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メアリー・ラティモアはロサンゼルスを拠点とするハープ奏者兼作曲家であり、リヨン&ヒーリー社のコンサートグランドハープとエフェクトを用いた実験的な演奏で知られ、記憶と儚い印象に満ちた音楽世界を創り出す。ピッチフォーク誌から「現代を代表する楽器による物語の語り手」と評される彼女は、音楽を通じて強烈な感情を喚起する独自の能力を持つ。
ラティモアは、人生の瞬間をそのまま記録したいという衝動と、旅と演奏への情熱が共鳴し合い、動きからインスピレーションを得ている。彼女は動きが新たな気分やメロディを解き放つと信じている。こういったソロ活動に加えて、メグ・ベアード、サーストン・ムーア、シャロン・ヴァン・エッテン、ハロルド・バッド、カート・ヴァイルらと幅広く共演し、ハープパートの作曲や演奏を行っている。彼女の音楽は、人生において不変のものなど存在せず、音を通じてアーティストが儚さの悲劇と美しさを讃え、悼むことができることを私たちに思い出させる。
一方、共同制作者であるジュリアナ・バーウィックはロサンゼルスを拠点とする作曲家、ボーカリスト、プロデューサーであり、人間の声を中心に据えた深く内省的な音楽で高く評価されている。これまでに6枚の批評家絶賛のアルバムを発表している。 2013年の3作目『ネペンテ』ではプロデューサー兼映画音楽作曲家アレックス・ソマーズとの初コラボレーションを実現。
2020年の『ヒーリング・イズ・ア・ミラクル』ではヨンシ、メアリー・ラティモア、ノサージ・シングが参加し、ピッチフォーク誌の「ベスト・ニュー・ミュージック」に選出された。 バーウィックはオノ・ヨーコ、ザ・フレーミング・リップス、フィリップ・グラスらと共演し、NYCダンスカンパニー「バレエコレクティブ」とも協働している。
レコーディングアーティストとしての活動と並行し、映画音楽作曲家としての仕事も拡大中。ループ処理されたボーカルテクスチャーを基盤とするアンビエント音楽に焦点を当てたボーカリスト、プロデューサー、作曲家。ヨンシ、フィリップ・グラス、オノ・ヨーコらと共演した。 主な作品には、ネペンテ(2013年)、ヒーリング・イズ・ア・ミラクル(2020年)などがある。
コラボレーション – 長年にわたり共にツアーを重ねてきたラティモアとバーウィックが、このフルアルバムの共同制作・録音で初めてタッグを組む。二人の創造的シナジーが、ハープ、声、アナログシンセを融合させ、深く情感に満ちた没入型のサウンドジャーニーを紡ぎ出す。 本作はパリ・フィルハーモニーにて共同プロデューサーのトレヴァー・スペンサー(フリート・フォックス、ビーチ・ハウス)と一緒にレコーディングされた。フランスのレーベル(InFine)と音楽博物館(Musée de la Musique)による現代作曲における歴史的楽器活用というユニークな共同プロジェクトの継続作となる。2017年よりインフィネとパリ・フィルハーモニーは、音楽博物館の卓越した楽器コレクションを際立たせるアルバムシリーズを共同開発している。
アランデル『InBach』(2020年)、セブ・マーテル『Saturn 63』(2022年)に続く第三弾となる本作は、現代アンビエント界を代表する二人のアイコン、メアリー・ラティモアとジュリアナ・バーウィックの邂逅である。本プロジェクトでは、アーティストが博物館の演奏可能な楽器を録音・音響保存・創造的再解釈のために自由に使用することを許可されている。
『Tragic Magic』は、現代アンビエント/実験/電子音楽界で最も称賛される作曲家二人、ジュリアナ・バーウィックとメアリー・ラティモアが、フランスのレーベルInFinéとの提携のもと、パリ・フィルハーモニーにて実現した唯一無二のコラボレーション作品である。
本プロジェクトでは、ミュゼ・ド・ラ・ミュジークの楽器コレクションへの特別アクセス権を得て制作が行われた。 本作は人間の精神に導かれた7つの没入感あふれる情感豊かな楽曲を収録。親密で友情に根ざし、地上的でありながら宇宙的なこれらの作品は、世代を超えた芸術の慰めと変容の力を映し出す、より大きな連続体の一部である。
