ブルックリンを拠点に活動するアンナ・ベッカーマンのプロジェクト、Daneshevskaya(ダネシェフスカヤ)が、デビュー・アルバム『Long Is The Tunnel』の4作目のシングル「Roy G Big」を公開した。これまでのシングル同様、内的な静けさに満ちたインディーフォークとなっている。
Daneshevslaya(ダネシェフスカヤ)のニューアルバム『Long Is The Tunnel』は、Model/ActrizのRuben Radlauer、Hayden Ticehurst、Artur Szerejkoの共同プロデュース。全7曲収録で、日記を記すように書かれた作品だという。制作には、Black Country, New RoadのLewis Evansも参加している。新作アルバムは11月10日にWinspearから発売。先行シングルとして、「Somewhere in the Middle」、「Big Bird」、「Challenger Deep」が公開されている。
昼間はブルックリンの幼稚園児のためのソーシャルワーカーとして勤務するベッカーマンの音楽は、すべてが険しいと感じるときを生きる子供のような純粋さを追求することが多い。「子供が登校時に親に別れを告げるとき、もう二度と会えないような気がするものです」と彼女は説明する。再来週発売の『ロング・イズ・ザ・トンネル』は、そのような心の傷や寂しさを表現している。アーティストは11月16日にニューヨークの Stone Circle Theaterでの公演を予定している。
続く、「A Running Start」では、旧来のファンの期待に応えるべくオーガニックなインディーフォークを展開する。2021年のアルバム『Begginer's Mind』の音楽性の延長線上にある自然味溢れるフォーク・ミュージックとして楽しめる。その後も、いわばオーガニックなインディーフォークの音楽性が続き、「Why Anybody Ever Love Me」ではアメリカーナの要素を交えて、エド・シーランのポップネスに近い、アンセミックな曲を築き上げている。特に、コーラスワークが秀逸であり、口ずさむような親しみやすいフレーズが堪能出来る。
これまでのスフィアン・スティーヴンスのインディー・フォークには、独特な内省的な感性が取り巻くようにして、その音楽の外形を構築することが稀ではなかったが、「Everything That Rises」はそういった表面性とは別の、内的感覚をいたわるような雰囲気に充ちている。以前よりも声はハスキーになり、スモーキーな渋みと味わいがあるが、その雰囲気を支えているのがアコースティックギターの弾き語りだ。その上にシンセのテクスチャーを重ね、シネマティックな音響効果を及ぼしている。これは以前にはなかった要素で、ここでも、劇伴音楽の制作に取り組んだ経験が多分に生かされている。スティーヴンスは音楽を介して、行間とイメージを中心とする御伽話や子供向けの絵本のようなストーリーを書き上げることで知られているが、このトラック周辺から、ストーリー性が加味され、物語が制作者の手を離れて徐に転がっていく。
これまでのスティーヴンスの作品では、それほど制作者の感情がガッツリと出ることが少なかったが、珍しく「My Red Little Fox」では、スティーヴンスは内面の感覚を直情的に表現しようとしている。それは確かにヤングともディランとも異なる、ニック・ドレイクの系譜にあるモダン・フォークという形であるが、この曲には、意外にも彼の古典的なフォーク・ミュージックに対するリスペクトが示されているように思える。
従来、暗い曲を多く書いてこなかったイメージもあるけれども、続く「So You Are Tired」では、ピアノとギターという二つの起点にし、アルバムの他の曲とは対象的な暗鬱さのある内面世界をクリアに描出している。もちろん、明るさという性質は、暗さを見ぬ限りは生み出されず、暗さもまた明るさを見なければ生み出されないのである。
「There's A World」では、2021年のアルバムにおける「禅」の考えが取り入れられ、アーティストによる、肯定的でもなく、否定的でもない、「中道の考え」が示されている。タイトルに見えるのは、原始仏教の奥義のひとつである「物象をあるがままに把捉せよ」という考え。畢竟、私見が入ると、物事の真実性が歪曲されてしまう虞があるということ。音楽は寧ろイデアを元にしながらも、概念から掛け離れたときに真価を発揮するため、これらの観念的な事象が音楽から解放された時、スフィアン・スティーヴンスの傑作が生み出されそうな予感がある。とにかく、今しばらく、ファンとしては、アーティストの早い回復を祈るしかないのかもしれない……。
78/100
