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2019年に編集者・大城壮平によって創刊されたファッション/カルチャーメディア『VOSTOK』。コロナ禍の影響により長らく休刊しておりましたが、このたび復刊する運びとなりました。日本発のメンズファッション誌「VOSTOK」は、「雑誌」というメディアの持つ特性を存分に生かしたインディペンデントで刺激的な雑誌をつくるというコンセプトのもと始まった。大城氏は講談社のファッション誌「HUGE」で実務経験を積んだあと、独立した編集者である。


VOSTOKとは「極東」という意味であるとともに、ユーリイ・ガガーリンを乗せて人類初の有人宇宙飛行を実現した宇宙船の名前のことを示す。カタログ的な実売誌ではない、想像力を掻き立てる美しい一冊。数年後に開いても新たな発見があるアーカイブ性のある一冊。国内外のクリエイターやファッション関係者をも刺激する一冊をコンセプトに、過去4号発行いたしました。


それらのコンセプトは変わりませんが、今回の復刊に伴い、いくつかアップデイト予定です。まずメンズだけでなく、ウィメンズのファッションストーリーも展開します。また、グローバル展開を考慮し、バイリンガル仕様になるのに加え、ファッションページ、ジャーナルページ共に国内外のさまざまなクリエイターが参加予定です。


チーム構成に関しても、編集者が集う従来の編集部型ではなく、アートディレクターとして加瀬透が、ファッションディレクターとして吉田達哉が、PRとして尾崎悠一郎が、その他海外セールス、クリエイティブプロデューサー、マーケターなど、各ジャンルのエキスパートが参加するコレクティブ型とすることで、クオリティの向上や多様な展開を実現できる体制にいたしました。


単なるオールドメディアとしての紙の雑誌ではなく、印刷物、SNS、WEBの3つを軸にそれぞれの特性を活かし、そこからさまざまなプロジェクトを展開していく、新しい時代のメディア型プラットフォームを目指します。


発売日は2026年5月中旬を予定しております。東京・日本から世界に通用する一冊を刊行いたします。ぜひご高覧ください。



この度Acne Studios(アクネ ストゥディオズ)は、厳選されたワードローブとして構成された2026年春夏ミッドサマーカプセルコレクションを発表いたします。流れるようなシルエットやトロンプルイユの表現、柔らかなテーラリングが、季節感のあるモチーフと繊細なカラーパレットによって表現されています。

 

薔薇は繰り返し登場するモチーフとして、シルクスカーフやジャージーに繊細に描かれ、ひねりの効いたエレガンスをコレクション全体に与えています。また継続的に用いられるチェック柄は、軽やかなブラウスやスイムウェア、パッチワークアイテムへと再構築されています。

 

スプレーロゴやアシッドウォッシュ加工、トロンプルイユのデニム表現といったディテールが、さりげない変化と奥行きをもたらします。軽やかな夏らしさを保ちながら、見慣れたシルエットに新たな表情を加えています。

 

アクセサリーには、シーズンカラーで展開されるシグネチャーシューズやローズプリントのシルクスカーフ、そして本コレクションのチェック柄を用いた新作のCamero Kitバッグが揃います。

 

 2026年春夏ミッドサマーカプセルコレクションは、4月30日(木)より世界各国の店舗およびオンラインサイトにて発売されます。コレクションのサンプルは以下の通りとなっています。

 

 


ロゴポロTシャツ¥73,700(税込)

トロンプルイユジーンズ - 1981 ¥138,600(税込)



キトゥンヒールサンダル¥106,700(税込)


レースアップスエードシューズ¥96,800(税込)


レイヤードロゴタンクトップ ¥49,500(税込)


プリントデニムミディドレス ¥157,300(税込)


Camero Kitチェッククロスボディバッグ¥269,500(税込)

【クレジット】

Acne Studios | アクネ ストゥディオズ

 

【お問い合わせ先】

Acne Studios 【クレジット】

Acne Studios | アクネ ストゥディオズ

 

【お問い合わせ先】

Acne Studios Aoyama | アクネ ストゥディオズ アオヤマ

Tel: 03-6418-9923

 

Momoko Ohori /大堀桃子

Head of Communication & Marketing APAC

m.ohori@acnestudios.com | アクネ ストゥディオズ アオヤマ

Tel: 03-6418-9923

 

Momoko Ohori /大堀桃子

Head of Communication & Marketing APAC

m.ohori@acnestudios.com


Acne Studios(アクネ ストゥディオズ)は、DJ・プロデューサーのPeggy Gou(ペギー・グー)が、2026年4月22日(水)にロンドンにて開催された『プラダを着た悪魔2』プレミア上映会にて、2026年秋冬コレクションのLOOK 21を着用したことを発表いたします。


また、映画『プラダを着た悪魔2』は5月1日には日本語吹き替えで劇場公開されます。詳細はこちらをご覧下さい。


ペギー・グーは南ドイツのハウスシーンでDJとして活動後、ロンドンに活動拠点を移し、独自レーベルを手がけてきた。ソロシンガーとしてXL Recordingsに所属し、2024年にダンサンブルなポップソングを中心とするデビューアルバム『I Hear You』をリリース。来日公演も行っています。


【プラダを着た悪魔2/The Devil Wears Prada 2】



劇場公開日:2026年5月1日(日本語版)


時代を席巻した「働く女性のバイブル」が、華やかにアップグレード! トップファッション誌『ランウェイ』の「悪魔」のような編集長ミランダと、彼女の元アシスタント、アンディ。それぞれの道を歩み成長を遂げた二人が、雑誌存続の危機に再びタッグを組むとき、ファッション業界に大旋風が巻き起こる――。明日へのモチベーションを高めてくれる、映画という名のプレミアが、幕を開ける。


監督:

デヴィッド・フランケル

脚本:

アライン・ブロッシュ・マッケナ

キャスト

メリル・ストリープ (ミランダ・プリーストリー)、アン・ハサウェイ (アンドレア(アンディ)・サックス)、エミリー・ブラント (エミリー・チャールトン)、スタンリー・トゥッチ (ナイジェル・キプリング)

日本語版声優:

宮寺智子(ミランダ・プリーストリー)、小松由佳(アンドレア(アンディ)・サックス)、園崎未恵(エミリー・チャールトン)、仲野裕(ナイジェル・キプリング)



・Acne Studio 2026年春夏シーズンよりアイウェアコレクションを発表

2026年春夏に向けて、Acne Studios(アクネ ストゥディオズ)はアイウェアの表現を原型的なフォルムの研究を通じて洗練させました。4月20日に発売された本コレクションは、親しみのあるシルエットを精緻でありながら革新的なデザインへと昇華しています。


すべてがイタリア製で、各デザインはヴィンテージから着想を得ながら、現代的で研ぎ澄まされた表現へと再構築されています。




メタルフレームのモデルは、1970年代のアビエーターを再解釈したもので、メンズのルックブックで初めて登場し、その後ウィメンズのランウェイにも登場しました。軽やかでありながら存在感のあるデザインで、ナイロンレンズとミニマルなフレームを組み合わせ、ブラック、ブラウン/オレンジ、ヴィンテージシルバー(クリアレンズ)の展開です。


一方、ウィメンズのランウェイで発表された彫刻的なアセテートフレームは、日常的なクラシックフォルムを大胆なプロポーションで強調したデザインで、ブラックとブラウンゴールドで展開されます。


本コレクションは2026年4月20日より、Acne Studiosの店舗およびオンラインサイトにて世界同時発売されます。コレクションの一例は以下よりご覧ください。


スクエアフレームサングラス

ブラウン / ゴールド

¥53,900(税込)



メタルアビエイターサングラス
ブラウン / オレンジ
¥59,400(税込)

スクエアフレームサングラス
ブラック / ブラック
¥53,900(税込)





メタルアビエイターサングラス

ヴィンテージシルバー 

トランスペアレント

¥59,400(税込



メタルアビエイターサングラス

ブラック / ブラック

¥59,400(税込)


【クレジット】

Acne Studios | アクネ ストゥディオズ

 

【お問い合わせ先】

Acne Studios Aoyama | アクネ ストゥディオズ アオヤマ

Tel: 03-6418-9923

 

Momoko Ohori /大堀桃子

Head of Communication & Marketing APAC

m.ohori@acnestudios.com


ウィメンズ・メンズウェアブランド、daisuke tanabeは、2026年秋冬シーズンより中国での展開を開始します。 

 

この発表に合わせ、2026年3月の上海ファッションウィーク期間中、上海市内の2拠点にてショールームとポップアップストアを開催します。INDUSTRIAL & COでのポップアップ(season 03 “x”)と、バイヤー・プレス向けのショールーム(season 04 “atom”)を同期間中に開催いたします。



<26SS Pop-up Store: season 03 “x”>

会期: 2026年3月28日(土) – 3月29日(日)

会場: INDUSTRIAL & CO(上海市静安区巨鹿路741-1)



<26AW Showroom: season 04 “atom”>

会期: 2026年3月26日(木) – 3月30日(月)

会場: The 1908 Granary (上海市黄浦区南苏州路1247号2楼)


about daisuke tanabe


 

daisuke tanabeは2024年に設立されたウィメンズ・メンズウェアブランド。

映画や小説、写真を元に創作したフィクションをベースに、世界各地の伝統的な職人技術と、前衛的なテクノロジーをミックスしたコレクションを展開する。実験的なクリエイションはファッションという概念の軽やかさと、ものづくりの厳かさの両面性を表現し、ハイエンドな素材と独創的なパターンを織り交ぜて体現する。


about designer

2021年に京都大学経済学部を卒業後、株式会社細尾に入社。

2023年に独立し、ファッションブランド「daisuke tanabe」を立ち上げる。

2024年2月にファーストコレクションを発表し、国内外での展開を始める。

 


daisuke tanabe(ダイスケ タナベ)は、2026年2月25日(水)より3月10日(火)まで、阪急メンズ大阪5階 GARAGE D.EDITにてポップアップイベントを開催する。本イベントは伊勢丹新宿に続く開催となる。大阪は京都と並び、新しい関西のファッションの中心地として認知されつつある。



