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Hiroshi Yoshimura

 横浜出身の吉村宏(Hiroshi Yoshimura 1940-2003)は、近年、海外でも知名度が高まっている音楽家で、日本の環境音楽のパイオニアです。厳密にいえば、環境音楽とは、工業デザインの音楽版ともいえ、美術館内の音楽や、信号機の音楽、電車が駅構内に乗り入れる際の音楽など、実用的な用途で制作される場合がほとんどです。

 

 彼の歴代の作品を見ると、釧路市立博物館の館内環境音、松本市のピレネ・ビルの時報音、営団地下鉄の南北線の発車サイン音/接近音、王子線の駅構内、第一ホテル東京シーフォート、横浜国立総合競技場、大阪空港国際ターミナル展望デッキ、ヴィーナス・フォート、神戸市営地下鉄海岸線のサウンド・ピクトグラム、福岡の三越百貨店、神奈川県立近代美術館と多種多様な施設で彼の音楽が使用されてきました。

 

 吉村弘は、音楽大学の出身ではなく、早稲田大学の夜間である第2文学部の美術科の出身です。俗にいう戸山キャンパスと呼ばれる二文は他にも、名コメディアンの森田一義などを輩出している。体系的な音楽教育を受けたのではないにも関わらず、アナログ・シンセサイザーの電子音楽を通じて環境音からバッハのような正調の音楽まで幅広い作品に取り組んできました。特に、環境音についてはそれ以前に作例がなかったため、かの作曲家の功績はきわめて大きなものでもある。

 

 特に、この環境音を制作する際、吉村は実際の環境中に実存する音をテーマにとり、それを自らのイマジネーションを通じ、機械的な、あるいは機能的な音楽に落とし込むことで知られていました。例えば、1991年の東京メトロ(営団地下鉄)の南北線の環境音が制作された時に以下のようなエピソードがあったのです。そしてまた、複数箇所の駅に環境音が取り入れられたことに関しては、日本の駅という気忙しい印象を与えかねない空間に相対する際、利用者の心に癒やしと安らぎ、潤いをもたらす意味合いが込められていたのです。

 

 南北線では、1991年に接近・発車案内にメロディー(サイン音)を採用しました。これまでの営団地下鉄の発車合図は単なるブザーだっただけに当時は画期的な試みとして注目されました。メロディーは東京都の音楽制作会社「サウンドプロセスデザイン」のプロデュースにより、環境音楽家、吉村弘が制作。この際、吉村は王子駅付近を流れる音無川(石神井川)や滝からイメージを膨らませて「水」をテーマに、接近メロディーは「水滴や波紋」、一方の発車メロディーは「水の流動的な流れ」をモチーフにしていました。抽象的な実際の自然音に触発を受け、それらを彼の得意とするシンセサイザーを用い、環境音を制作したのです。


 実際に環境音の使用が開始されると、予想以上に彼の作曲した音の評判は良く、その後、目黒線、都営三田線、2001年に開業した埼玉高速鉄道線でも採用された。さらに鉄道会社の枠組みを越えた直通運転共通のメロディーとして幅広いエリアで使用されるようになった。2015年から、南北線、目黒線と三田線でも、吉村弘の環境音から次の新しいメロディーに移行されたため、現在、彼の環境音はほとんど使用されていないと思われます。しかし、彼の環境音は長いあいだ、鉄道利用者の心を癒やし、そして安らぎを与え続けたのです。

 

 吉村弘の音楽家としての功績は環境音楽の分野だけにとどまりません。年にはNHK邦楽の委託作品「アルマの雲」を作曲したほか、日本の黎明期のエレクトロニカの名盤として知られる『Green』(1986)、と、実質的なデビュー作でありながらアンビエントの作風を完全に確立した『Music For Nine Post Cards』(1982)といった傑作を世に残しています。さらに、吉村弘は、TV・ラジオにも80年代と90年代に出演しており、「環境音楽への旅」(NHK-FM)、「光のコンサート '90」(NHK-BShi)「列島リレードキュメント 都会の”音”」(NHK総合)にも出演しています。 

 

 これらのそれほど数は多くないにせよ、音源という枠組みにはとどまらない空間のための音楽をキャリアの中で数多く生み出し続けた作曲家、吉村弘のインスピレーションは、どこからやってきたのでしょうか?? 生前、多くのメディアの取材に応じたわけではなかった吉村は、自らのインスピレーションや制作における目的を「Music For Nine Post Cards-9枚のハガキのための音楽」のライナーノーツで解き明かしています。

 

そして、どうやら、彼の言葉の中に、環境音楽やサウンド・デザインにおける制作の秘訣が隠されているようです。特定の空間のため、また、その空間を利用する人々のために制作される「環境音」とはどうあるべきなのか。そのことについて吉村弘は、まだ無名の作曲家であった80年代の終わりに以下のように話しています。

 


 

 この音楽は、「気軽に聴けるオブジェや音の風景」とも言えるもので、興奮したり別世界に誘ったりする音楽ではなく、煙のように漂い、聴く人の活動を取り巻く環境の一部となるものである。

 

 エリック・サティ(1866-1925)の「家具の音楽」やロック・ミュージシャンのブライアン・イーノの「アンビエント・シリーズ」など、まだ珍しい音楽ではあるが、俗に言う「オブジェクト・サウンド」は自己表現でも完成された作品でもなく、重なり、ずれることで、空間や物、人の性格や意味を変えてしまう音楽である。


 音楽はただ存在するだけではないので、私がやろうとしていることは、総合的に「サウンドデザイン」と言えると思います。


 「サウンドデザイン」とは、単に音を飾ることではなく、「できれば、デザインとして、音でないもの、つまり静寂を作り出すこと」ができれば素晴らしい。目は自由に閉じることができるが、耳は常に開いている。

 

 目は自由に焦点を合わせて向けることができるが、耳はあらゆる方向の音を音響の地平線まで拾い上げる。音響環境における音源が増えれば増えるほど(そして、それは今日も確実に増えている)、耳はそれらに鈍感になり、本当に重要なものに完全に集中するために、無神経で邪魔な音を止めるよう要求する個人主義的権利を行使できなくなると考えるのは妥当なように思われます。


 現在、環境中の音や音楽のレベルは人間の能力を明らかに超えており、オーディオの生態系は崩壊し始めている。

 

 「雰囲気」を作るはずのBGMがあまりにも過剰で、ある地域や空間では、ビジュアルデザインは十分に考慮されているが、他方、サウンドデザインは完全に無視されている現状がある。いずれにせよ、建築やインテリア、食べ物や空気と同じように、音や音楽も日常的に必要なものとして扱わなければならない。

 

 雲の動き、夏の木陰、雨の音、町の雪、そんな静かな音のイメージに、水墨画のような音色を加えたいと思い作曲しました。


 前作「アルマのための雲-二台の琴のための」(1978)のミニマルな音楽性とは異なり、9枚の葉書に記された音の断片をもとに、雲や波のように少しずつ形を変えながら短いリフレインを何度も演奏する音楽。


 実は、この曲を作っていたある日、北品川にある新しい現代美術館を訪れたんです。雪のように白いアールデコ調の外観のうつくしさもさることながら、美術館の大きな窓から見える中庭の木々に深い感銘を受けて、そこで自分の作ったアルバムを演奏したらどんな音がするのだろう? そして、いざ、ミキシングを終えて、カセットテープに録音した後、再びこの美術館を訪ねたところ、無名作曲家の依頼を快く引き受けてくださり、「よし、美術館でこの音楽をかけてみよう」ということになり、とてもうれしく、励まされました。      

 

名門Deccaからデビューを控えている注目のシンガーソングライター、sandrayati

 

近年では、言語そのものは20世紀の時代よりもはるかにグローバルな概念になりつつある。ある特有の言語で発せられた言葉や記された言葉は、それが何らかの影響力を持つものであれば、誰かの手によって何らかの他の言語に翻訳され、すぐさま広範囲に伝えられるようになるわけです。

 

 しかし、グローバルな言語は、ある側面において、言葉というものの価値を損ねてしまう危険性もある。グローバルな言葉は、その持つ意味自体を軽くし、そして希薄にさせる。それは客観的に捉えると、言語ではなく、記号や「符号」に近いものとなるが、言葉として発せられるや否やそれ以上の意味を有さなくなるのです。これは言語学の観点から見ると難しい面もある、少なくとも、その土地土地の言葉でしか言いあらわすことの出来ない概念というのがこの世に存在する。日本語で言えば、方言が好例となるでしょう。わかりやすく言えば、例えば、沖縄の方言は標準語に直したとしてもそれに近い意味を見出すことは出来ますが、その言葉の持つ核心を必ずしも捕捉した概念とは言い難いのです。その地方の人が共有する概念からはいくらか乖離してしまう。

 

 それらの固有の言葉は、その土地固有の概念性であり、厳密に言えば、どのような他の言語にも翻訳することは出来ません。そして、その固有性に言葉自体の重みがあり、また大きな価値があるといえるのです。特異な言語性、また、その土地固有の言語性を何らかの形で伝えることは、文化的に見ても大きな意義のあることに違いありません。

 

 20世紀までの商業音楽は、米国や英国、つまりウォール街やシティ街を都市に有する場所から発展していき、それらが、他の大都市にも波及し、この両国家の都市の中から新たな音楽ムーブメントが発生し、何らかのウェイヴと呼ぶべき現象を生み出してきました。ひとつだけ例外となったのは、フランスのセルジュ・ゲンスブールと、彼がプロデュースするジェーン・バーキン、シルヴィー・バルタンを始めとするフレンチ・ポップス/イエ・イエの一派となるでしょう。しかし、この年代までは、スター性のある歌手に活躍が限られていました。それらの音楽が必ず経済の強い国家から発生するという流れが最初に変化した瞬間が、80年代から90年代であり、アイルランドのU2に始まり、アイスランドのビョーク、またシガー・ロスが登場するようになりました。U2は英語圏の歌手ですが、特に、シガー・ロスは、時には歌詞の中でアイスランド語を使用し、英語とはまた異なる鮮明な衝撃をミュージック・シーンに与えました。


 2000年代、Apple Musicがもたらした音楽のストリーミング・サービスの革命により、広範な音楽が手軽に配信されるようになってから、これらの他地域からのアーティストの登場という現象がよりいっそう活発になってきました。今では、英語圏にとどまらず、非言語圏、アフリカ、アジア、南米、東欧ヨーロッパに至るまで幅広いジャンルのアーティストが活躍するようになっています。

 

 例えば、スペイン音楽の重要な継承者であるロザリアがメイン・ストリームに押し上げられ、イギリス、アメリカ、さらに海を越えて日本でも聴かれるようになったのは、ストリーミングサービスの普及に寄与するところが多いかもしれません。近年、2010年代から20年代に入ると、この一連の流れの中でもうひとつ興味深い兆候が出てきました。それは英語ではない、その土地固有の言語を駆使し、独自のキャラクターにするアーティストです。この20’Sの世代に登場したアーティストは、10年代のグローバリズムと反行するかのように、その土地土地の地域性、音楽文化、そして、その土地固有の言語に脚光を当て、一定の支持を得るようになっています。

 

 今回、このソングライター特集では、非英語圏の固有の言葉を使用する魅力的なアーティスト、ソングライターを中心にごく簡単に皆さまにご紹介します。これらの流れを見る限りでは、すでにグローバリズムは音楽シーンの範疇において時代遅れの現象と言え、一般的なキャラクター性でカテゴライズされる「世界音楽」は衰退する可能性もある。むしろ、この20年以後の時代は、その土地の地域性や固有性を持ったアーティストが数多く活躍するような兆候も見られるのです。

 

 

1.Gwenno -コーニッシュ語を駆使するシンガーソングライター、民俗学とポピュラー音楽の融合-

 


グウェノーは、ウェールズのカーディフ出身のシンガーソングライターで、ケルト文化の継承者でもある。グロスターのアイリッシュダンスの「Sean Eireann Mcmahon Academy」の卒業生である。

 

グウェノーの父親、ティム・ソンダースはコーニッシュ語で執筆をする詩人としての活躍し、2008年に廃刊となったアイルランド語の新聞「ベルファスト」のジャーナリストとして執筆を行っていた。さらに、母であるリン・メレリドもウェールズの活動家、翻訳者として知られ、社会主義のウェールズ語合唱団のメンバーでもあった。

 

昨年、グウェノーは、ウェールズ地方の独特な民族衣装のような派手な帽子、そして、同じく民族衣装のようなファッションに身を包み、シーンに名乗りを上げようとしていた。それはいくらか、フォークロアに根ざした幻想文学、さらに、喩えとして微妙になるかもしれないが、指輪物語のようなファンタジー映画、RPGのゲームからそのまま現実世界に飛び出てきたかのような独特な雰囲気を擁していた。しかし、そういったファンタジックな印象と対象的に「Tresor」では、その表向きな印象に左右されないで、60、70年代の音楽に根ざしたノスタルジア溢れるポピュラー・ミュージックと現代的なエレクトロ・ポップが見事な融合を果たしている。

 

グウェノーは昨年、新作アルバム『Tresor』を発表している。これらの曲の殆どは、ウェールズの固有の言語、コーニッシュ語で歌われるばかりでなく、フォークロア的な「石」における神秘について歌われている。英語とはまったく異なる語感を持ったポピュラー音楽として話題を呼び、アイリッシュ・タイムズで特集が行われたほか、複数の媒体でレビューが掲載された。このアルバムは、直近のその年の最も優れたアルバムを対象にして贈られるマーキュリー賞にもノミネートされている。グウェノー・ピペットが歌詞内で使用するコーニッシュ語は、中世に一度はその存続が危ぶまれたものの、19,20世紀で復活を遂げた少数言語の一つである。この言語の文化性を次の時代に繋げる重要な役目を、このシンガーソングライターは担っている。


Recommended Disc 

 

『Tresor』 2022/Heavenly Recordings

 


 

 2.Ásgeir -アイスランドの至宝、フォーク/ネオソウル、多様な側面から見たアイスランドという土地-

 


すでに90年のビョーク、シガー・ロスからその兆しは見られたが、アイルランドよりもさらに北に位置するアイスランド、とりわけこの国家の首都であるレイキャビクという海沿いの町から多数の重要なアーティスト台頭し、重要なミュージック・シーンが形成されるようになった。

 

特に、この両者の後の年代、2000年代以降には、オーケストラ音楽とポピュラー音楽を架橋するポスト・クラシカル/モダン・クラシカル系のアーティストが数多く活躍するようになった。映画音楽の領域で活躍したヨハン・ヨハンソンに始まり、それ以後のシーンで最も存在感を見せるようになるオーラヴル・アルナルズ(Kiasmos)もまた、レイキャビクのシーンを象徴するようなアーティストである。クラシカルとポップというのがこの都市の主要な音楽の核心を形成している。

