キューバ音楽を知る ハバナ/サンティアーゴを発祥とする音楽 ハバネラ、トロヴァ、ソン・クバーノ
![]() |
キューバの首都、ラ・ハバナには今もスペイン統治下の時代を思わせる市街地が残されている。それらは「オールド・ハバナ」とも呼ばれる。この土地の文化はヨーロッパの影響が込められているとはいえ、アフリカの匂いも感じる。カラフルな建築物は、ギリシアやモロッコのような町並みを彷彿とさせる。古くは、葉巻を始めとする重要な特産物の輸出地と知られ、ヘミングウェイが最もよく愛した街でもあるが、ハバナにはもうひとつ重要な音楽文化が存在する。
この土地を発祥とする、ハバネラ、トローヴァ、ソン・クバーノを始めとする、ラテン音楽は、20世紀以降、フランスやイギリスで人気を博し、ポピュラー音楽として一般民衆に普及していった。ハバネラをはじめキューバ音楽は、以降一世紀のラテン音楽、ジャズ、アメリカのブルース、クラシック音楽にもインスピレーションをもたらし、アルゼンチンタンゴ、ボレロという形で一つの完成を見た。キューバ音楽は、ポピュラー史を俯瞰した上で、度外視することが出来ない。なぜならジャズやブルース、ミュージカルにも影響を与えた可能性が高いからだ。
・ハバネラ(habanera)
![]() |
| オールド・ハバナ |
ハバネラ(habanera)は、現地では「ハバネレス」と呼ばれることがある。語源は、ハバナによるものと推測される。アコーディオン(コンサーティーナ)のような蛇腹楽器を使用することもあり、アルゼンチンタンゴのルーツであり、全般的なキューバ音楽の始祖とも言える。もし、ブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブ(Buena Vista Social Club)の音楽であったり、キューバン・ジャズを聴いて、南米的な気風や異国情緒を覚えるとするなら、それはハバネラやトローヴァの音楽が含まれているからに相違ない。しかし、ローカルな音楽というのは、文化の混合による副産物でもある。つまり、海外からの影響を踏まえ、そこに独自の内容を添えるわけだ。
ハバネラのルーツは、16世紀に遡り、ルイ16世の治世下のフランスで流行したカントリーダンスが、キューバに伝来したときに始まったという。コントラダンサと呼ばれるこの音楽がキューバに伝わると、クレオール文化と融合し、さらに、キューバに移民したアフリカのリズムの要素が付け加えられた。
ハバネラの主要なリズムは、三拍子の変化型である「6/8」から始まった。その後、ゆったりしたリズムになり、「2/4」に変更された。最も古く、有名なハバネラの曲には、セバスティアン・イラディエルの曲がある。この曲は、スペインの作曲家、イラディエルがキューバに滞在したときに制作され、スペイン語圏にとどまらず、世界的に親しまれた。取り分け、この曲は、各地で母国語に翻訳され発表されることも多かった。例えば、エルヴィス・プレスリーが映画で歌う「ブルーハワイ」は、この原曲を編曲し、英語の歌詞を加えたものである。 この曲は、ボーカル曲のほか、アコースティックギター、ピアノなど、様々な形に編曲されている。実際のところ、その音楽に耳を傾けてみれば、タンゴのアクの強い香りを感じとってもらえるはず。
キューバは1898年までスペインの統治下にあり、カタルーニャとキューバは、1778年にスペイン王室が植民地との自由貿易を推進し、商業的な関係を維持していた。コーヒー豆、サトウキビ、タバコなど重要な特産物が、キューバからスペインに輸出された。さらに、布、アルコール、紙類は、スペイン経由でアメリカへ輸出された。19世紀以降、キューバは重要な交易都市として栄えた。
