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UKパンクの最初のムーブメント 75年から78年までに何が起こっていたのか

 

パンクのイメージでいえば、その始まりはロンドンにあるような印象を抱くかもしれない。しかし、結局のところはボストンやニューヨークで始まったプロトパンクが海を越えてイギリスのロンドンに渡り、マルコム・マクラーレンやピストルズのメンバーとともに一大的なムーブメントを作りあげていったと見るのが妥当である。結局、当初はインディーズレーベルから始まったロンドンのムーブメントだったが、多くのパンクバンドが70年の後半にかけてメジャーと契約したことにより、最初のムーブメントは終息し、ニューウェイブやポスト・パンクに引き継がれていく。しかし、アンダーグラウンドでは、スパイキーヘアやレザージャケットに象徴されるようなハードコアパンクバンドがその後も、このムーブメントのうねりを支えていった。

 

ロンドンを中心とする1970年代中盤のムーブメントは、三大パンクバンド、つまり、セックス・ピストルズとダムド、クラッシュを差し引いて語ることは難しい。それに加えて、ジェネレーションXとジャムを加えて五大バンドと呼ばれることもあるという。しかし、この熱狂は都市圏における近代文明から現代文明へと移り変わる瞬間における若者たちの内的な軋みや激しい感情性が織り込まれていたことは着目すべきだろう。それはノイジーなサウンド、そしてシャウトや政治的な皮肉や揶揄という形で反映されていたのだった。ここに多くの人がパンクそのものに対して反体制のイメージを抱く場合があるが、それは実際のところロンドンの若者の直感的なものを孕んでいた。

 

つまり、70年代のハードロックが産業的に強大化していくのに対して、若者たちはスミスが登場するサッチャリズムの以前の時代において、アートスクールの奨学金をもらったり、失業保険をもらって生活していたという実情があった。(当時の失業率は10%前後だったという。)これがハードロック・バンドのドラッグの産業性への貢献に対する反感という形に直結していった。つまり、ピストルズのライドンがデビューアルバムで歌った「未来はない」という歌詞には、その当時の若者の代弁的な声が反映され、決して反体制でもなければ反国家主義でもなかった。これはライドンが後に彼が英国王室を嫌悪していたわけではなく、むしろ英国という国家を愛していると率直に述べ、しばらくの誤解を解こうとしていたことを見れば瞭然だった。つまり、彼は若者の声を代弁していたに過ぎなかった。


今でもそうだが、ロンドンの若者たちの音楽にはニューヨークのCBGBに出演していたパンクの先駆者、テレヴィジョンやラモーンズ、パティ・スミスといった伝説的なアーティストたちと同じようにファッションによってみずからのポリシーを解き明かすというものがあった。レザージャケットやクロムハーツのようなネックレス、そして破れたカットソー等、それらの象徴的なアイテムはいわば、当時の20代前後の若者たちのステートメント代わりとなっていたのである。

 

英国の最初のパンクムーブメントは厳密に言えば、75年に始まった。つまりロンドンのセント・マーティンズ・スクール・オブ・アートでコンサートを開いたときである。この最初のギグは15分ほどで電源を切られたため終了となった。しかし、後のバンドの音楽性やスティーヴ・ジョーンズのソロ・アルバムを見ると分かる通り、ピストルズの本質はパンクではなく、ロックンロールにある。それは彼らがスモール・フェイセズやモダン・ラヴァーズのジョナサン・ リッチマンのカバーを行っていたことに主な理由があるようだ。76年、ピストルズはオリジナル曲を増やしていき、取り巻きも増え始めた。このローディーのような存在が、「ブロムリー軍団」とストーンズのヘルズ・エンジェルズのような親衛隊を作っていったのは自然な成り行きだった。この親衛隊の中にはスージー・スーもいたし、そしてビリー・アイドルもいた。

 

同年代に登場したクラッシュに関しては、すでに76年頃に活動を始めていた。クラッシュを名乗る以前に、ワン・オー・ワナーズ(101'ers)というバンド名で活動を始めており、主にパブをメインにギグを行っていた。結局、ストラマーはピストルズのライブに強い衝撃を受けて、「White Riot」に象徴づけられるデビュー・アルバムの性急なパンク・ロックソングを書こうと決意したのだった。またベーシストのポール・シモノンも最初に見たギグはセックス・ピストルズだったと語っており、やはりその影響は計り知れなかったことを後の時代になって明かしている。

 

一般的にはこのバンドにダムドが加わるべきなのかもしれないが、当時のミュージックシーンの革新性やパンクというジャンルの影響度を観る限り、ピート・シェリー擁するBUZZCOCKSの方が重要視される。当時、マンチェスターに住んでいたピート・シェリーとハワード・ディヴォートは音楽誌、「ニューミュージカルエクスプレス」(NME)に掲載されたライブレポートを読み、その後すぐにBUZZCOCKSを結成した。これは1976年2月のことだった。バズコックスは現代的な産業文明に疑問を呈し、「Fast Cars」では車に対する嫌悪感を顕にしている。そして音楽的にも後のメロディックパンクの与えた影響度は度外視出来ない。特に、パンクにポピュラーなメロディー性をもたらしたのはこのバンドが最初だったのである。これはのちのLeatherfaceやSnuffといったメロディックパンク/ハードコアバンドに受け継がれていくことになる。

 

UKパンクのムーブメントはアンダーグラウンドではその後も、『PUNKS NOT DEAD』と息巻く連中もいたし、そしてその後も続いていくのだが、 結局のところ、オリジナルパンクは、75年に始まり、77年から78年に終焉を迎えたと見るべきだろうか。その間には、ダムド、クラッシュ、スージーアンドバンシーズがデビューし、パンクバンドが多数音楽誌で紹介されるようになった。76年にはダムドが「New Rose」をリリース、同年に、セックス・ピストルズは「Anarchy In The UK」でEMIからデビューした。彼らは最初のテレビ出演で、放送禁止用語を連発し、これが話題となり、パンクそのものがセンセーショナル性を持つに至った。

 

最初のパンクのウェイブが終了した理由は、よく言われるようにパンクバンドがメジャーレーベルと契約を結び最初の意義を失ったからである。76年の8月には「メロディーメイカー」がすでにニューウェイブの動きを察知し、XTC、エルヴィス・コステロといった他のパンクバンドとは異なる魅力を擁するロックバンドを紹介していった。これがイギー・ポップのような世界的なロックスターが現在もなおエルヴィス・コステロに一目を置く理由となっている。

 

以後、ニューウェイブはマンチェスター等のシーンと関連性を持ちながら、ポスト・パンクというジャンルが優勢になっていく。厳密に言えば、最初のパンクの動きは1978年頃にニューウェイブ/ポスト・パンクのムーブメントに切り替わったと見るのが一般的である。その後は、76年のセックス・ピストルズとバズコックスのマンチェスターの伝説的なギグ(観客は30人ほどだったと言われている)を目撃した中に、80年代の象徴的なミュージシャンがいた。

 

それがつまり、80年代の音楽シーンを牽引するJoy Divisionのイアン・カーティス、New Orderを立ち上げるピーター・フック、そして80年代の英国のミュージック・シーンを牽引するザ・スミスのモリッシーだったのである。これは信じがたい話であるが、本当のことなのだ。

 

 

UKパンクの名盤ガイド 

 

ここでは、UKパンクの最初のムーブメントを支えたバンドの名盤を中心に取り上げていきます。基本的には、70年代から90年代のオールドスクールのスタンダードな必聴アルバムに加えて、多少オルタナネイトなアルバムもいくつか取り上げていきます。ぜひ、これからUKのパンクロックを聴いてみたいという方の参考になれば幸いです。

 

 

SEX PISTOLS 『Never Mind The Bullocks』  

 


 

結局、「ベタ」とも言うべきアルバムではあるものの、パンクというジャンルを普及させたのは、このアルバムとそれに付随するシングルカットだ。マルコム・マクラーレン主導のもと、同名のブティックに集まるヴィシャスやライドンを始めとする若者たちを中心に結成。センセーショナルな宣伝方法が大きな話題を呼び、一躍英国内にパンクロックの名を知らしめることになる。

 

パンクの象徴的なアルバムではありながら、ギタリストのスティーヴ・ジョーンズのロックンロール性に重点が置かれている。(後のソロ・アルバムではよりロック性が強い)それに加え、ドイツのNEU!に触発されたジョン・ライドンのハイトーンのボーカルは、のちのP.I.Lにも受け継がれていくことになる。しかし、このアルバムの最大の魅力は、パンクではなくポピュラリティーにある。ノイジーな音楽を、どのアルバムよりも親しみやすい音楽性に置き換えたクリス・トーマスのプロデュースの手腕は圧巻である。「Anarchy In The UK」、「God Save The Queen」といったパンクのアンセムは当然のことながら、「Holiday In The Sun」、「EMI」のシニカルな歌詞やメッセージ性は、今なお普遍的な英国のパンクの魅力の一端を担っている。





 The Clash 『London Calling」

 


パブリック・スクール出身のジョー・ストラマー、彼の父親は外交官であり、若い時代から政治的な活動にも余念がなかった。パンクのノイジーさや性急さという点を重視すると、やはりビューアルバムが最適であるが、このアルバムが名盤扱いされるのには重要な理由がある。つまり、パンクロックというジャンルは、スタンプで押したような音楽なのではなく、そのバリエーションに最大の魅力があるからである。後には、ジョニー・キャッシュのようなフォーク音楽にも傾倒することになるジョー・ストラマーであるが、このアルバムではクラッシュとしてスカ、ダブ、ジャズ、フォーク、ロックと多角的な音楽性を織り交ぜている。


『Sandanista』は少しパンク性が薄れてしまうが、このアルバムはそういった音楽的なバリエーションとパンク性が絶妙な均衡を保つ。「Spanish Bombs」では政治的な意見を交えて、時代性を反映させ、痛快極まりないポピュラー・ソングを書いている。またロンドンのリアルな空気感を表したタイトル曲から、最後のボブ・ディラン風のナンバー「Train In Vain」に至るまで、パンクを越えてロックの伝説的な名曲が収録。

 

 

 

The Damned 『The Damned』

 



ニューヨークからもたらされたパンクというジャンルに英国独自のオリジナリティーを加えようとしたのがDamned。Mott The Hoople、New York Dollsにあこがれていたブライアン・ジェイムズを中心に結成された。

 

少数規模のライブハウスの熱狂を余すところなく凝縮されたセルフタイトルがやはり入門盤に挙げられる。ピストルズと同様にロック性が強く、それにビートルズのようなメロディーをどのように乗せるのかというチャレンジを挑んだ本作は今なおUKパンクの原初的な魅力を形作る。アルバムは10時間で制作されたという噂も。少なくとも本作にはパンクの性急な勢いがある。それは「Neat Neat Neat」や「New Rose」といった代表的なナンバーを見ると瞭然である。

 

 

 


Buzzcocks 『Singles Going Steady』



ピート・シェリー擁するBuzzcocksの名盤はオリジナル・バージョンとしては『Another Music In Different Kitchen』が有名であるが、このアルバムだけを聴くだけでこのバンドやシェリーのボーカルの本当の凄さは分からない。つまり、最初期のメロディック・パンクというジャンルの基礎を作り上げただけではなく、のちの70年代後半からのニューウェイブやポスト・パンク、そしてシンセ・ポップまですべてを網羅していたのが、このマンチェスターのバンド、バズコックスの本質だった。ベスト盤とも称すべき『Singles Going Steady』には、このバンドがどのような音楽的な変遷を辿っていったのか、そして、パンクの10年の歴史が魅力的にパッケージされている。


現代的な産業への嫌悪を歌った性急なパンクアンセム「Fast Cars」、同じくニューウェイブの幕開けを告げる「Orgasm Addict」、メロディック・パンクの最初のヒットソング「I Don't Mind」といった彼らの代表的なナンバーの数々は、今なお燦然とした光を放っている。それに加えて、人懐っこいようなピート・シェリーの名ボーカルは後のポスト・パンクやニューウェイブと混ざり合い、「Promises」といった象徴的なパンクロックソングとして昇華される。他にも、このバンドのポピュラリティーが力強く反映された「Why Can't Touch It」も聞き逃す事はできない。ここでは、オリジナル盤のバージョンを取り上げる。 

 


 

 

 Generation X 『Generation X』

 

ご存知、ビリー・アイドル擁するGeneration Xは、パンクの息吹をどこかにとどめながらも痛快な8ビートのロックンロール性で良く知られる。それ以前にアイドルはピストルズの親衛隊のメンバーをしており、伝説的なバンド、ロンドンS.Sに在籍していたトニー・ジェイムズらによって結成。ダンサンブルなビートを織り込んだロック性がこのデビューアルバムの最大の魅力だが、もう一つの意外な魅力としてパンキッシュなバラードソングが挙げられる。

 

特に「Kiss Me Deadly」はパンクバンドとしては珍しく恋愛ソングで、切ないエモーションを何処かに留めている。同じようにパンキッシュなバラードとしては、このアルバムには収録されていないが、「English Dream」もおすすめ。どことなく切なくエモーショナルな響きを擁している。

 

 

 

GBH 『City Baby Attacked By Rats』

 

GBHは、ちょっと前に、東京の新宿アンチノック(GAUZEなどが企画”消毒GIG”を行う)で来日公演を行っている。紛れもなく、UKに最初にハードコアというジャンルを持ち込んだバンドである。しかし、WIREのようなニューウェイブのサウンドをやりたかったというわけではなく、メタルを演奏しようとしたら、あまりに下手すぎて、こういったハードコアが出来上がったという。つまり、メタルバンドのようにテクニカルなギターやブラストビートは演奏できないが、それらの性急さをロックサウンドに織り交ぜようとしたら、ハードコアが出来上がったというのである。


しかし、彼らにとって演奏の下手さは、欠点とはならない。このアルバムでは、のちのUKハードコアを牽引する性急なビート、苛烈なシャウトなど、このジャンルの代名詞的なサウンドが凝縮されている。「Time Bomb」を聴くためだけに買っても損はない伝説的なアルバムである。要チェック。

 

 

 

 

Stiff Little Fingers 『Inflammable Material』

 

スティッフ・リトル・フィンガーズは、アイルランド/ベルファスト出身のパンクバンド。彼らは77年にクラッシュのギグに触発され、バンドを結成した。当初は自主レーベルからリリースしていたが、最初期のシングルがBBCのDJのジョン・ピールの目に止まり、ラフ・トレードと契約した。

 

レコードストア、ラフ・トレードは最初、レゲエやガレージロックを専門とするレーベルとして始まった経緯があるが、スティッフ・リトル・フィンガーズは間違いなくこのレーベルの原初の音楽を体現し、そして知名度を普及させた貢献者である。UKチャート上位にシングルを送り込んだ功績もある。


ガレージ・ロック風の荒削りなパンク性にシャウトに近いボーカル、しかし、まとまりのないサウンドではあるものの、その中にキラリと光るものがある。UKパンクの原初的な魅力を探るのには最適なアルバムの一つである。ジョン・ピールに見初められた「Suspect Device」はUKパンクの原点に位置する。





The Undertones 『The Undertones』




上記のバンドと同様に、工業都市の北アイルランドからもう一つ魅力的なバンドが登場した。BBCのジョン・ピールが最も気に入ったバンド、ザ・アンダートーンズだ。ジョンピールの石碑にはアンダートーンズの名曲のタイトルが刻まれている。バンドはパンクの最盛期からニューウェイブの時期、1975から83年まで活動した。


苛烈なパンクやファッションが目立つ中、ザ・アンダートーンズの魅力というのは、素朴な感覚と、そして親しみやすいメロディー性にある。それほどパンクという感じでもないけれども、その中には、やはり若い感性とパンク性が宿っている。このアルバムに収録されている「Teenage Kicks」はパンクの感性と、エバーグリーンな感覚を見事に合致させた伝説的な名曲の一つである。 

 

 

 

 Discharge 『Hear Nothing See Nothing Say Nothing』

 


 

1977年にストークで結成されたUKハードコアの大御所。現在も奇妙なカルト的な性質を帯びたバンドがイギリスが登場するのは、Joy Divisionの影響もあるかもしれないが、やはりDischargeの影響が大きいのかもしれない。80年頃からシングルをリリースし、このデビュー作で一躍英国のハードコアシーンのトップに上り詰めた。

