Rafael Anton Irisarri  『Midnight Colours』(Remastered)‐Review  NYの気鋭のアンビエントプロデューサーによるコンセプチュアルな作品

Rafael Anton Irisarri  『Midnight Colours』 (Remastered)

 

 

Label: Black Knoll Editions

Release: 2024/02/ 09


Review

 

ニューヨークの気鋭のプロデューサーが示す「終末時計」


 ニューヨークのエレクトロニック・プロデューサー、ラファエル・アントン・イリサリはアンビエントシーンの中心人物として知られ、その作風は幅広い。最初期はピアノを基調とするポスト・クラシカルや、活動中期に入ると、ノイズ・アンビエント/ドローンの音楽性を押し出すようになり、ときにそれは純粋なノイズ・ミュージックという形でアウトプットされる場合もある。


 アーティストはウィリアム・バシンスキーや坂本龍一など、最もニューヨーク的なアンビエントを制作することで知られる。イリサーリの音楽性の核心をなすのは、ゴシック/ドゥーム的とも言えるメタリックな要素であり、それらがノイズの形質をとって現れる。例えばGod Speed You ,Black Emperorのようなポスト・ロックのインストともかなり近いとうように解釈出来るわけである。もちろん、カナダのバンドのように、現実的な神話の要素を内包させていることも、それらの現実性を何らかの難解なメタファーにより構築しようというのも共通項に挙げられる。


 このアルバムは長らく廃盤になっていた幻の作品の再発である。以前の作品と同様に、難解なテーマが掲げられている。『Midnight Colours』は単なるアルバムをはるかに超えた、人類と時間との間の謎めいた関係の探求である。世界の存亡の危機を象徴する「終末時計」の音による解釈として構想されたイリサリの作品は、リスナーに私たちの存在の重さと、それを包む微妙なバランスについて考えるよう招来している。「夜の影の中に共存する不安と静謐な美しさの両方、時間と人間の関係の本質を捉えたかった」とイリサリは説明する。「ヴァイナル・フォーマットは、リスナーに音楽と物理的に関わるように誘い、体験に触覚的な次元を加える」

 

 いわば、純粋な音源というよりも、フロイドやイーノ、そして池田亮司のような音と空間性の融合に焦点が絞られている。そういった楽しみ方があるのを加味した上で、音楽性に関しても従来のイリサリの主要作品とは異なるスペシャリティーが求められる。ノイズ、ドローンの性質が強いのは他の作品と同様ではあるものの、イリサリの終末的なエレクトロニックの語法は、1つの音の流れや作曲構造を通じて、壮大なアプローチに直結する。音の流れの中に意図的な物語性を設け、それらをダニエル・ロパティンの最新作のように、エレクトロニックによる交響曲のように仕上げるという点は、今作にも共通している。それが最終的にバシンスキーのようなマクロコスモスを形成し、視覚的な宇宙として聞き手の脳裏に呼び覚ますことも十分ありうる。


 「The Clock」では、『インディペンデント・デイ』で描かれるような映画的な壮大なスペクタルを、エレクトロニック、アンビエント、ドローンという制作者の最も得意とする手法によって実現させていく。それはやはり、米国的なアンビエントといえる。Explosions In The Skyのようなポストロックバンドにも近似する作曲法によって重厚感のあるアンビエントが構築される。

 

 しかし、ウィリアム・バシンスキーの直近のアンビエントと近い宇宙的な響きが含まれていることを踏まえた上で、近年のイリサリの作品とは明らかに異なる作風が発見出来ることも事実である。まず、この曲にはドゥームの要素はほとんど見いだせず、アンビエントの純粋な美しさにスポットライトを当てようとしている。そして、「Oh Paris, We Are Fucked」ではより静謐なサイレンス性に重点を置いた上で、その中に徐々に内向きのエネルギーを発生させる。これは近年の作風とは明瞭に異なる。しかし、一貫してノイズに関してのこだわりがあるのは明確なようで、曲の中盤からは静謐な印象があった序盤とは正反対にノイズが強められる。そして雑音を発生させるのは、美麗な瞬間を呼び起こすためという美学が反映されていることがわかる。この点において、オーストリアのFennes(フェネス)と近い制作意図を感じることが出来る。



