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  硬派なポスト・パンクサウンドを引っさげて、アイルランド/ダブリンのミュージック・シーンに台頭した五人組、The Murder Captital(ザ・マーダー・キャピタル)は、近年のミュージック・シーンの中で異彩を放つ存在である。

 

しかし、このバンドは、Line of Best Fitによるとダブリンで結成されたというだけであり、実のところは、この土地の出身者はいないという。もちろん、バンドとして成立するのを手助けしたのは、Fontaines D.C.にほかならないのだし、マーダー・キャピタルのメンバーが彼らにリスペクトを払っているのは事実のようではあるが、しかし、それはそっくりそのまま彼らが、単なるダブリナーズだとか、Fontaines D.C.のフォロワーとして見なされることを良しとしているわけではないようだ。ザ・マーダー・キャピタルは、ポストーXXというようなありきたりな呼称を与えられるのに眉を潜ませ、そういった一般的なラベリングやジャーナリズムを疎んじてさえいる。もちろん、そうだ、人間やグループというのは、一括の表現で語りつくせるものではない。もし、月並みな言葉で語り尽くせるならば、それは大したものとはいえないのだろう。

 

2ndアルバム『Gigi’s Recovery』は、ファースト・アルバムとは何かが異なっているように感じられる。いわば、彼らはここで、オートメーション化されることを嫌い、ポスト・フォンテインズ、ポスト・アイドルズと彼らを類型づける怠惰なジャーナルを忌避し、まったくその手が届かない地点に自分たちが歩みを進めたことを、実際のサウンドを通じて証明づけようとしている。それは、彼らの論理力による冷静な説得、もしくは、体外的な表明とも言いかえられる。ある意味では、彼らにジャスト・マスタードのような一般的なポスト・パンクサウンドを期待するリスナーに肩透かしをくらわせることは必須なのである。この2ndアルバムは、つまり、その核心には、ロンドンとダブリンの双方のパンク・サウンドを融合させた、この四人組にしか生み出すことの出来ない、ザ・マーダー・キャピタル特有のサウンドが存在する。ロンドンのミュージックシーンにしか存在しえない華やかであり骨太なパンクサウンド・・・、そして、ダブリンのミュージックシーンにしか存在しえない繊細な簡潔さ・・・、一見すると相容れないこれらの2つの固有の要素を自然なかたちで取り入れることにより、これまでに存在しえなかった唯一無二のサウンドを、彼らは二作目で探究していくことになった。それは、デビュー作『When I Have Fears』では、荒削りなポスト・パンクサウンドで鮮烈かつ強固な印象を与えてみせたが、The Murder Capitalは二作目でそのセーフティー・ゾーンから離れ、唯一無二のオリジナル・サウンドを開拓しようと試みたとも言える。これは危険なことだ。すでに手中に収めかけた成功をみすみす手放すことになる可能性もある。

 

しかし、彼らはその場から離れ、次なる地点へと勇ましく歩みを進めた。そもそも、冒険のないところに革新が存在するだろうか。ザ・マーダー・キャピタルは、その次の手応えを探すことをためらわなかった。最初のシングル「Only Good Thing」の発表時、この2ndアルバムについて「多くの人が予測していたものと違うものになる」という趣旨の言葉を残している。もちろん、それはレコード会社にプロモーションとしていわせられたことでも、ありがちな宣伝文句をうたおうとしたわけでもない。「Only Good Thing」にはデビュー時とは異なる、エモーショナルなポップ性、オルタナティヴ・ロック直系のコード進行のひねりが顕著に表れている。さらに、シングル発表からしばらくして公開されたミュージック・ビデオは、映画のような物語性が映像に反映され、また、ミステリアスな雰囲気が漂い、それは取りも直さず、ザ・マーダー・キャピタルの最初のゴツゴツとしたポストパンクバンドとしてのイメージを完全に払拭するものとなった。2019年から、このバンドを知るファンにとっては、このファースト・シングルは、意外性と戸惑いをもたらしたと思われるものが、それはすぐさま納得ともいうべきなのか、このバンドの先入観を覆す説得力に変わったに違いない。そして、その言葉どおり、この2ndアルバムは、デビュー作で確かな手応えを感じた四人組の大きな成長を証し立てる作品となったのだ。 

 

「Only Good Thing」

 

  

 

  アイルランド/ダブリンのオルタナティヴ・ロック・バンド、ザ・マーダー・キャピタルが2019年のデビュー作『When I Have Fears』をヒットさせたとき、彼らは、同郷アイルランドのフォンテーヌ・D.C.や、同じく最近のポストパンクの最たる成功例であるIDLES(アイドルズ)と比較されたは稀なことではなかった。フロントマンのJames McGovern(ジェイムス・マクガバン)は、「バンドとして集ったのは大学時代のことで、それは、友人として集まったわけではなく、音楽を専心して作るためだった」と回想している。しかし、それは当初、自身の中にある嫌悪感やフラストレーションのような負の感情を昇華するために機能していたという。そして、自分の感情の中にある安全な領域を守るため、「いや、あそこはクソだとか、なんであんなところに住んだんだろう!"って自分に言い聞かせたりする。最初のレコードでも同じようなことをしていたんだと思う。あのアルバムはとても誇りに思っていたのに、レコーディングをした後には、「あんなことはもう二度とできない.....」って感じだったんだ」。その頃には、彼らはフォンテーヌやアイドルズと比較されることさえ嫌になっていたのだった。


フロントマンのジェイムス・マクガバンにとって、デビュー作『When I Have Fears』は、それまでの音楽的な蓄積を余さず表面化させたものであったが、しかし、あろうことかデビュー作の製作後には、あるていど、このパンクサウンドに限界を感じていたのも事実だったようである。そして、その時、周りの欠点について考えを巡らせたりすることで、自己保身をすることは健全ではない、という思いが立ち上ったという。そこで、ザ・マーダー・キャピタルは内面の変遷を経て音楽性の転換期を迎える。それはファースト・アルバムの延長線上にありながら、変わることを余儀なくされたとも言える。そして、1stアルバムがいわば自由奔放なポスト・パンクサウンドを基調としており、「悲しみと喪失を直接的に表現していたため、辛辣で荒涼としたサウンドを伴っていた」のに対し、今回の二作目はより自己観察を重視し、その中での自己を受け入れる経過に重点が置かれている。しかし、その内面の詳察については、それ相応の時間を必要とし、また、そのこと自体は大きな困難を極めるものであったことは事実だった。それはまた、幸か不幸か、他のバンドと同じように、パンデミック時の孤立の期間と重なっていた。ジェイムス・マクガバンは、ダブリン、ドニゴール、ウェックスフォードで何ヶ月も孤立して過ごし、さらにロンドンで6ヶ月、何があるのか自分自身を見つめ直したのである。

 

先入観を持って見ると、この世界に悪弊しかもたらさなかったように思えるCovid-19のパンデミックの孤独や孤立が、自己省察の機会や音源製作における強い集中性を生み出したという指摘もなされている。それらは、むしろ、2020年以降の世界情勢に影響を与えたにとどまらず、それ以後の音楽の世界を変えてしまったのである。そして、事実、ザ・マーダー・キャピタルのメンバーも、この時流の動向に逆らわず、それに沿うことにより、洗練され磨き上げられたサウンドを生み出すために時間を割いた。このことは、二作目の『Gigi's Recovery』を聴くと分かるように、緻密で細部にわたり十分計算され、そして、試行されつくした完成度の高いサウンドとして顕著な形で表れ出ている。とりわけ、ファースト・アルバムでは使用されなかった機材やエフェクターも複数ある。ギタリストのDamien Tuit(ダミエン・トゥット)とCathal Roper(キャーサル・ローパー)は、デビュー・アルバム以前のディストーション・ギターを多用した音楽観から脱却するため、FXペダルとシンセを大量に購入し、バンドサウンドの試行錯誤を重ねていった。彼らは、「”音楽のエネルギーと感情を損なわない煩瑣"のモデルとしてRadioheadの『In Rainbows』のエレクトロ・サウンドを参考にした。さらに、James McGovernは、どのような点にレディオ・ヘッドの影響を受けたかについては、「雰囲気、質感、色彩がほとんど全てだった」と語っている。 これははある意味で正直な言葉であることが理解出来る。二作目の先行シングルとして公開された「A Thousand Lives」では音楽性に実験性と繊細さが加わり、そして何より、素晴らしいのは、明らかに以前にはなかった艶気のような雰囲気が音楽の節々に漂っている。これがバンドとしての深化と言わずしてなんに喩えられよう。

 

 「A Thousand Lives」



  さらに、2ndアルバム『Gigi’s Recovery』の魅力は、表面的なサウンドの変更だけにとどまらない。彼らは、今回、文学性を歌詞の中に込めようと試みており、そしてそれは20世紀の偉大な文学者の作品にある遺伝子を引き継ぎ、それらを現代的なリテラチャーとして親しみやすい形で組み直そうと試みているのだ。


最新作のテーマとなる内容について、ジェイムス・マクガバンは以下のように話している。「私の寝室に歌詞の犯罪現場のようなものがあって、それらは、すべてノートブックから引き抜いた紙片でした。歌詞を並べ替えてみては、それをじっと凝視していた。完全に取り憑かれていたんだ」。彼は詩を書き上げる過程で、上記のような試行錯誤を何度も繰り返し、そして、実際に文学の素養を得ることを怠らなかった。英国の詩人、T.S.エリオットの名作『荒地』、フランスのダダイズムの作家、ポール・エリュアールの『愛の詩』を読み耽った。それにとどまらず、伝説的なロック詩人、ドアーズのジム・モリソンからも強いインスピレーションを受けた。

 

「もっとメロディックで、もっと歌える曲を多く書いて、デビュー・アルバムの攻撃的なポストパンクから一定の距離を置きたかった」と話すジェイムス・マクガバンは、さらに、それらの音楽により円熟味を加味しようと、古き良き時代の音楽、特に、フランク・シナトラの作品にも触れることにもなった。その結果、2ndアルバムに収録された12曲は、より新鮮味がありながらも奥行きのあるサウンドに変化した。グラミー賞を受けた敏腕プロデューサー、ジョン・コングルトンと共に2022年初頭にフランス/パリでレコーディングが進められるうち、The Murder Capitalの音楽は、変革期の月日の目まぐるしい変遷とある種の興奮のさなかにあって、それぞれが音の連続とダイナミックスに支えられた全く予測出来ない内容に深化を遂げていく。これらのサウンドは、数々の試作を経た後の高い地点に居定め、それが一種の緊張感を持って絶えず持続している。それはアルバムの実際の音楽に、コンセントレーションを与えているのだ。