ハバネラの音楽が影響を及ぼしたのは、何も大衆音楽だけにとどまらない。 ハバネラはその後、キューバからスペインへと伝わり、スペインの歌劇場であるサルスエラスでは、ハバネラスが到着すると、大いに歓迎され、オペラやクラシック音楽に積極的に取り入れられるようになった。顕著な成功例としては、フランスのジョルジュ・ビゼーが「カルメン」でその影響を大胆に取り入れたことだろう。それ以降、ハバネラは、民衆音楽としてスペインに定着した。上流階級はもとより、他の階級にも伝わり、パブのような大衆酒場でも歌われるようになった。
・トロヴァ(Trova)
![]() |
| サンティアゴ・デ・クーバ |
続いて、キューバ音楽として強い影響力をもったのが、トロヴァ(Trova)である。この音楽は、そもそもがトルバドゥールに近い性質を持ち、フランスの中世音楽マドリガーレ、イギリスのバラッドに近い性質を持つ。トロヴァは、キューバ南東部の都市、サンティアゴ・デ・クーバで生まれた。トロヴァは、トルバドゥールをラテンカルチャーとして昇華した音楽であり、なおかつ、俗に言う”流しの音楽”である。アコースティックギターを片手に街をさまよいながら、通り、広場、酒場などで歌う。ボヘミアンやジプシーのような音楽として出発した経緯を持つ。
作曲家/ギタリストのホセ・ペペ・サンチェスが有名である。彼はトロヴァの父となり、その後、シンド・ガレイ、アルベルト・ヴィジャローンなど、著名なミュージシャンを登場させるための道筋を作った。これらの作曲家はなべて、サンティゴ・デ・クーバの出身であることも特筆すべき点ではないだろうか。純粋な歌謡曲として出発したハバネラと比すると、この音楽は、バラードやマドリガーレといったヨーロッパの民謡音楽と、アフリカのリズムを融合させている。しかし、やはりラテン的な性質もある。様々なレパートリーが存在し、愛のうたにとどまらず、ピカレスク、風刺的な歌詞、二重の意味を持つ歌まで広汎な形を持つことで知られる。
当初、トロヴァは、流しの音楽として始まったが、その後、ラジオなどで人気が沸騰。歌詞とリフレイン、そして愛、現実、キューバの文化の一つである、吟遊詩人のトルバドゥール的な性質が合わさり、独立した音楽として完成された。ここからトロヴァを原型にして、ボレロ(Bolero)という新しい形式が登場した。これもまた、スペインやフランスなどで親しまれていたことは想像に難くない。バスク地方にルーツをもつフランスの作曲家モーリス・ラヴェルが「Bolero」でこの音楽を完成させ、バレエと融合させたことは周知の通りである。また、この曲にもラテン的な音楽を大胆にかけあわせ、民衆の音楽的な興味を誘うことに成功したのだった。
・ソン・クバーノ(Son Cubano)
![]() |
キューバの音楽は、西アフリカとスペインの両文化の混合から生じている。最後に紹介するソン・クバーノ(Son cubano)は、上記の二つのジャンルに比べると、あまり聞き慣れない言葉かもしれない。ソンなる音楽ジャンルは、19世紀後半にキューバ東部で生まれた。スペインとアフリカの要素が融合したジャンルである。また、この中ではダンスミュージックの性質が強い。
ヒスパニックの構成要素としては、ヴォーカル・スタイル、叙情的な拍子、スペインのギターに由来するトレスの優位性が挙げられる。特徴的なクラーベのリズム、コール・アンド・レスポンスの構造、パーカッションのセクション(ボンゴ、マラカス)は、バントゥー語(アフリカ)起源の伝統に根ざしている。スペインのトレスと呼ばれるギター、メロディー、ハーモニー、叙情性に加えて、アフロキューバのパーカッションやリズムをダイナミックに融合させている。
ソン・クバーノは、元は原住民により演奏されたものを洗練させ、19世紀末には、サンティアーゴ、グアンタナモなどで一般的に発生し、20世紀のはじめに、首都ハバナへと普及していく。この音楽は、スペインのサルサの原型となり、その後、プエルトリコを始めとするラテンアメリカの各国に伝播していった。この音楽は、19世紀から20世紀のはじめに、ジャズと比肩するほどの影響力を持つにいたり、20世紀以降のポピュラー音楽史の基礎を形成したのだった。








0 comments:
コメントを投稿