アイスランドの作曲家  Valgeir Sigurudsson


Valgeir Sigurdsson



 

アイスランド、レイキャビクという土地に、映画音楽畑を中心に活躍している極めて重要な現代作曲家が存在する。それが今回御紹介するヴァルゲイル・シグルソンという音楽家である。

 

このヴァルゲイル・シグルソンという作曲家は、元々、ビョーク主演の映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のサウンドプログラミング担当として、ビョークから直に抜擢を受け、この名画の音楽面での重要な演出に多大な貢献をはたした人物として知られている。すでに、音楽家としてのキャリアは長く、特に、映画音楽方面での活躍が目覚ましい作曲家として挙げられる。 

 

 

 

Valgeir Sigurðsson performing at PopTech in Reykjavík, Iceland in 2012
By Emily Qualey - <a rel="nofollow" class="external free" href="https://www.flickr.com/photos/poptech/7455184140/">https://www.flickr.com/photos/poptech/7455184140/</a>, CC BY-SA 2.0, Link

 

 

シグルソンは、元々、クラシックギターを学んだ作曲者ではあるものの、音楽大学で専門的に管弦楽を学んだ音楽家に引けを取らない重厚なオーケストラレーションを生み出す。その技法の巧みさは、往年のリムスキー・コルサコフやラヴェルにも比するオーケストラの魔術師ともいえるかもしれない。

 

これまでヴァルゲイル・シグルソンとしての名義のリリースは、それほど数は多くないものの、「Little Moscow」2018、「The Country」2020という映画作品のサウンドトラックをコンスタントに手掛けて来ている。彼の同郷レイキャビクには、もうひとり、”ヨハン・ヨハンソン”という既に今は亡き世界的な映画音楽の盟友ともいえる作曲者と同じように、世界的に見て重要な映画音楽、もしくは、ポスト・クラシカルの音楽家の一人として認知されるべきアーティストである。

 

ヨハン・ヨハンソンが生涯にわたり、クラシック音楽をどのようにして映画音楽として取り入れるのか、また、それを単体としての音楽として説得力あふれるものとするために苦心惨憺していたように、このシグルソンという作曲家も、ヨハンソンの遺志を引き継いで、前衛的アプローチをこれまで選んでいる。そして、このシグルソンという映画音楽家が、他の国の映画音楽作曲家と異なる特長があるなら、レイキャビクの名物的な音楽、エレクトロニカ、とりわけ、電子音楽、実験音楽の要素を、自身の音楽性の中に果敢に取り入れていることだろうか?

 

つまり、それこそがヨハン・ヨハンソンと同じように、このシグルソンという作曲家の音楽を、映画音楽から離れた個体の音楽、もしくは、独立した音楽として聴いた際、非常に崇高な味わいをもたらし、古典、近代、現代音楽と同じく、カジュアルではなく、フォーマルな音楽の聴き方ができる要因といえるだろう。もっといえば、このシグルソンの音楽は、音楽の教科書に列挙される古典音楽家と同じく、芸術的な背骨を持つ音楽者というふうに言えるのかもしれない。

 

これまで、ヴァルゲイル・シグルソンは、映画音楽のオリジナル・サウンドトラックの他に、それほど目立たない形で自身の音楽のリリースを行ってきた。

 

それは、2007年のアルバム「Ekvilibrium」に始まり、この作品では、映画音楽からは少し離れた電子音楽家し、エレクトロニカサウンドの最新鋭をいくアーティストとしての意外な表情を見せている。このあたりの映画音楽家らしからぬクラブ・ミュージックテイストも少なからず持ち合わせ、近年まで電子音楽の要素を上手く駆使して、独特な音楽を作り上げてきているのが、このシグルソンという作曲家という人物像に親しみやすくさせているような気もする。

 

そして、近年になって、シグルソンは自身の作品リリースで、電子音楽と映画音楽の要素をかけ合わせた現代音楽寄りのアプローチを図っている。レイキャビク交響楽団との共同作業を収録した「Dissonance」2017という作品を契機として顕著になって来ている。

 

この年代から、重厚な管弦楽法を駆使し、そして、映像を目に浮かばせるようなピクチャレスクな現代音楽、映画音楽に取り組む様になってきている。これはとくに、彼は五十という年齢でありながら、血気盛んにこの作風に真摯に取り組んできている気配が伺える。作品自体のクオリティー自体は年を経るごとに、管弦楽の技法の高い洗練度により近年凄みを増してきているように思える。

 

