スティーヴ・アルビニ  1993年の『In Utero』のミネアポリスでのレコーディング、カート・コバーンとの出会いについて語る

Steve Albini&Nirvana

1993年2月、ニルヴァーナがレコーディング・エンジニアのスティーブ・アルビニとともに自作の『In Utero』のレコーディングに取り掛かるため、ミネアポリス郊外50マイルのパチダーム・スタジオでキャンプをした時、彼らはセカンド・アルバム『Nevermind』のおかげで大きな存在になっていました。そのため、アルビニはバンドを別名でスタジオを予約することにした。

 

「噂が広まらないようにする必要があったんだ」とアルビニはNMEに新しいインタビューで語っている。「そのスタジオはインディペンデントなレコーディングスタジオで、そこで働いている人は少人数だった。彼らに秘密を託したくなかったから、自分のアカウントで「サイモン・リッチー・バンド」という偽名でスタジオを予約したんだ。「もちろん、シド・ヴィシャスの本名だ」


もちろん、スタジオのオーナーでさえ、ニルヴァーナが来るとは知らなかったのです。しかし、バンドの知名度とは裏腹に、プロデューサーはセッションは比較的普通のものだったと主張する。


「セッションには何もなかった」と彼は付け加えます。「つまり、彼らが非常に有名であることを除けば、です。ファンで溢れかえらないように、できる限り隠蔽する必要があったんだ。それが唯一、奇妙なことだったんだ」


予想外の要因として、アルビニはカート・コバーンとギターのつながりがあることを知りました-ニルヴァーナのソングライターが思い出させてくれるまで知らなかったことです。

 

「In Uteroのセッションのかなり前に、私のバンド、Big Blackがお別れツアーを行ったとき、最終公演はシアトルのある工業地帯で行われたんだ」とスティーヴ・アルビニは回想している。「奇妙な建物で、その場しのぎのステージだった。クールなライブで、最後に機材を全部壊してしまったんだ。その後、ある青年がステージからギターの一部を取っていいかと聞いてきて、私が『どうぞ、もうゴミですから』と言ったのをはっきり覚えていますよ。この先、どうなるかは想像がつきますよね...」

 

 


「何年も経ってから、ミネソタのスタジオで『In Utero』に取り組んでいたとき、カートは保存していたこのときのライブで拾ったギターの小さな破片を私に見せてくれたんだ。彼は長い年月を経て、それを私のところに持ってきたのだ。そう、コバーンはそのときの青年だったんだ」

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