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  スティーヴ・ライヒは、マサチューセッツのジョン・アダムス、シカゴのフィリップ・グラスと共にミニマル・ミュージックの元祖でもある。

 

ライヒはまた日本の現代音楽シーンとも非常に密接な関係を持ってきた人物である。かつて武満徹作曲賞の審査員を務め、それまでこの賞のほとんどはアカデミア、つまり音楽大学で学んだ作曲者に限られていたが、この年、ライヒは、それほど知名度のなかったテープ音楽制作者に賞を与えています。これは、アカデミアの人々からは意外に思える選考となったに違いないが、彼がもたらそうとしたのは、硬化して内輪のものと化したアカデミズムの風潮を刷新しようとする試みであったのでしょう。また、その他にも、武満賞の審査員には面白い人物が列席し、その中には、リゲティ・ジョルジュ、ジョン・アダムス、カイヤ・サーリヤホ、ハインツ・ホリガー、一柳慧、トーマス・アデスがいます。

 

スティーヴ・ライヒは、この作品以前の遊び心溢れる手拍子の音楽『Clapping Music』において、リズムの観点からミニマル・ミュージックの原型を作り上げた後、1980年の『Music For 18 Musicians』でミニマル・ミュージックというジャンルを完成形に到達した。この作品のレコーディングでは、ECMのオーナーのマンフレート・アイヒャーと、また、記憶違いでなければ、複数のジャズ・プレイヤーもレコーディングに参加していました。あまり適当なことは言えませんが、最初期のNew Seriesのカタログにおいて、オーナーのマンフレート・アイヒャーが録音前に、特に完全な名作と見込んでいたのは、エストニアのアルヴォ・ペルトの交響曲群とこのライヒの『Octet/Music for a Large Ensenble/Violin Phase』だったように思えます。フィジカル盤のライナーノーツには、実際のレコーディングの風景の写真が載せられているが、 写真からは相当な緊張した雰囲気が見て取ることができます。特に、ピアノ、ビブラフォン、シロフォン、ダブルベース、クラリネット、フルート、チェロ、バイオリン、ビオラといった演奏者レコーディングに参加したジャンルレスのプレイヤーたちは、この録音が伝説的なものとなることを確信しており、まさに後はレコーディングが終わるのを待つだけだった。そしてこの作品に参加した伝説的な奏者はそれを見事な集中力を保ち、完璧にやり遂げてみせたのです。

 

スティーヴ・ライヒが音楽学んだのは、マイルス・デイヴィスを輩出したニューヨークの名門、ジュリアード音楽院。20世紀、このアカデミアでどのような音楽教育が実践されていたかまでは定かではありませんが、ライヒの作曲技法の核心にあるものは、”変奏-Variation”であると思われます。


そして、このバリエーションが出来ないと古典音楽の作曲の世界ではお話にすらなりませんでした。なぜなら主題は常に変奏され繰り返されるからです。また、最初の楽章と対になる次の楽章はドイツ・ロマン派の時代には調性という側面でコントラストを作る必要があった。イタリアのボローニャ大学の教授を務めたウンベルト・エーコが『美の歴史』と『醜の歴史』で指摘しているように、対比というのは西洋の古くからの美学のひとつ。そこで、スティーヴ・ライヒは簡素な短いモチーフを徹底的に繰り返していきますが、徹底的にモチーフの変奏を繰り返しながら、独特なエネルギーを生み出し、また、その途上で、リズムすら複雑に変奏させることで、曲の後半には曲の始まりとまったく異なる音楽に変容させる。その幻惑に聞き手は驚異を覚えるのです。

 

『Octet/Music for a Large Ensenble/Violin Phase』の3つの楽章では、それぞれ短いモチーフを原型に、広い音域を持つオーケストラ楽器によって多彩なバリエーションが繰り広げられる。バスクラリネットのような低い音域の楽器からピッコロ・フルートのような高い音域の楽器までが幅広く網羅されています。こういった形容が妥当かはわかりませんが、音楽の歴史の中で最も色彩に富んでいると言えるのではないでしょうか。そして、ライヒがこの名作で求めたのは、旧来の古典音楽の形式で見過ごされてきた技法の拡張性にあろうかと思われます。このミニマル・ミュージックの素地は、バッハの『平均律クラヴィーア』、ベートーヴェンの『月光』の反復性に見られ、実はピアノ音楽としては中世の時代から普通に親しまれてきた技法でもあった。ライヒは管弦楽法により、20世紀の時代に即した形で新しく推進させようとしたのです。

 

