【Album Of The Year 2025】 Best Album 50 2025年のベストアルバムセレクション Vol.3 

 【Album Of The Year 2025】  Best Album 50   2025年のベストアルバムセレクション   Vol.3 


 

 

21.Richard Dawson 『End of the Middle』- Domino 



 

Richard Dawson(リチャード・ドーソン)はニューカッスルのミュージシャンで、まさしくいぶし銀とも言えるミュージシャン。アヴァンギャルドなフォーク・ミュージックを制作しつつも、決して難解な音楽ではなく、どことなく親しみやすさがある。

 

リチャード・ドーソンのアコースティックギターは、ジム・オルークや彼のプロジェクトの出発であるGastr Del Solに近い。しかし、単なるアヴァンフォークなのかといえばそうとも言いがたい。彼の音楽にはセリエリズムは登場せず、明確な構成と和音の進行をもとに作られる。しかし、彼の演奏に前衛的な響きを感じる。ドーソンの音楽はカウンターに属し、ニューヨークパンクの源流に近く、The Fugsのようなアート志向のフォーク音楽の原点に近い。それは、以降のパティ・スミスのような詩的な感覚と現実感に満ちている。 彼の作品にひとたび触れれば、音楽という媒体が単なる絵空事とは言えないことが何となく理解してもらえるでしょう。

 

リチャード・ドーソンのフォークミュージックは、フランク・ザッパ、キャプテン・ビーフハート/マジックバンドに象徴される''鬼才''ともいうべき特性によってつむがれ、ちょっと近寄りがたい印象もある。それは聞き手側がアーティストの個性的な雰囲気に物怖じしたり、たじろいだり、腰が引けるからです。でももし、純粋な感覚があれば、心に響く何かがあるはずです。賛美歌、ビートルズの『ラバーソウル』以降のアートロックの要素、パブロックのような渋さ、リバプール発祥のマージービート、それから60年代のフォークミュージック、そして、おそらくニューキャッスルの街角で聞かれるであろうストリートの演奏が混在し、ワイアードな形態が構築される。アルバムには、ほとんどエレクトリックの要素は稀にしか登場せず、音楽自体はアコースティックの素朴な印象に縁取られている。それにもかかわらず電撃的。


 「Gondola」

 

 

22.GoGo Penguin 『Necessary Fictions』 XXIM Records/ Sony Music



 

現在のマンチェスターの音楽シーンを見ると、ジャズ/エレクトロニックというのがキーポイントとなりそう。Gondowanaのオーナーであるマシュー・ハルソールを始め、秀逸なジャズミュージシャンが多数活動しています。

 

これは少しマニアックですが、Jazztoronicaという呼び方もあったほどで、かつては、ノルウェーなどのジャズの名産地で盛んな音楽でした。今年、初登場となったゴーゴー・ペンギンは、ロンドンやヨーロッパのジャズやエレクトロニック、ネオソウルに触発されつつも、次世代の音楽に取り組んでいます。このアルバムを聴いていると、近未来的ななにかを感じました。

 

 トリオの演奏力はきわめて高く、どのような音楽を演奏で実現するのか明確に見定め、各々が他者の意図を見事に汲み取り、上記のポリフォニックな音の構成により、イマジネーション豊かな音楽が構築される。鍵盤奏者、ウッドベース(コントラバス)、ドラムという必要最低限のアンサンブルであるが、室内楽アンサンブルのような洗練された質の高い演奏力を誇る。しかも、クリス、ロブ、ニックの三者の演奏者は、器楽的な特性を十分に把握した上で、それぞれの個性的な音を強調させたり、それとは対象的に弱めたりしながら、聞き応えのあるアンサンブルを構築していく。



『Necessary Fictions』は、彼らのライブレコーディングを垣間見るかのようにリアルに聞こえ、そして、現代的なレコーディングの主流であるツギハギだらけのパッチワーク作品とは異なる。録音のシークエンスは断続的で、48分という分厚い構成であるが、一気呵成に聞かせてくれる。このアルバムは、テクノ、ジャズ、ロック、どのようなジャンルのファンですら唸らせるものがある。そして、シンセ(ピアノ)、ベース、ドラムが全編で心地良い響きをもたらしている。ゴーゴー・ペンギンは、客観的あるいは批評的な視点を持っていて、それが余計な音を徹底的に削ぎ落とすというミニマリズムの本質へと繋がっている。ミニマリズムの本質とは、音の飽和にあるのではなく、音の簡素化や省略化にもとめられるというワケなのだ。



