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 Metallica  『72 Seasons』

 

 

Label :  Blackened Recording Inc.

Release: 2023/4/14


 


Review

 

昨年、メタリカは『ライド・ザ・ライトニング』にちなんだ特製ウイスキーを"Blackened"という会社から販売したが、このとき、おそらくメタリカも他の多くのメタルバンドと同じように、過去のアーカイブの中や人々の記憶の中のみで生きるバンドになっていくのだとばかりと考えていた。ところが、実際はそうはならなかった。これはプロレスの壮大な前フリのようなもので、今年になって待望の11作目のアルバム『72 Seasons』をちゃっかり録音し、発売を控えていたことが判明したのである。つまり、メタリカは伝説の中で生きることを良しとせず、現在を生きる屈強なメタルバンドであることを選択したということである。タイトルの72の季節というのは、ラーズ・ウィリッヒとジェイムズ・ヘッドフィールドのメタリカはメタルシーンの最前線を疾走するバンドであるということを対外的に告げ知らせようとしているのである。

 

思い返せば、80年代のNWOHMの一角としてシーンに名乗りを挙げたメタリカだったが、その後には、スレイヤー、アンスラックス、メガデスを始めとするスラッシュ・メタルの先駆者として80年代から、『Master Of Puppets』、『Ride The Lightning』といったスラッシュメタルの傑作を残し、その後の90年代、グランジやオルタナ、ヘヴィ・ロックが優勢になろうとも、表面的な音楽性の変更は行ったものの、他のどのバンドよりもメタルであることにこだわったのがメタリカだった。そして、近年は以前に比べ、その勢いやパワフルさが若干鳴りを潜めていたのだが、2023年の最新作『72 Seasons』は彼らが未だ最盛期の渇望を失っていないことをはっきりと表しているように思える。

 

すでに、イギリスのメタル系の雑誌、Kerrang!とMetal Hammerのデジタル版では、レビューが掲載されているので、その結果をお伝えしておく。イギリスで最も売れるマガジン、ケラング!は4/5、一方のメタルハマーは3.5/5のスコアを記録している。他にもNMEにもレビューが掲載されており、星4つを獲得している。メタル・ハマーは辛めの評価であるが、近年ではパンク/ハードコアを中心に取り上げているケラング!の方が評価が高いというのは少し意外である。


『72 Seasons』は改めて聴くと、基本的にはメタリカの原点回帰を図った作品であることが分かる。意外なのは、アルバムの中盤か終盤に収録されていた叙情的なメタルバラードが収録されていないことである。おそらくバンドの念頭にはダークなメタルバラードを収録することもあったかもしれないのに、あえてそれをしなかった、ということに大きな意義があるように思える。

 

スラッシュ・メタルの代名詞であるザクザクとした歯切れのよいギターリフ、そして、基本的には8ビートであるにもかかわらず、ウルリッヒのもたらすプログレッシヴ・メタルのような変則的な構成が、80年代よりも前面に突き出された作品というのが、『72 Seasons』の個人的な解釈である。つまり、メタリカは80年代に自分たちが何をやっていたのかを思い出し、それを現代的なレコーディングの俎上で何が出来るのか、ということを試したのである。そして結果的には、バラードなしのメタリカらしい屈強なメタルで最後までグイグイ突き通すのである。

 

メタリカは、特にフロントマンのジェイムズ・ヘッフィールドが謙遜して述べているように、「ならず者が集まってできた」のである。そして、現代のメタルシーンの音楽とは関係なしにならず者としてのメタルの集大成をこの作品で示そうとしている。それはタイトル曲「72 Seasons」に目に見えるような形で現れている。ハーレーで突っ走るようなスピード感、そして、アウトサイダー的な雰囲気、そして、今なお衰えないヘッドフィールドのパワフルなボーカル、そして、屈強さと叙情性を兼ね備えるツインリード・ギター、これらのメタリカを構成する主要なマテリアルが渾然一体となって掛け合わさり、唯一無二のサウンドが出来上がったのだ。

 

これまでの個人的な印象としては、メタリカは強者やマッチョイズムに象徴されるようなバンドだった。しかし、今回、彼らは、近年、所属団体がトルコへの義援金を寄付したりと慈善的な活動を行っている。そして、それはバンドの埒外で行われていることではなく、アルバムの収録曲にも反映されており、「Screaming Suicide」では、自殺の危険に瀕した人々へもしっかりと目を向けている。相変わらずの屈強なサウンドではあるのだが、それは同時に単なるヒロイックなマッチョイズムではなく、弱者の心を奮い立たせるべく、彼らはこの曲で奮闘している。メタル・ヒーローのあるべき姿である。

 

はじめにスラッシュ・メタルの原点に回帰する意図があったのではないかと述べたが、一方で、90年代のグランジやヘヴィ・ロックに触発された音楽性も加味されている。一般的には、バンドとして苦難の時期でもあった90年代の『Load』のサウンドメイクを彷彿とさせるワウを噛ませたアメリカン・ロックが、タイトル曲、「Lux Æterna」、そして、さり気なく凝ったメタルサウンドに取り組んでいる二曲目の「Shadow Follow」あたりに乗り移っているのである。乗り移っているというのは、彼らが意図してそうしようとしているのではなく、レコーディングやセッションで自然な形でそうなっていっただけ、という感じもするのである。

 

『72 Seasons』は一貫して、ヘヴィロックやパンクロックに触発されたスラッシュ・メタルという形で展開されていく。この潔さについては作品全体に重みとパワフルさという利点をもたらしている。一方で、アルバムの終盤、そのパワフルさが鳴りを潜めているのが少し惜しまれる点か。しかし、近年のアルバムの中では白眉の出来である。80年代の名作群や、90年代の二部作にも引けを取らない内容となっている。

 

この歴史の浅いサイトの評価軸の一例として、もし仮にヘヴィ・メタルとしての100点が出るとするなら、オジー・オズボーンの「Blizzard Of Ozz』、スレイヤーの『Reign In Blood』、メタリカの『Master of Puppets』、『S&M』、ハロウィンの『Keeper of the Seven Keys Pt.1&2』、アイアン・メイデンの『Number Of The Beast』、もしくは、アーチ・エネミーの『Burning Bridges』、セパルトゥアの『Roots』、スリップノットの『IOWA』といった名盤を挙げておく。

 

『72 Seasons』は、そこまでの超弩級の作品ではないにしても、少なくとも、メタリカの復活、スラッシュ・メタルの復権を高らかに告げるような意味が込められており、佳作以上の意味を持つ聴き応え十分のアルバムである。ひとつ補足するならば、他のバンドがだんだんとメタルではなくなっていき、ロック/ポピュラー化していく中で、メタリカだけは現在も他のどのバンドよりも”メタルバンド”であることにこだわり続けている。そして、それこそが、結成40年を経た2023年になっても、彼らが世界中から大きな支持を集める理由なのではないだろうか??

 

 

86/100 

 

 

Featured Track 「72 Seasons」

 

Owen

 

 

オーウェンは、シカゴ出身のインディー・ロックシーンの大御所、マイク・キンセラのソロ・プロジェクト。マイク・キンセラの音楽活動の原点は1980年代後半、Cap ’N Jazz、American Football、Jane Of Ark、Owls、Their/They're/There、といったシカゴの伝説的なインディーロックバンドで研鑽を積んだ後、キンセラが辿り着いたアコースティック・プロジェクトです。

 

オーウェンは、2002年にセルフタイトル「Owen」をPolyvinyl Recordsからリリース。マイク・キンセラは、自身のメインプロジェクト、アメリカン・フットボールの活動が休止されている間、このソロ・プロジェクトの活動をしぶとく続け、2021年までに九作のスタジオ・アルバムを発表しています。


オーウェンは、ソングライティング、レコーディング、総合的なアート・ディレクションをまとめ上げるのを目的としており、音楽性については、基本的に、アコースティックギターを介し、コンテンポラリー・フォークに近い叙情的なアプローチが採られています。

 

楽曲中において、マイク・キンセラは、自分の家族との人間関係、個人的な体験について焦点を絞り、歌詞を生み出しています。

 

オーウェンでのマイク・キンセラのアプローチは、表面上においては、穏やか、和やか、ゆったりとしているものの、又、時に、知的で、機知に富み、生々しく、真理を抉るような鋭さを併せ持っているのが特徴です。




「Live At The Lexington(Complete Collection)」 Polyvinyl 

 



 

Scoring 





Tracklisting 

 

1.Lovers Come and Go

2.Where Do I Begin?

3.Oh Evelyn

4.Nobody's Nothing

5.Love Is Not Enough

6.Saltwater

7.The Ghost of What Should've Been

8.The Sad Waltzes of Pietro Crespi

9.The Desperate Act

10.Playing Possum for a Peek

11.Too Many Moons 

12.Lost

13.An Island


 

「Live At The Lexington (Complete Collection)は昨年12月21日にリリースされたライブアルバム。


このアコースティックライブ音源は、2019年のイギリス、ロンドン、ペントンヴィルにあるレキシントンというパブで録音された作品となります。アルバムとして収録されているのは、オーウェンの既存の発表曲のレパートリーで占められ、ファンにとってはお馴染み「The Ghost of What Should've Been」「The Sad Waltzes of Pietro Crespi」といった楽曲も演奏されています。この録音が行われたのは、パンデミックが発生する以前で、人との距離を獲るとか、マスクをするとか、そういった社会的な驚愕するべき出来事が起こる以前に録音された作品です。 

  

 

 

サブスクリプション配信においても再生数がガンガン上がっているわけではないので、さほど話題になっている作品とは言い難いですけれど、エモというジャンルを考えてみれば当然かもしれません。皆が聞く音楽に飽きて、さらに奥深い音楽を探す人のための音楽が、エモというジャンルの醍醐味です。

 

もちろん、この作品には、そういったエモファンの期待に添うような素晴らしい楽曲が並んでいます。


「Live At The Lexington」で聴くことが出来るのは、マイク・キンセラの演奏の生々しさ、スタジオ・ライブのような演奏の近さ。アコースティックギターのみのライブでありながら、いかにもライブだという感じの迫力が宿っているのが、このアルバムの魅力でもある。

 

何と言っても、今考えてみれば、観客とアーティストの距離の近いライブというのは、現在、希少価値があり、平然とした時代の温和さを懐かしんでみるのもありです。


ライブは、マイク・キンセラとイギリスの観客の間に、別け隔てのない温和な空気が流れ、時に、アーティストと観客の些細な会話のやりとりにより、観客と空気感を大切にして楽曲が穏やかに進行していきます。

 

特に、そのハイライトと呼べるのが「The Ghost of What Should've Been」でのキンセラとイギリスの観客のやり取り。

 

曲のイントロが始まると、ある観客が「プレミアリーグのお気に入りのチームを聞かせてくれ!!」とキンセラに呼びかけるあたりが謎めいていて最高に笑える。はっきり言って、なんでいきなり、プレミアリーグの話を持ちかけたのか謎めいてますよね。他の観客も、その謎めいた野次に対して、おっかなびっくりというべきか、「おい、やめとけよ、やめとけよ!!」というニュアンスの苦笑を漏らしています。


この観客の問いかけに対して、マイク・キンセラはマイク越しに苦笑しつつ、何と答えようかと迷ったあげく、最後に「フットボール!!」と投げやりに叫ぶだけなのが微笑ましいです。

 

こういったライブパフォーマンスは、他のライブパフォーマンスではなかなか味わえないものでしょうし、即効性とか刺激性とかインスタントな音楽とはかけ離れた観客との心の距離を何より大切にした貴重なライブアルバムと言えるはずです。


他の主要な音楽メディアでは取り上げられていない作品ではありますが、長く、ゆっくり聴ける、渋い作品として、ご紹介しておきます。

 

 

 

・Apple Music Link

 

 

 Posture & The Grizzly


 

Posture & The Drizzlyは、アメリカ、コネチカット州にて、2008年にJ Nasty(Jodan chmielowsli)を中心に結成されたメロディックパンク/エモーショナル・ハードコアバンド。

 

現在、コアなファンの間でひっそり親しまれているバンドではあるものの、おそらく、今後、何らかのきっかけさえあれば、2020年代のアメリカのパンクシーンを牽引していくようなbigな存在になっても全然おかしくない話である。このバンド、PTGは、現在スリーピースとして活動中で、最初はJ Nastyのソロ・プロジェクトの一貫としてバンドが立ち上げられている。


2002年頃、フロントマン”J Nasty”は、Blink 182の楽曲に触発を受け、彼は最初のギターを手に入れ、ソングライティングを同時に始めている。コネチカット生まれのJ Nastyは「Take Off Your Pants And Jackets」2001の原盤を友だちから借り、Blink182のアルバム、そして、テム・デロングをを一つの目標として若い時代から自らのパンクロックスタイルを追究してきた。

 

