マイルス・デイヴィス・クインテットを1957年に離脱したジョン・コルトレーンがその翌年に発表したアルバム。3管編成で録音。タイトル曲には、モード奏法からのフィードバックも含まれている。コルトレーンは、この作品において、作曲全体の規律性を重視し、ジャズの概念を現代的に洗練させている。ただ、「Lady Bird」に代表付けられるように、従来の自由度の高いベースに支えられるハードバップに重点が置かれている。また、「I'm Old Fashioned」には、古典派への回帰という、以後の時代の重要な主題も発見できることにも着目したい。
コルトレーンがハード・バップ/ビバップから脱却を試みた作品。そして、次なる形式は「古典性への回帰」によって生み出されることに。現在のスタンダードジャズの基本的な形式の基礎は、このアルバムに全て凝縮されている。また、以降の時代の多くのサックス奏者の演奏法の礎を確立した作品でもある。「Ballads」では、ニューオリンズの「ブルー・ジャズ」の古典性に回帰しながら、モード奏法を異なる形に洗練させている。もちろん、遊び心もある。「All Or Nothing At All」では、アフリカのリズムを織り交ぜ、率先してアフロ・ジャズに取り組んでいる。彼の代表的なナンバー「Say It(Over and Over Again)」はジャズ・スタンダードとして名高い。
1950年、大学を卒業すると、翌年には陸軍に入隊。朝鮮戦争の前線に赴く機会はなく、陸軍のジャズバンドで演奏するだけだった。 この頃の不本意な時期に、後に取りざたされる麻薬乱用を行うようになった。1954年に兵役を終え、折しもジャズシーンが華やかりしニューヨークで音楽活動を開始する。バックバンドとしての活動にとどまったが、作曲家のジョージ・ラッセルの録音に参加。その活動をきっかけにスカウトの目に止まり、リバーサイド・レーベルからデビュー・アルバム『New Jazz Conceptions』をリリースするが、売上はわずか800枚だった。
1958年にはマイルス・デイヴィスのバンドに加わり、録音とツアーを行った。彼はバンドで唯一白人であったこと、そして薬物乱用の問題、さらにはエヴァンス自身がソロ活動を志向していたこともあり、バンドを離れた。しかし、マイルス・デイヴィスの傑作『Kind of Blue』の録音に参加し、旧来盛んだったハードバップからモード奏法を駆使したスタイルでジャズに清新な息吹をもたらす。モード奏法はこのアルバムの「Flamenco Sketches」に見出すことができる。
ビル・エヴァンス・トリオで収録した『Portrait In Jazz- ポートレイト・イン・ジャズ』(1960)『Explorations- エクスプロレイションズ』(1961)『Waltz For Debby -ワルツ・フォー・デビイ』および、同日収録の『Sandy At The Village Vanguard- サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』(1961)の4作は、「リバーサイド四部作」と呼ばれる。
このメンバー(セカンド・トリオ)での演奏の質は、初期の録音でずっと後に発売されたライブ版『枯葉』(Jazzhouse)にも反映されている。『Waltz For Debby ~ Live In Copenhagen - ワルツ・フォー・デビイ〜ライヴ・イン・コペンハーゲン』(You're Gonna Hear From Me)、『Montreux II- モントルーII』、『Serenity- セレニティ』、『Live In Tokyo- ライヴ・イン・トーキョー』、『Since We Met - シンス・ウイ・メット』と、メンバー最後のアルバムである1974年にカナダで録音した『Blue In Green-ブルー・イン・グリーン』などがある。この時期、特に1973年から1974年頃までのエヴァンス・トリオは良し悪しは別として、ゴメスの演奏の比重が強い傾向にある。
1976年にドラムをマーティー・モレルからエリオット・ジグモンド(Eliot Zigmund)に交代する。このメンバーでの録音として『Cross Currents- クロスカレンツ』、『I Will Say Goodbye- アイ・ウィル・セイ・グッドバイ』、『You Must Bilieve In Spring- ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』が挙げられる。麻薬常習や長年の不摂生に加え、肝炎など複数の病気を患っていたエヴァンスの音楽は、破壊的内面や、一見派手ではあるが孤独な側面を見せるようになる。