 

このアルバムのハードコアには、ワシントンDCのバンドのような性急なビート、そして、がなりたてるようなボーカルがあり、これは日本のジャパコアのバンドとの共通点も多い。ただ、Crassのような前衛性を孕んでいるのは事実であり、それがギターやパーカッションのノイズ、そして、音楽的なストーリー性の中で展開される。政治的な主張もセックス・ピストルズよりもはるかに過激であり、UKハードコアの重要なターニングポイントを形成した。このバンドの音楽は後にグラインドコアの素地を形成する。ノイズミュージックやメタルとも切り離すことが出来ない最重要アルバム。

 

 

 

 

Leatherface 『Mush』

 


 

UKパンクの中で最もクールなのは、間違いなくこのレザーフェイスである。サンダーランドでフランキー・スタッブスを中心に結成されたレザーフェイスは、UKのメロディック・パンクの素地をSnuffとともに形成した超最重要バンドであり、聞き逃すことは厳禁である。


特にBBCのジョン・ピールが入れ込み、バンドは何度も「Peel Session」に招かれている。このライブは後にフィジカル盤としても発売されている。バンド名は、おそらくホラー映画「悪魔のいけにえ」にちなみ、そしてアルバムのジャケットもホラー的なテイストが漂うものが多い。

 

ウイスキーやタバコで潰したようなしわがれた声を腹の底から振り絞るようにして紡ぐスタッブス、そしてメロディック・パンクの原点にある叙情的なギターライン等がこのバンドの主要なサウンドである。最初期の名作は『Minx』が挙げられるが、バンドの象徴的なパンクサウンドは『Mush』で完成されたといえるか。2000年代のメロディックパンクの疾走感にあるビート、そしてシンガロング性はすべてこのアルバムが発売された92年に最初の原点が求められるといっても過言ではない。

 

「I Want The Moon」、そして苛烈なパンクのアティチュードを込めた「I Don't Wanna Be The One You Say」等メッセージ性のあるパンクロックソングが多い。他にもニューウェイブサウンドとの融合を、造船や鉱山で知られるサンダーランドの都市性と融合させた「Dead Industrial Atmosphere」、POLICEのパンクカバー「Message In The Bottle」等名曲に事欠かない。


Leatherfaceには無数のフォロワーがいる。日本のメロディックパンクにも影響を及ぼしたほか、アメリカでもフォロワーを生み出し、Jawbreaker,Hot Water Music、Samiamなど秀逸なメロディーメイカーを持つバンドへ、そのDNAが受け継がれていく。

 



70年代のニューウェイヴ/ポストパンク関連のディスクガイドはこちらをご覧ください。

 

Donny Hathaway

 

現代のラップ/ヒップホップやネオソウルが政治的な主張、よりミクロな視点で見るなら、内的な問題の主張という内在的なテーマがあるように、R&Bミュージックが政治的な主張を持たぬ時代を見つけるほうが困難かもしれない。そもそもR&Bに関しては、公民権運動やブラックパンサー党の活動等の前の時代からブラックミュージックという音楽に乗せてミュージシャンが何らかの主張を交えるということは、それほどめずらしくはなかった。それは基本的に社会的な主張が許されなかった時代であるからこそ、有意義なメッセージを発信することが出来たのである。

 

R&Bは80年代に入ると、政治的な主張性における首座を、アイス・キューブを筆頭とするギャングスタ・ラップ勢に象徴される西海岸のグループに譲り、白人のロックやAORとの融合を試みた通称”ブラコン”(ブラック・コンテンポラリー)というジャンルが主流派となっていった。現地名ではUrban Contemporary(アーバン・コンテンポラリー)とも呼ばれている。


R&Bで「アーバンなサウンド」とよく評されるのは、このジャンルの余波を受けた評論用語と思われる。モータウン・サウンド等に象徴されるノーザン・ソウル、そして公民権運動に象徴されるニューソウルと呼ばれる、60年代と70年代にかけての動きの後に、黒人としての主張性が薄められ、ポピュラーなサウンドが主流となっていったのが80年代のR&Bであったらしい。

 

その時代、R&Bは死語になりつつあったが、このジャンルを節目に復活する。80年代のR&Bは日本では「ブラコン(ブラック・コンテンポラリーの略)」という名称で親しまれたのは有名で、スティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソン、クインシー・ジョーンズ、マーヴィン・ゲイ、ダイアナ・ロスを始めとするミュージシャンがその代表的なアーティストに挙げられる。

 

上記のミュージシャンに共通するのは、それ以前の時代にジャクソン5としてニューソウルの運動の中心的な存在であったジャクソンを除いては、ポピュラー音楽との融合というテーマを持っていたことである。それは後にAORやソフト・ロックと合わさり、より軽やかなR&Bという形でメインストリームを席巻する。これらをプロモーションとして後押ししたのはMTVで、この放送局は24時間流行りの音楽をオンエアし続けていた。

 

やがて、R&Bはワンダーをはじめグラミー賞に多数のシンガーを送り出し、文字通り、スターシステムの中に組み込まれていったのは周知の通り。以後、R&Bはチャカ・カーンに代表されるようにプロデュース的なサウンドに発展し、また、90年代に入ると、ヒップホップとクロスオーバーが隆盛となる。その合間の世代にはDR. Dreなどの象徴的なミュージシャンも登場した。

 

2020年代のソウル・ミュージックを見ると、AORやジャズの影響を交えたR&Bが登場している。黒人のミュージシャンのみならず白人のアーティストにも好意的に受け入れられ、その影響を絡めたネオソウルというジャンルが2020年代のメインストリームを形成している。70、80年代のR&Bと現代のネオソウルは上辺だけ解釈してみると全然違うように聞こえるかも知れないが、実はそうではない。ブラックコンテンポラリーと現在のネオソウルの相違点を挙げるなら、現代的なポップス、テクノ、ハウスといったクラブミュージックの影響が含まれているか否かの違いしかない。そして、現代的なポップスとは、すでにハサウェイやチャカ・カーンが代表曲「Feel For You」で明示していたプロデュース的な視点を持つサウンドなのである。

 

リバイバルが発生するのは、何もロックやパンクだけにはとどまらない。スタイリッシュでアーバン、比較的、ライトな印象のあるブラック・ミュージックのジャンルが、2020年代中盤のR&Bに重要なエフェクトを及ぼす可能性は少なくない。ジェシー・ウェアをはじめとするアーティストにディスコサウンドの影響がハウスやテクノとともに含まれているのと同様である。

 

今回、ご紹介するブラック・コンテンポラリーの入門編とアーティストは、その最初期のウェイブを形成した先駆者で、80年代のR&Bシーンの音楽市場の土壌を形成した。以下のガイドは、アーバンなソウルとはどんな感じなのか、その答えを掴むための最良のヒントになるはずである。よりコアなブラコンのディスクガイドに関しては専門的な書籍を当たってみていただきたい。

 

 

Stevie Wonder  『Song In The Key Life』 1976




ブラックコンテンポラリーの先駆者として名高いのがご存知、スティービー・ワンダーである。モータウン時代はもとより、70年代のニューソウル運動を率い、現在でも大きな影響力を持つ。70年代のブラック・ミュージックの思想的な側面を削ぎ落とし、それらをライトで親しみやすい音楽にしたことが、ブラック・コンテンポラリーの最大の功績と言われている。

 

スティーヴィー・ワンダーといえば、ソウルバラードの達人であり、ピアノの弾き語りのイメージが強いが、このアルバムではファンクやホーンをフィーチャーしたご機嫌なファンクソウルサウンドが主体である。それはハサウェイと同じようにフュージョンジャズの音楽を取り入れている。代表曲「Sir Duke」はご機嫌なホーンのフィーチャーがマイルドなワンダーと声と見事な合致を果たしている。「I Wish」ではのちにジャクスンが80年代に試みたブラコンの商業的なイメージの萌芽を見出せる。80年代のメインストリームのR&Bの素地を作ったアルバムと見ても良さそうだ。

 

 

 


Donny Hathaway 『Extension Of a Man』 1973

 

 

ブラック・コンテンポラリーという趣旨に沿った推薦盤としては、『Robert Flick Feat. Donny Hathaway」が真っ先に挙げられることが多いのだが、ダニー・ハサウェイはやはりこのアルバムで、クロスオーバーの先駆的なアルバム。映画のような壮大なストリングスを交えたオープニング、ジャズやニューソウルの影響を交えた「Someday We'll All Be Free」はソウルミュージックの歴史的な名曲とも言えるだろう。


ファンク、フュージョン・ジャズの影響はもとより、このアルバムには、ブラジル音楽等の影響も取り入れられている。その合間に導入される現在のサンプリングやミュージックコンクレートのような手法を見る限り、現代の多くのアルバムは、今作の足元にも及ばない。発想力の豊かさ、卓越した演奏力、圧倒的な歌唱力、どれをとっても一級品であり、現在のデジタルの音質にも引けを取らない作品。ハサウェイの最高傑作と目されるのも頷けるR&Bの大作である。

 

 

 

 

Quincy Jones 『The Dude』 1981


アメリカのミュージシャン、プロデューサーのクインシー・ジョーンズによる1981年のスタジオ・アルバム。ジョーンズは多くのスタジオ・ミュージシャンを起用した。元々、トランペット奏者であったクインシーはジャズ、ソウル、ポップス、ロックと多角的な音楽性をもたらした。70年代には盛んだったクロスオーバーを洗練された音楽性へと昇華させたのがクインシーだ。元々プロデューサーとして活躍していたクインシーこそ、ブラコンの仕掛け人であるという。


『The Dude』はディスコサウンドの影響を残しながら、ポピュラー音楽寄りのアプローチをみせている。「Ai No Corrida」はどれくらいラジオやテレビでオンエアされたか計測不可能である。クインシーはこのアルバムを通じて、ロックやファンクを視点にして、グルーブ感のあるダンサンブルなソウルを追求している。AOR/ソフト・ロックに近いバラード「Velas」も必聴だ。

 

リード・シングル「Ai No Corrida」のダンス・エアプレイが多く、トップ40で28位、UKシングル・チャートで14位を記録。イギリスで11位を記録した「Razzamatazz」(パティ・オースティンがヴォーカル)も収録。同国におけるジョーンズのソロ最大のヒット曲となった。ルバム・オブ・ザ・イヤーを含むグラミー賞12部門にノミネートされ、第24回グラミー賞では3部門を受賞した。


 

 


 

Marvin Gaye 『Midnights』 1982


それまでモータウンの看板アーティストであった、マーヴィン・ゲイは、レーベルとの関係が悪化し、制作費を捻出できなったことから、いわゆるバンド主体のアプローチとは別のシンセ主体の音楽性へと突き進んだ。マーヴィンは、その後、CBSからの提案を受け入れ、コロムビアから三作のアルバムのリリースの契約を交わした。モータウンとの距離を置いたことが良い影響を及ぼし、ノーザン・ソウルから距離を置いたアーバンなソウルを生み出す契機となった。

 

享楽的ともいえるアーバンソウルの音楽には以前のマーヴィンのソウルから見ると、軽薄なニュアンスすら感じられるかもしれないが、レーベルとの契約の間で揺れ動いていたのを見ると、致し方無い部分もある。それ以前に対人のアルバムを制作したために、ファン離れを起こしていたマーヴィンはファンを取り戻すために、メインストリームの音楽を録音しようとした。前作『In Our Lifetime』のように内面に目を向けるのではなく、商業的なサウンドを追求することにした理由について、「今を逃すわけにはいかない。ヒットが必要なんだ」と語っていた。


 

 


Michael Jackson  『Off The Wall』 1971


 

 1979年の最大のベストセラーであり、ブラックコンテンポラリーの象徴的なアルバムと言われている。ソウルミュージックの評論家の中には、『Thriller』よりも高い評価を与える方もいるが、まったくの同意である。というか、マイケル・ジャクソンの最高傑作はこのアルバム。

 
『オフ・ザ・ウォール』(Off The Wall)は、1979年に発売されたマイケル・ジャクソンの5作目のオリジナル・アルバム。『ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500』(2020年版)に於いて、36位にランクイン。


1979年、初めてクインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎えて制作された。エピック・レコードからは初、モータウン・レコード時代を含めた通算では5作目のソロ・アルバム。



それまでのマイケルのソロ・アルバムは、制作サイドが主導して作られたもので、マイケルは用意された曲を歌うだけだったが、本作ではクインシーが主導権を持っていたものの、マイケルの自作曲やアイデアも随所に入れられている。ロッド・テンパートン、ポール・マッカートニー、スティーヴィー・ワンダーからの楽曲提供、バックの演奏もクインシーの息のかかった一流ミュージシャンを起用するなど、アルバムのクオリティがそれまでと比べて格段に洗練された。このアルバムから真の意味でのマイケルのソロ活動が始まったと言って良く、「『オフ・ザ・ウォール』こそ、マイケルの本当の意味でのファースト・アルバム」と言う人もいる。 




 


Whitney Houston 『Whitney Houston』 1985

 


なぜ、このアルバムを入れるのかというと、R&Bやポピュラー音楽としての影響力はもとより、現在のシンセ・ポップというジャンルにかなり深い影響を及ぼしている可能性があるということ。ホイットニー・ヒューストンは80年代の最高の歌手の一人であるが、このアルバムは基本的にはポピュラーアルバムで、ディープなソウルファンには物足りなさもあるかも知れない。


ただ、ポップスにソウルの要素をさりげなくまぶすというセンスの良さについては、現代のミュージシャンにとってヒントになりえる。アーバンソウルの都会的な雰囲気や、同年代に、ジョージ・ベンソンが試みた近未来志向のポップスという要素も散りばめられている。80年代の懐メロという印象があるかもしれないが、ケイト・ブッシュの再ヒットなどを見る限り、むしろ、現在こそ、ホイットニー・ヒューストンの再評価の機運が高まる可能性も予想される。

 

AOR/ソフト・ロック志向のR&Bポップスの名盤という意味では、ホイットニーは現代のリスナーの耳に馴染むようなアーティストと言えるのではないか。なぜなら現代のミュージックシーンはAORが重要視されているからである。ファルセットの美しさに関しては不世出のシンガーである。人を酔わせるメロディーとはいかなるものなのか、その模範的な事例がここにある。


 



Diana Ross 『Diana』 1980

 

 


 

シュープリームスを離脱後、ダイアナ・ロスはソロアーティストとして「Ain't Know Mountain High Enough」等、複数のヒット作に恵まれた。70年代には低迷期があったというダイアナ・ロスであるが、ナイル・ロジャースがプロデュースした『Diana』で第二の全盛期を迎える。反ディスコの気風の中、制作されたというが、その実、ファンクやディスコの影響も取り入れられている。それがロスの持つスタイリッシュかつアーバンな雰囲気と一致した一作だ。

 

 TV Oneの『Unsung』のエピソードでナイル・ロジャースは、曲の大半はロスとの直接の会話の後に作られたと語った。彼女はロジャースとバーナード・エドワーズに、自分のキャリアを "ひっくり返したい"、"もう一度楽しみたい "と言ったと伝えられている。結果、ロジャースとエドワーズは 「Upside Down」と 「Have Fun (Again)」を書いた。

 

クラブでダイアナ・ロスの格好をした何人かのドラッグ・クイーンに出くわしたロジャースは、「I'm Coming Out」を書いた。My Old Piano」だけが、彼らの通常の曲作りのプロセスから生まれた。「Upside Down」は全米チャート首位を獲得し、「I’m Coming Out」も5位以内にチャートインした。ロスの80年代のキャリアを決定づける傑作と言っても良いかもしれない。


 

 

Chaka Khan 『I Feel For You』 1984


 

 

今聴いても新鮮な感覚を持って耳に迫るチャカ・カーンの『I Feel For You』。カーンはルーファスのフィーチャリング・シンガーとして、70年代にヒットを飛ばしていた。ダニー・ハサウェイと同じようにゴスペルにルーツを持ちながらも、それをあまり表に出さず、叫ぶようなボーカルを特徴とするカーンのボーカルスタイルは70年代の女性シンガーに多大な影響を与えた。『I Feel For You』はプリンスのカバーで、スティーヴィー・ワンダーのハーモニカをフィーチャーしている。チャカ・カーンにとっての最大のヒット・ソングとなった。現在のプロデュース的な視点を交えたポップスに傾倒したR&Bのアルバムとして楽しむことが出来る。


