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エリック・サティが生きていたのは20世紀の節目である。この時代は、旧来の西洋の階級化社会が資本主義社会へと少しずつ移行していった時期に当たる。それ以後の近代/現代音楽に強い影響を及ぼしたサティは、音楽の聞かれ方が変化しつつあることを鋭い感性によって察知し、それまでになかった概念「家具の音楽」を編み出した。ジムノペディを筆頭に、ピアノ曲のイメージが強いサティだが、「Furniture Music」は弦楽重奏を基本とする室内楽作品だ。この曲では、室内楽ながら、彼の卓越したオーケストレーションが発揮されている。当世風のポピュラー音楽からの影響を感じさせつつも、いかにもサティらしい、おしゃれな雰囲気を感じさせる。
エリック・サティは、アンリ・マティスの絵画からインスピレーションを得て、背景音楽を意味するBGM(バックグラウンド・ミュージック)という構想を考案したという。マティスの絵自体が、インテリアのような趣を持ち、壁や空間との色彩的な調和という性質があったことを鑑みると、彼が”家具の音楽”を作り出したのは自然な成り行きだったのだろう。サティが絵画好きであったかどうかは定かではないが、彼は印象派の画家を多数輩出したモンパルナスから登場した音楽家である。また、20世紀初頭のパリでは、絵画と音楽、詩と文学が連動して発展して行った。流行に敏感で鋭いセンスを持つエリック・サティが、パリの画廊を歩き回り、何らかの印象派絵画のイメージを自分の作風に取り入れられないものかと思案した事は想像に難くない。
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| アンリ・マティス 赤のハーモニー |
フランスの近代音楽の発祥地であるパリ音楽院から、パリ・スコラ・カントルムへと学びの場を変え、その後、モルマントルにあるカフェでショパンなどのピアノ弾きを務めたサティの環境には、常にパリの人々のおしゃべり、ファッション、 先鋭的な芸術運動があった。彼は20世紀の芸術文化の中心地で暮らしていた。
諸説あるものの、家具の音楽の出発とされるのが、1920年3月8日に行われたマックス・ジャコブの戯曲「Lufian Toujours, Turan Jamet(ルフィアン・トゥジュール・トゥラン・ジャメ)」の上演時である。サティとともに、この音楽を制作したダリウス・ミヨーは、以下のように回想している。ここには映画音楽の前身となる''劇伴音楽''として出発した家具の音楽をきっと捉えられるはずだ。
「音楽が同時にすべての方向から流れ出し、クラリネットを劇場の三つの角に、ピアノを第四の場所に、トロンボーンを一階のボックスに配置した」 ポール・ポワレの所有するギャラリーの展示会においてこの楽曲は上演され、マックス・ジェイコブの戯曲の合間に、サティの音楽が演奏された。このときのコンセプトについて、エリック・サティは「注意をそらすような主題のない芸術を夢見ている。それは良いアームチェアに例えられる」と述べたことがあった。
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| 20世紀のモンパルナス |
エリック・サティは、音楽芸術のあり方にイノベーションをもたらした。しかし、それはむしろ環境が整っていたから出てきたアイデアとは言い難かった。サティは芸術表現そのものが縮小化される中で、その表現形式のあり方を探求した。第一次世界大戦中、彼は、セーヌ川左岸のモンパルナスで、BGMの形式を考えついた。モンパルナスは、印象派の画家が多数活躍したアートシーンの中心地でもある。戦争によって大きなコンサート会場やギャラリーが次々閉鎖されると、音楽家や画家達はモンパルナスの近郊にあるヒューゲンス6番地のアトリエに集った。
アトリエの所有者のスイス人画家エミール・ルジュヌ(Émile Lejeune)は、コンサートプロデューサー、アルトゥール・ダンデロに、アトリエをコンサート会場として使わないかと提案した。 ダンデロは提案を受け入れ、その後、スウェーデンの作曲家ヘンリク・メルシェルにすべてを委任した。