ビル・エヴァンスの死後に追悼盤として発売された『You Must Believe In Spring- ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』収録の「Suicide Is Painless(もしも、あの世にゆけたら)」は、映画『M*A*S*H』(1970年)及びTVシリーズ版『M*A*S*H』のテーマとして知られている。
Bill Evans' Masterpiece :
・Peace Piece(1959)/『Everybody Digs Bill Evans』
「ピース・ピース(Peace Piece)」は、1958年12月にビル・エヴァンスがアルバム『Everybody Digs Bill Evans-エブリバディ・ディグス・ビル・エヴァンス』のために録音した。
レコーディング・セッションの最後に演奏された即興曲で、レナード・バーンスタインのミュージカル『On The Town- オン・ザ・タウン』の「Some Other Time- サム・アザー・タイム」のヴァージョンでエヴァンスがセッション中に使用していた。Cmaj7からG9sus4への進行をベースにしたスタンダードな曲。
翌年にマイルス・デイヴィスと録音したアルバム『Kind of Blue-カインド・オブ・ブルー』に収録された「Flamenco Sketches- フラメンコ・スケッチ」のオープニングにもモチーフが再登場する。
「Peace Piece」
「Autumn Leaves」(1960)/ 『Portrait In Jazz』
マイルス・デイヴィスとのアルバム『Kind Of Blue』でのコラボレーションの成功から8ヵ月後、エヴァンスは新しいグループ、ビル・エヴァンス・トリオで『ジャズの肖像』の録音に挑み、以後のモダン・ジャズの潮流を変える契機をもたらす。
最も注目すべきは、ラファロのウッドベースが単なる伴奏のための楽器から、後のアルバム『Sunday at the Village Vanguard』ほどではないにせよ、ピアノとほぼ同等の地位に昇格したことだろう。
1961年、エヴァンスのトリオはヴィレッジ・ヴァンガードに頻繁に出演していた。この年の6月のライブのレコーディングは、ビル・エヴァンスのライブ・アルバム『Sunday At The Village Vaunguard』としてラファロの死後に発売された。これはベーシストの追悼盤の意味を持つ。
後に発売された『Waltz For Debby』は追悼盤に比べると、音に艶があり、バランスの良いレコーディングとなっている。特に、このアルバムに収録されている「Porgie(I Loves You Porgie)はジョージ・ガーシュウィンのカバーで、後にキース・ジャレットがカバーしている。「Waltz For Debby」はヴィレッジ・ヴァンガードでのライブで披露されたビル・エヴァンスの定番曲である。
「Waltz For Debby」
「Porgie (I Loves You Porgie)」
「We Will Meet Again」(1977) /『We Must Believe In Spring』
最後のスタジオ録音が残した奇跡的な演奏を収録しているが、「We Will Meet Again」では気迫あふれるトリオの演奏が聞ける。生前のエヴァンスがジャズトリオという形式を最も重視していたことが伺える。また、最後のスタジオ録音の中での演奏で、エヴァンスは彼の音楽的な出発となったクラシックピアノからの影響を込めている。
『シンクロニシティ』は、1983年6月にA&Mレコードから発売されました。バンドで最も成功を収めたともいえる本作には、ヒットシングル「Every Breath You Take」、「King of Pain」、「Wrapped Around Your Finger」、「Synchronicity II」が収録。アルバムのタイトルと曲の多くは、アーサー・ケストラーの著書『偶然の根源』(1972年)にインスパイアされている。
アルバムには、2枚のナンバーワン・シングル、タイトル曲と "I Can't Go for That (No Can Do)"、トップ10シングル "Did It in a Minute "が収録。「I Can't Go for That (No Can Do)」はR&Bチャートでも1週間首位を獲得。この曲は現在でも古びていない。2020年代の商業音楽にも共鳴する何かがある!?