今週金曜日にリリースされるニュー・アルバム『Javelin』に先駆け、スーファン・スティーヴンスがシングル「A Running Start」を公開しました。ハンナ・コーエン、ミーガン・ルイ、ネデル・トリッシのヴォーカルをフィーチャー。この曲は、前作「Will Anyone Ever Love Me?」、「So Tired」に続くシングルです。
「Vampire Empire」と同様に、「Born for Loving You」は最新アルバム『Dragon New Warm Mountain I Believe in You』を引っ提げたBig Thiefのツアーではライブの定番曲となっており、エイドリアン・レンカーらは2月にステージでこの曲を初披露して以来、すでに30回近く演奏している。
「Cause I was born for lovin' you / Just somethin' I was made to do 」とエイドリアン・レンカーはコーラスで歌う。「夢が叶うかどうかなんて関係ない/君を愛するために生まれてきたんだ」
「Born For Loving You」
スーファン・スティーヴンス(Sufjan Stevens)が新曲「Will Anybody Ever Love Me?」で愛を問う。この曲は、10月6日にリリースされる新作アルバム『Javelin』の第2弾のテースターで、アルバムには最近のシングル「So You Are Tired」も併録されている。セルフ・プロデュースのこの曲には、アドリアン・マリー・ブラウン、ハンナ・コーエン、ミーガン・ルイのヴォーカルが加わっている。スティーブン・ハルカーが監督したビデオは以下からご視聴下さい。
Sufen Stevensがニューアルバム『Javelin』を発表した。2020年の『The Ascension』に続くこのアルバムは、Asthmatic Kittyから10月6日にリリースされます。この発表に伴い、スティーヴンスはリード・シングル「So You Are Tired」のビデオを公開した。また、LPのカバー・アートとトラックリストは以下の通り。
Javelinは全10曲で、アドリアン・マリー・ブラウン、ハンナ・コーエン、ポーリン・デラスス、ミーガン・ルイ、ネデル・トリッシが参加している。ザ・ナショナルのブライス・デスナーは「Shit Talk」でアコースティック・ギターとエレクトリック・ギターを弾いており、エンディング・トラックはニール・ヤングの「There's a World」のカバーだ。このアルバムには、スティーブンスが制作した8ページのアートとエッセイの本が付属します。
The Ascensionをリリースして以来、スティーブンスは全5巻からなる瞑想音楽集『Convocations』を発表し、2021年には、同じくオルト・フォークシーンで活躍目覚ましいアンジェロ・デ・オーガスティンと組んで『A Beginner's Mind』を共同制作した。今年初めには、ジャスティン・ペックによる2019年のバレエのためのスコア『Reflections』を発表した。
「So You Are Tired」
Sufjan Stevens 『Javelin』
Label: Ashmatic Kitty
Release: 2023/10/6
Tracklist:
1. Goodbye Evergreen
2. A Running Start
3. Will Anybody Ever Love Me?
4. Everything That Rises
5. Genuflecting Ghos
6. My Red Little Fox
7. So You Are Tired
8. Javelin (To Have And To Hold)
9. Shit Talk
10. There’s A World
Wrens Hinds 『Don't Die In The Bundu』
Label: Bella Union
Release: 2023/7/21
Review
『Don't Die in the Bundu』は、Bella Unionからリリースされたレンの最初の3枚のアルバムに続く作品である。父性と不屈の精神について優しく詩的な歌で綴られている。その抑制された力強さの根底にあるのは、私たちにとって最も大切な出来事に関する生来の理解である。
首都、ケープタウンから40kmほど離れたサウス・ペニンシュラの山腹にある木造の小屋でレコーディングされた『Don't Die in the Bundu』は、以前の作品からの自然な進化の過程であると同時に、新たなスタート、タイトルに込められたように決意の表明でもある。「いくつかの個人的な経験」から導き出されたという着想は、その目的を特定するのに役立ったとレンは説明する。
