Weekly Music Feature: Mirah 『Dedication』 ブルックリンのSSWによる7年ぶりの復帰作

 

ブルックリンのソングライター、ミラ(Mirah)は90年代後半に隆盛を極めた太平洋岸北西部の音楽シーンから、デビューアルバム『You Think It's Like This But Really It's Like This』のリリースで初めて登場した。フィル・エルヴァラムとの共同プロデュースによる本作は、彼女を一世代を代表するソングライティングの才能として即座に確立させ、フィルとのコラボレーションで最初に火がついたレコーディングとプロデュースへの情熱は、今日まで輝き続けている。   


ファーストアルバムの影響は現在にいたるまで響き渡り、「ベッドルーム・ポップの美学を形成した」(NPR)と評され、2020年にダブル・ダブル・ワミーからリリースされた拡張版再発盤が示すように、二世代にわたるインディー・ミュージシャンの作品群に影響を与えている。


ミラは、インディーロックの様々な変遷の中で、愛され続ける個性的な声であり続けてきた。 現在——6枚のフルレングス・ソロアルバム、数多くのコラボレーション・アルバム、EP、そしてユーモラスなサイドプロジェクトを経てミラは最新作『Dedication』をリリースする。本作は自身のレーベル「アブソリュート・マグニチュード」とダブル・ダブル・ワミーの共同リリース。


ミラ・ヨム・トヴ・ザイトリン(1974年フィラデルフィア生まれ)は、優雅なソングライティングと冒険的なレコーディングによって特徴づけられる、不朽のインディペンデント・ポップ・ミュージックを創造している。Kレコード、キル・ロック・スターズ、および国内外の様々なインディペンデント・レーベルから10作以上のソロおよびコラボレーション作品を発表してきた。


1998年以降、アメリカ、ヨーロッパ、日本、オーストラリア、ニュージーランドを何度もツアーしている。 ピッチフォーク誌は彼女の「驚異的な歌声——低く官能的なトーンから高く軽やかなファルセットまで、一息で自在に飛び回る多様な囁き」を称賛している。


長年にわたり有名なプロデューサー、フィル・エルヴァラム(The Microphones/Mount Eerie)、メリル・ガーバス(Tune-Yards)、イーライ・クルーズ(The Julie Ruin)、 タッカー・マーティン、ガイ・シグスワース、カルヴィン・ジョンソン、ソングライターや作曲家のタオ・グエン、グレッグ・ソーニエ(Deerhoof)、ロリ・ゴールドストン、スージー・イバラ、ジェレック・ビショフ、タラ・ジェーン・オニール、カエラ・マリチッチ(ザ・ブロウ)、そしてクラウド・アイ・コントロールのアンナ・オキシジェン、ブリッタ・ジョンソン、ジンジャー・ブルックス・タカハシなどのビジュアルアーティストやメディアアーティストなどが挙げられる。


ミラは現在もライブツアーを継続中。ソロ活動に加え、自ら率いるバンドの数々の編成で、北米・日本・ヨーロッパ各地のコンサートホール、クラブ、リビングルーム、パンク・バーの地下室など、あらゆる場所で演奏を続けている。  


Mirah 『Dedication』 Double Double Whammy/Absolute Magnitude

ミラ(Mirah)は七年ぶりのニューアルバムで復帰を果たす。私自身は、このミュージシャンのことを最近まで知らなかったが、NPRによると、ベッドルームポップの最初期のミュージシャンの一人といえるでしょう。その音楽性はフォークソングからミュージカル曲、クラシック風のポップソングまで幅広い。今回のアルバムは、全体的には、アルトフォークに位置づけられるが、ジャンル的な符号はあんまり意味をなさない作品です。音楽的な方向性よりも、どのような歌の形式を選ぶのかにポイントがある。

 

ミラはどちらかと言えば、プライベートの合間を縫って音楽制作を辛抱強く続けてきた人物です。「結局のところ、私は普通の勤務時間内では、仕事らしいことはほとんど出来ないタイプの人間だが、一週間与えられれば、アルバム一枚まるごと書き上げてしまう」というコメントを添えている。 アーティストの才能とは、努力してそうなったのではなく、自然と培われるものである。


最新作『Dedication』は熟練のミュージシャンらしい知恵が詰め込まれており、流行りものとは一定の距離を取っている。だが、それがゆえに、普遍的な音楽の響きが込められている。また、人生を送る中で、内面の吐露として歌わずにはいられなかった内容も含まれているように思えてなりません。

