Album Review Pixies「Surfur Rosa」

Pixies 「Surfer Rosa」




 

「オルタナティブ・ロックの生みの親」ともいっても過言ではないザ・ピクシーズ。個人的に、一、二を争うくらい思い入れのあるアーティストなので、レビューをするとなると、なんとなく畏れ多いように思えて、余計な力が入ってしまいそうではあります。

 
 おそらく、ザ・ピクシーズというバンドほど、他のどの音楽とも似ていない、唯我独尊と大仰に形容しても言い過ぎでないアーティストです。どこを探してもその代役は見当たらないです。それは彼等が個性というものの意味をしっかり音楽で表現しているからでしょう。
 
 彼らの音楽性というのは、説明したくてもできない。それはどんなジャンルに影響を受けてこういう音楽を作ることになったのかがわからないところにあります。
 
 
 彼らの後にたくさんのピクシーズの影響を受けたバンドが列をなしているが、一方で、ピクシーズの前には何もいないような気がする。またピクシーズは、どの音楽にも似ていないし、どのジャンルともそぐわない、どの他の存在とも相容れない気がしています。
 
 
  そもそもにおいて、彼らは、一つの小さな枠に収まるとか、何かに適合するのを全力で拒んでいるというような気もします。その存在性は、他から完全に孤絶しながらも、多くの人々の心に何かを訴えかけるようなキャッチーな音楽性を有しています。彼らは迎合しているわけではない、売れようとも思っているわけではない、それなのに、国内にとどまらず世界中の多くの人達に受け入れられています。
 
 それは、彼らの音楽が、個性というものの意義を誇らしく示しつづけているからで、これこそまさにピクシーズという存在がいまだリスナーだけにとどまらず、多くの音楽の作り手にも、長年にわたって愛されつづける理由でしょう。
 
 彼らが、特に90年代のミュージックシーンに与えた影響というのは計り知れないものがあります。レディオヘッドをはじめ、ウィーザー、ニルヴァーナ、スマッシングパンプキンズ。これらの著名なオルタナティヴ・ロックバンドは、もしかするとピクシーズという存在がなければミュージックシーンに出てこなかったかもしれません。これらの音楽家たちは、初期の音楽性において、ピクシーズ色を自分たちの楽曲の中に取り入れて、その後、自分たちのスタイルを徐々に確立していきました。
 
 
 
 そういう意味では、この「Surfer Rosa」はロック愛好家だけではなく、これから何かを生み出そうというロックミュージシャンとしても、一体、オルタナティヴロックというものがなんなのかを知るためには一度くらいは聴いておいても損がないでしょうし、どころか得しかないアルバムといえます。
 
 もちろん、この作品もデビュー時から彼らを後押ししてきたイギリスの伝説的インディーレーベル「4AD」からのリリース。
 
 絵画的な魅力のある妖艶なアートワークとともに、収録されている楽曲もまた彼らの代名詞といえるものばかり。なんともこのアルバムを手にとってみただけで、ウットリなってしまういそうになります。

 このアルバムの中で最も有名な楽曲、そして、ピクシーズの名を世界的に知らしめたのは、言うまでもなく、「Where Is My Mind」です。
 
 ブラピ主演のファイトクラブのエンディング曲としてもよく知られています。歌詞とその曲の雰囲気を見ると、どことなく幽体離脱について歌ったのかなという印象があって、なんともこれまでの音楽にはなかった神秘的なアトモスフェールに満ちています。アコースティックギターとディストーションの兼ね合い。そして、ここで展開される”静と動の対比”という、彼らの美学の一つは、ニルヴァーナの名曲「Smells Like teen Sprit」の原型を生み出すきっかけを作ったともいえるでしょう。
  
 「River Ehphrates」の凄まじい個性についてはもう詳細な説明不要。ほとんど野獣のようなブラック・フランシスのシャウトに、キム・ディールの色気のあるコーラスが加わることで、独特な風味を醸し出しています。これまでの、いや、これ以降のどの音楽にも似ていない、かなり異質な楽曲です。
 
