックを生み出しているから。そして、表向きの音楽性の中に強いソウルミュージックへのハイエイタス・カイヨーテの滾るような熱い気持ちが表された作品ともいえる。  

 

 

  

 


 

 

 

 


・Mild High Club 

 

「Going Going Gone」 Stones Throw



 


Going Going Gone


マイルド・ハイ・クラブはイリノイ州シカゴを拠点とするサイケデリックポップ・グループである。表向きにはローファイ寄りのロックバンドではあるものの、このバンドの音楽性には、ほのかにソウル、R&Bの雰囲気が漂っているため、モダンソウルの枠組みの中で紹介しておきたいバンドでもある。


「Going Going Gone」は近年、LAを中心に盛んなリバイバルサウンド、ローファイ感を前面に打ち出したモダンな作品といえる。


この作品の良さ、魅力については、「雰囲気の良さ」という一言で片付けたとしてもそこまで的外れにはならないと思える。


それに、加えて、MHCの生み出すメロウなメロディは、コアなリスナーに一種の安らいだ時間を与えてくれるはず。


しかし、もうひとつ踏み込んで、マイルド・ハイ・クラブの音の魅力を述べるならば、彼らの音楽のフリークとしての表情、矜持とも呼ぶべきものが、これまでの作品、そして、最新作「Going Going Gone」に表れ出ていることであろう。それは、俺たちは他のやつらより音楽を知ってるんだぜ、という矜持にも似た見栄とも言える。


無論、マイルド・ハイ・クラブの音楽性はお世辞にも、それほど、上記の作品ほどには存在感があるわけではないけれども、彼らの音楽に深い共感を見出すリスナーは少なくないはずである。

 

いわば、「レコードマニアが生み出したレコードマニアのための音楽」と喩えるべきフリーク性がこの作品には発揮されていて、それが音楽ファンからみても、とても頼もしくもあり、痛快でもあるのだ。


また、それは、別に喩えるなら、アナログレコードプレーヤーに針を落とし、実際にノイズがぱちぱち言う中、音がゆっくり流れ始める、あの贅沢で素敵なタイムラグ、そういったコアな音楽ファンのロマンチズムが、このアルバム全体にはふんわり漂っている。マイルド・ハイ・クラブの音楽に対する尽きせぬロマンチズム。


その感覚というのは、何故かしれないが、実際のサイケデリック寄りの音楽を介し、心にじんわりした温みさえ与えてくれるのである。

 

 

 




Album of the year 2021 

 

ーSinger-Songwriterー 

 

 



 

・Angel Olsen

 

「Aisles」 jagujaguwar

 

 


 

通称、シンガーソングライターというのは、男性アーティストにしろ、女性アーティストにしろ、そのミュージシャンの個性、キャラクターがバンド形態よりはるかに色濃く出る場合がある。


そのことをこれまでの快作において示してきたのが、素晴らしい声量、そして伸びのある美しい歌声を持つ、ノースカロライナ州アシュビル出身のシンガーソングライター、エンジェル・オルスンである。


エンジェル・オルスンは、ジョアンナ・ニューサム以降のフォーク・ロック、オルタナ・カントリーの系譜から登場したと言われていて、作品のプロモーションビデオごとに様変わりするド派手なキャラクターを演じるユニークなアーティストだ。


表向きの演出に加え、音楽性についても個性的であり、カントリー、フォーク、グラムロック、シンセ・ポップ、グランジ、1960年代から1990年代までの、幅広いポピュラー音楽を自由自在に縦断し、新鮮味あふれる未来のポップス/ロックの作風を、これまでの作品において展開している。そのスター性は、ミネアポリスサウンドの立役者Princeのド派手な雰囲気に近い、と言っても差し支えないかもしれない。

 

8月にjagujaguwarからリリースされたEP「Aisles」は、シャロン・ヴァン・エッテンとのコラボレートした名シングル「Like I Used To」に続く作品で、1980年代のクラシックソングのカバーで構成されている。


「Aisles」は、2020年の冬、アッシュビルのDrop of Sun Studioでレコーディングされ、エンジニア、Adam Mcdanielをと共に制作された一作である。


アダム・マクダニエルの妻のエミリーは、自宅を提供し、エンジェル・オルソンに実際の録音を始めるまで、様々な創造性と安心感を与えた。


その甲斐あってか、この作品は、全てカバー曲で構成されているが、シンセサイザーを介して自由性の高いアレンジメントが行われている。さらに、それに加えて、この夫妻とともに睦まじい時間を過ごしたエンジェル・オルセンの、のびのびとした歌声を全曲に渡って聴くことができる。


特に、オリジナル曲から想像だにできない独創的なアレンジが行われていることに注目である。その点については、作品中の一曲、「Gloria」についてのエンジェル・オルセン自身のコメントに共感を見出していただけるはず。



