©︎Bertis Downs |
R.E.M.のリユニオンに彗星は必要なかったことがわかった。ソングライターの殿堂入りを記念して、マイケル・スタイプ、ピーター・バック、マイク・ミルズ、ビル・ベリーは木曜日の夜、ニューヨークのマリオット・マーキス・ホテルでサプライズ・パフォーマンスのステージに立った。バンドのインスタグラムによると、彼らは "Losing My Religion "を演奏したという。
2011年に解散して以来、スティープ、バック、ミルズが一緒に演奏するのは初めてで、2007年にロックの殿堂入りして以来、4人全員がステージに登場するのは初めてだった。(ベリーは1997年にバンドを脱退したが、その後数年間は散発的にライブに出演していた)。
R.E.M.がソングライターの殿堂入り式典のステージに立ち、パフォーマンスをするという決断は、確かに予想外の展開だ。その数時間前に放映された”CBS This Morning”のインタビューでは、バンドは再結成のアイデアを否定していた。ミルズは、バンドを再結成するには "彗星 "が必要だと噂を一蹴していたのだ。そして、CBSの特派員アンソニー・メイソンに、バンドがカムバックに反対する理由を尋ねられたバックは、「決して良いものにはならないだろう」と答えた。
しかし、ミルズやバックはリユニオンに消極的な発言をしていたが、サプライズが用意されていた。R.E.M.のオリジナル・メンバーである、マイケル・スタイプ、ピーター・バック、マイク・ミルズ、ビル・ベリーの4人が、ソングライターの殿堂入りを記念して、2007年以来初めて今夜(6月13日)公の場でパフォーマンスを行った。
この式典では、スティーリー・ダンのウォルター・ベッカーとドナルド・フェイゲン、プロデューサーのティンバランド、ソングライターのヒラリー・リンゼイとディーン・ピッチフォードもSHOF(ソングライター)の殿堂入りを果たした。
R.E.Mは、1980年代中頃、アメリカの大学生が運営するラジオ局を中心に発展したカレッジ・ロックの代表格として音楽シーンに台頭し、オルタナティヴ・ロックのベースを形作り、インディーズバンドが商業的な成功を収められることを実例で示してみせた。また、彼らの活動はシアトル・アバディーン等の動きと連動し、1990年代始めに重要なムーブメントを発生させる原動力ともなった。R.E.Mは、1990年代のリリースを通じて、USチャートの上位を獲得し、全米を代表する世界的なロックバンドに上り詰めた。R.E.Mのランドマークとしては、1988年の『Green』、1991年の『Out Of Time』、1994年の『Monster』等が挙げられる。
1997年には脳動脈瘤を患ったビル・ベリーがバンドから離れ、R.E.M.はスティープ、バック、ミルズを中心としたトリオで活動を続け、2011年に解散した。
R.E.M.は、2011年に解散するまで、スタイプ、バック、ミルズの3人を中心に活動を続けてきた。彼らは、次第に高額になる再結成のオファーを何度も断ってきたが、それ以来、バック・カタログのリイシューを積極的に推進してきた。マイケル・スタイプはまた、初のソロ・アルバムの制作に何年も取り組んでいるが、情報筋によると、現時点ではリリースの予定は未定という。