このアルバムのもう一つのトレードマークになっているのが、マンチェスターの実在の構造物をあしらったアートワークである。無機質であるが、機能的、デザインとしてもきわめて洗練されたアルバムジャケットは、ゴーゴー・ペンギンのジャズ、あるいは、テクノのイディオムと共鳴するような働きをなしている。また、そこにはドイツ/ドゥッセルドルフのような電子音楽の重要拠点と同じように、工業都市であるマンチェスターの現在と未来を暗示している。

 

  

「 Forgive The Damages(Feat. Daudi Matsiko)」

 

 

23, Frankie Cosmos 『Different Talking』 - SUB POP

 

 

NYのインディーロックバンド、フランキー・コスモスの現在のメンバーは、グレタ・クライン、アレックス・ベイリー、ケイティ・ヴォン・シュライヒャー、ヒューゴ・スタンレー。

 

クラインは唯一不変の存在で、スタンリー、ベイリー、フォン・シュライヒャーは重要なコラボレーターである。「グレタ・クライン」と「フランキー・コスモス」という名前を使い分けるのは正しくないだろう。クラインが主要なソングライターであることに変わりはなく、『Different Talking』の楽曲はバンド全体がアレンジしているが、このアルバムは外部のスタジオ・プロデューサーを起用せず、ユニットがセルフ・トラッキングした初のアルバムである。

 

このアルバムがロックなのか、それともポップなのかというのは意見が分かれそうだ。というのも、ギターやドラムの演奏は念入りに行われているが、音量的には最低限であり、グレタ・グラインのボーカルや音楽的な着想や構想を引き立てるような働きをなしている。これはフロントパーソンの音楽的な感性が確立されていて、それにある程度の自負がないと、周りを惹きつけたり先導することが非常に難しくなる。フロントシンガーとしては、エポックメイキングな効果や壮大な印象を与えることは少ないけれど、その音楽的な感性の強度はパティ・スミス、トム・ヴァーレインといったNYの象徴的な詩人に引けを取らない。加えて、2010年代から培われてきた多作な音楽家の性質が本作に強固なアクセントを与えている。

 
一貫して博愛主義や平和主義が貫かれるフランキー・コスモスの音楽的な精神は、このアルバムを本質を理解する上で重要になってくるかもしれない。そして、闘争、栄誉、利己主義、そういったものが蔓延する現代社会に対するシニカルな提言とも言える。それはまた表向きには出てこないし、明瞭には見えもしない。いわば音楽の背後にある本質や行間(サブテクスト)を捉えられるかが重要となってくる。音楽的にはその限りではないものの、マーリーやレノン、もしくは最初期のニューヨークの詩人たちのような理想主義に接近している。これらは全般的に、フランキー・コスモスの音楽性を、ビートルズの全盛期の印象に近づける場合がある。 

 

 

「Bitch Heart」 

 

 

 

24.Mamalarkey 『Hex Key』  - Epitaph



 
ロサンゼルスのMamalarkyは米国のパンクの名門レーベル、Epitaphと契約を結んで『Hex Key』を発表した。カルテットはおよそ8年間、LA、オースティン、アトランタに散らばって活動してきた。いつも一緒にいるわけではないということ、それこそがママラーキーのプロジェクトを特別なものにしたのか。ママラーキーのドラマーを務めるディラン・ヒルは次のように述べています。「私達は互いに大きな信頼を持っている。しかし、プロフェッショナルな空気感はありません。文字通り、四人の友人がブラブラして、なにかの底にたどり着くという感じです」

 

結局、ママラーキーの音楽の魅力は、雑多性、氾濫性、そして、クロスオーバーにあると言えるでしょう。ネオソウル/フィーチャーソウル、そしてパンクのエッセンスを込めたインディーロック、サイケ、ローファイ、チルウェイブなどなど、ベイエリアらしい空気感に縁取られている。


かしこまりすぎず、開けたような感覚、それがMamalarkyの一番の魅力である。これは、1960~70年代のヒッピームーブメントやフラワームーブメントのリバイバルのようでもある。ロックソングとしては抽象的。ソウルとしては軽やか。そして、チェルウェイブやローファイとしては本格的だ……。ある意味では、ママラーキーは、これまでにありそうでなかった音楽に、アルバム全体を介して挑戦している。新しいカルチャーを生み出そうという、ママラーキーの独自の精神を読み取ることが出来る。これらは、異なる地域から集まった秀逸なミュージシャンたちのインスタントな音楽の結晶とも言える。バンドサウンドと合わせて、ソロシンガーとしての個性を押し出したネオソウルのバラードソング「Nothing Last Forever」もある。



