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今回、たまには、真の意味で味わい深い食の情報を伝えていきたいと思う。さて、クリスマスまで既にあと一ヶ月半という所まで来たが、このクリスマスを代表する洋菓子といえば、やはりショートケーキということになるだろう。

 

11月から、クリスマスケーキ商戦がはじまり、街なか、もしくは駅ナカは、ショートケーキの予約をはじめ、これからさらに騒がしくなっていくものとおもわれるが、もうひとつ、クリスマスを代表する伝統的な洋菓子があるのをご存知だろうか?

 

昨年にはイギリスのエリザベス女王にドイツのパン屋がこの洋菓子をとくべつにプレゼントしたことでも有名なパン。それが、ドイツのドレスデン地方で生産が盛んな「クリスマス・シュトーレン」というパンである。

 

この甘〜いパンは、ドイツでは、キリストの降誕祭がおこなわれる期間、すこしずつパンナイフで切りながら少しずつ食べていくのが往古からの風習のようである。ドイツドレスデン地方には、シュトーレンフェスティヴァルというお祭りもあるらしく、この洋菓子の生産がきわめて盛んだ。

 

語弊があるかもしれないが、このパンというのは、ドレスデン地方に古くから伝わる保存色の一種のように思え、常温保存では一週間かそこらしか保存がきかないけれども、冷凍すれば、一ヶ月近く長期間保存が効くので、ドイツのドレスデンの人たちは、古くは、これを氷室などで冷凍しながら、クリスマスから年明けの期間にかけて、ちょっとずつパンナイフで切り分けてゆっくり食べていったのだろうと思われる。栄養学の観点からみても、粉砂糖がたっぷりとまぶしてあるため、糖分は過剰であるものの、実際の食べごたえに比べると、カロリーは充分に摂取出来る。おそらく、日本でいうところの「お餅」のような保存色のような食べ物としてドイツのドレスデンでは、14世紀くらいから親しまれてきた。

 

このクリスマス・シュトーレンというパン。最近は、結構、ケーキ屋やパン屋で取り扱いがあるのを見かけるようになった。おそらく、大きめのお店なら、クリスマスシーズンになればお買い求めいただけるだろうと思う。まるまる一斤のシュトーレンの価格の相場は、おおよそ二千円弱だろうと思われる。もちろん、だいたいのところは半分に切って販売されている場合も多い。そして、私は、実は、昨年、近所のスーパーマーケットで、小麦粉、薄力粉、ラム酒、粉砂糖、アーモンド、レーズン、ナッツを買ってきて、クックパッドのレシピの手順を参照しながら簡単にこの洋菓子を自作してみたことがあった。正真正銘の「DIYクッキング」である。それも、これも、このシュトーレンという洋菓子を、心ゆくまで味わい尽くしたいという欲求に駆られたからこのような慣れないことをやったのである。所要時間はおよそ一時間くらい、本格派のクリスマスシュトーレンを作るためには、トーストでじっくりたっぷり時間を掛けて焼き上げる必要があるが、それほどの本気度もなかったので、フライパンにアルミホイルを被せて、蒸し焼きのようにして、二十分くらいかけてじっくり弱火で熱を入れていった。

 

結果、出来上がったのは、残念なクリスマスシュトーレン。やわらかいパンケーキに近い出来栄えとなり、この洋菓子の醍醐味であるカリカリッとした食感が完全に失われた。これは、小麦粉を捏ね上げる過程で、捏ね上げ方が少し足りなくて、充分な硬さがつかなかった。しかし、それでも、工程通りに作ったからか、味としてはまずまずだった。このシュトーレンの作り方は、大きめのボウルなどで小麦粉、薄力粉等を練り合わせたのち、その中に、レーズン、アーモンド、ナッツ等を入れてこの生地をさらに捏ねに捏ね上げ、半円状にちかい形状に捏ね、最後の仕上げに、ラム酒をさっとヘラなどで塗り、パンの上からたっぷり粉砂糖をまぶす。粉砂糖をまぶせばまぶすほど、パンの上に粉雪が降り積もったように見える芸術的な作品となる。実際の食感については、一般的なショートケーキほど口当たりが重くなく、ちょっとした洋菓子のような感覚で食べれる甘いフルーツパン。もちろん食べすぎはご法度、糖分の過剰摂取となるのでご注意。

