ファッションと音楽 時代の変遷とともに移り変わる音楽家の服装のスタイル -ビートルズからビリー・アイリッシュまで-

 ファッションと音楽 時代の変遷とともに移り変わる音楽家の服装のスタイル

 
 
1,60年代 ミュージック界のファッション・アイコン ビートルズ

 
 


 
世界的なロックミュージシャンというのは、そのファッション性においても一般人から真似をされるような運命にあるのかもしれない。
 
少なくとも、一般的な市民にとって、ロックミュージシャンのファッションスタイルというのは大きな憧憬の対象となりえる。60年代から、ミュージシャンのファッションに対する影響性は幅広く、音楽愛好家にとどまらず、音楽にそれほど興味ない人まで巻き込み、大きなファッション・ムーブメントを形成してきた。いうまでもなく、バンドのTシャツを粋に着るというスタイルも、ファッションと音楽そのひとつに挙げられる。知らずしらずのうちに、ニルヴァーナ、ソニックユース、ブラック・フラッグのシャツを着ていて、音楽好きの人からそれについて指摘されて初めてバンドの存在を知ったというケースも少なくないかもしれません。
 
過去から今日まで、一般民衆にとってのロック・ミュージシャンというのは、ファッション的にもお手本にするべきイコン、偶像的な存在であり続けてきたいっても過言ではないでしょう。その異常なほどのファンの崇拝心というのは、二十七歳で死去した伝説的なミュージシャン(27 CLUB)、もしくは、ジョン・レノンのファンによる暗殺という二十世紀の中でも数奇な事件が起きたことにより、ビートルズの存在をアイコンのようにたらしめたがゆえ、彼らの存在感、カリスマ性というのは生前より一層強くなっていった側面もある。
 
ファッション性においても大きな影響を世界的に与えてきた、ビートルズという存在。彼等四人の与えた当時もしくは後世にも跨るファッション界へのインスピレーションというのは、図りしれないほど大きく、その影響というのは現在にいたるまで引き継がれている。 たとえば、世界的にも一世を風靡したマッシュルームカット、そして、シックな細身のスーツ姿で、クールに決めこんだビートルズの面々の格好よさは今でも通用する魅力がある。やはり、よく引き合いに出されるローリング・ストーンズとともに多大な影響を大衆に及ぼしてきた。以後、ビートルズの四人は、活動の中期を過ぎた頃から、個性的なファッションを独自に追求していくようになる。それは、アルバムジャケット写真の変遷を見ると顕著にあらわれている。その音楽性にとどまらず、彼等四人のファッションの集大成を示唆しているのは、「アビーロード」のスーツ姿で横断歩道を裸足で渡るというクールなスタイル。
 
ちょっとだけ興味深いのは、アビーロードの先をゆく三人は、これからまるで冠婚葬祭に臨むようなフォーマル・スタイルなのに対し、最後尾をいくハリスンは、我が道をいかんとばかりに、上下揃ってブルーデニムというアクの強い個性的ファッションに身を包む。そしてここに、ビートルズ四人それぞれのユニークな個性が絶妙な具合に溶け合い、服飾という形で表現されている。


全般的に言えば、マッカートニーのファンション的な影響は大きかったでしょうが、中期以降からファッションアイコンともいえる象徴的存在として頭角を現したのが、レノン、ハリスン。ヒッピースタイル”、長髪にたっぷりとしたひげ、そして、そこに、デニム姿をびしりとあわせるという形。後に若者の間で流行するようなスタイルを、一般的に普及させていったのは、他にも、ローリング・ストーンズ、もしくは、ジミ・ヘンドリクスあたりの影響も強かったでしょうが、やはりビートルズという存在が、民衆にとって一番のファッションイコン的な存在だった。

 
その後、ジョン・レノンの方は、例えば、カットソー姿にデニムをあわせて、その上に、ジャケットをラフに羽織り、フランスのテニス用スポーツシューズ、スプリング・コートをクールに履きこなす、カジュアルでいながらどことなすシックなスタイルをレノンは追求していきました。対し、ハリスンの方は、彼本人にしか醸し出せないだろう個性あふれるカルフォルニア的なヒッピースタイルとともに、イングリッシュ・トラディショナル的なファッションを独自に探求していった印象をうける。後者というのはハリスンのソロアルバム、「All  Things Must Pass」のジャケットでのファッションスタイルを見れば、なんとなくそのニュアンスのようなものが理解できるのではないでしょうか。
 
