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イスタンブール出身のEkin Üzeltüzenci(エキン・ウゼルチュゼンチ)のソロ名義であるEkin Filはアンビエント・ブレイクでカットされたインダストリアル・ノイズの中を駆け抜け、夢見るような眼差しで物語を語ったりと、彼女の音楽はとてもパーソナルで、胸を打つほど繊細である。


これまでに、Ekin Fil(エキン・フィル)は、イスタンブール、ベルリン、ハンブルク、クレーフェルト、オッフェンバッハ、ケルン、ヴァレッタ(マルタ)、マインツ、ワルシャワ、ヴロツローの様々な会場でライブを行い、マルコム・ミドルトン(元アラブ・ストラップ)、グルーパー、マウンテンズなどの前座を務めた。2009年に、イスタンブールでGrouperのオープニングを務め、ジェフレ=カントゥ=レデスマのルート・ストラータや進化するアメリカ西海岸/アンビエント・フォーク・ドローン・シーンにエキン・ユゼルチュゼンチを引き合わせた。


フィルのドローン・ポップは、ドリームポップのアンビエンスという一瞥を裏切るような、重厚な情感という内的論理を基にしている。遠ざかる夢を音楽として汲み取るかのように、漠然とした音色と間遠い歌によって浮かび上がる。彼女の歌とソングライティングは、プルーストの回想をトリガーとし、デヴィッド・リンチの映画の忘れられたワンシーン、Cocteau Twins(コクトー・ツインズ)のElizabeth Flazer(エリザベス・フレイザー)の声の断片的なエーテルやエッセンスを巧みに織り交ぜている。深遠な何か。隠された何か。寂しく悲しき感覚への讃歌...。


カルフォルニアのアンダーグラウンドのプリント、ヘレン・スカーズデール・エージェンシーは、エキンの作曲家としての継続的な発展、成熟、成長を目の当たりにする喜びを味わってきた。彼女のおもむろに燃え上がるような意気消沈したバラードは、高低差のある周波数と明度と暗度の間を揺れ動き、悲しみを深遠な場所から引き上げる。失われた愛。壊れた世界への落胆。


『Sleepwalkers- 夢遊病者』は、ナルコレプシーや、睡眠と覚醒の間の不安定な存在の状態、あるいは廃墟のような建物を見たときに感じざるをえない朽ちかけたものに対する癒やされるような感覚といった、エキン・フィルの作品ではお馴染みのメタファーが取り入れられている。

 

その中には、いくつかの未来的な試行も、最新アルバムでは実験的に示されている。例えば、"Stone Cold "の重力を司るソフトなノイズであったり、野心的な "Gone Gone "のアンビエント・クロールを彩るスローモーションのセリエル音楽のように、Tim Hecker(ティム・ヘッカー)の系譜にある一連のコンセプチュアルな楽曲の構成を通じて、彼女は非凡な才覚を表している。



『Sleepwalkers』- The Helen Scandale Agency  ボーカルアートとシンセテクスチャーの極北

 

 これまでのエキン・フィルの旧来のカタログに関しては、ボーカル録音を取り入れた曲もあるにはあったが、それはどちらかといえば、アメリカの西海岸のベースメントで、リバイバルとして少し前から流行っているローファイ、要するにスラッカー・ロックの範疇に属するものだった。

 

つまり、それほどボーカルが前面に出てくることはなく、デモトラックやミックステープのような控えめな録音、「BGM」の範疇にとどまっていた。これは、制作者が敬愛するポートランドのGrouperの影響が色濃く、ボーカル録音は、一貫して補佐的な意味合いにとどまっていたとも言える。

 

しかし、この最新アルバムで、イスタンブールのエキン・フィルは、持ち味のモジュラーシンセで組み上げるアンビエントの複合的なテクスチャを基にし、ボーカルアートの画期的な領域へと歩みを進めようとしている。それらのボーカルのヒントとなったのが、プレスリリースにも挙げられている通り、エリザベス・フレイザーのドリーム・ポップの影響下にあるボーカルの形式である。また、ドリーム・ポップとアンビエントーーこれらのスタイルが相性が良いのは、ハロルド・バッドのコクトー・ツインズとのコラボレーションを見ると、一目瞭然である。

 

同時に、エキン・フィルのアルバムの録音は、re:stの代表作を見る限りでは、音質の粗さというのが難点だった。たとえローファイな感覚のあるコアな音楽の魅力を有するとしても、音楽の本来の魅力が、荒削りな録音によって帳消しになってしまうことがあった。つまり、低音がやや弱い、という懸念事項があった。要するに、これらの要素は、エキン・フィルの作品の印象を良くも悪くも薄めていたのである。しかし、最新作に関しては、弱点が克服されているにとどまらず、期待以上のイノベーションが示されている。何より、中東から音楽をメッセージのように発信しつづけることは、他の主要な地域の音楽よりも重要な意味が求められるかもしれない。今回のアルバムは、Loscil、Tim Hecker、Irissariの最新のアンビエントの系譜にあり、対旋律的な意味を持つ低音部が強調され、重厚な感覚が立ち表れている。音楽そのものの印象が強固で、インパクトのある作品となっている。5曲というEPのようなコンパクトな構成にまとめ上げられているが、聴き応えは十分で、一度聴いただけでその全容を捉えることは困難である。

 

ボーカルは、トルコの言語で歌われている。これらの固有の言語、あるいは、固有の音楽という二つの考えについては、2000年代以降、そのエキゾチズムという観点から大きな注目をあつめることがあったが、最早それは昔の話である。今日日の音楽ファンが、例えば、スペイン語やイタリア語、ないしはそれとは別のアフリカのような今まであまり知られていなかった地域の言語の音楽に親しむようになったのは、単なる物珍しさによるものだけではないだろう。

 

いわば世界全体がひとつのグローバリズム一色に染め上げられる中で、多くの人々が固有性に着目しているということを象徴づけている。また、それらの異言語や異文化がむしろ、グローバリゼーションを推進した国家や地域等の音楽に見受けられるのは皮肉というべきか。これは意外にもグローバリズムが限界に達した時、一極主義に反転することを意味している。また、このことは世界政府や一国主義の流れに、懐疑的な視線を向ける人々が一定数どこかに存在することの証ともなりえる。グローバリゼーションの中には「多様性」という考えが含まれているが、因果なことに、多様性というのは、「固有性の差異の集積」から生み出される。つまり、共同体やEUのような考えから導かれるのは、それと対極にある「スペシャリティー」でしかあり得ない。

 

 

 エキン・フィルの音楽は、Brian Eno(ブライアン・イーノ)の「Neroli」に象徴づけられるモジュラー・シンセによるアンビエントの構造、オシレーターの使用でもたらされるトーンの変化を用いた音楽という構造を持ち、本作に象徴づけられるように「音の流動性」に焦点が置かれている。 

 

例えば、このアルバムのオープニングを飾る「#1 Sonua Kader」は「Neroli」の系譜にある一曲で、あまり明かされなかったことであるにせよ、今作のエキン・フィルの作曲が意外にもブライアン・イーノの古典的なアンビエントの系譜に位置づけられることを示す。サウンドパレットを建築や機械設備の図面のように解釈し、マレット・シンセのような音色を用い、深いリバーブ/ディレイをかけることで、それらの音楽的な構図に抽象的かつ色彩的な点を散りばめている。

 

最初は、何の意味を持たなかった点が広がっていき、そして何らかの意味を持ちはじめ、瞑想的な音楽を生み出す。これは、エキン・フィルがブライアン・イーノの秘伝のメチエの間接的な継承者であることを意味している。


しかし、それらの技法は、「音の魔術師」であるエキン・フィルの手にかかるやいなや、全く別様の音楽に変化する。大気の風の音を模したようなドローンの抽象的なテクスチャをパレットに敷き詰め、それらにマレットやグロッケンシュピールのようなアナログシンセのパーカッシヴな旋律を配し、通奏低音の配置にボーカルを挿入する。それらはメレディス・モンク、エリザベス・フレイザー、ベス・ギボンズの先を行く「ボーカルアートとしての極北」を意味する。

 

今回のエキン・フィルのボーカルは歌ではなく、ほとんど「祈り」のような概念を意味しているように思える。これまでのアルバムのボーカル・トラックの系譜にあるドリーム・ポップやドローン・ポップの範疇にあるものだが、間遠く聞こえるボーカルはモザイクの尖塔を頂くモスクの下のムスリムの輪唱さながらに響き渡る。高音部には、シンセのテクスチャとボーカル、低音部に同じくモジュラーシンセによるベース音を対旋律として配置し、重厚な建築物のごとき崇高性を生み出す。


表向きには政治的なテーマが語られることはない。それでも、制作者は、前作でギリシャ地方の大規模火災をテーマにしており、今回も深読みが促される作風である。夢遊病患者とは、世界全体を意味しており、ヘルマン・ブロッホの小説「夢遊の人々」のように、政変に翻弄される無数の人々を象徴づけているのかもしれない。更に捉え方によっては、ドキュメンタリー風の映画、まさにデヴィッド・リンチのような社会への鋭い風刺や、何らかの一家言を持った音楽が貫流しているというふうに解釈することもできるかもしれない。

 

オープニングで示された夢想的な感覚は、続く「#2 Stone Cold」で強烈なノイズに突き破られる。それらのドリーミーな感覚はほとんど、現実的な感覚を持ち始める。しかし、嵐のように瞬間最大風速を持って吹き荒れるすさまじい風の向こうから、かすかに日の暈のような幻想が浮かんでくる。そして、それはやがてドゥーム・メタルのような感覚を持ち、聞き手を無限の惑乱にいざなう。瞑想的とも暗示的とも、洗脳的とも言える圧倒的なテクスチャーの中で、ほとんど情景的なものは浮かんでこない。それらは、オリーブの木が茂っていた古代のイスラエルのオリーブ山が今や殺伐として、閑散とした荒れ野となり、そして、二千年を経たつかの間の夢の中では、聖書に描かれている楽園的な幻想は、現代性によって消し去られたという事実を決定づけている。そして、抽象的なサウンドスケープを描く中で、徹底して、聞き苦しいもの、嫌悪感を誘うもの、そして遠ざけたいものを、巧みに、リアリズムを以て表現している。しかし、それらのサウンドスケープは変遷していき、その向こうからエキン・フィルの亡霊のような声が、はっきりと(ぼんやりと)浮かび上がる。これらの荒野の中にさまよう無数の霊、あるいは朽ち果てた不思議な感覚を彼女自身のボーカルアートとモジュラーシンセを用い表現する。

 

前曲のアウトロでは、日の暈のような感覚を思わせる明るいイメージが示されている。しかし、続く「#3 Reflection」では、同じように抽象的なドローンによるアンビエントテクスチャを描きながら、それらの魂の変遷を巧みに捉えようとする。一音一音の連なり、その連続性が生み出す複合的な音像がさらなる音の連続を呼び覚まし、これらの音の集積が、必ずしもドローンという範疇にあるものではないことを暗示している。なぜなら、音の運びのひとつひとつは、必ずしもスムーズに生み出されるわけではなく、シンセの出力に何らかのためらいがあり、どの音の出力をどの配列に挿入するのか、そういった制作者の迷いが反映されているのである。

 

しかし、それらの一瞬のためらいは、次の瞬間、音が発生した瞬間に迷妄に変わり、新しい要素が出現する。オスマン・トルコ、神聖ローマ、プロイセン、ワイマール、有史以来のヨーロッパの国家の繁栄と衰退をメタファーとして暗示するように、絶えず変遷を繰り返すかのような霊的な感覚を擁する、一般的には理解しがたい、ある意味では不条理な音楽の中で、エキン・フィルは一貫して、得難いものや捉えがたいものを、作曲性や音楽観の基底に体現させる。そして偶然に起きたこと、必然的に計画されていたこと、双方の要素を交え、異質な音楽を発生させる。音楽が必ずしもあらかじめ決められた設計や構図の中で動くわけではないことを示し、そして、それらの制作者自身の手ではコントロールしがたい箇所に芸術の神々が宿ることを表す。これらの前衛主義やこれまでに存在しなかった概念は、夢想的なボーカルにより和らげられる。

 

 

アンビエントの全体的な録音のテクスチャーー音楽作品の構成要素--の中で最も重要なものは、音の全体的な広がりや音像の持つ奥行きである。実際的に言えば、マスターで、どれくらいの音響効果を掛けるか、どのくらい規模の音像を持つ音楽にするのかという点は、多くの制作者が念頭に置かざるを得ない。最近のアンビエントのトレンドでは、極大の音像を持つ作風が増加傾向にある。オーケストラでいえば、どれくらいの規模のホールでスコアを演奏するのか、また、チャイコフスキーの管弦楽法のように、作品やスコアによってストリングやホーンの編成を増やすのか減らすのか(ときには制作時の意図に反して)という考えに近いものがある。

 

これらの概念は、新しい電子音楽ーエレクトロニックを考える際に度外視できないし、実験音楽を制作する上でも見過ごせない要素となるかもしれない。「#4 Sleepwalkers」では、マクロコスモスを象徴づける極大の音像が作り出され、それらを「Drone-Pop」として昇華し、チェルシー・ウルフの系譜にある新しいポピュラーの形式を探求する。それは、ゴシックやニューロマンティックの表現下にあるドリーム・ポップ、あるいは、その先を行く現代で最も前衛的な音楽であるドローン・ミュージックという、2つのスタイルのクロスオーバーを意味している。


これらの音楽形式は、Grouper(リズ・ハリス)が先駆者であるが、エキン・フィルは、薫陶を受けたミュージシャンの影響を糧にして先鋭的な音楽へと昇華させている。いわば「ノイズーポップ」という「心地よくないものー心地よいもの」という相容れない概念の融合については、従来にはない音楽の形式の誕生を予感させる。メレディス・モンクの旧ドイツ時代に録音されたデビューアルバム『Dolmen Music』を見てもわかる通り、新しい表現のほとんどは、メインストリームから生み出されることは非常に少なく、その多くは、アンダーグランドーー誰も知らない不気味な一角ーーから出発する。ある意味、それが音楽や芸術のサンクチュアリとも言えるのである。それらがメインストリームに持ち込まれ、持てはやされるようになった時、つまり一般的になった時には、すでにそれは形骸化しており、衰退が始まっているのである。


 旧来、エキン・フィルの作風は、古典的に傾きすぎる向きもあったが、アルバムの音楽は、ラスコーの壁画のような有史以来最も古い芸術形態から、それとは対極にあるモダニズムの形式を的確に織り交ぜながら、評価基準の一般化という概念から音楽そのものを開放させようとしている。また、このアルバムは、全般的には、ヒプノティックな感覚へと聞き手をいざない、静かな環境で聴いていてしばらく経つと、より懐深い感覚が立ち上ってくる。つまり、顕在意識とは異なる領域に感覚が移行していることを思い至らせる。それは日頃私達が感じている日常的な感覚とは別の領域への移ろい、言い換えれば「深層心理や潜在意識への旅」を意味する。

 

最後の曲「Gone Gone」では、このことが端的に体現されているのではないでしょうか。イリサリが最近制作している先鋭的なドローン、実験音楽の極北がクライマックスに集約されている。しかし、表面的に捉えられる抽象性とは対照的に、現代の世界情勢の歪みを刻印したような重厚な低音のベースが表面上のテクスチャーと蠱惑的な対比を描く。それらのリアリズムーー今日の世界の分離を徹底して実験音楽で表現しようとした崇高性ーーに関しては、他の追随を許さない。本作はいかなる類型にも属さず、孤絶や逸脱することを恐れていない。こういった勇敢な音楽が、女性プロデューサーの手から生み出されたということに対して称賛を送りたい。

 

 

100/100

 

 

Ekin Filによるニューアルバム『Sleepwalkers』はThe Helen Scandale Agencyから6月15日に発売。アルバムのストリーミングはこちらから。

 






 

Bonny Light Horseman

Bonny Light Horseman


Bonny Light Horseman(ボニー・ライト・ホースマン)のニューアルバム『Keep Me On Your Mind / See You Free(キープ・ミー・オン・ユア・マインド/シー・ユー・フリー)』は、人間性の祝福された混乱への頌歌である。


自信に満ち、寛大なこのアルバムは、あらゆる人間の感情や想定される欠点をさらけ出した、ありのままの提供物である。愛と喪失、希望と悲しみ、コミュニティと家族、変化と時間など、テーマは高く積み上げられている。ヒューマニスティックなタッチポイントのすべてにおいて、「Keep Me on Your Mind/See You Free」は、ある種の説明不可能な魔法から生み出されることになった。


2023年に5ヶ月かけて書かれたこのサード・アルバムは、バンドの中核をなすトリオ、アナイス・ミッチェル、エリック・D・ジョンソン、ジョシュ・カウフマンがこよなく敬愛してやまないコラボレーターのJT・ベイツ(ドラムス)、キャメロン・ラルストン(ベース)、レコーディング・エンジニアのベラ・ブラスコとともにアイリッシュ・パブに集まったときに始まった。

 

アナイス・ミッチェルは、オーナーのジョー・オリアリーとの間でかわされたある会話から、最初のレコーディング場所としてこのパブを提案した。彼女はこの場所について直感し、バンドメンバーの熱意に驚いていた。年季の入ったパブの中に一歩足を踏み入れるやいなや、トリオは何十年もかけて築かれたこの場所の感じられる共同体、家族のような感覚につながりを感じた。


そのパブとは、コーク州の小さな海岸沿いの村、バリーデホブにある100年以上の歴史を持つ水飲み場、リーヴィス・コーナー・ハウスと呼ばれる店で、そのエネルギーがボニー・ライト・ホースマンのクリエイティブ・エンジンの唯一の源ともなった。


パブのスペースの一角にあるアップライトピアノは、バンドの音楽のきしむ音を鎮静するための一種の精神的支点となり、アルバムのすべてのモチーフを体現するひとつの存在となった。この100年以上続く地元フォークの集いの場と、このアメリカン・フォークのトリオとの類似性は否定できない。