「クリスマスで家族で集まったときにはじめて、”Gloria"を聴いたのですが、皆が立ち上がって踊りまくっているのに驚きました。そこで、スローモーションで踊って皆が笑っている姿を想像してみたら、なんだか楽しそうで、実際にこんなふうにやってみようかなと思いついたんです」

  


 




 

 


・Sam Fender 

 

「Seventeen Going Under」Polydor



 


Seventeen Going Under  

 

 

サム・フェンダーは、イギリス、ノースシールズ出身のシンガーソングライター。


個人的にこのアーティストを何度か推すのは、ヴォーカリストとして高音のビブラートの伸びが独特であること、そして、歌詞についても、若者がぜひともいわなければならないことをまったく気後れなく歌っており、監視社会、フェイクニュース、セクシャル・ハラスメント、と、社会的な問題について、自分なりの考えを歌詞を通じて歌っているアーティストであるがゆえなのだ。


特に、今夏にリリースされた「Seventeen Going Under」はアルバムとして聴いても粒ぞろいの楽曲ばかりで聴き応えも十分といえるし、また、現代の歌手らしいメッセージ性溢れる傑作といえる。

表題曲の「Seventeen Going Under」は、イギリスのミュージックシーンの新たな象徴的な楽曲ともいえる影響力を持った一曲。国内の若者の苦悩に寄り添ったヒットナンバーのひとつで、サム・フェンダーは、社会全体の若者の苦悩を自らの体験に根ざし、明るい側面ではなく暗い側面をあるがままに見据え、それを秀逸なポップソングとして昇華しているのが見事である。


サム・フェンダーは、既にブリットアワードの批評家賞を受賞していて、UKの音楽評論家の評価についてはお墨付きといえるが、これから一般のリスナーにも、その楽曲の持つ良さが理解されていくはず。未だブリット・ポップというジャンルはイギリスに健在であること、そして、自分が気骨あるアーティストだと示してみせたのが「Seventeen Going Under」なのである。

 

これまで、サム・フェンダーがボブ・ディランやニール・ヤングといった大御所のサポート・アクトを務めているのには明確な理由があって、それは、UKの音楽シーンが彼に大きな期待を寄せているからなのだ。これから、世界で大きな人気を獲得しそうな雰囲気のあるアーティストとしても注目である。

 

 

 

 

 




・Courtney Barnett 

 

「Thinking Take Time,Take Time」Marathon Artists


 



Things Take Time, Take Time

 


Covid19のパンデミック、それに伴う社会的活動の制限という抜き差しならぬ問題は、私達一般の市民はもとより、アーティストにも何らかの行き止まりに突き当たらせ、そして、そこで、新しい考えに転換を図らざるをえなくなる契機となった。しかし、一方で、それは何らかの重要な教えをもたらすことでもあった。そのことを示すのが、オーストラリア、メルボルン出身のシンガーソングライター、コットニー・バーネットの最新作「Things,Take Time,Take Time」といえる。

 

コットニー・バーネットは、私達が日々直面する問題や障壁について、それほど重苦しく考えず、長く生きていると、そういった出来事もあるんだから、そのことについてそれほど重く思い悩む必要などない、気長にやっていこう、というメッセージをこのアルバム自体にこめているように思える。


それは表題にある通り、「なにかをなすのには長い、長い時間を要する」と銘打たれている通りで、バーネット自身が音楽を完成させること、アーティスト活動を通じて、物事がより良い方に向かうには、それなりの長い時間の経過が必要であることを熟知しているから。この作品で展開されるサウンドアプローチは、これまでのコットニー・バーネットの作風に通じるもので、Pavementを始めとする、1990年代のインディーロックに対する深い愛情が込められていて、それがゆったりして穏やかなローファイ感あふれるニュアンスと見事な融合を果たしている。

 

そして、この作品が、2021年に生きる、それから2022年以降を生きていく人にとってマストアイテムともなりえるのは、ひとつひとつの問題についてあまりにも現代の人はその瞬間にすぐさま解決へ導こうとしていて、それがそのまま社会の疲弊につながっているのはないか、ということにあらためて気が付かせてくれるからなのだ。偶には、時間にゆとりをもち、本当の意味でのゆったりとした時間を大切にすることが幸福に繋がる。

 

コットニー・バーネットの新作「Thinking Take Time,Take Time」は、なにも、おおそれた幸福ばかりではなく、目の前にあるささやかな幸せ、そういうものも尊いということにあらためて気付かせてくれる。


もちろん、そういった難しい問題を度外視したとしても、この作品の素晴らしさは、失われることはない。「Write A List Of The Things To Looking Foward To」を始め、インディーロックの名曲が数多く収録された2021年の隠れた傑作として挙げておきたい。

 

 

 

 



 

 

 

・Oscar Lang

 