 

そんな中、近年最も注目を浴びるシンガーソングライターが登場した。 2010年代にミュージック・シーンに華々しく登場し、アイスランドで最も成功した歌手と言われるアウスゲイルである。彼は華々しい受賞歴に恵まれ、デビュー作『Dyro i dauoapogn』が、同国で史上最速で売れたデビュー・アルバムに認定、アイスランド音楽賞主要2部門(「最優秀アルバム賞」、「新人賞」)を含む全4部門受賞したことで知られる。フォーク・ミュージックとポップス、さらにはR&Bを融合させた音楽性が最大の魅力である。また、アウスゲイルは、アイスランドでは、ほとんど国民が彼のことを知っているというほど絶大な人気を誇る国民的歌手である。

 

アウスゲイルは、基本的には英語を使用するアーティストであると断っておきたいが、そのうちの複数の作品は、母国語の口当たりの良いポップスをアイスランド国内向けに提供している。

 

昨年には、主題をフォーク/ネオソウルに移した快作『Time On My Hands』もリリースした。必ずしもアウスゲイルは、アイスランド語の歌詞にこだわっているわけではないが、その音楽性の節々には、モダン・クラシカルの要素とアイスランド特有の情緒性が漂っている。


Recommended Disc 

 

『Dýrð Í Dauðaþögn』 2015 /One Little Independent



 


3.Naima Bock   -ブラジルからイギリスを横断した国際性、ポルトガル語を反映するシンガー-

 


 

ナイマ・ボックは、現在、イギリス/ロンドンを拠点に活動するシンガーソングライター。元ゴート・ガールのメンバーでもあったが、バンド活動でのステージングに限界を感じ、一度はミュージシャンとしての活動を断念する。大学で考古学を学んだ後、庭師として生計を立てた後に、ソロミュージシャンへと転向している。

 

2021年11月には、米国シアトルの名門レーベル”Sub Pop"と契約を交わしたが、これはサブ・ポップ側のスタッフがこのアーティストにライセンス契約の提案をしたことから始まったのである。昨年には二作のシングル「Every Morning」「30 Degress」を発売した後に、デビュー・アルバム『Giant Palm』のリリースしている。またアルバムはStereogumのベストリストに選出された。


ナイマ・ボックの音楽は幼少期、彼女が両親とともにブラジル/サンパウロに滞在していた時代の音楽に強い触発を受けている。サンパウロの海岸沿いを家族とともにドライブした経験、その時に聴いていたブラジル音楽はこのアーティストの音楽に強い影響を与えている。ただ、アーティスト自身はどうやら自分の音楽について単なるブラジル音楽ではないと解釈しているので、南米文化と継承者と銘打つのは誇張になってしまうかもしれない。ただし、少なくともデビュー・アルバムでは、明らかにブラジルの音楽の影響、南米の哀愁が漂っていることはつけくわえておかなければならい。

 

ボサノバ、サンバをはじめとするブラジルの民族音楽の影響を織り交ぜたポピュラー/フォーク音楽は、地域性に根ざしているが、それらの品の良い音楽性を加味し、ナイマ・ボックさ英語やポルトガル語でさらりと歌い上げてみせている。情熱的な雰囲気も擁するが、それはまた同時に涼し気な質感に彩られている。時代を問わない普遍的なポップやジャズの雰囲気に加えブラジルの海岸沿いの穏やかな風景、その時代の記憶や南米文化への仄かな哀愁がレコード全体に漂っている。ボサ・ノバは、以前、日本でも小野リサを初めブームが来たことがあったが、スタン・ゲッツを始めとするオリジナル世代のボサ・ファンも、この新味を感じさせるレコードには何らかの親近感を持ってもらえるだろう。


Recommended Disc 

 

『Giant Palm』 2022/ Sub Pop

 



 

4.Sandrayati   -インドネシアのシンガーソングライター、-アジアの世界的な歌姫へのステップアップ-

 


現在のところ、大きな話題にはなっていないが、これまで注目されてこなかった地域の一であるインドネシアの歌手、サンドラヤティは、大手レーベル”Decca”と契約を交わし、近日メジャー・デビューを控えている。

 

英/デッカは、基本的にはクラシカル系の名門レーベルとして知られ、ロンドン交響楽団の公演をはじめとするクラシック音楽関連のリリースで名高い。しかし、今回、ポピュラーミュージックに属する歌手と契約したということはかなり例外的な契約といえ、このサンドラヤティというシンガーに並々ならぬ期待を込めていることの証となるかもしれない。また、近年、以前にも紹介したが、日本や韓国以外にも、マレーシアやシンガポールを中心に東南アジア圏で活発なミュージック・シーンが形成されつつある。これらの地域には専門のレコード・レーベルも立ち上がるようになっているので今後、面白い音楽文化が出てきそうな気配もある。特にこれらの南アジアの国の若者の間では日本のシティ・ポップがごく普通に流行っていたりするのだ。

 

近日、デッカからデビューするサンドラヤティは、フィリピン人とアメリカ人のハーフであるという。アーティスト写真の佇まいを見る限り、日本や韓国といった東アジア圏には(沖縄の最南端の島嶼群や奄美大島近辺の歌手をのぞいて)存在しないような南国情緒に溢れる個性派のシンガーソングライター。その歌声や作曲能力の是非は、まったく未知数だと言えるが、東インドネシアの固有の民族、モロ族の文化性を受け継いでいる希少なシンガーだ。また、サンドラヤティは環境保護活動にも率先して取り組んでいることも付記しておきたい。

 

昨年は、ダミアン・ライスやアイスランドのアーティスト、ジョフリズール・アーカドッティルとコラボレーションし、ホンジュラスの環境活動家であり先住民族のリーダーでもあるベルタ・カセレスへの力強いトリビュート「Song for Berta」を発表し、このテーマにさらに磨きをかけている。また、最新の国連気候変動会議(通称Cop26)では、アジアを代表してパフォーマンスを行った。ときにインドネシアの固有の言語を織り交ぜ、壮大なスケールを擁するポピュラー・ソングを発表している。3月17日に発表されるグラミー賞アーティスト、オーラブル・アルナルズが全面的にプロデュースを手掛けた2ndアルバム『Safe Ground』は、世界デビューに向けての足掛かりの作る絶好の機会となりそうである。

 

 

 Recommended Disc 


Sandrayati 『Safe Ground』 2023年3月17日発売/Decca

 

 


 

5.Nyokabi Kariũk -アフリカの文化性の継承者、スワヒリ語を駆使するシンガーソングライター-

 


 

ケニア出身で、現在、ニューヨークを拠点に音楽活動を行う作曲家、サウンド・アーティスト、パフォーマーと多岐の領域で活躍するNyokabi Kariũkは、これまで忘れ去られてきたアフリカの文化圏の言語、そしてその土地固有の音楽性に脚光を当てるシンガーで、まさに今回の特集にもっともふさわしい音楽家といえるだろう。Nyokabi Kariũkは、アフリカ音楽とモダン・クラシカルという対極にある音楽性を融合し、ニューヨーク大学での作曲技法の学習をもとに、それらを電子音楽や声楽といった形として昇華させ、これまで存在しえなかった表現を音楽シーンにもたらそうとしている。

 

 Nyokabi Kariũkは、2ndアルバム『Feeling Body』の発売を間近に控えている。あらためて発売を目前におさらいしておきたい歌手である。


Nyokabi Kariũkiの音楽的な想像力は常に進化しつづけており、クラシック・コンテンポラリーから実験的な電子音楽、サウンドアート、ポップ、映画、(東)アフリカの音楽伝統の探求など、様々なジャンルを横断する。ピアノ、声、エレクトロニクス、アフリカ大陸の楽器(特にカリンバ、ムビラ、ジャンベ)を使って演奏する。Nyokabiの作品は多くのメディアによって称賛されており、The Gurdianは「巧み」、The Quietusには「超越的」と評された。また、Bandcampは「現代の作曲と実験音楽における重要な声となる」と強調する。彼女は、アフリカ思想、言語、物語の保存と考察によって照らされた芸術表現を新たに創造しようとしている。


2022年2月にリリースされたデビューEP「peace places: kenyan memories」は、Bandcampの「Best Albums of Winter 2022」とThe Guardianの「Contemporary Album of the Month」に選出されたほか、Pitchfork、Resident Advisor、The New York Timesから称賛を受けた。同年9
月、Nyokabiは、EPの再構築を発売し、Cello Octet Amsterdam、パーカッショニスト兼電子音楽家のMatt Evans、ボーカリストAlev Lenzと共に演奏したことで話題を呼んだ。

 

彼女は、ニューヨーク大学(2020年)で作曲の学士号とクリエイティブ・ライティングの副専攻を取得し、ジェリカ・オブラク博士に作曲を、デヴィッド・ウォルファートに作詞を学ぶ。パリ・エコール・ノルマル音楽院でローマ賞受賞者ミシェル・メレの下で作曲とオーケストレーションを学び、フランス・パリのIRCAMでコースを修了。フリーランスの作曲家として活動する傍ら、Bang on a CanのFound Sound Nation(ニューヨーク)では、音楽におけるクリエイティブなコラボが地域や集団の社会問題にどのように対処できるかを調査している。また、"The One Beat Podcast"のプロデュースや、その他の多くの取り組みにも参加している。


Recommended Disc 

 

『Feeling Body』 2023年3月3日発売/Cmntx



 

幾何学模様 12月3日のラストライブ 渋谷WWW Xにて
 

日本のサイケデリック・ロックバンド、Kikagaku Moyo(幾何学模様)が12月3日に行われたファイナルツアーでのラストライブの映像を公開しました。バンドは、浅草のつばめスタジオで録音されたフルアルバム『Kumoyo Island』の発表と同時に、2022年度の活動をもって解散を公表しています。

 

近年では、ヨーロッパに活動拠点を移していましたが、パンデミックを契機に日本へ帰国し、レコーディングが行われました。

 

また、幾何学模様は、昨年の年始め、ファイナルツアーに向けて次のようなメッセージをファンに捧げています。

 

昨年末、5人で話し合った結果、2022年以降、無期限で活動休止することになりました。つまり、2022年がキカガクモヨウとしての最後の年になります。

バンドとしての本懐を遂げたからこそ、このプロジェクトを最高の形で終わらせたい、という結論に至りました。2012年に東京の路上で音楽集団として活動を始めてから、世界中の素晴らしい観客のために演奏できるようになるとは想像もしていませんでした。このようなことが可能になったのは、すべて皆さんのおかげです。


幾何学模様 ファイナル・ツアー、2022年ロンドンにて

 

2012年に東京の路上でバスキングをしていた彼らは、文字通り、そして比喩的に、長い道のりを歩んできた。

 

自由に演奏し、宇宙やサイケデリカに関連する音楽を探求したい、という願望で結ばれた5人の友人からなる緊密なグループであり、彼らの最初の野望は、東京の孤立した音楽シーンの狭いクラブで準レギュラーを務めるというささやかなものであった。


しかし、そのプログレッシブでフォークの影響を受けたサイケデリカは、同世代のバンドとは一線を画し、日本のサイケロックシーンを再スタートさせ、国際的な賞賛を得るに至った。


Go Kurosawa(ドラム、Vox)、Tomo Katsurada(ギター、Vox)、Kotsuguy(ベース)、Daoud Popal(ギター)、Ryu Kurosawa(シタール)という落ち着いたラインアップと、インド古典音楽、クラウトロック、伝統民族、70年代ロック、アシッドテイストの心理をブレンドした独自のサウンドで、ヨーロッパ各地でライブをソールドアウトし、自分たちの仕事だけでなく東アジアの音楽シーンも紹介しようとレーベルGuruguru Brainを創設した。


現在までに、このレーベルは自分たちのアルバムと並行して10人以上のアーティストの楽曲をリリースしており、2017年にはKurosawaとKatsuradaの二人がオランダのアムステルダムに恒久的に移住した。この移転により、キカガクモヨウとグルグルブレインは、ヨーロッパの中心に位置し、欧米のオーディエンスに対応しつつ、レーベルに所属するバンドの長期ツアーやリリーススケジュールのロジスティックな課題を緩和した。


それ以来、彼らの人気は高まり続け、キカガクモヨウは今やオルタナティブ・サイケ・シーンで最も高く評価されるバンドのひとつとなった。

 

ボナルー・ミュージック・フェスティバル(アメリカ)、エンド・オブ・ザ・ロード・フェスティバル、グリーンマン・フェスティバル(イギリス)、コンクリート&グラス(中国)などの有名フェスティバルをはじめ、グッチやイッセイ・ミヤケなどの世界的なファッションブランドからも依頼を受け、ワールドツアーを多数敢行した。アルバム『Masana Temples』はMojoやUncutから高い評価を得ており、バンドは有名なラジオ局KEXPに招待され、彼らの有名なライブセッションで演奏した。



 KIKAGAKU MOYO FINAL SHOW ー「Yayoi, Iyayoi」

 



 Jockstrapは、Georgia Ellery(Black Country, New Roadのメンバーでもある)がGuildhall School Of Music & DramaでTaylor Skyeと出会い、それぞれジャズと電子音楽作曲を学んでいたことから2017年に結成された。


一般的に彼らの音楽スタイルは、オルト・ポップで、音楽における革新性と再構築に焦点が当てられている。


時には既存のスタイルを嬉々としてバラバラにし、それを巧みに組み直すだけのポップ・ミュージックを、時には全く新しいジャンルを作り変え、空間的・時間的に激しく混乱した形で制作する。デュオとしたのかつての役割分担は、ジョージアが作曲、作詞、歌唱を担当し、テイラーがプロデュースするというシンプルな役割分担だったというが、今ではその境界線があいまいになりつつある。


二人ともクラシック音楽を演奏しながら育ち、大学でジャズに目覚めたという。初期のアニー・マックのコンピレーションCDやミカ・リーヴァイ、テイラーはボブ・ディラン、ジョージアはジョニ・ミッチェルに傾倒するなど、共通の趣味を持っている。彼らは過去5年間にシングル、EP、ミックステープをリリースしており、すでにプレスの間で話題になっている。ジョージアはロックンロール以前のクラシックなオーケストララウンジポップを歌い、テイラーはそれを古いものと新しいものを混ぜ合わせたポストダブステップのミキサーで無理やり演奏する。