現在、チャカ・カーンはローリングストーンのインタビューに答え、ツアーの引退を表明し、ガーデニングをしながら悠々自適の生活を送っている。単発のライブに関しては行う可能性があるという。





George Benson 『While The City Sleeps』 1986

 


ジョージ・ベンソンはソウル・ジャズのオルガン奏者、ジャック・マクダフとのバンドを経たギタリストで、76年にはフュージョンの先駆けのような曲「Breezin」を制作した。だが、この年代にはスティービー・ワンダーとダニー・ハサウェイの影響を受け始め、ブラックコンテンポラリーの道に入っていくことになる。

 

1986年のアルバム『While The City Sleeps』は驚くほどライトなポップで、アーティストのイメージを覆す。AOR/ソフト・ロックに、ベンソンが傾倒したことを裏付ける作品である。その中にはこのジャンルの中にある近未来的なシンセ・ポップの影響も伺い知ることが出来る。ジョージ・ベンソンというと、渋いソウルというイメージがあるが、それらのイメージを払拭するような作品である。この年代、前のニューソウルの時代から活躍していたシンガーの中で、最も時代に敏感な感覚を持つミュージシャンはこぞって、ロックやポップスとのクロスオーバーを図っていたことがわかる。今聴いても洗練されたポピュラー・アルバムと言えるのだ。 


 

 



Lionel Ritchie 『Dancing On The Ceiling』 1986



 

コモドアーズのメンバーでもあり、後にソロアーティストとして、そしてパラディ・ソウルの象徴的なシンガーに挙げられるライオネル・リッチー。彼の全盛期を知らない私のようなリスナーにとっては、ジャクソンやスティーヴィーと共演した「We Are The World」のイメージの人という感じだ。どうやら、リッチーが歌手としての実力に恵まれながらも、いまいちコアなソウルファンからの評価が芳しくないのは、白人の音楽市場に特化したことが理由であるらしい。


ダニー・ハサウェイのような黒人としてのアイデンティティ云々という要素は乏しいが、現在、メロウなポップスやAORというジャンルが取りざたされるのを見ると、今、まさに聴くべきアーティストなのではないかというのが印象である。確かにヒット曲でさえもその曲調はいくらか古びてしまったが、今なお彼の卓越した歌唱力、メロウな音の運びは現代的なリスナーにも親しまれる可能性を秘めている。『Can’t Slow Down』とともにリッチーの代表作に挙げられる。

 





Prince  『1999』  1982

 


 

プリンスといえば真っ先に『Purple Rain』のヒットにより、スターミュージシャンの仲間入りを果たした。ノーザンとサザン、サウスで別れていたR&Bの勢力図をスライ・ザ・ファミリーとともに塗り替えた。彼は10代の頃からすでにバンドにおいて、ダンスソウルの音楽性、そしてマルチインストゥルメンタリストとしての演奏力に磨きを掛けてきたが、その後のレコード契約、ひいてはスターミュージシャンとしての道のりはある意味では、付加物のようなものだったと思われる。


革新的とされたファンク・ソウルやシンセサイザーをフィーチャーしたスタイルは、それ以前の80年代にすでに行われていたものだったというが、彼のサウンドはエキセントリックかつエポックメイキングであるにとどまらず、現在のハイパーポップやエクスペリメンタルポップというジャンルの先駆者である。つまり、R&Bというのはプリンスにとって1つの装置のようなもので、その影響をもとに、様々な要素を取り入れ、それらの実験的でカラフルなイメージを持つポップスとして組み上げていった。

 

『1999』は今聴いても新鮮なアルバム。解釈によってはロジャー・プリンスの全盛期をかたどったアルバムと言えるだろうが、ボーカルから立ち上るスター性や独特な艶気はシアトリカルな要素を込めた「総合芸術としてのライブエンターテイメント」の始まりではなかったかと思われる。



Weekly Music Feature


Hinako Omori


大森日向子 ©︎Luca Beiley


大森日向子にとって、シンセサイザーは潜在意識への入り口である。ロンドンを拠点に活動するアーティスト、プロデューサー、作曲家である彼女は、「シンセは、無菌的で厳かなものではありません」と話す。

 

「ストレスを感じると、シンセのチューニングが狂ってしまうことがあった。一度、シンセの調子が悪いのかと思って修理に出したことがあるんだけど、問題なかった。だから、私が座って何かを書くとき、出てくるものは何でも、その瞬間の私の気持ちに関係している。音楽は本当に私の感情の地図になる」


大絶賛されたデビュー作『a journey...』(2022年、Houndstooth)が、その癒しのサウンドで他者を癒すことをテーマにしていたとすれば、大森の次のアルバムは思いがけず、自分自身を癒すものとなった。stillness,softness...』の歌詞を振り返ると、「自分自身の中にある行き詰まりを発見し、それと平穏な感覚を得るための内なる旅でした」と彼女は言う。


大森はとりわけ、シャドウ・セルフ、つまり私たちが隠している自分自身の暗い部分、そして自由になるためにはそれらと和解する必要があるという考えに心を奪われた。「自分自身との関係は一貫しており、それが癒されれば、そこから素晴らしいものが生まれるのです」と彼女は付け加えた。


2022年のデビューアルバム「a journey...」で絶賛されて以来、大森日菜子はクラシック、エレクトロニック、アンビエントの境界線を曖昧にし、イギリスで最も魅力的なブレイクスルー・ミュージシャンの一人となった。

 

日本古来の森林浴の儀式にインスパイアされたコンセプト・アルバム「a journey...」は、自然に根ざしたみずみずしいテクスチャーで、Pitchforkに「驚くべき」と評され、BBC 6Musicでもヘビーローテーションされた。以後、ベス・オートン、アンナ・メレディス、青葉市子のサポートや、BBCラジオ3の『Unclassified』で60人編成のオーケストラと共演、今年末にはロサンゼルスのハリウッド・ボウルで、はフローティング・ポインツのアンサンブルに加わり、故ファロア・サンダースとのコラボ・アルバム『Promises』を演奏する。


「stillness、softness...」は、大森のアナログ・シンセの世界ーー、すなわち、彼女のProphet '08、Moog Voyager、そしてバイノーラルで3Dシミュレートされたサウンドを生み出すアナログ・ハイブリッド・シンセサイザー、UDO Super 6ーーの新たな音域を探求している。このアルバムは、彼女の前作よりもダークで広がりがあり、ノワールのようにシアトリカル。デビュー作がインストゥルメンタル中心だったのに対して、本作ではヴォーカルが前面に出ており、「より傷つきやすくなっている」と彼女は説明している。夢と現実、孤独、自分自身との再会、そして最終的には自分自身の中に強さを見出すというテーマについて、彼女は口を開いている。


大森は「静けさ、柔らかさ...」を「実験のコラージュ」と呼び、それを「パズルのように」つなぎ合わせ、それぞれの曲が思い出の部屋を表している。最終的にはシームレスで、13のヴィネットが互いに出たり入ったりする連続的なサイクルとなっている。「とてもDIYだったわ」と彼女は笑う。「誰も起こしたくなかったから、マイクに向かってささやいたの」


大森は日本で生まれたが、ロンドン南部で育ち、サリー大学でサウンド・エンジニアリングを学習した。彼女がマシン・ミュージックに興味を持ち始めたのは、それ以前の大学時代、アナログ・シンセサイザーを授業で紹介した教師のおかげだった。「好奇心に火がつきました」と大森は説明する。


「クラシック・ピアノを習って育った私が、初めてシンセサイザーに出会った瞬間、完全に引き込まれました。シンセサイザーでは、サウンドを真に造形することができる。それまで考えたこともなかったような、無限の表現の可能性が広がった」


大学卒業後、大森はEOB、ジェイムス・ベイ、KTタンストール、ジョージア、カエ・テンペストといったインディーズ・ミュージシャンやアリーナ・アクトのツアー・バンドに参加した。「これらの経験から多くのことを学びました」と大森は言う。「素晴らしいアーティストたちとの仕事がなかったら、今のようなことをする自信はなかったと思います」 


彼女の自信はまだ発展途上だというが、それは本作が物語っている部分でもある。タイトルは "静寂、柔らかさ... " だけど、このアルバムは成長するために自分自身を不快にさせることをテーマにしている。「それは隠していたいこと、恥ずかしいと思うことを受け入れるということなのです」と彼女は言う。


アルバム全体を通して、大森はこれまでで最も親しみやすく、作曲家、アーティスト、アレンジャー、ヴォーカリスト、そしてシンセサイザーの名手としての彼女の真価が発揮された1枚となっている。このアルバムは、タイトル・トラックで締めくくられ、ひとつのサイクルを完成させている。


「自分の中にある平和な状態を呼び起こすような曲にしたかった」と大森。「毛布のようなもので、とても穏やかで、心を落ち着かせるものだと思っています」。その柔らかさこそが究極の強さなのであり、自分自身と他者への愛と思いやりをもって人生を導いてくれるものなのだ」と彼女は言う。




「stillness、softness...」/Houndstooth

 

大森日向子は既に知られているように、日本/横浜出身のミュージシャンであり、サウスロンドンに移住しています。


厳密に言えば、海外の人物といえますが、実は、聞くところによれば、休暇の際にはよく日本に遊びにくるらしく、そんなときは本屋巡りをしたりするという。ロンドン在住であるものの、少なからず日本に対して愛着を持っていることは疑いのないことでしょう。知る限りでは、大森日向子は元々はシンセ奏者としてロンドンのシーンに登場し、2019年にデビューEP『Auraelia』を発表、続いて、2022年には『A Journey...』をリリースした。早くからPitchforkはこのアーティストを高く評価し、ピッチフォーク・フェスティバル・ロンドンでのライブアクトを行っています。

 

エクスペリメンタルポップというジャンルがイギリスや海外の音楽産業の主要な地域で盛んなのは事実で、このジャンルは基本的に、最終的にはポピュラー・ミュージックとしてアウトプットされるのが常ではあるものの、その中にはほとんど無数と言って良いくらい数多くの音楽性が内包されています。エレクトロニックはもちろん、ラップやソウル、考えられるすべての音楽が含まれている。リズムも複雑な場合が多く、予想出来ないようなダイナミックな展開やフレーズの運行となる場合が多い。このジャンルで、メタルやノイズの要素が入ってくると、ハイパーポップというジャンルになる。ロンドンのSawayamaや日本の春ねむりなどが該当します。

 

先行シングルを聴いた感じではそれほど鮮烈なイメージもなかったものの、実際にアルバムを紐解いてみると、凄まじさを通りこして呆然となったのが昨夜深夜すぎでした。私の場合は並行してデ・ラ・ソウルやビースティー・ボーイズのプロデューサーと作品をリリースを手掛けているラップアーティストとのやりとりをしながらの試聴となりましたが、私の頭の中は完全にカオスとなっていて、現在の状況的なものがこのアルバムを前にして、そのすべてが本来の意味を失い、そして、すぐさま色褪せていく。そんな気がしたものでした。少なくとも、そういった衝撃的な感覚を授けてくれるアルバムにはめったに出会うことが出来ません。このアルバム「stillness,softness…」の重要な特徴は、今週始めに紹介したロンドンのロックバンド、Me Rexのアルバムで使用されていた曲間にあるコンマ数秒のタイムラグを消し、一連の長大なエレクトロニックの叙事詩のような感じで、13のヴィネットが展開されていくということなのです。

 

アルバムには、独特な空気感が漂っています。それは近年のポピュラー音楽としては類稀なドゥームとゴシックの要素がエレクトロニックとポップスの中に織り交ぜられているとも解釈出来る。前者は本来、メタルの要素であり、後者は、ポスト・パンクの要素。それらを大森日向子は、ポップネスという観点から見直しています。このアルバムに触れたリスナーはおしなべてその異様な感覚の打たれることは必須となりますが、その世界観の序章となるのが、オープニングを飾る「both directions?」です。ここでは従来からアーティストみずからの得意とするアナログ・シンセのインストゥルメンタルで始まる。シンプルな音色が選択されていますが、音色をまるで感情の波のように操り、アルバムの持つ世界を強固にリードしていく。アンビエント風のトラックですが、そこには暗鬱さの中に奇妙な癒やしが反映されています。聞き手は現実的な世界を離れて、本作の持つミステリアスな音像空間に魅了されずにはいられないのです。

 

続いて、劇的なボーカル・トラックがそのインタリュードに続く。#2「ember」は、アンビエント/ダウンテンポ風のイントロを起点として、 テリー・ライリーのようなシンセサイザーのミニマルの要素を緻密に組み合わせながら、強大なウェイブを徐々に作りあげ、最終的には、ダイナミックなエクスペリメンタル・ポップへと移行していく。 シンセサイザーのアルペジエーターを元にして、Floating Pointsが去年発表していた壮大な宇宙的な感覚を擁するエレクトロニックを親しみやすいメロディーと融合させて、それらの感情の波を掻い潜るように大森は艶やかさのあるボーカルを披露しています。描出される世界観は壮大さを感じさせますが、一方で、それを繊細な感覚と融合させ、ポピュラー・ミュージックの最前線を示している。それらの表現性を強調するのが、大森の透き通るような歌声であり、ビブラートでありハミングなのです。これらの音楽性は、よく聴き込んで見るとわかるが、奇妙な癒やしの感覚に充ちています。

 

このアルバムには創造性のきらめきが随所に散りばめられていることがわかる。そしてその1つ目のポイントは、シンセサイザーのアルペジエーターの導入にある。シンセに関しては、私自身は専門性に乏しいものの、#3「stalactities」では繊細な音の粒子のようなものが明瞭となり、曲の後半では、音そのものがダイヤモンドのように光り出すような錯覚を覚えるに違いありません。不用意にスピリチュアルな性質について言及するのは避けるべきかとも思いますが、少なくとも、シンセの音色の細やかな音の組み合わせは、精妙な感覚を有しています。これらの感覚は当初、微小なものであるのにも関わらず、曲の後半では、その光が拡大していき、最初に覆っていた暗闇をそのまばゆいばかりの光が覆い尽くしていくかのような神秘性に充ちている。

 

 「cyanotype memories」

  

 

 

続く「cyanotype memories」は、アルバムの序盤に訪れるハイライトとなるでしょう。実際に前曲の内在的なテーマがその真価を見せる。イントロの前衛的なシンセの音の配置の後、ロンドンの最前線のポピュラー・ミュージックの影響を反映させたダイナミックなフレーズへと移行していく。そして、アルバム序盤のゴシックともドゥームとも付かないアンニュイな感覚から離れ、温かみのあるポップスへとその音楽性は変化する。エレクトロニックとポップスを融合させた上で、大森はそれらをライリーを彷彿とさせるミニマリズムとして処理し、微細なマテリアルは次第に断続的なウェイブを作り、そしてそのウェイブを徐々に上昇させていき、曲の後半では、ほのかな温かみを帯びる切ないフレーズやボーカルラインが出現します。トラック制作の道のりをアーティストとともに歩み、ともに体感するような感覚は、聞き手の心に深く共鳴を与え、曲の最後のアンセミックな瞬間へと引き上げていくかのような感覚に充ちている。この曲にはシンガーソングライターとしての蓄積された経験が深く反映されていると言えます。 

 

 

 

#5「in limbo」では、テリー・ライリー(現在、日本/山梨に移住 お寺で少人数のワークショップを開催することもある)のシンセのミニマルな技法を癒やしに満ちたエレクトロニックに昇華しています。そこにはアーティストの最初期のクラシックへの親和性も見られ、バッハの『平均律クラヴィーア』の前奏曲に見受けられるミニマルな要素を現代の音楽家としてどのように解釈するかというテーマも見出される。平均律は元は音楽的な教育のために書かれた曲であるのですが、以前聞いたところによると、音楽大学を目指す学習者の癒やしのような意味を持つという。本来は、教材として制作されたものでありながら、音楽としての最高の楽しみが用意されている平均律と同じように、シンセの分散和音の連なりは正調の響きを有しています。素晴らしいと思うのは、自身のボーカルを加えることにより、その衒学性を衒うのではなく、音楽を一般的に開けたものにしていることです。前衛的なエレクトロニックと古典的なポップネスの融合は、前曲と同じように、聞き手に癒やしに充ちた感覚を与える。それはミニマルな構成が連なることで、アンビエントというジャンルに直結しているから。そして、それはループ的なサウンドではありながら、バリエーションの技法を駆使することにより、曲の後半でイントロとはまったく異なる広々とした空へ舞い上がるような開けた展開へとつながっています。

