ラベル Power pop の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Power pop の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示


 パワーポップとはどんなジャンル??

 

今更、パワー・ポップというジャンルについて語るのはいかがなものかという話もあるかもしれないが、元々、ビートルズやビーチ・ボーイズ、ローリング・ストーンズにしても、普通のロックンロールとは異なる原始的なロックンロールサウンドに甘酸っぱいメロディを散りばめた楽曲というのが見受けられる。

中期から後期にかけてアート・ロック色を強めていくビートルズの最初期は、センチメンタルで甘酸っぱいラブソングも多く、最初期のローリング・ストーンズも「アウト・オブ・ザ・タイム」といった楽曲では、センチメンタルなポップス/ロックのアプローチを図っている。米カルフォルニアのビーチ・ボーイズについては言わずもがな、このバンドの表面的な魅力のひとつパーティーロック、サーフロックというのは分かりやすいバンドキャラクターに過ぎず、実際のビーチボーイズの音楽的な魅力というのは、「All Summer Long」に代表されるようなパワー・ポップ寄りの軽快なバンドサウンドにこそ、彼等の音楽性の真価があるようにおもえてならないのである。

しかし、もちろん、ビーチ・ボーイズどころか、その後のザ・フー、チープ・トリックの時代に入ってもまだ「パワーポップ」なるジャンルは確定していなかった。日本の音楽評論家は一般的に、特にザ・フーのようなモッズシーンの代表格のロックバンドに対して、「ニューウェイヴ世代によるポップでシンプルなロックンロール」と評していたようである。そもそも、このパワー・ポップというジャンルは、1970年代のロンドンパンク、ニューウェイブの時代に登場したロックバンドの一部がニューウェイブ・パンクサウンドとは少しニュアンスの異なる音楽(甘くキャッチーで切ないセンチメンタルだけども一本気のあるプリミティヴな輝きを放つシンプルなロックンロール)を奏でていたため、便宜上、適用されることになったジャンル名なんだそう。

つまり、パワーポップの始まりというのは、音楽が先にあって、評論家がその一つのジャンルに呼称を与えたというわけではないらしく、どちらかといえば、独立したファンジンの編集者によって扇動的に使い始められた言葉であるらしい。パワーポップという言葉が一般的に知られるようになったのは、主に1970年代の終わりから1980年代の始めで、他でもない、ニューヨークのファンジンにおいて、ニューヨークの女性パンクロックバンド、ラナウェイズのプロディーサーを務めていたキム・フォウリーは、彼自身が編纂を務めるファンジン誌「Bomb」78年3月号において、

 

「パンク・ロックは終わった。ニューウェイヴの未来は、パワーポップにある」と、大々的に書いている。

 

なんとももの凄い書きぶりだ。そして、この謳い文句は、いかにも扇動的で、このジャンルの温和でフレンドリーな音楽性とはそぐわないセンセーショナルな宣伝文句のように思える。

それでも、好意的な見方をしてみれば、キム・フォウリーは、パティ・スミス、テレヴィジョン、ラモーンズを始めとするNYパンク、セックス・ピストルズ、クラッシュ、ダムドといったロンドンパンクの後に新たな気風を感じる音楽ジャンルとして、少々、過激な言葉を選び扇動的に紹介する必要があったかもしれない。彼はおそらく、マルコム・マクラーレンがロンドンパンクというシーンを打ち立ててみせたように、プロデューサー、出版人として、このパワーポップシーンをファンジンにおいて大々的に宣伝し、センセーションを生み出したかったのかもしれない。(いわば、かつては、ザ・フーが「マイ・ジェネレーション」の歌詞において扇動的に歌ったように)

しかし、キム・フォウリー氏の狙いは少し外れた。パワー・ポップは、主流の音楽とはならず、あくまで亜流のジャンルとしてインディーロックファンの間で根強い人気を博するにとどまった。つまり、パワー・ポップはチープトリックやその後のウィーザーをのぞいては、ロンドンパンクやニューウェイヴのようなメインカルチャーとはならず、1993年から1997年にかけて発売された「Yellow Pills」、1996年の「The Roots Of Power Pop」、「Shake Some Action」というコンピレーション文化に代表されるように、少なくとも、パワー・ポップは、インディー系統のロックンロールとして、マニア向けの人気を誇るジャンルにとどまったような印象を受けなくもない。

