ひとつ奇妙なのは、これらのフォーク・ミュージックには、例えば、Jim O' Rouke(ジム・オルーク)のGastr del Solのようなアヴァンギャルド・ミュージックの影響が色濃く感じられることだろう。しかし、サトミマガエの音楽は、若松孝二監督の映画『連合赤軍 あさま山荘への道程』のサウンド・トラックの提供で知られる日本愛好家のジム・オルーク(近年、日本に住んでいたという噂もある)とは、そのアプローチの方向性が全然異なっている。 表向きには米国のフォークやブルースを主体に置くが、それは日本の古い民謡/童謡や、町に満ちていた子供たちの遊び歌等、そういった日本と米国の間にある自分自身の過去の郷愁的な記憶を音楽を通じて徐々に接近していくかのようでもある。そして、そのことが最もよく理解できるのが、リイシュー盤の先行シングルとして最初に公開された「Inu」となる。これは日本的な意味合いでいう”イヌ”と米国的な意味合いの”Dog”の間で、その内的な、きわめて内的な感覚が微細な波形のように繊細に揺れ動く様子を克明に表現しようとしているように思える。「Inu」は、そういった自分の心にある抽象的な言葉という得難いものへの歩み寄りを試みているという印象も受ける。
シンガーソングライター、Sarah Noelle(サラ・ノエル)は、パシフィック・ノースウエスト出身、カナダのトロントを拠点に活動するマルチ・インストゥルメンタリスト、学際的アーティスト。現在、サラ・ノエルは、音楽家として活動する傍ら、文芸誌の編集にも携わり、「Lyrics as Poetry」という名の雑誌を発行しています。昨年11月には、28人のアーティストと20人のライター/ジャーナリストによる第4刷が発行されました。
Sara Noelleの名を冠したポストロック/ドローン・フォークのソロ・プロジェクトを通じ、彼女は、シングル「Bridges」と「Shelf」、デビューEP「Spirit Photographs」をリリースしています。さらに、バンクーバー・アイランド大学でジャズ研究のBFAを、トロント大学で民族音楽学の修士号を取得している。このプロフィールに関しては、実際の音楽性、特に民族音楽の側面に強く反映されています。その多彩な趣味から、これまで、Michael Peter Olsen (Zoon, The Hidden Cameras), Timothy Condon and Brad Davis (Fresh Snow, Picastro), The Fern Tips (Beams) Völur (Blood Ceremony), NEXUS (Steve Reich), ビジュアル・アーティストのAlthea Thaubergerと仕事をしてきました。
既発の2つのアルバムにおいて、サラ・ノエルは、フォーク・カントリーとエレクトロニカ、そしてそれらをニューエイジやアンビエントの影響を交えたポピュラー・ソングを中心に書き上げてきました。しかし、全二作は、正直なところ、アーティストの志向する音楽性が作品としていまひとつ洗練されていない印象がありました。しかし、今回、自主レーベルから発売された3rdアルバム『Do I Have To Feel Everything』においてサラ・ノエルは大きな飛翔をみせています。それは、大きな路線変更を図ったというより、自然な形のステップ・アップでもあるのです。
前の二作のアルバムと比べると、サラ・ノエルの音楽的なアプローチは格段に広がりを増しており、時に楽曲そのものから醸し出される霊的な神秘性については、かなり顕著な形で見えるようになっています。例えば、先行シングルとして公開された「Color of Light on The Water」を始めとする代表的な楽曲の中にかなり色濃く反映されています。
さらに続く、タイトル曲「Do I Have To Feel Everything」ではエンヤを彷彿とさせる開放感のある楽曲を提示しています。しかし、この曲は必ずしも、前時代のポピュラー音楽のノスタルジアを全面に押し出した曲というわけではなく、モダンなエレクトロとポップスをはじめとする最近の主流の音楽をセンスよく反映させ、ポップ・バンガーのような力強さも兼ね備えています。イントロは落ち着いたバラードソングのようにも聴こえますが、途中からバックビートを交えながらパンチ力のあるポップ・バンガーへと導かれる瞬間は圧巻です。時折、シンセサイザーのループ効果を交えながら、曲は渦のように盛り上がり、まったく品性を損なわずに曲のエネルギーを増幅させていく。それはクライマックスで、ある種の神々しさへと変化していく。
先行シングルの発売時、アーティスト本人は、「ラブ・ソングに聴こえるかもしれないし、そうではないかもしれない、聞き方次第ね・・・」と、クールなコメントを残していますが、最新作『Do I Have To Feel Everything』はその言葉通り、聞き手の感性によって捉え方が異なるような個性的な作品となるかもしれませんね。
90/100
Weekend Feature Track #4『Do I Have To Feel Everything』
デビュー・アルバム『When I Have Fears』で一定の人気を獲得し、同郷のFontaines D.C.やアイドルズが引き合いに出されることもあったザ・マーダー・キャピタルですが、実際のところ、ファースト・アルバムもそうだったように、硬派なポスト・パンクサウンドの中に奇妙な静寂性が滲んでいました。同時に、それは、上記の2つの人気バンドには求められない要素でもあるのです。