 

 

#6「epigraph…」では、アンビエントのトラックへと移行し、アルバムの序盤のゴシック/ドゥーム調のサウンドへと回帰する。考えようによっては、オープナーのヴァリエーションの意味を持っています。しかし、抽象的なアンビエントの中に導入されるボーカルのコラージュは、James Blakeの初期の作品に登場するボーカルのデモーニッシュな響きのイメージと重なる瞬間がある。そして最終的に、ミニマルな構成はアンビエントから、Sara Davachiの描くようなゴシック的なドローンを込めたシンセサイザー・ミュージックへと変遷を辿っていく。しかし、他曲と同じように制作者はスタイリッシュかつ聴きやすい曲に仕上げており、またアルバム全体として見たときに、オープニングと同様に効果的なエフェクトを及ぼしていることがわかるはずです。 

 

 

「foundation」



しかし、一瞬、目の前に現れたデモーニッシュなイメージは消えさり、#7「foundation」では、それと立ち代わりにギリシャ神話で描かれるような神話的な美しい世界が立ち現れる。安らいだボーカルを生かしたアンビエントですが、ボーカルラインの美麗さとシンセサイザーの演奏の巧みさは化学反応を起こし、エンジェリックな瞬間、あるいはそのイメージを呼び起こす。音楽的にはダウンテンポに近い抽象的なビートを好む印象のある制作者ではありながら、この曲では珍しくダブステップの複雑なリズム構成を取り入れ、それを最終的にエクスペリメンタルポップとして昇華しています。しかし、ここには、マンチェスターのAndy Stottと彼のピアノ教師であるAlison Skidmoreとのコラボレーション「Faith In Strangers」に見られるようなワイアードな和らぎと安らぎにあふれている。そして、それらの清涼感とアンニュイさを併せ持つ大森の歌声は、イントロからまったく想像も出来ない神々しさのある領域へとたどりつく。そして、それはダンスミュージックという制作者の得意とする形で昇華されている。背後のビートを強調しながら、ドライブ感のある展開へと導くソングライティングの素晴らしさはもちろん、ポップスとしてのメロディーの運びは、聞き手に至福の瞬間をもたらすに違いありません。

 

アルバムのイメージは曲ごとに変わり、レビュアーが、これと決めつけることを避けるかのようです。そしてゴシックやドゥームの要素とともに、ある種の面妖な雰囲気はこの後にも受け継がれる。続く、#8「in full bloom」では、アーティストのルーツであるクラシックの要素を元に、シンセサイザーとピアノの音色を組み合わせ、親しみやすいポピュラー音楽へと移行する。しかし、昨晩聴いて不思議だったのは、ミニマルな構成の中に、奇妙な哀感や切なさが漂っている。それはもしかすると、大森自身のボーカルがシンセと一体となり、ひとつの感情表現という形で完成されているがゆえなのかもしれません。途中、感情的な切なさは最高潮に達し、その後、意外にもその感覚はフラットなものに変化し、比較的落ち着いた感じでアウトロに続いていく。

 

 

前の曲もベストトラックのひとつですが、続く「a structure」はベストトラックを超えて壮絶としか言いようがありません。ここではファラオ・サンダースやフローティング・ポインツとの制作、そして青葉市子のライブサポートなどの経験が色濃く反映されている。ミニマル・ミュージックとしての集大成は、Final Fantasyのオープニングのテーマ曲を彷彿とさせるチップチューンの要素を絶妙に散りばめつつ、それをOneohtrix Point NeverやFloating Pointsの楽曲を思わせる壮大な電子音楽の交響曲という形に繋がっていく。本来、それは固定観念に過ぎないのだけれど、ジャンルという枠組みを制作者は取り払い、その中にポップス、クラシック、エレクトロニック・ダンス・ミュージック、それらすべてを混合し、本来、音楽には境目や境界が存在しないことを示し、多様性という概念の本質に迫っていく。特に、アウトロにかけての独創的な音の運びに、シンセサイザー奏者として、彼女がいかに傑出しているかが表されているのです。

 

アヴァンギャルドなエレクトロニックのアプローチを収めた「astral」については、シンセサイザーの音色としては説明しがたい部分もあります。これらのシンセサイザーの演奏が、それがソフトウェアによるのか、もしくはハードウェアによるのかまでは言及出来ません。しかし、Tone 2の「Gladiator 2」の音色を彷彿とさせる、近未来的なエレクトロニックの要素を散りばめ、従来のダンス・ミュージックやエレクトロニックというジャンルに革命を起こそうとしています。アンビエントのような抽象的な音像を主要な特徴としており、その中には奇妙なクールな雰囲気が漂っている。これはこのアーティストにしか出し得ない「味」とでも称すべきでしょう。

 

 

これらの深く濃密なテーマが織り交ぜられたアルバムは、いよいよほとんど序盤の収録曲からは想像もできない領域に差し掛かり、さらに深化していき、ある意味では真実性を反映した終盤部へと続いていきます。「an ode to your heart」では驚くべきことに、日本の環境音楽の先駆者、吉村弘が奏でたようなアンビエントの原初的な魅力に迫り、いよいよ「epilogue...」にたどり着く。ホメーロスの「イーリアス」、ダンテ・アリギエーリの「神曲」のような長大な叙事詩、そういった古典的かつ普遍性のある作品に触れた際にしか感じとることが難しい、圧倒されるような感覚は、エピローグで、クライマックスを迎える。海のゆらめきのようにやさしさのあるシンセサイザーのウェイブが、大森の歌声と重なり、それがワンネスになる時、心休まるような温かな瞬間が呼び覚まされる。その感覚は、クローズで、タイトル曲であり、コーダの役割を持つ「stillness,softness…」においても続きます。海の上で揺られるようなオーガニックな感覚は、アルバムのミステリアスな側面に対する重要なカウンターポイントを形成しています。

 

 

100/100

 

 

Hinako Omori(大森日向子)のニューアルバム「stillness,softness…」は、Houdstoothより発売中です。

・ドリームポップの先駆者

 

Dream Popのオリジネーターと称されるCocteau Twins

 

「ドリーム・ポップの先駆者は、Cocteau Twins(コクトー・ツインズ)である」と意気揚々と書こうとしたところで、ダメ出しが入った。というのも、一般的にはそう見なされているが、実際にはそれ以前に、A.R.Kane(アレックス・アユリ、ルディ・タンバラのユニット)がみずからの浮遊感のあるボーカル、そしてドリーミーな雰囲気のバンドサウンドが溶け合った音楽性を「Dream Pop」と称したのが始まりだというのだ。

 

これは実際、今まであまり一般的には知られていなかったことである。それから現在、ベラ・ユニオンを主宰するコクトー・ツインズのサイモン・レイモンド氏が、みずからのバンドの音楽を”Dream Pop”と称したことから、このジャンルの呼び名が一般的に普及していった。音楽ジャーナリストや雑誌のライターがこの名前を使うようになったのはそれ以降のこと。A.R.Kaneは、1994年から長らくリリースをおこなっていなかったが、2023年に入り、カムバックし、『i』というフルレングスを発表している。このアルバムでは、以前とは見違えるようなニュー・ロマンティックやダンス・ポップ風のスタイルに挑戦している。

 

ドリーム・ポップというジャンルの音楽性の定義は、従来、一般的な商業音楽誌で説明されてこなかったという。シューゲイズに関しては、ジン、フリーペーパー、そしてシンコー・ミュージックが発刊する名盤ガイド等では、これまで再三再四、詳細な説明がなされてきた。けれど、ドリーム・ポップに関する音楽性の定義づけは、これまであまりされてこなかったという意見も見受けられる。

 

そもそも、コクトー・ツインズの80年代のアーティスト写真を見ると分かるとおり、このドリーム・ポップというジャンルは推測するに、Joy Divisionなどのゴシック・パンクの系譜にある音楽なのではないか、ということである。そして、それはゴシックを取り巻く表層的な概念ーー暗鬱、アンニュイ、耽美的、退廃的、甘美的、夢想的、ルネッサンス主義ーーと、こういった複合的なイメージが実際の音楽性と合わさり、ドリーム・ポップという音楽の概念を形成していく。


バンドのメンバーのキャラクター性に関しては、以前の1970年代のT-Rexのマーク・ボラン、David Bowie(デヴィッド・ボウイ)のグリッター・ロック(グラム・ロック)のイメージを継承している。


音楽性に関して言うなら、それ以前のJAPANなどのニュー・ロマンティックの音楽のイメージが合体し、ポスト・パンク/ニューウェイブの立ち位置を取りつつも、ポップで親しみやすい音楽という形で、複数の英国のグループがドリームポップの礎を構築していき、 Slowdive、Rideを筆頭とする1990年代のシューゲイズのムーヴメントへと繋げていった。


そのなかでは、スコットランドのギター・ポップの甘いメロディーと掛け合わせようとする試みを行うグループも複数登場した。同時に、シューゲイズの源流を形成するUKのクリエイション・レコード周辺のJesus and Mary Chain、Chapterhouse、さらに4ADのLush、Pale Saintsをはじめとする最初のウェイヴを形成するバンドも登場する。また、後のクラブ・ミュージックを音楽性の内核に擁するイメージからは想像もできないが、Primal Screamのギター・ポップ/ネオ・アコースティックを下地したデビュー・アルバムも、ドリーム・ポップに属すると見てもそれほど違和感がない。指摘しておきたいのは、シューゲイズからドリーム・ポップが生まれたのではなく、ドリーム・ポップからシューゲイズというジャンルが生み出されたということなのである。

 

 

 

・Dream Popの名盤ガイド 

 


 

Primal Scream 『Sonic Flower Groove』 1987/ Warner Music UK

 

 

 

Primal Screamの代表作といえば、真っ先に『XTRMNTR』が思い浮かぶ。しかし、その後のクラブ・ミュージックの影響を商業ロックと融合させたスタイルからは想像も出来ない音楽を引っ提げ、彼らはミュージック・シーンに名乗りを上げた。スコットランドのネオ・アコースティック/ギター・ポップに触発を受けた甘美さと憂愁を兼ね備える抽象的なギターロック・サウンドに、グラスゴー出身のバンドの郷土的な原点が見出せる。その後、イングランドからワールドワイドなグループに変身を遂げ、大掛かりで扇動的なダンス・ロックのスターに上り詰めるが、ジム/ウィリアム・リード兄弟のジーザス&メリー・チェインズ時代のドリーム・ポップに近い音楽性は今もなお貴重である。知る限りにおいて、プライマル・スクリームが繊細さとメロディーの良さを追求したのは、後にも先にもこのデビュー作だけだったのではないだろうか。

 


 


 

 

Cocteau Twins 『The Moon and The Melodies』 1986  / 4AD




コクトー・ツインズは、スコットランドで1979年に結成され、97年に解散した。Pixiesとともに4ADの黎明期を代表するグループ。もちろん、同レーベルの知名度を引き上げた貢献者として知られる。ボーカルのエリザベス・フレイザーは現在、Sun's Signatureとして活動し、ベースのサイモン・レイモンドは、ベラ・ユニオンを主宰している。グループのサウンドは、スコットランドのギター・ポップを下地にし、それらをニュー・ロマンティックやゴシック的なサウンドと結びつけている。別の見方をすると、コクトー・ツインズは、シンセ・ポップやポスト・ロック的なサウンドにも挑戦し、活動期を通じて様々な音楽を展開した。フレイザーの夢想的なボーカルと、エレクトロニックやバンドアンサンブルを融合させ、時代に先んじた音楽性に取り組んだ。1986年の『The Moon and The Melodies』では、コクトー・ツインズの代名詞的であるサウンドを体験することが出来る。オープニング「Sea, Swallow Me」の甘美的なサウンドも素晴らしいが、「Eyes Are Mosaics」の夢想的な雰囲気も捨てがたい。レーベルの最初期のゴシック的なイメージと合致を果たして、ドリーム・ポップの美学を生み出すことになった。

 



 

 

Wannadies 『The Wannadies』 1990 /MNW

 



Wannadies(ワナディーズ)は、スウェーデンの最初期のオルタナティヴ・シーンの牽引者。1988年にSkellefteåで結成。1996年に一度解散するも、2020年に復活している。バンドの音楽性は、ロック、ギター・ポップ、ジャングル・ポップ、パンキッシュな曲と広範にわたる。バンドはスウェーデンのバンドとしては大きな期待を受け、マイク・ヘッジズや、カーズのリック・オケイセックをプロデューサーに招いて、アルバムの制作を行った。後に、MNWとの関係が悪化し、最終的にBMGとライセンス契約を締結した。Wannadiesのアンセム曲としては、「You And Me Song」、「Combat Honey」が真っ先に挙げられるが、ドリーム・ポップという括りで語るなら、『The Wannadies』が最適だ。このファースト・アルバムには、スコットランドのギター・ポップの影響も見受けられる。ノスタルジア溢れるドリーム・ポップソングが満載である。

 


 

 

Slowdive 『Souvlaki』 1994/Sony Music

 



SlowdiveはMy Bloody Valentineとともに、クリエイション・レコーズの象徴的な存在であり、ブリット・ポップと次の時代のイギリスのミュージックシーンを架橋するような役割を果たしたと言えるだろう。シューゲイズとして取り上げられることも多いバンドだが、特に、良質なメロディー、そして夢想的な雰囲気がこのバンドの象徴的な音楽性に挙げられる。『Souvlaki』はコクトー・ツインズの音楽性を受け継ぎ、甘美的なインディーロックサウンドを追求している。「Alison」、「Machine Gun」、「40Days」等、良質なオルタナティヴ・ロック・ソングを収録。ノイジーなサウンドづくりに加え、その合間のサイレンスもスロウダイヴの唯一無二の魅力と言える。バンドは、今年に入り、『Everything Is Alive』を発表し、新境地を開拓している。

 



 

 

Alison's Halo   『Eyedazzler』1998/ Manufactured Recordings

 



Alison's Halo(アリソンズ・ヘイロー)は、キャサリン/アダム夫妻を中心に、1992年にアリゾナで結成された。シューゲイズ・バンドとしてマニアの間でひっそりと知られている。ただ、ここでは、ドリーム・ポップのグループとして紹介する。Alisson's Haloは、92年から98年まで活動した。六年間で1998年に唯一リリースされたのがこのアルバムだった。発売当初は二枚組としてアーカイブ的な意味合いでリリースされた。『Eyesdazzler』は、シューゲイズ・ギターと、シンプルなベースライン、キャサリン・クーパーの甘ったるいボーカルを特徴とする幻の傑作である。シューゲイズサウンドの中に見られる奇妙なアンニュイさは、コクトー・ツインズのフォロワー的な存在と見て良いかもしれない。「Sunsy」、「Jetpacks For Julian」は必聴。

 


 

 

 Kitty Craft 『Beats and Brakes from The Flower Patch』 1998 / Takotsubo Records




Kitty Craftは、1994年にPamela Valfer(パメーラ・ヴァルファー)により立ち上げられたソロ・プロジェクト。最初期のEPやアルバムは、鍵盤やサンプラーにより制作された。そのうちのほとんどはホームレコーディングを中心に自主制作をおこなった。年代的に見て世界初のベッドルームポップ・プロジェクトで、本物の天才プロデューサーである。1998年に発売された『Beats and Brakes from The Flower Patch』は、ヒップホップ/ヴィンテージ・ソウル/クラシックのサンプリングや、ブレイクビーツを取り入れたローファイ・ホップである。しかし、Pamela Valfer(パメーラ・ヴァルファー)のボーカルには夢想的な雰囲気が漂い、ドリーム・ポップ風のフレーズが生み出されている。ソウルとはまったくかけ離れた音楽でありながら、ハートウォーミングな感覚に浸されている。なお、今作は、昨年、Takotubo Recordsよりボーナス・トラックを追加収録して発売された。現在も、Pamela ValferはLAを拠点に活動中とのこと。


 

 

 Asobi Seksu  『Citrus』 2007/ One Little Independent



 

