ラベル On The Rise の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル On The Rise の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

 


2020年代の新たなブラックミュージックの潮流を形作るアーティストとしてあげられるのが、ワシントン出身のソウルシンガー、ヤヤ・ベイです。彼女は現在、ワシントンからブルックリンに拠点を移し、活動を行なっている。

 

2022年6月17日、ブルックリンのシンガーソングライター、Yaya Bay(ヤヤ・ベイ)は、大胆かつ優しいデビューアルバム『Remember Your North Star』をリリースし、高評価を受けて、国内外で期待アーティストとして注目を浴びることになりました。

 

ヤヤ・ベイは、モダンR&Bの新しい潮流として位置づけられる自身の音楽性の骨格を形作る上で、そのインスピレーションの源泉として、グラミー賞を受賞し、今年50周年を迎えるロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイの1972年のデュエット・アルバム「ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイ」を挙げています。そして彼女の音楽の聴き方を変えたという幼少期のエピソードを語った。

 

ヤヤ・ベイは自分の音楽観を形成する上で欠かすことができないものとして、ロバータ・フラックとドニー・ハサウェイのセルフタイトルのデュエットアルバムの影響を挙げています。最初にこの素晴らしいレコードに出会ったのは、13歳の頃、祖母の家の地下室で叔父のレコードをこっそり聴いた時だったという。

 

この劇的なアルバムを発見したのと同時期、ラッパーのスカーフェイスの「On My Block」という曲がラジオで流れているのを聴き、フラックとハサウェイの曲「Be Real Black For Me」をみずからサンプリングした。つまり彼女の父親が、この2曲の点と点を結ぶように手ほどきをしてくれたのです。

 

「父はラッパーであり、ヒップホップのプロデューサーでもあるので、おさないころの私にレコードをかけては、サンプルを当てさせたり、古いレコードをかけては、こんなものが、これをサンプリングしているんだと色々教えてくれました。私が初めて曲の中にあるサンプルを確認できたのは、たぶん『Be Real Black For Me』だったかと思います」


ヤヤ・ベイの父親はラッパーの”Grand Daddy I.U”。1989年に、Biz MarkieのCold Chillin' Recordsと契約していた。ヤヤ・ベイによると、彼女の父は、幼い頃から音楽について多くのことを教えてくれたというが、歌うことについては何度か思いとどまらせられたという。「父は、私に歌うべきでない、と言いましたが、曲を書くことを勧めてくれた」と彼女は語る。「父はいつも私が良い作曲家だと思ってくれていた」と。


ヤヤ・ベイが詩や歌を書き始めたのは、小学生の時だった。ハサウェイとフラックのコラボレーションアルバムのオープニング曲「I (Who Have Nothing)」は、片思いを嘆く憂鬱な歌詞であり、彼女はその歌詞に惹きつけられたことをいまでもよく覚えているのだそうです。この曲は、「ハウンド・ドッグ」や「監獄ロック」で有名なジェリー・ライバーとマイク・ストーラーの伝説的コンビがカルロ・ドニーダの書いたイタリアの曲をアレンジして書いたものです。有名なところでは、トム・ジョーンズやシャーリー・バッシーもカバーしています。


「この曲は、私が座って聴いて、頭の中にイメージが浮かび、歌詞から物語を作ることができた最初の曲でした。そして、ダニー・ハサウェイの歌声は、私たちがこれまで経験した中で最も特別な歌声のひとつだった」

 

ダニー・ハサウェイは、これからの活躍が期待された時代に、悲劇にも、わずか33歳の若さで自殺したものの、重要なアーティストにはかわりありません。ジョージ・ベンソン、アリーヤ、コモン、アリシア・キーズなど様々なアーティストに影響を及ぼしたとも言われる。例えば、エイミー・ワインハウスは、ハサウェイを、これまでで最も好きなアーティストと呼んでいたのです。


「ダニー・ハサウェイが歌うものはすべて、彼が言っていることと関係があると信じるれるほど歌詞を誠実に歌っている」と語る。さらに、ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイは「自身の音楽の聴き方そのものを変えた」とも語っている。「特に作家として、より多くのものを聴くようになってから、耳をオープンにするのに役立った。歌詞を聴き、メロディーを聴き、彼らの声のトーンを聴くようになった。このアルバムを聴くまでは、そんなことはしていなかったし、意識もしていなかったと思う」


フラック、ハサウェイ、両者のR&Bシンガーに影響を受けたヤヤ・ベイの歌詞はすべて、”愛と人間関係”をテーマに置いている。ヤヤ・ベイがインスピレーションを受けたのは、愛の物語をより広い政治的・文化的テーマと絡める先人たちの特質なのです。


「ただ、単にロマンチックな愛だったり、公園の散歩を歌っているように見える曲でも、そこには必ずその時代に人々が経験している感覚を反映している」と「Be Real Black For Me」について次のように語っている。

 

「この時代は、ブラック・パワー・ムーブメントの黎明期であって、黒人が髪をナチュラルにし始めたり、つまり黒人であることに誇りを持ち始めた過渡期だったのね」彼女は語る。「"Be Real Black For Me "はラブソングだけど、曲の物語に連なりを与える表面的なレベルを超え、人々にとって重要なことを取り上げる方法を見つけだした」と。

 

ヤヤ・ベイ自身の歌詞も同様に重層的である。アルバムのある曲では、世代間のトラウマと透明感の感情を表しており、さらに、別の曲では、自己価値と資本主義の破壊的な影響を巧みに融合してみせている。今年6月にリリースされた『Remember Your North Star』は、ヤヤ・ベイが別のEPとLPを手掛けながら制作したアルバムだった。しかし、当初は『Safe Travels(安全な旅)』というタイトルになる予定だったという。これはどういう意味があったのだろう??


「曲を煮詰めるための時間が必要でしたし、このアイデアを実現するために、私は別の、より強く、より経験豊かなアーティストとして成長する必要がありました」とヤヤ・ベイは振り返り、新しいタイトルの『Remember Your North Star』は、仮タイトルの”Safe Travels”よりも自己主張性が強いように感じた、と付け加えている。さらに、「”北極星”というコンセプトは、それ自体がより確かなものに感じられる。自分の北極星が何であるかを知らなければ、それを目指すことはできない」とも話している。

 

ヤヤ・ベイはまだデビューアルバムをリリースしたばかりですが、これからブラックミュージックの新たな流れを形成してくれそうなシンガーソングライターとして注目です。


 

 Yaya Bay  『Remember Your North Star』

 


 

 Listen/Buy:

 

https://yaya-bey.lnk.to/rynsAT 



Been Stellar Photo Credit :Naz Kawakami

 5人組のインディー・ロックバンド、Been Stellarはニューヨークのヴェルヴェット・アンダーグランド時代のパンク・ロックスピリットを体現するような存在である。既に、今年始めに、イギリスのSo Young Magazineが展開している”So Young Record”から最初のシングルをリリースした際、特に、イギリス国内のメディアからかなり好意的に迎えられた印象もあった。

 

この5人の若者が発表したデビューシングル「Kids 1995」は、このバンドの潜在能力、道なる可能性を顕著に表していた。ノスタルジックであり叙情的でもあるインディーロックを彼らはメインストリームの意表をつくかのように登場させた。Been Stellarの最初のシングル「Kid 1975」は。鮮烈なイメージを与えることに成功した。Been Stellarは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ザ・ストロークスといったロックバンドの系譜にある音楽を巧みに融合させ、そこに1990年代のUKロックの雰囲気を漂わせたこのファーストシングルによって成功の足がかりを掴んだ。その後、ビーン・ステラーの快進撃は一向にとどまることを知らない。「Manhattan Youth」、「My Honesty」と、魅力的なシングルを続けて発表していき、耳の超えたインディーロック・ファンの心を捉えてみせたのだ。Been Stellarはまさにニューヨークらしいインディーロックの音楽性を携えてミュージック・シーンに登場したバンドである。 

 

 

 

現在、この5人の若者たちは、ニューヨークという圧倒的な魅力を持つ都市で培ったスピリットを体現するべく、周囲の音楽的な環境にまったく翻弄されることなく、周囲の環境をどのように評価するのか、みずからの考えを駆使し、ニューヨークの系統を語るアートや音楽を創り出すかを慎重に検討して来た。ロンドンの”So Young Records”と契約を結んだ後、最近になって、初めてロンドンを訪れた彼らは、ロンドンを自分たちの故郷ニューヨークと比較し、イギリスの首都がよりリラックスした雰囲気であることに気がついた。「ニューヨークでは洗濯をするのも一苦労なんだ」と、ベーシストのNico Brunsteinは語る。「誰も洗濯機を持ってないし、夏でも大きな荷物を運んで歩かなければならない。こっちの方がアクセスしやすいんだ」


ビッグ・アップルには様々な刺激があるが、この5人組は、その喧騒と活気のある日常を知らず知らずのうちに楽しんでいる。高校、大学、そして、街でのライブで出会った5人のうち3人は、現在、ごく近い場所に住んでいる。ギタリストのSkyler St.Marxは、「Britanysが場所を提供してくれて、本当に貴重な場所なんだ。僕たちは、それぞれの部屋に住んでいて、階下にリハーサルスペースがあるんだ。本当にクールなスペースで、別のスタジオを借りるよりもずっとリーズナブルなんだ"」と。彼らが "スーパー "と微妙な関係を維持できているのは、幸運なことなのだ。


バンドメンバーは、自分たちの創作意欲を表明することに関して、それぞれ異なる思いを抱えている。スカイラーとフロントマンのサム・スローカムは、バッドを結成するつもりで熱くなって来たが、グループ全体としてはそれほど計画的ではなかったようだ。ドラマーのライラ・ウェイアンズは、その背景をこのように語る。「高校時代は、ドラムを叩いていましたが、バンドには所属せず、家で一人でやってた。高校ではドラムを叩いていましたが、バンドを組んだことはなく、家で一人でやっていた。偶然、この4人に出会ったとき、ああ、これをやるべきだ、ピンときたんです」。


そうして、5人でBeen Stellarとして歩みを進めていくうち、繊細な魅力を放ちながら、世界中で想定されるグラマラスなイメージを覆すような街の音楽を体現するようになった。「人々はこの街をそのように見ているが、実際、そのイメージはかなり間違っているかもしれない」とセント・マルクスは言う。「その前に、ニューヨークには、多種多様の民族が共存していく非常に繊細な生活文化が維持されているのです。ラモーンズ、ルー・リードの出身地としてだけ見ていると損をしますよ。アートや音楽と切り離して考えても、本当に活気があって魅力的な場所なんです」


その自然な生粋のニューヨーカーとしてのスピリットの維持は、Been Stellarがレコーディングで体現しているものでもある。それはデビュー前、彼らは階下の地下室-スラッシュスタジオでレコーディングしている間に学びとったものだという。ギタリストのNando Daleは、「僕たちはいつも、ステージ上のサウンドにおいて、その地下室の壁に反響される音を基準にしています」と語る。「とても硬質な音なんだけど、僕たちはまさにそこに惚れ込んだんだ。そのサウンドとレコードの良さのバランスを考えている」。彼らのライブ・パフォーマンスは、偶発的で純粋な状況によって生み出されたこれらのライブ体験に基づいており、フロントマン兼シンガーのSam Slocumは、アーティストが何十年にもわたって培ってきたものと考えているようだ。


「ジョナサン・リッチマン(ニューヨーク・パンクの最初期の伝説的なロックアーティスト)のインタビューに、ライブでの音量が大きくなるにつれ、音楽がどのように変化したかを語っているものがあるんだ」とSam Slocumは熱く語る。「リッチマンは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの初期の演奏について、部屋を歩き回るだけで、ライブショーの経験が完全に変化してしまうことを話している。反面、私たちの練習スタジオはとても有機的な感じがし、それを再現しようと思っているんです」


しかし、バンドは、プロデューサーのAron Kobayashi Ritch(アーロン・コバヤシ・リッチ、Mommaの最新作『Household Name』にも参加している)が、彼らのサウンド・ミッションの核となる価値観を共有していることに気づいた。「彼は、まるでカメレオンのように、私たちが追求したいものに溶け込むことが出来るんです。それだけでレコーディングの難易度は下がりました」とスカイラーは振り返る。その一方で、Samはバンドの音楽の未来をしかり見据えている。「アルバムも多分、コバヤシ・リッチと一緒に作るから、どんな風になるのかとても楽しみだよ。EPは、私たちが求める音にかなり近づきつつあるけれど、まだそこまで到達していない。これから、アルバム制作で自分たちの頭の中にあるものにどこまで近づけるかとても楽しみです」

 


 

 その素晴らしい道のりをゆっくりと踏みしめながら、ニューヨークの5人組、Been Stellarは自分たちのサウンドを探求し続ける。

 

それまで自分たちより高い場所におかねばならなかったThe Strokesの影響から脱却し、自分たちしか持ちえないこの世で唯一無二のアイデンティティを見出す。当初は難しいと感じていたことだが、もはや彼らはそれに悩まされることはない。「個人的には、私たちは彼らのようなサウンドではないと思う」とSkylerは話している。