特に、シグルソンという単体の作曲家として見るなら、ここ二、三年で、この音楽家の本領が発揮された感もある。同郷レイキャビクのヨハンソンという偉大な作曲家の死去の影響があってのことかまでは定かでないものの、自身を彼の正当な継承者と自負するかのような麗しい管弦楽法を作品に取り入れている。それはよく使われるような「壮大なオーケストラレーション」という陳腐な表現は、シグルソンの崇高な音楽には相応しいとはいえない。そのような簡易な言葉で彼の音楽を形容するのは無粋であると断言できる。それほど深い味わいのある現代音楽、ポスト・クラシカルの重要なアーティストで、これからより素晴らしい作品が生まれ出てくるような気配がある。

 

今回は、彼のオススメのアルバム作品について取り上げて、シグルソンの素晴らしい魅力を伝えられたら喜ばしいと思っています。

 

 

 

 

「Drumaladid」2010

 

 

 

このアルバムは、映画音楽の作曲者としての下地を受け継いだ上で、シグルソンが親しみやすいポップス/ロック、あるいはフォークも作曲できることを見事に証明してみせた作品といえる。

 

アルバム全体としては彼の主要な音楽性、弦楽器のハーモニクスの美しさを踏襲した上で、さまざまなバリエーションに富んだ楽曲が多く収録されている。ヴァルゲイル・シグルソンの作品としてはエレクトロニカ、ポスト・クラシカル寄りの手法が選ばれた作品。アイスランドの自然あふれる美しい情景、町並みを、ありありと思い浮かばせるような清涼感のある穏やかな雰囲気の楽曲が多く、彼の作品の中では、最も親しみやすいアルバムといえるかもしれない。

 

全体的には、ピアノ、もしくは弦楽器をフューチャーした美しいハーモニーが随所に展開されている。このシグルソンにしか紡ぎ得ない独特で穏やかなポスト・クラシカルの雰囲気が心ゆくまで味わうことができる。そして、音楽家としてのキャリアがサウンドプログラミングから始まったように、ここでは、アルバム全体のトラックにディレイエフェクトを施したり、といった音のデザイナーとしてのシグルソンのセンスの素晴らしさが存分に味わえることだろう。このエフェクトにより、この作品は全体的に涼やかな印象に彩られている。この独特な涼味というべき雰囲気は、アルバムの最初から最後まで一貫して通じているように感じられる。 

        

 

驚くべきことに、一曲目「Grylukvaedi」では、デビュー作で見せたようなソングトラックを展開している。

 

ここで聴くことのできるアイスランド語の美しい質感というのは、他言語では味わえないニュアンスと言えるだろう。不思議なくらい清涼感のあるアイスランド語の雰囲気、エレクトロニカとフォークを融合したフォークトロニカに挑戦している。グリッチノイズ、そして、弦楽器のエフェクティヴなサウンド処理というのがこの楽曲の肝といえる。もちろん、ボーカル曲として聴いても十分に楽しめるはず。この言語の特有の美しさというのは、シガー・ロスというアーティストが世界に向けて証明してみせているが、この楽曲もシガー・ロスの音楽性に近い。北欧言語の語感から醸し出されるニュアンスの中に、奇妙なほどの清廉さが感じられるはず。

 

四曲目「I Offer Prosperity and Eternal Life」七曲目の表題曲「Draumaland」においてはピアノを全面に押し出した美しい印象のある楽曲である。時に、それはグロッケンシュピールやアコーディオンの付属的なフレージングによって、より神秘的な雰囲気も醸し出されているあたり、映画音楽家としての自負を表現しているような印象を受ける。そして、このあたりの繊細さのある楽曲は聞く人を選ばないポスト・クラシカルの名曲として挙げても差し支えないかもしれない。


六曲目「Hot Ground,Cold」、そしてまた、この楽曲のCoda.のような役割を持つ九曲目「Cold Ground,Hot」では、電子音楽、弦楽器としてのアンビエントに対する傾倒が感じられる楽曲である。 

 

前者は、抒情性により、全体的なアンビエンスが形作られている。それとは対象的に、後者では、電子音楽のクールさという側面が強調されているが、両者の釣り合いを図るように金管楽器、フレンチホルンが楽曲の中間部に導入されている。分けても、「Cold Ground,Hot」では、北欧のニュージャズへの傾倒を見せているのも聴き逃がせない。

 

また、ヴァルゲイル・シグルソンという人物の映画音楽作曲者としての深い矜持が伺えるのが、十一曲目の「Nowhere Land」である。ここでは、弦楽器のトレモロ奏法の醍醐味が心ゆくまで味わえる。ヴァイオリン、ビオラのパッセージの背後で金管楽器が曲の骨格を支えており、これが重厚感をもたらす。もちろん、その上にハープの麗しい付属旋律の飾りがなされているあたりも素敵である。楽曲の途中から不意にあらわれる弦楽器の主旋律というのも意外性に富んでいる。