ロンドンを拠点に活動するデュオ、jockstrapは、自分たちの名前がかなり偏ったものであることを認めている。プロデューサー兼キーボードプレイヤーのTaylor Skyeは、「この名前は完璧だと言う人もいる」と語る。プロデューサー兼キーボードプレイヤーのTaylor Skyeは言う。「ひどい名前だと言う人もいる。もともと反抗的な名前だったから、僕らにとっては刺激的だったんだ」


その反抗は、2016年に2人が出会ったギルドホール音楽演劇学校でスカイとシンガー/ヴァイオリニストのジョージア・エラリーに植え付けられたアカデミックな音楽的価値観を一部拒否することが含まれていた。前者は電子作曲を、後者はジャズを学んでおり、彼らがJockstrapとして作り始めたスタイル的に落ち着きのない音楽--伝統的なシンガーソングライティングのアプローチとダブステップに影響を受けたカットアップの間を激しく行き来する--は、一部の講師にとっては冗談にしか見えなかったという。


このプロジェクト名を聞いた時、その反体制的な意図はなかなか伝わらなかった。アカデミックに音楽媒体を学ぶ人たちにとっては、そういった主流に対する反駁を唱えることは理解できるが、それは体型的な音楽教育を指導する人々には受け入れ難いものだったのだ。「私の先生たちは鼻を高くしてせせら笑っていた」とエラリーは言う。彼女はブラックカントリー、ニューロードでも演奏していることでも知られていますが、「音楽学校に行って、勉強している楽器のためにすべての時間を捧げるという考え方があるんです。でも、私はそうしたくはなかった。だから、そこが彼らを怒らせてしまったのかもしれない」と回想するのだ。


2人のデビューLP『I Love You Jennifer B』(MOJOの2022年のベストアルバムで36位)には2人のそういった反体制的な意図がたしかに汲み取ることができる、しかし、そこには体型的な音楽教育を受けた作り手にしか生み出し得ないものもある。ジョックストラップのデビュー作は、確かにエキセントリックなユーモアと意図的にクランチしたギアシフトに満ちているが、同時に彼らの正式な音楽教育は、綿密なストリングスのアレンジとクラシックな曲作りという手法にも表れている。これは、Elleryにとって音楽理論は、「ハーモニー的に次にどこへ行くかを考えるためのツール」であり続けていることの表れでもある。


Jockstrapのサウンドに直接影響を与えたものを特定するのは難しいが、幼少期のSkyeがStevie WonderとSkrillexに夢中になっていたことがひとつの手がかりとなるはずた。一方、Elleryは5歳でヴァイオリンを習い始め、7歳までに助産師兼音楽セラピストの母親とバンドを組み、故郷ペンザンスの「異教徒の祭り」をGolowanで演奏し、母親と一緒にWOMADにも出演していた。また、エルトン・ジョンやポール・サイモン、スコット・ウォーカー(アルバムのスペクタルなバラード「Lancaster Court」はスコット3世の影響を受けている)、初期のジョニ・ミッチェル(もし彼女がジェームズ・ブレイクのプロデュースを受けていたら)、6分ほどの「Concrete Over Water」にインスピレーションを受けたと語っている。


このデュオの手法では、Elleryが曲を書いて録音し、それをSkyeに渡して補強し、音的に磨きをかけたり、こねたりしてもらう、リミックスの過程がある。例えば、ハープを使った浮遊感のある「Angst」は、突然、Skyeが10代の頃に好きだったダブステップのリミキサー(NeroやFlux Pavilion)のスタイルで不規則に刻まれたシンガーのアカペラボーカルにスナップエッジされている。「彼らは、リミックスという形で完全にオリジナルでエモーショナルな音楽を作ることができるということに気づかせてくれたんだ」とTaylor Skyeは言う。


ビジュアル面でもJockstrapは印象的だ。彼らのビデオ(Elleryが編集)は、80年代初期のKate BushのプロモーションビデオのようなConcrete Over Waterの奇妙なハーレクインのおふざけから、漫画風の顔の毛ととがった耳をつけたSkyeが登場するGlasgowの歩き回るシーンまで、そのユニークさは多岐にわたっている。エラリーは、「本当にいいリリースになった」と言う。「曲の制作に一生懸命になり、非常にマクロな作業をした後、逆にストレッチしているような感じです。僕たちはビデオ制作の訓練を受けていないから、何でもありなんだ」


ロンドンのJockstrapはまだ今年デビューを果たしたばかりの新進エレクトロ・デュオ。しかし、その前衛的なアプローチには瞠目すべき点がある。これからどのような活躍をしていくのか、また、斬新な音楽を生み出してくれるのか目が離せないところである。


チャールズ・ロイドは遂にトリオ三部作を完結させた。60年以上にわたり、この伝説的なサックス奏者兼作曲家は音楽界に大きな影響を及ぼしてきたが、84歳になった今も彼は相変わらずの多作ぶりを見せている。


音の探求者であるロイドの創造性は、彼の最新の代表作、異なるトリオのセッティングで彼を表現する3枚の個別アルバムを包含する拡張プロジェクト、トリオ・オブ・トリオ以上に発揮されることはないと思われる。


最初のアルバム「Trios: Chapel」では、ギタリストのビル・フリゼールとベーシストのトーマス・モーガンと共にロイドをフィーチャーしています。2枚目はギタリストのアンソニー・ウィルソンとピアニストのジェラルド・クレイトンとの「Trios:  Ocean」。3枚目は、ギタリストのジュリアン・レイジとパーカッショニストのザキール・フセインとの「Trios:Sacred Thread」となる。


かつて故ジョーン・ディディオンが指摘したように、ほとんどの個人の声は、一度聞けば、美と知恵の声であることがわかる。ロイドはその典型です。1980年代にツアーとレコーディングに復帰し、高い評価を得て以来、彼の演奏はますますスピリチュアルとしか言いようのない要素を獲得し、聴く者を彼の音楽に引き込む実存的な要素を持つようになった。気取らず、知的すぎず、ロイドが「私たちの土着の芸術形式」と呼ぶものを創り上げた偉大なジャズの長老たちの伝統を尊重しており、「シドニー・ベシェ、ルイ・アームストロング、デューク・エリントン、プレッツ、レディ・デイ、バード、そして現代人たち」のような人物を挙げている。テイタム、トラン、ソニー、オーネット、モンク、マイルズといった現代人が彼の道を照らしてくれた。


10代の頃、ブルースの巨匠たち、ボビー・ブルー・ブランド、ロスコー・ゴードン、ハウリン・ウルフ、B・B・キング、ジョニー・エースと一緒に演奏した時の経験が、私のルーツになっています。多くのミュージシャンが演奏できるのに、彼らの音楽はバンドスタンドから離れない。それが僕にとって大きな教訓になった」


例えば、『The Sacred Thread』は50年代後半に生まれたものであり、その原点となった出会いは、ロイドの音楽において過去の経験が現在を照らし出すことが多い。「南カリフォルニア大学で勉強していたとき、ラヴィ・シャンカールとアッラ・ラーカがよく来ていたんだ。 「音楽だけでなく、タゴールのような詩人やミラレパのような聖人も。その後、ラマクリシュナやヴェーダンタに出会いました。また、サロード奏者のアリ・アクバル・カーンにも深い感銘を受けました。彼の息子のアシシュとプラネシュは、私のアルバム『ギータ』に参加しています」。1973年に発売されたこのアルバムは、ビルボード誌で「インド音楽が自由な流れのモダンジャズと巧みに融合している」と評された。


「ジョン・マクラフリンがUCLAでのコンサートに私を招待してくれた。ジョン・マクラフリンの音は美しく、私は彼らが一緒に作っている音楽にとても感動しました。ザキール(・フセイン)のタブラを聴いて、ハウリン・ウルフに戻ったんだ。どうやったら、その例えができるのか、ジャンプできるのかわからないけど、若い頃ハウリン・ウルフと演奏したとき、私は震えたんだ。ザキールとは2001年に初めてコンサートで共演したのですが、その時、USCでラヴィ・シャンカールと共演しているのを見たアラ・ラーカが彼の父親であることを知りました。それをプロビデンスと呼ぶこともできるし、私はそれをセイクリッド・スレッドと呼んでいる」


   


2020年9月26日、パンデミックの真っ只中、ロイドはカリフォルニア州ソノマ郡のワインカントリー、ヒールズバーグのThe Paul Mahder Galleryでバーチャルオーディエンス向けのコンサートをストリーミング配信した。フサインとギタリストのジュリアン・ラージが加わり、ロイドは「ミュージシャンと観客の間のエネルギーや交流がなくなる一方で、拍手によって中断されることのない集中力と集中力がある」と観察している。


「彼はヒールズバーグからそれほど遠くないところで育ち、天才と呼ばれていた。彼は大きな耳を持っていて、私は彼の可能性を聞き出した。彼はまだ若く、その耳は大きくなるばかりです。だから、私は自分の道を見つける魂に祝福され続け、今でも高いワイヤーに乗り、空を飛ぼうという気にさせられるんだ」


トリオ・オブ・トリオス3部作の最終幕となる「Trios:Sacred Thread」は、パーカッションとヴォーカルを使用した唯一のアルバムである。


フセインのタブラと声は、音楽的、感情的な雰囲気を一変させ、エキゾチックなスパイスのように、インド亜大陸の強い音楽の香りを加えてくれる。「ザキールの声を聴くのが大好きなんだ」とロイドは言う。「僕らの音楽に魅惑的な響きを与えてくれるんだ」。ロイドは、インドのラーガや音階を演奏するのではなく、Geetaで行ったように、即興演奏を通してインド音楽とアメリカのジャズとの共通点を探っている。テナーサックスよりもアルトフルート、そしてタロガトーという哀愁を帯びた木管楽器に頼りながら、フセインはタブラ(通常4〜5種類の大きさのタブラとカントラ)を駆使して音楽の波と流れを媒介するのである。


ロイドのテナーサックスでムード、テンポ、キーが決まる「Desolation Sound」では、ラージのハーモニックスの使い方が完璧で、そのあとロイドが再びアルトフルートに入り、軽い音色で音楽のムードを盛り上げる。フセインの歌声を紹介するエピソードに入ると、グループのダイナミックさが一変する。「グマン」は "グル "へのプラナム、「ナチェキータの嘆き」へとテンポを変え、タラガトーの音色に声が響くようになる。音楽、芸術、知恵の女神であるサラスワティへの献身を歌った "サラスワティ "ではフセインの声が雰囲気を和らげ、ロイドが再びフルートを担当した "クティ "ではラゲの巧みな介入を促している。


「ルミの物語」はフセインのタブラとカンジラのソロをフィーチャーしたものである。タブラはドラムの音の中で最も表現力が豊かな楽器として知られ、32音という幅広い音色を持つが、フセインはこれを見事に使いこなしている。テナーのロイド、ギターのラゲとともに、音楽の沈黙を「演じる」ことを恐れず、Sacred Threadの本質をとらえるような瞬間を創りだす。ロイドの「The Blessing」は、1983年7月のモントルー・ジャズ・フェスティバルでピアノのミシェル・ペトルチアーニと録音したもので、雄弁でありながら控えめな、魅力的なコンサートのクライマックスとなる曲である。


トリオ3部作の演奏を振り返り、ロイドは次のような洞察を述べている。


「その音(ノート)を探す中で、私たちの個性が普遍性と融合し、いつのまにか出会っている。その固有性はとても強力であり、私たちが知っている世界を青ざめさせる。"絶対的なものの中にいたのに、相対的なものに戻るのはそう容易いことではない "と。興味深いことに、アポロ12号で月面を歩いたアラン・ビーンもまた、絶対的な世界に行った体験について、それはあなたを変えるのではなく、あなたが誰であるかを明らかにするんだ、と言っているんだ」





 Chales Lloyd 『Trios: Sacred Thread』



Label: Bluenote

Release: 2022年11月18日


 Official-order:


https://charleslloyd.lnk.to/TriosSacredThreadID

ーFeatured Artistー

   ロンドンから登場した次世代のポストロック デビュー・アルバム誕生の背景とは

 

Caroline

 

 

Caroline

 

 最近、イギリスでは五人以上のメンバーを持つ大編成のコレクティヴが数多く活躍している。以前、マーキュリー賞にノミネートされたBC,NRがその筆頭に挙げられる。これらの2020年代のロックバンドは、以前のインディーロック・バンドにあった実験性と、ミニマル・クラシカルにあるような作曲技法を巧みにオルト・ロックと掛け合わせて前衛的な音楽を作り出している。そして、次に大注目を集めるのが、マンチェスター/ロンドンから登場したCarolineとなる。

 

Carolineは、最近のコレクティヴと呼ばれる体制をとり、8人という大編成からなる。その中には、ギター、ドラム、ベースというシンプルなバンドの構成に加え、チェロ、バイオリン、アイルランドの民族楽器、フィフォルといったオーケストラの楽器まで内包される。キャロラインが目指すのは、インディーロック、フォーク、オーケストラ、民謡のクロスオーバーなのである。

 

キャロラインは、2010年代の後半にバンドを結成し、実験的なジャムを重ねた後、ラフ・トレードの創設者、ガレージロックやレゲエのムーブメントをUK国内に定着させたジェフ・トラヴィスに言わば見初められた形となった。先行シングルを発表したのち、2022年始めにセルフタイトルのアルバムを発表した。ミニマル派の音楽を特徴としながらも、ミッドウエストエモ、アパラチアンフォーク、ポストロック、様々な音楽を吸収した新しい音楽はどのように生まれたのか。

 

彼らは、デビュー作の発表により、国内に留まらず、世界的に知られるようになっている。そして、耳の肥えたファンを唸らせた実験的で情感豊かなサウンドには、エモ、コンテンポラリーフォーク、2000年代以前のケンタッキー州ルイヴィルのミュージックシーンに象徴されるミニマル構造のポスト・ロック、オーケストラの室内楽、教会で聴かれるようなコーラスチャントまで広範な音楽性が内包されている。

 

先鋭的であり、実験的なサウンドは繊細さに加えて覇気すら感じられるが、そのバンドとしての出発点は、意外にもこれらの後の成功とはほど遠いところにあった。コレクティヴとしての出発点は、実は、このバンドの中心人物である、ジェスパーですらおぼつかないものであったのだ。

 

コレクティヴとしての船出、それは数年前のクリスマスに遡る必要がある。Carolineの中心的なメンバーであるジャスパー・ルウェリン(28歳)は、両親から、自分のバンドの曲を演奏して友人たちに印象づけるようにプレッシャーをかけられていたのだという。"両親は、「キャロラインの曲をかけてみて」と言ったんだ "と彼は振り返る。「私はまず、"Dark Blue"を演奏しました。そのとき、みんな、沈黙して気まずくなってしまった。彼らは、それについてどう考えていいのかわからなかったんでしょう」