カウフマンは言う。「この場所には歴史が感じられるし、狭くて、あちこちにこぼれ落ちそうなものがぎっしり詰まっている。僕らのバンドのパブ版みたいだった。パブの壁に飾られてて、作業中のバンドを見守っていた絵がアルバム・ジャケットになった」


「レコーディングのほとんどの時間、その人と目を合わせていた」とジョンソンはアートワークについて語った。そして、もっと深い関連性があった。バンドがパブでのレコーディングを計画する前から、オーナーの妻はこの絵の女性をボニーと名付けていた。


リーバイス・コーナー・ハウスのような場所には魔法があるが、それを使うには適切な魔法使いが必要だ。ボニー・ライト・ホースマンの中心にあるのは、パワフルで優しい3人のアーティストの特異な組み合わせ。


彼らは最上級の言葉を巧みにかわすが、お互いを強化し、豊かにする方法と、それぞれが1人でいるよりもより良く、勇敢に、傷つきやすくする絆であると認めるのは早計かもしれない。このことは、最も優しい瞬間から最も非情にも思える慟哭に至るまで、お互いを完全に信頼して活動する彼らの声の力以上に確かなものは存在しないからである。結果、聴く者を慰め、揺り動かすだけでなく、動揺させ、打ちのめし、生まれ変わらせることができる力がある。


現実的なレベルでは、『Keep Me on Your Mind/See You Free』の "祝福された混乱 "は、群衆の愉快な騒ぎ声、笑い声、咳払いといったフィールド・レコーディングが、この特別な場所からのすべてを伝えるように、このホームへの忠実さに表れている。


しかし哲学的に言えば、"混乱 "というのはより深い感覚の証拠足りえる。それは、唯一の共同体験から生まれた不完全で魂の糧となる果実なのであり、良き仲間の精神によって参加者を変容させるものでもある。

 

ミッチェルは "ごちそう "という考え方を提唱し、友人たちとの夕食がどのようにコースや会話、時間を無理なく過ごすのか、肉体的にも精神的にも栄養価の高い食事であることを示す。「私の友人に、食卓から食器を取り出してはいけない、残骸の中に座るべき、と言う人がいます」と彼女は言う。


さらに、アナイス・ミッチェルはアルバムの制作について、「すべてを吐き出すという新しい段階があった」と語っている。

 

レコーディングからリリースへの進化において、これは2枚組LP-18曲を2枚のディスクにまとめることを意味した。それはまた、正確には異なるレコードではないにせよ、2つのタイトルを意味する。『Keep Me On Your Mind / See You Free』は、広大で心地よく、グループの魅惑的かつ芸術的なレイヤーを包括している。伝統的なフォークミュージックのサウンドと叙情的な精神がルーツであり、実験的で感情的に生々しいバンドのバージョンにより分岐している。


グループは曲の約半分をリーバイスのメインルームで録音した。彼らは2日間を単独で作業に費やした。3日目の夜には、オリアリーは何人かの熱心な住民を参加させた。このアルバムが完全なライヴアルバムというわけではない。その代わり、アイルランドのセッションの3日目は、観客が暗黙のうちにこの課題を理解していたため、エネルギーのセレンディピティ的な融合を表していた。観客は、バンドがアレンジについて話し、複数のヴァージョンの曲をレコーディングしたりするのに十分な猶予を与えた。「彼らのスポットのど真ん中でやっているのに、彼らは直感的に自分たちに求められていることを理解していた。それはまさにマジックでもあったんだ」


その後、バンドは精神的な故郷であるニューヨーク北部のドリームランド・レコーディング・スタジオ(ここでバンドは最初の2枚のアルバムを完成させた)に戻り、着手した作業を終えた。コラボレーターであるマイク・ルイスがベースとテナーサックスで参加した。アニー・ネロもアップライト・ベースを弾き、午後のひとときのハーモニーを歌うために立ち寄った。その日々は狂想曲的であると共に、癒しや安らぎに満ちていて、彼らは涙を流すように歌を歌った。


「I Know You Know(アイ・ノウ・ユー・ノウ)」の中心にある切ない迷いは、ほんの数分で明らかになった。制作における素早さは、すでに『Keep Me On Your Mind / See You Free』の大半を完成させており、創造性の「肩の上に立つ」ことができたからとトリオは言う。この曲は感情の荒廃を特異なポップ・センスと結びつけるバンドの能力を示しており、それはアルバム全体を通して一貫性がある。マンドリンに彩られた気持ちの良いアレンジとアンセミックなコーラスは、リフレインという要素がいかにリスナーの心を捉えるのかを裏付けている。「君を愛すれば愚か者、君を手放せば愚か者」とジョンソンは歌い、ミッチェルの歌声が彼とともに高鳴る。


解き放たれた人間関係をフォーク・ロックで描いた「Tumblin Down」もそのメロディーの複雑性においてよく似ている。イングマール・ベルイマンの『ある結婚の情景』の精神を歌にしたようなもので、表面は軽いが、内側には実存的な危機が織り込まれている。その一方、「When I Was Younger」は、原始的な叫びであり、母性、成熟、そして、折り目正しき社会が口に出して言わないことすべてをオープンに受け止めている点で革新的である。この曲では、ミッチェルとジョンソンの蜜のような声が出会い、溜め込んだ感情から形成された双頭の獣へと変貌する。


「Old Dutch(オールド・ダッチ)」は、カウフマンの故郷にある同名の歴史的な教会で録音されたボイスメモから生まれた。タイムスタンプが "Old Dutch "で、完璧すぎる。その合唱のリフレインは、それらの起源を反映している。また、このバンドが語る移り変わる愛の物語は、心が必然的に導かれる魅惑的なもの、つまり余韻の残る、しばしば非論理的な感情で締めくくられる。


『Keep Me On Your Mind / See You Free 』で、ボニー・ライト・ホースマンは独特の優美さを感じさせる。そして物事が完璧でないときこそ、人生は生き生きとしたものになるということを思い出させてくれる。長年にわたり、バンドは人生のオドメーターに多くのマイルを積み重ねてきた。それは、栄光と混沌に彩られたモダンなフォークソングに色濃く反映されている。ミッチェルは言う。「簡潔ではない、全然簡潔ではない。雑然としているけど、それでいいのよ」

 

 


「Keep Me On Your Mind/ See You Free」- jagujaguwar



 

今年のアメリカのシンガーソングライターやバンドの主要な作品の多くに見受けられる傾向として、米国人としての原点に立ち返ろうとしているということである。より詳細にいえば、アメリカ合衆国としての文化のルーツを見つめ直すということでもある。


これはある意味では、近年、たとえ、裁判等の審判の際に証言台に立つ人物が、神の名を唱えるのだとしても、キリスト教の意義が薄れてきていることの反証でもある。長らく、米国人にとっては、ひとつのドグマが浸透していたのだったが、近年の他宗教や、多民族主義、そして、様々なカルチャーや考えが複雑に混淆していることを考えると、もはや、米国が一宗教のもとに成立している国家とは考えづらいものがある。

 

また、元首としての存在感が薄れるにつれ、国家の持つ意義そのものが希薄になりつつあるように感じられる。そこで、急進的とはいわないまでも、なんらかの一家言を持つミュージシャンは、旧来の国家主義から距離を置いた考えを主体にせざるをえない。そして、あらためて音楽家たちは、「アメリカとは何か?」ということを音楽や芸術、全般的な表現形態を通じて追い求める。

 

チャールズ・ロイド、パール・ジャム、アンドリュー・バード、エイドリアン・レンカーの今年のアルバムを見ると分かる通り、ジャズ、ミュージカル、トラディショナルフォークやアメリカーナ、ロック、メタル、ポップ、エレクトロニック、実験音楽等、ミュージシャンの人生観によってそれぞれ探求するものがまったく異なるのだ。 

 

アナイス・ミッチェル、エリック・D・ジョンソン、ジョシュ・カウフマンからなるBonny Light Horseman(ボニー・ライト・ホースマン)も同じく、トラッド・フォークやアメリカーナという彼らのスタイルを通じて、アメリカのルーツに回帰している。バンドは基本的にはツインボーカル(トリプルボーカル?)のスタイルをとり、曲ごとにメインボーカリストが入れ替わる。

 

もちろん、トラッドなフォークミュージックの範疇にあるボーカルが披露されたかと思えば、ソウルフルなボーカル、ジャジーなボーカルというように、ボーカリストの人柄や性質ごとにその曲の雰囲気も変化する。

 

また、ブラック・ミュージックのコーラスグループやその後のドゥワップのグループのように、ミッチェル、ジョンソン、カウフマンの三者三様の麗しいハーモニーが生み出される。それはゴスペルに変化することもある。音楽を聴けば分かる通り、メンバーの異なる性質を持ち寄り、その個性を突き合わせ、最終的には淡麗なハーモニーを持つフォーク・ソングとして昇華される。

 

 

 『Keep Me On Your Mind』

 

 ・1−5

 

『Keep Me On Your Mind/ See You Free』は、一時間以上の尺を持つ(ダブル)アルバムという構成を持つ。基本的にはトラディショナルフォークやアメリカーナを中心に20曲が収録されている。手強い印象を覚える。

 

しかし、ミッチェルが「簡潔ではないアルバム」と指摘するにしても、意外なほどスムースに耳に馴染んでくるのが驚きである。そのことは、ビリー・ジョエルのバラードソングのように美麗で、ゴスペル、R&B、トラッドフォークを主体とした「#1 Keep On Your Mind」を聴けば、本作の素晴らしさが掴みやすいのではないだろうか。

 

アナイス・ミッチェルのボーカルを中心に繰り広げられる温和な雰囲気は、ギターによってメロウな雰囲気を帯び、それと対比的に歌われるD・ジョンソンのボーカルがソウルフルな空気感を作り出す。つまり、一曲目で、アルバムの世界に長く浸っていたいと思わせる何かがあることに気がつく。それは、彼らのボーカルや音楽に癒しがあり、そして、包み込むような温かみがあるからなのだ。これが作品そのものの完成度とはなんら関係なく、キャッチーで親しみやすい音楽に聞こえる理由なのである。

 

その後、このアルバムは、トラッドフォークの果てなき世界へと踏み入れる。次の「#2 Lover Take Easy」 を聴くと、なぜデビューアルバムが英国のインディーズ・チャートで上位にランクインしたかが分かる。


彼らの牧歌的な雰囲気に満ちたフォークソングはアイルランドやセルティック・フォークのように開放的な雰囲気を持ち、渋さを漂わせる。 淡麗なアコースティックギターとドラムを中心とした音楽に、息の取れたボーカルのハーモニー、サックスフォンの演奏を取り入れ、ジャズと結びつけ、それらをゴージャスな音楽性に昇華させる。


その後もアルバムの収録曲は、穏やかで安らかなトラッドフォークを中心に構成されている。「#3I Know Know」は、ディランの「風に吹かれて」を思わせるフォーク・ロックだが、ボニー・ライト・ホースマンの場合は、より古典的な音楽へと沈潜している。カントリーミュージックに依拠したD・ジョンソンの甘ったるい感じのボーカルがソウルフルな渋みを生み出す。アコースティックギターのしなやかなストロークは、エレクトリックギターの演奏と溶け合い、温和な空気感を作り出す。また、アナイス・ミッチェル、D・ジョンソンのダブル・ボーカルはどこまでも澄んだ雰囲気を作り出し、ノスタルジックな気分に浸らせる。

 

アルバムの冒頭にはサンプリングが導入される。「#4 grinch/funeral」は子供の話し声の短いインタリュード。「#5 Old Dutch」は安らいだピアノのパッセージとシンセのシークエンスが溶け合い、続く曲の展開に期待をもたせた後、ジャズ・ソウルの曲へと移行する。この曲はおそらくノラ・ジョーンズが得意とするようなバラード。そして、ボニー・ライト・ホースマンは、トラッドフォークを主体とした軽やかな曲調に繋げる。その後、ハーモニカの演奏が加わるが、一見、安っぽい感じのフレーズも、バンドの演奏が強固な土台を作り出しているので、むしろそういった音色としてのチープさはユニークな印象をもたらしている。

 

 

「Keep Me On Your Mind」

 




・6−10


大枠で見ると、本作はアメリカの音楽のルーツを総ざらいするような意義が求められるかもしれない。しかし、曲単位では、バンドメンバーの個人的な回想が織り交ぜられる。そしてそういった小さな積み重ねが、大掛かりな作品を構成していることが分かる。「#6 When I Was Younger」では、ビリー・ジョエル風のバラードがジャズの音楽性と結びついている。ミッチェルは、ピアノの演奏を背景に真心を込めて歌を紡ぐ。その後、立ち代わりに、ジョンソンがボーカルを披露する。その後、カウフマンのクランチなギターがワイルドな雰囲気を作り出す。ボーカルとギターの演奏にはやや泥臭さがあるが、背景となるバックバンドの演奏はアーバンな印象を与える。これらの対極にある音楽性が巧みなコーラスワークと相まって、味わい深さを作り出す。アウトロにかけてのギターのノイズ、そして両者のコーラスワークが哀愁を醸し出す。

 

その後、温和なトラディショナルフォークに立ち返る。「#7 Waiting And Waiting」ではナイロン弦のアコースティックギターが柔らかな印象を作り出す。後から加わるドラム、そしてコーラスも楽しげな空気感を生み出す。立ち代わりに歌われるボーカルがそれらの雰囲気を上手く引き立てる。明るく、希望に充ちた、晴れやかで純粋な音楽の世界を彼らは作り出す。そしてそれは、バンドメンバーの三者三様の個性を尊重した上で、それらの相違が生み出す調和からもたらされる。淡々とした音楽のように思えるが、彼らの作り出すハミングのハーモニーは平らかな気分を呼び起こすのだ。


それらの楽しげな雰囲気は以降も続いている。チャーミングなマンドリン/バンジョーの演奏を取り入れた「#8 Hare and Hound」は、ジョン・デンバーのようなカントリー/ウェスタンの古典の原点に立ち返り、モダンな印象を付け加えている。可愛らしいミッチェルのボーカルとワイルドなジョンソンのボーカルが、コールアンドレスポンスのような形で繰り広げられて、サビではカウフマンもボーカルに加わり、ジャズのビックバンドのような楽しげな音が作り出される。カウント・ベイシーが志した人間の生命力をそのまま音楽によって表現したかのようなとても素晴らしい曲だ。

 

 

一転して、「#9 Rock The Cradle」は落ち着いたバラードソングとして楽しめる。同じようにナイロン弦から生み出される繊細なアルペジオのギターをもとに、オルタナティヴなトラッドフォークを制作している。この曲には古典的な音楽を志すバンドのもう一つの表情が伺える。つまり、Superchunk(スーパーチャンク)のようなキャラクターを見いだすことができる。彼らのコーラスは「1,000 Pounds (Duck Kee Style)」のような穏やかさを思い起こさせる。


アウトロでは、パブの歓声のサンプリングが導入され、入れ子構造のような意味を持つことが分かる。また、このレコーディングの手法については、2023年のM. Wardのアルバム『Supernatural Thing』の「Story of An Artist」でも示されていた。続く「#10 Singing to The Mandlin」で、ダブルアルバムの第一部がひとまず終了する。


この曲は、もしかすると、ビックシーフやエイドリアン・レンカーの主要曲のような感じで緩く楽しめるかもしれない。トラディショナルな音楽性に重点を置くバンドのモダンなオルタナティヴフォークソングとして。

 

 

「Hare and Hound」

 




『See You Free』

 

・11-15


 第二部はしんみりとしながらも勇壮な雰囲気を持って始まる。D・ジョンソンのボーカルはまるで、大地に向けて歌われるかのようだ。「#11 The Clover」はアメリカーナの原点にあるアイルランド性を呼び覚ます。曲は荒野を駆け抜けていく一頭の馬、そしてそのたてがみさながらに爽快だ。

 

アコースティックギターをいくつも丹念に組み合わせて、その背後にマンドリン/バンジョーのユニゾンを重ね、ギターの重厚な音圧を生み出す。これらは、ギターが旋律のための楽器にとどまらず、リズム的な楽器でもあることを象徴付けている。背後のドラムは、概して、これらのギターや歌の補佐的な役割を果たすにとどまるが、曲の表向きのイメージを強化している。そして、ミッチェルのコーラスが加わると、この曲はにわかに力強さを帯びはじめ、そして、生き生きとしてくる。音楽そのものが躍動するような感覚が最後まで続く。アウトロではハモンドオルガンがアメリカーナのメロウでアンニュイな雰囲気を生み出す。


トラディショナルフォークと合わせて、ボニー・ライト・ホースマンはゴスペルのルーツに迫ることもある。「#12 Into The O」は、深みのあるゴスペルソングに昇華されている。三者のボーカルが織りなすハーモニーはブルージーで、メロウな雰囲気もある。ゴスペルの要素に加えて、ニール・ヤング&クレイジーホースを彷彿とさせる渋いアコースティックギターが曲全体の性格を決定づける。この曲は、1970年代のアメリカン・フォークの醍醐味を蘇らせている。アナログレコードでしか聴くことが叶わなかったあの懐古的な響きをである。

 

背後のボウド・ギター(弓のギター)のテクスチャーと大きめのサウンドホールを持つアコースティックギターのアルペジオが緻密に組み合わされて、最終的には、Temptations、Plattersを始めとする古典的なコーラス・グループのように巧みなボーカルのハーモニーが生まれ、熟成されたケンタッキーバーボンのようなソウルフルな苦味を作り出す。トラッドフォークとゴスペルに加えて、アルバムのもう一つの特徴にはソウル・ジャズからの影響が挙げられる。

 

「#13 Don't Know Why You Move Me」は、Norah Jones(ノラ・ジョーンズ)の系譜にあるメロウなバラードで、彼らはそれをフォークバンドという形で表現しようとしている。この曲では、アナイス・ミッチェルのやや溌剌とした印象を擁する主要なボーカルのスタイルとは異なるメロウでムードたっぷりの歌声を味わえる。バンドはゆったりしたドラムの演奏を背景にして、スライドギターやハーモニクスの技法を交えながら、ソウル・ジャズの醍醐味を探求する。

