New Album Review  坂本龍一 『12』

 New Album Review  坂本龍一 『12』

 

 


Label: Commons/ Avex Entertainment

Release: 2023年1月17日



Review

 

これまでYMOのシンセサイザー奏者、ピアニスト、そして作曲家、様々なシーンで活動を行なう坂本龍一の待望の最新作。このアルバムは、近年、癌の闘病のさなかに書かれた彼の魂の遍歴ともいうべき作品である。そして、これらの12曲は、癌との闘いの中で、音を浴びたいという一心により書かれたピアノ作品集となっている。先日、放映されたNHKのピアノ・ライブではこの中の一曲が初めて披露された。また、その出演時のインタビューにおいて、坂本龍一はこのアルバムについてコメントしており、予め12曲を予期していたわけではなく、書き溜めていた楽曲を厳選していったところ、偶然、12曲になったという。『12』は、これ以上はない作曲者自身の選りすぐりのクロニクルとなっている。おそらくこれまで坂本氏の作品に触れてこなかったリスナーの入門としても最適なアルバムといっても差し障りはないように思える。

 

では、坂本龍一という音楽家の本質は何であるのか。先述のNHKのインタビューでは、「自分はピアニストとしてはそれほど優れているわけではないが、自分の作曲を演奏者として表現することが最適な方法だと考えてきた」というような趣旨の発言を行っている。一般に独り歩きするイメージとは裏腹に、自己に対して謙遜すらいとわない慎み深い音楽家のイメージが浮かび上がってくる。まさに、以上の言葉はこれまで明かされることのなかった坂本龍一という人物像を何よりも奥深く物語っている。そして、YMOのメンバーとして、あるいは戦場のクリスマス時の俳優として、その後のニューヨーク移住の時代、その後の音楽的な転向の時代ーーアルヴァ・ノトやクリスティアン・フェネス、ゴルトムントといったアーティストとコラボレーションを行った実験音楽家、そして文芸誌『新潮』でのがん闘病記の執筆。実は、そのどれもが坂本龍一という人物を表しているのである。

 

『12』は、プレスリリース時に発表されたとおり、制作された時期がそのまま曲名となっている。そして、その多くがパンデミックの始まりから一年あまりして書かれ、そして、およそ2年の歳月をかけてこれらの曲は書き上げられていったことが分かる。曲名は時系列ごとに並んでいるわけではなく、ランダムに配置されている。そして、作品を俯瞰してみると、その内容は、先にも述べたように、これまでの坂本龍一という音楽家のクロニクルとも捉えられないことはない。しかし、この作品を記念碑というようなかたちで解釈することは妥当とは言い難い。確かにピアノ曲、アンビエント、エレクトロニカ、この3つの柱が作品の核心にあることが理解出来る。しかし、それは、これまで彼が行ってきた事や、過去を回想するということではないように思える。坂本龍一という音楽家は、過去に埋没するわけではなく、さながら端的な日記を綴るかのようにその時々の内的な感性を探り、それらをピアノ曲、アンビエント、エレクトロニカというかたちで追究するのである。これは単なる音楽の提示ではなくて、音楽を通じての魂の探究なのだ。

 

個々の楽曲については、オーストリアのクリスティアン・フェネスとの共作の時代から探究してきたピアノ・アンビエントが作品の中心的な要素として据えられている。そして、ところどころには、近年、ご本人が探ってきた、日本的な感性や情緒というのがさり気なく込められているように思える。しかし、これまでの作風とは明らかに一線を画している。それはある意味で、オープニングの「20210310」や「20220214」で分かるとおり、神秘的な何かに対する歩み寄りが以前の作品に比べると顕著なかたちで刻印されている。それは、また、シンセサイザーのパッドを通じて、かつてのブライアン・イーノの『Apollo』の時代のようなアンビエントの厳選に迫ろうとしているとも解釈出来るのかもしれない。そして、これらの電子音楽としての間奏曲が、ソロ・ピアノをフィーチャーした楽曲の中にあって、強い生彩を放っているのである。

 

そして、これらのピアノ曲には、これまでのフランス近代和声からの影響に加えて、明らかにジャズの和音であったり、ドゥワップの時代のモード奏法の影響が取り入れられている。このジャズに対する親和性は、坂本龍一の以前の作品には求められなかった要素として注目しておきたい。これらの新味は、新作アルバムの終盤になって現れ、特に「20220404」において、これまでの戦場のクリスマスの時代のピアノ曲の作風に加えて、どのようなかたちで和音や対旋律の技法を駆使し、それらの要素を取り入れるのか試行錯誤している様子を伺うことが出来る。


不思議なことに、新作を聴いて一番驚いたのは、最後のクローズド・トラック「20220304」で実験音楽に挑戦していることである。アルバムのラストには、ピアノ曲を収録するかもしれないと考えていたが、オーケストラ楽器のクロテイルのような音(ガラスの破片がぶつかるような音)を捉える事ができる。この風鈴の音にも聴こえる音が、果たしてサンプリングによるものなのか、以前から試作していたフィールドレコーディングによるものなのかまでは定かではない。それでも、これらの全体的な流れを通じて感じられるのは、音楽家の神秘的なものに対する憧憬や親しみであると思う。そして、これらの12曲は、全体的な印象を通じ、”無限なる何か”に直結しているような気がする。もちろん、この『12』が、坂本龍一の最後の作品になるかどうかはわからない。それでも、坂本龍一さんが今もなお、新しい音楽に挑戦しつづけるだけでなく、さらなる高い理想を追い求めようとしていることだけは全く疑いないことなのだ。

 

 97/100

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