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最初はチープなアルバムのような気がしていた。けれども、他方、このデビューアルバムには、イーヴズ・ワイルダーのただならぬ意気込みと熱量が感じられる。気負いもあるかもしれない。しかし、小賢しさはデビューアルバムには必須ではない。そんなものは、二作目か三作目、それ以降でも十分出来ることではないか。上手いか下手かは二の次だ。それをやりたいという心からの熱望がちょっとした状況を揺り動しもする。聞き手は、その衝動や熱量に釣り込まれるようにし、独特な雰囲気を持つインディーロック、あるいはインディーポップのワンダーランドにいざなわれる。何度か聴き続けると、印象がだいぶ変わって来る。意外にも聴き応え十分のアルバムだ。結局、アルバムというのは、どれくらい熱量を詰め込めるのかに尽きる。そういった独特なエネルギーに欠けるものは、聞き手の心を揺り動かすことが難しい。結局、上手いか下手かは二の次。何らかの熱量がこもっているアルバムは聴き応えがある。
『Little Miss Sunshine』は、当初はEPになる予定だったというが、フルアルバムに変更された。レーベルのチームミーティングの際のスタッフの驚きの様子が浮かんでくる。ミニアルバムで、音楽市場の様子を伺ったほうが良いのではないでしょうか......。フルレングスはもう少し経験を積んでからでも良いのでは....。しかし、才能は出し惜しみしていると、何も出てこなくなる。ワイルダーは結局フルレングスを完成させた。誰しもそれが出来るという確信があったから出来るのではなく、一つずつ挑戦していっただけである。
たしかにこのアルバムはボリュームがある。スランプを経てから、それでも曲を書きたいという熱望は、明確にイギリスのシンガーのデビュー作に宿り、独特な輝きを放つ。今作の冒頭から、女性シンガーらしからぬ強度を持ったアルトロックソングが始まる。デビューアルバムとはミュージシャンやバンドにとって最初の物語である。しかし、すでにその序章は、ワイルダーにしてみれば、何年も前から始まっていた。その思いがドッと溢れ出た形だ。良い曲かどうかはわからない。しかし本当に気持ちのこもった音楽は、たしかに誰かの心を動かす力がある。
世間の評判を意識すれば、軽率なインディーポップアルバムになっていたかもしれない。怪しげなインタリュードを取り入れた、いかにもつまらない冗長なアルバムになっていただろう。しかしながら、何が好きかという自問自答は、多少ありきたりだが、アンセミックなロックアルバムを完成させる要因になった。ロックはすでにダサくなったのか、自分の好きという感情を無視してまでトレンドを取り入れるべきなのか。しかし、このアルバムを聴くかぎり、答えは否であろう。戦略などははっきり言えば、ほとんどなんの役にも立たない。音楽は資格試験ではないのだから。結局のところ、他者からどう見られるかという意識をかなぐり捨て、奏でられたり、歌われるロックソングの威力は偉大である。一般的な常識人が持つ固定観念を乗り越えることに成功したのだから。固定観念を打ち破る、これこそが、ロックソングの命題でもある。ロックだけにかぎらず、すべてのジャンルのミュージシャンはそうであったほしいものだ。
そういった意味では、ロンドンのシンガーソングライター、イーヴス・ワイルダーは見事に固定観念をぶち破り、ハリケーンガールになった。ミュージシャンになるというのは、新しい自分を見つけたり、生まれ変わるということなのだ。「Hurricane Girl」はアコースティックギターで始まり、 その後、90年代のブリットポップの流れを汲みながら、どことなく夢想的な感じがするロックソングに移行していく。旧来は、男性ボーカルが主流だったスタイルだったが、今では女性シンガーにこの形が受け継がれた。ロックンロールのギターが静けさを打ち破る。典型的なロックソングのギターリフ。イーヴス・ワイルダーのボーカルは、アルトポップの雰囲気を残しつつ、エリザベス・フレイザーのような夢想的な感覚を呼び起こす。ロックとポップの中間にある巧みな歌唱法により、見事にこのオープニング曲を先導していく。早くもこの曲では、ミドルエイトの効果が発揮され、三分以降でアンセミックなサウンドを呼び覚ます。
