Weekly Music Feature: Qasim Naqvi ~パキスタンにルーツを持つ作曲家カシム・ナクヴィによる驚異的な音楽~
パキスタン系アメリカ人の作曲家カシム・ナクヴィは、著名なトリオ、''ドーン・オブ・ミディ''のドラマーとしてよく知られている。その他にも、ECMから新作をリリースしたWadada Leo Smithとも共同制作を行っていて、ジャンルを問わずミュージシャンとして研鑽を重ねてきた。彼は、映画、ダンス、演劇、国際的な室内アンサンブルのためのオリジナル音楽を創作している。 最近の作品は、アナログ・シンセサイザーやオーケストラ編成の音色を深く掘り下げている。
実験音楽や電子音楽を得意とするErased Tapesと契約して以来、彼は2つのモジュラー・シンセサイザーの組曲を制作している。2019年の高い評価を受けた『Teenages』は、エレクトロニクスが生き、呼吸し、自ら変異する音を捉えた作品であり、2020年の姉妹作『Beta』は、この種の楽器のための作曲に対するナクヴィの理解と楽器自体の成長を記録した一連の実験的作品である。
カシムの音楽はアートとも親和性がある。彼の音楽は主体的な音楽としても楽しめるが、空間を彩る環境音楽としての性質も併せ持つ。空間に馴染む音楽の名手とも言え、彼の音楽は、グッゲンハイム美術館、dOCUMENTA 13 + 14、MOMA、リバプール・ビエンナーレ、セントルイス美術館でのインスタレーションに登場している。 現代音楽家としても名高い。彼の室内楽曲や管弦楽曲は、yMusic Ensemble、The Now Ensemble、BBC Concert Orchestra、The Contemporary Music Ensemble of NYU、Stargaze、The Helsinki Chamber Choir、The Bienen Contemporary/Early Vocal Ensemble、Nimbus Dance Works、シカゴ交響楽団(CSO)のMusicNOW Seasonで演奏されている。
2021年、アナログ・シンセシス組曲『クロノロジー』が全世界でレコード・リリースされた。2016年にデジタルのみで構想された『クロノロジー』は、カシムにとって初めてのエレクトロニック・ミュージックのリリースだった。即興音楽とクラシック音楽の世界に身を置いてきたナクヴィにとって、初の電子音楽アルバムは、コンピュータの豊富な選択肢を置き去りにして、故障したシンセサイザー、--古いムーグ・モデルD--だけで制作されるのがふさわしいと思われた。
パキスタン系アメリカ人の作曲家カシム・ナクヴィのニューアルバム『Endling』は、2023年のBBC コンサート・オーケストラ作品『God Docks at Death Harbor』の前日譚として作曲された。この作品は、数百年後の未来を舞台に、強烈で美しい風景の中を43分間のオデッセイへと誘う。
ナクヴィ自身の言葉を借りれば、アルバムは、8つの楽曲を通して、地球上の最後の人間である''エンドリング''の物語を語っている。エンドリングはある種の最後のメンバーである。 エンドリングが死ぬと、その種は絶滅するというのがシナリオだ。カシム・ナクヴイが明らかにしたところによれば、ニューアルバムは複数の構想を経て仕上がったという。
「ある朝、妻が夢から覚めると、"God Docks at Death Harbor "というフレーズが頭に浮かんできたらしかった。ちょうどそのとき、私はBBCコンサート・オーケストラのために新作を書き始めたところだったが、彼女がこの言葉の夢について話してくれたことで、それはあっという間に音楽の構想に浸透していった。 彼女の言葉は私にとってほとんど詩であり、具体的なイメージを呼び起こしてくれることがある。 私は、人類がもはや存在しない、何百年も先の未来の地球を想像した。 私たちがいなくなったことで、世界は平和に回復していく。 これが作品の信条となった」
「それは、このトーンポエムを書いているとき、インスピレーションを得るために眺めることのできる風景画のようだった。 2023年春にロンドンで『God Docks at Death Harbor』が初演された後、この感覚は私の中に残り、新譜について考える時期になり、この物語を続けたいなと感じた。 私は前日譚を想像してみた。地球上で最後の人間であるエンドリングが、何世紀も未来の世界を旅する話。 朽ち果て、変異した世界は、自然と人工の奇妙なアマルガムになるという」