本イベントでは、最新コレクション season 03 "x" のほぼ全てのアイテムを関西エリアで初めてフルラインナップで展開する。高級感のある黒を基調とするレザージャケット、ヴィンテージデニムなどを中心に展開され、当ブランドのコンセプトが遺憾なく発揮されている。


ダイスケ・タナベは、今シーズンは「二面性」と「対称性」をベースに、高度な素材開発と構造的な実験を試みた。シルバー染色を施したゴートレザーと最軽量のVentile®コットンを組み合わせたリバーシブルアウターや、ヴィンテージデニムの経年変化を織り組織によって再構築したジャカードテキスタイルなど、独自の哲学を投影したワードローブを構築している。西陣織を学んだデザイナー、ダイスケ・タナベは日本と西洋のファッションの伝統を見事に掛け合わせた。


新作コレクションの全容を、直接ご覧いただける機会となります。皆様のご来場を心よりお待ちしております。


 
▪︎daisuke tanabe season 03 pop-up at Hankyu Men’s Osaka


会期:2026年2月14日(水)〜 3月10日(火)
会場:阪急メンズ大阪5階 GARAGE D.EDIT
住所:〒530-0017 大阪府大阪市北区角田町7-10



▪︎about daisuke tanabe:


daisuke tanabeは2024年に設立されたウィメンズ・メンズウェアブランド。
映画や小説、写真を元に創作したフィクションをベースに、世界各地の伝統的な職人技術と、前衛的なテクノロジーをミックスしたコレクションを展開する。実験的なクリエイションはファッションという概念の軽やかさと、ものづくりの厳かさの両面性を表現し、ハイエンドな素材と独創的なパターンを織り交ぜて体現する。


about designer:

田邉大祐(Daisuke Tanabe)
2021年に京都大学経済学部を卒業後、株式会社細尾に入社。
2023年に独立し、ファッションブランド「daisuke tanabe」を立ち上げる。
2024年2月にファーストコレクションを発表し、国内外での展開を始める


ウィメンズ・メンズウェアブランド、daisuke tanabe(ダイスケ タナベ)は、最新となる2026年秋冬コレクション season 04 "atom" を発表しました。コレクションのルックは以下よりご覧いただけます。


ーー前シーズンのコレクション「x」では、James Blakeの楽曲『Like the End』に端を発する危機感から、不要な関心の増幅がもたらす社会全体の「無関心」をテーマに据えました。真偽の曖昧な情報が速度優先で拡散される時代において、“x”を未定数や不確かさの象徴とし、揺らぐ真実の輪郭をグレーの階調で、未然の予兆をブルーで表現しました。


今シーズンの「atom」は、その霧を晴らすための答えを出すのではなく、霧の中にいながら希望を見失わないために個人という最小単位へ、視点を落としていく試みです。 


転換のきっかけは、昨年の夏、図らずも耳にした山下達郎氏の「アトムの子」でした。


自ずから抱いていたぼんやりとした危機感や不安を追い越し、先に体温だけを立ち上げてしまうプリミティブな力。それは「自己肯定」という別の選択が可能であることを理屈ではなく身体が先に知ってしまう、心地よいバグのような経験でした。ここで言うatomは、これ以上分割できない「不可分なもの」、外部がどれほど個を解体しようとしても奪えない核の比喩です。希望とは、世界が明るくなることを保証する言葉ではなく、今ここにある自分自身を肯定するための、静かな選択であると定義しました。


本コレクションの思想的背景には、映画『ブレードランナー 2049』が提示した実存主義があります。主人公Kが、自らが「特別な本質」を持つ複製体ではないと知った絶望の淵で、自らの意志による選択によって自らの実存(魂)を確立したように、私たちもまた、自らの手で自らを定義します。たとえ世界が無機質なグレーの階調に沈もうとも、今この瞬間を肯定すること。その静かな決意こそが、本コレクションにおける「希望」の定義です。


衣装デザイナーのRenée Aprilは、この作品を「ファッショナブルな映画ではない」と捉え、世界の湿度や汚染、厳しさに従って服を作り、物語に不要な“尖り”をあえて削いだと語っています。 さらにKは映画を通してほぼ同じ装いで生き延びる。撮影のために同型のコートが何着も用意されたという事実も含めて、衣装は装飾ではなく、環境に耐えるための「ユニフォーム」として設計されている。 私はその姿勢を、今季のコレクションに適用しようと思いました。


この視点を拡張するために、私は身体を守るために洗練されてきた機能主義の系譜に着目しました。1892年創業のD. Lewis(現Lewis Leathers)が、航空用装備「Aviakit」を手掛け、第二次大戦期のRAF(英国空軍)パイロットたちが生存のためにその装備を私費で求めた歴史は、衣服が「装い」から「防護(シェルター)」へと役割を拡張してきた過程でもあります。これらリサーチを元に、各製品の外骨格としてのデザイン画を描きました。


しかし、私が目指したのは単なる生存のための「機械」としての服ではありません。Le Corbusierが「住宅は住むための機械である」と合理性を追求したのに対し、建築家Eileen Grayはその冷徹な機械主義を批判し、デザインは身体だけでなく「精神の避難所」でなければならないと説きました。彼女にとって建築やテキスタイルは、機能を満たすだけの器ではなく、住まい手の心理的な充足までを包み込み、拡張するための装置でもあります。ーー


Photo: Taro Mizutani




今シーズンのパレットの起点は、Eileen Grayが描いたラグのデザインにあります。彼女が引く幾何学的なラインを理性、その底に流れる温かみのある配色を感情の象徴として捉え直しました。『Centimetre』などに見られる秩序ある線は、混沌を整理しようとする知性を表し、一方で豊かな色彩や手織りの質感は、人が生きるための根源的な情動を示しているように思えます。抑制されたトーンの中に置かれたブルーとゴールドは、暗さを破るための派手さではなく、静けさの中で確かに残る体温の印です。


中でもブルーは、孤独な空白の中で自らの位置を特定するための座標として配置しました。この色を、冷徹な世界の中で絶えることなく燃え続ける「青い炎」として扱っています。シルクとカシミヤのダブルフェイスは、カシミヤのマットな質感の奥から、内なる輝きとしてベージュゴールドのシルクが覗くよう設計しました。随所に走るベージュゴールドのファスナーテープも同様に、内側の熱が消えていないことを知らせる小さなサインです。また、カルガンラムのファーが幾何学的なシルエットの輪郭をわずかに曖昧にし、ベビーカーフやカシミヤと響き合うことで、コレクションに生命の揺らぎを与えています。


常に今の自分の最大出力を表現すること。次があるという考えを捨て、ひたすら「今」に勢力を注ぎ込むことこそ、黄金の朝日に繋がると信じています。



Nothing Gold Can Stay


Nature’s first green is gold, Her hardest hue to hold. Her early leaf’s a flower; But only so an hour. Then leaf subsides to leaf. So Eden sank to grief, So dawn goes down to day. Nothing gold can stay.


— Robert Frost



▪daisuke tanabe season 04 Tokyo showroom 

 

会期:2026年2月9日(月)〜 2月15日(日)

会場:3E STUDIO 

住所:〒107-0062 東京都港区南青山3-14-15 Kawamata Bldg. 2F



about daisuke tanabe:

daisuke tanabeは2024年に設立されたウィメンズ・メンズウェアブランド。映画や小説、写真を元に創作したフィクションをベースに、世界各地の伝統的な職人技術と、前衛的なテクノロジーをミックスしたコレクションを展開する。実験的なクリエイションはファッションという概念の軽やかさと、ものづくりの厳かさの両面性を表現し、ハイエンドな素材と独創的なパターンを織り交ぜて体現する。


about designer:

2021年に京都大学経済学部を卒業後、株式会社細尾に入社。2023年に独立し、ファッションブランド「daisuke tanabe」を立ち上げる。2024年2月にファーストコレクションを発表し、国内外での展開を始める。


先週、ドキュメンタリーが6月にプライム・ビデオでプレミア上映されることが発表され、2月にはグラミー賞でプレゼンターを務めたセリーヌ・ディオンが、フランス版『VOGUE』2024年5月号の表紙を飾り、再びスポットライトを浴び始めている。


クロヴィス・グーとの幅広いインタビューの中でディオンは、2022年に診断された稀な神経疾患であるスティッフ・パーソン症候群(SPS)への対処について語った。その症状によって数年分のツアー計画のキャンセルを余儀なくされたこと、そしてファンなら誰もが気になる点はいつステージに戻れるのかということだろう。


「それは答えられないわ......。4年間、私は自分自身に、もう戻らない、準備はできている、できていないと言い続けてきたのだから......。現状では、ここに立ってあなたに言うことはできない。現状では、私はここに立って、『はい、4ヵ月後に復帰する』とは言えない」とディオンは説明した。「わからないわ...。体が教えてくれるはずよ。一方で、ただ待っていたくはないの。毎日を生きるのは道徳的に難しい。ハードだし、一生懸命働いているし、明日はもっとハードになる。明日はまた別の日だ。でも、決して止まらないものがある。それは情熱。夢。決意よ」


彼女はまた、治療の一環として、週に5日、運動療法、理学療法、発声療法を受けていると説明した。「私が思うに、私には2つの選択肢がある。アスリートのようにトレーニングに励むか、家で自分の歌を聴き、鏡の前に立って自分に向かって歌うか。"私は医療チームと一緒に、頭からつま先まで、全身全霊で取り組むことを選んだ」


筋肉のコントロールを取り戻すために自分を奮い立たせ続ける回復力とインスピレーションをどこから得ているのかと尋ねると、ディオンは家族、ファン、チームの愛を挙げた。「SPSに苦しむ人たちは、良い医者や良い治療を受けられるほど幸運でもないし、そのような手段を持ち合わせていないかもしれない。私はそのような手段を持っており、これは贈り物なのです」と彼女は認めた。「さらに、私にはこの強さがある。誰にも止められないとわかっています」