「Just Say No!」では、ガレージロックにちなんだ荒削りなギターリフで始まり、 ダンスロックやダンスパンクを意識したサウンドが続いている。この曲は、Primal Scream、Gorillaz、KASABIAN、The Killersといったダンスロックを女性的な雰囲気を持つ音楽性に組み替えており、新鮮味が感じられる。スタジアムロック調のロックソングはドリームポップに近い夢想的なボーカルと合致し、ダンスミュージックの流れを踏まえながら、エネルギッシュでアンセミックなロックソングへと移ろい変わっていく。
こうした中で、早くもアルバムの象徴的な楽曲が出てくる。三曲目の「Everybody Talks」は、ダンスミュージック(ハウス)風のキックの4つ打ちから徐々に音楽が華やかになり、サビで最高潮に達する。いわば基本的なポップ/ロックソングである。
イントロでは、夢想的なボーカルが優しげな印象を放つが、効果的なセクションを交えつつ、ダイナミクスを増し、爽快感に満ちたサビに繋がっていく。特に、ボーカルの側面では、繰り返しのフレーズを効果的に使用して、掴みや取っ掛かりを作っている。歌詞は、結局、リズムと連動するので、語感の側面で何らかの取っ掛かりのような箇所を用意しておくに越したことはない。そして言葉の語感によって、一定のグルーヴを生み出すことが大切である。この曲の場合、「everybody talks」と対句をなす「I can never win」というフレーズが呼応するような形となっている。結局のところ、この対句のボーカルが出て来たときに、奇妙なカタルシスが得られる。
この曲が、魅力的に聞こえるのは、サビでタイトルを何度も繰り返しながら、ディストーションギターの迫力あるサウンドを背景に、文字通りアンセミックな嵐を呼び起こすからである。アンセミックとはシンプルに言えば、メロディーを口ずさめること、ついつい歌ってしまうことに尽き、その見本や模範例が示されている。この曲では、メタルやハードロックに近いエネルギッシュなサウンドがサビで形作られ、力強い音楽的な印象を生み出している。サビの後に訪れるギターソロも良いバイブレーションがあり、爽やかな印象を生み出す。旧来の日本のポップソングの構成に近く、二つ目の間奏では、転調するシークエンスがある。全体的には、構成的な力量と良質なメロディーが合致し、素晴らしいハイライトが生み出される要因となった。
「Everybody Talks」
曲の収録曲の順序も練られていて、激しい曲の後には、比較的穏やかな印象を持つ曲が並置される。「Mountain Sized」は、ブリット・ポップをベースにした一曲で、UKロックの自家薬籠中とも呼ぶべき典型的なボーカルの節回しや旋律進行が登場する。オアシスはもとより、ザ・スミスの系譜にあるといえ、それらをアルトポップに置き換えている。この曲では、スポークンワードほどではないが、オアシスのようにボーカルの旋律を暈したりしながら、クールな雰囲気のサウンドを作り出す。轟音と静寂の対比を用いながら、流れに富んだ一曲を作り上げる。特に、ボーカルからシンセサイザーへと主旋律が受け渡される瞬間、カタルシスが得られる。ボーカリストとしても、制作者が語るように、少女から大人への転身を感じさせる瞬間もある。
異色の一曲「The Great Plains」のイントロは、ミステリードラマや映画を思わせる。映画的なポップソングで、エレクトリック・ピアノの演奏から始まり、スコットランドのアノラックやネオ・アコースティックを彷彿とさせる軽やかなインディーフォークサウンドへと移行していく。この曲でも、The Smithsのようなサウンドが登場し、それはギターとベースの兼ね合いが強い印象を放つからなのかもしれない。憂いと哀愁にみちあふれたサウンドから、最終的にはボーカルの性質も相まって、シンディ・ローパーのような軽やかでカラフルな風味を持つポップサウンドが出てくる。特に、イーヴス・ワイルダーは特異な声質を持つが、その辺りの個性的な性質がセクションごとに反映されている。また、歌詞の世界はシリアスになりすぎず、「I Wanna Be Cowboy Mama」のようなユニークな節回しを用いながら、特異なポップセンスを発揮する。音楽そのものは多彩であり、ポップに傾倒したかと思えば、ロックに傾倒することもある。こういった中間層にあるバランスの取れたサウンドと、ボーカリストとしての個性が絡み合う。
