S.G. Goodman 『Playing By The Signs』
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Label: Slough Water
Release: 2025年6月20日
Review
もちろん、アルバムには作品に付随するバックストーリーが必須というわけではない。 ところが、ケンタッキーのシンガーソングライター、S.G. Goodmanのニューアルバムの場合は例外だろう。アメリカーナ、フォーク、ロックの合間にある『Playing By The Sign』の収録曲は、たしかに歌手の人生が緩やかに流れ、そして音楽の他にも何か面白い話を聞いてみたいという気になる。
愛、喪失、和解、古代の慣習にインスパイアされた曲で構成されている。批評家からも高く評価され、受賞歴もあるアーティストの唯一無二の歌声と、傷つきやすいフォーク・ミュージックとパンチの効いたロックンロールを並列させる11曲は、キメの効いたギター、幽玄な雰囲気、彼女のDIY精神に満ちている。グッドマンは、前進する唯一の道は共にあること、そして人類は自然界への依存と責任を考慮しなければならないことをタイムリーに思い出させてくれる。
2023年の早朝、グッドマンは亡き友人であるマイク・ハーモンと彼の妻テレーズに、次のアルバムは 「サインによる植え付け 」をコンセプトにしたいと話した。彼女は南部の田舎で過ごした子供時代から、庭植えや乳離れ、散髪は月の周期に合わせるのがベストだという一般的なことを思い出していた。彼女の周りに渦巻いている、ハイテクに取り憑かれ、利潤を追求するマニアとは正反対の概念である。
グッドマンは、サインによる植え付けに関連するテーマを探求することで、自分自身や他の人々がこの耳障りな断絶を和解させる手助けをし、そしてまた、彼女の姪や新婚の子供たちに植え付けの習慣の物語を伝えたいと願っていた。しかしながら、『Planting by the Signs』の執筆やレコーディング・スタジオへの道のりは簡単なものではなかったという。2023年には愛犬のハワードが亡くなり、父親代わりで師でもあったハーモンもまた悲劇的な死を遂げた。マイクはグッドマンのデビューアルバム「Old Time Feeling」に収録されている「Red Bird Morning」の中で言及されている。彼女のバンドは、彼の家の裏にあるクオンセット小屋で練習をつづけた。
S.G.がツアーをしている間、彼は、彼女の家をよくチェックしていた。グッドマンが旅先から彼に電話でアドバイスを求めることもよくあった。亡くなる数日前、グッドマンは雪が降っているときにバンにチェーンをつけるようにアドバイスした。バンドがツアーの途中で一度だけ演奏できるように、同じバンをボストンからシカゴまで運転したこともあった。彼はグッドマンのロックであり、彼自身がロックスターだった。
ハーモンの死をきっかけにして、グッドマンはほどなく長年のコラボレーターでギタリストのマシュー・ローワンと和解している。ローワンとグッドマンは、カザフスタン州マレーのインディー・ロック・シーンで大学在学中の20代前半に出会った。やがて一緒に音楽を演奏するようになった。彼の特異なギター・ワークは、彼女のプロダクションに欠かせないものとなった。
ローワンは、彼女の最初の2枚のレコードのほとんどのギター・パートを書き、2人のクリエイティブな関係は10年近くに及んだ。しかし、その生活は、すべての人のためのものではなく、あることがきっかけで、ローワンは離れることにした。ハーモンが亡くなった後、マットはグッドマンが最初に電話をした人のひとりだった。そこから二人は関係を修復しはじめ、やがて彼女が新しいアルバムの制作に取りかかると、S.G.グッドマンはローワンに共同プロデューサーを依頼した。このアルバムは、二人の和解なしには現在の形では存在しなかったかもしれない。
アルバムは、人間関係の喪失、その後に訪れた関係の修復というように、起伏のある人生観が反映される。 「Satellite」を始め、アメリカーナとロックの中間にあるサウンドが目立つ。そこに適度に力の抜けたボーカルが入る。音楽的なパートナーとも言えるローワンの程よくクランチなギター、そして休符を生かしたドラム、その合間を縫うように、どことなく幻想的なボーカルが乗せられる。グッドマンのボーカルは甘い雰囲気に浸されていて、楽器とボーカルのハーモニーがアメリカーナ特有の幻惑的な雰囲気を作り出す。寂れたガソリンスタンド、ガレージ、ハイウェイの光。そういった情景的な雰囲気をかたどった良質なインディーロックソングだ。これらはワクサハッチー、レンダーマン、ヴァン・エッテンに類するようなクラシックとモダンを巧みに行き来する独特なインディーロックソングのスタイルに落とし込まれていく。バンガー風の曲はないので、淡々としているように思えるかもしれない。が、渋く良い曲が多い。「I Can See The Devil」のようなブルージーな味わいを持つロックソングはその好例となろう。
