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Gia Margaret

 

シカゴ出身のピアニスト/アーティスト、ジア・マーガレットは、2018年に発表した素晴らしいデビュー作『There's Always Glimmer』に続いて、ちょっと意外な作品をjagujaguwarから発表した。


これは『Glimmer』のリリースとその後の成功後、ジアの人生における試練の時期から生まれた美しく瞑想的で癒しのアンビエント・アルバムです。病気で1年近く歌えなくなり、ツアーもキャンセルせざるを得なくなったジア・マーガレットは、シンセとピアノを中心とする、さまざまなファウンドサウンドやフィールドレコーディングを加えたインストゥルメンタル曲を、セラピーとしての音楽実験のような形で作り始めた。


「これらの作曲は、音楽制作者としてのアイデンティティを保つのに役立ちました」とジアは説明している。「時にはこの音楽は、セラピーや他の何かよりも、私の不安を和らげてくれた...。私は希望が持てるようなものを作りたかったんだけど、このプロセス全体において私は本質的に絶望感を感じていたからちょっと皮肉ね。私は自己鎮静のために音楽を作っていたのです」


その結果、光り輝く、温かく感情的で、穏やかなカタルシスをもたらす曲のコレクションは、ジア自身の自己治癒の旅を楽にしてくれ、私たちがこの怖い不確かな時代を乗り切ろうとするとき、新たなレベルの親近感と重みを帯びてくる。「私の人生の中で、完全に忘れてしまいたいような、本当に奇妙な時期の感覚をとらえたかったのです」と彼女は言った。「このプロセスは、私自身について何かをより深く理解するのに役立ちました」これは「悪夢の追体験のようだった」と回想する数年前の出来事から完全に立ち直るためには是非とも必要な事だったのだ。


「ロマンティック・ピアノ」は、エリック・サティ、エマホイ・ツェゲ・マリアム・ゲブロウ、高木正勝の「Marginalia」などに通じるものがあると説明されている。「ロマンティック」はドイツの古典的な意味を示唆し、その構成は、ロマン派の詩人たちの崇高なテーマ、自然の中での孤独、自然がもたらす癒しや教え、満足感に満ちたメランコリーなどを想起させるものがある。


「結局は、人の役に立つ音楽を作りたかったのです」とマーガレットは言い、このレコードの魅力を表現している。「ロマンティック・ピアノ」は好奇心旺盛で、落ち着きがあり、忍耐強く、信じられないほど感動的である。しかし、1秒たりとも曲を長引かせ、冗長に陥らせることはない。


デビュー作「There's Always Glimmer」もまた叙情的で素晴らしい内容だったが、ツアー中の病気で歌えなくなり、アンビエントアルバム「Mia Gargaret」を制作したところ、「There's Always Glimmer」の叙情的な曲では発揮しきれなかったアレンジや作曲に対する鋭い直感が現れた。


同様に「Romantic Piano」もほとんど言葉がない。「インストゥルメンタル・ミュージックの作曲は、一般的に、叙情的な曲作りよりもずっと楽しいプロセスです」と、彼女は言う。「そのプロセスが最終的に私の曲作りに影響を与える」そして、マーガレットにはもっとソングライター的な作品がある一方で、「Romantic Piano」は彼女を作曲家として確固たるものにしている。


幼少期からピアノを演奏しており、当初は作曲の学位を取得しようとしていたマーガレットだったが、音楽学校を途中で退学する。この時期について、「オーケストラで演奏するのが嫌で、映画音楽を書きたかった。そして、ソングライターになることに集中するようになった」と語っている。その後、ジア・マーガレットは録音を行い、youtubeを通じて自分のボーカルを公開するようになる。当初はbandcampで作品の発表していたが、その成果は「Dark & Joy」で実を結んだ。以後の「There's Always Glimmer」からは自らの性質を見据え、本格的な作品制作に取り掛かるようになる。近年は、より静謐で没入感のあるアンビエントに近い作風に転じている。

 

 

『Romantic Piano』jagujaguwar

 

ツアー中の病により、声が出なくなった時点から治癒の経過とともに発表された前作アルバム『Mia Margaret』は、オープナーのバッハへの『平均律クラヴィーア』の最初の前奏曲のオマージュを見ても分かる通り、シンセを通じたクラシカルミュージックへのアプローチや、フィールド・レコーディング、ボーカルのサンプリングを織り交ぜたエレクトロニカ作品に彼女は取り組むことになった。制作者は、この音楽について、”スリープ・ロック”と称しているというが、電子音楽を用いたスロウコア/サッドコアや、オルタナティブ・フォーク、ポピュラーミュージックの範疇に属していた。

 

そして、今回のアルバムでも、そのアプローチが継続しているが、今作は、アコースティクピアノという楽器とその演奏が主役にあり、その要素がないわけではないにしても、シンセ、アコースティックギター、(他者のボーカルのサンプリング)が補佐的な役割を果たしている。そして前作アルバムと同じように、制作者自身のボーカルが一曲だけ控えめに収録されている。

 

このアルバム全体には、鳥の声、雨、風、木の音といった、人間と自然との調和に焦点を絞ったフィールド・レコーディングが全体に視覚的な効果を交え、音楽の持つ安らいだムードを上手に引き立てている。アルバムの制作段階で、制作者はピアノを用い、(まずはじめに楽譜を書いて)、その計画に沿って演奏するという形でレコーディングが行われた。前作のアルバムは、最初にボーカリストとしてのキャリアを始めた彼女が立ち直るために制作されたと推測出来る。しかし、二作目で既にその遅れを取り戻すというような考えは立ち消え、より建設的な音楽としてアルバムは組み上げられた。それは制作者が語るように、「人の役に立つ」という明確な目的により、緻密に構築されていった作品である。それはもちろん、制作者自身にとっても有益であるばかりか、この音楽に触れる人々にも小さな喜びを授けることになるだろう。言い換えれば、氾濫しすぎたせいで見えづらくなった音楽の本当の魅力に迫った一作なのである。

 

人間と自然の調和というのは何なのだろう。そもそも、それは極論を言えば、人間が自然を倣い、自然と同じ生き方をするということだ。ある種の行動にせよ、考えにせよ、また長いライフプランにせよ、背伸びをせず、行動はその時点の状況に沿ったものであり、無理がないものである。例えば、それは木の成長をみれば分かる。木は背伸びをしない。その時々の状況に沿って、着実に成長していく。苗が大木になる日を夢見ることはない。なぜなら他の木と同じように、大きな勇ましい幹を持つ大木に成長することを、彼らは最初から知っているではないか。それと同じように、この回復の途上にある二作目のアルバムの何が素晴らしいのかと言えば、音楽に無理がなく、そして、音の配置の仕方に苦悩がないわけではないというのに、制作者はそれに焦らず、ちっとも背伸びをしようとしていないことなのである。これが端的に言えば、「Romantic Piano」に触れる音楽ファンに安らいだ気持ちを与える理由である。はじめに明確な主題があり、そして計画があり、それに準拠することにより、 ささやかな音楽の主題の芽吹きを通じ、創造という名の植物が健やかに生育していく過程を確認することが出来るのである。


「Hinoki Woods」


自然との調和という形はオープナーである「Hinoki Wood」に明確に表れている。シンセサイザーを用いた神秘的なイントロから音楽が定まっている。制作者は、予め決めていたかのように、緩やかで伸びやか、そして情感を込めたピアノ曲を展開させる。ピアノの音のプロダクションは、レーベルが説明するように日本のモダンクラシカルシーンで名高い高木正勝の音作りにも近似する。加えて、徹底して調和的なアンビエント風のシンセがその音の持つ温もりをより艷やかなものとしている。そして聴き始めるまもなく、あっという間に終了してしまうのである。

 

すべての収録曲が平均二分にも満たない細やかな作品集は、このようにして幕を開ける。そして、なにか得難いものを探しあぐねるかのように、聞き手はこの作品の持つピアノの世界へと注意を引きつけられ、その世界の深層の領域へと足を踏み入れていくことを促されるのである。そして二曲目の「Ways of Seeking」では、より視覚的な効果を交えたロマンティックな世界観が繰り広げられていくことになる。二曲目では、足元の土や葉を踏みしめる足音のサンプリングが聞き手の興味を駆り立て、前曲と同様、シンセサイザーの連続した音色と合わさるようにして、ロマンティックなピアノが切なげな音の構図を少しずつ組み立てていく。ピアノのフレーズは情感に溢れ、ドビュッシーのような抽象的な響きを持つ。催眠的なシンセは、そのピアノのフレーズの印象を強め、それまでに存在しなかった神秘的な扉を静かに押し開き、フレーズが紡がれるうち、はてしない奥深い世界へと入り込んでいく。また、例えれば、茫漠とした森の中にひとり踏み入れていくかのような不可思議なサウンドスケープが貫かれている。ピアノとシンセの合間には高い音域のシンセの響きが取り入れられ、視覚的な効果を高め、聞き手の情感深くにそれらの音がじっくり染み渡っていくかのようである。

 

その後も素朴で静かなピアノ曲が続く。「Cicadas」では、Peter Broderick(ピーター・ブロデリック)のピアノ曲のように抽象的でありながら穏やかな音の構成を楽しむことが出来る。ピアノの音は凛とした輝きを持ち、建築学の構造学的な興味を駆り立てるような一曲である。もちろん、言わずもがな、ロマン派としての情感は前曲に続いて引き継がれている。イントロに自然の中に潜む虫の音のサンプリングを取り入れ、情景的な構造を呼び覚ます。まるで前の曲と一転して夜の神秘的な森の中をさまようかのように、それらの静かな雰囲気は、ジア・マーガレットの悩まし気なピアノの演奏によって引き上げられていく。そして、ひとつずつ音符を吟味し、その音響性を確認するかのように、それらの音符を縦向きの和音として、あるいはまた横向きの旋律として、細糸を編みこむかのようにやさしく丹念に紡いでいく。そしてそれはボーカルこそないのだが、ピアノを通じて物語を語りかけるような温和さに満ちているのである。

 

その後の2曲は、澄明な輝きと健やかな気風に彩られた静謐なピアノ曲という形で続いていく。「Juno」はアルバムの中で最もアンビエントに近い楽曲であり、自然との調和という感覚が色濃く反映されている。ジア・マーガレットはシンプルでおだやかな伴奏を通じて、「間」を活かし、その休符にある沈黙と音によって静かな対話を繰り返すかのようでもある。そして、禅の間という観念を通じて、自らそれをひとつの[体験]として理解し、その間の構造を介して、一つの緩やかな音のサウンドスケープを構成していく。そして、曲の後半部では、シンセのサウンドスケープを用いることにより、微笑ましいような情感が呼び覚まされ、聞き手は同じように、その安らいだ感覚に釣り込まれることになるだろう。さらに続く、「A Strech」は、日本の小瀬村晶に近い繊細な質感を持った曲であり、日常の細やかな出来事や思いを親しみやすいピアノ曲に織りこもうとしている。分散和音を基調にしたピアノの演奏の途中から金管/木管楽器の長いレガートを組みあわせることで、ニュージャズに近い前衛的かつ刺激的な展開へと繋がる。


「A Stretch」

 


前作のアルバムと同じように、ボーカル入りのトラック「City Song」が本作には一曲だけ控えめに収録されている。しかし、タイトルにもある通り、アルバムの中では最も都会的な質感を持ち合わせ、そして他にボーカル曲が収録されていないこともあってか、全体を俯瞰してみた際、この曲は力強いインパンクトを放っている。アルバムの前半部と同様、ピアノの伴奏を通じて、ジア・マーガレット自身がボーカルを取っているが、Etel Cainのようなスロウコア/オルトフォーク/アンビエントフォークのようなアプローチを取り、古びたものをほとんど感じさせない。ジア・マーガレットのボーカルは、Grouperことリズ・ハリスのように内省的で、ほのかな暗鬱さを漂わせる。不思議とその歌声は心に染み渡ってくるが、しっかりと歌声に歌手の感情が乗り移り、それらが完全に一体化しているからこそ、こういったことが起こりうるのだ。つまり、当たり前ではあるが、歌を歌う時に言葉とは別のことを考えていたら、聞き手の心を捉えることは不可能である。これはシンガーソングライターとして声を失った経験が、彼女にその言葉の重み、そして、言葉の本当の意義を気づかせるに至ったのではないだろうかと推察される。

 

「Sitting Piano」はアルバムの中で間奏曲のような意味を持ち、米国のモダンクラシカルシーンで活躍するRachel Grime(元Rachel's)のピアノ曲を彷彿とさせる。例えば、20世紀のモノクロ時代の映画のサウンドトラックの要素が取り入れられ、それが製作者の一瞬のひらめきを具現化するような形で現れる。前半部と後半部を連結させる働きを持つが、おしゃれな響きを持ち合わせ、聴いていて、気持ちが沸き立つような一曲となっている。続いて、アルバムの中で唯一、ジア・マーガレットがギターを通してオルトフォークに取り組んだのが「Guitar Piece」である。

 

ここでは、黄昏の憂いのような雰囲気があらわされ、それがふと切ない気持ちを沸き起こらせる。シンプルなアルペジオで始まるアコースティックギターは途中で複雑な和音を経る。英語ではよく”脆弱性”とも称される繊細で切ない感覚は、レイヤーとして導入されるアンビエントのシンセパッドとピアノの装飾的なフレーズにより複雑な情感に導かれる。内省的で瞑想的な雰囲気に満ちているが、その奇妙な感覚は聞き手の心に染み入り、温かな感覚を授けてくれる。


「La langue de l'amitie」では、モダンクラシカルとエレクトロニカの融合が試みられる。基本的には、アルバムの他の収録曲のようにシンプルなピアノ曲ではあるが、トラックの背後にクラブ・ミュージックに代表される強いビートとグルーブ感を加味することで、クラシカルともエレクトロともつかない奇異な音楽が作り出される。ここではローファイ・ヒップホップのように、薄くフィルターを掛けたリズムトラックが軽快なノリを与え、シンプルで親しみやすいピアノの演奏にグルーブ感を与えている。例えば、日本のNujabesのようなターンテーブル寄りの曲として楽しむことが出来る。ここにはピアノ演奏者でもソングライターでもない、DJやエレクトロニックプロデューサーとしての制作者の一面が反映されている。


アルバムの終盤に到ると、前作の重要なテーマであったスポークンワードのサンプリングという形式が再び現れる。「2017」では、ポスト・クラシカルの形式を選び、多様な人々の声を出現させる。そこには、壮年の人の声から子供の声まで、幅広く、ほんとうの意味での個性的な声のサンプリングが絵画のコラージュさながらに散りばめられ、特異な音響空間を組み上げてゆく。年齢という概念もなければ、人種という概念もない。ピアノの伴奏は、それらのスポークンワードの補佐という形で配置され、様々な人々の声の雰囲気を引き立てるような役割を果たす。

 

「Apriil to April」は、エイフェックス・ツインの「April 14th」に対するオマージュであると推察されるが、ピアノの演奏にエレクトロの要素を重複させ、実験音楽のような音響性を作り出している。Aphex Twinの「aisatosana[102]」と同じように、鳥の声のサンプリングを取り入れ、アンビエントとエレクトロの中間点を探る。この曲は前者の二曲と同様に安らいだ感覚を呼び覚ます。


アルバムの最後に収録されている「Cinnamon」では、雨の音のサンプリングをグリッチ・ノイズの形で取り入れ、このアルバムの最初のテーマであるピアノの演奏に立ち返る。おしゃれな雰囲気に充ちたこの曲は、視覚的なサウンドアプローチにより映画のエンディングのような効果がもたらされている。そして、それはアルバムの序盤と同じように、徹底して制作者自らの感情を包み込むかのような温かさに満ちている。もちろん、それは細やかな小曲という形で、これらの音の世界は一つの終わりを迎え、更に未知なる次作アルバムへの期待感を持たせるのだ。


しかしながら、これらの調和的な音楽が、現代の人々に少なからず癒やしと安心感をもたらすであろうことはそれほど想像に難くない。それは現代人の多くがいかに自分の感覚を蔑ろにしているのかに気づく契機を与えることだろう。このアルバムでピアノを中心とし、制作者が追い求めた概念はきっと自らの魂を優しく抱きしめるということに尽きる。そしてそれは彼女自身が予期したように、多くの心に共鳴し、癒しと潤いの感覚を与えるという有益性をもたらすのだ。

 


88/100

 


Weekend Featured Track 「City Song」



Gia Margaretの新作アルバムはjagujaguwarより発売中です。ご購入/ストリーミングはこちらからどうぞ。

Weekly Music Feature

 

Hannah Jadagu

©︎Sterling Smith


高校を卒業してまもなく、Hannah Jadaguは、ベッドルームポップの新星としてみなされるようになり、2021年にデビューEP『What Is Going On』をリリースした。これは、当時、彼女にとって最も身近な制作方法であったiPhone 7で録音した正真正銘のベッドルームポップの楽曲集だった。作曲から完パケまでアーティスト自身が行つったこのEP作品は、音楽制作に対する親しげなアプローチと、忘れられないフックを書く本能的な能力が特徴であり、それはまたシンガーソングライター、Hannah Jadaguの主題の激しさを裏付けるものだった。

 

当時、Hannah Jadaguは、音楽の機材を買う余裕がなかったため、「低予算で作曲を行う必要があった」と回想している。しかし、限られた機材で音楽制作を行うことは、彼女のクリエイティビティを高める結果となった。学生として勉強に励む傍ら、プライベートの時間の中で録音された「What Is Going On?」 は、ジャダグの駆け出しのソングライターとしての初々しさが感じられる作品ではあったが、一方で、Hannah Jadaguの人間としての思いやりのある視点を通して、勇敢にも米国の最も緊急性のある闘争に立ち向かってみせたのだ。

 

「私の曲は、超親密でありながら、聞き手に対して普遍的な親近感を抱かせるものにしたいのです」とJadaguは述べている。「デビューEPでは、多くの人が個人的なレベルで曲に共鳴していると言ってくれましたが、実はそれこそ私が常に望んでいることなのです」この言葉は、シンガーソングライターをよく知る際、また彼女の作品に触れる際に最も重要視すべき考えとなるに違いない。また、先日のニューヨーク・タイムズのインタビュー記事でも、キャッチーであることや親しみやすい曲を作ることを最重要視していると念を押している。


2021年のEP「What Is Going On」はハナー・ジャダグにとって、シアトルの名門レーベルSub Popとの契約を交わして最初のリリースとなったが、彼女は何年も前から楽曲を自主制作し、出来上がった曲をSound Cloudで音楽を発信し、着実にオンラインファンを獲得し、ファンのベースを広げていった。

 

Hannah Jadaguのミュージシャンとしてのルーツは合唱隊に所属していた時代まで遡ることになる。しかし、かねてから、教会のゴスペルや聖歌のような音楽とは別の一般的な音楽の表現方法を探しもとめていた。その後、ギターの演奏を始めたというが、気楽なスタイルで行うことができるデバイスのデジタル・レコーディングの一般的な普及が、彼女をソングライティングへと駆り立てることになり、いうまでもなく、それはそのままプロのミュージシャンへの道のりへと直結していくことになる。学生時代に音楽制作を本格的に始めた契機について、Hannah Jadaguは次のように説明している。「中学校のバンドでパーカッションを担当するようになってから、だんだんと音楽の制作が軌道に乗っていきました。当初、曲作りは趣味で始めましたが、すぐにのめりこむようになって、自由な時間をすべてレコーディングに費やすようになりました」