 

このクリスマスシュトーレンの生産は、ドイツのドレスデンがメッカである。その歴史も相当古い伝統的なパンであり、乳製品のバターの使用が禁止されていた1329年に一般的な発祥は求められる。「Stollen」というのは、ドイツ語で「坑道」「トンネル」を意味し、パンの形状がトンネルに見えたからこの呼称が与えられたものと思われる。シュトーレンの起源はなんでも、ドイツの司教がスポンサーとなって開催したパンのコンテストで、このシュトーレンが製作されたのが史実としての始まりと言われる。

 

シュトーレンについての最初の記述は、1474年頃、聖バーソロミュー病院の請求書に、このシュトーレンの名が記載されている。 当時、ドイツ、カトリックの教区内では、キリストの降誕を待ち望むアドベント期間は断食が行われており、また、糧食の材料の緊縮が行われ、希少品、贅沢品であったバター製品の使用が厳格に禁じられていた。ケーキ等を作る際、バターの使用は甘みを加えるのに不可欠であるが、このため、当時のドイツのパン屋は油の使用しか許されず、味気ないケーキしか作ることが出来ずにいたのである。このため、便宜上、さらに甘味のあるパンを作るため、アイディアを絞って作られたのが、シュトーレンというクリスマスのパンだったようである。

 

この状況を打開するべく、サクソン人の選帝候エルンスト王子と兄弟であるアルブレヒト公爵は、教皇ニコラウス5世に書簡を送り、サクソン人のパン職人がバターを使用することが出来るように許可を下してもらいたいという旨を記した要望を伝える。しかし、ニコラウス5世はこの要請を拒否し、使用許可が降りるまでには、長い月日を要している。1490年になって教皇勅書が出され、バターの使用が公式に認められることとなった。

 

以来、シュトーレンは、クリスマスのお祭りのごちそうとして親しまれるようになる。1530年には「Christms Stollen」と正式に呼ばれるように至り、クリスマス、とりわけ、アドベント期間のお祝いと深い関係を持つようになる。1560年頃になると、ドレスデンのパン職人の間で、ザクセン州の皇帝に毎年クリスマスにシュトーレンを贈るという風習が確立される。また、同時期から大掛かりな巨大シュトーレンが作られるようになり、八人のマイスターが18キログラムものパンをパレードの後に宮殿に寄贈する伝統が確立されていく。さらに、これよりも大きなシュトーレンも作られるようになり、1730年、アウグスト2世、ザクセン選帝候、ポーランド国王、リトアニア大公から委託されたクリスマスシュトーレンは、100人のパン職人が集って製作され、3600個もの卵、326個の牛乳、それに、2千種もの小麦粉を掛けあわせた1.8トンもの重量の巨大シュトーレンが生み出されるに至った。

 

また、ドレスデンでは、今もクリスマスの季節、伝統的なお祭りとして、シュトーレン・フェスティヴァルが開催されている。

 


シュトーレン・フェスティヴァルはシュトーレン教会によって主催されるドレスデンの街を代表する年一度の心楽しいお祭り。

 

ドレスデンの街中を、クリスマスシュトーレンを運ぶパン職人たち、そして、中世の仮装をしたドレスデンの数多くの人々が行列を作って練り歩く様子は圧巻だ。このシュトーレンフェスティヴァルは、パンの品評会の趣きがあり、毎年、世界で販売されている200万種類のパンがお目にかかれる。

 

2010年、ドレスデンのクリスマスシュトーレンは、欧州連合により、保護原産地呼称、PGI、つまり保護するべき良質な糧食として認定されるに至ったという。



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