そして、今作において、ボーカルのジェイムス・マクガバンの歌詞や現代詩の朗読のような前衛的な手法に加えて注目しておきたいのが、ギターを始めとするバンド・サウンドの大きな転身ぶりです。実際、ザ・マーダー・キャピタルは、デビュー・アルバムで、彼ら自身の音楽性に停滞と行き詰まりを感じ、サウンドの変更を余儀なくされたといいますが、2人のギタリスト、The Damien Tuit(ダミエン・トゥット)とCathal Roper(キャーサル・ローパー)は、FXペダルとシンセを大量購入し、ファースト・アルバムのディストーション・ギター・サウンドからの脱却を試みており、それらは、#2「Crying」で分かる通り、フレーズのループにより重厚なロック・サウンドが構築されています。その他、このシンセとギターを組み合わせた工夫に富んだループ・サウンドは、アルバムの中でバンド・サウンドとして最もスリリングな「The Lie Become The Shelf」にも再登場。そして、この曲の終盤では、明らかにデビュー・アルバムには存在する余地のなかったアンサンブルとしてのケミストリーの変化が立ち現れるのです。
2013年にリリースされた『Costland』以来、Cicadaは、台湾という土地をテーマに取り上げ、本島を取り巻く海の想いや人々の温かな関係性を演奏に託した楽曲スタイルを確立し、実際の風景をもとにオーケストラレーションを制作している。シカーダのメインメンバー、メインメンバー、作曲者である、Jesy Chiangは、スキューバ・ダイビングと登山をライフワークとしており、『Coastland』では、台湾西岸部へ、さらに、その続編となる『Light Shining Through the Sea』で、台湾の東岸に足を運んで、海や山を始めとする風景の中から物語性を読み解き、その風景にまつわるイメージを音楽という形で捉え直しています。台湾の穏やかな自然、また、それとは対象的な荘厳な自然までが室内楽という形で表現される。さらに、2017年の『White Forest』では、町に住む猫たちや林に棲まう鳥など、Cicadaの表現する世界観は作品ごとに広がりを増しています。
その後、2019年のアルバム『Hiking in The Mist』では、Jesy Chiangみずから山に赴いて、小川のせせらぎや木々の間を風が通り抜ける様子などをインスピレーションとし、室内楽として組み上げていきました。とりわけ、”北大武山”での夕日の落ちる瞬間、”奇來山”と呼ばれる山岳地帯の落日に当てられて黄金色に輝く草地に心を突き動かされたという。言わば、そういった実際の台湾の神秘的な風景を想起させる起伏に富んだオーケストラレーションがCicadaの最大の魅力です。
東京のレーベル、FLAUから1月6日に発売されたばかりの新作アルバム『Seeking the Sources of Streams』においても、アンサンブルの主宰者、作曲者、ピアノを演奏するJesy Chaingは、台湾の自然の中に育まれる神々しさを再訪し、それを室内楽という形式で捉えようとしています。
Cicadaの音楽は、ピアノを基調とした、チェロ、バイオリン、ギターによる室内楽であり、映画のサウンドトラックのような趣があります。彼らは、坂本龍一、高木正勝の音楽に影響されていると公言していますが、実際のバンド・アンサンブルは、さらに言えば、久石譲の気品溢れる誠実なモダン・クラシカルや映画音楽にもなぞらえられるかもしれない。「源流を訪ねもとめて」と題された新作アルバムのオープニングを飾る「Departing In The Morning In The Rain」は、一連の物語の序章のような形で始まる。これは、『Hiking~』の流れを受け継いだ音楽性であり、親しみやすく穏やかな世界観を提示している。さらにピアノの演奏とギターの音色は、聞き手の心を落ち着かせ、そして、作品の持つ奥深い世界へ引き入れる力も兼ね備えています。
二曲目の「Birds-」からは、上記の楽器の他、オーボエ/フルートといった木管楽器が合奏に加わり、まさにジブリ・ファンが期待するような幻想的なサウンドスケープが展開される。演奏が始まる瞬間には、どのような音楽が出来上がるのか、演奏者の間で共有されているため、四人が紡ぎ出す音楽は、清流の中にある水のように自然かつ円滑に流れ、作品の持つ現実的な風景と神秘的なファンタジーの合間にある平らかな世界観が組み上げられていく。そして、前二曲の前奏曲の流れを継いで、三曲目の「On The Way to the Glacial Cirque」では、それらのストーリーが目に見えるような形で繰り広げられる。ピアノとギターに、チェロとバイオリンが加わり、4つの楽器により幅広い音域をカバーすることで、楽曲そのものに深みが加えられています。
続く、五曲目のタイトル・トラックは、このアルバムの中での大きなハイライトでもあり、山場ともいえ、11分以上にも及ぶ大作となっています。ここでは、坂本龍一、久石譲の系譜にある柔らかな表情を持った繊細なピアノ曲が展開されますが、室内楽のアンブルやギターのソロにより、中盤部に起伏のある展開が設けられています。その後、中盤での大きなダイナミクスの頂点を設けた後に訪れるピアノの静謐でありながら伸びやかな演奏は、彼らの創造性の高さを明確に象徴づけているように思えます。この曲は、Jesy Chaingが台湾の山間部を歩いた際の風景をありありと想起させ、聞き手は心地よい癒やしの空間に導かれていきますが、それは、果てしない神秘的な空間に直結しているかのよう。まさに、ここで、表題の『Seeking the Sources of Streams』に銘打たれている通り、Cicadaはアンサンブルの妙味を介して、台湾という土地の源流を訪ね求め、さらに、その核心にある「何か」を捉えようと試みているのかもしれません。
