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ドイツの作曲家/プロデューサー、Nils Frahm(ニルス・フラーム)が、2022年の3時間に及ぶアルバム「Music For Animals」以来となるソロ・ピアノ曲集の詳細を発表した。(Reviewを読む)


「Day」は3月1日にLEITER-VERLAGからリリースされ、限定盤とすべてのデジタル・プラットフォームで発売される。


2022年夏、ベルリンの有名な複合施設Funkhausにある彼のスタジオを離れ、完全な孤独の中で録音されたこのアルバムから先行シングル「Butter Notes」がリリースされた。


「Day」は、過去10年間、フラームが最初にその名を知らしめたピアノ曲から徐々に離れていき、それでもなお、より楽器的に複雑で複雑なアレンジを施した独特のアプローチに移行していくのを見てきた人たちにとっては驚きかもしれない。

 

さらに2021年、パンデミックの初期にアーカイヴの整理に費やした彼は、80分、23曲からなる「Old Friends New Friends」をリリースした。「Music For Animals」の延長線上にあるアンビエント的な性質から判断すると、この作戦は成功したと言えるが、フラームは初心に帰らずにはいられない性格の持ち主である。「The Bells」、「Felt」、「Screws」といった高く評価された以前のアルバムを楽しんだ人々は、「Day」の慣れ親しんだ個人的なスタイルに再び満足するはずだ。


「Day」には6曲が収録され、フラームが2024年にリリースを予定している2枚のアルバムの第1弾となる。そのうち3曲が6分を超える。しかし、その性質上、フラームはこのリリースについて、歌ったり踊ったりはしない。

 

その代わり、彼は現在進行中のワールド・ツアーを再開する。すでにベルリンのファンクハウスでの15公演が完売し、アテネのアクロポリスでの公演も含まれている。2024年7月にロンドンのバービカンで開催される数回のソールドアウト公演を含め、世界各地での公演が続く予定だ。

 

「Butter Notes」

 

 


アルバム発売後の特集レビューはこちらからご一読ください。



Nils Frahm 『Day』





Label: Leiter-Verlag

Release: 2024/03/01


Tracklist:

 

1.You Name It

2.Tuesdays

3.Butter Notes

4.Hands On

5.Changes

6.Towards Zero


Pre-order:


https://nilsfrahm.bandcamp.com/album/day

Weekly Music Feature

 

-Akira Kosemura(小瀬村晶) 

 


Kosemura Akira

 

ニューアルバム『The Two of Us」は国内外で高い評価を受けるピアニスト/作曲家の小瀬村晶が、気鋭のファッション・ブランドTAKAHIROMIYASHITATheSoloist.とコラボレーションした注目作。


小瀬村は最もストリーミングで再生されているクラシック・アーティストの1人で、日本のマックス・リヒターと称するべき。ジャイルズ・ピーターソンや大手メディアから注目を集め、Pitchforkから「飽きることの無い彼の旋律は、果てしなく他の音楽家と一線を画するものだ」と評されています。


自身の作品のみならず、カンヌ国際映画祭正式出品作品『朝が来る』(監督:河瀨直美)や、米国の人気TVドラマ『Love Is』など、国内外で数々の著名な映画、ドラマ、ゲーム、CM作品の音楽を担当するなど国内外で活躍を続ける稀有なアーティストで、その才能はデヴェンドラ・バンハートやジャイルス・ピーターソン、M83といった錚々たるアーティストからも熱烈な支持を集めている。デッカ・レコードからのアルバム『SEASONS』や、映画『ラーゲリより愛をこめて』、『桜色の風が咲く』の音楽などでも話題を呼んだ」


本作は、小瀬村と深い親交を持つデザイナーである宮下貴裕が手掛けるファッションブランド、TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.とのコラボレーション・アルバム。2021年と2023年に行われたコレクション用に小瀬村が書き下ろした8曲+インストゥルメンタル2曲がコンパイルされている。Vogue誌などからのコレクションを含め、絶賛を集めた楽曲の初商品化。一部楽曲ではイギリスの若手シンガー・ソングライターであるClara Mann(クララ・マン)をフィーチャーするなど、新たな試みも見せた注目の内容。アルバムのアートワークについても宮下が担当しています。

 


『The Two of Us』   Schole/Universal Music

The Two Of Us Front Cover Photo: ©︎TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.


Scholeのレーベルオーナー/ソロミュージシャンとしてポスト・クラシカル/モダン・クラシカル、エレクトロニカの日本国内での普及に多大な貢献を果たしてきた小瀬村晶(Akira Kosemura)の最新作は、彼のカタログの中でも随一の作品で、記念碑的なアルバムが誕生したと言えるでしょう。

 

今回のアルバム 『The Two of Us』には、イギリスの注目の若手シンガーソングライター、Clara Mann(クララ・マン)、及び、現地のコーラス・グループが参加しており、ソロアーティストのポップネスの範疇にある曲とは異なり、メディエーションに近い形でこのアルバムに貢献を果たしています。アルバムには新曲に加え、2022年のEP「pause」の楽曲が再録されている。全体的に聞いてみても、聴き応えたっぷりのポスト・クラシカル/エレクトロニカ作品になっていることが分かります。そして、これまでプロデューサー、映画、ゲーム音楽と多岐にわたる分野で活躍してきた日本人音楽家にとって、これまでの制作経験を総動員させたことがうかがえます。

 

従来の活動を通じて、基本的にはピアノを中心としてポストクラシカル/モダンクラシカルを制作してきたアーティストですが、今回の作品ではストリングスの演奏を交え、ドラスティックな転換を図っています。

 

現在、このジャンルの音楽を見るに、マックス・リヒター、オーラヴル・アルナルズ、ニルス・フラームといったアーティストが中心となっていますが、弦楽の格式高いハーモニーについては比肩するといえるでしょう。そして、Scholeのレーベルのモットーである日々の中にやすらぎをもたらすというコンセプトも、このアルバムにはっきりと読み取ることが出来るはずです。

 

Ⅰ「The Two Of Us(feat. Clara Mann)」は、イントロでは、協和音と不協和音の合間を揺らめくようにして、複数のストリングの感情的なハーモニーが紡がれます。弦楽器とピアノの合奏という形については、2010年代からアーティストがライブで取り組んでいた形です。ストリングスの抑揚が高まるにつれ、アーティストの最も得意とするピアノの演奏が加わり、そしてミステリアスな響きを持つクララ・マン(Clara Mann)のボーカルが参加すると、一大的なハーモニーが形成される。メディエーションの響きを持つマンのボーカルは意外性がありますが、さらに映画的な音響効果を交え、パーカションを追加し、このトラックはダイナミックな変遷を辿っています。

 

そのなかに、ピアノ曲とは別のもうひとつのアーティストの代名詞であるエレクトロニカのマテリアルを散りばめることで、曲は深みと奥行きを兼ね備えた音響世界を構築していきます。弦楽器のオーケストレーションは、マックス・リヒターの管弦楽の語法に則し、ミニマル音楽の技法を駆使することにより、美麗で親しみやすい効果を及ぼしている。アーティストの従来の曲の中で最も大胆であり、そしてダイナミックであり、そして美麗なひとときを味わえます。 

 

 

 「The Two Of Us (Feat.Clara Mann)」

 

 

Ⅱ「Lasting Memories」は、アーティストがこれまで最も重点を置いてきたミニマル音楽に根ざしたポスト・クラシカル/モダン・クラシカルの範疇にあるピアノ曲です。 しかしながら、このレーベルの最初期作品を知るリスナーにとっては、この曲を聴くにつけ、レーベルオーナーとして、あるいは、ソロアーティストとしての原点回帰のような意味合いを思わせるものがあります。

 

曲そのものは、これまでアーティストがソロ作品や映画音楽で取り組んできたドイツ・ロマン派の作風を彷彿とさせる「叙情的なピアノ」の作品の範疇に属しています。しかし、十年前と同じ形式を選んだからと言っても、曲の雰囲気は2010年代のものとは異なっていることが分かる。ピアノのハンマーの音をリバーブ的に活用した音作りに関しては、アイスランドのオーラブル・アルナルズの系譜にありますが、一方、曲の中には以前よりも、瞑想性、内的な静けさ、感情性を内包させています。さらに、アコースティック・ピアノの演奏のサウンド・プロダクションに関しては、リヒターの作品と同様にクラシックの格式高さと気品に満ちあふれているのです。夕べの空をながれていく美しい雲を眺めるかのようなノスタルジックな気風を反映されています。

 

