ノラ・ジョーンズ  最新作『Visions』についてLA Timesに語る 

 


ノラ・ジョーンズが今週末にブルーノートから発売される9作目のアルバム『Visions』の発売を間近に控え、LA Timesのインタビューに応じた。テキサス出身のシンガーソングライターは、この取材の中で、 2000年代の社会情勢、最新作から最近の生活、そしてグラミー賞についてを解き明かしている。

 

ジョーンズが有名アーティストとして知られるようになったのは、22年前のこと。『Come Away With Me』のレコーディングの際、ブルー・ノートのレーベルやプロデューサーは大きな期待をかけていなかったという噂があるが、実際の歌唱力を見て、レコーディング時にプロデューサーを変更し、デビュー作は難産となった。しかし、その結果、該当年のグラミー賞の部門をほとんど制覇した。この曲は世界的なヒットを記録し、ある種の社会現象を作り出したのである。レコードのプロデューサーとレーベルは、このアルバムのメガヒットを予期していた。

 

アルバムのオープナーとして収録されている「Don't Know Why」はこの2002年の最大のヒット曲となり、ジャズ・ポップの新しいスタンダードを確立した。その後は、自分自身の力でソングライティングを行いたいとの意図があり、ジョーンズは独立レーベルからリリースを行った。しかし、実際的に見て、たとえデビューアルバムの作曲について彼女自身の関わりが薄いとしても、本人の歌唱力がなければ、このアルバムをヒットさせることは到底不可能だった。

 

近年、ジョーンズはコラボレーション、カバーを率先して取組んでいる。コラボレーションに関しては、ウィリー・ネルソン、デンジャー・マウス、グリーン・デイのビリー・ジョーなど、カントリーの大御所から、ラップやソウル、そしてパンクアーティストまでジャンルを問わない。また、ポッドキャストでは、ロックの大御所のデイヴ・グロールや、メイヴィス・ステイプルズとのセッションに取組んできた。カバーとして有名なのは、クリスマスの定番曲を集めた2022年の『I Dream Of Christmas』がある。カバーを中心とする構成でありながら、歌唱力に関しては全盛期に劣らぬもので、クリスマス気分を味わうのに最適なアルバムだった。その後も、現在の米国のジャズ・ポップスの象徴的な歌手、ロサンゼルスのLaufeyとのデュエットでもピアノの弾き語りを中心に、依然として変わらぬ音楽家としての力量をみせている。

 

現在、ノラ・ジョーンズは、夫と二人の子供と一緒にニューヨークに住んでいる。LA Timesで語られた内容は、簡潔なものであり、政治的な内容に関しては曖昧な答えにとどめられている。『Visions』に関しては、過去の成功例とは対極にあり、ロック的な要素のあるソウルレコードであり、具体的には、ファジーなギター、オフキルターのドラム、ヴィンテージ・キーボードが織り交ぜられたサイケデリックなガレージソウルであるという。ジャズ・シンガーという固定観念を乗り越え、より自由な音楽的な方向性に歩みを進めようとしていることがわかる。今回、ジョーンズはプロデューサーのレオン・ミッシェルズとアルバムの制作に取組んだ。

 

一般的な話として、グラミー賞を受賞した歌手は、基本的に米国の大きなスポーツイベントに出演したり、また、影響力のある華やかなレセプション等で、国家を歌うことがひとつのステータスのようになっている。あるいは、プロの音楽家としての荷の重い責務と言えるかもしれない。それは、大きな成功を手にした(その成功は実際、外側からみたものと内側から見たものは全く異なる)ことへの誉れでもあるが、ノラ・ジョーンズに関しては、これまでずっと国家を大観客の前で歌うということを遠慮してきた。現在の視点から見て、ジョーンズは「体験になるのだから、それをやるべきだったかもしれない」と話す。しかし、2000年代の初頭、政治的な出来事が多く、国家を歌うこと自体が国を愛することに繋がるとは考えられなかったという。