 
それまで、エルヴィス・プレスリーという「ロック界における民衆のイコン」ともいえるビッグスターは存在したものの、ビートルズ四人の及ぼした影響というのは、音楽にとどまらず、ファッションセンス、こういった着こなし方をするのがカッコ良いという、手本のようなものを大衆にしめしたという隠れた功績があったに違いありません。
 
 
 
 
2.70年代 ピストルズを中心としたロンドンパンクス 
 
 
 


クラシックでフォーマルなスタイルが浸透すれば、オルタネイト的な存在が出てくるのがこの世の常というもの。さて、次の話は、ビートルズの台頭から時を十年ほど経ち、1970年代。 ロンドンのマルコム・マクラーレンの経営するブティックパブ「セックス」に出入りするロック好きの若者達。その中に、ジョニー・ロットン、シド・ヴィシャスという、ひときわ目立つ若者が二人いた。のちに彼等はマルコム・マクラーレンの紹介を介し、出入りしていたブティックの名にちなんで、「セックス・ピストルズ」というロックバンドを結成することになった。
 
彼等、四人のファッションというのも独特。特にその個性が感じられるのは、レザージャケット、胸にはピンバッジ、インナーにTシャツ、そして、ジーンズに、シンプルなスニーカーという出立ち。これは今見ると、すごくシンプルに見えるが、彼等のファッションの問答無用のクールさ、格好よさというのは、当時の他のロックアーティストと比べても抜群だったといえるでしょう。おそらく、ロットンと共にピストルズのメンバー四人の中で、最も当時の若者、いや、現在の若者すらをも熱狂させ続けてやまないのが、シド・ヴィシャスというひときわ目を放つクールな青年。

シド・ヴィシャスは、黒髪のスパイキーヘアとよばれるヘアスタイル。黒い皮ジャンを着込み、首からは、太い鍵付きネックレスをぶら下げて、ときに、パブのビールを豪快にがぶ飲みしながら、そのすぐ横に、けばけばしい化粧をしたツイストパーマをかけた恋人ナンシーと写真に映り込んでいて、これは、なんともパンクという概念かけはなれた微笑ましい光景だと言えなくもない。恋人ナンシーもまた、ピストルズのメンバーと共に、彼ら四人にもまったく引けを取らないクールさ、個性味を兼ね備えた、女性の憧れの的となりえるイコン的な印象を当時の数多くのファンに与えたことでしょう。 

 
バンド結成当時から、シド・ヴィシャスというパンクロック界のカリスマ性は際立っており、当初、殆どまともにベースが弾けなかったにも関わらず、ステージ上でのひときわ輝いたシド・ヴィシャスの姿というのは、彼がこの世からになくなっても、多くのファンの目を惹きつけてやまない。当時から現在まで、ヴィシャスは、多くの世界のファンから多くの人気を博してきた。黒の革ジャンにデニム、そして、ときに、ラフなTシャツ一枚だけを着るというシンプルで洗練されたスタイルは、ジョニー・ロットンとともに、世界的なファッション・アイコン的な存在としてシーンに君臨し、音楽性にとどまらず、服装のカッコよさという特徴面においても、他のアーティストと比べものにならないほどの影響力を世の中にもたらした。
 
ここで、素朴な疑問として、革ジャン、ジーンズスタイルが、なぜにこれほどまで世界的に普及するに至ったのかという疑問が生じる。これは、五十年代のバイカーズ・スタイルをひそかに踏襲したものであり、またそのスタイルがミュージシャンにも普及していったのはなんらかの理由があると思われ、たとえば、デビッド・ボウイなどのビックスターに比べると、かなり顕著な特徴があり、ボウイの方は、たとえば、山本寛斎の手掛けた衣装を見れば分かる通り、あまりに奇抜すぎ、自分の日常的な服装の中に、その要素をうかつに取り入れづらいところがある。あくまでデイリーユースという観点から言うと、あまり常識的な服装とはいいがたい。
 
しかし、一方のピストルズをはじめとする、ロットン、ヴィシャスのような人物が好んでいたロンドン・パンクスのファッションスタイルというのは、全体的なコーディネート自体の値段というのもそれほど嵩む心配がなく、いわば「革ジャン」という一点豪華以外はとても簡素で、たとえ貧しい人であっても、数カ月もの間、汗水を垂らし、労働を頑張れば、手の届きそうな価格の範囲にある点で、自分もロックスターのような服装をし、あんなふうに輝いてみたい、そう願ってやまないささやかな人々に大きな夢を見させてくれる存在であったから、ミュージシャンをはじめ、一般的な音楽好きの人々にも、このスタイルが馴染んでいくようになった。
 