しかし、1990年代に入ると、さりげな〜くパワー・ポップムーヴメントが到来、マシュー・スウィート、ウィーザー、ファンテインズ・オブ・ウェインといったロックバンドが台頭、セールス面でも健闘をみせた。それから、グリーン・デイ、シュガー・カルトをはじめとするポップ・パンクバンドがパワーポップの甘酸っぱいサウンドに再び脚光を当てたことにより、一般的な音楽ファンの興味がこのジャンルに注がれはじめた。それまではアレックス・チルトンをはじめインディーロックアーティストがこのジャンルを広め、「パワー・ポップ・スター」というべき存在がシーンに続々と登場していたが、アレックス・チルトンはインディー・ロック界のスターであり、ややこしい言い方になるけれど、一般的なロックスターとは言いづらいのである。

つまり、どこまでいっても、このジャンルは、ザ・ナックやチープ・トリックをはじめ、商業的には大成功を収めているものの、メインカルチャーとして認知されたのではなく、ローファイ等と同じように、インディー中のインディー音楽、サブカルチャーの真髄と称するべき音楽とも言えるのである。

だからこそ、マニア心をくすぐられると言うべきか、より探求してみたくなるジャンルなのである。

常に、何らかのフリークというのは、その対象物がわからないものであるほど興味を惹かれるからである。対象物の印象がぼんやりしていればなおさら。しかし、なぜ、パワー・ポップがこれまで、チープトリック、ウィーザーを除いてメインカルチャーとして浸透しなかったのだろうか疑問に思う。

未だこのジャンルについては曖昧模糊としている部分もあり、評論の専門家にしても、明確な言葉で定義づけるのは難しいように思える。そもそも、ビリー・アイドル擁するジェネレーション・Xはロンドンパンクシーンに位置づけられるロックバンドはよく聴いてみると、パワー・ポップの雰囲気もなくはない。そして、ザ・フーについても、最初期の音楽性は明らかに、モッズであるとともに、パワー・ポップを志向している面もある。こんなことを言うのは他でもないピート・タウンゼント自身が「自分たちの演奏しているのは、パワー・ポップである」とまで明言しているからである。

このジャンルは、1970、1980,1990というように年代別の流れとして追うことは出来る。おびただしい数のバンドを列挙していけば、実際、名盤ガイドは書籍としていくつか発行されているが、相当見栄えのするフローチャートが完成するだろう。しかし、このジャンルはときに、ロックであり、パンクであり、メタルであり、さらに、AOR,ニューロマンティック、フォークでもある。さながら様々に七変化する様相を呈しているといえる。しかし、普通であれば、書いていくうち、物事の核心へと迫っていくはずであるのに、書けば書くほど理解しがたい雰囲気のあるジャンル、それがパワー・ポップというジャンルの正体でもある。これは、実際に聴いて、その善し悪しを自分の耳で判断するしかないかもしれない。ある人にとっては「サイテー!」というものが、ある人にとっては「サイコー!」にもなりえる。でも、それこそがこの音楽の素晴らしさではないだろうか?

言い添えておきたいのは、パワー・ポップというのは、リスナーの数だけ答えが用意されている自由性の高いジャンルでもある。

それぞれ異なる考え、聴き方があってしかるべきジャンルだ。そして、良い音楽を、常に自発的に探しもとめるしか、この問いに対する答え、餓えを癒やす方法は見つからない。でも、だからこそ、というべきか、このジャンルの奥深さは、多分、一生涯かけても知り尽くすことは叶わないだろう。言ってみれば、無類の食通のために用意された味わい深いロックンロールなのである。


パワー・ポップの名盤ガイド

今回は、マシュー・スイートをはじめとすつ後の九十年代のパワーポップバンドは取り扱わず、70年代の初期のパワーポップシーンを担ったバンドについて取り上げていきます。パワーポップ関連の名盤を探す手引にしてみて下さい。


1.Rasberries

「Fresh」1972

 

ラズベリーズは、エリック・カルメンを中心に、ウォリー・ブライトン、デイヴ・スモール、ジム・ボンファウンティによってオハイオ州で結成されたアメリカンロックバンド。ビートルズの初期の音楽性に比するポップセンスを持ち、甘酸っぱいメロディーを散りばめたキャッチーかつセンチメンタルな楽曲で一世を風靡した。原題は「Fresh」なのに、邦題はなぜか「明日を生きよう」となっている。

