New Album Review:  Caroline 『Caroline 2』

 Caroline 『Caroline 2』

Label: Rough Trade

Release: 2025年5月30日 

 

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Review

 

当初は、即興演奏を中心に息の続くかぎり演奏を続けるプロジェクトとして始まったロンドンの8人組、キャロライン。『Caroline 2』は、ミニマルミュージック、クラシック、ロック、フォーク、エモというように、きわめて多角的な音楽を盛り込んでおり、先の読めない意外性に富んだアルバムとなっている。


『1』が純粋なミニマリズムに根ざしたロックアルバムと仮定付けるなら、『2』はミニマリズムに飽きたミニマリストという呼称がぴったりかもしれない。バンドは意図的に反復性に陥ることを避け、曲の中で変則的かつ重層的な構成を試したりしている。

 

『2』は音楽的な系譜で見れば、メジャーとインディーズの双方の空気感を吸い込んだ独特なアルバムである。こういったアルバムは、”アメリカのインディーズ”そのものを意味していたが、最近こういったニッチな感じのアルトロックは米国からあまり出てこなくなった。その要因として、音楽の持つ地域性が失われ、すべてがグローバリズムの中に取り込まれてしまったからなのか。


今や、どのような辺境の地で音楽を制作していたとしても、"世界のリスナー"という、いるのかいないのかわからないポルターガイストを、なんとなく頭の隅で意識してしまうものである。そういった意味では評定は差し引いたとしても、こういった正真正銘のインディーズアルバムが出てきたことは喜ばしくもある。ラフ・トレードは、マタドール、4ADと並んで、ベガーズグループの傘下にあり、メジャーの傘下くらいしかこういったアルバムは出せない。昔であれば、クリエーションくらいしかこういったアルバムはつくらなかっただろう。

 

『2』はアメリカン・フットボールやペイヴメントのような1990年代のインディー性を吸収し、エモの空気感を吸い込んでいる。例えば、アメリカンフットボールの『LP 1』は大学卒業直前の学生のモラトリアムを表現し、シカゴの独立したシーンを記録するために録音を行った。他方、『2』は人生全般のモラトリアムを感じさせる。瞬間的な感情を反映した音の連なりがたえず明滅しながら消えたり現れたりする。それは人間の実存の証明ではあるまいか。


『2』は、ライブセッションを通じて繰り広げられる8人組のメッセージであり、それはシンプルであるように思える。やりたいことがあれば迷わずやろうということ。そして、それは後腐れない人生を送るためにはぜひ必要だろう。音楽やアートの持つ意味は考えても際限がないが、それが楽しみとあらばやってみるしかない。人生の持つ根源的な意味と直結している。現代のような高度な資本主義社会において、意味/無意味という二つのアートの狭間でキャロラインのメンバーを揺れ動き、実験的なロック/フォークミュージックを作り上げる。これは"資本主義に対する抵抗"ともいえ、大きな価値のある行為なのではないか。

 

 

ファースト・アルバムでの空間性を意識した録音手法と同じように、録音の側面において、複数の前衛主義が貫かれている。二つの別の部屋で演奏し、異なるアンビエンスを作り出す録音方式の他、「Total euphoria」を中心に相当な数のギターを重ね取りし、ボーカルも複数の録音が入っている。ボーイ・ジーニアスと同じようなボーカルの手法だが、キャロラインの場合、スタンダードな曲を書くことあまりない。以前に比べ、レディオヘッド(トム・ヨーク)風の繊細なボーカルスタイルを捉えることも出来、全般的なポストモダニズム建築のような脱構築派の音楽性が際立っている。


キャロラインのロック/フォークソングは、ブルータリズム建築のようにごつごつしているが、その中には賛美歌のような趣を持つ優雅で甘美なクワイアが入り、独唱を中心に組み立てられていく。ブルックリンのシンガー、ポラチェクをフィーチャーした「Tell Me I Never Knew That」は、『OK Computer』のソングライティングを踏襲し、それらをフォーク・ミュージックに置き換え、さらに賛美歌のような精妙なクワイアを追加している。聴き方によれば、UKロックであり、クラシックでもあり、さらに民謡でもある。イギリスの音楽の様々な側面を多面体のように映し出す。聞き手は各々の価値感により、別の音楽の側面を聴いたり体感することになるだろう。

 

前作と同じように、コーラスワークの美しさ、そしてフィドル(ヴァイオリン)やチェロのような弦楽器の使用、ケルト民謡からの影響等、キャロラインらしさが満載である。しかし、こういった中で、なぜかエモの影響を織り交ぜた楽曲が印象に残る。「Song 2」はアメリカン・フットボールをより前衛的にした感じだ。「When I Get Home」ですら、エモとして聴いてみると、アメリカン・フットボールの『LP1』のデモトラックのように聞こえて来る。もし、相違点があるとすれば、キャロラインの音楽は遅れてやってきた人生の青春期の感覚に浸されている。90年代のエモのオリジネーターと共鳴する点があるとすれば、音が感覚派であること、8人組それぞれのエモーションが、それぞれの楽器を介して緩やかに流れていくという感触である。

 

また、音量的なラウドとサイレンスを巧みに行き来し、「U R UR ONLY  ACHING」ではコレクティブのセッションとして盛り上がる瞬間を捉えられる。ボーカルにオートチューンをかけたり、突然音がフェードアウトしたりと、実験的な要素が満載だが、この曲はキャロラインの本来の魅力が出てきたかどうかはわからない。セッションがスパークする直前で踵を返すような感じがあり、前衛的な領域には足を踏み入れていない。そのため、曲全般がどっちつかずな印象を与える場合もある。 他方、アルバムの発売直前にリリースされたツインのリードボーカルを擁する「Coldplay Cover」はキャロラインらしい美麗なボーカルを楽しむことが出来るはずだ。アルバムの終盤でも、実験的な気風は衰えず、様々な音楽的なマテリアルが混在している。

 

 

ポストロック風のアプローチも登場する。「Two Riders From Down」ではマスロックに傾倒している。アルバムは以降、フォークミュージックに近づき、クライマックスを飾る「Beautiful Ending」では、ノイズ、フォーク、ロックをシームレスに行き来している。ただ、問題点は、楽曲の流れが淡々としていて、アルバムの最後に至っても、クライマックスが来たという実感がわかないことだろう。全般的にはデビューアルバムのような、鮮烈で感動的で壮大な感覚、そして器楽的な精密な構成力は薄れている。また、インプロヴァイゼーションは、次に何が起こるか分からず、驚くべき化学反応が起こる点に面白さがある。しかし、『Caroline 2』は、大所帯のグループとしての驚くようなケミストリーが発生するまでには至らず、全般的には、音楽が枠組みの中に収まりきり、心なしか予定調和の印象が目立った。これはプロデュース的な側面に重点を置いたのが主な理由かもしれない。キャロラインは現在、商業音楽と前衛音楽の間で迷い、揺れ動いているという気がした。個人的にはキャロラインのニューアルバムにはひとかたならぬ期待を込めていたが、この点だけが少し残念だった。


*キャロラインは来日公演が決定している。ぜひ伝説的なモーメントを目撃してほしい。

 

 

 

78/100 

 

 

 「Tell Me I Never Knew That」