 「#1 Best of All The Time」 

 

 

25. Billy Nomates 『Metal Horse』- Invada



ビリー・ノメイツ(Billy Nomates)はイギリス/レスター出身のシンガーソングライター。元はバンドで活動していたが、なかなか芽が出なかった。しかし、スリーフォード・モッズのライブギグを見た後、ボーンマスに転居し、再びシンガーソングライターとしての道を歩むようになった。そして再起までの数年間が彼女の音楽に不屈の精神をもたらすことになった。2023年には『CACTI』をリリースし、話題を呼んだ。

 

『MetalHorse』はビリー・ノメイツの代表的なカタログが登場したと言って良いかもしれない。『CACTI』よりも遥かにパワフルで、そしてセンチメンタルなアルバム。ソロアルバムとしては初めてフル・バンドでスタジオ制作された。ベース奏者のマンディ・クラーク(KTタンストール、ザ・ゴー!チーム)とドラマーのリアム・チャップマン(ロジ・プレイン、BMXバンディッツ)が参加、さらにストラングラーズのフロントマン、ヒュー・コーンウェルが「Dark Horse Friend」で特別参加している。共同制作者も豪華なメンバーで占められている。

 

ビリー・ノメイツのサウンドはニューウェイブとポストパンク、そして全般的なポピュラーの中間に位置付けられる。そして、力強い華やかな歌声を前作アルバムでは聴くことが出来た。もちろん、シンガーとしての従来から培われた性質は維持した上で、『Metal Horse』では、彼女の良質なメロディーメイカーとしての才覚が遺憾なく発揮されている。前作『CACTI』では、商業的な音楽が中心だったが、今作はビリー・ノメイツが本当に好きな音楽を追求したという気がする。それがゆえ、なにかしら心を揺さぶられるものがある。本作は、ポーティスヘッドのジェフ・バーロウが手掛けるインディペンデントレーベル、Invadaからのリリースとなる。

 

「Dark Horse Friend」 

 

 

26.Kae Tempest 『Self Titled』 - Island


 

ロンドンのヒップホップ・ミュージシャン、ケイ・テンペストによる5thアルバム『Self Titled』は象徴的なカタログとなりえる。テンペストは、これまでアート志向のヒップホップミュージックを追求してきたが、前作よりもはるかに洗練された作品を提示している。すでにブリット、マーキュリー賞にノミネート済みのシンガーは、この作品で双方の賞を完全にターゲットに入れている。このアルバムは、UKドリルを中心とするグリッチを用いたサウンドで、その中には、ディープハウス、テクノ、ユーロビートのEDMのリズムも織り交ぜられている。近年では、ヒップホップのクロスオーバー化に拍車がかかっているが、それを象徴付けるアルバムだ。

 

また、ドリルの音楽に加えて、シネマティックなSEの効果が追加され、それらが持ち前の巧みなスポークンワードと融合している。ミュージシャンとしての覚悟を示唆したような「I Stand In The Line」は強烈な印象を放つ。ジェンダーのテーマを織り交ぜながら強固な自己意識をもとにしたリリックをテンペストは同じように強烈に繰り出す。テンペストのラップは、アルバムの冒頭を聞くと分かる通り、余興やお遊びではない。自己の存在と周りの世界との激しい軋轢を歌う。

 

この曲では、ハリウッドのアクション映画等で用いられるSEの効果がダイナミックなパーカッションのような働きをなす。シネマティックでハードボイルドなイメージを持つヒップホップという側面では、ケンドリック・ラマーの『GNX』と地続きにあるようなサウンドと言えるかもしれない。ドリルの系譜にある「Statue In The Square」でも同じような作風が維持され、エレクトリック・ピアノでリズムを縁取り、独特な緊張感を持つサウンドを構築する。同じようにテンペストの繰り出すスポークンワードもそれに呼応するかのような緊迫感を持つニュアンスを持つ。追記としては、未来を感じさせるヒップホップが収録されており、現在の他のアーティストとは一線を画している。このあたりは、やはりロンドンのハイセンスな音楽性といえるだろう。

 

「Breath」

 

 

 