 そして、最近のウィリアム・バシンスキーの近未来的なアンビエントに近い雰囲気のある音楽性も続く「Circuits」に見いだせる。この曲では、アントン・イリサリとしては珍しく、感覚的な音楽を離れて、より理知的なイデアの領域へと近づいている。その中に内包される終末時計という概念は、よりこのアンビエントのイデアを高め、そしてそれらの考えを強化している。


 しかし、イリサリにとっての終末的な予感とはディストピア的なものに傾かず、より理想的で開けたような感覚を擁するアンビエントの形に繋がっている。これがつまり、恐ろしいものではなく、その先にある明るい理想郷へと聞き手を導くような役割をもたらす可能性を秘めている。

 

 さらにイリサリのアンビエントとは一風異なる音楽も収録されていることは心強い。「Every Scene Fade」はホワイトノイズを交えながら、ダブステップのようなダンスミュージックの要素を突き出した珍しい曲である。ここにはホーム・レコーディングの制作者ではなく、実際のフロアでの演奏者/DJとしてのアーティストの姿を伺える。しかし、それらのリズム的な要素は、抽象的なアンビエントをベースにしており、やはりオウテカのようなノンリズムによって昇華される。サウンドスケープの抽象性に重点が置かれ、カルメン・ヴィランのようなリズム的な要素が主体となることはほとんどないのである。そして、それらはやはり、ドローンを中心点として、パンフルートのような枯れた音色や、ストリングの音色を通じて、驚くほど明るい結末を迎える。近年では、暗鬱な音楽が中心となっている印象があったが、この曲ではそれとは対極にある神々しさが描かれる。それはイリサリの従来とは異なる魅力を知る契機となるに違いない。


 他にも意外性のある楽曲が収録されている。「Two and Half Minutes」ではダニエル・ロパティンのようなミニマル音楽のアプローチを取っているが、これはこれまでのイリサリのイメージを完全に払拭するものだ。これまでのダーク・アンビエントとは対象的に、祝福的なイメージを短いパルス状のシンセによって描き出そうとしている。これもまた鮮烈なイメージを与えるはずだ。従来と同様、ノイズ・アンビエントとしての究極系を形作るのが「Drifting」となる。旧来のゴシック/ドゥームの枠組みの中で、ギター演奏を取り入れ、抽象的なサウンドを構築していく。ドビュッシーの「雲」のように、それまで晴れ渡っていた空に唐突に暗雲が立ち込め、雲があたり全体を覆い尽くすようなサウンドスケープを呼び覚ます。アンビエントは手法論としての音楽とは別に、音楽そのものがどのようなイメージを聞き手に呼び覚ますのかが不可欠な要素であり、それをイリサリは自らの得意とする表現方法により構築していくのである。

 

 そして、イリサリはアンビエントを一つの手段とは考えていないことも非常に大切であると思う。上述した「Oh Paris, We Are Fucked」と同じように、制作者の考える「美しいものとは何か?」という答えらしきものが示されている。結局のところ、アンビエントは、制作手段が最も大切なのではなくて、何を表現したいのか、それを表現するための精神性が制作者にしっかりと備わっているのかどうかが、音楽性を論ずる際に見過ごすことの出来ぬ点である。それが次いで、聞き手のイメージをしっかりと呼び覚ます喚起力を兼ね備えているかというポイントに繋がってくる。これらの作曲性はリマスターによって荘厳で重厚感のある音楽へと昇華される。

 

 クローズ曲は、イリサリの最高傑作であると共に、「電子音楽の革命」と称せるかも知れない。本曲でのアンビエントは、「終末時計」という制作者の意図が明瞭に反映されている。それは映画に留まらず、オーケストラの弦楽に比する重厚な響きを形成するに至る。もしかすると、イリサリは今後、映画音楽やオーケストラとの共演等を行う機会が増えるかもしれない。もしそうなったとき、アンビエントの先にある、未来の音楽が作り出される可能性が高い。本作は音楽の過去ではなく、音楽の未来を示唆した稀有なエレクトリック・ミュージックなのだ。

 

 

 

86/100