そして、今作の多くの山の中にあって、谷地のように窪んだ形で不意に訪れるのが、六曲目の「Encounter at the Puddle」となります。これは、前半部のテーマの提起を受け、その後に訪れる束の間の休息、または間奏曲のような位置づけとして楽しむことができるはずです。この曲もまた、前曲と同様、オリヴィエ・メシアン等の近代フランス和声を基調にした坂本龍一の繊細なピアノ曲を彷彿とさせ、とても細やかで、驚くほど切なげであり、なおかつ、儚いような響きに彩られている。とても短い曲ではありながら、このアルバムの中にあって強いアクセントをもたらす。なにかしら深い落ち着きと平らかさが、聞き手の心に共鳴するような佳曲となっています。
アルバムの後半部に差し掛かると、楽曲は、精細感を増し、物語性をよりいっそう強めていきます。聞き手は、神秘的な山間の最深部に足を踏み入れ、そして、きっと、その自然の中にある何がしかの神秘性を目の当たりにすることでしょう。「Raining On Tent」は、マリンバとチェロを主体に組み上げられた一曲であり、その後にバイオリンやピアノが最初のモチーフを変奏させていく。そして、それは確かに、山間部の天候の急な変化と同じように、上空を雲がたえず流れていく際の景色の表情が、時間とともに刻々と移ろう様子が音楽として克明に捉えられている。
さらに、それに続く、8曲目の「Remains of Ancient Tree」は、スペイン音楽、ジプシー音楽の影響をほのかに感じさせ、Hsieh Wei-Lunのアコースティック・ソロと称しても違和感がないような一曲となっている。ガット・ギターのミュート奏法を介して繰り広げられる華麗な演奏は、聴き応えがあるため、かなりの満足感を与えると思われますが、このギターの卓越した演奏を中心にし、ピアノやバイオリン、チェロのフレーズが、調和的に重なり合うことによって、曲そのものの物語性やドラマ性がより強化されていきます。もちろん、それはまた、表題曲とまったく同じように、台湾の自然の源流の神秘性に接近しながら、自然の奥底にある神々しさに人間が触れる瞬間の大いなる感動とも称せるかもしれない。特に、クライマックスにかけてのチェロの豊潤な響きは、この音楽が途切れずに延々と続いてほしいと思わせるものがあるはずです。
これらの8つの神秘的な旅を終えて、最後の曲「Forest Trail to the Home Away Home」によって、物語は、ゆっくり、静かに幕引きを迎えます。この最後の曲は、アルバムのオープニングと呼応する形のささやかなピアノを中心とする弦楽アンサンブルとなっていますが、この段階に来て、聞き手はようやく神秘的な旅から名残惜しく離れていき、それぞれの住み慣れた家に帰っていく。しかし、実のところ、不思議なことに、Cicadaの最新作で織りなされる幻想的な感覚に触れる以前と以後に見えるものは、その意味が明らかに異なっていることに気がつくはずなのです。
12月23日に発売となった最新EP『Like Death A Banquet』において、ジョン・ロバーツは既存の作品とは一風異なる作風に挑んでいます。これまで前衛的な電子音楽を複数リリースしていましたが、今回の作品ではピアノと電子音楽の組み合わせに挑戦している。これまで、先鋭的なエレクトロニックを作曲してきたロバーツの新たな表現性を本作に見出すことができるはずです。
『Like Death A Banquet』に内包される音楽は、ジョルジョ・デ・キリコの絵画作品のごとくシュールレアリスムのような不思議な感じに満ちている。意味のない空間のように思え、その中に何らかの意味を見出したくなるという趣旨もある。しかし、また、キリコのように、音を俯瞰して眺めていると(聴いていると)現実的な感覚が希薄なため、そこに奇妙な安らぎを覚えることも事実です。ここには、現実性と一定の距離を置いた異質な空間が広がり、現実空間とは没干渉な音楽が展開されています。いわば、人気のない奇妙な空間に足を静かに踏み入れ、その中に安寧を見出したり、また、人気のない美術館に足を踏み入れる際におぼえる安心感にも喩えられる。そこでは、己の中にある美的感覚がはっきりと浮き彫りとなる。まさに、この2曲収録のEPは、以上のような、ジョン・ロバーツの持つ、きわめて強固な美的感覚が緻密に提示されており、凛とした静けさと安らぎに充ちた音響空間はこの再生時間の中で維持されている。そして、この音楽において、その内なる美的感覚は鑑賞者の手に委ねられるわけです。つまり、この音楽の中に、どのような美的感覚を見出すのかは聞き手の感性如何に一任されているのです。
このEPは、単一の主題によって立体的に組み上げられた趣のある作品ですが、驚くべきことに、音楽に対する見方や角度を変えれば、異なる音楽のように聴こえることを暗示しています。これらのリズムやフレーズの配置の多彩なバリエーションにより、「Like Death A Banquet」は、16分もの間、別のフレーズが独立して存在するように感じられる。表面上だけを捉えると、よくあるようなアンビエント/モダン・クラシカルではないかとお考えになるかもしれません。しかし、ジョン・ロバーツは、『Like Death A Banquet』において、聞き手の予測を上回る前衛的な作風を確立しています。ここで、ロバーツは、ミニマル・ミュージックの先にあるアブストラクト・ミュージックの未知の可能性を実験的かつ断片的に示しているといえそうです。
Pitchforkは、「ロバーツは、彼の同業者が、ただ12インチを売りさばいているように思えるほど、個人的かつ芸術的なセンスで活動している」と評しています。2019年には、ミュージシャン、仮想楽器、フィルム編集技術との関係を探求した「Can Thought Exist Without The Body」をリリースしました。