Ⅲ「Empty Lake(feat. Clara Mann」では再び、イギリスのシンガーをゲストに迎え、モダンクラシカルの作風に舵をとる。ミニマリズム、クラシックという、現代音楽、古典音楽の新旧の要素を兼ね備えた形式は、この曲の土台を形成する水の揺らめきのように潤いあるリズムと旋律の流れを形成しており、マンのボーカルは、オープニングトラックと同様、メディエーション音楽の要素をもたらしています。しかし、マンの複数のボーカルの多重録音は、この曲にクラシカルとは別の米国の人気シンガーソングライター、ラナ・デル・レイ(Lana Del Rey)が最新作「Did You Know~?」でもたらした「映画音楽におけるポップネス」の意義を与え、そしてクラシカルにとどまらず、ポピュラーミュージックのファンやリスナーにも親しめる内容としている。

 

音楽形式そのものは、マックス・リヒターが志向する音楽性とそれほど乖離しているわけではないけれど、その中にボーカルトラックとしてのポピュラー性を付与していることに注目です。やがて曲は、ストリングスの精妙なハーモニーを交え、クララ・マンと小瀬村晶自身によるピアノと複雑に溶け込むようにし、徐々に構造的なハーモニーを形作っていきます。それはピアノのミニマリズムに属する伴奏を通じ、抑揚が引き上げられていき、祈りにも近いメディエーションの範疇にあるマンのボーカルが、あるポイントで、最も美麗な瞬間を形成する。当初は複数のパートとして分離していたように思えたものが、ワンネスに近づき、そしてその雰囲気を補強するような形で、ストリングのスタッカートの短いパッセージが駆け抜けていきます。

 

Ⅳ「Luminous」は、イギリスのコーラス・グループが参加した作品と思われ、教会のミサの典礼で歌われるような賛美歌の精妙な空気感が重視されている。宗教音楽やクワイアの形式に根ざした曲は、これまでアーティストがそれほど多くは取り組んできた印象がないので、旧来のファンとしては、新鮮なイメージを覚えるかもしれません。しかし、映画音楽とクラシックの中間にあるこのクワイアの曲は、アンビエント/ドローンに近い実験音楽の要素を上手く散りばめることで、表面的な印象をより強化し、実際に美麗なイメージをもたらしています。曲の後半では、クワイアとストリングスがより高らかな領域へと近づく瞬間を思わせ、時計の針のサンプリングを加えることで、美しい感情性の中にある時の流れを捉えようとしています。

 

以後、2022年のEP「Pause」に収録されていた4曲が続いています。「ⅵ(almost equal to)ⅸ)はゲーム音楽に近いエレクトロニカ、続く「elbis.rebverri」は、マックス・リヒターの「Blue Notebook』の時代の作風、オーラブル・アルナルズのピアノ曲、アイスランドのアイディス・イーヴェンセン(Eydis Evensen)のミステリアスなポスト・クラシカルの作風に転じています。

 

Ⅳ「lanrete」では、今はなき坂本龍一の代表的なピアノ曲を彷彿とさせる寂しさ、悲しみ、そして水たまりの上に雨滴が穏やかに降り注ぐかのようなピクチャレスクな瞬間性を捉えた親しみやすいピアノ曲へと転じています。

 

さらにそれに続く、Ⅴ曲目「ⅵ(almost equal to)ⅸ」)では、原曲のエレクトロニカ風の楽曲から一転して、アンビエントを基調としたポスト・クラシカル/モダン・クラシカルのディレクションのピアノ曲のアレンジへと移行します。上記の楽曲は、任天堂のSwithのゲームに楽曲提供した経験や、映画音楽への楽曲提供、それに加えて、ソロアーティストとしての潤沢な経験が反映されているので、2021年から2023年のアーティストの軌跡を捉えることが出来るはずです。

 

 

 「ⅵ(almost equal to)ⅸ」)

 

 

 

アルバムのオープニング曲のインスト・バージョンである Ⅸ「The Two of Us」は、一曲目よりもどのように旋律や抑揚が上昇していくのか、そのプロセスをさらに明瞭に捉えることが出来ます。当初のストリングスのハーモニーから、ピアノの演奏がミニマリズム的な構造を綿密に作り上げていき、2つ目のストリングスのレガート、そして、シンセサイザーの演奏を付加することにより、最終的に一大的な美麗な瞬間が形作られていきます。本作の最後を飾るのは、Ⅲ「Empty Lake」のインスト・バージョンであり、この曲もまた、クララ・マンが参加したボーカル曲とは相異なる感覚が漂い、ピアノの重奏曲による形式が原曲よりも明瞭となっています。ピアノ単体の曲として聴いても力強さがあり、叙情的な雰囲気を伴っていることがわかる。

 

 

「Empty Lake- Instrumental」

 

 

 

92/100

 

 

Akira Kosemura(小瀬村晶)の『The Two Of Us」は、日本国内では、"Schole Inc./Universal Music"より発売です。海外では"Decca"より本日から発売中。公式ストアでのアルバムのご購入はこちらより。

 

また、以前、Scholeの名盤特集を掲載しています。興味のある方はこちらの記事も合わせてチェックしてみてください。

 

 

映画、アニメ、CMの作曲家として多方面で活躍する、Rayonsがニューシングル「Aqua Spirit」をFLAUよりリリースしました。


「Luminescence」「A Fragment Of Summer」に続くシングルとなります。アートワーク、試聴、及び、配信リンクは以下より。

 

大ヒット映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」や河野裕原作のTVアニメ「サクラダリセット」、新田真剣佑×北村匠海W主演が話題となった映画「サヨナラまでの30分」など話題作のサウンドトラックを手がける日本人作曲家、Rayons。

 

今年最後となるシングル・シリーズの第3弾「Aqua Spirit」は、ポスト・クラシカルの世界に日本の美意識の繊細さと情緒的な深みを吹き込む感動的な楽曲。ピアノのミニマルなモチーフに、ストリングスの壮大さが融合したこの楽曲は、リスナーに水の満ち引きのような感情の波を呼び起こします。作曲の流動性と深みを連想させるタイトル通り、ピアノが広大な音楽の海の静謐な表層となり、弦楽器は感情の複雑さを何層にも重ね、深遠な感覚を生み出しています。



Rayons 「Aqua Spirit」‐ New Single



タイトル:Aqua Spirit
アーティスト:Rayons
アルバム発売日:2023年10月6日
フォーマット:DIGITAL
レーベル:FLAU

 

 

試聴リンク:

https://rayons.lnk.to/AquaSpirit 


配信リンク:

https://rayons.lnk.to/AquaSpirit


 

 

Rayons(レイヨン)

 
音楽家・中井雅子のソロプロジェクト。音大にて、クラシック、管弦楽法、ポップス、スタジオワークなどを学び、卒業後、音源制作を中心に据えた活動を開始。作曲、ストリングスアレンジ、ピアノ演奏等を行う。彼女が紡ぎ織りなす世界は、ファンタジーとダークネスな感情が重なり共鳴し特有の美しさとノイズを生み出している。

 

デビューミニアルバム『After the noise is gone』、Predawnをゲストに迎えたファーストアルバム『The World Left Behind』(2015)をリリース。映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」「サヨナラまでの30分」、TVアニメ「サクラダリセット」の音楽を手がける他、ゴンチチ、ももいろクローバーZ、小山田壮平、majikoらの作品に参加している。Rayonsとは、フランス語で「光線」「半径」の意。

 Spencer Zahn  『Statues Ⅰ』

 


 

Label: Sudden Records

Release: 2023/ 8/11

 


Review

 


現在、ブルックリンを拠点に活動する、マサチューセッツ出身であるスペンサー・ザーンは、12歳の頃にベースを弾き始めた。2000年代半ばにニューヨークに移住してからは、ツアー・ミュージシャンとして活動し、ジャンルを越えて、多様なアーティストとライブを行って来た。

 

ザーンのソロ・アーティストとしてのキャリアは、その後、志を同じくするギタリスト、デイヴ・ハリントンと共演を始めた2015年と同時期に始まった。「インストゥルメンタル・ミュージックの世界に戻りたいと強く思った」彼は説明する。「デイヴは、僕がソロでレコーディングするすべての中心的存在だ。お互いの直感を信頼している」と。現在は、マルチインストゥルメンタリストとして複数の楽器を演奏し、幅広い音楽性を擁する作品を発表しつづけている。

 

近作においては、エレクトロニカ、実験音楽、ジャズ、クラシックをクロスオーバーしたジャンルに規定されない作品を発表してきたスペンサー・ザーンの最新アルバム『Status Ⅰ』は、そのすべてがピアノ曲を中心としている。落ち着きがあり、間という概念を取り入れた気品溢れる音楽性が全編を通じて示されている。ザーンのピアノ演奏はポスト・クラシカル/モダンクラシカルに属するが、演奏法にはジャズ・ピアノの影響が織り交ぜられ、ジャズ的なスケールや和音を駆使している。演奏のスタイルは、米国のジャズの巨人たち、ビル・エヴァンスとキース・ジャーレットの系譜にある、と思う。ただし、スタンダードなジャズではなく、それを少し崩した形で演奏され、ポピュラー寄りのジャズ/クラシックとして楽しんでいただけるはずだ。