今年の2月、Hannah Jadaguは、これまでで最も野心的な作品である『Aperture』をサブ・ポップからリリースすると発表した。テキサス州メスキートで高校を卒業したのち、ニューヨークで大学2年生になるまでの数年間に書かれた『Aperture』は、Hannah Jadaguの人生のひとつの節目を迎えたことを表すとともに、ミュージシャンとしての大きな転換期を迎えつつあることを物語っている。「私が育った場所では、みんなクリスチャンだったし、教会に行かなくても、何らかの形で修行をしていました」と、ジャダグは説明している。高校時代から教会との関係に疑問を抱いていたものの、アルバムの重要なテーマである「家族」については、教会でのドグマと一般的な社会での二つの観念を折り合いをつけるような意味合いが込められているようだ。


これは、よくあることだと思われるが、子供の頃から、Hannah Jadagu(ハナー・ジャダグ)は憧れであった姉の姿を追っていた。ソングライター自身が自らの人生の「設計図」と呼びならわす大きなインスピレーションの源である姉の背中を追い、地元の児童合唱団に参加し、さらに合唱の訓練を受けるようになったのである。「私はそれが嫌いだった。でも、ハーモニーの作り方、自分の音色の見つけ方、メロディーの作り方などを教えてくれたのは事実だった」

 

シングル「Admit It」はほかでもない、彼女が姉に捧げたトラックである。無限の愛と非の打ち所のないセンスは、Jadaguにとって子供の頃から依然として変わらない。かつて、Jadaguは姉の車で、後々、彼女の作品にインスピレーションを与える素敵なインディーズ・アーティストを発見するに至った。Snail Mailや Clairoの影響はこの曲にとどまらず、アルバム全体に反映されている。


「Lose」は、Jadaguが新しい人間関係を始めるときのスリルと、その根底にある得体の知れない恐怖について歌っている。シンプルで飾り気のないギターリフと素朴なピアノのコードを織り交ぜ、現代のインディーシンガーへの愛と憧れを表現している。彼女の言葉を借りれば、この曲は「クラシックなポップソング」であるという。「私たちがしてこなかったこと/私の心の中で再生される/あなたは私に時間を与えてくれる?」と歌い、終わりに近づくにつれて、スキッターのようなドラムビートが、曲を瞑想的な憧れの地点から引き剥がし、反抗の境地へと導いていく。


「このアルバムのトラックは、”Admit It"を除いて、すべて最初にギターで書かれたもので、インストゥルメンタルの雰囲気があります」とJadaguは述べている。「しかし、全体を通して使うシンセのブランケットは、私が感性の間を行き来するのを助けてくれた。ロックのハナシもあれば、ヒップホップのハナシもある、みたいな。とにかくどの曲もあまり似たような音にはしたくなかった」と、アルバムの制作の秘話を解き明かすHannah Jadaguであるが、この理念を象徴するのが「Warning Sign」となるだろう。イントロはアコースティックでR&Bのスローバーナーとして始まるが、途中から硬派なエレキギターが入り、曲はサイケデリックに似た曲調に変化を辿る。

 

結果的に、デビューアルバムの制作のために適切な費用を与えられたこと、プロデューサーがついたこと、アメリカを離れて海外でのレコーディングが行われたことは、制作の重圧を与えたというより、彼女のクリエイティビティを刺激し、感性を自由に解放するという良い側面があった。さらにハナー・ジャダグは、ソングライターとしての道を歩む上で、よりよい音楽を作りあげたいという願望も胸の内に秘めていた。「携帯電話でもう1枚アルバムを作れることはわかっていたのですが」とHannah Jadaguは言った。「特にこのデビュー作のため、確実にレベルアップしたかったんです」

 

アルバムの制作をさらに高いレベルに引き上げるため、フランスのソングライター兼プロデューサーであるマックス・ロベール・ベイビーが抜擢された。二人は、当初、メールでステムを送り合いながら、リモートで仕事を進めていき、最終的には、パリ郊外のグレイシー・スタジオで初めて出会った。当初、オンライン上のMIDIのデータの細かなやりとりで制作が開始されたが、パリでの対面の制作が進んでいくうち、両者は意気投合することになった。作品の全体には、ソングライターとエンジニアの双方の才覚が稲妻さながらにきらめいている。そして実際の音源を聴くと分かる通り、二人三脚といった形で、デビューアルバムは珠玉の完成品へと導かれたのだった。

 


『Aperture』 SUB POP


 

 

ガレージバンドで音楽制作を始め、iphone 7で完パケをするというハナー・ジャダグらしいインディペンデントのソングライティングのスタイルは、このデビュー作でもしたたかに受け継がれている。端的に言えば、Guitar Rigのように、一般的なエフェクターでも容易に作り出せるシンプルで親しみやすいギターサウンドーー、アーロ・パークスにも比する甘くキャッチーな音楽性ーー、ポップスとR&Bとロックを変幻自在に行き来する柔らかいボーカルラインーー、それからヒップホップのブレイクビーツの要素を織り交ぜた先鋭的なリズムやビートーーという四つの要素が分かちがたく結びつき、アルバム全体の音楽の構成を強固に支えているのだ。

 

まず、このデビューアルバムは、じっくりと音楽を聴きたいリスナー、そして多くの時間を割けないため、Tik Tokで音楽を素早く聴くというリスナー、その双方の需要に応える画期的な作品となっている。自宅のオーディオスピーカーで時間をかけて聴いても良いし、友達とTik Tokふうに短い時間で楽しむのも良いし、夜のドライブで流しても楽しめる、いわば条件や環境、時と場所に左右されない時代を超越したポピュラーミュージックである。また、イギリスのエド・シーランが普及させたベッドルームポップの形、曲を一人で書いて、レコーディングし、それを万人に楽しめる洗練された製品としてパッケージするという制作方法は、現代の音楽産業を俯瞰した際、度外視することが難しいスタイルをふまえている。また90年代や00年代の音楽制作とは異なり、現代的な音楽産業の需要に対する供給という概念がこのアルバムには通底している。そのことが、特にこの作品を語る上で欠かせないポイントとなるかもしれない。

 

現代的なポピュラー音楽という概念は、必ずしも、使い捨ての消費のための音楽を示すとは限らない。万人が楽しむことができると共に、長い年月に耐え、後の時代になっても音楽としての価値を失わない作品を作り出すことは、(一見、不可能のようで)不可能ではないと、Hannah Jadaguはこのデビューアルバムを通じて示唆している。


アルバムの始まりを飾るにふさわしい「Explanation」は、Clairoの書くような柔らかさと内省的な雰囲気に充ち、Hannah jadaguの音楽的なバックグランドが力強く内包されている。インディーポップの要素を絡めたグルーブ感満載のバックビートには、児童合唱団での音楽体験が刻まれ、それは曲の中でふいにゴスペルという形で現れる。繊細ではあるものの、ダイナミックス性を失わないHannah Jadaguのソングライティングの魅力が遺憾なく発揮されている。


二曲目の「Say It Now」は、内省的な雰囲気を受け継ぎ、ベッドルームポップの影響を散りばめ、美麗なオルタナティブポップを作り出している。イントロからサビにかけてのリードシンセを織り交ぜた壮大なスペーシーな展開は、新しいポップスのジャンルの台頭を予感させ、未来の音楽への期待をもたせるとともに、Hannah Jadaguの才気煥発な創造性を見出すことが出来るはずだ。

 

 

 

さらに驚くべきは、(空耳ではないことを願いたい)ソングライターが日本語歌詞を歌う3曲目の「Six Months」である。この曲は、アルバムの中で最もガーリーなポップとして楽しむことができる。オートチューンをかけたボーカルを通じて繰り広げられるスロウテンポのまったりしたインディーポップソングは、サビの終わりを通じて「Ikiteiru、Shake Your Time」と軽快に歌われている。ここには、”Alive”を意味する”生きている”という言葉により喜びがシンプルに表現され、部分的に日本語の持つ語感の面白さを織り交ぜ、それをダイナミックなポップソングへと仕上げている。特に、ストリングス風のシンセのアレンジとクランチなギターの融合は本当に素晴らしく、プロデューサーのマックス・ロベール・ベイビーの手腕が光る一曲となっている。

 

その後もファズギターを主役としたダイナミックなロックソングが続いている。4曲目の「What You Did」は、Soccer Mommy、Snail Mailといったインディーアーティストの影響を感じさせると共に、ダイナミックなギターフレーズはサブ・ポップの90年代のグランジの雰囲気に満ちているが、シンガーソングライターはそれを親しみやすいベッドルームポップに昇華している。


5曲目の「Lose」においても、Snail MailやIndigo De Souzaと同じように、現代の若者の心境を上手く捉えつつ、親しみやすいインディーポップソングとして昇華している。ここには駆け出しの頃、(ひとつずつサンプル音源のトラックを重ねていく)ガレージバンドでの音楽制作を行っていたアーティストらしい矜持が表れている。イントロのインディーロック風の曲調から、サビにかけてのクランチなディスコポップへのダイナミックな移行は、聞き手に強いグルーブ感を授けてくれるだろうと思われる。

 

Hannah Jadaguは、アルバムの制作を通じて、「音楽の国境を越えて、ジャンルレスであることを示したかった」と語っているが、そのことがよく理解出来るのが6曲目の「Admit」となるかもしれない。ここにはインディーロック/ポップを始めとするサブカルチャーから踵を返し、メインカルチャーへの親和性を示し、アーティストのモダン・ポップへの愛着と敬意が表されている。Arlo Parksのソングライティングの方向性に近いこの曲では、シンプルなビートを織り交ぜながら、最終的にはポップバンガーにも似た多幸感溢れる雰囲気のあるサビへと直結していく。現代的なフレーズの語感を多分に含ませつつ、そこに少し甘く可愛らしい雰囲気を加味しているが、アルバムの中では、アーティストの最も夢見るような思いが込められた一曲となっている。

 

7曲目の「Dreaming」では、一転してそれ以前のクランチなギターが印象的なインディーロックアーティストとしての姿に舞い戻っている。この曲は、ポップシーンの最前線をいくノルウェーのGirl In Redの音楽とも無関係ではない。アルバムの冒頭と同様にベッドルーム・ポップの性質が際立っているが、その根底にあるのは90年代の米国のオルトロックへの憧れだ。J Mascisのトレモロギターの影響を織り交ぜて、乾いた感じのギターロックと柔らかいボーカルが強い印象を放っている。さらに、メロからサビに掛けての奇妙な弾けるような感覚もまた心地よさをもたらすだろうと思われる。


Hannah Jadaguは、その後もジャンルレスの形で縦横無尽に音楽性の広範さを示している。「Shut Down」では、かつての人間関係に別れを告げるような曲で、それを親しみやすい現代的なインディーフォークというスタイルで象ってみせている。曲の途中に導入されるスペーシーなシンセは、シンプルなギターラインと絡み合い、複雑な感情を絡め取っているが、この内省的なロックソングを通じてアーティストの悩ましげな感覚を読み取くことができる。飽くまで個人的な感情が示されているだけなのに、それと同時に多くの若者の心に共鳴するものが少なからず込められていると思われる。しかし、これは上辺の心ではなくて、製作者の本心からの思いを歌詞や歌の中に純粋に込めているからこそ、多くの人の心を捉える可能性を秘めているのである。

 

アルバムは、その後も緊張感をゆるめず、一貫したテンションが続いている。これは制作過程の製作者とプロデューサーの両者の集中力がある種のセレンディピティとして反映された結果である。アルバムの先行シングルとして公開された「Warning Sign」では、シンガーソングライターのR&Bやファンクの影響が最も良く表れている。ここでは、先週のマディソン・マクファーリンのように、現代的に洗練されたメロウなソウルと、ベッドルームポップの融合を見出すことができるはずだ。若い時代のゴスペルや合唱をはじめとする、これまで歌手が疎んじてきた経緯のある古典的な音楽に、ジャダグはあらためてリスペクトを示し、それを一般的に親しみやすく、センチメンタルなポップソングへと再構成し、ジャズ寄りのソウルにブレイクビーツの要素を絡めることにより、英国のソングライターCavetownに比する先鋭的な作風を確立している。さらに、この曲は、アルバムの中で最もソングライターとプロデューサーの良好な協調性が美しく表れ出た瞬間のように思える。後続曲も同様であり、楽曲のスタイルが変わろうとも、両者の連携は非常に緊密で力強さがあり、トラックの洗練度にそれほど大きな変化はないのである。

 

最後に、このアルバムはフランスのパリで録音されたわけだが、はたして、いわゆるヨーロッパ社会のエスプリのような気風はどこかに揺曳しているのか? そのことについてはイエスともノーとも言いがたいものがあるが、実際にパリで録音された余韻も含まれていることが最後になると少し分かるようになる。クローズ・トラックとして収録されている「You Thoughts Are Ur Biggest Obstacle」 では、シンプルなバラードにも近い哀愁ある雰囲気を通してアーティストらしいエスプリを精一杯表現している。


ここには、パリの街を離れる時が近づくにつれ、その国が妙に恋しくなる、そんな淡い感性が表されている。つまり、Hannah Jadaguという歌手がヨーロッパに滞在した思い出をしっかりと噛み締め、その土地の追憶に対してやさしげに微笑むかのように、アルバムのエンディングを美麗に演出している。曲の最後に、オートチューンをかけたボーカル、シンセとピアノのフレーズの掛け合いが遠ざかっていくとき、不思議とあたたかな感覚に満たされ、爽やかな風が目の前を吹きぬけていくように感じられる。このエンディング曲に底流する回顧的なセンチメンタリズムこそ、シンガーソングライターの才能が最大限に発揮された瞬間となる。そもそも追憶という不確かなものの正体は何なのだろう、それはフランスの作家マルセル・プルーストが言うように、"人生の中で最も大切にすべき宝物"の一つなのだ。本作は、そのことをはっきりと認識できる素敵なアルバムとなっている。

 


 92/100

 


Weekend Featured Track 「Six Months」


 

 

『Aperture』はSub Popから発売中です。レーベルのメガマートでのアルバムのご購入/ストリーミングはこちら

Weekly Music Feature

 

Madison McFerrin


 

 

ソウルミュージックの潮流を変える画期的なデビューアルバム

 

 2016年12月、ブルックリンを拠点とするシンガーソングライターは、ソロデビューEPの「Founding Foundations(ファウンディング・ファウンデーションズ):Vol.1」で、魂のこもったアカペラを世界にむけて発信した。すると、批評家やファンがすぐに彼女に注目するようになった。ニューヨーク・タイムズ紙は先陣を切るようにして、チケットの売り切れ続出となったJoe’s Pub(ジョーズ・パブ:ニューヨークの高級パブ)での彼女の公演に着目し、彼女のサウンドについて、「驚くべき歌唱力の器用性、緩急のあるはっきりと発音されたスタッカートから、ひらひらとはためくフリーフォームなメリズマへと変幻自在である」と評したのだった。


 流行仕掛け人であるDJのGilles Peterson(ジャイルス・ピーターソン)は、彼女の曲を聴くや否や、彼のアルバムBrownswood Bubblers(ブラウンズウッド・バブラーズ)の編集曲に加えるために彼女の傑出したトラック「No Time to Lose,(ノー・タイム・トゥ・ルーズ)」をすぐに選曲した。彼女はこの流れに続き、2018年2月、「Finding Foundations(ファウンディング・ファウンデーションズ):Vol.2」のリリースを発表すると、ファンから大好評を得ると同時に、多くの批評家から賞賛を得た。Pitchfork(ピッチフォーク)の人気急上昇中アーティストのプロフィールでは、「生命力溢れる声とその歌唱力の器用性には注目せずにはいられない」と評された。


 マディソン・マクファーリンは、デビューアルバム「I Hope You Can Forgive Me」を発表した際、新曲「(Please Don't) Leave Me Now」とミュージックビデオを公開した。"(Please Don't) Leave Me Now "は、2021年に彼女がパートナーと共に経験したトラウマ的な出来事を掘り下げた、鮮やかで別世界のようなミュージックビデオとともに到着した。アンドリュー・ラピンがプロデュースしたこの曲は、激しい交通事故に耐えて、自分の人生を奪うか、永遠に変えてしまうかもしれないような瀬戸際を生き延びたことを振り返った後に書かれた。ジャジーなパーカッション、ファンクとネオ・ソウルのヒント、そして力強いメッセージが込められた「(Please Don't) Leave Me Now」は、さらなる時間を求め、恐怖と複雑さに縛られた感謝の気持ちを表現している。


 マディソンは、「(Please Don't) Leave Me Now」とそれに付随するミュージックビデオについて次のように考えている。


臨死体験から身体的危害を受けずに立ち去ることができたことは、私がこの人生で受けた最大の恩恵のひとつです。アーティストとしての目的も再確認できた。Please Don't Leave Me Now』を書くことは、信じられないほどの治療とカタルシスの体験になった。楽しい環境を作りながら、そのような恐怖を表現できることが、この曲を作る上での鍵だった。


このビデオ制作の過程で、死はさまざまな形で現れました。撮影までの数週間、制作サイドの複数の家族が突然亡くなり、計画がストップしてしまった。このビデオの運命は流動的でした。しかし、チームの粘り強い努力のおかげで、遅ればせながら体制を立て直し、前に進むことができました。


ビデオでは、「死ぬ覚悟がない」という感覚を表現したかった。墓の上と中の両方にいる自分に語りかけ、自分が何者であったか、そして何者であるべきかを悲しむのです。1日に何時間も墓の中にいることが私に影響を与えるとは思っていませんでしたが、臨死体験を処理する旅に貢献したことは間違いありません。この曲とビデオは、ミュージシャンとしてだけでなく、人間としての私自身の成長の現れなのです。


 マディソンのデビュー作「I Hope You Can Forgive Me」は、変化し続ける世界的な流行病の中で、即興演奏やセルフプロデュースの方法を見つけ、彼女のキャリアの進化を表している。初期のファンを魅了したアカペラ・プロジェクト(Finding Foundations Vol.IとII)に続き、兄のテイラー・マクフェリンとコラボレーションしたEP『You + I』では、初めて楽器を使ったプロジェクトとなった。


 『I Hope You Can Forgive Me』は、愛、自己保存、恐怖、呪術といったテーマを探求しながら、サウンド的に次のステップを構築している。大半の曲はマディソンがプロデュースしており、パンデミック時に磨きをかけた新しいスキルである。プロデューサー、アレンジャーとしてだけでなく、ベース、シンセを演奏し、いくつかの曲でバックグラウンドボーカルを担当するなど、楽器奏者としても活躍している。アルバムには、彼女の父親のボビー・マクフェリンが参加しています。