My Bloody Valentine、RIDE直系の轟音のディストーション・ギター、ダンサンブルなビートはこのジャンルに属するバンドとしては王道を行くもので、加えて、日本のバンド、Passepied(パスピエ)の大胡田なつき、平成ポップ・チャートを席巻したJudy and MaryのYukiに象徴されるファンシーなボーカルに通じるものがあり、彼らの織りなすタイトなアンサンブルーードリーミーなサウンドとJ-POPサウンドの劇的な融合ーーが心ゆくまで楽しめる内容となっています。
オープニングを飾る「Undule」は、ギター・トラックの多重録音による重厚なディストーションサウンドを体感できますが、あくまでそれらのバックトラックと対象的に、幻想的なボーカルがが乗せられ、同時にスタイリッシュな雰囲気を漂わせています。MBVの音楽の最大の特徴はエレクトロを基調としたダンサンブルなビートとスコットランドのキャッチーなネオ・アコースティックの融合にありましたが、このバンドはそれを十分再現する作曲能力と演奏力を兼ね備えています。二曲目の「The First Time」では、オリジナルのシューゲイズ・サウンドとは対象的なニューゲイズ・サウンドが展開されており、甘美でノスタルジア満載のインディーロック、渋谷系に代表される多幸感のあるメロディーやコードに裏打ちされた楽曲が一曲目とは対象的な趣を持つ。
Ian Hawgoodは、アンビエント/ポスト・クラシカル/に属するミュージシャンで、これまでピアノやギターを用いたアンビエントを制作している。成人してから、日本、イタリア、といった国々で生活を送っている。彼は、特に日本に深い思い入れを持っているようで、2021年の『朝』や2018年の『光』、それ以前の二部作の『彼方』を始め、日本語のタイトルのアンビエント・ミュージックをリリースしています。(これらの作品はすべて日本語が原題となっている)
また、イアン・ホーグッドは、イギリス/マンチェスターのポスト・クラシカル・シーンの若手チェロ奏者、Danny Norbury(ダニー・ノーベリー、2014年の傑作『Light In August』で知られる)との共作もリリースしている。また、イアン・ホーグッドは、複数のレーベルを主宰している。詳細は不明ではあるものの、東京のレーベル”Home Normal"を主宰していたという。現在は、イギリスのブライトンの海岸にほど近い街に拠点を置いて音楽活動を行っているようです。
Ian Hawgoodの最新作『Mystery Shapes and Remembered Rhythms』はbandcampでは、11月から視聴出来るようなってましたが、昨日(12月9日)に正式な発売日を迎えた。このアルバムは、ギターとトング・ドラム(スティール・ドラムに近い楽器)を使用し、その音源をReel To Reelのテープ・レコーダーに落とし込んで制作された作品となります。定かではないものの、海岸のフィールド・レコーディングも音源として取り入れられている可能性もありそうです。
アルバムの全体の詳細を述べると、オーストリアのギタリスト、Christian Fennesz(クリスティアン・フェネス)のようなアバンギャルドなギターの多重録音から緻密に構築される質の高いアブストラクト・アンビエントから、スロウコア/サッドコアのようなインディーロック性を基礎に置く楽曲「Call Me When The Leaves Fall」を、アンビエントとして音響の持つ意味を押し広げたものまで、かなり広範なアプローチが図られている。この最新アルバムにおいて、イアン・ホーウッドは、これまでの人生経験と音楽的な蓄積を踏まえながら、ありとあらゆるアンビエントの技法に挑戦し、多面的な実験音楽を提示していると言っても過言ではありません。
また、タイトル・トラック『Mystery Shapes and Remembered Rhythms』にもある通り、西洋的な概念から見た「日本の神秘性」という伏在的なテーマが、本作に読み解くことが出来る。ついで、Rhythm(リズム)というのは、本来の意味は一定の「拍動」を指すものの、ここでは、その語句の持つ意味が押し広げられ、その空間に満ち、その場にしか見出すことのかなわない連続した「気(空気感)」の性質を暗示している。その場所にいる時には気付かなかったけれど、その場から遠く離れた際、その場所の持つ特性が尊く感じられることがある。たとえば、ホームタウンから遠く離れた時、その土地が恋しくなったり、その場に満ちる独特な空気感が何故か懐かしくなる。そういった制作者の日本に対する淡い郷愁が随所に感じられるのです。
Ian Hawgood(イアン・ホーグッド)の最新アルバムは、2022年のアンビエント・ミュージックの中では、白眉の出来栄えとなっており、William Basinsky(ウィリアム・バシンスキー)の『on reflection・・・』、Rafael Anton Irisarri(ラファエル・アントン・イリサーリ)の『Agitas Al Sol』と並んで傑作の1つに数えられる。 ぜひ、これらの作品と合わせてチェックしてみて下さい。
Dirk Mantei & David Moufangの実質的なデビュー・レコードは、Davids Sourceからリリースされた「Homeworks 1」という12インチだ。また、その1年前には、Source Recordsから最初のCDとしてリリースされた4曲もあった。また、「Wired To The Mothership」は、このCDコンピレーションに収録されている32秒のトラックで、あまりにも短いが、特別なものであるのだという。