このコンピレーションは1980年代を通した3枚のソロ・アルバムのヘンリーのヒット曲を網羅しています。3曲の新曲、「The Garden of Allah」、「You Don't Know Me at All」、ヘンリーによる「Everybody Knows」のカヴァーが収録。この作品集はチャート最高48位を記録、プラチナに達した。「The Garden of Allah」はメインストリーム・ロック・トラックス・チャートで16位を記録。
2010年、彼らの出身地であるブリスベンの有料橋が、彼らにちなんでゴー・ビトウィーンズ・ブリッジと改名された。1988年、『16 Lovers Lane』からのファースト・シングル「Streets of Your Town」は、オーストラリアのケント・ミュージック・レポート・チャートとイギリスのUKシングル・チャートの両方でトップ100入り。
シングル 「Was There Anything I Could Do?」は、アメリカのビルボード・モダン・ロック・チャートで16位のヒットを記録した。2001年5月、1983年の『Before Hollywood』に収録された「Cattle and Cane」が、オーストラリア演奏権協会(APRA)により、オーストラリアの歴代トップ30曲に選ばれた。2008年、スペシャル・ブロードキャスティング・サービス(SBS)TVの『The Great Australian Albums』シリーズで『16 Lovers Lane』が取り上げられた。
上記に紹介してきたバンドやアーティストに比べると、現在はそれほど知名度に恵まれているかは不明であるThe Go Betweensであるものの、男女混合のボーカルはティアーズフォーフィアーズの清涼感のあるポップスに匹敵する。
特に、名盤と名高い1988年のアルバム『16 Lovers Lane』ではバンドとしての試行錯誤の痕跡が見出される。彼らはこのアルバムで、ネオ・アコースティック、シンセ・ポップ、そしてMTV全盛期のダンス・ポップ等、その当時のトレンドの音楽を咀嚼しながら、The Go Betweensとしての独自の音楽的な表現性を追求している。16曲の収録曲は1980年代後半の時代を巧みに反映させており、どことなく浮足立ったような空気感を味わうことができる。
いわば1980年代は、アナログの時代からデジタルの時代へと移り変わる最後の年代であったことは確かなのであるが、上記のバンドやアーティストと同様に人間が次の時代に移行する過渡期を親しみやすいポピュラーミュージックという形で表現したことに関しては、再評価されるべき点もあるかもしれない。特に、そういった試行錯誤の中で生み出されたヒット曲「The Streets of Your Own」は、ティアーズ・フォー・フィアーズの名曲に比肩すると見ても違和感がない。ギター・ポップとシンセ・ポップを組み合わせたスタイルは時代を先取りするもので、現代のミュージック・シーンの音楽とも共鳴するものが含まれているように感じられる。
UKパンクのムーブメントはアンダーグラウンドではその後も、『PUNKS NOT DEAD』と息巻く連中もいたし、そしてその後も続いていくのだが、 結局のところ、オリジナルパンクは、75年に始まり、77年から78年に終焉を迎えたと見るべきだろうか。その間には、ダムド、クラッシュ、スージーアンドバンシーズがデビューし、パンクバンドが多数音楽誌で紹介されるようになった。76年にはダムドが「New Rose」をリリース、同年に、セックス・ピストルズは「Anarchy In The UK」でEMIからデビューした。彼らは最初のテレビ出演で、放送禁止用語を連発し、これが話題となり、パンクそのものがセンセーショナル性を持つに至った。
パンクの象徴的なアルバムではありながら、ギタリストのスティーヴ・ジョーンズのロックンロール性に重点が置かれている。(後のソロ・アルバムではよりロック性が強い)それに加え、ドイツのNEU!に触発されたジョン・ライドンのハイトーンのボーカルは、のちのP.I.Lにも受け継がれていくことになる。しかし、このアルバムの最大の魅力は、パンクではなくポピュラリティーにある。ノイジーな音楽を、どのアルバムよりも親しみやすい音楽性に置き換えたクリス・トーマスのプロデュースの手腕は圧巻である。「Anarchy In The UK」、「God Save The Queen」といったパンクのアンセムは当然のことながら、「Holiday In The Sun」、「EMI」のシニカルな歌詞やメッセージ性は、今なお普遍的な英国のパンクの魅力の一端を担っている。