 

本作の音楽は異様なほど密度が濃い。曲数が多くないにもかかわらず、全体を聞いてみると、1.5倍ほどの容量がある。これは音楽的な時間が濃密であるからで、また、その背後に長い時間が流れているからなのか。作曲は一週間なのですが、その制作に取り掛かるため七年の月日を要した。つまり、アルバムは結局、七年ぶんの長〜い時間が流れていることになる。規定された時間に異なる時間の流れが存在するとはどういうことか。これは文章上のレトリックではない。例えば、南米の作家フリオ・コルタサルのジャズマンを題材にした短編小説「追い求める男」に描かれている。一般的な時間軸の中に、異なる密度の時間が偏在することを明らかにしたもの。

 

『Dedication』は音楽的にはそれほど複雑でもなく難解でもないけれど、哲学的なテーマが含まれている。しかし、それは単に答えを導くためというより、普遍的な問いを疑問のままにとどめておく。


本作の冒頭を飾る「The Ballad of the Bridge of Frankenstein」は、アイルランドのThe Poguesの「The Fairytale of New York」へのさりげない返答とも言えるかも知れません。デュエット形式でこそないけれど、ミュージカル風の音楽をベースにし、アトモスフェリックなシンセを背景に、コンセプチュアルな音楽が構築されていく。三拍子のマーチングのドラムの拍動をもとに少しずつ音楽性が高揚していき、魂が舞い上がるような晴れやかな瞬間がひとつの聞き所となるでしょう。

 

静かで控えめなイントロ、ヴァースからシンバルなどを使用して、ドラマティックなサビに飛躍する堂々としたオープナーである。制作者のミラは、この曲を悲劇的かつロマンティックな物語を語る叙事詩として位置づけています。「このバラードでは、フランケンシュタインと花嫁という2つのキャラクターのどちらが歌い手なのかと思うはずだ。2つのキャラは偶然にも混同されることもあり、私はその点で遊んでいる。我々の内なる本質と環境や人間関係によって形成された部分とは? この3つの人物像が交わる点と互いを区別する要素とはなにか?」 

 

こんなふうにして、哲学的ともいうべき疑問が楽曲の背景を形成している。このドラマティックな冒頭曲で、シンガーソングライターは、自分と他者の境界線について探る。その音楽は、確かに古典的なミュージカルの音楽性に根ざした夢のようであるが、作者は次のように聞き手に問いかける。


「これは夢のような世界なのか? それとも登場人物があなたなのか? それとも全員が私なのだろうか?」 


文学作品がそうであるように、音楽における語り手は、必ずしもそのミュージシャン自身であるとは限らない。また、聞き手は、音楽に対して自己を投射しているとは限らない。要するに、音楽を制作するときも、聞き手として体験しているときも、自己を離れる忘我の瞬間があることを示唆する。


「The Ballad of the Bridge of Frankenstein」

 


二曲目の「Stumbling」はイントロからヴァース/コーラスの対比によって成立したシンプルな構成を持つ楽曲である。新旧のニューヨークのフォークシーンに触発された内容で、いくらか古典的でもある。コラージュ的なギターで始まり、ハイハットでカウントをとったあと、シンセの弦楽器やリズムギターを重ねて、ジョン・レノン、ルー・リードのような魅力的なフォークロックへと移行する。ボーカルの歌詞はリードを彷彿とさせ、フレーズのセンテンスを言葉遊びのように用いつつ、旋律的な飛躍を交えて、掴み所のあるサビに繋がっていく。ボーカルの間に入るラフなギターは、カオティックなサイケデリアを作り上げ、重層的な音楽性を形成する。


しかし、全体的には、親しみやすいボーカルと遊び心のあるフレーズが、冒険心のある音楽性を作り上げる。また、ギターラインは、ジョン・レノンのソロ・アルバムを彷彿とさせ、ロックンロールの要素を矢面に押し出している。これまでありそうでなかったフォークロックのスタイルを提示する。


驚きなのは、アウトロの直前でそれまでの封じ手としていたブリッジが唐突に登場し、ボーカルのフレーズを繰り返しながら終わりへと向かう。特に、ジョン・ケールのエレクトリックビオラのような、けたたましいノイズギターが炸裂し、温和な音楽の基底に魔神的な音響を作り上げる。子供向けの曲のように簡潔なのに、そこには、前衛主義が混在している。とても不思議です。

 