オープナー「Short Drive Home」は無調に近い摩訶不思議なピアノ曲。その音の運びはバッハの「平均律クラヴィーア」のようであるが、技巧を衒うことはなく、一音一音をシンプルに奏でている。例えば、シュールさについては、ケージやフェルドマンのニューヨークの現代音楽の系譜にある。一方、実験性に凝るわけではなく、ジャズ的な分散和音を取り入れることで聴きやすい小品として昇華している。演奏の間のとり方については、ECM New Seriesのジャズ・ピアノの演奏家を彷彿とさせる。これは無音という静寂を相手取ってのライブ・セッションとも称せる。ピアノの減退音(ディケイ)に対し、どのように音を運ぶのかに注目してもらいたい。

 

「Snow Fields」は、冬のニューヨークの雪が舞い落ちる情景がぼんやりと目に浮かぶ。音の運び一つ一つに慎重に注意が向けられ、優しく穏やかな雰囲気に溢れている。都会のオシャレな情景を切り取ったかのよう。伴奏の和音に対し、ジャズのインプロバイぜーションにも近い主旋律の演奏が繰り広げられる。クラシックとジャズの中間にある美しい一曲である。


「Lullaby For My Dog」は、制作者と愛犬との生活が描かれていると思うが、日常的な光景ですらも非日常的なロマンティックなものに変化させてしまうザーンの手腕には脱帽するより他ない。この曲は、ドイツのニルス・フラームのピアノ曲にも比する、高級感のあるポスト・クラシカルの形で展開される。響きの中には、ドイツ・ロマン派の影響もあるように思えるが、その一方で、モダン・ジャズからの引用もあるように思える。ピアノの伴奏と旋律は、これらの2つの音楽の意識の海の間を漂うかのように、どちらに向かうともしれず揺蕩いつづけるのだ。


実は、この段階でBill Evans、Keith Jarrettのようなジャズ・ピアノの大家に加え、2000年前後のエキゾ・ジャズが流行った頃に台頭したイスラエルのピアニスト、Anat Fortに近い音楽なのかもしれないという印象を持ち始めたが、次の曲「Never Seen」でそのことが確信に近くなる。ゾーンのピアノの演奏は、一貫して硬質な感覚に満ちていて、ジャズともクラシックとも付かない抽象的な和音によって紡がれていくが、その音は次第に格調高い響きに変わり、その後、ある種、崇高さすら感じえる演奏へと変遷を辿る。


スコア(記譜法)には、和音と対位法の双方の技法が取り入れられ、リズムと旋律の黄金比を絶妙に保っている。理知的かつ論理的な構成力はもちろんのこと、情感を失わないピアノの演奏には大いに着目したい。そして、湖の表面に降り落ちる雨が一瞬の波紋を形作る瞬間のように、奇跡的な音楽性を築き上げている。その奇跡的な一瞬をこの曲で聞き届けることができる。

 

 

「Lawns」は、単音のスタッカートの主題によって始まる一曲であり、以降はクラシカル調の音の進行が展開される。 ただ、ジャズの演奏にしろ、クラシックの演奏にしろ、モチーフを変奏させるライティングの技量が必要となるが、ゾーンはそれらの技術を難なくクリアしている。これがミニマリズムという形式の範疇に、この音楽をとどめておかない理由でもあるのだろう。


一定のリズムを配した伴奏に加え、ジャズ的な主旋律が加わるが、一方、その和音は、上下の和音ではなく、中の和音を組み替えあれることによって、異なる音響性をもたらし、曲が進行していく毎に、雰囲気を徐々に様変わりさせていく。ある和音では、悲しみを思わせたかと思えば、次の和音では、硬質な感じを思わせ、さらに次の和音では優しげな感じを、その次の和音では、柔らかな感覚を生み出す。これらの和音の心地よい連続的な変化は、曲の終盤に至ると、モダン・ジャズとジョン・レノンの「Imagine」の中間にある奇異な曲調へと変遷を辿っていく。

 

アーティストは、エレクトロニック、ジャズ、クラシックにとどまらず、アメリカーナにも影響を受けているという話だが、「I Used To Run」では、フォーク的なルーツが微妙に反映されている。あっという間に終わってしまうこの曲は、本来はギターで演奏するようなフォーク音楽をピアノで演奏にしていると思われる。旋律の中には、和風のスケールが部分的に取り入れられている。John Cageの「In a Landscape」、「Dream」に近い落ち着きがあり、禅の作庭や山水画のような印象をもたらす。もしくは、鹿威し、蹲といった、日本庭園にある水の装置を想起させる。米国的な文化性に加え、日本的なエキゾチズムが混淆したような面白さだ。

 

「Curious Flame」のイントロは、米国のポピュラー・ミュージックのソングライティング性を思わせる。その後は、モダン・ジャズの気風を反映した曲調へと変遷を辿る。アルバム中盤の曲と同様に、左手の伴奏は、心地よい水の流れのように空間を移動していくが、主旋律はそれらの抽象的な雰囲気を強める役割を担っている。それらの主旋律の運びは稀に詩的な感慨が漂う場合もある。その後には、色彩的な和音が取り入れられ、取っ掛かりのようなものを作っている。


和音の流れは、緩やかに流れていったかと思うと、ふと、その瞬間に立ち止まる瞬間もある。これらの流動的な構成は、いっかな途絶えることなく曲の終わりへとつづいていく。伴奏と主旋律は、常に対話のような形で配置され、2つの空間に置かれたコール&レスポンスのような効果を生み出している。驚くべきは、これらの技法は、そのすべてが一台のピアノでおこなわれていること。そしてノート(音符)が全部鳴り止んだ瞬間、それまでそこにあった感覚が目の前から立ち消え、じんわりした余韻が残る。温かな感覚のみがその後の一刹那に残りつづける。

 

 

これらの潤沢なモダン・クラシカルの時の流れは、アルバムの終盤になっても健在である。「Two Cranes」は、分散和音(アルペジオ)が清らかな水さながらに、緩やかに、心地よく流れていく。流れに身を任すと、その正体に同化することもできなくはない。そして、情景的な音の旋律は、曲の中盤に至るまで、緩やかな感情の起伏を作りながら続いていく。稀に、流れの中にジャズ的な和音が現れたかと思うと、たちまち消えていく。アンビエント風のシークエンスを追加し、雰囲気をもり立てたくなるような曲ではあるが、それをあえてせず、ピアノのみでこれらの情感たっぷりのサウンドスケープを生み出しているのが重要なポイントである。

 

「平均律クラヴィーア」のフーガのような対位法の技法を取り入れたこの曲の中には、一瞬に過ぎないが、ドイツのロマン派やウイーンの古典派の巨人達に対する憧憬がかすかに霞む。しかし、ペーソスに近い何かが立ち現れたかと思うと、やはり、すぐさまその感覚は立ち消えてしまう。いわば後腐れないゾーンのスマートな感覚が、これ以上はない心地良い感覚を与している。陶酔感のある澱みのない流れは、曲の終わりにかけ、次第に薄められ、さらにテンポダウンしていき、心地よさの中に消え果てていこうとする。それ以前の透徹した感覚を相携えながら。



最後の曲「Sway」は、本作の中で最もペーソスが漂う。悲しみは十分な間を取りながら、繊細なピアノの演奏という形で紡がれていく。アルバムの中では、最もモダン・ジャズの要素が薄く、ポピュラー・ミュージックに近いクラシックとして聴くこともできるが、これらの簡素な構成の中に低音部が加わることで、高級な感覚を残す。それは物質的な高級感ではないのだと思う。


『Statues I』は作品としてずば抜けて完成度が高く、音楽として徹底して磨き上げられている。序盤から終盤にかけて、集中力が途切れず、ストレスなく聴き通すことができることから、現行のポストクラシカル/モダンクラシカル/モダン・ジャズとして、秀作以上の位置づけが妥当であるように思える。今秋に発売されるという第二編『Statues Ⅱ』にも大いに期待したい。



 

94/100

 

 

 ・ポストクラシカル/モダンクラシカルとは何か?