但し、スティーヴ・ライヒは、これらの古典的な音楽の作風とは本作において一定の距離を置いている。それはある意味では、インテリアの家具のような洗練さを思わせ、また建築物の設計上の数学性を思わせる。かつて、フランスの近代作曲家のモーリス・ラヴェルは、アーノルト・シェーンベルクの音楽を「数学のようであり建築のようでもある」と称していたと思うが、それは、作曲者としての羨望や負け惜しみも少なからずあったかもしれませんが、12音技法を称賛しつつも音楽の本来の魅力である情感に乏しい点を指摘していたとも読み取れます。そして、この現代音楽の作曲における数学性をセンスの良い形、情感溢れる形、さらに言えば、音楽に詳しくないリスナーにも楽しめるような形でライヒは繰り広げようとしました。今作でのセンスの良さ、それはニューヨークの洗練されたジャズ・シーンに親しんできたのがひとつ、今ひとつは、アフリカの民族音楽のような前衛的なリズムの核心を上手く吸収しているからなのです。これらの三つの楽章の目的は、楽譜を忠実に再現する複数のプレイヤーの演奏から緻密に織りなされる対位法的な複数の声部の重なりが立体的な音響の集合体を生み出すことにあります。また、生命的なエネルギーの集合体を作り出そうとしたとも言えるでしょう。

 

この3つの楽章を聴いてわかるとおり、旋律の微細なバリエーションの連続によって、そして、リズムを微妙にずらしシンコペーションを多次元的に組み上げていくことにより、ダンス・ミュージックやロック・ミュージックで言われる、パワフルな”グルーブ感”を生み出される。これはまさに以前の『Clapping Music』で行われたリズムの変奏の実験性がカウンターポイントと緊密に合致することで、未曾有の現代音楽がこの世に生み出された瞬間でもあったのです。そして、このグルーブ性が、クラブ・ミュージックやダンス・ミュージックのファンがこれらの楽章を初めて聞いた時に親近感をおぼえる理由でもあります。そして、それは終盤には強拍と弱拍の境目が希薄となり、リズムレスの領域に差し掛かる。つまり、例えばストラヴィンスキーの『春の祭典』のように、強拍と弱拍が複数の次元に多数存在するようにも聴こえるのです。

 

音符のひとつひとつの配置が難解な数学のように細かいので、果たして、この中に鏡式対位法のような技法が取り入れられているのかまではわからないものの、少なくとも、これは対位法の音楽のエクストリームともいえる作品です。そして、副次的な声部と副次的なリズムを重ね、多次元的な音楽を生み出したこと。これが、スティーヴ・ライヒが歴史に残るべき偉大な作曲家であり、ジャンルを問わず後世の音楽家に触発を与えつづける要因ではないでしょうか。本来のリズム(拍動)の定義である”ビートは一定である”という概念をこの作品で覆し、既存の音楽には存在しえない作曲技法を生み出してみせた功績はあまりに偉大です。

 

近年では、ロック・ミュージックの中に、ライヒやグラス、アダムスのミニマル・ミュージックの影響を取り入れるバンドが数多く出てきました。一例では、ロンドン、マンチェスターのBlack Country,New RoadやCarolineが挙げられます。これはかつて現代音楽を一つの側面から解体し、新しいものを生み出したミニマル・ミュージックの影響が今なお大きいことを明かし立てているようです。そして、ミニマル・ミュージックといったいなんなのか、そのニュアンスを掴むための最高の作品、それがライヒの『Octet/Music for a Large Ensenble/Violin Phase』なのです。


Tower Records/disc union

 

Keith Jarret  『Dramaten Theater,Stockholm Sweden September 1972』

 

 

 

 

 Label : Lantower Records

 Release Date: 2023年1月2日

 

 

Review


 米国のジャズ・ピアニストの至宝、キース・ジャレットは、間違いなく、ビル・エヴァンスとともにジャズ史に残るべきピアニストのひとりである。

 

 若い時代、ジャレットはマイルス・デイヴィスのバンドにも所属し、ECMと契約を結び、ジャズとクラシックの音楽を架橋させる独創的な演奏法を確立した。その後、90年代になると、難病の慢性疲労症候群に苦しんだけれども、最愛の妻の献身的な介抱もあってか、劇的な復活を遂げ、『The Melody At Night,With You」(ECM 1999)という傑作を作りあげた。ピアニストの過渡期を象徴するピアノ・ソロ作品には、その時、付きっきりで介抱してくれた最愛の妻に対する愛情を込めた「I Love You, Porgy」、アメリカの民謡「Sherenandoah」のピアノ・アレンジが収録されている。2000年代に入ってからも精力的にライブ・コンサートをこなしていたが、数年前に、ジャーレットは脳の病を患い、近年は神経による麻痺のため、新たに活動を行うことが困難になっている。そして、残念ながら、コンサート開催も現時点ではのぞみ薄で、昨年発売されたフランスでのライブを収録した『Bordeaux Concert(Live)』もまた、そういった往年のファンとしての心残りや寂しさを補足するようなリリースとなっている。

 