「私は、この音楽が、自然界に追い越され、吸収されつつある未来の崩れかけた風景の中を、この人間を追いかける章立てになっていることをイメージしていた。 God Docksのトーンポエムの伝統に従って、私はまず曲のタイトルを作り、音楽が形になっていくにつれて、その意味をより明確にしていった」
「これらのタイトルには、現在の感覚も込められている。 エンドリングは、多くの人々にとって大きな苦悩と苦痛に満ちた2024年に制作された。 その時間は、このレコードのフィクションに追いつくかもしれない道のりのよう。それ自体がディストピックを感じさせ、それは今も続いているんだ」
アルバムのハイライト曲「パワー・ダウン・ザ・ハート」では、主人公が人生の最後の瞬間にあるA.I.に出会う。 一種の最後の儀式として、この古代の人工意識は、何百年も観察してきた美、悲しみ、恐怖を描写する。Moor MotherのボーカルはAIテクノロジーを表すために取り入れられたが、それは人の手によるボコーダーの装置によって濾過され、アルバムの特異点を形成している。
「私は、音楽がこの存在の心の中に流れるように感じられるふうにしたかった。 私は音楽とこの物語をカマエ(Moor Mother)と共有し、彼女がこのA.I.の声を担当してくれないかと頼んでみた。Camaeの声のサウンドをこのレコードの世界に取り入れるため、私は、”Buchla 296t Spectral Processor”として知られる、古い機械設計で彼女のボーカルを処理した。 この特異なアナログ・イコライザーを駆使し、微妙なヴォコーディング・エフェクトを作り出したり、もっと極端なやり方では、彼女の声の特定の響きを強調したり弱めたりすることができた。 そして最終的な結果は、プログラムされた人間らしさを脱ぎ捨て、永遠にパワーダウンする一種の合成音声だった」
「要するに、『Endling』の音楽はすべて有機的なアプローチによって行われ、ARP Odyssey、Minimoog、モジュラー・シンセサイザーによって生成され作られたと言える。私にとって、モジュラー・シンセサイザーのやりがいと満足感のひとつは、複雑な音色を一から開発することに尽きる。このモジュール装置は、有機的に不安定であり、扱いをミスると故障しやすい。 さながら有機体のように感じられ、そして演奏者としてそのエネルギーの流れや電圧をコントロールすることができた。 大人になってから、私の創作活動は両極端な方向性に進んでいった。 私は即興音楽を通じて、純粋に自然発生的な方法で物事を創造することが大好きなんだ」
「このたぐいの音楽的コミュニケーションは、二度と再現できないような複雑で直感的なアイデアに直結することがある。 そして、もう一方には、オーケストラや室内楽グループのために作曲するのが大好きな私がいる。 これは私の思考の詳らかな青写真をスローダウンしたようなものなんだ。 モジュラー・シンセサイザーは、この2つの世界を見事に橋渡ししてくれることがわかった」
「私は、今回、この電圧制御のマシンを、珍しい楽器やモジュールで構成されたアンサンブルのように扱うことができ、そのアンサンブルのためにコンポジションを行った。 私は、このマシンの有機体に音楽を提示し、電圧の減衰(Decay)を通して、即興演奏家のようにライブで素材を編成することが出来たんだ。そしてアンサンブルのように、モジュラー・シンセサイザーの解釈は常に異なり、私が思い描く以上の非常に豊かなソノリティやパターンを生み出した」
「”Endling”に対するこれらの全般的なマシーン・アプローチは、(BBCの)オーケストラの前任者に対する比類なき賛辞であり、なおかつまた、このアルバムの未来とは異なる種類のオーケストラのように感じられる」ーーQasim Naqvi
Qasim Naqvi 『Endling』- Erased Tapes
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従来の音楽形態は、ポピュラー/ロックソングのように主体的なもの、サウンドトラック/環境音楽のように付属的なものというように、明確に分別されてきたように思える。しかし、パキスタンにルーツを持つ作曲家、カシム・ナクヴィの音楽はその境界を曖昧にさせ、一体化させる。