そもそも、最初にポスト・クラシカル(Post Classical)という用語を誰が最初に使うようになったかは定かではありません。

 

しかし、1990年代や2000年代にロックの未来形を意味するポスト・ロック(Post-Rock)という用語が出てきたことと何らかの関連性があるように推察されます。それ以前はアナログ録音が主流でしたが、デジタル・レコーディングが主流となるにつれ、一般的な録音環境にも、デジタル録音の技術が取り入れられるようになっていきました。この流れに乗じて、Protoolsのようなプロ向けの録音ソフトの普及と合わせて、1998年のBill GatesのWindowsの普及、及び、Steve JobbsがもたらしたApple(Mac)の旋風は、個人的な録音の技術に革新性をもたらさずにはいられなかったのです。

 

特に、今も多くのミュージシャンに愛されているGaregebandがMacの標準的なアプリとして導入されていたことも、専属のエンジニアに使用が限られていたデジタル・レコーディングを一般的に普及させる要因となりました。シンセ音源を別途に購入せずに、ラップトップのキーボードで音源を内臓のスピーカーから出力させるというのは画期的であり、ほとんど発明に近かった。また、この技術はApple Musicのようなストリーミング・サービスの浸透とともに、一般的なアマチュア音楽家にも、デジタル・レコーディングとDTMを普及させていくことになりました。

 

実は、商業音楽の歴史を概観すると、人工録音と生録音の融合は、その前の時代に、一部の感覚の鋭い音楽家により取り入れられていました。これらは、音楽産業の主要な土地で、ほとんど同時的に発生した動向です。


例えば、90年代には、米国のトータス(Tortoise)がジャズ・ロックとエレクトロニクスを融合させていたし、また、英国のRadioheadは、「OK Computer」の後の時代を通じ、ロックとエレクトロニクスを融合させて、いかにして未知の音楽を生み出すのかを主眼に置いていました。その他、スコットランドのMogwaiは、以前のアイルランドのMBVのエレクトロ・サウンドに触発を受け、デジタル録音と打ち込み音源を巧みに音楽の中に取り入れ、レイヴとハード・ロックをかけ合わせ、ポスト・ロックというジャンルを一般的に普及させる役割を担いました。

 

そして、このデジタルの録音技術は、さらに全く別のジャンルを生み出すことにも繋がった。 それが今回、名盤特集として取り上げるポスト・クラシカル/モダン・クラシカルというジャンルの正体です。従来まで、クラシカルは一般的に音楽大学や専門の教師から体系的にコンポジションを学び、そして、正当な教育を受けた作曲家のみが楽譜を書き、それらの作品をオーケストラに委嘱し、初演という形でコンサート・ホールでお披露目するというのが常道でした。これは、バッハやモーツァルトが教会側に委嘱され、教会のための音楽を作曲することが多かった中世の時代から、20世紀のイゴール・ストラヴィンスキー、及び、その後のモートン・フェルドマン、フィリップ・グラスの時代までのクラシカルの揺るがぬ伝統性でもあったのです。

 

確かなことは言えませんが、21世紀の現代音楽の世界でも、基本的にはクラシックという観点から考えてみると、差異はないように思えます。それはスコアとしての記譜が行われた後、オーケストラが初演し、コンサート・ホールの観客がその音楽に裁定を下す、という一連の形が古典音楽としての基本的な作法でした。その合間で、ロベルト・シューマンやロマン・ロランのような音楽評論家たちが、その音楽の良し悪しを詩的かつ文学的に論ずるという過程はありました。

 

ところが、映画音楽/劇伴音楽のコンポジションをみても分かる通り、現代の古典音楽に触発されたポスト・クラシカルは、体系的な音楽教育を受けたか否かに関わらず、手軽に作曲できるようになっています。


制作のハードルがグッと下がり、オーケストラの楽団を雇わないでも、ソフトウェア音源でオーケストラの代用ができる時代に突入しています。20世紀までは、高名な作曲家が映画のスコアと手掛けるものと相場が決まっていました。そして、その作曲家は、コンポジョションはもとより、オーケストラの記譜法に精通していなければならない決まりになっていた。これは『ゴジラ』のテーマ曲や、古いバージョンの地震速報の環境音を制作した作曲家の伊福部昭を見るとよく分かります。

 

やがて、20世紀後半になると、著名なポピュラー音楽のコンポーザー/アレンジャー、そして、一般的なミュージシャンでさえも、オリジナル・スコアを普通に手掛けるようになっていき、体系的な音楽教育を受けたコンポーザーと、そうでないコンポーザーの間の差異は、ほとんどなくなっていきました。これは、Stylusのようなオーケストラ楽譜のソフトウェアの普及も大きな効果があったでしょうし、さらに、Logic Studioをはじめとする作曲ソフトウェア、IK Multimedia、East Westなど無数のソフトウェア音源の普及も、同じように映画音楽制作に一役買ったものと推測されます。


つまり、現在の映画音楽の世界では、必ずしもオーケストラ楽団を雇わずとも、ストリングスやホーン、オーケストラ・ヒット、クワイア・コーラスに至るマテリアルを、映画音楽/劇伴音楽の作曲法に取り入れることが可能になりました。この革新性がオリジナル・スコアの制作時に、体系的なオーケストラの記譜法の教育を受けているか否か、という垣根を取り払うことに繋ったのです。

 

 

 
・ポスト・クラシカルの特性 ーその出発点 ヨハン・ヨハンソンの亡き後ー


これまで、私が現代の音楽シーンを語る際、北欧のアイスランドを最重要視して来たのには大きな理由があり、つまり、現代の音楽のジャンルのひとつの出発点はアイスランドにあるかもしれないということです。


結局のところ、映画音楽という観点から、これらのポピュラー音楽とクラシック音楽を融合させて、それらを説得力のある新しいプロダクションとして提出したのが、アイスランドのヨハン・ヨハンソンでした。


彼は、映画音楽という側面で、大きな革新性をもたらしました。生前を通じて、映画音楽に多大な貢献を果たし、その後の時代のポスト・クラシカルの素地を、90年代を通じて形成したと見て間違いありません。

 

その後、時代を経て、最初にポスト・クラシカル・サウンドの原型を形成したのがベルリンの音楽家、ニルス・フラームです。


彼は、エレクトロニックのプロディーサーとしても傑出しています。ポスト・クラシカルの原型となるドイツのロマン派に触発されたピアノ曲を生み出した。同年代にエレクトロニックのプロデューサーがクラシカル風の音楽を制作するケースはあったと思われますが、フラームはそれをロマン派に触発された作風として、「Wintermusik EP」(2009)という作品を通じて確立しています。

 

ニルス・フラームはシューベルトのピアノ・ソナタや、ショパンのピアノの小品集のように、ロマンティックで叙情的な東欧圏のピアノ曲の伝統性を現代に復刻しました。そして、エレクトロとオーケストラとの融合は、ニルス・フラームのBBC Promsの公演で世界的に知られることに。同年代、北欧のアイスランドにも、オラファー・アーノルズ(Olafur Arnolds)という傑出した作曲家も誕生しました。両者は後に、実際にコラボレーターとして、共作アルバムを発表することになりました。

 

これらのポスト・クラシカルの範疇に属する音楽家のピアノの録音には、古典的な気風を反映しながらも、それとは別の録音プロセスが存在していました。それはエレクトロニックやアンビエントといったジャンルの音響性を反映させ、プロダクションに取り入れようという考えなのです。


一例では、ピアノのハンマーをリバーブ/ディレイによって強調させ、ハンマーの音を録音中にノイズ的に処理して取り入れるという趣旨です。 これは後の2010年代になると、数多くの音楽家によって取り入れられ、ミックス/マスタリングとして顕著になっていった傾向です。時にはオラファー・アーノルズのように、特注のピアノを取り寄せ、ピアノの蓋を取り、ハンマーの音をコンデンサー・マイクロフォンで拾い、プロダクションの中に取り入れる手法が確立された。

 

また、もうひとつ主なポストクラシカルの音楽的な特徴としましては、現代作曲家のグラス、ライヒのミニマルの影響、及び、ドビュッシーやサティの系譜に属する簡素な鍵盤楽器の演奏法があります。


つまり、ミニマル・ミュージックであれば、卓越した演奏力を必要としないため、作曲家としてピアノの演奏に精通していなくとも、良質な作品が生み出すためのハードルが下がりました。かつてのリストやショパンのように、軽やかにトリルやグリッサンドが弾けなくても、また、バッハの「Goldberg Variations」のウィーンの原典版のように装飾音を巧みに弾けなくても、2023年現在では古典派風の音楽を制作することはそれほど困難なことではなくなったのです。

 

2010年代になると、アイスランドはポスト・クラシカルというジャンルを地元のレイキャビク交響楽団との協力やキャンペーンを通じて、一大的なプロジェクトへと変化させていきました。