オスカー受賞者のアイリーン・テイラーが監督を務める『I Am: Céline Dion』は、6月25日に全世界でストリーミング配信される。既報の通り、この作品は、音楽ドキュメンタリーにありがちな長期にわたるキャリアの概観を避け、筋力のコントロールを妨げ、ツアーのキャンセルを余儀なくされた稀な神経障害に対処するディオンの人生における予期せぬ、極めて重要な瞬間をスナップショットすることに主眼が置かれている。


「この2、3年は私にとって挑戦のようなもので、自分の症状を発見してから、それと共存し、管理する方法を学ぶまでの道のりだった。


「パフォーマーとしてのキャリアを再開するための道のりが続く中、ファンの皆さんにお会いできないことがどれほど寂しかったことか。この不在の間に、同じ診断を受けている人たちを助けるために、私の人生のこの部分を記録したいと思うようになりました」

 

2月28日に発売されたシンガーソングライター、柴田聡子による新作アルバム『My Favorite Things』。ファンからは「良いアルバムだった」という声が上がっていました。この新作アルバムに続いて、ヴァイナル盤のリリースが決定しました。LPは5月25日にリリースされます。

 

追加情報として、アーティスト自身のプロデュースによるメガネフレーム第二弾「柴田セル」の発売も決定。”鯖江 opt duo Inc.”にて製作された、可愛くもあり洗礼されたスクエアのアセテートフレーム。3色展開で販売されます。こちらの情報も下記より合わせてチェックしてみましょう。

 

アルバムのリリース発表後、「白い椅子」「素直」「Side Step」が先行シングルとして配信されています。制作者のコメント等はこちら

 

 

 柴田聡子「Your Favorite Things [LP]」

 



2024.05.25 Release | DDJB-91243 | 4,000 Yen+Tax
Released by AWDR/LR2

A1. Movie Light
A2. Synergy
A3. 目の下 / All My Feelings are My Own
A4. うつむき / Look Down
A5. 白い椅子 / Sitting

B1. Kizaki Lake
B2. Side Step
B3. Reebok
B4. 素直 / Selfish
B5. Your Favorite Things

作詞・作曲:柴田聡子|All Lyrics & Music by Satoko Shibata

プロデュース、アレンジ:柴田聡子、岡田拓郎|Produced & Arranged by Satoko Shibata & Takuro Okada
ストリングス・アレンジ:香田悠真 (A1, B5)|Strings Arrangement: Yuma Koda (A1, B5)
コード・レスキュー:谷口雄|Chord Rescue: Yu Taniguchi

レコーディング・エンジニア:宮﨑洋一、岡田拓郎、柴田聡子|Recording Engineer: Yoichi Miyazaki, Takuro Okada & Satoko Shibata
レコーディング・スタジオ:IDEAL MUSIC FABRIK、DUTCH MAMA STUDIO、抹茶スタジオ、studio Aoyama、 OKD Sound Studio|Recorded at IDEAL MUSIC FABRIK, DUTCH MAMA STUDIO, Matcha Studio, studio Aoyama & OKD Sound Studio
ミキシング・エンジニア:岡田拓郎|Mixing Engineer: Takuro Okada
ミキシング・スタジオ:OKD Sound Studio|Mixed at OKD Sound Studio
マスタリング・エンジニア:Dave Cooley (Elysian Masters, LA)|Mastering Engineer: Dave Cooley (Elysian Masters, LA)



・柴田聡子オリジナルメガネフレーム第二弾「柴田のセル」

オリジナルメガネフレーム第二弾「柴田のセル」の販売が決定。
左右のレンズ形が違う2ポイントタイプだった第一弾「柴田の2ポ」に続き、今回は大ぶりでスクエアなセルフレームです。カラーも3種ご用意しました。
本日、3月18日(月)より予約販売の受付を開始いたします。事前予約分の発送予定は4月01〜05日となります。
生産数量限定品ですので、お早めのお申し込みをお勧めいたします。



柴田聡子 OFFICIALl WEB STORE
https://idealmusic.official.ec/items/84186585 ]

 

第一弾「柴田の2ポ」や鯖江周遊記でお世話になった鯖江 opt duo Inc.にて製作された、可愛くもあり洗礼されたスクエアのアセテートフレーム。
スクエアフレームのルーツは60年代、モードが生まれた頃に誕生したものですが、この「柴田のセル」はセルの厚みやデザインバランスにより、新しい表情を表しています。
大きめのレンズ径なのに、かけた時のしっくり感は絶妙。レンズを換えて眼鏡やサングラス、どちらとしても楽しめるフレームです。
さらに、今回も田中かえさんに「柴田のセル」を掛けた柴田聡子のイラストを描いて頂きました!
商品に同梱される眼鏡拭きや眼鏡ケース、ステッカーにプリントされています。



 カラー(フレームカラー X レンズカラー濃度)
・チャコールグレー X クリア
・クリア X グレー 15%
・アンバー X ブラウン 50%

サイズ(片レンズの左右径ー鼻幅 テンプルの長さ)
50ー20 145 [mm]

プライス
30.000 Yen [Tax in]

同梱物
柴田のセル|眼鏡ケース|眼鏡拭き|ステッカー|ジン

クレジット
Designed for 柴田聡子
Produced by 素敵眼鏡MICHIO @sutekimeganemichio
Manufactured by opt duo Inc. @optduoinc
Illustration 田中かえ @kaechanha24
Photo 伊藤香織 (Y's C) @i.kaori.d
Hair Makeup 長橋雪惠 @yukie69








柴田聡子 SATOKO SHIBATA

シンガー・ソングライター/詩人。北海道札幌市出身。武蔵野美術大学卒業、東京藝術大学大学院修了。
2010年、大学時代の恩師の一言をきっかけに活動を始める。
2012年、三沢洋紀プロデュース多重録音による1stアルバム「しばたさとこ島」でアルバムデビュー。以来、演劇の祭典、フェスティバル/トーキョー13では1時間に及ぶ独白のような作品「たのもしいむすめ」を発表するなど、歌うことを中心に活動の幅を広げ、2022年、6枚目のオリジナルアルバム「ぼちぼち銀河」をリリース。
2016年には第一詩集「さばーく」を上梓。同年、第5回エルスール財団新人賞<現代詩部門>を受賞。詩やエッセイ、絵本の物語などの寄稿も多数。2023年、足掛け7年にわたる文芸誌「文學界」での連載をまとめたエッセイ集「きれぎれのダイアリー」を上梓。
自身の作品発表以外にも、楽曲提供、映画やドラマへの出演、ミュージックビデオの撮影・編集を含めた完全単独制作など、その表現は形態を選ばない。


Novestaの生産ライン

旧チェコ・スロバキアのパルチザンスケという町がある。1939年、NOVESTA(ノヴェスタ)社はその小さな町にある歴史的な工業地区、BATA Industrial Parkの中にひっそりと誕生しました。


ラバーとキャンバスの製品に特化した靴工場は、第二次世界大戦、戦後の冷戦、社会主義時代や国家分裂の歴史の流れを経て現在まで、ミリタリー、ワーク、ラバーブーツ、ランニングシューズなど、純スロバキア産のフットウェアを創業から一貫して作り続けてきました。


チェコとスロバキアが分裂した後の1992年、創業から半世紀の間にヨーロッパを代表する工場として名を上げた工場は純スロバキア産スニーカーブランド、NOVESTAを立ち上げます。以来、NOVESTAはオリジナルブランドとして成長を続けながら世界各国のブランドと共に多様なコラボレーションプロジェクトを世界に発信しています。


Novesta社

ノベスタ社は、1939年に創業した靴製造の長い伝統を受け継ぐ会社である。数十年の間、工場ではゴム長靴やランニングシューズなど、軍用や作業用の靴を生産していた。また、OEMサプライヤーとして、大手ブランドにも製品や半製品を供給していました。


日本におけるノベスタのストーリーは、2013年9月、現在ノベスタの日本における流通とクリエイティブ戦略を担当しているクラインシュタイン(日本のデザイン・コンサルティング会社)の小石祐介氏がノベスタ・チームに声をかけたことから始まった。

 

当時、小石は日本を拠点とする世界的ファッション・ブランド、コム デ ギャルソンのスタッフだった。コム・デ・ギャルソンはノベスタに靴のOEM生産を依頼し、コラボレーションが始まった。ノベスタにとっては、世界的に有名なブランドとの初めての協業であった。それから3年後の2016年、クラインシュタインはノベスタのクリエイティブ・ディレクションをサポートするようになった。


業務提携で生産されたモデルは世界中に展開され、ブランドは徐々に市場で注目を集めるようになった。現在、日本では伊勢丹新宿店を含む70店舗以上、世界では250店舗以上で取り扱われている。  


ノベスタとそのパートナーであるクラインシュタインは、ノベスタ・ブランドはその独自性と、加硫設備を備えたゴムから靴までの垂直統合生産システムにより、強い可能性を秘めていると考えている。ノベスタの成功の鍵は、品質と美観の融合に焦点を当てることである。また、ノベスタ社とクラインシュタイン社の協力は、日本におけるスロバキア文化のより良い理解にも貢献した。例えば、ノベスタは、ブラチスラバを拠点とする有名な現代写真家マルティン・コラーなど、スロバキアのアーティストとのコラボレーションを通じて、スロバキアの美学と文化を伝えている。


アディダス、コンバースに飽きてきたユーザー、さらにデイリーユースのミリタリースニーカーをお探しの方におすすめ。



Main Product


 ・Star Master


ノベスタブランドのシグネチャーシューズであるスターマスターは、今もなお、紛れもないチャンキーソールとバルカナイズマークを受け継いでおり、過酷な試練にも耐えうる真のノベスタシューズであることを保証している。スターマスターは、スロバキアで半世紀にわたって生産されてきたミリタリー・スポーツシューズに端を発し、履き心地の良さと逞しい決意を兼ね備えている。一足一足、最高級の天然ゴムとキャンバスから手作りされている。そのスタイルは、世界中どこでも見分けがつく。この靴には、スロバキアの人々の靴の子孫であることを示す「Trampky」のロゴが入っている。一目でそれとわかるこのシルエットは、真のヨーロピアン・クラシックであり、ヨーロッパ大陸で最も不朽のスニーカー・シェイプのひとつである。