『Sandanista』は少しパンク性が薄れてしまうが、このアルバムはそういった音楽的なバリエーションとパンク性が絶妙な均衡を保つ。「Spanish Bombs」では政治的な意見を交えて、時代性を反映させ、痛快極まりないポピュラー・ソングを書いている。またロンドンのリアルな空気感を表したタイトル曲から、最後のボブ・ディラン風のナンバー「Train In Vain」に至るまで、パンクを越えてロックの伝説的な名曲が収録。
The Damned 『The Damned』
ニューヨークからもたらされたパンクというジャンルに英国独自のオリジナリティーを加えようとしたのがDamned。Mott The Hoople、New York Dollsにあこがれていたブライアン・ジェイムズを中心に結成された。
ピート・シェリー擁するBuzzcocksの名盤はオリジナル・バージョンとしては『Another Music In Different Kitchen』が有名であるが、このアルバムだけを聴くだけでこのバンドやシェリーのボーカルの本当の凄さは分からない。つまり、最初期のメロディック・パンクというジャンルの基礎を作り上げただけではなく、のちの70年代後半からのニューウェイブやポスト・パンク、そしてシンセ・ポップまですべてを網羅していたのが、このマンチェスターのバンド、バズコックスの本質だった。ベスト盤とも称すべき『Singles Going Steady』には、このバンドがどのような音楽的な変遷を辿っていったのか、そして、パンクの10年の歴史が魅力的にパッケージされている。
「I Want The Moon」、そして苛烈なパンクのアティチュードを込めた「I Don't Wanna Be The One You Say」等メッセージ性のあるパンクロックソングが多い。他にもニューウェイブサウンドとの融合を、造船や鉱山で知られるサンダーランドの都市性と融合させた「Dead Industrial Atmosphere」、POLICEのパンクカバー「Message In The Bottle」等名曲に事欠かない。
Leatherfaceには無数のフォロワーがいる。日本のメロディックパンクにも影響を及ぼしたほか、アメリカでもフォロワーを生み出し、Jawbreaker,Hot Water Music、Samiamなど秀逸なメロディーメイカーを持つバンドへ、そのDNAが受け継がれていく。
2020年代のソウル・ミュージックを見ると、AORやジャズの影響を交えたR&Bが登場している。黒人のミュージシャンのみならず白人のアーティストにも好意的に受け入れられ、その影響を絡めたネオソウルというジャンルが2020年代のメインストリームを形成している。70、80年代のR&Bと現代のネオソウルは上辺だけ解釈してみると全然違うように聞こえるかも知れないが、実はそうではない。ブラックコンテンポラリーと現在のネオソウルの相違点を挙げるなら、現代的なポップス、テクノ、ハウスといったクラブミュージックの影響が含まれているか否かの違いしかない。そして、現代的なポップスとは、すでにハサウェイやチャカ・カーンが代表曲「Feel For You」で明示していたプロデュース的な視点を持つサウンドなのである。
ブラック・コンテンポラリーという趣旨に沿った推薦盤としては、『Robert
Flick Feat. Donny
Hathaway」が真っ先に挙げられることが多いのだが、ダニー・ハサウェイはやはりこのアルバムで、クロスオーバーの先駆的なアルバム。映画のような壮大なストリングスを交えたオープニング、ジャズやニューソウルの影響を交えた「Someday
We'll All Be Free」はソウルミュージックの歴史的な名曲とも言えるだろう。
『The Dude』はディスコサウンドの影響を残しながら、ポピュラー音楽寄りのアプローチをみせている。「Ai No Corrida」はどれくらいラジオやテレビでオンエアされたか計測不可能である。クインシーはこのアルバムを通じて、ロックやファンクを視点にして、グルーブ感のあるダンサンブルなソウルを追求している。AOR/ソフト・ロックに近いバラード「Velas」も必聴だ。