米国の日本人ボーカルのバンドといえば、まず最初に、ニューヨークのジャズシーンで高い評価を受けたMakino Kazu擁するBlonde Redheadが思い浮かぶが、Yuki Chikudate (ボーカル、キーボード)とJames Hanna (ギター)からなるユニット、Asobi Seksu(アソビ・セクス)も忘れてはならないだろう。本拠地はニューヨークのブロンクス。2人はマンハッタン音楽院でクラシックを専攻していた際に出会った。バンドは、その後、William Pavone、Larry Gormanをラインナップに迎え、四人編成で活動し、2001年から2013年まで活動をつづけた。


セルフ・タイトルのデビュー・アルバムのフィジカル盤の内ジャケットには、「ドリーム・ポップ・ワールド」と銘打たれており、キラキラしてフワフワした浮遊感のあるシューゲイズに近いインディー・ポップを特徴としていた。デビュー作で、すでに良質なソングライターとしての片鱗を見せたYuki Chikudate。その才覚が花開いた2ndアルバム『Citrus』は、バンドの最高傑作と見ても良いかもしれない。マニア向けのドリーム・ポップバンドでありながら、Pitchfork,New York Times,SPIN、NMEでもレビューで取り上げられ、好意的に受け入れられた。 Yuki Chikudateのハイトーンのボーカル、トレモロ・ギター、独特なキラキラした世界観が劇的な融合を果たして、2010年代以降のドリームポップ・リバイバル時代への重要な橋渡し役となった。

 


 

 

Mass Of The Fermenting Dregs 『World Is Yours」 2009/ Universal Music

 

 

 

意外と、日本よりも海外で人気が高い印象もある、Mass Of The Fermenting Dregs。デビュー前は、Audio Leafで無料で曲が聞くことが出来た。バンド名からも分かるとおり、マス・ロックに近いテクニカルな構成力を持つオルタナティヴロックバンド。フジかサマー・ソニックの新人枠で出演する以前、グランジに近い音楽性を特徴としており、ワンピースでベースをかき鳴らす様子は、当時の東京のインディーズ・シーンで異彩を放っていた。徐々にJ-Popの影響を交えた曲も書くようになり、人気が定着する。


オリジナル・メンバーの脱退、メンバー加入等、紆余曲折あったが、近年復活を果たし、昨年、『Awakening: Sleeping』をリリース後、ヨーロッパ・ツアーを成功させた。へヴィーロックからドリーム・ポップ、日本語ロックまでを網羅的に収録。今回、ご紹介する実質的なデビュー作「World Is Yours EP 」は、Mass Of The Fermenting Dregsの名を海外にも知らしめることになった傑作。ナンバー・ガールを思わせるパンキッシュなギター・ロックに加え、ドリーム・ポップにも近い雰囲気も漂う。正直、このEPに関しては現在、流通状態がどうなっているのかは不明。タイトル曲「World Is Yours」は日本のインディーロックの歴史に残る名曲のひとつだ。


 

 

 

Beach Fossils 『Beach Fossils』 2010/ Bayonet Records(オリジナルの発売はCaptured Tracks)

 

 


今では、2010年代のニューヨークのベースメント・ロックの象徴的な存在として知られるようになったBeach Fossilsであるが、当時、私が海外盤を発売当初入手して、すごいバンドが出たと吹聴した時、周りの人たちは誰もこのバンドのことを気にも留めていなかった。少なくとも、ビーチ・フォッシルズは2010年代のニューヨークのインディーロック・シーンの最重要バンドであることに変わりはない。しかし、このサーフ・ロックとドリーム・ポップ、そしてストーンズの古典的なロックを融合させた「Daydream/ Desert Sand」を引っ提げ、ビーチ・フォッシルズが登場したときの衝撃は未だに忘れることが出来ない。


リバイバルという形はすでにニューヨークのローワーイーストサイドで、2000年代に沸き起こっていたが、ビーチ・フォッシルズは、ガレージ・ロックのリバイバルの構図を、シューゲイズやドリーム・ポップの音に一新させてしまった。その後、バンドは、『Clash The Truth』、『Somersault』を発表した。元ドラマーで、ジュリアード音楽院でジャズを学んだトミー・ガードナーとのバンドの楽曲をジャズにアレンジしたアルバム『The Other Side of LIfe: Piano Ballads』を発表した。現在、ダスティン・ペイザーは、Bayonet Recordsを立ち上げ、新進バンドの発掘にも貢献している。バンドは今年に入り、最新作『Bunny』をBayonetからリリースしている。

 

 


 

 

Sea Oleena 『Sea Oleena』2010  / Charlotte Loseth

 


 

Sea Oleenaは、カナダ・モントリオールの兄妹、シャルロット・オリーナとルーク・ロゼスのエレクトロニカ・ユニット。現行のベッドルーム・ポップの先駆的な存在でもある。レコーディングの多くは、兄妹の自宅で行われ、ギター、ピアノをはじめとする楽器が自前のラップトップで録音され、レコーディングからリリースまでのおおよそが兄妹二人の手でなされている。Youtubeの公式のPV以外は、音源リリースは、カセットテープ、Sound Cloudでのリリースを中心に活動している。昨今、リリース音源がCDというかたちで市場に残るようになった。 Sea Oleenaの鮮烈なセルフ・タイトルのデビュー作は、ミニマルなインディー・フォークとドリーム・ポップを融合させた「Swimming Story」等が収録。2013年にはオリジナル盤に「Sister」を始めとする七曲を追加収録したバージョンが発売されている。


 

 

 

Lightning Bug 『A Color Of The Sky』  2021 / Fat Possum


 

Audrey Kang(オードリー・カン)を中心に結成されたニューヨークのLightning Bug。2015年から三作のフルレングスを発表している。フロントパーソンの透明感のあるボーカルが特色で、フェイザー・ギターやフォーク音楽を吸収したリズムがその音楽の魅力を引き立てる。バンドサウンドの風味は、シューゲイザー、ドリーム・ポップの中間点に位置し、不可思議な幻想性がほのかに漂う。「A Color Of The Sky」は、ニューヨークのキャッツキルでレコーディングされ、「リスナーには、自分の内面の世界を探求してほしいと思います。この作品は、自分を信頼すること、自分に深く正直になること、そして、自己受容が無私の愛を生み出すことを主題にしている」とフロントパーソンのオードリー・カンは説明している。ドリーム・ポップにみならず、落ち着いたフォークミュージックとして楽しめる。長く活躍してほしいバンドのひとつ。



 


 

Living Hour 『Someday Is Today』2022/ Next Door


 


カナダ、マニトバ州のウィニペグのバンド、Living Hour(リヴィング・アワー)。シューゲイズ寄りの骨太なロックサウンドが最大の魅力ではあるが、その中にドリーム・ポップ、トロピカル、エレクトロ等のクロスオーバーが見られることもカナダのロック・バンドらしい特徴である。デビュー・アルバムも捨てがたいものの、最新作『Someday Is Today』はリヴィング・アワーの出世作。今作には、Jay Somがゲストとして参加。制作は当初の予定よりも遅れ、最も寒い期間に制作が行われている。バンドが、ドラキュラが出そうな中世ヨーロッパの雰囲気と説明するレコーディング・スタジオで制作されたのも、特異なインディーロックサウンドを生み出す契機となった。シューゲイズのアンセム「Feeling Meeting」もクールだが、ドリーム・ポップという観点からは「Hump」がおすすめ。また、スロウコア風の「Curve」なども収録されている。

 



 

Lande Hekt 『Romantic』 Single 2022/ Emotional Response

 


 

マンシー・ガールズのフロントマンとして知られるランデ・ヘクトのソロ・プロジェクト。しかし、マンシー・ガールズは解散を発表し、フェアウェル・ツアーが今年の11月と12月に開催される予定。ということは、今後、ソロプロジェクトの専念するということなのか。ランデ・ヘクトは、パンキッシュな印象のあるマンシー・ガールズとは異なり、このソロ・プロジェクトを通じて、スコットランドのネオ・アコースティック、ギター・ポップを継承して、それらをエモーショナルなロックソングに昇華している。アーティストのゴシックへの興味についても曲にユニーク性を付与している。ジャングル・ポップ/パワー・ポップの名曲「Romantic」は、ぜひチェックしてもらいたい。2022年発売された2ndアルバム『House Without A View』はギター・ポップとしてはもちろん、ドリーム・ポップとしても楽しめるアルバムとなっている。

 



 

 

 

Smut 『How The Light Felt』2022 / Bayonet

 



シカゴの四人組インディーロックバンド、シンプルなロックソングが特徴。その中にはドリーム・ポップに近い夢想的な雰囲気に溢れている。バンドは先日、Audio Treeのラジオ・セッションに登場し、このアルバムの収録曲を演奏している。オアシス、クランベリーズを彷彿とさせるクラシカルなロックの型に加え、メロディアスな楽曲が特色である。このアルバムはボーカリストの妹の死を原動力に書かれた。実際、その中には落胆した人々の肩を支えるような力強さもある。Bayonet Records所属というのもあり、今後の動向に注目しておきたいオルタナティヴロックバンド。このアルバムには「Supersolar」、「Believe You Me」といった良曲が収録されている。


Weekly Music Feature

 

Mitski 



©Ebru Yildiz

 

「希望や魂や愛が存在しないほうが人生は楽だと感じることがある・・・」とミツキは言う。しかし目を閉じ、何が本当に自分のものであるのか、差し押さえられたり取り壊されたりすることのないものは何なのかを考えたとき、ほんとうの愛が見えてくる。「私の人生で最高のことは、人を愛することだ」

 

「私が死んだ後、私が持っているすべての愛を残せたらいいのに、と思う。そうすれば、私が作り出したすべての善意、すべての善良な愛を他の人々に輝かせることができるのだから・・・」彼女は、最新アルバム『The Land Is Inhospitable and So Are We』が、自分の死後もずっとその愛を照らし続けてくれることを願っている。このアルバムを聴くと、まさにそのように感じる。「この土地に取り憑いている愛のようだ。これは私にとって最もアメリカ的なアルバム」と、ミツキは7枚目のアルバムについて語っているが、その音楽は、私的な悲しみや痛ましい矛盾を抱えたアメリカなる国家を直視する深甚な行為であるかのように感じられる。

 

このアルバムは、サウンド的にもミツキの最も広大かつ壮大、そして賢明な内容に彩られている。曲はアーティストの心の傷を示し、そして同時に積極的に癒しているかのようだ。ここでは、愛は数億光年も先にある遠い星からの光の反射さながらに、私達の優しい日々を祝福するため、タイムリープしている。アルバムの全体には、大人になり、一見すると平凡な心の傷や、しばしば表向きには歌われることがない莫大にも感じられる喜びによる痛みがあふれている。

 

これはアーティストによる小さく大きな叙事詩である。グラスの底から、思い出と雪でぬかるんだ車道、アメリカ中西部を疾走する貨物列車のアムトラック、そして目が眩むほど私達が住む場所から離れた月へと、すべてが、そして誰もが、痛みで叫びながら、愛に向かってアーチを描いているのだ。愛とはそもそも、人を寄せ付けぬサンクチュアリなのであり、私たちを手招きしながらも、時に拒絶する。この場所--この地球、このアメリカ、この身体--を愛するには、積極的な努力が必要となる。しかし、それは不可能かもしれない。最高のものはいつだってそうなのだから。

 

 

『The Land Is Inhospitaland and So Are We』/ Dead Oceans

 




前作『Laurel Hell』では、ビルボード・トップ・アルバム・チャートで初登場一位を記録し、Talking Headsのデイヴィッド・バーンとのコラボレーションにより、2023年度のアカデミー賞にもノミネートされ、また、イギリスの偉大なエレクトロニック・プロディーサー、Clarkへのリミックスの依頼する等、ミツキはアルバムをリリースから2年ほど遠ざかっていたものの、表層的な話題に事欠くことはほとんどなかった。


ボストンのRoadrunnerを除けば、世界的なフェスティバルにはほとんど出演しなかったものの、このアルバムの制作及び発表にむけて、そのクリエイティヴィティーをひそかに磨きつづけていた。
 
ミツキが一度は表舞台からの引退発表を行ったことは事実であるが、一方、前作の『Laurel Hell』でミュージック・シーンに返り咲き、インディーズの女王の名を再び手中に収めた。アーティストは、その謎めいた空白の期間、アーティストとして生きるということはいかなることであるのかを悩んだに違いない。


そして、オーディエンスの奇異な注目を浴びることの意味についても考えを巡らせたに違いない。例えば、Mitskiは、近年のライブにおいて、観客がアーティストの音楽に耳を傾けず、デジタル・デバイスを暗闇にかざし、無数のフラッシュをステージに浴びせることに関し、強い違和感を抱いていたはずである。


アーティストは写真を撮影されるために何万人もの前でライブを行うわけではない。また、ゴシップ的な興味を抱かれるためにライブを行うわけでもない。無数のカメラのフラッシュのすぐとなりで、ひっそりと音楽に純粋に耳を傾ける良心的なファンのため、普通の人ならほとんど膝が震えるような信じがたいほど大きな舞台に立つのである。またそのために、人知れず長い準備を行うのだ。この無数のオーディエンスは、とミツキは考えたに違いない。自分の音楽を聴きに来ているのだろうかと。

 
そして実際、アーティストは以前、そういった音楽を聞かず、写真だけを撮影しに来るオーディエンスに対して、次のような声明を出していたことは記憶に新しい。「観客とパフォーマンスを行う私たちが同じ空間にいるのにもかかわらず、なぜか一緒にその場にいないような気がする」と。さらに彼女は、ライブ・セットをスマートフォン等で全撮影をおこなう節度を弁えない(ライブを聴いていない)ファンにも率直に苦言を呈した。「ライブでの電話に反対だと言ったことはありません。私がプロとしてパフォーマンスをしているかぎり、オーディエンスは自由にライブを録画したり写真を撮ったりしてきた」彼女はもちろん、「ライブショー全体を撮影する観客のことを指している」と付け加え、「ステージの上で、静止したままの携帯電話の海を見て、ショー全体の観客の顔が全然見えなくなる」ことがとても残念であると述べた。

 
最新アルバム『The Land Is Inhospital and So Are We』を見るかぎり、上記の現代のライブにおけるマナーに関するコメントは、意外にも、重要な意味を帯びて来ることが分かる。ニューヨークの山間部に自生しているバラの名前にちなんだ前作アルバム『Laurel Hell』では、ライブを意識したダンス・ポップ/エレクトロ・ポップの音楽性を主体にしていたが、最新作では、驚くほど音楽性が様変わりしている。単体のアルバムとしてのクオリティーの高さを追求したことは勿論、ライブで静かに聴かせることを意識して制作された作品と定義付けられる。いわば多幸感や表向きの扇動性を徹底して削ぎ落として、純なるポピュラーミュージックの良さをとことん追求した作品である。これまで幾度も二人三脚で制作を行ってきたプロデューサー、そしてオーケストラとの合奏という形で録音された『The Land Is Inhospital and So Are W』は、厳密に言えばライブ・アルバムではないのだが、まるでスタジオで録音されたライヴ・レコーディングであるようなイメージに充ちている。すべての音は生きている。そして絶えず揺れ動いているのだ。

 
先行シングルとして公開された「Bug Like A Angel」のイントロは、アコースティック・ギターのコードにより始まる。しかし、その後に続くミツキのボーカルは、アンニュイなムードで歌われていて、そして、ソフトな印象をもたらす。そして、そのフレーズはゴスペル風のクワイアによって、印象深いものに変化する。まさにイントロから断続的に音楽がより深い領域へと徐々に入り込んでいく。ゴスペルのコーラスの箇所では華美な印象性をもたらす場合もあるが、メインボーカルは、一貫して落ち着いており、一切昂じるところはなく、徹底して素朴な感覚に浸されている。しかし、それにも関わらず、複数人のサブボーカルがメインボーカルの周りを取り巻くような形で歌われる、アフリカの民族音楽のグリオ(教会のゴスペルのルーツ)のスタイルを取り、曲の中盤から終わりにかけて、なだらかな旋律の起伏が設けられている。歌詞についても同様である。安直に感動させる言葉を避け、シンプルな言葉が紡がれるがゆえ、言葉の断片には人の心を揺さぶる何かが含まれている。この曲は、叙事詩的なアルバムの序章であるとともに、この数年間のシンガーソングライターとしての深化が留められている。
 