1990年代から2000年代にかけて隆盛をきわめたポップパンク/エモコアのムーブメントは、以前の勢いこそなくなり、一部のしぶといポップパンク勢だけが息の長い活動を続けていく中、J Nastyは、このポップパンク/エモコアの新たな可能性を探り続けた。その後、J Nastyは、2008年、Posture &The Grzzlyをコネチカットのハートフォードで結成し、2014年にデビュー・アルバム「Nusch Hymns」をBroken World Mediaからリリースする。

 

そして、J Nastyの上記のジャンルを流行に関係なく突き詰めていった成果が、二作目のアルバム「I Am Satan」で顕著に見られた。Fall Out Boyを彷彿とさせる痛快なポップパンクチューンがずらりと並んでいるこの珠玉のアルバム作品は、熱心なパンクファンの間で好意的に受け入れられ、ホットな話題を呼び、2010年代のポップ・パンクの代表的名盤とも言われている。ぜひ、このあたりのジャンルのクールな音楽をお探しの人にチェックしてもらいたい作品だ。

 

また、2021年末、全米7箇所を回るツアーを予定していたポスチャー&ザ・グリズリーは、一般的な人々の健康のため、ツアーを自主キャンセルして、パンク・ロックバンドらしい勇気のいる決断を行っている。2022年、又、機会を改めて行われる次のツアーに期待したいところである。

 

また、日本のツアーもそのうち実現してくれたらな、とファンは心待ちにしているに違いない。

 

 

 

Posture & The Grizzly 「Posture & The Grizzly」

Near Mint

 

 


Posture & The Grizzly 「Posture & The Grizzly」




 

ポップパンク/エモコアの名盤の呼び声高い前作「I Am Satan」に続き、この2021年12月にNear Mintからリリースされた「Posture & The Grizzly」も同じように名盤のひとつに挙げてもよい作品で、ポスチャー&ザ・グリズリーがFall Out Boyに比する実力を持っていると証明してみせている。

 

前作の「I Am Satan」に続いて、今作「Posture & The Grizzly」はポップパンクとエモコアの中間を行く王道サウンドに挑む。

 

アルバムの前半部は、「Creepshow」「Black Eyed Susan」を始め、秀逸なポップパンクがずらりと並び、迫力のあるサウンドを全面展開している。疾走感があり、勢いの感じられる往年のBlink182やNew Found Gloryを彷彿とさせる快活サウンドでメロコアキッズの心を鷲掴みにするはずだ。

 

そして、アルバムの後半部では、前半部とは雰囲気が一転し、「Melt」「Secrets」といった、Further Seems Foever,The Appleseed cast、又は、Cap 'n Jazzを彷彿とさせるコアなエモサウンドに転換を果たしている。

 

特に、エモーショナル・ハードコアとしての歴代の名曲にも入っても不思議ではないのが#13「Secrets」。

 

この極端に様変わりする外向性と内向性の両側面を併せ持つ、タフでありながらエモーショナルなサウンドが、J Nastyのソングライティングの強みであり、ポスチャー&ザ・グリズリーの最大な魅力といえる。

 

ポスチャー&ザ・グリズリーはこの表題作において、今や、過去の音楽というような見方もされる向きもあるポップパンクやエモコアといったサウンドが未だに現代において魅力的なジャンルであることを証明してみせている。

 

これは、フロントマンのJ Nastyが、ポップパンク/エモコアというジャンルを、流行とは関係なく追究してきたからこそ顕れた大きな成果である。

 

 一般的な知名度という面で恵まれていないポスチャー&ザ・グリズリーであるものの、この作品において力強いサウンドを提示している。それは、きっと、多くのパンクファンの心をグッと捉えるであろうに違いない。 


haruka nakamura


 

ハルカ・ナカムラは1982年生まれ、青森県出身のアーティスト。幼い時代から母親の影響によってピアノの演奏をはじめ、その他にもギターを独学で学んでいます。2006年からミュージシャンとしての活動を開始し、2007年、2つのコンピレーション作品に参加、多様な音楽性を持った演奏を集め、「nica」を立ち上げる。2008年に小瀬村晶の主催するスコールから「Grace」でソロデビューを飾る。

 

その後、ソロアーティストとしての作品発表、Nujabesとのコラボ作品のリリースで日本のミュージックシーンで話題を呼ぶ。また、東京カテドラル聖マリア大聖堂、広島、世界平和記念聖堂、野崎島、野首天主堂等をはじめとする多くの重要文化財にて演奏会を開催しています。


近年の仕事で著名なところでは、杉本博司「江之浦観測所」のオープニング特別映像、国立新美術館「カルティエ 時の結晶」、安藤忠雄「次世代へ次ぐ」、NHKの土曜ドラマ「ひきこもり先生」の音楽を担当。

 

その他、京都・清水寺成就院よりピアノ演奏をライブ配信、東京スカイツリー、池袋サンシャインなどのプラネタリウム音楽も担当し、画期的なライブ活動を行っています。  早稲田大学交響楽団と大隈記念講堂にて、自作曲のオーケストラ共演も行っています。





 

「新しい光」EP KITCHEN LABEL 2021 

 


 

 

 

 11月5日にKITCHEN LABELからリリース「新しき光」は、2010年にリリースされた「twilight」の表題曲を新たに収録しています。今作のレコーディングには、ゲストミュージシャンとして、Vocal/April Lee,Violin/Rie Nemoto、Ayako Sato、Cello・Yuakari Haraが参加しています。 また、ハルカ・ナカムラというアーティストの代名詞といえる名曲「光」の新しいヴァージョンも併録。

 

今作には、2011年の東京早稲田のスコットホールで初演を行った際のストリングスの録音を取り入れた「未来」「新しき光」という未発表ヴァージョンも収録されています。さらに、ピアノ・ソロ曲「ひとつ」が「光」と「twilight」のオリジナルヴァージョンと併録されています。

 

今作「新しき光」は、これまでのハルカ・ナカムラの作風と同様に、アンビエント、オーケストラ、そして電子音楽という主要な要素を踏襲した、ハルカ・ナカムラらしい清涼感に彩られた作品。

 

ゲストボーカルとして参加したApril Leeのヴォーカルの麗しさとともに、ハルカ・ナカムラの繊細で、心あたたまるようなアコースティックギターの演奏が合わさり、美麗なハーモニクスが生み出されています。再録の楽曲も収録されてはいるものの、アコースティックギターの繊細性、おおらかな奥行きのある新鮮味あふれる楽曲を堪能出来る作品です。

 

2010年の通算二作目「twilight」をリリースした後、盟友Nujabesの死によって心を痛めていたハルカ・ナカムラさん。

 

今回、「新しい光」のリリースに際して、「光」という彼の代名詞ともいうべき楽曲が誕生した際の印象深いエピソードについて御本人はあらためてこのように記しています。

 

 

 "

トワイライトを発表してから程なくしてその頃、共に音楽制作していた友人であり師であるアーティスト・Nujabesが亡くなった。それからしばらくの間、僕は自己を大きく損なった生活を送った。


部屋にひきこもり、痩せて、とても音楽を作れるような精神ではなかった。

 

出口のない真夜中に棲んでいた。

 

そんな時、 シンガポールから手紙のようなメールをくれたのが、twilightで歌ってくれているASPRIDISTRAFLYのAprilだった。(彼女とパートナーのRicksは、トワイライトをリリースしてくれたKITCHENLABELを運営している。僕らは長い間の友である。)

 

彼女は友人として心配して、遠い海から励ましてくれた。 その温かな優しさに気力を貰い、僕は久しぶりに音楽に触れることが出来た。

 

まず、なんとなくtwailightを逆再生してみた。日が暮れる情景の音楽を逆再生することで、夜明けのきっかけが掴めるのではないか、そんな想いがあったのかもしれない。とにかく、未だそれくらいのことしか出来なかったのだ。

 

ところが逆再生した音には、思いもよらない新たな輝きが溢れていた。あの時の感動は忘れられない。音楽の道がまた開けたような気がした。一度は閉ざされた扉が開いた。そう思った。今度は一人で進まなければならない。

 

そうして光は生まれた。"

  

 harukanakamura.com

 

 

 

ハルカ・ナカムラが記しているとおり、自分自身がひとりで進むために生み出された楽曲が「光」であり、この新しく収録された「新しき光」、「光」、それに加えて、いくつかのアンビエントやネオクラシカル、聞きやすく、それでいて美しさと力に満ち溢れた5つの楽曲群は、かつてのハルカ・ナカムラがそうであったように、落胆している人、傷ついている人に立ち直るきっかけや励ましを与え、そして、なにより大切なのは、一人で歩き出すための力、新しき光を与えてくれるミニアルバムとなるでしょう。

 

日本の今年のミュージックシーンのリリースの中でも、本当の音楽として重要な意味合いを持つ作品です。

 

盛岡夕美子

 

盛岡夕美子さんは、1978年から1987年にかけて作詞家、ピアニスト、作曲家として活動していた音楽家です。

 

1975年に、サンフランシスコ音楽学院を主席で卒業した後、"宮下智"を名乗り、日本の音楽業界でコンポーザーを務める。1980年代にかけて、男性アイドルグループへの楽曲提供を行い、中には、驚くべき男性アイドルの名が見られ、1980年代にかけて、田原俊彦、少年隊といったアイドルのヒット曲のソングライティングを手掛けていた名音楽家です。

 

盛岡さんは、元は、クラシック畑のピアニストでありながら、J-POPの裏方としての仕事を多く受け持ち、1980年発表の田原俊彦のシングル「哀愁でいと」B面曲「ハッとして!Good」で、第22回日本レコード大賞で最優秀新人賞に輝く。その後、ジャニーズ事務所と専属契約を結び、少年隊の1980年代の楽曲を多数手掛ける。1980年代の日本ポップスシーンにおける重要な貢献者と言えるでしょう。

 

ジャニーズ事務所に所属するアイドルグループへの楽曲提供の他に、1980年代にソロ名義「盛岡夕美子」としての作品を二作発表。これらの作品は商業主義やエンターテインメント業界とは無縁のニューエイジ、アンビエント、世界的に見ても秀でたヒーリング音楽をリリースしています。


この盛岡夕美子としてのソロ名義での作品発表後、アメリカに移住。 その後は、サンフランシスコのエコール・ド・ショコラ、フランスのエコール・ヴァローナで学んだ後、音楽家からチョコラティエに華麗なる転身。その後、自身の会社「Pandra Chocolatier」を設立し、ワイントリュフの開発に取り組み、ビジネス事業も軌道に乗り始める。


しかし、2017年に北カルフォルニアで起こった山火事によってワインの輸送供給が滞ったのを機に日本に帰国。2019年には日本の世田谷にワイントリュフの専門店を立ち上げていらっしゃいます。

 

その後、一度だけ作曲家の仕事を行っており、2018年に、King&Princeに楽曲提供を行っています。

 

 

 

 

 

「余韻(Resonance)」2020  Metron Records  
 
*原盤は1987年リリース



 

 


1.Komorebi

2.Moon Road

3.Rainbow Gate

4.Ever Green

5.潮風

6.おだやかな海

7. Round And Round

8.La Sylphide/空気の精

9.Moon Ring

10.銀の船




 

この作品「余韻」は、1987年、盛岡夕美子名義で発表されたニューエイジ作品のVinyl再発盤として昨年発売された作品。表向きの田原俊彦、少年隊といった仕事、謂わば表舞台の喧騒からまったく遠く離れたアルバムを、この1987年に盛岡夕美子さんは発表していらっしゃいます。いわば、年代的には、まだ、おそらくニューエイジミュージックがそこまで日本でも浸透していなかったと思われる時代、日本のもっとも早い年代に活躍した環境音楽家、吉村弘と同じようなヒーリング的な指向性のある音楽を、盛岡さんはこの作品において追求していらっしゃいます。

 

この作品において盛岡さんの生み出す音楽は、終始穏やかであり、これ以上はないというくらいの癒やしをもたらしてくれ、聞き手の内面を見つめる機会を与えてくれる瞑想的な音楽ともなりえるはず。この「余韻」はクラシックピアニストとしての素地のようなものが遺憾なく発揮された作品で、波の音といったサンプリングが挿入されている点で、ニューエイジ音楽を想定して製作された音源だろうかと思われますけれども、クラシックピアノを体系的に学習した音楽家のバッグクラウンドを持つためか、サティやドビューシー、ラヴェルをはじめ、一般に「フランスの6」と呼ばれる全音音階を使用する傾向のある近代フランス和声の影響が色濃く感じられる作風です。

 

それほど大きな展開を要さないという点では、イーノ、バッドの音楽性に近いものが感じられます。ミニマル・ミュージックとしての指向性を持ち、それが淡々と奏でられる上品なピアノ音楽。しかし、この単調さがむしろ反面に聞き手に何かを想像する余地を与えてくれる、本来、あまりに情報量が多すぎる刺激的な音楽というのは一見すると心惹かれるものがあるように思えますけれども、そこには聞き手の存在する余地がなくなるという弊害もまたあると思うのです。しかし、盛岡さんのこの作品では、それとは対局にある「家具の音楽」、あるいは、調和という概念に焦点を絞った音楽が提示されており、また、ここでもアンビエントの重要な概念、聞き手のいる空間、聞き手の考え、何より、聞き手の存在が尊重されているという気がします。