アルバムは真新しさのあるフォーク音楽とは言えないかもしれないが、ハインズが主眼に置くのは、おそらく普遍的なフォークを継承した上で、それをどのような形で未来に繋げるかという点にあるのかもしれない。と考えると、他の地域とは異なるアフリカ固有のフォーク音楽の道筋を形成しようとしているとも取れる。また、曲にシネマティックな視覚効果が立ち現れる箇所も聴き逃がせない。#8「The Garden」、#9「Guided By the Sun,Silvered By Moon」では、幽玄な情景が脳裏に浮かんで来る感覚もある。そういった意味では、聞き手のイマジネーションを鋭く掻き立るとともにいまだ行ったことがない未知の場所に聞き手を誘うような幻惑性溢れるフォーク・アルバムとなっている。
76/100
「Restless Child」
Woods
ニューヨークのサイケフォークバンド、Woods(ウッズ)が2曲の新曲「Another Side」と「Weep」を発表した。ジェレミー・アール、ジャービス・タヴェニエール、アーロン・ネヴェウ、チャック・ヴァン・ダイク、カイル・フォレスターで構成され、2013年までケヴィン・モービーがベーシストとして在籍していたことでも知られる。本作は前作のダブル・シングル「Between the Past」と「White Winter Melody」の続編となる。試聴は以下からどうぞ。
ロンドンのSSW、Matt Maltese(マット・マルチーズ)は、Communion Recordsと共同名義で自身のインディペンデント・レコード・レーベル”Last Recordings On Earth”を立ち上げると発表した。マット・マルチーズは最新アルバム『Driving Just To Drive』を先日リリースしたばかりだ。
「The Greater Wings」の音楽は古典的なフォーク・ミュージックを踏襲しつつも、その中には米国の雄大な大地へのロマンに満ちている。それはニューヨークからみた自然の雄大さへの賛美とも考えられる。そして、そのロマンチシズムは前作「Not Even Happiness」よりも深みを増し、このアルバム全体の印象を形作っている。前作において、個人的な感慨を歌っていたバーンは、この最新作では、前作の作風を敷衍させ、忍耐と決意、喪失の寂寥感、再生の活力、喪失の寂寥感、再生の活力、そして永遠に変わって立ち上がる勇気等、多彩な感情を込めようとしている。少なくとも、このアルバムでは、アーティストが伝えたいことが明確で、それを忠実なフォーク/カントリーという形で丹念に歌やトラックとして紡いでいったような様子が伺える。
続く、「Portrait of Clear Day」で、バーンはより古典的なフォーク/カントリーの時代への憧憬を交える。しかし、この曲では、個人的な日常が主に歌われていると思われるのに、一曲めと同様に雄大な自然を感じさせる。それは何か草原の上を爽やかに駆け抜ける涼風を思わせ、また都会生活での忙しない瞬間を忘却させる力を備えている。カントリーのトロットのリズムを踏襲したギタープレイを披露しているが、彼女のフィンガーピッキングは繊細でありながらダイナミックな効果を及ぼし、さらに曲の流れをスムーズにしている。ジュリー・バーンの歌声はそれらの中音域の音塊の上を行き、それらの中空を軽やかに飛び抜けるような清々しさが込められいる。また、シャロン・ヴァン・エッテンのような形式のポピュラー音楽とフォーク音楽の融合を本曲には見い出すことが出来、低音部のギターホールの音響がバーンの歌の情感を引き立てている。曲の後半では、カントリー/フォークからポピュラー・ソングのサビのような展開へと移行する。これは聞き手にわかりやすい形で音楽を提供しようという制作者の意図も伺える。そして実際にその試みは成功し、後半ではアンセミックな響きを帯びるようになるのだ。
「Lightning Comes Up From The Ground」では、アルバムの序盤のフォークとポップスの癒合というこの音楽家の主要な形式へと回帰する。しかし、前二曲の変則的な曲を聴いた後ではアルバム序盤と同じような作風もまったくそのインプレッションが異なり、結果的に新鮮な印象をもたらす。 上記の曲のように、この曲でも、ジュリー・バーンの歌声は中空を彷徨うような抽象性があり、それは実際に心地よい感覚を与えている。 そしてディランのように淡々と歌われるボーカルは稀にシンセの効果により、その印象をわずかに様変わりさせる。曲の中盤から後半にかけては緩急のある展開を織り交ぜながら、最終的な着地点を探ろうとしている。結果的に、抽象的な音像から最後にはアコースティックギターのフレーズが背後から不意に浮かびあがり、ジュリー・バーンの抽象的なボーカルと合致した瞬間、また、一方の音が他の音の休止により出現することで、何らかの化学反応のような瞬間も訪れることに驚かずにはいられない。そして、その最後には、その複雑な音の渦中からシンプルで素朴なバーンの歌声がスッと浮かび上がる。これは周りにある障害物が取り払われ、主役がバーンのボーカルであることを強く印象付けている。そしてアウトロでは、ストリング、シンセ、ギターが一体化し、バーンの歌声をさらにドラマティックかつダイナミックに演出する。アルバムの中のハイライトはこの曲のクライマックスに訪れる。