・Marathon



クラシックなランナー・スタイル、ノスタルジックでありながら生命力溢れるマラソンは、ノベスタのカノンにエレガントに加わります。ノベスタの特徴である最高級素材へのこだわりに支えられた豊富なスタイルバリエーションにより、Marathonは退廃的な雰囲気を漂わせる洗練された必需品となっています。履き心地がよく、控えめでありながら、他とは一線を画すMarathonは、長い目で見れば当然の投資である。1988年のオリンピックでソウルに遠征したチェコスロバキアチームのためにパルチザンスケで生産されたのが始まりで、マラソンは急速にスロバキアの主力商品となった。





・Itoh


 

時代を超越したシルエットのItohは、80年代から今日まで受け継がれるクラシックなデザイン。レザーの裏地が快適な履き心地をもたらし、象徴的なラインで構成されている。1980年代、ブランドにとって最も信頼できるテニスシューズ・メーカーのひとつとして、ノベスタは10年間を通じてドイツをはじめとするヨーロッパのブランドにシューズを供給した。そのクラシックなテニスシューズのフォルムはイトーにも反映されているが、このシューズは、現代人が求める技術的なアップデートを享受している。


 ファッションと音楽 時代の変遷とともに移り変わる音楽家の服装のスタイル

 
 
1,60年代 ミュージック界のファッション・アイコン ビートルズ

 
 


 
世界的なロックミュージシャンというのは、そのファッション性においても一般人から真似をされるような運命にあるのかもしれない。
 
少なくとも、一般的な市民にとって、ロックミュージシャンのファッションスタイルというのは大きな憧憬の対象となりえる。60年代から、ミュージシャンのファッションに対する影響性は幅広く、音楽愛好家にとどまらず、音楽にそれほど興味ない人まで巻き込み、大きなファッション・ムーブメントを形成してきた。いうまでもなく、バンドのTシャツを粋に着るというスタイルも、ファッションと音楽そのひとつに挙げられる。知らずしらずのうちに、ニルヴァーナ、ソニックユース、ブラック・フラッグのシャツを着ていて、音楽好きの人からそれについて指摘されて初めてバンドの存在を知ったというケースも少なくないかもしれません。
 
過去から今日まで、一般民衆にとってのロック・ミュージシャンというのは、ファッション的にもお手本にするべきイコン、偶像的な存在であり続けてきたいっても過言ではないでしょう。その異常なほどのファンの崇拝心というのは、二十七歳で死去した伝説的なミュージシャン(27 CLUB)、もしくは、ジョン・レノンのファンによる暗殺という二十世紀の中でも数奇な事件が起きたことにより、ビートルズの存在をアイコンのようにたらしめたがゆえ、彼らの存在感、カリスマ性というのは生前より一層強くなっていった側面もある。
 
ファッション性においても大きな影響を世界的に与えてきた、ビートルズという存在。彼等四人の与えた当時もしくは後世にも跨るファッション界へのインスピレーションというのは、図りしれないほど大きく、その影響というのは現在にいたるまで引き継がれている。 たとえば、世界的にも一世を風靡したマッシュルームカット、そして、シックな細身のスーツ姿で、クールに決めこんだビートルズの面々の格好よさは今でも通用する魅力がある。やはり、よく引き合いに出されるローリング・ストーンズとともに多大な影響を大衆に及ぼしてきた。以後、ビートルズの四人は、活動の中期を過ぎた頃から、個性的なファッションを独自に追求していくようになる。それは、アルバムジャケット写真の変遷を見ると顕著にあらわれている。その音楽性にとどまらず、彼等四人のファッションの集大成を示唆しているのは、「アビーロード」のスーツ姿で横断歩道を裸足で渡るというクールなスタイル。
 
ちょっとだけ興味深いのは、アビーロードの先をゆく三人は、これからまるで冠婚葬祭に臨むようなフォーマル・スタイルなのに対し、最後尾をいくハリスンは、我が道をいかんとばかりに、上下揃ってブルーデニムというアクの強い個性的ファッションに身を包む。そしてここに、ビートルズ四人それぞれのユニークな個性が絶妙な具合に溶け合い、服飾という形で表現されている。


全般的に言えば、マッカートニーのファンション的な影響は大きかったでしょうが、中期以降からファッションアイコンともいえる象徴的存在として頭角を現したのが、レノン、ハリスン。ヒッピースタイル”、長髪にたっぷりとしたひげ、そして、そこに、デニム姿をびしりとあわせるという形。後に若者の間で流行するようなスタイルを、一般的に普及させていったのは、他にも、ローリング・ストーンズ、もしくは、ジミ・ヘンドリクスあたりの影響も強かったでしょうが、やはりビートルズという存在が、民衆にとって一番のファッションイコン的な存在だった。

 
その後、ジョン・レノンの方は、例えば、カットソー姿にデニムをあわせて、その上に、ジャケットをラフに羽織り、フランスのテニス用スポーツシューズ、スプリング・コートをクールに履きこなす、カジュアルでいながらどことなすシックなスタイルをレノンは追求していきました。対し、ハリスンの方は、彼本人にしか醸し出せないだろう個性あふれるカルフォルニア的なヒッピースタイルとともに、イングリッシュ・トラディショナル的なファッションを独自に探求していった印象をうける。後者というのはハリスンのソロアルバム、「All  Things Must Pass」のジャケットでのファッションスタイルを見れば、なんとなくそのニュアンスのようなものが理解できるのではないでしょうか。
 
 
それまで、エルヴィス・プレスリーという「ロック界における民衆のイコン」ともいえるビッグスターは存在したものの、ビートルズ四人の及ぼした影響というのは、音楽にとどまらず、ファッションセンス、こういった着こなし方をするのがカッコ良いという、手本のようなものを大衆にしめしたという隠れた功績があったに違いありません。
 
 
 
 
2.70年代 ピストルズを中心としたロンドンパンクス 
 
 
 


クラシックでフォーマルなスタイルが浸透すれば、オルタネイト的な存在が出てくるのがこの世の常というもの。さて、次の話は、ビートルズの台頭から時を十年ほど経ち、1970年代。 ロンドンのマルコム・マクラーレンの経営するブティックパブ「セックス」に出入りするロック好きの若者達。その中に、ジョニー・ロットン、シド・ヴィシャスという、ひときわ目立つ若者が二人いた。のちに彼等はマルコム・マクラーレンの紹介を介し、出入りしていたブティックの名にちなんで、「セックス・ピストルズ」というロックバンドを結成することになった。
 
彼等、四人のファッションというのも独特。特にその個性が感じられるのは、レザージャケット、胸にはピンバッジ、インナーにTシャツ、そして、ジーンズに、シンプルなスニーカーという出立ち。これは今見ると、すごくシンプルに見えるが、彼等のファッションの問答無用のクールさ、格好よさというのは、当時の他のロックアーティストと比べても抜群だったといえるでしょう。おそらく、ロットンと共にピストルズのメンバー四人の中で、最も当時の若者、いや、現在の若者すらをも熱狂させ続けてやまないのが、シド・ヴィシャスというひときわ目を放つクールな青年。

シド・ヴィシャスは、黒髪のスパイキーヘアとよばれるヘアスタイル。黒い皮ジャンを着込み、首からは、太い鍵付きネックレスをぶら下げて、ときに、パブのビールを豪快にがぶ飲みしながら、そのすぐ横に、けばけばしい化粧をしたツイストパーマをかけた恋人ナンシーと写真に映り込んでいて、これは、なんともパンクという概念かけはなれた微笑ましい光景だと言えなくもない。恋人ナンシーもまた、ピストルズのメンバーと共に、彼ら四人にもまったく引けを取らないクールさ、個性味を兼ね備えた、女性の憧れの的となりえるイコン的な印象を当時の数多くのファンに与えたことでしょう。 

 
バンド結成当時から、シド・ヴィシャスというパンクロック界のカリスマ性は際立っており、当初、殆どまともにベースが弾けなかったにも関わらず、ステージ上でのひときわ輝いたシド・ヴィシャスの姿というのは、彼がこの世からになくなっても、多くのファンの目を惹きつけてやまない。当時から現在まで、ヴィシャスは、多くの世界のファンから多くの人気を博してきた。黒の革ジャンにデニム、そして、ときに、ラフなTシャツ一枚だけを着るというシンプルで洗練されたスタイルは、ジョニー・ロットンとともに、世界的なファッション・アイコン的な存在としてシーンに君臨し、音楽性にとどまらず、服装のカッコよさという特徴面においても、他のアーティストと比べものにならないほどの影響力を世の中にもたらした。
 
ここで、素朴な疑問として、革ジャン、ジーンズスタイルが、なぜにこれほどまで世界的に普及するに至ったのかという疑問が生じる。これは、五十年代のバイカーズ・スタイルをひそかに踏襲したものであり、またそのスタイルがミュージシャンにも普及していったのはなんらかの理由があると思われ、たとえば、デビッド・ボウイなどのビックスターに比べると、かなり顕著な特徴があり、ボウイの方は、たとえば、山本寛斎の手掛けた衣装を見れば分かる通り、あまりに奇抜すぎ、自分の日常的な服装の中に、その要素をうかつに取り入れづらいところがある。あくまでデイリーユースという観点から言うと、あまり常識的な服装とはいいがたい。
 
しかし、一方のピストルズをはじめとする、ロットン、ヴィシャスのような人物が好んでいたロンドン・パンクスのファッションスタイルというのは、全体的なコーディネート自体の値段というのもそれほど嵩む心配がなく、いわば「革ジャン」という一点豪華以外はとても簡素で、たとえ貧しい人であっても、数カ月もの間、汗水を垂らし、労働を頑張れば、手の届きそうな価格の範囲にある点で、自分もロックスターのような服装をし、あんなふうに輝いてみたい、そう願ってやまないささやかな人々に大きな夢を見させてくれる存在であったから、ミュージシャンをはじめ、一般的な音楽好きの人々にも、このスタイルが馴染んでいくようになった。
 