 

「現在のところ、それほど意識してザ・ストロークスを真似しているわけではない」と彼は話す。その代わりに、彼は、ニッチではあるが、しかし、他にも良いバンドの影響力があることを指摘する。「Sonic Youth、My Bloody Valentine、Ride...。僕たちは、ノイジーでメロディックな音楽が好きなんだ。ノイジーで非常にハードな音楽を得意とする人もいれば、ポップミュージックを得意とする人もいる。つまり、この2つを融合させるには微妙なバランスが必要なんだ」


イギリスの気鋭のレーベルのひとつ”So Young”と契約を交わしていることを考えると、Been Stellarがイギリス国内の多くの現役アーティストを高く評価していることも頷ける。「Lime Garden、VLURE、Humour、Gently Tender...。彼らは本当に素晴らしいアーティストなんだ」と、Lailaは話す。これらのアーティストたちは、Been Stellarが目指すものを体現している。つまり、現在ある環境を駆使して自分たちの進むべき道を決断するアーティストたちである。

 

 

「私たちは、ある1つの場所にしか存在しえないような個性的な音楽が好きなんです。もし、自分の環境が曲作りに影響を与えないのなら、それはやっぱり安いものに妥協してしまうことになる。そういった妥協的な行動には、常に、多くの作為と不誠実さが伴ってしまう。Lailaはこう続けた。「あるバンドを見て、”彼らはXやYのよう”と思うのはよくあることだし、自由なことだと思います。しかし、それでも、彼らが現代にふさわしいことを言っていると気づくのは別のことです、それこそが音楽を前に進ませると思っている。つまり、それが音楽というカルチャーを未来に進めることにもつながる。 彼らの地元で、この進歩を可能にすることは、彼の頭の中を占めていた大きな考えでもあったようだ。「ニューヨークのアイデンティティを持つことは、それ自体とても興味深いことですが、今後もまたそのアイデンティティに貢献し続けなければなりません。そのため、私たちは、音楽の制作に誰よりも真剣に取り組んでいるんです」 

 

 

 

Been Stellarの音楽は、今後、より多くのリスナーの心に届くものになると思われる。先週、金曜日にリリースされたばかりの五曲収録された実質的なデビュー作『Been Stellar EP』は、パンデミック後のバンドとしての目標を定めるための彼らの最初のステップを明らかなものとしている。

 

St.Marxは、Been StellarのファーストEPについて、最後に以下のように締めくくっている。「今回リリースされたファーストEPは、僕らが今後どうなっていくかを、対外的に示すとても良い機会になったと思う。これは、ヴァリエーションに富んだEPだ。ここには多様なサウンドや方向性が込められている。それと同時に、各々の曲には、多様なものをひとつに融合させたいという思いもある。「Manhattan Youth」のダイレクトさ、クロージング・トラックの「Ohm」のダイナミックさを組み合わされたものが、次の段階に到達する僕らをイメージしているんだ」

 

 

 

Been Stellar First EP  『Been Stellar』 : 

 

https://beenstellar.lnk.to/beenstellarep


Florist


Floristが、先週(7月29日)”Double Double Whammy”からリリースしたセルフタイトル『Florist』は、鳥の声のサンプリングが導入されているほか、自然味あふれる作風となっており、早耳のリスナーの間で話題を呼んでいる作品でもあります。近年の米国のフォークシーンでは、こういった都会的な趣とは先端帯の自然の雰囲気を擁する作風が増えてきている。このアルバムには、フローリストのたおやかなフォークセンスが濃縮されているだけでなく、バンドメンバーとして、また親友として、彼らを結びつける強力な愛情の証ともなっている。


フローリストのシンガーソングライター兼ギタリストを務め、バンドの中心的な人物であるエミリー・スプラグは、まずはじめにこのアルバムが完成へとこぎ着けたことについて、バンドメンバー、彼らとの人間関係に深い感謝をする。そこには、スプラグの他のメンバーへの深い信頼の思いを読み解くことができる。スプラグは、アルバムの制作段階を振り返るにあたって、「このアルバムを一緒に作るにあたってとても重要であったのは、メンバーがお互いに協力し合い、直接的な意味でつながっていることの意味そのものを祝うことであり、同時に、私たちが多くの人と協力していることを伝えることでした。それは基本的に人生の意味であり、多くの意味で、つながりから意味を見出そうと努力し続けることに価値がある理由です」と話しています。これは、数年間、深い孤独を味わったこらこそ引き出された重みのある言葉だ。


フローリストは、2013年と結成されてからか久しいバンドです。にもかかわらずそれほど多作なバンドとは言いがたい。それはこのバンドが音楽というものの価値を深く知っているだけでなく、音楽を心から大切にしている証ともいえるでしょう。四人のメンバーは功を急がず、その現在位置をしかと捉え、丹念にアルバムを作り込むことで知られている。これらの要素がインディーミュージックファンをうならせるような緻密な作風となる最大の理由といえる。

 

フローリストは、エミリー・A・スプラグを中心に四人組のバンドとして常に緊密な人間関係を築いてきたが、2017年にリリースされた2ndアルバム『If Blue Could Talk』の後、バンドは少しの休止期間を取ることに決めた。その直後、エミリー・スプラグは母親の死を受けたが、なかなかそのことを受け入れることが出来ず、「どうやって生きるのか」を考えるため、西海岸に移住した。その間、エミリー・A・スプラグは『Emily Alone』をリリースしたが、これは実質的にFloristという名義でリリースされたソロ・アルバムとなった。しかし、このアルバムで、スプラグは既に次のバンドのセルフタイトルの音楽性の萌芽のようなものを見出していた。バンドでの密接な関係とは対局にある個人的な孤立を探求した作品が重要なヒントとなった。


その後、エミリー・スプラグは、3年間、ロサンゼルスで孤独を味わい、自分のアイデンティティを探った。深い内面の探求が行われた後、彼女はよりバンドとして密接な関係を築き上げることが重要だと気がついた。それは、この人物にとっての数年間の疑問である「どうやって生きるのか」についての答えの端緒を見出したともいえる。このときのことについてスプラグは、「ようやく家に帰る時が来たと思いました。そして、「複雑だから、辛いからという理由で、何かを敬遠するようなことはしたくない」とスプラグは振り返る。だから、もう一人でいるのはやめようと思いました。もう1人でいるのは嫌だと思った」と話している。


彼女は2019年6月、フローリストの残りのメンバーであるリック・スパタロ、ジョニー・ベイカー、フェリックス・ウォルワースと再び会い、レコーディングに取り掛かった。セルフタイトルへの制作環境を彼女はメンバーとともに築き上げていく。バンドは、アメリカ合衆国の東部、ニューヨーク州を流れるハドソン渓谷の大きな丘の端にある古い家をフローリストは間借りし、その裏には畑と小川があった。スプラグとスパタロは先に家に到着し、自然の中に完全に浸ることができる網戸付きの大きなポーチで機材をセットアップすることに決めた。これらの豊かな自然に包まれた静かな制作環境は、このセルフタイトル『Florist』に大きな影響を与え、彼らに大きなインスピレーションを授けた。フォーク音楽と自然との融合というこのアルバムの主要な音楽性はこの制作段階の環境の影響を受けて生み出された。もちろん、アルバムの中に流れる音楽の温もりやたおやかさについてはいうまでもないことである。これらのハドソン川流域の景色は、このメンバーに音楽とは何たるかを思い出させたとも言えるだろう。


 



その結果、驚くべきフォーク音楽、まさにコンテンポラリーフォークの要素に加え、アンビエントのように生活環境のある音が実際の音の素材としてとりいれられたことは自然な成り行きであった。このセルフタイトルでは、鳥のさえずり、木々の柔らかな風、葉のかすかなざわめきがふんだんに盛り込んだレコーディングとなった。それはほんとどこの四人組が自然のなかに響いている音楽の美しさに思い至り、それを多彩な手法で取り入れていることがこの作品の多くのリスナーを魅了する理由ともなっているようだ。「6月9日の夜」には、アンビエント・フォークの背後にコオロギの鳴き声が聞こえるし、「ギターと雨のためのデュエット」では、バックの土砂降りが、指で弾く繊細なリフに完璧に寄り添う別の楽器のように聴こえる。また、"Finally "では柳のようなシンセサイザーが流れ、川や鳥、花などのモチーフが散りばめられ、穏やかなハーモニーを奏でている。実に、ハドソン渓谷にある生きた音を実際の三宝リング、そしてシンセサイザーといった多角的なアプローチにより練度の高い作風となっているのです。


しかし、ニューヨーク州のハドソン渓谷での録音はお世辞にも実際の作風とは裏腹に、ロマンチックな制作環境とは呼べなかったようだ。このレコーディングの環境は、作風の中に見える表向きのイメージとはまったく異なるもので、「科学的、臨床的な観点から言えば、あそこで活動するのは最悪のアイデアだった。私たちが作ったものは、すべて楽器店に一旦持ち込まなければならなかった」とジョニー・ベイカーは言う。「いや、でも、あれは衝動的なものだった。彼らは、あのポーチを見て、あそこで魔法が使える、これは物語の一部になり得ると思ったんだ」。


これは冗談ではない。彼らは親密な関係を通して、魔法のような魅力を持つアルバムを制作している。互いへの信頼は、このアルバムの中にみえる緊密なストーリーを通して目に見える形で表れている。彼らはシームレスに連携しながらも、Floristは単一の生物になろうとするのではなく、全体が機能するために彼らだけが果たすことのできる特別な役割を全員が持っている生態系全体になろうとしているのである。 

 

ポーチでの即興ジャムセッションから生まれた即興インストゥルメンタル曲「Sci-fi Silence」での羽のようなボーカルの楽な融合も、このアルバムにはお互いを信じる気持ちがあり、誰かが自分を完全に見ている時にだけ感じられる安心感を与えている。作品全体に漂う奇妙な温もり、それは彼らの信頼関係が表れ出たものなのだ。その後、しばらく、バンドメンバーは自分たちがお互いに感じている純粋な「魔法と愛」をどのように捉えられるかを考えていた。そして、レコーディングの後に完成した『Florist』でばらばらとなっていたピースが揃い、セルフタイトルにふさわしい作品として出来上がった。



「このアルバムがいかに特別なものであるかと気づかせてくれた」とジョニー・ベイカーは言う。でも、このアルバムを作っていた時、「待てよ、これは特別なことだ、僕たちはこれに惹かれ、これを必要としている、そして僕たちはお互いを愛しているんだ」という瞬間があったんだ。それ以外の他の言葉では表現できない。突然、その辺の言葉や、実際に意識的に理解したような気がしたんだ」。


このアルバムの音楽には、彼らの生活がそのまま反映されている。ウォルワースが作ってくれるストロベリー・ルバーブ・パイ、ワインを優雅に飲む夜、そしてレコーディングを始めることになった午後5時まで、ただメンバーが一緒に過ごす日々の音が聞こえてきそうでもある。彼らの利害関係を超えた、ビジネス関係を超越した温かで純粋な友情はこのアルバムにも表れ出ていて、実際の音楽の温度にぬくもりや優しさのような情感をもたらしている。「あなたは私が持っているものではなく、私が愛しているものだ」というような曲に見られる歌詞だけでなく、最小限の、しかし、意味のある楽器演奏に見られる繊細さをしたたかに物語るものとなっています。

 

セリフタイトル『Florist』の最大の魅力、この数年間で見出した人生の素晴らしさをフローリストのスプレイグは次のように話している。それは音楽の価値にとどまらず、魅力的な人生を築き上げる上での教訓、見本のような言葉が込められている。「これらの曲の多くは、自分の人生にいる人々について、また、自分の人生に人々がいること、また、いないことのどちらが価値があるかということについて書かれています。これらの曲は、家庭や家族と再びつながることの強さと力を見いだし、たとえそれがちょっとした苦痛に感じたとしても、その反対側にありありと見えてくるというものです」と、エミリー・スプレイグは語っています。「きっとだれだって心から人を受け入れるのは怖いだろうし、何かを失うことへの恐怖は常に人生につきものなんだと思います。それでも、今回、私達がリリースした19曲を収録した『Florist』は、”お互いを愛する”ことが、この世界を生き抜くためのたったひとつの方法であることを証明しています」

 

それはこのアーティストから提言であり、必ずしも、その考えを押し付けるものではない。こういった考え方もあるとだけ示しているだけである。それでも、わからないなかでもなにかをわかろうとすることの重要性、フローリストは、この作品でそのことをわたしたちにおしえてくれる。それがこの作品のいちばんの魅力といえるかもしれない。セルフタイトル作でフローリストは、2つの選択肢をわたしたちに示してくれている。人間は、いつも、ひとりで孤独に生き、複雑な人間関係を避けることにより自己を守ることもできる、あるいは、また、エミリー・スプラグが言うようにこの世で誰かと緊密に協力しあい、「彼女は、鳥の歌の中にいる、彼女は消えない」と暗喩的に歌う「Red Bird Pt. 2(Morning)」に象徴されるように、複数の人間関係の中でいくつかの困難を乗り越えながら、その先にある開かれた愛を経験することもできる。

