Tシャツ産業の発展、ロック・ミュージックとの関わり

 

Tシャツとロック音楽

 

 

 1.Tシャツの起源 

 

 

Tシャツの起源、発祥については諸説あるようだが、19世紀のヨーロッパにあると言われている。

 

第一次世界大戦中だというように書かれているサイトも散見されるけれども、これは少し見当違いである。少なくとも、シャツ生産専門企業として、ドイツのMerz .b.Schwanenが1911年に設立されているからである。

 

綿製のシャツ、いわゆるカットソーとしての生産で一般的に有名なのは、アメリカで、Hanes、Championといったブランド企業である。もしくは、フランスも古くから漁港の漁師が好んで着る襟ぐりの広い”バスクシャツ”を生産してきており、綿生産、及び綿工業の盛んな土地として挙げられる。しかし、服飾産業の歴史を語る中で、(個人的に知るかぎりで)と断っておきたいが、最も早くこの綿のシャツ生産を産業として確立させたのは、ドイツにあるシュヴァーベン地方だったように思われる。

 

この地方では、二十世紀以前まで主に農業が営まれていたらしいが、土地が痩せてきたために、弥縫策として綿織機を導入し、綿のシャツを生産するようになったという*1。 

 

その後、Peter Plotnichkiが1911年にシャツ生産の機械ラインを導入して企業として発足した。これは、現存する最も古いシャツ生産の企業ではないだろうかと推察される。

 

その後、第一次世界大戦中に、アメリカ軍がイギリスとフランスの兵士がTシャツを着ているのを見て、それを自軍の服飾の中に取り入れたという*2。 

 

肌触りがよく、風通しもよく、着やすくて、シンプルな見た目がかっこよく、そして、ピンきりではあるものの、薄い素材の割には、耐久性にもすぐれていることから、軍用の服装として取り入れられることになったのは自然な成り行きだったように思われる。

 

ただ、イタリア軍の綿シャツを一度着てみたことがあるが、これはちょっとという言う感じで、パサパサしているだけでなく、チクチクする粗目の素材で、かなり強烈な抵抗をおぼえる粗悪な質感である。おそらく、この時代、第一次世界大戦に取り入れられていたシャツというのも、これに似た類のものではなかったかろうかと思われる。

 

そして、第一次世界大戦後になると、アメリカでも、綿シャツの大量生産時代、つまり主要産業としての確立が始まったように思われる。この辺りに、ミリタリーウェアとしてのシャツの起源という意味で、第一次世界大戦中に発祥を求めるのなら、それは正解の範疇にあるといえるかもしれない。

 

 

2.誰がTシャツを流行させたか?

 

 

軍用の服装、いわゆるミリタリーウェアとしては普及しつつあったTシャツ。しかし、これが一般の人々のファッション中に取り入れられる時代は、第一次世界大戦から少し時を経なければならない。

 

どうも、第二次世界大戦中には、アメリカ国内では、兵士だけにとどまらず、一般の人たちにも普及していくようになったようだ*4。そして、このTシャツの大きな流行を後押しとなったのが50年代に入ってから、そして、それ相応のスターと呼ばれる世界的にも影響を持つあるムービースターが大々的な形で「これはカッコいいものだ!」と世間に宣伝したのだった。

 

このTシャツという存在を、世間にファッションとして流行らせた人物が、往年のムービースター、ジェームス・ディーンと言われている*3。 

 

 

 

 

ジェームス・ディーンが主演として演じてみせた「理由なき反抗」でのジャケットの内側に、インナーとして白いシンプルなカットソーつまりTシャツ姿、そしてデニム。

 

これが当時の人々の目にどのように映ったのか定かではないものの、カットソーにデニムというのは、現代にも通じる古典的でシンプルなファッションスタイルと言える。そのシンプルでありながら洗練された格好良さというのは、衝撃的なインパクトを一般の人たちに与えたのではないかと思われる。

 

これは、例えば、今でもブラットピット主演の「ファイトクラブ」のような時代負けしない普遍的なクールさを持つ作品といえるかもしれない。ディーンのジャケットの内側に、シンプルにカットソーをあわせ、そこにまた彼のトレードマークともいえるオールバックのヘアスタイル、これは現在の流行として引き継がれている古典的ファッションだ。

 