 彼等の格好というのは、全部を取り入れないまでも、ごく一部を取り入れることによって、デイリーユースにもしっかりと馴染みやすいというのが大きな利点でしょう。そして、見てくれの単純なかっこよさの中にも、ボウイのような「オンリーワン」にはなれない、けれども、もしかしたら、ロットンやヴィシャス、彼等のような存在なら、自分にも背伸びをしたらなれるかもしれない。
 
つまり、彼等は、労働者階級の期待の星のような存在で、束の間ではありながらも大きな希望をささやかな民衆達に与え、尚且、先にも述べたとおり、毎日着ている服装のなかにも溶け込みやすい要素があったので、そういったファッション性が後のパンクロッカー、音楽愛好家にも積極的に取りいれられていったのではないかと思われる。実は、当時のことを、ジョニー・ロットン本人が話しており、あるとき、ファンが自分と同じ格好をしはじめたと当時のファッションムーヴメントを回想している。興味深いところは、セックス・ピストルズというアイコンは、意外にも、これだけ音楽を知らない人たちにもその名を知らしめておきながら、実は、細々としたサイドリリース、ブートレッグという形質は数多く存在しながら、セックス・ピストルズ名義での正式な形でのスタジオ・アルバムは、有名な「Never  Mind The Bollocks」のみ。
 
 彼等の主要な活動期間というのも、わずか二年。その短い期間で、これほどの影響を後世に与えたというのは、他では考えがたい事象でもあります。その後、シド・ヴィシャスは、多くの人がご存知の通り、オーバードーズにより、若くして命を落とした。往時のロックスターらしい「太く短く」という生き方を体現した彼の生き様というのは、社会的あるいは道義的にも褒められたものではない。しかしながら、彼の最後の録音集のフランクシナトラのカバー、「マイウェイ」の素晴らしいオペラ風の歌唱とともに、シド・ヴィシャスという天才パンクロッカーの伝説的な姿、彼のファッションスタイルの格好良さというのは、これからも永遠に、世界中の人々の記憶に残りつづけることでしょう。ちなみに、彼の亡骸というのは、恋人と共に墓地に葬られていて、そこには、「Sid &Nancy」と、きわめて印象深く銘打たれているのは有名。
 
 
 
 3、80年代 マッドチェスター、ブリット・ポップ時代の立役者たちのファッション デイリーユースの融合

 

 
それ以前の時代には、ミュージシャンのファッションというのは、ステージ上の衣装に過ぎず、日常的なファッションとはあまりにもかけはなれていた。たとえば、シド・ヴィシャスのような格好をする人は現在きわめて少ないだろうし、ポール・マッカートニーの服装ですらカジュアルなデイリーユースとしてはあまりにもフォーマルすぎる。だが、80年代以降の時代は、デイリーユース、あるいはスポーティーなファッションをかけ合わせることがトレンドとなっていく。1980年代、産業革命の原点ともいえる工業都市マンチェスターから、様々な魅力あふれるバンドが数多く出てきた。クラブでの活動スタイルが主だった特徴で、ディスコムーブメントの再来のような経済的にもかなり大きな規模の音楽市場がつくられていったのだ。
 
このマンチェスター界隈で華々しく活躍したのは、現在、ソロ・アルバムを出すかでレーベルと揉めているモリッシー擁するザ・スミスを筆頭に、ハッピー・マンデーズ、ストーン・ローゼズ、もしくは、インスパイラル・カーペッツ。これは当時のブラックマンデーにはじまる社会不安、そして、サッチャーの長期政権にたいして少なからずの不満を抱く若者を心を惹きつけて、その退廃した日々の延長線上にあるパーティーなどの習慣とあいまって、一種の異質な狂乱にうかされた夜々を形作り、かつてザ・フーがマイ・ジェネレーションに歌いこめたような一大的ムーヴメントが、マンチェスターを中心として発展、英国全土に広がっていくようになった。
 
上記したアーティストの音楽の主だった特徴というのは、ダンサンブルな音楽性をロックの枠組みの中で再解釈している点でしょう。ちなみに、このインスパイラル・カーペッツというバンドは、若かりし頃のオアシスのノエル・ギャラガーがローディー(いわばバンドの機材をツアーに帯同して運ぶ手伝い)をつとめていたことは有名であり、オアシスの音楽にもかなり影響を与えていると思われる。ザ・スミスの登場後の一連の流れとして、雨後の竹の子のように続々とクラブ・ミュージックのテイストを感じさせるロックバンドがシーンに華々しく登場し、英国のミュージックチャートを次々に席巻していった現象は、マッドとマンチェスターを掛け合せて、後に「MADCHESTER」と呼ばれるようになる。その流れの一貫として、ジョイ・デイヴィジョンのマシンビートに象徴される冷ややかで無機質な印象の強い電子音楽のニュアンスの感じられるパンクロックを奏でるバンドも、マッドチェスター辺りの括りに入れられる。
 