 

それは、軽やかなピアノ演奏、情感あふれる鍵盤のタッチ、そして、ピアノの余韻、レゾナンス、ピアノのハンマーが振り下ろされた後、音の消えていく際の余白の部分を楽しむ音楽といえ、ジョン・ケージの最初期のアプローチにも比する音楽と称することが出来る。そして、この音楽は端的に言えば、わたしたちの心に、ひとしずくの潤いをもたらしてくれる癒やしの効果をもたらしてくれる音楽でもある。

 

1987年の最初のリリースから実に三十三年という長年月を経て、今回、Metron Recordsからリマスター盤として再発された「余韻(Resonanse)」の再発盤で感じられるのは、メロディやリズム、それ以上の空間性としての秀逸な純性音楽の数々。この作品には、一時代性とは乖離した多時代における普遍性が込められていて、人や時代を選ばないような音楽。また、久石譲をはじめとするジブリ音楽にも似た安らぎを感じていただけるかもしれません。

 

何か、じっと、目をつぶっていても、音楽自体が生み出すサウンドスケープがおのずと思い浮かんでくる貴重な音楽です。

 

サウンドトラックのようだと喩えるのは安直といえ、深い精神性に支えられた瞑想的で穏やかな作品です。日本のアンビエント、ニューエイジの隠れた名盤としてご紹介させていただきます。

 

 

「余韻(Resonance)」

Listen on Bandcamp:

 

https://metronrecords.bandcamp.com/album/resonance


 

 

盛岡夕美子「余韻(Resonance)リリース情報の詳細につきましては、Metron Records公式サイトを御覧下さい。

 

 

https://metronrecords.com/ 

 


 


 Grouper

 

グルーパーは、リズ・ハリスのソロ・プロジェクト。米ポートランドを拠点に活動していたアーティスト。現在は、ベイエリア、ノースコーストと、太平洋岸の海沿いで音楽活動を行っているようです。


リズ・ハリスは、コーカサス出身の宗教家ゲオルギイ・グルジエフの神秘思想に影響を受けたアーティスト。


そのあたりはリズ・ハリスの幼少期の生い立ちのコミューンでの経験に深い関係があるようです。


幼少期のコミューンでの経験は、彼女の精神の最も深い内奥にある核心部分に影を落としており、音楽といういわば精神を反映した概念にも影響を及ぼし、内的な暗鬱さの中で何かを掴み取ろうとするような雰囲気も感じられます。


リズ・ハリスの音楽は暗鬱である一方で、こころを包み込むような温かいエモーションを持った独特な雰囲気を漂わせています。それは彼女の生活に結びついた「海」という存在にも似たものがあるかもしれません。


海というのも、画家、ウィリアム・ターナーが描き出した息を飲むような圧倒されるような自然の崇高性が存在するかと思えば、その一方で、ほんわかと包み込むような癒やしや温かさをもたらしてくれる。だからこそ、長い間、リズ・ハリスは海沿いの土地に深い関わりをもってきたのでしょう。


リズ・ハリスの生み出す精神的概念を映し出したもの、それは、決して、一度聴いてハッとさせられる派手な音楽ではないですけれども、「アンビエント・フォーク」とも喩えられる落ち着いた音楽性が醍醐味であり、聴けば、聴くほど、深みがにじみ出てくる不思議な魅力を持っています。


2010年からRoom 40,Yellowelectricと、インディーレーベルでのみ作品をリリースしてきており、アンビエント、ドローンの中間を彷徨う抽象性の高い音楽に取りくんでいるアーティスト。これまでに、グルーパーこと、リズ・ハリスは「Ruins」を始めとするスタジオ・アルバムで、暗鬱なアンビエントドローンの極地を見出しているソロミュージシャンですが、その後の作品「Grid Of Points」では「Paradise Valley」時代のインディー・フォーク寄りのアプローチを図るようになってきています。


アメリカ国内では、アンビエント・アーティストとして知名度が高いリズ・ハリスのようですが、カテゴライズするのが難しい音楽家であることは確かでしょう。アンビエントアーティストとして、ティム・ヘッカーのようなノイズ性の色濃いアンビエントのアプローチを図ったかと思えば、アコースティックギターで穏やかで秀逸なインディー・フォークを奏でることもしばしばです。


特に、リズ・ハリスの生み出すフォーク音楽は、精神的な目に見えない形象を音という見える形に変え、それが「グルーパー」という彼女の今一つの映し身ともいえる音楽に奥深さを生み出しています。

 

ほのかな暗鬱さがありながら、それに束の間ながら触れたときにそれとは対極にある温みが感じられるという点では、エリオット・スミスとの共通点も少なからず見いだせるはずです。

 

 

「Shade」 2021 Kranky

 

 



 
1.Followed the ocean
2.Unclean mind
3.Ode to the blue
4Pale Interior
5Disoredered Minds
6.The way her hair falls
7.Promise 
8.Basement Mix
9.Kelso(Blue Sky)
 

Listen on:

bandcamp

https://grouper.bandcamp.com/album/shade 

 


この作品は「休息」と「海岸」をテーマに制作されたアルバムで、「記憶」と「場所」を中心点とし、その2つの概念を手がかりに、アンビエント、ノイズ、フォーク音楽という多角的なアプローチを図ることにより完成へ導かれています。 ときに、アンビエント、ときに、ノイズ、また、時には、フォーク音楽として各々の楽曲が組み上げられた作品です。


ある楽曲は、数年前にハリス自身が制作したタマルパイス山のレジデンスで、またある楽曲は、以前活動拠点を置いていたポートランドで、その他、アストリアでのセッションを録音した作品も収録。録音された時間も、レコーディングされた場所もそれぞれ異なる奇妙な雰囲気の漂う作風に仕上がっているのはグルーパーらしいと言えるでしょう。


そして、一つの完成されたアルバムとして聴いたときに、奇妙なほど一貫した概念が流れていることに気が付きます。今回も、前作と同じく、ハリス自身の弾き語りというスタイルをとったヴォーカルトラックが数曲収録されています。


そこでは、喪失感、欠陥、隠れ場所(Shade)、愛という、一見なんら繋がりのない概念が歌詞の中に込められていますが、関連性を見出しがたい幾つかの概念を今作品において、リズ・ハリスはノイズ、フォークというこれまた関連性が見出し難い音楽によってひとつにまとめ上げているのです。

 

アンビエントとして聴くと物足りなさを感じる作品ですが、インディー・フォークとして聴くとこれが名作に様変わりを果たす妙な作品。


特に、ヴォーカルトラックとして秀逸な楽曲が、#2「Unclean Mind」#6「the way Her Hair Falls」#7「Promise」#9「Kelso(Blue Sky)です。ここでは、女性版エリオット・スミス、シド・バレットとも喩えるべき内省的で落ち着いたインディー・フォークが紡がれています。

 

これらの楽曲は、ゴシックというよりサイケデリアの世界に踏み入れる場合もあり、これをニッチ趣味ととるか、それとも隠れたインディーフォークの名盤ととるかは聞き手を選ぶ部分もなくはないかもしれません。しかし、少なからず、このグルーパーというアーティストは、意外にSSWとして並外れた才覚が秘められているように思えます。


近年までその資質をリズ・ハリス自身はアンビエントという流行りの音楽性によって覆い隠していたわけですが、いよいよ内面世界を音という生々しい表現法によって見せることにためらいがなくなり、それが作品単位として妖艶で霊的な雰囲気を醸し出しています。

 

その他にも、いかにも、近年、バルトークのように、東欧ルーマニアの民族音楽にルーツを持つ異質な音楽家として再評価を受けつつあるグルジエフに影響を受けたリズ・ハリスらしい、スピリチュアル的な世界観を映し出した不思議な魅力を持つ楽曲も幾つか収録されているのにも注目しておきたいところです。


リズ・ハリスの奥深い精神世界が糸巻きのように紡ぎ出す音楽に耳を傾ければ、いくら歩けど、ほの暗い迷い森の彷徨うかのように、終点の見えない、際限のない異質で妖しげな世界にいざなわれていくことでしょう。

 

 


ジェイムス・ブレイクはロンドン特別区出身のSSW、レコードプロデューサー。ロンドン大学ゴールドスミス在学中から、作曲活動をはじめ、「James Blake」で鮮烈なデビューを飾り、この新奇性溢れる作品によって英国のエレクトロニックシーンに衝撃を与えた。すでにグラミー賞、マーキュリー賞のウィナーに輝いており、英国のブリット・アワードにも三度ノミネートされている。

 

ブレイクは、これまでリリースされたてきた作品において、マウント・キンビー、ブライアン・イーノ、ボン・イヴェールをはじめとする著名な音楽家と共同制作の機会を持ってきたに留まらず、アメリカのカニエ・ウェスト、ケンドリック・ラマー、ドレイク、Jay-Z、といった著名なラッパーとのコラボレーション、もしくはそれらのアーティストの作品をフューチャー、そして、ビヨンセの作品のプロデューサーとして参加してきたジェイムス・ブレイクは、2021年の10月3日に新作スタジオ・アルバム「The Friend That Break Your Heart」をリリースした。 

 

James Blake, Coachella 2013 -- Indio, CA"James Blake, Coachella 2013 -- Indio, CA" by Thomas Hawk is licensed under CC BY-NC 2.0

本来は、一ヶ月前の9月中にリリース予定であった作品で、COVID-19による製品の工場生産が滞ったため、実際の発売は10月に持ち越され、リパブリック・レコード、ポリドールから発売されています。

 

先月からシングル作「Famous Last Words」が先行リリースされた時点で、10月にリリースされるスタジオ・アルバムの新作が、ジェイムス・ブレイクの最高傑作の1つになるであろうことは想像されていましたが、その予想を遥かに上回るハイクオリティーな作品がついに多くの音楽ファンの元にお目見えしたと言って良いかもしれません。


作品の制作ゲストに、SZA,JID,Swavay,MOnica Martinといった頼もしいアーティストらを迎え入れ、さらに今作の制作に名を連ねているプロデューサーは、Dominic Maker Jameela Jamil Take a Daytrip、Joji,Khushi,Josh Stadlen,Metro Boomin,Frank Dukes,Rick Nowelsと九人にも及んでいることから、制作段階においても、相当な労力、そして胆力が注がれているのが感じられます。

アメリカのとある音楽メディアでは思いのほか、レビュー点数が「6.6」と全然伸びませんでした。一方、英国の米ビルボードに次ぐ老舗音楽雑誌NMEは、五つ星満点をつけて大盤振る舞い。
 
 
NMEは、この作品に費やしたブレイクの音楽に対するパッションを満点評価により大いに労ってみせています。また、independentも、この作品に4/5比較的高評価を与えており、米国のメディアでは評価は高くないものの、英国の音楽メディアを中心にリリース時点から絶賛を受けているのは、これは、米国のクラブミュージックシーンと、英国のクラブミュージックシーンの価値観が以前よりも大きな隔たりが生じ、分離をはじめているような雰囲気が感じられなくもない。後は、英ローリングストーンや米ビルボードがどういった評価を下すのかに注目です。これは評論をしている側の価値観なのか、それとも、リスナーの趣向によるものかまではちょっとわからないです。元々、米国と英国では文化性の違いにおいて、音楽に求める趣向というか好みみたいなものが2019年以前より異なって来ているのどうか、その点が気がかりであります。




James Blake 「The Friend That Break Your Heart」2021 

 





Tracklist


1.Famous Last Word
2.Life Is Not The Same
3.Coming Back(feat.SZA)
4.Funeral
5.Frozen
6.I'm So Blessed You're Mine 
7.Foot Forward
8.Show Me 
9.She What You Will
10.Lost Angel Nights
11.Friends That Break Your Heart
12.If I'm Insecure
 
 


 
 
 
この「The Friend That Break Your Heart」は、ポピュラー音楽としての掴みやすさもありながら、一度、聴いただけでは、その音楽の内奥まで、なかなか容易に理解つくせないような印象もある。2020年代の英国社会の世相を克明に音として反映した哲学的作品であり、これまでのブレイクの音楽性である電子音楽、UKグライム、ヒップ・ホップ、ソウルのコアな部分を踏まえた上、パイプオルガンのようなシンセの音色、バッハの平均律のようなフーガ的構造を持つエレクトリック・ピアノのフレーズの挿入を見ると、ジェイムス・ブレイクの幼少期からのクラシック音楽、ピアノ音楽の影響が、青年期のロンドンのクラブでの音楽体験と見事な融合をはたし、今作でひとつのブレイクの音楽性のひとつの集大成を築き上げたというように言えます。

王道の12曲収録、少なくもなければ、多くもない、この曲数しかないという重厚感のある音楽の密度を形作っています。ランタイム再生時間以上の濃密な奇跡的な瞬間の連続、上質な風味のある音楽が様々なジャンルの切り口から描き出されています。共同制作者として名を連ねるのは、総勢十人のミュージシャン、これは、ミュージシャン誰が、これらの楽曲のディテイルにおいて役割を果たしているというより、複数の気鋭のミュージシャンたちがジェイムス・ブレイクを中心として、このアルバムに収録されている12曲(Bonus版は13曲)の多彩で、情感たっぷりの音楽をコロナパンデミック禍下において苦心して完成させた、という言い方が相応かもしれません。