今回、Smallville Recordsからリリースされた『All You Can Tweak』の全てのトラックは、1992年から2021年の間にDavid MoufangとDirk Manteiによって書かれ、プロデュースされ、ミックスされた作品である。
Move D
昨日、12月2日に発売された南ドイツのダンスシーンを象徴する二人のプロデューサーDirk Mantei & David Moufangの最新作『All You Can Tweak』は、先述したように、90年代に録音されていながら、長らく発表されていなかったトラックも複数収録されているという点で、伝説的なアルバムと呼べるかもしれない。二人のプロデューサー、Dirk Mantei (ディルク・マンテイ)& David Moufang(ダビデ・モンファン)のダンスミュージックは、デトロイト・テクノや初期のハウス・ミュージックに象徴される4つ打ちのきわめてシンプルなハウス・ミュージックが基本的な要素となっている。シンプルなスネアとドラムのキックに支えられた基本的なテクノ/ハウスではありながら、反復的に繰り返されるビートに、アシッド・ハウスやサイケの要素が加わっていくことにより、途中から想像しがたいような展開力を持ち合わせるようになる。
Move D/Dmanの最新作『All You Can Tweak』は、彼らのテクノ/ハウスの原点を探るような作品といえそうだ。この作品は、ジェフ・ミルズ、オウテカ、クラーク、ボノボの初期のように、最もテクノが新しい、と言われていた時代の熱狂性の痕跡を奇跡的に残している。時代を経るごとに、これらの4つ打ちのリズムは徐々に複雑化していき、ヒップ・ホップのブレイクビートの要素が付け加えられ、ほかにもロンドンのドラムン・ベースの影響が加わり、さらに細々と不可解に電子音楽は枝分かれしていった印象もあるが、『All You Can Tweak』を聴くとわかるように、これらの基礎的な4つ打ちのビートにも、まだ音楽として発展する余地が残されていることを、二人のプロデューサーはあらためて、この最新作『All You Can Tweak』ではっきり証明している。一方で、この作品は、単なるデトロイト・テクノや旧来のハウス・ミュージックへの原点回帰とはいいがたいものがある。三十年という月日は、Move D/Dmanにとって、これらの原始的なダンスミュージックを、さらに深化/醸成させるための準備期間であったのだろうと思う。二人のプロデューサーは、実際に、レコード店を経営しながら、そして、地元ハイデルベルクのダンスシーンと密接に関わりながら、イギリスにもない、イタロにもない、そして、アメリカにもない、特異なGerman-Techno(ゲルマン・テクノ)を綿密に構築していった。
一転して、#2「All You Can Tweak」では、落ち着いたIDM寄りの電子音楽が展開される。ミニマル・グリッチ的なアプローチの中にチルアウトの要素が加味される。金属的なパーカションを涼し気な音響の中に落とし込むという点では、Bonobo(サイモン・グリーン)に近い手法が取り入れられている。さらに、#3「Colon.ize」は、本作の中でハイライトの1つとなる。4つ打ちの簡素なビートは、ハウスの基本的な要素を突き出しているが、特にバスドラムのベースラインを形成するシンセが絡み合うことにより、コアなグルーブ感を生み出していく。しかし、この曲が既存のハウス/ ディープ・ハウスと明らかに異なるのは、デュッセルドルフのテクノ、つまり、クラフトベルクのロボット風のシンセのフレーズがSFに近い特異な音響空間を導出する点にある。不思議なのは、これらのロボット・シンセが宇宙的な雰囲気を演出するのである。さらに続く、#4「Weierd To The Mothership 2021」は、ユーロ・ビートやトランスが隆盛をきわめた時代のノスタルジアが揺曳する。これらのアプローチは古びている感もなくはないが、その点を二人のプロデューサーは、リミックスを通し、アシッド・ハウスの要素を加味することによって克服し、淡白なダンスミュージックを避け、鮮やかな情感を添えることに成功している。
その後もまた、4つ打ちのシンプルなビートがタイトル・トラック「All You Can Tweak」で続くが、ここでは複合的なリズム性が現れ、シャッフル・ビートの手法を駆使し、特異なグルーブを呼び覚ましている。この曲でも、ビートやリズムは、新旧のハウス/ディープ・ハウスをクロスオーバーしているが、そこにシンセのオシレーターのトーンの振幅により、音色に面白い揺らぎがもたらされ、曲のクライマックスでは、ボーカルのサンプリングを導入し、近未来的な世界観をリスナーに提示している。ただ、ひとつ付け加えておきたいのは、それは人間味というべきなのか、電子音楽の良曲を見極める上で欠かすことの出来ない仄かな情感を漂わせているのである。
アルバムの終盤では、この二人のダンスフロアへの熱狂性がさらに盛り上がりを見せ、90年代のハイデルベルクのアンダーグランドのダンスフロアに実際に踏み入れていくかのようでもある。続く、#6「Doomstorlling」では、シンセ・リードにボコーダーのエフェクトで処理した面白い音色を生み出していてユニークであるが、やはり、80年代のイタロ・ディスコに触発されたマンチェスターのミュージック・シーンとも異なる、バスドラムのキックのダイナミクスを最大限に活かした少しダークな雰囲気を持つダンス・ミュージックを体感することが出来る。そして、アルバムのクライマックスを飾る#7「Luvbirdz」は、「Hokusai」「Colon.ize」「All You Can Tweak」と合わせて聞き逃すことの出来ない一曲である。彼らは、シャッフル・ビートを交えつつ、アシッド・ハウスの極北を見出す。タイトルに纏わる鳥のシンセの音色についても、二人のプロデューサーの斬新なアイディアを象徴するものとなっている。
