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フランスのメロディーズ・エコー・チェンバーは待望の4thアルバム『Unclouded』をドミノより本日リリースした。メロディ・プロシェは、ヨーロッパのインディーポップシーンをリードする存在といっても過言ではない。
新作アルバム『Unclouded』は、メロディーズ・エコー・チェンバーが生命を肯定する新たな章へと踏み出す作品である。本作のタイトルは、日本のアニメーション映画の巨匠・宮崎駿が均衡について語った言葉から引用されているという。「憎しみに曇らされた目で見ないでください。悪の中に善を見出し、善の中に悪を見出すこと。どちらの側にも誓いを立てないでほしい」
このアルバムの全般には少なくとも個人としての成長が込められている。「大人になる過程に何かしら懐かしさを感じていた」とメロディはいう。「でも、今や無常という概念を理解したから、個人的に受け止めない」この明るいビジョンは、アルバムの心地よいグルーヴにも、そして、地に足のついたリリックにも反映されている——逃避の本能は、今この瞬間に自然と共にある感覚へと置き換わった。
子供を生み、母親になる過程でも、プロシェはミュージシャンとしての歩みを止めたことがない。このアーティストの作りだす音楽は夢想的だが、それはそのまま現実の先にある。「私が創る音楽は、現実と寓話の狭間に存在している」とメロディはいう。「生きる経験を重ねるほど、人生への愛はおのずと深まり、逃避する必要は減っていく。私の心が今も青春の時間に属しているなら、それはまるで、あちこちに散らばっていた自分自身の破片を拾い集め、日本の金継ぎのように金でつなぎ合わせたような感覚だ」 (金継ぎとは、割れた陶器を金や銀の漆で修復する日本の技法を示す)
もちろんアーティスト一人だけで完成を見た作品ではない。ジャンルを問わない製作陣の豪華さが、そのことを如実に物語っている。もし、メロディ・プロシェが協働した素晴らしいプロデュース陣を賞賛したとしても、それは不思議ではない。新作『Unclouded』の豪華な参加アーティストには、スウェーデンの巨匠スヴェン・ヴンダー(ダニー・ブラウン)が共同プロデュースと楽曲制作を担当し、豊かな質感のキャンバスに独自の音響的なパレットを加えている。
弦楽器のヨセフィン・ルンステーンは前衛的な知性を音の絵巻に吹き込み、ディナ・オーゲンのダニエル・オーゲンがギター、ラブ・オルサンがベースを担当。メロディは彼らを「ベルベット・グルーヴの達人」と評する。 マッドリブやDJシャドウとの共演歴を持つ英ドラマー、マルコム・カト(ザ・ヘリオセントリクスの要)。頻繁に共演するレイン・フィスケ(ドゥンゲン)は、ジョニー・マーを思わせる見事なギター・パートをアルバム全体に散りばめている。
ウータン・クラン、ザ・カーターズ、ノラ・ジョーンズ、クレイロらと共演するレオン・ミシェルズが、アルバムのクロージング曲で、最近リリースされた「Daisy」でメロディと共演した。この曲はエーテルから摘み取られたようなきらめくポップソングだ。エル・ミシェルズ・アフェアのグラミー賞受賞ミキサー、イェンス・ユングクルトが招聘され、鮮明な命を吹き込んだ。
『Unclouded』は、2022年にメロディ・エコー・チェンバーの称賛を浴びたカムバックツアーでプロシェを世界中へと駆り立てた、ポジティブなエネルギーに満ちている。パリから結婚した後に住まうアルプ=ド=プロヴァンスの高地に戻った彼女は、本格的に楽曲制作に取り掛かった。
本作の全般的なインスピレーションの源について、「生きる体験への深い愛情です」と彼女はいう 。「今も少し浮き沈みはありますが、より調和のとれた感情へ戻るのは以前より早くなりました。儚いものの美しさや、その無常がもたらす甘く切ない感覚を楽しむことができるのです」
Melody's Echoes Chamber 『Unclouded』-Domino
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メロディーズ・エコー・チェンバーの最新作は2025年のミュージックシーンを占うと言っても過言ではあるまい。2025年は全般的にロックよりもポップグループの活躍が目立った印象だが、メロディ・プロシェはソロアーティストとして今年度のミュージックシーンを総括する。
今年は、何と言っても、ルーズな感覚のあるアルトポップやシンセポップが世界のミュージックシーンを席巻している。その中で、気炎を吐くロックバンドがわずかにいた。インディーポップと一括りに言っても内実は多様である。ダンスミュージックを絡めたもの、ニューウェイブ/テクノポップに触発されたもの、AOR、ヨットロックを意識したリバイバルもの、アルトロックとの中間に位置するものというように、グループによって音楽性がそれこそぞれ異なっていた。