 

「#14 Speak to Me Muse」では、アナイス・ミッチェルは鳥のささやきのような柔らかく可愛らしいボーカルを披露し、ジョニ・ミッチェルのシンプルで親しみやすいバラードソングの直系にあるソングライティングを行っている。曲の中で繰り返される「All Right」という一節は何かしら琴線に触れ、サクスフォンの演奏がジャズの性質を強める。バンドによる「All Right」という誰にでも口ずさめる優しげなコーラスはゴスペルの教会音楽としての性質を帯びる。

 

少なくとも、ボニー・ライト・ホースマン、とくにアナイス・ミッチェルの歌声には、自然や音楽の恵みに捧げられた敬虔なる思いに満ちあふれている。しかし、このアルバムはシリアスになりかけると、すぐにバランスを図るために、彼らの記憶というモチーフの働きを持つ文学や映画のような試みが、サブリミナル効果のように取りいれられる。しかし、モチーフの基軸に最も近づいたとき、距離を置く。そして、それとは異なる安らぎのひとときが訪れる。「#15 Think of The Royalities,Lads」では第一部の冒頭の収録曲「Grinch/ Funeral」と同様に、語りのサンプリングのワンカットが繰り広げられる。そして、曲の中では、パブの和やかな会話が繰り広げられている。

 

 

 「Speak to Me Muse」

 



・16-20

 

「#16  Tumblin Down」はラフで巧みなドラムのタム回しで始まる。ボニー・ライト・ホースマンがライブバンドとしての性質が強いグループであることが分かる。ライブからそのまま音を持ち込んだかのような精細なアンサンブル、D・ジョンソンの歌声はニール・ヤングの系譜にある古典と現代を繋げる役割をなすフォークシンガーの系譜にあるが、彼の場合は甘ったるいようなボーカルのニュアンスを付け加えている。

 

この曲は、それほど大きな起伏もなければ、スケールやコードの著しい変化もない。しかし、ボーカルの節回しやジェフ・ベックを彷彿とさせるギタープレイ、それからハモンドオルガンのメロウな響きなど、多彩な要素を一つの音楽に中に織り交ぜることにより、上手くバリエーションをつけている。そして、楽節の単調さやリフレインの反復を恐れないことで、シンガロング性の強いボーカルフレーズを作り上げている。単一性と多様性の双方を使い分けることによって、こういった親しみやすい構成が出来上がるものと思われる。ここには、バンドの地道な活動の蓄積が顕著に反映されている。多くの一流のミュージシャンと同じように、彼らは近道をしようとせず、フォークバンドとしての高みに一歩ずつ上り詰めていったように思えてならない。


アルバムの序盤から中盤にかけて、語りのサンプリング等を織り交ぜながら、一般的にはトラディショナルフォークの楽しさや渋さ、メロウな側面というように、ポピュラーな側面に焦点を当ててきたボニー・ライト・ホースマンであるが、アルバムの終盤には瞑想的なトラッド・フォークが収録されている。これは例えば、米国の文化性の源流にある移民性、その象徴的な音楽であるアパラチアフォークにしか求めがたいような"祈りとしての音楽"を彼らは呼び覚ます。


そこには、必ずしもスピリチュアルな要素が重視されているというわけではないが、音楽から感じられるスピリットのようなものが含まれていることも事実である。そして彼らは、それらを最終的にポピュラーミュージックの範疇にある音楽としてアウトプットする。他の曲と同じように聞こえるかもしれないが、ブルースハープやミッチェルのボーカル、それからピアノの演奏が織りなす絶妙なハーモニーが楽曲の持つ枠組みとは対極にある崇高な感覚を呼び起こす。この曲は、アメリカン・ロックの原点に立ち返るような意味があるのかも知れない。

 

アルバムのクライマックスでは、米国のトラディショナル・フォークにとどまらず、アイルランド/スコットランドの系譜にある広やかな雰囲気のフォークミュージックも披露される。これらのアイルランドやスコットランド発祥のフォークミュージックは、バクパイプ等の演奏を含める舞踏音楽(儀式音楽)としての性質が殊に強いが、これらの特徴をボニー・ライト・ホースマンが上手く受け継いでいることは言うまでもない。

 

「#18 Over The Pass」は広々とした草原で、フォークバンドの演奏に合わせて円舞するような楽しさだ。つまり、音楽のシリアスな側面とは異なる”楽しさ”に焦点が当てられているのである。開放弦を強調したのびのびと演奏されるアコースティックギターのストローク、三連符を強調する軽快なドラムの演奏は、本曲、ひいてはアルバムの音楽に触れるリスナーに一方ならぬ喜びをもたらす。そして、以後の2曲も、バンドの志す音楽に変化はない。しかし、レビューの冒頭でも述べたように、ボニー・ライト・ホースマンは、やはり米国の文化や国家性の原点へと立ち返ろうとしている。

 

「#19 Your Arms(All The Time)」はジャズ・ポップスという形で、ミュージカル風の音楽へ向かい、トラディショナルフォークと結びつける。全く同じ調性で続く「#20 See You Free」は、フォークミュージックのコーダのようなもの。クローズ曲ではトラディショナルフォークやスタンダードジャズの要素に加えて、Aretha Franklin(アレサ・フランクリン)のアルバム『Lady Soul』に対するバンドのオマージュが捧げられる。ステレオタイプの曲が続くようでいて、その音楽の印象はそれぞれ違っている。それはボニー・ライト・ホースマンの音楽が、世界中の人々にたいする誰よりも深い理解と受容、そして弛まぬ愛情によって支えられているからなのである。


 

 「See You Free」

 

 

 

 

86/100

 


* Bonny Light Horsemanのニューアルバム『Keep Me On Your Mind / See You Free』はjagujaguwarから発売中です。




King Hannah(キング・ハンナ)は、ハンナ・メリックとクレイグ・ウィトルによってリバプールで結成された。クレイグ・ウィトルが初めてメリックのパフォーマンスを見たのは、大学のショーケースのことだったという。その数年後、ウィトルはバーで働き始め、その店で働いていたメリックは彼にテーブルの掃除の仕方を教えることになった。これは運命的な出会いでもあった。


人生と同じように音楽も良き理解者に持つことで素晴らしいものになることがある。クレイグはそれから数ヶ月、メリックに一緒にジャムをするよう説得した。二人は、仕事の前の時間をウィトルの家で過ごすという日課を始めたが、長い間、メリックは自分の曲を演奏する勇気が出なかった。「で、それが1年間続きました」とメリックは言い、ホイトルは彼女が演奏するのを辛抱強く待った。

 

以後、彼らは、一緒にソングライティングや制作を行うようになり、すべてがぴたりとはまった。「それはつまり、適切な人を見つけたということなのです。私がコードと歌詞を持ってクレイグのところに行くと、彼はそれを上手く理解してくれるわけですから」とメリックは言う。「もしお互いに出会っていなかったら、僕らはどうなっていたかわからないよ」とウィトル。


二人はオーストラリアのコットニー・バーネットやアメリカのヨラテンゴにリスペクトを捧げ、サブカルチャーにも親しんできた。クレイグはビートジェネレーションの作家から大きな影響を受け、ジャック・ケルアックやカイガースからの影響を挙げている。「彼らは、皆、わたしが十分に望むなら、誰にでも開かれたこの場所として世界を見ることを教えてくれました」と話す。


さらにハンナ・メリックは90年代のサブカルチャーに親しんでいるのだそうだ。「特にThe FaceやDazed&Confusedなどの境界を押し広げたファッション、音楽、文化雑誌に大きく影響を受けています。私は、写真撮影、未聞の才能、独立したアプローチ、態度など、これらすべてが大好き。写真家は、自然の生息地でアーティストを撮影したりと、私はこういったものを愛してます。今日の私の芸術的選択の多くは、この時期に起因しています」 これらの総合的なカルチャーへの親しみはドライ・クリーニングのようなオルタナティブロックの形に昇華されている。


デビューアルバムの発表後、カート・ヴァイルやサーストン・ムーアとステージを共にし、ヨーロッパと北米のフェスティバルに参加した旅の後、彼らはセカンドアルバムに着手した。アメリカでは、メリックとウィトルはツアーバンの窓から(動物が)自分たちを見ていると気づき、ストーリーテリングのインスピレーションが溢れてきた。


アメリカでのデビューツアーのライブ・ショーのエネルギーを取り込みたいと考えたメリックとウィトルは、プロデューサー兼エンジニアのアリ・チャント(オルダス・ハーディング、PJハーヴェイ、パフューム・ジーニアス)にアドバイスを仰いだ。このおかげで、70年代の豊かさとハートを90年代の煮えたぎるようなノイズと融合させた。


本日、City Slangから発売される『Big Swimmer - ビッグ・スイマー』は、オルタナティブ好きにはたまらないアルバムです。キング・ハンナの重要な進化を示すもので、彼らのサウンドに新たな自信と明瞭さが反映されている。メリックのヴォーカルは、ウィトルの燃え上がるようなギター・ワークによって引き立てられ、新たな確信を持って屹立している。このアルバムは、トゲトゲしいイメージと心躍るイメージのバランスを保ち、リスナーを魅了して、感情を揺さぶる。


各トラックで、キング・ハンナは、自分たちの長所と将来におけるビジョンを深く理解していることを示し、リスナーを彼らの音風景に没入させる。大西洋の海を横断することから、ライブをディレクションすることまで、バンドの旅路は一音一音からしっかりとリアルに伝わってくる。『Big Swimmer』は、キング・ハンナの成長と芸術的才能を示している。聴く者に霊感を授けるとともに、魅惑的なストーリーテリングに描かれた夏の湖へのほのかな憧れを抱かせる。

 



『Big Swimmer』- City Slang



King Hannah(キング・ハンナ)の音楽ーーより正確に言えば、彼らのサブカルチャーへの愛着溢れるオルタナティヴ・ロックーーは、例えば、観光がてらイギリスの港町近郊のベースメントのライブハウスに、ペールエールを飲むための口実をつけるためにふらりと訪れ、それから階段を降りていき、たどたどしい英語で入り口のクロークやチケットスペースを通り過ぎ、地下にある暗いライブハウスのスペースを怖々覗いてみると、オーバーグラウンドのいかなるバンドよりもクールなロックミュージックが響いていることを発見するようなものだ。世界的な知名度を持つバンドではないのに、ローカルなインディーズバンドの音楽が稀にワールドワイドなロックバンドよりクールな印象をもたらす場合がある理由については容易に説明出来そうもない。


キング・ハンナのロックは、そういったサプライズに満ちた音楽といえる。ロンドンとマンチェスターと並んで、もう一つのロックミュージックのメッカ(最重要地)であるリバプールの郷愁にあふれるクールな音楽性を、このアルバムの随所で堪能できる。それはまさしく、ポール・ウェラーのJamの名曲「English Rose」のように、イギリスの港町の波止場に佇み、深く立ち込める雨模様の靄に包まれた大洋の向こうにある果てなき世界に思いを馳せるようなものだ。本作は、キング・ハンナのデュオがアメリカのツアーを行ったとき、最初のインスピレーションがたらされた。ツアー・バンの窓から見た光景は、そのままアメリカの雄大な土地への親しみや愛着に変わり、それらをどのようなロックサウンドに仕上げるのか、数年間、キング・ハンナはボーカルとギターを中心にセッションを繰り返し、数多くの試行錯誤を重ねたに違いない。

 

City Slangから発売された『Big Swimmer』には、リパプールのロックの真髄が凝縮されている。のみならず、ハンナ・メリックとクレイグ・ウィトルの米国に対する郷愁が示されている。つまり、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ウィルコ、ヨ・ラ・テンゴ、コットニー・バーネットといったオルタナティヴ・ロックの真髄を継承し、リバプールの哀愁とロンドンのドライ・クリーニングのポスト・パンクとスポークンワードを交えた作風を通してである。オルタナティヴやパンクというジャンルが、必ずしも刺々しいわけでもなければ、もちろん尖っているわけでもなく、それどころか、温かく包み込むようなアトモスフィアが必要であることを象徴付けている。キング・ハンナの音楽には人間的な温かみに溢れている。このアルバムには直接的な言及がなされるかに依らず、ツアーをした時期の体験が刻印されているのだ。

 

クレイグ・ウィトルのギターの演奏の選択肢は広汎である。これらはスタジオミュージシャンが参加している場合もあるが、少なくとも、クレイグはフォークソングをベースにした柔らかい印象を持つアコースティックギターから、ドライ・クリーニングやアイドルズのようなポストパンク的な範疇にあるオルタネイトなエレクトリックギターのリフ、ビートルズや以降の70年代のハードロックやメタルのギターヒーローのような圧巻の迫力を持つギター自体が躍動しているような精細感のあるリフにいたるまで、ギタリストとして幅広い演奏の選択肢ーー表現方法を持っている。クレイグは、ヤードバーズ時代のジミー・ペイジを思わせる渋いギターリフを披露したかと思えば、対象的に、現代のロンドンのロックバンドのような先鋭的なリフを披露し、ジェフ・ベックの『Blue Wind』の時代のようなサイケデリックでカオスなフレーズを披露する場合もある。ギターという楽器が感情表現をするための媒介の手段であることを知っている。つまり、クレイグはギターと一心同体になったかのように生き生きとプレイするのだ。

 

同時に、ハンナ・メリックのボーカルも多彩な性質が含まれている。彼女は、Dry Cleaningのフローレンス・ショーの系譜にある素朴なスポークンワードから、Velvet Undergroungのルー・リード、そのコラボレーターであるNicoの系譜にあるクールな感じのスポークンワードまで惜しみなく披露する。フォークシンガーになったかと思えば、ロックシンガーにもなり、また、パンクシンガーにもなる。ハンナ・メリックは、言ってみれば、パティ・スミスかニコの再来ではないかと思わせる。これらの七変化はまるで、ハンナ・メリックの女優としての適正を示すかのようである。映画でもドラマでも良いが、優れた女優というのは自己を持つようでいて持たない。脚本家から与えられた役柄になりきり、それを作品ごとに変えていくだけなのである。

 

 

 

・ ビート・ジェネレーションやサブカルチャーへの愛着が示される

 

このアルバムは穏やかなアコースティックギターを基にした温かな雰囲気に充ちたフォークソングで始まる。クレイグのアコースティックギターのストロークがゆっくり始まると、そのタイミングを待ち構えていたかのように、ハンナ・メリックがハミングのような歌を紡ぎはじめる。

 


「#1 Big Swimmer」はVelvet Undergroungのオルタネイトなフォークロックの系譜にあり、キング・ハンナの両者の息の取れた間を基底にして緩やかな音楽世界を作り上げる。聴いていると、実際の演奏風景が目に浮かんできそうだ。そして、その後、若干の変拍子を挟んで、クランチなギターが入ると、フォークソングから「Sweet Jane」を彷彿とさせる温和なロックに移行する。メロディアスな歌唱法から、ルーのようにわざとピッチをずらした歌い方や簡素なスポークンワードを駆使するメリックの声、フォークソングからオルタナティヴロックまでを網羅したウィトルのギターが重なり、色彩的なタペストリーを描きながら瞑想的なアウトロに続く。

 

瞑想的なイントロダクションから「#2 New York, Let's Do Nothing」はSteppenwolf(ステッペン・ウルフ)の「Born To Be Wild (ワイルドで行こう)」と、Dry Cleaningのポスト・パンクをかけあわせたようなワイアードな音楽へ移ろい変わる。このあたりにはビート・ジェネレーションからのカルチャーの影響が色濃く反映されているように感じられる。明らかにハンナ・メリックのボーカルはDCのフローレンス・ショーの系譜にあるが、やはりクレイグのヴェルベット・アンダーグランドやコットニー・バーネット、アイラ・カプラン(Yo La Tengo)の影響を感じさせるローファイなギターが際立っている。やがて、メリックのボーカルは、ルー・リードのボーカルに近づいていき、やがてドゥワップ調のコーラスが入ると、USオルタナティヴの精髄へと近づいていく。複数の影響を込めた上で最終的にアウトロのクレイグのコーラスがロックが持つ瞑想性ーードアーズのようなサイケデリックロックの範疇にある蠱惑的な瞬間を呼び覚ます。


これらの瞑想性や内省的な感覚は、続く「#3 The Mattress」に直結している。この曲にはおそらく、デュオが出会ったというバーの情景がスロウなオルタナティヴロックとして昇華されている。店が終わった後の真夜中の雰囲気、営業時間を終えてから、酔い潰れてテーブルの上に突っ伏している客しかいなくなり、つい数時間前までは華やかだった店の光の多くが暗く落とされ、床の掃除をしながら後片付けをする時のあの気だるい感覚が秀逸なロックソングに昇華されている。アンニュイな感じのメリックのボーカルは、同じような毎日が明日も続くのを嘆くかのように歌われ、物憂げなクレイグのギターリフと劇的に溶け込んでいく。まるでこの曲では、メリックがある夜にバーで目撃したかもしれない娼婦になりかわったかのように、コケティッシュな感じのボーカルを披露し、それと戯れるかのようなクレイグのリフが重なり、トム・ウェイツの最初期のようないかがわしく、そして危なげな夜遊びの雰囲気を生み出すのである。そして激した感覚を示すかのようにアウトロのサイケなギターリフがうねりをあげて、そのままトーンダウンしていく。まさしく感情そのものの起伏を描いたかのようなトラックだ。

 

 