本作の終盤に収録されている「Flare」では、しっとりとしたフォーク音楽で聞き手の聴覚をクールダウンさせる。それほど真新しいとも言えないけれども、この10年来、アーティストが探求してきた感情表現としてのフォーク音楽の一つの到達点にたどり着いた瞬間である。それはシンプルで極力華美さを抑制しているが、その表現が素朴であるがゆえ、心に響く感覚を内包させている。この曲でも終盤に至ると、シンセのシークエンスを使用し、ダイナミックな山場が設けられている。続いて、「Conversation Is A Flowstate」では、アーティストの美的センスが他の曲よりも反映され、それは実験的なシンセポップという形で繰り広げられる。
続く「Hope’s Return」では、アルバムの中盤を通じて描出された喪失や悲しみといった感覚から立ち直る瞬間がオルタナティヴ・フォークという形で紡がれている。それはアルバム全体の起伏あるストーリーをはっきりと強化する役割を担っている。しかし、再生の瞬間が断片的に示された後、最後の曲の「Death Is Diamond」というタイトルは意外な感を与え、少しドキッとさせるものがある。しかし、以前の曲と同様、ここには、ジュリー・バーンの耽美的なセンスの真骨頂が示されており、演劇の終盤に用意されている最もセンチメンタルなシーンがこの曲にはピクチャレスクな形をとって織り交ぜられている。エンディング曲のポップバラードを聞き終えた後、印象的な映画や演劇を観た後のような余韻を覚えたとしても、それほど不思議ではない。
ニューヨークのソングライター、Anna Beckerman(アンナ・ベッカーマン)のソロ・プロジェクト、Daneshevskaya(ダネシェフスカヤ)が、Wispearから最初のシングルをリリースしました。涼やかな感覚のローファイなフォーク・ロックソングです。アーティストは2021年に自主制作のEP『Bury Your Horses』を発表していますが、今回、同レーベルと契約を交わしました。
「Somewhere in the Middle」は、Model/ActrizのRuben Radlauer(ルーベン・ラドアウアー)とHayden Ticehurst(ハイデン・タイスハースト)と共にレコーディングされ、ベースには、Artur Szerejko(アルトゥール・セレイコ)、サックスには、Black Country, New RoadのLewis Evans{ルイス・エヴァンス)が参加しています。ミア・ダンカン監督によるビデオは以下よりご視聴下さい。
Woodsは、ニューアルバム『Perennial』を自主レーベルであるWoodsistから9月15日に発売することを発表しました。この発表に伴い、サイケ・フォーク・バンドは新曲「Between the Past」と「White Winter Melody」を公開しました。以下よりお聴きください。
2020年の『Strange to Explain』に続く本作は、バンドのジェレミー・アールが作ったギター、キーボード、ドラムのループから発展し、バンドメンバーのジャーヴィス・タヴェニエール、ジョン・アンドリュースと共にニューヨークの自宅で曲が組み上げられていった。アルバムは、カリフォルニア州スティンソンビーチのパノラミックハウススタジオで完成しました。
高橋健太郎さんは、2014年のアルバム『Chante De Recrutement』を、Music Magazineの2014年度のベスト・アルバムとして選んでいる。「アントワーヌ・ロワイエを前に、僕は身も心も打ち砕かれている。中略……、アントワンヌの歌は線の細いつぶやきのようなもので、ギターはニック・ドレイクを思わせるのだが、それがなぜかラジャスタン音楽をも見事な融合を見せる。ブリュッセルやパリの街が持つエキゾ性をそのまま体現しているように。12音を自由に行き来する作曲法。ワールド録音的な音像を含め、新しい世代感覚を感じる」と高く評価している。
2021年のフルレングス『Sauce chien et la guitare au poireau』以来の2年ぶりのニューアルバム『Talamanca』の収録曲には、前作と同じく、Mégalodons malades(メガロドンズ・マラデス)というオーケストラが参加している。5作目のアルバムのレコーディングは、スペインのカタルーニャ地方の同名の村の教会と、古い家で行われた。作品に妥協はない。ブリュッセルの小学生と一緒に作った曲も数曲含まれるという意味では、既存のアルバムの中では最もアクセスしやすいことは間違いない。
