Dead Kennedysのドラマー、 D・H・Peligroが60歳で死去

 

©︎Nikko Meyers

 USハードコアシーンの重鎮、デッド・ケネディーズのドラマー、D・H・ペリグロが昨日10月28日、ロサンゼルスの自宅で死去したことが分かった。パンクバンドのソーシャルメディアに掲載された声明によれば、ペリグロは "偶然の転倒による頭部への外傷が原因で "亡くなったとのことです。63歳であった。


1959年にダレン・ヘンリーとして生まれたペリグロは、1981年2月、グループのオリジナル・ドラマー、テッド(ブルース・スレジンガー)の後任としてデッドケネディーズに加入した。


1981年のEP『In God We Trust, Inc.』でデビューし、スタジオ・アルバム『Plastic Surgery Disasters』『Frankenchrist』『Bedtime for Democracy』、レアリティ集『Give Me Convenience or Give Me Death』に参加した。


1986年にバンドが解散するまで演奏を続けたが、2001年に元フロントマンのジェロ・ビアフラを欠いて再結成した際に参加した。2008年初頭、デッドケネディーズから短い休止期間を経て、1年後に復帰した。


1988年、ドラマーJack Ironsの代わりにRed Hot Chili Peppersのドラマーとして短期間在籍したことがある。バンドの4枚目のLP『Mother's Milk』では演奏はしていないが、曲作りを手伝った。ペリグロは最終的にドラッグとアルコールとの闘いのためにバンドを解雇された。


Reverend Jones and the Cool Aid ChoirやAl Sharpton's Hair and the Hellionsなどのバンドを率いたほか、The Hellations, Jungle Studs, Nailbomb, The Feederz, Lock-Up, The Two Free Stooges, SSIなどで演奏した。


自身のプロジェクト、Peligroでは、1995年から2001年にかけて、Peligro、Welcome to America、Sum of Our Surroundingsの3枚のアルバムをリリースした。「Sum of Our Surroundings」は、2004年のAmerican Independent Music Awardsで「Rock Album Of The Year」を受賞し、4thアルバムからのシングルとしてリリースされたJimi Hendrixのカバー「Purple Haze」はグラミー賞にノミネートされました。


現時点では、葬儀の手配等については未定で、近日中に発表される。Dead Kennedysの声明にはこう書かれています。"この困難な時期に、家族のプライバシーを尊重するようお願いします。あなたの考えと慰めの言葉をありがとうございました"


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