 昨年末、マディソンはグルーヴィーでソウルフルなシングル「Stay Away (From Me)」を鮮やかなビジュアルとともに発表し、催眠的でダンサブルなインストゥルメンタルと現代の不確実性や不安との闘いに取り組む歌詞を芸術的に並列させた。シンガーソングライター・プロデューサーは、「(Please Don't) Leave Me Now」でも、幽玄なボーカルと美しいメロディ、エレクトロニック、ポップ、ジャズ、ソウルを融合させ、確かなテクニックと表現力の深さを表現し続けている。


 3枚のEPと複数のコラボレーションに及ぶインディーズキャリアを通して、マディソンはニューヨークタイムズ、NPR、The FADER、Pitchforkから賞賛を受け、2018年の”Rising Artist”に選出された。


 彼女の芸術性は、クエストラブが彼女の初期のサウンドを "Soul-Apella "と呼ぶに至った。有名なCOLORS Studioのプラットフォームでの心揺さぶるパフォーマンスに加え、マディソンはリンカーン・センター、セントラルパークのSummerStage、BRIC Celebrate Brooklynでパフォーマンスを行い、デ・ラ・ソウル、ギャラント、ザ・ルーツといったアーティストとステージを共有している。


 2021年にはBRICジャズフェスティバルのプログラムを共同企画し、2022年にはブルックリンブリッジパーク・コンサーバンシーとイニシアチブを組み、パンデミックのトラウマを癒すために必要なスペースを提供した。

 

 また、昨年秋のEUツアーでは、ロンドンとパリでのソールドアウト公演で多くの観客を魅了し、ステファン・コルベアの#LATESHOWMEMUSICシリーズでライブ演奏した「Stay Away (From Me) 」をリリースし、コロナキャピタルフェスティバルにデビューした。さらに、2023年の新曲リリースに先駆けて、ニューヨークとLAでソールドアウトしたライブで観客を圧倒した。

 


『I Hope You Can Forgive Me』

 

 


 最近のヒップホップについても同様ではあるが、ソウルミュージックもまた一つの時代の中にある重要な分岐点を迎えつつある。イギリスのロンドンもネオ・ソウルを始め、多様なジャンルのクロスオーバーやハイブリッドが常識となりつつある現代のブラックカルチャーにおいて、ブルックリンのマディソン・マクファーリンほど現代のミュージック・シーンを象徴づけるアーティストは他に見当たらない。マディソン・マクファーリンは、既に現地のパーティーでは著名なアーティストになりつつあり、ニューヨークの耳の肥えた音楽ファンを惹きつけてやまない。近頃開催されたライブでは、ステージの目の前までファンが詰めかけるようになっているという。現地の音楽メディアにとどまらず、一般的な音楽ファンの心を捉えつつあるようだ。

 

 そもそも、 R&B自体のルーツがそうであるように、マディソン・マクファーリンはみずからをブラックカルチャーの継承者として位置づけているようである。そして”Soul-Apella”という一般的にあまり聞き慣れない新しいジャンルの呼称は、歌手のスタンスの一片を物語るに過ぎない。New York TImes、Pitchforkを筆頭に、現地の耳の肥えた音楽メディアを納得させた二作のEPに続いて発表されたデビュー・アルバムは、このシンガーソングライターの知名度を世界的なものとする可能性を秘めている。さらにその実際のメロウな音楽性や鋭いグルーブ感は予想以上に多くのファンを魅了するであろうし、もちろん、旧来のBlue Noteの音楽ファンのようなソウル・ジャズの音楽ファンをも熱狂の中に取り込む可能性を多分に秘めているということなのだ。

 

 上述したように、マディソン・マクファーリンは、ソウルミュージックの新進シンガーを目ざとく発見するジャイルズ・ピーターソンが太鼓判を押すという点では、ロンドンのR&Bシンガー、Yazmin Laceyを思い起こさせる。そして、歌に留まらず、ベースやシンセを始めとする楽器演奏者であることも、(プリンス・ロジャーズ・ネルソンのように)彼女のスター性を物語るものとなるかもしれない。そして、彼女の歌声はモダンな雰囲気も漂うが、他方、クラシカルなソウルのスタイルをはっきりと踏襲していることが分かる。ヘレン・メリルのメロウさ、フィッツジェラルドの渋み、ジョニ・ミッチェルの深み、そして現代のクラブ・ミュージックに根ざした心地よいグルーブ感、アカペラの音楽を始めとするブラックミュージックの系譜が複雑に絡み合うことにより、聞き手の琴線に触れ、その感性の奥深くに訴えかけるものとなっているのだ。

 

 そもそも、マディソン・マクファーリンの曲作りは歌詞から始まるわけではなく、まず最初にグルーブ、そして、ビート、コードがあり、その次にメロディーがあり、最後に歌詞がある。しかし、デビュー作『I Hope You Can Forgive Me』を聴いてわかることは、ソウル・ミュージックを構成する複数の要素はどれひとつとして蔑ろにされることなく、音楽を構成する小さなマテリアルが緻密な合致を果たし、Yaya Beyにも比する隙きのないスタイリッシュなソウルが組み上げられる。その結果として、聞きやすく、乗りやすく、親しみやすい、メロウでムードたっぷりのブラック・ミュージックが生み出されている。この鮮烈なデビューアルバムをお聞きになると分かるように、音、リズム、歌詞の細部のニュアンスに到るまで都会的に研ぎ澄まされ、レコーディングを通じて、いかにもニューヨークらしい洗練された雰囲気が滲み出ている。実際の歌の情感は、聞き手の心の奥深くに強固な印象を与え、アルバムを聞き終えた頃にはマディソン・マクファーリンという名が受け手の脳裏にしかと刻み込まれることになるのだ。


 えてして、傑出したアーティストやシンガーは時に不幸な出来事に見舞われる場合がある。デビュー直前に声帯を痛めたシンディー・ローパーは言わずもがな、マディソン・ マクファーリンも交通事故に遭った後に、歌手としての道に返り咲いた。しかし、言っておきたいのは、この出来事は、ゴシップとして取り上げようというわけではない。これは歌手の重要なテーマである内面の葛藤、自己肯定感についての探究と結びついて、アルバムの欠かさざる重要な音楽性ともなっている。つまり、歌手が語るように、「自分の素晴らしさを受け入れ、ただそれに向かって進んでいき、導入された他の構造が自分よりも優れているなどと考えることはやめてほしい。それがあなたがするべきことなのです」というメッセージ代わりともなっているのである。

 

 これらのマクファーリンが実際に体験した出来事やアイデンティティーの探究という二つの重要なテーマやコンセプトはアルバムの音楽の中に目に見えるような形で反映されていることに気がつく。

 

 オープニングを飾る「Deep Sea」は、アルバムのイントロダクションのような役割を持ち、アンビエント風のバックトラックと彼女自身のコーラスワークにより、ダークでミステリアスな感慨が増幅され、聞き手に次に何が来るのかという期待感を持たせる。その次にイントロの導入部を受け、グルーヴィーなソウルミュージックが展開される。2曲目の「Fleeting Melodies」は、ニューヨークのインディーフォークの影響化にあり、マクファーリンは現代的なソウルを要素を絡め、新旧のポピュラー・ミュージックの魅力を引き出すことに成功している。ムーディーでメロウなボーカルと心地よいバックトラックの合致は快い気持ちを授けてくれるはずである。

 

 そして、マディソン・マクファーリンは最近の流行りのネオ・ソウルの一派とみずからの音楽が無関係ではないことを、3曲目の「Testify」で示している。ここでは、UKソウルやクラブミュージックの一貫にあるベースラインやダブステップの変則的なリズムの要素を交え、前の2曲と同じように、メロウで伸びやかなボーカルで曲の雰囲気を盛り上げている。多幸感がないというわけではないが、この曲は、部分的にストリングスがアレンジで導入されるのを見ても分かるように、踊るための音楽にとどまらず、静かに聞き入らせるIDMの要素を兼ね備えている。これが聞き手の心をこのアルバムに内包される世界の中に留めておく要因ともなろう。そして、伸びやかなボーカルとコーラスがコアなグルーブと合致し、色鮮やかな印象をもたらす。 曲の最後に歌われる、ありがとうというシンプルな言葉はアーティストの生きていることへの感謝を表しいている。しかし、その簡素なフレーズは他のどの言葉よりも胸を打つのである。

 

 続く、「Run」は、彼女の父親であるボビー・マクファーリン氏が参加した一曲である。アカペラ風の歌唱で始まるこの曲は、現代のネオソウルのボーカルスタイルと結びつき、そして先鋭的なエレクトロニカのバックトラックと重なりあいながら、イントロからは想像しがたい独創的なトラックへと昇華される。ときおり、ボーカルサンプリングとして導入される彼女の父親、ボビーのボーカルは抑揚のあるマディソンとのボーカルと溶け合い、甘美なアトモスフェールを生み出している。それに続く「God Herself」は、アカペラを踏襲した気品のあるソウルミュージックとして始まるが、これは神なるものへの接近を示すと共に、マクファーリンが自分に自信を持つことの重要性を示しているのではないだろうか。生者としての喜びと生存することにおける大いなる存在への感謝が、この完結なビネットには収められているというわけなのだ。

 

 その後、「OMW」では、エレクトロニカの要素を交えたモダンソウルが続くが、浮足立った雰囲気を避け、しっとりとしたバラードに近い、落ち着いた曲調へ移行していく。しかしソングライターが志向するリズム/グルーブの要素が、流動的な生命感を与え、序盤と同様に、聴かせると共にリズムに合わせて踊る事もできるハイブリッドな音楽として昇華されている。また、言ってみれば、色彩的なメロディーやコードの進行により、表向きの音楽世界よりも一歩踏み込んだ幽玄な領域へと聞き手を引き込む力を持ち合わせている。これらの中盤の展開を通じて、マディソン・マクファーリンは彼女自身の歌声によって傑出した才質を示しているのである。 

 


「(Please Don't) Leave Me Now」

 

 

 先行シングルとして公開された「(Please Don't) Leave Me Now」は、今作の最大のハイライトとなり、また歌手が持つ才覚を最大限に発揮したトラックである。おそらく、彼女の今後のライブで重要なレパートリーとなっても全然不思議ではない。この曲では、現代的なネオソウルのビート、及び、7.80年代のミラーボール・ディスコの陶酔感を融合させ、裏拍の強いグルーヴィーなポップソングとして仕上げている。サビの最後で繰り返される「Leave Me Now」というフレーズは、バックトラックのグルーブ感を引き立て、このアルバムを通じて繰り広げられる臨死体験のテーマを集約させている。曲の途中に導入されるミステリアスなストリングスから最初のイントロのフレーズへの移行は、捉え方によっては、オープニング曲「Deep Sea」と同じく、アーティストが体験した生存が危ぶまれた出来事を別のスタイルで表現したとも解釈できる。

 

 その後の「Stay Away」は、アルバムの中で、最もグルーヴィーな一曲として楽しむことができる。ブラジル音楽の軽妙なリズムを取り入れて、フュージョン・ジャズ、アフロ・ビートとして昇華し、新鮮なソウルミュージックを提示している。マディソン・マクファーリンはなるべく重いテーマを避け、軽妙なビートとグルーブ感を押し出し、ライブへの期待感を盛り上げまくっている。更に続く、「Utah」では、現在のミュージック・シーンのトレンドを踏まえ、オーバーグラウンドのソウルアーティストへの深い共感や親和性を示し、それに加え、アフロビート風の民族音楽のリズムを取り入れることで清新な作風を提示していることに注目しておきたい。

 

 最後に収録されている「Goodnight」は、デビュー作としてきわめて鮮烈な印象を残す。一曲目「Deep Sea」のスピリチュアルな雰囲気と連続しているこのクローズ曲は、リスナーを神秘的な瞬間へと導く。


 マディソン・マクファーリンは、Blue Noteの系譜にあるジャズ・ソウルと旧来のブラック・ミュージックのバラードが刺激的に合致したこの曲で、ハスキーなビブラートとミステリアスな雰囲気を合致させ、「ニューヨークのため息」とも称される同地のジャズ・シンガー、Helen Merrill(ヘレン・メリル)の「Don’t Explain」に匹敵する傑出した才覚を発揮したとも言えるのではないだろうか。いずれにせよ、彼女の歌声は近年のソウルアーティストの中でも異質で、聞き手を陶然とした境地に導く力を持ち合わせている。マディソン・マクファーリンは2020年代のソウル・ミュージックシーンの中で最重要視すべきシンガーであることは確かなのである。 


 

95/100

 

 

Weekend Featured Track「Goodnight」

 

 

『I Hope You Can Forgive Me』はMadmacferrin Musicより発売中です。楽曲のストリーミング/ご購入はこちらより。


Weekly Music Feature


Atmosphere


Atmosphere

Atmosphere(アトモスフィア)のラッパーのSlug、そしてプロデューサーのAntは、デュオとして25年以上にわたって、アンダーグラウンドヒップホップ界に組み込まれた遺産を築きあげてきた。

 

ミネアポリスで頭角を現した彼らのデビューアルバム『Overcast!』は、1997年にリリースされた。2000年代初頭には、Slugがインタビューで冗談交じりに「エモ・ラップ」という言葉を発したところ、出版物がこのジャンルのタグを付けて彼らや他のアーティストを紹介するようになった。


デビュー以来数十年間、アトモスフィアは厳格なアウトプットを続け、20枚以上のスタジオアルバム、EP、コラボレーションのサイドプロジェクトをリリースしてきた。デュオは、正直さ、謙虚さ、脆弱さを音楽の前面に押し出すことで遺産を築いて来た。


Slugは、ストーリーテリングと説得力のある物語を書くことに長けており、自分を形成するのに役立ったラッパーやソングライターに敬意を払いながら、自分自身の影響の跡を残している。一方、Antは、ソウル、ファンク、ロック、レゲエ、そしてヒップホップのパイオニアであるDJやプロデューサーの技からインスピレーションを得てサウンドトラックを巧みに作り上げ、彼自身のトレードマークとなるサウンドを生み出し、人生、愛、ストレス、挫折についての歌にパルスを与えている。


アトモスフィアの本質は、音楽的な羊飼いであり、人生というものを通して何世代にもわたってリスナーを導いてきた。2023年の最新アルバム『So Many Other Realities Exist Simultaneously』は、おそらくアトモスフィアにとってこれまでで最も個人的な作品を収録している。リードオフ・トラックの "Okay "は、リスナーを慰め、安心させることに重点を置いている。最近の作品よりも穏やかなアプローチでこの壮大なオデッセイは始まる。


Antがこれまでリリースした作品の中でも最もきらびやかなプロダクションにのせてSlugがラップするこの曲は、アルバム全編に渡っての意識改革の基礎となる。しかし、アルバムが始まったと同時に、紛れもない不安感が最初からあり、SlugとAntが不眠症と悲哀という抽象的なテーマをリスナーに織り込みながら、このプロジェクトを通して進化し続けるのである。


「Dotted Lines」のような繊細なパニックから「In My Head」のようなあからさまな不安まで、各曲の不安は紛れもないものである。ただそのなかで涙が溢れてきたとえしても、「Still Life」のような曲で再び解決できる。

 

一方、「So Many Other Realities」のリズムはアトモスフィアのキャリアの中でも最も独創的だ。「In My Head」でのAntの遊び心溢れるパーカッションは、荒れ狂う楽曲の良いカウンターウェイトとして機能しており、「Holding My Breath」と「Bigger Pictures」でのドラムパターンは、Slugのフローに遊びを加え、このアルバムを牽引する不安感を強調する。


アトモスフィアのキャリアの中で最も新しいこのアルバムは、家族、兄弟愛、目的といった人生の最も意味のある部分を強調しているが、『So Many Other Realities』は、市民の不安でいっぱいになったパンデミックに疲れた社会の一般的な倦怠感からインスピレーションを得て、ある種のパラノイアを発掘した作品である。これらの曲の緊張感は手に取るようにわかるが、このアルバムが存在するだけで、最もストレスの多いエピファニーの根底にある希望が証明されるのである。


アトモスフィアがキャリアを通じて取り続けた最大のリスクは、繊細であること、そして恐れないことであった。スラッグとアントがアンダーグラウンドのヒップホップシーンに参入して以来、世界は想像を絶するほど変化したが、音楽と文化の激変にもかかわらず、彼らは賢しい革新性と真実に根ざした基盤を強く保ってきた。


このデュオの絶え間ないリリースとツアーのスケジュールは、ストーリーの一部を語るに過ぎないが、新しいファンであれ、長年のリスナーであれ、彼らのレコードと時間を過ごすことで、臆面もなく自己表現するために創造し生きることを愛する2人の友人の姿が見えてくるはずだ。


彼らの人生に対する率直な考察と、生きる価値を生み出すありふれたトラウマや喜びは天からの贈り物であり、それ自体がアトモスフィアの遺産である。もし明日、音楽が止まってしまっても、このデュオは、エブリマンラップの流れを永遠に変えた、ミネアポリスのラップの巨人として後世に語り継がれることになるだろう。



 『So Many Other Realities Exist Simultaneously』




Atmosphereの最新作『So Many Other Realities Exist Simultaneously』は、ほとんどジャンルを規定づけることが困難な作品である。


”同じ瞬間に数多くの現実が存在する”というタイトルは、まさに、SlugとAntがこの作品に込めたかった主なテーマとなる概念が内包されている。このアルバムには、トラウマや不安や恐怖といった人間のダークな感情から、安心や愛、友情などヒップホップの原初的なテーマまで幅広く象られている。つまりアトモスフィアはアルバムの制作を通じ、人間の持つ多彩な感情の側面を二人の得意とするヒップホップを中心にし、実際のサウンドに反映させようと試みたとも言えるのである。それは人間や人生の持つカラフルな側面が実際の音楽にも顕著な形で反映されていると思う。

オープニング曲「Okay」は、本作の中で最も爽快なラップソングとして楽しめるはずだ。デュオは、デ・ラ・ソウルの旧作を彷彿とさせる明るく爽やかな雰囲気に溢れたヒップホップトラックを作品の冒頭と最後にリメイクという形で配置しており、彼らは生きる喜びや感謝をトラックのリリックやビートにシンプルに取り入れようとしている。淡々としているが、時々、導入されるグロッケンシュピールやギターのフレーズは、Slugのフローに爽やかさと可愛らしさを付け加えている。

 

20曲という凄まじいボリュームのアルバムは爽やかな雰囲気で始まった後、まるで人間そのものの感情や、人生の複雑さを反映させるかのように、複雑な様相を呈する。


二曲目の「Eventide」は、最近のアーバンフラメンコを想起させるスパニッシュの雰囲気を交えたトラックである。ただ、この曲は、トレンドに沿ったラップというより、反時代的な概念が込められている。一曲目と同様、DJのターンテーブルのスクラッチの技法を交え、現代という地点から少し距離を置き、オールドスクールの時代に根ざしたコアなラップを展開させていく。

 

「Okay」 

 

 

 

続く、三曲目の「Sterling」は、1970年代後半にニューヨークのブロンクスの公園でオランダの移民のDJや、近所に住んでいるB-Boys(Girls)たちが自分たちの好きな音楽を持ち込み、カセットラジオで鳴らしていたような原初的なオールドスクールのヒップホップである。

 