 

 

 

 

 

『Florist』 

 


Listen/Streaming Official: https://lnk.to/florist

 



Art Moore Photo:Ulysses Ortega

 

 今週末にデビューを控えているArt Mooreのヴォーカリスト、テイラー・ヴィックは、「最近、私は知ったのですが、たとえば、目を閉じてリンゴを想像してくださいに言っても、何のイメージも浮かばない人がいるそうです。ところが、私の場合、目を開けても、閉じても、頭の中にあるものがはっきりと見える。私はよくその中で迷子になることがよくあるんです」と話す。


この偉大な想像力は、8月5日にリリースされるこのカルフォルニア州オークランドを拠点に活動するトリオのセルフタイトル・デビューアルバム『Art Moore』に反映されている。過去10年間、Boy Scoutsという名義でフォーキーなシンガーソングライターとして活動してきたヴォーカリストのテイラー・ヴィックは、Ezra Furman(エズラ・ファーマン)とのコラボレーションとしてお馴染みのSam Durkes(サム・ダークス)とTrevor Brooks(トレヴァーブルックス)とタッグを組んで、インディー・ポップのヴィネットを喚起するこの記念すべきデビューレコード『Art Moore』の制作を行った。その中のシングル「Snowy」では、ヴィックは、最大限に自信の持ちうる想像力を発揮し、それは文学的な表現性にまで到達しようとする。

 

テイラー・ヴィックは、作曲の際に文学的な創造性を元に何らかの楽曲を生み出す。彼女はあろうことか未亡人になった自分を空想し、冬のドライブに出かけるというイマジネーションまで溢れ出てくる。また、他の曲、"Muscle Memory "では、半ば偶然に元ボーイフレンドの家を通りかかり、昔の待ち合わせ場所に腰を下ろし、失ったものを再び取り戻そうとする様子を描いている。そこにはまプルースト的な連想作用が音楽上のストーリーとして紡ぎ出され、繰り広げられていく。


ボーイ・スカウツで題材に置くような個人的かつ実際的なエピソードとは異なり、これらの出来事は彼女の空想であり、実際に起こったことではないと付け加えておく必要がある。しかし、その中にある感情的な真実は、とてもリアルなものとして描き出される。夢見がちでありながらそこには現実性が淡々と表現されているのだ。一体、これはどういうことなのだろうか??


テイラー・ヴィックは次のように話す。「私は、頭の中に、あらかじめイメージを用意しておいて、それを元に話をじっくりと組み立てていくんです。例えば、散歩をしてて、"しまった、また、この人の前を通ってる "と思ったら、頭の中で "言いたいけど、絶対言えない "という奇妙な会話を一人でする。それでも、私生活と距離を置くことで、このことをさらに実験してみようと思ったんです。これは私が経験したこと "というのとは違う意味で、とても個人的なものなんです」



アート・ムーアは、どのようにトリオとして活動するに至ったのか。テイラー・ヴィックとトレヴァー・ブルックスは数年前、コーヒーショップで一緒に働いているときに出会い、もうひとりのサム・ダークスは、ブルックスと一緒にエズラ・ファーマンのツアーに参加したときに彼女の音楽に初めて出会い、長い間、テイラーヴィックのソロ・プロジェクト・Boy Scoutsの大ファンであった。彼は、テイラー・ヴィックが彼とエズラ・ファーマンのスタジオに参加し、『セックス・エデュケーション』のサウンドトラックの曲を共同制作したとき、最初に共同作業を行った。

 

サム・ダークスとトレヴァー・ブルックスは、今回のデビューアルバム『Art Moore』を、それぞれの自宅からインストゥルメンタルで曲を完成させ、それをテイラー・ヴィックに音源ファイルとして送り、バックトラックが完成した後にヴォーカルラインを書き下ろしてもらった。レコーディングの際には、シンセサイザーやドラムマシンが使用されている。そして、彼女のソングライティングに影響を及ぼしたのはインディーロックではなく、むしろメインストリームにあるポピュラー音楽、Tears For Fears、Beyoncé、Carly Rae Jepsenの楽曲であったという。


テイラー・ヴィックは、音楽を咀嚼する上で、自分で実際にその音楽を声に出して歌ってみる。聴くという行為は受動的であるが、歌うという行為は能動的なものである。ギタリストが実際のリフを弾いて演奏して上手くなっていくのと同じように、このアーティストも実際に歌うことで、これらのビックアーティストの音楽を体感的に習得している。しかし、それはそれほど深刻なものではなく、心楽しい趣味のような形で彼女の音楽性の中に取り入れられている。それは、ヴィックの実際の話しからも汲み取れるものである。「私は、いつも他人の音楽に合わせて歌うのが好きで、特に自分の音楽と違うものほど好きなってしまうんです。特に、自分の曲と全然タイプが違う曲なんかは。しかも、歌を歌うことのほとんどがパンデミック発生後だったので、本当に楽しくてたのしくて、歌うことは、地獄からの脱出のような気分でできることだった」


一方、このデビュー・アルバム制作のもうひとりの重要な立役者といえる人物がサム・ダークスである。最初のヴィックのデモトラックをより洗練された音楽性を引き出すいわばプロデューサー的な役割を担うダークスは、「アルバムの制作は自由で、本当に実験的なことだった」と説明している。「自分たちが思うやりたいことは何だってできたし、何の目的もなかった。ただ楽しむために、創るためにこれらのトラックリストを制作した。このアルバムを作るまでは、ドラムマシンやシンセサイザーをほとんどいじったこともなかった。でも、何も知らない状態でとりあえずそれをやってみて、みんなが”すごい!”って言ってくれるのは、本当に気持ちがいい。すると、不思議なのは、その後より良いアイディアがどこからともなく次々に生まれ出てくる」


また、『Art Moore」が制作される過程で、トリオ間での人間関係の適度な距離感というものがむしろより良い作品が生み出される段階において功を奏したとも言える。2020年のパンデミック混乱と恐怖の中、フロントパーソン、ヴォーカリストとしてこのトリオの音楽に鮮やかな息吹をもたらすテイラー・ヴィックにとって、それほど親密さを必要としない音楽にじっくり取り組んでいくことは、自己の音楽性にしっかりと向き合う時間を持てたということもあって、かなり安心感を与えられるものとなった。アート・ムーアの面々は、オンライン上で楽曲のやりとりを重ねながら、互いの人間関係を尊重し、ほどよい距離を保ちながら音楽を作り上げることが出来た。

 

 Anti-から今週金曜にリリースされるデビュー・アルバム『Art Moore』は、テイラー・ヴィックの創造性が生み出したものであり、文学的な才覚がいかんなく発揮されたものとなっている。それは言い換えれば、つかず離れずの適度な人間関係の距離感、おおらかな気風、過度なライブツアーを避けることによりもたらされた時代的な偶然の産物といえるのかもしれない。また、他者からの過度な影響や干渉を避けたことにより、このテイラー・ヴィックというアーティストの他では見出すことの出来ない性質のようなものが絶妙に引き出された作品と呼べる。

 

「とても自由な感じがしたのは、このアートムーアというプロジェクトに惹かれた大きな理由だった」とテイラー・ヴィックは話している。

 

「私は、個人的な出来事を歌詞として書きとめるのがすごく好きなんです、人生の中で、このパンデミックの時期にはちょっとだけ休憩を取りたいと思っていた。そういうのも良いんじゃないかって。パンデミックに巻き込まれた気持ちなんてそのまま書きたくなかったし、書いたとしても、どんなふうに書けば良いのかわからないと思って。でも、もしこれらの曲を(ツアーで)ノンストップで演奏していたら、このデビュー・アルバムは、多分、全然雰囲気の異なる作品になったと思う」とテイラー・ヴィックは、以前のボーイ・スカウツの音楽性を引き合いに出すかのように次のようにジョークを交えて語っている。「もちろん、アート・ムーアの音楽は、私の強烈な失恋ソングを毎晩のように演奏するのとは、時々、まったく意味合いが異なるわけで・・・」


 現代のアバンギャルドロックを象徴するロンドンのトリオ、ブラック・ミディは、2018年にはすでに完全に音楽的に洗練されていた。彼らはサウスロンドンのパブやダイブ、スウェットボックスのステージに、カウボーイハットの影に顔を隠したティーンエイジャーとしてロンドンのシーンに台頭しようとしていた。「ロンドンで最高のバンド」とポスト・パンク界の重鎮、シェイムは宣言し、不穏なほど素晴らしく強大なグループを見るためにライブに足を運ぶよう人々に要求したのだった。


さて、ブラック・ミディが英国のリアルなシーンに登場した瞬間、オンラインには1曲も存在しなかった。バンドの出自に関する情報もほとんどない中、ブラックミディの伝説は口コミと希少性から広まっていった。どんなビデオも、どんなパフォーマンスも、それがどんなに不合理な時間や場所であったとしても、貪欲にそのバックボーンを求めて音楽は解体されていった。イギリスの大手音楽メディアNMEの2018年の見出しには、ーブラック・ミディの正体:誰も知らない「ロンドン最高のバンド」ーとセンセーショナルな言葉が銘打たれていた。しかし、NMEの見立ては当たっていた。この後にブリット・アワードにノミネートされ、「bm bm bm」の狂気的なライブステージを行い、観客を熱狂の渦に取り込むまでの道筋がここに見えていたのだった。


どんなバンドでも、これだけの存外な注目を浴びれば、過分のプレッシャーにさらされることは必然。しかし、black midiにとって幸運だったのは、その負担を肩代わりする天賦の才に恵まれていた。2019年に公開されたアメリカの放送局『KEXP』での演奏は、なぜ彼らがファンの憧れの的であったのかがよく理解できるものであった。クラウト・ロックの後継者として台頭したブラック・ミディの音楽は一種の現代詩であり、技術的、文章的な不調和のめくるめく大混乱である。

 

これは誇張ではない。アメリカの音楽メディア、Pitchforkは、black midiのマーキュリー賞にノミネートされたデビュー作『Schlagenheim』のレビューで次のように評した。「見ていてすぐにわかることが2つある:black midiの全員がおよそ8歳のように見え、彼らのドラマーは絶対的な伝説である。このグループのあらゆる要素がそうであるように、並べると意味が不可解である」

 

ボーカル・ギタリストのグリープは、いつも英国紳士を思わせるファッションに身を包んでいる。いつもきちんとしたシャツとズボンを身につけ、一昔前の前衛作家や哲学者のように、不思議な貴族的な雰囲気を漂わせている。しかし、最も最初にこのバンドを聞いた際に印象に残るのは、どこにでもいるような、あるいは、どこにもいないような、そして、曲ごとにキャラクターが七変化する英国訛りのある彼の特徴的なボーカルである。マイクの前では、スプーンからこぼれ落ちる糖蜜のように音節が流れ、言葉を不気味な形に変形させたり、ありえないフレーズを作ったり、それはシアトリカルで、演劇のような壮大さをもって言葉を投げかける。


バンドのベーシストであり、時にはボーカリストでもあるピクトンは、ベーシストにありがちな控えめな性格で、静かに自分の意見を述べ、考えを終える前に途切れさせる傾向がある。しかし、彼の楽器を介してのフレージング、実際の演奏は、精密機械のように精確に行われ、その能力を極限まで引き出し、そして常に最前線を行くものである。アーチェリー、ドラム演奏、戦闘機など、あらゆるゲームで、彼がリーダーボードのトップに立つのは、驚くべきことかもしれない。


そして、多くのファンを魅了した脅威のドラマー、シンプソンは、楽しむためには妥協を許さない楽観主義者で、おおらかに演奏を楽しんでいる。彼の演奏を見ていると、その表情は幸福感に包まれ、自分のパートを完璧にし、そして神業のような速さでこなす。彼らは音楽的なアーミーナイフのような鋭さで、曲そのものを分解し、聴いている人たちを完全に圧倒してしまうのだ。


しかし、black midiのようなバンドを、彼らのサウンドを育む土壌となったライブ環境でのパフォーマンスから取り除くと、何が残るのだろう??