これらの新旧の音楽や文学の影響を複雑に織り交ぜたオルタナティヴ・サウンドは、曲がりくねった坂道のように一筋縄ではいかない音楽となっている。これは、一見すると不可解なように思えるかもしれない。それはこの2ndアルバムの音楽は前例があるようでいてないからで、ひとつの内容ではなく、多種多様な内面の変化を反映しているからである。しかし、それと同時に、この2ndアルバムは、地域を選ばず、幅広い世代に親しみやすさや共感性、そして奇妙なカタルシスをもたらすことと思われる。それほど取っつきやすいサウンドとはいえないのだが、その中にはいいしれない親近感をおぼえる瞬間もあるはずだ。その最たる理由は、『Gigi's Recovery』に込められた物語の多くは、ある意味ではフィクションを基に構成された作品でありながら、バンドメンバーの人生における真実を反映した作品でもあるからなのだ。2ndアルバムの核心にあるもの、それは、ザ・マーダー・キャピタルが共に歩んできた青春時代の記憶と密接に関係しているという。これらの青春時代のメランコリアを体験したことは誰にだって一度くらいはあるはずなのだ。

 

「Ethel」

 

 

  そのことについて、「あらためて、これまでとは自分の身体と自分自身への接し方を変えてみる必要があった」とジェイムス・マクガヴァンは話している。「あの時代、不安症であろうと、うつ病であろうと、メンバーは、皆それぞれ異なる切実な問題を抱えていた。しかし、今回の内面的な探求という苦難の経験を経ることによって、The Murder Capitalは、よりいっそう絆を深められたし、無二の友人となった。このバンドにとって、制作はこれまでで一番素晴らしい出来事だった」

 

その手応えははっきりとしたかたちでセカンド・アルバム『Gigi’s Recovery』に表れ出ている。外側と内側の双方からブラッシュ・アップを重ねたことで、より説得力のある作品となったのだ。ついで、彼らは前作からの大きなステップアップに挑んだだけではなく、内的な観察を交えて、よりエモーショナルで、手強いバンドサウンドをここに確立したわけである。この2ndアルバムは、ザ・マーダー・キャピタルが以前のポスト・パンクサウンド、そして、ダブリンのバンドのフォローとしての立ち位置をすでに脱却したことの証となるはずだ。同時に、この作品は、これまで突破口が見いだせなかったオルタナティヴの新たな可能性が示された瞬間でもある。

 

The Murder Capitalの2ndアルバム『Gigi’s Recovery』はHuman Session Recordsから1月20日に発売されます。。

 


 ドライ・クリーニングは、元々が売れ筋を狙ったロックバンドとしてとは言えないが、イギリスで最も期待されるべきロックバンドである。その理由は実際の音楽を聴くと、よく理解出来る。彼らの音楽は常に自由で、アート形式を重きに置いている。歌詞は常にシュールである。もともと、フローレンス・ショー以外は他のロックバンドで活動していた。その後、アートの研究を行っていたショーをボーカリストとして招き、ドライ・クリーニングを名乗り活動するようになった。

 

フローレンス・ショーは歌うことに恥ずかしさを感じていたので、メンバーの進言があり、スピーチのスタイルを取り入れるようになる。スピーチというよりはスポークンワードに近い。この音階の変化に乏しいが叙情的なスポークンワードに、The Jam、Public Image Limitedのようなアートパンクの要素に加え、サイケデリックロックの性質を持つサウンドが多彩に展開される。

 

一般的に見れば、ドライ・クリーニングの音楽は難解であり、ニッチであると言える。これに異論を唱える人はそれほど多くないと思う。しかし、重要なことは、ドライ・クリーニングはどちらかと言えば、オルタナティヴといえる存在ではあるにせよ、UKのニューウェイブの核心にある音楽性を受け継いでいる。つまり、曲風はオルタナティヴであるが、歴史的に見れば、メインストリームに位置するバンドなのである。

 

そして、ドライ・クリーニングの2021年のファースト・アルバム『New Long Leg』は、アートパンクやニューウェイブの核心をついた快作である。このバンドの音楽性に地元のロンドンや他の地域の耳の肥えたUKのヘビーリスナーが飛びつかないはずはなかった。本人たちがかなりマニアックで売れないだろうと考えていたにもかかわらず、一般的なリスナーにも浸透し、予測していた以上の注目を浴びることになった。そして、このことに大きな戸惑いを感じているのが、ドライ・クリーニングのフロントパーソンのフローレンス・ショーであったというのだ。

 

ドライ・クリーニングは、2021年末にモンマスシャーのロックフィールド・スタジオでセカンド・アルバムの初期レコーディング・セッションを行っている最中、ボーカルのフローレンス・ショーは人生の中に大きな変化が生じたのを感じていたという。静かな時間に携帯電話を見ていると、アルバム・オブ・ザ・イヤーのリストが次々と目に飛び込んできたのだ。そこにはドライ・クリーニングの名前が挙がっていた。


「ちょっとびっくりした」とフローレンス・ショーはこの時のことについて回想する。「自分の中では、自分たちがやっていることの聴衆はかなりニッチだという考えが常にあったのですが、いくつかのリストを見て、それを想像するのが難しくなりました。緊張を鎮めるのに時間がかかった」


ドライ・クリーニングにとって、Covid-19のパンデミック期の社会的無関心は、彼らの急成長の現実を部分的に遮蔽していた。ポストパンク・リヴァイバリズムの避雷針であり、彼らのトレードマークである飄々とした雰囲気は、彼らの時代、2020年の精神をはっきりと捉えていたのだ。


フローレンス・ショーの無表情な歌詞は、ジェームス・ジョイスのような自由形式の潜在意識の流れで歌われている。最初のアートパンクの要素に加え、独特なスポークンワードの様式を新たに取り入れ、これまでに存在しえなかった新しいニューウェイブをミュージック・シーンにもたらした。つまり、それこそがデビュー・アルバム「New Long Leg」が絶賛された主な理由であった。しかし、彼女の文章がいかに好評を博しているかに注目が集まり、新しいトラック群を書き上げる作業は、突然、より複雑なものになった。「明らかに、自分自身を表現し、喜ばせようとする代わりに、聴いている人たちのほうに、心が傾き始めるの。私は聴衆のことはあまり考えません。その方がいいものが書けると思うから。だから、それが少し厄介になりました」




 先月4ADからリリースされたアルバム「Stumpwork」ではプロモーションビデオを見ても分かるとおり、かなり制作が難航を極めたようだ。フローレンスショーは、レコーディングスタジオの壁に、アイディア代わりの短い言葉を書き留めたメモ用紙を貼付け、そのアイディアを何度も見ながら練り上げ、それに深度を加え、他の三人のメンバーと何度も入念に音合わせをしながら、レコーディングに臨んだ。フローレンス・ショーにとって、歌詞は単なる詩を書くというのではなく、何らかの小さい概念を重層的に積み上げていく作業といえる。そして、完成作品を見ると、フローレンスの歌詞と人柄は全くそのままに、彼女のシュールで非連続的なストーリーテリングがより抽象的になっている。「Anna Calls From The Arctic」に登場するエンポリオ・アルマーニのビルダーから、タイトル曲「Stumpwork」のゴミにしがみつく若いカップルまで、「Stumpwork」は狂気のディテールと奇妙なシュールレありスティックなイメージで溢れかえっている。そしてこれらの概念が音楽の向こうから降り注いでくるようにも思えるのである。


音楽的にも、Dry Cleaningはこれまで以上に自分たちの奇妙さに傾倒している。それはより内的な表現性に達したと言える。「Hot Penny Day」では、Madlibのようなヒップホップのクレートディガーから引用したと思われる深いファンクのグルーヴを取り入れ、他にも、「Driver's Story」では、物憂げで辛抱強く、ストロングなカットで、おそらく初めてバンドが自信を持ってすべての感情を表現している。

 

 

セカンド・アルバムでは音の出し方が手探り状態であった前作よりダイナミックな変化を遂げたことについて、ベーシストのLewis Maynardは次のように語っている。「最初のアルバムを発表したことで、僕たちはいろいろな方向に行けることがわかったし、『Stumpwork』ではそれをさらに実行することにしたんだ。よりエクストリームなジャングル・ポップ、よりエクストリームなストーナー・ロック、よりエクストリームなアンビエントを目指したんだ」。ギタリストのTom Dowseも二作目の制作において大きな心変わりがあったことを認めている。「1枚目のアルバムでは、すべてのテイクが完璧でなければならないと考え、緊張して、頭の中が真っ白になってしまったんだけど、2枚目のアルバムでは、そのプロセスをより信頼できるようになり、大きな視野で見ると、常に細かいポイントまで見ているわけにはいかないということに気づいたんだ」



「Stumpwork」は、今年最も期待されたアルバムリリースであると同時に、最も満足度の高いアルバムの一つでもある。このアルバムは、Dry Cleaningのキャラクターがその隅々にまで書き込まれている。それは他のアーティストとの出会いや、実際の会話において、自分たちの存在が他と何が違うのかについて以前より深い認識を重ねた。しかし、それはよりバンドの音楽性の原点をあらためて確認することにも繋がったのだという。「私たちは、製作時に、何人かのヒーローに会い、彼らの何人かと、私たちの仕事について話をすることが出来た。そのことは良い方に転じたはずです」とTom Dowseは言う。「でも、バンドとして、仕事のやり方、お互いの関わり方、それは変わらない。今でも同じように作曲しているし、ダイナミックさも同じだよ」


セカンド・アルバムでのフローレンス・ショーの歌い方は、これまでと同様に独特だ。しかし、「Gary Ashby」と「Don't Press Me」では、繊細な歌声を聴かせる場面もあり、エモーショナルな側面を垣間みることが出来るが、「これは実は違う要素なんだ。私の歌は、少なくとも私にとっては、私の話し言葉のようなものとは少しだけ異なる質を持っています。私は、歌の才能があるわけではありませんから、その歌にはある種の特質があるのです。歌に取り入れたいものがあれば、そこに持っていきます。あるいは、もっとバカバカしい曲のために歌を使うこともある場合もある。いろいろな理由があるけれど、本当に歌っていることが楽しいんだ」