リード・シングル「Ai No Corrida」のダンス・エアプレイが多く、トップ40で28位、UKシングル・チャートで14位を記録。イギリスで11位を記録した「Razzamatazz」(パティ・オースティンがヴォーカル)も収録。同国におけるジョーンズのソロ最大のヒット曲となった。ルバム・オブ・ザ・イヤーを含むグラミー賞12部門にノミネートされ、第24回グラミー賞では3部門を受賞した。
シュープリームスを離脱後、ダイアナ・ロスはソロアーティストとして「Ain't Know Mountain High Enough」等、複数のヒット作に恵まれた。70年代には低迷期があったというダイアナ・ロスであるが、ナイル・ロジャースがプロデュースした『Diana』で第二の全盛期を迎える。反ディスコの気風の中、制作されたというが、その実、ファンクやディスコの影響も取り入れられている。それがロスの持つスタイリッシュかつアーバンな雰囲気と一致した一作だ。
TV Oneの『Unsung』のエピソードでナイル・ロジャースは、曲の大半はロスとの直接の会話の後に作られたと語った。彼女はロジャースとバーナード・エドワーズに、自分のキャリアを "ひっくり返したい"、"もう一度楽しみたい "と言ったと伝えられている。結果、ロジャースとエドワーズは 「Upside Down」と 「Have Fun (Again)」を書いた。
クラブでダイアナ・ロスの格好をした何人かのドラッグ・クイーンに出くわしたロジャースは、「I'm Coming Out」を書いた。My Old Piano」だけが、彼らの通常の曲作りのプロセスから生まれた。「Upside Down」は全米チャート首位を獲得し、「I’m Coming Out」も5位以内にチャートインした。ロスの80年代のキャリアを決定づける傑作と言っても良いかもしれない。
Chaka Khan 『I Feel For You』 1984
今聴いても新鮮な感覚を持って耳に迫るチャカ・カーンの『I Feel For You』。カーンはルーファスのフィーチャリング・シンガーとして、70年代にヒットを飛ばしていた。ダニー・ハサウェイと同じようにゴスペルにルーツを持ちながらも、それをあまり表に出さず、叫ぶようなボーカルを特徴とするカーンのボーカルスタイルは70年代の女性シンガーに多大な影響を与えた。『I Feel For You』はプリンスのカバーで、スティーヴィー・ワンダーのハーモニカをフィーチャーしている。チャカ・カーンにとっての最大のヒット・ソングとなった。現在のプロデュース的な視点を交えたポップスに傾倒したR&Bのアルバムとして楽しむことが出来る。
1986年のアルバム『While The City Sleeps』は驚くほどライトなポップで、アーティストのイメージを覆す。AOR/ソフト・ロックに、ベンソンが傾倒したことを裏付ける作品である。その中にはこのジャンルの中にある近未来的なシンセ・ポップの影響も伺い知ることが出来る。ジョージ・ベンソンというと、渋いソウルというイメージがあるが、それらのイメージを払拭するような作品である。この年代、前のニューソウルの時代から活躍していたシンガーの中で、最も時代に敏感な感覚を持つミュージシャンはこぞって、ロックやポップスとのクロスオーバーを図っていたことがわかる。今聴いても洗練されたポピュラー・アルバムと言えるのだ。
Lionel Ritchie 『Dancing On The Ceiling』 1986
コモドアーズのメンバーでもあり、後にソロアーティストとして、そしてパラディ・ソウルの象徴的なシンガーに挙げられるライオネル・リッチー。彼の全盛期を知らない私のようなリスナーにとっては、ジャクソンやスティーヴィーと共演した「We Are The World」のイメージの人という感じだ。どうやら、リッチーが歌手としての実力に恵まれながらも、いまいちコアなソウルファンからの評価が芳しくないのは、白人の音楽市場に特化したことが理由であるらしい。
「stillness、softness...」は、大森のアナログ・シンセの世界ーー、すなわち、彼女のProphet '08、Moog Voyager、そしてバイノーラルで3Dシミュレートされたサウンドを生み出すアナログ・ハイブリッド・シンセサイザー、UDO Super 6ーーの新たな音域を探求している。このアルバムは、彼女の前作よりもダークで広がりがあり、ノワールのようにシアトリカル。デビュー作がインストゥルメンタル中心だったのに対して、本作ではヴォーカルが前面に出ており、「より傷つきやすくなっている」と彼女は説明している。夢と現実、孤独、自分自身との再会、そして最終的には自分自身の中に強さを見出すというテーマについて、彼女は口を開いている。