 

最新アルバム「Hell Fire」が制作されたロックダウンの2年間は、「バンドにとって最高の2年間だった」とジョーディー・グリープは語っている。シュラーゲンハイム後の熱狂的な勢いと絶え間ない世界的なツアーによって、めったに許されない贅沢な時間になってしまう恐れがあったのだ。


2枚目のレコード『Cavalcade』の制作がひとくぎりついたのは、2020年3月に先立つ数ヶ月のことだった。この時点で、バンドは新しい方向性、新しいダイナミズムを培っていた。そのため、CavalcadeとHellfireは、血のつながった兄弟であり、新鮮でオペラティックなセンスを持った同じ光景のための第二幕となる。「Cavalcadeをリリースした後、無期限の休みを取ったことで、私たちは基本的に、音楽とカットを考え出す方法の全体のダイナミズムをシフトしました」とグリープは説明する。「それはまた、僕らを前へ前へと押し出していき、底知れない穴の中へと入っていくようなものだった」


彼らは曲に専心して取り組み、その後、散発的なリハーサル・セッションで一緒に、そのアイデアを形にして曲としての練度を高めていった。「ファースト・アルバムでは、セクションを無限に追加していける感じがしたという。「一人でやっていると、曲に対してもっと野心的になれる」とグリープは付け加えている。「ちゃんとした、とても複雑なコード進行やシークエンスができるし、もっと時間をかけて物事を解決することが出来る。それぞれのコードチェンジがどこで終わるかを議論したり、迷子になったり、全体的なまとまりがなくなったりすると、全体が変わってしまう。また、より、決定的なことができる。そうだ、この曲だと簡単に言える。一方、全員が一緒に作業しているときは、お互いを持ち上げようとする傾向がよくあるんだ」。


彼のやり方はまた、効率的な方法であることが証明された。シュラーゲンハイムに命を吹き込んだとき、彼らは曲のすべてのセクションやリフについて他の意見を伺うという退屈な作業をしなければならず、最終的に曲を決定するためには、数ヶ月とは言わないまでも、数週間はかかった。

 

「Schlagenheimを完成させた後、2曲作るのに1年かかったのに対して、このアルバムでは15曲作るのに6ヶ月で十分だった」とピクトンは言う。そして、結果、『Hellfire』は野心と経験の個人的な欠片から作られた記念碑となった。「もしパンデミックが起こらなかったら、世界的な悲劇であることは明らかだけど、最近の2枚のアルバムは作られなかっただろう。だから、正直なところ、本当に利己的でクリエイティブな観点からは、とても素晴らしいことだったんだ」と話す。


しかし、何よりも、パンデミックは、ミュージシャンとしての互いの信頼関係を強化するのに役立った。「そもそも僕らがバンドである理由なんだ」とグリープは言う。「お互いのやること、考えることを貴重なこととして受け止めている。だから、もし、誰かが自分の書いた曲を持って来て、それに強いこだわりを感じたら、実際に一緒に行って、見栄えがするところまでディレクションさせる」と言う。彼らの好みはブラックミディの中にも散在しており、音楽に対する評価は、非常にアカデミックで、北アフリカのフラメンコ・フュージョンと並んでイゴール・ストラヴィンスキーの『春の祭典」のように聞こえても大きな間違いとも言いがたいのである。


Black Midiのストーリーテリング、世界観の確立の才能は、『Hellfire』でこれまで以上に前面に押し出されており、様々な意味で、この分野の最近のレコードの中で最もプログレッシヴ・ロックであり、演劇に近いものとなっている。このアルバムでは、ドラマチックなモノローグが盛り込まれており、それぞれの曲は、どんどん広がっていくアンソロジーの中の短編小説のようなものである。

 

この作品、Hellfireは、音楽的な功績をもたらしたのと同時に、文学的な業績をもたらしている。短編小説のように歌詞を書くことは、常に意図していたことだとジョーディ・グリープは話している。「一文を無駄にすることができないので、本当に立派なジャンルだと思います。たった10ページで、信じられる具体的な世界を構築できるなんて、本当にすごいことだと思います」


彼は以前にも文学への愛について幅広く語っており、ウラジミール・ナボコフの『ペール・ファイアー』やジョン・チーバー、リチャード・イェーツの作品を挙げ、作詞家としての彼独自の声を形成してきたと述べている。「特にイェーツは、一般的にはかなり鬱陶しいと思われている作家の一人なんだ」


笑っていいのか、呆れていいのかわからない、というシュールできわどい感覚は、black midiの歌詞の中心に置かれているものである。ジョーディー・グリープは、売春宿を描いた "The Defence "の歌詞について、「ユーモアとよく練られた詩が、かろうじて隠されている堕落から目を逸らしていると指摘する。「キャメロンの曲は、もう少しストレートなんだ」と彼は言う。


彼らのディスコグラフィーの各レコードと同様、ピクトンは、ボーカリストおよびリリシストとして光を放つトラックを1、2曲持ち込んでおり、それらはしばしばバンドの最高の瞬間の一部となっている。「そう、'Still'は基本的に別れの曲だから、ちょっとした引き立て役にはなる。それから『Eat Men Eat』は、殺された男たちがワインになる話だけど、真ん中にラブストーリーがあって、それがすべてを上手くまとめている。別れは大量殺人ほど深刻ではないけれど、どちらも光と闇がある」。シンプソンはさらに「戦いの最中にはそうかもしれない」とジョークを飛ばす。


最新アルバム『ヘルファイア』の登場人物の大半が、よく言えばアンチヒーロー、悪く言えば完全な悪役という、道徳的に欠陥のある人物なのはなぜなのか。それは、「ユーモアとペーソスというか、そういうものを出すのにいい機会だから。最高のキャラクター、本当に好きなキャラクターの多くは、本当に見てみると、かなりひどい人間で、かなり欠点があるんだ」というのだ。

 

そして、グリープは、これらの奇想天外な作風について、実生活を暗示するものだとも述べている。「基本的に、僕がやっているすべての曲は、実際の考えや状況、感情から始まり、それがひどく誇張されているんだ。その多くは、僕が考えたり経験したことなんだけど、より面白くするために極限まで誇張している」

 

さらに、この不可解にも思えるグリープという人物を最も歪みなく映し出していると思われる楽曲が「27 Questions」である。「27 Questions は彼の視点から見て、アルバムの中で最もパーソナルなトラックなのかと言う点については、「そうかもしれない、そうかもしれない」と肯定もせず、否定もしない、この思わせぶりなところがグリープという人物の魅力一側面なのである。


こういったバンドのファンによく見受けられることは、新作アルバムはファンの間でも様々な解釈が行われており、また、様々な分析が行われている。black midiのファン層はほとんどカルト的な熱狂ぶりを見せており、彼らがオンラインで投げてくるヒントを分析するのが何よりの楽しみなのだそう。彼らの3枚のアルバムにまたがる、この交差する物語の広い世界をじっくりと堪能することは、人生を退屈させないための一つの方法だとピクトンは教えてくれた。ジョーディー・グリープは、「これは小さなカンニングペーパーであり、また将来の曲のための担保のようなものを提供します」と説明する。「すでに書いた曲と漠然とした関連性を持たせることで、より深みのある曲に見える。そうすることで、実際よりもずっと大きなものに見えるんだ」と。

 

 


 

 

 『Hellfire』を書いたとき、彼らはオーディエンスを意識していなかったのだろうか。もし、不幸なヘンゼルとグレーテルにパンくずの跡を残すような手法で書かれたのであるとするなら・・・。「そうでもない。これは自分たちのために書いただけだ」とグリープは述べている。「でも、少なくとも、常に曲を書くときには3人の観客がいるわけだし、半々かもしれないね。世間では、ブラックミディの方が自分たちよりも真剣に受け止められている」「うん、ある種の人たちは、僕たちの音楽を理解するのにすごく苦労しているかもしれない」とシンプソンは言う。「レコーディングでは楽器に打ち込みながら、一方でステージでは笑顔で飛び跳ねたり、おどけたりするバンドはそうそういない。それが理解されない理由のひとつと思う。でも、そんなことはどうでもいい。結局、自分たちがやっていることをただ楽しめればいいんだよ」


ジョーディー・グリープは、さらに付け加える。「僕たちは、音楽を真剣にやっているけど、自分たちのことは真剣にやっちゃいない。どの曲も、歌詞の中では適当なことをやっているように見えるかもしれないけど、決して適当なことをやっているわけじゃないんだよ。僕らの音楽は常に考え抜かれている。そのことが評価されるのか、それとも不利になるのかはわからないことだけど」


耳の肥えた国内外の批評家から、一貫して熱狂的な喝采を受けてきたバンドとして、彼らが20代になったばかりの3人の若者であると考えると、アルバムをリリースする毎に、クリアすべき期待のハードルは不当に高くなっているのではないだろうか、とも思われるが、「私は、自分たちが作っているもの以外のことは気にすべきではないと思う」とシンプソンは述べている。「誰かが自分の曲について言ったことを気にして、眠れない夜を何日も過ごす必要はないでしょう? プロのアーティストになるということは、自分が作ったものに対して人々が意見を持つことにみずからサインすることなのだから。そのことに大きなストレスを感じたり、心配したりする必要はないんだ」


グリープは「そういうのは避けられないから仕方がない」とシンプソンの考えを肯定している。「誰にでもここをこうしておけばとかいう自責の念というか、そういうものはたしかにあるんだけど、だいたい頭の中の声が "誰が気にするんだ、そんなこと!! お前、しっかりしろよ!! って言ってくれるんだ」ドラマーのシンプソンは、グリープの言い回しに怪訝そうにする。「ええ、頭の声だって...?」その時、グリープは一瞬、友人たちに向けるような本来の威厳を取り戻す。「ああ、その声は、時に必要なんだ」とまるでバーで酒を飲み干すマフィアのように、多くの人格のひとつになりきろうとする。「一般的には、その肯定的な声が是非とも必要なんだ」と。


ブラックミディがミュージックシーンに登場した2019年、多くの誤解があったように思える。でもこれは、常に空白を残すことに満足しているバンドの必然的な結果である。まず、第一に、このバンドが評判を高めるための方法には、何の計画性もなかったということ。彼らは、イメージやソーシャルメディアのフォロワーを獲得するための典型的なルールに絶対に従わなかった。それは、彼らにとってバンドとして成長していく過程で自然なことではなかったという単純な理由による。トリオの強みは、楽器の性能を最大限に引き出すこと、一緒に楽しく演奏することにつきた。ブリクストンのザ・ウィンドミルなどでの50人規模のライブを経て、彼らはパンデミック中に名声を得た多くのアーティストが欠いていたパフォーマーとしての足腰を鍛え、強い基盤を着々と築き上げていく。ファンの裾野をイギリス国内にだけでなく海外にも広げていったのだ。


また、ブラックミディの作品に利己心が感じられないのは、現在の音楽のあり方に対する抵抗である。ピクトンは振り返る。「ツアー中、多くの人が僕らのところにやってきて、『とても奇妙だな、君たちは40歳の男だとばかり思っていたよ』って言われるんだ」しかし、肝心なのは、メンバー個人はバンドの目的とは関係がないということ。だから、TikTokでメンバーの個性を表現するのは時間の無駄、しかも、ソーシャルメディアで自己アピールを続けることが第一義になること、それは彼らのファンやオーディエンスがブラックミディに真に求めているものではないと彼らは痛感している。自分たちの使命に忠実な彼らは一度もバンドであることに妥協を強いられたことがない。


 さらに、このバンドを語る上で欠かせないのが、南ロンドンにある有名だがあまり知られていないパフォーミングアートスクール「BRITスクール」の存在だ。既に世界的なミュージシャン、アデル、エイミー・ワインハウス、FKAツイッグスなどの卒業生を輩出し、その評判は、この学校に通えば素晴らしいキャリアが手に入るという、特権的な学校であるかのような錯覚に陥らせる。多くの人は、ブラックミディのBRITスクールとの関わりを、彼らの信用を損なうものとして看過し、中には卒業生が業界内の観葉植物であるとまで指摘する人もいる。「20歳未満で音楽業界で何らかの成功を収めている人は、それがどんなに真っ当で合法的なものであっても、レーベルの後押しがあったとしても、みんなとても疑ってかかるんだ」とピクトンは述べている。

 

グリープは、「まず、第一に、ここは私立の学校ではなく、無料なんです」と強調する。多くの人は、そこに行けばメジャーレーベルと契約できると思っていて、コースを修了すると、ここに血でサインしろ、これがお前のレコード契約だ、なんて笑っちゃうような冗談を言われるんだけど、そこにいる人のほとんどは、結局、音楽とは何の関係もないんです」。バンドは、この学校が自分たちの音楽へのアプローチ、キャリアの軌跡に、直接的な責任があったとまでは言いたがらないが、それでも彼らが心から愛した環境であり、この学校なしにはブラックミディも存在しなかったことは疑いを入れる余地はない。「この機関が多くの人に恩恵を与えているし、他の国でももっと利用されてもいいはずなのに、まるで邪道であるかのように言われるのはとても不思議ですね」とピクトン。「でも、それが何であるかということは、あんまり理解されていない。英国政府は、クリエーターに資金を提供しようとせず、STEMに注力しているんです。だから、BRITのような学校は一般的に悪いものと思われているのかもしれませんね」と。