「Chew The Scenery」 Dirty Hit



 


 Chew The Scenery [Explicit]

 

 


オスカー・ラングは、「インディーロック界の鬼才」とも呼ばれている、今最も注目するべきシンガーソングライターのひとりだ。

 

今年、華々しいデビューを飾ったばかりの18歳のイギリスロンドン出身のシンガーソングライターである。


サイケデリックをはじめ、ピアノポップ、ローファイ、多種多様なサウンドを自在にクロスオーバーした楽曲を、これまでに四枚のEPを通じて発表している。今まさにUKのミュージックシーンの中でもホットで話題性あふれるアーティストと言えるだろう。


オスカー・ラングのデビューアルバム「Chew The Scenery」は、ギターロックにノイズ性を交え、そこに絶妙なポップセンスが加味された作品で、あふれんばかりの創造性がこの作品には溢れ出ている。


もちろん、ノイズ性を徹底的に押し出したロックサウンドというのは、表面的にサイケデリック、いくらかアヴァンギャルドの色合いさえ併せ持つのだが、何と言っても、この作品を魅力的にしているのは、オスカー・ラングの天性のポップセンス、ブリット・ポップの時代を彷彿とさせるノスタルジア感満載の旋律を次々に生み出す、類まれなるソングライティング能力。それにくわえて、無尽蔵のはちきれんばかりのクリエイティヴィティを感じさせるギターの演奏の迫力にある。

 

2020年代のニューミュージックというべきフレッシュな音楽性を引っさげて台頭したユニークなシンガーソングライター、オスカー・ラングのデビューアルバム「Chew The Scenery」を聞き逃すことなかれ。UKロンドンのミュージックシーンにあざやかな息吹を吹き込んでみせた痛快な作品と呼べる。

 


 


 

Album of the year 2021 

 

ーIndie Rock/Alternativeー





 

・Lightning Bug

 

 「The Color Of The Sky」 Fat Possum



Lightning Bug 「The Color Of The Sky」

 

 A Color Of The Sky  

 

 


ライトニング・バグは、ニューヨークを拠点に活動するドリーム・ポップバンド。Audrey Kangを中心に、Kevin Copeland,Logan Mlleyの3人で結成された。

 

その後、Dane Hagen,Vincent Pueloが加わり、五人編成となった。2015年には、自主レーベルから「Floaters」をリリースしてデビューを飾り、その後、ミシガン州のFat Possumと契約を結び、今年、最新作を発表している。


この「The Color The Sky」は、米国ニューヨーク北部の山岳地帯”キャッツキル”でレコーディングされた作品で、夜空の満点の星空を眺めるかのようなロマンチシズムに満ちている。何と言っても、このバンドのサウンドの骨格を形作るのは、Audrey Kangの透き通るような歌声、そして、その歌を背後から支える、おだやかでやさしいインディー・ロックサウンドにあるといえる。

 

レコーディングが行われたニューヨーク北部キャッツキルの山々の清涼感を呼び覚ますような作品であり、それが聞きやすいポップス、フォーク、ロックという3つの形態をとって上質な楽曲として提示されている。


Audrey Kangの生み出す楽曲はどこまでも素朴で、純粋な響きが込められているが、この作品「The Color The Sky」について、ライトニング・バグの楽曲の多くのソングライティングを手掛けるAudrey Kangは以下のように語っている。

 

「リスナーには、自分の内面の世界を探求してほしいと思います。この作品は、自分を信頼すること、自分に深く正直になること、そして、自己受容が無私の愛を生み出すことを主題にしています」

 

この作品は実際の音楽性については無論、自分の中にある本来の美しさ、そして、自分という存在の尊さはこの世のすべての人に存在する、自分が存在していることがそのまま大きな価値という真理に思い至らせてくれる作品。


「無私の愛」という、この世の中で唯一の真理に根ざして制作されたレコードであること、それこそが私がこの作品を心から愛し、今年のインディーミュージックの最高の一枚として挙げておきたい理由である。 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

・Mdou Moctor 

 

「Afrique Victime」 Matador


 

Mdou Moctor 「Afrique Victime」 

 

Afrique Victime [解説・歌詞対訳 / ボーナストラック収録 / 国内盤] (OLE1614CDJP)  

 

 

エムドゥー・モクターは、既に日本のサイケデリックロックファンの間でも注目度が高まっている、西アフリカのジミ・ヘンドリックス、ヴァン・ヘイレンの再来とも称される左利きの天才ギタリスト、エムドゥー・モクターを擁するロックバンドである。


昨日、バラク・オバマ元大統領のお気に入りの楽曲を集めたプレイリスト「Barack Obama's Playlist」がSportifyで公表されたが、そのプレイリスト中に「Afrique Victime」の「Tala Tannam」がリストアップされている。バラク・オバマ元大統領は相当な音楽通であることは疑いないようである。