『Dedication』には片々にミュージカルの要素が登場し、それこそがニューヨーク的な音の空気感を生み出している。「To Me」はその好例であるが、大きめのホールで聞こえるような大掛かりなミュージカルではない。どちらかと言えば、キャバレーのような音楽が、ジャジーな印象を携えて展開される。音楽には陶酔的な感覚があり、また、甘いメロディーもある。言ってみれば、サラ・ヴォーンのような古典的なジャズ・ボーカルの要素が感じられることがある。  


ただ、この曲の場合はピアノではなく、ギター中心で構成される。フォークミュージックを中心として、最終的には、ジャズやミュージカルの音楽に少しずつ接近していくような感じです。ジャズ風のボーカルの背後に聞こえるのは、古典的なカントリーやフォークを踏襲したギターの演奏であるが、時にはブルースのような古典派の音楽が前衛的な解釈を交えてプレイされる。表向きには商業主義のように見せかけておいて、背後にはアヴァンギャルドな音楽が通底する。二律背反ともいうべき対極主義の音楽を皆さんはどのように聴くことになるでしょうか?

 

「After the Rain」は短調中心のフォーク/カントリーソングである。音楽的には、短調と長調の対比が素晴らしい抒情性を紡ぎ出している。この曲は、ニューヨークへの郷愁が歌われている。正確に言えば、遠くにいた過去の自分への回想がさらりと歌われている。イントロはボブ・ディランを思い起こさせるが、女性的な感性を活かした渋さを活かし、この曲は見事な変遷を辿る。 


その後、アコースティックギターの弾き語りによる曲は、アラニス・モリセット、シェリル・クロウのような音楽的な立体構造を描き、徐々に世界が広がっていく。ここでは、内側の感覚を一つの起点として、音楽的な世界が広がりを増していくような感覚がある。女性シンガーソングライターの渋さを掴むのに最適な一曲といえるのではないでしょうか。


サビでは、バックボーカルが加わり、琴線に触れるセンチメンタルな感覚が増幅される。この曲はロサンゼルスで書かれ、「サンガブリエルの友人宅の滞在していた時、曲が溢れ出てきた」とミラは回想しています。「遠くにそびえる山々、郊外の奇妙な静けさ、慣れ親しんだ異様さーー自分のベッドではないところで眠ること、日常ではない日常が必要だった。そんなときにこそ自分の声に耳を傾けることで、真実を見いだせた。なんて素晴らしい贈り物なのだろう」 

 


「After the Rain」 

 

 

 

アルバムの中盤に収録されている「Begging of Time」では、アンビエントギターを起点として、現代的なフォークソングへと推移していく。イントロでは、インスト曲かと思わせておいて、ボーカル曲であるという二重、三重のミルフィーユ構造となっている。フォークソングの中には、バラード風の哀愁を込めつつ、シンセサイザーのバイオリンのアレンジを交えて、少し人懐っこいような感じのあるミラの温かいボーカルを聴くことができるはずです。


この曲では、中盤に配置されるブリッジの箇所を効果的に使い、メインとなる温和なフォークミュージックを巧みに際立たせている。また、結論やサビを後ろに引き伸ばすようなソングライティングの手法は、現代的な音楽としては異例ともいえる。このあたりにも作曲家としての手腕が光っている。三分後半におけるオルガンは、言葉に尽くせぬ夢想的な空気感を生み出し、そのムードたっぷりの雰囲気が滞ることなく、曲のアウトロまで持続し、繋がっていく。一つの感情の糸を頼りにして、それらを長い線のように繋げていく作曲的な手法は一聴の価値あり。

 

「Catch My Breath」は本作の中では、異色の一曲と言える。おそらく80年代頃のテクノ・ポップが基本で、マイケル・ジャクソンの「ビハインド・ザ・マスク」のような趣がある。そのトリッピーなシンセサイザーの使用法にはYMOに近い感覚も見いだせそうです。しかし、ベースとなる音楽がどこかに存在するとはいえ、シンガーソングライターらしさが満載となっている。 ディスコポップのセンスを随所に散りばめながら、カルチャー・クラブのような軽いサウンドを織り交ぜ、ノスタルジックな雰囲気のポップソングに仕上げている。音楽的な楽しさが感じられるが、このシンガーソングライターの音楽的な遊び心を反映した瞬間でもあるのでしょう。

 

 