その後、アルバムは感情のコントロールが効いた暗鬱なオルタナティヴロックへと移行していく。「#4 Milk Boy(I Like You)」に関しては、フローレンス・ショーのボーカルスタイルを思わせる何かがあるが、しかし、静と動を活かした展開に関してはニューヨークのプロトパンクのTelevisionやPatti Smithの系譜にあるオルタネイトな性質が異彩を放っている。その後、The Telescopesを思わせる、ノイズの要素も含めたミステリアスな印象のあるギターロックへと近づく。前曲と同じくリバプールのベースメントを描いたような雰囲気もある。USのオルタナティヴを踏まえた上で英国的なロックの精髄が示されている。アウトロの暗鬱な余韻も、この後に続くものを予見しているかのようなミステリアス性があり、クールとしか言いようがない。しかし、アルバムの序盤全体を通じて暗鬱な音楽性を垣間見せた後、音楽の雰囲気が一変する。音楽の舞台がイギリスからアメリカへと変わったかのように、それまでの印象が塗り替えられる。


続く、「#5 Suddenly, You Hand」では、アメリカーナへの讃歌をさりげなく示し、Leyla McCalla(レイラ・マッカラ)のような慈しみに充ちたフォークソングを書いている。キング・ハンナは、アメリカ・ツアーで見た光景をリバプールから遠く振り返るかのように、幻想的な郷愁をそれらの記憶に捧げようとする。ハンナ・メリックのボーカルとクレイグ・ウィトルのギターは、なぜか分からないが、アメリカのバンドよりも巧みにアメリカーナを体現させている。これは多分、外側から見たほうが、その国の魅力が分かりやすいということなのだろうか。スティールギターを思わせる滑らかな抽象的なギターは、ハワイアンのような心地よさに繋がる。しかし、それらは苦悩や憂愁を反映させたクレイグのうねるようなギターによって、曲の感動は鮮やかな印象へ近づいていく。アウトロのギターの演奏は圧巻で、うっとりさせる。


 

「Somewhere Near El Paso」は音楽によって西海岸や南部の砂漠地帯、見果てぬほど長く続く道、そしてそのまわりのサボテン、大型のトラックがそれらの幹線道路を走り抜け、砂煙を上げて走り去っていくかのような幻想的な光景を描き出している。何かを期待するような、夢見るようなメリックの雰囲気たっぷりのボーカル、録音のクリック音のようなシンプルなビートを刻むリズム、そして、ドアーズのロビー・クリーガーのように瞑想的な響きを持つクレイグのギターが折り重なるようにし、重厚なオルタナティヴロックの真髄が叩きつけられる。メリックのボーカルにはキム・ゴードンやパティ・スミスのようなふてぶてしさがあり、8分半にも及ぶ大曲の3分間を歌っただけで姿を消す。その後、クレイグとバンドアンサンブルの独壇場となり、きわめて刺激的なライブセッションが繰り広げられるのである。特に、5分半頃からのクレイグのギタープレイは、ここ数年のロックの中でベストテイクの一つであると断言しよう。

 

 

 「#1 Big Swimmer」

 

 

 

 

・リパプールのバンドとしての精華、 アメリカツアーへの幻想的な回想 


アルバムは、この後、後半部に差し掛かる。キング・ハンナは基本的にはオルタネイトなロックソングを書くが、その中で普遍的なロックの魅力を伝えようとしている。


例えば、「Lily Pad」はその好例となりえる。アルバムの中では最もUKロックのテイストを漂わせるこの曲で、グランジ風のギターやロンドンのポストパンクバンドから吸収したスポークンワードの手法を交えつつ、コアなロックソングを提示している。最も興味深いのは、多少、彼らがディレッタンティズムに染まりながらも、キャッチーでポップなフレーズを欠かさないということ。特に、曲の中で、ダイナミックな変拍子の瞬間を設け、その中でハードロック風のギターが炸裂する。特に、2分半頃からのクレイグのトリル奏法を駆使したプレイが圧巻である。しかし、その後ふいにそれらの轟音性は鳴りを潜め、一目散にアウトロへと向かっていく。その後もクランチなギターを前面に押し出したオルタナティヴ・ロックソングが続いている。

 

続く、「#8 Davey Says」は、ギターのピックアップの音響を活かしたソリッドな質感を持つロックソングで、彼らが敬愛してやまないYo La Tengo(ヨラテンゴ)のアルトロックを巧みに踏襲している。スタジオ・ミュージシャンのラフなドラムの演奏をもとにして、ドライブ感のあるロックソングを構築し、そしてニュージャージーのバンドのローファイでプリミティヴな質感を持ったロックソングへ移行していく。ハンナとウィトルの息の取れたボーカルのコーラスワークは、アイラ・カプランとジョージア・ハプレイの代名詞的な温和なハーモニーを彷彿とさせる。


アルバムの序盤では、多少入り組んだ曲も書いている二人であるが、このナンバーでは一貫してロックソングの痛快さにポイントをおいている。アウトロでは、ツアーを終えた時のような爽快感に満ちている。しかし、そういったエネルギッシュでアグレッシヴな雰囲気はつかの間、すぐさまアルバムの前半部のクローズ「Somewhere Near El Paso」のような瞑想的なロックソングに回帰している。「#9  Scully」はインタリュードのような意味を持ち、そしてアルバムの最終盤の音楽性の布石、あるいは呼び水のような役割を果たす。クレイグのギターの抽象的な音像は、ロックの即効性や扇動性とは対極にある瞑想的な空気感を呼び覚ます。これは、まさしくZepのジミー・ページ、Sabbathのトミー・アイオミ、それから、クラプトンやベックのようなイギリスのロックの名ギタリストだけにしか到達しえない芸術としてのギターの領域でもある。



序盤や中盤を通じて、ソリッドな質感を持つロックが展開されているが、クライマックスではディオの穏やかな音楽性が顕著になる。「This Wasn't Intentional」はエンジェル・オルセンやエッテンが書くようなフォークソングに近く、雄大さと瞑想的な感覚に縁取られている。この曲には、ロックにとどまらず、ポップバンドとしてのデュオの潜在的な真価が示されている。ゆったりしたドラム、メロディーや背後に導入される薄いハモンドオルガンのような音色はアメリカーナの系譜に位置づけられるが、その最中、瞑想的なクレイグのギターが精彩を放つ。稀にノイジーさを抑えたサイケ風のリフを通じて、キング・ハンナはアメリカーナへリスペクトを込め、最終的に、”リバプールの音楽とは何か”を示そうとする。これらの港町の雨模様、そしてレンガ造りの古めかしい建物、さらに、その向こうに浮かび上がる波止場に停泊している貨物船……、こういった英国らしい情景をロックミュージックという形で切り取りながら、このアルバムは実にスムースな印象を携えて、いわばなんの抵抗もなくクローズに向かっていく。

 

アルバムのクローズ「#11 John Prine On The Radio」は、リパブールのバンドのウィットに富んだララバイである。デュオはどこまでもビートルズ的なソングライティングを行い、アメリカへさりげない別れを告げる。本作の最後の曲では、ジュリア・ロバーツ主演の映画「Pretty Woman(プリティー・ウーマン)」の主題歌を思わせるユニークな音楽を選び、シンプルなフォークロックを展開させる。言うまでもなく、ここには、ロバーツ、リチャード・ギアといった名俳優は出てこない。それでも、キング・ハンナの二人は、少なくとも、その代役を見事にこなしている。なぜか知れないが、キング・ハンナの『Big Swimmer』は、もしビートルズのメンバーが皆生きていたら、こんなアルバムを作っていたのではないかと思わせる何かがある。......ということは、彼らとシティ・スラングに最大の称賛と敬意を贈るよりほかないようだ。

 


 
92/100 
 
 
 

「#11 John Prine On The Radio」

 

 

 


King Hannah(キング・ハンナ)による新作アルバム『Big Swimmer』はCity Slangより発売中です。アルバムのストリーミング等はこちらから。 



Best Work-「#6 Somewhere Near El Paso」


ーー私は夢の中にいたが、今は変化が唯一の法則であることがわかるーー


アフリカ系アメリカ人の伝説的なSF作家オクタヴィア・E・バトラーから引用された信条、形而上学的な詩集から引用されたアルバムタイトル、そして個人的な危機によってもたらされた意識の拡大によって、ギタリスト兼ソングライターのシャナ・クリーブランドは、カリフォルニアのロック・バンド、ラ・ルースの新作『宇宙のニュース』で、変化する世界を無条件の愛で受け入れることを学ぶ。困難の向こう側に何があるのか、それをラ・ルズは探した形になった。


『ニュース・オブ・ザ・ユニバース』は、メンバーの個人的な災難から生まれたレコードである。息子の誕生からわずか2年後に乳がんと診断され、世界が吹き飛んだクリーブランドの経験を反映した、美しいサイケデリアの作品である。ドラマーのオードリー・ジョンソンが初参加し、長年のメンバーであるベーシストのレナ・サイモンとキーボーディストのアリス・サンダールが最後の参加となる。この作品は、流動的なバンドの肖像でもあり、旧世界へのエレジーで、奇妙な新世界への宇宙的ロードマップでもあるこのアルバムにほろ苦いエッジを加えている。


しかし、ラ・ルスほど変化の混沌を雑然とした美しさで表現するのに適したバンドが世界にいるだろうか? 2012年にクリーヴランドにより結成されたLa Luzは、喧騒と至福のバランスを取るグループとして愛されている。新譜を出すたびに、ドゥーワップやフォークから拝借した天使のようなヴォーカルに小気味よいリフをミックスしたバンドの微調整が行われている。作家で画家でもあるクリーヴランドは、近年、カリフォルニアの田舎にある自宅周辺の変わりゆく風景からインスピレーションを得、真に独創的なサイケデリア・ソングライターへと成長した。

 

しかし、クリーブランドが幽霊についての曲を書くのに何年も費やしてきたとすれば、『ニューズ・オブ・ザ・ユニバース』の影に潜むものは死そのものにほかならない。「このアルバムには、小惑星が地球を破壊する前の、最後の必死の告白のように聞こえる瞬間がある」とクリーブランドは言う。

 

サウンド的には、このアルバムは切迫している。「ストレンジ・ワールド」ではタムが鳴り響き、タイトル曲の指がもつれるような冒頭のリフは濁ったディストーションに浸っている。破滅的な雰囲気が漂う、サージェント・ペッパー風のバロック・ポップ・ソング「ポピーズ」では、クリーブランドが夏の終わりの太陽に照らされ燃え上がるオレンジ色の牧歌的な風景を歌っている。


万華鏡のような「ダンデライオン」では、彼女は黄色い花を、季節が進むにつれてすぐに「月に変わる」、疑うことを知らない「小さな太陽」に見立てている。前作『La Luz』(2021年)では、田舎の夏の日の物憂げなざわめきやひびきを模倣するためにシンセサイザー・サウンドが使われていたが、今は宇宙空間に漂い、銀色の彗星の尾、宇宙の塵、星のシャワーとなっている。



これらのオーガニックな観察は、クリーブランドが診断後、殻に閉じこもってショックを受けていた数日間に自宅周辺を散歩し、消費するものに対して、非常に注意深くならなければならないことに気づいたことから着想を得ている。「生命の循環を見ること、腐敗したものから成長するものを見ること、他の生き物の腐敗を見ることは、私にとって大きな慰めでした。私は死というものを、もっと心地よく感じられるようにならなければなりませんでした」と彼女は言う。人間はそもそも死にもっとも近づいたときに、鮮やかな生のコントラストを捉えるのである。

 

恐怖の瞬間には、言い知れない純粋な恍惚の瞬間が併存している。シマーなチェンバー・ポップ・ソング「Blue Moth Cloud Shadow」は、キラキラしたオルガンの調べに包まれ、「I'll Go With You 」は、このアルバムで最もドロドロしたリフから始まり、最も美しい曲に変わる。「Always in Love」は、ふふアルバムの目玉となる本格的な愛のパワー・バラードで、クリーヴランド自身の「November Rain」の瞬間とも言える、熱く陽気なギター・ソロで締めくくられる。


『ニュース・オブ・ザ・ユニバース』に一貫する力強い開放感は、少なくとも部分的には、演奏、作曲、プロデュースからレコーディング、エンジニアリング、マスタリングに至るまで、すべて女性だけで作られたレコードであるという事実によるもの。「女性らしさとは、本質的に、同時に甘美で残酷なものだ」とクリーブランドは言う。「それがこのアルバムで聴けるんだ」


プロデューサーのMaryam Qudus(Spacemoth)と一緒に仕事をしたことで、5人組は、クリーブランドは女性だけの環境で、女性が社会的に抑圧するように仕向けられている困難な状況や辛い感情を心ゆくまで表現することができたという。「そのようなつながりと心地よさをすぐに得られたことで、私たちはそれをさらに推進することができた」と彼女は言う。「セッションの前半を、誰かのエゴを傷つけないように注意することに費やすことはありませんでした」


このアルバムでは、マリアム・クードスも曲作りに協力し、アイディアを持ち込んだという。「私にとっては、普通ならしないような選択もあったと思うけれど、結果的にはとても興奮しました」とクリーヴランドは言い、「ムーン・イン・リバース」のダブアウト・エフェクトはすべてクードスによるアイディアであったと指摘する。「彼女は、曲の構成についてアイディアを持っていることもあった。でも、彼女自身がソングライターとして、わたしたちと一緒にいるのが本当に心地よかった」彼らの仕事上の関係はとても有機的である。現在、クードスは脱退するサンダールの後任としてラ・ルースにキーボードでフルタイム参加している。 -SUB POP

 


 

La Luz 『New Of The Universe』


 

進むロックのクロスオーバー化、 その先にあるものとは??

 

最近、シアトルのSUB POPがワールド・ミュージックを絡めた個性的なロックバンドをルースターを擁するようになったのは、時代の流れとも言えるかもしれない。これはMergeやエピタフの傘下であるANTI-も同じように、Ibibio Sound MachineやLalya McCalla等のワールド・ミュージックやアフロビート等を取りいれたポピュラーミュージックのグループやシンガーソングライターを発掘し積極的にリリースしているのを見ると、今やロック・ミュージックというのは単体のジャンルにとどまることは稀有である。クロスオーバー化は、2020年代のひとつのテーマなのであり、また、それがどれほど個性的であるのかが、盤石なファンを獲得する要因となるかもしれない。以前は、より多くのメガヒットを記録することが音楽業界の優先すべき課題であったが、現在は、それほど数が多くなくとも、一定数のファンベースを構築することが重視される。それらのファンは間違いなく、ライブやグッズで経済的な貢献をしてくれるからである。テイラーのようなメガヒットを飛ばすことは至難の業だが、一定のファンベースを獲得出来るバンドやファンを大切にするバンドは、GBVのように長きに渉って活躍するのである。

 

アメリカの現代のロックミュージックを見ると、未来性を先取りするのではなく、アナログ、ヴィンテージの時代に位置づけられる60、70年代の古典的なロックミュージックを参考にしている場合が多い。それは、レコードショップで、お目当てのレコードを血眼になって探しているあの愛すべき人々がこよなく愛でる正真正銘のヴィンテージ・ミュージックである。Sam Evian、Lemon Twings、そして、Real Estate、Dehd,DIIVも同様である。考え次第では、現在のUSロックの真髄とは”70年代のリバイバル”なのであり、前時代の音楽が持つレトロな感覚を現代のミュージシャンとして置き換え、魅力的な音楽たらしめるということに焦点が置かれている。どことなく古臭いような感覚もあるけれど、同時にそれらの忘れ去られた時代への憧れには癒やしがある。そしてそれは、現代社会というディストピアから背を向けることを意味している。

 

La Luzも、その事例に違わず、ユニークなワールド・ミュージック、サーフミュージック、サイケデリックロックなど、多角的な音楽性を内包する四人組である。バンドは、このアルバムで個人的な苦悩から出発して、普遍的な愛とは何かを探ろうとする。美辞麗句のようにも思えるかも知れないが、ガンに罹患したボーカリストのクリーブランドにとって、普遍的な感情を探るということは、全然きれいごとでは片付けることは出来ないと思う。死を身近に感じた人間は例外なしに、長い間、順風満帆であるときはそのことを忘れかけていたが、世の中での普遍なる真実に迫ろうとするものである。そして、ボーカリストのクリーブランドにとっては、カルフォルニアの身近な暮らしの風景からもたらされたものであった。自然が人間に教えを与えるということはありえる。つまり、自然はいつも人間の模範的な存在であり、人間は自然に多くのことを学ぶ。ボーカリストにしてみると、それは、近年、カリフォルニアの田舎にある自宅周辺の変わりゆく風景からインスピレーションを得たのだという。ということで、このアルバムがRodanのオリジナルメンバーTara J O'Neil(タラ・オニール)の最新作と雰囲気が似ているのは当然のことと言えるだろう。牧歌的なボーカルは、Pixies/Breedersのキム・ディールの音楽表現に比する。そしてそれらは、没時代的な感覚というべき夢想的なエモーションに縁取られている。

 

良いアルバムには明らかにわたしたちが一般的に感じ取るものとは異なる時間が流れている。現実的な時間の流れと並行するパラレルワールドのような時の流れである。同時にそれはレコーディングスタジオでグループやプロデューサーと過ごしたときの時間なのかもしれないし、その背後にあるツアーの楽屋のおしゃべりの時間なのかもしれない、もしくは、その合間にあるプライベートな時間なのかもしれない。しかし、現実的な観念から切り離された異質な時間の流れを感じさせるものは、たしかに聞き手を別の時間に導く力を持っている。けれども、同時にそれは負の側面と指摘されがちな現実逃避や逃亡とはまったく異なる意味を持つのである。そして、その別の時間の持つ意味が濃厚であればあるほど、その作品は魅力的なものになる。当然のことながら、それらの音楽により長い間浸っていたいという気にさせる。今でも、ビートルズ、アークティック・モンキーズ、オアシスのデビュー当時の作品が色褪せないのは、ひょっとすると作品に別の異なるパラレルワールドが強固に構築されているからかも知れない。

 

 