1980年当時の英国の若者を中心とする熱狂というのは、ひとつの社会現象を形作りました。また、その時代背景を知るのに最適な映像作品があり、それは、このマッドチェスターと呼ばれるシーンを題材に選んだことで有名なカルト映画、ユアン・マクレガー主演の「トレイン・スポッティング」。ここには、マッドチェスターと呼ばれる界隈の世相、当時の英国の労働者階級の若者達の生々しい生き様というのが克明に描かれていて、歴史資料的な鑑賞の仕方もできる。この作品は、坊主頭で、白いTシャツ姿のユアン・マクレガーの絵画的なクールさもあいまって、傑作としかいいようがない白眉の出来となっています。

そこには、作中で演じているのはもちろん、本人ではなく別人ではありますが、ハッピー・マンデーズ、ジョイ・デイヴィジョンが登場しているので、このあたりのシーンの音楽ファンしても見逃せない。この作品でのユアン・マクレガーの演技というのは、何気ない仕草であっても何故かかっこよくみえてしまう、その配役になりきって自然に演じています。いわば超一流の俳優に欠かさざる素質がある点で、やはり、現在では映画界、そして演劇界の大御所と言っても差し支えない存在に至ったのは、何も不思議なところはなかったように思えます。
 
 
さて、話を元に戻しましょう。このマッドチェスターというシーンで最も有名なバンド、ストーン・ローゼズというバンドのフロントマンである、イアン・ブラウンという人物を、ファッションという観点から外すことはできません。そして、このバンドの四人のメンバーたちのファッションというのは、それまでのビートルズをはじめとする英国の古典的ロックバンドとは一線を画しており、彼等の格好というのは、主に、現在の若い人が好んで着るようなラフなルームウェア、カジュアルウェアの中間、もしくはスポーティウェアのような具合であり、たとえば、特徴的なところでは、ビック・シルエットのシャツであるとか、少し緩めのボトムス、もしくは、スタンダードなデニム、それから、つばのさほどひろくはないチューリップハットを被っていました。これは、ステージングやプロフィール写真の印象でもかなりの効果があり、顔の上半分の表情が影にかくれてよく見えづらく、ミステリアスな印象を受けます。それが、この四人の姿をかなり神格化めいた圧倒的な存在に見せていたところもあるでしょう。
 
ストーン・ローゼズの音楽性というのは、単純にいえば、ダブ、レゲエ、ファンク、もしくは、他のクラブミュージックをダンスフロアで体感したのちに生み出されたロックといえ、コード、メロディー、ギターの音作りの的な面では、モリッシー率いるザ・スミスからの影響が色濃いバンドです。

そして、この後の、ニュー・オーダー、プライマル・スクリームとともに、彼等が確立したクラプミュージック的な聴衆を踊らせる音楽のスタイル。これというのは、ロック史上では、ビートルズとビーチボーイズを比較するとわかる通りで、これまではアメリカとイギリスの音楽がどことなくリンクしていて、一律的であったものが、この八十年代あたりから、少しずつ違う方向に進んで行き、メインストリームという視点からいえば、それぞれ独自の進化を遂げていった。そして、米国のバンドとはまた異なる進化をとげた英国のクラブ的要素をまじえた音楽性というのは、二〇〇〇年代のシーンに華々しく登場するカサビアンまでめんめんと引き継がれている。

 
ストーン・ローゼズはデビュー当時からずっと、年相応な若い輝きがありながら、一貫して玄人好みの渋い音楽を奏でていた。ミュージシャンとしての職人気質な格好よさというのも当然のことながら、イアン・ブラウンの現在の若者のファッションにも通じるようなラフでいてカジュアルなスタイル、ぶかぶかのビックシルエットのシャツを着込み、そこに、たとえば、デニムを合わせたりしていた点が非常に魅力的。ヴォーカリストとしてのイアン・ブラウンのステージングというのも、それまでのロックミュージシャンとは異なり、ステージマイクの前に棒立ちになり、ふてぶてしく歌う姿も、どことなく今までになかったスタイルを生み出し、同じく彼の独特なファッションというのも、当時の英国の若者たちの目にはクールに映ったはず。
 