また、このアルバムにはシンセサイザー等で作り出されるパーカッシヴなSEがロックソングの背景にシークエンスとして導入される。「Snapping Turtle」は同じように、アメリカーナとロックの融合であるが、背景の金属的なシークエンスがどことなく幻想的な雰囲気を想起させる。アルペジオを中心とする繊細なギターライン、それからムードたっぷりに歌い上げるグッドマンの音楽的な相性は抜群で、録音に参加したメンバーの人間関係の奥深さを感じさせる。そこには音によるコミュニケーション、信頼関係の構築という音楽を超えた主題も見つかる。これらが音楽的なヒューマンドラマのように展開され、音楽としても調和的なハーモニーを生み出す。この瞬間、死や別離といった悲しいテーマから始まるこのアルバムは、収録曲を追うごとに、テーマが変化していき、人間の根本的な信頼とは何かという奥深い主題が浮かび上がる。そこには音楽以上の何かが偏在し、目立たぬ形で、そういったヒントが散在しているのである。
グッドマンのフォークロックソングは、ほとんど昂ずるところがない。それはシンガーソングライターの幸福というのは、必ずしもきらびやかな脚光を浴びることに終始するだけではないという事実を伺わせる。そういった深妙な感覚をバラードタイプの曲で縁取ったのが、「Solitaire」である。エレクトリック・ギターの弾き語りによるこの曲は、悲しみや喜び、対極にある出来事を反芻するかのように切ない雰囲気を醸し出す。音楽の背景には、明らかに時間的な流れがあり、背後に遠ざかった死の悲しみに別れを告げるように叙情的なボーカルを歌い上げる。ボーカリストとしても、二つの声を使い分け、感情的な自己と冷静な自己を鋭く対比させる。こういった心に染みるようなソングライティングが本作の醍醐味だ。「I'm in Love」は、ギターとドラムを中心とするアコースティックな楽曲である。ローファイな感じに満ちているが、同じようにブルースやフォークタイプの音楽に美しい感情の結晶が見いだせる。この曲ではソングライターとしてのリリカルな才覚ーー詩情性ーーが余すところなく発揮されている。
ケンタッキーの山麓の暮らしを歌った本格派のカントリーソング「Nature’s Child」は、20世紀を経てカントリーソングがどのように変わったのかを知るための格好のヒントである。この曲ではスティールギターの代わりに独特なエフェクトを施したギターが幻想的な雰囲気を生み出す。ゲストボーカルのボニー・プリンス・ビリーの渋くブルージーなボーカルにも注目したい。また、このアルバムは、アメリカーナとロックというのが全般的なベースとなっているが、これらのジャンルにおけるアンビエント性も随所に配されている。それはシンセかギターで生成した長く抽象的なシークエンスが原曲の背後を流れ、それらがメタ的な音楽構造を作り出している。これらのアンビエント・フォークともいうべき音楽性は、Four Tetとのコラボで知られるウィリアム・テイラーも先んじて試している。これから試す音楽家が増えそうな予感がある。
アルバムでは何らかの明確な答えは出していないように思える。そこにあるのは体験と回想。間違っているのか、正しいのか、良いのか、悪いのか。そういった二元論から身を翻し、おのが生きる日々を純粋な眼差しで受け止めることの大切さを教えてくれる。 グッドマンは物事を歪めず、それをシンプルに表現しているだけだ。この世に氾濫する価値という概念など本当はあってないようなものなのかもしれない。そして、そういった中で見出される細やかな仕合わせこそシンガーソングライターの僥倖であることが伺える。また、そういった形のミュージシャンとしての静かな幸福がどこかに存在するということが分かる。本当の幸福がわかるのだ。
本作の後半では、ぼんやりした淡い印象を持つフォークミュージックが緩やかに続く。それらの穏やかで幻想的な心地よいフォークソングに静かに心を委ねてみれば、このアルバムの本質や素晴らしさに気がつくだろう。そういった中、山小屋で録音したような乾いた質感を持つ音響を生かした「Playing By The Signs」は、時代を超えた良質なフォークソングである。ここに垣間見える人間関係の奥深さ、そして、それらを超えた魂の神秘性。これらが音楽の底に上手く落とし込まれているように思える。この曲のデュエットは圧巻であり、聞き逃すことが出来ない。アルバムのクローズは最初の曲「Satellite」と呼応するような幻想的なアメリカーナロックソングである。この曲ではレゲエ風のリズムを駆使し、ボブ・マーリー風のフォーク曲として楽しめる。
85/100
Best Track- 「Heaven Song」