 

元々は、両親にギターを演奏することを反対され、自転車のワイヤーを改造して自作のエレクトリックギターを作り、演奏法を独学で習得し、自作の音源集を音楽アプリケーションを介して発表していたエムドゥー・モクターは、西アフリカ、砂漠地帯のニジェールのタマシェク族の出身であり、その西アフリカの砂漠地方の伝統、文化、そして思想を、一身に背負ったアフリカの伝道師とも呼ぶべき人物である。


アフリカという土地が世界でも辺境ではないことを、彼はエレクトリックギターの演奏を通じて、勇ましく主張している。


もちろん、そのような思想じみたことはそれほど重要ではない。エムドゥー・モクターの演奏というのは、思想を越えた偉大な芸術のひとつである。それが何度も私がこのギタリストの記事を書いてきた理由でもある。


しかし、アフリカ大陸にルーツを持つが故にデビューする年代も一般のミュージシャンよりも遅れてしまったことも事実である。


それでも、いよいよ米国の名門インディーズレーベル「Matador」との契約を果たし、アフリカだけではなく、世界的なロックミュージシャン、ギタリストとして活躍し始めるようになったことは世界的に見ても重要なことといえる。


このエムドゥー・モクターの最新作「Afrique Victim」は、アルバム全体を通して、一部がフランス語で歌われているのを除いては、すべてがアフリカの固有の言語「タマシェク語」で歌われている。


言語というのが今日の世界において、どこまで後世に残るものなのかは疑わしいところである。いつ、何時、どの民族が憂き目にさらされるのか、それはたとえばウイグルのチベット民族の排斥という事実をみても、明日、どの民族の文化、言語が失われていくかわかったものか知れない。

 

だからこそ、この作品「Afrique Victime」は、今年のインディー・ロックのリリースの中で最も象徴的な一枚として挙げておく必要があるのだ。


「アフリカの犠牲」は何を語るのか? 


それはこの天才ギタリストの唸るような迫力満点のギターののびのびとした演奏に込められている。悲哀、歓喜、祝福、すべての神々しい感情がエムドゥー・モクターの演奏には宿っており、とりもなおさず、そのことがこの作品に、神聖な雰囲気を与えている理由でもある。そして、エムドゥー・モクターが、西アフリカの固有言語「タマシェク語」で真心を込めて歌うこと、また、西アフリカの伝統音楽を下地にしたサイケデリック・ロックを奏でること、この2つは冗談でもなんでもなく、「世界」という大きな視野を持った際には意義深いと言えるだろうか。  


 


 

 


 



 

 

・Beach Fossils  

 

「The Other Side Of Life:Piano Ballads」 Beyonet

 

 Beach Fossils  「The Other Side Of Life:Piano Ballads」  


The Other Side of Life: Piano Ballads (AMIP-0268)  




音楽というのは、時に、実際の表側に顕れた音よりもはるかに味わい深い何かを聞き手の情感に呼び覚ますことがある。


そのことを端的に表すのが、ニューヨーク、ブルックリンのインディー・ロックシーンをCaptured Tracks の旗手としてワイルド・ナッシングやマック・デマルコと牽引してきたビーチ・フォッシルズの最新作「The Other Side Of Life:Piano Ballads」である。


この作品は、「Somersault」や「What A Pleasure」をはじめ、これまでビーチ・フォッシルズが発表してきた代表的な作品を下地にし、バンドの中心人物であり、ビーチ・フォッシルズの楽曲のソングライティングの多くを手掛けてきたダスティン・ペイザー、そして、既にこのバンドを脱退している元ドラマー、トミー・ガードナーが再び協力し、二人三脚で生み出された美麗な感情を感じさせるジャズアレンジアルバムである。


作品の制作が開始されたのは、パンデミックが始まった時だ。ダスティン・ペイザーがトミー・ガードナーに連絡をとり、作品に取り掛かった。そこで、ペイザーは、このかつてはバンドで演奏や作曲をともにした友人のこれまで見いだされなかった隠れた才能に気がついた。それは、ニューヨークのジュリアード音楽院で体系的にジャズ音楽を学んだがゆえのジャズマンとしての才覚だった。


トミー・ガードナーのサックスやピアノを始めとするジャズ奏者としての際立った演奏力は、全てこの作品の中に表れている。それは、かつての往年のニューヨークのジャズマン、マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンのような正統派の才覚がこのアルバムの全体に表れ出ているように思える。


そして、この作品が美しい響きを持つ理由は、これまで多くの時間をバンドメンバーとして過ごしてきたからこその味わい深い人情、この世で最も美しい感情が「The Other Side Of Life:Piano Ballads」には貫流しているからだ。言ってみれば、なにか、この作品の実際の録音から感じ取れるのは、この二人が隣に座ってピアノを一緒に演奏しているような微笑ましい姿なのである。

