日本のポップスの良心 空気公団 「ぼくらの空気公団」

空気公団 


今回、紹介する「空気公団」というJ-POPバンドは、結構昔というか、二千年辺りのJ-POP全盛期から活動しているアーティスト。少なくとも、大きなアリーナなどで何万人の観客の前で活躍するようなビッグミュージシャンでありません。

しかし、絵画の個展を開くというような感じで、ミニシアターの舞台とか、こじんまりとした会場で、少ない聴衆に良い音を聽かせるという点を大切にし、細々とではありながら、小さな規模のライブ活動を長年にわたり行ってきているところが非常に信頼がおけます。

そして、何度かメンバーチェンジを経ながらも、根本的な音楽性については何ら変えることなく、活動を長くしぶとく続けているという点で、ポップアーティストとしては珍しく気骨のあるバンドとして挙げられるでしょう。

どうも、お金というのが絡んでくると、メンバー間の不和であるとか、また表向きには、方向性の違いというようなお茶濁しの理由で、解散したり、また、気の入らない作品を惰性でリリースしてしまうという場合がありますが、その点、空気公団はまったくそういった市場から離れたDIYの活動を続けていることにより、今日まで心温まるような秀逸な楽曲をファンのもとに届け続けています。

 「office fuwari」という自前のレーベルから主に作品リリースを行っているという点で、どちらかというと、インディー寄りの芸術音楽グループという言い方がふさわしいかもしれません。

このバンドの音楽性の特徴というのは、ほんわかとした空気感のバラードが多く、そして、春のうららかな日の河川敷沿いを口笛を口ずさみながら、ゆったりのんびりと爽やかな景色を見つつ何の宛もなく散歩している感じです。なかなか時間が取れない方もおおいかも知れませんが、実際、そういった日本のどこにでもありそうな散歩道をのんびりあるきながら聴くと、心揺さぶられるものがあるかもしれません。

ボーカルの山崎さんの声質というのも、手のひらに包み込まれるかのような、じんわりとしたあたたかみがあります。彼女の歌声でというのはそれほど音程域が広いわけではないけれども、その落ち着いた感じが良くて、どっしりとした中音域を中心として、さらりと歌ってのけるところが魅力のひとつでしょう。

また、どことなく楽曲の歌詞の中には、文学性がにじみ出ていて、歌詞、つまり「日本語の詩学」を歌により表現している。彼女の詩には、良い意味で、古風さが込められています。しかし、空気公団の楽曲は、それがアナクロニズムとはならず、青春的なノスタルジーとなって、胸にグッと迫ってくるかのよう。

空気公団の楽曲というのは、ゆったりしたテンポの楽曲が多く、シンプルな印象をおぼえますが、結構、バックバンドの音としては、かなりプロフェッショナル性が高いというか、玄人的で高度に洗練された演奏がなされている。

 ギターの音色、ドラムの抑制された叩き方、キーボードというのも表向きには、センスの良いこれしかないというメロディーがしっとり奏でられています。

 

ぼくらの空気公団 2010 fuwari studio

この2010年リリースのアルバム、「ぼくらの空気公団」は、空気公団の出世作そしてバンド名がタイトルに込められていることからも、代名詞的な作品といってもよいだろうと思います。

フジテレビ系アニメ、「青い花」のエンディング曲として使用された「青い花」のミドルテンポの美しいバラード的な性質の強い楽曲は、非常に切ない哀感が込められ、劇伴曲にとどまらず、独立した楽曲としても素晴らしい出来栄えです。

また、「とおりは夜だらけ」のゆったりとしたテンボで奏でられる切ない楽曲というのもどことなくノスタルジックな味わいがある。

なんといってもボーカルの山崎さんの歌というのは、冷静でいながらしっとりと歌い上げられていて、またコーラスとして乗ってくるハミングというのも、なんだかホロリと泣けてきてしまいそうになります。

昔の日本の歌謡曲の雰囲気を現代的なアレンジを交えて生み出されたといえそうな楽曲。それは古くもあり、また新しくもある。

そして、空気公団の独特なバラッドの真価というのは、この辺りの楽曲に顕著に垣間見えるのではないかと思われます。

2021年にも新作「僕と君の希求」をリリースした空気公団。個人的には、こういったバンドは日本のポップスの良心ともいえ、ぜひとも、これからも息の長い活動を続けていってもらいたいところです。

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