日本で、アイドルグループとして最初期に売り出された経緯があるようで、実際の音楽性はシンプルでキャッチーではあるものの、ロックンロールとしても芯の太さを持つ。そのあたりが、最初、レコード会社が彼等をアイドルとして売出そうとしたため、その事が元で、バンドメンバー間で方向性の違いが生じ、74年のリリースを機に、ラズベリーズとしては解散を迎える。しかし、のち、2017年に見事なリユニオンを果たし、ライブ盤「Pop Live」をリリースして、往年の名曲を披露し、ラズベリーズのパワフルなサウンドが未だなお健在であると証明してみせた。

特に、パワーポップの名盤として名高いのが1972年にリリースされた2ndアルバム「Fresh」である。

一曲目にされている「I Wanna Be With You」はシングルとして日本でも大ヒットしたのを記憶されている方も少なくないはず。この楽曲に刻み込まれている爽やかさ、甘酸っぱっさ、青春の雰囲気はいまだなお輝かしさに彩られている。アルバム全体としてはアメリカン・ロック色が強いが、その他にも「Let's Pretend」といったパワーポップの珠玉の名曲ばかりが収録されている。  

 

Featured Track

 

 

 

2.Badfinger 

「No Dice」1970

 

ビートルズと同じインディー・レーベル、英アップルからデビューを飾り、世界的なロックバンドとして知られるバッド・フィンガー。メンフィスのビッグ・スターと共に、アメリカのインディーロックバンドの先駆けとして見なしても不思議ではない重要なロックバンド。

後の、マライア・キャリー、ニルソンといったアメリカのポップス界の大御所が彼らの名曲「Without You」をカバーしている。しかし、どことなくその代表曲「Without You」に象徴されるように、メンバーの死、金銭における問題というこの世の儚さがこのバンドイメージを悲哀あふれるものにし、ラズベリーズとは異なる影をこのバンドのイメージに落としているような感じもある。以前は、この英、アップルから発売した「No Dice」は入手困難だったそうなのだけれども、後にリマスター版が再発され、現在は入手しやすくなったのはファンとしては嬉しいかぎり。

「No Dice」に収録されている中では、「No Matter What」「Baby Blue」の二曲がパワーポップの先駆的な楽曲といえるかもしれないが、なんと言っても、このスタジオアルバムの醍醐味は「Without You」という名バラードに集約されている。サビの「君なしでは生きられない」というストレートな歌詞、喉を引き絞るようにして紡ぎ出される純粋な叫びというのは痛烈であり、今でもこの楽曲に匹敵するバラードソングというのは存在しない。後のニルソンのカバーヴァージョンも素晴らしい出来であるものの、切なく物憂げでありながら壮大な世界観を持つこのオリジナルヴァージョン「Without You」は、パワーポップの名曲としてだけでなく、アメリカのポップス史に残る偉大な名曲として、後世に語り継がれていってもらいたいと願うばかり。

 

Featured Track

 

 

3.The Flaming Groovies 

「Shake Some Action」1976

 

フレイミング・グルーヴィーズは、ロイ・ロニー、シリル・ジョーダンを中心にサンフランシスコで結成されたロックバンド。上記の二バンドに比べ、商業的な成功には恵まれなかったものの、ガレージロック、パブロックをはじめとする後のインディー・ロックシーンに影響を与えたロックバンド。

初期はMC5に触発されたガレージロックバンドの荒削りなロックの雰囲気を持っているが、特に、ロイ・ロニーVoが脱退し、後任として抜擢されたクリス・ウイルソンが加入した後は、長髪だったメンバーがすべてビートルズ風のマッシュルームカットにし、そして、スーツ姿を着込み、ストーンズ直系のマージー・ビート、バーズ寄りのフォーク・ロックを奏でるようになった。

特に、 フレーミング・グルーヴィー図の通算六作目となる「Shake Some Action」は、後に同名のパワー・ポップコンピレーション「Shake Some Action」がリリースされるほど、パワー・ポップの代名詞的なスタジオ・アルバムとなった。ビートルズやストーンズにいかになりきるかを探求したアメリカンロックバンドで、この米Sireからリリースされたスタジオ・アルバムも大半がカバー曲で占められているが、パワー・ポップというジャンルの意味合いを掴むためには、表題曲「Shake Some Action」を素通りすることは難しい。確かに、コピーバンド、コスプレバンドという指摘もされているロックバンドであって、お世辞にも一般的な知名度は高くはないけれど、パワー・ポップというジャンルを知るためには欠かすことのできない重要な傑作。 