そして、今一つの音楽の持つ座標である能動性と受動性という二つの境界をあやふやにする。ナクヴィの音楽は、ある種のバーチャル/リアルな体験であり、それと同時に、近未来の到来を明確に予見している。彼の音楽は、高次関数のように、多次元の座標に、音階、リズム、声を配置し、その連関や定点を曖昧にしながら、音の流れが複数の方向に流れていく。このアルバムの音楽は、従来のポリフォニー音楽になかったであろう新しい着眼点をもたらしている。音楽のストラクチャーというのは、音階にせよ、リズムにせよ、ハーモニーにせよ、必ずしも一方方向に流れるとは限らない。これが二次元のスコアで考えているときの落とし穴となるのだ。
電子音楽による壮大なシンフォニアとも言える「Endling」は、SFをモチーフにした広大な着想から生まれている。ナクヴィの妻が話してくれた謎の言葉、「デス・ハーバーのゴッドドック」は、一般的な制作者であれば気にもとめなかったのではないか。しかし、制作者にとっては啓示のように思え、ある種の”ダヴィンチコード”のような不可解さを持ち、脳裏を掠め、音楽のシナリオの出発点となり、また、その最初の構想が荒唐無稽であるがゆえ、イマジネーションが際限なく広がっていった。
カシム・ナクヴィは、フィクションとノンフィクションが混ざり合う不可解なモチーフを、彼自身の豊富なイマジネーションをフルに活用して、電子音楽によってそれらの謎を解き明かしていこうと努めた。しかし、もちろん、MOOGなどモジュラーシンセというアナログな装置を中心に制作されたとはいえ、完全な古典主義への回帰を意味するわけではなかった。いや、それとは対象的に、先進的な趣旨に縁取られ、現代人の生き方と密接に関連する内容となった。
この音楽を聴き、どのような考えを思い浮かべるかは、それぞれの自由であろうと思うが、重要なのは、その考えを日頃の仕事や暮らしのヒントにすることも不可能ではないということである。つまり、アルバムの音楽は見えない複数のルートが同時に存在することを暗示させる。これらはSFのタイムラインやパラレルという概念とも密接に繋がっているのではないかと思う。
現今では、AIテクノロジーの著しい進化は、人間の暮らしに多大な利便性をもたらしたのは確かだったが、日常的な生活に浸透させ過ぎることに警鐘を鳴らす研究家もいる。 便利すぎるということ、それがそのまま新しい着想や発明の芽を摘みとることがある。それに加え、利便性には、人類が発展するための成長性や自律性を削ぎ落とす弊害も内在している。果たして地球の未来は、「猿の惑星」のようにAIやテクノロジーに翻弄されるディストピアになるのだろうか。
カシム・ナクヴィさんは、どうなるか不分明な未来の人間社会の進展を、現在の世界情勢や暮らしとリンクするような形で、人間の根源的な生命の意義と結びつけて、人類の理想的な存在とは何かを探求していく。しかし、例えば、優れた映像作品のように、それらは飽くまで提言にとどまり、ぞれぞれの聞き手が答えを見つけるというような趣旨の作品となっている。良い概念とは、性急な結論を出すのではなくて、自発的な考えを促すよう手助けをするものである。
このアルバムには、宗教、人種、戦争、環境、自然と生物との共存、エネルギーや資源、そういった現代の世界に内在する複数の問題点を明らかにし、それらの着想を音楽で体現するという、現代のミュージシャンが率先して行うべき模範例が示されていると言えるかもしれない。それらは利己主義やポピュリズムが繁栄する現代社会に、ある種の規律や均衡をもたらそうとする。
同時に、このアルバムでは、アナログのシンセが積極的に制作に取り入れられている。アナログというのは、意図的に音を消すということが出来ない。信号を送るのは人の手であるが、音がどこで消えるのかを決定するのは人間ではない。時々、アナログ信号では、音を消すことができず、ずっと鳴り続けることもある。また、演奏者がまったく意図せぬ偶発的な音が発生する場合もある。それはそのまま、即興的な音楽の発生を促し、結末や結果がどうなるかわからない、というスリリングな雰囲気をもたらすことになる。例えば、音楽がすべて方程式のように進んでいき、何の意外性も偶然性も持たないとすれば、それではあまりに退屈すぎるのではないか。実際的に、このアルバムには、チャンス・オペレーションの次の段階が示されている。