フランスのメロディーズ・エコー・チェンバーは、サイケロックや甘口のインディーポップとの絶妙なラインに位置する。個性的な作風であり、他のアーティストやグループとの差異を作り出す。ダニー・ブラウンの作品を手掛けたスウェーデンのプロデューサー、スヴェン・ヴンダーは、従来のドリームポップの夢想的な空気感に先鋭的な音楽性をもたらしている。このアルバムの随所に見いだせるブレイクビーツ、そしてジャズのシャッフルの手法は本当に見事だ。
全般的なプロデュースの面では、デジタルレコーディングの音の艶感を活かしつつ、ローファイ/ギターロック風のマスタリングが施されている。これは全体的に聞きやすさをもたらしているのは事実ではないだろうか。アルバムの冒頭を飾る「The House That Doesn't Exist」は、今年の音楽を象徴するような内容。くつろいだラフな感じのジャグリーなギターロックとなっている。
従来では、アルバムのオープナーといえば、身構えさせるような曲も多かった。けれど最近ではビートルズのような感じで、ラフに入っていき、リスナーに親近感をもたらし、また、掴みの部分を作るのが常套手段になっている。それほどかしこまらず、気軽に聞けるロックソングが現代のトレンド。また、この曲は、そういった現代的なリスナーの需要に添う内容となっている。
しかし、依然として、メロディ・プロシェらしさが受け継がれている。「ネオサイケデリア」とも称されるサイケのテイストがジャグリーなロックと絡み合い、絶妙なテイストを放つ。そして、マルコム・カトの超絶的なドラムプレイーーしなやかでタイトなドラムーーは、ジャズのリズムやブレイクビーツの切れのあるグルーヴを与え、メロディーズ・エコー・チェンバーのほんわかして和やかなドリームポップに属するボーカルのテイクと見事な融合を果たしている。
また、ダニエル・オーゲンのジャングリーなシングルコイルのギターも素晴らしく、心地良いハーモニーを生み出す。全般的なバンドアンサンブルの見事さは、急造のものとは思えないほど。背景となるシンセサイザーのパッドのシークエンスは、現実と夢想の中間に位置するアルバムの独特な空気感を醸成する。かつて、Broadcast(Warp)が志向していたような音楽である。
メロディー・エコーズ・チェンバーは、2022年のアルバム『Emotional Eternal』の頃から、 中期ビートルズに象徴されるバロックポップ/チェンバーポップ(オーケストラとロックやポップソングのクロスオーバー)を完成させていた。
最新作ではこの音楽を先に進めている。ビートルズの中期以降のプロデューサー、フィル・スペクターの”エコー・チェンバー(壁に共鳴するサウンド)”を駆使し、オーケストラストリングとバンドセクション、ボーカルを組み合わせて、チェンバーポップの最終的な形を提示している。ただ、今作では、デジタルレコーディングを中心に擬似的なサウンドが生み出されている。
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| フィル・スペクターのチェンバーポップの録音風景(Los Angels: Gold Star Recording Studios) 演奏者の距離を極力近づけ、特異な反響を生み出し、アナログコンソールでミックスし出力する |
ヨセフィン・ルンステーンの弦楽器のレガートは、優雅な音のウェイブを作り出し、音楽を華やかにする。オーケストラ・ポップとも称すべき、普遍的なサウンドが、最新のデジタルサウンドで蘇る。ボーカルも、渋谷系のようなクロスオーバーサウンドを彷彿とさせる。ボサ、ラウンジジャズ、フレンチポップといった音楽性を汲み取り、巧みなボーカルラインを作り出す。
この曲ではストリングに美しさに目が行きがちであるが、むしろベースラインが圧倒的だ。中音域から高音域の音響的な印象を形成する弦楽器とコントラバスの対旋律を作り、メインとなるボーカルラインを補佐している。その結果、非の打ち所がないポップソングが誕生したといえる。
また、他のドラムの演奏も同じくらい傑出している。優れたドラマーは、タイトなリズムのセクションを作り出した上で、スネア、タム、シンバルだけで、曲をドラスティックに変化させる。そして、この曲では、 ジャズドラムのように分数的な拍のリズムを使い、全般的な音響に迫力をもたらしている。ドラムの演奏効果としてオーケストレーションに近い手法を用いている。