27.Wet Leg  『Moisturizer』- Domino 



ワイト島のリアン・ティースデールとヘスター・チェンバーズが結成したウェット・レッグのは、この数年、大型のフェスを始めとするライブツアーを行う中、エリス・デュラン、ヘンリー・ホームズ、ジョシュア・モバラギの五人編成にバンドに成長した。


デビューアルバム『Wet Leg』では、ライトな風味を持つポスト・パンク、そしてシンガロングを誘発する独特なコーラスを特徴とし、世界的に人気を博してきた。その音楽性の最たる特徴は、パーティロックのような外向きのエナジー、そして内向きのエナジーを持つエモーションの混在にある。痛撃なデビューアルバム『Wet Leg』は、その唯一無二の個性が多くのリスナーを魅了し、また、ウェット・レッグをヘッドライナー級のアクトとして成長させた要因ともなった。デビュー当時は、ギターを抱えてパフォーマンスをするのが一般的であったが、最近ではリアン・ティースデールはフロントパーソンとしてボーカルに集中するようになった。

 
2作目『Moisturizer』にはデビューアルバムの頃の内省的な音楽性の面影は薄れている。むしろそれとは対極に位置するヘヴィネスを強調したオープニングナンバー「CPR」は、そのシンボルでもあろう。オーバードライブをかけたベースやシンプルなビートを刻むドラムから繰り出されるポスト・グランジのサウンドからアンニュイなボーカルが、スポークンワードのように続き、サビでは、フランツ・フェルディナンド風のダンスロックやガレージロックの簡素で荒削りなギターリフが折り重なり、パンチの効いたサビへと移行していく。スペーシーなシンセ、そして、ポスト・パンク風のヴォーカルとフレーズ、そのすべてがライブで観衆を踊らせるために生み出された''新時代を象徴付けるパンクアンセム''である。その一方、二曲目では大衆的なロックのテクニックを巧みに身につけ、アコースティックギターからストロークス風のミニマルなロックソングへと変遷していく。上記二曲はライブシーンで映えるタイプの曲だろう。

 

もう少しだけ、ニューウェイブに傾倒したロックになるかと思ったけれど、意外とそうでもなかった。いずれにせよ、今年の象徴的なロックアルバムであることは確かだ。アンセム曲 「Catch These Fists」の他にも、「Mangetout」、「Pokemon」など隠れた良曲が収録されている。

 

 

「Catch These Fists」

 

 

28.Indigo De Souza 『Precipice』 - Loma Vista



インディゴ・デ・スーザは、本来オルタナティヴロックやギターロックを中心とするソングライティングが主たる特徴であるが、今回はかなりポップソングにシフトチェンジし、音楽性の転換を図っている。もっとも、旧来からフィニアスの音楽番組の音楽を担当したり、Yves Tumorのプロデュースやコラボレーションも手掛けてきたことからも分かる通り、ジャンルレスのアーティストでもある。ミュージシャンは、ハリケーンの被害により自宅が大きな被害を受けた。

 

今回の大胆な音楽性の転換は、アーティストの評価を大きく左右する可能性もあるかもしれない。フィニアスへの楽曲提供を見ても分かる通り、この人は元来ヒットソングを書く才能に恵まれている。絵画的な印象は相変わらずである。アートワークのドクロ。それらは、ある種のトラウマ的な感覚から出発しているが、このアルバムではそれらが変容しつつある。印象主義だが、錯綜とした印象を持つニューサイケともいうべき派手なアートワークの印象。これまでとは対象的にポリネシア的な明るさ。それから海のような爽快なテーマが見え隠れする。これはポリネシア的なイメージに縁取られたミレーの「落ち穂拾い」のモチーフの継承でもあろうか。



音楽的にも、それらのトロピカルなイメージ、海と太陽、そして、Human League、a-haの系譜にあるテクノ・ポップ/エレクトロ・ポップが組み合わされ、最終的にはバイラルヒットを見込んだポップソングと結びつく。アンセミックなフレーズを唄うことを恐れず、これ以上、ニッチなアーティストとしてとどまることを忌避するかのようだ。さらに、このアルバムの原動力となったのは、内側から沸き立つ怒りの感情であった。それらはいくつかのハイライト曲の歌詞でも暗示されている。しかし、怒りを建設的なパワーに変換させ、世界への批評的な精神にシフトチェンジしている。このアルバムには、悲しみや怒りを通り越した本当の”強さ”が存在する。


 

「Dinner」

 

 

 