少なくとも、カルフォルニアのラ・ルズは、上記の時代に色褪せることのない素晴らしいバンドの事例に倣い、「宇宙のニュース」の中で異なる平行世界を作り上げようとしている。 このアルバムは、賛美歌のような清冽な響きを持つアカペラ「#1 Reaching Up To The Sun」で始まり、正体不明の奇妙な世界へとリスナーを懇切丁寧にガイドしていく。これはボーイ・ジーニアスの『Record』の流れを汲んだ最近のアメリカのポピュラーミュージックの形式で、彼らは主流派のウェイブに反目するのではなく、その流れに準じて独自の音楽的な世界を緻密につくりあげていく。


ボーカリストの切迫した世界は続く「#2 Strange World」のイントロの原始的な響きを持つアフロビートを反映させた華麗なタム回しのドラムで始まる。しかし、ラ・ルズの描こうとする音楽世界は奇妙であるのと同時に、親しみやすさをもって繰り広げられる。今作のレコーディングでは「女性中心の構成で制作されたため、表現性に関して遠慮会釈がいらなかった」とクリーブランドは回想しているが、それらはキム・ディールのような夢想的な感覚を持つボーカルやコーラスの形をとって曲の過程に意表を突いて現れ、聞き手を退屈させることがほとんどない。そして、ラ・ルズの場合は、ダンサンブルなビートとブリーダーズの偏在的な音楽のテーマであるサイケデリアという表現を通じて、それらをスタイリッシュな音楽に昇華させている。 

 

 

「Strange World」

 

 

『News of The  Universe- 宇宙のニュース』のロックミュージックの根底を担うのは、DIck Daleに代表されるような古典的なサーフミュージックである。「#3 Dandelions」は、コアなギターリフやファンクを意識したベースをもとにサーフミュージックの土台を作り上げ、クリーブランドの夢想的な雰囲気を持つボーカルとスペーシーなシンセをバンドセクションを通じて構築する。中にはDEVOのようなニューウェイブの影響もあり、その年代と並行するサンフランシスコのサイケデリックロック、そして、ブラックミュージックの系譜に位置づけられるファンカデリック、パーラメントのようなグルーブ感を意識したファンクサウンドを織り交ぜながら、最終的には、Frankie Cosmosを彷彿とさせる柔らかい感覚の世界観を作り上げていくのである。これはネオサイケデリックとかポストサイケデリックというような70年代と呼応するジャンルでもある。

 

ネオサイケ風の音楽は不思議にも、1990年代のブリット・ポップの最盛期の音楽性と結びつく場合もある。 「#4 Poppies」は、サージェント・ペッパーズとレーベルの紹介にあるが、ボーカルの旋律進行を見る限りでは、どちらかと言えばオアシスの中期頃の作風を思わせる。それらはオアシスよりも孤独や哀愁を思わせつつ、Nouvelle Vougeのようなワールドミュージックを反映させた音楽形式へと変化していく。そして曲の中では、カルフォルニアの移ろいゆく風景を嘆くかのように、切ない感じのボーカルのフレーズが紡がれていく。それらは最終的にサイケデリックロックを意識した抽象的なフェーダーのギターの中に柔らかく溶け込んでいくのである。

 

この後、ダークなサイケの領域へと差し掛かり、「#5 Good Luck With Your Secret」では、イントロのDoorを思わせるシンセサイザーを演奏を通じて、LAロックをベースにして、ビートルズのチェンバーポップを下地にした口ずさみやすいポップソングを生み出している。ボーカルのコーラスに関しても、メンバー間で分散和音をひとつずつハミングするというビートルズのスタイルを準えているのもなかなかユニークではないだろうか。そして、曲そのものは、暗く物憂げなエモーションに縁取られているが、それと同時に説明しがたい癒やしが併存しているのが少しだけ驚きである。それは、ノスタルジアとホームシックの合間にある捉えがたい微細な感覚を、柔らかく和やかな雰囲気を擁するサイケデリックロックによってアウトプットしているからなのだろうか。その暗鬱な感覚は、白昼夢とも称すべき夢想的なボーカルのフレーズと結びついて、「#6 Always In Love」に引き継がれていく。ここにもまた、BreedersやAmps、Throwing Muses,Frankie Cosmosへと続く女性インディーロックバンドの系譜にあるオルタナティヴ性を読み取れる。まさしく、この中盤の温みのある音楽の流れにレーベルの音楽の精髄を感じる。

 

これらのマニアックなサイケデリアは、オースティンのKhruangbinのような親しみやすいロックと結びつくこともある。「#7 Close Your Eyes」は、クラブミュージックのミックスとしても楽しめるようなナンバーで、ファンカデリックやジョージ・クリントンのファンクロックを思わせる。お約束のスペーシーなシンセは愛嬌ともいうべきなのだろうか。これらはアルバムの表向きのテーマの重苦しさをユニークさで和らげる効果を持っている。続く「#8  I'll Go With You」は、古典的なサーフミュージックを基にし、エグみのイントロダクションを作り出すが、その後の曲の展開には、Frankie Cosmosを思わせる夢想的なインディーポップへと繋がっている。また、ビートルズのようなゆったりとしたリズム、そしてボーカルのハーモニクスに重点を置きながら、ラ・ルズはやはりバンドセクションを通じて一体感のあるサウンドを作り上げていく。 

 

 

 

「I'll Go With You」

 

 

アルバムの終盤では、プロデューサーのマリアム・クードスの存在感が強まり、それはアナログのダブという形で曲の中にその要素が見え隠れする。「#8 Blue Moth Cloud Shadow」ではレゲエとダブの中間にある70年代のジャマイカサウンドと基にして、それらを現代的なオルトロックの形に置き換えている。曲の中ではライブセッションが冗長になるのを恐れず、サイケデリックロックのギター・ソロが披露されている。これらの中盤から中盤にかけての音楽の制作プロセスは、必ずしも商品化されたレコードのみならず、ライブレコーディングとしての音源という性質も同時に重視されているのはクルアンビンと同様だ。


続く「#9 News Of The Universe」は、「#2 Strange World」と呼応するトラックである。アルバムの冒頭では、Black Sabbathのトミー・アイオミを思わせる粘り気のあるリフを受け継いでいるが、この最終盤のトラックでは、サーフミュージックとハードロックの中間にギターリフのポイントが絞られている。


イントロはユニークな感覚があり、バンドが音楽の持つ楽しさに加え、コメディー性にポイントを置いていることが理解できる。これらの曲も、切迫感を増してきた現代社会や社会問題、そしてクリーブランドの個人的な出来事などを取り巻きながら、同心円を描くようにして、サイケロックの核心となるサウンドへ徐々に近づいてゆく。バンドやプロデュースの意向としては、YESの奏でる70年代のプログレシッヴロックのようなロックミュージックの原始的な魅力、プリミティヴなロックが持つ潜在的な性質に現代デジタルサウンドから挑もうとしている。

 

 

『News of The World』に収録されている全12曲は、多少マンネリに陥る場合もあるが、アルバムの終盤では、ラ・ルズのロックの核心とも言うべき箇所が立ち現れる。それはヴィンテージなアイテムに対する愛着と称せる。プロデューサーのマリアム・クードスのアイディアを基にした「Moon In Reverse」は、ダブがジャマイカ発祥の島国の音楽であることを思い出させてくれる。


アルバムのクライマックスを飾る「Blue Jay」では、Sunny Day Real Estate(サニー・デイ・リアル・エステイト)の「The Rising Tide』の収録曲「Tearing In My Heart」のイントロの足音のサンプリングを導入しているのは、いかにもサブ・ポップらしいと言えるだろうか。しかし、そういったユニークな試みもありながら、ラ・ルズは彼女達らしい創造性を惜しみなく表現している。


このアルバムは現在のメンバーとして最後の作品になる可能性が高いという点を踏まえると、バンドの集大成の意味を持つ。最後の曲で、ラ・ルズはこれまで応援してくれたリスナーに、カーペンターズのような古典的なポピュラーを踏襲したフォークソングを捧げている。14年は、数字の上では14年に過ぎないが、それ以上の濃密な時間が流れることもある。クローズにはバンドからファン、リスナーに向け、無条件の愛が示されていることがなんとなく伝わってきた。あるいは、ラ・ルズはアルバムの制作を通じて、そのことに気がついたのかも知れない。

 

 

86/100

 


*La Luzによるニューアルバム『News of The World』はSub Pop Recordsから本日発売。ストリーミングはこちらから。



Weekend Featured Track- 「Poppies」


Weekly Music Feature



・Wu-Lu(ウー・ルー)



パンクラップシーンのリーダーとして登場したWu-Lu(ウー・ルー)は、再三再四述べている通り、サウスロンドンの文化の多彩性を象徴づけるミュージシャンである。彼は最初ロンドンのミュージックシーンに名乗りを上げた際にはケンドリック・ラマーのような髪型をしていて、実際の音楽性もあってか、''コンプトンの英雄の再来!?''と思ったほどである。およそ2年が経過した今ではステージでの立ち姿のかっこよさの印象も相まってか、ジャマイカのレゲエの神様、ボブ・マーリーのように見えることもある。


少なくとも彼は、アップデートし続ける革新的なサウンドを介して独自の視点を伝える天才性に恵まれている。多様な影響を受けながら、彼の音楽は過小評価されている人々、声を上げられぬ人々、壁を打ち破ろうと奮闘する人々のためのものである。長い不安と激動の時代に次世代を担う声として、彼はUK音楽シーンの最前線にいる理由を示しながら、爽やかにアンダーグラウンドで親しみやすい存在であり続けている。


およそ32歳にして、問題を抱えた子供たちのためのセンターで教育者として働いてきた純粋な人柄が魅力の英国人ミュージシャン、Wu-Luは、ブリクストンで育ち、双子の子供と一緒に過ごすことで、大切なことを学んだ。怒り、恐怖、対人恐怖症、自己肯定感の欠如、パラノイアなどあらゆる苦しみがこの世界には偏在することを……。


「South」(2021)
ウー・ルーは自主レーベルから断続的なリリースを行いながら、ステージではコレクティブのような体制を組み、ギターを弾きながらメンバーとラップをし、そしてニュアンスを超え、歌をうたうという未曾有のスタイルを確立させた。


スケートカルチャーから得たスリリングさとラップの楽しみは「South」によってひとまず集大成を見た。このシングルは、ロンドンのダンスミュージックの名門レーベルであるワープレコードからその才覚を見出される契機ともなった。続いて同レーベルからリリースされたデビューアルバム『Loggerhead』は、2022年の最大の話題作と言っても良く、同地のシーンに鮮やかな印象をもたらした。

 

ロンドンのMachine Operatedが撮影した、ささやかなベッドルームでポーズをとり、3つの自分のヴァージョンを展示しているアーティストの写真という、興味を惹くジャケットから発見されたこのアルバムは『Ginga EP』(2015年にウー・ルー自身のレーベルからリリース)の後継作であり、内的な苦悩を取り巻きながら聴く者を優しく包み込み、突き放すようなアルバムだった。『Loggerhead』では、ラリー・クラークの『KIDS』(1995年)のトラッシーな雰囲気やスケート・パークで感じる開放的な感覚など、奇妙なものを無条件に愛するというウー・ルーが、クリエイティヴな激しさが際立つが、芸術で成功するためには懸命に働き、一部を犠牲にしなければならないと人々が感じている高級住宅地と化した後のロンドンへの旅に私たちを誘った。「私は、人々の過去や日々の出来事を考慮しなければならないという考えを守ろうとしている」と、かつてマイルズ・ロマンス=ホップクラフトは音楽の趣旨についてNumeroに語った。


枠組みや常識、あるいは社会が要請する規範にとらわれず、主体性をもって考えること、そして自分を信じきること、自分の違いを確信することは、ウー・ルーが12曲入りの最初のアルバムを作り上げたときのテーゼとなっただけでなく、彼が自分の人生に適用し、周囲の若者たちに植え付けようとしている原則でもあった。「子供たちと仕事をしていると、とんでもないことを耳にすることがある。ラップをしながら、自分たちが何をやっているのかさえわからないとか、レーベルと契約するためにああいう風に歌おうとしているとか……。私はその度に彼らに説明するんだ、契約したところで何の意味もないよ、銀行で換金できる小切手に過ぎないのだから……」と。このアルバムで、英国の注目の実験音楽家ミカ・リーヴァイとコラボした彼は、音楽の仕事も他の仕事と同じだと確信したに止まらず、アートで成功を収めるための鍵は、「幼少期から多種多様な創造的プロセスを理解することである」と、自分自身にも将来の後継者にも主張している。これは子供の頃の原体験がのちに異なる形で花開くことを意味している。

 

ニューヨークのアルビン・エイリーでダンサーの訓練を受けた母親と、グラストンベリーで公演を見に来たジャズバンドのメンバーだった父親に囲まれたウー・ルーは、頭の中でループする夢想に囚われるべきでないと信じること、人と異なる自分の個性を心から愛すること、自分の目標が実現すると強く信じることを教えられたのだった。



Wu-Lu 『Learning To Swim On Empty」EP - Warp 


"Learning To Swim On Empty"

 

ヒップホップの新基軸

 

サウスロンドンのWu−Luは、デビューアルバム『Loggerhead』を通じて、彼の頭をさまよう取り留めのない言葉を巧みに捉え、それらをリリック/フロウという形で外側に吐き出し、UKドリルやオルタナティヴロック、パンク、ヒップホップ、そして時には、ベースメントのクラブミュージックを融合させた多面体の音楽を築き上げた。

 

ひとつのアルバムの中に、ロンドンの無数の音楽が詰め込まれているような感じ、言い換えればそれはヒップホップや音楽そのものが持つ多面体としての性質を織り込んだような独特な表現形式は、彼の芸術的な天才性を表すとともに、複数の人格の側面を示唆し、破天荒な性質を捉えていたのかもしれない。また、彼のハイライト曲「South」が収録されていることもあってか、デビュー作の作風はミュージシャンのアグレッシヴな性質の側面を反映させたものだった。

 

しかし、続くミニアルバム『Learning To Swim On Empty』では一転して、エレクトロニック・ジャズ、ラップ、レゲエ/ダブ、コンテンポラリー・クラシックと、意外性に富んだ作風へとシフトチェンジした。


発売日を迎えた昨夜、BBC RadioでもオンエアされたEP『Learning To Swim On Empty 』はきわめてコンパクトな構成でありながら、フルアルバムのごときボリュームがある。UKミュージックの卓越した魅力を示すとともに、ポスト・パンクやジャズで飽和しかけたロンドンの音楽を次の世代へと進める役割を持つ。このアルバムでウー・ルーは飽和した音楽業界に革新をもたらそうとしている。

 


「Learning To Swim On Empty 」は、タイトルもシュールだが、実際の音楽はもっとシュール。スマイルの最新作『Wall Of Eyes』に近いタイトな構成を持つ全7曲は、それぞれ音楽の異なる魅力の側面を示唆しており、各々の曲は違うジャンルで構成されているが、そこには一貫性があり、中核となる箇所は普遍的な意義を持つ。たとえ、アウトプットの手段が流動的で分散的であるとしても、彼の音楽は破綻をきたす寸前のところで絶妙なバランスを保ちつづけている。


ミニアルバムの冒頭を飾る「#1 Young Swimmer」は、エレクトリック・ピアノ(ローズ・ピアノ)を用いて、メロウなR&Bのムードを呼び起こす。そしてその後、フランスのヒップホップグループ、Jazz Liberatorzを彷彿とさせるジャズ/ヒップホップのクロスオーバーが続く。この曲のスポークンワードで録音に参加した詩人として世界で活動するRohan Ayindeは、ミック・ジェンキンスのアブストラクトヒップホップの系譜にあるメロウな音楽性と文学性、そして曲そのものから醸し出されるテイストに物憂げな風味を添える。従来のトリップホップのようなメロウさは、Wu-Luの新しいスタイルを表していると言えようか。短いフレーズの反復的な響きの流れの中を漂うフロウのニュアンスには奥行きがあり、ロンドンのLoyle Carner(ロイル・カーナー)からのフィードバックもありそうだ。しかし、それらは、やはりこのアーティストの持つ個性によって縁取られ、表面の音楽性とその裏側にある音楽という二つの側面を生み出す。また、この曲はインタリュードのような形で収録され、音楽のムードを引き立てるのである。

 

音楽、芸術、あるいは文学にも敷衍できるかもしれないが、制作者の実際的な体験がアウトプットされるものに、表からは見えづらい形で反映されることがある。Wu-Luの場合は、サウスロンドンの日常的な暮らしに加え、問題を抱える子供のための施設で働いていた経験が彼の新しい代表曲に分かりやすいかたちに表れている。EPのリリースと合わせて公開された「#2 Daylight Song」は、レゲエとダブをエレクトロニックの観点から解釈したトラックメイクに合わせて、彼は世の中にはびこる苦悩をシンプルなリリックとして紡ぐ。Wu-Luこと、マイルスのボーカルは、フロウとボーカルを掛けあわせた未知の表現へと移行していく。曲の序盤では、物憂げな感覚がフィーチャーされるが、途中からはチェロの演奏が入り、上品な雰囲気を生み出す。ヒップホップとしては、ロンドンのエレクトロニックの影響もありそうだが、より端的にいうと、エミネムのフロウのスタイルを受け継ぎ、ニュアンスの多彩な変化を披露している。

 

 

「Daylight Song」





前曲でレゲエからのフィードバックを暗示させた後に続く「#3 Sinner」では、古典的なイギリスのダブへと回帰している。Mad Profeesor(マッド・プロフェッサー)、Linton Kwesi Johnson(リントン・クウェシ・ジョンソン)、Holger Czukay(ホルガー・シューカイ)といったダブの伝説的なオリジネーターの多重録音のトラックメイクを継承し、その上に繊細なアコースティックギターを重ね、新しいオルタナティヴの形を示している。表向きにはダブの古典的な響きとリズムが際立つが、一方、Nilufer Yanya(ニルファー・ヤーニャ)のように音楽のポピュラリティも重視される。アンニュイな感覚を持って始まるイントロが、サビの部分でレゲエを思わせる開放的なフレーズに変化する時、彼のソングライティングの特性である癒やしが生み出される。また、このEPで新たに導入されたストリングスも本曲のイメージを華やかにしている。