このバンドに定着しつつあるブラックミディは本質が捉えにくいバンドなのかという問題については、フロントマンのグリープはこの考えを否定する。「そんなの関係ない。僕らが音楽を作っている唯一の理由は、それが僕らが本当に”聴きたい音楽”だからだ。それは自己中心的であったり、少し近視眼的であると思われるかもしれません。けど、ともかく、結局の、それは誰もが持っている同じ態度でしょう?」 シンプソンは次のように述べている。「一般的に言って、ブラックミディの音楽を最初の数回聴いた後、慣れてくるとすべてが手に取るようにわかるようになると思います。試行錯誤を続けたくなければそれで終わりでいいんだけど、僕らが信じているのは、素晴らしい音楽の中には、最初は把握しきれないものも常に存在するということ。でも、セッションの試行錯誤の過程で本当に好きなものを見つけることができる、それは作り手として報われる感覚なんです」と。「目は閉じても、耳は閉じられない、というのは本当なんだ」


ブラック・ミディの新作の題名は、『地獄の業火』と銘打たれている。それは私達が信じている迷妄のようものを、目に見えるような形で現したものなのか。地獄を信じるのか? それとも信じないのか?? でも、そのことはこの作品を語る上で重要とはいいがたい。フロントマンのジョーディ・グリープはこの作品のテーマに、人生の中で、何かを体験を通して発見するということに重点をおいているからだ。聞き手は、きっと、幾つかの曲を通じて、このトリオの超絶的な演奏で地獄という奇妙な世界を体験するだろう。「僕たちは、まず自分の人生を生きた上で、それから、そのことは発見されると思う」とグリープはこの作品を結論づけている。「ただ、これを面白い装置か何かと思うだろう?? いや、それよりも、僕たちみんなにいつか起こる絶望、寂寥感という重要なテーマについて書いている。つまり、ここで言いたいのは、僕たちはみんな、ある種の地獄の炎を一度くらいは感じたことがあるってわけなんだ」




Black Midi「Hellfire」 

 

 

 



Listen/Buy Official:


https://blackmidi.ffm.to/hellfire

 

 

・Amazon Affiliatre Link

 



二人のソングライター、エタ・フリードマンとアレグラ・ワインガーテンは高校時代に初めて出会い、純粋な必要性からMommaとなるデュオを結成した。以来、フックとイヤーワームにあふれたノスタルジックなオルト・ロックのレコードを3枚リリースしている。Mommaは、新しいレーベルであるPolyvinyl Recordsから3枚目のアルバム『Household Name』をリリースした。

 

Mommaの最新シングル "Rockstar "のミュージックビデオでは、バンドがBattle of the Bandsで演奏している様子から、VH1 Behind the Musicを真似て、バンドがランクアップしていく様子に移行するのが分かります。バンドが、ゴールドレコードを集め、チャートでトップになるにつれ、「それを認めるのは大変なことだ」と彼女たちは歌います。「ああ、私は彼らが望むものを手に入れた、私は本物のロックスターだ」と。まさにMommaはMTV全盛期のような時代のロマンにあこがれている。それは夢ごこちではあるが、まったくの絵空事ではあるまい。


ニューヨークのブルックリンを拠点とするインディー・ロック・トリオのMommaは、Etta Friedman(エタ・フリードマン)とAllegra Weingarten(アレグラ・ウィンガーテン、そしてマルチインストゥルメンタリスト/プロデューサーのAron Kobayashi Ritch(アロン・コバヤシ・リッチ)から構成されており、「ロックスター」に対する異質な憧れを抱くロックグループである。

 

Mommaの7月1日にリリースされた最新作『Household Name』は、過去に目を向けつつ、自信に満ちた威勢の良さ、真剣な遊び心を融合させ、全体的に同じような境地を歩む。このロックスターはまだ有名ではないかもしれないが、時間が経てばあなたを驚かせるかもしれない。 

 

 

 

 


"私たちは皆、永遠に、この仕事を続けるんだという会話をしたことがある"


- アレグラ・ワインガーテン


もちろん、当初のMommaの目標はそれほど高いものではなかった。Mommaは、ウィンガーテンとフリードマンが高校生のときに初めて必要に駆られて結成されたバンドである。「ライブの依頼を受けたとき、ギタリストがいなかったから、仕方なくアレグリアに頼んだんだ」とフリードマンは話している。そこから2人は、切っても切れない関係になり、ライヴ、レコーディング、ソングライティングをノンストップで一緒に行うようになった。アレグラのベッドルームの床で、フェアリーライトをつけ、マリファナを吸っていた」とフリードマンは初期の曲作りについて語るが、この手法はすぐに2016年のデビュー作『Interloper』につながったのだ。

 

初期の頃、そのレコードは、2人がバンドに対して抱いていた目標を大きく表していた。「サインをもらうとかそういうことは考えていなかったと思う」と、ウィンガーテンは言う。「ただライヴをやって、音楽を作って、たぶんミュージックビデオを何本か作りたかったんだと思う」


この控えめな目標は、Mommaのセカンド・アルバム『Two of Me』のリリースから少しずつ状況が変化し始めることになる。二人はそのチャンスを見逃すことはなかった。二作目のインディー・ロック・レコードは、登場時期(2020年6月)が成功を実現することを困難にしていたとしても、インディーズシーンで大きな注目を集めていたのだった。しかし、『Household Name』のリリース前、バンドと契約したPolyvinyl Recordsは、その熱狂性をを継続させることに成功した。

 

エタ・フリードマンは、高校時代から馴染み深いインディペンデント・レーベル、ポリヴァイナルと契約したことについて、「超現実的な話」と言う。フリードマンとワインガーテンは最近大学を卒業したばかりだが、これは2人の新進気鋭のソングライターにとって自分たちのやっていることが長期的な成功をもたらす可能性が高いということを認められたように感じられるだろう。


以後、バンドの活動方法も根本的に変わり、これまでにはなかったようなチャンスに恵まれるようになった。それが顕著に表れたのは、「Household Name」のレコーディングの時であった。これまでのアルバムでは、レコーディングは他の作業の合間に行われ、できるだけ早く何かを完成させるという明確な目標のもと、かなり急ピッチで進められていたという。しかし、今回、Mommaは初めて、じっくりと曲のデモを作り、練り直して、実際の制作に着手するようになった。

 

 

"このアルバムは、私たちがずっと鳴らしたいと思っていたような音を出すことができたと思える最初のレコード”


- エタ・フリードマン

 

 

「レーベルと契約し、ある程度の予算も与えられた。それが自分たちにとってどういう意味を持つのか、本当に考えなければなりませんでした」と、アロン・コバヤシ・リッチは言う。以前はストレートな方法で曲を書き、レコーディングしていたが、『Household Name』のトラックは流動的で、バンドが望む場所に到達するための時間が与えられるにつれて変化し続ける。その結果、Mommaはこれまでで最もタイトな曲のコレクションとなった。「Speeding 72」のような、決定的なリフと織り成すコーラスは、Mommaのこれまでのやり方を根底から覆すものではなかろうが、この曲がそのサウンドのベストバージョンでないことに異論はないだろう。


「Rockstar」のような威勢のいい曲を既に書いているかかわらず、Mommaはまだ何か証明するものが残されていると感じているようだ。『Household Name』は、バンドにとって大きなチャンスであり、時間と資金を与えられたバンドは、それなりの期待を背負っている。しかし、知名度の上昇に際して不可欠なものとなる外側からの強いプレッシャーは、Mommaが自分たちに課しているものに比べれば微々たるもの。コバヤシ・リッチは、「自分たちがどこまでやれるか試してみたい。本当にたくさん取り組んで、考え抜いたときにどうなるかを見たいんです」と話す。


Mommaは、これほど若いアーティスト集団としては印象的な方法を用い、バンドキャラクターたらしめている。「Rockstar」のビデオや、90年代のロックを強く意識したこの新譜に見られるノスタルジックな雰囲気は、バンド活動と並行してのフルタイム労働が高いハードルになっていることを自認するMommaにとって、決して無縁な話とは言いがたいものである。とはいえ、彼女たちは将来のヴィジョンに対しても臆することも悲観することもない。ウィンガーテンは、「私たちは皆、永遠にこの仕事を続けるつもりという話をしたことがあります」と言う。さらに、「わたしたちを束縛するものは何もない」とフリードマンは自信満々に付け加える。


『Household Name』を、Mommaのディスコグラフィ全体と合わせて聴いてみると、このバンドの成功を疑う理由を見つけるのは困難だ。何より、まるで3rdアルバムであるにもかかわらず、デビュー作ののような勢いと新鮮さよって彩られたロックンロールのマスターピースである。

 

このことについて、「このアルバムは、自分たちがずっと長らく望んでいたサウンドを実現できたと思える最初のアルバムです」とエタ・フリードマンは語っている。一見すると、無謀なチャレンジにも思えるMommaのロックスターへの憧れ、彼女たちはその階段を登り始めたばかりだ。しかし、それは最新作『Household』のリリースにより着実にゴールに近づきつつあるとも言える。

 

 

 

 

『Household』 Listen/Stream  : https://momma-band.ffm.to/household-name


 

Amazon Affiliate Link



 2021年の10月、最新作「Seventeen Going Under」を、ポリドールからリリースした後、サム・フェンダーの状況が一変した。それ以前にもレディングでボブ・ディランの前座を務めてはいたが、この最新作によって、サム・フェンダーはスターダムへの階段を着実に登り始めたといえる。この作品が数多くの若者の心をとらえたことについて、「特別な瞬間だった」と11月に自身のアカウントに投稿した動画を通して、サム・フェンダーは、TikTokのフォロワーたちに語った。「”Seventeen Going Under”がそのように人々の心に響いたことを僕は光栄に思います」


このミュージックビデオは、シェフィールド、ノース・シールズのシンガーソングライターのセカンド・アルバムのタイトル曲の一節を使用している。虐待、うつ病、苦難について長く続く会話や対話を喚起するために、何千人もの子供、ティーンエイジャー、若者からの投稿に応えたものであった。

 

サム・フェンダーは、この曲で、現在と過去の自己について描いており、力のなかった時代の自己にたいするやるせなさを込めている。自分や自分の愛する人たちを不当に扱った人たちに反撃する力も、また自分自身を本当に理解する能力もなかった10代の青年時代を振り返り、「私はあまりにも怖くて、彼を殴れなかったけれど、今ならすぐにでも殴ってやる」と力強く歌っている。

 

 「Seventeen Going Under」ーー『Seventeen Going Under』収録

 

 


 

この曲は、レコードセールスという側面よりも現在のネット世代で好意的に受け入れられ昨年に公開されたミュージックビデオの再生回数は現時点で1500万回という凄まじい記録を打ち立てている。この曲は、そういったレコードとして親しまれる一方で、Youtube世代の世界の若者たちに大きな称賛を受けている。インターネット上では、この歌詞は、虐待や有害な関係から抜け出せなかったり、家族のトラブルや10代の頃のトラウマが心に残っていると語る人たちの心を大きく捉えた。このミュージックビデオで、カメラは風に吹かれながら泣きそうになっているフェンダーを撮影しており、「私はあまりにも怖くて彼を殴れなかった」、そして、トラウマの反対側から落ち着いた姿を捉え、「でも、今ならすぐにでも彼を殴ってしまう」と歌うのである。

 

これはサム・フェンダー自身の心の痛みから、それを受け入れる内的な旅を映像として映し出したものだ。表面上では、勇ましく見える映像ではあるが、それは彼の心の弱さを受け入れ、そのことを力強く表現した素晴らしい作品である。ミュージックビデオのコメントで、サム・フェンダーは、家庭内虐待をめぐるヘルプラインやリソース、情報をファンにむけて紹介している。


「Seventeen Going Under」のリリースから2ヶ月、サム・フェンダーは「奇妙で信じられないほど心温まる」反応であり、自分がとても弱くなっていることを実感したと語っている。彼の歌は紛れもなく激しい反響を呼び起こし、目に見える変化をもたらしている。サムが無防備になったと感じているとすれば、それはこのアルバムの正直さの中に隠すものが何もないという理由によるものだ。彼は、このアルバムの中で自分の中にある思いを全て一つ残らず表現しているのである。

 


「40年間働いてきて、苦境に陥り、線維筋痛症になり、精神衛生上の苦悩を抱えている母について書いていたんだ」とフェンダーは「Seventeen Going Under」のバックグラウンドについて話す。

 

 僕の母は、DWP(労働年金局)から、働けるほど健康でないにもかかわらず、働けることを証明するように強要され、その結果、さらに難しい病気になったのです。それが10代の頃の一番の葛藤でした。僕は、当然のことながら、それに対して何かできるような年齢ではなかったので、内面の不満や怒りの多くはここから来ていますし、なぜ私がこれほどまでにトーリー党を憎むのか、という点でもあります。

 この曲をシェアしている、TikTokの子供たちの多くは、家庭内暴力、その他のトラウマの克服についての話もあり、これらのこころのトラウマの多くは、過去10年間の緊縮財政やパンデミックから来る葛藤や苦難から生まれたと思う」と彼は続ける。

 ーーー僕が歌の中で話していることは、この国の普通の人々にとって、ありきたりの普通の問題なんだ。多くの子供たちが私の歌詞を聞いて、"ああ、今、私の家で起こっていることを思い出すよ"と言ってくれることが多いんだ。


この曲のネット上やその他での成功の要となった歌詞について、フェンダーは次のように語っている。

 

 人生を通していじめにあった人の大半は、そういう感覚を絶えず持っているんだ。自分はタフじゃない、男らしくないという感覚。それらは、実をいうと、かなり有害な考えなんですが、私たちは何者かによって、これまでの教育によって強くあらねばならないと信じこまされているのではないでしょうか?  