 彼等の格好というのは、全部を取り入れないまでも、ごく一部を取り入れることによって、デイリーユースにもしっかりと馴染みやすいというのが大きな利点でしょう。そして、見てくれの単純なかっこよさの中にも、ボウイのような「オンリーワン」にはなれない、けれども、もしかしたら、ロットンやヴィシャス、彼等のような存在なら、自分にも背伸びをしたらなれるかもしれない。
 
つまり、彼等は、労働者階級の期待の星のような存在で、束の間ではありながらも大きな希望をささやかな民衆達に与え、尚且、先にも述べたとおり、毎日着ている服装のなかにも溶け込みやすい要素があったので、そういったファッション性が後のパンクロッカー、音楽愛好家にも積極的に取りいれられていったのではないかと思われる。実は、当時のことを、ジョニー・ロットン本人が話しており、あるとき、ファンが自分と同じ格好をしはじめたと当時のファッションムーヴメントを回想している。興味深いところは、セックス・ピストルズというアイコンは、意外にも、これだけ音楽を知らない人たちにもその名を知らしめておきながら、実は、細々としたサイドリリース、ブートレッグという形質は数多く存在しながら、セックス・ピストルズ名義での正式な形でのスタジオ・アルバムは、有名な「Never  Mind The Bollocks」のみ。
 
 彼等の主要な活動期間というのも、わずか二年。その短い期間で、これほどの影響を後世に与えたというのは、他では考えがたい事象でもあります。その後、シド・ヴィシャスは、多くの人がご存知の通り、オーバードーズにより、若くして命を落とした。往時のロックスターらしい「太く短く」という生き方を体現した彼の生き様というのは、社会的あるいは道義的にも褒められたものではない。しかしながら、彼の最後の録音集のフランクシナトラのカバー、「マイウェイ」の素晴らしいオペラ風の歌唱とともに、シド・ヴィシャスという天才パンクロッカーの伝説的な姿、彼のファッションスタイルの格好良さというのは、これからも永遠に、世界中の人々の記憶に残りつづけることでしょう。ちなみに、彼の亡骸というのは、恋人と共に墓地に葬られていて、そこには、「Sid &Nancy」と、きわめて印象深く銘打たれているのは有名。
 
 
 
 3、80年代 マッドチェスター、ブリット・ポップ時代の立役者たちのファッション デイリーユースの融合

 

 
それ以前の時代には、ミュージシャンのファッションというのは、ステージ上の衣装に過ぎず、日常的なファッションとはあまりにもかけはなれていた。たとえば、シド・ヴィシャスのような格好をする人は現在きわめて少ないだろうし、ポール・マッカートニーの服装ですらカジュアルなデイリーユースとしてはあまりにもフォーマルすぎる。だが、80年代以降の時代は、デイリーユース、あるいはスポーティーなファッションをかけ合わせることがトレンドとなっていく。1980年代、産業革命の原点ともいえる工業都市マンチェスターから、様々な魅力あふれるバンドが数多く出てきた。クラブでの活動スタイルが主だった特徴で、ディスコムーブメントの再来のような経済的にもかなり大きな規模の音楽市場がつくられていったのだ。
 
このマンチェスター界隈で華々しく活躍したのは、現在、ソロ・アルバムを出すかでレーベルと揉めているモリッシー擁するザ・スミスを筆頭に、ハッピー・マンデーズ、ストーン・ローゼズ、もしくは、インスパイラル・カーペッツ。これは当時のブラックマンデーにはじまる社会不安、そして、サッチャーの長期政権にたいして少なからずの不満を抱く若者を心を惹きつけて、その退廃した日々の延長線上にあるパーティーなどの習慣とあいまって、一種の異質な狂乱にうかされた夜々を形作り、かつてザ・フーがマイ・ジェネレーションに歌いこめたような一大的ムーヴメントが、マンチェスターを中心として発展、英国全土に広がっていくようになった。
 
上記したアーティストの音楽の主だった特徴というのは、ダンサンブルな音楽性をロックの枠組みの中で再解釈している点でしょう。ちなみに、このインスパイラル・カーペッツというバンドは、若かりし頃のオアシスのノエル・ギャラガーがローディー(いわばバンドの機材をツアーに帯同して運ぶ手伝い)をつとめていたことは有名であり、オアシスの音楽にもかなり影響を与えていると思われる。ザ・スミスの登場後の一連の流れとして、雨後の竹の子のように続々とクラブ・ミュージックのテイストを感じさせるロックバンドがシーンに華々しく登場し、英国のミュージックチャートを次々に席巻していった現象は、マッドとマンチェスターを掛け合せて、後に「MADCHESTER」と呼ばれるようになる。その流れの一貫として、ジョイ・デイヴィジョンのマシンビートに象徴される冷ややかで無機質な印象の強い電子音楽のニュアンスの感じられるパンクロックを奏でるバンドも、マッドチェスター辺りの括りに入れられる。
 
1980年当時の英国の若者を中心とする熱狂というのは、ひとつの社会現象を形作りました。また、その時代背景を知るのに最適な映像作品があり、それは、このマッドチェスターと呼ばれるシーンを題材に選んだことで有名なカルト映画、ユアン・マクレガー主演の「トレイン・スポッティング」。ここには、マッドチェスターと呼ばれる界隈の世相、当時の英国の労働者階級の若者達の生々しい生き様というのが克明に描かれていて、歴史資料的な鑑賞の仕方もできる。この作品は、坊主頭で、白いTシャツ姿のユアン・マクレガーの絵画的なクールさもあいまって、傑作としかいいようがない白眉の出来となっています。

そこには、作中で演じているのはもちろん、本人ではなく別人ではありますが、ハッピー・マンデーズ、ジョイ・デイヴィジョンが登場しているので、このあたりのシーンの音楽ファンしても見逃せない。この作品でのユアン・マクレガーの演技というのは、何気ない仕草であっても何故かかっこよくみえてしまう、その配役になりきって自然に演じています。いわば超一流の俳優に欠かさざる素質がある点で、やはり、現在では映画界、そして演劇界の大御所と言っても差し支えない存在に至ったのは、何も不思議なところはなかったように思えます。
 
 
さて、話を元に戻しましょう。このマッドチェスターというシーンで最も有名なバンド、ストーン・ローゼズというバンドのフロントマンである、イアン・ブラウンという人物を、ファッションという観点から外すことはできません。そして、このバンドの四人のメンバーたちのファッションというのは、それまでのビートルズをはじめとする英国の古典的ロックバンドとは一線を画しており、彼等の格好というのは、主に、現在の若い人が好んで着るようなラフなルームウェア、カジュアルウェアの中間、もしくはスポーティウェアのような具合であり、たとえば、特徴的なところでは、ビック・シルエットのシャツであるとか、少し緩めのボトムス、もしくは、スタンダードなデニム、それから、つばのさほどひろくはないチューリップハットを被っていました。これは、ステージングやプロフィール写真の印象でもかなりの効果があり、顔の上半分の表情が影にかくれてよく見えづらく、ミステリアスな印象を受けます。それが、この四人の姿をかなり神格化めいた圧倒的な存在に見せていたところもあるでしょう。
 
ストーン・ローゼズの音楽性というのは、単純にいえば、ダブ、レゲエ、ファンク、もしくは、他のクラブミュージックをダンスフロアで体感したのちに生み出されたロックといえ、コード、メロディー、ギターの音作りの的な面では、モリッシー率いるザ・スミスからの影響が色濃いバンドです。

そして、この後の、ニュー・オーダー、プライマル・スクリームとともに、彼等が確立したクラプミュージック的な聴衆を踊らせる音楽のスタイル。これというのは、ロック史上では、ビートルズとビーチボーイズを比較するとわかる通りで、これまではアメリカとイギリスの音楽がどことなくリンクしていて、一律的であったものが、この八十年代あたりから、少しずつ違う方向に進んで行き、メインストリームという視点からいえば、それぞれ独自の進化を遂げていった。そして、米国のバンドとはまた異なる進化をとげた英国のクラブ的要素をまじえた音楽性というのは、二〇〇〇年代のシーンに華々しく登場するカサビアンまでめんめんと引き継がれている。

 
ストーン・ローゼズはデビュー当時からずっと、年相応な若い輝きがありながら、一貫して玄人好みの渋い音楽を奏でていた。ミュージシャンとしての職人気質な格好よさというのも当然のことながら、イアン・ブラウンの現在の若者のファッションにも通じるようなラフでいてカジュアルなスタイル、ぶかぶかのビックシルエットのシャツを着込み、そこに、たとえば、デニムを合わせたりしていた点が非常に魅力的。ヴォーカリストとしてのイアン・ブラウンのステージングというのも、それまでのロックミュージシャンとは異なり、ステージマイクの前に棒立ちになり、ふてぶてしく歌う姿も、どことなく今までになかったスタイルを生み出し、同じく彼の独特なファッションというのも、当時の英国の若者たちの目にはクールに映ったはず。
 
また、実はこのスタイルは、のちのオアシスのリアム・ギャラガーにも引き継がれています。ギャラガー兄弟は、1990年大のブリット・ポップという一大ロックムーブメントをブラーとともに牽引した存在であり、その後の英国の音楽シーンに与えた影響というのは計り知れないものがあった。また、リアムの上記のイアン・ブラウンのファッションスタイルを引き継いだような、ビックシエルエットとジャストサイズの中間にあるスタイルを粋に着こなしてみせるラフでカジュアルな格好も、今では珍しく魅力たっぷり。もちろん、ギャラガー兄弟の格好、渋いジャケット、もしくは、シャツ姿などを見るにつけ、どことなく、一時期流行ったようなアメリカンカジュアルとは対極にあるようなイングリッシュカジュアルともいうべきニュアンスが感じられ、個人的には今ではこれがなかなかカッコよく見えます。そして音楽的にもファッション的に完成されたのが、彼らの最高傑作と名高い「モーニング・グローリー」だった。
 