 

EPの中盤に収録されている「#4 Mount Ash」は、驚くべきスケールを持つ楽曲で、彼の新しいチャレンジが示唆されている。Nilufer Yanyaの「Like I Say」と合わせて、オルタナティヴのニュースタンダードが誕生したと言えるのではないか。グランジを思わせる暗鬱なアコースティックギターから、曲の中で、ジャンルそのものが変化していくような奇妙な感覚に縁取られている。それは舞台俳優のようなイメージを活かして登場した、Benjamin Clementine(ベンジャミン・クレメンタイン)のような劇伴音楽の形式、つまり、舞台芸術やバレエ音楽のような役割を通じて、音楽におけるストーリーテリングの要素を巧みに引き出す。そして、そのドラマ性やダイナミックな感覚を引き立てるのが、ピアノ、ストリングベス・ギボンズの音楽性に見受けられるようなクラシックのオペラを意識した、アーティスティックな雰囲気のボーカルである。ストリングの微細なパッセージーースタッカートーーを通じて、曲はにわかに緊張感のある展開へ続き、リバーブの効果を巧みに用いながら、音像が持つ奥行きを徐々に拡大していく。 


 

 「Mount Ash」

 

 

 

しかしながら、それらの大掛かりな音楽のイメージが途絶え、それと入れ替わるようにし、静かなピアノの演奏が出現する。さながら演劇の舞台の演出が最も盛り上がりを見せたところで、とつぜん、上部のライトが暗転し、ピアノを奏でるWu-Luが舞台中央に出現するようなイメージだ。彼はそれらをヒップホップのかたちにつなげる。かと思えば、その後すぐ、緊張感のあるボーカルが再登場し、”オーケストラとヒップホップの融合”という未曾有の音楽形式を作り上げていく。


続いて、ひとつひとつの音符の出力に細心の注意を払いながら、最もアヴァンギャルドな領域へと曲を移行させていく。多少、誇張的な表現となるかもしれないが、音楽そのものが物理的な空間を飛び出して、それとは異なる霊的な領域へ近づく瞬間である。そして見事に、彼は今や数えきれないほど枝分かれした無数の音楽にワンネスをもたらすのである。それは最終的に、ロックやヒップホップを超越し、オペラ風のトリップポップという形でひとまず終わりを迎える。

 

一瞬、EPの音楽は、現代音楽やクラシカルな世界へと聞き手を誘うが、それらのモーメントはつかの間。彼は、再び”WU-LU”というアーティストを生み出すきっかけとなったサウスロンドンのストリートカルチャーの中へと舞い戻る。 これは大型のコンサートホールで緊張感のあるひとときを過ごしたあと、街にふらりと飛び出し、スケートパークに足を踏み入れるときの安らぎを感じさせる。そして彼は、最近のロンドンやその近郊のラップで主流派とも言えるグリッチを用いたUKドリルではなく、古典的なブレイクビーツを用いたヒップホップへと回帰し、自らのスペシャリティを示そうとしている。しかし、確かに、De La Soul(デ・ラ・ソウル)の時代から引き継がれるLPの音飛びのような効果を用いたチョップの技法を多少意識していると仮定したとしても、モダンな印象が前面に押し出されている。それは制作者が”ラップの中のヒップホップ”という考えではなく、”ポピュラーソングの中のヒップホップ”という考えを重視しているからなのかもしれない。少なくとも、この曲はアブストラクトな印象を持つ前曲が少し理解しづらかったというリスナーにとって、かなり親しみやすいものとなるのではないだろうか。

 

アルバムの前半部はエレクトロニックを絡めたR&B,レゲエ、ダブ。そして第二部はヒップホップとオーケストラの融合、そしてストリートカルチャーを反映させたヒップホップという形で続いたあと、EPの第三部は、Ezra Collective(エズラ・コレクティヴ)のアフロジャズやモダンジャズを反映させた驚くべき結末を迎える。

 

第三部の序章となる「#6 Last Night With You」はアーティストにしては珍しく日常的なアバンチュールを想起させるもので、それはホーンセクションとシャッフルのリズムを用いたドラミングという形で、デビューアルバムの頃のアグレッシヴな音楽性を呼び覚ます。そしてジャズとラップの融合というエズラの手法を踏まえ、よりそれらをリズミカルに解釈している。エレクトロニックとジャズ、その上にソウルとレゲエの要素を散りばめ、軽快なナンバーを書いている。


これは多少シリアスに傾きがちなアルバムに親しみやすさをもたらしている。前衛的な性質と古典的な性質を兼ね備えたウー・ルーは、第三部の最後、つまり、EPのクローズ曲で、ジャズのシャッフルのリズムとサンプリングのスポークンワードという要素を通じて、最初のJazz Liberatorzのテープ音楽のような形に回帰する。少なくとも、プロデューサーの繰り出すラフでくつろいだジャズセッションは、ミュージックコンクレートの手法を用いながら、しだいに次なるステップーニュージャズーへ進む。トランペットのレガート、トリルを巧みに用いたサンプリング、イントロから続く語りのサンプリングは、徐々に物語性を増していき、その音楽の核心ーー地殻のコアのような最深部へとしだいに近づいていく。EPの最後でそれらの音像がサイケデリックな印象に彩られる時、未知の世界に繋がる音楽の扉が少しずつ開かれるかのようだ。


 

100/100

 
 
 
「Crow's Nest」



 

 Marine Eyes

 

マリン・アイズ(シンシア・バーナード)は、アンビエント、シューゲイザー、ドローン、フィールド・レコーディング、ドリーム・ポップを融合させ、この瞬間に生まれながら、過去からの教訓を織り交ぜた物語を綴ります。


現在ロサンゼルス在住のバーナードは、北カリフォルニアで育ち、音楽がとても大切にされている家庭で育った。シンシアの祖母が脳卒中で倒れ、話すことはできても歌うことができなくなったとき、シンシアはセラピーとしての音楽に魅了されました。


何年もの間、彼女は音楽を自分自身と親しい友人や家族だけにとどめていたが、2014年に現在の夫ジェイムズ・バーナードと出会い、2人は一緒に音楽を書き始め、アンビエント・プロジェクトで目覚めた魂を分かち合うようになりました。2021年にStereoscenic Recordsからソロ・デビュー・アルバム「idyll」を、2022年にはPast Inside the Presentから「chamomile」をリリースしています。


現在、彼女は定期的にミニチュアの世界を構築し、自然の中で静寂を迎えながら、音の癒しの特質やセメントの大切な瞬間を探求しています。2024年にパスト・インサイド・ザ・プレゼントから3枚目のソロ・アルバムがリリースされます。


3枚目のソロアルバム『belong』を作り上げる感情や人間関係の脈動をパッケージ化する手段としてバーナードは幾つもの言葉を日記に残しました。直接的で喚起的な構文はイー・カミングス(アメリカの画家)を想起させ、彼女はこのコレクションで親しみやすい魂によって彩られた水たまりのような光景を、愛によるイメージで表現しています。


バーナードの瞑想的な手法により、「To Belong- 帰属」は本来あるべき生命の姿に近づいていきます。物理的な世界、時間の連続体、愛する人の腕の中にある居場所を表現するような、稀有で繊細な感覚に。トリートメントされたギター、ソフトなシンセ、輝く声のレイヤーを駆使し、全体的な抱擁の感覚を織り交ぜる。『To belong』には、フィールド・レコーディングや、彼女の大切な家族や友人の声も優しく彩られている。これらには、以前カモミールにインスピレーションを与えた、日記と記録への愛が貫かれています(『Past Inside the Present』2022年)。


オープニングのタイトル・トラックは、鳥の鳴き声とヴォーカルの言葉がゆるやかな波さながらに寄せては消え、綛(かせ)から取り出された毛糸のようなテクスチャーを紡いでゆく。「bridges」は、柔らかにかき鳴らされるギター、澄明な瞳のマントラが霧中から現れる。夕まぐれの浜辺で焚き火を囲みつつ、子供たちのために、この曲を演奏する彼女の姿を想像してみて下さい。


「cemented」は、亡き叔父が大切にしていたギターの弦がタペストリーさながらに絡み合い、お気に入りの公園を散歩したさいの足音が強調され、無限の空間を作り上げていきます。憂鬱と畏怖が共存する短いパッセージにより闘病中の妹の勇気を称え作曲された「of the west」、カリフォルニアの緑豊かな季節を淡いきらめきに織り交ぜ、牧歌的なテーマ(Stereoscenic, 2021)と呼応する「suddenly green」など、彼女の旅は続く。これらは疑いなしに深く個人的な作品であることはたしかなのですが、その慈愛と共感の魅力的な空気に圧倒されずにいられないのです。


「mended own」は、プリズム写真に傾倒するバーナードの内省的な研究と合わせて、フォーク・バラード・モードを再現しています。絶えず屈折したり、分解したり、融合したり、あるいは光線と戯れたりする彼女の音楽の性質は、アルバムのジャケット画像に象徴づけられるように、出来上がりつつある虹の中でそれぞれの要素が際立つようにアレンジと融合しています。「柔らかな手に握られたこの光は/重い石を/手放す」とバーナードは穏やかに歌い、オーバーダビングされたテープに残された亡霊さながらに、背景を横切って細部を際立たせる。


最後の「to belong」は、長年の血筋の影響(USCのリトル・チャペル・オブ・サイレンスを作った曾祖母のために書かれた "in the spaces")と親しい友人の無条件の愛("all you give (for ash)")を呼び起こし、感謝と無常への2部構成の頌歌で幕を閉じる。「night palms sway」は、街灯の下でひらひら舞う昆虫だけが目撃する、日の終わりに手をつないで歩く親しげな光景を想起させるでしょうし、「call and answer」は、聴けば歌ってくれるミューズへの賛歌となる。最後の曲については、束の間の別離を惜しむというよりも、再び会いたいという親しみが込められているのです。


マリン・アイズは、詳らかに省察を重ね、受容し、実存の偶然性に感謝し、彼女の音楽の世界を作り上げます。「個人的な歴史に巻き起こる出来事すべてになんらかの意味が込められている」バーナードは断言します。「あらゆる偶発的な出来事や、わたしたちを取り巻くあらゆるもののもろさやよわさを考えるとき、一への帰属意識こそがきわめて貴重なものになりえる」と。



--Past Inside The Present



『To Belong』




マリン・アイズのプロデューサー名を関して活動を行うLAのシンシア・バーナードは、夫であるジェームス・バーナードと夫婦で共同制作を行い、ソロアーティストとして別名義のリリースを続ける。アンビエントミュージシャンとして夫婦で活動を行う事例は珍しくなく、例えば、ベルギーのクリスティーナ・ヴァンゾー/ジョン・アルゾ・ベネット夫妻が挙げられます。ベルギーの夫妻はロンドンのバービカン・センター等でもライブ・イベントを行っている。クリスティーナ夫妻の場合は、シンセサイザーとフルートの組み合わせでライブを行うことが多い。

 

そして、二つのパートナーに共通するのは、コラボレーターとして共同制作も行い、そのかたわら、ソロ名義の作品もリリースするという点なのです。ふと思い出されるのは、昨年末、夫のジェームス・バーナードのアンビエントアルバム『Soft Octave』がリリースされたことです。年の瀬も迫ると、大手レーベルのリリースはほとんど途絶えますが、その合間を縫うようにし、インディペンデントなミュージシャンの快作がリリースされる場合がある。バーナードさんのアルバム”Soft Octave”は、妻のシンシアとは異なり、クールな印象を持つアンビエントで、音楽に耳を傾けていると、異次元に引っ張られていくような奇異な感覚に満ちていました。とくに「Cortege」という曲がミステリアスで、音楽以上の啓示に満ちていたような気がしたものでした。いや、考えてみると、理想的な音楽とはなんらかの啓示でもあるべきなのでしょうか??

 

夫であるジェームス・バーナードの音楽とは異なり、妻のマリン・アイズの音楽は自然味に溢れていて、言ってみれば、ロサンゼルスの自然からもたらされるイメージ、内的な瞑想、そして静寂を組みわせて、癒やしの質感を持つアンビエントを制作しています。祖母の病気をきっかけに音楽制作をはじめるようになったマリン・アイズは、ヒーリングのための音楽を制作しはじめ、当初それを公に発表することもためらっていましたが、しかし、彼女の音楽を家族や身内だけに留めておくのは惜しく、より多くの人の心を癒やす可能性を秘めています。シンシア・バーナードの現時点での最高傑作として、昨年、エクスパンデッド・バージョン「拡張版)として同レーベルからリリースされた「Idyll」が真っ先に思い浮かびます。この作品では、サウンドデザインの観点からアンビエントが制作され、その中にシンシア・バーナードのギターに彼女のボーカルが組み合わされ、”アンビエント・ポップ”ともいうべき新しい領域を切り開いたのです。もちろん、このことに関して、当のミュージシャンが必ずしも自覚しているとは限りません。新しい音楽とは、あらかじめ予期して生み出されるものではなく、いつのまにか、それが”新しいものである”とみなされる。音楽の蓋然性の裏側に必然性が潜んでいるのです。



シンシアの3作目のアルバム”To Belong"が、なんのために書かれたものであるのかは明確です。人間の存在が分離した存在なのではなく、一つに帰属すべきものであるという宇宙の摂理を思い出すために書かれているのです。人間の一生とは、分離に始まり、合一に戻っていく過程を意味する。そのことに何歳になってから気がつくものか、死ぬまでそのことがわからないのか。それぞれの差別意識、肌の色の違い、性別の違い、また、考えの違い、ラベリングの違い、ひいては、宗教、民族の違い、所属の違いへと種別意識が押し広げられていき、最終的には、政治、国家、実存の違いへと意識が拡大していく。そこで、人々は自分がスペシャルな存在であると考えて、自分と異なる存在を敵視し、ときに排斥することを繰り返すようになってしまう。ときに、それが存在するための意義となる。しかしながら、それらの差別意識は、根源的には生命の存在が合一であることを”思い出させる”ために存在すると考えてみたらどうなるでしょう?? それらの意味は覆されてしまい、個別的な存在がこの世にひとつも存在しないということになる。 

 

 

 

・1ー3

 

この音楽はミヒャエル・エンデの物語のように始まりもなければ終わりもありません。そしてミュージシャンが述べているように、これらのアンビエントは根源的な生命の偏在を示唆し、言い換えれば「どこにでもあり、どこにもない」ということになる。しかし、それは言辞を弄したいからそう言うのではなく、シンシア・バーナードの音楽のテクスチャーの連続性は、たしかに生命の本質を音楽というかたちで、のびのびと表現されているからなのです。シンセのシークエンス、バーナードさんがLAで実地に録音したフィールド・レコーディング、それからギターとボーカルという基本構造を基にし、アンビエントミュージックが構築されていきますが、 アルバムの導入部分でありタイトル曲でもある「To Belong」は、パンフルートの音色をかけあわせたシンセのシークエンスがどこまでも続き、音像の向こうに海のさざめきの音、鳥の声がサンプリングで挿入され、自然味のあるサウンド・デザインが少しずつ作り上げられる。このアルバムを聴くにつけ、よく考えるのは、アーティストが見たロサンゼルスの光景はどのようなものだったのかということなのです。もちろん、いうまでもなくそこまではわからないのですが、その答えはアルバムの中に暗示され、海の向こう側の無限へと続いているのかもしれません。これらの一面的を超越した多角的なサウンド・デザインは、実際に世界がミルフィールのような多重構造を持つ領域により構築されていることをありありと思い出させるのです。

 

マリン・アイズの音楽は、Four Tet、Floating Pointsのようなサウンドデザインの領域にとどまることはなく、Autechre、Aphex Twinの音楽に代表されるノンリズムで構成されるクラブ・ミュージックに触発されたダウンテンポに属するナンバーに変わることもある。そしてどうやらこの試みは新しいものであるらしく、マリン・アイズの音楽の未知の側面を表しているようなのです。例えば、#2「husted」は(モジュラー)シンセによってミクロコスモスから始まった音像空間が極大に近づき、マクロコスモスへと押し広げられる。この作風は、リチャード・ジェイムスが90年代のテクノブームを牽引する以前に、「Ambient Works」で実験的に示したものでもあったのですが、シンシア・バーナードは旧来のダウンテンポの要素にモダンな印象を添えようとしています。単なるワンフレーズの連続性は、ミニマリストとしてのバーナードの音楽性の一端が示されているように思えるかもしれませんが、実は、そのかぎりではなく、トーンやピッチの微細な変容を及ぼすことにより、轟音の中に安らぎをもたらすのです。これはジョン・アダムスが言っていたように”反復は変化の一形態である”ということでもあるのです。

 

 

マリン・アイズはフィールドレコーディングで生じたエラー、つまり、ヒスノイズをうまく活用し、グリッチノイズのような形でアンビエント・ミュージックに活用しています。シンシア・バーナードはカルフォルニアの自然の中に分け入り、リボン・バイクを雑草地に向け 、偶然性の音楽を捉えようとしています。#3「Timeshifting」には風の音、海の音、そのほかにも草むらに生息する無数の生き物の声を内包させていると言えるのです。私自身はやったことがないのですが、フィールドレコーディングというのは、そのフィールドに共鳴する人間の聴覚では拾いきれない微細なノイズを拾ってしまうことがよくあるそうなのですが、しかし、これらのアクシデンタルな出来事はむしろ、実際の音楽に対してその空間にしか存在しえない独特なアトモスフェールを録音という形で収めることに成功しています。そして、これが奇妙なことに現実以上のリアリティーを刻印し、現実の中に表れた偶然のユートピアを作り出す。アンビエントのテクスチャーの中に、マリン・アイズは自身のボーカルをサンプルし、現実に生じた正しい時の流れを作り出す。ボーカルテクスチャはミューズさながらに美しく、神々しい輝きを放つかのような聴覚的な錯覚をおぼえさせる場合がある。この曲はまたボーカルアートにおけるニュースタンダードが生み出されつつある瞬間を捉えることも出来ます。