軽〜い感じのインディーポップも、こういった強固なベース/ドラムの演奏が加わると、力強い衣装を持つポップソングに変貌するのが驚きだ。しかし、同時に、ソロシンガーとしての鮮烈な存在感も薄れていない。曲の背景となる強固なグルーブを味方につけ、従来と変わらず、ほんわかとしたドリームポップの手法をメロディーズ・エコー・チェンバーは推進させる。この曲では、60−70年代のサイケロック/サイケ・ポップのビンテージなバンドセクションと、文字通り夢想的なボーカルラインが混ざり合い、うっとりとしたサウンドを形成する。しかし、こういったサウンドもまた、二番煎じにはならず、鋭いオリジナリティに縁取られている。
ジャンルを規定せず、バンドセクションの中で、音楽性が徐々に変遷していき、後半の箇所では、アルトサックスのような金管楽器を用い、ジャズのテイストを引き出す。これらの複数の音楽的なジャンルが混在した”ネオサイケデリア”が今作を聴く時の重要なポイントとなりそうだ。
中盤が圧倒的なので、聞き逃さないようにしてもらいたい。これらの圧倒的な側面をもたらすのが強固なリズムの構成と個性的なプロデュースである。ブレイクビーツの流動的なリズムやジャズのシャッフル(分数のリズム)の手法を積極的に用い、トリッピーなサウンドを生み出し、ドリームポップのボーカルと融合する。ジャンルを決め打ちしていると出来ないことだろう。
「Eyes Closed」は、ヒップホップのブレイクビーツをイントロで用い、Kassa Overallのような、打数の多いジャズドラムを彷彿とさせる。これは明らかにロンドンのWu-Luのサウンドを、あろうことかアコースティックで再現している。
しかし、土台となるリズム/ビートが、オスティナートを続けると、徐々にサイケデリアに傾倒していく。摩訶不可思議なシンセ、Led Zeppelinのようなサイケロックを意識したギターが乗せられて、独特な雰囲気を作り出していく。さらに、民族音楽のエキゾチックな音楽性も加わる。
カシミール地方のシタールのような音が入ると、曲はロックとして次のレベルに差し掛かる。プロデュースの面でもかなりアクが強く、ボーカルにダブのエフェクトを用い、Cindy Leeのようなサイケポップの最新鋭のサウンドを作り出す。重層的な音の連続は、高い完成度を誇る。最終的には、反復するドラムが、ボーカルと重なり、ヒプノティックな音響効果を作り出す。 Cindy Leeの「ヒプノティック・ポップ」と呼ばれる先鋭的なジャンルに到達した瞬間といえる。
「Eyes Closed」
「Childhood Dream」はイントロが劇的。ジャズのシャッフルのリズムとオーケストラ風の弦楽器が組み合わされ、全般的なリズムはシャンソンやフュージョンジャズの領域に位置する。アルバムの中では、ジャズの影響が色濃く、ヴィブラフォンがレガートやグリッサンドで演奏される。
ヴィブラフォンは、Gary Burton(ゲイリー・バートン)のごとき上品な響きを作り出し、都会的なムードを漂わせ、モダンジャズの即興的なインプロが繰り広げられる。ボーカルは自分らしさを失わず、ファンシーな雰囲気がある。背景を形成する弦楽器のトレモロが豪奢な空気感を作り出す。シナトラのようなジャズボーカルを現代的なポップソングに置き換えた手腕はお見事。ビブラフォンとストリングの融合は、新しい時代のイエイエが登場したことを印象付ける。
ジャン=リュック・ゴダール監督に象徴される20世紀のパリの映画文化「ヌーヴェル・ヴァーグ」を反映したシネマティックなポップ「Memory's Underground」は内省的な雰囲気を感じさせる。これぞまさしく映画的なポップソングの見本例。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコがデビュー作で使用したティンパニの打楽器の効果を踏まえ、WW2以後のフレンチポップのサウンドと融合させている。古典的なポップソングと言えるが、色褪せた印象はほとんどない。
内的な記憶を回想するかのようなエモーションとノスタルジアに満ち溢れたサウンド。それらは表側に出てくると、なぜか、きらびやかな印象へと変わる。このアプローチは、現代の女性SSWを中心に推進される、''ポップソングのリバイバル運動''に位置づけられる。曲の中盤から終盤にかけては、後期ビートルズのアートポップの性質が強まり、オーケストラポップの集大成が示されている。これらはブリット・ポップの誕生前夜のサウンドとして楽しめるに違いない。
対象的に現代的なドリームポップに根ざした曲が並置される。「Broken Roses」はアンニュイな感じに満ちていて、儚さを体現させたような曲である。曲の全般的な構成も本当に見事で、短調の物悲しいセクションから弦楽器のレガートに導かれるように、長調の間奏に入ることがある。