 

「Bug Like A Angel」

 

 

 

「Buffalo Replaced」ではアーティストのインディーロック・シンガーとしての意外な表情が伺える。表向きに歌われるフレーズはポピュラー音楽に属するが、一方、アコースティックギターのノイジーなプロダクションは、まるでグランジとポップの混合体であるように思える。そしてニヒリズムに根ざした感じのあるミツキのボーカルは、これらの重量感のあるギターラインとリズムにロック的な印象を付与している。ここには、不動のスターシンガーとみなされるようになろうとも、パンキッシュな魂を失うことのないアーティストの姿を垣間見ることが出来る。特にミニマルな構成を活かし、後半部では、スティーヴ・ライヒの『Music For 18 Musicians』の「Pulse」のパーカッシブな効果を活用し、独特なグルーヴを生み出す。これはモダンクラシカルとポップス、そしてインディーロックが画期的な融合を果たした瞬間でもある。

 

Mitskiはこのアルバムを「最もアメリカ的」であると説明しているが、その米国の文化性が「Heaven」に反映されている。ペダル・スティールや大きめのサウンドホールを持つアコースティック・ギターの演奏を通じて、カントリー/ウェスタンの懐古的な音楽性に脚光を当てようとしている。この曲は例えば、同じレーベルに所属するAngel Olsen(エンジェル・オルセン)が『Big Time』で示したアメリカの古き良き時代への愛のオマージュとなり、Mitskiというシンガーの場合も同じく、保守的な米国文化への憧れの眼差しが注がれている。実際、プロデューサーの傑出したミックス/マスタリングにより、曲全体にはアルバムの主要なテーマが断片的に散りばめられている。それは単なる偏愛や執着ではなく、アーティストの真心の込められた寛容で温かく包み込む感覚ーーἀγάπη(アガペー)ーーが示されていると言える。そしてその感覚は、実際、部分的にシンガーの歌にμ'sのごとく立ちあらわれ、温和な感情に満たされる。音楽というのは、そもそも肉体で奏でるものにあらず、魂で語られるべきものである。


先日、頭にいきなり思い浮かんだ来た言葉があった。それは良いシンガーソングライターとはどういった存在であるのかについて、「生きて傷つきながらも、その傷ついた魂を剥き出しにしたまま走り続けるランナー」であるという考えだ。実際、それは誰にでも出来ることではないために、ことさら崇高な感覚を与える。そして、ギリシャ神話にも登場する女神とはかくなるものではないかとおもわせるものがある。「I Don't Like My Mind」は、まさにそういった形容がふさわしく、アーティストのμ'sのような性格がどの曲よりもわかりやすいかたちであらわれている。前の曲「Heaven」と同じように、カントリーを基調にした一曲であり、自己嫌悪が端的に歌われる。ペダル・スティールはアメリカの国土の雄大さと無限性を思わせる。そしてその嫌悪的な感覚の底には、わたしたちが見落としてしまいそうな得難いかたちの愛が潜んでいる。それはシンガーの力強いビブラート、つまり、すべての骨格を震わせて発せられる声のレガートが最大限に伸びた瞬間、自己嫌悪の裏に見えづらい形で隠れていた真の愛が発露する。愛とはひけらかすものではなく、いつもその裏側で、目に映らぬほどかすかに瞬くのだ。

 

「The Deal」は、まるで暗い海の上をどこに向かうともしれず漂うような不安定なバラードである。表向きにはアメリカのフォーク/ポップの形が際立ち、それはシアトリカルなイメージに縁取られている。曲調はラナ・デル・レイにも近い。しかし、日本人として指摘しておきたいのは、サビのボーカル・ラインの旋律の節々には、日本の昭和歌謡の伝統性がかなり見えづらい形で反映されていることだろう。これらのナイーヴとダイナミックな性質の間を絶えず揺れ動く名バラードは、なぜか、曲の後半でアバンギャルドな展開へと移行していく。破砕的なドラム・フィルが導入され、米国のフォーク音楽が、にわかにメタルに接近する。これは、プロデューサーの冒険心が”Folk Metal”というユニークな音楽を作り出したのか。それともプロデューサーのミドルスブラのBenefitsに対する隠れた偏愛が示されているのか。いずれにしても、それらのダイナミックな印象を引き立てるドラム・フィルの断片が示された後、曲はグランド・コアに近いアヴァンギャルドな様相を呈してから、徐々にフェード・アウトしていく。このプロデュースの手法には賛否両論あるかもしれないが、アルバムの中ではユニークな一曲と呼べる。


「When Memories Snow」では、シンガーとしては珍しく、古典的なジャズ・ポップスに挑戦している。実際の年代は不明だが、これこそシナトラやピアフの時代への最大の敬愛が示された一曲である。ストリング、ホーン、ドラムとビック・バンド形式を取り、ミュージカルのような世界観を組み上げている。メロディーやリズムの親しみやすさはもちろん、ミツキのボーカルは稀にブロードウェイ・ミュージカルの舞台俳優のようにムードたっぷりに歌われることもあり、昨年、Father John Mistyが『Chloe and the Next 21th Century』で示したミュージカル調のポップスを踏襲している。



クワイア調のコーラスがメインボーカルの存在感を際立たせる。アウトロにかけては、Beatlesが取り組んだポップとオーケストラの融合を、クラシック・ジャズ寄りのスタイルにアップデートしている。実際、ストリングのトレモロ、 ホーン・セクションのアレンジは、ミュージカルのような大掛かりな舞台装置の演出のような迫力をもたらす。かつてのOASISの最盛期のブリット・ポップの作風にも比する壮大さである。


ミツキが今後、どのようなシンガーソングライターになっていくのか、それはわからないことだとしても、「My Love Mine All Mine」で、その青写真のようなものが示されているのではないか。ジャズの気風を反映したポップだが、この曲に溢れる甘美的な雰囲気は一体なんなのか。他のミツキの主要曲と同じように、中音域を波の満ち引きように行き来しながら、淡々とうたわれるバラード。もったいつけたようなメロディーの劇的な跳躍もなければ、リズムもシンプルで、音楽に詳しくない人にも、わかりやすく作られている。


それにもかかわらず、この素朴なバラード・ソングは、60年代から六十年続く世界のポピュラー・ミュージックの精髄を突いており、そして2分弱という短尺の中で、シンガーは、片時もその核心を手放すことはない。このNorah Jonesのデビュー作のヒット・ソングとも、一昨年のSnail Mailの『Valentine』のクローズのバラード・ソングとも付かない、従来のシンガーソングライターのキャリアの中で最も大胆かつ勇敢な音楽へのアプローチは、実際のところ、あっという間に通り過ぎていくほんの一瞬の音の流れに、永遠の美しさの影を留めている。

 

「My Love Mine All Mine」

 

 

 

「The Forest」では、カントリー/ウェスタンの懐古的な音楽性へと舞い戻る。この曲では、ハンク・ウィリムズのような古典から、WW2の後のジョニー・キャッシュ、レッド・フォーリーに至るまでのフォーク音楽を綿密に吸収して、それを普遍的なポップスの形に落とし込んでいる。「No One」や「Memory」といった理解しやすいフレーズを多用し、語感の良さを情感たっぷりに歌っている点が、非英語圏のスペインをはじめとするヨーロッパの主要な国々でも安定した支持を獲得している理由でもある。そして、ペダル・スティールやジャズのブラシ・ドラムのようにしなやかなスネアは、温和なボーカルと綿密に溶け合い、この上なく心地よい瞬間を生み出す。それはやはり、他の収録曲と同じように、あっけなく通りすぎていってしまうのだ。


アルバムの先行シングルとして公開された「Star」は、ポピュラー歌手としての新機軸を示している。この曲は編曲家/指揮者のドリュー・エリクソンとロサンゼルスのサンセット・スタジオで録音された。アーティストは、オーケストラを曲の中に導入する場合、別の場所で録音されたものでは意味がないと考え、そのオーケストラとポップの瞬間的なエネルギーを生み出そうと試みた。ハリウッド映画『Armagedon』のオープニング/エンディングのような壮大さを思わせるダイナミックなサウンドは圧巻だ。パイプ・オルガンを交えたシネマティックな音響効果が、宇宙的な壮大さを擁するバラードという最終形態に直結していく。そしてイントロの内省的なボーカルは、オーケストラやオルガンの演奏の抑揚がゆっくりと引き上げられていくにつれ、神々しい雰囲気へと変貌を遂げる。それは、このアルバムを通じて紡がれていくナラティヴな試みーー生命体がこの世に生まれてから、いくつもの悲しみや痛みを乗り越えて、ヒロイックなエンディングを迎える壮大な叙事詩の集大成ーーを意味している。そしてこの曲には、アーティストが隠そうともしない心の痛みが、己が魂を剥き出しにするがごとく表れている。

 

 「Star」

 

 

この段階までで、すでに大名盤の要素が十分に示されているが、このアルバムの真の凄さは、むしろこの後に訪れるというのが率直な意見である。アルバムの序盤では封じていた印象もある憂鬱な印象を擁する「I'm Your Man」では、サッド・コアにも近いインディーズ・アーティストとしての一面を示す。これは大掛かりなしかけのある中で、そういったダイナミックな曲に共感を示すことができない人々への贈り物となっている。そして、この曲では、(前曲「Star」の三重県出身のアーティストが若い頃に影響を受けたという中島みゆきからの影響に加えて)次のクローズ曲とともに、日本の原初的な感覚が示される。それは、曲の後半で、犬の声のサンプリング、山を思わせる大地の息吹、そして虫の声、と多様な形を取って現れる。最初に聴いた時、曲調とそぐわない印象もあったが、二度目以降に聴いた時、最初の印象が面白いように覆された。おそらく日本的なフォークロアに対する親しみが示されているのではないか。

 

アルバムの序盤では、一貫してアメリカの民謡やその文化性に対する最大限の敬愛が示されたが、その後半ではシンガーソングライターのもう一つのルーツである日本古来の民族的な感覚へと変貌し、ニンジャや着物姿のアーティスト写真の姿のイメージとピタリと合致する。また、それは、『日本奥地旅行』で、イギリス人の貴族階級の旅行家であるイザベラ・バード(Isabella Lucy Bird)が観察した、明治時代の日本人の原初的な生活ーー陸奥の農民の文化性、さらに、北海道の北部のアイヌ民族の奇妙なエキゾチズムーーに対する憧憬に限りなく近いものがある。ややもすると、それらの文化の混淆性は、歌手の最も奥深い日本人としての性質を表しており、今もなお、このシンガーの背中をしっかりと支え続けているのかもしれない。

 

アルバムのクローズ「I Love Me After You」は、前作のシンセ・ポップ/ダンス・ポップの延長線上にあるトラックで、アーティストのナイチンゲールのような献身性が示されている。しかし、驚くべきことに、その表現性は、己が存在を披歴しようとしているわけではないにもかかわらず、弱くなりもしないし、曇ったものにもならない。いや、それどころか、歌手の奥ゆかしい神妙な表現性により、その存在感は他の曲よりもはるかに際立ち、輝かしく、迫力ある印象となっている。ぜひ、これらの叙事詩のような音楽がいかなる結末を迎えるのか、めいめいの感覚で体験してみていただきたい。そして、実際、この国土的な観念を集約した傑出したポピュラー・アルバムは、2023年度の代表的な作品と目されても何ら不思議はないのである。


 

 100/100(Masterpiece)

  

 

「I Love Me After You」

 

 

 

Mitskiの新作アルバム『The Land Is Inhospital and So We Are」はDead Oceansより発売中です。日本国内では、Tower Record、HMV,Disc Unionにてご購入できます。

 

 ・ポストクラシカル/モダンクラシカルとは何か?




そもそも、最初にポスト・クラシカル(Post Classical)という用語を誰が最初に使うようになったかは定かではありません。

 

しかし、1990年代や2000年代にロックの未来形を意味するポスト・ロック(Post-Rock)という用語が出てきたことと何らかの関連性があるように推察されます。それ以前はアナログ録音が主流でしたが、デジタル・レコーディングが主流となるにつれ、一般的な録音環境にも、デジタル録音の技術が取り入れられるようになっていきました。この流れに乗じて、Protoolsのようなプロ向けの録音ソフトの普及と合わせて、1998年のBill GatesのWindowsの普及、及び、Steve JobbsがもたらしたApple(Mac)の旋風は、個人的な録音の技術に革新性をもたらさずにはいられなかったのです。

 

特に、今も多くのミュージシャンに愛されているGaregebandがMacの標準的なアプリとして導入されていたことも、専属のエンジニアに使用が限られていたデジタル・レコーディングを一般的に普及させる要因となりました。シンセ音源を別途に購入せずに、ラップトップのキーボードで音源を内臓のスピーカーから出力させるというのは画期的であり、ほとんど発明に近かった。また、この技術はApple Musicのようなストリーミング・サービスの浸透とともに、一般的なアマチュア音楽家にも、デジタル・レコーディングとDTMを普及させていくことになりました。

 

実は、商業音楽の歴史を概観すると、人工録音と生録音の融合は、その前の時代に、一部の感覚の鋭い音楽家により取り入れられていました。これらは、音楽産業の主要な土地で、ほとんど同時的に発生した動向です。


例えば、90年代には、米国のトータス(Tortoise)がジャズ・ロックとエレクトロニクスを融合させていたし、また、英国のRadioheadは、「OK Computer」の後の時代を通じ、ロックとエレクトロニクスを融合させて、いかにして未知の音楽を生み出すのかを主眼に置いていました。その他、スコットランドのMogwaiは、以前のアイルランドのMBVのエレクトロ・サウンドに触発を受け、デジタル録音と打ち込み音源を巧みに音楽の中に取り入れ、レイヴとハード・ロックをかけ合わせ、ポスト・ロックというジャンルを一般的に普及させる役割を担いました。

 

そして、このデジタルの録音技術は、さらに全く別のジャンルを生み出すことにも繋がった。 それが今回、名盤特集として取り上げるポスト・クラシカル/モダン・クラシカルというジャンルの正体です。従来まで、クラシカルは一般的に音楽大学や専門の教師から体系的にコンポジションを学び、そして、正当な教育を受けた作曲家のみが楽譜を書き、それらの作品をオーケストラに委嘱し、初演という形でコンサート・ホールでお披露目するというのが常道でした。これは、バッハやモーツァルトが教会側に委嘱され、教会のための音楽を作曲することが多かった中世の時代から、20世紀のイゴール・ストラヴィンスキー、及び、その後のモートン・フェルドマン、フィリップ・グラスの時代までのクラシカルの揺るがぬ伝統性でもあったのです。

 

確かなことは言えませんが、21世紀の現代音楽の世界でも、基本的にはクラシックという観点から考えてみると、差異はないように思えます。それはスコアとしての記譜が行われた後、オーケストラが初演し、コンサート・ホールの観客がその音楽に裁定を下す、という一連の形が古典音楽としての基本的な作法でした。その合間で、ロベルト・シューマンやロマン・ロランのような音楽評論家たちが、その音楽の良し悪しを詩的かつ文学的に論ずるという過程はありました。

 

ところが、映画音楽/劇伴音楽のコンポジションをみても分かる通り、現代の古典音楽に触発されたポスト・クラシカルは、体系的な音楽教育を受けたか否かに関わらず、手軽に作曲できるようになっています。


制作のハードルがグッと下がり、オーケストラの楽団を雇わないでも、ソフトウェア音源でオーケストラの代用ができる時代に突入しています。20世紀までは、高名な作曲家が映画のスコアと手掛けるものと相場が決まっていました。そして、その作曲家は、コンポジョションはもとより、オーケストラの記譜法に精通していなければならない決まりになっていた。これは『ゴジラ』のテーマ曲や、古いバージョンの地震速報の環境音を制作した作曲家の伊福部昭を見るとよく分かります。

 

やがて、20世紀後半になると、著名なポピュラー音楽のコンポーザー/アレンジャー、そして、一般的なミュージシャンでさえも、オリジナル・スコアを普通に手掛けるようになっていき、体系的な音楽教育を受けたコンポーザーと、そうでないコンポーザーの間の差異は、ほとんどなくなっていきました。これは、Stylusのようなオーケストラ楽譜のソフトウェアの普及も大きな効果があったでしょうし、さらに、Logic Studioをはじめとする作曲ソフトウェア、IK Multimedia、East Westなど無数のソフトウェア音源の普及も、同じように映画音楽制作に一役買ったものと推測されます。