トレバー・スペンサー(フリート・フォックス、ビーチ・ハウス)が共同プロデュースした『Tragic Magic』はわずか9日間で制作された。これはバーウィックとラティモアが長年のツアーと友情を通じて培った「音楽的テレパシー」の証である。2025年の山火事直後にロサンゼルスからパリに到着した二人は、インスピレーションに満ちた深い支えのある環境下で、即興演奏と持ち込んだ感情・経験を融合させたセッションを行った。 ラティモアは1728年から1873年までの進化を辿るハープを、バーウィックはローランド・ジュピターやシークエンシャル・サーキット・プロフェット5など象徴的なアナログシンセサイザーをそれぞれ選んだ。声と楽器の自由な対話の中で、彼らは悲劇と驚異、そして共有された経験の回復力についての瞑想を紡ぎ出す。
スペンサーも加わるこのデュオは街を探索し、食事を共にし、美術館や名所を訪れた。それぞれの出会いが次のセッションに刻み込まれ、稀少な楽器と深く向き合いながら、個人の感性と数世紀の歴史を融合させる体験となった。その結果生まれた音楽は過去を称えつつ、今を深く誠実に表現するものとなった。
『Tragic Magic』を通して、バーウィックとラティモアは自己を超えた何かを見出す——全てが順調ではないかもしれないが、美しさは持続するという感覚だ。彼らのアプローチ——人生を音楽へと変容させ、観察し、感じ、創造する——は、このプロジェクトで使用した楽器そのものに体現される創造的表現と先見的な発明の系譜を継承している。
Mary Lattimore / Julianna Barwick 『Tragic Magic』-InFine(FR)/ Plancha(JP)
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女性作曲家のコラボレーションといえば、昨年、ワルシャワで録音されたSofie Birch(ソフィー・バーチ)とAnotnina Nowaca(アントニーナ・ノワカ)によるアルバム『Hiraeth』が真っ先に思い浮かぶ。昨年、週末のレビューで紹介した作品であるが、これはツィター、 ハープといったアコースティック楽器が中世音楽の観点からアンビエント風に組み上げられたものだった。
アメリカの実験音楽/モダンクラシック界隈では高い評価を受けるハープの演奏者、Mary Lattimore(メアリー・ラティモア)、そして、ギタリスト/ボーカリスト/プロデューサー/アーティストとして活躍するJulianna Barwick(ジュリアンナ・バーウィック)の共同制作作品もまた、ハープとボーカルの合奏形式を図る。本作は両者の個性が余すところなく発揮されている。
しかし、上記の二つの作品には共通点もあるが、相違点も内在する。『Hiraeth』がメディエイバルを志向した作品とすれば、『Tragic Magic』は現代的なエレクトロニックの手法が顕著である。ファンタジックな音楽、それはRPGのゲーム音楽や映像音楽を彷彿とさせるのは双方の作品の共通項であるが、本作については現代に音楽的な基軸が置かれている。『Hiraeth』がもし仮に、数世紀前の東欧の空気感に没入させるとすれば、本作は、現代という視点から幻想的な音楽の世界観を構築している。すなわち、似て非なる音楽性が発見できるということである。
このアルバムは、二人の音楽家がつかの間のひと時をパリで共にしたことで生じた。同時に、即興的な要素も散りばめられている。メアリー・ラティモアが基本的に伴奏を担当し、また、ジュリアナ・バーウィックがシンセで曲の肉付けをしたり、また、ボーカルでそれらの楽曲に驚くべき化学反応を及ぼす。シンプルな音の作りであるが、その音楽は緻密さがあり、また、即興や合奏を中心とする音楽でしか得難い驚くべき瞬間、偶発的な音楽性が登場することもある。心地よいハープの演奏に耳を傾けるか、それとも開放的で清涼感に満ちた芸術的なボーカルに注目するか、また、クラフトワークのようなヨーロッパのテクノの文脈に驚きを見出すのか、聞き手の好みによって焦点も変わってくるに違いない。楽しみ方も十人十色になるはずだ。