日常的な一コマを描写した「English Tea」は、ジャズやブルースに近いポップソングである。息の漏れるようなワイルダーのボーカルはゆったりしたリズムや、ジプシー風の音楽性の中で、夢想的な音の構成を作り出す。 この曲はThe Style Councileのようなジャズポップの流れを汲む。ポール・ウェラーのようなクールさは、アンニュイでファンシーな音楽性に変化している。最終的にはダブのベース、ドリーミーなボーカルが連動しながら、幻想的なアウトロへと向かっていく。
アルバムの制作の最初の原動力となった「Ropeburn」は80年代のカルチャー・クラブのようなサウンドを彷彿とさせつつも、力強さを持つ楽曲に生まれ変わっている。憂いや物悲しさといった雰囲気を込めて、その中でロックソング的な力強さを発揮している。サイドストーリーとしてはシンガーがスランプの悲しみの底から立ち上がる瞬間を描き出した痛切な一曲でもある。この曲に漂う歌謡的な雰囲気は、アルバムの副次的な主題に位置づけられる。悲しみをモチベーションとし、そこからシンガーが生まれ変わるプロセスを描き出している。曲にほんのりと漂うゴシック的なボーカルのセンスにも注目したい。アルバム全般は、ブリットポップの次世代の音楽に位置づけられ、基本的にはUKミュージックの典型的なスタイルが示されている。
しかし、それだけではない。「LA」では、ラナ・デル・レイのようなサウンドが立ち上ってくることもある。これらはポップスターへの憧れともいうべきもの。しかし、中盤の収録曲におけるマイナー調の曲の中から、オーケストラ・ポップのようなサウンドが立ち上ってくるとき、心が洗われるような清冽なポップサウンドを捉えることが出来る。中盤以降の曲の中で、ワイルダーは効果的なコーラスの歌唱を披露しているが、それらがより神聖な雰囲気を持つ瞬間が出てくる。女性シンガーの魅力とは、世の中の環境に翻弄される中で、こういった清らかな雰囲気を持つ空気感が出てきて、その人が自らの神聖な一面に触れる瞬間である。結局、それらは生きていく中で、身にまとわりついた埃塵を払うような、言ってみれば、浄化のような瞬間でもある。この曲ではそういった女性シンガーならではの神聖な空気感を感じることが出来る。また、それはやはり少女ではなく、大人になった段階で生み出されるものなのかもしれない。しかし、反面、そういった大人の中から少女性のようなものが汲み取れる瞬間でもある。
ありふれた日常から特異な感覚を見つけ出そうとする。それが『Little Miss Sunshine』の本質でもあり、ミステリアスなベールを身に纏うイーヴス・ワイルダーの文学者的な実像でもある。それは言い換えれば、どこかにいそうでいない、ミステリアスなタイプのシンガーとも言える。アルバムの終盤の2曲は、80年代のダンスポップに傾倒しているが、それぞれに雰囲気が異なる。「Daisy Chain Reaction」ではシンガーが影響に挙げるJanes Addictionからのヘヴィネスや、グランジのようなサウンドのフィードバックを活かし、両極的なサウンドを生み出している。
最終曲では、女性的な激しさの感情性をインディーポップソングの中に上手く落とし込んでいる。あるいは、「Summer Rolls」では、何かしら名残り惜しいような空気感を残し、ララバイに属するインディーポップソングを発露させ、アルバムを締めくくっている。全般的に感じるのは、全10曲は、単なる音源ではなく、感情の発露をどのように音楽形態と結びつけるかという試作の経過だったのだろう。それらは、フィオナ・アップル、PJ Harvey、ベス・ギボンズのような象徴的な歌手が探ってきた。だから、部分的には不格好で、洗練されていない箇所もある。このデビューアルバムには、典型的なポップソング集とは対象的に、意図的に欠点のような箇所が残されている。しかし、もし、未だ洗練されていない荒削りな部分がその人の才能だとしたら.......。イーヴス・ワイルダーのソングライターとしての潜在能力はまだまだ底知れない。
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「LA」
▪ Eaves Wilder 『Little Miss Sunshine』は本日、Secretly Canadianから発売。ストリーミングはこちら。