総じて、『All You Can Tweak』は、90年代から続く、南ドイツのアンダーグラウンドのダンス・ミュージックの二人の体現者であるDavid&Dirkが、それをどのような形で現代に繋げていくのか、真摯に探求しているため、歴史的なアーカイブとしてみても、意義深い作品となっている。これらの7つのトラックは、90年代のハイデルベルクのミュージック・シーンの熱狂性を余すことなく継承しているばかりか、現在も新鮮かつ刺激的に感じられる。いや、それどころか、これらの楽曲が、2020年代の世界のダンス・ミュージックの最高峰に位置することに疑いを入れる余地はない。信じがたいことに、彼ら(David&Dirk)が90年代にハイデルベルクに蒔いたダンス・ミュージックの種-Keimzellen-は、30年という月日を経て実に見事な形で結実したのである。
以来、Tin Angel Recordsは、『I'm Willing』(2016)、『Anchors and Ampersands』(2017)、『Trust an Amateur』(2018)、英国で録音されショーン・オヘイガン(The High Llamas, Stereolab)が制作した『High January』(2020)、以上の4枚のマーカー・スターリングのレコードをリリースしている。
このオープニング曲で、カミングスは、リスナーの興味を惹きつけることに成功しているが、二曲目の「Out Of This Mess」で、アルバム全体のイメージを膨らませるかのように、バンドアンサンブルのファンクサウンドは、一段ギアを上げ、エンジンが全開となる。レトロ・ファンクを下地にしたワウ・ギター、エレクトリック・ピアノのメロウさ、シンセサイザーのグロッケンシュピールの音色、同様にシンセサイザーの口笛の音色は、あくまで、カミングスの音楽の持つ本格派ソウルの性質の一端を示しているに過ぎない。カミングスは、巧みなソングライティングを駆使し、時に、移調を散りばめながら、曲のメロウな雰囲気を面白いように盛り上げていく。彼は、この曲で、バンドとともに、R&Bの最大の根幹ともいえるロマンチックな空気感を見事に演出しているのである。
これらのアルバムの中盤までの収録曲において、クリス・A・カミングスとバンドメンバーは、耳の肥えたR&Bファンの期待に沿う以上の聴き応えのある曲を披露しているが、中盤に差し掛かると、なおカミングスの世界は多彩さとエモーションを増していく。特に、今回、気心の知れたバンドと共に録音した効果が良い形で表れたのが、「(Hope It Feel Like)Home」であり、ファンクバンドのリアルなライブサンドを体感出来る。カミングスのハスキーなボーカルは序盤よりも艶かさたっぷりで、バンドアンサンブルは常にメロウな演奏で彼のヴォーカルを引き立てている。
これらのライブ・セッションの延長線上にあるサウンドが続いた上で、ご機嫌なR&Bナンバーの最後を飾るのは、「Yet You Go On(Ft.Dorothia Peas)」。 このアルバムの中では、最もファンクへの傾倒を感じさせる一曲。しかし、ここで注目したいのは、カミングスは、これまでのキャリアを総括するように、自身のソングライティングの温和な要素を重んじた曲を生み出していることである。さらに、ゲストボーカルで参加したドロシア・ピアスは、カミングスと息の取れたコール・アンド・レスポンス形式のツインボーカルを繰り広げ、今作の最後に華やかな印象を添えている。
ウェイズ・ブラッドの名を冠して活動するナタリー・メリングは、前作『Titanic Rising』で歌手としての成功を収め、その地位を確立したが、この三部作の二作目となる『And In The Darkness,Hearts Aglow』で今日のディストピアの世界の暗闇に救いや明るい光を見出そうとしている。三部作は、ナタリー・メリングのとって、恋愛小説のような意義を持ち、それはいくらかロマンティックな表現によって縁取られている。
世界を描く・・・。こういった壮大な試み、あまりにも大がかりにも思えるテーマが成功することは非常に稀有なことである。アーティスト、もしくはバンドが、それらのテーマをどのように描くか、自分の現時点の位置を嘘偽りのない目で見極めながら、それらの理想郷に手を伸ばさねばならない。しかしながら、ナタリー・メリングは、もともとが電車に乗って、路上ライブを行っていた人物であるからか、様々な階級の世界をその目で見てきた人物としての複数の視点、それは王侯から奴隷までを愛おしく描くウィリアム・シェイクスピアのような、すべての世の人を愛するという温かい心に満ちあふれているのだ。にとどまらず、ナタリー・メリングは、時に、実際的な社会の問題を見た際には悲観的にならざるをえない、きわめて理知的かつ現実的な視点を持ちあせ、さらに、そのユートピア的な思想を実現するための音楽的な素養と深い見識に裏打ちされた「知」がしっかりと備わっている。暗澹とした先行き不透明なディストピアの世界に対峙する際、その暗闇の向こうにかすかに見える一筋の光を手がかりに、メリングはモダン/クラシカルの双方のポップスの世界を探訪していく。これらの音楽を思想的に強化しているのが「God Turn Me Into a Flower」のナルキッソスの神話や、オープニング・トラック「It's Just Me,It's Everyone」での傷ついた人を温かく、慈しみ深く包み込むような共感性にあるのだ。これらは、単なる作品舞台の一装置として機能しているのではなく、その楽曲を生み出すためのバックボーン、強い骨組みのようなものになっているため、そこで、実際の音楽として聴くと、深く心を打たれ、そして、深く聴き入ってしまうような説得力を持ち合わせているのである。