 

Featured Track

 

 

3.The Rubinoors

「Back To The Drawing Board」1979

 

1970年代後半、ジョン・ルビノー、トミー・ダンバー、ドン・スピント、ロイス・エイダーらによってカルフォルニア、バークレーで1973年に結成されたルビノーズ。特に、コーラス・グループとしてビーチ・ボーイズに匹敵するほどの美麗なハーモニーを生み出す数奇なロックバンド。特にメーンヴォーカルのジョン・ルビノーの裏声ファルセットは息を飲むような美しさがある。

1977年の1stアルバム「The Rubinoos」の後にリリースされた「Back To The Drawing Board」1979はイギリスでレコーディングされた作品で、デビューアルバムに続いて、弾けるようなフレシュな青春の息吹の感じられるスタジオアルバム。特に二曲目「I Wanna Be your Boyfriend」は永遠のパワー・ポップの名曲といっても過言ではなく、後に、イギリスのファラーがカヴァーし、一躍有名となった。ジョン・ルビノーのリードヴォーカルには混じりけのない純粋さ、そして爽やかさ、さらに跳ねるようなポップス感があり、パワー・ポップとしての三拍子が揃った名曲。

この後に、ルビノーズは、この二作目のアルバム「Back To The Drawing Boardリリース後、エルヴィス・コステロのツアー「アームド・フォーセズ・ツアー」に同行し、世界的なロックバンドとして知られるようになった。1985年には、解散するものの、1999年にリユニオンを果たし、現役のロックバンドであり、長く頑張ってほしい良質なロックバンドのひとつでもあります。

 

Featured Track

 

 

4.Big Star 

「#1 Record」1972

 

ビッグ・スターはアメリカのインディーロックの大御所、アレックス・チルトンの在籍した伝説的なロックバンドである。

しかし、それほど一般的な知名度に恵まれていないのは、スタジオ・アルバムが三作しかリリースされず短命なバンドに終わったからだろうか。 しかし、特にこのロックバンドは歴代のインディーロックシーンを概観した上で、決して見過ごすことの出来ない最重要バンドでもある。というか、この人物を出発点として、アメリカのインディーシーンはつくられていった側面もなくはない(かもしれない)。アレックス・チルトンは後にザ・リプレイスメンツの「Tim」に参加したりもしているが、特に後発のアメリカのインディーシーンに与えた影響はきわめて大きいものがある。

ビッグ・スターの音楽性は、インディー・フォークの先駆的な音楽で、どことなく牧歌的な雰囲気を持ち、アレックス・チルトンの甘い歌声からもたらされる甘酸っぱいような青春の息吹が込められている。マニアとしては2ndの「Radio City」も聞き逃す事はできないが、やはり永遠のパワー・ポップの名盤としては1stの「Big Star」を挙げておきたいところだ。特に、「The Ballad of El Goodo」はバッド・フィンガーの「Without You」に匹敵するほどの背筋がゾクリとするような大名曲。きっと聴いていただければ、この一曲に出会えて、本当に良かったと思っていただけるだろう。他にも、インディー・フォークの名曲「Thirteen」「India Song」なども未だにアルバムジャケットデザインに描かれるスターのように、燦然とした輝きを放ち続けている。

 

Featured Track  


 

5.The Scruffs

「Wanna Meet The Scrauffs」  


ビック・スターと同じメンフィスから登場したスティーヴ・バーンズ率いるスクラフスを外すことは出来ない。

メンフィスのインディーレーベル、パワー・プレイからリリースされたこのデビューアルバムは、当初2500枚しかプレスされなかったというが、何故かパワー・ポップ名盤ガイドには必ずと言っていいほど登場する評論家贔屓の一作である。

初回のプレスが2500枚と、そのレア感もあってのことなのか、まだ学生時代に買ったときも中古レコードショップでは相当な高値がついていて、ディスクユニオンに売りさばいた時にも結構な音で売れた作品だったのだ。