クラシック・オーケストラの最も奥深い楽器であるコントラ・ファゴットが、レコードの全編に力強く流れている。『Talamanca』は、優しく、軋むとすればほんの一瞬である。ブリュッセルの学校で子供たちとともに作られた歌が録音時に持ち込まれ、("Demi-lune "、"Pierre-Yves bègue")、("Robin l'agriculteur d'Ellezelles", "Un monde de frites")ではピッコロが演奏される。
アルバムは、スペインの村の教会を中心に録音されたが、中世の教会音楽としての形式はそれほど多くは含まれていない。その一方で、音楽の形式的な部分や曲のタイトルのテーマの中に密かに取り入れられている。オープニング曲を飾る、ソ連の映画監督であるアンドレイ・タルコフスキーの映画に因む「Chant de Travail」で、この五作目のアルバムはミステリアスに幕を開け、 メガロドンズ・マラデスのコントラ・ファゴットと女性中心のクワイア/コーラスにより一連の楽曲の序章のような形で始まる。
米国のアヴァンギャルド・フォークに詳しい方ならば、次の3曲目の「Marcelin dentiste」では、初期のGastr del Solの時代のJim O' Rourke(ジム・オルーク)の内省的なエクスペリメンタル・フォークの作風を思い浮かべる場合もあるのかもしれない。しかし、この曲は、アフガニスタンの音楽を基調にしていると説明されていて、インストゥルメンタルが中心のオルークの作品と比べると、メガロドンズ・マラデスの調和的なコーラスのハーモニーは温和な雰囲気を生み出し、更に、その合間に加わるアントワーヌの遊び心のあるボーカルも心楽しげな雰囲気を醸し出している。ギター・アルペジオの鋭い駆け上がりがリズムを生み出し、その演奏に合いの手を入れるような感じで、両者のボーカルが加わるが、それほど曲調が堅苦しくもならず、シリアスにもならないのは、メインボーカルとコーラスのフランス語に遊び心があり、言語の実験のようなフレーズが淡々と紡がれていくからなのだ。アントワーヌ・ロワイエにとっては深刻な時代を生きるために、こういった遊び心を付け加えることが最も必要だったのだろうか。
以後も、中東のアフガニスタンを始めとするイスラム圏の音楽なのか、はたまた北アフリカの民族音楽なのか、その正体が掴みがたいような文化性の惑乱ーーエキゾチズムが続いていく。聞き手はそのヨーロッパとアラビア、アジアの文化性の混淆に困惑するかもしれないが、しかし、それらのエキゾチズムをより身近なものとしているのが、アントワーヌ・ロワイエのギターである。弦を爪弾き始めたかと思った瞬間、次の刹那には強烈なブレイクが訪れる。こういった劇的な緩急のある曲展開は「Tomate de mer」以降も継続される。それ以後の曲の展開は、アヴァンギャルド・フォークという形式に基づいて続いていくが、それらの中には時に、フランスのセルジュ・ゲンスブールのような奇妙なエスプリであったり、ビートルズ時代と平行して隆盛をきわめたフレンチ・ポップの甘酸っぱい旋律が、これらのフォークミュージックに取り入れられていることに驚きをおぼえる。表向きには現代的な音楽ではあるのだが、20世紀の今や背後に遠ざかったパリの映画文化が最盛期を極めた時代の華やかな気風や、当代の理想的なヨーロッパの姿がここには留められているような気がするのだ。
『Talamanca』の中で最も素晴らしい瞬間はクライマックスになって訪れる。それが「Jeu De Des Pipes」である。この曲は、おそらく近年の現代音楽の中でも最高の一曲であり、Morton Feldmanの楽曲にも比する傑作かもしれない。森の奇妙な生き物、フクロウや得体の知れない不気味なイントロから、題名の「一組のパイプ」とあるように、霊的な吹奏楽器を中心とするオーケストラ曲へと変化していく。イントロに続いて、フルートと弦楽器のレガートが奇異な音響空間を生み出す。それに続いて、複数のカウンター・ポイントの声部の重なりを通じて、アントワーヌ・ロワイエは古い時代の教会音楽の形式に迫り、管楽器や弦楽器、そしてクワイアを介して、バッハのカンタータのような作曲形式へと昇華させているのが見事である。その後、曲の中盤では、ボーカル・アートへと変化し、以前の主要な形式であったアントワーヌの声ーーメガロドン・マラデスの楽団のメンバーの声ーーがフーガのような呼応する形で繋がっていく。弦楽器の十二音技法の音階やチャンス・オペレーションのように偶発的に配置される音階によるレガートの演奏に加え、それらの反対に配置される演奏者たちの声は洗練されたベルギー建築のように美しく、高潔な気風すら持ち合わせている。