 

音楽を通して繋がってきた友人の清らかな感情、思いのようなものが、美麗に、弛まず、ゆるやかなジャズアレンジ曲を通して流れていく。


これらの8つの楽曲には、二人のバンドメンバーの互いの敬意、そして、感謝、また、それより上の愛情のようなものがじんわり感じられる。このアルバムでの音楽をとおして伝えられる二人の感情表現は、きっと、聞き手の心を掴み、ぐっと何か惹きつけられるものがあるに違いない。 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

・The Album Leaf 

 

「In An Off White Room」 Album Leaf /Eastern Grow


 

Album Leaf 「In An Off White Room」  


In an Off White Room  

 

 

アルバム・リーフは、Tristezaを解散させた後に、ジミー・ラヴェルがあらたに立ち上げたポストロックバンドである。


2000年代からモグワイ、シガー・ロスと並んでポストロックのセカンドウェイヴを牽引してきた偉大なロックバンドだが、上記の二バンドに比べると、一般的な知名度という点ではいまいち物足りないように思える。それはひとつ、アルバム・リーフは生粋のインディー・ロックバンドといえ、商業的な成功を度外視し、DIYバンドとしてのスタイルを維持してきているからである。


アルバム・リーフは、myspace等の配信サイトを中心に2000年代から2010年代にかけて楽曲の発表を行ってきたこともあり、これまでリリースした多くの作品の原盤は既に入手困難となっている。


しかし、表向きの知名度とは別に、アルバム・リーフはやはり素晴らしいインディーロックバンドであることには変わりはない。作品毎に成長を緩やかに続け、他のロックバンドには紡ぎ出せないエモーション、繊細さ、そしてギターロックとしての深みを追究してきた硬派のグループでもある。


今作「In An Off White Room」は、ミニアルバム形式ではありながら、アルバム・リーフの集大成ともいえるような作品である。


これまでのアンビエントとポストロックの中間をいくかのような絶妙なサウンドアプローチは維持しつつ、鳥の声のサンプリングをはじめ、実験音楽の要素が込められている。電子音楽家とは異なり、ロックという領域において、ここまでアンビエントという音楽に近づいたバンドはアメリカのアルバム・リーフを差し置いてほか見当たらない。


最初期からのクリーントーンのギターの美しいアルペジオは健在、 ハーモニーの凄みはすでに名人芸の領域に達している。十数年間、流行の商業音楽からかけ離れた正真正銘のインディーロックをたゆまず追究してきたバンドの精神力と忍耐力が生み出したひとつの音楽スタイルの頂点である。

 

 

 

 


 

Album of the year 2021 

 

ーPost Classicalー





  

 

・Lucinda Chua 

 

 「Antidotes Ⅱ」 4AD


 

 Lucinda Chua  「Antidotes Ⅱ」 


 Antidotes 2

 

 

ルシンダ・チュアは英国、マレーシア、中国、と3つの国のルーツを持つチェロ奏者、ヴォーカリストである。

 

3歳の頃からSuzuki Methodを介してピアノ、チェロの学習をはじめ、その後、ノッティンガム大学で写真を学び、写真家として活動を行った後、音楽家としての道を歩みはじめた。Stars Of the Lidsといったアンビエントミュージシャン、FKA Twingsといったポピュラー音楽のアーティストのライブで共演を果たしたことが、 ソロアーティストとして活躍する布石となった。英国の名門インディーレーベル”4AD”からの「Antidotes」を引っさげてのデビューは、写真家として、チェリストとしての下積みの後に訪れた、満を持してのシーンへの台頭と言えるだろうか。


そして同じく、4ADから今年の夏にリリースされた二作目のミニ・アルバム「Antidotes Ⅱ」はアンビエントという枠組みでも語られるべき作品で、次いで、モダンポップス、ポスト・クラシカルとしても良質な名盤のひとつには違いあるまい。


この作品は、ピアノ、チェロ、そして、ルシンダ・チュアのヴォーカルをフーチャーし、クラシック、ポップス、ジャズ、アンビエントといった様々なジャンル要素が渾然一体となった作品である。


そのように言うと、いくらか堅苦しい印象を覚えるかもしれない。それでも、実際の楽曲を聴いてみれば、この作品はそれほど難解ではなく、ゆったりくつろいで聞けるアルバムであることが理解していただけるはずである。


この作品で繰り広げられるエキゾチックな雰囲気の漂うクラシカルやR&Bを基調にしたポピュラーミュージック(この作品にどことなく西洋ではない東洋の雰囲気がほのかに漂っているのは、取りも直さず、ルシンダ・チュア自身が中国というルーツを、ことのほか気に入っているからでもある)は、現代のモダンクラシカル、ポスト・クラシカルという2つのジャンルに新鮮な息吹をもたらしている。