「Do You See Me」では、現代的なニューヨークのフォークシーンの音楽に傾倒している。水の流れのように澄明なアコースティックギター、オーガニックな音楽性を体現させる乾いたドラムなど、同レーベルのFloristを彷彿とさせる音楽です。ギターのスムーズなアルペジオを中心として、穏やかな雰囲気のあるボーカルが安らいだ印象を放ってやまない。そしてフレーズを何度か繰り返しながら、印象に残るシークエンスやシンセサイザーの弦楽器を設けて、牧歌的な音楽性を体現させている。ここでも現代的と近代的/古典的という2つの相異なるフォークソングの形を併置させて、懐かしくも新しい親しみ溢れる強固な創造性を持つ音楽的な世界観を構築している。この曲では淡々とした反復的な構成のあとにコーダ(結尾)のような箇所が追加される。

 

『Dedication』の終盤の三曲はいずれも良曲で、それぞれ、ミュージカルやフォークソング、 ジャズボーカルなど、一つの枠組みにとらわれない、ミュージシャンの深甚な音楽的なセンスが発現する。本作の序盤がギターを中心としたソングライティングだったのに対して、終盤はピアノが首座を占める。特に、ベテランミュージシャンゆえの音楽的な展開力の技量が見いだせるでしょう。


「Mama Me」の最初の部分は、ピアノの弾き語りによるバラードソングとなっているが、音楽的な飛躍が込められている。静かな曲の立ち上がりから、''タンタンタン''というドラムのスネアの軽快なクレッシェンドに導かれるようにして、サビではロックミュージカルのような楽しげな曲調へ移り変わっていく。そこには、ロックンロールの言葉遊びを込めながら、人生における見える風景の変化を体現させる。サビでは、オールディーズやコーラスグループのR&Bの音楽性を踏まえ、ビタースイートな音楽を展開させる。そこにはミュージカル的なエンターテイメント性も見え隠れすることも……。音楽家としての蓄積が一つの集大成を迎えた瞬間でしょう。曲の最後では、ロックンロールの「Sha-Na-Na」にあやかったボーカル、ごきげんなホーン、ドラムが混在しながら、素晴らしいアルバムのハイライトともいうべき箇所を作り上げている。

 

「Hummingbird」はピアノ曲のボーカルの弾き語り、イントロは映画「アメリ」を彷彿とさせる一曲です。また、全体的にはニューオリンズジャズに根ざした音楽的なディレクションを敷いている。驚くべきなのは、冒頭ではミュージカルの語りや歌い手であったミラが、中盤ではフォークシンガーになり、その最後では堂々たるジャズボーカリストになるという、劇的な変身を遂げてしまう。このあたりに、必ずしも歌手は同一の人物とは限らず、まるで別人を演じるかのような、名俳優のごとき力量が発揮される瞬間がある。ミュージカル風のこのジャズバラードでは、歌手が昼下がりの庭の木陰を飛び交う鳥になったかのように歌い、そしてハミングしたり、スキャットしたりする。文学的な題材を生かし、人間から見た世界ではなく、鳥から見た大きな世界を丹念に歌い込む。歌詞は存在するが、他方では言葉以上のメッセージを伝えようとする。このあたりに音楽的な深い含蓄や歌手の力量が凝縮されているのは事実でしょう。

 

クローズ曲「New Jersey Turnpike」はうっとりしてしまうくらいの文句なしの名曲。このアルバムのフィナーレに相応しいナンバーです。ゆったりとしたリズムを強調し、息の長いピアノのサステインの伴奏を用いながら、シンセサイザーのアトモスフェリックな音響効果を背景に敷き詰めながら、ミラがひとつの理想とするであろう、夢想的あるいは天上的な音楽を体現させる。


本作はファルセットのような高音域のボーカルを使わず、中音域のハスキーなミドルトーンのボーカルが中心となっているが、むしろその中音域を中心とするボーカルに美学を見出せます。ハッセル(John Hassel)のようなジャズのトランペットの長いサステインに導かれるように登場するサビの冒頭部の”New Jersey Turnpike”は、制作者が心の底から紡ぎ出した本当に素晴らしいフレーズ。それは言い換えれば、音楽が心にじんわりと染みる瞬間でもある。聴けば聴くほどに異なる味わいが出てきそうな秀逸な作品というのが率直な感想です。また、インディーズの領域ではありながら、ミラはノラ・ジョーンズに比肩する素晴らしい歌声で聞き手を魅了します。

 

 

 

90/100

 

 

 

「New Jersey Turnpike」 - Best Track

 

▪Mirah 『Dedication』は本日、Double Double Whammy/Absolute Magnitudeから発売。

 

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