彼のバンドメイトであるキャスパー・ヒューズもまた28歳であり、同じような経験を同居人にしたそうなのだが、彼はただこう勇ましく言ってのけた。「君はこれを演奏することで僕に挑戦してきたんだ "とね」と、3人目の結成メンバーである、マイク・オマリー(29歳)は最初期を回想している。


 アルバム発表前の先行シングルとしてリリースされた「Dark Blue」は、シングル・バージョンとアルバム・バージョンの異なるパターンで発表されているが、この曲は、このロンドンのバンドの印象を明瞭に決定づけた楽曲である。ミッドウエスト・エモ、ミニマル・クラシック音楽、アパラチアン・フォーク、コーラス・チャントを融合して構築されたこの曲は、このキャロラインという存在を象徴づけており、不協和音を特性を活かしつつも、内的な喜びに溢れている。

 

シンプルなリフが執拗に繰り返され、フィドルを始めとする多くの楽器が重られつつ、反復的なラヴェルの『Bolero』やライヒの「Octet」のような構造により、盛り上がるアンセムに発展してゆく。 それは、同音反復により足がかりを付け、その内向きのエナジーを徐々に増幅させていくのだ。この曲は徹頭徹尾、通奏低音のような形で、ギターのリフを反復させているが、同じ楽節を繰り返しながらも、複雑なオーケストラの楽器がこれらのモチーフと重なりあうことで、この曲のクライマックスではイントロとはまったく異なる境地に到達するのである。

 

「Dark Blue」は、ケンタッキー州ルイヴィルのSlintのように緻密でストイックな構成であるとともに、スコットランドのMogwaiの傑作『The Hawk Is Howling』の収録曲「Thank You Space Expert」のような際限のない壮大さを併せ持つ、おそらく、これがイギリス国内の音楽メディアでも、時に、キャロラインの音楽がモグワイが引き合いに出される理由なのだと思う。しかし、Carolineの壮大さは外側にむけて轟音が膨らんでいく印象を持つモグワイとは対極にある徹底した抑制と内省にある。内側にむけてベクトルが強められていくようにも感じられるのだ。

 

 

「Dark Blue」Single Version

 

 

 

 Carolineは、2010年代半ばにマンチェスターの大学で結成された。ギター兼ボーカルのヒューズがドラム兼チェロ兼ボーカルのルウェリンと「ある種のポスト・パンク」を始めたことから誕生したグループだった。マンチェスターからロンドンに活動の拠点を移した2017年には、ジャスパー・ルウェリンの古い仲間であり、10代の頃に立ち上げた「酔っ払ったアパラチアのフォーク・グループ」で一緒だったギタリストのマイク・オマリーが加入した。これでグループの骨組みが整えられた。


そこから、キャロラインは、長い期間のジャムセッションを通じてこれらの原型となった音楽に丹念に磨きをかけていった。まず、ヒューズの友人で、トランペッター兼ベーシストでもあるフレディ・ワーズワース(26)と共に、パーカッショニストのヒュー・アインズリー(28)とフィドラーのオリヴァー・ハミルトン(28)が参加し、彼の「うっとおしいほどのバイオリン」が「Dark Blue」とその後のバンドのフォークテイストのジャムを顕著に特徴づけていたのだ。


グループの名を決定しないままで、”彼ら”は実験的なジャムセッションを続けた。その後、彼らは、1年半以上の個人的な演奏を経て、遂に、2018年にcaroline(明確に説明されることのない名前)というバンド名を名乗るようになったのである。


もうひとりのフィドラー、マグダレナ・マクリーン(28)は、オリヴァー・ハミルトンのライヴの代役を務めてグループのソックスを吹き飛ばした後に加入し、それから、フルート、クラリネット、サックス奏者のアレックス・マッケンジー(27)はバンドにDMを送った後に加入を果たしている。


「このバンドは、結成当初から実にさまざまな形態に変化してきた」とヒューズは言う。当初は、小さなアイデアやテーマをループさせながら実験して、出来上がったものに「興奮する」ことが活動の全てだったという。「それは、たくさんの人が出会って、早い段階で仲良くなり、お互いを理解するのと同じことなんだ」と彼は説明する。


一方のジャスパー・ルウェインは、多くのアーティストや影響を受けていることが、Carolineのスタイルの核になっていると説明している。


"異なるものが一緒に同時に起こっているような、同じ全体の中にすべてが含まれているような、でも、それが独自の唯一無二のキャラクターを持っているような感じだ"。

 


 2022年のはじめ、彼らはセルフタイトルのデビューアルバムをラフ・トレードからリリースした。これはロックダウン中に録音されたにもかかわらず、再生と楽観主義のメッセージが込められており、全体を通して、静寂とノイズ、光と闇、希望と実存の恐怖が交錯し、音楽のリフレインが繰り返されている。何よりも、この作品は、即興的な感じがあり、フリージャズのような自由さに象徴づけられる音楽が中心となっている。しかし、マイク・オマリーは、「意外にも、それらの実験性が実際に聞こえる以上にコントロールされている」と断言する。

 

Caroline 『Caroline』

 

例えば、アルバムの六曲目に収録されている「Engine (eavesdropping)"」のクライマックスでは、フォーリーサウンドと切り取られたサンプルが使われている。ストリングスの下で鳴る機械音は、産業と牧歌の両側面を示すサウンドスケープを生み出している。


デビュー・アルバム『Caroline』は、複数の場所で録音され、異なる場所の音響効果がそのまま生かされている。彼らは、デジタルの不自然なエフェクト処理を厭い、その場所の持つ音響効果を自然に作品の中に取り入れている。これは、UKの現代音楽家、ギャヴィン・ブライヤーズのタイタニックシリーズの演奏のように、演奏上の実験にとどまらず、音響学的な実験性も取り入れられていることが驚きだ。それにより、同一の作品でありながら、別の作品であるようにも感じられる。ペッカム・スタジオでの録音に加えて、ルウェリンのヴォーカルがフローリングの床に反響する "Desperately "や、空のプールで録音された という"Dark Blue"、"Skydiving onto the Library Roof "など、『caroline』にはリビングルームでの録音まで収録されているのだ。


去る年の1月に行われたロイヤル・フェスティバル・ホールでのコンサートでは、新譜からのカットを演奏する代わりに、その会場で5時間に及ぶ即興演奏を行い、キャロラインの活動意欲は頂点に達したのだった。

 

「このアイデアは、観客が席を立ち、戻ってきたときに、1時間か2時間、ドリンクを飲んだり、他のことをしていたときに、私たちがずっと演奏していたことに気づくというものでした」とルウェインは言います。ところが、この実験演奏に観客は釘付けになり、ほとんどの人が最後まで残ってていたので、バンドのメンバーは驚いた。彼らは、その日会場に居合わせた観客が「終わりのないプロセス」に耐えられるかどうか疑っていた。しかし、彼らの実験的な演奏は多くの観客に好意的に受け入れられた。それは、キャロラインの音楽、そして彼らの存在が認められた瞬間でもあったのだろう。


そのときのライブに居合わせたジャスパー・ルウェインの父親は、クリスマスのあの気まずい演奏があったにもかかわらず、3時間も滞在していた。つまり、彼の父親は、彼の音楽の世界一の隠れたファンでもあるのだろう。しかし、ヒューズは、この日の演奏が非常に困難をきわめたことを暗に認めている。「あのときはクールだったけど、緊張しました」と彼は後になって語っている。「本当に疲れたし、終わった後、少しおかしくなったような気がしました。精神状態がとてもおかしかったんだ」

 

さらに、もうひとりのバンドの中心人物のマイク・オマリーにとってこの日のライブは大きな手応えとなった。それは彼らが何年もスタジオに閉じこもって制作してきた音源を、たくさんのオーディエンスが一緒に共有する準備が整ったという証拠でもあった。「他の人たちがグループとしてそういうことをしているのを目撃するのは、ある種、瞑想的なことなんだ」と彼は話している。




デビュー・アルバム『Caroline』の成功で、国内にとどまらず、海外にもロンドンの8人組、Carolineの名を轟かせることになった。もちろん、日本でもすでに耳の肥えたロックファンの心を惹きつけてやまない。

 

 こういった実験的なポストロック/アヴァンギャルド・フォーク作品が、なぜ海外でも一定のリスナーに快く受け入れられたのかは、これらのエピソードに見られる豊富な演奏経験、強かな実験性に裏打ちされたものなのである。このアルバムは商業的には大きな成功を収めなかったが、次世代に聴き継がれていく作品であることに疑いはない。これからの、彼ら、いや、Carolineがどのような新鮮な息吹をミュージックシーンにもたらすのか本当に楽しみで仕方がない。



2010年代半ばに南アフリカで誕生したAmapianoは、現在、ヨーロッパでも注目されるようになった。最近では、BBCでも特集が組まれたほどです。この音楽は、南アフリカのDJ文化の中で育まれ、10年代の変わり目にブームを巻き起こし、音楽業界を席巻し、この国で最も速いスピードでジャンルが確立された。多くの愛されるジャンルからインスパイアされたスタイルを持ちながら、全く新しい現象を生み出しているアマピアノは、この3年間ですっかり世界で有名になったのです。


一説では、このAmapianoというジャンルは、2012年頃に初めて生まれ、南アフリカの北東部にあるハウテン州のタウンシップで、最初にブームになったのだそう。しかし、現在のところ、アマピアノの正確な誕生地については、さまざまなタウンシップが主張しているため、まだまだ議論の余地がありそうです。少なくとも、ヨハネスブルグの東に位置する町、カトレホン、ソウェト、アレクサンドラ、ヴォスロラスといった場所でサウンドが流通し、アマピアノは独自の発展を遂げていきました。Amapianoに見られる、Bacardi music(「Atteridgevilleの故DJ Spokoが創設したハウス、クワイト、エレクトロニックの要素を吹き込んだハウス・ミュージックのサブジャンル」)の要素は、この面白いジャンルがプレトリア(南アフリカ共和国ハウテン州北西部のツワネ市都市圏にある地区)で生まれた可能性を示唆するものとなるでしょう。


もうひとつ原点が曖昧なのは、その名前の由来です。”Amapiano”は、イシズールー語、イシクソサ語、イシンデベレ語で「ピアノ」を意味するという。このジャンルの初期のピアノ/オルガンのソロやリックに直接インスパイアされた名前だという説もあるようです。Amapianoは、ディープハウス、ジャズ、ラウンジミュージックをミックスしたものと言え、初期のサウンドに大きな影響を与えました。シンセ、エアリーなパッド、そして、「ログドラム」として有名なワイドなパーカッシブベースラインが特徴です。このベースラインは、このジャンルを際立たせ、Amapianoの真髄とも言えるサウンドを生み出すのに欠かせない特徴の一つです。このログドラムというスタイルを最初に生み出した人物は、TRPこと、MDUというアーティストです。


Kabza De Small

 

「正直、何が起こったのかわからないんだ」このジャンルのパイオニアであるKabza De Smallは、「彼がどうやってログドラムを作ったのかわからない」とコメントしている。「アマピアノの音楽は昔からあったが、ログドラムの音を考え出したのは彼だ。この子たちは実験が好きなんだ。いつも新しいプラグインをチェックしてる。だから、Mduがそれを理解したとき、彼はそれを実行に移したんだよ」


このジャンルはすぐにメインストリームになった。2017年と2018年頃、アマピアノはハウテン州の州境の外でも人気を博すようになる。その頃、南アフリカらしいもうひとつのジャンル、iGqomが最盛期を迎えていた。iGqomは、Amapianoと同時期にクワズールー・ナタール州のダーバンで生まれ、2014年から2017/18年にかけて一気に全国的に知名度が上がった。その後、アマピアノはiGqomを追い越して国内の音楽シーンのメインストリームに上り詰めた。


アマピアノは、2020年代、そして、ミレニアル世代とZ世代の若い若者のカルチャーを定義する著名なジャンルとなった。南アフリカにおけるダンスミュージックの人気は、常に若い世代に与える影響によって測られてきた。80年代のバブルガム・ミュージックから、バブルガム/タウンシップ・ポップ、クワイト、バカルディ、ソウル、アフロハウスなど、サブジャンルはメインストリームに入り込み、一度に何十年も支配してきた。


「アマピアノは、南アフリカの若者の表現であり、逃避行である。アマピアノは、南アフリカの若者たちの表現であり、逃避行だ。若者たちが日常的に経験している苦労や楽しみを表現している」と、アマピアノで有名なDJ/プロデューサーデュオ、Major League DJzは語っています。「音楽、ダンス、スタイルは、彼らが南アフリカの若者の純粋なエッセンスを見る人に見せるための方法でもあるのさ」


Major League DJs


Major League DJsは、このジャンルの成功と国際的な普及に貢献した第一人者として数えられる。2020年のパンデミック時に流行した彼らの人気曲「Balcony Mix」は、Youtubeで数百万回再生され、Amapianoに海外市場を開拓した。今年、彼らは、(Nickelodeon Kids Choice Awards 2022)ニコロデオン・キッズ・チョイス・アワード2022にノミネートされたことで話題を呼んだ。


そしてもうひとつ、アマピアノというジャンルを語る上では、DJストーキーの存在を抜きにしては語れない。彼は、ミックステープやDJセットを通じて、この音楽を広めたDJの一人として知られています。さらに、Kabza De Small、DJ Maphorisa、Njelicなど、多くのDJがこのジャンルを国内で成長させ、アメリカやヨーロッパで国際的なライブを行い、そのサウンドを国外に普及させることに大きな貢献を果たしてきたのだった。

 

その後、アマピアノのオリジナルサウンドとは対照的に、このジャンルのメインストリームでは、不可欠な要素となっているボーカルを取り入れるようになりました。結果、このジャンルには新しいタイプのボーカリストが誕生し、その歌声を生かした楽曲がスマッシュヒットとなった。Samthing Soweto、Sha Sha、Daliwonga、Boohle、Sir Trillなど、多くのシンガーが公共電波に乗ったヴォーカリストとして認知され、着実にキャリアを積みあげていったのです。


このジャンルのもう一つの重要な要素はダンスです。ダンスは、南アフリカのカルチャーやナイトライフの大きな部分を占めています。iGqomのibheng、Kwaitoのisipantsulaのように、Amapianoの曲は曲よりも大きなダンスを生み出し、ソーシャルメディアのプラットフォームで挑戦することもある。


Amapiano is a lifestyle(アマピアノはライフスタイル)」というフレーズは、若者への影響を説明するのに役立っている。アマピアノのライフスタイルは、さまざまなスタイルと影響を融合したものです。