アトモスフィアのデュオは、ファンカデリックのような70年代のPファンクをサンプリングとして活用し、それをラップとして再構成している。リリックのテンションは、しかし、現代のシカゴのクローズド・セッションのアーティストに近い雰囲気がある。サンプリングの元ネタは新しくないにも関わらず、デュオのトラックメイクやラップは鮮やかな感覚を湧き起こらせるのだ。

 

この後、アトモスフィアは無尽蔵のジャンルを織り交ぜながら、アルバムの持つストーリー性を発展させていく。ジャズ、エスニック、ファンクと、彼らは無数のジャンルを取り入れ、ラップソングとして昇華してしまう。

 

「In My Head」は、モダンなラテン音楽の気風を受けたラップソングだが、70年代周辺の懐古的な音楽の影響を反映させている。さらにデュオは、Bad Bunnyのように、レゲトンやアーバンフラメンコに近いノリを意識しつつも、オールドスクールの熱っぽい雰囲気をラップの中に織り混ぜている。続く「Crop Circles」は、その続編となっていて、アトモスフィアはサイケデリアの要素を交えた世界を探究する。トラックの中に挿入される逆再生のディレイは、AntのDJとしての技術の高さと、ターンテーブル回しのセンスの良さを感じ取ることができる。

 

続く、七曲目の「Portrait」で、Slugは前のめりなスタイルで歌うが、その一方で、ライムやフロウの情感は落ち着いており、沈静や治癒の雰囲気に満ちている。Slugによる程よいテンションのリリックはチルアウトに比する落ち着きをリスナーにもたらす。聴いていて安堵感を覚えるようなトラックだ。

 

アルバムの前半部は、アトモスフィアの多彩な音楽の背景を伺わせるヒップホップが展開されていく。これはデュオの旧作や前作のアルバム『Word?』とそれほど大きな差異はないように感じられる。ところが、中盤に差し掛かると、旧来のファンが意外に思うようなスタイルへと足取りを進める。特に、アルバムの中では前衛的なアプローチである「It Happened Last Morning」では、Kraftwerkやジャーマン・テクノと現代のラップミュージックを融合させ、前衛的な音楽を生み出している。Slugのライムは勇ましく希望に満ちている。

 

その後、アトモスフィアは、反時代的な音楽を提示しつづける。アルバムの持つ世界はセクシャルな領域に入り込み、タブーという概念すら飛び越えていく。そのキャリアの中で異色の曲に挙げられる「Thanxiety」はセクシャリティーの本来の魅力を礼賛しようとしている。バックビートに搭載されるSlugのリリックは「Portrait」のスタイルに回帰しているが、七曲目とは別の質感に彩られ、彼等はやはりラップとテクノの融合に取り組んでいる。アウトロのテクノ調のシンセサイザーのディケイは、次の曲の呼び水ともなっている。

 

最も奇妙な曲が「September Fool's Day」である。前曲と同様に女性ボーカルのサンプリングを織り交ぜ、Slugのラップとともにセクシャルな世界観が構築されている。アトモスフィアは、パンデミックのロックダウンの時代を回想するかのように、2020年の悪夢的な世界をラップソングとして昇華している。また、この曲はリスナーを幻惑の境地へと誘い込む力を持ち合わせている。


ループの要素を持つ女性ボーカルのセクシャリティーと、それとは相反するSlugの迫力があるフロウの融合は多幸感をもたらし、クライマックスのカオティックな展開へと劇的に引き継がれ、その最後には「Don’t Never Die」というフレーズが繰り返される。真夜中から明け方にかけてのダンスフロアのような狂乱の雰囲気にまみれた曲が終わり、静寂が訪れた後、リスナーは我にかえり、パンデミックの時代が背後に遠ざかったという事実を悟る。表向きにはダンサンブルな快楽性を重視した曲でありながら、哲学的な意味を持ち合わせた画期的なトラックだ。



以後、アルバムは二枚組の作品のような形で、無尽蔵のジャンルを網羅し、その後の展開へと抽象的なストーリー性を交えながら繋げられる。「Talk Talk」、「It Happened Last Morning」は同じくデュオのテクノ趣味が反映されている。さらに「Watercolors」では、エキゾチックな雰囲気を交えたラップミュージックが展開される。


「Holding My Breath」において、アトモスフィアは、オールドスクールヒップホップの魅力を呼び覚ます。この曲では、デュオのレゲエに対するリスペクトが捧げられ、Linton Kwesi Johnson(リントン・クェシ・ジョンソン)を彷彿とさせる古典的な風味のダブが展開される。デュオはバックビートに音色にリチューンをかけ、ジャンクな雰囲気を加味している。リズムやビートはジャマイカの音楽の基本形を準えているが、一方でトーンの揺らし方には画期的なものがある。


この後も、アトモスフィアは、自らの豊富な音楽のバックグランドを踏まえながら、ヒップホップ、フュージョン・ジャズ、ファンクの要素を取り入れたラップを変幻自在に展開させる。その創造性の高さには畏れをなすしかないが、彼らの真骨頂はこの次に訪れる。アトモスフィアは中盤まで抑えていたR&Bやソウルの影響を力強く反映させた曲をアルバムの終盤で披露している。


「Positive Space」、「Big Pictures」は、中盤のテーマである悲哀に根ざした不安とは正反対の安心感のある境地をフュージョン・ジャズとソウルを絡めて再現するが、Dua Lipa(デュア・リパ)をはじめとする現代的なソウル/ラップの範疇にある曲として楽しむことができる。また「Truth &Nail」は、マイケル・ジャクソンの時代のクラブミュージックをサンプリングとして活用し、少し渋い感じのトラックとして昇華している。続いて「Sculpting With Fire」は、ファンクの要素を反映させ、それらを現代的なラップソングとして昇華している。


クローズ曲「Alright(Okay Reprise)」はオープニング曲のリテイクで、原曲より晴れやかな感覚が押し出されている。中盤から終盤にかけての不安から離れ、クライマックスではアルバムのテーマである、愛や、友情、安心といった普遍的な人類のあたたかなテーマへと帰着していく。

 

『So Many Other Realities』は重厚感があり、聴き応えも凄いが、何より大切なのは、レーベルが”Odyssey"と称するように、アトモスフィアの集大成に近い意味を持つ作品ということである。ニューヨークのアウトサイダー・アートの巨匠、Jackson Pollock(ジャクソン・ポロック)のアクション・ペインティングを想起させる前衛的なアートワークはもとより、タイトルに込められた”同じ瞬間には複数の現実が存在する”という複雑性を擁する哲学的なテーマもまた、このレコードの魅力をこの上なく高めているといえるのではないだろうか。


 

 88/100



Weekend Featured Track「It Happened Last Morning」

 

 

 

現在、Atmosphere の最新作『So Many Other Realities Exist Simultaneously』は、Rhymesayers Entertainmentより発売中です。ご購入はストリーミングはこちらからどうぞ。

 Weekly Music Feature 


Indigo De Souza



Indigo De Souzaは3rdアルバム『All of This Will End』の制作について、「やっと自分を完全に信頼することができました」と語る。


全11曲から構成されるこのニューアルバムは、生々しく、そして根本的にポジティブな作品であり、死というもの、コミュニティがもたらす若返り、そして今自分を中心に据えることの重要性に取り組んでいる。これらの曲は、幼少期の思い出……、パーキングロットでの自分探し……、友人とアパラチアの山や南部の沼地を歩き回った恍惚とした旅……、そして自分自身のために立ち上がらなければならなかった時など、彼女の人生の中で最も共鳴する瞬間から生まれています。「All of This Will Endは、私にとってこれまで以上に真実味を帯びた作品です」と彼女は言うのです。


インディゴは、最近のインスピレーションをコミュニティと安定性から得ています。「つい最近まで、私の人生は混沌としていた」と彼女は言う。

 

「今、その混沌の多くは私の背後にあります。今、私には素晴らしいコミュニティがあり、住んでいる場所が大好きで、深いつながりと喜びを追求する本当に素晴らしい人たちに囲まれています。私の音楽は、中心にある内省的な場所から生まれているように感じられます。オープニングの "Time Back "は、私が大切にしている必要な前進の勢いを扱っています」


心地よいシンセサイザーに乗せて、"自分を置き去りにしているような気がする/泣くのにも疲れた/だけど、もう一度立ち上がりたい "と歌っています。その後、このオープニングトラックは、見事なアレンジの上で彼女のボーカルが爆発的に広がりを見せる。「機能不全や悲しみに陥ったり、他人に傷つけられることを許したり、境界線を持たないこともある」と彼女は言います。「私の人生には、それが多かった時期があった。このトラックは、自分自身に、本当の自分に戻ることについて話す方法だと思った」 


1曲目に込められたすべてを包み込むような感情とともに、アルバムの最後をドラマティックに飾るのは、インディゴ自身がリードシングルとして選んだ、ハートフルでノスタルジックなクローザー曲「Younger and Dumber」。この曲は彼女がアルバムのために最初に書いた曲のひとつで、若い頃の自分に語りかけるように始まったのです。


自分の音楽が初めて形になり始めた頃について書いていたのですが、その頃は人生で最悪の時期でもあり、なおかつまた今までで一番不安定な時期でもありました。

 

この曲は、何も知らなかった若い頃の自分に敬意を表して書いたんです。私は人生の中で空回りし、何かを定着させようとし、この世に存在することに折り合いをつけようとしていたんです。


やさしく囁くように始まるこの曲は、彼女が "私が感じる愛はとてもリアルで、あなたをどこへだって連れていける "と歌うように、次第にカタルシスと爆発的な雰囲気へと展開していく。経験と癒しによってもたらされる明晰さで、インディゴは過去の自分を大切に扱っています。


この曲が彼女の中からすぐに溢れ出てきたことで、創造力を取り戻したインディゴと彼女のバンドは、Any Shape You Takeを手がけたプロデューサー兼エンジニアのアレックス・ファーラーと共にアッシュビルのDrop of Sun Studiosに向かいました。


「私たちはとても意気投合しました。有機的なエネルギーの流れを持っていて、お互いに本当にインスパイアされていると感じていた」と彼女は言う。


衝撃的な「Wasting Your Time」や骨太なシングル「You Can Be Mean」は、バンドが今もなお反抗的であり、ロックインしていることを強調しています。


後者では、「あなたは良い心を持った人だと思いたいけど、あなたのお父さんはただの嫌なやつだったの」というセリフがありますが、インディゴは「私を振り回した最後のひどい男の話」についてだと語っています。

 

ギタリストのデクスター・ウェブとドラマーのエイヴリー・サリヴァンを中心に、バンドにアレンジを任せていますが、これらの曲は彼女自身のビジョンから生まれています。


「今回は、より自分自身に忠実で、他人のアイデアで自分の曲を形作ることを拒否した」と彼女は述べています。「また、デクスターが彼のフリーキーなエイリアンのギターヴォイシングを完全に表現することができ、なおかつプロダクションでより大きな役割を果たすことができたので、本当に特別な感じがしています」


『All of This Will End』は、人間のあらゆる複雑な感情を歌のなかに込めています。痛みや悲しみがあるのは確かですが、全体を通して逞しさの勝利の精神が窺えます。例えば、シングル曲の「Smog」は陽気でダンサブルな曲で、日々の単調な生活から抜け出すことで得られる爽快感を歌っています。また、父親との関係を掘り下げた「Always」のように、きわめて内省的な曲もある。


しかし、シングル「The Water」では、親友を訪ねた幼少期の思い出を、成長すること、そして人間関係の脆さについての瞑想へと変貌させている。プログラムされたドラムビートに乗せて、インディゴは歌う。"I think about what it was like / That summer when we were young and you did it with that guy in his car." (その人とはもう子供の頃ほど親しくはないけれど、回想することには力がある)、と。


また、『All of This Will End』は、多くの意味で、インディゴの個人的なモットーになっています。「毎日、これが終わりかもしれないと思いながら、わたしは目を覚ます」と言う。「それを悲しいことと見ることもできるだろうし、本当に貴重なことと見ることもできる。今日、私は生きていて、いつかはもうこの体にはいない。でも今は、生きていることで多くのことができる」


全体を通して、受け入れることの安らぎがある。タイトル曲で彼女が歌っているように、「私はただ愛することだけを貫き、最善を尽くしている/時には、十分でないこともあるけれど、私はまだ本物だし、許すわ」


インディゴ・デ・ソウザはこの曲を書いた時の体験を「マジック」と表現しています。言葉やメロディに至るまで、そのすべてが時代を超えた無形のものと感じられ、それをひたすら書き留めていったのです。また、彼女の母親がアルバムのジャケットに描いた赤やオレンジの色合いのように、『All of This Will End』は、彼女にとってより暖かく、大胆な変革期を象徴づけています。


それは、過去から感謝に満ちた現在の時間へと恐れずに前進すること、一歩一歩すべてを感じつつ、愛に満ちた意識を体現することを選択することをシンガーソングライターはこのアルバムのなかで表明しているのです。



『All of This Will End』 Saddle Creek

 

 

これまでの二作のアルバムの中で、インディゴ・デ・ソウザは、内面的な人間関係における不安や葛藤、それに対する深い芸術的な眼差しを捧げてきました。


幼い頃、プスースパインという土地柄と反りが合わなかった母親は、程なく家族とともにその土地を後にしますが、アッシュビルに転居した頃、インディゴ・デ・ソウザは母親の勧めでソングライティングを始めました。当初は、ガレージで演奏を始め、それはやがて現在のインディーロックという音楽のスタイルの素地となる。そして、この頃のDIYの音楽スタイルは現在でもデ・ソウザの音楽の核心を形成しています。たとえ、バンドという形式に変化したとしても、そのスタイルは何ら変わりがないのです。

 

これまでの二作と同様、ドクロのようなモンスターのイラストワークをかたどったアルバムのカバーアートの方向性は引き継がれています。 そして、どことなくシュールな感覚とユニークな感覚が掛け合わされたようなデザインもしかり。しかし、以前の二作のアルバムと比べると、音楽のアプローチはその延長線上にあるとはいえ、若干異なっています。以前よりも音楽のバリエーションは広がりを増し、わかりやすい曲と抽象的な曲がせめぎ合うようにして混在し、三作目のアルバムの奇妙で摩訶不可思議な世界を作り出しているのです。

 

オープニングトラックである「Time Back」は、ダイナミックなシンセポップを基調とする魅力的なナンバーであり、 この曲はまた2010年代のセイント・ヴィンセントの音楽性を想起させるものがあります。キャッチーなメロディーについては旧作と同様ですが、時に、アバンギャルドなダークアンビエントの要素を部分的に散りばめています。アンセミックなインディーポップではあるものの、時にアバンギャルドの性質を持ち合わせていることが分かる。これまでのデ・ソウザの音楽性の中であまり見られなかった試みのように思えます。


しかし、続く「You Can Be Mean」では、旧来のエグ味のあるオルタナティヴロック路線に回帰しています。ダイナソー・Jr.のJ Mascisのような骨太のファズギターは、旧来のアーティストのファンを安堵させることに繋がるでしょう。ギターロックとしてのアプローチはスネイル・メイル、サッカー・マミーの音楽性にも近く、現在の米国のオルタナティヴのトレンドとなるインディーロックを痛快に展開させていきます。

 

そして、これまでのシューゲイズ/インディーロックの要素の他に、今作はアルバムのカバーアートから見ても分かる通り、アメリカーナの影響が色濃く反映されているようです。


そのことをはっきりと印象づけるのが三曲目の「Losing」であり、インディゴ・デ・ソウザはオルト・ポップのトレンドをなぞらえつつも、フォーク/カントリー、アメリカーナの要素をセンスよく散りばめています。それが実際の音楽から匂いたつ何かがある理由でもある。この曲でシンガーソングライターは、ノリの良さを重視しながらも、ワイルドな雰囲気を漂わせることに成功しているのです。そしてデ・ソウザのボーカルは以前よりも温和で親しげになっています。これがアルバムの序盤で、リスナーにとっつきやすさをもたらす要因となるかもしれません。

 

ただし、どうやら旧二作の要であったシューゲイズの音楽性が完全に途絶えてしまったわけではないようです。


4曲目「Wasting Your Time」において、デ・ソウザは、相変わらず刺激的なシューゲイズ/オルタナティヴサウンドを提示し、旧来のギターロック性が鳴りを潜めることはありません。更に、インディゴ・デ・ソウザは、それらの苛烈なディストーションサウンドとインディーポップの爽快なサウンドを交互に配置し、らしさのあるサウンドを作り出しています。 パンチがありながら清涼感を失うことのない絶妙なサウンドを、このナンバーで十分体感することが出来るはずです。

 

序盤の4曲は簡潔性を重視しており、あえてダイナミックな波を設けず、短い曲として淡々と続いていきますが、続く5曲目の「Parking Lot」もまたその点については変わりありません。インディゴ・デ・ソウザは、スネイル・メイルやサッカー・マミーのデビュー当時の音楽性を彷彿とさせる、シンプルなオルタナティヴ・ロックでリスナーの興味を惹きつける。 


そして、ここではパーキングロットでの自分探しという、インディゴらしいシュールなテーマをそつなく織り交ぜ、米国南部の固有のジャンルであるアメリカーナへのロマンチシズムを交えた魅惑的なギターロックを緩やかに展開していきます。そして、時折、曲の中に導入されるバックバンドのシンセサイザーは音楽そのものへの親しみと淡いノスタルジアすら喚起させるのです。

 

続くタイトル曲では、まったりとした甘いインディーポップでロックサウンドの間を上手い具合に補っています。しかし、シンプルなバラードの質感に近いサウンドは、以前の作品の音楽性よりも深さと円熟味を感じさせる。

 

続く「Smog」は前曲の雰囲気を強化するトラックであり、同じような旋律やコード進行を踏まえ、オープニングトラックと同様に、ディスコサウンドを加味したシンセポップ でリスナーの気分を盛り上げてくれる。アルバムの中では最も捉えやすい一曲で、力強いバックビートがデ・ソウザの清涼感のあるボーカルを強く支え、聴き応え抜群のサウンドが生み出されています。ソングライティングの特性が押し出された楽曲ですが、バックバンドとの強い結束力がこのトラックをポップバンガーのような輝きをもたらしているようにも感じられます。 

  

さらに「The Water」は、アルバムの中でのハイライトであり、とりわけ、シンガーソングライターとしての大きな成長を感じさせます。インディゴ・デ・ソウザのほのかなギターヒーローへの憧憬とインディーポップへの親しみという2つの性質が合致を果たし、稀有な音楽性が生み出されています。 


 

「The Water」

 

 

ここでは、オルタナティブロックの基本形を踏まえつつ、エモなどでおなじみのホーンセクションとシンセサイザーのひねりの効いたメロディーを交えることにより、インディゴ・デ・ソウザの代名詞となるシュールなインディーロックサウンドが確立されています。

 

続く、「Always」は、グランジのように静と動を織り交ぜたトラックであり、内省的なサウンドと4曲目のような苛烈なディストーション/ファズサウンドを対比させています。ここには、デ・ソウザというアーティストの本質的な姿、つまりみずからがギターロックのヒーローであることを表明しているかのようです。この曲の後半では、アバンギャルドな領域へと踏み入れていき、メタルコアやノイズコア寄りの音楽性を取り入れつつ、刺激的かつ煌びやかなロックサウンドを探求しています。