フローレンス・ショーは、「Kwenchy Kups」のようにバスで蚤の市に行ったときでも、ブリストルの街を少し歩いたときでも、一日のうちに不完全な思考の断片や、過ぎ去った内的考察を記したメモを集めておく。全体的な効果としては混乱が生じますが、日常生活の具体的なディテールがこれらの歌詞に散りばめられている。時折、現代的な感情(「何も機能せず、すべてが高価で不透明で私物化されている」と彼女は「Anna Calls From The Arctic」で述べている)が含まれるが、それでもフローレンスは、彼女の歌に広いメッセージを読み取るように私たちを誘惑する。むしろ、セカンド・アルバムでのフローレンス・ショーの切れ切れな歌詞は、現実から遠ざかるのではなく、現実に近づいており、ますます混乱する現代生活に完璧に寄り添うものとなっている。イングランド銀行の資産売却やギルト債の償還率など、理解しがたいことを理解することが求められる現代において、フローレンスの散漫で熱狂的な文章には不思議な心地よさがある。彼女の騒動のどこかに、我々が切望する答えがあると信じると、慰めにもなる。そして、さらに良いのは、現実の生活の厳しい現実とは異なり、ドライ・クリーニングでは、あなたが見つけたどんな真実も、他のものと同様に正当なものであるということなのだ。


「それはリスナー次第でしょう」と、彼女は心強く言っている。「多くの人が曲の意味について話してくれます。そして、曲には何の意味もない、あるいはランダムだと思う人もたくさんいる。でも、私はそのどれもが好きだし、どう捉えられても構わないと思っている。たまに、私が言いたいことを正確に理解してくれる人もいますが、私はあまり明確に理解してもらうために書いているわけではありません。もし、包括的なメッセージがあるとすれば、政治や人生に関することではなく、個々の心の面白さや有効性を感じてほしい、というようなことでしょうか」



この原則はバンド全体にも当てはまる。Dry Cleaningは、リスナーが自分たちの音楽に反応するときにどう感じるべきかを規定するのではなく、両者が会話に参加したときに最高のつながりが生まれると信じている。つまり、観客が参加することにより、ドライ・クリーニングの音楽性はいかようにも変化する。聞かせるという場所に据えてしまうのではなく、自由に聴くということ、幅広い考えを持って聴いてくれるということ、それをバンドは重視しているのだ。

 

「私たちのメッセージは、直接的であったり、率直であったりするものではありません。私はこう感じるから、あなたもこう感じるはずだ "というようなことを言う必要もありません。むしろ、リスナーが曲を完成させられるような演奏スタイルなんだ」


しかし、時折、物事は実際にそのように見える場合だけのときもある。「Gary Ashby」は、行方不明になった家族のカメの物語を、とてもストレートに、そして甘く歌っている。"私がいないと動けないの?"とフローレンスは歌う。この曲が、Dry Cleaningの広々とした皮肉な空想の産物であると期待していたリスナーは、Garyのテーマが実在すると聞いて驚くかもしれない。そう、このカメの迷子の話は、フローレンスが街角で実際に見たものに文学性を付け加えたのだ。「彼に何が起こったのか、私たちは知りません。ゲイリー・アシュビー "と書かれた迷子札があって、その下に小さな写真とぼったくり電話番号が書いてあった。それ以上のことはわからない。彼らが歌を聴いてくれることをちょっとだけ願うし、"彼らがこのことを気にしないことを願う」


 ドライ・クリーニングは常にこういったシュールな表現性を追求する。しかし、これらの話が、気まぐれな作曲とレコーディングのプロセスを指し示しているように見える一方、逆にその時期にはバンドにとって大きな悲しみもあった。


トムの祖父が亡くなり、ルイスの母スーザンも亡くなるという悲しみ。実は、スーザンの家は、初期EP「Boundary Road Snacks and Drinks」に名前を残し、彼女がいかにバンドの中心的存在であったかを物語っている。実際、2021年3月に、彼らが『Later...with Jools Holland』にデビューした時、彼女は入院していた。スーザンは「New Long Leg」のリリースからわずか1週間後に他界したというが、その目を見張るような全英アルバム・チャートの4位までの上昇を目の当たりにしたのだった。


「それがどこに出てくるか判断するのは難しいよ・・・」と、ルイスは母親スーザンの死が「Stumpwork」に与えた影響について語る。「私はいつもネガティブな状況にはポジティブに反応し、その中からベストなものを見いだそうとする。それが僕らの人生にとって大きな部分を占めているんだ」


Dry Cleaningが結束力の強いグループであることは明らかであり、同世代のバンドで最も成功に酔いしれることのないバンドである。「私たちはたくさんギグをしてきました」とドラマーのNick Buxtonは付け加える。「僕たちは皆、地に足をつけて活動することがとても重要だと考えているんだ」


4年前にバンドを結成したとき、この4人組はこのような事態を予想できなかったことは言うまでもない。しかし、このバンドが売れ筋ではないのにもかかわらず、多くの耳の肥えたファンが飛びつくのは、そこにオーバーグラウンドの音楽にはない真実性が込められていると感じるからである。体裁を度外視した本物の音楽を実は、メインストリームのファンも常に心のどこかで求めている。その渇望がこのバンドの音楽とうまく合致を果たしたというのことが言えるのではないだろうか。

 

ドライ・クリーニングは11月と12月に来日公演を控えているが、おそらく、リスナーも参加してひとつの完成した音楽が出来上がるというスタイルは、日本のファンにも好意的に迎え入れられるだろうと思われる。まだ、2つ目の階段を上ったばかりだが、ドライ・クリーニングは今後、世界的にも大きな人気を獲得していくだろう。しかし、「Stumpwork」についても予想外の好反応だったことについても、やはり、ドライ・クリーニングのメンバーは、いくらかの奥ゆかしさを持って自分たちの境遇を眺めている。「私たちのバンドをこれほどまでに気にかけてくれて、これほど時間を費やして考えてくれるなんて、特権のように感じる」とTom Dowesは言う。「僕らには本当に素晴らしいファンがいる、そのことに感謝しないわけにはいかないんだよ」


Been Stellar Photo Credit :Naz Kawakami

 

5人組のインディー・ロックバンド、Been Stellarはニューヨークのヴェルヴェット・アンダーグランド時代のパンク・ロックスピリットを体現するような存在である。既に、今年始めに、イギリスのSo Young Magazineが展開している”So Young Record”から最初のシングルをリリースした際、特に、イギリス国内のメディアからかなり好意的に迎えられた印象もあった。

 

この5人の若者が発表したデビューシングル「Kids 1995」は、このバンドの潜在能力、道なる可能性を顕著に表していた。ノスタルジックであり叙情的でもあるインディーロックを彼らはメインストリームの意表をつくかのように登場させた。Been Stellarの最初のシングル「Kid 1975」は。鮮烈なイメージを与えることに成功した。Been Stellarは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ザ・ストロークスといったロックバンドの系譜にある音楽を巧みに融合させ、そこに1990年代のUKロックの雰囲気を漂わせたこのファーストシングルによって成功の足がかりを掴んだ。その後、ビーン・ステラーの快進撃は一向にとどまることを知らない。「Manhattan Youth」、「My Honesty」と、魅力的なシングルを続けて発表していき、耳の超えたインディーロック・ファンの心を捉えてみせたのだ。Been Stellarはまさにニューヨークらしいインディーロックの音楽性を携えてミュージック・シーンに登場したバンドである。 

 

 

 

現在、この5人の若者たちは、ニューヨークという圧倒的な魅力を持つ都市で培ったスピリットを体現するべく、周囲の音楽的な環境にまったく翻弄されることなく、周囲の環境をどのように評価するのか、みずからの考えを駆使し、ニューヨークの系統を語るアートや音楽を創り出すかを慎重に検討して来た。ロンドンの”So Young Records”と契約を結んだ後、最近になって、初めてロンドンを訪れた彼らは、ロンドンを自分たちの故郷ニューヨークと比較し、イギリスの首都がよりリラックスした雰囲気であることに気がついた。「ニューヨークでは洗濯をするのも一苦労なんだ」と、ベーシストのNico Brunsteinは語る。「誰も洗濯機を持ってないし、夏でも大きな荷物を運んで歩かなければならない。こっちの方がアクセスしやすいんだ」


ビッグ・アップルには様々な刺激があるが、この5人組は、その喧騒と活気のある日常を知らず知らずのうちに楽しんでいる。高校、大学、そして、街でのライブで出会った5人のうち3人は、現在、ごく近い場所に住んでいる。ギタリストのSkyler St.Marxは、「Britanysが場所を提供してくれて、本当に貴重な場所なんだ。僕たちは、それぞれの部屋に住んでいて、階下にリハーサルスペースがあるんだ。本当にクールなスペースで、別のスタジオを借りるよりもずっとリーズナブルなんだ"」と。彼らが "スーパー "と微妙な関係を維持できているのは、幸運なことなのだ。


バンドメンバーは、自分たちの創作意欲を表明することに関して、それぞれ異なる思いを抱えている。スカイラーとフロントマンのサム・スローカムは、バッドを結成するつもりで熱くなって来たが、グループ全体としてはそれほど計画的ではなかったようだ。ドラマーのライラ・ウェイアンズは、その背景をこのように語る。「高校時代は、ドラムを叩いていましたが、バンドには所属せず、家で一人でやってた。高校ではドラムを叩いていましたが、バンドを組んだことはなく、家で一人でやっていた。偶然、この4人に出会ったとき、ああ、これをやるべきだ、ピンときたんです」。


そうして、5人でBeen Stellarとして歩みを進めていくうち、繊細な魅力を放ちながら、世界中で想定されるグラマラスなイメージを覆すような街の音楽を体現するようになった。「人々はこの街をそのように見ているが、実際、そのイメージはかなり間違っているかもしれない」とセント・マルクスは言う。「その前に、ニューヨークには、多種多様の民族が共存していく非常に繊細な生活文化が維持されているのです。ラモーンズ、ルー・リードの出身地としてだけ見ていると損をしますよ。アートや音楽と切り離して考えても、本当に活気があって魅力的な場所なんです」


その自然な生粋のニューヨーカーとしてのスピリットの維持は、Been Stellarがレコーディングで体現しているものでもある。それはデビュー前、彼らは階下の地下室-スラッシュスタジオでレコーディングしている間に学びとったものだという。ギタリストのNando Daleは、「僕たちはいつも、ステージ上のサウンドにおいて、その地下室の壁に反響される音を基準にしています」と語る。「とても硬質な音なんだけど、僕たちはまさにそこに惚れ込んだんだ。そのサウンドとレコードの良さのバランスを考えている」。彼らのライブ・パフォーマンスは、偶発的で純粋な状況によって生み出されたこれらのライブ体験に基づいており、フロントマン兼シンガーのSam Slocumは、アーティストが何十年にもわたって培ってきたものと考えているようだ。