南アフリカのポップ・カルチャーの現状は、ヒップホップ・ファッションとハウスミュージックの文化が混在しており、Amapianoは、おそらくその中間点に位置しています。Amapianoは、多くの流動性を含み、常に進化し、各アーティストが新しいものを取り入れながら、日々、進化しつづけているため、一つの方法でこれというように表現することは難しいようです。今後、またこのジャンルから新たな派生ジャンルが生まれるかも知れません。この10年はまだ初期段階にあり、今後2〜3年の間にアマピアノがどこまで進化するかはまだわかりません。しかし、このジャンルは、生活やメディアの範囲を変え、いつまでも衰退する気配がないようです。

 


2020年代の新たなブラックミュージックの潮流を形作るアーティストとしてあげられるのが、ワシントン出身のソウルシンガー、ヤヤ・ベイです。彼女は現在、ワシントンからブルックリンに拠点を移し、活動を行なっている。

 

2022年6月17日、ブルックリンのシンガーソングライター、Yaya Bay(ヤヤ・ベイ)は、大胆かつ優しいデビューアルバム『Remember Your North Star』をリリースし、高評価を受けて、国内外で期待アーティストとして注目を浴びることになりました。

 

ヤヤ・ベイは、モダンR&Bの新しい潮流として位置づけられる自身の音楽性の骨格を形作る上で、そのインスピレーションの源泉として、グラミー賞を受賞し、今年50周年を迎えるロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイの1972年のデュエット・アルバム「ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイ」を挙げています。そして彼女の音楽の聴き方を変えたという幼少期のエピソードを語った。

 

ヤヤ・ベイは自分の音楽観を形成する上で欠かすことができないものとして、ロバータ・フラックとドニー・ハサウェイのセルフタイトルのデュエットアルバムの影響を挙げています。最初にこの素晴らしいレコードに出会ったのは、13歳の頃、祖母の家の地下室で叔父のレコードをこっそり聴いた時だったという。

 

この劇的なアルバムを発見したのと同時期、ラッパーのスカーフェイスの「On My Block」という曲がラジオで流れているのを聴き、フラックとハサウェイの曲「Be Real Black For Me」をみずからサンプリングした。つまり彼女の父親が、この2曲の点と点を結ぶように手ほどきをしてくれたのです。

 

「父はラッパーであり、ヒップホップのプロデューサーでもあるので、おさないころの私にレコードをかけては、サンプルを当てさせたり、古いレコードをかけては、こんなものが、これをサンプリングしているんだと色々教えてくれました。私が初めて曲の中にあるサンプルを確認できたのは、たぶん『Be Real Black For Me』だったかと思います」


ヤヤ・ベイの父親はラッパーの”Grand Daddy I.U”。1989年に、Biz MarkieのCold Chillin' Recordsと契約していた。ヤヤ・ベイによると、彼女の父は、幼い頃から音楽について多くのことを教えてくれたというが、歌うことについては何度か思いとどまらせられたという。「父は、私に歌うべきでない、と言いましたが、曲を書くことを勧めてくれた」と彼女は語る。「父はいつも私が良い作曲家だと思ってくれていた」と。


ヤヤ・ベイが詩や歌を書き始めたのは、小学生の時だった。ハサウェイとフラックのコラボレーションアルバムのオープニング曲「I (Who Have Nothing)」は、片思いを嘆く憂鬱な歌詞であり、彼女はその歌詞に惹きつけられたことをいまでもよく覚えているのだそうです。この曲は、「ハウンド・ドッグ」や「監獄ロック」で有名なジェリー・ライバーとマイク・ストーラーの伝説的コンビがカルロ・ドニーダの書いたイタリアの曲をアレンジして書いたものです。有名なところでは、トム・ジョーンズやシャーリー・バッシーもカバーしています。


「この曲は、私が座って聴いて、頭の中にイメージが浮かび、歌詞から物語を作ることができた最初の曲でした。そして、ダニー・ハサウェイの歌声は、私たちがこれまで経験した中で最も特別な歌声のひとつだった」

 

ダニー・ハサウェイは、これからの活躍が期待された時代に、悲劇にも、わずか33歳の若さで自殺したものの、重要なアーティストにはかわりありません。ジョージ・ベンソン、アリーヤ、コモン、アリシア・キーズなど様々なアーティストに影響を及ぼしたとも言われる。例えば、エイミー・ワインハウスは、ハサウェイを、これまでで最も好きなアーティストと呼んでいたのです。


「ダニー・ハサウェイが歌うものはすべて、彼が言っていることと関係があると信じるれるほど歌詞を誠実に歌っている」と語る。さらに、ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイは「自身の音楽の聴き方そのものを変えた」とも語っている。「特に作家として、より多くのものを聴くようになってから、耳をオープンにするのに役立った。歌詞を聴き、メロディーを聴き、彼らの声のトーンを聴くようになった。このアルバムを聴くまでは、そんなことはしていなかったし、意識もしていなかったと思う」


フラック、ハサウェイ、両者のR&Bシンガーに影響を受けたヤヤ・ベイの歌詞はすべて、”愛と人間関係”をテーマに置いている。ヤヤ・ベイがインスピレーションを受けたのは、愛の物語をより広い政治的・文化的テーマと絡める先人たちの特質なのです。


「ただ、単にロマンチックな愛だったり、公園の散歩を歌っているように見える曲でも、そこには必ずその時代に人々が経験している感覚を反映している」と「Be Real Black For Me」について次のように語っている。

 

「この時代は、ブラック・パワー・ムーブメントの黎明期であって、黒人が髪をナチュラルにし始めたり、つまり黒人であることに誇りを持ち始めた過渡期だったのね」彼女は語る。「"Be Real Black For Me "はラブソングだけど、曲の物語に連なりを与える表面的なレベルを超え、人々にとって重要なことを取り上げる方法を見つけだした」と。

 

ヤヤ・ベイ自身の歌詞も同様に重層的である。アルバムのある曲では、世代間のトラウマと透明感の感情を表しており、さらに、別の曲では、自己価値と資本主義の破壊的な影響を巧みに融合してみせている。今年6月にリリースされた『Remember Your North Star』は、ヤヤ・ベイが別のEPとLPを手掛けながら制作したアルバムだった。しかし、当初は『Safe Travels(安全な旅)』というタイトルになる予定だったという。これはどういう意味があったのだろう??


「曲を煮詰めるための時間が必要でしたし、このアイデアを実現するために、私は別の、より強く、より経験豊かなアーティストとして成長する必要がありました」とヤヤ・ベイは振り返り、新しいタイトルの『Remember Your North Star』は、仮タイトルの”Safe Travels”よりも自己主張性が強いように感じた、と付け加えている。さらに、「”北極星”というコンセプトは、それ自体がより確かなものに感じられる。自分の北極星が何であるかを知らなければ、それを目指すことはできない」とも話している。

 

ヤヤ・ベイはまだデビューアルバムをリリースしたばかりですが、これからブラックミュージックの新たな流れを形成してくれそうなシンガーソングライターとして注目です。


 

 Yaya Bay  『Remember Your North Star』

 


 

 Listen/Buy:

 

https://yaya-bey.lnk.to/rynsAT 


Florist


Floristが、先週(7月29日)”Double Double Whammy”からリリースしたセルフタイトル『Florist』は、鳥の声のサンプリングが導入されているほか、自然味あふれる作風となっており、早耳のリスナーの間で話題を呼んでいる作品でもあります。近年の米国のフォークシーンでは、こういった都会的な趣とは先端帯の自然の雰囲気を擁する作風が増えてきている。このアルバムには、フローリストのたおやかなフォークセンスが濃縮されているだけでなく、バンドメンバーとして、また親友として、彼らを結びつける強力な愛情の証ともなっている。


フローリストのシンガーソングライター兼ギタリストを務め、バンドの中心的な人物であるエミリー・スプラグは、まずはじめにこのアルバムが完成へとこぎ着けたことについて、バンドメンバー、彼らとの人間関係に深い感謝をする。そこには、スプラグの他のメンバーへの深い信頼の思いを読み解くことができる。スプラグは、アルバムの制作段階を振り返るにあたって、「このアルバムを一緒に作るにあたってとても重要であったのは、メンバーがお互いに協力し合い、直接的な意味でつながっていることの意味そのものを祝うことであり、同時に、私たちが多くの人と協力していることを伝えることでした。それは基本的に人生の意味であり、多くの意味で、つながりから意味を見出そうと努力し続けることに価値がある理由です」と話しています。これは、数年間、深い孤独を味わったこらこそ引き出された重みのある言葉だ。


フローリストは、2013年と結成されてからか久しいバンドです。にもかかわらずそれほど多作なバンドとは言いがたい。それはこのバンドが音楽というものの価値を深く知っているだけでなく、音楽を心から大切にしている証ともいえるでしょう。四人のメンバーは功を急がず、その現在位置をしかと捉え、丹念にアルバムを作り込むことで知られている。これらの要素がインディーミュージックファンをうならせるような緻密な作風となる最大の理由といえる。

 

フローリストは、エミリー・A・スプラグを中心に四人組のバンドとして常に緊密な人間関係を築いてきたが、2017年にリリースされた2ndアルバム『If Blue Could Talk』の後、バンドは少しの休止期間を取ることに決めた。その直後、エミリー・スプラグは母親の死を受けたが、なかなかそのことを受け入れることが出来ず、「どうやって生きるのか」を考えるため、西海岸に移住した。その間、エミリー・A・スプラグは『Emily Alone』をリリースしたが、これは実質的にFloristという名義でリリースされたソロ・アルバムとなった。しかし、このアルバムで、スプラグは既に次のバンドのセルフタイトルの音楽性の萌芽のようなものを見出していた。バンドでの密接な関係とは対局にある個人的な孤立を探求した作品が重要なヒントとなった。


その後、エミリー・スプラグは、3年間、ロサンゼルスで孤独を味わい、自分のアイデンティティを探った。深い内面の探求が行われた後、彼女はよりバンドとして密接な関係を築き上げることが重要だと気がついた。それは、この人物にとっての数年間の疑問である「どうやって生きるのか」についての答えの端緒を見出したともいえる。このときのことについてスプラグは、「ようやく家に帰る時が来たと思いました。そして、「複雑だから、辛いからという理由で、何かを敬遠するようなことはしたくない」とスプラグは振り返る。だから、もう一人でいるのはやめようと思いました。もう1人でいるのは嫌だと思った」と話している。


彼女は2019年6月、フローリストの残りのメンバーであるリック・スパタロ、ジョニー・ベイカー、フェリックス・ウォルワースと再び会い、レコーディングに取り掛かった。セルフタイトルへの制作環境を彼女はメンバーとともに築き上げていく。バンドは、アメリカ合衆国の東部、ニューヨーク州を流れるハドソン渓谷の大きな丘の端にある古い家をフローリストは間借りし、その裏には畑と小川があった。スプラグとスパタロは先に家に到着し、自然の中に完全に浸ることができる網戸付きの大きなポーチで機材をセットアップすることに決めた。これらの豊かな自然に包まれた静かな制作環境は、このセルフタイトル『Florist』に大きな影響を与え、彼らに大きなインスピレーションを授けた。フォーク音楽と自然との融合というこのアルバムの主要な音楽性はこの制作段階の環境の影響を受けて生み出された。もちろん、アルバムの中に流れる音楽の温もりやたおやかさについてはいうまでもないことである。これらのハドソン川流域の景色は、このメンバーに音楽とは何たるかを思い出させたとも言えるだろう。


 



その結果、驚くべきフォーク音楽、まさにコンテンポラリーフォークの要素に加え、アンビエントのように生活環境のある音が実際の音の素材としてとりいれられたことは自然な成り行きであった。このセルフタイトルでは、鳥のさえずり、木々の柔らかな風、葉のかすかなざわめきがふんだんに盛り込んだレコーディングとなった。それはほんとどこの四人組が自然のなかに響いている音楽の美しさに思い至り、それを多彩な手法で取り入れていることがこの作品の多くのリスナーを魅了する理由ともなっているようだ。「6月9日の夜」には、アンビエント・フォークの背後にコオロギの鳴き声が聞こえるし、「ギターと雨のためのデュエット」では、バックの土砂降りが、指で弾く繊細なリフに完璧に寄り添う別の楽器のように聴こえる。また、"Finally "では柳のようなシンセサイザーが流れ、川や鳥、花などのモチーフが散りばめられ、穏やかなハーモニーを奏でている。実に、ハドソン渓谷にある生きた音を実際の三宝リング、そしてシンセサイザーといった多角的なアプローチにより練度の高い作風となっているのです。


しかし、ニューヨーク州のハドソン渓谷での録音はお世辞にも実際の作風とは裏腹に、ロマンチックな制作環境とは呼べなかったようだ。このレコーディングの環境は、作風の中に見える表向きのイメージとはまったく異なるもので、「科学的、臨床的な観点から言えば、あそこで活動するのは最悪のアイデアだった。私たちが作ったものは、すべて楽器店に一旦持ち込まなければならなかった」とジョニー・ベイカーは言う。「いや、でも、あれは衝動的なものだった。彼らは、あのポーチを見て、あそこで魔法が使える、これは物語の一部になり得ると思ったんだ」。


これは冗談ではない。彼らは親密な関係を通して、魔法のような魅力を持つアルバムを制作している。互いへの信頼は、このアルバムの中にみえる緊密なストーリーを通して目に見える形で表れている。彼らはシームレスに連携しながらも、Floristは単一の生物になろうとするのではなく、全体が機能するために彼らだけが果たすことのできる特別な役割を全員が持っている生態系全体になろうとしているのである。 

 

ポーチでの即興ジャムセッションから生まれた即興インストゥルメンタル曲「Sci-fi Silence」での羽のようなボーカルの楽な融合も、このアルバムにはお互いを信じる気持ちがあり、誰かが自分を完全に見ている時にだけ感じられる安心感を与えている。作品全体に漂う奇妙な温もり、それは彼らの信頼関係が表れ出たものなのだ。その後、しばらく、バンドメンバーは自分たちがお互いに感じている純粋な「魔法と愛」をどのように捉えられるかを考えていた。そして、レコーディングの後に完成した『Florist』でばらばらとなっていたピースが揃い、セルフタイトルにふさわしい作品として出来上がった。



「このアルバムがいかに特別なものであるかと気づかせてくれた」とジョニー・ベイカーは言う。でも、このアルバムを作っていた時、「待てよ、これは特別なことだ、僕たちはこれに惹かれ、これを必要としている、そして僕たちはお互いを愛しているんだ」という瞬間があったんだ。それ以外の他の言葉では表現できない。突然、その辺の言葉や、実際に意識的に理解したような気がしたんだ」。