また、実はこのスタイルは、のちのオアシスのリアム・ギャラガーにも引き継がれています。ギャラガー兄弟は、1990年大のブリット・ポップという一大ロックムーブメントをブラーとともに牽引した存在であり、その後の英国の音楽シーンに与えた影響というのは計り知れないものがあった。また、リアムの上記のイアン・ブラウンのファッションスタイルを引き継いだような、ビックシエルエットとジャストサイズの中間にあるスタイルを粋に着こなしてみせるラフでカジュアルな格好も、今では珍しく魅力たっぷり。もちろん、ギャラガー兄弟の格好、渋いジャケット、もしくは、シャツ姿などを見るにつけ、どことなく、一時期流行ったようなアメリカンカジュアルとは対極にあるようなイングリッシュカジュアルともいうべきニュアンスが感じられ、個人的には今ではこれがなかなかカッコよく見えます。そして音楽的にもファッション的に完成されたのが、彼らの最高傑作と名高い「モーニング・グローリー」だった。
 
それ以前にも彼らはこのような雰囲気のスタイルを好んできて、そして、ここに、独特な風味のあるオアシスらしいファッションスタイルが確立されたものと思われ、当時から現代にかけてのファッション性にも、少なからず影響をもたらしたのではないでしょうか。現在も、リアム・ギャラガーは、ビックサイズの品の良いフィッシャーマンズ・コートを上から羽織り、(兄からは”漁師みたい”と言われている)デビュー時から大事にしている後ろに手を組み、首を突き出して涼しげな表情で歌うスタイルを貫いており、ロックミュージシャンとしてクールな服装はなんなのかというのを模索しつづけている。

 
 


 
 4. 90年代 グランジの台頭とその後のミクスチャー  ファッションにおけるマニアック性

 

 


 
90年代に入ると、ファッションという面で、大きな影響を及ぼした存在を探すため、表舞台をイギリスからアメリカに移し替える必要があるように思える。 そう、スケーター的なファッションと結びついて、実に泥のような格好をする連中が登場した。
 
アメリカのシアトルからほど近い、アバディーンという土地から、次なるファッション・イコンが登場。カート・コバーンはニルヴァーナというバンドがスターダムに進出する以前、地元で歯科助手として働いていた。その後、彼は、デイブ・グロールとクリス・ノヴォセリックとともに自費で、Sub  Pop からリリースをした「BLEACH」を引っさげて、ライブハウスを行脚しながら、いよいよインディーシーンにその名を轟かせはじめた。その後、91年、ゲフィン・レコードから「Nevermind」をリリースし、華々しくメジャーデビュー。マイケル・ジャクソンという不可侵的な存在、つまり、その年代においては、彼に肩を並べる存在はダンスミュージック界のビッグスターを、ビルボード・チャートの一位から引きずり下ろしたのだった。
 
この後、アリス・イン・チェインズ、ストーンテンプル・パイロッツ、グリーン・リバー、グリーンアップルズ、そして、なんといっても、クリス・コーネル率いるサウンドガーデンという傑出したバンド群を生み出し、この流れというのは、後にグランジ・ムーヴメントと呼ばれ、一世を風靡するに至ったというのは、当時としては驚愕的な事件のひとつだったはず。そして、一躍、時の人となったニルヴァーナという存在。この頃、すでにカート・コバーンはブロンドの長い髪とハリウッドスターを彷彿させる風貌になっていますが、デビュー以前の映像を見ると、黒髪の長髪であり、おそらく、このブリーチをリリースしたあたりから、金髪に染め始めたことがうかがいしれる。

そのファッション性というのは、幼い時代に家庭的な問題、に起因するものなのか、きわめて独特であり、たとえば、ぼさぼさの金髪、穴のあいたジーンズ、そして、ぶかぶかの淡緑のカーディガン、あるいは、現在の女性が着ているような、膝丈ほどもある白いロングシャツを好んで着用していました。

この服装の集大成ともいえるのが、英国のレディング・フェスティバル出演時のコバーンであり、この頃、オーバードーズのため、ほとんどギターをまともに弾くのもままなくなっていた。彼本人は、ときに、グラムロックの再来とばかりに、目の周りにメーキャップのような、黒いアイシャドウを施したり、奇抜さという面ではロック史的にも群を抜いており、元来のロックミュージシャンのファッション性の影響を受けつつも、ニルヴァーナ活動中期あたりから独自のセンスを突き出していくようになった。
 