それ以前にも彼らはこのような雰囲気のスタイルを好んできて、そして、ここに、独特な風味のあるオアシスらしいファッションスタイルが確立されたものと思われ、当時から現代にかけてのファッション性にも、少なからず影響をもたらしたのではないでしょうか。現在も、リアム・ギャラガーは、ビックサイズの品の良いフィッシャーマンズ・コートを上から羽織り、(兄からは”漁師みたい”と言われている)デビュー時から大事にしている後ろに手を組み、首を突き出して涼しげな表情で歌うスタイルを貫いており、ロックミュージシャンとしてクールな服装はなんなのかというのを模索しつづけている。

 
 


 
 4. 90年代 グランジの台頭とその後のミクスチャー  ファッションにおけるマニアック性

 

 


 
90年代に入ると、ファッションという面で、大きな影響を及ぼした存在を探すため、表舞台をイギリスからアメリカに移し替える必要があるように思える。 そう、スケーター的なファッションと結びついて、実に泥のような格好をする連中が登場した。
 
アメリカのシアトルからほど近い、アバディーンという土地から、次なるファッション・イコンが登場。カート・コバーンはニルヴァーナというバンドがスターダムに進出する以前、地元で歯科助手として働いていた。その後、彼は、デイブ・グロールとクリス・ノヴォセリックとともに自費で、Sub  Pop からリリースをした「BLEACH」を引っさげて、ライブハウスを行脚しながら、いよいよインディーシーンにその名を轟かせはじめた。その後、91年、ゲフィン・レコードから「Nevermind」をリリースし、華々しくメジャーデビュー。マイケル・ジャクソンという不可侵的な存在、つまり、その年代においては、彼に肩を並べる存在はダンスミュージック界のビッグスターを、ビルボード・チャートの一位から引きずり下ろしたのだった。
 
この後、アリス・イン・チェインズ、ストーンテンプル・パイロッツ、グリーン・リバー、グリーンアップルズ、そして、なんといっても、クリス・コーネル率いるサウンドガーデンという傑出したバンド群を生み出し、この流れというのは、後にグランジ・ムーヴメントと呼ばれ、一世を風靡するに至ったというのは、当時としては驚愕的な事件のひとつだったはず。そして、一躍、時の人となったニルヴァーナという存在。この頃、すでにカート・コバーンはブロンドの長い髪とハリウッドスターを彷彿させる風貌になっていますが、デビュー以前の映像を見ると、黒髪の長髪であり、おそらく、このブリーチをリリースしたあたりから、金髪に染め始めたことがうかがいしれる。

そのファッション性というのは、幼い時代に家庭的な問題、に起因するものなのか、きわめて独特であり、たとえば、ぼさぼさの金髪、穴のあいたジーンズ、そして、ぶかぶかの淡緑のカーディガン、あるいは、現在の女性が着ているような、膝丈ほどもある白いロングシャツを好んで着用していました。

この服装の集大成ともいえるのが、英国のレディング・フェスティバル出演時のコバーンであり、この頃、オーバードーズのため、ほとんどギターをまともに弾くのもままなくなっていた。彼本人は、ときに、グラムロックの再来とばかりに、目の周りにメーキャップのような、黒いアイシャドウを施したり、奇抜さという面ではロック史的にも群を抜いており、元来のロックミュージシャンのファッション性の影響を受けつつも、ニルヴァーナ活動中期あたりから独自のセンスを突き出していくようになった。
 
彼の特徴的なファッションというのは、いわゆる有名なグランジファッションとも呼ばれるようになり、ファッション界にもかなりの影響を及ぼしたかと思われます。その後、この世界的なロックバンドは、イン・ユーテロ、MTVアンプラグド、とリリースをして、コバーン自身は、コットニー・ラブと結婚、一子をこの世にのこしたのち彼は最後の方でロックスターの生き方のマニュアル本のようなものがあったら良かったのに、そんなニュアンスの謎めいた言葉をこの世に残し、ジャニス・ジョップリンやヘンドリクスと同じように二十七という歳、そして上記したシド・ヴィシャスの最期をなぞらえるかのように、彼の場合は、その延長線上にある自死を遂げる。

94年のカート・コバーンの死後、グランジは急速に衰退、その代わりに、ミクスチャーロックという、さまざまな音楽をごった煮にしたロックムーブメントが到来、その文脈の中でとりわけファッション性という面において見過ごせない人物が、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトム・モレロでしょう。このロックバンドというのは、ファーストアルバムのジャケットにおいて、チベットの僧侶が中国共産党の占領に対し、強い抗議の意味を込めて、焼身自殺を市中で図った過激な写真を使用している点も、かなりセンセーショナル、鮮烈なイメージを音楽界に与えたことでしょう。
 
 
 
フロントマンのザック・デ・ラ・ロッチャのボブ・マーリーやジミー・クリフあたりを彷彿とさせるドレッドヘアをするロックミュージシャンが出てきたというのも、かなり斬新なものでしたが、やはり、このトム・モレロという存在はロックファッション的には欠かすことができないイコンといえます。

彼は、いつもステージ上において、軍人のような格好をし、たとえば、海軍基地にいるような職業軍人がかぶるような帽子。そして、ジャケットというのも、軍人の制服のような固い素材のものを着込んでいる。ファッション概念的には、このトム・モレロという人物は、今日のミリタリーファッションのリバイバルの先駆者のようにも思えます。そして、彼等の音楽スタイルと同じように、ヒップホップ的なファッション、オーバーサイズのトップを粋に着こなすようなスタイルの風味も感じられます。
 
さらに特筆すべきは、トム・モレロの使用するギターというのは、きわめて高いポジションに掲げられることが常であり、彼はギターのピックアップという場所に取り付けられている、かつてはジェフ・ベックがよく使っていましたが、いつしか演奏をする上で邪魔になるためにあまり使われなくなっていた”トレモロアーム”の特性をよく知った上で、その奏法を最大限まで活かしたギタリストとしてあまりに有名。トレモロアームの周辺には、「ARM THE HOMELESS」と手書きで書かれている。これはどことなくアメリカ的な手法、つまり、曲で彼の出すきわめて強いノイズのひとつの表現というのは、これこそが、アメリカという国家全体の苦悩である、そして、ホームレスのような弱い存在の代弁者としての強い慟哭のうねりであるということを、彼は音楽という形で芸術的に体現し、そのことを大衆に対してギターの音により、高らかに宣言しているといえるかもしれない。そのことがよく現れているのが、ファーストアルバムに収録されている「Know Your Enemy」という彼等を代表する楽曲なのでしょう。
 
トム・モレロはアメリカにおける社会的に無視されてきた内在的問題を音楽の土壌に挙げ、それを全く無視することなく、直視するといういわば実の父親譲りの覇気を持って、常にそういった経済的な弱者を支持し、彼等のような存在を、音楽という腕で支えるべく、今日に至るまで真摯に活動して来ています。トム・モレロの演奏中に掲げられる「ARM  THE  HOMELESS」のクールさというのは、ロック史、ひいては音楽史の中でも群を抜いており、そして、弱者の視点に立ってものを考えるアティテュードというのは、のちの二〇〇〇年代のエミネムにも、全く音楽性というのは違いながらも、少なからず影響を及ぼしていると思われる。
 
 

 5.2000年代 リアルな世界を歌うライムスター、そして現代のファッションアイコン エミネムからビリー・アイリッシュ



 もちろん、これまで述べてきたのはその多くが白人社会におけるファッションイコンとも呼ぶべきもので、正確を期すなら、八十年代のNYにおけるRUN   DMCあたりの黒人ファッションに対する影響というのはおよそ計り知れないものがあっただろうし、彼等のユニークなスタイル、Tシャツに太いネックレスをし、両手を突き出しながらラップをするという代表的なスタイルも白人社会におけるクールさとは全く異なる側面を追求したといえる。しかし、その辺りの知識に現在は乏しいので、ここではその代わりにエミネムあたりのアーティスト、それから現在のビリー・アイリッシュについて言及したい。上記のグランジ、ミクスチャーの台頭、そして、貧者やゲトゥー的な文化に対する共感を持ち、それを音楽の中にも取り入れるというスタイルは、アメリカという社会がそれまでの七十、八十年代に比べると、経済的にも貧富の差が激しくなってきたのが要因であると推測される。そして、それは2000年以降の日本も同様である。
 
 
それほどまでに、アメリカの社会的に内在していて表側にはあらわれない問題は深まり、音楽という側面でも、大きな経済に踏みつぶされたような悲劇的な存在が生まれたことからも、アメリカの社会問題というのは、すでに九十年頃にはもうはじまっていたものと考えられる。つまり、それ以前まではブラックカルチャーの存在をスケープゴートにすることもできたものの、2000年以後の年代においては、人種差別的問題が表面化してきたため、彼等のことを表向きにはスケープゴートとして見立てる事ができないようになっていったのでしょう。エミネムの、デビュー以前の、白人社会のはぐれものとしての生き様、いわゆる社会の落ちこぼれとしてのというのが、彼の強い個性を引き出して、そして、唯一無二の強固なライム・スターとしての音楽性を形成した。それはまた白人としてでもなく黒人としてでもなく、その両性質を併せ持った彼の特異なリリックにあらわれており、そこに見いだされるのは、アメリカという社会に顕在している内在的な問題でもある。
 
 
「やるせなさ、どうにもならなさ、空虚さ」そんなニュアンスの感じられるエミネムの歌詞というのは、かつてのフォーク・ロックの体現者であるボブ・ディランと同じように、アメリカ全土に蔓延している社会的な気風、あるいは問題をはっきりと音楽として描き出したものであったように思われる。彼の金髪の短い髪、どことなく何かを深く見つめるような瞳、そして生来のスター性、カリスマ性というのは、アメリカという社会の厳しい風にふきされされたがためにエミネムというイコンを形作り、それはまたたとえ、幻想であろうとも、民衆の時代の要請に応えるような形で生まれでたものでが、エミネムという形で最終的に完成されたのではないだろうかと思われます。そして、それは以前までのスターと聴衆という二つにはっきりと分かたれていた存在を緊密にさせた。もっといえば、以前のビートルズのような存在ではなく、聞き手の苦悩のようなものに対して、そっと寄り添うような形で音楽シーンに台頭してきたのがエミネムなのであり、これまでは親のような存在であったミュージシャンが兄弟の立ち位置まで降りてきたのがこの辺りの時代だった。それはファッション性においてもごく親しい人から影響を受けるような感じで、日常的な若者のファッションスタイルを感化したことは疑いがない。
 