 

コントロールが効いていながらも、徐々に、感情が盛り上げられていくダイナミック性。つまり、この点に、このヴェルゲイル・シグルソンという作曲家の卓越した管弦楽法の技術が、顕著に表れ出ているように思える。前曲「Nowhere Land」の雰囲気を受け継いだ続曲の意味を持つ「Helter Smelter」も面白い。楽曲名も、ビートルズのナンバー「Helter Skelter」に因んだものだろうか、重厚な弦楽器の妙味がじっくり味わいつくせるはず。正しく、終曲を彩るにふさわしいダイナミック性といえる。

  


「Kvika」 2021



そして、2021年リリースのスタジオ・アルバム「Kvika」は、ヴァルゲイル・シグルソンの集大成ともいえる作品である。

 

ここで、シグルソンは、これまでの作曲家、サウンドエンジニア、あるいはプログラマーとしてのキャリアからくる経験の蓄積を惜しみなく込めている。全体のトラックは39分とそれほど長くはなく、かなり簡潔な印象を受ける。アルバム全体が交響曲、あるいは、組曲のような性格を持ち、個々のトラック自体が重なることにより、一つのサウンドスケープとしてのストーリを形作っている。

 

「Kvika」において、シグルソンは映画音楽としてこれまで挑戦してきた作風をついに一つの高みにまで引き上げたという表現がふさわしいかもしれない。ここで見うけられる重厚なハーモニクスは、およそ体系的に管弦楽を学んだ作曲家としてでなく、現場のサウンドエンジニア、プログラマーとして肌でじかに学び取った生きた技法がここで大きく花開いたというように思える。

 

 

もちろん、映画音楽、サウンドトラックとして傾聴しても上質な味わいがあるが、この作品が素晴らしい由縁は、管弦楽の重厚な音の立体構造を、シグルソンがこれまで初期の作風から受けついできた電子音楽と絶妙に融合してみせたことだろう。全体的なオーケストラレーションとして聴くと映画音楽にも聴こえるはずだが、トラックの中には、そのハーモニーの美しさを損なわない程度に、シンセサイザーのシークエンス、また、時には苛烈なドローン・アンビエントのようなノイズを慎重に取り入れている。

 

しかし、今作を聴くかぎりでは、アイスランドで今流行のものに迎合するために、電子音楽のニュアンスが取り入れられたわけではないように思える。

 

それは、この重厚なオーケストラレーションをまるで脅かすように苛烈な電子音楽のシークエンス、あるいは、グリッチノイズが挿入されることにより、本来相容れないとも思われるオーケストラレーション、そして電子音楽の完全な融合を図って見せている。これが、この作品をきわめて上質あふれるものとし、スタンダードな映画音楽とは異なる響きをもたらしている。それは、シグルソンの最初の仕事として始まった「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の2000年からおよそ17年という長い歳月を経てようやく結実した、一つのライフワーク的な意味合いを持つ傑作ということもできるだろう。 

  


このスタジオ・アルバムは、全体が非常に繊細に、そして、綿密に組み合わされた一つの交響曲のように静かに落ち着いて耳を傾けるべきなのだろうと思う。幾つかの曲について論じさせていただく赦しを乞うなら、このアルバムの中「Trantiosn」「Eva's Lamant」という楽曲を、このアルバムの中の最も秀でた楽曲として挙げておきたい。

 

この弦楽器と金管楽器が中心の楽曲が湿られる中で、まるで草原の彼方に見える蜃気楼のような趣で、このピアノの美しい旋律によって組み立てられる楽曲はすっとごく自然に浮かび上がってくる。

 

他にも、十五曲目の「Back In The Woods」では、弦楽器のパッセージ、そして複雑なサウンドエフェクトにより、現代音楽に対するしたたかな歩み寄りも感じられる。アルバムの中で、クワイアとして異彩を放っている楽曲「Elegy」も美しく、おそらく初めてシグルソンは、清涼感に富んだ大自然を思い浮かべさせるような興趣のある歌曲に取り組んでいる。

 

ここからアルバムは、オーケストラレーションとしてのドローンアンビエントの領域に入り、それが最終曲のピアノの彩りにより最初のトラック「Foot Soldier」の重厚なモチーフに一つの循環を形って戻っていく。最後の楽曲「A Point,Ahead」を聴いた後に、最初のトラックを聴きかえすとその事が十全に理解できる。

 

今作「Kvika」は、全体を組曲として聴いても全く文句の付け所のない名作。今年度の映画音楽の最高傑作の一つに挙げられると思う。