アルバム全体としては、大人なバラードの質感に彩られており、そこに、ヒップホップやダブの風味がほんのり添えられる。全体的には、トリップホップにも似たほのかな暗鬱さが漂う。これをイギリスの社会的な背景と結びつけるかどうかは、聞き手の感性によりけりといえるでしょう。しかし、「Funeral」というトラックが書かれていることからも、漠然としているように思える死という概念について、様々な角度から捉え直した側面もあるようです。これまでの作品より、バリエーションの面で多彩性があり、表題曲「The Friend That Break Your Heart」「Famous Last Words」といったトラックに代表されるように、落ち着いたネオソウルの魅力がキラリと輝く。


これまでのブレイクの作品よりもさらに人間の表側から見えない心の裏側を忠実に映した形而上の世界へと踏み入れ、きわめて抽象的な世界が音楽によって描き出されています。それはまたサイケデリアとも対極にある内向的性質を持つ。ひたすら、内へ、内へと、エネルギーがひたひた向かっていくのは、例えば、シュルレアリスム派の絵画、キリコ、ルドン、マグリットをはじめとするシュルレアリストの描く内的世界を、束の間ながら垣間見るかのようなワイアードな感覚を聞き手にもたらす。具象化の延長線上にある電子音楽ではなく、徹底して抽象化の延長線上にある電子音楽。心象という捉えがたい形なきものを見事にブレイクは音により忠実に表現することに成功しています。
 
 
とにかく、今作は、侃々諤々の議論が飛び交いそうなセンセーショナルな作品と呼べそうです。



James Blake Offical 










世界のアンビエント界の最前線を突き進む畠山地平の新作アルバム「Void ⅩⅩⅢ」が日本の実験音楽を中心に音源リリースを行っているインディーズレーベル"White Paddy Mountain"から9月25日に発表されました。


今回の作品は、中国シリーズの第一作「Autumn Breeze」2020に続く形で、三国志の諸葛孔明の事績にインスピレーションを受けたアンビエントのコンセプト・アルバムの形式となっているようです。



 「Void ⅩⅩⅢ」 2021 white paddy mountain

 

 

 

1.Falling Asleep in the Rain Ⅰ

2.Falling Asleep in the Rain Ⅱ

3.Falling Asleep in the Rain Ⅲ

4.Falling Asleep in the Rain Ⅳ

5.What a Day Ⅰ

6.What a Day Ⅱ

7.Sleeping Beauty


これまでの作品の多さを見てもお分かりの通り、多作のアンビエント製作者として知られる畠山地平さんですが、今回の新作アルバム「Void ⅩⅩⅢ」もこれまでのChihei Hatakeyamaの音楽性の方向性を引き継ぎ、アンビエントードローンの中間点に位置づけられるであろう作風です。


既に、Tim Heckerを始めアンビエントドローンの音源リリースを行っているアメリカのクランキーレコードからデビューをはたしたChihei Hatakeyamaですが、いよいよ世界的なアンビエントアーティストとして認知されるようになり、2021年の7月24日、BBCの「RADIO6」というコーナー内の日本アンビエント特集において、坂本龍一と一緒に畠山地平の作品がオンエア紹介されています。


昨今、日本のみならず海外の電子音楽シーンで大きな注目を浴びているアンビエントアーティストといえ、今作「Void ⅩⅩⅢ」 は畠山地平が新境地を切り開いた作品で、ピクチャレスクな趣向性を持ったChihei Hatakeyamaの新たな代表作の誕生と銘打っておきましょう。


今作は、ジャケットワークに描かれる奥深くたれこめる霧のようなサウンドスケープ、おぼろげでかすかな世界がアンビエントという側面で表現されており、これまでの畠山作品のように徹底して落ち着いたテンションで紡がれていきながら、作中に見られる微細なシークエンスの変化の中、ときに激したエモーションとなって胸にグッと迫ってくる特異な作品と呼べるかもしれません。


これまでの主な作風と同じようにアルバム作品全体がひとつづきの流れを形作っており、透明感のあるアンビエントドローンのアンビエントトラックが清冽な上流の水のようにゆったりと流れていく。そこには、刺々しさはなく、茫漠とした抽象画のような温和な音像が多次元的な立体感をなして丹念に広がりを増していく。


最近のトレンドのアンビエントと言えば、機械的で無機質な音楽というイメージが何となく定着しつつあるように思われますが、今作は真逆の質感を生み出し、奥行きのある大きな自然を感じさせる「叙情性のあるアンビエント」へのアプローチが図られています。


シンセサイザーのPADを中心とするトラックは、立体感のある音作りがなされていますが、独特な和音が丹念に折り重なっていく際、内省的でありながら詩的な情感が漂う。これは、西洋音楽として発生したアンビエントに対する「東洋的な回答」とも称すべきか。


また、これまでの作品においても、アンビエントドローン制作という側面の他に、ギタリストとしての表情も垣間みせるChihei Hatakeyamaですが、 今作も美麗な包み込むようなシークエンスの中に、うっすらとエレクトリックギターのフレーズが重ねられているのが他のアンビエントアーティストにはない特徴です。


特に、このアーティストの生み出すアンビエントというのはささくれだったところが微塵もなく、ただただ温かく包み込むような穏やかなドローンのシークエンスが拡張されていく。それは一種のアンビエントらしい快感を聞き手に与え、癒やしの効果も与えてくれます。


Chihei Hatakeyamaの最新作、「Void ⅩⅩⅢ」は「Falling Asleep in the Rain」に代表されるように、「空気感」という微妙なニュアンスを見事に音楽により体現してみせた名作です。


特に、ラストトラックとして収録されている「Sleeping Beauty」は畠山地平の新たな代表曲といえるだけでなく、アンビエントの屈指の名曲の誕生の瞬間です。それほど目まぐるしい展開が現れず淡々とシークエンスが紡がれていく側面において、類型的にはウィリアム・バシンスキーの作風に近いニュアンスが漂う作品です。


なおかつ、またこの作品は、坂本龍一とのコラボ作品をリリースしているFenneszと同じく、「ギター・アンビエント」の未来形を追求したという見方も出来る。そして、アルバムジャケットに表されている奥深くたれこめる霧のサウンドスケープ、また、山の頂に上り詰めた際に感じるような清々しい空気感を持つアンビエント作品です。


James Brake



ジェイムス・ブレイクは、既にボン・アイヴァー等とならんで、イギリスではスターミュージシャンの一人と言っても差し支えないでしょう。

 

近年のイギリスの最もクラブシーンを盛り上げているブレイクは、インフィールド・ロンドン特別区出身のミュージシャン。ロンドンのクラブシーンに色濃く影響を受け、また、アメリカのオーティス・レディングのようなモータウンレコードを聴き込んだ後に生み出されたディープ・ソウルの味わいは、このジェイムス・ブレイクの音楽の重要な骨格を形作っているといえるはず。


また自営業を営んでいた家で生まれ育ったからか、独立心に富んだ活動を行っており、また、幼少期からクラシック音楽を学び、その音楽に慣れ親しんだことにより、和音感覚に優れたミュージシャンとも言えるでしょう。これまでの共同制作者として並ぶ名も豪華で、ブライアン・イーノをはじめ、ボン・アイヴァー、マウント・キンビー、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー、と、電子音楽、 とりわけ、ダブステップ界隈のミュージシャン、そしてアンビエントミュージシャンの音楽とも親和性が高いようです。

 

ジェイムス・ブレイクがミュージシャンとして目覚める契機となった体験は、ロンドンのクラブでの迫力あるクラブサウンドでした。グライムやガラージといったダブステップの元祖ともいえるサウンドを、ブレイクはサウスロンドンで体験し、その音楽に強い影響を受け、大学生の時代にトラックメイキングをはじめました。音楽家としての恵まれた環境がすでに用意されていたため、つまり、父親の所有するスタジオで、彼は楽曲制作にのめりこむようになっていきます。 


そして、2011年にデビュー作「James Blake」をリリース。この作品はマーキュリー賞にノミネートされ、大きな話題を呼んだだけでなく、UKのクラブミュージックの潮流を一瞬にして変えてしまった伝説的な作品です。このクラブミュージックとディープソウルを融合したサウンドは、イギリスの他のクラブ界隈のミュージシャンにも大きな影響を及ぼしています。ジェイムス・ブレイクは、自身の音楽について、このように語っています。

 

 "「ソウル・レコードのように、人が感情移入できるダンス・ミュージックを作りたい。フォーク・レコードのように、聴いた人に人間らしくオーガニックに語りかける音楽を作りたい。僕が求めているのは人間味なんだ。"

 

 Last.fm James Blake Biographyより引用

 

 

既に、リリースから十年余りが経過しているものの、あらためて、このイギリスクラブシーンの屈指の名作についてご紹介しておこうと思います。

 

 

 

「James Blake」2011

 




 

TrackListing 


1.Unluck
2.The Wilheim Scream
3.I Never Learn to Share
4.LIndasframeⅠ
5.LIndasframe Ⅱ
6.Limit To Your Love
7.Give Me My Mouth
8.To Care(Like You)
9.Why Don't You Cal Me?
10.I MInd
11Meaturements
12.Tep and the Logic


 

言わずとしれたジェイムス・ブレイクの名を、イギリスのクラブシーンに轟かせた鮮烈的なデビューアルバム「James Blake」。後には、二枚組のNew Versionもリリースされていますのでファンとしては要チェックです!!

 

全体としては、彼自身が語るように、モータウンレコード時代のソウルミュージックをいかに電子音楽としてクールに魅せられるかを追求し尽くし、そして、トラック制作の上で、異様なほどの前衛性が感じられる作品。

 

それは、多重録音、度重なるオーバーダビングによってソウルが新たなダブステップとしての音楽に様変わりしているのが、この作品の凄さといえるでしょう。他のダブステップ界隈のアーティストのように、リズム性をアンビエンスによって強調したり、それとは正反対に、希薄にしてみたりと、緩急のあるディープ・ソウルがここで味わうことが出来ます。

 

そして、クラシックピアノを学んでいたという経験は、キーボード上での演奏に生演奏のソウルのようなリアルな質感を与える。IDMだからと言っても、ブレイクのトラック自体は機械的ではなく、人肌のような温かみに満ちています。そして、その巧緻なトラックメイキング、あるいはブレイクビーツ風のサウンドの向こうに広がっているのは、ただひたすら穏やかでソウルフルな心地よい雰囲気。

 

今日日、刺々しいクラブ・ミュージックが多い中で、ブレイクの楽曲はチルアウト寄りの感触もあり、聴いていて心地よく、ソフトで落ち着いた気持ちになれるような気がします。それほどアンビエント寄りの音楽ではないのに、癒やしのディープ・ソウルが展開される。この辺りが、ブライアン・イーノやワンオートリックス・ポイント・ネヴァーといったアンビエントミュージシャンとの親和性も感じられます。

 

 特に、ジェイムス・ブレイクのヴォーカルというのは、白人らしからぬといっては何でしょうが、どことなくブラック・ミュージックの往年の名ヴォーカリストのような厚み、そして深みを感じさせます。彼の音楽についての言葉通り、ひたすら温かみがあり、どことなく胸がじんわりと熱くなるような、情感に訴えてくるような説得力あふれる知的さの漂うディープソウルと言い得るでしょう。


特に、このスタジオ・アルバムの中では「I Never Learn To Share」が白眉の出来栄えです。ハウス、テクノを通過したアナログシンセの巧みさ、そして、モータウンのソウルを通過した深い渋み、さらに、ダブステップのシークエンスのダビングとしての要素が、がっちりと組み合った作品です。そして、面白いのが「Limit To Your Love」では、実際の巧緻なピアノの演奏により、1960年代のアメリカのソウルを現代的に復刻している楽曲です。いかにソウル音楽というのが長い時代、多くの音楽フリークから支持を受け続けているか、そして時代に古びない普遍的な魅力を擁しているのが痛感できる名トラック。もちろん、若いクラブ・ミュージックファンにとどまらず、往年のソウルファンにも是非おすすめしておきたい一枚。

 

ジェイムス・ブレイクは、このデビューアルバムによって、一瞬でイギリスのクラブミュージックシーンを塗り替えてしまいました。なんですが、これはソウル音楽に対するブレイクの深い愛情が満ちているからこそ体現された名作。そのあたりの魅力は「Give Me My Mouth」といったソウルバラードの楽曲に現れています。あらためて、電子音楽は冷たい印象ばかりではなくて、温かみのある音楽もあるのだということがよくわかります。トラックの作り込みがほんとに素晴らしいし、深みのある渋い作品だなあと思うし、やはり十年経っても未だに燦然とした輝きを放つ傑作です。

 

 Alex Turner

 