あまり映画フリークではないので、偉そうなことはいえなものの、そして、この作品「理由なき反抗」こそ、ディーンというムービースターの最も輝かしい生きた瞬間を写し撮った姿ではないかと思われる。そういえば、かつて明治期に映画製作を手掛けていた谷崎潤一郎は、映画俳優がスクリーンの中で永遠にその当時の最も美しい形で写り込んでいる。その瞬間に凝縮される不変の輝きこそ賞賛に足るものであるというようなニュアンスを作中において語っている。

 

同じように、ジェームス・ディーンがこの世を去っても、作品中の彼の輝きというのは不思議なくらい失われず、スクリーンの中で最も美しい時代の姿として刻印されている。これが、映画という媒体でしか味わえない醍醐味と思う。見てくれの悪そうなアウトローの雰囲気は、当時の一般の人の憧れとなったはず。また、ジェームス・ディーンは、二十代という若さで生涯を終えたという事実についても、彼のその後の映画での活躍を見られなかったという悔しさがある。27歳で死んだ伝説的なロックスターと同じように、映画愛好家にとどまらず一般の人たちにも、ディーンという存在に対し、一種の神格化めいた光輝を与え、そして、このTシャツの流行を普遍的なものにする要因となったかもしれない。

 

 

 3.ロックTシャツの誕生

 

 

一般的に、ロックTシャツが誕生したのは、ケルアックを始めとする文学のビート・ジェネレーションの世代の後と言われている。

 

カルフォルニアを中心に発展したこのビート運動は、文学の世界にとどまらず、ロック音楽の世界まで深い影響を及ぼした。特にUCLAの学生などは、このビートニクス作家を好んでいたと思われる。このビートニクスの元祖ともいえるのは、ヘルマン・ヘッセの「荒野のおおかみ」である。(この作品は、ステッペン・ウルフのバンド名のヒントにもなるが、内容は、内的な分裂性を題材にし、思索の世界の最深部に踏み込んでいった歴史的傑作である。サイケデリック文学の先駆けともいえる傑作の一つだ)

 

60年代後半になって登場したグレイトフル・デッド、バンドの取り巻きのファン、Deadheadsが音楽でのヒッピー・ムーブメントを牽引していった。 

 

 

Grateful Dead (1970).pngGrateful Dead Billboard, page 9, 5 December 1970 Public Domain, Link

 

 

グレイトフルデッドというバンドは、サイケデリック・ロックを一般的に普及させたロックバンドである。

 

すでにジャック・ケルアックの時代からはじまっていたビート運動を敏腕プロモーターとして後押ししたのが、ビル・グレアムという人物だった。

 

グレアムは、フィルモア・ウェスト、フィルモア・イースト、ウインターランドといった大掛かりなライブハウス経営に乗り出した人物で、米国でのライブハウス業の先駆者といえる。*5 アメリカの西海岸のカルフォルニアにとどまらず、東海岸のニューヨークのロック文化を活性化した敏腕プロモーター兼ライブハウス経営者である。

 

そして、ビル・グレアムが、60年代の終わりに、Tシャツアパレル製造会社を立ち上げ、初めてグレイトフル・デッドのロックTシャツの販売を開始した。*4 これが、つまりロックTシャツの元祖。

 

これがどれくらい売れたか、どれくらいの規模の広がりを見せたかは後の調査する必要がある。そして、少なくとも、このグレイトフル・デッドというロックバンドのTシャツのデザインには、サイケデリックアート界の巨匠、リック・グリフィンが絡んでいる。

 

ロックミュージックのアルバムアートワークという側面では、アンディ・ウォーホールばかり取りざたされる印象を受けるものの、リック・グリフィンは、ジミ・ヘンドリクス、グレイトフル・デッド、イーグルス、ジャクソン・ブラウンのアルバムジャケットを手掛けたアート界の巨匠である。

 

サイケデリックという概念を、全面的に突き出した、LSDによる幻覚作用をそのままに視覚的に刻印した感じのどきついデザイン性がリック・グリフィンの作品の特徴である。

 

昨今、グリフィンの再評価の機運が高まっているように思えてならない。ドクターマーチンのブーツに、グリフィンの手掛けたサイケデリックアートのモチーフをあしらった商品まで発売されていることから、ウォーホールほど有名でないものの、いまだ根強い人気があるアーティストである。つまり、グリフィンがこういったロックTシャツのデザインを手掛けたことも、ロックTシャツをさらに魅力的にし、アートとしての価値も高める要因となったように思われる。

 

また、このロックTシャツ生産販売というのは、音楽において、つまりレコードやライブパフォーマンスの収益とは別の産業の側面を生み出した。つまり、グッズ販売としての相乗効果も生み出されたというわけである。

 

現在、アニメーション等ではごくありふれた手法、作品における他のアーティストとのタイアップの概念というのは、リック・グリフィンの手掛けたロックTシャツのデザインが始原であったのではないだろうか?