 

これらの多彩なジャンルを踏まえたバリエーション豊かな複数の楽曲を提示したのち、残りの二曲では今作の重要なテーマとなるアメリカーナやカントリーの影響を織り交ぜた珍らかなインディーロックソングへとインディゴ・デ・ソウザは歩みを進めていきます。とりわけ、キュートなインディー・ポップのイントロから劇的なサイケデリックポップへと様変わりする「Not My Baby」は、クライマックスにかけて、独特な世界へと繋がっていく。モリコーネサウンドに象徴づけられるマカロニ・ウェスタンを思い起こさせる映画のサウンドトラックの影響を反映し、それを神秘的かつ瞑想的な世界へと繋げていきます。この曲は、以前のデ・ソウザのソングライティングの性質とは異なり、その歌自体についても、スピリチュアルな何かを帯びています。


さらに続いて、クローズ曲を飾るアルバムの制作の出発点ともなった「Younger & Dumber」でも、インディゴ・デ・ソウザは変化を恐れることはありません。ここではスティール・ギターをセンスよく取り入れたカントリーの影響を取り入れたバラードソングを披露しています。それはもちろん、このシンガーソングライターの幅広い音域を持つ歌により、楽曲のドラマティック性が最大限に引き上げられることになるのです。また、こういったセンチメンタルな歌をうたい、本当の姿を曝け出すことをまったく恐れないことが、アーティストとしてのささやかな成長にも繋がっているわけです。

 


86/100

 


 Weekend Featured Track「Younger & Dumber」


 

 

 

Indigo De Souzaのニューアルバム『All Of This Will End』はSaddle Creekより発売中です。 アルバムのストリーミング及びご購入はこちら

Weekly Music Feature 





Benefits 


結成4年目にして、イギリス/ミドルズブラの四人組バンドであるBenefitsは大きく変化し、成長しました。ロックダウンの間、彼らはパワフルなギター主導のパンクから、圧倒的にブルータルなノイズワーカーへと変貌を遂げました。激しく、忌まわしさすらある音楽は、ほとんどのアーティストが夢見るような口コミで支持されるようになった。

Benefitsのフロントマンを務めるキングスレイ・ホールのボーカルは、分裂的で外国人嫌い、毒気に満ちた過激なレトリックを発信しましたが、結果、多くの人々によって拡散され、我々の公論を圧倒していたことに対する正当な反撃として機能したのです。

バンドの勇気づけられるような極論が届くたびに、社会に蔓延る不治の病に対する解毒剤のようにソーシャルメディア上で急速に拡散していき、ベネフィッツはやがて多くの人の支持を集めることになりました。Steve Albini、Sleaford Mods、Modeselektorのような著名なミュージシャンのファンは、最初から彼らの音楽に夢中になっていた。さらに、NME、The Quietus、Loud & Quiet、The Guardianなど、先見の明がある国内のメディアがこぞって取り上げました。

その後、Benefitsはさらにステップアップを図り、かれらが尊敬するインディーズ・インプリント”Invada Records"と契約し、4月21日に4作目のフルアルバム「NAILS」をリリースすることになりました。

「ここ数年、いつでもレコードをリリースする準備はできていたんですが、適切な人が現れるまで待ちたかったので、ずっと我慢していました」と、フロントマンのKingsly Hall(キングズリー・ホール)は述べています。
 
イギリスのインディペンデント・レーベル”Invada Records" の共同設立者であるPortisheadのGeoff Barrowは、ネットで話題になっていた音楽に惹かれた一人であり、故郷のブリストルで彼らのライブを見た時、すぐさまBenefitsの虜になったといいます。後に、彼のバンドへの信頼は報われることになり、グループの素晴らしさを再確認し、バーロウが実現可能であると思っていたことを再定義するようなレコードを制作しました。このアルバムには、彼らがイギリス国内で最もエキサイティングなアクトの一つであることを証明するかのように、鋭い怒りとアジテーションが込められています。

リード・シングル「Warhorse」は、音楽的な視野が狭いことや、バンドの "パンク "としての信頼性を疑問視する人々への遊び心のある反撃として、バンドは破砕的なドラムフィルを集め、それを本質的に踊れるエレクトロ・バンガーに変身させました。「パンクは大好きだし、カートゥーンパンクも大好きだ、素晴らしいと思っているよ」とキングズリー・ホールは言います。

「時々、お前はクソじゃないから、パンクじゃない、なんて言われることがあるんだけど、そんなの全部デタラメだ」

しかしそれでも、キングズレイはまた、彼のようなメッセージを伝える最良の方法は、人々を動かすことだと知っているのです。



Benefits 『Nails」 Invada Records




PortisheadのGeoff Barrow(ジェフ・バーロウ)が主宰するレーベル”Invada Records”から発売されたBenefits(べネフィッツ)の4作目のアルバム『Nails』は、2022年のリリースの中でも最大級の話題作です。

このアルバム『Nails』の何が凄いのかといえば、作品の持つ情報量の多さ、密度の濃さ、そしてキングズレイ・ホールが持つ暴力的な表情の裏側にときおり垣間見える聖人のような清らかさに尽きます。しかしながら、その音楽性の核心にたどり着くためには、Benefitsの表向きのブルータルな表現をいくつも潜り抜ける必要があるのです。
 
キングズレイ・ホールのリリックは、基本的に、ラップ/ヒップホップの範疇にある。それはこのジャンルが他ジャンルに対して寛容であることを示し、得意とするジャンルを全て取り入れ、それを痛快な音楽に仕立てることで知られるノーザンプトンのヒップホップ・アーティスト、Slowthaiに近い。表向きには暴力的であり、乱雑ではありますが、その中に不思議な親しみやすさが込められているという点では、ミドルスブラのキングズレイのリリック/ライムも同様です。

しかし、例えば、Slowthaiの音楽が基本的には商業主義に基づいているのに対して、キングズレイのそれはアンダーグラウンドの領域に属しています。

リリックは無節操と言えるほど、アジテーションと怒りに満ち溢れており、その表現における過激さは、ほとんど手がつけることができない。キングズレイのボーカル・スタイルは、どちらかといえば、ロサンゼルスのパンクのレジェンドであるヘンリー・ロリンズに近いエクストリームの領域に属しています。ロリンズは、例えば、『My War』を始めとするハードコアの傑作を通じて、世の不正を暴き、さらに、内的な闘争ともいえるポエティックな表現を徹底して追求しましたが、キングズレイ・ホールのリリックもまた同様に、世の中に蔓延する不治の病理を相手取り、得体の知れない概念や共同体の幻想を打ち砕き、徹底的に唾を吐きかけるのです。

あらかじめ断っておくと、これは耳障りの良いポピュラー音楽を期待するリスナーにとっては絶望すらもよおさせる凄まじい作品です。

これまで古今東西の前衛音楽を聴いてきたものの、この作品に匹敵するバンドをぱっと挙げるのは無理体といえる。それほどまでに、2000年以前のドイツで勃興したノイズ・インダストリアルのように孤絶した音楽です。Benefitsの作品は、この世のどの音楽にも似ておらず、また、どの表現とも相容れない。比較対象を設けようとも、その空しい努力はすべて無益と化すのです。
  
ノイズ/アヴァンギャルドの代表格であるMerzbowの秋田昌美、ドイツのクラウトロックバンド、Faustとリリース日が重なったのは因果なのでしょうか、オープニング・トラック「Malboro Hundrets」から、凄まじいノイズの海とカオティック・ハードコアの応酬に面食らうことになるはずです。最早、心地良い音楽がこの世の常であると考えるリスナーの期待をキングズレイ・ホールは最初の段階で打ち砕き、その幻想が予定調和の世界で覆いかくされていることを暴こうとします。細かなリリックのニュアンスまではわからないものの、初っ端からキングズレイの詩は鋭いアジテーションと怒りに充ちており、まるで目の前で罵倒されているようにも思える。

しかし、フロントマンのリリック/ライムは、単なるブラフなのではなく、良く耳を澄ましていると、世の中の現実を鋭く捉えた表現性が反映されている。その過激なリリックをさらに印象深くしているのが、”ストップ・アンド・ゴー”を多用したカオティック・ハードコアの要素ーーさらにいえば、グラインドコアやデスメタルに近い怒涛のブラスト・ビートの連打です。ドラムフィルを断片的に組み合わせて、極限までBPMを早め、リズムという概念すら崩壊させる痛撃なハードコア・パンク/メタルによって、『Nails』の世界が展開されていくことになります。
 
続く「Empire」においても、フロントパーソンのキングズレイ・ホールの怒号とアジテーションに充ちた凄まじいテンション、狂気的なノイズの音楽性が引き継がれていきます。いや、その前衛的な感覚は、かつてのポストパンクバンド、Crassのように次第に表現力の鋭さを増していくのです。

そして、キングズレイ・ホールは、英国のポスト・ブレクジットの時代の社会の迷走、インターネット社会に蔓延する毒気、また、さらに、人間の心の中に巣食う闇の部分を洗いざらい毒を持って暴き出そうとしている。キングズレイの前のめりのフロウは迫力満点であり、そして扇動的で、挑発的です。そして彼は、”偽りの愛国者”の欺瞞を徹底的に風刺しようとするのです。

真摯なブラックジョークを交えたセックス・ピストルズの現代版ともいえる歌詞のなかで、

"神よ、女王を救い、そして、私のパイント(編注: ビールグラスのこと)をEmpire(編注: 王国の威信の暗示)で満たして下さい!!"

と、無茶苦茶にやりこめる。

瞬間、彼と同じように国家に対して、いささかの疑念と不信感を抱く人々にとって、乱雑な罵詈雑言と鋭い怒りに充ちたキングズレイのリリックの意味が転化し、快哉を叫びたくなるような感覚が最高潮に達する。それは緊縮財政や、弱者に向けたキリストのような叫びへと変化するのです。
 
さて、果たして、キングズレイ・ホールは、現代社会の民衆の中に現れた救世主なのでしょうか? 

その答えはこの際、棚上げしておくとしても、これらのエクストリームな音楽は、その後も弱まるどころか鋭さを増していきます。

今作の中では聴きやすいラップとして楽しめる「Shit Britain」では、ノリの良いライムを通じて、人々が内心では思っているものの、人前では言いづらい言葉を赤裸々に紡ぎ出す。そしてロンドンのロイル・カーナー、ノーザンプトンのスロウタイにも通じる内省的なトリップ・ホップのフレーズを交え、

"アナーキーはかつてのようなものではない、イングランドが燃えている時、あなたはどこにいるのか??"

と、最近のフランス・パリで起きている、年金の支給年齢を引き上げる法案に対する民衆の暴動を念頭に置きながら、キングズリーはシンプルに歌っています。

そして、曲の時間が進むごとに、彼のリズミカルなライムと対比される「Shit Britain」というフレーズは、最初は奇妙な繰り言のように思えますが、何度も繰り返されるうちに、その意味が変容し、最後には、ある種のバンガーやアンセミックな響きすら持ち合わせるようになる。そして、「Shit Britain」という言葉は最初こそ胡散臭く思えるものの、曲の終わりになると、異質なほど現実味を帯び、聞き手を頷かせるような論理性が込められていることに気がつくのです。



「Shit  Britain」

 
 
 
その後も、ボーカルのキングズレイ・ホールの怒りとアジテーションは止まることを知りません。

「What More Do You Want」では、"あなたは、さらに何を望むのか?"というフレーズを四度連呼し、聞き手を震え上がらせた後、ノイズ・インダストリアルとフリージャズの融合を通じて空前絶後のアバンギャルドな領域に踏み入れる。これらのノイズは、魔術的な音響を曲の中盤から終盤にかけて生み出すことに成功し、ジャーマン・プログレッシヴの最深部のソロアーティスト、Klaus Schulze(クラウス・シュルツェ)のようなアーティスティックな世界へと突入していきます。
 
ドラムのビートとDJセットのカオティックな融合は、主にビートやリズムを破壊するための役割を果たし、キングズレイのボーカル/スポークンワードの威力を高めさえします。このあたりで、リスナーの五感の深くにそれらの言葉がマインドセットのように刷り込まれ、全身が総毛立つような奇異な感覚が満ちはじめる。そう、リスナーは、この時、これまで一度も聴いた事がないアヴァンギャルド・ミュージックの極北を、「What More Do You Want」に見出すことになるのです。
 
その後、「Meat Teeth」では、過激なリリックを連発しながら、ヘンリー・ロリンズに比する内的な闘争の世界へと歩みを進める。キングズレイは、80年代にロリンズがそうだったように、世界における闘争と内面の闘争を結びつけ、それらをカオティック・ハードコアという形で結実させます。

しかし、終始、彼の絶えまない内面に満ちる怒りや疑問は、他者への問いという形で投げかけられます。

その表現は「Where were you be?」という形で、この曲の中で印象的に幾度も繰り返され、それはまた、日頃、私たちがその真偽すら疑わない政治的なプロパガンダのように連続する。次いで、これらの言葉は、マイクロフォンを通じ録音という形で放たれた途端、聞き手側の心に刻みこまれ、その問いに対して無関心を装うことが出来なくなってしまう。そして自分のなかに、その問いに対する答えが見つからないことに絶句してしまう。 これはとても恐ろしいことなのです。

前曲と地続きにあるのが「Mindset」です。彼は、この曲の中で、腐敗したニュース報道、メディアが支配するものが、どれほど上辺の内容にまみれているのか、さらに”羊たちへの洗脳”についても言及し、そして、鋭い舌鋒の矛先は、やがて人種差別に対する怒りへと向かう。

しかし、リリックの側面では、過激なニュアンスを擁する曲であるものの、曲風はそれとは対象的に、アシッド・ハウス、モダンなUKヒップホップという形をとって展開される。さらに、心にわだかまった怒りは、続く「Flag」で、遂に最高潮に達します。まさに、キングズレイは、この段階に来ると、個人的な怒りではなく、公憤という形を取り、スピーカーの向こうにいる大衆にむけて、ノイズまみれの叫びと怒号、そしてアジテーションを本能的にぶちまけるのです。

この段階でも、『Nails』が現代のミュージック・シーンにおける革命であることはほとんど疑いがありませんが、Benefitsは、さらに前代未聞の領域へと足を踏み入れていきます。アルバムの終盤に収録されている「Traitors」において、アバンギャルド・ノイズ、カオティック・ハードコアの今まで誰も到達しえなかった領域へと突入し、鳥肌の立つような凄みのある表現性を確立しています。ここでは、怒りを超えた狂気を孕むキングズレイ・ホールの前のめりで挑発的なリリックの叫びが、その場でのたうち回るかのように炸裂します。次いで、その異質な感覚は、苦悶と絶望という双方の概念を具象化したノイズによって極限まで高められていくのです。
 
これ以前に、リスナーを呆然とさせた後、アルバムの最後は、誰も想像しないような展開で締めくくられます。それまでは徹底して、ラップ/ノイズ/ポストパンクという三種の神器を駆使して来たBenefitsですが、神々しさのあるノイズ・アンビエント/ドローンという形を通じて、かれらのアルバム『Nails』は完結を迎えます。それまで忌まわしさすらあったキングズレイ・ホールのスポークンワードのイメージは、最後の最後で、あっけなく覆されることになる。かれの言葉は、それまでの曲とは正反対に、紳士的であり、冷静で、温かみに満ちあふれているのです。
 
そして、表向きの狂気に塗れた世界は、作品の最後に至ると、それとは対極にある神々しくうるわしい世界へと繋がっていく。

抽象的なシンセ、ストリングスの伸びやかなレガート・・・、涙ぐませるような清々しい世界・・・、クライマックスで到来するノイズ・・・。これらが渾然一体となり、Benefitsの『Nails』はほとんど想像を絶する凄まじいエンディングを迎えるのです。
 
 
 
100/100(Masterpiece)



Weekend Featured Track 「Council Rust」




Beneftsの4thアルバム『Nails』はInvada Recordsより発売中です。ご購入、ストリーミングはこちら

Weekly Music Feature 

 

Bodywash 






モントリオールのデュオ Bodywashが見据える未来の音


モントリオールのデュオ、ボディウォッシュのセカンドアルバム『I Held the Shape While I Could』では、"故郷"とは移ろいやすいもので、完全にそうでなくなるまで心に長く留められている場所であるということが示されている。ボディウォッシュのメンバーであるChris Steward(クリス・スチュワード)とRosie Long Decter(ロージー・ロング・デクター)は、アルバムの12曲を通して、場所の感覚を失ったという、別々の、そして共通の経験、一度固まったものが指の間をすり抜けてしまう過程、そして、その落差から新しい何かを築こうとする試みについて考察しています。

クリス・スチュワードとロング・デクターの二人は、2014年に大学で出会いましたが、すぐに音楽言語を共有したというわけではなかった。クリスはロンドンでブリティッシュ・ドリーム・ポップとクラシックなシューゲイザー、ロージーはトロントでフォークとカナディアンを聴いて育った。彼らが最初に出会ったのは、カナディアン・フォークの血統を持つドリーム・ポップ・バンド、Alvvays(オールウェイズ)だった。風通しの良いボーカル、複雑なギターワーク、雰囲気のあるシンセサイザーという独自のブレンドを目指して、2016年にBodywashとしてデビューEPを発表、さらに2019年に初のフルレングスとなる『Comforter』をリリースしました。

『Comforter』の制作段階において、ロング・デクターとスチュワードともに私生活で疎外感のある変化を経験し、お互いにズレたような感覚を持つようになりました。彼らは、『Comforter』の心地よいドリーム・ポップよりも、よりダークで実験的で爽快な新曲を書き始めた。2021年、これらの曲をスタジオに持ち込み、ドラマーのライアン・ホワイト、レコーディングエンジニアのジェイス・ラセック(Besnard Lakes)と共有した。

最初の先行シングル「Massif Central 」では、”官僚的な煉獄”の経験(政府からの手紙のタイプミスにより、スチュワードは一時、カナダでの合法的な労働資格を失った)を語るStewardのささやくようなボーカルに、荒々しいギターと執拗なドラムのビートが寄り添っている。

「Perfect Blue」は、スチュワードの日本人とイギリス人の文化的アイデンティティをサイケデリックに探究しています。

日本のアニメイター、今敏(こん さとし)監督の1997年の『パーフェクト・ブルー』がプリズムのような役割を果たし、スチュワードは自分の混血を二面性に投影し、複雑に屈折させている。波打つシンセのモチーフは、スチュワードの歌声に合わせて弧を描き、内側に渦巻くかのように複雑に折り重なっていきます。ここで「半分であることは、全体でないこと」と、スチュワードは英国と日本という自分のルーツについて歌っている。

また、先行シングルのプレスリリースでは、スチュワードが体験した重要な出来事が語られています。このときに彼が感じざるをえなかった疎外感や孤独が今作のテーマを紐解く上では必要性不可欠なものとなっている。

「カナダに8年間住んでいた後、2021年の春に、政府の事務的なミスにより、私はここでの法的な地位を失うことになりました」

 