彼の特徴的なファッションというのは、いわゆる有名なグランジファッションとも呼ばれるようになり、ファッション界にもかなりの影響を及ぼしたかと思われます。その後、この世界的なロックバンドは、イン・ユーテロ、MTVアンプラグド、とリリースをして、コバーン自身は、コットニー・ラブと結婚、一子をこの世にのこしたのち彼は最後の方でロックスターの生き方のマニュアル本のようなものがあったら良かったのに、そんなニュアンスの謎めいた言葉をこの世に残し、ジャニス・ジョップリンやヘンドリクスと同じように二十七という歳、そして上記したシド・ヴィシャスの最期をなぞらえるかのように、彼の場合は、その延長線上にある自死を遂げる。

94年のカート・コバーンの死後、グランジは急速に衰退、その代わりに、ミクスチャーロックという、さまざまな音楽をごった煮にしたロックムーブメントが到来、その文脈の中でとりわけファッション性という面において見過ごせない人物が、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトム・モレロでしょう。このロックバンドというのは、ファーストアルバムのジャケットにおいて、チベットの僧侶が中国共産党の占領に対し、強い抗議の意味を込めて、焼身自殺を市中で図った過激な写真を使用している点も、かなりセンセーショナル、鮮烈なイメージを音楽界に与えたことでしょう。
 
 
 
フロントマンのザック・デ・ラ・ロッチャのボブ・マーリーやジミー・クリフあたりを彷彿とさせるドレッドヘアをするロックミュージシャンが出てきたというのも、かなり斬新なものでしたが、やはり、このトム・モレロという存在はロックファッション的には欠かすことができないイコンといえます。

彼は、いつもステージ上において、軍人のような格好をし、たとえば、海軍基地にいるような職業軍人がかぶるような帽子。そして、ジャケットというのも、軍人の制服のような固い素材のものを着込んでいる。ファッション概念的には、このトム・モレロという人物は、今日のミリタリーファッションのリバイバルの先駆者のようにも思えます。そして、彼等の音楽スタイルと同じように、ヒップホップ的なファッション、オーバーサイズのトップを粋に着こなすようなスタイルの風味も感じられます。
 
さらに特筆すべきは、トム・モレロの使用するギターというのは、きわめて高いポジションに掲げられることが常であり、彼はギターのピックアップという場所に取り付けられている、かつてはジェフ・ベックがよく使っていましたが、いつしか演奏をする上で邪魔になるためにあまり使われなくなっていた”トレモロアーム”の特性をよく知った上で、その奏法を最大限まで活かしたギタリストとしてあまりに有名。トレモロアームの周辺には、「ARM THE HOMELESS」と手書きで書かれている。これはどことなくアメリカ的な手法、つまり、曲で彼の出すきわめて強いノイズのひとつの表現というのは、これこそが、アメリカという国家全体の苦悩である、そして、ホームレスのような弱い存在の代弁者としての強い慟哭のうねりであるということを、彼は音楽という形で芸術的に体現し、そのことを大衆に対してギターの音により、高らかに宣言しているといえるかもしれない。そのことがよく現れているのが、ファーストアルバムに収録されている「Know Your Enemy」という彼等を代表する楽曲なのでしょう。
 
トム・モレロはアメリカにおける社会的に無視されてきた内在的問題を音楽の土壌に挙げ、それを全く無視することなく、直視するといういわば実の父親譲りの覇気を持って、常にそういった経済的な弱者を支持し、彼等のような存在を、音楽という腕で支えるべく、今日に至るまで真摯に活動して来ています。トム・モレロの演奏中に掲げられる「ARM  THE  HOMELESS」のクールさというのは、ロック史、ひいては音楽史の中でも群を抜いており、そして、弱者の視点に立ってものを考えるアティテュードというのは、のちの二〇〇〇年代のエミネムにも、全く音楽性というのは違いながらも、少なからず影響を及ぼしていると思われる。
 
 

 5.2000年代 リアルな世界を歌うライムスター、そして現代のファッションアイコン エミネムからビリー・アイリッシュ



 もちろん、これまで述べてきたのはその多くが白人社会におけるファッションイコンとも呼ぶべきもので、正確を期すなら、八十年代のNYにおけるRUN   DMCあたりの黒人ファッションに対する影響というのはおよそ計り知れないものがあっただろうし、彼等のユニークなスタイル、Tシャツに太いネックレスをし、両手を突き出しながらラップをするという代表的なスタイルも白人社会におけるクールさとは全く異なる側面を追求したといえる。しかし、その辺りの知識に現在は乏しいので、ここではその代わりにエミネムあたりのアーティスト、それから現在のビリー・アイリッシュについて言及したい。上記のグランジ、ミクスチャーの台頭、そして、貧者やゲトゥー的な文化に対する共感を持ち、それを音楽の中にも取り入れるというスタイルは、アメリカという社会がそれまでの七十、八十年代に比べると、経済的にも貧富の差が激しくなってきたのが要因であると推測される。そして、それは2000年以降の日本も同様である。
 