「ジョナサン・リッチマン(ニューヨーク・パンクの最初期の伝説的なロックアーティスト)のインタビューに、ライブでの音量が大きくなるにつれ、音楽がどのように変化したかを語っているものがあるんだ」とSam Slocumは熱く語る。「リッチマンは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの初期の演奏について、部屋を歩き回るだけで、ライブショーの経験が完全に変化してしまうことを話している。反面、私たちの練習スタジオはとても有機的な感じがし、それを再現しようと思っているんです」


しかし、バンドは、プロデューサーのAron Kobayashi Ritch(アーロン・コバヤシ・リッチ、Mommaの最新作『Household Name』にも参加している)が、彼らのサウンド・ミッションの核となる価値観を共有していることに気づいた。「彼は、まるでカメレオンのように、私たちが追求したいものに溶け込むことが出来るんです。それだけでレコーディングの難易度は下がりました」とスカイラーは振り返る。その一方で、Samはバンドの音楽の未来をしかり見据えている。「アルバムも多分、コバヤシ・リッチと一緒に作るから、どんな風になるのかとても楽しみだよ。EPは、私たちが求める音にかなり近づきつつあるけれど、まだそこまで到達していない。これから、アルバム制作で自分たちの頭の中にあるものにどこまで近づけるかとても楽しみです」

 


 

 その素晴らしい道のりをゆっくりと踏みしめながら、ニューヨークの5人組、Been Stellarは自分たちのサウンドを探求し続ける。

 

それまで自分たちより高い場所におかねばならなかったThe Strokesの影響から脱却し、自分たちしか持ちえないこの世で唯一無二のアイデンティティを見出す。当初は難しいと感じていたことだが、もはや彼らはそれに悩まされることはない。「個人的には、私たちは彼らのようなサウンドではないと思う」とSkylerは話している。

 

「現在のところ、それほど意識してザ・ストロークスを真似しているわけではない」と彼は話す。その代わりに、彼は、ニッチではあるが、しかし、他にも良いバンドの影響力があることを指摘する。「Sonic Youth、My Bloody Valentine、Ride...。僕たちは、ノイジーでメロディックな音楽が好きなんだ。ノイジーで非常にハードな音楽を得意とする人もいれば、ポップミュージックを得意とする人もいる。つまり、この2つを融合させるには微妙なバランスが必要なんだ」


イギリスの気鋭のレーベルのひとつ”So Young”と契約を交わしていることを考えると、Been Stellarがイギリス国内の多くの現役アーティストを高く評価していることも頷ける。「Lime Garden、VLURE、Humour、Gently Tender...。彼らは本当に素晴らしいアーティストなんだ」と、Lailaは話す。これらのアーティストたちは、Been Stellarが目指すものを体現している。つまり、現在ある環境を駆使して自分たちの進むべき道を決断するアーティストたちである。

 

 

「私たちは、ある1つの場所にしか存在しえないような個性的な音楽が好きなんです。もし、自分の環境が曲作りに影響を与えないのなら、それはやっぱり安いものに妥協してしまうことになる。そういった妥協的な行動には、常に、多くの作為と不誠実さが伴ってしまう。Lailaはこう続けた。「あるバンドを見て、”彼らはXやYのよう”と思うのはよくあることだし、自由なことだと思います。しかし、それでも、彼らが現代にふさわしいことを言っていると気づくのは別のことです、それこそが音楽を前に進ませると思っている。つまり、それが音楽というカルチャーを未来に進めることにもつながる。 彼らの地元で、この進歩を可能にすることは、彼の頭の中を占めていた大きな考えでもあったようだ。「ニューヨークのアイデンティティを持つことは、それ自体とても興味深いことですが、今後もまたそのアイデンティティに貢献し続けなければなりません。そのため、私たちは、音楽の制作に誰よりも真剣に取り組んでいるんです」 

 

 

 

Been Stellarの音楽は、今後、より多くのリスナーの心に届くものになると思われる。先週、金曜日にリリースされたばかりの五曲収録された実質的なデビュー作『Been Stellar EP』は、パンデミック後のバンドとしての目標を定めるための彼らの最初のステップを明らかなものとしている。

 

St.Marxは、Been StellarのファーストEPについて、最後に以下のように締めくくっている。「今回リリースされたファーストEPは、僕らが今後どうなっていくかを、対外的に示すとても良い機会になったと思う。これは、ヴァリエーションに富んだEPだ。ここには多様なサウンドや方向性が込められている。それと同時に、各々の曲には、多様なものをひとつに融合させたいという思いもある。「Manhattan Youth」のダイレクトさ、クロージング・トラックの「Ohm」のダイナミックさを組み合わされたものが、次の段階に到達する僕らをイメージしているんだ」

 

 

 

Been Stellar First EP  『Been Stellar』 : 

 

https://beenstellar.lnk.to/beenstellarep



Art Moore Photo:Ulysses Ortega

 

 今週末にデビューを控えているArt Mooreのヴォーカリスト、テイラー・ヴィックは、「最近、私は知ったのですが、たとえば、目を閉じてリンゴを想像してくださいに言っても、何のイメージも浮かばない人がいるそうです。ところが、私の場合、目を開けても、閉じても、頭の中にあるものがはっきりと見える。私はよくその中で迷子になることがよくあるんです」と話す。


この偉大な想像力は、8月5日にリリースされるこのカルフォルニア州オークランドを拠点に活動するトリオのセルフタイトル・デビューアルバム『Art Moore』に反映されている。過去10年間、Boy Scoutsという名義でフォーキーなシンガーソングライターとして活動してきたヴォーカリストのテイラー・ヴィックは、Ezra Furman(エズラ・ファーマン)とのコラボレーションとしてお馴染みのSam Durkes(サム・ダークス)とTrevor Brooks(トレヴァーブルックス)とタッグを組んで、インディー・ポップのヴィネットを喚起するこの記念すべきデビューレコード『Art Moore』の制作を行った。その中のシングル「Snowy」では、ヴィックは、最大限に自信の持ちうる想像力を発揮し、それは文学的な表現性にまで到達しようとする。

 

テイラー・ヴィックは、作曲の際に文学的な創造性を元に何らかの楽曲を生み出す。彼女はあろうことか未亡人になった自分を空想し、冬のドライブに出かけるというイマジネーションまで溢れ出てくる。また、他の曲、"Muscle Memory "では、半ば偶然に元ボーイフレンドの家を通りかかり、昔の待ち合わせ場所に腰を下ろし、失ったものを再び取り戻そうとする様子を描いている。そこにはまプルースト的な連想作用が音楽上のストーリーとして紡ぎ出され、繰り広げられていく。


ボーイ・スカウツで題材に置くような個人的かつ実際的なエピソードとは異なり、これらの出来事は彼女の空想であり、実際に起こったことではないと付け加えておく必要がある。しかし、その中にある感情的な真実は、とてもリアルなものとして描き出される。夢見がちでありながらそこには現実性が淡々と表現されているのだ。一体、これはどういうことなのだろうか??


テイラー・ヴィックは次のように話す。「私は、頭の中に、あらかじめイメージを用意しておいて、それを元に話をじっくりと組み立てていくんです。例えば、散歩をしてて、"しまった、また、この人の前を通ってる "と思ったら、頭の中で "言いたいけど、絶対言えない "という奇妙な会話を一人でする。それでも、私生活と距離を置くことで、このことをさらに実験してみようと思ったんです。これは私が経験したこと "というのとは違う意味で、とても個人的なものなんです」



アート・ムーアは、どのようにトリオとして活動するに至ったのか。テイラー・ヴィックとトレヴァー・ブルックスは数年前、コーヒーショップで一緒に働いているときに出会い、もうひとりのサム・ダークスは、ブルックスと一緒にエズラ・ファーマンのツアーに参加したときに彼女の音楽に初めて出会い、長い間、テイラーヴィックのソロ・プロジェクト・Boy Scoutsの大ファンであった。彼は、テイラー・ヴィックが彼とエズラ・ファーマンのスタジオに参加し、『セックス・エデュケーション』のサウンドトラックの曲を共同制作したとき、最初に共同作業を行った。

 

サム・ダークスとトレヴァー・ブルックスは、今回のデビューアルバム『Art Moore』を、それぞれの自宅からインストゥルメンタルで曲を完成させ、それをテイラー・ヴィックに音源ファイルとして送り、バックトラックが完成した後にヴォーカルラインを書き下ろしてもらった。レコーディングの際には、シンセサイザーやドラムマシンが使用されている。そして、彼女のソングライティングに影響を及ぼしたのはインディーロックではなく、むしろメインストリームにあるポピュラー音楽、Tears For Fears、Beyoncé、Carly Rae Jepsenの楽曲であったという。


テイラー・ヴィックは、音楽を咀嚼する上で、自分で実際にその音楽を声に出して歌ってみる。聴くという行為は受動的であるが、歌うという行為は能動的なものである。ギタリストが実際のリフを弾いて演奏して上手くなっていくのと同じように、このアーティストも実際に歌うことで、これらのビックアーティストの音楽を体感的に習得している。しかし、それはそれほど深刻なものではなく、心楽しい趣味のような形で彼女の音楽性の中に取り入れられている。それは、ヴィックの実際の話しからも汲み取れるものである。「私は、いつも他人の音楽に合わせて歌うのが好きで、特に自分の音楽と違うものほど好きなってしまうんです。特に、自分の曲と全然タイプが違う曲なんかは。しかも、歌を歌うことのほとんどがパンデミック発生後だったので、本当に楽しくてたのしくて、歌うことは、地獄からの脱出のような気分でできることだった」


一方、このデビュー・アルバム制作のもうひとりの重要な立役者といえる人物がサム・ダークスである。最初のヴィックのデモトラックをより洗練された音楽性を引き出すいわばプロデューサー的な役割を担うダークスは、「アルバムの制作は自由で、本当に実験的なことだった」と説明している。「自分たちが思うやりたいことは何だってできたし、何の目的もなかった。ただ楽しむために、創るためにこれらのトラックリストを制作した。このアルバムを作るまでは、ドラムマシンやシンセサイザーをほとんどいじったこともなかった。でも、何も知らない状態でとりあえずそれをやってみて、みんなが”すごい!”って言ってくれるのは、本当に気持ちがいい。すると、不思議なのは、その後より良いアイディアがどこからともなく次々に生まれ出てくる」