アレックス・ターナーは説明不要、アークティック・モンキーズのリードシンガーにして、フロントマンを務めるイギリスのロックアーティスト。シェフィールドの高校で、ドラマー、マット・ヘルダースと出会い、アークティック・モンキーズを結成、現在までロックミュージックシーンの最前線を走り続けている。

 

 

アークティック・モンキーズのデビューアルバム「Whatever People Say I Am,That What I'm Not」2006で鮮烈的なデビューを飾る。荒削りではありながら、往年のガレージロックを彷彿とさせる若々しいロックンロールを体現し、イギリスのロック・ミュージック界に旋風を巻き起こし、2000年代のガレージロック・リバイバルムーブメントを、LibertinesやWhite Stripes、Strokesらと共に牽引。その後、2ndアルバム「Favorite Worst Nightmare」2007ではダンス・ロックというジャンルを確立、イギリスのロックシーンでの人気を不動のものとしていく。


 

このアークティック・モンキーズのアレックス・ターナーは、非常に女性に人気のあるミュージシャンで、常にガールフレンドの報道にさらされているミュージシャン。NMEでは「The Coolman Of The Planet」に選出されている。

 

 

しかし、どうも、このあたりから、プライベート性というものを要視し、公にはメディアを避けるようになった。ガールフレンドが誰なのかを常にパパラッチに追求されるのに辟易としたみたいです。しかし、それでも、このあたりに、アレックス・ターナーのミュージシャンとしてのプロフェッショナル性があり、見かけのクールさではなく、ロックバンドとしてのクールさを評価してもらいたいという気持ちが垣間見れるようです。


 

リードシンガーとしてのアレックス・ターナーは既に不動の評価を獲得している。それまでのロックミュージックに、早口でまくしたてるような、これまでにない英語詞の歌唱法を確立。このあたりは80年代のブリットポップの新たな解釈を2000年代に試みたと言え、クラブミュージックやヒップホップのライムのような影響を、正統派のロックとして体現してみせたのがアレックス・ターナーの凄さで、アークティック・モンキーズの主要な音楽性の重要な肝といえるでしょう。

 

 

確かに、アークティック・モンキーズのアレックス・ターナーの歌い方というのはなんとなく映画俳優のような無理をして頑張るような格好良さがあります。しかし、それは多分このアーティストの一面に過ぎないのかなという気もしている。

 

 

それはアレックス・ターナーが、ソロ作品において、肩の力の抜けた、穏やかなフォークシンガーとしての実力を発揮しているからです。今回、アルバム・レビューとして御紹介させていただくのは、ロックミュージシャンとしてではなく、フォークアーティストとしてのクールな一面が楽しめるEPで、これからの季節、秋の夜長に、ひとりでじっくり聴き耽りたいような秀逸な作品です。

 




 「Submarine」Alex Turner  2011


  

1.Stuck on the Puzzle-intro

2.Hiding Tonight

3.Glass in the park

4.It's hard to get around the wind

5.Stuck on the puzzle

6.Piledriver waltz

 

この「サブマリン」というのは映像作品で、これまでアークティックモンキーズのMVを手掛けてきた盟友といえるリチャード・アイオアディ監督のロマンス映画です。ジョー・ダンソンの小説を映画化した作品のサウンドトラックです。 

 

つまり、これまでプロモーションを手掛けてくれた友人に対するお礼と感謝のために制作されたアレックス・ターナーの返報代わりのEP作品といえなくもないかもしれません。サウンドトラック作品としてのリリースは、アークティック・モンキーズのアルバム「Stuck it and see」の数ヶ月前に発表されていることから、アークティック・モンキーズのスタジオアルバム制作の合間をぬって録音された作品です。 

 

そして、「Sumarine」では、アレックス・ターナーのロックミュージシャンとしてはまた別の魅力的なボーカルの雰囲気が味わえる作品となっています。音源作品としては、アークティック・モンキーズのオリジナルアルバムほどには話題にならず、イギリスでもチャートの最高位が33位と驚くほど話題性に欠ける作品ですが、ここでアレックス・ターナーはアークティック・モンキーズのギラギラしたボーカルとは又異なる新境地を開拓しようと試みているように思えます。

 

このサウンドトラックの表題曲とも言える「Stuck on the puzzle」は、フォークバージョンとクラブミュージック寄りのアレンジバージョンが今作には、二パターン収録されています。そして、ここではアークティック・モンキーズでは出来ない音楽性を試みたのではないかと思える。サブマリン全体の印象としては、#3「Glass in the park」に代表されるボブ・ディランのようなフォーク寄りの音楽性で、アコースティックの指引きのアルペジオの美しさ、嫋やかさ、そして、やさしく手を差し伸べるような心に染みる歌声を、ここでアレックス・ターナーは披露する。

 

もちろん、真夜中のアンニュイな雰囲気に満ちたアークティック・モンキーズのロックのムード、またあるいは、陶酔したような現代的なR&Bバラード色を引き継いだ上で、夜中にひとり、口笛を朗らかに吹くかのごときダンディズム性のある歌声が聞き所といえるでしょう。

 

 

それはちょっとした瞬間、心からふと、こぼれ落ちる哀しみであり、涙であり、寂しさ。それらがこのEP作品の多くの楽曲には人間味のある深い情感として素直に表現されている。その上で、そういった哀しみ、涙、寂しさを、朗らかに笑い飛ばすような雰囲気が醸し出されているように思える。

 

つまり、ロマンス映像作品としてのサントラと言う面ではコレ以上はないハマり具合といえる。

 

これまでアレックス・ターナーは、一度もサントラを手掛けたことがないのに、映像と音楽の情感の合致を完全に成功させているのは驚きですが、その辺の器用さは音楽家として生来の天才性に恵まれているからこそ。

 

そして、また、アークティック・モンキーズと決定的に異なるのは、アレックス・ターナーの歌声です。アークティック・モンキーズでは何かしら切迫したような歌い方をするシンガーなんですが、ここでは、囁くというか、ボソッと呟く、嘯くような歌い方で、これもまたメインプロジェクトと異なるダンディズム、ブルーズのクールな質感が醸し出されている。このダンディズム性が何か楽曲の良さと相まって、ホロリとさせるような、やさしげな情感があって非常に素敵です。

 

この作品「Submarine」では、コレまで自身の映像作品を手掛けてきた盟友、リチャード・アイアディへの友情ともいうべきものが功を奏したというべきでしょう。メインプロジェクト、アークティック・モンキーズの作品の重圧、スターミュージシャンでなければいけないという若い頃からの厳しい柵から解き放たれ、アレックス・ターナーの歌声の本来の魅力が存分に引き出されている。

 

少し、弱気なところもあるけれど、いや、でもそれこそ、このリードシンガーの自然な美しさが宿っているように思えます。それは肩肘を張ったスターロックミュージシャンとしてでなく、等身大のアレックス・ターナーの姿がここに表現されている。そしてまた、こシンガーの自然体の歌声が聴くことができるのは、多分これまでのキャリアの中、このEP作品だけかもしれません。

 

六曲収録の少アルバムの形式ですが、コンパクトなスタイルの作品ゆえ、殆ど助長なところがなく、捨て曲なし。全体的な構成としても引き締まった名作です。そして、ロックバンドとしてはこれまで表現しえなかった、アレックス・ターナーのフォーク音楽に対する深い造詣が味わえる作品となっています。

Kitty Craft 



キティ・クラフトのバイオグラフィを紹介しておくと、1990年代に活躍、アメリカ、ミネアポリスを拠点に活動していたPamela ValferのソロDJプロジェクトで、知る人ぞ知るトリップ・ホップ、ブレイクビーツ、ダウンテンポ周辺のアーティストで、マニアックですが、素晴らしいアーティストです。

1994年にセルフタイトル「Kitty Craft」のカセットテープをオーストラリアのToytownという伝説的なレーベルからリリース。

当初、4トラックでのシンプルなトラックメイクを行っていましたが、1997年から8トラックに増やして、トラックメイクするようになった。今の16トラック以上のミックス作業が主流の時代において、少しだけしょぼく思えるかもしれませんが、実際、そのあたりのチープ感を補う才覚、鋭さというのがトリップ・ホップ周辺の音の醍醐味でしょう。

1999年と2000年には二度、来日を果たしているアーティストですが、リリースとしては、2000年の「Catskills」以来、活動を休止しています。今回は、「Catskiils」については言及しませんが、オシャレ感のある作品としておすすめ。

Pamela Valferは、これまでの未発表楽曲を再編集した「Lost Tapes」を2020年にリリース。そして、追記すべきなのは、何と、この作品には日本人アーティスト、劇伴音楽のフィールドで活躍する青木慶則氏がこの作品のリミックス作業に参加。つまり、日本にも少なからず関係性の見いだされるアーティストです。

 


Kitty Craftは、トリップ・ホップ、ダウンテンポの系統にカテゴライズされるものの、この括りから想像される音楽からはかけ離れているのが実情です。キティ・クラフトの音楽性をかいつまんでいうと、いかにもアメリカの90年代のインディー・ポップらしい素朴で温和な雰囲気が漂っています。これは、Valferがトラックメイクとして作製したいのは、実は、ヒップホップと言うより、インディー・ロックやローファイ寄りなのかなあと思います。

本来は、三、四人のバンド編成としてやるべき音楽を、ひとりで、宅録によって、DIY的に、ハンドクラフトでやってしまおうというような感じ。もちろん、Valferは、DJとして名乗っているものの、彼女の音楽を聴いて分かるのは、少なからず、スコットランド周辺のギター・ポップ、ネオ・アコースティックといったジャンルに造詣が深いように思われます。The Pastelsの音楽性に近い雰囲気を持ったアーティストです。

トラック自体の作り方は、ワンフレーズをループさせて繋いでいく、というラップの基本的なスタイルをとり、そこに、スポークンワードというより、普通の親しみやすいポップソングが心地よーく乗ってくる。

また、逆再生等の特殊な技法も駆使されているあたりは、テクニカルなトラックメイカーとしての表情も伺わせ、楽曲自体のアプローチは、インディー・ロック的な雰囲気がふんわり醸し出されている。

トラック自体の作り方はヒップホップ寄りであるのに、それがValterの歌声により聞きやすいポップソングとして昇華されている。その辺が普通のヒップホップと異なり、クロスオーバーもののヒップホップとして楽しんでいただけるでしょう。 

とりわけ、キティ・クラフトの音楽は、サンプリングの選び方が絶妙で、音楽通らしいのは、このサンプリングを聴くだけで容易につかめるはず。元ネタがちょっとはっきりしないものの、ビートルズっぽいオールディーズ風の音源から、モータウンレコードの激渋の音源まで、R&Bやファンク、クラシック風のフレーズに至るまで、実に多彩なサンプリングを施しているのが面白い。

そこに、アナログシンセサイザーの懐かしい感じのフレーズが楽曲の印象を華やかにしている。次いでに言うなら、キティ・クラフトの音楽は、ヒップホップであるとともに、ファンクR&B、ジャズ、ポップスでもある。それが、なーんとなく、ノスタルジーで、切なーい雰囲気に彩られてます。

サンプリング/リミックス作業も巧みで、レコード再生時のヒスノイズを発生させたり、アナログレコード再生時のじゃりじゃりした質感を出すのに成功。これはデジタルではなくアナログの制作法だからこそ出てくる、渋み、旨みであるといえるでしょう。

さらに、シンセの独特のベースラインが付け加えられ、そこにValferのドリーミーな雰囲気のあるボーカルがゆるく乗るというもの。

デジタル録音では出しえないアナログ盤ならではの音の質感を再現。そして、キティ・クラフトことPamela Vakferの秀逸なメロディセンスから伺えるのは、なんとなく、この人物の温和さ、可愛らしさを体現している気がします。

 

 

「Beats and Breaks from the Flower Patch」 1998

 
 
 

TrackingListing

 
1.Par 5
2.Inward Jam
3.When Fortune Smiles
4.Alright
5.Half Court Press
6.Mama's Lamp(American remix)
7.Locked Groove
8.Down For
9.Shine on
10.All To You
11.Caught High
12.Leave You Breath(Bonus Track)
13.Faultered(Bonus Track)
 


Listen on Apple Music

 

 
これは、アルバムジャケットからして鉄板です。あんまり可愛すぎるものですから、アナログ盤として部屋に飾っておきたい欲求に駆られる作品、それが「Beats and Breaks from the Flower Patch」。

只、ちょっと残念なのは、サブスクでは聞けますが、アナログレコードとしては入手困難になってます。                                  
 
先にも述べたとおり、キティ・クラフトの音楽は、特にインディー・ポップらしいメロディの良さが魅力の一つです。
 
この作品は、特に、ローファイ感がトラックメイクとして味わえる作品です。それから、初めて聴いたときに思ったのは、ノスタルジーな感じに満ちあふれているのが特徴で、Pamela Valferのキュートな歌声、またコーラスによって穏やかで、ふんわりしたような雰囲気に包まれている。

仮にデジタルが冷たさのある音とするなら、この作品で聴かれるのは対照的に、アナログ作業ならではのじんわりと温かみのある音で、デジタル音源のような綺麗さ洗練さはないものの、アナログの音の粗さ、いわゆるプリミティヴな音の質感を味わうにはもってこいと思います。
 