実は、英国人として、私は労働ビザの権利を失ってしまったんです。しばらくアパートの隅を歩き回ることしかできない月日が続いて、私の貯金はついに底をついてしまった。
独力で築き上げようと思っていた人生が、一瞬にして奈落の底に消えていくような気がしたため、私は、すぐに荷物をまとめて出て行く覚悟を決めました......。「Massif」は、たとえ、底なしの崖の底に向かって泣き叫んでも、反響が聞こえるかどうか定かではないような茫漠とした寂しい音なんです。
この曲は、私のベッドの後ろの壁に閉じ込められて、救いを求めて爪を立てていたリスを目にした時、インスピレーションを受けました。
友人、家族、音楽、そして、数人の移民弁護士(と残りの貯金)の助けを借り、私は幸いにも、今、この国(カナダ)の永住権を持っています。しかし、この曲は、その出来事とともに私が搾取的な国家制度に遭遇したことの証立てとして、今も深く心に残りつづけているのです。

 


 「I Held The Shape I Could」 Light Organ



 
 
2019年のデビューアルバムからそうであったように、Bodywashが掲げる音楽は、基本的にはドリーム・ポップ/シューゲイズに属している。もしくは、現在のミュージックシーンのコンテクストを踏まえて述べるなら、Nu-Gazeと称するのがふさわしいかもしれません。しかし、このジャンルは、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、ジーザス・アンド・ザ・メリーチェイン、コクトー・ツインズ、チャプター・ハウス、ライドといった草分け的なバンドがそうであったように、(全てが現実を反映したものでないわけではないものの)いわゆる”夢見るような”と称される現実逃避的な雰囲気やアトモスフィアに音楽性の基盤が支えられていました。
 
以後の時代になると、2010年を通じて、日本人ボーカル擁する米国のドリーム・ポップバンド、Asobi Seksuや、Captured Tracksに所属するWild Nothing,DIIV,Beach Fossilsが米国のミュージックシーンに"リバイバル"という形で、このシューゲイズという音楽を復刻させ、そしてその後ほバンドがShoegazeのポスト・ジェネレーションに当たる”Nu-Gaze”という言葉をもたらした時でさえ、また、いささか古臭く時代遅れと思われていた音楽に復権をもたらした時でさえ、その音楽の持つ意義はほとんど変わることはなかった。いや、どころか、音楽の持つ現実逃避的な意味合いはさらに強まり、より現代的に洗練された感じや、スタイリッシュな感じが加わり、現実から乖離した音楽という形で、このジャンルは反映されていくようになったのでした。

しかし、カナダのドリーム・ポップ/シューゲイズディオ、bodywashはその限りではありません。現実における深刻な体験を咀嚼し、爽快なオルタナティヴ・ロックとして体現しようとしている。それは2010年以降何らかの音楽のイミテーションにとどまっていたシューゲイズというジャンルの表現性を、スチュワードとデクターは未来にむけて自由な形で解放しようとしているのです。

ボディウォッシュは新作を制作するに際し、19年のデビュー作よりも”暗鬱で実験的でありながら、痛快な音楽を制作しようとした”と述べています。例えば、ロンドンのJockstrapのように、エレクトロの影響を織り交ぜた前衛的なポップ、アヴァンギャルド・ポップという形で二作目の全体的な主題として還元されていますが、これらの暗澹とした音の奥底には、日本の今敏監督の筒井康隆原作のアニメーション『パプリカ』のように全般的には近未来に対する憧れが貫流しているのです。
 
アルバムのオープニングを飾る「Is As Far」は、その近未来に対する希望を記した彼らの声明代わりとなるナンバーです。アヴァン・ポップという側面から解釈したエレクトロとダイナミックなシューゲイズの融合は、このジャンルの先駆者、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインが到達しえなかった未知の領域へ踏み入れたことの証立てともなっている。リラックスして落ち着いたイントロから、ドライブ感のある新旧のクラブミュージックの影響を織り交ぜたエネルギーに満ちたエレクトロへの移行は、ボディウォッシュが飛躍を遂げたことを実際の音楽によって分かりやすい形で示しています。
 
それに続く、「Picture Of」は、Bodywashが2010年代のWild Nothingとは別軸にある存在ではなく、ニューゲイズの系譜にある存在であることを示唆しています。ここで彼らは、90年代、さらに古い80年代へのノスタルジアを交え、甘美なオルタナティヴロック/インディーロックの世界観を組み上げていきます。彼らの重要なバックボーンである80年代のディスコポップやエレクトロの融合は、ロング・デクターの甘美なメロディーを擁するボーカル、彼女自身のコーラスワークにより、聞き手の聴覚にせつなげな余韻を残してくれるのです。

夢想的なドリーム・ポップとアヴァン・ポップの中間にあるサウンドの渦中にあって、現実的な視点を交えて書かれた曲が、「Massif Central」となる。前の2曲とは少し異なり、クリス・スチュワードがメインボーカルを取っていますが、彼はWild Nothingに代表されるスタイリッシュなシューゲイズサウンドの中にポスト・トゥルース派としての現実的な夢想性をもたらしています。さらに、この曲では、デュオが共有してきた孤立した感覚、居場所を見出すことができないというズレた感覚、そういった寂しさを複雑に絡めながら、そして、今敏監督のアニメーション作品のような近未来的な憧憬を緻密に織り交ぜることによって、オリジナルのシューゲイズとも、その後のリバイバル・サウンドとも相異なる奇妙な音楽を組み上げようとしているのです。

こういった、これまでのどの音楽にも似ていない特異な感覚に彩られたロックサウンドがなぜ生み出されることになったのかと言えば、スチュワードが日本にルーツを持つことと、彼自身がアルベルト・カミュの作品のような”異邦人”としての寂しさを、就労ビザの失効という体験を通じて表現していることに尽きる。彼の住んでいる自宅で起こったと思われる出来事ーーベッドの後ろの壁に押し込められたリスが壁に爪を立てている様子ーー、それは普通であれば考えづらいことなのですが、スチュワードは、この時、小さな動物に深い共感を示し、そして、その小さな存在に対して、自己投影をし、深い憐れみと哀しみを見出すことになった。カナダの入国管理局の書類のタイプミスという見過ごしがたい手違いによって起きた出来事は翻ってみると、政府が市民を軽視しすぎているという事実を、彼の心の深くにはっきりと刻むことにも繋がったのです。
 
アルバムのハイライトである「Massif Central」に続く「Bas Relief」で、他では得難い特異な世界観はより深みを増していきます。それ以前のドリーム・ポップ/シューゲイズサウンドとは一転して、デュオはアンビエント/ドローンに類する前衛的なエレクトロ・サウンドを前半部の最後に配置することによって、作品全体に強いアクセントをもたらしています。「Bas Relief」において、前曲の雰囲気がそれとは別の形で地続きになっているような感を覚えるのは、かれらが前曲の孤立感をより抽象的な領域から描出しようと試みているがゆえ。これはまた、かれらがアヴァン・ポップと同時に現代的で実験的なエレクトロニカに挑戦している証でもあり、先週のティム・ヘッカーの『No Highs』の音楽性にも比する表現性を見出すことが出来る。つまり、ここで、ボディウォッシュは、現実という名の煉獄に根を張りつつ、 ディストピアとは正反対にある理想性を真摯に描出しようとしているようにも思えるのです。
 
さらに、それに続く「Perfect Blue」において、デュオは、イギリスのUnderworldの全盛期の音楽性を踏襲した上で、アヴァンギャルド・ポップとシューゲイズサウンドの融合に取り組み、清新な領域を開拓しようとしています。

スチュワードのボーカルは、この曲にケヴィン・シールズに比する凛とした響きをもたらしていますが、その根底にあるのものは、単なるノスタルジアではなく、近未来的への希望に満ちた艶やかなサウンドです。ここには三曲目において深い絶望を噛み締めた後に訪れる未来への憧憬や期待に満ちた感覚がほのかに滲んでいますが、これは後に、スチュワードがカナダ国内での永住権を得たことによる安心感や、冷厳な現実中にも癒やしの瞬間を見い出したことへの安堵とも解釈出来る。そしてデュオは、暗黒の世界にとどまることを良しとせず、その先にある光へと手を伸ばそうとするのです。


「Perfect  Blue」




その後、アルバムの中盤部においては「Kind of Light」「One Day Clear」と、アルバムの暗鬱とした雰囲気から一転して、爽やかなシンセ・ポップが展開されてゆく。

この2曲では、クリス・スチュワードからメインボーカルがロング・デクターへと切り替わりますが、これが煉獄に閉じ込められたような緊迫した感覚をインディーロックとして表現しようとするスチュワード、さらに、それとは対象的に、開放的な天上に至るような感覚を自身のルーツであるカナダのフォーク・ミュージックとシンセポップを織り交ぜて表現しようとするデスター、この両者の性質が交互に現れることによって、作品全体に見事なコントラストが生み出されています。

そして、一方のデクターのボーカルは、単なる歌にとどまらず、ラップやポエトリー・リーディングの影響をわずかに留めている。スチュワードと同様、ドリーム・ポップの甘いメロディーの雰囲気を擁しながらも、Jockstrapに比する前衛的で先鋭的な感覚をかなり際どく内在させている。この奇妙な感覚の融合がより理解しやすい形で表されているのが、後者の「One Day Clear」となるでしょう。デスターはスポークンワードを交え、アンビエントポップとポストパンクの影響を融合させた”未来の音”を生み出そうとしている。これは同国のハードコアバンド、Fucked Upと同様、表向きには相容れないであろうアンビバレントなサウンドをあえて融合させることで、固定化されたジャンルの既存の概念を打ち破ろうとしているようにも思えるのです。
 
さらに続く、「sterilizer」は、どちらかといえば、二曲目の「Picture Of」に近いナンバーであり、懐かしさ満点の麗しいシューゲイズサウンドが繰り広げられている。この段階に来てはじめて、デュオはデュエットの形を取り、自分たちがマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの系譜にあるバンドであることを高らかに宣言している。アンニュイな感覚という形で複雑に混ざり合う二人の雰囲気たっぷりのボーカルの掛け合いは、ブリストルのトリップ・ホップの暗鬱で繊細な感覚に縁取られており、聞き手を『Loveless』に見受けられるような甘い陶酔へといざなってゆく。そして、マッドチェスター・サウンドを反映したRIDE、slowdiveと同じように、この曲のサウンドの奥底には、80年代のフロアに溢れていたクラブミュージックのロマンチズムが揺曳している。いいかえれば、80年代-90年代のミュージシャンや、その時代に生きていた音楽への憧憬が、この曲の中にはわずかながら留められているというわけです。
 
三曲目の「Bas Releif」と並んで、アルバムのもう一つのハイライトとなりえるのが、終盤に収録されている「Acents」です。

ここでは、ロング・デスターが単なるデュオの片割れではなく、シンガーとして傑出した存在であることを示してみせています。アルバムの中で最もアヴァン・ポップの要素が強い一曲ですが、この段階に来て、1stアルバムのドリーム・ポップ/シューゲイザーバンドとしてのイメージをデスターは打ち破り、まだ見ぬ領域へ歩みを進めはじめたことを示唆しています。この曲はまた、「Dessents」の連曲という形で繰り広げられ、アンビエント/ドローンを、ポップスの観点からどのように再解釈するかを探求しています。彼らの試みは功を奏しており、四年前のデビュー作には存在しえなかった次世代のポピュラーミュージックが生み出されています。この曲を聴いていてなぜか爽快な気分を覚えるのは、デュオの音楽が単なるアナクロニズムに陥ることなく、未来への希望や憧憬をボディウォッシュらしい甘美的なサウンドを通じて表現しようとしているからなのです。
 
これらの強固な世界観は、まるで果てなく終わりがないように思えますが、クライマックスにも、ふと何かを考えさせるような曲が収録されており、きわめて鮮烈な印象を放ち、私たちの心を作品の中に一時でも長く止めておこうとする。新作発売前に最後のシングルとして公開された「No Repair」において、ロング・デスターは、内面の痛みを淡々と歌いながら、何らかの形で過去の自己をいたわるようにし、また、その内なる痛みをやさしく包み込むように認めようとしているのです。
 
 
 
90/100
 
 

 Weekend Featured Track 「Massif Central」
 

 
 
 
Bodywashの新作アルバム『I Held the Shape While I Could』は、バンクーバーのレーベル、Light Organ Recordsより発売中です。
 

Weekly Music Feature 



Tim Hecker



 

逆さまの都市『No Highs』 ポスト・ドローンの台頭

 


『Infinity Pool』、『The North Water』シリーズのサウンドトラックのオリジナルスコアを手がけたティム・ヘッカーが、『Konoyo(コノヨ)』『Anoyo(アノヨ)』の後継作の制作のためにスタジオにカムバックを果たしました。


シカゴのKrankyからリリースされた『No High』は、前述の2枚のレコードのジャケットのうち、2枚目のジャケットの白とグレーを採用し、濃い霧(またはスモッグ)に包まれた逆さまの都市を表現しています。


このアルバムは、カナダ出身のプロデューサーの新しい道を示す役目を担いました。Ben Frostのプロジェクトと並行しているためなのか、リリース時のアーティスト写真に象徴されるように、北極圏と音響の要素に彩られていますが、基本的には落ち着いたアルペジエーターによって盛り上げられるアンビエント/ダウンテンポの作品となっています。ノート(音符)の進行はしばしば水平に配置され、サウンドスケープは映画的で、ビートはパルス状のモールス信号のように一定に均されており、緊張、中断、静止の間に構築されたアンビエントが探求されています。特に『Monotony II』では、コリン・ステットソンのモードサックスが登場するのに注目です。


『No High』は「コーポレート・アンビエント」に対する防波堤として、また「エスカピズム」からの脱出として発表されました。この作品は、作者がこれほど注意深くインスピレーションを持って扱う方法を知っている人物(同国のロスシルを除いて)はほとんどいないことを再確認させてくれるでしょう。


最近では、ティム・ヘッカーは映画のサウンドトラックの制作にとどまらず、ヴィジュアルアートの領域にも活動の幅を広げています。”Rewire 2019”では、Konoyo Ensembleと『Konoyo』を演奏するため招待を受ける。さらにRewireの委嘱を受け、Le Lieu Uniqueの共同委嘱により、多分野の領域で活躍するアーティスト、Vincent de Bellevalによるインスタレーション、ステージ、オブジェクトデザインによるユニークなコラボレーション・ショーを開催しています

 

彼の音楽に合わせて調整される特注のLEDライトを使ったショーは、「グリッドを壊す」ための方法を探りながら、光、音、色、コントラスト、質感の間に新しいアートの相互作用を見出そうとしています。

 

 

『No Highs』 kranky




カナダ出身のティム・ヘッカーは、世界的なアンビエントプロデューサーとして活躍しながら、これまでその作風を年代ごとに様変わりさせて来ました。01年の『Haunt Me』での実験的なアンビエント/グリッチ、11年の『Ravedeath,1972』で画期的なノイズ・アンビエント/ドローンの作風を打ち立ててきた。つまり、00年代も10年代もアーティストが志向する作風は微妙に異なっています。そして、ティム・ヘッカーは21年の最新作『The North Water』においてモダンクラシカルの作風へと舵を取っています。これは後の映画のオリジナルスコアの製作時に少なからず有益性をもたらしたはずです。

 

現在までの作風の中で、ティム・ヘッカーは、アルバムの製作時にコンセプチュアルな概念をサウンドの中に留めてきました。それは曲のVariationという形でいくつかのアルバムに見出すことが出来る。この度、お馴染みのシカゴのクランキーから発売された最新作『No Highs』においても、その作風は綿密に維持されており、いくらか遠慮深く、また慎み深い形で体現されている。オープニングトラックとして収録されている「Monotony」、#7「Monotony 2」を見ると分かる通り、これらの曲は、20年以上もアンビエント/ドローン/ノイズという形式に携わってきたアーティストの多様な音楽性の渦中にあって、強烈なインパクトを残し、そしてアルバム全体にエネルギーをその内核から鋭く放射している。これは一昨年のファラオ・サンダースとフローティング・ポインツの共作『Promises』に近い作風とも捉えることも出来るでしょう。

 

DJ/音楽家になる以前は、カナダ政府の政治アナリストとして勤務していた時代もあったヘッカーですが、これまで彼のコンセプチュアルな複数の作品の中には、表向きにはそれほど現実的なテーマが含まれていることは稀でした。とは言え、それはもちろん皮相における話で、暗喩的な形で何らかの現実的なテーマが込められていた場合もある。アートワークを見るかぎり、『The North Water』の続編とも取れる『No Highs』は、彼のキャリアの中では、2016年の「Unhermony In Ultraviolet』と同様に政治的なメタファーが込められているように思えます。今回、アートワークを通じて霧の向こう側に提示された”逆さまの都市”という概念にはーー”我々が眺めている世界は、真実と全く逆のものである”という晦渋なメッセージを読み取る事も出来るのです。


もちろん、これまでのリリース作品の中で、全くこの手法を提示してこなかったわけではありません。しかし、この作品は明らかに、これまでのティム・ヘッカーの作風とは異なるアバンギャルドな音楽のアプローチを捉えることが出来る。本作において重要な楔のような役割を果たす「monotony」を始め、シンセのアルペジエーターの音符の連続性は、既存作品の中では夢想的なイメージすらあった(必ずしも現実的でなかったとは言い難い)ヘッカーのイメージを完全に払拭するとともに、その表向きの幻影を完膚なきまでに打ち砕くものとなるかもしれません。作品全体に響鳴する連続的なシンセのアルペジエーターは、ティム・ヘッカーのおよそ20年以上に及ぶ膨大な音楽的な蓄積を通じて、実に信じがたいような形で展開されていくのです。

 

ニュージャズ/フリージャズ/フューチャージャズのアプローチが内包されている点については既存のファンは驚きをおぼえるかもしれません。知る限りではこれまでのヘッカーの作風にはそれほど多くは見られなかった形式です。今回、ティム・ヘッカーはコラボレーターとして、サックス奏者のCollin Stenson(コリン・ステンソン)を招き、彼のミニマルミュージックに触発された先鋭的な演奏をノイズ・アンビエント/ドローンの中に織り交ぜています。それにより、これまでのヘッカー作品とは異なる前衛的な印象をもたらし、そして、ドローン・ミュージックとアバンギャルドジャズの混交という形で画期的な形式を確立しようとしている。それは一曲目の変奏に当たる「monotony Ⅱ」において聞き手の想像しがたい形で実を結ぶのです。

 

また、「No High」のプレスリリースにも記されています通り、”アルペジエーターによるパルス波”というこのアルバムの欠かさざるテーマの中には、現実性の中にある「煉獄」という概念が内包されています。

 

煉獄とは、何もダンテの幻想文学の話に限ったものではなく、かつてプラトンが洞窟の比喩で述べたように、狭い思考の牢獄の中に止まり続けることに他なりません。たとえば、それはまた何らかの情報に接すると、私達は先入観やバイアスにより一つの見方をすることを余儀なくされ、その他に存在する無数の可能性がまったく目に入らなくなる、いいかえれば存在しないも同然となることを表しています。

 