また、『Art Moore」が制作される過程で、トリオ間での人間関係の適度な距離感というものがむしろより良い作品が生み出される段階において功を奏したとも言える。2020年のパンデミック混乱と恐怖の中、フロントパーソン、ヴォーカリストとしてこのトリオの音楽に鮮やかな息吹をもたらすテイラー・ヴィックにとって、それほど親密さを必要としない音楽にじっくり取り組んでいくことは、自己の音楽性にしっかりと向き合う時間を持てたということもあって、かなり安心感を与えられるものとなった。アート・ムーアの面々は、オンライン上で楽曲のやりとりを重ねながら、互いの人間関係を尊重し、ほどよい距離を保ちながら音楽を作り上げることが出来た。

 

 Anti-から今週金曜にリリースされるデビュー・アルバム『Art Moore』は、テイラー・ヴィックの創造性が生み出したものであり、文学的な才覚がいかんなく発揮されたものとなっている。それは言い換えれば、つかず離れずの適度な人間関係の距離感、おおらかな気風、過度なライブツアーを避けることによりもたらされた時代的な偶然の産物といえるのかもしれない。また、他者からの過度な影響や干渉を避けたことにより、このテイラー・ヴィックというアーティストの他では見出すことの出来ない性質のようなものが絶妙に引き出された作品と呼べる。

 

「とても自由な感じがしたのは、このアートムーアというプロジェクトに惹かれた大きな理由だった」とテイラー・ヴィックは話している。

 

「私は、個人的な出来事を歌詞として書きとめるのがすごく好きなんです、人生の中で、このパンデミックの時期にはちょっとだけ休憩を取りたいと思っていた。そういうのも良いんじゃないかって。パンデミックに巻き込まれた気持ちなんてそのまま書きたくなかったし、書いたとしても、どんなふうに書けば良いのかわからないと思って。でも、もしこれらの曲を(ツアーで)ノンストップで演奏していたら、このデビュー・アルバムは、多分、全然雰囲気の異なる作品になったと思う」とテイラー・ヴィックは、以前のボーイ・スカウツの音楽性を引き合いに出すかのように次のようにジョークを交えて語っている。「もちろん、アート・ムーアの音楽は、私の強烈な失恋ソングを毎晩のように演奏するのとは、時々、まったく意味合いが異なるわけで・・・」



二人のソングライター、エタ・フリードマンとアレグラ・ワインガーテンは高校時代に初めて出会い、純粋な必要性からMommaとなるデュオを結成した。以来、フックとイヤーワームにあふれたノスタルジックなオルト・ロックのレコードを3枚リリースしている。Mommaは、新しいレーベルであるPolyvinyl Recordsから3枚目のアルバム『Household Name』をリリースした。

 

Mommaの最新シングル "Rockstar "のミュージックビデオでは、バンドがBattle of the Bandsで演奏している様子から、VH1 Behind the Musicを真似て、バンドがランクアップしていく様子に移行するのが分かります。バンドが、ゴールドレコードを集め、チャートでトップになるにつれ、「それを認めるのは大変なことだ」と彼女たちは歌います。「ああ、私は彼らが望むものを手に入れた、私は本物のロックスターだ」と。まさにMommaはMTV全盛期のような時代のロマンにあこがれている。それは夢ごこちではあるが、まったくの絵空事ではあるまい。


ニューヨークのブルックリンを拠点とするインディー・ロック・トリオのMommaは、Etta Friedman(エタ・フリードマン)とAllegra Weingarten(アレグラ・ウィンガーテン、そしてマルチインストゥルメンタリスト/プロデューサーのAron Kobayashi Ritch(アロン・コバヤシ・リッチ)から構成されており、「ロックスター」に対する異質な憧れを抱くロックグループである。

 

Mommaの7月1日にリリースされた最新作『Household Name』は、過去に目を向けつつ、自信に満ちた威勢の良さ、真剣な遊び心を融合させ、全体的に同じような境地を歩む。このロックスターはまだ有名ではないかもしれないが、時間が経てばあなたを驚かせるかもしれない。 

 

 

 

 


"私たちは皆、永遠に、この仕事を続けるんだという会話をしたことがある"


- アレグラ・ワインガーテン


もちろん、当初のMommaの目標はそれほど高いものではなかった。Mommaは、ウィンガーテンとフリードマンが高校生のときに初めて必要に駆られて結成されたバンドである。「ライブの依頼を受けたとき、ギタリストがいなかったから、仕方なくアレグリアに頼んだんだ」とフリードマンは話している。そこから2人は、切っても切れない関係になり、ライヴ、レコーディング、ソングライティングをノンストップで一緒に行うようになった。アレグラのベッドルームの床で、フェアリーライトをつけ、マリファナを吸っていた」とフリードマンは初期の曲作りについて語るが、この手法はすぐに2016年のデビュー作『Interloper』につながったのだ。

 

初期の頃、そのレコードは、2人がバンドに対して抱いていた目標を大きく表していた。「サインをもらうとかそういうことは考えていなかったと思う」と、ウィンガーテンは言う。「ただライヴをやって、音楽を作って、たぶんミュージックビデオを何本か作りたかったんだと思う」


この控えめな目標は、Mommaのセカンド・アルバム『Two of Me』のリリースから少しずつ状況が変化し始めることになる。二人はそのチャンスを見逃すことはなかった。二作目のインディー・ロック・レコードは、登場時期(2020年6月)が成功を実現することを困難にしていたとしても、インディーズシーンで大きな注目を集めていたのだった。しかし、『Household Name』のリリース前、バンドと契約したPolyvinyl Recordsは、その熱狂性をを継続させることに成功した。

 

エタ・フリードマンは、高校時代から馴染み深いインディペンデント・レーベル、ポリヴァイナルと契約したことについて、「超現実的な話」と言う。フリードマンとワインガーテンは最近大学を卒業したばかりだが、これは2人の新進気鋭のソングライターにとって自分たちのやっていることが長期的な成功をもたらす可能性が高いということを認められたように感じられるだろう。


以後、バンドの活動方法も根本的に変わり、これまでにはなかったようなチャンスに恵まれるようになった。それが顕著に表れたのは、「Household Name」のレコーディングの時であった。これまでのアルバムでは、レコーディングは他の作業の合間に行われ、できるだけ早く何かを完成させるという明確な目標のもと、かなり急ピッチで進められていたという。しかし、今回、Mommaは初めて、じっくりと曲のデモを作り、練り直して、実際の制作に着手するようになった。

 

 

"このアルバムは、私たちがずっと鳴らしたいと思っていたような音を出すことができたと思える最初のレコード”


- エタ・フリードマン

 

 

「レーベルと契約し、ある程度の予算も与えられた。それが自分たちにとってどういう意味を持つのか、本当に考えなければなりませんでした」と、アロン・コバヤシ・リッチは言う。以前はストレートな方法で曲を書き、レコーディングしていたが、『Household Name』のトラックは流動的で、バンドが望む場所に到達するための時間が与えられるにつれて変化し続ける。その結果、Mommaはこれまでで最もタイトな曲のコレクションとなった。「Speeding 72」のような、決定的なリフと織り成すコーラスは、Mommaのこれまでのやり方を根底から覆すものではなかろうが、この曲がそのサウンドのベストバージョンでないことに異論はないだろう。


「Rockstar」のような威勢のいい曲を既に書いているかかわらず、Mommaはまだ何か証明するものが残されていると感じているようだ。『Household Name』は、バンドにとって大きなチャンスであり、時間と資金を与えられたバンドは、それなりの期待を背負っている。しかし、知名度の上昇に際して不可欠なものとなる外側からの強いプレッシャーは、Mommaが自分たちに課しているものに比べれば微々たるもの。コバヤシ・リッチは、「自分たちがどこまでやれるか試してみたい。本当にたくさん取り組んで、考え抜いたときにどうなるかを見たいんです」と話す。


Mommaは、これほど若いアーティスト集団としては印象的な方法を用い、バンドキャラクターたらしめている。「Rockstar」のビデオや、90年代のロックを強く意識したこの新譜に見られるノスタルジックな雰囲気は、バンド活動と並行してのフルタイム労働が高いハードルになっていることを自認するMommaにとって、決して無縁な話とは言いがたいものである。とはいえ、彼女たちは将来のヴィジョンに対しても臆することも悲観することもない。ウィンガーテンは、「私たちは皆、永遠にこの仕事を続けるつもりという話をしたことがあります」と言う。さらに、「わたしたちを束縛するものは何もない」とフリードマンは自信満々に付け加える。


『Household Name』を、Mommaのディスコグラフィ全体と合わせて聴いてみると、このバンドの成功を疑う理由を見つけるのは困難だ。何より、まるで3rdアルバムであるにもかかわらず、デビュー作ののような勢いと新鮮さよって彩られたロックンロールのマスターピースである。

 

このことについて、「このアルバムは、自分たちがずっと長らく望んでいたサウンドを実現できたと思える最初のアルバムです」とエタ・フリードマンは語っている。一見すると、無謀なチャレンジにも思えるMommaのロックスターへの憧れ、彼女たちはその階段を登り始めたばかりだ。しかし、それは最新作『Household』のリリースにより着実にゴールに近づきつつあるとも言える。

 

 

 

 

『Household』 Listen/Stream  : https://momma-band.ffm.to/household-name


 

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 2021年の10月、最新作「Seventeen Going Under」を、ポリドールからリリースした後、サム・フェンダーの状況が一変した。それ以前にもレディングでボブ・ディランの前座を務めてはいたが、この最新作によって、サム・フェンダーはスターダムへの階段を着実に登り始めたといえる。この作品が数多くの若者の心をとらえたことについて、「特別な瞬間だった」と11月に自身のアカウントに投稿した動画を通して、サム・フェンダーは、TikTokのフォロワーたちに語った。「”Seventeen Going Under”がそのように人々の心に響いたことを僕は光栄に思います」


このミュージックビデオは、シェフィールド、ノース・シールズのシンガーソングライターのセカンド・アルバムのタイトル曲の一節を使用している。虐待、うつ病、苦難について長く続く会話や対話を喚起するために、何千人もの子供、ティーンエイジャー、若者からの投稿に応えたものであった。

 

サム・フェンダーは、この曲で、現在と過去の自己について描いており、力のなかった時代の自己にたいするやるせなさを込めている。自分や自分の愛する人たちを不当に扱った人たちに反撃する力も、また自分自身を本当に理解する能力もなかった10代の青年時代を振り返り、「私はあまりにも怖くて、彼を殴れなかったけれど、今ならすぐにでも殴ってやる」と力強く歌っている。

 

 「Seventeen Going Under」ーー『Seventeen Going Under』収録

 

 


 