この作品から、キティ・クラフトは、初期からのレコーディング機材を入れ替え、4トラックレコーディングから8トラックレコーディングにアップグレード。今、考えてみると、8トラックというのは、既にビートルズ時代からあったわけで、90年代としてはかなりチープな感じのするトラック数。

しかし、このアルバムに収録されている#1「Par 5」#4「Alright」#5「Half Court Press」そして、#8「Down For」は、Valferの独特でドリーミーなポップセンスが遺憾なく発揮されている。

サンプリングを多用したワンフレーズのループトラックは、妙な癖になりそうな親しみやすさがあるはず。シンプルな構成でありながら、結構、トラックメイキングとしては技巧的であり、最低限のトラック数でもこんなに良い音楽が作れるという好例となりえるはず。
  
近年、IDM界隈でも、ボノボことサイモン・グリーンが語っているように、年々、使用可能な音源というものが膨大になっていくにつれ、音源の方に使われるアーティストが増えているんだそうです。

つまり、使いこなすべき音源に使われてしまう、選ばれてしまう、という電子音楽家としての矛盾があるようです。また、こういったサイモン・グリーンの発言には、スクエアプッシャーのトーマス・ジェンキンソンも同じような趣旨のことを語っています。

必ずしも、使用出来る音源が多い制作環境にあることや、高額の録音機材を他のアーティストよりも数多く所有することは、良質なトラックを作るための好条件とはならないらしい。つまり、シンプルで安価な機材でも、どころか、8trackのマルチトラックレコーダーのような安価な機材であっても、自身の頭を駆使し、アイディアをひねり出せば、良い音楽を生み出すことが出来る。
 
その点で、このキティ・クラフトは、昨今の電子音楽家だったり、あるいは、DJの悩みともいえるサンプリング音源、シンセ音源の多さに時間を取られる陥穽にはまり込むもなく、最低限のトラック、サンプラー、シンセというレコーディング機器を通し、ハンドメイドの音をじっくり真心を込めて作成している。その辺りが、キティ・クラフトの音の温かさ穏やかさを生み出している。
 
そして、このスタジオ・アルバムに感じられるValferという人物の素朴さ、朴訥さ、そして、簡素さ。それは、現在の世の中の概念で褒め称えられる美質からはかけ離れているように思えるものの、どの時代にも通用する普遍的な素晴らしい性質でもある。そういったことは、このアルバムを聴くだけでも、自然と伝わってくるでしょう。
 
オートチューン、ボコーダーを効かせた、派手な音楽が近年増えていく中、ふと、こういった穏やかでシンプルな、粗のある音楽が懐かしくなる時がある。必ずしも、完璧性、超越感だけを誇示するだけが音楽の旨みではなく、少し、不完全な部分があったほうがハンドメイドらしくて良いというのが愛好家としての意見。こういった温和な雰囲気のある馴染みやすい音楽というのはマニア好みとはいえ、とても希少でありますから、これからも大事にしていきたいものです。
 
 
現在、音楽活動をしている気配がないキティ・クラフトではあるものの、この一抹の寂しさというのは、「Beats and Breaks from the Flower Patch」の音の温かみが埋め合わせてくれるだろうと思います。次作のアルバム「Catkills」ではより洗練されたオシャレな音楽を味わえますが、ハンドメイド感、音のハンドクラフトとしての出来栄えとしては、こちらの方が上でしょう。
  
今作は、トリップホップ、ブレイクビーツ好きは勿論のこと、ギターポップ、ネオアコ、もしくは、昨今のドリームポップ好きにも是非チェックしてもらいたい、90年代の米インディーの隠れた名盤です。




Happy Listening!!





参考サイト


all music.com





青木慶則HP








Elliot Smith

 

 

エリオット・スミスは、アメリカではインディー系のアーティストとしては、異常なほどの人気を誇るミュージシャンである。それは一つ、彼の音楽性の本質的な良さというものの背後に潜んでいる悲しき運命も、彼の人気を後押ししていると思われる。彼の生み出す楽曲に明瞭に表れているのは、いわゆるアメリカのインディー・ロック/フォークの系譜を真っ当に受け継いだストレートな音楽の持つ魅力である。 

 

また、彼の音楽は非常に静かで昂じるようなところがない。それはもちろん、アコースティックギター一本で奏でられる本格派のフォーク・ロック/ポップスだからだけれども、さらにエリオット・スミスのボーカル、声というのは一貫して明るさはなく、どんよりとした印象が滲んでいる。

 

自分の中にある暗く淀んだ感情をしかと直視し、それをゆるい感じフォーク音楽として何気なく表現する。彼の音楽は、ディランのような張りこそないものの、素晴らしいポップセンスがあり、いまだに不思議な魅力を放ちつづけている。

 

つまり、それがインディーロックの系譜にあるローファイ、サッドコアという音楽ジャンルの本質なのだろうか?

 

 

しかし、エリオット・スミスは、その全生涯の作品において、その自分の中の暗さの最中でもがき苦しみ、そこからどうにか這い出ようと努めていたように思える。これは信じられないことに、実は、グランジのカート・コバーンの芸術性と本質的には一緒なのかもしれない。

 

つまり、グランジは、苛烈なロックンロールの申し子として、そして、ローファイ、サッドコアは、インディー・フォークの静かなる後継者として、この2つの音楽は、八十、九十年代のアメリカのアンダーグラウンドシーンに在し、アメリカの若者たちの魂を癒やしつづけたのだろう。 

 

エリオット・スミスは、「Kill Rock stars」というインディー・レーベルからデビューを飾り、このレーベルを中心に活動をしていたミュージシャンである。当時、つまり、リアルタイムの80年代後半、九十年代において、アメリカで、どれくらいの人気が獲得したのかまではあまり知らない。

 

しかし、その音楽的な素朴な良さというのは、普遍的な価値があり、少なくとも、2000年代に入っても全然古びることはなく、多くのアメリカ人の共感を呼び続け、今では彼の知名度、人気だけが一人歩きをしている感がある。それは、彼の音の表現には普遍的な人間の弱さ、誰にも存在する内的な暗さに、そっと寄り添う慈しみが込められているからなのだろうと思う。

 

今ではすっかり、アメリカのインディー・ロックの大御所というように目されるようになったエリオット・スミス。もし、今でも健在であったら、どのような素晴らしい音楽をファンの元に届けてくれたのだろうか。

 

2000年代初頭、正確に言えば、2003年の10月21日、エリオット・スミスは、胸に刺し傷がある状態で、自宅で発見された。当時の恋人による他殺説もあるが、現在では、自殺という説が最も有力視されている。

 

そして、彼の不可解な死は、毎年10月になると、ミュージックシーンの話題に上ることがあり、同アメリカの伝説的ミステリー作家アラン・ポーのように、いまだ多くのベールに包まれ、様々な憶測を呼びつづけている。


 

 

「Either/or」 1997  Kill Rock Stars

 

 

 

 

 

 

TrackLisiting

 

1.Speed Trails

2.Alameda 

3.Ballad of Big Nothing

4.Between the Bars

5.Pictures Of Me

6.No Name No.5

7.Rose Parade

8.Punch And Judy

9.Angeles

10.Cupid Trick

11.2:45 AM

12.Say Yes

 

 

 

 

所謂、エリオット・スミスの代表作、最高傑作として一番良く知られている作品である。個人的にはこのアルバムを十年前くらいに購入したが、当時、どことなく地味な印象があったためか、それほど深く聴き込まなかった覚えがある。まだ、この渋さのある音の本質がいまいちつかめなかったのかもしれない。

 

当時としては、かなり陰鬱な印象をうけたからか、いくらか倦厭するような向きがあったものの、それは大きな思い違いだったのだ、と、自分の耳の過ちを認めるよりほかない。現在、あらためて聴き直してみたところ、やはり、良質で素晴らしいインディーロック/ ポップスで、これほど痛快なフォーク・ロックは見当たらない気がする。どことなく、ビック・スター、マシュー・スイートの後の世代のアメリカのインディー・ロックの後継者という感じであり、しかも、同時に、ビートルズのような親しみやすい普遍的なポップ性も兼ね備えているのが特徴といえる。 

 

このアルバムを、当時はインディー・ロックというジャンルを知るために聴いたような部分もあったけれども、再生能力の高いオーディオでじっくり聴いてみると、彼の音楽の本質が何となく掴むことができた。

 

そして、何と言っても、このアルバムは、インディー・レーベルからのリリースでありながら、非常にみずみずしい質感に彩られた上質な作品である。アコースティックギターの音の粒のようなものが非常にあざやかであり、また、あたたかみのある弦楽器としての魅力が凝縮されている。

 

そして、エリオット・スミスの作曲というのは、渋みあるアメリカンフォークの系譜を引き継いでいる。そして、それをいくらかスタイリッシュさをまじえて表現しているあたりがこのアルバムの本質かもしれない。 

 

アルバムの全体の印象としては、やはり、からりとした明るさはないと思う。しかし反面、その要素が多くのファンから支持を受ける理由でもあると思う。派手さこそないものの、親しみやすさがある。言い換えれば、純朴さ、素朴さというのがエリオット・スミスの音楽の魅力なのかもしれない。 

 

「Speed Trials」 「Between the Bars」「Punch and Judy」といった楽曲には、エリオット・スミスらしい内省的で繊細なポップセンスが感じられる。また、サイモン&ガーファンクル、ビック・スターの音楽性からの影響を感じさせる「Rose Parade」「Alameda」といった楽曲では、フォーク寄りのアプローチを図っている。表面的には、フォーク音楽の系譜にあるのだけれども、そこに、エリオットらしい、どことなく暗澹とした情感が込められている気がする。

 

また、そこには、男としての弱さ、というのも明け透けに表現されている。強いばかりが人間ではない、弱さを見せたって構わないのだというのは、マッチョイズムの支配するアメリカ社会の息苦しさがいかほどに深甚なものなのかを端的に表しているように思える。

 

つまり、エリオット・スミスの音楽は、アメリカ人としての健全さだとか一般的な価値観からはずれてしまった人々を救い上げるような温かみが込められている。これは日本人にはよく理解しえない概念かもしれないと思われるが、全く関係のない話ではないように思える。果たしてここ、日本にも、健全とされる概念が全然蔓延していない、と断言しきれるだろうか。だとすると、これは、非常に現代的なフォーク、真の意味でのヘヴィな音楽ともいえる。これらの複雑に絡み合った要素が、エリオット・スミスの親しみやすいポップソングとして昇華されているから、今日まで、この作品がアメリカのインディーロックの傑作として語り継がれているように思える。

 

そして、このアルバム「Either or」で最も素晴らしい曲は、最終トラックとして収録されている「Say Yes」ではないかと個人的には考えている。ここで、エリオット・スミスは、インディー・ロックという表面的ベールを剥ぎ取り、素晴らしいポピュラー音楽のシンガーソングライターとしての才覚を遺憾なく発揮してみせた。これから、どのような素晴らしい作品が聴けるものかと多くのファンが期待した矢先の生命の断絶であり、あまりに唐突な死であったように思える。

Max Richter

 

マックス・リヒターは、ベルリンの壁崩壊以前の西ドイツ生まれの世界的に著名な作曲家である。東西のドイツが一つの壁によって分断されていた時代に生まれたことによるものか、時代に先んじた思想を持った非常に頼もしい現代音楽家として挙げられます。

もちろん、どちらかといえば、現代音楽家というよりは、映画音楽のサウンドトラックをこれまで数多く手掛けてきた劇伴音楽がマックス・リヒターの主な仕事です。


最新スタジオ・アルバムでは、人間の持つ多様性の素晴らしさを”声”によって表現した「 Voices 1.2」によって音楽上での新たな思想的な側面を提示しています。


音楽としては、基本的に、ヨハン・ヨハンソンやニルス・フラームのようなポスト・クラシカルに分類されるはずですが、クラシック音楽を英国で体系的に習得し、本格派のピアノ音楽、そして、弦楽重奏曲を主要な作風としている。殊に、現代作曲家としては、アルヴォ・ペルトをはじめとするミニマリスト学派に分類されるものと思われます。


今回、紹介するマックス・リヒターのアルバム「The Blue Notebooks」は元々、2千年代初頭に約一週間を掛けて録音された音源を二枚組にリイシューした作品です。ポスト・クラシカルの楽曲として聞きやすさがあるにも関わらず、その音楽には、リヒター氏自身の政治的なメッセージが強固に込められていて、その表向きな理解しやすさとは別に、現在、あらためて再評価すべき作品といえます。 


そもそも、ブッシュJr大統領時代から始まった中東戦争は、ほとんど泥沼化しつつあったように思えていましたが、その戦争の火種を受け継いだオバマ政権がこれを強引に幕引きへ導いていった印象を受けます。今でも記憶に新しいのは、当時のオバマ大統領は、「Justice has been done」というかなり強いメッセージで、中東戦争、多くの民間人を犠牲者にした長い長い戦争を締めくくりました。

 

 