このアルバムは全般的に、アンビエント的な性質を持ち合わせているのは事実だろう。ラティモアのハープの演奏は華麗であり、繊細で叙情的なアルペジオから、曲の全般的なアンビエンスまでをくまなく司る。一方のバーウィックはボーカルを中心として、奥行きのあるアンビエンスを作り出し、聴いていて心地よいだけではなく、瞑想的な音楽世界を構築している。この点は両者のミュージシャンが楽器によるセッションを心から楽しんでいることを伺わせる。そして、全般的に見れば、音楽としては最小限の要素、ミニマリズムをもとにし、そこからマキシマムの要素が丹念に作り上げられていく。同じフレーズをミニマルミュージックのように組み合わせながら、その都度、ボーカルが別のフレーズを歌い上げ、そしてプロデュースとして、ミニマル(最小)とマキシマム(最大)を行き来しながら、多角的な音楽性が作り上げられる。
アルバムの一曲目に収録されている「Perpetual Adoration」を聴けば、そのことが理解していただけるかもしれない。ハープの伴奏に加え、ボーカルが主旋律を担う。音の構成はごくシンプルであるが、ハープのアルペジオを中心とする演奏の中で、ボーカルがヒーリングミュージックのような効果を担い、癒やしと安らぎに満ちた音楽世界を構築していく。その中で、曲のセクションが変遷していき、音楽的なサウンドスケープが徐々に移ろい変わっていく。サウンドスケープとは音楽を象徴付ける視覚的な要素であるが、両者のミュージシャンが見事な形で晴れた冬の大気のような清々しい空気感を構築していく。それはまるでエンヤの音楽のようでもある。ボーカルのリバーブやディレイは極限まで引き上げられ、背景のハープと混ざりあっていく。
このアルバムでは、メディエイバルや中世ヨーロッパのフォークミュージックの要素が強いウェイトを占めている。これらは騎士道の時代の音楽や、フランス、フランドル、イタリアといった地域で親しまれていたトルバドゥール(吟遊詩人)の音楽性の影響が見いだせる。アルバムの中世的なイラストを反映するかのように、リュートをハープに置き換えた形で、メディエイバルが展開される。
しかし、先にも述べたように、それらは中世に埋没するという感じではなく、現在の時間軸から過去を俯瞰するかのようである。その音楽の中には、これらの西欧の中世音楽に一定の影響を及ぼしたケルト民謡の影響も見いだせるが、それらを、両者は丹念に現代の演奏者の視点から再構築する。
音楽的にも聴きやすく、そして叙情性に満ちた音楽になっているが、その中に現代的な要素として組みこまれるのがアンビエントや実験音楽の要素にも注目したい。ラティモアのハープの演奏は、時々、日本の琴のような味わい深い響きが出てくるが、同時に、バーウィックのボーカルはドローン奏法のような音響効果を司り、持続音がデジタルエフェクトで強調されながら、無限を感じさせる奥行きのある音楽的な空間が構築されている。古典性と現代性という二つのベクトルが絡み合い、未曾有の音楽世界が拡張される。「The Four Sleeping Princess」は、音楽を聴くという一般的な行為よりも、音楽に浸るというリスニング体験に近いかもしれない。特に曲の後半部でのボーカルの録音が重なると、幻想的な音楽が生み出される瞬間がある。
続いて、「Temple of The Wind」はヒーリング音楽の視点から、中世の民族音楽や宗教音楽を掘り下げた内容となっている。メアリー・ラティモアのハープの演奏は依然として、ツィターやリュートのような古風な音の響きを携えながら、ジュリアナ・バーウィックのボーカルとより瞑想的な音楽を構築していく。ここには両者の音におけるコミュニケーションの結晶が生み出され、それはやはり前の二曲と同様に、クリスタルの結晶のような澄明な響きという形で表側に滲み出ている。分けても、この曲では、西欧に根ざした音楽的な感性にとどまらず、西アジアのヒマラヤやチベットのような、密教的な音楽やキリスト/イスラム神秘主義の音楽の雰囲気が表されている。まるで古めかしい奥処の僧院に聞こえる音楽のような、祈りの音楽である。
「The Haze With No Haze」は間違いなく、このアルバムのハイライトで、重要なバックボーンとなる一曲である。ささやかなハープの演奏からボーカルや現代的なエレクトロニックの文脈を通じて、推測出来ないほどの壮大なマクロコスモスの音楽が構築される。 全般的な音楽性としては、物悲しい感傷性に満ち溢れているが、バーウィックのボーカルはそれほど悲観的ではなく、むしろ壮大な感覚や開放的な空気感に満ちている。この曲では、前進する明るいエネルギーがみなぎっているように思える。特に、両者の美的なセンスが上手く発揮された圧倒的な瞬間が曲の終盤に訪れる。ボーカルアートとはかくなるべきというような模範例が示されている。それはやはり、このアルバム全般と同様に、簡素化や集約化の手法で体現される。