この2000年代になると、すでに、スター・ミュージシャン、ファッション・アイコンとしてのミュージシャンというのは、以前のポール・マッカートニーやジョンレノンのように神々しい存在ではなくなり、普通の人々にとってもすぐ手の届くような、近しい、もしくは親しい存在に変わっていった。
 
テレビ、その後のインターネットをはじめとする複数のメディアのイノベーションにより、アーティストの人前への露出度が増えたので、最早、ミュージシャンの姿がそれほどミステリアスな存在ではなくなった点が大きいかもしれない。その後、ミュージシャンの神格化というのはすでに昔日の虚影となり、Discordなどのプラットフォームのバーチャルで知り合う友達というように接する雰囲気が一般的に浸透してきている。つまり、95年からのインターネットの一般家庭への普及は、従来、ほとんど接点のなかった音楽家と民衆という二つの隔たりに架橋をすることになる。もちろん、これは良い側面ばかりにとどまらず、以前ならば知らなくても済んだことを知ってしまうという弊害も、ミュージシャンとリスナーの両者にもたらしている。この動向は、Yard Actのジェームズ・スミスさんがよくご存知のことだろう。しかしながら、2010年代からは、有名な人にも、以前のように、コンサートに行かなくとも、なんらかの媒体に接続すれば、彼等の存在に非常に接近することができるようになってきた。もちろん、ソーシャルで接する際には、人間としての節度というのをわきまえねばいけないでしょう。
 
つまり、以前のビートルズのような面々のように、一生に一度会えるかどうかもわからない存在ではなくなり、朝起きて、パソコンを立ち上げ、ネット上というバーチャルな空間ではありながらも、ごく当たり前のように、有名なミュージシャンの演奏、また彼等のインタビュー、そして、賛美両論ありましょうが、彼等の私生活を知ることもさほど難しくなっているというのは、最初の六十年代当時の人々から見ると、驚天動地のような革新だったのである。その辺りで、華々しくシーンに出てきたのが、奇抜なファッション、SF的な風味のある奇抜なファッション性を打ち出したレディー・ガガ。彼女のような存在は例外的事例としても、さらに2015年代に時が進むと、音楽家と聴衆の一体化、無差別化という傾向はいよいよ顕著になっていく。
 
Twitter、Facebook,Instageram、(現在はそれに加え、ドイツのMastodonも強い影響力を持ちはじめている)一般的な浸透により、SNS文化は音楽シーンにも無関係ではなくなり、アーティストの私生活をほとんど以前よりも気軽に接近していくことができるようになり、それはファッションスタイルという観点においても、憧れの的といえるようなファッションイコンを参考にして、また自分のコーディネイトの中に、気楽に取り入れられる時代となりました。

 
 
一連の流れの中でシーンに登場したのが、ビリー・アイリッシュという際立った存在でした。彼女は自身の生み出す音楽という面での魅力もさることながら、ファッションリーダ的な立ち位置としても多くの人々に支持されているようなのが伺えます。アイリッシュは、積極的にインスタグラムにおいて、自分の私生活の一部を公開したりしながら音楽活動を続けています。金髪の写真が有名ですが、どちらといえば、個人的な印象として根強いのが、彼女の緑色の髪の姿でしょう。

このビリー・アイリッシュという人物はどことなくフェミニンな印象があり、女性的ではありながらも、中性的なファッション性を有しているのが特徴で、彼女の奇抜な髪の色というのは、彼女もレディー・ガガとは異なる現代的ファッションイコンとしてその筆頭として挙げられるでしょう。

彼女のファッション的なカリスマ性というのは主に十代を中心とした若い女性の心をしっかり捉えているように思われます。
 
 
 
 
 6.70年のミュージシャンのファション性から見える彼らの考え、そして普遍的なオリジナリティ

 
 
 
 1960年代から2020年代までかなり駆け足ではありましたが、音楽とファッションと言うように題して、その中に副次的なファションイコンというテーマを据え、一時代の中で、ミュージシャンたちがどのような思想を持ってファッションをし、そして、どのような形で民衆と関わり合って来たのかを説明してきた。およそ、エルヴィスからはじまったロックスターという概念は、ビートルズやストーンズのような存在により押し広げられました。
 
七十年のピストルズのような存在が生み出したそれまでのロックスターとはまったく異なる形でのファッションスタイル。 八十年のマッドチェスタの項目では、オーディエンスやファンの中にミュージシャンのスタイルを浸透させていくような形で推進されていった。さらには1990年代に入ると、色濃く社会的な問題を反映させたようなパンクスやハードコア・パンクスのファッション、その裏側には稀に政治的なメッセージも込められていくようになる。やがて、2000年代に差し掛かると、テクノロジーという媒体を通して、より緊密な形でそれまで完全に分離されていたように思える音楽家と民衆(リスナー)がひとつに繋げられていくような傾向が見られる。
 
この一つに近くなっていくという特徴というのは2023年でも継続していて、音楽家と聴衆が一体化がなされ、距離がさらに縮まってきているという印象をうける。また、ファッション面においても、さらに拍車がかかっていくと思われる。果たして、今後、どのような形で、音楽家のファッション、そして。それに対する民衆のリアクションというのは変遷をたどるのか?
 
最後に述べておきたいのは、この記事(最初の原稿が完成したのは2年前)を書いていてなんとなくわかってきたのは、音楽というのは、ただ聴くという側面のみで語られるべきではなくて、社会的に、また、思想的にも分かちがたくむすびついている文化形態のひとつだということ。そしてその概念とも呼ぶべきものが形をとって表面上に、よく目に見えるわかりやすい場所にあらわれたものが、「ファッション」といわれるものであり、上記に列挙したアーティストの魅力的な服装というのは、彼等、彼女ら自身の揺るがしがたい思想をあらわしているともいえる。
 
ファッション・アイコンともいうべき存在が最初に登場した時代から、およそ70年という月日が流れてもファッションは、並み居るアーティストたちの強い概念というのを、音とはまた異なる形質で表しつづけている。おそらく、この帰結というのは、最初のジョン・レノンから、現在のアイリッシュにいたるまで、なんら変わることのない普遍的な事実ではないだろかと思われる。



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その後に世界的なスターとして知られ、冷戦時代の世界の象徴的なアイコンとなったデヴィッド・ボウイは、左右の瞳の虹彩の色が違うオッド・アイの持ち主である。グレーとブルーの瞳を持つロックシンガーは、ブレイク以前、シンプルで内省的なポップソングを中心に書いていた。72年以前には大きな商業的成功に恵まれなかったが、五作目のアルバムで大変身を遂げることになった。彼は、この時代のことに関して、売れるための契約があったと冗談めかして語っている。

 

その真偽はさておき、1972年6月16日に発売されたデヴィッド・ボウイの「The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars」は、架空のロックスター「ジギー・スターダスト」の物語を描いたコンセプトアルバムであ。このアルバムの楽曲をイギリスのテレビ番組、トップ・オブ・ザ・ポップスで初披露し、彼は一躍世界的なロックシンガーと目されるようになった。そして、モット・ザ・フープルやT-Rexと並んでグラムロックの筆頭格として認知されるようになった。そしてアルバムには、T-Rexのようなグラムロックの華美さとそれ以前に彼が書いていたような内省的なフォーク・ミュージックがバランス良く散りばめられている。

 

しかし、このコンセプト・アルバムに込められたミュージカルのテーマはフィリップ・K・ディックの作品のように奇想天外であり、人前にめったに姿を表さないことで知られるトマス・ピンチョンの作品のように入り組んでいる。デイヴィッド・ボウイは、ある意味では地球にやってきた異星人であるジギー・スターダストという救世主と自らの奇抜なキャラクター性をみずからの写し身とすることで、また俳優のようにその架空の人物と一体になることで、ルー・リードやイギー・ポップに比する奇抜なロックシンガーとして長きにわたりミュージックシーンに君臨することになった。もちろん、ボウイという人物の実像がどうであれ、彼はプロのミュージシャンでありつづけるかぎりは、その理想的な架空の人物を演ずることをやめなかったのである。

 

 

「ジギー・スターダスト」はデヴィッド・ボウイが架空のミュージカルとして書いたアルバムであるがゆえ、それが刺激的な音楽性とともに、舞台上で披露される演劇性を兼ね備えていることは首肯していただけるはずである。そしてボウイは、イギー・ポップやルー・リードのソングライティングに影響を受けつつも、SF的なストーリー性を音楽の中に取り入れ、そして彼自身が生まれ変わりを果たしたかのような華麗な衣装やメイクを施し、そしてクイアであることを表明し、それ以前のいささか地味なソングライターのイメージを払拭することに成功したのだった。

 

「ジギー・スターダスト」のストーリーは、天然資源の枯渇により、人類は最後の5年を迎え(「Five Years」)、唯一の希望は、エイリアンの救世主(「Moonage Daydream」)である。完璧なロックスターであるジギー・スターダスト(薬物を使用する、全性愛者である人間の異星人の姿)は、メッセンジャーとして、彼のバンドスパイダーズ・フロム・マーズとともに行動するという内容だ。

 

スパイダーズ・フロム・マーズは、"スターメン "と呼ばれる地球外生命体を代表して、メッセンジャーとして活動しているという設定である。そのメッセージは、快楽主義的な面もあるが、最終的には、平和と愛というロックンロールの伝統的なテーマを伝えるもので、スターマンが地球を救う。このメッセージを世界中の若者たちに伝え、ロックンロールへの欲求を失った若者たちは、その魅力にとりつかれていくようになった。70年代はサイケをはじめヒッピー・ムーブメントが流行しており、実際に物質主義的な利益を求める人々とは別の精神主義や理想主義を追い求める人々を生み出した。そして、これはジョン・レノンのソロ転向後の理想主義的なアーティスト像と一致しており、70年代初頭の時代の要求に答えたとも解釈できるだろう。