依然として、それほどまでには大きな注目を受けていない作品ではあるものの、あらためて、今年のポスト・クラシカルの名盤として、ここで紹介しておきたい傑作のひとつ。

 

 

  

 


 

 

 

 

Nils Frahm 

 

「Old Friends,New Friends」 Leiter


  

Nils Frahm 「Old Friends,New Friends」 


 OLD FRIENDS NEW FRIENDS [2CD]  

 

 

「Old Friends,New Friends」について何度も書いてきているが、再度この作品を取り上げるのは、ニルス・フラームはポスト・クラシカルというジャンルを2000年代の黎明期から開拓してきた立役者の一人であるとともに、今作品がポスト・クラシカルというジャンル自体のクロニクル、このそれほど一般的には浸透していないジャンルをよく知る手がかりともなっているからである。


「Old Friends,New Friends」はフラームが自身のマネージャーと設立した”ライター”から12月3日にリリースされた作品で、ニルス・フラームがこの約十年間未発表曲として温めていた楽曲を収録したレコード。


これまで古典音楽、電子音楽、そして、F.S,Blummとのダブ作品を始めとするクラブ・ミュージックの作風というように実に多彩なジャンルのレコードを発表しているので、その内のどの性格がこのアーティストの実像であるのかについて、多くのリスナーは不可解に思っているかもしれないが、実際、くるくると変化する表情、あるいは、作風、まるで掴みどころのないような変身。そのうちのどれもが、ニルス・フラームという人物の本質ともいえるかもしれない。そして、今作「Old Friends,New Friends」は、彼の最初のキャリアを形作ったクラシカル、つまり、ドイツロマン派に近い雰囲気を持った、このアーティストの姿が見いだせる作品でもある。

 

2021年現在、アメリカのJoep Beving、アイスランドのOlfur Arnoldsをはじめ、世界を股にかけて活躍をするアーティストが増えてきた。


その中でも、ニルス・フラームは、やはり、ドイツのロマン派の音楽の継承者として、過ぎ去った時代の東欧の音楽の伝統性を次世代に引き継ぐ役割を担っているように思える。それが、最も、わかりやすい形で体現されたのが、このニルス・フラームのクロニクル的な作品だ。

 

ーーロマンチシズム、エモーション、ノスタルジアーーといった、シューベルト、リストの時代に最も繁栄したロマン派の音楽の可能性を、現代において新たにスタイリッシュに組み直した作品である。

しかし、この作品は決してアナクロニズムと喩えるべきではない。これはまた、新時代のモダン・クラシック音楽の形の一つで、2020年代の新しい音楽として解釈されてしかるべきなのだろう。 

 

 

Listen on 「All Numbers End」:

 

 https://www.youtube.com/watch?v=SgKjNXxNaSQ

 

 



 

 

 

The Floating Points・Pharoah Sanders ・London Sympony Orchestra 

 

「Promises」 Luaka Bop



The Floating Points・Pharoah Sanders ・London Sympony Orchestra 「Promises」 


 Promises  

 


どちらかといえば、厳密には「Promises」はモダン・クラシカルの枠組みで紹介されるべき作品ではあるものの、2021のポスト・クラシカルとしての最高傑作に挙げることをお許し願いたい。


フローティング・ポイントとして活動するサム・シェパード、モダンジャズのサックス奏者として長年活躍するファラオ・サンダース。そして、ロンドン交響楽団。見るからに豪華な三種三様のアーティストが制作、録音にたずさわり、電子音楽、ジャズ、クラシック、3つのジャンルをクロスオーバーして生み出された新時代の音楽である。この「Promises」は、2020年、パンデミックが到来し、最もロックダウンが厳格だった時代に録音された作品ということもあって、後世の歴史から見たときにとても重要な意味を持つレコード、「音楽による記録」のひとつである。

 

「Promises」という連作形式の作品のプロジェクトを最初に働きかけたのは、モダン・ジャズの巨匠ファラオ・サンダースだった。彼が、フローティング・ポインツの作品を聴き、それに感銘を受け、食事を実際にともにすることで、2020年代を代表する大掛かりな音楽プロジェクトは始まった。

 

その後、ファラオ・サンダースがロンドン交響楽団に依頼し、ヴァイオリン、チェロ、ビオラ、コントラバスのスペシャリストがこの録音に加わることになった。


フローティング・ポインツとして活動するサム・シェパードは、チェレスタの音色を使用したシンセサイザー演奏者として、ファラオ・サンダースは、即興演奏、インプロヴァイぜーションのサックス奏者として、ロンドン交響楽団は、由緒ある楽団の弦楽器奏者として、この作品の完成を異なる方向性から支えている。