ノラ・ジョーンズは、一般的な印象としては、それほど多く政治的な言及をしないように思えるが、必ずしもそうではない。彼女は、ジョージ・W について書かれた「My Dear Country」についても言及している。この曲では、「何かを愛するが、それを疑う」という複雑な感情を表現している。「誰かが知っている、多分、彼は狂っていない」というセリフは、前回の米国選挙でも流れされたという。しかし、このことについてもジョーンズは明確な言及を避けている。

 

新作アルバム『Visions』は、「リフレームのアルバムである」というTIMESの記者の指摘に対し、「多くの人が私がスムーズであるというイメージを持っているらしい」とジョーンズはやんわりと反論した。「私はこのようにいつもレコードを作ってきた。「Don't Know Why」は、ライブバンドとの1つのテイクにすぎない。私はただ、なめらかな声を持っている。少し緩んでいないとは言いませんが、しかし、今回はどちらかといえばスムーズに聞こえることを知っていながら、あえてそれを荒削りにしようと試みました」「私はかねてからレイ・チャールズのようになりたいと思っていた。レオンと私は、一緒に遊んでいてとても楽しかったと思います。高校時代のように、各曲の演奏が終了したとき、汗をかき、息が苦しかったのを覚えている。私の神ーー音楽、それは生の感覚でもある」と語り、レコーディングが充実したものであったことを明かした。


それでは、『Visions』の制作期間全体を通して、ジョーンズは何を考え、何を表現しようとしていたのだろうか。新作アルバムでは、家庭を持つ一般的な女性としての思いも描かれていて、家と孤独、自由への憧れも歌われている。しかし、全般的には何について考えられたものであったのか、ジョーンズは明確には言及していない。むしろ説明のための言葉を費やすというより、音楽における解釈を曖昧にするため、言葉は簡潔になり、少なくなり、そして断片的にならざるを得ない。「わかりません、物事が終わるまで、私は特定の方法で何を感じていたのか、よくわからない。ただ、ふざけていただけ、いつものようにジャグリングをしたり、子どもたちとぶらぶらしたり、仕事をしたり、それは放課後の活動について考えるようなものだった」

 

家庭と音楽の両立、これは多くのミュージシャンの悩ましく思う問題でもある。これらのバランスをジョーンズはどのように図っていたのか。時間をどこから捻出し、制作に当てたのか。アーティストは、比較的、家の中でリラックスする時間にクリエイティビティの泉があることを明らかにしている。「実をいうと、私はそれが得意であったことはほとんどありません」とジョーンズは言う。「頭の周りを駆け巡っているメロディーを拾い上げ、それを忘れないようにレコーディングする可能性が高い。もちろん誰かが問いかけるような気がするため、落ち着く時間はほとんどありません。ドアがロックされているとき、それらの活動はバスタブの中で起きる。私のボイスメモの多くは、そのバックグラウンドにお風呂が走っているようなものです」

 

このインタビューでは他にも、グラミー賞でのトレイシー・チャップマンとの共演や、お酒やマリファナについてトークした後、ジョニ・ミッチェルへの敬愛を明らかにしている。「私は彼女を愛してやまない」とジョーンズは言う。「年配のミュージシャンにとって、音楽を演奏すること自体が重要だと思う。私の父は92歳まで生きていました」と言い、演奏が父親の寿命を長くしたと説明している。「もし、彼がプレイをしないようにしたり、それをやめていたら、彼はもっと早く亡くなっていたかもしれなかった。私は数ヶ月前に彼と一緒に座っていました」とジョーンズは言う。「NYのフォレストヒルズスタジアムで。私は彼の妹のボビーの大ファンで、その夜ごとのギグにいた別のキーボード奏者を起用した。だから、ハーモニカ奏者のミッキー・ラファエルは、私が一晩中、キーボードシートで遊びたいかを尋ねた。そしてウィリーはただ楽しんでいるので、それは私にとっても世界でもっとも楽しいことだったのです」