 
 「ライ、ライ」という実に謎めいたコーラスに耳をすましていると、すでに私たちはこの曲の虜になってしまっていることに気がつきます。忘れてはならないのは、この曲の骨格のようなものを決めているのが、実はボーカルではなく、ジョーイ・サンティアゴの巧みなギターであり、このレスポール特有の図太いディストーションのうねりが、曲中に妖しげにギラリとゆらめくことにより、この楽曲の神秘性を強めていき、一度聴いたら忘れがたいものとしています。
 
 
 サンティアゴのギターの手法というのは実はピクシーズの音楽の骨組みを形作っていて、ややもすると、素人臭い演奏にもなりかねないのを、彼独自の職人然とした渋い音の出し方によって、このバンドの演奏を説得力あふれる音たらしているのが彼の隠れた功績のひとつといえます。
 
 サンティアゴは、八十年代の他の手練のギタリストのように、たとえば、ヴァン・ヘイレンのように手数が多いわけでもないのに、「これしかない」というシックでシンプルなフレーズを淡々と弾き、無駄な音を一切出さないで、ひっそりと楽曲の良さを引き出す、いわば、裏方としてこのバンドの曲の雰囲気を盛り立て、華やかにしていくという特徴において、誰も肩を並べるところのないギタリストの一人、そんなふうに言っても何ら大袈裟ではないでしょう。
 
 
 
彼の弾くフレーズは、必ずといっていいほど、奇異な感覚を聞き手にもたらします。それは、増四度のような、古典音楽で言うところの「トライトーン」のような不気味な音階の跳躍。これは普通のロックの音階進行から乖離した、それまでのブルースをルーツとするロックミュージックの既成概念を揺るがしてしまった。
 
 
音階的にも、ペンタトニックを基本にしているものの、エスニック風の独特の旋法を使っていて、これは、ロックか、ジャズか、フォークか、はたまた、サーフミュージックか?と、音楽評論家の目を惑わせているようにも思えます。
 
 
音楽性のルーツが全然よくわからなくなるほど、多種多様なジャンルがごちゃまぜになっていて、彼のギターフレーズを聴いていると、道標のない荒野に踏み込んでいくような錯覚すら覚えざるをえません。サンティアゴのギタープレイというのは、今なお恐ろしいほどの強烈な異彩を放っています。
 
 
 不思議なことに、この曲は何度となくリピートしたくなってしまうような中毒性があります。実際、リピートしまくっていると、なぜだかしれないが、奇妙な底なし沼に入り込んでいく錯覚すらおぼえざるをえません。
 
 
 ここにオルタナティブロックという音楽ジャンルの原型があるような気がして、見逃すことが出来ません。
 
 
 
 
 そして、このアルバムの中をただのマニア向けの音楽ではなく、ポピュラー音楽としての価値を高めているのが、「Bone Machine」と「Gigantic」の二曲。
 
 この二曲は、他の楽曲に比べてキャッチーで近寄りやすい雰囲気を帯びていて、それは何がゆえなのかを考えてみると、それはベース・ボーカルのキムディールのキャラクターの可愛らしさと、キュートさが存分なまでに引き出され、全体的に玄人好みのする楽曲の中で強い煌めきを放っています。
 
 
 キム・ディールの歌声というのは、少しハスキーでいて、それでも、どことなく可愛らしい感じがあって個人的には非常に好きなボーカリストの一人です。もちろん、決して技術的には、上手い歌い手とはいえないのに、必死に歌っているような感じがあるので、聴いていると、とても愛らしく、応援したくなってくるような不思議さがあります。
 
 
 
 キム・ディールのキャラクターの良さがもっともよく味わうことのできるというのが、このオルタナの原型を作った「Surfer Rosa」のもうひとつの魅力といえるかもしれません。

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