「The Blue Notebooks (15 Years)」  2018


 

 

そして、このマックス・リヒターの「The Blue Notebooks」は、長い長い中東戦争のうちの、イラクに対する空爆に題材を採っています。

 

この作品中の「Horizon Variation」は、ニルス・フラームと共に、私に、ポスト・クラシカルというジャンルに親しむ契機をもたらしてくれた意義深い作品です。十年前に、この静かなピアノ曲を中心とするアルバムを聴いた際は、聞きやすく親しみやすい、ヒーリング音楽の作品のように思っていたんですが、この作品がイラク戦争に対する深い瞑想をモチーフに作曲されたことを最近になって遅まきながら知りました。つまり、自分はこの作品に対して誤ったイメージを抱いていたのを痛切に反省しなければならなかった。同時に、この作品に対する印象も全く過小評価していたと気が付かされたのです。


特に、作曲の際のエピソードを知った上で、あらためて、この作品の音楽に触れてみると、作品に対する印象も一変しました。中でも、「On the Nature Of Daylight」という楽曲の印象が以前とはガラリと変わってしまった。イラクの戦争に対する「黙想」という強固なモチーフが、この楽曲中の弦楽のハーモニーには力強く込められているように思えます。ここには、鎮魂のための弦楽重奏が重みを持って胸にグッと迫ってくる。それは、まさしく、東西分裂時代のドイツに生を受けた作曲家マックス・リヒターが、曲の中に込めた痛切な和平に対する痛切な、願い、祈りなのかもしれません。


もちろん、そうした難しく解決のつかない政治的な背景を抜きにしても、美麗なクラシック、ポスト・クラシカルの名曲がこのアルバムには数多く収録されていることは相違ありません。


「Horizon Variations」の黄昏を思い浮かばせるようなピクチャレスクな美しさというのも問答無用に素晴らしい。「A Catalogue of Afternoon」も惜しいくらい短い曲ではありますけれども、美麗な親しみやすいピアノ曲です。また「Vladimir's Blues」は、リヒターの映画音楽作曲者としての深い矜持が伺える名作です。そして、アルバム全体を通して、彼の映画音楽作曲者としての強み、サウンドスケープを目に浮かばせるかのような叙情性をたっぷり堪能できるはずです。


総じて、十五周年を記念して発売されたアルバム「The Blue Notebooks」は、全編がきわめて敬虔な内面的な静けさに満ちています。


リヒターの紡ぎ出す繊細な音の背後にある深甚な思想がこのスタジオ・アルバムの美を強固なものとしています。そして、彼の込める痛切な黙想は、十五年を経てもいまだ強い輝きを放ち続けています。


個人的には、世界が日々めくるめくような早さで移ろいゆく現代社会において、こういった静かで穏やかな落ち着きをもたらしてくれる音楽は重宝したい。オリジナル作品発売から、すでに二十年近くが経っているものの、あらためて光を当てておきたいポスト・クラシカルの名盤です。

 

 


参考サイト

 

Max Richter The Blue Notebooks Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/The_Blue_Notebooks

 Christina Vanzou

 

以前、作曲家、Christina Vanzouのバイオグラフィーについては、Dead Texanのアルバム・レビューの項で簡単に触れておきました。「参照:Album Review Dead Texan

  

一時的なアンビエントユニット”Dead Texan”の中心的な人物Adam Witzieは、このプロジェクトの解散後、Stars of The Lidの活動に乗り出していき、アメリカ国内にとどまらず、世界のアンビエントシーンで著名なアーティストとして数えられるようになりました。

 

そして、このプロジェクトの密かな人気が功を奏したのか、Christina Vanzouの方もまた近年、現代音楽、アンビエントシーンで非常に影響力のあるアーティストとなりつつあるようです。それはVanzouの実際の作品を聴いていただければ、その才覚のすさまじい煌めきをハッキリと感じ取ってもらえるかと思います。

 

これまで、Dead TexanのアルバムをリリースしたKrankyを中心に、「No.1」「No.2」「No.3」「No.4」とナンバーを銘打ったスタジオ・アルバムを何作か録音してきている。直近のリリース作品においては、大御所、ABBAとコラボしている!ので、これから世界的な音楽家として認知されつつある気配もありそうだ。また、実際そうあって欲しいと個人的には願っています。

 

現時点で、アンビエントシーンでの知名度という点では、Stars of the Lidに一足先を越されているかもしれない。しかし、近年、Christina VanzouはAdam Witzieとは異なるアプローチを見せ、本格的な現代音楽家としての方向性を追究し、オーケストラとのコラボレーションなども実現させている。これからさらに凄くなりそうな雰囲気があります。

 

近年のアンビエント、そして、現代音楽のシーンにおいても最注目すべきアーティストの一人であるといえそう。これはかなり穿った見方かもしれないけれども、元を辿れば、VanzouがDead Texanでの活動により音楽活動、アンビエント制作としての才を花開かせたのが盟友Adam Witzieであったというのは少し過ぎたる言なのかもしれません。

 

信じられないのが、最近、Vanzouは、オーケストラレーションを交えて自作曲の演奏まで行うようになっているものの、Native Intruments社のインタビューに語っている通り、「これまで体系的な音楽教育は一度たりとも受けていない」


また驚きなのが、往年のニューヨーク・アバンギャルドシーンの立役者ともいえるサックス奏者、ジョン・ゾーンからの影響が音楽家としての出発点にあるということ。にも関わらず、彼女の作曲技法というのは、シュトックハウゼン、クセナキスのようなシンセの基礎を形作った現代音楽家のようなアプローチがあり、そして、音を"デザイン"するという手法が顕著に伺える。これは、他のアンビエントアーティストとは一線を画すように思えます。


 

「Landscape Architecture」2020




  

Christina Vanzouは2020年リリースのアルバム「Landscape Architecture」において、アンビエント製作者として目覚ましい進歩を遂げたということみずからの作品をもって証明しています。

 

ブルックリンの音楽家”JAB”を共同制作者として抜擢したことにより、アンビエントにおける多彩なアプローチを可能にしたと言えかもしれません。

 

今回、このJABというフルート奏者兼ピアニストという多彩なプレイヤーの才覚が彼女の作品に加わった事によって、このスタジオアルバム「Landscape Architecture」は往年の「ブライアン・イーノ、ハロルド・バッド」という絶妙な名コンビにも比する素晴らしい音楽が綿密に形づくられています。

 

全体的なサウンドアプローチとしては、幻のアンビエント・ユニット”Dead Texan”の形を引き継いだといっても良いかもしれません。JABのミニマルなピアノ演奏を前面に引き出し、その背後にVonzouの生み出すシンセサイザーが音の芳醇な奥行きを形作る。

 

また、題名からも分かる通り、音風景、サウンドスケープの構築という作曲上の意図が明確に伺える。そして、いくらか興味深いのは、曲中において、鳥のさえずり、バイクの音、ヴォイス等のサンプリングも効果的に取り入れられている点で、これが何かしら聞き手の情感を喚起させるように思えます。

  

そして、この作品に共同制作者として参加しているJABの奏でるピアノ演奏というのは、かつてのハロルド・バッドの演奏を彷彿とさせるかのような深い思索に富んでいます。

 

無駄なフレーズを削ぎ落とした洗練性、静けさ、抒情性、そこにまた神秘的な雰囲気を漂わせている。ピアノの演奏自体は至ってシンプルなのに、音の余韻、もしくは音の余白のようなものが顕著に込められているのは、やはり、昨年、亡くなられたハロルド・バッドの音の雰囲気を彷彿とさせます。

 

そして、ピアノの美麗なフレーズの背後に、Vanzouの奏でるシンセサイザーのシークエンスがこの作品の持つ世界観を押し広げているように思えます。このアルバムの音楽、二人が提示するサウンドスケープには、聞き手をその音響の持つ独自の世界に迷い込ませる力、そして妖艶な雰囲気が充溢している。

 

このアルバムは、Dead Texan、またはハロルド・バッドのように、癒やしある聞きやすいピアノアンビエントとして聴くこともできるでしょう。また、この作品において、Vanzouは、往年のアンビエント音楽を、現代、そして、近未来に推し進めようとする気概もまた伺える。つまり、この作品は、一辺倒のアンビエント作品という訳ではありません。

 

アルバムに収録されている楽曲は、ヴァラエティに富んでおり、現代音楽寄りのアプローチも感じさせます。JABのフルート演奏をフーチャーした「Obsolete Dance」は、アヴァンギャルド・ジャズ、アシッドハウス風の蠱惑的な雰囲気を持つ楽曲といえて、このアルバムの中で強い異彩を放っている。

 

「Out of office」では、シュトックハウゼンのトーン・クラスターに近い前衛的なアプローチも見られる。「Pungent Lake」では、不気味さのあるドローン・アンビエントに挑戦している。「Lost Coast Haze」では、モートン・フェルドマンやケージのピアノ音楽に対する接近も見られる。

 

このアルバム・タイトルにあるように、サウンドスケープの構築という意図、それはVanzouとJABという秀逸な二人の音楽家の性格が絶妙に合わさったことにより、芸術の高みまで引き上げているように思えます。今作は、アンビエントという音楽の解釈を、さらに未来へと一コマ先に進めた歴史的傑作というふうに形容出来るかもしれません。

 

gellers 

 

 

gellersは、現在、ソロ活動として大活躍中のトクマルシューゴさんが、学生時代の同級生と組んだオルタナ/ローファイインディーロックバンドです。一時期、”どついたるねん”と企画を組んでいましたが、シングル「Cumparsita」リリース後、2018年から活動を休止中のようです。この辺りは、トクマルシューゴさんの仕事の忙しさとも関係している部分も少なからずあるかもしれません。

 

 

トクマルシューゴさんの名盤については、そのうちに、あらためて取り上げていくつもりですが、トクマルさんの簡単なバイオグラフィーを記しておくと、彼のデビューアルバム「NIGHT PIECES」2004は、当初、米国のインディーズレコード会社からリリースされ、現地の音楽メディアに称賛されたという面で、デビュー時から、天才性を遺憾なく発揮しつづけている。その後、活動拠点を日本に置きつつ、サポートメンバーを交え、バンド活動を行ってきており、TONOFONというインディーレーベルから作品のリリースを継続しています。このレーベルには、”王舟”という様々な個性的な楽器を演奏する良いバンドがいることも追記しておきたい。

 

 

トクマルシューゴさんは、本来、楽器ではない玩具を、楽器としてインプロヴァイゼーション風に自身の作品の中に取り入れ、Electronicaから派生したToytoronicaを日本で最初に導入したアーティスト。もちろん、ジャンルの括りを差し引いても、音楽においての独創性、クリエイティヴィティにおいて抜群のJポップ・アーティストという事実には変わりないでしょう。

 

 

このGellersは、先にも述べたとおり、メンバー全員が幼馴染で結成され、トクマルシューゴとしてのソロ活動のポピュラー音楽性とは対極にある雰囲気を持ったバンドと言えるでしょう。

 

 

ギター、ベース、ドラムの基本編成に加えて、アート・リンゼイやD.N.Aの実在した「NO NEW YORK」の時代にタイムスリップしたような、耳をつんざくような激烈ノイズを追求するキーボードをバンドサウンドの主な表情づけとし、また、時には、The StoogesやThe Velvet Undergroundの時代の強いタブー性を現代に蘇らせたかのようなアクの強いロックサウンドが特徴でしょう。

 

 

近年では、音楽性が徐々に変わってきて、掴みやすいポップ性を追求したシティポップ風のノスタルジックなサウンドを、最新作「Cumparsita」においては見せています。また、最初期のメンバーで、途中で脱退したミュージシャン、”ハラ・カズトシ”がゲスト・ボーカルに参加、肩の力の抜けた良質なJーインディ・ポップを展開する場合もあって、異質なほどの音楽性の間口の広さがこのバンドには感じられます。

 

 

そして、今回、再発掘する彼等のデビュー・アルバム「Gellers」は、日本の隠れたインディー・ローファイの名盤として、日本の往年のインディーシーンの伝説的ロックバンド”裸のラリーズ”的な意味合いで、ここで取り上げおこうと思います。

 

 

どちらかというと、海外の音楽フリークの間でひそかに人気の出そうな隠れたローファイの名盤のひとつかもしれません。

 

 

 

Gellers 「Gellers」 2007

 

 

 

このジャケットがはっきりと表すように、インディーローファイ、もしくは、サイケデリックロックという音を見事に昇華させた名盤。

 

一応いっておくと、世界的にもこういう音はメルト・バナナ以外では聴いたことがない珍しさもあるかと思います。

 

 

 

 

「9 teeth picabia」のイントロでは、映画の活弁士のようなサンプリングが挿入され、そこから突如、サイケデリックノイズとも、往年のThe Sonicsのようなガレージ・ロックともつかない、まさにゲラーズ・ワールドともいえる世界観を全面展開していく。

 

 

このアルバムとしてのイントロにぶちのめされる理由というのは、やはり、ブライアン・イーノ、プロデュースのニューヨークの前衛ミュージシャンのコンピレーション・アルバム「NO NEW YORK」を初めて聞いた時のような、のけぞってしまうあの直覚的な感じだ。