 


#3「timeshifting」



・4−10

 

現代の女性のアンビエントプロデューサーの中には、ドリーム・ポップ風の音楽とアンビエントやレクトロニックをかけあわせて個性的な作風を生み出すミュージシャンが少なくありません。例えば、ポートランドから西海岸に映ったGrouperことリズ・ハリス、他にもヨーロッパでのライブの共演をきっかけに彼女の音楽から薫陶を受けたトルコのエキン・フィルが挙げられます。そして、シンシア・バーナードもまたアコースティックギターの演奏を基本にして、癒やしの雰囲気のあるアンビエントを制作しています。このドリーム・ポップとアンビエントの融合というのは、実は、ハロルド・バッドがロビン・ガスリーとよく共同制作を行っていたことを考えれれば、自然な流れといえます。つまり、ドリーム・ポップはアンビエント的な気質を持ち、反面、アンビエントはドリーム・ポップ風の気質を持つ場合がある。このことはジャンルの出発である[アンビエントシリーズ]を聴くとよりわかりやすいかもしれません。

 

#4「Bridges」はジャック・ジャクソンを思わせる開けたサーフミュージックをドリーム・ポップ風の音楽として昇華させていますが、 むしろこの曲に関しては、マリン・アイズのポピュラーなボーカリストとしての性質が色濃く反映されているようです。そしてシンプルで分かりやすい音の運びは彼女の音楽に親しみを覚えさせてくれます。一方でインディーフォークをベースにしたアコースティックの弾き語りのスタイルは、日常生活に余白や休息を設けることの大切さを歌っているように思えます。また、トラックの背後に重ねられるガットギターの硬質な響きが、バーナードの繊細な歌声とマッチし、やはりこのミュージシャンの音楽の特徴であるドリーミーな空気感を生み出す。続く#5「cemented」ではモダンクラシカルとアンビエントの中間にあるような音楽で、シカゴの作曲家/ピアニスト、Gia Margaretを彷彿とさせるアーティスティックな響きを内包させています。もしくはリスニングの仕方によっては、坂本龍一とコラボレーションした経験があるJuliana Berwick(ジュリアナ・バーウィック)のアンビエントとボーカルアートの融合のような意図を見出す方もいるかもしれません、少なくとも、この2曲では従来のシンシア・バーナードの音楽の重要なテーマである癒やしを体験することが出来ます。


上記の2曲はむしろ日常生活にポイントを置いたアンビエントフォークという形で楽しめるはずですが、次に収録されている#6「Of The West」では再び抽象的で純粋なアンビエントへと舞い戻る。そしてモジュラーシンセのテクスチャーが立ち上がると、霊妙な感覚が呼び覚まされるような気がするのです。バーナードの作り出すテクスチャーは、ボーカルと融合すると、ジュリアナ・バーウィックやカナダのSea Oleenaの制作と同じように、その音の輪郭がだんだんとぼやけてきて、ほとんど純粋なハーモニーの性質が乏しくなり、アンビバレントな音像空間が作り出される。こういったぼやけた音楽に関しては、好き嫌いがあるかもしれませんが、少なくともバーナードの制作するアンビエントはどうやら、日常生活の延長線上にある心地よい音が端的に表現されているようです。それは空気感とも呼ぶべき感覚で、かつて日本の現代音楽家の武満徹が”その場所に普遍的に満ちているすでに存在する音”と表現しています。

 

同じように、エレクトリックギターとシンセテクスチャーを重ねた#7「Suddenly Green」はGrpuper、Sea Oleena、Ekin Fill、Hollie Kenniffといった、このドリームアンビエントともいうべきジャンルの象徴的なアーティストの系譜にあり、まさに女性的な感性が表現されています。 バーナードは自身のギターの断片的な演奏をもとに、反復構造を作り出し、ひたすら自然味のある癒やしの音楽を作り上げていきます。これらは緊張した音楽や、忙しない音楽に疲れてしまった人々の心に休息と癒しを与えるいわばヒーリングの力があるのです。音楽を怖いものと考えるようになった人は、こういった音楽に耳を澄ましてみるのもひとつの手段となるでしょう。また、テープディレイを掛けてプロデュース面での工夫が凝らされた#8「mended own」はこのアルバムの中盤のハイライト曲になりそうです。この曲は、ポピュラー・ボーカリストの性質が強く、エンヤのようなヒーリング音楽として楽しめるはずです。バーナードさんが自身の歌声によって表現しようとするカルフォルニアの風景の美しさがこの曲には顕著に表れています。アウトロにかけての亡霊的なボーカルディレイはある意味では、アーティストがこのアルバムを通して表現しようとする魂の在り方を示し、それが根源的なものへ帰されてゆく瞬間が捉えられているように感じられます。少なくとも、アウトロには鳥肌が立つような感覚がある。もしかすると、それは人間の存在が魂であるということを思い出させるからなのかもしれません。

 

アウトロのかけて魂が根源的な本質に返っていく瞬間が暗示的に示された後、#9「all you give(for ash)」ではボーカルテクスチャーをもとに、アブストラクトなアンビエントへと移行していきます。ここでは波の音をモジュラーシンセでサウンド・デザインのように表現し、それに合わせて魂が海に戻っていくという神秘的なサウンドスケープを綿密に作り上げています。ときおり、導入されるガラスの音は海に流れ着いた漂流物が暗示され、それが潮の流れとともに海際にある事物が風によって吹き上げられていくような神秘的な光景が描かれています。パンフルートを使用したシンセテクスチャーの作り込みは情感たっぷりで、アウトロではカモメやウミネコのような海辺に生息する鳥類の声が同じようにシンセによって表現されています。

 

これらの神秘的な雰囲気は#10「bluest」にも受け継がれており、デジタルディレイをリズムの観点から解釈しながら、繊細なギターをその中に散りばめています。短いミニマリズムの曲ではあるものの、この曲にはボーカリストやプロデューサーとは異なるギタリストとしてのセンスを見て取ることが出来る。二つのギターの重なりがディレイ処理と重なり合い、切ない感覚を呼び起こすことがある。このあたりに、アルバムの完成度よりも情感を重んじるマリン・アイズの音楽の醍醐味が宿っています。この曲を聞くかぎり、もしかすると、完璧であるよりも、少しだけ粗や欠点があったほうが、音楽はより魅力的なものになる可能性が秘められているように思える。 

 

 

「bluest」

 

 

 

・11-14

 

プレスリリースでは二部構成と説明されているにも関わらず、三部構成の形でアルバムのアナライズを行ってまいりましたが、「To Belong」では制作者の考えが明確に示されています。それは例えば、人間の生命的な根源が海に非常に近いものであるということなのです。例えば、この概念と呼ぶべきものは、アンビエントテクスチャーとボーカルテクスチャー、そしてギターの演奏の融合という形で大きなオーラを持つ曲になる場合がある。「Night Palms Sway」では西海岸の海辺の風景をエレクトロニックから描出するとともに、エレクトリックギターのアルペジオを三味線の響きになぞられ、ジャポニズムへのロマンを表してくれているようです。それほどギターの演奏が卓越したものではないにも関わらず、そのシンプルな演奏が完成度の高い音楽よりも傑出したものであるように思わせることがあるのは不思議と言えるでしょう。


アルバムの最終盤でもマリン・アイズの音楽性は一つの直線を引いたように繋がっています。つまり、アイディアの豊富さはもちろん大きな利点ではあるのですが、それがまとまりきらないと、散逸したアルバムとなってしまう場合があるのです。少なくとも、幸運にも、マリン・アイズはジェームスさんと協力することでその難を逃れられたのかもしれません。「In The Space」では至福感溢れるアンビエントを作り出し、人間の意識が通常のものとは別の超絶意識を持つこと、つまりスポーツ選手が体験する”フローの状態”が存在することを示唆しています。そして優れた音楽家や演奏家は、いつもこの変性意識に入りやすい性質を持っているのです。一曲目の再構成である「To Belong(Reprise)」では、やはりワンネスへの帰属意識が表現されています。本作の収録曲は、ふしぎなことに、別の場所にいる話したことも会ったこともない見ず知らずのミュージシャンたちの魂がどこかで根源的に繋がっており、また、その音楽的な知識を共有しているような神秘性があるため、きわめて興味深いものがあります。音楽はいつも、表面的なアウトプットばかりが重要視されることが多いのですが、このアルバムを聴くかぎりでは、どこから何をどのように汲み取るのか、というのを大切にするべきなのかもしれませんね。

 

 

アルバムの最後を飾る「call and answer」はアコースティックギター、シンセ、ボーカルのテクスチャーというシンプルな構成ですが、現代のどの音楽よりも驚きと癒やしに満ちあふれています。ディレイ処理は付加物に過ぎず、音楽の本質を歪曲するようなことはなく、伝わりやすさがある。このアルバムを聴くと、音楽のほんとうの素晴らしさに気づくはず。良い音楽の本質とは?ーーそれはこわいものでもなんでもなく、すごくシンプルで分かりやすいものなのです。

 

 

 

 

 

90/100

 

 

 

*Bandcampバージョンには上記の14曲に、ボーナス・トラックが2曲追加で発売されています。アルバムのご購入はこちらから。


Charlotte Day Wilson-



トロント出身のシンガーソングライター/プロデューサー、シャーロット・デイ・ウィルソン(CDW)が、待望の2ndアルバム『Cyan Blue』を5月3日にリリースする。


『シアン・ブルー』は、ゴスペル・ピアノ、温かみのあるソウルのベースライン、雰囲気のあるエレクトロニクス、そしてR&Bの突き抜けたメロディーなど、ウィルソンが永遠に影響を受け続けてきたシアン・タペストリーを滑らかに織り上げています。そして、この作品には、ウィルソンの新時代の到来を告げるに足るセンスがある。


「シアン・ブルー』の制作について、ウィルソンは次のように語っている。「多くの荷物がなかった頃、多くの人生を生きる前について。でも、若い頃の自分と合わせて現在の自分を見てほしいとも思う。私が今持っている知恵や明晰さの一部を、伝授することができたらいいなと思う」


レオン・トーマス(SZA、アリアナ・グランデ、ポスト・マローン)、ジャック・ロション(H.E.R、ダニエル・シーザー)といったプロデューサーと組んだ『シアン・ブルー』は、ウィルソンの音響的な専門知識を示すと同時に、彼女の時を超えたソングライティングの次なる進化を披露している。


13曲のヒプノティックなトラックを通して、彼女は音楽を人間関係を解きほぐす器として使い続けている。しかしながら、『シアン・ブルー』では、彼女は完璧主義者の傾向を一蹴することに挑戦しています。「それ以前の私は、強固な基礎、芸術的な完全性を備えた音楽を創ることに熱心でした」とウィルソンは振り返る。「でも、それは少し息苦しかった。"時の試練に耐えられるような素晴らしい作品を、プレッシャーなく作らせてほしい "という感じでした。今は、すべてが完璧でなければならないという、凍りついた状態から抜け出せたと思います。それよりも、その瞬間に起こった感情をその瞬間にとらえ、その瞬間に残すことに興味があります」


このアルバムはまだ通算2作目にもかかわらず、ウィルソンの音楽における影響力はメインストリームに大きな影響を及ぼし続けている。

 

ウィルソンは2016年に絶賛されたEP『CDW』でブレイクし、2018年の『Stone Woman』に続き、2021年には絶賛された自主制作盤『Alpha』でスタジオ・デビュー・アルバムを正式なカミング・アウトの瞬間とした。過去10年間、その楽曲は、ドレイク、ジョン・メイヤー、ジェイムス・ブレイクにサンプリングされ、最近では、パティ・スミスがウィルソンの2016年のブレイク・シングル "Work "を賞賛しカバーしている。さらに、ケイト・ラナダ、BADBADNOTGOOD、SGルイスといったアーティストともコラボレーション経験がある。ウィルソンが適応できない音はない。彼女はシアンブルーの魔法を振りかけることができることを示す。

 


『Cyan Blue』‐ Stone Woman Music/ XL Recordings

 

・Background

 

シャーロット・デイ・ウィルソンは、10代の頃にAppleのGaragebandで音楽制作をはじめ、幼初期にクラシックピアノを学んでいる。ハリファックスに引っ越し、大学で音楽を学習する予定だったが、その後、キャリアに専念するために大学を去った。十数年前から音源のリリースを行い、2012年にはEPのセルフリリースを行い、以後の数年間で、スタンドアロンのシングルを三作発表した。また、それらのソロシンガーとしてのキャリアに加え、ファンクバンドでも活動したことがあった。The Wayoではボーカル、キーボード、サックスを演奏していたという。


ケベック州モントリオールで過ごした後、ウィルソンはトロントに戻り、アーツ&クラフツプロダクションでインターンを行う。


その頃、ダニエル・シーザー、リバーテイバー、BadBadNotGoodなどのコラボに取り組むことになった。2016年には、リリースしたEPの収録曲「Work」が注目を集めはじめ、Socanソングライティング賞にノミネートされ、ポラリス音楽賞のロングリストに残った。また、ウィルソンはプロデューサーとしても高い評価を得ている。2017年のジュノー賞ではプロデューサー・オブ・ザ・イヤーにノミネート。ファンタヴィアス・フリッツ監督が手掛けた「ワーク」のビデオも好評で、2018年度のプリズム賞を受賞している。

 

3作目のEP「Stone Woman」でもウィルソンは注目を集めた。収録曲「Falling Apart」はジェイムス・ブレイクが「I Keep Calling」でサンプリングを行った。2021年頃にはR&Bアーティストとして国内で評価される。2021年のシドをフィーチャリングしたシングル「Take Care Of You」でジュノー賞のトラディショナルR&B/ソウルのレコーディング・オブ・ザ・イヤーを獲得した。

 

着実に実績を重ね、イギリスのXL recordingsと契約し、満を持してリリースされるアルバム『Cyan Blue』はウィルソンの初期のキャリアを決定づける可能性が高い。もしかするとマーキュリー賞にノミネートされても不思議ではない作品である。13曲とヴォリューム感のあるアルバムであることは間違いないが、驚くほどスムーズに曲が展開され、そして作品の中に幾つかの感動的なハイライトが用意されています。本作はプロデューサーとしての蓄積が高水準のネオソウルとして昇華され、加えて、ファルセット、ウィスパーボイス、ミックスボイス、そしてアルトボイス等など、驚くほど多彩なヴォーカリストとしての性質が見事に反映されている。


シャーロット・デイ・ウィルソンのソウル/R&Bは、例えば、SZA、Samphaといった最も注目を集めるシンガーとも無関係とは言えません。しかし、上記の二人とは異なり、基本的には低音域のアルトボイスを中心の歌われる。その歌声は基本的には落ち着いていて、ダウナーともいうべき印象をもたらすが、稀にファルセットや高音域のミックスボイス等が披露されると、曲の印象が一転して、驚くべき華やかさがもたらされる。あらゆるボーカルスタイルを披露しながら、細部に至るまで多角的なサウンドを作り込もうとする。”完璧主義から距離を置いた音楽を選んだ”というシンガーの言葉は捉え方によっては、ボーカルにしてもプロデュースにしても、それ以前の音楽的な蓄積が、少し緩さのある軽妙なネオソウルを作り上げるための布石となった。

 

2ndアルバム”Cyan Blue”はアーバンなソウル、メロウさ、それとは対象的な爽快さを併せ持つ稀有な作品となっています。その中にはファンクバンドとしての経験を織り交ぜたものもある。そしてカナダのミュージック・シーンに何らかの触発を受けてのことか、ローファイなサウンドメイキングが施されている。例えば、ボーカルのオートチューンの使用はダフト・パンクのようなロボット声を越え、ユニークなボーカルの録音という形で表れる。ただ、マニアックなプロディースの形式が選ばれているからとは言え、アルバム全体としてはすごく聞きやすさがある。

 

 

・1「My Way」〜 5「Do U Still」

 

オープナー「My Way」ではギターサウンドをローファイ的に処理し、それにダブステップのような”ダビーなリズム”というようにコアな音楽が展開される。しかし、そのトラックに載せられるウィルソンのボーカルは、メロウな雰囲気を漂わせながらも、驚くほど軽やかである。イギリスのシンガーソングライター、Samphaを思わせるネオソウルは、サビでコーラスが入ると、親しみやすく乗りやすいポピュラー・ソングへと変化する。徹底して無駄や脚色を削ぎ落とした、スタイリッシュかつタイトな質感を持つサウンドが繰り広げられます。さらに、デイ・ウィルソンのR&Bにはモダンでアーバンな空気感が漂う。#2「Money」でも、最初のメロウな雰囲気が引き継がれる。曲そのものはポピュラーなのに、新しい試みもある。デチューンをトラック全体に掛け、サイケな曲の輪郭を作り出し、アウトロにかけて、ラップのサンプリングをクールに導入している。こう言うと、難解なサウンドを思い浮かべるかもしれませんが、全般的にはメロディーの心地よさ、リズムの乗りやすさにポイントが絞られているので聞きやすさがある。もちろん、リズムの心地よさに身を委ねるという楽しみ方もありかもしれない。

 

ウィルソンのファンクバンドとしての演奏経験は続く#3「Dovetail」に表れている。Pファンクの代表格である”Bootsy Collins”のようなしなやかなファンクサウンドを基調としているが、デイ・ウィルソンのソウルは、チルウェイブの影響を取り入れることで、モダンな雰囲気と聞きやすさを併せ持つトラックに昇華される。アルトボイス中心の落ち着いたボーカルに色彩的な和音が加わり、スマイルの最新作やジェイムス・ブレイクなどのレコーディングでお馴染みのボーカルのエフェクト効果がリズムや旋律と混ざり合い、大人の感覚を持つR&Bが構築される。