29.Goon  『Dream 3』- Bone Losers



USオルタナティヴロックの魅力がどこにあるのかと言えば、それは文化的な背景の混淆性や雑多性にある。音楽の雑多性が、他の地域のどのグループにも属さない独自性を発生させる。それはときには、西海岸らしい用語で言えば、サイケデリックーー混沌性ーーをもたらす。

 

Goonは、2015年から活動を継続し、2017年頃からまとまった作品を発表してきた。当初は、大学の友人を中心に結成され、バンド募集という一般的な形でラインナップが整ったという話もある。以前はサイケポップとも称されることもあったGoonの混沌性は、本日発売された『Dream 3』において、シューゲイズ、デスメタル、アメリカーナ/ケイジャン、グランジ、ゴシック/ニューロマンティックの系譜にあるドリーム・ポップというように、あらゆる可能性を探り、多彩な形を通じて万華鏡のような色彩的で奥行きのある不可思議な世界を構築していく。


グーンの進化は前作『Hour of Green Evening』でひとまず結実した。 今作は、ベッカーの青春時代の夜の郊外の世界を思い起こさせ、コンクリート打ちっぱなしの住宅とカリフォルニアの緑豊かな美しい風景が混在している。グーンはサウンド・タレント・グループとブッキング契約を結び、バンドは最近、フィリーを拠点とするレコード・レーベル、ボーン・ロサーズと契約し、LAのホライズンスタジオで2025年リリース予定の新作アルバムの制作に取り掛かった。


リーダーのケニー・ベッカーは、アルバム1枚分の楽曲をスタジオに持ち込んだ。「このアルバムの制作は興奮して始めた。曲作りは、決められた台本がなくて、手綱を緩め、一番面白そうなアイデアに従った。 最初は本当に楽しいレコーディングだった。 その後、人生で最も打ちのめされた時期がやってきた」 その後、彼の結婚生活はあっけなく終了したというが、その失意をクリエイティヴに生かして、パワフルなインディーロックアルバム『Dream 3』が誕生した。こうした複雑な背景から生み出された本作はオルタナティヴの本質を随所に持ち合わせている。

 

 

「Pasty's Twin」

  

 

 

30.Tommy Wa 『Somewhere Only We Go』 EP  - Dirty Hit (Album of The Year 2025)


トミー・ワーはアフリカの負の部分に脚光を当てようというのではない。アフリカの原初的な魅力、今なお続く他の土地から見えない魅力を自然味に溢れた歌声で伝えるためにやってきた。Tommy WÁの素晴らしい歌声は、オーティス・レディング、サム・クック、ジェイムス・ブラウンのような偉大なソウルシンガーのように、音楽の本当の凄さを伝えるにとどまらず、それ以上の啓示的なメッセージを伝えようとしている。高度に経済化された先進国、そして、頂点に近づこうとする無数の国家の人々が散逸した原初的なスピリットと美しさを持ち合わせている。 

 

Tommy WÁの人生観は、様々な価値観が錯綜する現代社会とは対象的に、シンプルに人の生き様に焦点が当てられている。個人が成長し、友人や家族を作り、そして、老いて死んでいく。そして、それらを本質的に縁取るものは一体なんなのだろう。この本質的な事実から目を背けさせるため、あまりに多くの物事が実相を曇らせている。そして、もちろん、自己という観点からしばし離れてみて、トミーが言うように、大きな家族という視点から物事を見れば、その実相はもっとよくはっきりと見えてくるかもしれない。家族という考えを持てば、戦争はおろか侵略など起きようはずもない。なぜなら、それらはすべて同じ源から発生しているからである。


このミニアルバムは、音楽的な天才性に恵まれた詩人がガーナから登場したことを印象づける。「God Loves When You're Dancing」は、大きな地球的な視点から人間社会を見つめている。どのような階級の人も喜ばしく踊ることこそ、大いなる存在が望むことだろう。それはもちろん、どのような小さな存在も軽視されるべきではなく、すべての存在が平らなのである。そのことを象徴するかのように、圧巻のエンディングを成している。音楽的には、ボブ・ディラン、トム・ウェイツ、ジプシー・キングスの作風を想起させ、ミュージカルのように楽しく動きのある音楽に支えられている。ボーカルは全体的に淡々としているが、愛に包まれている。すごく好きな曲だ。もちろん、彼の音楽が時代を超えた普遍性を持つことは言うまでもない。こういった素晴らしいシンガーソングライターが発掘されたことに大きな感動を覚えた。

 

 「God Loves When You're Dancing」 

 

 ・Vol.4に続く 

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