これはどちらかと言えば、ポップソングではなく、クラシック音楽に属する手法である。例えば、マーラーの交響曲第五番の二楽章「Adagietto」などに見出すことが出来る。(トーマス・マン原作の名画『ヴェニスに死す』のエンディング・テーマとして使用された) 1960年代から70年代頃までは、ロックやポップソングでごく普通に使われていた手法だ。特に、他の曲と同様に、ドラムテイクが傑出しているが、同時に、ストリングスの複数の対旋律が折り重なり、美麗なハーモニーを作り出している。アーティストの歴代の曲でもトップクラスの曲に挙げられる。
しかし、対象的に、歌詞の世界は、個人的な生活から汲み出される感性を重んじている。結果的に、儚さという側面は、その背後に力強さを持ち合わせているのである。最近は、奇妙なほど無味乾燥な曲が増えているが、この曲は間違いなく、人生の味を感じさせる。同時に、それは、幸福だけではなく、酸いも甘いもある。悲しさ、喜び、憂い、嬉しさ、様々な思いを、鏡のように映し出す。音楽的には、リアリズムとロマンチシズムを生じさせる要因となっている。
「Broken Roses」
終盤部は、どちらかと言えば、ジャズ風のセッションのように、適度に力の抜けたライブサウンドを楽しめる。しかし、音楽的な内容の濃さ、強固な印象は全く薄まることはない。じっくり腰を据えて、功を急がず、曲を作り込んでいる。この点は、『Unclouded』を単なる消費的な録音に留まらせず、長生きさせる要因となりそうだ。 しかし、音楽的な手法が変わろうとも、全般的な方向性に変化はない。これが全体的な作風に一貫性をもたらしているのは事実であろう。
「Burning Man」は、ジャズのリズムとインディーポップのボーカルに加え、オーケストレーションの融合を図るが、ジャズの側面が強い。中盤で入る、ローズピアノの演奏も華麗で、楽しげな感覚がある。音の流動的な流れが見事であり、ジャズ特有のスリリングな感覚も見いだせる。
「Into Shadows」にも度肝を抜かれる。ボブ・マーレーのTrojan時代のようなレゲエのスネアの跳ねるような連打で入り、サイケデリックポップ風のマイルドな音楽が続く。何より、本作が素晴らしいのは、全体的な音楽の流れが阻害されることなく、スムーズに流れていくことだろう。70年代のサイケデリックロックのような華麗なギターソロも、かなり良い味を出している。
『Unclouded』は、いよいよクライマックスに向かう。 「How To Leave Misery Behind」は弦楽器のレガートで入り、ブレイクビーツのドラム、そしてメロディ・プロシェの夢想的なボーカルが混在する。しかし、ここには、やはり、2022年の作品では見られなかったような、単なる音や録音を作るという感覚はなく、ミュージシャンは、人生の足跡のようなものを残している。
自らの歩いてきた点を振り返る時、アーティストはどこかでそれが線でつながることを実感する。と考えると、過去の自己が、現在の自己を作り出す縁となっているのだ。一見して、軽やかで甘口のインディーポップソングは、ある意味では日記のような役割を果たし、それはそのまま、その人が生きてきた軌跡ともなる。そのことをあらためて痛感させてくれるような一曲だ。
その後、宮崎駿氏からの影響を公言するように、日本文化へのオマージュらしき曲が登場する。波の音、そして、琴のようなアルペジオがシンセサイザーで演奏される。これは、フランスのアーティストによる宮城道雄の名曲「春の海」へのさりげないオマージュではないかと推測される。波のサンプリング、琴の美しいアルペジオなど、情緒豊かな海の穏やかさが表現されている。しかしながら、同時に、そういった古典性を受け継ぎながらも、ヨットロックのようなモダンなプロデュースのアレンジメントが施され、新鮮でフレッシュな楽曲が誕生している。
レオン・ミシェルズが参加した「Daisy」は、素晴らしいエンディング曲となっている。この曲は、本作の全体像を総括するような内容だ。アーティストは、持ち前の抜群のメロディセンスを駆使し、聞きやすく親しみやすいポップソングを制作している。この曲は、ビートルズの全盛期のサウンドをほのかに彷彿とさせるが、全体の作り込みも相当な力の入りようである。いわく言いがたい懐かしさを思わせるとともに、普遍的なポップソングの魅力を兼ね備えている。
今作は、おそらくドミノ・レコーディングスの隠し玉と言うべき作品だったのだ。豪華な制作陣は言わずもがな、普遍的な魅力を持つ珠玉のポップソング集が、そのことを雄弁に物語る。アルバムには長い時間が流れていて、制作者の人生観がストレートに反映されている。そして、それはメロディ・プロシェ自身が語るように、''自らの人生へのたゆまぬ愛情''にほかならない。
92/100
「Daisy」
Melody's Echo Chamberの新作アルバム『Unclouded』は本日、Dominoより発売されました。ストリーミングはこちら。







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