しかし、私達が見ていると考えている何かは、必ずしも、あるがままの実相が反映されているともかぎりません。ルネ・デカルトの『方法序説』に記されている通り、その存在の可能性が科学的な根拠を介して完全に否定されないかぎり、その事象は実存する可能性を秘めている。そして、私たちは不思議なことに、実相から遠ざかった逆さまの考えを正当なものとし、それ以外の考えを非常識なものとして排斥する場合すらある。(レビューや評論についてもまったく同じ)しかし、一つの観点の他にも無数の観点が存在する……。そういった考え方がティム・ヘッカーの音楽の中には、現実的な視点を介して織り交ぜられているような気がするのです。


さらに、実際の音楽に言及すると、パルス状のアルペジエーター、フリージャズを想起させるサックスの響き、パイプオルガンの音響の変容というように、様々な観点から、それらの煉獄の概念は多次元的に表現されています。これが今作に触れた時、単一の空間を取り巻くようにして、多次元のベクトルが内在するように思える理由なのです。また、その中には、近年、イーノ/池田亮司のようなインスタレーションのアートにも取り組んできたヘッカーらしく、音/空間/映像の融合をサウンドスケープの側面から表現しようという意図も見受けられます。実際、それらの映像的/視覚的なアンビエントのアプローチは、煉獄というテーマや、それとは対極に位置するユートピアの世界をも反映した結果として、複雑な様相を呈するというわけなのです。

 

こうした緊迫感のあるノイズ/ドローン/ダウンテンポは、その他にも「Total Gabage」や「Lotus Light」、さらに、パルスの連続性を最大限に活かした「Pulse Depresion」で結実を果たしている。しかし、本作の魅力はそういった現実的な側面を反映させた曲だけにとどまりません。また他方では、幻想的な雪の風景を現実という側面と摺り合わせた「Snow Cop」も同様、ヘッカーのアンビエントの崇高性を見い出すことができる。ここでは、Aphex Twinの作風を想起させるテクノ/ハウスから解釈したアンビエントの最北を捉えられることが出来るはずです。

 

以前、音響学(都市の騒音)を専門的に研究していたこともあってか、これまで難解なアンビエント/ドローンを制作するイメージもあったティム・ヘッカーですが、『No Highs』は改めて音響学の見識を活かしながら、それらを前衛的なパルスという形式を通してリスナーに捉えやすい形式で提示するべく趣向を凝らしたように感じられます。ティム・ヘッカーは、アルバムを通じて、音響学という範疇を超越し、卓越したノイズ・アンビエントを展開させている。それは”Post-Drone”、"Pulse-Ambient"と称するべき未曾有の形式であり、ノルウェーの前衛的なサックス奏者Jan Garbarekの傑作「Rites」に近いスリリングな響きすら持ち合わせているのです。

 

 

95/100


 

Weekly Featured Music 「monotony」



Tim Hecker


ティム・ヘッカーは、現在、アメリカ・ロサンゼルス、チリを拠点に活動する電子音楽家、サウンドアーティスト。

 

当初、Jetoneという名義でレコーディングを行っていたが、『Harmony in Ultraviolet』(2006年)、『Ravedeath, 1972』(2011年)など、ソロ名義でリリースしたレコーディングで国際的に知られるように。ベン・フロスト、ダニエル・ロパティン、エイダン・ベイカーといったアーティストとのコラボレーションに加え、8枚のアルバムと多数のEPをリリースしている。


バンクーバーで生まれたヘッカーは、2人の美術教師の家庭に生まれ、形成期には音楽への関心を高めていた。1998年にモントリオールに移り、コンコルディア大学で学び、自分の芸術的な興味をさらに追求するようになった。卒業後、音楽以外の職業に就き、カナダ政府で政治アナリストとして働く。


2006年に退職後、マギル大学に入学して博士号を取得、後に都市の騒音に関する論文を2014年に出版した。また、美術史・コミュニケーション学部で音文化の講師を務めた経験もある。当初はDJ(Jetone)、電子音楽家として国際的に活動していた。


初期のキャリアはテクノへの興味で特徴づけられ、Jetoneの名で3枚のアルバムをリリースし、DJセットも行った。2001年までに彼は、Jetoneプロジェクトの音楽的方向性に幻滅するようになる。2001年、ヘッカーはレーベル"Alien8"からソロ名義でアルバム『Haunt Me, Haunt Me Do It Again』をリリース。このアルバムでは、サウンドとコラージュの抽象的な概念を探求した。2006年にはKrankyに移籍し、4枚目のアルバム『Harmony In Ultraviolet』を発表した。


その後、パイプオルガンの音をデジタル処理し、歪ませるという手法で作品を制作している。アルバム『Ravedeath, 1972』のため、ヘッカーはアイスランドを訪れ、ベン・フロストとともに教会でパートを録音した。2010年11月、Alien8はヘッカーのデビュー・アルバムをレコードで再発売した。


ライブでは、オルガンの音を加工し、音量を大きく変化させながら即興演奏を行う場合もある。


2012年、ダニエル・ロパティン(Oneohtrix Point Neverとしてレコーディング)と即興的なプロジェクトを行い、『Instrumental Tourist』(2012)を発表する。2013年の『Virgins』に続き、ヘッカーは再びレイキャビクに集い、2014年から翌年にかけてセッションを行い、『Love Streams』を制作した。共演者には、ベン・フロスト、ヨハン・ヨハンソン、カーラリス・カヴァデール、グリムール・ヘルガソンがおり、ジョスカン・デ・プレの15世紀の合唱作品がアルバムの土台を作り上げた。


2016年2月、ヘッカーが4ADと契約を結び、同年4月に8枚目のアルバムがリリースされた。ヘッカーは、制作中に「Yeezus以降の典礼的な美学」や「オートチューンの時代における超越的な声」といったアイデアについて考えたことを認めている。    


God Speed You! Black EmperorやSigur Rósとのツアー、Fly Pan Amなどとのレコーディングに加え、HeckerはChristof Migone、Martin Tétreault、Aidan Bakerとコラボレーションしている。また、Isisをはじめとする他ジャンルのアーティストにもリミックスを提供している。また、サウンド・インスタレーションを制作することもあり、スタン・ダグラスやチャールズ・スタンキエベックなどのビジュアル・アーティストとコラボレーションしている。


ティム・ヘッカーは、他のミュージシャンであるベン・フロスト、スティーブ・グッドマン(Kode9)、アーティストのピオトル・ヤクボヴィッチ、マルセル・ウェーバー(MFO)、マヌエル・セプルヴェダ(Optigram)と共に、Unsound Festivalの感覚インスタレーション「エフェメラ」に音楽を提供した。また、ヘッカーは、2016年サンダンス映画祭の米国ドラマティック・コンペティション部門に選出された2016年の『The Free World』のスコアを作曲している。

Weekly Featured Music


-青葉市子 Milton Courtにおける幻想的なコンサート-



Ichiko Aoba


  これまでに、ソロアルバムのリリースの他、『こちらあみ子』のサウンドトラック提供や、ゲーム音楽へのサウンドトラックの提供、また、空想の物語を織り交ぜてクラシック、ポップ、ジャズという3つのジャンルの音楽を取り巻くようにして麗しい音のストーリーを展開させた前作『アダンの風』で世界的に注目されるようになった日本のシンガーソングライター/青葉市子(Aoba Ichiko)は、その後、弦楽アンサンブルを従えたライブを通じて、伸びやかで美しい清涼感のある歌声によって世界の音楽ファンを魅了しようとしています。昨年に続いて、今年3月から再び世界ツアーを敢行するシンガーは、アジア圏にもその名を響かせようとしており、Saison Des Fleurs 2023の世界ツアーの一貫としてインドネシアのジャカルタでの公演を予定しています。

 

  青葉市子は、渋谷オーチャードホールでの『アダンの風』の公演、昨年のBlue Note主宰の日本公演のほか、今年10月にはJapanese BreakfastのニューヨークのRadio City Music Hallでの公演サポートを務める予定で、今後、世界的な活躍が期待出来るシンガーです。知るかぎりでは、この歌手はデビュー当時から世界で活躍するようなシンガーになるべく野望を内に秘めていた歌手では有馬さんでした。そして今でも弦楽アンサンブルとともに小規模のコンサートを開催する場合もあるように、観客との距離を大切にする、どちらかといえばささやかなフォークシンガーとして2010年の『剃刀乙女』で日本のミュージック・シーンに台頭しました。

 

  そして、デビュー当時のこのシンガーソングライターの持つ個性溢れる雰囲気、そして少なからず文学性を感じさせる幻想と現実の間を揺らめくように織りなされる抒情性の高いフォークミュージックは、当時から日本国内でも支持を得ており、口コミを介してこの歌手の素晴らしさがじわじわと広まっていった印象もあったのです。

 

  青葉市子は2010年のデビュー当時とは違い、Blue Note直系のジャズ、クラシック、メディエーション、フォークと様々な要素を織り交ぜながら自らの表現力と可能性を徐々に広げていき、今や国内にとどまらず海外にも活躍の領域を伸ばしつつある素晴らしい歌手となった。しかし、これは2010年から歌手の実力を知る人々にとっては何の不思議もないことだろうと思われます。

 

 

 

昨日発売となった『Ichiko Aoba with 12 Emsemble(Live at Milton Court)』は、昨年、ロンドンのミルトン・コートで9月3日に行われたライブを収録しています。


この日のライブでは、世界的にその知名度を引き上げた前作『アダンの風』の収録曲を中心にセットリストが組まれています。梅林太郎氏によるアレンジが新たに施され、さらにロンドンを代表する弦楽オーケストラ"12 Emsemble"と共演を行いました。近年、12 Emsembleはジャンルを問わずコラボレーションを行っており、追記としては4ADに所属するDaughterの最新アルバム「Stereo Mind Game」にもゲスト参加しています。

 

ライブ・アルバムでは、梅林氏による編曲と合わせて、ロンドンの12 emsembleの弦楽の巧緻な演奏、シンガーソングライター青葉市子の歌声の魅力、日本語歌詞のニュアンス、そして、歌手のボーカルが織りなす幻想的な雰囲気を体感することが出来ます。この日のライブのオープニングを飾る「 帆布ーEaster Lily」は、前作『アダンの風』の収録曲。イントロでは、沖縄民謡の特殊な音階を通じて、海外の音楽ファンにアジアの爽やかな南風をもたらす。島唄(沖縄民謡)の音階をはっきりと意識した不思議な音の世界は、実力派シンガーの繊細で柔らかなボーカルとアコースティックギターの演奏を通して奥行きを増していき、さらにロンドンを代表する弦楽アンサンブルの流麗なストリングスにより、その強度と迫力を増し、聴き手を圧倒するのです。

 

「Parfum d'etoiles」は、フランス和声の影響を受けた色彩的な12 Emsembleの優雅な演奏により幕を開けます。チェロが強調された重厚なストリングスの低音のハーモニーはやがて、モダンジャズの気風を反映したワルツの軽妙なリズムとして、その後の展開に受け継がれ、ムードたっぷりのボーカルが舞踏のように不可思議な世界観をきわめてナチュラルに築き上げていきます。ハミングのようなトーンが印象的なボーカルは抽象的な音像をもたしますが、ときおり導入される弦楽の繊細なニュアンスを表現するレガートとピチカートが合致し、ミルトン・コートの観客をアーティストの持つミステリアスな世界へとやさしく招きいれるのです。

 

3曲目の「霧鳴島」もオープニング・トラックと同様に、『アダンの風』に収録されていた楽曲となりますが、これは前半部と中盤部を連結する間奏曲のような意味を持っています。前の2曲であらかじめ提示しておいたファンタジックかつミステリアスな雰囲気がミルトン・コートのライブ会場に浸透した後、アーティストが思い描いた空想の物語をテーマに置いた楽曲は次第に奥行きを増していきます。確かに、「霧鳴島」は、世界のどこ地域にも存在しないわけですが、他方、弦楽アンサンブルの抑揚に富んだパッセージは、聞き手の情感に訴えかけるような哀感溢れる演奏力により、聴衆の脳裏に実在しない島の姿を呼び覚ますのです。


さらに、続く「Sagu Palm' Song」はアコースティックギターの繊細なアルペジオと歌手の歌声のエモーションが絶妙に溶け合うようにして昇華された一曲です。ここには以前、ゲームのサウンドトラックを提供している歌手の趣味の一端にふれることができます。例えばもし、ゲーム音楽に詳しい方ならば、歌い出しを通じて名作曲家の光田康典氏のゲーム音楽の影響を感じとることも出来るかもしれません。「クロノ・クロス」、「クロノ・トリガー」、上記2作のサウンドトラックに象徴される日本のゲーム音楽の歴代屈指の名曲の影響をかすかにとどめ、それらの幻想的なフォークミュージックの影響を受けつぎながら、青葉市子は現実と幻想の狭間をゆったりと心地よく揺蕩うかのようにうたっています。とりわけ、曲の後半部におけるハミングにも近いボーカルの情感の豊かさ、なおかつ繊細な歌声が織りなすアンビエンスの見事さに注目でしょう。


続く、「血の風」はージャズの影響を絡めたギターソングとして聴衆を聴き入らせるしたたかな説得力を持ち合わせています。それ以前の曲と同様に、幻想的な雰囲気を擁する一曲ですが、言葉とも旋律のハミングともつかない抽象的なボーカルがアコースティックギターの繊細なピッキングと絶妙に溶け合うようにし、淡いエモーショナルなアンビエンスを滑らかに形成する。曲の前半部では、フラメンコのようなスペイン音楽の哀愁を感じさせるが、中盤部からクライマックスにかけては、12 emsembleのストリングスの助力を得ることにより、映画のワンシーンのようにダイナミックな展開へと繋がっていく。静から動への切り替わりと称するべきか、曲の表情と抑揚がガラリと変化する瞬間に注目しておきたい。さらに、曲の終わりにかけて、アンニュイなボーカルがトーンダウンしフェードアウトしていく時、リスナーはライブ会場に居合わせた幸運な聴衆と同じ圧巻の雰囲気に息をのむことでしょう。

 

 

その後、「Hagupit」、「Dawn In the Adan」と、中盤ではファンタジックな物語や日本の童謡のような可愛らしい独特な雰囲気を持った曲と、オルト・フォークを融合させたシンガーソングライターらしい落ち着いた楽曲が続いていきます。歌手は「アダンの風」に象徴される架空の物語のゆるやかに奥深くに入り込んでいき、ミルトン・コートにいる聴衆に対してこれらの音楽による物語をやさしく、そして丹念に語り聞かせます。

 

中盤部では、弦楽アンサンブルとの合致が象徴的な雰囲気を持つライブの序盤とダイナミックなコントラストを形成するとともに、これらの幻想的な音の物語の中にとどまるように促す。そして、最も聴き応えがあるシーンが、「アダンの島の誕生祭」です。以前の曲と同様、ギターを通じての弾き語り曲ですが、高音部のハミングを歌った時、コンサートホールの天井、ホールの空間に反響し、独特な倍音が木霊し、これが聞き手の心に癒やしと安らぎをもたらすことでしょう。続く「守りの哥」では、再び、12 ensembleの弦楽のパッセージが前面に出てきて、ジブリ音楽のような自然味と温かみを兼ね備えたオーケストラレーションへと導かれていきます。これは、優しさと迫力を持ち合わせる青葉市子のライブの最高の瞬間を留めたと称せるはずです。

 

バッハの室内楽コンサートのような趣を持つクラシック音楽の格式高い雰囲気でイントロが始まる「海底のエデン」もまた単なるクラシック音楽のイミテーションにとどまりません。ここではモダンジャズの気風を反映させ、そこに、それまでライブの前半部と中盤部で築き上げた雰囲気を押し上げるように、青葉市子はギター/ボーカルという彼女らしい表現によって、幻想的な物語を、丹念に、そして丁重に紡ぎ出してゆく。彼女の弾き語りと歌声は、観客と同じ目線でつむがれていき、気取るわけでも、奇を衒うわけでもなく、温かな親切心を持ち、ロンドンの観客にこの曲を語り聞かせています。分けても、ジャズバラードの要素を反映させたアンニュイかつユニークなシンガーソングライターの性質を顕著な形で見い出すことが出来るでしょう。

 

コンサートの終盤に差し掛かると、序盤とは様相が変化します。観客と円滑に信頼感のあるコミニケーションを図れるようになったと実感したのか、そこまではわかりませんが、中盤部までの緊張感をいくらか緩め、フレンドリーな姿勢で、ロンドンのコンサートの終盤を迎えます。日本の古い童謡で、NHKの『みんなのうた』で最初に紹介された「赤とんぼ」は、山田耕筰の作ですが、この原曲にユニークさと淡いノスタルジアを交え、秀逸なアレンジバージョンとして演奏している。これはロンドンのコンサートホールに日本の文化及び日本語の美をもたらした最初の事例となる。アーティストらしいユニークな歌は、童謡に描かれる夕暮れの空の向こうに、トンボが飛び去ってゆく切ない情景を目の裏にまざまざと呼び覚ますことになるでしょう。

 

そして、この後に9月のロンドンのコンサートは感動的なクライマックスを迎えます。赤とんぼの雰囲気を受け継いだ素朴なポピュラー・ミュージック「もしもし」で、それ以前にロンドンの現地の観客と築き上げてきた親しげな雰囲気を大切にし、やさしく語りかけるようなフォーク・ミュージックによって、この日のミルトンコートでのライブを締めくくります。クライマックスでは、ロンドンの観客の温かな拍手、美しい歌声と現地のアンサンブルの演奏に対する称賛を聴くこともできます。

 

ライブコンサートの全体を通じ、幻想的な物語の世界をロンドンの名アンサンブルとの共演という、またとない瞬間を音源として記録した『Ichiko Aoba with 12 Emsemble(Live at Milton Court)』は、多くの人の記憶に残るであろう名演といっても差し支えないかもしれません。



100/100



Weekend Featured Track 「Sagu Palm's Song」

 

 

 

 

『Ichiko Aoba with 12 Emsemble(Live at Milton Court)』はIchiko Aobaの自主レーベルHermeから3月31日より発売中です。

 marine eyes  『Idyll』(Extended Edition)

 

 


 

Label: Stereoscenic

Release Date: 2023/3/27



andrewと私が「idyll」CDのリイシューについて話を始めたとき、これを完全な別アルバムにするつもりはなかった。しかし、私たちが追加で特別なものを作っていることはすぐに明らかになったので、私たちは続け、そうすることができて嬉しく思う。

この小さなプロジェクトに心を注いでくれた、レイシー、アンジェラ、フィービー、ルドヴィッグ、ジェームス、アンドリューに深く感謝します。また、彼女の素晴らしいアートワークを提供してくれたNevia Pavleticにも大感謝です!