つまり、現在の映画音楽の世界では、必ずしもオーケストラ楽団を雇わずとも、ストリングスやホーン、オーケストラ・ヒット、クワイア・コーラスに至るマテリアルを、映画音楽/劇伴音楽の作曲法に取り入れることが可能になりました。この革新性がオリジナル・スコアの制作時に、体系的なオーケストラの記譜法の教育を受けているか否か、という垣根を取り払うことに繋ったのです。

 

 

 
・ポスト・クラシカルの特性 ーその出発点 ヨハン・ヨハンソンの亡き後ー


これまで、私が現代の音楽シーンを語る際、北欧のアイスランドを最重要視して来たのには大きな理由があり、つまり、現代の音楽のジャンルのひとつの出発点はアイスランドにあるかもしれないということです。


結局のところ、映画音楽という観点から、これらのポピュラー音楽とクラシック音楽を融合させて、それらを説得力のある新しいプロダクションとして提出したのが、アイスランドのヨハン・ヨハンソンでした。


彼は、映画音楽という側面で、大きな革新性をもたらしました。生前を通じて、映画音楽に多大な貢献を果たし、その後の時代のポスト・クラシカルの素地を、90年代を通じて形成したと見て間違いありません。

 

その後、時代を経て、最初にポスト・クラシカル・サウンドの原型を形成したのがベルリンの音楽家、ニルス・フラームです。


彼は、エレクトロニックのプロディーサーとしても傑出しています。ポスト・クラシカルの原型となるドイツのロマン派に触発されたピアノ曲を生み出した。同年代にエレクトロニックのプロデューサーがクラシカル風の音楽を制作するケースはあったと思われますが、フラームはそれをロマン派に触発された作風として、「Wintermusik EP」(2009)という作品を通じて確立しています。

 

ニルス・フラームはシューベルトのピアノ・ソナタや、ショパンのピアノの小品集のように、ロマンティックで叙情的な東欧圏のピアノ曲の伝統性を現代に復刻しました。そして、エレクトロとオーケストラとの融合は、ニルス・フラームのBBC Promsの公演で世界的に知られることに。同年代、北欧のアイスランドにも、オラファー・アーノルズ(Olafur Arnolds)という傑出した作曲家も誕生しました。両者は後に、実際にコラボレーターとして、共作アルバムを発表することになりました。

 

これらのポスト・クラシカルの範疇に属する音楽家のピアノの録音には、古典的な気風を反映しながらも、それとは別の録音プロセスが存在していました。それはエレクトロニックやアンビエントといったジャンルの音響性を反映させ、プロダクションに取り入れようという考えなのです。


一例では、ピアノのハンマーをリバーブ/ディレイによって強調させ、ハンマーの音を録音中にノイズ的に処理して取り入れるという趣旨です。 これは後の2010年代になると、数多くの音楽家によって取り入れられ、ミックス/マスタリングとして顕著になっていった傾向です。時にはオラファー・アーノルズのように、特注のピアノを取り寄せ、ピアノの蓋を取り、ハンマーの音をコンデンサー・マイクロフォンで拾い、プロダクションの中に取り入れる手法が確立された。

 

また、もうひとつ主なポストクラシカルの音楽的な特徴としましては、現代作曲家のグラス、ライヒのミニマルの影響、及び、ドビュッシーやサティの系譜に属する簡素な鍵盤楽器の演奏法があります。


つまり、ミニマル・ミュージックであれば、卓越した演奏力を必要としないため、作曲家としてピアノの演奏に精通していなくとも、良質な作品が生み出すためのハードルが下がりました。かつてのリストやショパンのように、軽やかにトリルやグリッサンドが弾けなくても、また、バッハの「Goldberg Variations」のウィーンの原典版のように装飾音を巧みに弾けなくても、2023年現在では古典派風の音楽を制作することはそれほど困難なことではなくなったのです。

 

2010年代になると、アイスランドはポスト・クラシカルというジャンルを地元のレイキャビク交響楽団との協力やキャンペーンを通じて、一大的なプロジェクトへと変化させていきました。


その後、複数の優秀なミュージシャンが登場しています。元はニューヨークでファッション・モデルをしていたアイディス・アイヴェンセン(Eydis Evensen)も2020年代のポスト・クラシカルの注目アーティストに挙げられます。また、ポスト・クラシカル、ポップス、ソウルを融合させたAsgeir(アウスゲイル)も登場しました。また、この国の象徴的な歌手であるビョークがポップスの中にオーケストラの対位法を取り入れ、エクスペリメンタル・ポップとして昇華した『Fossora』(2022)を発表したのも、これらのアイスランドの音楽シーンの動向を敏感に察知したからなのです。

 

 

・ポスト・クラシカルの波及 ー米国、英国、ヨーロッパ、アジアー


Keith Kenniff 米国のポスト・クラシカルの先駆者のひとり


アイスランドに始まり、そしてドイツへと単発的に波及したポスト・クラシカルの動きは、他の音楽産業の盛んな土地へも波及していきます。


そしてその始めこそ、体系的な音楽教育を受けなかった作曲家を中心にもたらされたウェイヴは、逆説的に体系的に音楽教育を受けた音楽家をも取り込み、世界的なムーヴメントへと移行していきました。 


特に、この動きを受けて、米国でも複数のミュージシャンがこれらのピアノを中心とする作風に取り組むようになります。

 

例えば、後に坂本龍一とコラボレーションを行ったキース・ケニフのHeliosとは別のプロジェクト、Goldmundをはじめ、古典的なロマン派の音楽に触発されたピーター・ブロデリックなど、才気煥発なポスト・クラシカルに属する音楽家が、2010年代を通じて活躍するようになった。また、イギリスでも、この動きと関連する音楽家が出現し、マンチェスターのDanny Norburyというチェロ奏者もシーンの一角を担う存在でしょう。


さらに、フランス、オランダからも個性的なポスト・クラシカルアーティストが登場した。さらに、アジアにもこの音楽に触発を受けた音楽家が数多く登場しています。


エレクトロニカの傑作『Sail』を2003年にリリースし、映画音楽やドラマ音楽等で活躍する高木正勝は、同じピアノの録音技術を取り入れて、日記のような形で、bandcampでポスト・クラシカルの作品「Marginalia」を発表しつづけています。現時点では140のシングルが発表されています。

 

また、先日、イギリスのクラシックの名門、Deccaと契約を交わし、最新作を発表した小瀬村晶も2010年代から率先してこのジャンルに取り組んできた象徴的な音楽家です。


また、日本を離れて、ロンドンの音楽シーンで注目を浴びるシンセ奏者/歌手の大森日向子もポスト・クラシカルに触発された曲を発表しています。同じく、ロンドンの実験音楽/エクスペリメンタル・ポップのシーンで活躍し、イタリアの教会等でライブを行うHatis Noitもモダン・クラシカル系のアーティストとして活躍の裾野を広げ始めています。どこからどんなアーティストが出てくるのか、まったく予測がつかないというのが、このジャンルの最も面白い点でしょう。

 

上記のことは、すでに過去のアーカイブで何度も部分的に言及してきましたが、今回、改めて体系的にまとめておくことにしました。ひとつ補足しておくと、ポスト・クラシカルというジャンルは、必ずしも単一の音楽として存在するわけではありません。ときには、エレクトロニック・プロデューサーがキャリアの一作品において、あるいはアルバムの中に小休止のような形として、ポスト・クラシカルに属する作品をリリースしたり、収録したりする場合もあります。


例えば、全般的に見ると、FenneszとSakamotoの共作『Cendre』はテクノでもあり、アンビエントでもあり、ポスト・クラシカルであるということになるでしょう。もちろん、見方によれば、Clarkの『Playground In A Lake』もオーケストラがあるので、ポスト・クラシカルに属すると見ても違和感はありません。インディーフォーク/アンビエントの音楽家で、建築のアートやファッション・デザインの領域でも活躍するGrouperの『Ruins』もポスト・クラシカルに属するということになるでしょう。

 

つまり、ポスト・クラシカルは、少なからず他のジャンルに溶け込むようにして存在する音楽というのが妥当な見方となるはずです。また、もちろん、それとは反対に、ポスト・クラシカルの音楽が別の音楽と結びつく場合もあります。これは一般的には指摘されていませんが、ラナ・デル・レイの新作『Did You Know〜』にも、クラシカルとポップスの合致を見出すことができるでしょう。


下記に掲載するディスク・ガイドもいつもと同じように駆け足となってしまいますが、このジャンルの代表的な作品をピアノ曲を中心にご紹介していきます。入門的なガイドとしてご活用下さい。


 

 ・ポスト・クラシカル/モダン・クラシカルの名盤 

 

 

Hans Otte/Herbert Henck-『Das Bach Der Klange』(1999   ECM)


 



ドイツのシュヴァルムシュタットのヘルベルト・ヘンク(Herbert Henck)はミニマリズムを得意とするピアニストである。

 

これまで、ジョン・ケージ、チャールズ・アイヴズ等の演奏作品を残している。ECMより発売されたアルバムにおいて、ヘルベルト・ヘンクは同国の現代作曲家、ハンス・オットに脚光を当てようとしている。ハンス・オット(Hans Otte)は、パウル・ヒンデミットに作曲を学び、指揮をヘルマン・アーベントロート、ピアノをブロニスラフ・フォン・ポズニャックに師事している。

 

ヘルベルト・ヘンクはこの作品について、「この録音は、ある意味で、現代ピアノ音楽の中で最も注目に値する作品のひとつであり、書かれてから20年が経過しても、その美しさ、純粋さ、力強さは少しも失われていないと信じています」 と説明している。


ライヒ、グラス、ライリーの系譜にあるミニマリズムに属するピアノ作品集。倍音を活かした演奏法は凛とし、気高い精神性すら漂う。反復の演奏を通してモダン・ピアノの音響性の極致を追求した画期的な作品の一つ。

 

  

 

 

Sylvain Chauveau- 『Un Autre Decembre』(2003 FatCat

 


フランスのバイヨンヌ出身のシルヴァン・シャヴォー(Sylvain Chauveau)は、最も早い時代に、ピアノ演奏家としてポスト・クラシカルの作品に挑戦した音楽家の一人。クラシカルの作風に加え、電子音楽の作品も発表している。

 

シルヴァン・シャヴォーは、現在は分からないが、当時、楽譜の読み書きができず、自分が何の音を弾いているのかさえわからないまま、この秀逸なクラシカル風のアルバムを制作している。

 

ピアノ、弦楽器、木管楽器のための ピアノ、弦楽器、木管楽器のための美しくエレガントでミニマルな小品は、重層化され、電子音響のグリッチで処理されている。20世紀初頭の室内楽、ミュージック・コンクリート、ニューウェーブ映画からインスピレーションを得たという彼の作品は、まさにモダン・フレンチと称すべき。シンプルな演奏で、淡々としているが、そこには近代ヨーロッパの叙情的なピアノ曲の気風も漂う。ポスト・クラシカルを語る上では不可欠な作風の一つ。



  

 

 

 Nils Frahm  『The Bells』  (2010  Erased Tapes) /「Wintermusik」EP(2009 Erased Tapes)

 

 

 



後には、電子音楽/エレクトロニックの傑作を多数残しているベルリンの演奏家/作曲家、ニルス・フラームは、現在もイギリスを中心に人気を獲得している。後に発表するエレクトロニックとミニマリズムを融合させた作風が主要な作風であるが、最初期はポスト・クラシカル風の作風を残していた。

 

2021年には初期のポスト・クラシカルの未発表曲を中心に収録した『Old Friends New Friends』も発表している。

 

現時点から見ると、御本人は、この時代の作風について、「ドイツ・ロマン派的」であるとしており、古びた作風であると捉えているらしい。最初期に発表した三曲収録の「Wintermusik」、それに続いて発表された『The Bells』は、ポスト・クラシカルをより有名にする役割を担った作品である。


「Wintermusik」では、ドイツ・ロマン派に属する叙情的なピアノ曲を制作している。ミニマリズムに根ざした音楽性ではありながら、後に2010年代にかけて電子音楽という領域で開花する曲の想像力や構成力という面で非常に光るものがあり、相対音感や和音のセンスという面では現在の音楽家でも傑出している。

 

翌年に発表された『The Bells』は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタに比する荘厳さと厳粛さを兼ね備えたゲルマン魂に溢れた硬派なピアノ作品集。以前から追求してきたポスト・クラシカルの作品は、本作においてひとまず集大成を迎えた。制作者本人がどう思っているのかまではつかないが、後の複雑な構造性を擁する電子音楽の原点は、2010年前後の作風に求められると思われる。

 

 

  


 

 

 

Olafur Arnolds 『Some Kind of Piece』ーPiano Reworks (2022  Universal Music)

 

 


 

アイスランドを代表する作曲家で多数のコラボレーターとの共作を残し、そして、グラミー賞ノミネートのプロデューサーとしても知られ、地元のレイキャビク交響楽団との共演を果たしているオラファー・アーノルズ。まさに現代のアイスランドの顔とも言っても差し支えないだろう。また、アーノルズはソロ名義にとどまらず、Kiasmosとして活動し、秀逸なエレクトロニックを制作し、現在、自主レーベルも立ち上げ、多岐にわたる分野で活躍している。

 

最初期はエレクトロニックを中心に制作していたプロデューサーではありながら、映画音楽やピアノを中心にソングライティングを行うにつれ、ポスト・クラシカル・シーンの先鋒として強烈な存在感を持つに至った。上記のニルス・フラームとは音楽的盟友であり、共作アルバムも発表している。

 

そして、ピアノ作の最高傑作は、パンデミック時代に発表された「Some Kind of Piece」、さらに続いて発表されたリワーク『Some Kind of Piece』ーPiano Reworksとなるだろう。知人の音楽家を中心にアーノルズの作品の再構成に挑戦している。


この作品について、アーノルズは、「作品は提出してそれで終わりというわけではない」と語る。本作の録音には、Eydis Evensen、Hania Rani,JFDR、イルマなど、国境や地域を越え、複数の音楽家が参加。韓国のイルマの「We Contain Multitudes」は、原曲よりテンポがゆっくりとなっている。この曲は「From Home」バージョンのシングルとしても発売されている。

 


 




 Peter Broderick 『Grunewald』EP (2016   Erased Tapes)



 

オレゴン州カールトン出身の作曲家、ピーター・ブロデリック(Peter Broderick)はソロ名義の活動のほか、Efterklangのメンバーしてセッション・ミュージシャンとしても活躍している。叙情的でスタイリッシュな音楽を制作するプロデューサーであり、ポスト・クラシカルからエレクトロニック、ボーカル・トラック入りのオルト・フォークに至るまで、ジャンルに規定されない幅広い音楽を制作している。哲学者のような風采も実際の音楽性に説得力を与えていることは疑いがない。

 

2023年にはピアノ曲を中心としたフル・アルバム『Burren』を発表している。これまで複数のシングルを含め、断片的にポスト・クラシカルという領域にある表現性を拡張してきた。制作者の音楽性の原点となった作品群が、2010年のフルアルバム『How They Are』、2016年に発表されたEP『Grunewald』、2020年に発表されたシングル「Ernest Layers」である。

 

本作は、その後のErased Tapesの録音上のコンセプトに強い影響を及ぼした作品であろうと思われる。教会建築のような特殊な音響性やアンビエンスを活かしたピアノ曲は静謐な印象があり、そして安らぎに充ちている。

 

ストリーミングでも多くの再生数を記録しており、本作のクローズとして収録されている「Eyes Closed and Traveling」は、モダンなピアノ曲としては最高峰に位置する名曲の一つ。この曲は、シングル・カット・バージョンとしても発売されていて、ファンタジックな着想が込められながらも、深い叙情性を漂わせている。

 

古典的なヨーロッパのピアノ曲の気風を受け継ぎながらも、その着想の中には音の配置や空間性からもたらされる建築学的な美学が潜んでいる。ミニマリズム、モダニズム、ポスト・モダニズムという芸術的な概念が複合した結果、これまでありそうでなかったスタイリッシュなピアノ曲が生み落とされることになった。