スクラフスは、幻のパワーポップバンドであるらしく、後にコンピレーション作品「D. I. Y American Power Pop 1 Come Out And Play」がリリース、一般的にパワー・ポップというジャンルが知られるようになってからも、スクラフスの知名度だけはちっとも上がらなかったという皮肉じみたエピソードもある。

実際に聞いてみたとき、もう少しだけマニアックかと思いきや、意外にもスタンダードな音楽性だったため、逆に驚かされたというか肩透かしを食らったおぼえがある。それは、例えるなら、最初、ラモーンズがデビュー作が表向きは、相当デンジャラスな印象なのに実際聴いてみたら案外ポップだった!!というあの喜ばしい感じ。スクラフスの音楽性は、ビートルズ、キンクス直系のブリティッシュ・ビートを少し荒削りにしたロックバンドで、どことなく荒削りなガレージ色もあり。ラズベリースにも似た雰囲気を持つ良質なロックバンドとして知られている。

 

Featured Track


 

6.Cheap Trick

 「In Color」1977

 

日本武道館の公演の大成功により、おそらく日本ではビートルズに次ぐ人気を誇ったチープ・トリック。ロビン・サンダーとトム・ピーターソンの甘いマスクは、特に女性ファンの人気を獲得するのに一役買った。

しかし、このアイドルバンドとして日本で大きな人気を博してきたチープ・トリックサウンドの影の立役者は、まず、間違いなく、ギタリストのリック・ニールセンの紡ぎ出す職人気質なギターリフ、ドラマーのバン・E・カルロスのシンプルなタムストライク。それから、もうひとつは現在のオルタナティヴロックに通じるような雰囲気を漂わせるポップソングにあるように思えてならない。そして、数々のオマージュ、ビッグ・ブラックのカバーや、リバティーンズのデビュー作のアートワークのオマージュを見ても、意外にもメインストリームのバンドでありながら、米国や英国のインディー・ロック界にかなり影響を及ぼしているロックバンドであることが分かる。

もちろん、商業的に大成功を収めた作品といえば、”Surrender”が収録されている「Heaven Tonight」、日本公演の熱狂性を音としてパッケージした「At Budokan」が真っ先に思い浮かぶが、パワー・ポップの名盤としては、2ndアルバム「In Color」を挙げておきたいところである。

この作品には「I Want You,You Want Me」。後の彼等のライブレパートリーとなる名曲も魅力だが、「Hello There」「Come On,Come On」といったパワー・ポップの傑作、本格派のクールなアメリカン・ロックの楽曲がずら〜りと並んでいる。もちろん、ジャケットデザインも味わい深い。

 

Featured Track

 

 

7.Elvis Costello

 「My Aim Is True」1977

 

エルヴィス・コステロは世界的な知名度を持つミュージシャンであり、ロンドンパンクのリアル世代の体験者としても知られるミュージシャンである。ニューヨークのインディーロックのカリスマ、イギー・ポップとも長きにわたる親交があり、当時のシーンを共に語り合うインタビューも記事として残されている。そこで、イギー・ポップですらこのエルヴィス・コステロには頭が上がらないような雰囲気があり、つまり、ミュージシャンの大御所からも敬愛されるような偉大なミュージシャンなのだ。

コステロのイメージとしてロックンロール、ポップスミュージシャンとしての印象が強いものの、この最初期に発表された「My aim is True」はロックンロールとしての名作でありながらちょっと甘酸っぱいフレーズ満載のパワー・ポップとしての名作の一つとしてあげても不思議ではない。

特に名曲「Alisson」の素晴らしさについて、最早なんらかの講釈を交える事自体が無粋というもの。このまったりとしていて、さらに心が温かくなるような曲、聴いていると、自然と心に染みスッと渡るようなハートフルな名曲というのは意外に少ない。難しい事抜きにして、メロディーが心に染み入るのがコステロというアーティストの凄さなのだ。コステロの歴代作品の中でも、一二を争う最良の名スタジオ・アルバムとして、ぜひ聴いてもらいたい。1977年のリリースでありながら、ロックンロールとしても未だに色褪せない輝きを放つ作品である。また、ポップチューンとしても文句のつけどころのない。ロックンロールを最もよく知る数少ないミュージシャンの傑作、個人的にも、何度聴いたかわからない思い入れのあるスタジオ・アルバム。

 

 Featured Track


 

参考

power pop selected 500 over title of albums&singles シンコー・ミュージック 監修 渡辺睦夫