 

 

4.バンドTシャツの普及

 

 

七十年代に入ってから、ロック、バンドTシャツの生産販売は一般的になっていったように思える。

 

ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ザ・フーといった一般的なロックバンドのシャツも市場に出回るようになったのは、この70年代ではないかと推定される。それから、有名なロンドンパンク・ムーブメントにおいて、セックス・ピストルズを筆頭に魅力的なバンドTシャツの生産が数多く行われるように至ったというのが妥当な解釈なのかもしれない。

 

また、経済的な側面でもグッズ収入における金銭の流れというのは、グレイトフル・デッドの時代から比して、70,80,90年に差し掛かると、一大産業として確立されてもおかしくない額に上るようになったのではないだろうか。そして、バンドTシャツはサブカルという範疇にとどまるものの、一種の文化として確立されるに至った。カルチャーとしての拡がりはロックシーンにとどまらず、Run-DMCのようなヒップホップシーンにも波及していく。

 

八十年代に入り、レッド・ツェッペリンやブラック・サバスといったハードロック・バンドだけでなく、ヘヴィメタル・バンドのTシャツも出てくる。メタリカ、メガデス、アイアン・メイデン、ジューダス・プリーストというように、枚挙にいとまがない。実に名物的なバンドロゴやアルバムをモチーフにしたTシャツが大量に生産されるようになる。このあたりのロックバンドは、熱狂的なファンを一定数抱えており、現在もファンの総数は依然多いように思われる。

 

元来、ロンドンパンクスよりもどぎついキャラクターを持つバンドも多く、一般的な美学から見ると、悪魔的なバンドロゴ、アルバム・アートワークをバンドキャラクターとしているが、表面上の美という概念から離れた「醜悪美」のような概念を偏愛する人々は、一定数存在することは確かだろう。

 

 

Sonic Youth「Goo」
この70〜80年代のロックTシャツは、現在でも、よく古着屋で販売されており、ビンテージ品と呼ばれる。

これは、一部に熱狂的なコレクターがいるようだ。どうやら、中には、ウン十万!?という高値で取引される商品まであるというのだから驚くしかない。

 

 

現在、ロックTシャツとしては、ソニック・ユースのGoo、ヴェルヴェット・アンダークラウンドのデビュー作のアルバム・アートワークをあしらった商品が有名かと思われる。

 

終わりに

 

 

近年では、大掛かりなロックフェスにおいて、こういったアーティストのロゴ、アルバムアートワークにちなんだシャツというのが販売されるのはごくごく自然な事となった。

 

実は、これというのは、大まかな起源を辿てみれば、60年代後半に隆盛したヒッピー文化、グレイトフル・デッド、その取り巻きのデッドヘッズ、敏腕プロモーター、ビル・グラハムのもたらした考案の恩恵だった。

 

昨今、プロモーター、音楽、広告制作会社にとどまらず、インディーズ界隈のバンドにとっても、自分のバンドのロックTシャツをオリジナルに作製し、ライブ会場等で販売し、それをファンに購入してもらうというビジネル・スタイルは確立され、ロックバンド活動を維持する上できわめて重要な収入源となった。

 

また、アパレル業界の商品という側面から見ても、著名なロックバンドとデザイナーのタイアップ、コラボというのは、以前よりはるかに身近で接しやすいものとなったように思える。


 

参考


*1 OUTER LIMITS.CO  https://outerlimits.co.jp/pages/merz-b-schwanen

*2Rivaivals GALLERY.com http://revivalsgallery.com/?mode=f26

*3繊研新聞社 [今日はなんの日?] ジェームス・ディーンとTシャツと https://senken.co.jp/posts/rebelwithoutcause-tshirs

*4*5 Prisma creative products コラムNO.3 Tシャツと音楽の関係性について https://www.prismacreative.jp/columns/column03.html