本作は、アーティストが最初のプレスリリースでほとんど誰も解き明かすことの出来ない謎解きを明示したことからも理解できるように、ミステリーのような魅力に満ちたアルバムなのだ。実際にそれはそれほど英語の文法に詳しくないリスナーにもそれらの不可思議な雰囲気、現実感に根ざした幻想性をこのアルバムを通じて捉えることが出来るだろうと思う。レビューすることがとても難しいのだが、ただひとつ、このきわめて難解な作品を解題する上での鍵が隠されている。それは、Paste Magazineが指摘するように、This Is The Kitとしてシンボリックな意味を持つ三作目のアルバム『Bushed Out』で見られた歌詞の反復がこのアルバムの主要なイメージを形作り、それがそのまま、この五作目のアルバムの主要なテーマとなっているということである。
Kate Staplesは、ギターを中心に軽妙なフォーク・ミュージックを書くが、Beggers Groupの紹介写真を見てもわかるとおり、バンジョーを始めとする楽器も演奏する。Staplesの書くフォーク・ミュージックは、ケルト、アイリッシュ等、イギリスの古典的なフォーク・ミュージックを基調としている。しかし、その上に乗せられる淡々としたシンガーソングライターの歌が奇妙な感覚を聞き手に与える。それは喜びを歌うのでもなく、憂いを歌うのでもない、鋭い現実主義に裏打ちされている。ケイト・ステープルの歌詞には、グローバリズムとは別の「世界市民」としての性質が表層の部分に立ち表れ、フランス語、英語というヨーローパの二つの主要な言語をよく知る音楽家としての鋭い言語性がフォークミュージックに乗り移っているという感じである。 このアルバムで展開される音楽は、つまり、コスモポリタニズムが象徴的に示されている作品と読み解くことが出来る。それは時に柔らかではあるが、鋭い感覚を持って聴覚に迫ってくる場合もあるのだ。
This Is The Kitのようなシンガーソングライターは、ニュージーランドのAldous Hardingsをはじめ、他にも存在する。こういったアーティストに共通することがあるとすれば、自身をミュージシャンだけが職業であるとは考えていないということである。しかし、それは職業性を規定しない自由な感覚を象徴しているとも解釈出来る。ケイト・ステープルの音楽に専門性という意味を与えないこと、それはこのアルバムを聞く上でとても重要なことなのだ。つまり、オープニング曲「Goodbye Bite」から始まり、アルバムの序盤に収録されている自由性が高い楽曲は、金管楽器が導入され、ジャズのようなムードすら漂わせているが、それは音楽のジャーナリストたちの目を惑乱させ、またその本質を目眩ましするような、いわばナンセンスな感覚が繰り広げられていく。例えば、それはフランツ・カフカが役所勤めの後に書きあげた公に発表する見込みのない遊びの小説のようなもので、(カフカの作品には、実は、ユダヤ主義のシオニズムの概念が暗喩的に込められてはいるものの)何らかの意味を求めようとも、そこにはほとんど何も見つからず、どれだけ深くメタファーの森の中を探索しようとも、利益主義者が求めるような何かが見つかることは考えづらいという始末なのである。ただ、虚心坦懐に何かを楽しむということのほかに優先すべき重要な事項があるのだろうか??
This Is The Kitの5作目のアルバムは、序盤こそ、柔らかいケルト音楽やアイリッシュ・フォークを基調としたいくらかつかみやすい音楽が展開されていくが、アルバムの中盤から終盤にかけて、ミュージシャンの志向する抽象主義は深度を増していく。タイトル曲こそ比較的聴きやすく親しみやすいモダンなフォークミュージックが展開されているが、終盤では、やはり打楽器を生かしたアヴァンギャルドな方向性を交えた楽曲が多い。メロディーの良さを探そうとも、アトモスフィアとしての心地良さを探そうとも、また、ムード感のあるジャズ的な甘美さを探そうとも、それは部分的に示されているものに過ぎず、実はそこに主眼が置かれているわけではないことがわかる。
もしかすると、そういった意味のある作品から徹底して乖離した商業主義における「不利益性」を示したのが、このアルバムの正体なのであり、それはまたモダン・アートにも通じるような芸術形態の極点とも称すべきものである。シュールレアリスティックな雰囲気に彩られた奇妙なフォークミュージックの通過点を、ケイト・ステープルは、『Careful Of Your Keepers』を一地点として通り過ぎようとしているが、タイトル曲を始めとするアルバムの多くの収録曲には、制作者の物質主義への間接的な疑問や、利益主義に対する疑問が、柔らかく呈されているように思えてならない。