 

  

 

 

amiina  『YULE』 (Aamiinauik Ehf 2022)

 

 


 

アイスランドの室内楽グループ、amiinaはエレクトロニカと弦楽四重奏をかけあわせた音楽性が魅力。テルミンやクレスタ等の音色を駆使し、おとぎ話や絵本のような可愛らしい世界を音楽により構築している。エレクトロニカ色の強い室内楽としては、『Kurr』、『The Lightning Project』等の良作を発表している。

 

ミニ・アルバム『YULE』は2022年のクリスマス直前に発表された、グループのクリスマスのための室内楽の曲集となる。近年、エレクトロニカと弦楽器の融合にメインテーマを置いていたアミーナ。

 

12月9日に自主レーベルから発売されたミニ・アルバムでは、電子音楽の要素を排し、チェロ、ビオラ、バイオリンをはじめとする室内楽の美しい響きを探究している。このリリースに際して、amiinaは、「クリスマスの楽しみのために、これらの細やかな室内楽を提供する」とコメントを出しているが、その言葉に違わず、クリスマスで家庭内で歌われる賛美歌に主題をとった聞きやすい弦楽の多重奏がこのEPで提示されている。

 

アルバムの全7曲は細やかな弦楽重奏の小品集と称するべきもの。厳格な楽譜/オーケストラ譜を書いてそれを演奏するというよりも、弦楽を楽しみとする演奏者が1つの空間に集い、心地よい調和を探るという意味合いがぴったりで、それほど和音や対旋律として、難しい技法が使われているわけではないと思われるが、長く室内楽を一緒に演奏してきたamiinaのメンバー、そして、コラボレーターは、息の取れた心温まるような弦楽器のパッセージにより美麗な調和を生み出している。賛美歌のように調和を重んじ、amiinaのメンバーは表現豊かな弦のパッセージの運びを介し、独立した声部の融合を試みている。


これらの楽曲はほとんど3分にも満たない小曲ではあるけれど、クリスマスの穏やかで心温まるような雰囲気を見事に演出している。

 

  

 

  


Danny Norbury  『Light In August』(2014  flau)


 

マンチェスターのチェロ奏者、ダニー・ノーベリー(Danny Norbury)は、ソロ活動にとどまらず、ナンシー・エリザベス、ラファエル・アントン・イリサーリ、ライブラリー・テープスの作品やライヴなどで名脇役として活躍する。


多作な演奏家ではないが、これまでのソロ名義で発表された三作のアルバムは、いずれも濃密な音楽的な主題に下支えされている。

 

ダニー・ノーベリーの音楽の主題は、本式のアコースティックなチェロ演奏に加え、ラップトップを介して出力されるエレクトロニクスの融合である。ライブのステージでは実際の彼の演奏に加え、ラップトップをステージに持ち込み、2つの視点による音楽が融合を果たす場合もある。

 

特に、ウィリアム・フォークナーに触発された2014年のアルバム『Light In August』は、ピアノとチェロとエレクトロニクスが劇的な融合を果たしたポスト・クラシカルの傑作である。 


決してテクニカルではないが、ピアノの演奏の瞑想性、思索性、その内側に漂う静謐さ、それらの空間性の中をノーベリーの重厚なチェロの演奏が幽玄に舞う。ときに、ノーベリーのチェロはノイズや不協和音という形をとって抽象的な空間に立ち表れ、調和的なピアノの演奏になごやかに溶け込んでいく。潤沢な午後のひとときを約束する、穏やかさに充ちた時間の連続。



  

 

 

 

Goldmund 『Sometimes』(2015  Western Vinyle)


 




キース・ケニフは米国の音楽家で、現在、妻のホリー・ケニフがドリーム・ポップ/アンビエントのプロデューサー/ギタリストとして頭角を表しつつある。現在もピアノを通じて良作を発表し続けている。


元々は、エレクトロニック・プロデューサー名義のHeliosとして活動していたキース・ケニフではあるが、ヘルマン・ヘッセに触発されたと思われるGoldmund名義では、良質で聞きやすいピアノ作品、そして現代的なテクノロジーとアメリカーナをシームレスにクロスオーバーしたインディーフォークを制作している。とりわけ、ピアノ作品としては、『The Malady Of Elegance』、そして『Sometimes』が代表作として挙げられる。前者は、色彩的な和音性を突き出したアイディアに富む。後者は、それらの作風にゴシック調のストーリー性を加味した内容となっている。


また、この作品には、坂本龍一が『A Word I Give』でコラボレーターとして参加している。この時代、かれは、Alva Notoとのグリッチ・ユニットはもちろんのこと、キース・ケニフや、アンビエント・シーンで活躍目覚ましいジュリアナ・バーウィックともコラボレーションを図っていた。当時、坂本龍一は、彼より若い音楽家との共同制作に積極的な姿勢を示しており、「若い音楽家から提案があれば、いつでもコラボレーションしたい」と話していた時代が今ふと思い出される。


  




Akira Kosemura 『In The Dark Woods』 (2017    1631 Recording AB)

 



 

小瀬村晶は、英国のデッカと契約し『Seasons』という傑作を発表しているので、国内のミュージシャンとは言いがたくなりつつある。もちろん、他分野で活躍なさっている音楽家である。ピアノ曲を書き、あるときは映像のための音楽を作り、もちろんレーベルオーナーとしての表情を持つ。

 

これまでLibrary Tapesに近い、ミニマリズムに触発を受けたピアノ曲を2010年代を通じて書いてきたが、一応その継続した活動の集大成と呼ぶべき作品が『In The Dark Woods』となる。

 

これまで多数のドラマや映画音楽を手掛けていることもあってか、音楽の視覚性(サウンドスケープ)と実際の音の構造を結びつける力量は他を凌駕するものがある。アルバムのアートワークに代表されるように、幽玄な森を彷徨うかのような神秘性が本作の最大の魅力となっている。

 

実際のピアノの演奏力は巧みであるが、技術を披瀝するわけではなく、クラシックに詳しくないリスナーにもその良さをシンプルに伝えようとしている。ある意味では、長期的な活動を通じて、この作品を一つの区切りとして、現在はより深みのあるピアノ曲に取り組まれているという印象を受ける。

 

   

 

  

Henning Schmiedt 『Piano Day』(2021  flau )

 


 

本稿は、パートナーシップの関係にあるflauを持ち上げようとして作成したわけではなかった・・・。しかし、結局、より良いプレイリストを制作しようとしたら、flauから2つの作品が登場していた。

 

リスナーとしては、メジャー/インディーを問わず、レコード・レーベルだけで聴くものではないと思うが、好きな音楽を探すためのひとつの指針として、「レーベル」という概念は存在すると言って良いかもしれない。また、Labelという意味は、単なる一企業を示すものではなく、主宰者の考えや人生観が深く反映されている。それは、どちらかといえば、「人生の流儀」とも称するべきものなのだ。ECMもそうだし、ラフ・トレード、もちろん4ADも同じである。また、もっと細かいところでいえば、ディストロ等をやっている個人レコード店も同様だろうか。レーベルに関しては、音楽的な側面のみで一括りにして語り尽くせるものでもないと思っている。

 

現時点のポスト・クラシカルを中心とするレーベルの最高峰としては、日本/東京のflauか、あるいは、その先駆者である英国/ロンドンのErased Tapesということになるかもしれない。 結局、この2つのレーベルは、ポピュラー寄りのクラシカルに属する作品の普及に関して多大な貢献を果たしてきた経緯がある。また、それはflauがFADER等の海外の大手メディアにも紹介されていることからもわかる。ジャンルレスに良い音楽を広めようというのが、両レーベルの共通項でもあるのかもしれない。

 

さて、 Henning Schmiedtについて、私は十数年前からその存在こそ知っていたのだったが、特にポスト・クラシカル系のピアノ演奏家として、最高峰にあるのではないか、という考えを持っていた。しばらく時間が経ち、そして、様々な驚愕的な出来事が起こり、またほとんど何も起こりもしない日々もあり、全然別のジャンルを聴いたり、また、音楽そのものから離れていたせいもあって、その存在も長らく忘れかけていた。


 旧東ドイツ時代の出身のベテラン作曲家、へニング・シュミートはモダン・クラシックにとどまらず、ワールド・ミュージック、ジャズと複数のジャンルを深く知悉した音楽家だ。最初に挙げたハンス・オットとは別の領域に属する演奏家であるが、十数年前に、ECMのカタログと並んで、このアーティストの音楽を聴いた時の印象としては、リラックス感のあるピアノ曲という感じだった。頭でっかちではない、感性を元にしたピアノ曲として印象に深く残った。そして、今回、あらためて、へニング・シュミートの代表作とも言える『Piano Day』を聴いて分かるのは、当時の最初の印象や直感がまったく間違っていなかったということである。

 

今聴いても、このアーティストに関して、当初の鮮烈な印象はほとんど揺らぐことはありません。それどころか、その信頼度に関しては従来よりも強まり、当時の印象をはるかに凌ぐものすらある。


ピアノの演奏は凄くシンプルなのにも関わらず、そこには、作曲家のピアノへの愛情が溢れ、音のひとつひとつには煌めきがあり、和らいだ風が通り抜けていくかのような錯覚すらある。ハンス・オットの建築学的な興味に裏打ちされたミニマリズムとは対象的に、一般的に開かれたミニマリズムの最高峰に、へニング・シュミートは到達している。旧来の堅苦しいドイツ・アカデミズムからの音楽概念の開放というのを、制作者は主なテーマに置いているのかもしれない。

 

子供からお年寄りまで年齢を問わず楽しめる、素晴らしいポスト・クラシカルであり、現時点でこれ以上の作品は存在しない。少なくとも、何歳になってもこういった音楽を好きでありつづけたい。



 

 

Hania Rani 『On Giacometti』(Gondwana Recrods 2023)


 

近年、ポスト・クラシカルの作品を中心に良質なカタログを発表しつづけているマンチェスターのGondwana Recordsは、2020年代を通じて、ロンドンのErased Tapesとともに、この「ポスト・クラシカル」というジャンルを急成長させる大きな役割を担うことだろう。ポーランドのシンセサイザー演奏家/ピアニスト/作曲家のハニャ・ラニは、彫刻芸術を中心に数々の名作を残した同名のスイスのアート界の巨人のための映像作品のサウンドトラックに挑戦した。


ハニャ・ラニ(Hania  Rani)は、このピアノを中心とする作曲集を録音するため、友人が所有する山岳地帯の山小屋に冬の期間滞在し、これらのピアノ曲集を書き、その年の春に山小屋を後にした。ヨーロッパの大規模のライブ・イベントではシンセサイザー奏者として知られているミュージシャンであるが、この作品では徹底したピアノによるミニマリズムを展開させ、アルベルト・ジャコメッティの抽象主義/シュールレアリズムをリズミカルなピアノ演奏を通じて表現しようとしている。

 

フレドリック・ショパンの生誕の地からこのアーティストが出てきたのは偶然ではなく、時代に要請されてのことである。同地の音楽大学で学んだ本式の作曲法や演奏法を元にして、制作者のファッション・センスとアート・センス、そして豊かな感性や叙情性を複合させ、聞きやすく、そして聴き応えのあるポスト・クラシカルのニュー・トレンドが生み出された。ハニャ・ラニは、オラファー・アーノルズの作品にも参加しているが、今後、ヨーロッパ圏を中心に、ポスト・クラシカル・シーンやエレクトロ・シーンで大きな注目を集めることが予想されます。

 

 

 

 

 

Gia Margaret 『Romantic Piano』 (2023 Jagujaguwar)

 

 

 

ポップという観点からは過度な注目こそ受けていない印象もあるGia Marharetではあるものの、この作品はミュージシャンの最高傑作と断言したい。jagujaguwarのレーベルの方はこの作品をそれほど強く推してはいない感じであったが、今作は、アメリカではなく、イギリスやヨーロッパ圏で広く受け入れられそうな作風である。

 

元々、ポピュラー・シンガーとして活躍をしていたシカゴのGia Margaretは、声が一時的に出なくなり、その後にピアノの作曲へとシフト・チェンジしていった。エレクトロニックを交えたクラシカルへと転向した前作のアルバムに続き、「Romantic Piano」はピアノ、ギター、テクノといった、このジャンルの主要な音楽性をシームレスにクロスオーバーしている。虫の声などのアンビエント風のサンプリングが取り入れられているのにも注目したい。

 

ピアノの楽譜を書いた後、グリッチ/ディレイ等のエレクトロの加工を施し、それらをセンス溢れるポピュラーなクラシック音楽へと昇華させる技術は傑出している。穏やかな日々の幸せを噛み締め、それらをセンス抜群のオシャレかつスタイリッシュなピアノ曲へと昇華させている。

 

アルバムの中では、オルト・フォークとしても聞ける「Guitar Piece」も秀逸で、モダン・ポップスとして鮮烈な印象を放つ「City Song」も捨てがたい。きわめつけは、Aphex Twinへのオマージュを示したと思われる「April to April」では、ピアノ曲を通じて新たなフェーズへと踏み入れている。

 

これから、ボーカル曲を制作するのか、それともインスト曲を制作するのかは本人次第であるものの、そのどちらに進むにしても未来は明るいと思う。以後、耳の肥えたリスナーから注目を集めても不思議ではないでしょう。



Nils Frahm 『Day』 (2024 leiter)




 今回の最新アルバム『Day』は個人スタジオがあるファンクハウスから距離を置いている。このファンクハウスの個人スタジオは、『All Melody』のアルバムのアートワークにもなっている。なぜ制作拠点を変更したのかについては、東西分裂時代のドイツの閉塞感から逃れることと、作風を変化させることに狙いがあったのではないかと推測される。


フラームは、以前からドイツの新聞社、”De Morgen”の取材で明らかにしている通り、ワーカーホリック的な気質があったことを認めていた。しかし、そのことが本来の音楽的な瞑想性や深遠さを摩耗していることも明らかであった。おそらく、このままでは、音楽的な感性の源泉がどこかで枯渇する可能性もあるかもしれない。そのことを知ってのことか、ニルス・フラームは、2021年頃から、ライブの本数を100本ほどに徐々に減らしていき、パンデミックやロックダウンを契機に、彼のマネージャーと独立レーベル、”Leiter-Verlag”を設立し、その手始めに『Music For Animals』を発表した。これらの動向は、次の作品、そして、その次なる作品へ向けて、以前の活動スタイルから転換を図るための助走のような期間であったものと考えられる。


フラームは、活動初期のコンテンポラリークラシカル/ポスト・クラシカルの未発表音源を収録した2021年の『Old Friends New Friends』では、自身のピアノ曲を主体とする音楽性について、「ドイツ・ロマン派」的なものであるとし、いくらかそれを時代遅れなものとしていた。その後の『Music For Animals』はシンセサイザーによるアンビエント作品であったため、しばらくはピアノ作品を期待出来ないと私は考えていたのだったが、結局のところ、このアルバムで再び最初期の作風に回帰を果たしたことは、ある種のブラフのような言葉だったのだろう。



しかし、原点回帰を果たしたからといえど、過去の時代の成功例にすがりつくようなアルバムではない。はじめに言っておくと、このアルバムはニルス・フラームの最高傑作の1つであり、ピアノ作品としては、グラミー賞を受賞したオーラヴル・アルナルズの『Some Kind Of Piece』に匹敵する。全編が一貫してピアノの録音で占められていて、あらかじめスコアや着想を制作者の頭の中でまとめておき、一気呵成に録音したようなライブ感のある作品となっている。


ここ数年の称賛された作品や、売れ行きが好調な作品を見るかぎりでは、そのほとんどが数ヶ月か、それ以上の期間がアルバムの音楽の背景に流れているのを感じさせるが、『Day』は、ほとんどそういった時間の感慨を覚えさせない。制作者によるライブ録音が始まり、それが35分ほどの簡潔な構成で終了する。多分、無駄な脚色や華美な演出は、このアーティストには不要なのかもしれない。フラームのアルバムは、ピアノの演奏、犬や鳥の鳴き声のサンプリング、そして、マイクの向こう側にかすかに聞こえる緊張感のある息遣いや間、それらが渾然一体となり、モダン・インテリアのようにスタイリッシュに洗練された音楽世界が構築されたのである。