 ジャレットの傑作は、そのキャリアが長いだけにあまりにも多く、ライブ盤、スタジオ盤ともにファンの数だけ名盤が存在する。ライブの傑作として名高い『ケルン・コンサート」は、もはや彼の決定盤ともいえようが、その他、『At The Deer Head Inn』がニューオーリンズ・ジャズのゴージャスな雰囲気に充ちており、異色の作品と言えるかもしれないが、彼の最高のライブ・アルバムであると考えている。また、ECMの”NEW SERIES”のクラシック音楽の再リリースの動向との兼ね合いもあってか、これまで、ジャレットは、バッハ、モーツァルト、ショスターコーヴィッチといったクラシックの大家の作品にも取り組んでいる。クラシックの演奏家として見ると、例えば、ロバート・ヒルのゴールドベルク、オーストリアの巨匠のアルフレッド・ブレンデル、その弟子に当たるティル・フェルナーの傑作に比べると多少物足りなさもあるけれど、少なくとも、ジャレットはジャンルレスやクロスオーバーに果敢に挑んだピアニストには違いない。彼は、どのような時代にあっても孤高の演奏家として活躍したのである。

 

 今回、リリースされた70年代でのスウェーデンのフル・コンサートを収録した『Dramaten Theater,Stockholm Sweden September 1972』は、今作のブートレグ盤の他にも別のレーベルからリリースがある。私はその存在をこれまで知らなかったが、どうやらファンの間では名盤に数えられる作品のようで、これは、キース・ジャレットがECMに移籍した当初に録音された音源である。もちろん、ブートレグであるため、音質は平均的で、お世辞にも聞きやすいとは言えない。ノイズが至る箇所に走り、音割れしている部分もある。だが、この演奏家の最も乗りに乗った時期に録音された名演であることに変わりなく、キース・ジャレットのピアノ演奏に合わせて聴こえるグレン・グールドのような唸りと、演奏時の鮮明な息吹を感じとることが出来る。

 

 また、本作は、40分以上に及ぶストックホルム・コンサートは、ジャレットの演奏法の醍醐味である即興を収録した音源となっている。意外に知られていないことではあるが、最後の曲では、ジャレット自ら、フルートの演奏を行っている。そして、素直に解釈すると、本作の聞き所は、ジャズ・ピアノの即興演奏における自由性にあることは間違いないが、着目すべき点はそれだけにとどまらない。すでに、この70年代から、ジャレットは、バッハの「平均律クレヴィーア」の演奏法を、どのようにジャズの中に組み入れるのか、実際の演奏を通じて模索していったように感じられる。音階の運びは、カウンターポイントに焦点が絞られており、ときに情熱性を感じさせる反面、グレン・グールドの演奏のように淡々としている。ただ、これらの実験的な試みの合間には、このジャズ・ピアニストらしいエモーションが演奏の節々に通い始める。これらの”ギャップ”というべきか、感情の入れどころのメリハリに心打たれるものがある。

 

 それらは、高い演奏技術に裏打ちされた心沸き立つような楽しげなリズムに合わせて、旋律が滑らかに、面白いようにするすると紡がれていく。さらに、二曲目、三曲目と進むにしたがって、演奏を通じて、キース・ジャレットが即興演奏を子供のように心から楽しんでいる様子が伝わってくるようになる。公演の開始直後こそ、手探りで即興演奏を展開させていく感のあるジャレットではあるが、四曲目から五曲目の近辺で、がらりと雰囲気が一変し、ほとんど神がかった雰囲気に満ち溢れてくる。それは目がハッと覚めるような覇気が充溢しているのである。

 

 コンサートの初めの楽しげなジャズのアプローチとは対象的に、中盤の四曲目の演奏では、現代音楽を意識したアヴァンギャルドな演奏に取り組んでいる、これは、60年代に台頭したミニマル・ミュージックの影響を顕著に感じさせるものであり、フランスの印象派の作曲家のような色彩的な和音を交えた演奏を一連の流れの中で展開させ、その後、古典ジャズの演奏に立ち返っていく様子は、一聴に値する。更に、続く、五曲目の即興では、ラグタイムやニューオーリンズの古典的なジャズに回帰し、それを現代的に再解釈した演奏を繰り広げている。続く、六曲目では、ジャレットらしい伸びやかで洗練されたピアノ・ソロを楽しむことが出来る。

 

 そして、先にも述べたように、最後のアンコール曲では、フルートのソロ演奏に挑戦している。これもまた、このアーティストの遊び心を象徴する貴重な瞬間を捉えた録音である。楽曲的には、民族音楽の側面にくわえて、その当時、前衛音楽として登場したニュー・エイジ系の思想や音楽を、時代に先んじてジャズの領域に取り入れようという精神が何となく窺えるのである。


 この70年代前後には、様々な新しい音楽が出てきた。そういった時代の気風に対して、鋭い感覚を持つキース・ジャレットが無頓着であるはずがなく、それらの新鮮な感性を取り入れ、実際に演奏を通じて手探りで試していったのだ。いわば、彼の弛まぬチャレンジの過程がこのストックホルム・コンサートには記されている。また、後に、ジャズ・シーンの中でも存在感を持つに至るニュー・ジャズの萌芽もこの伝説のコンサートには見いだされるような気がする。