この曲は、レコードセールスという側面よりも現在のネット世代で好意的に受け入れられ昨年に公開されたミュージックビデオの再生回数は現時点で1500万回という凄まじい記録を打ち立てている。この曲は、そういったレコードとして親しまれる一方で、Youtube世代の世界の若者たちに大きな称賛を受けている。インターネット上では、この歌詞は、虐待や有害な関係から抜け出せなかったり、家族のトラブルや10代の頃のトラウマが心に残っていると語る人たちの心を大きく捉えた。このミュージックビデオで、カメラは風に吹かれながら泣きそうになっているフェンダーを撮影しており、「私はあまりにも怖くて彼を殴れなかった」、そして、トラウマの反対側から落ち着いた姿を捉え、「でも、今ならすぐにでも彼を殴ってしまう」と歌うのである。

 

これはサム・フェンダー自身の心の痛みから、それを受け入れる内的な旅を映像として映し出したものだ。表面上では、勇ましく見える映像ではあるが、それは彼の心の弱さを受け入れ、そのことを力強く表現した素晴らしい作品である。ミュージックビデオのコメントで、サム・フェンダーは、家庭内虐待をめぐるヘルプラインやリソース、情報をファンにむけて紹介している。


「Seventeen Going Under」のリリースから2ヶ月、サム・フェンダーは「奇妙で信じられないほど心温まる」反応であり、自分がとても弱くなっていることを実感したと語っている。彼の歌は紛れもなく激しい反響を呼び起こし、目に見える変化をもたらしている。サムが無防備になったと感じているとすれば、それはこのアルバムの正直さの中に隠すものが何もないという理由によるものだ。彼は、このアルバムの中で自分の中にある思いを全て一つ残らず表現しているのである。

 


「40年間働いてきて、苦境に陥り、線維筋痛症になり、精神衛生上の苦悩を抱えている母について書いていたんだ」とフェンダーは「Seventeen Going Under」のバックグラウンドについて話す。

 

 僕の母は、DWP(労働年金局)から、働けるほど健康でないにもかかわらず、働けることを証明するように強要され、その結果、さらに難しい病気になったのです。それが10代の頃の一番の葛藤でした。僕は、当然のことながら、それに対して何かできるような年齢ではなかったので、内面の不満や怒りの多くはここから来ていますし、なぜ私がこれほどまでにトーリー党を憎むのか、という点でもあります。

 この曲をシェアしている、TikTokの子供たちの多くは、家庭内暴力、その他のトラウマの克服についての話もあり、これらのこころのトラウマの多くは、過去10年間の緊縮財政やパンデミックから来る葛藤や苦難から生まれたと思う」と彼は続ける。

 ーーー僕が歌の中で話していることは、この国の普通の人々にとって、ありきたりの普通の問題なんだ。多くの子供たちが私の歌詞を聞いて、"ああ、今、私の家で起こっていることを思い出すよ"と言ってくれることが多いんだ。


この曲のネット上やその他での成功の要となった歌詞について、フェンダーは次のように語っている。

 

 人生を通していじめにあった人の大半は、そういう感覚を絶えず持っているんだ。自分はタフじゃない、男らしくないという感覚。それらは、実をいうと、かなり有害な考えなんですが、私たちは何者かによって、これまでの教育によって強くあらねばならないと信じこまされているのではないでしょうか?  

 

 僕は特に複雑なことや知的なことを歌ったり書いたりしているわけではなく、ただ正直で、学者でもない普通の人のように話している。"僕はノース・シールズ出身なんだ。僕が歌で話しているのは、この国の普通の人たちの、ごくごく普通の問題なんだ。

 


2019年にデビュー・アルバム「Hypersonic Missiles」で登場して以来、サム・フェンダーは常に心から無条件に歌うソングライターである。初期のシングル「Dead Boys」では、「誰も説明できない」地元ノースシールズで相次ぐ男性の自殺を振り返り、サックスでブーストしたインストゥルメンタルと小さな町の不幸からの脱却を夢見る歌詞で、”ジョーディー・スプリングスティーン”というあだ名を手に入れた。ほかの多くのアーティストのデビューアルバムと同様、「Hypersonic Missiles」は、サム・フェンダーのミュージシャン人生の最初の時期から、何年も前の曲まで幅広く取り上げた。そのため、このアルバムは、大人のソングライターとしての彼の未完成の肖像画のように感じられ、歌手としての偉大さの片鱗はあるものの、作品としてはまとまりには欠けるものであった。これは言い換えれば自らの天才性をどのように操るのかに苦心していたとも言える。

 

 収録されている曲はすべて僕が19歳のときに書いたもので、その曲にのめりこんでさえいなかった。Hypersonic Missiles "のバックエンドに収録されているいくつかの曲はなくてもよかった。私はナイーブで若かったから、そうしないとその場しのぎになってしまうと思い込んでいた。だから、そういうものになってしまったんだ。

 

「Dead Boys」 ーー「Hypersonic Missiles」収録

 


 

それでも、明らかにサム・フェンダーは、昨年からシンガーソングライターとしての大きな成長が見受けられる。2021年にリリースされたアルバム「Seventeen Going Under」は、それ以前の2年間に書かれた、ダイナミックなベストコレクションとなり、フェンダーは自分の選択に対してより率直に、デビュー作の成功後に「より一歩前に足を踏み出す」ことが出来た、とも語っている。この2枚目のレコードのソングライティングは、サム・フェンダーが初めてセラピーの治療を受けた時期と重なっている。その過程で得た自己受容と理解は、そして、自分の姿を受け入れて、自分自身に自信を持つことは、取りも直さず、彼が子供時代を真摯に振り返り、ここまでどうやって生きて来たのか・・・、なぜ、自分はこうなったのか・・・、古い時代の亡霊を追いはらい、前向きに進み続けるために何ができるかを見出す際に大いに役立ったという。


 「Seventeen Going Under」は、私が最初に書いた曲で、パンドラの箱を開ける鍵のようなものになった。私の生い立ちの中で起こったことが、若い頃の私の自尊心に影響を与え、蝕み、形成したことを、ようやく理解し、明確にできるようになった。


 

10月初旬のアルバム発売以来、サム・フェンダー自身の言葉を借りれば、事態は「成層圏」に突入していったという。それは青天井とも言いかえられるかもしれない。人気上昇中のシンガーに、より大きな華々しい舞台を用意された。2019年当初から、長い間延期していたブリクストン・アカデミーのライブをこなし、11月には、ソールドアウトのアレクサンドラ・パレス公演を2つ控えていた。その2つの日程が情熱と怒りを交えて演奏される頃、春に行われる2つのウェンブリー・アリーナが近づいていた。次から次へとやってくるビック・アクトの数々・・・。

 

この頃、サム・フェンダーは、すでに最初の大きな成功の足がかりを作ろうとしていた。次の年の夏、Finsbury Parkで、Fontaines DC、Beabadoobeeなどのサポートを得て、巨大な野外ライブを行うことが決定していた。フェンダーの「成層圏に突入したかのようだ」という大袈裟にも思える表現は彼にとってかなり的を射た表現だった。もちろん、言うまでもなく、サム・フェンダーのアーティストとしての知名度の急上昇については、なにも表側から見えるもにとどまらなかった。「この2ヶ月の間に起こったことだけでも、まったく気が遠くなるようなことばかりだった」とサム・フェンダーは語る。リアルタイムですべての出来事を理解しようと務めていた。

 

 英国チャートに3週連続でトップ10に入り、Louis Theroux(ルイス・セロー、イギリスのジャーナリスト、英国、ロイヤル・アカデミーテレビ賞などを受賞している)が僕に話を聞きたいと言ってきたんだ。これは、ほんとにすごいことなんだよ。それに、あのエルトン・ジョンが毎週電話してきて、僕とおしゃべりしたがっているという。エルトンは、私にとって本当に良い友達なんですが、時にはそういった驚くべき出来事を受け入れるため、多くの時間を取らなければならないこともあります。

 

5年前、僕は、傷病手当金をもらって母親とアパートに一緒に住んでいたんだけど、今は自分のアパートにいて、エルトン・ジョンから電話がかかってくる。信じられない!! でも、そういった信じがたい事実を受け入れて自分がそれに値すると信じるように頭を調整するのは、とても難しいことなんだ。自分がそういったビックアーティストと関わりを持つに値するとは思えないし、ただ座って、"自分はここにいるべきではない "とも考える。これは運命の偶然なのか? こういったことを考えてしまうのは、私の出自、どこから来て、どう育てられたかによるものです。僕はいつもすべてがうまくいかないのをなんとなく待っているんです。これのどこが問題なんだ? 何かがうまくいかないで、ああなってしまうんじゃないかって悪い考えを巡らせる..... 


しかし、その困惑は、彼自身の現在の驚きべき環境の変化を言い表したものに過ぎない。人生の何かがうまくいかないことをある程度受け入れる一方、サム・フェンダーは、彼の辛辣で正直なリリックによって巻き起こったTikTokのトレンドを超えて、目に見える変化を生み出すため、自分にふさわしいかどうかにかかわらず、この出来事を善い方向に利用しようと決意した。今年初め、フェンダーはホームレスの危機にある人々のためのホットラインへの通話料が1分40ペンスであることに着目、ノース・イーストにある地元のホームレス支援団体とチームを組んだ。こういった社会的な活動をおこなった経緯について、フェンダーは次のように話している。

 

「ホームレスになりそうな人は、ヘルプラインに電話する必要があるんだけど、1分につき40ペンスもかかる」そこで彼は、Twitterの公式アカウントを通じて、すべての地方議会に適切な意見を言い、その後、実際的な行動によって、ノース・イースト全域のすべてのホットラインを無料に変更させたのである。これはひとちのアーティストが社会的に弱い人達を救った事例となるだろう。


しかし、サム・フェンダーは活動家ではない、あくまでミュージシャンとして生きる過程で、メディアやファンに媚びへつらうのではなく、目の前にある社会問題や政府の怠慢と真摯に戦う男なのだ。

 

 僕の友人たちの間では、自殺が大きな社会問題になっているんです。僕が『Dead Boys』を書いた後のことです。私の知り合いには、20代で神経衰弱になった友人もいる。英国政府は、この問題に対してあまり手を貸してくれませんし、福祉的な援助の手も差し伸べられない。友人のために危機管理チームを呼び出したのに、8時間も連絡がないことほど辛いことはない。危機的状況にある人にとって、8時間というのはとても長い時間なんです。

 

サム・フェンダー自身は、社会的な活動を行う傍ら、自身のライブアクト、アルバム制作も以前と変わらぬ頻度でこなし続けている。2022年のツアーを終え、ニューカッスルとロンドンを行き来しながら、次なるサードアルバムの制作のため、ニューヨークに向かう予定であるという。「次のアルバムは、正直言って、『Seventeen...』と同じような内容になると思う」と彼は言う。

 

2021年、クリスマス直前、ニューカッスルの自宅からイギリス国内の音楽メディアのインタビューに応じたサム・フェンダーは、1年間のツアーから帰ってくると、クリスマスの時期について、「通常、あのときは、僕にとって1年で最悪の時期に当たった」と回想する。 

 

 家に帰ると、すごくたくさんの思い出があり、それが引き金になり、いろいろなことが起こる。他方、ニューヨークでは、僕のことを誰も知らない。ニューヨークでは、多くの人たちが、僕が誰であるかは誰も知らないし、ただ歩きまわるだけでいい。特に家では、かなり気を遣うことになるよ。でも、ニューカッスルで有名になると、みんな愛と誇りと喜びで僕を迎えてくれるから、どこにいたって家にいるようなものさ!! 

