坂本龍一が71歳で死去 数々の名作を遺す



坂本龍一が3月28日に71歳で死去したことをアーティストの作品を数多く手掛けてきたCommonsが公式に発表しました。謹んでご冥福をお祈りいたします。坂本龍一さんは2014年に咽頭がんと診断され、治療が成功して寛解したものの、2021年に直腸がんの闘病中であることを明かしていました。


「2020年6月に発見されたがんの治療を受けながら、坂本は健康状態が許す限り、自宅のスタジオで作品を作り続けました」と声明には書かれています。


「彼は最後の最後まで音楽と共に生きていました。ファンの皆様をはじめ、坂本の活動を支えてくださったすべての方々、そして坂本の治療に全力を尽くしてくださった日米の医療関係者の皆様に深く感謝いたします。なお、葬儀は坂本の強い希望により、近親者のみで執り行われました」


1952年1月17日に東京で生まれた坂本龍一は、3歳の時にピアノを始めた。東京芸術大学作曲科で学び、修士課程を修了した。この頃、大学にあったシンセサイザーを使い、セッションミュージシャン、プロデューサー、アレンジャーとしてのキャリアをスタートさせる。やがて、細野晴臣、高橋幸宏らとともに、大きな影響力を持つ伝説的なシンセポップグループ「イエロー・マジック・オーケストラ」を結成し、1978年にセルフタイトルのデビュー作を発表する。


坂本が作曲した「Behind the Mask」は、マイケル・ジャクソンやエリック・クラプトンなどのアーティストにカバーされ、その数ヵ月後には初のソロアルバム「Thousand Knives of Ryūichi Sakamoto」が発売された。タイトル曲のバージョンは、イエロー・マジック・オーケストラの1981年のアルバム『BGM』に収録、ローランドTR-808ドラムマシンがレコーディングに使用された。


1983年、YMOの最後のスタジオアルバム『Service』が発売される。同年、大島渚監督の映画『メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス』の音楽を担当し、デヴィッド・ボウイと共演を果たす。1987年、ベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラストエンペラー』で、デヴィッド・バーン、コン・スーと共演し、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、グラミー賞を受賞する。


その後、1990年の『シェルタリング・スカイ』、1991年の『ハイヒール』、1993年の『リトル・ブッダ』、2015年の『レヴェナント』などの映画でオリジナルスコアを担当した。キャリアの中で、トーマス・ドルビー、ユッスー・ンドゥール、イギー・ポップ、ブライアン・ウィルソン、ジャケス・モレンバウムといった世界的なミュージシャンとコラボレーションを行った。


2017年、アンビエントアルバム『async』を発表した。今年初めには、遺作となる『12』を発表し、亡くなる直前までその創作意欲は衰えなかった。


2022年12月、坂本龍一はNHKの509スタジオで過去に録音したキャリアを振り返るピアノコンサートをライブストリーミングで配信した。「ライブコンサートをする気力はもうない...」「このような形で私の演奏が見られるのは、これが最後かもしれません」と、公演の前に語っていた。


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