しかし、一瞬、目の前に現れたデモーニッシュなイメージは消えさり、#7「foundation」では、それと立ち代わりにギリシャ神話で描かれるような神話的な美しい世界が立ち現れる。安らいだボーカルを生かしたアンビエントですが、ボーカルラインの美麗さとシンセサイザーの演奏の巧みさは化学反応を起こし、エンジェリックな瞬間、あるいはそのイメージを呼び起こす。音楽的にはダウンテンポに近い抽象的なビートを好む印象のある制作者ではありながら、この曲では珍しくダブステップの複雑なリズム構成を取り入れ、それを最終的にエクスペリメンタルポップとして昇華しています。しかし、ここには、マンチェスターのAndy Stottと彼のピアノ教師であるAlison Skidmoreとのコラボレーション「Faith In Strangers」に見られるようなワイアードな和らぎと安らぎにあふれている。そして、それらの清涼感とアンニュイさを併せ持つ大森の歌声は、イントロからまったく想像も出来ない神々しさのある領域へとたどりつく。そして、それはダンスミュージックという制作者の得意とする形で昇華されている。背後のビートを強調しながら、ドライブ感のある展開へと導くソングライティングの素晴らしさはもちろん、ポップスとしてのメロディーの運びは、聞き手に至福の瞬間をもたらすに違いありません。
アルバムのイメージは曲ごとに変わり、レビュアーが、これと決めつけることを避けるかのようです。そしてゴシックやドゥームの要素とともに、ある種の面妖な雰囲気はこの後にも受け継がれる。続く、#8「in full bloom」では、アーティストのルーツであるクラシックの要素を元に、シンセサイザーとピアノの音色を組み合わせ、親しみやすいポピュラー音楽へと移行する。しかし、昨晩聴いて不思議だったのは、ミニマルな構成の中に、奇妙な哀感や切なさが漂っている。それはもしかすると、大森自身のボーカルがシンセと一体となり、ひとつの感情表現という形で完成されているがゆえなのかもしれません。途中、感情的な切なさは最高潮に達し、その後、意外にもその感覚はフラットなものに変化し、比較的落ち着いた感じでアウトロに続いていく。
前の曲もベストトラックのひとつですが、続く「a structure」はベストトラックを超えて壮絶としか言いようがありません。ここではファラオ・サンダースやフローティング・ポインツとの制作、そして青葉市子のライブサポートなどの経験が色濃く反映されている。ミニマル・ミュージックとしての集大成は、Final Fantasyのオープニングのテーマ曲を彷彿とさせるチップチューンの要素を絶妙に散りばめつつ、それをOneohtrix Point NeverやFloating Pointsの楽曲を思わせる壮大な電子音楽の交響曲という形に繋がっていく。本来、それは固定観念に過ぎないのだけれど、ジャンルという枠組みを制作者は取り払い、その中にポップス、クラシック、エレクトロニック・ダンス・ミュージック、それらすべてを混合し、本来、音楽には境目や境界が存在しないことを示し、多様性という概念の本質に迫っていく。特に、アウトロにかけての独創的な音の運びに、シンセサイザー奏者として、彼女がいかに傑出しているかが表されているのです。
これらの深く濃密なテーマが織り交ぜられたアルバムは、いよいよほとんど序盤の収録曲からは想像もできない領域に差し掛かり、さらに深化していき、ある意味では真実性を反映した終盤部へと続いていきます。「an ode to your heart」では驚くべきことに、日本の環境音楽の先駆者、吉村弘が奏でたようなアンビエントの原初的な魅力に迫り、いよいよ「epilogue...」にたどり着く。ホメーロスの「イーリアス」、ダンテ・アリギエーリの「神曲」のような長大な叙事詩、そういった古典的かつ普遍性のある作品に触れた際にしか感じとることが難しい、圧倒されるような感覚は、エピローグで、クライマックスを迎える。海のゆらめきのようにやさしさのあるシンセサイザーのウェイブが、大森の歌声と重なり、それがワンネスになる時、心休まるような温かな瞬間が呼び覚まされる。その感覚は、クローズで、タイトル曲であり、コーダの役割を持つ「stillness,softness…」においても続きます。海の上で揺られるようなオーガニックな感覚は、アルバムのミステリアスな側面に対する重要なカウンターポイントを形成しています。