 
それほどまでに、アメリカの社会的に内在していて表側にはあらわれない問題は深まり、音楽という側面でも、大きな経済に踏みつぶされたような悲劇的な存在が生まれたことからも、アメリカの社会問題というのは、すでに九十年頃にはもうはじまっていたものと考えられる。つまり、それ以前まではブラックカルチャーの存在をスケープゴートにすることもできたものの、2000年以後の年代においては、人種差別的問題が表面化してきたため、彼等のことを表向きにはスケープゴートとして見立てる事ができないようになっていったのでしょう。エミネムの、デビュー以前の、白人社会のはぐれものとしての生き様、いわゆる社会の落ちこぼれとしてのというのが、彼の強い個性を引き出して、そして、唯一無二の強固なライム・スターとしての音楽性を形成した。それはまた白人としてでもなく黒人としてでもなく、その両性質を併せ持った彼の特異なリリックにあらわれており、そこに見いだされるのは、アメリカという社会に顕在している内在的な問題でもある。
 
 
「やるせなさ、どうにもならなさ、空虚さ」そんなニュアンスの感じられるエミネムの歌詞というのは、かつてのフォーク・ロックの体現者であるボブ・ディランと同じように、アメリカ全土に蔓延している社会的な気風、あるいは問題をはっきりと音楽として描き出したものであったように思われる。彼の金髪の短い髪、どことなく何かを深く見つめるような瞳、そして生来のスター性、カリスマ性というのは、アメリカという社会の厳しい風にふきされされたがためにエミネムというイコンを形作り、それはまたたとえ、幻想であろうとも、民衆の時代の要請に応えるような形で生まれでたものでが、エミネムという形で最終的に完成されたのではないだろうかと思われます。そして、それは以前までのスターと聴衆という二つにはっきりと分かたれていた存在を緊密にさせた。もっといえば、以前のビートルズのような存在ではなく、聞き手の苦悩のようなものに対して、そっと寄り添うような形で音楽シーンに台頭してきたのがエミネムなのであり、これまでは親のような存在であったミュージシャンが兄弟の立ち位置まで降りてきたのがこの辺りの時代だった。それはファッション性においてもごく親しい人から影響を受けるような感じで、日常的な若者のファッションスタイルを感化したことは疑いがない。
 
この2000年代になると、すでに、スター・ミュージシャン、ファッション・アイコンとしてのミュージシャンというのは、以前のポール・マッカートニーやジョンレノンのように神々しい存在ではなくなり、普通の人々にとってもすぐ手の届くような、近しい、もしくは親しい存在に変わっていった。
 
テレビ、その後のインターネットをはじめとする複数のメディアのイノベーションにより、アーティストの人前への露出度が増えたので、最早、ミュージシャンの姿がそれほどミステリアスな存在ではなくなった点が大きいかもしれない。その後、ミュージシャンの神格化というのはすでに昔日の虚影となり、Discordなどのプラットフォームのバーチャルで知り合う友達というように接する雰囲気が一般的に浸透してきている。つまり、95年からのインターネットの一般家庭への普及は、従来、ほとんど接点のなかった音楽家と民衆という二つの隔たりに架橋をすることになる。もちろん、これは良い側面ばかりにとどまらず、以前ならば知らなくても済んだことを知ってしまうという弊害も、ミュージシャンとリスナーの両者にもたらしている。この動向は、Yard Actのジェームズ・スミスさんがよくご存知のことだろう。しかしながら、2010年代からは、有名な人にも、以前のように、コンサートに行かなくとも、なんらかの媒体に接続すれば、彼等の存在に非常に接近することができるようになってきた。もちろん、ソーシャルで接する際には、人間としての節度というのをわきまえねばいけないでしょう。
 