「The Rachel's Song」は、アルバムの中で最もワイアード、つまり風変わりな楽曲である。雨音の癒やしに満ちたイントロから始まり、印象音楽/情景音楽や、サウンドスケープの見本的な形が示されている。映像音楽であれば、映像そのものがその音楽の立証ともなるが、音楽単体の場合は、その立証が完全には出来ない。しかし、同時にそれは聞き手の想像力を駆使することができるという可能性を内包している。
この方法を両者は巧みに用いて、風や雨、そして吹雪などの情景が音楽を介して体現されるが、それはまた音楽におけるストーリーテリングの手法とも言える。そして、シリアスになりすぎず、遊び心に満ち溢れ、全般的なメディエイバルの音楽性の中で、アンビエント、フォーク、そして、マカロニウェスタンのモリコーネ風の口笛など、面白いアイディアがたくさん出てくる。果たして、ここは西部劇のような砂漠なのか、それとも雪山なのか……。そんなイメージを自由にふくらませてくれるのだ。そして曲の終盤では、雪女のような童話的な音楽のイディオムも登場する。ラ・フォンテーヌのような童話的な音楽がここに誕生したと言えるだろう。
このアルバムが面白いのは、基本となる音楽性を用意しつつも、それに必要以上にこだわらない二人の姿勢が読み取れることである。例えば、「Stardust」は、おそらく二人のミュージシャンが、これまでやったことがなかったタイプの曲ではないかと思う。ドイツのデュッセルドルフのテクノシーンの影響を感じさせ、その上にレトロなバーウィックのシンセを中心とした、魅惑的なエレクトロニックの音楽が展開される。こういった曲を聴くと、必ずしも音の情報量が多ければ良いというわけではないことが理解してもらえるだろう。作曲自体は古典的でシンプルであるが、その雰囲気に大きな好感を覚える。二つ以上のシンセサイザーの波形を組み合わせて、クラフトワークを彷彿とさせるような未来への漠然たる期待感をもたせる良曲が誕生している。そして、その中には様々な工夫が施され、モジュラー系の音色やアコースティックピアノの音色を組み合わせたりというように、バーウィックのエンジニアの手腕が発見できる。トーンシフターなどを駆使しながら、即興的な音楽が組み上げられているのにも注目したい。曲の後半でのクラフトワーク風のマシンドラム、そしてボーカルの融合はほとんど最高だ。
トレバー・スペンサーのサウンドエンジニアとしての素晴らしさは、特に最後の曲に見いだせるのではないか。(それまでにも、プロデューサーとしての手腕は余す所なく発揮されているが)ハープの演奏を鍵盤楽器のように見立て、従来の楽器の音響性に変化を与えている。まるでラティモアのハープは、ピアノの前身であるフォルテピアノのように響き、ミニマルミュージックが繰り広げられる。しかし、ヴォーカルが入るとき、音楽的な情景がガラリと一変する。
アダムス、ライヒ、グラスといったアメリカの20世紀の巨匠たちは、クロード・ドビュッシーの「運動(Mouvement)」のような苛烈なミニマリズムを、厳然たる純正音楽の手法やジャズの冒険心あふれる手法を用いて見事に発展させた。ミニマル音楽の一番面白い点は、出発地点と到着地点が驚くほど離れているということ。反復性に重点があるわけではなく、反復と変奏を繰り返していくうち、予想出来ない結末が訪れるという点に、この音楽の核心がある。
執拗なオスティナートや反復的な構造を通して、それを愚直に変化させ、その経過すら楽しみながら、全く予想だにしないゴール地点へと向かう。ミニマル音楽とは束縛に過ぎないが、ある時、辛抱強く同じことを続けているうちに沸点を迎え、それがまったく予期できなかった何かに変容する。それはまた、小さなさなぎが蝶に変身するようなもの。これが音楽そのものが、人間の一生の過程であることの証なのだ。ジュリアナ・バーウィックとメアリー・ラティモアの両者は同じように、このアルバムの中で人生のワンカットを示すことに成功している。音楽的な内容は幻想主義なのだが、そこには、何らかのリアリティが反映されているのである。
84/100



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