 

フェンダーは、ニューカッスルの次世代のスーパーヒーローの型に当てはまる。いや、世界のスーパーヒーローといっても過言ではなく、既にサム・フェンダーはそうなりつつある。彼は、最近、同じジョーディの伝説的バンド、リンディスファーンのフロントマン、故アラン・ハルについてのBBCドキュメンタリーのナレーションを担当しただけではなく、今夏には、ニューカッスル・ユナイテッドFCの買収をセントジェームズパーク外で祝った後、二日酔いで、「BBC Breakfast」に出演し、イギリス国内で大きな話題を呼んだ。さらに、身近な環境の騒がしくなっていることについて、つまり、有名になると、妙に知り合いが増えることについて、フェンダーはスターダムの階段を着実に登るアーティストとして戸惑いを覚えているようだ。

 

 おばあちゃんとお茶を飲んでくつろいでいると、いつも家に誰かがやってきて、まるで古くからの友達のように僕を親しげにつかまえるんだ。分かった、分かった、君たち、ほら、写真をあげるから、おばあちゃんと一緒にいる時間をちょうだいよってね!


  「Get You Down」 ーー 「Seventeen Going Under」収録

 

 

 

セカンド・アルバム「Seventeen Going Under」で贔屓目なしに新世代のイギリスのミュージックスターに上り詰めたサム・フェンダーは、グラストンベリーで素晴らしいライブアクトをこなしたが、既に2022年後半の予定されている大きなツアーに照準を合わせている。「とんでもないことになりそうだ。フィンズベリーパーク、フェスティバルのヘッドライナー.に抜擢されるなんて.....ほんとにこれはすごいことだよ」と話す。

 

もちろん、サム・フェンダーは、大きなショーが複数予定されているにもかかわらず、常に自分自身を直視し、立ち位置から目をそらさず、これらのビックアクトに加え、以前のように小さなショーにも出演しつづける。上を見ながら下を向いて歩くことは、スターダムへの階段を駆け上るシンガーソングライターにとってどのような感慨をもたらすのか、自らの存在が自分の予想を遥かに上回る勢いで大きくなり続けている、変化しづけることに、一抹の不安を覚えるのだろうか??


「いや・・・、これはとても素晴らしいことだ!!」とサム・フェンダーはこの成功を肯定的に捉える。

 

 2ndアルバム『Seventeen Going Under』をリリースしてから、僕にとって良いドミノ効果が起きていて、それが続くように、と願っている。でも、2ndアルバムを発表してから、僕の身に起きたこれらのことは、身に余る光栄であり、それが起こり始めるまでは全く想像だにできなかったし、今でも全然信じられないように思えているんだ。そして、今はまだ僕はこれからどんなことができるのかについてはもちろん、どこへ行くことができるかさえ全然わかっちゃいない。今は、ただ、わからないんだ・・・。それでも、僕はただ黙って自分の仕事を全うするつもりでいる。

 

 

 

Sam Fender 「Seventeen Going Under」 Polydor

 

 

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英リーズを拠点に活動するYard Actは、今年の1月21日にZen F.C(islands)から「The Overloard」をリリースして鮮烈なデビューを飾った。

 

ヤードアクトは、ブラックカントリー、ニューロード、そして、スリーフォード・モッズとともに現在最も英国で注目を浴びる四人組と言える。UKポスト・パンク、ディスコパンク、ヒップホップ、果ては、ノーウェイヴまでをも取り込んだ革新的な音楽性はどのように生み出されたのだろうか。


ヤードアクトの魅力は、1970年代に隆盛したUKポスト・パンクの歴史を引き継ぐサウンドにある。そして、ヤードアクトのもうひとつの魅力は、ヴォーカリスト、ジェームス・スミスの生み出す痛烈で皮肉たっぷりのスポークンワードにある。ジェームス・スミスの紡ぎ出す歌詞は、往年のモリッシーのように、皮肉交じりではあるが、そこにはザ・スミスのような自己陶酔は存在せず、ただひたすら現状を痛快に笑い飛ばすばかりである。ブラックユーモアにみちてはいるが、それはジメッとした雰囲気とは程遠く、乾いた笑いの印象を聞き手にもたらす。そして、実際の楽曲にしても、MVにしても、共感性のような感情を受け手に与えるのは不思議でならない。

 

ヤードアクトが今月21日にリリースした「The Overload」の最後のプレリリース「Rich」という楽曲では、資本家からみた資本主義自体の虚しさ、あるいは、資本主義への不信が痛烈に暴き出される。それは、資本主義社会に参加することのできない爪弾きにされた多くの一般市民の心を捉えた。 

 

 

 

 

 

ヤードアクトがスポークンワードという形式で表現する歌詞、つまり、英国社会にとどまらず世界全体に蔓延する一般市民が共感性を見出すことができない「資本主義社会の完全なる行き詰まり」を暴き出そうとするスタイルは、資本主義とは一定の距離を置いて生活をする若者だけにとどまらず、毎日のデスクワークに翻弄される会社員、何らかの思想的な活動に明け暮れて疲れ果てた活動家というように、幅広い層の心に強く響くものがある。それは言ってみれば、お体裁の良い商業ポップスとは完全に異なる図太さのある音楽なのだ。もちろん、彼らが冷笑を交えて痛烈に批判を繰り広げるのは、社会のような蒙昧とした概念にとどまらず、実際の政治であったり、まつりごとを司る政治家に向けられる場合もある。ヤードアクトは、常に逃げも隠れもせず、実態のある何かを相手取り、それをブラックユーモアを交えて表現しているのである。

 

 

 

そもそも、ヤードアクトのバンドとしての始まりは、奇しくも、パンデミックが始まった時期と重なっている。バンドとしての活動を開始し、三回目のギグを地元リーズで行った時、パンデミック時代が到来した。

 

このパンデミックの時代について、ヤードアクトのヴォーカリストのジェームス・スミスは「すべての出来事は当時の私にとっては、あまりに早く起こったように思えました。それでも、完全な憂鬱に陥ることはありませんでした」とヤードアクトとして活動をはじめた当初のことをスミスは振り返っている。

 

 「最初、私は・・・」と、ジェームス・スミスは、後に以下のようにヤードアクトの結成秘話について語っている。

 

 

「ライアン・ニーダムと何年にもわたり、友達以上の関係を築き上げて来ました。彼は、私が”ポストウォークグラマーガールズ”という地元のバンドで活動を行っていた時代、ライアン・ニーダムは、メナスビーチというサイケ・ポップバンドで演奏をしていて、ジャンボレコードから7インチのスプリットシングルをリリースしたばかりでした。ニーダムと知り合った当初、お互い意見がぶつかりあうことも多かったけれど、その後、何度かリーズのパブでニーダムと会って話すことが多かった」とジェームス・スミスは語っている。「私達は、かねてから一緒にバンドをやろうとパブで話していたんですが、なかなか実際にバンドを始める機会を見失っていたんです」

 

 

2019年9月、ライアン・ニーダムがジェームス・スミスの自宅の空き部屋に引っ越した時から、ヤードアクトは本格的な活動を開始した。彼らは、ハウスメイトとして暮らしながら、デモトラック制作に専念した。ソングライティングにおけるパートナーシップを築き上げることにより生産性はみるみるうちに上昇し、スミスの自宅で数多くのデモトラックがシンセを介して生み出された。

 

その後、彼らは明確なバンド形態を取るため、リーズで活動していたTreeboy&Arcから残りのドラマーとギターのメンバーを引き入れることに成功し、追い風が吹き始めたように思えた。しかし、バンドの思いはパンデミック時代の到来により、一度はくじかれてしまったのだった。

 

「私達は、2020年1月にヤードアクトとして門出を果たしましたが、皮肉にも、その後すぐ世界的なロックダウンが始まったんです・・・」とヴォーカリスト、ジェームス・スミスは当時のことを回想している。

 

「それでも、私達は、バンドとしての活動をやめるつもりはありませんでした。 そこで、ロス・オートンというエンジニアに、制作したライブ録音のデモテープ「Fixer Upper」を持っていって、この曲を目に見える形にしたいと考え、デモをリミックスしてもらったんです。その過程、ギタリストのサミー・ロビンソンが私達の元を去っていったのは、正直、とても残念な出来事でした。別に、彼とは仲違いをしたというのではありません。サミーとは常に友好的な関係を築きあげられていたと思っています。新たなギタリストSam Shjipstone が加入したことは、それほどバンド活動を行っていく上で、明確な違いが生じたとは思っていません」


 

彼らが最初に明確なレコードの形にした「Fixer Upper」は後にEP「Dark Days」に収録されている。この曲はThe Streetsの「The Irony of It All」と同様、風刺的なシニカルな架空のキャラクターを歌詞の中に登場させている。

 

この曲で、ジェームス・スミスが描き出しているのは、新自由主義の英国の社会的な描写であり、スミスのスポークンワードの特性を活かし、暗鬱としながらもコメディーに満ちたタッチで曲の世界観が見事に描き出されている。

 

彼が「Fixer Upper」の曲中に登場させたグラハムという架空の人物は、2020年代の社会の主流といえるような典型的な人物である。

 

グラハムは、法を遵守する善良な市民であり、さりげなく人種差別主義者でもあり、また、彼自身の持ちうる特権にあえて気がつこうとしていない人物でもある。この曲は、パンデミック以前に書かれた楽曲だというが、この愛国的な思想を持つ架空の人物が現在のイギリス社会の出来事について、何らかの私的な意見を抱えているということを暗示している。

 

 

「"Fixer Upper"の歌詞に登場するグラハムというキャラクターについては・・・」とジェームス・スミスは苦笑を交えながら語っている。

 

 