音楽のライブ演奏の中で、観客の反応も含めて、どのような偶発的な要素が発生するのか。偶発的な要素により、何らかのケミストリーが発生するのか。それはミュージシャンとしての最高の楽しみのひとつであると思うが、カシム・ナクヴィは、この偶発的に生み出される要素を心から楽しんでいる印象を持つ。例えば、コンピューターやプログラムのエラーやバグのような瞬間もまた、ライブ演奏のような感じで演奏し、組み合わせたり設計したりしている。それは部分的には、意図しない何かを許容したり、抑制できない何かを認めるという、音楽制作をするまでは出来なかったことが出来るようになる瞬間である。そして、このアルバムでは、そういったコントロール出来ない部分から逸脱したときに、神秘的な音楽が出来することがある。そして、制作者は旧来、現代を問わず、テクノロジーを駆使し、それらを作り出していくのだ。
『Endling』は全般的に見ると、ドローン・ミュージックを中心に組み上げられている。 ドローンというのは、スウェーデンなどで盛んなアンビエントの次世代の音楽であり、ラモンテ・ヤング、タシ・ワダがバクパイプ構造を持つ音響性を活かし、持続音の知られざる魅力を探求し、前衛音楽を作り出した。音の通奏音の持続、あるいは減退の段階を通じて、音調(トーン)の変調や波のうねりを生み出し、最終的には多彩な音楽のウェイブの性質を示すというものである。
「1-Fires」はインタリュードのような形で始まり、カナダのエレクトロニック・プロデューサー、Tim Heckerが『No Highs』で試みたように、下降していくドローン音が導入部となっている。その最初のモチーフに対して、アナログシンセのリードやベースは、段階的に上昇するカウンターポイントを描き、SFや天文的な音楽の印象を取り入れ、スタンリー・キューブリックの映画「2001年 宇宙の旅」のような神秘的なオープニングのような序章の音楽を形作る。
「2-Beautification Technology」は対して、シュトゥックハウゼンが提唱した音の集合体を意味する「トーン・クラスター」の類型に属する。アルペジエーターを配した持続音を緻密に配列した上で、高次関数のように複数の座標を持つ数学的な電子音楽の構造を作り上げる。ミニマル音楽としても聴くことも可能であるが、オシレーターのような装置を用いて、徐々に全体的な音響をぼかしていき、移調させていくという独特な手法を発見することが出来る。この曲では、人の手ではコントロール出来ない、音の強弱を活かして、偶発的な音楽を発生させている。
「Beautification Technology」
近代/現代の音楽として、その場に満ちる”空気感”とも呼ぶべきものを最初に表現したのは、おそらく、リゲティ・ジョルジュであった。ユダヤ人のホロコーストを題材に、不気味で恐ろしい空気感を表現したのだった。「3-The Glow」は、地上的な概念を表したというより、宇宙に偏在するダークマターやダークエネルギーといった、現在の物理化学では解明しえないエナジーを出現させたという印象である。一般的に言われるところでは、現行の物理の分子学や原子学では解明しえないエネルギーが、宇宙空間には90%以上も偏在するのだという。これはおそらく、ギリシャ哲学でほのめかされたエーテルのような、三次元空間には存在しない非物質のことを示唆するのではないか。そして、カシム・ナクヴィは、そういった非物質的な現象や目に映らない存在を認め、音楽を通じて、それらの神秘性に迫ろうとしている。音楽の正体は振動やバイブレーションである、ということをあらためて痛感させる特異なトラックである。
前曲を分岐点として、このアルバムの音楽はSFの性質を強めていく。SFのロマンとは、この世に解明出来ないことが存在すること、あるいは、その謎を探索したいという人間の原初的な欲求から生ずる。
続く「4-Power Down The Heart」は、そういった知的好奇心を駆り立てる何かが内在する。例えば、子供の頃は、すべて知らないものを無邪気な目で見ているが、大人になると知らないものですら、そういった純粋な目で見れなくなる。''多くの情報を知りすぎる''という楽園のアダムのような現象こそ、現代の人々にとって、退廃や堕落を意味するのだ。「Power Down the Heart」は、むしろ知らないことの素晴らしさや、知り得ないことに目を開かれることの喜びを表す。この曲では、Moor Motherをボーカリストとして招き、そして、AIの声をシンガーに仮託し体現させている。ムーア・マザーは最後に地球に残された種の意識体をボーカルで表現している。近未来を人類はどのように生きていくべきか、そういった提言をナクヴィは行う。
「Power Down The Heart」