このアルバムの音楽には、彼らの生活がそのまま反映されている。ウォルワースが作ってくれるストロベリー・ルバーブ・パイ、ワインを優雅に飲む夜、そしてレコーディングを始めることになった午後5時まで、ただメンバーが一緒に過ごす日々の音が聞こえてきそうでもある。彼らの利害関係を超えた、ビジネス関係を超越した温かで純粋な友情はこのアルバムにも表れ出ていて、実際の音楽の温度にぬくもりや優しさのような情感をもたらしている。「あなたは私が持っているものではなく、私が愛しているものだ」というような曲に見られる歌詞だけでなく、最小限の、しかし、意味のある楽器演奏に見られる繊細さをしたたかに物語るものとなっています。

 

セリフタイトル『Florist』の最大の魅力、この数年間で見出した人生の素晴らしさをフローリストのスプレイグは次のように話している。それは音楽の価値にとどまらず、魅力的な人生を築き上げる上での教訓、見本のような言葉が込められている。「これらの曲の多くは、自分の人生にいる人々について、また、自分の人生に人々がいること、また、いないことのどちらが価値があるかということについて書かれています。これらの曲は、家庭や家族と再びつながることの強さと力を見いだし、たとえそれがちょっとした苦痛に感じたとしても、その反対側にありありと見えてくるというものです」と、エミリー・スプレイグは語っています。「きっとだれだって心から人を受け入れるのは怖いだろうし、何かを失うことへの恐怖は常に人生につきものなんだと思います。それでも、今回、私達がリリースした19曲を収録した『Florist』は、”お互いを愛する”ことが、この世界を生き抜くためのたったひとつの方法であることを証明しています」

 

それはこのアーティストから提言であり、必ずしも、その考えを押し付けるものではない。こういった考え方もあるとだけ示しているだけである。それでも、わからないなかでもなにかをわかろうとすることの重要性、フローリストは、この作品でそのことをわたしたちにおしえてくれる。それがこの作品のいちばんの魅力といえるかもしれない。セルフタイトル作でフローリストは、2つの選択肢をわたしたちに示してくれている。人間は、いつも、ひとりで孤独に生き、複雑な人間関係を避けることにより自己を守ることもできる、あるいは、また、エミリー・スプラグが言うようにこの世で誰かと緊密に協力しあい、「彼女は、鳥の歌の中にいる、彼女は消えない」と暗喩的に歌う「Red Bird Pt. 2(Morning)」に象徴されるように、複数の人間関係の中でいくつかの困難を乗り越えながら、その先にある開かれた愛を経験することもできる。

 

 

 

 

 

『Florist』 

 


Listen/Streaming Official: https://lnk.to/florist

 


 

PVA Via Ninja Tune Official Profile
 

 サウスロンドンのトリオ、PVAが今年10月にデビューアルバム「Blush」をNinja Tuneよりリリースする。(特集記事はこちら)


PVAは、Ella HarrisとJosh Baxter(ボーカル、シンセ、ギター、プロダクション)、Louis Satchell(ドラム、パーカッション)で構成されている。

 

デビュー・アルバムとなる『Blush』は、アシッドハウス、ディスコ、エーテル系シンセサイザー、ポストパンクを組み合わせた個性的な作品となっている。


この新作アルバムは、Big Dadaからリリースされた2020年のEP『Toner』のフォローアップとなる。10月14日のリリースに先立ち、『BLUSH』のプレオーダーが開始されています。ここで、このサウスロンドンの新星、PVAの経歴、このデビュー作完成までの大まかな経緯を以下にご紹介します。

 

 

 ニンジャ・チューンからリリースされるサウスロンドンのバンド、PVAの素晴らしいデビューアルバム『BLUSH』は、エレクトロニックミュージックの鼓動と人生を肯定するライブギグのエネルギーを巧みに統合し、これまで語られてきた以上のトリオの姿を明らかにするものとなるだろう。



エラ・ハリスとジョシュ・バクスター(リード・ボーカル、シンセ、ギター、プロダクションを担当)、そしてドラマーとパーカッショニストのルイス・サッチェルによる11曲は、アシッド、ディスコ、強烈なシンセ、ダンスフロア、クィアコード・シュプレヒゲサングのポストパンクで構成されている。



この緊密なトリオは、ハリスとバクスターが2017年に一緒に「カントリー・フレンド・テクノ」と名づけたものを作り始めたことから始まった。最初の曲のひとつは、ハリスが自分の夢を新しいバンドメイトに口述したことから生まれ、最初のライヴは、ニュークロスのThe Five Bells pubで行われたNarcissistic Exhibitionismという伝説の一夜であり、彼らが出会ってからわずか2週間後に開催された。このショーはエラ・ハリスのキュレーションによるもので、2階は絵画、彫刻、写真、1階はバンドがフィーチャーされていた。彼女は、PVAをヘッドライナーとしてブッキングした。

 


 この初期の段階を経て、彼らはライブショーに新しい次元をもたらすためにルイス・サッチェルを採用した。このように、より硬派なライブを行うことで、PVAはロンドンのギグファンの間でカルト的な評判を確立した。その時点ではライブをおこなことが彼らの唯一の選択肢であった。トリオは、Squid、black midi、Black Country、New Roadと並んで、南ロンドンの熱狂的なインディー・シーンにおける最重要アーティストとしての地位を確立する。その後、「SXSW」、「Pitchfork Music Festival」、「Green Man」に出演し、Shame、Dry Cleaning、Goat Girlと共に国内ツアーを行うようになった。だが、初期の段階から、従来のバンド編成の枠を超えた存在であることは明らかだった。ブリクストンのスウェットボックス「The Windmill」と、デプトフォードの地下クラブ「Bunker」で早朝からDJをする彼らを一晩で2回も見ることも珍しいことではなかったという。



彼らは、2019年末、Speedy Wundergroundからデビュー・シングル「Divine Intervention」をリリースし、その1年後には、Young FathersやKae Tempestといった同様に、イギリス国内の象徴的なアーティストが所属する”Ninja Tune”からデビューEP「Toner」をリリースしている。このEPには、ムラ・マサの「Talks」のリミックスが収録されており、2022年のグラミー賞のベスト・リミックス・レコーディング部門にもノミネートされた。



デビュー・アルバムでは、ライブ・サーキットのエネルギーをそのままに、テクスチャーとハートに満ちたホリスティックな世界を構築する。『BLUSH』は、重厚なパンチを放つインダストリアル・サイズのビート、パンク・スピリット、エラ・ハリスの詩的な歌詞による静かな瞑想の瞬間に溢れている。Portishead、PC Music、Laurie Anderson、カルト的なレイブポップデュオ”The Pom-Poms”などの影響を簡単にリンクさせながら、全編を通して疲れを知らずに疾走している。



ドラムのルイス・サッチェルは、「僕たちは人々を驚かせたかったし、ギグで自分たちの音を伝える以上のことをしたかったんだ」と説明する。

 

「このアルバムは、精神的な問題に関連することもあるけど、アルバムを作る上での日常的な不安もあるんだ。不安定な道のりだったけど、いつも自分たちを奮い立たせているんだ」

 

期待に応えようとするグループの音であり、トリオは新しい可能性の世界を開くアルバムを提供する。

 

音楽が簡単にカテゴライズされないことは、PVAにとってごくごく普通のことで意図することではないかもしれないが、『BLUSH』はバンドの世界の他の要素をこれまで以上に明確にしている。過去2年間、エラ・ハリスは、”Lime Zoda”としてソロ活動を行い、2冊の詩集を執筆したが、その多くはPVAのデビュー・アルバム『BLUSH』の歌詞のベースとして使用されたものである。


 デビューアルバムのオープニングを華々しく飾る「Untethered」は、「制限的で閉鎖的なストレートな関係の中にいること」について歌われているという。

 

「基本的には、男らしさに対する本当にイライラした怒りと、そのヘテロ規範的な状況から自分を解放して世界を探求することができないことへの憤りを表現している 」とバンドのエラ・ハリスは説明している。一方、「Untethered」は、そのような解放を達成したことから生まれた祝福の瞬間ともいえる。


この曲には、静止していることが不可能になるような流動的なエネルギーに満ちていて、ここに表現されているーー移行、喜び、ネガティブな状況のリフレーミングーーというテーマは、このデビュー作『BLUSH』全体に通底するものである。 エラ・ハリスはロックダウンの期間、数多くのセラピーを受け、人生の多くの大きな状況に折り合いをつけた。

 

「私は自分自身をより幸せに感じていて、それは曲にとっても本当に重要なことでした」と彼女は言います。



これは、もうひとりのメンバーであるジョシュ・バクスターも同じ思いを共有している。「僕は、エラを通して、様々な形で自分のクィアネスをのびのびと表現することができる」彼は「Bunker」とインダストリアル・バンガー「The Individual」の両方のトラックでボーカルを担当しており、これは、アイデンティティと自分自身の中に見えるキャラクターを扱った曲となっている。

 

「このアルバムは、私たちが人間としてどのような存在であるかを探求しているんだ」とジョシュ・バクスターは言う。

 

「僕たちは皆、個人的な成長をしてきたし、このアルバムは僕たちがもっと自分らしくいられるように、そしてそれに心地よくなれるようにということを歌っているんだ」


 

 サウスロンドンは、ラップを始め、パンク、インディーロック、エレクトロニック、おそらくイギリスの中でも最も活発なシーンが形作られており、多くの若い才覚あふれるアーティストがシーンへの登場の機会を虎視眈々と伺っている。まさしく、どれほどディグしようとも探し尽くすことは難しい才能の宝庫のような場所、サウスロンドンからデビューアルバムをリリースするトリオ、PVAにぜひとも着目したいところである。


ニンジャチューンからリリースされるデビュー・アルバム『BLUSH』は、ロックダウン中に書かれている。たしかに、この苦難多き時代は、ステージでのライブで自分たちのサウンドの限界を見いだそうとするバンドにとり大きな試練の時であった。だが、逆境は、PVAを凌駕しない。PVAは、逆境を常に凌駕する存在である。それは、抜きん出た才覚を有する彼らにとって、サウスロンドンの最深部から劇的なデビューを果たすため、”爪を研ぐ期間”---自分たちのソングライティングを磨きそれを強化するための期間ーーに過ぎなかったと言える。


 






PVA 『Blush』

 

 
 
Label: Ninja Tune
 
Release:  2022年10月14日 
 


Tracklist:

1. Untethered
2. Kim
3. Hero Man
4. Interlude
5. Bunker
6. Comfort Eating
7. The Individual
8. Bad Dad
9. Transit
10. Seven (feat. Tony Njoku)
11. Soap

 

Pre-order:

https://linktr.ee/pva_ 


Yasuaki Shimizu Credit: Fabian Monheim

 静岡県島田市に生まれた清水靖晃は、幼少時代から聴覚的なものに魅了されていた。サックスなどの楽器を習い、さまざまなジャンルの音楽に親しんだほか、録音や無線通信にも夢中になった。特に昆虫に興味を持ち、昆虫が発する音とモールス信号の類似性を見出しました。清水は、幼少期から身の回りのあらゆるものが音楽的であるという意識を育み、それが創作活動のすべてに反映されてきた。


しかし、昆虫の鳴き声の録音で有名になったというよりも、清水が70年代に日本中で広く知られるようになったのは、サックスの腕前によるものだった。その後、ソロ活動、マライア・バンド、サキソフォネット・プロジェクトを立ち上げる。また、映画やCMの作曲家としても活躍し、SEIKO、HONDA、シャープなどのサウンド・アイデンティティとなる楽曲を制作している。エレクトロニクス、クラシック、ジャズ、フィールド・レコーディング、サウンドトラックなど、ジャンル、空間、フォーマットを問わず、その革新的で前衛的な音楽性はかねてより一貫している。

 


1978年から1984年にかけて、清水は14枚のソロアルバムをリリースし、同時に日本のシンセグループ、マライアやサウンドトラックを率いて、魅力的な作品を発表した。この時代は清水がクリエイティブの頂点にあった時期であることは間違いないが、アルバム『Kiren』は存在すると信じられていたものの、2022年にPalto Flatsからリリースされるまで日の目を見ることはなかった。その期待に応え、彼の実験的で妖しい芸術性の中にある独特の宝石のようなアルバムに仕上がっています。


このPalto Flatsからリリースされた『Kiren』のライナーノーツを元に、作家、DJ、プロデューサーであるChee Shimizuさんが、このアルバムがどのように生まれたかを以下のように紹介しています。


試行錯誤の末、1982年にアルバム『Kakashi』を発表し、1983年にはマライアの最後のアルバム『うたかたの日々』を完成させる。その直後、古いアメリカのスタンダードをカバーしたアルバム『L'Automne À Pékin』や、ラテンアメリカの音楽を探求したアルバム『Latin』を発表している。キレン』(1984年)も合わせると、わずか3年の間に5枚の画期的なアルバムを録音したことになる。


「ラテン」と「キレン」は、ほぼ同時期に同じスタジオで録音されたが、どちらもレコード会社のプロジェクトではなかった。清水と、彼の偉大な協力者であった故・生田アキ氏との自由な共同作業の中から生まれたのである。「ラテン」自体は1991年まで日の目を見ることはなかったが、この2枚のアルバムは、「カカシ」「うたかたの日々」で見せた確信をさらに追求し、別のステージに移る直前の、彼の最もエネルギッシュな作品と言えるかもしれない。確信とはどういうことか。清水自身の以下の言葉である程度説明できるかもしれない。"その時、子供の頃から興味を持っていた様々な要素が、自分の中で集まって一つの有機物になっていることを認識できました”


 清水靖晃は、幼い頃から、ジャズ、ラテン、ハワイアン、シャンソン、クラシックなど、さまざまな音楽を聴いてきたという。日本では、こうした西洋の音楽が輸入され、独自に発展しながら、邦楽のような大衆音楽の中に組み込まれてきた歴史がある。 清水は、「これ」と決めたものはなく、できる限りいろいろな音楽を幅広く聴いていた。 

 

洋楽だけでなく、祭囃子(ばやし)や民謡、そしてそれらをベースにした現代的(情緒的)な演歌など、日本の古い音楽にも足を運んだ。 このような幅広い音楽を聴きながら、それぞれの音楽が持つ文化的な意味について考えていた。 また、幼い頃から無線通信や録音技術に興味を持ち、虫の声を録音してモールス信号と似ていることに気づいた。 このように、音楽や音に対する好奇心は、ある種の "遊び "を通して育まれてきた。 そのことが、その後の実験的な音楽づくりにつながっているのだろう。 