その後、複数の優秀なミュージシャンが登場しています。元はニューヨークでファッション・モデルをしていたアイディス・アイヴェンセン(Eydis Evensen)も2020年代のポスト・クラシカルの注目アーティストに挙げられます。また、ポスト・クラシカル、ポップス、ソウルを融合させたAsgeir(アウスゲイル)も登場しました。また、この国の象徴的な歌手であるビョークがポップスの中にオーケストラの対位法を取り入れ、エクスペリメンタル・ポップとして昇華した『Fossora』(2022)を発表したのも、これらのアイスランドの音楽シーンの動向を敏感に察知したからなのです。

 

 

・ポスト・クラシカルの波及 ー米国、英国、ヨーロッパ、アジアー


Keith Kenniff 米国のポスト・クラシカルの先駆者のひとり


アイスランドに始まり、そしてドイツへと単発的に波及したポスト・クラシカルの動きは、他の音楽産業の盛んな土地へも波及していきます。


そしてその始めこそ、体系的な音楽教育を受けなかった作曲家を中心にもたらされたウェイヴは、逆説的に体系的に音楽教育を受けた音楽家をも取り込み、世界的なムーヴメントへと移行していきました。 


特に、この動きを受けて、米国でも複数のミュージシャンがこれらのピアノを中心とする作風に取り組むようになります。

 

例えば、後に坂本龍一とコラボレーションを行ったキース・ケニフのHeliosとは別のプロジェクト、Goldmundをはじめ、古典的なロマン派の音楽に触発されたピーター・ブロデリックなど、才気煥発なポスト・クラシカルに属する音楽家が、2010年代を通じて活躍するようになった。また、イギリスでも、この動きと関連する音楽家が出現し、マンチェスターのDanny Norburyというチェロ奏者もシーンの一角を担う存在でしょう。


さらに、フランス、オランダからも個性的なポスト・クラシカルアーティストが登場した。さらに、アジアにもこの音楽に触発を受けた音楽家が数多く登場しています。


エレクトロニカの傑作『Sail』を2003年にリリースし、映画音楽やドラマ音楽等で活躍する高木正勝は、同じピアノの録音技術を取り入れて、日記のような形で、bandcampでポスト・クラシカルの作品「Marginalia」を発表しつづけています。現時点では140のシングルが発表されています。

 

また、先日、イギリスのクラシックの名門、Deccaと契約を交わし、最新作を発表した小瀬村晶も2010年代から率先してこのジャンルに取り組んできた象徴的な音楽家です。


また、日本を離れて、ロンドンの音楽シーンで注目を浴びるシンセ奏者/歌手の大森日向子もポスト・クラシカルに触発された曲を発表しています。同じく、ロンドンの実験音楽/エクスペリメンタル・ポップのシーンで活躍し、イタリアの教会等でライブを行うHatis Noitもモダン・クラシカル系のアーティストとして活躍の裾野を広げ始めています。どこからどんなアーティストが出てくるのか、まったく予測がつかないというのが、このジャンルの最も面白い点でしょう。

 

上記のことは、すでに過去のアーカイブで何度も部分的に言及してきましたが、今回、改めて体系的にまとめておくことにしました。ひとつ補足しておくと、ポスト・クラシカルというジャンルは、必ずしも単一の音楽として存在するわけではありません。ときには、エレクトロニック・プロデューサーがキャリアの一作品において、あるいはアルバムの中に小休止のような形として、ポスト・クラシカルに属する作品をリリースしたり、収録したりする場合もあります。


例えば、全般的に見ると、FenneszとSakamotoの共作『Cendre』はテクノでもあり、アンビエントでもあり、ポスト・クラシカルであるということになるでしょう。もちろん、見方によれば、Clarkの『Playground In A Lake』もオーケストラがあるので、ポスト・クラシカルに属すると見ても違和感はありません。インディーフォーク/アンビエントの音楽家で、建築のアートやファッション・デザインの領域でも活躍するGrouperの『Ruins』もポスト・クラシカルに属するということになるでしょう。

 

つまり、ポスト・クラシカルは、少なからず他のジャンルに溶け込むようにして存在する音楽というのが妥当な見方となるはずです。また、もちろん、それとは反対に、ポスト・クラシカルの音楽が別の音楽と結びつく場合もあります。これは一般的には指摘されていませんが、ラナ・デル・レイの新作『Did You Know〜』にも、クラシカルとポップスの合致を見出すことができるでしょう。


下記に掲載するディスク・ガイドもいつもと同じように駆け足となってしまいますが、このジャンルの代表的な作品をピアノ曲を中心にご紹介していきます。入門的なガイドとしてご活用下さい。


 

 ・ポスト・クラシカル/モダン・クラシカルの名盤 

 

 

Hans Otte/Herbert Henck-『Das Bach Der Klange』(1999   ECM)


 



ドイツのシュヴァルムシュタットのヘルベルト・ヘンク(Herbert Henck)はミニマリズムを得意とするピアニストである。

 

これまで、ジョン・ケージ、チャールズ・アイヴズ等の演奏作品を残している。ECMより発売されたアルバムにおいて、ヘルベルト・ヘンクは同国の現代作曲家、ハンス・オットに脚光を当てようとしている。ハンス・オット(Hans Otte)は、パウル・ヒンデミットに作曲を学び、指揮をヘルマン・アーベントロート、ピアノをブロニスラフ・フォン・ポズニャックに師事している。

 

ヘルベルト・ヘンクはこの作品について、「この録音は、ある意味で、現代ピアノ音楽の中で最も注目に値する作品のひとつであり、書かれてから20年が経過しても、その美しさ、純粋さ、力強さは少しも失われていないと信じています」 と説明している。


ライヒ、グラス、ライリーの系譜にあるミニマリズムに属するピアノ作品集。倍音を活かした演奏法は凛とし、気高い精神性すら漂う。反復の演奏を通してモダン・ピアノの音響性の極致を追求した画期的な作品の一つ。

 

  

 

 

Sylvain Chauveau- 『Un Autre Decembre』(2003 FatCat

 


フランスのバイヨンヌ出身のシルヴァン・シャヴォー(Sylvain Chauveau)は、最も早い時代に、ピアノ演奏家としてポスト・クラシカルの作品に挑戦した音楽家の一人。クラシカルの作風に加え、電子音楽の作品も発表している。

 

シルヴァン・シャヴォーは、現在は分からないが、当時、楽譜の読み書きができず、自分が何の音を弾いているのかさえわからないまま、この秀逸なクラシカル風のアルバムを制作している。

 

ピアノ、弦楽器、木管楽器のための ピアノ、弦楽器、木管楽器のための美しくエレガントでミニマルな小品は、重層化され、電子音響のグリッチで処理されている。20世紀初頭の室内楽、ミュージック・コンクリート、ニューウェーブ映画からインスピレーションを得たという彼の作品は、まさにモダン・フレンチと称すべき。シンプルな演奏で、淡々としているが、そこには近代ヨーロッパの叙情的なピアノ曲の気風も漂う。ポスト・クラシカルを語る上では不可欠な作風の一つ。



  

 

 

 Nils Frahm  『The Bells』  (2010  Erased Tapes) /「Wintermusik」EP(2009 Erased Tapes)

 

 

 



後には、電子音楽/エレクトロニックの傑作を多数残しているベルリンの演奏家/作曲家、ニルス・フラームは、現在もイギリスを中心に人気を獲得している。後に発表するエレクトロニックとミニマリズムを融合させた作風が主要な作風であるが、最初期はポスト・クラシカル風の作風を残していた。

 

2021年には初期のポスト・クラシカルの未発表曲を中心に収録した『Old Friends New Friends』も発表している。

 

現時点から見ると、御本人は、この時代の作風について、「ドイツ・ロマン派的」であるとしており、古びた作風であると捉えているらしい。最初期に発表した三曲収録の「Wintermusik」、それに続いて発表された『The Bells』は、ポスト・クラシカルをより有名にする役割を担った作品である。


「Wintermusik」では、ドイツ・ロマン派に属する叙情的なピアノ曲を制作している。ミニマリズムに根ざした音楽性ではありながら、後に2010年代にかけて電子音楽という領域で開花する曲の想像力や構成力という面で非常に光るものがあり、相対音感や和音のセンスという面では現在の音楽家でも傑出している。

 

翌年に発表された『The Bells』は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタに比する荘厳さと厳粛さを兼ね備えたゲルマン魂に溢れた硬派なピアノ作品集。以前から追求してきたポスト・クラシカルの作品は、本作においてひとまず集大成を迎えた。制作者本人がどう思っているのかまではつかないが、後の複雑な構造性を擁する電子音楽の原点は、2010年前後の作風に求められると思われる。

 

 

  


 

 

 

Olafur Arnolds 『Some Kind of Piece』ーPiano Reworks (2022  Universal Music)

 

 


 