「5-Plastic Glacier」はどうだろうか。スコットランド/スペインのバクパイプの音響性をドローン音楽という側面から解釈し、それらをブライアン・イーノのアンビエントのバイブルになぞらえた一曲という感じがする。表向きには、ありふれた氾濫するフラットな音楽に過ぎないように思える。しかし、実際に聴いてみるとわかるように、他の曲とは印象が異なる。モジュラーシンセは、一つの音符を発音するたびに、異なる倍音を発生させ、次に同じ音階を発生したとしても、同じ音やトーンになるとは限らない。これらの偶発的な音楽性は、ハモンド・オルガンやパイプ・オルガンのような荘厳で奥行きのある音響性をもたらし、そして実際的に曲の中で、フーガにもよく似た追走の性質をもたらし、コラールにも似た美麗なハーモニーを形成するに至る。
アルバムのもう一つの注目曲でタイトル曲「6-Endling」は、アナログシンセによって、鳥の声や生物の声を生成し、澄明で精妙なエネルギーを持つシークエンスを敷き詰める。この曲は、地球から宇宙を俯瞰する人間とは対象的に、宇宙から地球を俯瞰するような超大な音楽的な印象に縁取られている。ドイツのAlva Notoを彷彿とさせる精妙なシンセの音色は、重厚な通奏低音の配置、そして、オクターブの倍音を構成する高音部といった多彩なハーモニーを形成する。持続音が連なっていくに過ぎないように思えるが、音楽の持つ景色が少しずつ変化していく。この曲でも、ドローン音楽に類する作曲の中で、偶発的な音響の発生が、計算しつくせない審美的な和音を作り上げる。音楽の持つ人智では図りしれない神秘的な一面をものの見事に発現させている。
全般的には、アナログの人工的なサウンドが際立っているが、「7-In The Distance」はかなりデジタルの質感が強いサウンドである。 しかし、よく聞くと、この曲も、アナログで制作されているらしく、ボリュームの抑制が効かない箇所が登場する。他のトラックでは封印していたノイズの側面が際立つ。しかしそれは、一貫して、精妙な振動数で構成されていためか、そのノイズの中には、数式の配列のような美しさが存在している。そして前の曲と同じように、十二音階から導き出される無数の倍音の持つ多彩性を組み合わせて、地球の多様な生物の性質を表現しているように思える。
近年、アジアの雅楽やガムランの微分音に興味が注がれることもあったが、西洋音階にも、微分音はおそらく存在している。それらは音符のタブルフラットやダブルシャープ、あるいはJSバッハやベートーヴェン、ショパンがスコアの中に暗号のように残した半音階進行の和声や対旋律、あるいはその残響や余韻という形で体現されてきた。
タイトル「In The Distance」から見ると、宇宙に関する主題に思えるが、おそらく''このアルバムの信条''と制作者が述べる''時間的な隔たり''をモチーフとし、未来から現在の地球の姿を俯瞰するという、かなり深遠な概念が込められている。第二次産業革命以降の人類は絶えず、テクノロジーの発展により、未来を造出してきた。他方、現代の人類としては、未来の理想を考えたさいに、今どのように工業や産業、テクノロジーを発展させていくべきか、という逆算的な視点が不可欠であることがわかる。
最も衝撃的な曲がアルバムの最後に控えている。結末がどのようになったのかは実際に聴いて確かめていただきたいと思う。しかし、ダークアンビエントともいうべき、この曲は、アルバムの中で最も衝撃的であり、緊張感に満ちていて、音楽の持つスリルを体現させている。今作は、EDM、IDMといったジャンルに希釈されることのない''独立した正真正銘の電子音楽''である。影響を受けた作品はあるかもしれないが、それが完全にオリジナルになっている点に敬意を表したい。映画的な音楽と言っては語弊があるかもしれないが、BBCのドキュメンタリー以上のハリウッド的なエンディングだ。音楽ファンとしては、本当の意味で、新しい形態が出てきた瞬間に感動を覚える。テクノロジーと同じである。それがつまり「Endling」の価値といえよう。このアルバムを聴くという、またとない幸運にあやかった少数のファンは、音楽の近未来の姿を垣間見ることになるだろう。
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Qasim Naqvi(カシム・ナクヴィ)の新作アルバム『Endling』はErased Tapesから本日リリース。ストリーミングはこちらから。