ナタリー・メリングのセカンド・アルバム『And In The Darkness,Hearts Aglow』の収録曲は、クラシカルなポップスの雰囲気に彩られている。それは実際に、ナタリー・メリング自身が最近の音楽をあまり聴かず、シューマンや、メシアンを始めとする新旧の古典音楽に親しんでいるのが主な理由として挙げられる。しかし、ドローン・アンビエントのシーンで活躍するブルックリンの電子音楽家、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーのDanel Lopatin(ダニエル・ロパティン)がシンセの反復的なフレーズを提供した、「God Turn Me Into a Flower」にも見受けられるように、これらの曲は、決して、古びているわけでもないし、懐古的なアプローチであるとか、アナクロニズムに堕しているとも言いがたい。常に、このセカンドアルバムでは、ポスト・モダンに焦点が絞られ、そして、メリング本人が話している通りで、既存の音楽を破壊し刷新するような「脱構築主義」にポイントが置かれているのである。古典的なポップス、映画音楽、そして、ジャズ、クラシックの要素がごく自然に入り混じったナタリー・メリングの楽曲は、モダンなエレクトロのアレンジが付け加えられることで、複雑な構造を持つ音楽へと転化されている。さらに、メリングの女性的なロマンチシズムを込めた叙情的な歌詞や、伸びやかな歌唱によって、これらの曲は、ほとんど信じがたい、神々しい領域にまで引き上げられていくのである。
では、果たして、ナタリー・メリングが追い求めようとする救いは、ここに見いだされたのだろうか? それはアルバム『And In The Darkness,Hearts Aglow』全編を聴いてのお楽しみとなるが、このアルバムの中で「God Turn Me Into a Flower」と合わせて、最もロマンティックな楽曲といえるクローズド・トラック「A Given Thing-与えられたもの」では、昨今の二年間にわたり、このアーティストが訪ね求めていた答えらしき何かが、暗喩的に示されているのに気がつく。
ピアノのシンプルな伴奏、古めかしいハモンド・オルガンのゴージャスなアレンジを交えたクラシック・ジャズ的な芳醇さを持ち合わす、このクライマックスを劇的に彩る楽曲において、ウェイズ・ブラッドは、楽曲が幾つか出来つつあり、今後開催するツアーで段階的に観客の前で新曲を披露していくと話す、三部作の最後のスタジオ・アルバムのテーマがどうなるのかを予兆的に示し、二年間にわたる分離された社会に自分が見出した感慨を、さながら劇的な恋愛小説のクライマックスを演出するかのように、甘美に、あまりにも甘美に歌いながら、『And In The Darkness,Hearts Aglow』の持つ、穏やかで、麗しい、この壮大な物語から名残惜しげに遠ざかっていく。「ああ、それは、きっと与えられたものなのだ、愛は、永遠に続く・・・」 というように。
こういった悲惨な状況にもかかわらず、ローバックは「How the Light Felt」で前を向き、痛みをほろ苦いカタルシスに変える厳格な誠実さを示している。最初のリードシングル「After Silver Leaves」は、たまらなく耳に残る曲で、他のアルバムと同様、"私たちを支えてくれる人たちへのラブレター "である。現在、バンドはオハイオからシカゴを拠点に移して活動している。
Smut
シカゴのインディー・ロックバンド、Smutの新作『How The Light Felt』は、Beach Fossilsのダスティン・ペイザーが(当時のガールフレンドであり現在の妻)ケイシー・ガルシアとともに立ち上げた、ブルックリンのインディペンデント・レーベル、Bayonet Recordsからリリースされている。
元来、Smutは、シューゲイズの要素を強いギターロックをバンドの音楽性の主なバックボーンとしていたが、徐々にポップスの要素を突き出しいき、2020年のEP『Power Fantasy』ではドリーム・ポップ/オルト・ポップの心地よい音楽性に舵取りを進めた。セカンドアルバムとなる『How The Light Felt』は前作の延長線上にある作品で、ドリーミーでファンシーな雰囲気が満ちている。
セカンド・アルバム『How The Light Felt』は、表向きには、聞きやすいドリーム・ポップであると思われるが、一方で、一度聴いただけで、その作品の全貌を解き明かすことは困難である。それは、ソングライターを務めるテイ・ローバックの妹の自殺をきっかけにして、これらの曲を書いていったというが、その都度、自分の感情にしっかりと向き合い、それを音楽、あるいは感覚的な詩として紡ぎ出している。
「After Silver Leaves」では、Pavement、Guided By Voicesを始めとする90年代のUSオルト・ロックに根差した乾いた感覚を追求する。そして、次の「Let Me Hate」では、いくらかの自責の念を交え、モチーフである妹の死の意味を探し求めようとしているが、そこには、暗さもあるが、温かな優しさが充ちている。夢の狭間を漂うようなボーカルや曲調は、このボーカリストの人生に起きた未だ信じがたいような出来事を暗示しているとも言える。曲の終盤には、ボーカルの間に導入される語りについても、それらの悲しみに満ちた自分にやさしく、勇ましく語りかけるようにも思える。