「99%、ほとんど確実に、例えば、All Lives Matterのような思想を前面に掲げる人間だと言えるでしょう。彼がパンデミックという概念にどっぷりはまり込んでいるのには2つ原因があります。それは、俗に言われる”ピアーズ・モーガン効果”と呼ばれるものです。このグラハムという人物が、個人的になんらかの社会的な制約を受けている場合、彼は充分な政策を打っていないイギリス政府に反意を唱えるでしょう。 あるいはもし、彼がパンデミックによって傷ついた人を、直接的に友人や知人、あるいは親族を介して知らなければ、彼は間違いなく「私は絶対マスクを着用しません。これはただのインフルエンザなんですから」と主張するはずです。なぜなら、グラハムという人物は、正しいと思うことだけを信条とする人間であり、それ以外のことは興味を示さない、つまり、彼の思想の核心は彼自身に集約されたマキャベリストだからです」

 

「この曲では、グラハムの後に引っ越しをしてきた人々について、実際にフォローアップを書いていますが、それをあんまり仰々しく取り上げるつもりはありません」とジェームス・スミスは語る。

 

「私は、この曲を聴いてくれる人々が、このキャラクターに深く接してくれることが何よりの喜びなんです。そして、私の曲を聴いてくれた人々が、”この男は、今の社会に必要なことを歌ってくれている”なんて称賛してくれればこの上ない喜びなんです、まあ、それでも本心ではそうでないことを願っていますよ」

 

 

ジェームス・スミスはこれまでのUKの歴代のシーンにあって、存在しそうで存在しなかったタイプのヴォーカリストとも言える。

 

UKポスト・パンクの伝説、The Fallのヴォーカリスト、マーク・E・スミスからの直接的な影響を公言していて、ワードやセンテンスの語尾にわざと本来意味のない発音を付け加える遊び心を欠かさないアーティストである。

 

また、ヴォーカリスト、ジェームス・スミスの人物像というのも面白い。そこには、モリッシーのようなブラックユーモアこそあるが、自己陶酔はない。トム・ヨークのような社会的なメッセージ性こそ持つが、内向的な悲観主義者ではなく、外交的な楽観主義者である。ジェームス・スミスは歴代のUKのロックシーンを見渡しても、とびきり風変わりで、魅力的な人物のように思える。


しかし、彼は本質的に、政治色の強いメッセージを掲げるバンドとして自分自身を表現しようとは考えていない。言い換えれば、彼は、人々に何かを考えるべきかということを明瞭に伝えたくないとも考えている。それは、彼自身、何らかの一つの概念に縛られることを嫌うばかりではなく、自分がアイコンのように見なされ信奉され、スターとして神棚にまつりあげられることだけは避けたいと考えているからなのかもしれない。つまり、一つの強固な考えを標榜するように、他者に押し付けるのでなく、多種多様な価値観があって良いではないかとスミス自身は認めているのかもしれない。

 

もっとも、現代社会のAll Lives Matterをはじめとする様々な概念が、「ポリティカルコネクトネス」として氾濫する時代において、幅広い選択肢をもたらすスポークンワード、コミカルな雰囲気をにじませた楽曲の世界観は、現代社会の人々に少なからず安息を与えてくれるに違いない。そして、ヤードアクトの楽曲がなぜ一方通行にならないのかという点についての答えは出ている。

 

彼らの音楽は、オーディオ機器、あるいは、ライブパフォーマンスを通しての聞き手との対話、また、コミュニケーションの始まりなのであり、また、ヤードアクトの楽曲を聴いた後、聞き手自身が、それを自分の頭の中で咀嚼し、最終的に自分なりの答えを見出してもらいたい、自分で最終的な結論を導き出してもらいたい、というように、ジェームス・スミスは考えているのだ。

 

「現在、政治的なメッセージ性を持った音楽は、世界のシーンの中でも非常に目立っているように思えます・・・」とジェームス・スミスは語っている。

 

 

「それらは、すべて、何々党が悪いだとかいう当てつけにも酷似していて、私達は、同じような事例がその他にも数え切れないくらいあるのを知っているんです。私達は、常に、上記のような、何かもっともらしい言葉を垂れるぐらいなら、多くの人をたのしませるような事柄を言うことを優先したいんです。バンドの最初のリリースである「Fixer Upper」のような曲において、私にとって重要だったことは、鮮烈な印象を外側の世界に与えることだった。たとえ、もし、そんなふうに誰かから揶揄されたとしても、その人が完全に間違っていると断言するつもりはありません。

 

もちろん、それと同時に、私達は、社会の背後からものをいい、「私たちは左翼ではないんだ!!」という自己防衛的な人達のようになりたいわけでもないですし、それと同様、私は自分の意見を表明するためだけに、このような風変わりで馬鹿げた物言いをしているつもりもありません。一般的な人々が何らかのことについて発言するのは、必ずしも、自分の責任にはなりえない、と私は考えていますが、同時に、私自身がなんらかの的はずれな発言をした場合には、弁解や弁明をするための場に束縛されるべきとも考えています。これまで、ヤードアクトの活動を行っていく上で、上記のようなことについては、それなりに上手く対処できたのではないかと私自身は考えてますが・・・」

 

 

ヤードアクトの人気が沸騰していくにつれ、 政治に対して率直な意見を述べる、IDLES、Sports Teamのように、彼らの部分的に表現される政治的な思想を全面的に取り上げ、ポップスターとして祭り上げていこうと考えている人々は、イギリス国内、世界全体に少なからず存在することは間違いのないのことである。けれども、こういったアーティストたちは、その後、祭り上げられた挙句、商業的な成功を手にするかわりに、それと引き換えにアーティストらしく生きる上で大切なものを失ってしまったのだ。

 

しかし、ヤードアクトは、今後、過去のスターの悪例に染まらないであろうと考えられる。彼らは、事実、デビュー前に、「Black Lives Matter」を支持しているファンに、facebookを介して怒りのコメントを数多くぶつけられた。この時、ヤードアクトはまさに、上記のような考えを手放した、あるまじきロックバンドであると痛撃な批判を浴びたのだ。この出来事について、ジェイムス・スミスはこのように回想している。

 

 

「古い世代の考えを持つ人々の中には、進歩的な考えを持てない人たちも一定数いるのかもしれません。この問題については非常に難しいことですが、全体的なポイントはそういう出来事を通して、私達はすすんで建設的な会話、コミュニケーションを図っていきたい、と考えているんです。他のバンドが、例えば、一例として、右翼的な思想を持つファンが、彼らの政治的なメッセージに対して疑問を投げかけている出来事を私はかつて見たことがあるんです。そういったファンに対して、常にバンド側は、

 

”それなら、ファンをやめればいい、私達の音楽を聞かなければ良いんだ”と言っただけでした。私は、このバンド側の対応について、完全に同意するわけにはいきませんでした。私は、中産階級の白人として、自分と異なる階級の人達、例えば、労働者階級の同性との会話に際しても、彼らが自分たちとは異なる存在とみなしている場合でも、しっかりとした会話が組み立てられるという奇妙な特性があるんです。ですから、私は、これからもファンと建設的な会話をしていきたいと考えていて、彼らに対して、一方的で好戦的な考えを押し付けたりするようなことだけはしたくないな、というふうに考えているんです」

 

 

ヤードアクトのフロントマンであるジェームス・スミスがどのような考えでバンド活動を行ってきたのかについては以上のコメントが明確に物語っている。それでは、バンドの音楽性や歌詞についてはどうだろう?? 

 

ジェイムス・スミスは、1970−80年代のパンク・ロックサウンドからの強い影響を公言しているが、その他にも1980年代のオールドスクール・ヒップホップ、1970年のイタロ・ディスコ、さらに、2000年代のインディー・ロック、これらすべてを踏襲した独特なサウンドを生み出し続けている。

 

彼が幼年期から音楽ファンとして聴いてきた様々なサウンドが一度は記憶として定着し、その後、スポークンワードを交えた刺激的なポスト・パンクとしてアウトプットされる。もちろん、デビュー・アルバム「The Overload」において、彼らのミクスチャーサウンドの魅力は表題トラック「The Overload」を始め、「Payday」「Rich」といった秀逸な楽曲に表れ出ている。

 

 

「The Overload」

 

 

既に、デビューアルバム「The Overload」がリリースされる以前に、EP「Black Days」そして、四作のシングルがリリースされた後、ヤードアクトの清新な雰囲気に満ちたサウンドは、多くのメディアやファンの興味をひきつけることに成功したことは確かだ。 彼らのような痛烈なポストバンドの台頭を、常に、多くのコアな音楽ファンは待ち望んでいたのかもしれない。その過程で、ヤードアクトは”BBC Radio 6”でのレギュラーポジションを獲得し、さらに、四作目となるシングル「Rich」は、音楽雑誌NMEを始め、多くの音楽メディアに好意的に取り上げられるまでに至った。

 

 

1月21日にリリースされたデビュー作「The Overload」について、フロントマンのジェイムス・スミスは下記のように話している。

 

「私達ヤードアクトは、まだ駆け出しの新進バンドであるため、最初期のシングルリリースにおいて、何らかの印象をシーンやファンに与えられたのはとても嬉しいことでした。しかし、私自身、歌詞を書くことに関してはまだ全然納得していません。

私は、このアルバムの制作段階で、多くのキャラクターの研究、歌詞についてもより抽象的な概念を交え、早いテンポの楽曲を書くこともアルバム制作の構想として取り入れていました。しかし、それらの事とは別に、自分の書く言葉についてはまだ、果たして、これを「詩」と呼んでよいものなのかどうか自信が持てずにいるんです・・・

でも、元来、話し言葉ースポークンワードというのは、詩的な意味を持つといえます。おそらく、多分、本当の詩人は、話し言葉について悩ましく考えるかもしれませんが・・・」


 

デビュー作「The Overload」は、イギリス国内にとどまらず、日本でも音楽ファンの間で話題騒然となっている。

 

 


このバンドの楽曲の主要なソングライターでもあるジェイムス・スミスは、現在、幸いなことに、ライターズブロックに悩まされたことは一度もないという。それは彼が常に全力で走り続け、ホットなスポークンワードを紡ぎ出し続けるからこそなのだろう。

 

ヤードアクトは既に60曲以上ものデモトラックを温存しているという。おそらくデビュー作にも収録されていない素晴らしい楽曲が既に生み出されているかもしれない。まだまだ、それらの楽曲の多くはリリースされていない。

 

鮮烈なデビュー作を掲げて2022年のUKのミュージックシーンに華々しく台頭したヤードアクト。これから、どういった形でリリースがなされるのだろうか、今後のバンドの活動からしばらく目を離す事は出来ない。