 

 僕は特に複雑なことや知的なことを歌ったり書いたりしているわけではなく、ただ正直で、学者でもない普通の人のように話している。"僕はノース・シールズ出身なんだ。僕が歌で話しているのは、この国の普通の人たちの、ごくごく普通の問題なんだ。

 


2019年にデビュー・アルバム「Hypersonic Missiles」で登場して以来、サム・フェンダーは常に心から無条件に歌うソングライターである。初期のシングル「Dead Boys」では、「誰も説明できない」地元ノースシールズで相次ぐ男性の自殺を振り返り、サックスでブーストしたインストゥルメンタルと小さな町の不幸からの脱却を夢見る歌詞で、”ジョーディー・スプリングスティーン”というあだ名を手に入れた。ほかの多くのアーティストのデビューアルバムと同様、「Hypersonic Missiles」は、サム・フェンダーのミュージシャン人生の最初の時期から、何年も前の曲まで幅広く取り上げた。そのため、このアルバムは、大人のソングライターとしての彼の未完成の肖像画のように感じられ、歌手としての偉大さの片鱗はあるものの、作品としてはまとまりには欠けるものであった。これは言い換えれば自らの天才性をどのように操るのかに苦心していたとも言える。

 

 収録されている曲はすべて僕が19歳のときに書いたもので、その曲にのめりこんでさえいなかった。Hypersonic Missiles "のバックエンドに収録されているいくつかの曲はなくてもよかった。私はナイーブで若かったから、そうしないとその場しのぎになってしまうと思い込んでいた。だから、そういうものになってしまったんだ。

 

「Dead Boys」 ーー「Hypersonic Missiles」収録

 


 

それでも、明らかにサム・フェンダーは、昨年からシンガーソングライターとしての大きな成長が見受けられる。2021年にリリースされたアルバム「Seventeen Going Under」は、それ以前の2年間に書かれた、ダイナミックなベストコレクションとなり、フェンダーは自分の選択に対してより率直に、デビュー作の成功後に「より一歩前に足を踏み出す」ことが出来た、とも語っている。この2枚目のレコードのソングライティングは、サム・フェンダーが初めてセラピーの治療を受けた時期と重なっている。その過程で得た自己受容と理解は、そして、自分の姿を受け入れて、自分自身に自信を持つことは、取りも直さず、彼が子供時代を真摯に振り返り、ここまでどうやって生きて来たのか・・・、なぜ、自分はこうなったのか・・・、古い時代の亡霊を追いはらい、前向きに進み続けるために何ができるかを見出す際に大いに役立ったという。


 「Seventeen Going Under」は、私が最初に書いた曲で、パンドラの箱を開ける鍵のようなものになった。私の生い立ちの中で起こったことが、若い頃の私の自尊心に影響を与え、蝕み、形成したことを、ようやく理解し、明確にできるようになった。


 

10月初旬のアルバム発売以来、サム・フェンダー自身の言葉を借りれば、事態は「成層圏」に突入していったという。それは青天井とも言いかえられるかもしれない。人気上昇中のシンガーに、より大きな華々しい舞台を用意された。2019年当初から、長い間延期していたブリクストン・アカデミーのライブをこなし、11月には、ソールドアウトのアレクサンドラ・パレス公演を2つ控えていた。その2つの日程が情熱と怒りを交えて演奏される頃、春に行われる2つのウェンブリー・アリーナが近づいていた。次から次へとやってくるビック・アクトの数々・・・。

 

この頃、サム・フェンダーは、すでに最初の大きな成功の足がかりを作ろうとしていた。次の年の夏、Finsbury Parkで、Fontaines DC、Beabadoobeeなどのサポートを得て、巨大な野外ライブを行うことが決定していた。フェンダーの「成層圏に突入したかのようだ」という大袈裟にも思える表現は彼にとってかなり的を射た表現だった。もちろん、言うまでもなく、サム・フェンダーのアーティストとしての知名度の急上昇については、なにも表側から見えるもにとどまらなかった。「この2ヶ月の間に起こったことだけでも、まったく気が遠くなるようなことばかりだった」とサム・フェンダーは語る。リアルタイムですべての出来事を理解しようと務めていた。

 

 英国チャートに3週連続でトップ10に入り、Louis Theroux(ルイス・セロー、イギリスのジャーナリスト、英国、ロイヤル・アカデミーテレビ賞などを受賞している)が僕に話を聞きたいと言ってきたんだ。これは、ほんとにすごいことなんだよ。それに、あのエルトン・ジョンが毎週電話してきて、僕とおしゃべりしたがっているという。エルトンは、私にとって本当に良い友達なんですが、時にはそういった驚くべき出来事を受け入れるため、多くの時間を取らなければならないこともあります。

 

5年前、僕は、傷病手当金をもらって母親とアパートに一緒に住んでいたんだけど、今は自分のアパートにいて、エルトン・ジョンから電話がかかってくる。信じられない!! でも、そういった信じがたい事実を受け入れて自分がそれに値すると信じるように頭を調整するのは、とても難しいことなんだ。自分がそういったビックアーティストと関わりを持つに値するとは思えないし、ただ座って、"自分はここにいるべきではない "とも考える。これは運命の偶然なのか? こういったことを考えてしまうのは、私の出自、どこから来て、どう育てられたかによるものです。僕はいつもすべてがうまくいかないのをなんとなく待っているんです。これのどこが問題なんだ? 何かがうまくいかないで、ああなってしまうんじゃないかって悪い考えを巡らせる..... 


しかし、その困惑は、彼自身の現在の驚きべき環境の変化を言い表したものに過ぎない。人生の何かがうまくいかないことをある程度受け入れる一方、サム・フェンダーは、彼の辛辣で正直なリリックによって巻き起こったTikTokのトレンドを超えて、目に見える変化を生み出すため、自分にふさわしいかどうかにかかわらず、この出来事を善い方向に利用しようと決意した。今年初め、フェンダーはホームレスの危機にある人々のためのホットラインへの通話料が1分40ペンスであることに着目、ノース・イーストにある地元のホームレス支援団体とチームを組んだ。こういった社会的な活動をおこなった経緯について、フェンダーは次のように話している。

 

「ホームレスになりそうな人は、ヘルプラインに電話する必要があるんだけど、1分につき40ペンスもかかる」そこで彼は、Twitterの公式アカウントを通じて、すべての地方議会に適切な意見を言い、その後、実際的な行動によって、ノース・イースト全域のすべてのホットラインを無料に変更させたのである。これはひとちのアーティストが社会的に弱い人達を救った事例となるだろう。


しかし、サム・フェンダーは活動家ではない、あくまでミュージシャンとして生きる過程で、メディアやファンに媚びへつらうのではなく、目の前にある社会問題や政府の怠慢と真摯に戦う男なのだ。

 

 僕の友人たちの間では、自殺が大きな社会問題になっているんです。僕が『Dead Boys』を書いた後のことです。私の知り合いには、20代で神経衰弱になった友人もいる。英国政府は、この問題に対してあまり手を貸してくれませんし、福祉的な援助の手も差し伸べられない。友人のために危機管理チームを呼び出したのに、8時間も連絡がないことほど辛いことはない。危機的状況にある人にとって、8時間というのはとても長い時間なんです。

 

サム・フェンダー自身は、社会的な活動を行う傍ら、自身のライブアクト、アルバム制作も以前と変わらぬ頻度でこなし続けている。2022年のツアーを終え、ニューカッスルとロンドンを行き来しながら、次なるサードアルバムの制作のため、ニューヨークに向かう予定であるという。「次のアルバムは、正直言って、『Seventeen...』と同じような内容になると思う」と彼は言う。

 

2021年、クリスマス直前、ニューカッスルの自宅からイギリス国内の音楽メディアのインタビューに応じたサム・フェンダーは、1年間のツアーから帰ってくると、クリスマスの時期について、「通常、あのときは、僕にとって1年で最悪の時期に当たった」と回想する。 

 

 家に帰ると、すごくたくさんの思い出があり、それが引き金になり、いろいろなことが起こる。他方、ニューヨークでは、僕のことを誰も知らない。ニューヨークでは、多くの人たちが、僕が誰であるかは誰も知らないし、ただ歩きまわるだけでいい。特に家では、かなり気を遣うことになるよ。でも、ニューカッスルで有名になると、みんな愛と誇りと喜びで僕を迎えてくれるから、どこにいたって家にいるようなものさ!! 

 

フェンダーは、ニューカッスルの次世代のスーパーヒーローの型に当てはまる。いや、世界のスーパーヒーローといっても過言ではなく、既にサム・フェンダーはそうなりつつある。彼は、最近、同じジョーディの伝説的バンド、リンディスファーンのフロントマン、故アラン・ハルについてのBBCドキュメンタリーのナレーションを担当しただけではなく、今夏には、ニューカッスル・ユナイテッドFCの買収をセントジェームズパーク外で祝った後、二日酔いで、「BBC Breakfast」に出演し、イギリス国内で大きな話題を呼んだ。さらに、身近な環境の騒がしくなっていることについて、つまり、有名になると、妙に知り合いが増えることについて、フェンダーはスターダムの階段を着実に登るアーティストとして戸惑いを覚えているようだ。

 

 おばあちゃんとお茶を飲んでくつろいでいると、いつも家に誰かがやってきて、まるで古くからの友達のように僕を親しげにつかまえるんだ。分かった、分かった、君たち、ほら、写真をあげるから、おばあちゃんと一緒にいる時間をちょうだいよってね!


  「Get You Down」 ーー 「Seventeen Going Under」収録

 

 

 

セカンド・アルバム「Seventeen Going Under」で贔屓目なしに新世代のイギリスのミュージックスターに上り詰めたサム・フェンダーは、グラストンベリーで素晴らしいライブアクトをこなしたが、既に2022年後半の予定されている大きなツアーに照準を合わせている。「とんでもないことになりそうだ。フィンズベリーパーク、フェスティバルのヘッドライナー.に抜擢されるなんて.....ほんとにこれはすごいことだよ」と話す。

 

もちろん、サム・フェンダーは、大きなショーが複数予定されているにもかかわらず、常に自分自身を直視し、立ち位置から目をそらさず、これらのビックアクトに加え、以前のように小さなショーにも出演しつづける。上を見ながら下を向いて歩くことは、スターダムへの階段を駆け上るシンガーソングライターにとってどのような感慨をもたらすのか、自らの存在が自分の予想を遥かに上回る勢いで大きくなり続けている、変化しづけることに、一抹の不安を覚えるのだろうか??


「いや・・・、これはとても素晴らしいことだ!!」とサム・フェンダーはこの成功を肯定的に捉える。

 

 2ndアルバム『Seventeen Going Under』をリリースしてから、僕にとって良いドミノ効果が起きていて、それが続くように、と願っている。でも、2ndアルバムを発表してから、僕の身に起きたこれらのことは、身に余る光栄であり、それが起こり始めるまでは全く想像だにできなかったし、今でも全然信じられないように思えているんだ。そして、今はまだ僕はこれからどんなことができるのかについてはもちろん、どこへ行くことができるかさえ全然わかっちゃいない。今は、ただ、わからないんだ・・・。それでも、僕はただ黙って自分の仕事を全うするつもりでいる。

 

 

 

Sam Fender 「Seventeen Going Under」 Polydor

 

 

・Amazon Affiliate Link


現在の西アフリカでは、SIMカードやマイクロSDカードに楽曲をプリインストールして販売する小さな屋台が、CD生産の衰退後の風景を彩っている。やがて、携帯電話同士のBluetoothで直接曲を共有するユーザーも現れた。2010年代、アフリカで「WhatsApp」が普及し始めると、音楽を送るのに物理的な距離がほとんど意味をなさなくなった。しかし、共有されるのは、リンクではなく、目的地に届く確率の高い「高圧縮のMP3ファイル」。今日に至るまで、音楽の共有は、この地域の比較的弱いインターネットの制約の中で、何が現実的であるかに依存している。


このような西アフリカの砂漠地帯の音楽の背景が、ロックバンド、エムドゥ・モクターを有名ならしめた。

 

Mdou Moctor

 

西アフリカのギタリストのエムドゥー・モクターは、最初は、エレクトリック・ギターひとつない環境から音楽活動を始めた。親に反対されながら自転車のリールを改造し、それでギターを文字通り自作しはじめた。彼の身近な環境に、ギターの弦など存在してはいなかった。その数年後、バンドを組み、最初は、携帯のアプリを介してモクターは曲を公開し、その音源は西アフリカ全体にその知名度が行き渡った。数年後、誇張ではなく砂漠のロックスターになったのだ。