アトリエのコンサートの多くは、詩の朗読や展覧会が同時に開催された。ここにはパリの複合的なアートに関する主題が把捉出来る。その中には、モンパルナスの芸術融合を示すコンセプト「Lyre et Palette(リール・エ・パレット)」が掲げられることもあった。最初に、このアトリエで開催されたのが、「サティ・ラヴェル・フェスティバル」であり、1916年4月18日に行われた。
1916年11月17日に開催された展覧会で演奏されたサティの「Instant Musical(インスタント・ムジカル)」。その名の通りこれは即興音楽を意味し、ジャズにも近いニュアンスに満ちている。イベントでは、詩の朗読会が行われ、ジャン・コクトーとブレーズ・サンドラールが一編ずつ詩を書き、うち一編はエリック・サティに捧げられた。ルジュヌは回顧録で以下のように回想した。
「サティは、オープニングの最中にこっそりピアノの前に座って、即興演奏をするつもりだと私に教えてくれた。『それはいわば”空間を彩る音楽”になるだろう』と彼は言った。『だから、来場者には引き続き歩き回ってほしい。君や仲間にはすでに伝えてある』と言った」という。
ここには作曲家としての謙遜も含まれているようだ。もし、自分の音楽がアンリ・マティスのような完璧な絵画と並んだら? ちょっと気後れするかもしれない。たぶん、サティはそんなことを考えたに違いない。
先にも述べたように、一部のパリの芸術家の間で普及していた「家具の音楽」というアイデアが一般的に知られるようになったのが、1920年のマックス・ジェイコブ(Max Jacob)の戯曲の上演だった。しかし、サティの家具の音楽が真に理解されるまでには多くの時間を要さねばならなかった。
この音楽は、明確にBGMやサウンドトラックのようなニュアンスを擁する。つまり、ループサウンドから構成され、全三曲からなり、おのおの12小節、4小節、4小節というセクションが繰り返された。サティは、観客が自分の音楽を''家具の調和''のように見なされることを予期していたが、オーディエンスの反応はあらかじめ想像していたものと全然異なるものだった。その場に居合わせた観客はサティの音楽に静かにじっと聞き入っていた。音楽が13回目の繰り返しに達したとき、サティはついに我慢がならなくなり、観客に対して、歩き回って、食べたり飲んだりするように促し、さらに、ときには「話して、天に誓って!」とも叫んだ。しかし、観客はサティのいうことを全然聞かなかった。この辺りにサティの微笑ましい人物像が思い浮かぶ。
サティは、音楽がインテリアのようにみなされることを理想としていたが、彼の希望は聴衆に容易には理解されなかった。というのも、この音楽、背景音楽としては良く出来すぎていて、意外と存在感があるからである。しかし、このパフォーマンスにより、BGMの未来が拓かれる。フランスの『VOGUE』の創刊号で、Musique d' ameublement(Back Ground Music)という言葉を対外的に紹介した。なんと、最新のインテリアに関するコラムで次のように言及されたのだ。
家具の音楽とは何か? それは演劇や音楽の演目の合間に演奏すべき音楽であり、セットやカーテン、ホールの家具と同じように、雰囲気を作り上げる役割を果たしている。エリック・サティの音楽は、モチーフが止まることなく、繰り返され、それらを聴くのは無意味という。その雰囲気の中で、注意を払わずに過ごさねばならない。
この音楽をどんなふうに聴くか、テーマについて、どんな意見を述べるのかはあなた次第。しかも、今シーズン私たちがこだわっている家具とは何ら関係がない。それは、今この瞬間の情熱を示す音楽を形作り、聴くためのきっかけに過ぎない……。
サティの音楽は、ロマン派以降、絶対的な主役であった音楽の味方を一変させた。彼は音楽が人々の暮らしを縁取るインテリアのようであってほしいと望んだ。サティはクラシック音楽界でも、とびきり風変わりな人物として知られているが、しかしこのようなコミカルな人物像こそ、彼が多くの人に愛される要因ともなったのではないだろうか。その証として、彼はフランスの近代音楽に強いインパクトを及ぼした。同じくパリ音楽院にルーツを持つドビュッシーやラヴェルもサティを信奉しており、彼なくしては存在し得なかった作曲家であると付け加えておく。
「Furniture Music」