 





清水は『キレン』を「自分というイメージの中のダンス」と呼んでいる。 それはどのようなダンスなのだろうか。

 

これは、何らかの民族的なコンテンポラリーダンスなのか、それとも純粋に想像上の祭りの踊りなのか。 「キレン」の中の少なくとも2曲、「あした」と「かげろふ」は、特定の民族に由来しない原始的なリズムで自由自在にドライブしている。 マライアのアルバム「うたかたの日々」に収録されている「そこから」という曲は、清水靖晃がギタリストの土方隆行と故郷の祭りばやしについて語り合い、そのリズムをポリリズムとして導入したものであった。 清水にとって、リズムはダンスと同じであり、音楽をやる上で非常に重要なファクターともなっている。 

 


 90年代後半から、J.S.バッハのチェロ組曲が清水さんの音楽づくりの大きな要素になっているが、ここでもリズムが重要な役割を担っている。

 

2007年の代表作『ペンタトニカ』に至るまで、ペンタトニックスケールと、それが生み出すスケールやハーモニクスとメロディーの関係は、近年、清水にとって不可欠なテーマになっている。 ペンタトニックスケールは、西洋音楽の音階が「7音」であるのに対し、1オクターブの音域が「5音」である。 

 

日本の音楽には、歴史的に、2つの音を取り除いた「よなぬき音階」と「にろぬき音階」という2つのペンタトニック音階が存在する。 ”よなぬき”(Ⅳ、Ⅶ抜き)、については、全音階の四度と七度が音階(スケール)の中に登場しないことからこの名で呼ばれる。同じように、”にろぬき”(Ⅱ、Ⅵ抜き)についても、全音階における二度と六度が旋律の運行の中に登場しない。これらの独特な音の運びは、西洋の教会旋法(パレストリーナ旋法等)に近く、古くから、民謡、唱歌、歌謡曲、演歌に使われ、日本人の情緒性に深く関わって来た。 また日本音楽は、以上の音楽形式よりはるかに古来から伝わる「能」、「舞楽」、「雅楽」、「田楽」といった舞踊に付随する伝統音楽に代表されるように、自然の中にある音と人間の心の機微(侘び、寂びーWabi-Sabi)を結びあわせたものとし、古来から東アジアの中で独自の発展を遂げてきたわけである。


この「よなぬき音階」や、「にろ抜き音階」については、アフリカや東アジア諸国の音楽にもほとんど同じ音階が使われている。 「カカシ」の「美しき天女」は、もともとは明治時代の唱歌として作曲されたもので、西洋音階とは異なる日本固有の「よなぬき」の音階が使われている。 清水靖晃の作曲した『キレン』は、ペンタトニック音階を使った曲が多く、特に「にろぬき」という音階は彼の音楽に独特な感受性を与えている。 この作品において、現代の中にほとんど途絶えた日本音楽の旋法を彼は取り入れている。清水は、アルバム制作時に、基本的に何を作るか全く考えずにスタジオに入る。 レコーディングの過程でさまざまな実験が行われる。 『キレン』の制作過程でも、清水と生田は思いつくままにさまざまなアイデアを試していたという。


 

Pale Blue Eyes(PBE) Photo Credit: Sopie Jouvernaar

Pale Blue Eyesは、デビュー・アルバムを今年9月2日にFull Time Hobbyからリリースすると発表した。このバンドは既に英国のラジオBBC 6でヘビーローテンションが組まれている。おそらく伝説的なDJ,ジョン・ピールが存命であったなら、間違いなく肩入れしたであろう三人組のインディーロックバンド、Pale Blue Eyesとは一体、何者なのか。少なくとも、彼らはイングランドの田舎地方のトットネス出身の世界的な知名度を持たないロックバンドである。しかし、今後、彼らが強い存在感を英国内のミュージックシーンで持つようになる可能性は高い。ヤードアクトに続くニュースターとなるのか。そこまでは明言しかねるものの、彼らは、今後が楽しみなトリオだ。彼等は他のロックバンドとは一風変わったバックグランドを持ち、さらに音楽の他にも様々な活動を行っている。彼等の魅力今回、読者諸賢にご紹介していきたいと思う。

 

 

Chapter 1  大学の研究時代 メンバーの完成

 

2021年から発表されているシングルは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのサイケデリア、ステレオラブのキャッチーなグルーブを擁した楽曲として、イギリス国内のリスナーに好意的に受け入れられ、さらには英国の音楽メディアのClashにも取り上げられている。さらに、これらのシングルは、既に、BBC Music 6のオンエアのレギュラーを獲得し、ヘビーローテーションが組まれているという。

 

おのずとPale Blue Eysのデビュー・アルバム「Souvier」への期待も高まっている。彼らに注目するリスナーはまず目に狂いがない。彼らは正しい感性を持っている頼もしいリスナーたちなのだ。彼らの卓越したモダニストポップミュージックは、アイスランド、KLFランド、英国電子音楽の本拠地であるスティールシティを経由して、デボン、シェフィールドから発信されている。



ペイル・ブルー・アイズが所有する専用の「ペンキット・ミル・スタジオ」は、デビューアルバム「Souveir」のレコーディングにおいて重要な役割を担っている。PBEの所有スタジオは、ダートムーアの南に位置しており、頭上をハシビロコウが飛び交うデボンの緑の中にある。スープ工場、音楽フェスティバル、温室、映画館、お騒がせな企業イベントのバー営業、樹木医のアシスタントなど、バンドメンバーは、スタジオを作るために銀行ローンまで組んで、賃金の出るところでほとんどがむしゃらに働いた。すべては満足のいく作品をバンドとして作りあげるためだ。

 

PBEのデビュー・アルバム『Souvenirs』の中核は、シェフィールドのルーシー・ボードと南デヴォンのマット・ボードによって書かれ、録音されたものだ。マット・ボードとルーシー・ボードは、美術大学で出会ってから数年後の2018年に結婚している。つまり、彼らは夫婦なのだ。


「私たちが若かった頃、シェフィールドやプリマスの間に合わせのDIYの場所から、ウェールズのロックフィールドのようなレジデンシャル・スタジオまで、様々なスタジオで録音しました

 

とフロントマンのルーシーは言う。

 

ロックフィールドは、私たちにとって天国のような場所でしたが、2、3日しか滞在できない場所だったんです。僕らの夢は、もっとスタジオで時間をかけて、"時間 "に追われることなく曲を作り、自分たちでプロデュースする方法を学ぶことだった」



やがて、数年間の労働における苦労の末、バンド専用のPBEスタジオは完成した。このスタジオにすべての機材が到着した。それはレコーディングを行うには十分だった。Moog Little Phatty、Prophet 12、Roland Space Echo。Moon Funeral Fuzz、Big Skyリバーブ。スタジオにあるすべての機材と並んで、外部にみ重要な資源があった。中には、後にMoonlandingzやEccentronic Research CouncilのメンバーとなるAdrian Flanaganが監督したプロジェクトも含まれていた。

 

ルーシー・ボードは、その後、フラナガンのMoonlandingzの共同設立者であるディーン・ホーナーとも知り合うことになる。Róisín Murphy、I Monster、Human League、Add N To (X)などのアーティストとのスタジオ経験を持つディーン・ホーナーは、Pale Blue Eyesを語る上で重要な役割を担うようになった。彼は、アルバム「Souvenirs」のミキシングとマスタリングを担当し、レコード制作のアドバイザーも務めていた。つまり、プロデューサーに近い役割を担っていた。

 

ルーシー・ボードの大学を修了するときに書いた学位論文のタイトルは、音楽とは無縁ではない。既にこの頃から彼女の決意は固まっていたのだ。彼女自身のサウスヨークシャーのシンセサイザー革新への関心を明確にしている。「1973年から1978年までのシェフィールドのオルタナティブ・ミュージック・シーンに関する調査、特に、キャバレー・ヴォルテールについて」である。



ルーシーが故郷のハイファイ遺産を調査する一方で、マットの音楽的探究心はさらに遠くへ旅することになった。20代に入り、マット・ボードは、アイスランドで作っていたシガー・ロスの音に魅了された。ポストロックの代名詞の音楽は、世界の中でもっとも刺激的だったからそれもうなずけるような話だ。マット・ボードは、音楽修士課程で勉強している間に、何人かのアイスランド人に出会った。彼は学業に励むかたわら、スープ工場で働いて貯めたお金で、アイスランドに行き、しばらく過ごすことにした。首都、レイキャビク郊外にあるシガー・ロスのスンドラウジン・スタジオを訪れることになった。マットは、Sigur RósのスタジオエンジニアであるBirgir Jón Birgissonと共に、いくつかの形成的なレコーディングをすることになった。この最初期のアイスランドのポストロックシーンへの深い関わりは、このバンドに強い骨格のようなものをもたらしている。



ペイル・ブルー・アイズのストーリーを最後に完成させたのが、マベーシストのオーブリー・シンプソンだ。マットとルーシーとサウス・デヴォンの「Sea Change Festival」で出会い、3人目のバンドメンバーとして加入を果たす。オーブリー・シンプソンは、アメリカのR&Bのメインカルチャーを形作った名門レーベル「モータウンレコード」の大ファンで、同レーベルの専属ベーシスト、ジェームス・ジェマーソンに傾倒している。そのプレイにも強く影響されているという。

 

オーブリー・シンプソンは上記二人のシンセサイザーロック、そしてポストロックの要素に加え、ジャミングのようなジャズの要素を加える重要なメンバーである。彼は、様々なジャズ系アンサンブルで演奏しており、彼の父親が、Metronomy(イギリスのロックバンド、2022年には新作「Small World」を発表している」のJoe Mountと一緒にドラムを叩いていたという事実は、オーブリーの若さを物語っているようです。Pale Blue Eyesのオーブリーとマットは実は共通点があり、南デヴォンのマーケットタウンであるトットネスとその周辺で育った。トットネスは、環境保護とエンターテインメントの分野でイニシアティブをとり、社会文化のホットスポットとなっている場所である。

 

彼ら二人を引き合わせたフェスティバルは、Gruff Rhys、Aldous Harding、The Comet Is Coming、Peggy Seegerなどのアーティストを、人口8000人の半農村に招いたアート&ミュージック・スペクタクルであり、近年では、Sea Changeフェスティバルに象徴される知名度を獲得している。Sea Changは、マットが数年前から働いている「Drift Records」の人々によって制作されたもので、素晴らしいショップだ。ペイル・ブルー・アイズは、これらのトットネスの現地のネットワークの活動に強い触発を受け、彼ら自身もまたトットネスにおける持続可能な地域開発計画を支援するようになった。さらに彼らは、最近、ブライアン・イーノによる音と光のインスタレーションとともに、野心的な「Atmosプロジェクト」に音楽を提供している。既に、MetronomyやEnoを初め、デビュー前から大御所との関連性が強いバンドなのだ。


Pale Blue Eyesのデビュー・アルバムは、おそらく鮮烈な印象をイングランドのシーンにあたえるものになるはずだ。上記のようなシンセサイザー、インディーロックポストロック、ジャズ音楽に関する様々な要素が盛り込まれており、それが専用スタジオで何度も綿密に組み上げられていったため、付け焼き刃ではない洗練されたものとなっている。甘いシンセサイザーラインとメトロノミックなギターリフは、「デボン・クリーム・アデリカ」と呼ばれるように、アルバムにトランスポーター的な心を揺さぶる雰囲気を与えている。Globeのメロディアスなベースから、MotionlessやUnder Northern Skyのメタル調の明るいギターパートに移り、テレヴィジョンやエコー&ザ・バニーメンのWill Sergeantを思わせるようなサウンドが展開される。

 

ドイル/ベルリンのオールナイトテーブルテニスバーにちなんで名付けられたDr Pongのポップなフリークアウトは、アルバムがより広がりのあるゾーンに突入させる。ゴージャスなSFバラード/セットピースのChelseaは、美しい音楽である。歌詞はルーシーとマットがロンドンの下品で高級なパーティでバーの運営に雇われることになった夜に根ざしているという矛盾をはらんだ作品でもある。一見して浮世離れしているような印象もあるアルバムの主題にポピュラー性をもたラス理由は、実はこういったナイトライフの現実性に根ざしているから強い説得力を持つ。

 

 

Chapter 2  アルバムのタイトルの理由



PBEのデビューアルバムが「Souvenirs」と名付けられたのは、ルーシー・ボードが説明するように、「この曲には、数年分の思い出や経験、つまり、変化や個人的な悲しみの時期が凝縮されています。曲は私たちのはけ口であり、今となってはすべての時代の記念品となっている」という理由がある。

 

人生は縄目のように幸不幸が訪れると言われる。勿論、アルバムの制作中、順風満帆な出来事ばかり起きたというわけではない。Pale Blue Eyesがアルバム制作に取り組んでいたとき、不幸にもマット・ボードの父親が亡くなった。つまり、このアルバムは、彼の最愛の父親、故ダニー・ボードに捧げられている。

 

マット・ボードは、今でも父親との思い出が尽きない。「夏の朝、窓やドアを開けて大音量でCocteau Twinsのアルバムをかけている父親の音で目が覚めたとき」などを思い出として挙げる。 PBEは、マットの古い実家に隣接してスタジオを建設し、マットの母親の長期にわたる病気を助けるため、そこにいることができるようにした。このアルバムには、死や落胆した時期についての考察が含まれ、前作シングル「TV Flicker」は、その主題からすると驚くべきことかもしれないが、ラジオのプレイリストに登録されて、大ヒットとなった。しかし、ペイル・ブルー・アイズはネガティヴな側面を取り上げるバンドではない、彼らは、ポジティブな面を強調し、爽快感、美しさ、喜びで脈打つアルバムを作ることにより、困難な時代を打開しようとする。

 

このシングルは、Joe Meek風の不気味な縁日のメリーゴーランドから始まる。この曲は、ミークがプロデュースした1961年の全英1位曲Johnny Remember Meと同様、人間の死とその後遺症に根ざした、執拗で不吉なトラックです。


ドラマーのルーシー・ボードはこの曲についてこう語っている。「突然の家族との死別の時の感情や回想、不安でいっぱいの頭の中の空間へのスナップショット、思考のスイッチを切ることができず、ぼんやりテレビを見つめているような、そんな幽霊のような痕跡でいっぱいだと感じる。



一方、シンガー/ギタリストのマット・ボードは、この曲のダークでエモーショナルな内面を明かしている。「父の死後、私は時々チカチカするテレビの前で眠りに落ちていた。音や背景の台詞を聞きながら眠りにつくと落ち着くし、眠れるんだ」

 