 

 

耳をつんざくぐしゃっと潰れたようなノイズ、テンポ感をあえてぶち壊すことにより、ザ・レジデンツを思わせるサイケで衝動的で異質なロックを現代のローファイとして再現し、また、出来上がったものを一瞬にしてぶち壊してしまうのもかなり面白い。

 

 

一見、とんでもない滅茶苦茶をやっているようで、バンドとしての演奏は巧緻な部分もある。両極端なアンビバレントな要素を交え、それを、バンドサウンドとしてダイナミックに展開していくのが、このゲラーズです。よくわからないけど、なんだか凄い。つまり、この名盤はパンクをひとっとびに越えて、もしかすると”サイケ・コア”の領域にまで踏み込んでいるんではないでしょうか。

 

 

それはあの底なし沼に踏み込んでいくときのような危なっかしい魅力を放つかのようでもある。彼等Gellersのライブでも、お馴染みの重要なレパートリー、「Buscape」も痛快な曲で、ここでは、楽曲の持つ異質な勢いの魅力もさることながら、日本語歌詞としてのタブー性に果敢に挑戦しているのも素晴らしく、暴力的な衝動性というのが遺憾なく発揮されている。

 

 

川副さんのボーカルは、ロックバンドというよりも、パンク・ハードコアに比する激烈さといえ、凄まじいアジテーションの雰囲気を、このアルバムに収録されている楽曲にもたらしている。このアルバムリリースのあとでも、その基本的なスタンスは変わらず、今日においてタブー視される言語を臆することなく歌詞の中に込め、実際にステージ上で激しさをもって歌い上げるのは、昔ならばいざしらず、近年では、相当な勇気が必要でもあるはず。にもかかわらずなんなくやってのけているのはさすがで、これこそまさにパンク・ロック精神といえるでしょう。

 

 

そして、このバンドイメージに柔らかなニュアンスを添えているのが、トクマルシューゴさんで、「Colorad」「Locomotion」「Sugar」においては、川副さんに代わってマイクをとり、この緊張感のあるサウンドにゆるさのある、癖になるようなインディー・ポップ性を添えることに成功している。

 

 

このあたりは、やはり、トクマルさんのポップセンスの高さというものが伺え、割と多くの人に受け入れられるようなキャッチーさもある。それほど過激さはなくて、万人受けするゆる〜い感じのギターロックの楽曲としてたのしむことが出来るでしょう。

 

 

しかし、このあたりにも、トクマルさんのローファイ趣味が伺え、そこに彼のソロ活動とはまた異なる一面が味わえるといえるかもしれません。

 

 

彼の歌詞性というのもやはり、なんとなく直感的、抽象的な言葉が使われているのが特徴でしょう。そして、彼の際立ったポップセンスが、これらの楽曲をどことなく、ノスタルジックにさせ、往年の古い日本のロック、はっぴいえんどの大滝詠一のような音楽性、渋く古臭い、それでいながら懐かしみのあるサウンドに昇華させているのもお見事。

 

 

また、このバンドの実験的なサウンドを 背後からしっかり支えているのが、大久保さんのベースラインでしょう。シンプルでありながら、リズムというものの深さ、そして対旋律的なメロディーを感じさせてくれる彼の職人気質のテクニックについても、このバンドサウンドの骨組みを強固にしている。

 

 

さらに、そこに、ドラムの轟音性を重視するダイナミクスと、キーボードのノイズが加わることにより、ゲラーズらしいサウンドが、既にデビューアルバムながら完成されているといえるでしょう。これは90年代から長く活動してきたからこそのぴたりと息のあったバンドサウンドといえるでしょう。

 

 

このデビューアルバムは彼等の勢い、そして、痛快なほどのアバンギャルド性を打ち出した日本のインディー・ロックの隠れた名盤として、推薦しておきたいアルバムです。

Grouper

 

Grouperはアメリカ、オレゴン州、ポートランドのリズ・ハリスのソロアンビエントプロジェクトとして知られています。自主レーベルからのリリースもあり、アンビエントの総本山クランキーレコードからのリリースもあるという意味では、かなり独立心の強いアーティストといえるでしょう。

アンビエント/ドローン色の強い楽曲性の中、ピアノのシンプルな伴奏の上に、どことなく幻想的でアンニュイな歌声でうたいをこめ、独特な雰囲気を生み出すのがGrouperの音楽の特徴です。

必ずしも明るい音楽性とはいえないかもしれませんが、聴いていて非常に鎮静感を与えてくれる音楽性がこのアーティストの持つ独特な魅力。

活動自体は2005年からで十六年のキャリアがあるアーティストです。アンビエントシーンでは女性アーティストというのは珍しく、正直、彼女のほかにあまり思い浮かばないような気がします。

ピアノ、ボーカル、そしてシンセサイザーのパッドを背後に掛けるという意味では、シンプルなピアノアンビエントに位置づけられる。しかし、音楽性は多種多様で、アルバムごとに、ポスト・クラシカル的な澄明なアプローチであったり、ギター・ポップ的な風味あり、また、それとは正反対の暗鬱なドローンを奏でるという意味では、クランキー・レコードのアーティストらしいといえるのかもしれません。ここでは、簡単ではありますが、Grouperの傑作を取り上げてみようと思います。

 

 

「Ruins」2014 

 

 


TrackLisitng


1.Made of Metal

2.Clearing

3.Call Across Rooms

4.Labyrinth

5.Lighthouse

6.Holofernes

7.Holding

8.Made of Air


全体的には、表題に見える「廃墟」という名のように、朽ち果てた退廃的な美を音楽として全体的にモノトーンで彩ってみせたアルバムなのかなという印象を受けます。

このアルバムでは、アンビエント色というのはそれほど強くなく、ポスト・クラシカル寄りのアプローチというふうにいえるかもしれません。

ピアノの反復的な演奏によって、自身の内的な心象というのを淡い詩情を交えて丹念に描き出し、透明なカンバスの上に音とをゆっくり積み上げていく。休符というのを大切にしている感があり、楽曲が終わった後には独特な余韻が滲んでいる。

ピアノのごくシンプルな演奏の上に、リズ・ハリスの詩情的な旋律の曖昧としたボーカルが乗るという意味では、シンプルな歌曲というふうに位置づけられる楽曲が多いかもしれない。その性質は「Clearing」あたりの楽曲に顕著に見え、その歌声は外側に向けてうたわれるというよりか自分自身に語りかけるようにし、旋律が糸巻きのように丹念に紡がれていくのが面白い特徴でしょう。

その中で、「Lighthouse」もまたどことなく切ない響きが感じられて、ボーカルの多重録音のハーモニーによって美しさが生み出されている。憂鬱な夕べを彩るような黙想的な楽曲ともいえ、静かにじっと聞き入ってしまう妙な説得力がある。「Heading」でも、そのボーカルのハーモニーは絶妙に生かされ、シンプルな楽曲の中にモノトーン以上の色彩的な反響をもたらしているあたりが聞き所。

静かに心地よく聞いているうちにいつの間にか終わってしまっている。それまでいた空間の中にすっと戻って行けるのが今作の良さでしょう。

 

「Paradise Valley」2016

 


 

TrackListing


1.Headache

2.I'm Clean Now


Grouperの傑作として、もうひとつ取り上げておきたいのが、今作「Paradise Valley」です。

シングル盤で二曲収録で八分という短さありながらも、アルバムのような聴き応えがある作品です。 アルバム「Ruins」とは対照的などことなく前向きな印象によって彩られた傑作といえるでしょうか。

「Headace」は、どことなくローファイ/ギター・ポップの風味を感じさせる叙情的な楽曲で、そこにGrouperらしいアンビエント風味がそっと添えられている。シンプルなギターフレーズに、浮遊感のある美麗なボーカル、その背後にごくわずかなシークエンスが拡がりを見せるあたりは静寂というものの価値を知っているからこそ表現しえる音像というようにいえるでしょう。

これは、シンプルな楽曲のように思えますが、曲の終わりでは全体的な音像を徐々に遠ざからせて、おぼろげにしていく手法により、印象派としての余韻を強めているのは見事。この表題はむしろ逆説的な意味を込めているように思え、頭痛がすっと消えてなくなるようなヒーリング的な楽曲です。

「I'm Clean Now」も、また前曲に引き続いて、抑制の聴いていて、落ち着いたヒーリング的な雰囲気のある楽曲で、心地よい楽曲です。こちらの方がGrouperらしいアンビエント性が強いかもしれない。ぼんやりとあたたかな水の中にただようような言いしれない陶酔、それが非常に彼女らしい淡い感性によって紡がれているのがお見事。非常に短い曲で、もっと聴いていたいと思うような曲、落ち着いていながらどことなくリピートしてくなる美しい余韻が込められている。

それほど派手さはないのに、なぜか無性に聞きたくなってしまうのがこのシングル。独特なやさしく手を差し伸べるようなヒーリング的な味わいがあり、この安らかさにずっと浸っていたいなあと思わせるような音楽性。嵩じた音楽とは裏腹の静けさを追求した美しい理想的なアンビエントといえ、何度もリピートしたくなる不思議な魅力を持ったシングル盤となっています。




 Jean Corti 「Couka」

 

 一般に、アコーディオンやバンドネオン、コンサーティーナの演奏者というのは、他の管楽器や弦楽器、鍵盤楽器に比べると、それほど華々しく脚光を浴びてこなかった感があるのはどうしても否めません。 

おそらくそれは、これらの楽器が街角で大道芸のように奏でられる傍流的な器楽であるという誤った印象が根付いているからなのか、あるいは、また古い民謡だとかシャンソンをはじめとする歌曲には取り入れられながら、古典音楽でオーケストラ編成の中に積極的に取り入れられてこなかった歴史があるからなのか。それでも、少なくとも、この巨匠ジャン・コルティのアコーディオンの美麗な演奏に耳を傾けてみれば、この鍵盤楽器がいかに素晴らしいものなのかあらためて再確認できるでしょう。

 

ジャン・コルティの72歳のデビュー作「Couka」は彼のキャリアにおいて満を持してリリースされた感のある処女作にして集大成ともいえる作品。

 

 

 

一曲目「Amazone Pt.1」から展開されていくのは、スイングワルツを基調とした踊りのためのはやいテンポの三拍子の音楽で、コルティの陽気で晴れやかな演奏を聴いていると、聞き手もまた踊り出したくなるような衝動に駆られるはず。そして、ここにコルティが、これまでに蓄積してきたアコーディオンという楽器の魅力、演奏から引き出される渋みのニュアンスというのが滲んでいる。

「Violine」は、コントラバスの演奏を土台とした哀愁あるアコーディオンの実に流れるような演奏が堪能できるジャズ風の楽曲。ウェス・モンゴメリーのような華麗なギターというのも陶然とさせられる。また、その中にも、コルティの演奏に合いの手を入れるような唸りが聞き取れるのも一興。

 「Le Temps des  Cerises」は、古い時代のイタリアの歌曲「O mio babbino caro」からの系譜にある古典的なイタリアの音楽性、もしくは、往時の街角での流しの憂いある演奏を彷彿とさせる実に雰囲気のある楽曲。アコーディオンソロでありながら、十分な説得力と詩情あふれる演奏を聴くことができる。

表題曲「Couka」は、一曲目のようななんとも爽快さのあるスイングワルツ風の名曲。バンドスタイルを取っているため、大編成のスイングバンドのような豪華な雰囲気に彩られ、ドラムの演奏が他の楽曲にはないダイナミクスを見事に演出しています。コルティのメロディメイカーとしてのセンスも他の楽曲よりも輝いていて、コントラバスの演奏とあいまって、愉しげな雰囲気に満ちています。

終曲「Amazone Pt.2」は一曲目の変奏曲。コルティの有り余るほどのアコーディオンに対する情愛が感じられる演奏で、彼の長年の経験によって培われた盤石な演奏技術がここでたっぷりと堪能できるはず。曲の終わりにかけてのブレスがアルバムの最後に淡く落ち着いた余韻を与える。

アルバムの楽曲全体は、「Le Chaland qui passe」「Makako」に代表されるように、ゆったりとした哀愁ある楽曲の中に、テンポの良いスイングワルツが取り入れられており、映画のサントラのような優雅な雰囲気に彩られており、そしてジャン・コルティという一流奏者の淡い哀愁が曲の雰囲気を毀たぬように添えられている。

ここには、七十二歳の伝説的アコーディオン奏者しか醸し出せない深い情感、人生から直接に滲み出てくる哀愁、そして、何より、彼の演奏自体からコルティ自身が、アコーディオンを奏でる事を心から純粋に楽しんでいる様子が伺えます。

ジャン・コルティは、このデビュー・アルバム「Couka」において、前の時代に過ぎ去ったアコーディオンの面白さを最大限に引き出し、時代から忘れ去られた楽器の良さを音の楽しみとして伝えることに成功している。いうなれば、アコーディオンの伝道師としてのコルティの姿がここに見いだせるはず。