その後の#4「Forever」でもボーカルのオートチューンや複雑な対旋律的なコーラスの導入は顕著な形で表れる。この曲にはエレクトロニックの影響があり、サンプリング的に処理されたピアノとソフトシンセの実験的なエフェクト処理が施されたマテリアルが多角的なネオソウルを作り上げる。ウィルソンのボーカルについても、「しっとりとしたソウル」とよく言われるように、落ち着いたアルトボイスを基本に構成される。けれども、それらのボーカルのニュアンスはジェイムス・ブレイクが以前話していた”ビンテージソウルの温かみ”がある。最新鋭のレコーディングシステムや多数のプラグインを使用しようとも、ボーカルやトラックには深いエモーションが漂い、それがそのままアルバムの導入部の魅力ともなっている。さらに曲の後半では、ミックスボイスに近い伸びやかな鼻声のボーカルが華やかさを最大限に引き上げていきます。続く#5「Do U Still」でも中音域のボーカルを中心にして、しっとりとした曲が作り上げられる。この曲では、旋律よりもリズムが強調され、それはスキッターな打ち込みのドラムが、ボーカリストがさらりと歌い上げるメロディーや複合的な和音のメロウさを引き立てている。

 


 「My Way」




・6「New Day」~ 9「Over The Rainbow」


アルトボイスとミックスボイスを中心に構成されていたアルバムの導入部。しかしながら、アーティストは驚くべきことに、手の内を全部見せたわけではなかった。ボーカリストとしての歌唱法の選択肢の多さは、中盤部において感動的な瞬間を呼び起こす箇所がある。中盤の収録されている#6「New Day」を聴けば、ウィルソンのボーカリストとして卓越した技巧がどれほど凄いのかを体感していただけるに違いない。イントロではゴスペルを下地にした霊妙なハミング/ウィスパーボイスとジェイムス・ブレイクの作風を思わせるピアノ、それに続いて優しく語りかけるようなデイ・ウィルソンのボーカルが続く。背後には、XL Recordingsが得意とするボーカル・ディレイが複合的に重ねられ、トリップホップを思わせる霊妙な音楽へとつながる。そして曲の中盤から、それまで力を溜め込んでいたかのように、華やかで伸びやかなビブラートでボーカリストがこの曲を巧みにリードしていく。これこそソロシンガーとしての凄さ。

 

歌にとどまらず、音楽のバラエティー性にも目を瞠るものがある。#7「Last Call」ではサンファを彷彿とさせる落ち着きと爽快感を兼ね備えるネオソウルを披露したかと思えば、#8「Canopy」では、アルバムの一曲目と同様に、ローファイなギター、エレクトロニカ風のエフェクトという現行のネオソウルやヒップホップの影響があるが、それらをブレイクビーツとして処理している。もちろん上記の2曲でも依然として、メロウさやモダンな感覚が維持される。

 

この2曲はダンスフロアのクールダウンのような意図を持つリラックスした箇所として楽しめる。そして、中盤の最大のハイライトがジュディー・ガーランドのカバー「Over The Rainbow」である。''オズの魔法使い''の主題歌でもあったこの曲を、デイ・ウィルソンは、ゴスペルとネオソウルという二つの切り口から解釈している。ここには、カバーの模範的なお手本が示されていると言えるでしょう。つまり、原曲を忠実に準えた上で、新しい現代的な解釈を添えるのである。基本的なメロディーは変わっていませんが、何か深く心を揺さぶられるものがある。これはデイ・ウィルソンが悲劇のポップスターの名曲を心から敬愛し、そして、霊歌や現代のソウルR&Bに至るまで、すべてにリスペクトを示しているからこそなし得ることなのでしょうか? そしてミュージシャンの幼少期の記憶らしきものが、最後の子供の声のサンプリングに体現される。 

 

 

 「Over The Rainbow」

 

 

 

 ・10「Kiss & Tell」〜13「Walk With Me」

 

アルバムの後半では、UKのアンダーグランドのダンスミュージックの影響が親しみやすいポピュラー・ソングの形で繰り広げられる。


#10「Kiss & Tell」では、ベースラインを基にして、トリップ・ホップやダブステップのリズムをミックスして織り交ぜながら、それらを最終的に深みのあるネオソウルに昇華させています。特にこの後の2曲は、アルバムの最高の聞きどころで、またハイライトになるかもしれない。


#11「I Don't Love You」では「Over The Rainbow」と同じく、古いゴスペルを鮮やかなネオソウルに生まれ変わらせる。ピアノとボーカルにはデチューンが施され、入れ子構造やメタ構造のような意図を持つ弾き語りのナンバーとも解釈出来る。落ち着いた感じのイントロ、中盤部のブリッジからサビの部分にかけて緩やかな旋律のジャンプアップを見せる箇所に素晴らしさがある。なおかつタイトルのボーカルの箇所では、シンガーの持つ卓越したポピュラリティーが現れる。しかし、多幸感のある感覚は、アウトロにかけて落ち着いた感覚に代わる。ウッドベースに合わせて歌われるウィルソンの神妙なボーカルは、このアルバムの最大の聞き所となりそう。

 

タイトル曲「Cyan Blue」のイントロでは複雑なエフェクトが施され、サンファの系譜にある艷やかな空気感のあるネオソウルというかたちで昇華させる。しかし、そういった前衛的なサウンド加工を施しながらも、普遍的なポピュラーミュージックの響きが込められている。この曲では古典的なポピュラーソングのスタイルを採用し、ポール・サイモン、ジョニ・ミッチェル、ウェイツのような穏やかで美しいピアノ・バラードがモダンな感覚に縁取られている。この曲でもシャーロット・ウィルソンのソウル/R&Bシンガーとしての歌唱力は素晴らしいものがあり、ビブラートの微細なニュアンスの変化により、この曲に霊妙さと深みをもたらしています。

 

”Cyan Blue”は全体的にブルージーな情感もあり、ほのかなペーソスもあるが、アルバムの最後はわずかに明るい感覚をもってエンディングを迎える。クローズ「Walk With Me」は他の曲と同じように落ち着いていて、メロウな空気感が漂うが、ドラムのリズムはアシッドなグルーヴ感を呼び起こし、それに加えてローファイの要素が心地よさをもたらす。スタイリッシュさやアーバンな雰囲気が堪能出来るのはもちろん、超実力派のシンガーによるR&Bの快作の登場です。

 

 

* プロデュース面での作り込みの凄さに始終圧倒されてしまいました。それ以前にどれほど多くの試行錯誤が重ねられたのかは予想もできないほど……。一度聴いただけで、その全容を把握することは難しいかもしれません。しかし、その一方で、純粋なネオソウルとしても気軽に楽しめるはず。

 

 

 

96/100

 

 

 

 Best Track-「I Don't Love You」

Weekly Music Feature


-Tara Jane O'Niel



タラ・ジェーン・オニール(TJO)はマルチ・インストゥルメンタリスト、作曲家、ビジュアル・アーティスト。自身の名義で、他のミュージシャン、アーティスト、ダンサー、映像作家とのコラボレーションで作曲、演奏活動を行っている。ソロ・アーティストとしては10枚のフルアルバムをリリースしている。  


オニールはロダン、ソノラ・パイン、その他いくつかのバンドの創立メンバーだった。パパ・M、スティーブ・ガン、ハンド・ハビッツ、ローワー・デンズ、マイケル・ハーリー、リトル・ウィングス、マリサ・アンダーソン、キャサリン・アーウィン、ミラ、マウント・イーリー、その他多くのアーティストとレコーディングやステージでコラボレーションしている。


1992年以来、世界中のクラブ、ギャラリー、DIYスペースや、ポンデュセンター、ホイットニー美術館、ハンマー、ブロードなどの会場でパフォーマンスを行っている。 ミュージシャンは、カルト・クラシック映画『Half-Cocked』に主演し、『His Lost Name』、『Great Speeches From a Dying World』などの長編映画の音楽を担当した。彼女のビジュアル・アート作品は、ロンドン、東京、LA、ニューヨーク、ポートランドなどで展示され、3冊のモノグラフが出版されている。


オニールのアルバム『The Cool Cloud of Okayness』は、セルフ・タイトルから7年(その間、魅力的なコラボレーション、トリビュート、レアもの、実験作がリリースされている)の小競り合いとシャッフルの中で書かれた。TJOがカリフォルニア州アッパー・オハイの自宅スタジオで録音した。トーマス火災で消失した自宅の灰の上に建てられたスタジオにて。


「The Cool Cloud of Okayness」の9曲の多くは、山火事と再建の間、ロックダウンと再開の間に開発された。TJOと彼女のパートナー(ダンサー、振付師、頻繁なコラボレーター)であるジェイミー・ジェームス・キッドと彼らの犬は、南カリフォルニアの高地砂漠とケンタッキー州ルイビルの深い郊外で嵐から避難した。


これらの土地で、キッドのダンスに即興でベース・ギターのフィギュアを発見し、パンデミックによる隔離の間に歌へと変化させ、それから、ドラマー/パーカッショニストのシェリダン・ライリー(Alvvaysのメンバー)、マルチ・インストゥルメンタリストのウォルト・マクレメンツ、そして、カップルでギタリストでもある、メグ・ダフィー(Hand Habitsのメンバー)のアンサンブルに持ち込んだ。彼らは演奏を構築し、嬉々として破壊し、それを再構築した。


このアンサンブルが共有するクィア・アイデンティティーには喜びがある。このアルバムもまた、安易なジャンルや定義に挑戦している。このレコードは彫刻であり、過ぎ去った時間と愛する人の肖像画である。スピリチュアルであり、サイケデリックでもある。TJOの巧みなプロダクションと揺るぎないベースが中心を支え、彼女の妖艶なギターと歌声がメッセージを伝える。


「The Cool Cloud of Okayness」は、時に約束のように、時にマントラのように神秘的に歌いあげる。''私たちは明るい、炎のように。喜びもまた、戦い方のひとつ"と。


持続するリズムの中で、繰り返しはすべて挑戦のように感じられる。太陽の周りを何周するのか? 毎回何が変わるのか? 人はどれだけの喪失を受け入れることができるのだろうか? それらの悲しみは、延々と続くフィードバック・ループとなるが、耳を澄ませば希望が芽生え、小さな苗木が泥の中を突き進む音が聞こえてくる。

 


--最初に矢を受けた場所には喜びの傷が残る。喜びは戦いの形なのだから、私たちはとても明るい。--


-Tara Jane 0'Neil- 「We Bright」

 



TJO   『The Cool Cloud of Okayness』


タラ・ジェーン・オニールの新作アルバムはかなり以前から制作され、2017年頃から七年をかけて制作された。カルフォルニアの山火事の悲劇から始まったオニールの音楽の長大な旅。


『The Cool Cloud of Okayness』は、異質であまり聴いたことがないタイプのアルバムで、唯一、プログレの代表格、YESの『Fragile』が近い印象を持つ作品として思い浮かべられるかもしれない。アルバムジャケットのシュールレアリスティックなイメージを入り口とし、ミステリアスな世界への扉が開かれる。


真実の世界。しかも、濃密な世界が無限に開けている。タラ・オニールの音楽的な引き出しは、クロスオーバーやジャンルレスという、一般的な言葉では言い尽くせないものがある。分けても素晴らしいと言いたいのは、オニールは、ノンバイナリーやトランスであることを自認しているが、それらを音楽及び歌詞で披瀝せず、表現に同化させる。これがプロパガンダ音楽とは異なり、純粋な音楽として耳に迫り、心に潤いを与える。主張、スタンス、アティテュードは控え目にしておき、タラ・オニールは音楽のパワーだけで、それらを力強く表現する。そして、これこそが本物のプロのミュージシャンだけに許された”特権”なのである。

 

アルバムの#1「The Cool Cloud of Okayness」はサイケデリックロックをベースにしているが、ハワイアンやボサノヴァのように緩やかな気風のフォーク音楽が繰り広げられる。心地良いギターとオニールの歌は、寄せては返す波のような美しさ。浜辺のヨットロックのような安らぎとカルフォルニアの海が夕景に染め上げられていくような淡い印象を浮かび上がらせる。この曲は、序章”オープニング”の意味をなす。

 

これは映画音楽の制作や、実際に俳優として映像作品に出演経験があるTJ・オニールが、音楽の映像的なモチーフを巧緻に反映させたとも解釈出来るかもしれない。#2「Seeing Glass」は、ノルウェーのジャズ・グループ、Jagga Jazzistの音楽を彷彿とさせる。シャッフル・ビートを多用したリズム、ミニマルミュージックを反映させたタラ・オニールのボーカルは、作曲の方法論に限定されることはなく、春のそよ風のような開放感、柔らかさ、爽やかさを併せ持つ。

 


 #1「The Cool Cloud of Okayness」

 

 

#3「Two Stone」ではさらに深度を増し、夢幻の世界へ入り込む。この曲では、Jagga JazzistやLars Horntvethがソロ作品で追求したようなエレクトロニックとジャズの融合があるが、バンドの場合は、それらにフュージョン、アフロビート、アフロジャズの要素を付け加えている。

 

アルバムの冒頭で、南国的な雰囲気で始まった音楽が、一瞬で長い距離を移動し、三曲目でアフリカのような雄大さ、そして、開放的な気風を持つ大陸的な音楽に変遷を辿っていく。しかし、アフロジャズの創成期のような原始的な音楽やリズムについては極力抑えておき、ラウンジ・ジャズのようなメロウさとスタイリッシュさを強調させている。それらのメロウさを上手い具合に引き立てているのが、金管楽器、パーカション、アンニュイなボーカル。オニールのボーカルは、ベス・ギボンズのようなアーティスティックなニュアンスに近づくときもある。 



#4「We Bright」では、クイアネスの人生を反映させ、「最初に矢を受けた場所には喜びの傷が残る。喜びは戦いの形なのだから、私たちはとても明るい」という秀逸な表現を通して、内的な痛みをシンガーは歌いこむ。ただ、そこにはアンニュイさや悲哀こそあれ、悲嘆や絶望には至らない。"悲しみは歓喜への入り口である"と、シンガーソングライターは通解しているのだ。続いて、オニールは、アフロジャズ/フュージョンのトラックに、抽象的な音像を持つコーラスとボーカルを交え、歌詞に見出されるように、''暗い場所から明るい場所に向かう過程''を表現する。ここでは、人生の中で受けた内的な傷や痛みが、その後、全然別の意味に成り代わることを暗示する。続く「Dash」は、インタリュードをギターとシンセで巧みに表現している。二方向からの音楽的なパッセージは結果的にアンビエントのような音像空間を生み出す。

 

#6「Glass Land」では、シカゴ/ルイヴィルに関するオニールの音楽的な蓄積が現れている。つまり、イントロではポストロックが展開され、ジム・オルークのGastre Del Sol、Rodan、Jone of Arcの彷彿とさせるセリエリズム(無調)を元にしたミステリアスな導入部を形作る。

 

しかし、その後、スノビズムやマニア性が束の間の煙のようにふっと立ち消えてしまい、Portisheadのベス・ギボンズを思わせるアンニュイなボーカル、現代のロンドンのジャズ・シーンに触発されたドラミングを反映させた異質な音楽が繰り広げられる。見晴るかすことの叶わぬ暗い海溝のような寂しさがあるが、他方、ペシミスティックな表現性に限定付けられることはなく、それよりもバリエーション豊かな感覚が織り交ぜられていることに驚きを覚える。

 

明るさ、暗さ、淡さ、喜び、安らぎ、ときめき、悲しさ、苦しさ、それを乗り越えようとすること。挫折しても再び起き上がり、どこかに向けて歩き出す。ほとんど数えきれないような人生の経験を基底にした感覚的なボーカルが多角的な印象をもって胸にリアルに迫ってくるのである。 

 

 

 #6「Glass Land」

 

#7「Curling」では、Jagga Jazzistのノルウェージャズと電子音楽の融合ーーニュージャズを元に、Pink Floyd/YESのような卓越した演奏力を擁するプログレを構築させる。 特にシンセサイザーがバンドのアンサンブルを牽引するという点では、リック・ウェイクマンの「こわれもの」、「危機」の神がかりの演奏を思わせる。タラ・オニールによるバンドは続いて、マスロックの音楽的な要素を加え、Don Cabarelloが『Amrican Don』で繰り広げたようなミニマル・ロックと電子音楽の融合を復刻させる。ただ、これらがBattlesのようなワイアードな音楽にならないのは、オニールのボーカルがポップネスを最重視しているからだろう。

 

後半部では、スピリチュアル・ジャズの音楽的な要素が強調される。「Fresh End」はアフロジャズとシカゴのポスト・ロック/ルイヴィルのマス・ロックの進化系であり、Don Cabarelloの『What Burns Never Returns』のアヴァンギャルド・ロックのスタイル、そして、Jagga Jazzistのエレクトロ・ジャズを、アフロビートの観点から解釈することによって、音楽の持つ未知の可能性を押し広げる。ベースラインのスタッカートの連続は、最終的にダンスミュージックのような熱狂性と強固なエナジーを生み出す。それは実際、アルバムを聞き始めた時点とは全く異なる場所にリスナーを連れてゆく。これを神秘性と呼ばずしてなんと呼ぶべきなのか??

 

『The Cool Cloud of Okayness』のクライマックスを飾る「Kaichan Kitchen」は圧巻であり、衝撃的なエンディングを迎える。サイケロック、サーフ、ヨットロックをアンビエントの観点から解釈し、ギター/シンセのみで、Mogwai/Sigur Rosに比する極大の音響空間を生み出す。天才的なシンガーソングライター、TJ・オニールに加えて、シェリダン・ライリー、メグ・ダフィー、秀逸なミュージシャンの共同制作による衝撃的なアルバムの登場。収録曲は、9曲とコンパクトな構成であるが、制作七年にわたる長い歳月が背景に貫流していて、感慨深い。

 



92/100
 


#7「Curling」

 

 

 

Tara Jane O’Niel(TJO)の新作アルバム『The Cool Cloud of Okayness』はOrindal Recordsより本日発売。