「TV Flicker」の音楽と歌詞は、1970年代の冷戦時代の装飾品、つまり黙示録的な隠れ家、失われた核シェルターへ通じるハッチといった曖昧なイメージを想起させるのかもしれない。




 

 

 chapter 3  アルバムの完成 ジミー・コーティという立役者

 

このアルバム「Souvier」は、マットがアルバムのテーマを挙げたときに明らかになったように、ある種の選択的なポジティブさに満ちている。「良い時間を受け入れ、逃避し、周りがクソになっている時に至福の瞬間に身を任せる...損失や悲しみを処理し理解し、前進するための手段として音楽を使う...、平凡と戦いつづけ、夢をあきらめない...。良い夜の純粋な喜び、バンドやアートワークや素晴らしい映画に感動する瞬間...、今ある時間を最大限に活用する...」と、マットがアルバムのテーマを挙げていることからも明らかである。 特に、Little GemとGlobeは、楽観主義、ガーデニング、学生シェアハウスでの享楽的な日々など、ポジティブな雰囲気が漂っている。



Pale Blue Eysがアルバム「Souvier」を完成させたとき、レーベルであるFull Time Hobbyから多くの励ましがあった。レーベルとの契約に先立ち、PBEは、1枚の限定版シングルをリリースした。このシングルは、南デヴォンの先進的な3つの企業、ニューライオンブルワリー、マッシュルーム生産者のグローサイクル、グリーンヒューネラルカンパニーから資金提供やスポンサーを受けたものだった。

 

特に、グリーン・フューネラル・カンパニーは、ミューミューの葬儀屋であるカレンダー、フィリップス、コーティ&ドラモンド・アンダーテイカーズとも関係がある。Jimmy CautyとBill Drummondは、もちろん、The KLFやThe Justified Ancients of MuMuとの仕事でも知られている。

 

このJimmy Cauty(ジミー・コーティ)とPBE(Pale Blue Eyes)の繋がりは、一種のセレンディピティ(幸運の偶然)的な循環性を持っている。

 

ジミー・コーティは、イングランドの田舎地方のトットネスで育った。今、アートと音楽の分野で驚くべき偉業を成し遂げた彼は、偶然、自分を育ててくれた町に戻り、遠く離れた葬儀会社とつながりを持つようになった。その土地で、新しい音楽グループが生まれ、そのグループもまた、ジミー・コーティに少なからず関係していた。JAMMsから現在のEstateまで、ジミーは一貫して驚くべきアート、デザインを生み出した。新しいポップ・グループがこのような発明品と肩を並べるのは、本当に大変なことなのだが、これまで同様、Pale Blue Eyesは希望を持って旅をしているのだ。


彼らが、先日リリースしたばかりの新曲「Star Vehicle」は、Stereolabのポップな瞬間や、Flaming LipsのImperialのような側面を思い起こさせるような輝かしい復帰作となる。


「PBEのシンガー/ギタリストであるマット・ボードは、「この曲は希望に満ち溢れた高揚感のある曲」と話す。

 

「この曲は、未来を夢見ること、困難な時代を共に乗り切ること、どこか遠くへ行くことを空想しているようなものなんだ。

 

アートカレッジにいた頃、田舎にあるThe Rat & Emuという学生バーがあったんだけど、そこで過ごした日々を描いている。頭上の星がとても明るく見えたのを覚えている」

 

おそらく、この曲の宇宙への憧れは、そこからきている。田舎地方の空の無限の美しさに寄り添い、「Star Vehicle」はその中に静かな喜びを秘めている。

 

 





Pale Blue Eyes 

 

1st Album「Douvier」

 


Label: Full Time Hobby

Release: 2022年9月2日 

 

Pre-order:


https://fulltimehobby.co.uk/release/pale-blue-eyes/souvenirs

 

 

 

Pale Blue Eyes   ーBiographyー


Pale Blue Eyesは、イギリス南西部のデボンの田舎町に拠点を置く若いエレクトロモダニスト・ギターグループ。彼らの地平線まで広がるポップさと説得力のあるリズムは、Neu!、The Cure、そして、バニーメンのWill Sergeantの最もラガフレネティックな時のヒントを取り入れている。


Pale Blue Eyesは昨年、ダートムーア南部にある緑豊かなPenquit Millにレコーディング・スタジオを完成させた。The Moonlandingz, Róisín Murphy, I Monster, Human League, International Teachers of PopのDean Honerがミックスを担当した。2022年にリリース予定のデビュー・アルバム「Souveir」のレコーディング時には、頭上をウグイスが舞っていました。




近年、これまで主要な音楽として取り沙汰されてこなかった地域の音楽がメインストリームに引き上げられようとしています。今回、新たにUS、シアトルのサブ・ポップとのサインを交わし、新作リリースを行った女性シンガーソングライターのプロジェクト、Σtellaに関しても、これまで注目を受けてこなかった地中海の地域の音楽を背負って立つミュージシャンに挙げられる。

 

先日、6月17日に最新アルバム『Up and Away』をサブ・ポップからリリースしたΣtella(ステラ)は、20世紀半ばのギリシャ音楽にスポットライトを当てている。ギリシャ国内ではそれ相応に知名度を持つシンガーとして活躍してきた彼女ではあるが、新たにサブ・ポップと契約を結び、制作を行うことにどのような意味があったのか。これは、アテネを拠点とする彼女の青春時代の一部であった音楽の再発見の意味が込められている。そして、それは世界の主流の音楽とは異なるものの、ギリシャの音楽を世界的な位置として再確認することでもあるのだ。


「今では、若い頃から聴いている音楽は、ある意味うんざりしている」と、Σtellaは語っています。

 

しかし、多くの音楽リスナーがそうであるように、子供時代に聴いた曲は、それは時を経て全く異なる意義をたずさえて舞い戻ってくる。つまり、数年後に違う形で不思議な形で深く心に響くものとなる場合がある。シンガーソングライター、Σtellaは、最新作において、1960年代に活躍したギリシャの著名な歌手、グリゴリス・ビチコチス、ツェニ・ヴァヌーの音楽に回帰しようとしているのだ。それらは、彼女が幼年時代の日常の暮らしに溢れていたアテネのポピュラー音楽である。しかし、アーティストは当初、それらをどのように解釈するのかに戸惑いを覚えていた。


「聴いたことがあり、頭の中にしっかり入っているけれど、それを形あるものとして再現したり、鑑賞したりする方法が今まで見つからなかったことが関係しているのかもしれません。 
最近、よく、親やその友人の影響で、おそらく、10歳の頃に聴いていたであろう曲を見つけることがあります。今、改めて聴いてみると、ああ、これは名盤だな!!って。でも、そうやって改めて聴いて深い理解をするのにはかなり長い時間が必要だったんです」 


2015年にセルフタイトルのデビュー作をリリースして以来、Σtellaはシンセサイザー調のインディー・ポップでギリシャ国内でその評判を高め、一定の人気を獲得するに至った。しかし、彼女は、その先を見据えている。世界的にギリシャのポピュラー音楽の重要性を示すチャンスを見出そうとしているのだ。そこで、最新アルバム『Up and Away』では、彼女は音楽の方向性を変え、ギリシャの楽器を取り入れ、時に非常にファンキーで少しサイケデリックなものを生み出し、クラシックなサウンドにモダンなひねりを加えている。これは国内のアーティストとしてではなく、世界的なアーティストとしての歩みをはじめたことの証だてともなりえるはずだ。


『Up and Away』の制作が開始されたのは2018年のこと。Σtellaが2020年に発表した前作スタジオ・アルバム『The Break』の制作を終えた直後、彼女は、テキサス州を拠点とするバンド、Khruangbinの音楽をよく聴いていたが、彼ら自身もグローバル・ファンクやサイケデリック・ミュージックから影響を受けている。その後、中東のイランの音楽に興味を見出し、ギリシャに滞在していたプロデューサーのトム・カルヴァート(通称レディーニョ)と出会いを果たしたのだった。

 

「それはまるで星が一直線に並んだようだった」とΣtellaは言う。「最初にトムがインストゥルメンタルを送ってくれたんだけど、それがすごく気に入ったんです。ヴィンテージなサウンドが好きだったんです」


Σtella


アルバムの中には、国際意識を持つアーティストであるがゆえ、ギリシャ的な概念に対する戸惑い、またその中に潜むような形で表現されているプライドのようなものがないまぜとなっている。特に、アルバムでは、ギリシャの伝統的な楽器がとりいれられていることに注目しておきたい。リュートの仲間であるブズーキの奏者のクリストス・スコンドラス、ギリシャや中東で使われている琴に似た楽器カヌンの奏者のソフィア・ラボプールーを迎え、徐々にプロダクションを完成させていった。この制作背景について、「この2人のミュージシャンとのコラボレーションは、アルバムに多くの色を与え、サウンドに大きな変化をもたらした」とΣtellaは語り、そして深い思いをこめて語っている。「二人と一緒に仕事ができて、本当に感謝しているんです!!」


「Up and Away」において、ギリシャの伝統楽器のひとつ、ブズーキ奏者のスコンドラスと一緒に仕事を行うことは、このアルバムにギリシャらしいキャラクター性を加味するだけでなく、その他にも、自己のギリシャ人としてのアイデンティティを探求するという重要な意味が込められていた。それは、音楽の探求にとどまらず、自己の深い探求のような意味が込められている。Σtellaは、二人のプロフェッショナルな演奏者の助けを借り、彼女の人格の形成期に聴いた音楽を反映した雰囲気を徐々に作り上げていくことになる。「両親の古いレコードやブズーキをたくさん聴いて育ったのを思い出した」と彼女は言います。「ブズーキは、私の頭の中に音として深く刻まれているんです。過去のアルバムでも、ギターを弾いてブズーキの持つ音色に少しでも近づけようとしていたけど、実際にブズーキを録音する勇気は今までなかったんだ」と語る。


また、「私はギリシャ人だから、私にとっては、ずっと見てきて、ずっと聴いてきた楽器を選ぶのもなんだか変な感じですよね」と付け加える。「しかし、それでもカルバートとのコラボレーションで、それが可能になったという。「私はいつも、イギリス人が私にブズーキをアルバムに入れるように説得したのはおかしいと思う、と言っているんです」とΣtellaはおかしみを交えて言う。


Σtellaは、楽器がプロセスに持ち込まれる前に『Up and Away』のメロディーを作り上げた。「キリシアの民族楽器であるブズーキを使ったギリシャの伝統的な音楽で起こるようなことが起こった。ブズーキはボーカルのメロディーを追いかけるようなものです。50年代や60年代のギリシャの古い曲で、ブズーキがよく使われているものでは、かなり普遍的な意味が込められているんです」


しかし、作品自体の構想、青春時代のアテネを再現すると決めたまでは良かったが、アルバムの制作は、遅々として進まず、アルバムの制作の進捗状況をどうにか早めるため、Σtellaとカルヴァートは、彼女がギリシャに、彼がイギリスにいる間、リモートで共同作業をしていた。紆余曲折あって、ようやくアルバムの制作を終え完成と思われたその矢先、COVID-19によるパンデミックが蔓延し、Σtellaは、The BreakをリリースしたArbutusが次の作品を扱えないことを知った。


「当初はとてもショックでした」と彼女は言う。しかし、Σtellaは、この挫折に突き当たった時、あまり動揺しないことを決意し、新しいレーベルを探すため、人々に働きかけを始めたという。そんなときに、思いも寄らない転機が訪れる。他でもない、アメリカの名門レーベルサブ・ポップからの契約の話、貴方のレコードをリリースしたいという申し出がもたらされたのだった。

 

「たしか、2ヶ月くらいかかったと思います。毎日、レーベルに、毎日、関係者にメールしていました。


2020年5月、彼女は、楽曲のパブリッシャーであったSub Pop、シアトルに拠点を置くレーベルが『Up and Away』のリリースについて話し合いたいという連絡を受けたんです」


アルバムのタイトル曲「Up and Away」では、Σtella自身がギリシャの音楽の歴史を描いたアニメーションビデオを監督している。イラストはYokanimaが、アニメーションは、YokanimaとGeorge Kontosが担当する。一般の人にはそれほど馴染みのないギリシャ音楽に興味を持つ契機になりえると思われる。


 

 

このタイトルトラックのミュージックビデオは、戦争について描かれており、ギリシャのミュージシャン2人がライブを終え、街でナチスの兵士に遭遇し、競技場から逃げ出す様子を叙事詩的に描き出している。このアニメーション調のストーリーテリングについては、第二次世界大戦中の実話にインスパイアされている。ミュージックビデオにも表現されている通り、アルバム全体には幻想的な雰囲気が漂っているが、その中には、確かに現実性のような何かが浮かび上がってくる。このアルバムには、表向きの音楽性の奥底に、彼女のアテネの青春時代の美しい思い出が色濃く反映されているのだ。それがアルバム全体にロマンチックな彩りを加えている。


アルバム「Up and Away」のもうひとつのハイライトは、Σtellaが地中海のシーンのファンクの熱を上げながら、ミュージシャンとしての大きな野心を歌った「Another Nation」となる。 この曲について、ステラは複雑な心境を交えて話している。そこには、国際人としての立ち居位置、さらには、ギリシャを誰よりも敬愛するアーティストとしての姿がその狭間で残映のように揺らいでいる。国際的なアーティストとして活動するのか、ギリシャ国内のアーティストとして活動するのか、どちらを取るべきか、まだ彼女は決めかねている。「新しい曲を書いているとき、私は、何らかの形で、ギリシャを離れることを強く望んでいたんです」と付け加えた上で、最後にステラは、このアルバムの制作秘話について、以下のように締めくくっている。

 

「この曲は、生まれた国を離れるというアイデアに対する私の何らかのエキサイティングな気持ちを込めて歌っていると思うんです。

 

 それでも、完全に、国家を心から離れるというのではなく、私が愛するギリシャに心を置いた上で、さらに、このアルバムで音楽的にもっとグローバルな対話をして、より大きな、美麗な絵画の一部にしようと試みたんです」

 

 

アメリカのインディーズシーンを代表するシアトルの名門レーベル、サブ・ポップと新たに契約を結んで今月に発表されたばかりの「Up and Away」において、彼女はまさに以上のことを完全に体現しようとしている。

 

この作品で、Σtellaは、ギリシアにしか見出し得ないもの、また、その他の地域に見いだされるもの、その双方を、ユニークな形で描き出そうと試みる。それは、先にも述べたように、アテネの青春時代の思い出と相まって美麗なロマンスに彩られている。「Up and Away」は、世界の主流の音楽とは一線を画する、このアーティストらしいユニーク性が見いだされるアルバムでもあるのだ。

 



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