これらの序盤で、暗い感情や明るい感情の狭間をさまよいながら、「Believe You Me」ではよりセンチメンタルな感覚に向き合おうとしている。それらはドリーミーな感覚ではあるが、現実的な感覚に根ざしている。ギターのアルペジオとブレイクコアの要素を交えたベースラインがそれらの浮遊感のあるボーカルの基盤を築き上げ、そのボーカルの持つ情感を引き上げていく。
日頃、私達は、自分の感情をないがしろにしてしまうことはよくある。けれども、その内的な得難い感覚をじっくり見つめ直す機会を蔑ろにしてはならない。そして、それこそアーティストが良作を生み出す上で欠かせない要素でもある。Smutの最新作『How The Light Felt』は、きっと、人生について漠然と悩んでいる人や、悲しみに暮れている人に、前進のきっかけを与えてくれるような意義深い作品になるかもしれない。
Changは、Baltimore School for the Artsでクラシックとジャズの演奏を学びながら育った。地元のヒップホップ・アーティストのためにビートを作るのが趣味だったが、クラスメートや教師のほとんどは、彼をトロンボーン奏者としてしか知らなかった。彼が自宅で独学で楽器を学び、地元の食料品店で働いたお金で地下にスタジオを建てていたことなど、知る人はほとんどいなかった。
続く「Time And Place」では、シド・バレット在籍時のピンク・フロイドのような独特なサイケデリアの中へ踏み入れていく。モダンフォークの要素を取り入れ、サイケとアンビエントの中間点を探る。しかし、驚くべきなのは、ジュリアン・チャンの楽曲は常にコントロールが効いているためか、自由奔放になったり、放埓の罠に陥ることはない。ここでは、みずからの感性を頼りにし、豊富な楽理知識に裏打ちされた楽曲進行が取り入れられている。さらに、次曲の「Bellarose」では、前曲のインディーフォークのアプローチにより強い焦点を絞り、それを感性豊かな楽曲へ昇華させようという意図も見受けられる。そして、その先鋭的な試みは、実際のところ、成功しており、聞き手を陶然とさせる甘美さと艶やかさの妙味を持ち合わせているのである。
今週、皆様にご紹介するMercury xxから今週金曜日に発売された『some kind of peace - piano reworks』は、2020年にオーラブル・アルナルズが発表したオリジナルアルバムのピアノのリワーク作品/再構築である。このオリジナル作品は、2020年以前にレイキャビクのハーバースタジオで制作されたが、今作はパンデミックの最初期にリリースされた。発表当時は世界中でロックダウンが敷かれ、およそアイスランドも同じような状況にあったものと思われる。
2020年発表のオリジナル盤『some kind of peace」は、Bonobo(サイモン・グリーン)を始め、秀逸なエレクトロニックプロデューサーがコラボレーターとして参加し、ポスト・クラシカル寄りの作品でありながら、モダンなエレクトロの雰囲気も併せ持つ快作であったが、今回、発表されたリワーク作品は、全く同じ楽曲構成であるものの、全曲がピアノのみで構成され、原曲の持つ抽象的な情感が前作よりも引き出されている。今回の再構築時に曲の順序が入れ替わったことも、音楽を聴くに際してオリジナルとは異なる印象をおぼえることになるだろう。
デビュー作「New Long Leg」で全英チャート4位を獲得したドライ・クリーニングの2ndアルバム『Stumpwork』は、サウス・ロンドンのミュージックシーンの気風を色濃く反映した作品といえるでしょうか。バンドメンバーのルイス・メイナード、ニック・バクストンの二人は別のバンド、元々は、La Sharkとして活動を行っていたそうなんですが、2017年にパーティーで出会ったというトム・ダウズが参加している。
アルバムの中盤に差し掛かっても、彼らの求心力が衰えることはありません。いや、それどころかむしろ、このアルバムの凄さは中盤部にこそ込められていると言える。それは外向きの力ではなく、内向きな想念がひたひたと渦巻いているようにも感じられる。前半部の世界観ーートレモロを活かしたサイケデリックなギターのフレーズ、そして、タイトでありながらダイナミックなリズムが、フローレンス・ショーのシュールな詩を湧きたて、音楽/バンドサウンドの持つ力を徐々に拡大していく。嘯くかのような力の抜けたフローレンス・ショーの語り口は、#7「No Decent Shoes For Rain」で最高潮に達する。テンションを一定に保ったまま、奇妙な熱を帯びていくのです。
また、The Jamのポール・ウェラーの若い時代の楽曲を彷彿とさせる、ポストパンク/モッズの影響を感じさせる#8「Don' t Press Me」では、現代社会に対する反駁のような考えを暗示しているように感じられます。そして、ひねりの効いたポスト・パンクのアプローチには、Wire,The Wedding Presentsといったバンドの系譜にある、強固な反骨精神すら見出す事も出来るはずです。
このトリオは、ハリスとバクスターが2017年に一緒に「カントリー・フレンド・テクノ」と名づけたものを作り始めたことから始まった。最初の曲のひとつは、ハリスが自分の夢を新しいバンドメイトに口述したことから生まれ、最初のライヴは、ニュークロスのThe Five Bells pubで行われたNarcissistic Exhibitionismという伝説の一夜であり、彼らが出会ってからわずか2週間後に開催された。このショーはエラ・ハリスのキュレーションによるもので、2階は絵画、彫刻、写真、1階はバンドがフィーチャーされていた。彼女は、PVAをヘッドライナーとしてブッキングした。