アイスランドを代表する作曲家で多数のコラボレーターとの共作を残し、そして、グラミー賞ノミネートのプロデューサーとしても知られ、地元のレイキャビク交響楽団との共演を果たしているオラファー・アーノルズ。まさに現代のアイスランドの顔とも言っても差し支えないだろう。また、アーノルズはソロ名義にとどまらず、Kiasmosとして活動し、秀逸なエレクトロニックを制作し、現在、自主レーベルも立ち上げ、多岐にわたる分野で活躍している。

 

最初期はエレクトロニックを中心に制作していたプロデューサーではありながら、映画音楽やピアノを中心にソングライティングを行うにつれ、ポスト・クラシカル・シーンの先鋒として強烈な存在感を持つに至った。上記のニルス・フラームとは音楽的盟友であり、共作アルバムも発表している。

 

そして、ピアノ作の最高傑作は、パンデミック時代に発表された「Some Kind of Piece」、さらに続いて発表されたリワーク『Some Kind of Piece』ーPiano Reworksとなるだろう。知人の音楽家を中心にアーノルズの作品の再構成に挑戦している。


この作品について、アーノルズは、「作品は提出してそれで終わりというわけではない」と語る。本作の録音には、Eydis Evensen、Hania Rani,JFDR、イルマなど、国境や地域を越え、複数の音楽家が参加。韓国のイルマの「We Contain Multitudes」は、原曲よりテンポがゆっくりとなっている。この曲は「From Home」バージョンのシングルとしても発売されている。

 


 




 Peter Broderick 『Grunewald』EP (2016   Erased Tapes)



 

オレゴン州カールトン出身の作曲家、ピーター・ブロデリック(Peter Broderick)はソロ名義の活動のほか、Efterklangのメンバーしてセッション・ミュージシャンとしても活躍している。叙情的でスタイリッシュな音楽を制作するプロデューサーであり、ポスト・クラシカルからエレクトロニック、ボーカル・トラック入りのオルト・フォークに至るまで、ジャンルに規定されない幅広い音楽を制作している。哲学者のような風采も実際の音楽性に説得力を与えていることは疑いがない。

 

2023年にはピアノ曲を中心としたフル・アルバム『Burren』を発表している。これまで複数のシングルを含め、断片的にポスト・クラシカルという領域にある表現性を拡張してきた。制作者の音楽性の原点となった作品群が、2010年のフルアルバム『How They Are』、2016年に発表されたEP『Grunewald』、2020年に発表されたシングル「Ernest Layers」である。

 

本作は、その後のErased Tapesの録音上のコンセプトに強い影響を及ぼした作品であろうと思われる。教会建築のような特殊な音響性やアンビエンスを活かしたピアノ曲は静謐な印象があり、そして安らぎに充ちている。

 

ストリーミングでも多くの再生数を記録しており、本作のクローズとして収録されている「Eyes Closed and Traveling」は、モダンなピアノ曲としては最高峰に位置する名曲の一つ。この曲は、シングル・カット・バージョンとしても発売されていて、ファンタジックな着想が込められながらも、深い叙情性を漂わせている。

 

古典的なヨーロッパのピアノ曲の気風を受け継ぎながらも、その着想の中には音の配置や空間性からもたらされる建築学的な美学が潜んでいる。ミニマリズム、モダニズム、ポスト・モダニズムという芸術的な概念が複合した結果、これまでありそうでなかったスタイリッシュなピアノ曲が生み落とされることになった。

 

  

 

 

amiina  『YULE』 (Aamiinauik Ehf 2022)

 

 


 

アイスランドの室内楽グループ、amiinaはエレクトロニカと弦楽四重奏をかけあわせた音楽性が魅力。テルミンやクレスタ等の音色を駆使し、おとぎ話や絵本のような可愛らしい世界を音楽により構築している。エレクトロニカ色の強い室内楽としては、『Kurr』、『The Lightning Project』等の良作を発表している。

 

ミニ・アルバム『YULE』は2022年のクリスマス直前に発表された、グループのクリスマスのための室内楽の曲集となる。近年、エレクトロニカと弦楽器の融合にメインテーマを置いていたアミーナ。

 

12月9日に自主レーベルから発売されたミニ・アルバムでは、電子音楽の要素を排し、チェロ、ビオラ、バイオリンをはじめとする室内楽の美しい響きを探究している。このリリースに際して、amiinaは、「クリスマスの楽しみのために、これらの細やかな室内楽を提供する」とコメントを出しているが、その言葉に違わず、クリスマスで家庭内で歌われる賛美歌に主題をとった聞きやすい弦楽の多重奏がこのEPで提示されている。

 

アルバムの全7曲は細やかな弦楽重奏の小品集と称するべきもの。厳格な楽譜/オーケストラ譜を書いてそれを演奏するというよりも、弦楽を楽しみとする演奏者が1つの空間に集い、心地よい調和を探るという意味合いがぴったりで、それほど和音や対旋律として、難しい技法が使われているわけではないと思われるが、長く室内楽を一緒に演奏してきたamiinaのメンバー、そして、コラボレーターは、息の取れた心温まるような弦楽器のパッセージにより美麗な調和を生み出している。賛美歌のように調和を重んじ、amiinaのメンバーは表現豊かな弦のパッセージの運びを介し、独立した声部の融合を試みている。


これらの楽曲はほとんど3分にも満たない小曲ではあるけれど、クリスマスの穏やかで心温まるような雰囲気を見事に演出している。

 

  

 

  


Danny Norbury  『Light In August』(2014  flau)


 

マンチェスターのチェロ奏者、ダニー・ノーベリー(Danny Norbury)は、ソロ活動にとどまらず、ナンシー・エリザベス、ラファエル・アントン・イリサーリ、ライブラリー・テープスの作品やライヴなどで名脇役として活躍する。


多作な演奏家ではないが、これまでのソロ名義で発表された三作のアルバムは、いずれも濃密な音楽的な主題に下支えされている。

 

ダニー・ノーベリーの音楽の主題は、本式のアコースティックなチェロ演奏に加え、ラップトップを介して出力されるエレクトロニクスの融合である。ライブのステージでは実際の彼の演奏に加え、ラップトップをステージに持ち込み、2つの視点による音楽が融合を果たす場合もある。

 

特に、ウィリアム・フォークナーに触発された2014年のアルバム『Light In August』は、ピアノとチェロとエレクトロニクスが劇的な融合を果たしたポスト・クラシカルの傑作である。 


決してテクニカルではないが、ピアノの演奏の瞑想性、思索性、その内側に漂う静謐さ、それらの空間性の中をノーベリーの重厚なチェロの演奏が幽玄に舞う。ときに、ノーベリーのチェロはノイズや不協和音という形をとって抽象的な空間に立ち表れ、調和的なピアノの演奏になごやかに溶け込んでいく。潤沢な午後のひとときを約束する、穏やかさに充ちた時間の連続。



  

 

 

 

Goldmund 『Sometimes』(2015  Western Vinyle)


 




キース・ケニフは米国の音楽家で、現在、妻のホリー・ケニフがドリーム・ポップ/アンビエントのプロデューサー/ギタリストとして頭角を表しつつある。現在もピアノを通じて良作を発表し続けている。


元々は、エレクトロニック・プロデューサー名義のHeliosとして活動していたキース・ケニフではあるが、ヘルマン・ヘッセに触発されたと思われるGoldmund名義では、良質で聞きやすいピアノ作品、そして現代的なテクノロジーとアメリカーナをシームレスにクロスオーバーしたインディーフォークを制作している。とりわけ、ピアノ作品としては、『The Malady Of Elegance』、そして『Sometimes』が代表作として挙げられる。前者は、色彩的な和音性を突き出したアイディアに富む。後者は、それらの作風にゴシック調のストーリー性を加味した内容となっている。


また、この作品には、坂本龍一が『A Word I Give』でコラボレーターとして参加している。この時代、かれは、Alva Notoとのグリッチ・ユニットはもちろんのこと、キース・ケニフや、アンビエント・シーンで活躍目覚ましいジュリアナ・バーウィックともコラボレーションを図っていた。当時、坂本龍一は、彼より若い音楽家との共同制作に積極的な姿勢を示しており、「若い音楽家から提案があれば、いつでもコラボレーションしたい」と話していた時代が今ふと思い出される。


  




Akira Kosemura 『In The Dark Woods』 (2017    1631 Recording AB)

 



 

小瀬村晶は、英国のデッカと契約し『Seasons』という傑作を発表しているので、国内のミュージシャンとは言いがたくなりつつある。もちろん、他分野で活躍なさっている音楽家である。ピアノ曲を書き、あるときは映像のための音楽を作り、もちろんレーベルオーナーとしての表情を持つ。

 