つまり、以前のビートルズのような面々のように、一生に一度会えるかどうかもわからない存在ではなくなり、朝起きて、パソコンを立ち上げ、ネット上というバーチャルな空間ではありながらも、ごく当たり前のように、有名なミュージシャンの演奏、また彼等のインタビュー、そして、賛美両論ありましょうが、彼等の私生活を知ることもさほど難しくなっているというのは、最初の六十年代当時の人々から見ると、驚天動地のような革新だったのである。その辺りで、華々しくシーンに出てきたのが、奇抜なファッション、SF的な風味のある奇抜なファッション性を打ち出したレディー・ガガ。彼女のような存在は例外的事例としても、さらに2015年代に時が進むと、音楽家と聴衆の一体化、無差別化という傾向はいよいよ顕著になっていく。
 
Twitter、Facebook,Instageram、(現在はそれに加え、ドイツのMastodonも強い影響力を持ちはじめている)一般的な浸透により、SNS文化は音楽シーンにも無関係ではなくなり、アーティストの私生活をほとんど以前よりも気軽に接近していくことができるようになり、それはファッションスタイルという観点においても、憧れの的といえるようなファッションイコンを参考にして、また自分のコーディネイトの中に、気楽に取り入れられる時代となりました。

 
 
一連の流れの中でシーンに登場したのが、ビリー・アイリッシュという際立った存在でした。彼女は自身の生み出す音楽という面での魅力もさることながら、ファッションリーダ的な立ち位置としても多くの人々に支持されているようなのが伺えます。アイリッシュは、積極的にインスタグラムにおいて、自分の私生活の一部を公開したりしながら音楽活動を続けています。金髪の写真が有名ですが、どちらといえば、個人的な印象として根強いのが、彼女の緑色の髪の姿でしょう。

このビリー・アイリッシュという人物はどことなくフェミニンな印象があり、女性的ではありながらも、中性的なファッション性を有しているのが特徴で、彼女の奇抜な髪の色というのは、彼女もレディー・ガガとは異なる現代的ファッションイコンとしてその筆頭として挙げられるでしょう。

彼女のファッション的なカリスマ性というのは主に十代を中心とした若い女性の心をしっかり捉えているように思われます。
 
 
 
 
 6.70年のミュージシャンのファション性から見える彼らの考え、そして普遍的なオリジナリティ

 
 
 
 1960年代から2020年代までかなり駆け足ではありましたが、音楽とファッションと言うように題して、その中に副次的なファションイコンというテーマを据え、一時代の中で、ミュージシャンたちがどのような思想を持ってファッションをし、そして、どのような形で民衆と関わり合って来たのかを説明してきた。およそ、エルヴィスからはじまったロックスターという概念は、ビートルズやストーンズのような存在により押し広げられました。
 
七十年のピストルズのような存在が生み出したそれまでのロックスターとはまったく異なる形でのファッションスタイル。 八十年のマッドチェスタの項目では、オーディエンスやファンの中にミュージシャンのスタイルを浸透させていくような形で推進されていった。さらには1990年代に入ると、色濃く社会的な問題を反映させたようなパンクスやハードコア・パンクスのファッション、その裏側には稀に政治的なメッセージも込められていくようになる。やがて、2000年代に差し掛かると、テクノロジーという媒体を通して、より緊密な形でそれまで完全に分離されていたように思える音楽家と民衆(リスナー)がひとつに繋げられていくような傾向が見られる。
 
この一つに近くなっていくという特徴というのは2023年でも継続していて、音楽家と聴衆が一体化がなされ、距離がさらに縮まってきているという印象をうける。また、ファッション面においても、さらに拍車がかかっていくと思われる。果たして、今後、どのような形で、音楽家のファッション、そして。それに対する民衆のリアクションというのは変遷をたどるのか?
 
最後に述べておきたいのは、この記事(最初の原稿が完成したのは2年前)を書いていてなんとなくわかってきたのは、音楽というのは、ただ聴くという側面のみで語られるべきではなくて、社会的に、また、思想的にも分かちがたくむすびついている文化形態のひとつだということ。そしてその概念とも呼ぶべきものが形をとって表面上に、よく目に見えるわかりやすい場所にあらわれたものが、「ファッション」といわれるものであり、上記に列挙したアーティストの魅力的な服装というのは、彼等、彼女ら自身の揺るがしがたい思想をあらわしているともいえる。
 
ファッション・アイコンともいうべき存在が最初に登場した時代から、およそ70年という月日が流れてもファッションは、並み居るアーティストたちの強い概念というのを、音とはまた異なる形質で表しつづけている。おそらく、この帰結というのは、最初のジョン・レノンから、現在のアイリッシュにいたるまで、なんら変わることのない普遍的な事実ではないだろかと思われる。



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