そして、B面の「make amends」は、オリジナル・アルバムに収録される寸前で、共有されるタイミングを待っていたものです。

この曲のコレクションを楽しんで、あなた自身の安らぎの場所を見つける手助けになれば幸いです。

 

 

と、このリリースについてメッセージを添えたロサンゼルスのアンビエント・プロデューサー、Marine Eyesの昨日発売された最新作『Idyll』の拡張版は、我々が待ち望んでいた癒やし系のアンビエントの快作である。2021年にリリースされたオリジナル・バージョンに複数のリミックスを追加している。

 

Marine Eyesは、アンビエントのシークエンスにギターの録音を加え、心地よい音響空間をもたらしている。アーティストのテーマとしては、海と空を思わせる広々としたサウンドスケープが特徴となっている。オリジナル作と同じように、今回発売された拡張版も、ヒーリングミュージックとアンビエントの中間にあるような和らいだ抽象的な音楽を楽しむことが出来る。日頃私達は言葉が過剰な世の中に生きているが、現行の多くのインストゥルメンタリスト、及び、アンビエント・プロデューサーと同じように、この作品では言葉を極限まで薄れさせ、情感を大切にすることに焦点が絞られている。


タイトルトラック「Idyll」に象徴されるシンセサイザーのパッドを使用した奥行きのあるアブストラクトなアンビエンスは、それほど現行のアンビエントシーンにおいて特異な内容とはいえないが、過去のニューエイジのミュージックや、エンヤの全盛期のような清涼感溢れる雰囲気を醸し出す。それは具体的な事物を表現したいというのではなく、そこにある安らいだ空気感を単に大きな音のキャンバスへと落とし込んだとも言える。しかし、そのシンセパッドの連続性は、情報や刺激が過剰な現代社会に生きる人々の心にちょっとした空間や余白を設けるものである。

 

二曲目の「cloud collecting」以降のトラックで、アーティストが作り出すアンビエントは風景をどのようにして音響空間として描きだすかに焦点が絞られている。それは日本のアンビエントの創設者である吉村氏が生前語っていたように、 サウンドデザインの領域に属する内容である。Marine Eyesは、例えばカルフォルニアの青々とした空や、開放感溢れる海の風景を音のデザインという形で表現する。そして、現今の過剰な音の世界からリスナーを解き放とうと試みるのである。これは実際に、リスナーもまたこの音楽に相対した際に、都会のコンクリートジャングルや狭小なビルの部屋から魂を開放し、無限の空間へと導かれていくような感覚をおぼえるはずである。

 

サウンドデザインとしての性格の他に、Marine Eyesはホーム・レコーディングのギタリストとしての表情を併せ持つ。ギタリストとしての性質が反映されたのが「shortest day」である。アナログディレイを交えたシークエンスに繊細なインディーロック風のギターが重ねられる。それはアルバム・リーフのようなギターロックとエレクトロニックの中間点にある音楽性を探ろうと言うのである。それらは何かに夢中になっている時のように、リスナーがその核心に迫ろうとすると、すっと通りすぎていき、消えて跡形もなくなる。 続く「first rain」では、情景ががらりと変わり、雨の日の茫漠とした風景がアンビエントを通じて表現される。さながら、窓の外の木々が雨に烟り、視界一面が灰色の世界で満たされていくかのような実に淡い情感を、アーティストはヴォイスパッドを基調としたシークエンスとして表現し、その上に薄く重ねられたギターのフレーズがこれらの抽象性の高い音響空間を徐々に押し広げ、空間性を増幅させていく。まるでポストロックのように曖昧なフレーズの連続はきめ細やかな情感にあふれている。


続く、「roses all alone」はより抽象的な世界へと差し掛かる。アーティストは内面にある孤独にスポットライトを当てるが、ギターロックのミニマルなフレーズの合間に乗せられる器楽的なボーカルは現行の他のアーティストと同じように、ボーカルをアンビエンスとして処理し、陶然とした空間を導出する。しかし、これらはドリーム・ポップと同じように聞き手に甘美な感覚すら与え、うっとりとした空間に居定めることをしばらく促すのである。朝のうるわしい清涼感に満ち溢れたアンビエンスを表現した「on this fresh morning」の後につづく「pink moment」では、かつてのハロルド・バッドが制作したような安らいだアンビエント曲へと移行する。Marine Eyesは、それ以前の楽曲と同じように、ボーカルのサンプリングと短いギターロックのフレーズを交え、ただひたすら製作者自らが心地よいと感じるアンビエンスの世界を押し広げていく。タイトル曲「idyll」と同様に、ここではニューエイジとヒーリングミュージックが展開されるが、この奥行きと余白のある美しい音響性は聞き手に大きなリラックス感を与える。

 

続く「shortest day(reprise)」は3曲目の再構成となるが、ボーカルトラックだけはそのままで、シークエンスのみを組み替えた一曲であると思われる。しかし、ギターのフレーズを組み替え、ゆったりとしたフレーズに変更するだけで、3曲目とはまったくそのニュアンスを一変させるのである。3曲目に見られた至福感が抑制され、シンプルなアンビエント曲として昇華されている。オリジナル盤のエンディング曲に収録されている「you'll find me」も同様に、ギターロックとアンビエントやヒーリングミュージックと融合させた一曲である。シングルコイルのギターのフレーズは一貫してシンプルで繊細だが、この曲だけはベースを強調している。バックトラックの上に乗せられるボーカルは、他の曲と比べると、ポップネスを志向しているように思える。エンディングトラックにふさわしいダイナミックス性と、このアルバムのコンセプトである安らぎが最高潮に達する。ポストロックソングとしても解釈出来るようなコアなエンディングトラックとなっている。


それ以降に未発表曲「make abends」とともに収録されたリミックスバージョンは、そのほとんどが他のアーティストのリミックスとなっている。そして、オリジナルバージョンよりもギターロックの雰囲気が薄れ、アンビエントやアンビエント・ポップに近いリテイクとなっている。マスタートラックにリバーブ/ディレイで空間に奥行きを与え、そして自然味あふれる鳥のさえずりのサンプリング等を導入したことにより、原曲よりさらに癒やし溢れる空間性が提示されている。これらのアンビエントは、オリジナル盤の焼き増しをしようというのではなく、マスタリングの段階で高音部と低音部を強調することで、音楽そのものがドラマティックになっているのがわかる。オリジナル盤はギターロックに近いアプローチだったが、今回、複数のアーティストのリミックスにより、「Idyll」は新鮮味溢れる作品として生まれ変わることになった。

 

 90/100

 

 Mark de Clive-lowe, Shigeto, Melaine Charles

『Hotel San Claudio』

 



 

作曲家、ピアニスト、DJであり、ジャズ、ダンス、ヒップホップの架け橋として20年にわたり活躍してきたマーク・ド・クライヴ・ロウ(MdCL)が、ブルックリンを拠点にハイチ出身のジャズ・ヴォーカリスト兼アーティスト、メラニー・チャールズとデトロイトのドラマー/プロデューサー/DJ、シゲトとコラボしたアルバム、ホテル・サンクローディオが遂に登場する。ファラオ・サンダースの再解釈を含む3トラックセットのスピリチュアル・ジャズをライブ感あふれるビーツに変換し収録している。


メラニー・チャールズのデビューアルバム『Y'all Don't (Really) Care About Black Women』、MdCLが2022年にドワイト・トリブルとテオドロス・アヴェリーを迎えてリリースした最後のロングプレイヤー『フリーダム - ファロア・サンダースの音楽を祝う』に続き、3人の先鋭ミュージシャンは、9トラックの音の探求と即興によるジャズ、ヒップホップ、ソウルなハウスにわたる芸術の旅に参加することになった。


また、ファラオ・サンダースが最近亡くなったことを受け、偉大なマスターの3つの再解釈、「The Creator Has a Master Plan」(ここでは2つのバージョンがある)と「Love is Everywhere」は、彼のメッセージと精神をそのままにこの曲を再創造する方法として機能している。


マーク・ド・クライブ・ロウは、「ファラオ・サンダースが私たちに提供するものは、人間の状態を反映したものであり、私たちがなりうるすべての願望を包んでいる」と表現している。「サンダースの精神は、私たちがどのように、どのように創作するかを導く道標であると考えるからです」


イタリア/ウンブリアの首都ペルージャから東へ90分、なだらかな丘、アドリア海、絵のように美しいイタリアの田園風景を背景に、自然の中でくつろぎ、クラシックなデザインのホテルが、3年近くかけて実現した刺激的なコラボにより、一瞬にして我が家のようにアットホームな場所に生まれ変わった。


この旅は、2018年にアメリカのデトロイトで始まった。特別なデュオ・パフォーマンスと銘打たれ、コラボレーター/リミキサーMdCL(Nubya Garcia, Bugz In The Attic, Dwight Trible, Ge-Ology)が、デトロイト出身のザック・サギノーことShigeto(Andrés、Dabrye、Shlohmo)とともに地元の会場、モーターシティ・ワインを舞台にパフォーマンスを行うよう招待された。


2人は実際会ったことがなかったにもかかわらず、真剣なセッションが行われた。数ヶ月後、イタリアで、MotorCity Wineを組み込んだFat Fat Fat Festivalは、2019年のプログラムのオープニングにこの2人をフィーチャーすることに照準を合わせた。しかし、2人はパズルのピースが欠けていると感じていた。そこで登場したのが、"トリプル・スレット"ことメラニー・チャールズだ。


2018年10月にブルックリンで開催されたフェスティバルのポストショーで初めてつながり、その後、日本の加賀市で2週間のスタジオ・レジデンシーを行ったMdCLは、チャールズが完璧にコラボレーターとしてフィットすると確信したのだった。


Fat Fat Fatでのヘッドライン・セット(そして、その後、このニュー・アルバム)となる素材の執筆とリハーサルの間に、トリオは週の大半をぶらぶらして風を切り、イタリア料理/ワインと音楽のお気に入りを共有した。その中で、影響を受けたミュージシャンの一人が、サックスの巨人、宇宙の賢人でもあるファロア・サンダースだった。


トリオは、サンダースの30mに及ぶ名作「The Creator Has A Master Plan」と象徴的な「Love Is Everywhere」を2部構成で演奏し、ホテル・サン・クラウディオのスピリチュアルに焦点を当てたジャズの中心的な存在とした。


この曲には普遍性があり、美しくシンプルな2コードのメジャーハーモニーとマントラのようなテーマがある。さらに「この曲には、宗教的、精神的なものであろうとなかろうと、世代やイデオロギー、文化の違い、それらを超えて全ての人に届くような何かが込められている」とトリオは説明する。


さて、その数ヵ月後、ニューヨークの有名なジャズライブハウスNubluで行われたマーシャル・アレン監督によるサン・ラ・アーケストラのライブに続いて、Fat Fat Fatでのトリオのパフォーマンスを行った。(当日はミニ竜巻でほとんど中止になるも、会場はまさに熱狂的だったという)

 

翌日、3人はすぐにスタジオ入りし、前日の熱狂そのままにライブセッションの音をテープに収録する。シゲトのディラ風スラップ、メラニー・チャールズの巧みなライム、MdCLのサンプル・チョップなど、ヒップホップへの愛が感じられるパーフェクトなシングルである。


MdCLのアルバム『Heritage』で初めて披露された『Bushido』は、70年代のジャズ・フュージョンに重きを置いており、MdCLのシンセの衝動とドナルド・バード寄りのソウル・ジャズのプロダクションが、雰囲気と実験の境界を這うように展開している。MFTでは、Charlesのボーカルが、大きなリバーブとディレイで処理され、Hotel San Claudio全体に存在する、広大な天空のようにゆったりとした質感を与えているのがわかる。


トリオのケミストリーは、どんな形であれ、新境地を開拓することに長けており、その勢いは現在のところ衰え知らずである。LA、デトロイト、ニューヨーク、そして日本からイタリアを経由し、Hotel San Claudioは、今まさに世界に飛び立とうとしているのである。

 


Shigeto/Mark de Clive-lowe/Melaine Charles


Mark de Clive-lowe、Shigeto、Melaine Charlesから成るトリオは、コラボレーションという本質に迫り、そして、ミュージシャンの異なる性質が掛け合わるということがなんたるかを今作においてはっきりと示している。


昨年9月に亡くなった米国アーカンソー州のジャズの巨匠、ファラオ・サンダースに捧げられた『Hotel San Claudio』は、少なくとも単なるトリビュート・アルバム以上の価値を持つように思える。それは固定化し概念化したジャズシーンに対して新風を吹き込むとともに、音楽の新たな可能性の極限をトリオは探求しようというのだ。

 

『Hotel San Claudio』は、イタリアにあるホテルを主題に据えた作品である。もちろんタイトルから連想される優雅さは全体に見出すことが出来るが、なんと言っても、巨匠のもたらした音楽の革新性を次世代に受け継ごうというトリオの心意気が全面に漲ったパワフルな一作と呼べるだろう。

 

そもそも、ファラオ・サンダースはスピリチュアル・ジャズとしてのテーマを音楽性の中心に据えていた。マーク・デ・クリーヴ・ロウ(MdCL)、シゲト、メライン・チャールズの三者は、DJ、ドラマー、ヴォーカリスト/フルート奏者として、スピリチュアルな要素と、ジャズ、ソウル、ディープハウス、アフロ・カリビアン・ジャズ、 ヒップホップという幅広い視点を通じて、刺激的な作品を生み出すことになった。


最近、トリオは「Jazz Is Dead」というキャッチフレーズを掲げ、ライブ/レジデンスを定期的に開催している。ジャズは死すというのは真実ではあるまいが、少なくともトリオはジャズにあたらしい要素を加味し、フューチャー・ジャズ、ニュー・ジャズ、クロスオーバー・ジャズの時代を次へ、さらに次へと進めようとしている。

 

このアルバムはソウルの要素が強いジャズとして、また、ウンブリア州のホテルの名に由来することからもわかるように、難しいことを考えずにチルな作品としても楽しめる。ただ、クロスオーバーという概念に象徴されるほとんどの音楽がそうであるように、細分化された音楽の影響がところどころに見られる。そして、トリオの音楽的なルーツがなんの気兼ねもなく重なり合うことで、明るく開放的なエネルギーを形成しているのである。

 

マークによるスクエア・プッシャーの全盛期のような手がつけられない前衛的なサンプラーやシンセサイザーのフレーズ、シゲトのチョップを意識したビート、さらにアフロ・キューバン・ジャズの影響を踏まえたチャールズのフルート、そして、マイケル・ジャクソンのバンドとして参加したこともある彼女のヒップホップとソウルの系譜にあるパワフルなボーカル/ライムは実際のセッションを介してエネルギーをバチバチと言わせ、そしてジャズともソウルともつかない異質なスパークを形成し、リスナーに意外な驚きをもたらすのである。

 

ニューエイジ/スピリチュアル・ジャズの系譜にあるオープニング・トラック「The Creator Has A Master Plan」において、トリオはくつろいだ雰囲気に充ちた音の世界を綿密に構築する。フルート奏者のメライン・チャールズの雰囲気たっぷりの演奏により、物質的な世界とも精神的な世界ともつかない音響世界へ聞き手をいざなう。そのスピリチュアルな音響空間に、ソウルフルなチャールズのメロウかつソフトなボーカルが乗せられる。

 

続く、カリブ音楽の変則的なリズムを交えた#2「Strings」は、ラップ、ディープ・ハウス、ジャズの合間を行くようなナンバーだ。前曲とは異なり、このトラックをリードするのは、DJのMark de Clive-lowe(MdCL)である。彼の独創性の高いベースラインとリードシンセが魅惑的なアンビエンスを形成し、それに合わさるような形で、シゲトのジャズ風のドラミングがトラックに力強さを付与する。さらに、メライン・チャールズのソウルフルなボーカルが加わることで、三位一体の完璧なジャズ・ソウルが組み上げられ、また、その上に爽やかなライムが加わる。


聞き手は実際のセッションを通じ、どのように音が構造的に組み上げられていくのか、そして、シゲトのシャッフル・ビートを多用したスリリングなリズム構成が曲全体にどのような影響を及ぼしているのか、そのプロセスに触れることが出来ると思う。


「Strings」

 

 

これらの前半部の動的なエネルギーに満ちた展開を受けて訪れる3曲目「MFT」は一転して、チルアウトの雰囲気に充ちたムーディーなナンバーに移行する。


スピリチュアル・ジャズの要素を端々に散りばめ、メライン・チャールズのメロウで奥行きのあるボーカルは、時にはアフリカ民族音楽のようなエキゾチズムを交え、さらにアフロジャズ風のフルート、そして、それに対するディレイ/リバーブを組み合わせることで、最終的にミステリアスな楽曲として昇華される。特に、前二曲と比べると、チャールズの伸びやかなボーカルを堪能出来るが、時には、ニューエイジ風の精神世界を反映させたような異質な雰囲気に溢れている。


続く、「Bushido」はハイライトのひとつで、ニュージーランド出身の日系人であるMark de Clive-lowe(MdCL)のルーツを形成する一曲だ。


彼は、ヨナ抜き音階をシンセを通じてスケールを維持してフレーズを紡いでいく。和風なエキゾチズムは、スピリチュアル・ジャズの系譜にあるメラインのフルートとマーク・デ・クライヴ・ロウのオシレーターによるレトロかつアバンギャルドなリードシンセによって増幅される。前3曲に比べ、マークとチャールズのセッションの迫力がより鮮明となる。さらに静と動を兼ね備えたシゲトのパワフルなドラムがセッションをこの上なく刺激的なものにしている。特にトリオの持つアバンギャルド・ジャズのムードが最も力強く反映された一曲となっている。


インタリュードを引き継ぐ「Kanazawa」はもちろん言うまでもなく、日本の地名に因んでいる。アルバムの中で最もポピュラー要素が濃いナンバーであり、聞き手にやすらぎをもたらすこと請け合いだ。アルバムの前半部とは異なり、チャールズがセッションの主役となり、バックバンドを率いるかのような軽快さでリードする。ボーカルの合間に、チャールズはメロウなフルートを披露し、ポップなナンバーにアルバムのコンセプトであるリゾート地にいるようなリラックスした感覚を付与している。


さらに終盤に収録されているファラオ・サンダースのカバー「Love Is Everywhere」も沸き立つような雰囲気に満ち溢れたナンバーである。

 

フュージョン・ジャズ風のリズムに加え、ループ要素を込めたミニマルなフレーズとチャールズの快活なボーカルが劇的な融合を果たす。ジャズの巨匠ファラオ・サンダースが伝えようとした宇宙的な真実は、世界に平安をもたらすであろうことを証明している。また、ハスキーヴォイスを交え素晴らしいファルセットを披露するチャールズのボーカル、そして、マークのシンセの動的なエネルギーとシゲトのライブのような迫力を持つドラムの劇的な融合にも注目したい。

 

「Interlude(Degestivo)」は、5曲目の間奏曲の続きではなく、「The Creator Has A Master Plan」のテーマを変奏させたものと思われるが、それは別の意味が込められており、次の二曲目の連曲「The Creator Has A Master Plan Ⅱ」の呼び水ともなっている。


これらの構造的な性質を受け継いだ後の最終曲は、一曲目のスピリチュアルな雰囲気に回帰し、円環構造を形成する。この点は、実際に通しで聞いた時、サンダースの遺作の円環的な構造と彼の音楽的なテーマである神秘主義を思い起こさせ、全体に整合性があるような印象をもたらすはずだ。



84/100



Weekend Featured Track 「Kanazawa」


『Hotel San Claudio』はSoul Bank Musicより3月24日に発売。アルバムのご購入はこちらより。