 

西アフリカの砂漠地帯のニジェール出身のアスーフ(トゥアレグのギター音楽)を奏でる彼は、日本では、ヘンドリックスの再来と持て囃されているが、いわゆる現代のクロスオーバー・スターである。2021年にリリースされたフルアルバム『Afrique Victime』は、ニューヨークのインディーロックの名門レーベル”Matador”から発売され、彼のジャンルの歴史を知らない聴衆にもモクターの名が知られることになった。もちろん、その評判は日本にまで轟くようになった。西アフリカの砂漠地方、ニジェールでは、彼は、ブルートゥース・シーンのスーパースターとしてよく知られている。そう今や過去のものとなりつつあるギターヒーローの再来なのだ。


エムドゥー・モクターは、初めて、自分の音楽を携帯電話で聴いたときのことを覚えている。私はアガデス(ニジェールの中心部)にいて、友人を訪ね、ニアメ(西へ1000キロメートル)に行こうとしたんだ」とモクターは語った。「そして、バスの中で、私は聴いていた。多くの人が携帯電話を持っていて、いつのまにか、みんなが私の音楽、私のギターを聴いている。そしたら、運転手も私の曲を流してくれた。そのとき初めて、自分の音楽が周囲で流行り始めていることを知った。すべては、自らの関与しないところで、自らのコントロールの及ばないところで起こったことだ。そんな風に自分の音楽を聴いてもらうため、何もしないなんてことはない」とモクターは語った。「そう、僕は、音楽のためにどこかの会社にいるわけじゃないんだ」


Moctarのベーシスト、Mikey Coltun(マイキー・コルタン)は、彼のバンドのメンバーの中で、唯一、アフリカのニジェール出身ではない。コルタンは、アメリカのワシントンDCで生まれ育ち、10代の頃から西アフリカの音楽を演奏してきた。ミュージシャンの父親は、マリのグリオ(西アフリカの儀式音楽で古くから存在する)であるチェイック・ハマラ・ディアバテとコラボレーションを始め、若きマイキーをバンドに参加させた。Coltunはその後、西アフリカ各地で複数のギグを行い、この砂漠のローカルなシーンに親しみを持つようになっていった。


マイキーコルタンは、Mdou Moctarの2013年のアルバム『Afelan』を初めて聴いたとき、すぐにモクターと一緒に仕事をしたいと思ったという。「私が演奏していた西アフリカの音楽の多くは」とコルトンは語った。「とてもクリーンなんです。古い世代の多くは、あまり実験をしたがらない。 それまでの音楽と比較すると、Mdouはどちらかといえば、パンク・ロックだった」その後、コルタンは、バンドメンバーにとどまらず、ツアー・マネージャー、運転手、マーチャンダイズ、ベーシストとして働き、Mdou Moctarは、全米ツアーを開始した。コルトンは、現在、アルバムのプロデュースも手掛けている。その後、モクターは、バスの中で携帯電話のスピーカーから流れる自分の音楽を聞きながら感激しているコルトンの初期の頃の話をした。「実は、彼はこれが俺だ! とは絶対言えないタイプなんだ」とコルタンは懐かしそうに語った。「誰も信じないだろうな。誰もミュージシャンのホントの顔なんて知らないんだからさ!」


バンド、アーティストとして名声を獲得する際に、大きな問題となるのが、商業主義、取り巻きとどのように付き合っていくかのかである。その点についてはエムドゥー・モクターをはじめとするメンバーは、資本主義社会と一定の距離を置きながら上手くやろうとしている。初めて一緒にアメリカツアーをしたとき、コルタンとモクターは、伝統的な「ワールドミュージック」的なアプローチを避けたいと思ったという。それは彼らなりの良心であり、西アフリカの音楽を売り物にはしたくなかったのだ。「座っている観客。とても分離しているように思えたし、とても白々しく思えた」と、マイキー・コルタンは、最初にツアーに参加した時代のことを回想している。

 

「ライブをして、お金が入ってくるのは良かったけど、本当になんだかそれが嫌な感じがしたんだ」。

 

その後、バンドは商業主義から距離を置く。ステージは低いか全く存在しない、その後、彼等は、ファンがバンドに群がることができる本物の「DIYショー」へ移行した。彼等は大きな作られた人工のライブを避けるため、祖国の西アフリカに戻った。それから、昨年に、ニジェールの砂漠で、ライブを決行し、ライブビデオも撮影された。電動機を持ち込み、アンプリフィターやマイクロフォンに繋ぎ、最低限の機材で演奏している。

 

エムドゥー・モクターのメンバーは、白いトゥアレグ族の民族衣装に身を包み、砂漠の中に円居し、ライブを行った。観客はひとりもいない。しかし、ニジェールの砂漠でのライブの途中、しぜん、空の上から陽の光が差し込んできて、現地の動物たち、羊たちが彼らのまわりに群がってきた。


その映像は、自然の動物たちが彼らのライブを聴きにやってきたとも見えた。こういった砂漠地帯でのDIYスタイルのライブを行うことについて、「それは(ニジェールの)砂漠で、結婚式でやるようなことだ。それはお祝いのように自然なことだった。また、そういったライブでは生命のエネルギーが溢れ出ているのがわかる」とコルトンは語った。「私は、人々が立ち上がって踊り狂うのとは対照的に、この座っているときのライブ環境は、実際に(モクターが)恐れ多かったように思う」


2022年までに、エムドゥー・モクターは、エレクトリック・ギターと西アフリカの民族音楽を融合した独特な作品をこれまでに複数残しているが、現代の新しい形式を取り入れることを避けているわけではない。2021年のオリジナル・アルバム「Afrique Victim」に続いてリミックスアルバム「Afrique Refait」を翌年にリリースし、電子音楽、最新鋭のダンス・ミュージックへのアプローチも試みている。リミックスアルバムのアイデアが不意に浮かんだとき、バンドは、すぐに、エジプトのノイズアーティストAya Metwalli、ケニアのグラインドコア・デュオDumaなど、アンダーグラウンドのアフリカ人ミュージシャンとのコラボレーションに魅力を感じたという。


東アフリカのウガンダ・カンパラにあるレーベル「Nyege Nyege Tapes」が、最終的にこのアルバムに参加することになった多くのリミキサーをバンドが見つける手助けをした。「正直なところ、社会的、政治的に見ても、これは、少々過激なものかもしれないと思ったんだけど、しかし、他でもなく、それこそが私たちMdou Moctarの根深いルーツなんだ」とマイキー・コルトンは力強く語った。「みんな、くだらないものを押し付けるんだ。リミックスアーティストから、曲のステムがばんばんこちらに送られて来て、好きにしていいと言われた。しかしリミックス・アルバムで聴くことができるのは、私たちが提出したもののすべてなんだ」と彼は語った。


「Afrique Victime」とリミックス・アルバム「Afrique Refait」は、エムドゥー・モクターの他の音楽と同様に、主要なデジタル音楽サービスで入手可能となっている。彼らのDIYスタイルの流儀は、活動を海外に移しても変わらない。それは、彼らが音楽の本当の魅力を知っていて、ライブの持つ生きたエネルギーに共感しているからなのだ。エムドゥー・モクターのこれまでにリリースされたアルバムについても同様で、生きたライブセッション、作り込まれていない生の音を彼らは何よりも重視している。

 

エムドゥー・モクターは、これまで多くの不可能を可能にしてきた。西アフリカの一人のギタリストが世界で有名になると誰が想像したのだろうか。それは彼がギターをやることを反対した彼の産みの両親ですら全然想像できなかったことである。そして、西アフリカ以外では、携帯とBluetoothのみで自分のギターを世界に広げていったエピソードはバンドの伝説となっている。2022年のリミックス制作を行ったあと、ムドゥー・モクターは、久しぶりに、故郷、西アフリカ、ニジェールに凱旋した。この数年間で、モクターの環境、そして、生きる世界はガラリと変わった。それでも、彼の「DIYの流儀」は十年前から何ら変わることがない。彼は最初の活動スタイルを何よりも重視している。エムドゥー・モクターは、どのような時代においても自分の音楽をアナログ形式の手渡しで広めることは、今でも重要な意味があると考えているのだ。「家でもそうだ」とモクターは語った。「家族のような近しい人たち、友達のためだけに最初に作った新曲を聴かせてみて、まず周りの人たちに"どうだったかな?」と、こわごわと最初の感想を聞いてみる。「それは」とモクターは語った。「音楽を始めた当初から、たったひとつだけ変わらない点で、僕が音楽をやる上でいちばん大切にしていることでもあるんだ」


 

英リーズを拠点に活動するYard Actは、今年の1月21日にZen F.C(islands)から「The Overloard」をリリースして鮮烈なデビューを飾った。

 

ヤードアクトは、ブラックカントリー、ニューロード、そして、スリーフォード・モッズとともに現在最も英国で注目を浴びる四人組と言える。UKポスト・パンク、ディスコパンク、ヒップホップ、果ては、ノーウェイヴまでをも取り込んだ革新的な音楽性はどのように生み出されたのだろうか。

 



 

ヤードアクトの魅力は、1970年代に隆盛したUKポスト・パンクの歴史を引き継ぐサウンドにある。そして、ヤードアクトのもうひとつの魅力は、ヴォーカリスト、ジェームス・スミスの生み出す痛烈で皮肉たっぷりのスポークンワードにある。ジェームス・スミスの紡ぎ出す歌詞は、往年のモリッシーのように、皮肉交じりではあるが、そこにはザ・スミスのような自己陶酔は存在せず、ただひたすら現状を痛快に笑い飛ばすばかりである。ブラックユーモアにみちてはいるが、それはジメッとした雰囲気とは程遠く、乾いた笑いの印象を聞き手にもたらす。そして、実際の楽曲にしても、MVにしても、共感性のような感情を受け手に与えるのは不思議でならない。

 

ヤードアクトが今月21日にリリースした「The Overload」の最後のプレリリース「Rich」という楽曲では、資本家からみた資本主義自体の虚しさ、あるいは、資本主義への不信が痛烈に暴き出される。それは、資本主義社会に参加することのできない爪弾きにされた多くの一般市民の心を捉えた。 

 

 

 

 

 

ヤードアクトがスポークンワードという形式で表現する歌詞、つまり、英国社会にとどまらず世界全体に蔓延する一般市民が共感性を見出すことができない「資本主義社会の完全なる行き詰まり」を暴き出そうとするスタイルは、資本主義とは一定の距離を置いて生活をする若者だけにとどまらず、毎日のデスクワークに翻弄される会社員、何らかの思想的な活動に明け暮れて疲れ果てた活動家というように、幅広い層の心に強く響くものがある。それは言ってみれば、お体裁の良い商業ポップスとは完全に異なる図太さのある音楽なのだ。もちろん、彼らが冷笑を交えて痛烈に批判を繰り広げるのは、社会のような蒙昧とした概念にとどまらず、実際の政治であったり、まつりごとを司る政治家に向けられる場合もある。ヤードアクトは、常に逃げも隠れもせず、実態のある何かを相手取り、それをブラックユーモアを交えて表現しているのである。

 

 

 

そもそも、ヤードアクトのバンドとしての始まりは、奇しくも、パンデミックが始まった時期と重なっている。バンドとしての活動を開始し、三回目のギグを地元リーズで行った時、パンデミック時代が到来した。

 

このパンデミックの時代について、ヤードアクトのヴォーカリストのジェームス・スミスは「すべての出来事は当時の私にとっては、あまりに早く起こったように思えました。それでも、完全な憂鬱に陥ることはありませんでした」とヤードアクトとして活動をはじめた当初のことをスミスは振り返っている。

 

 「最初、私は・・・」と、ジェームス・スミスは、後に以下のようにヤードアクトの結成秘話について語っている。

 

 

「ライアン・ニーダムと何年にもわたり、友達以上の関係を築き上げて来ました。彼は、私が”ポストウォークグラマーガールズ”という地元のバンドで活動を行っていた時代、ライアン・ニーダムは、メナスビーチというサイケ・ポップバンドで演奏をしていて、ジャンボレコードから7インチのスプリットシングルをリリースしたばかりでした。ニーダムと知り合った当初、お互い意見がぶつかりあうことも多かったけれど、その後、何度かリーズのパブでニーダムと会って話すことが多かった」とジェームス・スミスは語っている。「私達は、かねてから一緒にバンドをやろうとパブで話していたんですが、なかなか実際にバンドを始める機会を見失っていたんです」

 

 

2019年9月、ライアン・ニーダムがジェームス・スミスの自宅の空き部屋に引っ越した時から、ヤードアクトは本格的な活動を開始した。彼らは、ハウスメイトとして暮らしながら、デモトラック制作に専念した。ソングライティングにおけるパートナーシップを築き上げることにより生産性はみるみるうちに上昇し、スミスの自宅で数多くのデモトラックがシンセを介して生み出された。

 