これまでLibrary Tapesに近い、ミニマリズムに触発を受けたピアノ曲を2010年代を通じて書いてきたが、一応その継続した活動の集大成と呼ぶべき作品が『In The Dark Woods』となる。

 

これまで多数のドラマや映画音楽を手掛けていることもあってか、音楽の視覚性(サウンドスケープ)と実際の音の構造を結びつける力量は他を凌駕するものがある。アルバムのアートワークに代表されるように、幽玄な森を彷徨うかのような神秘性が本作の最大の魅力となっている。

 

実際のピアノの演奏力は巧みであるが、技術を披瀝するわけではなく、クラシックに詳しくないリスナーにもその良さをシンプルに伝えようとしている。ある意味では、長期的な活動を通じて、この作品を一つの区切りとして、現在はより深みのあるピアノ曲に取り組まれているという印象を受ける。

 

   

 

  

Henning Schmiedt 『Piano Day』(2021  flau )

 


 

本稿は、パートナーシップの関係にあるflauを持ち上げようとして作成したわけではなかった・・・。しかし、結局、より良いプレイリストを制作しようとしたら、flauから2つの作品が登場していた。

 

リスナーとしては、メジャー/インディーを問わず、レコード・レーベルだけで聴くものではないと思うが、好きな音楽を探すためのひとつの指針として、「レーベル」という概念は存在すると言って良いかもしれない。また、Labelという意味は、単なる一企業を示すものではなく、主宰者の考えや人生観が深く反映されている。それは、どちらかといえば、「人生の流儀」とも称するべきものなのだ。ECMもそうだし、ラフ・トレード、もちろん4ADも同じである。また、もっと細かいところでいえば、ディストロ等をやっている個人レコード店も同様だろうか。レーベルに関しては、音楽的な側面のみで一括りにして語り尽くせるものでもないと思っている。

 

現時点のポスト・クラシカルを中心とするレーベルの最高峰としては、日本/東京のflauか、あるいは、その先駆者である英国/ロンドンのErased Tapesということになるかもしれない。 結局、この2つのレーベルは、ポピュラー寄りのクラシカルに属する作品の普及に関して多大な貢献を果たしてきた経緯がある。また、それはflauがFADER等の海外の大手メディアにも紹介されていることからもわかる。ジャンルレスに良い音楽を広めようというのが、両レーベルの共通項でもあるのかもしれない。

 

さて、 Henning Schmiedtについて、私は十数年前からその存在こそ知っていたのだったが、特にポスト・クラシカル系のピアノ演奏家として、最高峰にあるのではないか、という考えを持っていた。しばらく時間が経ち、そして、様々な驚愕的な出来事が起こり、またほとんど何も起こりもしない日々もあり、全然別のジャンルを聴いたり、また、音楽そのものから離れていたせいもあって、その存在も長らく忘れかけていた。


 旧東ドイツ時代の出身のベテラン作曲家、へニング・シュミートはモダン・クラシックにとどまらず、ワールド・ミュージック、ジャズと複数のジャンルを深く知悉した音楽家だ。最初に挙げたハンス・オットとは別の領域に属する演奏家であるが、十数年前に、ECMのカタログと並んで、このアーティストの音楽を聴いた時の印象としては、リラックス感のあるピアノ曲という感じだった。頭でっかちではない、感性を元にしたピアノ曲として印象に深く残った。そして、今回、あらためて、へニング・シュミートの代表作とも言える『Piano Day』を聴いて分かるのは、当時の最初の印象や直感がまったく間違っていなかったということである。

 

今聴いても、このアーティストに関して、当初の鮮烈な印象はほとんど揺らぐことはありません。それどころか、その信頼度に関しては従来よりも強まり、当時の印象をはるかに凌ぐものすらある。


ピアノの演奏は凄くシンプルなのにも関わらず、そこには、作曲家のピアノへの愛情が溢れ、音のひとつひとつには煌めきがあり、和らいだ風が通り抜けていくかのような錯覚すらある。ハンス・オットの建築学的な興味に裏打ちされたミニマリズムとは対象的に、一般的に開かれたミニマリズムの最高峰に、へニング・シュミートは到達している。旧来の堅苦しいドイツ・アカデミズムからの音楽概念の開放というのを、制作者は主なテーマに置いているのかもしれない。

 

子供からお年寄りまで年齢を問わず楽しめる、素晴らしいポスト・クラシカルであり、現時点でこれ以上の作品は存在しない。少なくとも、何歳になってもこういった音楽を好きでありつづけたい。



 

 

Hania Rani 『On Giacometti』(Gondwana Recrods 2023)


 

近年、ポスト・クラシカルの作品を中心に良質なカタログを発表しつづけているマンチェスターのGondwana Recordsは、2020年代を通じて、ロンドンのErased Tapesとともに、この「ポスト・クラシカル」というジャンルを急成長させる大きな役割を担うことだろう。ポーランドのシンセサイザー演奏家/ピアニスト/作曲家のハニャ・ラニは、彫刻芸術を中心に数々の名作を残した同名のスイスのアート界の巨人のための映像作品のサウンドトラックに挑戦した。


ハニャ・ラニ(Hania  Rani)は、このピアノを中心とする作曲集を録音するため、友人が所有する山岳地帯の山小屋に冬の期間滞在し、これらのピアノ曲集を書き、その年の春に山小屋を後にした。ヨーロッパの大規模のライブ・イベントではシンセサイザー奏者として知られているミュージシャンであるが、この作品では徹底したピアノによるミニマリズムを展開させ、アルベルト・ジャコメッティの抽象主義/シュールレアリズムをリズミカルなピアノ演奏を通じて表現しようとしている。

 

フレドリック・ショパンの生誕の地からこのアーティストが出てきたのは偶然ではなく、時代に要請されてのことである。同地の音楽大学で学んだ本式の作曲法や演奏法を元にして、制作者のファッション・センスとアート・センス、そして豊かな感性や叙情性を複合させ、聞きやすく、そして聴き応えのあるポスト・クラシカルのニュー・トレンドが生み出された。ハニャ・ラニは、オラファー・アーノルズの作品にも参加しているが、今後、ヨーロッパ圏を中心に、ポスト・クラシカル・シーンやエレクトロ・シーンで大きな注目を集めることが予想されます。

 

 

 

 

 

Gia Margaret 『Romantic Piano』 (2023 Jagujaguwar)

 

 

 

ポップという観点からは過度な注目こそ受けていない印象もあるGia Marharetではあるものの、この作品はミュージシャンの最高傑作と断言したい。jagujaguwarのレーベルの方はこの作品をそれほど強く推してはいない感じであったが、今作は、アメリカではなく、イギリスやヨーロッパ圏で広く受け入れられそうな作風である。

 

元々、ポピュラー・シンガーとして活躍をしていたシカゴのGia Margaretは、声が一時的に出なくなり、その後にピアノの作曲へとシフト・チェンジしていった。エレクトロニックを交えたクラシカルへと転向した前作のアルバムに続き、「Romantic Piano」はピアノ、ギター、テクノといった、このジャンルの主要な音楽性をシームレスにクロスオーバーしている。虫の声などのアンビエント風のサンプリングが取り入れられているのにも注目したい。

 

ピアノの楽譜を書いた後、グリッチ/ディレイ等のエレクトロの加工を施し、それらをセンス溢れるポピュラーなクラシック音楽へと昇華させる技術は傑出している。穏やかな日々の幸せを噛み締め、それらをセンス抜群のオシャレかつスタイリッシュなピアノ曲へと昇華させている。

 

アルバムの中では、オルト・フォークとしても聞ける「Guitar Piece」も秀逸で、モダン・ポップスとして鮮烈な印象を放つ「City Song」も捨てがたい。きわめつけは、Aphex Twinへのオマージュを示したと思われる「April to April」では、ピアノ曲を通じて新たなフェーズへと踏み入れている。

 

これから、ボーカル曲を制作するのか、それともインスト曲を制作するのかは本人次第であるものの、そのどちらに進むにしても未来は明るいと思う。以後、耳の肥えたリスナーから注目を集めても不思議ではないでしょう。



Nils Frahm 『Day』 (2024 leiter)




 今回の最新アルバム『Day』は個人スタジオがあるファンクハウスから距離を置いている。このファンクハウスの個人スタジオは、『All Melody』のアルバムのアートワークにもなっている。なぜ制作拠点を変更したのかについては、東西分裂時代のドイツの閉塞感から逃れることと、作風を変化させることに狙いがあったのではないかと推測される。