 

まさにデヴィッド・ボウイは、それ以前の内向的なフォークロックシンガーのイメージから奇抜な人物へと変身することにより、誰もいない場所に独自のポジションを定めることに成功したのである。しかし、このミュージカルで描かれるジギーという人物の最後は、ショービジネスの悲劇的な結末を暗示している。ジギーは名声のみがもたらす軽薄な退廃によって、最終的にステージで破壊されてしまう(「Rock 'n' Roll Suicide」)。(多くのロックスターが自ら破滅に向かうのと同じ手段である)。そしてこれは実際のミュージカルで強い印象を観衆に与えるのである。

   

結局のところ、このアルバムはヒーローの命運の上昇と下降の双方を描いている。ボウイは、1974年の「ローリング・ストーン」誌のインタビューで、この預言者に起因する自我を説明している。しかしこれらのプロットは非常に複雑怪奇で、その全体像をとらえることは非常に難しい。


時は地球滅亡まであと5年。天然資源の不足により世界が滅亡することが発表された。ジギーは、すべての子供たちが自分たちが欲しいと思っていたものにアクセスできる立場にあります。高齢者は現実との接触をまったく失い、子供たちは独り残されて何かを略奪することになります。ジギーはロックンロールバンドに所属していましたが、子供たちはもうロックンロールを望んでいません。再生するための電気がありません。

 

 ジギーのアドバイザーは、ニュースがないから、ニュースを集めて歌うように彼に言いました。

 

そこでジギーがこれを実行すると、恐ろしいニュースが流れる。「All the young dudes」はこのニュースについての曲です。これは人々が思っているような若者への賛歌ではない。それは全く逆です。無限が到着すると終わりが来る。本当はブラックホールなのですが、ステージ上でブラックホールを説明するのは非常に難しいので、人物にしました。


ジギーは、夢の中で無限からスターマンの到来を書くようにアドバイスを受け、人々が聞いた最初の希望のニュースである「スターマン」を書きます。それで彼らはすぐにそれに気づきました...彼が話しているスターマンは無限と呼ばれ、彼らはブラックホールジャンパーです。ジギーは、地球を救うために降りてくるこの素晴らしい宇宙飛行士について話している。彼らはグリニッジビレッジのどこかに到着します。

 

彼らは世界では何の関心も持たず、私たちにとって何の役にも立ちません。彼らはたまたまブラックホールのジャンプによって私たちの宇宙に偶然遭遇しただけなのです。彼らの一生は宇宙から宇宙へと旅をしている。ステージショーでは、そのうちの1人はブランドに似ており、もう1人は黒人のニューヨーカー。私はクイニー、無限フォックスと呼ばれるものさえ持っている... 今、ジギーはこれらすべてを自分自身で信じ始め、自分を未来のスターマンの預言者であると考えています。

 

彼は自分自身を信じられないほどの精神的高みに連れて行き、弟子たちによって生かされている。無限が到着すると、彼らはジギーの一部を奪って自分を現実にする。なぜなら、本来の状態では反物質であり、我々の世界には存在できないからだ。そして、"Rock 'n' Roll Suicide "の曲の中で、ステージ上で彼をバラバラにしてしまうのです。


 

ボウイの代名詞となっているジギーという救世主的なロックスターのキャラクターは、イギリスのロックスター、ヴィンス・テイラーにインスパイアされた部分もある。50年代から60年代にかけてプレイボーイズで活躍したロカビリーのフロントマン、ヴィンス・テイラーは、薬物乱用の末、自分が「イエス・キリストの息子マテウス」と宣言し、ステージからメッセージを説いた。(「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」は出席していた弟子である)。


また、デヴィッド・ボウイがアルバム『Heathen』(2002年)でカバーした「I Took a Trip on a Gemini Spaceship」という曲の「Legendary Stardust Cowboy」にも影響を受けている。

 

さらにこれらのキャラクター性を強化したのが、ジギー・スターダスト・ツアーでデザイナーを務めた山本寛斎である。

 

山本寛斎は、この時代について、「日本的な美しさを世界に広めたい」と回想しているが、この時代のボウイのファッションについて見てみると、寛斎が志向したところは、和の持つ個性と洋の持つ個性の劇的な合体であったように思える。以下は「Tokyo Pop」でデヴィッド・ボウイが着用した山本寛斎が手掛けた衣装である。(鶴田正義氏の撮影)これらを見れば、ファッション自体がボウイというキャラクターの一部であることがわかりやすく理解できると思う。

 


 

 

デヴィット・ボウイが山本寛斎とともに作り上げたジギー・スターダストのペルソナは、パフォーマンス的なメイクとコスチュームに依拠しており、グラム・ロックというジャンルに少なからぬ影響を及ぼすことになった。「ジギー」という名前自体、ボウイの衣装への依存と表裏一体の関係にある。ボウイは、1990年の『Qマガジン』のインタビューで、「ジギー」という名前は、電車に乗っているときに通りかかった仕立て屋「ジギーズ」に由来していると説明している。

 

最も印象的なのは、ミュージカルのステージ上でのジギーの死が、グラム・ロック・アーティストの仕事に対するボウイの認識を物語っていることだ。72年から76年までを振り返って、彼は後に語っている。「その頃までは、"What you see is what you get "という態度だったけれど、舞台上のアーティストが役割を果たすミュージカルのような、何か違うものを考案してみるのも面白いと思ったんだ」

 

この発言からも分かるように、デイヴィッド・ボウイは、この時代の自らの分身を創作のメタ構造における登場人物のように認識している。なおかつまた彼はグラム・ロックというジャンルにもそれほどこだわっていたわけではなかったに思える。その後の70年代後半には、ミュージカルでの自らの姿を崩壊させるのと同様に、グラムロック・アーティストとしてのイメージを覆し、ベルリン三部作を通じ、ポップネスを志向した音楽性へ舵を取った。そして、時代の流行を賢しく捉えるセンス、そして以前の成功のスタイルにまったくこだわらないこと、この身軽なスタイルこそが、その後のデヴィッド・ボウイのロックスターとしての地位を盤石たらしめたのだった。


「Starman」 Top Of The Pops(1972)

 

Ye(Kanye West)


昨年、アディダスがカニエ・ウェストとのパートナーシップを解消したことは今も同社にとって大きな負債となりつつある。同ブランドは売れ残ったカニエ・ウェストの専属ブランドであるYeezyの製品の在庫により、今年に入ってから4億ユーロ(約441億円)もの巨額損失を計上したというのだ。

AP通信によると、アディダスは、2022年9月にカニエ・ウェストが行った反ユダヤ主義的な発言を受けて、ラッパーに関連するすべてのアイテムを引き上げた後、まだ13億ドルのYeezy製品を保有しているという。

 

スニーカーとアパレルの大手は、アディダスの新CEOビョルン・ガルデンが、同社が「決断に近づきつつある」とし、さらに「選択肢は狭まっている」と述べたと報じられているが、この株式をどう処理するのかはまだ不明である。




在庫処分の方法としては、残りのYeezy製品をそのまま販売する、靴からYeezyのブランド名を消す、靴を譲る、破棄する、などが考えられる。しかし、それぞれの選択肢には、靴の販売でカニエウェストに支払われるロイヤリティや、二次市場での日和見的な転売など、デメリットが伴うという。


ガルデンは、アディダスがYeezyの在庫を破棄することを「避けようとした」と述べているが、現時点ではその可能性は残されている。同社は、消費者や市場に各スニーカーの評価額を知らせたくないため、Yeezyの在庫の残量を公表しておらず、製品への需要を提供する可能性があります。


アディダスとカニエ・ウェストの分裂は、ブランドにただならぬ余波を残し続けている。2022年には、数億円もの損失を計上した。そして、もしアディダスが売れ残ったYeezyの商品を消化することができなければ、2023年には総計5億ドル以上の負債を抱えることになるかもしれない。これはもちろん、同ブランドにとって大きな打撃となる。


さらに、カニエはロサンゼルスのメルローズ通りにYeezyのオフィスの開設を予定しているが、何とその隣の敷地にはアディダス・ストアが併設しているという。こちらの方も今後、ひと悶着ありそうだ。




 カニエ・"イェ"・ウェストの一連の反ユダヤ主義的な発言を受けて、何日も沈黙を守っていたアディダスは、ついに、このミュージシャンと彼のイージーブランドとの長年にわたる非常に有利なパートナーシップを直ちに打ち切ったと発表した。


"アディダスは反ユダヤ主義やその他のあらゆる種類のヘイトスピーチを許さない "と、ドイツの会社は10月25日に発表した。"イエの最近のコメントと行動は、受け入れがたい、憎しみに満ちた危険なものであり、多様性と包括性、相互尊重と公正という会社の価値観に違反している "と述べたのだ。


アディダスとウェストは2013年から共にビジネスを展開し、その3年後にはパートナーシップを拡大し、アーティストを億万長者にした。アディダスによると、イージー・ブランドの全商品の生産は停止し、「イェと彼の会社への支払いもすべて」停止しているが、「既存商品の全デザイン権と、パートナーシップに基づく前作と新作のカラーリングの唯一の所有者である」ことに変わりはない。


アディダスは今月初め、ウェストが公の場で「ホワイト・ライブズ・マター」Tシャツを着用した後、パートナーシップを「検討中」としたが、ウェストがインタビューの中で反ユダヤ的な発言を続けても、より決定的な行動を取らなかったと批判された。ウェストはその後、バレンシエガとタレント事務所CAAから降板させられ、メディア企業MRCは完成した彼に関するドキュメンタリーを棚上げにした。



アディダスは、本日の決定について、「第4四半期の高い季節性を考慮すると、同社の純2022利益に対して、最大で」2億4600万ドルの短期的なマイナスの影響を与える見込みであると述べている。