「Promises」は、未来、現代、過去、3つの並行する時間軸を、サム・チェパードのチェレスタの演奏を中心点として、その周囲を無限に彷徨うかのような作品である。そして2020年の世界の奇異な閉塞感を、音楽芸術という形でリアルに表現している。 また、この作品は、米、ロサンゼルスの「サージェント・レコーダー」、英、ロンドンの「AIRスタジオ」という遠く離れた国を横断して制作されたことについても、前代未聞といえる。これまで歴代の音楽史では見られなかった稀有な事例「リモートレコーディング」に近い意味を持つ、前衛的な作品と呼べるのである。


もちろん、これはうがった見方なのかもしれないが、作品中に漂っている異様な緊迫感というのは、Covid19のパンデミックが始まった最初期の社会情勢を暗示しているといえる。英国と米国、2つの国を跨いで録音された楽曲「Moviment1−9」は、連作形式の交響曲であり、ミニマル・ミュージックとしての構造を持ち、サム・シェパードの演奏する短いモチーフを限りなく繰り返すことにより展開され、それが様々な形で変奏され、9つのセクションを構成している。


これは単なる楽しむための音楽というふうに捉えるべき作品ではないのかもしれない。言ってみれば、異なる音楽ジャンルの行き詰まった先にある究極のアート形態の完成系、アメリカとイギリス、2つの国を通じての「コールアンドレスポンス」が、前衛的にこれまでにない迫力をもって繰り広げられている。これは音楽や楽器の演奏を通しての音楽家のメッセージ交換といえる。また、「Promises」という傑作は、今後、如何に移ろっていくかきわめて不透明な時、我々が未来に向けて歩いていく上での重要な指針ともなり、啓示的な教訓を授けてくれるかもしれない。

 

 

 

 


 

Album of the year 2021 

 

 

ーIndie Folkー

 

 


 

・Lord Huron

 

 「Long Lost」Republic

 

 Lord Huron 「Long Lost」 


 

 

元来、コンテンポラリーフォークの魅力というのは、もしかしたら、音楽性における時間性の欠如、音楽を介して現代という時間を忘れさせてくれることなのかもしれない。もし、仮にそうだとしたら、ニール・ヤングの2021年の新作「Barn」の他に、今年のフォーク音楽として出色の出来栄えの作品を挙げるなら、Lord Huronの作品「Long Lost」がふさわしいと言えるだろう。


ロード・ヒューロンの中心人物、ベン・シュナイダーは、ミシガン州出身のマルチインストゥルメンタルミュージシャンで、ヴィジュアルアートの領域でも活躍する人物である。


彼は故郷のミシガンからLAに旅行した際に、ヒューロン湖で音楽上のインスピレーションを得て、最初のレコード「Lord Huron」の制作に取り掛かった。その後、幼馴染を中心にバンドを結成、現在はLAを拠点として四人組で活動している。

 

今作「Long Lost」の魅力は、ベン・シュナイダーのフォーク音楽の伝統性、そして、アメリカの伝統的な音楽、アメリカーナに対する敬意に尽きるだろう。

 

それは、このレコードにおいて多種多様な形で展開される。時に、戦後間もない頃のUSAのテレビ番組のオマージュであったり、はるか昔の西部劇のサントラ、マカロニウエスタンやノワールといった映画の持つロマンチシズム、そして、第二次世界大戦後まもない頃、フォーク音楽家として国内で大人気を博した、レッド・フォーリーへの憧憬にも似たエモーションがこの作品には漂っている。


ロード・ヒューロンの描き出すフォーク音楽は、アメリカの独特なノスタルジアに彩られている。そして、表題にもあるとおり、現代と過去の間に時間性を失いながら音楽が続く。それは、この作品中のコラボレーション楽曲「I Lied(with Allison Ponthier)」にて最高潮に達する。

 

しかし、この作品で表現される主題は、果たして、アメリカの人々にだけ通用するものなのだろうか。いや、多分、そうではないように思われる。


この独特な第二次大戦直後の時代を覆っていた雰囲気、一種のロマンチシズムにも喩えられる感慨は、実は、アメリカだけでなく、世界全体に満ち広がっていたのかもしれない。いうなれば、絶望の後のまだ見ぬ明るい希望の満ち溢れた未来に対する希望でもあるのだ。それは現代の我々からの目からみても、一種の陶酔感、ロマンスを覚えるのかもしれない。そして、それは、現代のパンデミック時代にこそふさわしい、多くの人に明るい希望を与える音楽でもあるのだ。


 

  

 


 

 

 

 

・Surfjan Stevens Angelo&De Augustine 

 

「Beginner’s Mind」 Athmatic Kitty

 


Surfjan Stevens Angelo&De Augustine 「Beginner’s Mind」  


A BEGINNER'S MIND 

 


スフィアン・スティーヴンス、アンジェロ・デ・オーガスティンは、双方ともアメリカ国内では根強い人気を誇るフォークアーティストである。特に前者のスフィアン・スティーヴンスは、コンテンポラリーフォークに神話性や物語性を加味した幻想的なフォーク音楽で多くの人を魅了している。