その後、彼らは明確なバンド形態を取るため、リーズで活動していたTreeboy&Arcから残りのドラマーとギターのメンバーを引き入れることに成功し、追い風が吹き始めたように思えた。しかし、バンドの思いはパンデミック時代の到来により、一度はくじかれてしまったのだった。

 

「私達は、2020年1月にヤードアクトとして門出を果たしましたが、皮肉にも、その後すぐ世界的なロックダウンが始まったんです・・・」とヴォーカリスト、ジェームス・スミスは当時のことを回想している。

 

「それでも、私達は、バンドとしての活動をやめるつもりはありませんでした。 そこで、ロス・オートンというエンジニアに、制作したライブ録音のデモテープ「Fixer Upper」を持っていって、この曲を目に見える形にしたいと考え、デモをリミックスしてもらったんです。その過程、ギタリストのサミー・ロビンソンが私達の元を去っていったのは、正直、とても残念な出来事でした。別に、彼とは仲違いをしたというのではありません。サミーとは常に友好的な関係を築きあげられていたと思っています。新たなギタリストSam Shjipstone が加入したことは、それほどバンド活動を行っていく上で、明確な違いが生じたとは思っていません」


 

彼らが最初に明確なレコードの形にした「Fixer Upper」は後にEP「Dark Days」に収録されている。この曲はThe Streetsの「The Irony of It All」と同様、風刺的なシニカルな架空のキャラクターを歌詞の中に登場させている。

 

この曲で、ジェームス・スミスが描き出しているのは、新自由主義の英国の社会的な描写であり、スミスのスポークンワードの特性を活かし、暗鬱としながらもコメディーに満ちたタッチで曲の世界観が見事に描き出されている。

 

彼が「Fixer Upper」の曲中に登場させたグラハムという架空の人物は、2020年代の社会の主流といえるような典型的な人物である。

 

グラハムは、法を遵守する善良な市民であり、さりげなく人種差別主義者でもあり、また、彼自身の持ちうる特権にあえて気がつこうとしていない人物でもある。この曲は、パンデミック以前に書かれた楽曲だというが、この愛国的な思想を持つ架空の人物が現在のイギリス社会の出来事について、何らかの私的な意見を抱えているということを暗示している。

 

 

「"Fixer Upper"の歌詞に登場するグラハムというキャラクターについては・・・」とジェームス・スミスは苦笑を交えながら語っている。

 

 

「99%、ほとんど確実に、例えば、All Lives Matterのような思想を前面に掲げる人間だと言えるでしょう。彼がパンデミックという概念にどっぷりはまり込んでいるのには2つ原因があります。それは、俗に言われる”ピアーズ・モーガン効果”と呼ばれるものです。このグラハムという人物が、個人的になんらかの社会的な制約を受けている場合、彼は充分な政策を打っていないイギリス政府に反意を唱えるでしょう。 あるいはもし、彼がパンデミックによって傷ついた人を、直接的に友人や知人、あるいは親族を介して知らなければ、彼は間違いなく「私は絶対マスクを着用しません。これはただのインフルエンザなんですから」と主張するはずです。なぜなら、グラハムという人物は、正しいと思うことだけを信条とする人間であり、それ以外のことは興味を示さない、つまり、彼の思想の核心は彼自身に集約されたマキャベリストだからです」

 

「この曲では、グラハムの後に引っ越しをしてきた人々について、実際にフォローアップを書いていますが、それをあんまり仰々しく取り上げるつもりはありません」とジェームス・スミスは語る。

 

「私は、この曲を聴いてくれる人々が、このキャラクターに深く接してくれることが何よりの喜びなんです。そして、私の曲を聴いてくれた人々が、”この男は、今の社会に必要なことを歌ってくれている”なんて称賛してくれればこの上ない喜びなんです、まあ、それでも本心ではそうでないことを願っていますよ」

 

 

ジェームス・スミスはこれまでのUKの歴代のシーンにあって、存在しそうで存在しなかったタイプのヴォーカリストとも言える。

 

UKポスト・パンクの伝説、The Fallのヴォーカリスト、マーク・E・スミスからの直接的な影響を公言していて、ワードやセンテンスの語尾にわざと本来意味のない発音を付け加える遊び心を欠かさないアーティストである。

 

また、ヴォーカリスト、ジェームス・スミスの人物像というのも面白い。そこには、モリッシーのようなブラックユーモアこそあるが、自己陶酔はない。トム・ヨークのような社会的なメッセージ性こそ持つが、内向的な悲観主義者ではなく、外交的な楽観主義者である。ジェームス・スミスは歴代のUKのロックシーンを見渡しても、とびきり風変わりで、魅力的な人物のように思える。


しかし、彼は本質的に、政治色の強いメッセージを掲げるバンドとして自分自身を表現しようとは考えていない。言い換えれば、彼は、人々に何かを考えるべきかということを明瞭に伝えたくないとも考えている。それは、彼自身、何らかの一つの概念に縛られることを嫌うばかりではなく、自分がアイコンのように見なされ信奉され、スターとして神棚にまつりあげられることだけは避けたいと考えているからなのかもしれない。つまり、一つの強固な考えを標榜するように、他者に押し付けるのでなく、多種多様な価値観があって良いではないかとスミス自身は認めているのかもしれない。

 

もっとも、現代社会のAll Lives Matterをはじめとする様々な概念が、「ポリティカルコネクトネス」として氾濫する時代において、幅広い選択肢をもたらすスポークンワード、コミカルな雰囲気をにじませた楽曲の世界観は、現代社会の人々に少なからず安息を与えてくれるに違いない。そして、ヤードアクトの楽曲がなぜ一方通行にならないのかという点についての答えは出ている。

 

彼らの音楽は、オーディオ機器、あるいは、ライブパフォーマンスを通しての聞き手との対話、また、コミュニケーションの始まりなのであり、また、ヤードアクトの楽曲を聴いた後、聞き手自身が、それを自分の頭の中で咀嚼し、最終的に自分なりの答えを見出してもらいたい、自分で最終的な結論を導き出してもらいたい、というように、ジェームス・スミスは考えているのだ。

 

「現在、政治的なメッセージ性を持った音楽は、世界のシーンの中でも非常に目立っているように思えます・・・」とジェームス・スミスは語っている。

 

 

「それらは、すべて、何々党が悪いだとかいう当てつけにも酷似していて、私達は、同じような事例がその他にも数え切れないくらいあるのを知っているんです。私達は、常に、上記のような、何かもっともらしい言葉を垂れるぐらいなら、多くの人をたのしませるような事柄を言うことを優先したいんです。バンドの最初のリリースである「Fixer Upper」のような曲において、私にとって重要だったことは、鮮烈な印象を外側の世界に与えることだった。たとえ、もし、そんなふうに誰かから揶揄されたとしても、その人が完全に間違っていると断言するつもりはありません。

 

もちろん、それと同時に、私達は、社会の背後からものをいい、「私たちは左翼ではないんだ!!」という自己防衛的な人達のようになりたいわけでもないですし、それと同様、私は自分の意見を表明するためだけに、このような風変わりで馬鹿げた物言いをしているつもりもありません。一般的な人々が何らかのことについて発言するのは、必ずしも、自分の責任にはなりえない、と私は考えていますが、同時に、私自身がなんらかの的はずれな発言をした場合には、弁解や弁明をするための場に束縛されるべきとも考えています。これまで、ヤードアクトの活動を行っていく上で、上記のようなことについては、それなりに上手く対処できたのではないかと私自身は考えてますが・・・」

 

 

ヤードアクトの人気が沸騰していくにつれ、 政治に対して率直な意見を述べる、IDLES、Sports Teamのように、彼らの部分的に表現される政治的な思想を全面的に取り上げ、ポップスターとして祭り上げていこうと考えている人々は、イギリス国内、世界全体に少なからず存在することは間違いのないのことである。けれども、こういったアーティストたちは、その後、祭り上げられた挙句、商業的な成功を手にするかわりに、それと引き換えにアーティストらしく生きる上で大切なものを失ってしまったのだ。

 

しかし、ヤードアクトは、今後、過去のスターの悪例に染まらないであろうと考えられる。彼らは、事実、デビュー前に、「Black Lives Matter」を支持しているファンに、facebookを介して怒りのコメントを数多くぶつけられた。この時、ヤードアクトはまさに、上記のような考えを手放した、あるまじきロックバンドであると痛撃な批判を浴びたのだ。この出来事について、ジェイムス・スミスはこのように回想している。

 

 

「古い世代の考えを持つ人々の中には、進歩的な考えを持てない人たちも一定数いるのかもしれません。この問題については非常に難しいことですが、全体的なポイントはそういう出来事を通して、私達はすすんで建設的な会話、コミュニケーションを図っていきたい、と考えているんです。他のバンドが、例えば、一例として、右翼的な思想を持つファンが、彼らの政治的なメッセージに対して疑問を投げかけている出来事を私はかつて見たことがあるんです。そういったファンに対して、常にバンド側は、

 

”それなら、ファンをやめればいい、私達の音楽を聞かなければ良いんだ”と言っただけでした。私は、このバンド側の対応について、完全に同意するわけにはいきませんでした。私は、中産階級の白人として、自分と異なる階級の人達、例えば、労働者階級の同性との会話に際しても、彼らが自分たちとは異なる存在とみなしている場合でも、しっかりとした会話が組み立てられるという奇妙な特性があるんです。ですから、私は、これからもファンと建設的な会話をしていきたいと考えていて、彼らに対して、一方的で好戦的な考えを押し付けたりするようなことだけはしたくないな、というふうに考えているんです」

 

 

ヤードアクトのフロントマンであるジェームス・スミスがどのような考えでバンド活動を行ってきたのかについては以上のコメントが明確に物語っている。それでは、バンドの音楽性や歌詞についてはどうだろう?? 

 

ジェイムス・スミスは、1970−80年代のパンク・ロックサウンドからの強い影響を公言しているが、その他にも1980年代のオールドスクール・ヒップホップ、1970年のイタロ・ディスコ、さらに、2000年代のインディー・ロック、これらすべてを踏襲した独特なサウンドを生み出し続けている。

 

彼が幼年期から音楽ファンとして聴いてきた様々なサウンドが一度は記憶として定着し、その後、スポークンワードを交えた刺激的なポスト・パンクとしてアウトプットされる。もちろん、デビュー・アルバム「The Overload」において、彼らのミクスチャーサウンドの魅力は表題トラック「The Overload」を始め、「Payday」「Rich」といった秀逸な楽曲に表れ出ている。

 

 

「The Overload」

 

 

既に、デビューアルバム「The Overload」がリリースされる以前に、EP「Black Days」そして、四作のシングルがリリースされた後、ヤードアクトの清新な雰囲気に満ちたサウンドは、多くのメディアやファンの興味をひきつけることに成功したことは確かだ。 彼らのような痛烈なポストバンドの台頭を、常に、多くのコアな音楽ファンは待ち望んでいたのかもしれない。その過程で、ヤードアクトは”BBC Radio 6”でのレギュラーポジションを獲得し、さらに、四作目となるシングル「Rich」は、音楽雑誌NMEを始め、多くの音楽メディアに好意的に取り上げられるまでに至った。

 

 

1月21日にリリースされたデビュー作「The Overload」について、フロントマンのジェイムス・スミスは下記のように話している。

 

「私達ヤードアクトは、まだ駆け出しの新進バンドであるため、最初期のシングルリリースにおいて、何らかの印象をシーンやファンに与えられたのはとても嬉しいことでした。しかし、私自身、歌詞を書くことに関してはまだ全然納得していません。

私は、このアルバムの制作段階で、多くのキャラクターの研究、歌詞についてもより抽象的な概念を交え、早いテンポの楽曲を書くこともアルバム制作の構想として取り入れていました。しかし、それらの事とは別に、自分の書く言葉についてはまだ、果たして、これを「詩」と呼んでよいものなのかどうか自信が持てずにいるんです・・・

でも、元来、話し言葉ースポークンワードというのは、詩的な意味を持つといえます。おそらく、多分、本当の詩人は、話し言葉について悩ましく考えるかもしれませんが・・・」


 

デビュー作「The Overload」は、イギリス国内にとどまらず、日本でも音楽ファンの間で話題騒然となっている。

 

 


このバンドの楽曲の主要なソングライターでもあるジェイムス・スミスは、現在、幸いなことに、ライターズブロックに悩まされたことは一度もないという。それは彼が常に全力で走り続け、ホットなスポークンワードを紡ぎ出し続けるからこそなのだろう。

 

ヤードアクトは既に60曲以上ものデモトラックを温存しているという。おそらくデビュー作にも収録されていない素晴らしい楽曲が既に生み出されているかもしれない。まだまだ、それらの楽曲の多くはリリースされていない。

 

鮮烈なデビュー作を掲げて2022年のUKのミュージックシーンに華々しく台頭したヤードアクト。これから、どういった形でリリースがなされるのだろうか、今後のバンドの活動からしばらく目を離す事は出来ない。