そして、アメリカの人気フォークアーティストの二人が共同制作した「Beginner's Mind」はニューヨーク北部の友人の山小屋に共同生活を営み、生み出されたヘンリー・D・ソローの「ウォールデン森の生活」の現代版といえるレコードである。


もちろん、アルバムアートワークのガーナのモバイルシネマを象徴するデザインも、味わい深い雰囲気がかもしだされているが、実際の音楽については、痛快ともいえるほどのストレートなフォーク音楽が今作では堪能できるはずだ。


それは、二人が山小屋の中で毎晩のように、「羊たちの沈黙」をはじめとするホラー映画、そしてヴィム・ヴェンダースの「欲望の翼」といった名画を見ながら音楽的なインスピレーションを得た、というエピソードにも見受けられるように、ユニークな質感、そして、スフィアン・スティーヴンスの持つ物語性、幻想性、神話性というのが、この作品の中で遺憾なく発揮されている。

 

また、このニューヨーク北部の山小屋での作品制作中、彼ら二人が、易経をはじめとする禅の思想に触発されたことや、ブライアン・イーノの「Oblique Strategies」(メッセージを書いたカードを介して偶然性を交えて物事を決定に導く実験的手法)が作曲中に取り入れられている。もちろん、言うまでもなく、難しい話を抜きにしたとしても、遊び心満載の魅力的な楽曲が数多く収録されている作品。「Beginner's Mind」は、2021年のフォーク音楽の象徴的なレコードの一つに挙げられる。

 

 

 

 

 


 

 

 

・Shannon Lay 

 

「Geist」 Sub Pop

 

Shannon Lay 「Geist」 


GEIST  

 

 

シャノン・レイは、ここ数年、フォーク音楽をどういった形で自分なりのスタイルにするのか絶えず模索し続けてきたアーティストである。


元々、パンク・ロックバンド、Feelsのギタリストとして活動していたシャノン・レイは、ソロ活動の最初期、そのパンクロックの色合いを残したコンテンポラリー・フォークを主な特徴としていた。しかし、Sub Popと契約を結んで発表された前作「August」から、強いフォーク性を押しだすようになった。


例えば、それは、アコースティックギターの演奏の面でいうなら、フィンガーピッキングの弛まざる追究、自分らしい奏法を探求した結果が、演奏面、作品制作に良い影響を与え、以前に比べると、演奏面で、音楽性に幅広いニュアンス、特に、淡い叙情性が引き出されるようになっている。そして、目下のところ、シャノン・レイの作品の主題がどこに置かれているのかについては、自分自身のアイルランド系アメリカ人としての移民のルーツを、「フォーク音楽」というギターの表現を介して、ひたすら真摯に、探求しつづけることにほかならないのかもしれない。

 

おそらく、彼女自身が探し求める、はるか遠くの精神的な故郷、そして、その土地の風合いを表す音楽、アイルランドフォークロアに対する接近、それは、前作に続いてSub Popからリリースされた「Geistー概念」の背後を通して、展開される重要な主題に近いものである。もちろんこの作品は、最初のソングライティングの骨格をシャノン・レイ自身が生み出し、その後、シャロン・ヴァン・エッテンをはじめ、多くのアメリカのミュージシャンが携わることにより、完成した作品であるので、個人的な音楽というよりかは、複数のミュージシャンによる作品でもある。

 

しかし、それでも、この作品に、シャノン・レイらしい概念性が失われたわけではない。それどころか、以前の作品よりも強いアイルランド音楽の色合いが出たシャノン・レイというミュージシャンにとって、一つの到達点、もしくは、記念碑的なレコードといえるかもしれない。


以前まではたしかに、シャノン・レイにとって、アイルランドのフォークロアは憧憬の対象であったかもしれないが、それを、今回の作品において、シャノン・レイは過去に埋もれかけた時の中からその原石ともいうべきものを見出し、それを自分の元に手繰り寄せることに成功し、シャノン・レイ自身のフォーク音楽として完成させていることが、このレコードが魅力的にしている。もちろん、こういった深みのある音楽は、短期間で生み出されるものではない、そう、一夜の生半可の知識や技術、浅薄な楽曲の理解により、生み出されるものではないのだ。

 

つまり、このレコード「Geist」が今年リリースされた作品中で、なぜ、コンテンポラリーフォークとして傑出し、華やいだ印象を聞き手に与えるのだろうか。その理由は、近年、シャノン・レイ自身が、フォーク音楽に、誰よりも長く、真剣に向き合ったがゆえに生み出されたレコードだからである。一見、聴いて楽しむためのように思えるフォーク音楽というのは、実は徹底的に突き詰めると、概念的な表現に変容すると明示した意義深い作品である。