フラームは、以前からドイツの新聞社、”De Morgen”の取材で明らかにしている通り、ワーカーホリック的な気質があったことを認めていた。しかし、そのことが本来の音楽的な瞑想性や深遠さを摩耗していることも明らかであった。おそらく、このままでは、音楽的な感性の源泉がどこかで枯渇する可能性もあるかもしれない。そのことを知ってのことか、ニルス・フラームは、2021年頃から、ライブの本数を100本ほどに徐々に減らしていき、パンデミックやロックダウンを契機に、彼のマネージャーと独立レーベル、”Leiter-Verlag”を設立し、その手始めに『Music For Animals』を発表した。これらの動向は、次の作品、そして、その次なる作品へ向けて、以前の活動スタイルから転換を図るための助走のような期間であったものと考えられる。


フラームは、活動初期のコンテンポラリークラシカル/ポスト・クラシカルの未発表音源を収録した2021年の『Old Friends New Friends』では、自身のピアノ曲を主体とする音楽性について、「ドイツ・ロマン派」的なものであるとし、いくらかそれを時代遅れなものとしていた。その後の『Music For Animals』はシンセサイザーによるアンビエント作品であったため、しばらくはピアノ作品を期待出来ないと私は考えていたのだったが、結局のところ、このアルバムで再び最初期の作風に回帰を果たしたことは、ある種のブラフのような言葉だったのだろう。



しかし、原点回帰を果たしたからといえど、過去の時代の成功例にすがりつくようなアルバムではない。はじめに言っておくと、このアルバムはニルス・フラームの最高傑作の1つであり、ピアノ作品としては、グラミー賞を受賞したオーラヴル・アルナルズの『Some Kind Of Piece』に匹敵する。全編が一貫してピアノの録音で占められていて、あらかじめスコアや着想を制作者の頭の中でまとめておき、一気呵成に録音したようなライブ感のある作品となっている。


ここ数年の称賛された作品や、売れ行きが好調な作品を見るかぎりでは、そのほとんどが数ヶ月か、それ以上の期間がアルバムの音楽の背景に流れているのを感じさせるが、『Day』は、ほとんどそういった時間の感慨を覚えさせない。制作者によるライブ録音が始まり、それが35分ほどの簡潔な構成で終了する。多分、無駄な脚色や華美な演出は、このアーティストには不要なのかもしれない。フラームのアルバムは、ピアノの演奏、犬や鳥の鳴き声のサンプリング、そして、マイクの向こう側にかすかに聞こえる緊張感のある息遣いや間、それらが渾然一体となり、モダン・インテリアのようにスタイリッシュに洗練された音楽世界が構築されたのである。


 


ハニア・ラニは、2019年にゴンドワナ・レコードからピアノ独奏曲集「Esja」をリリースして以来、話題を呼んでいる。


セカンド・アルバム「Home」をリリースしたラニは、ヴォーカルと繊細なエレクトロニック・サウンドを音楽に取り入れ、彼女の音域は年々進化している。彼女はまた、いくつかの曲でベーシストのジーモヴィット・クリメックとドラマーのヴォイテク・ワーミジャックの助けを借りている。10曲入りのレコーディングには、パトリック・ワトソン、オラファー・アーナルズ、ダンカン・ベラミーが特別ゲストとして参加している。



『Ghosts』では、ゼロから何かを始めたいと思い、馴染みのないツールや物語を選んだ
『Ghosts』は、生と死、光と闇、現実と非現実についての物語だ。究極の特質に触れ、私自身の神話を作り上げようとする試みであり、恐怖に直面し、私を怖がらせ、同時に無意識のうちに私を誘惑するものに深く潜り込むことでもある。これらすべてを集め、過去、現在、未来をミックスして、私の新しいサウンドに仕上げた。


サード・アルバム『Ghost』からのリード・シングルである「Dancing With Ghosts」は、ラニのサウンドをさらに拡大させた魅惑的な作品だ。彼女の幽玄で落ち着いたソングライティング・スタイルのショーケースだ。トラックは、パトリック・ワトソンのハスキーなトーンと繊細なピアノのメロディーが絡み合う中、彼女の妖艶なヴォーカルを中心に構成されている。

 

「Dancing With Ghosts」


全13曲収録のこの作品には、オラファー・アーナルズとダンカン・ベラミーもゲスト参加している。


「Ghost」は10月6日に発売される。


Hania Rani  『Ghosts』


Label: Gondwana

Release: 2023/10/6


Tracklist:

 

1.Oltre Terra

2.Hello

3.Don't Break My Heart

4.24.03

5.Dancing With Ghosts

6.A Day In Never

7.Whispering House

8.The Boat

9.Moans

10.Thin Line

11.Komeda

12.Utrata

13.Nostalgia


 



日本人作曲家/Rayonsが、今春リリースのシングル「Luminescence」に続くデジタル・シングル第二弾[A Fragment of Summer」を本日リリースします。配信リンク/ストリーミングは下記より。

 

「A Fragment of Summer」は、夏の儚くかけがえのない時間を思い起こさせるノスタルジックなピアノ・ソロ作となっています。

 

Predawnとのコラボレーション、大ヒット映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」や河野裕原作のアニメ「サクラダリセット」、新田真剣佑×北村匠海W主演が話題となった映画「サヨナラまでの30分」など話題作のサントラを手がけ、多方面で活躍するRayonsの「Luminescence」に続くデジタル・シングル・シリーズ第2弾「A Fragment of Summer」は、ピアノの独奏となっている。

 

ミニマルなモチーフとリズムにより、タイトル通り、日本の夏の断片を想起させる美しい楽曲に仕上がった。花火や祭りの後など、特別な日の一瞬を思わせる夏の余韻を、繊細で表情豊かなピアノの音で美しく語りかける。一音一音が心に響くようにゆっくりと流れ、夏のエッセンスが繊細に解き放たれている。 


 

Rayons 「A Fragment of Summer」 New Single 


Label: FLAU

Release: 2023/7/5

 

Tracklist:

 

1.A Fragment of Summer


配信リンク:

http://rayons.lnk.to/FragmentOfSummer

 小瀬村晶 『SEASONS』 

 

 

Label: Decca/ Universal Music


Release: 2023/6/30



 

Review


日本のポスト・クラシカル/モダン・クラシカルの象徴的な作曲家・ピアニスト、小瀬村晶は今年、ロンドン交響楽団などのオーケストラのリリースで名高い英国の名門レーベル、Deccaと契約を交わし、新作アルバム『Seasons』をリリースする運びとなった。

 

小瀬村晶は、デビュー当時から、ピアノ曲を中心に、レーベル、Scholeの運営にも携わり、アイスランドのレイキャビクの主要な音楽、ポスト・クラシカルやまた2010年前後に、日本で流行ったエレクトロニカブームを後押しした人物です。これまで自身のソロ名義でのピアノ作品にとどまらず、テレビ番組のサウンドトラックや映画音楽と、幅広い分野で活躍されている音楽家。

 

私は、以前、Scholeの企画イベントの一貫として、小瀬村晶(敬称略)の演奏を世田谷の教会の最前列に近い席で見ていて、その日は、惜しくも当時、レーベルメイトだったHaruka Nakammuraが出演しておらず、フランスの映画音楽で活躍するQuentin Sarjacが出演していた。その日、震災から間もない日で福島出身のギタリストのライブ中に地震が発生したことが今でも思い出される。


その日のライブでは、教会のなかに2階席があり、一階に木製の椅子が置かれ、おそらく30人くらいの観客を前にし、ライブが開催された。その日、ドイツのピアノ、ベーゼンドルファーでライブを行った小瀬村晶さんの印象としては、最初のイメージと違ってパワフルな演奏をする方であるという感じだった。芸術家タイプの人物であると思われたため、気難しい印象もあったものの、実際は、オープンハートで気さくな方で、来日公演を行ったクエンティン・サージャックの演奏を絶賛していた。サージャックは、ピアノの弦をリチューニングし、プリペイド・ピアノの演奏を行った。あの日、私は人生ではじめて、プリペイドピアノの演奏を見、ペーゼンドルファーの低音の鳴りの凄さを直に体験した。スタインウェイとは異なる低音の迫力は、他のアーティストも同様だったけれど、、特に、(ご本人は謙遜されていたものの)小瀬村晶の曲の良さを際立たせていた。ライブの後の物販でも少し御本人と話をしましたが、やはり気さくな方だった。その日、Scholeのパンフレットも配布され、レーベルのコンセプトとしては、日常を象る細やかな音というオーナーの文章が印象に残っている。おそらく、忙しない日常の中に安らぎをもたらすというのが、レーベルオーナーの意図であり、それは彼自身のピアノ曲のコンセプトであるとともに、同時に所属レーベルの主要なミュージシャンの作風でもあった。

 

英デッカと契約を交わしたとはいえ、基本的なコンセプトは変更されていません。ここ2、3年、小瀬村晶はシングルを中心にリリースを行っていたが、そのほとんどがピアノ曲。以前、レーベル作品のプロデュースも行っているため、例えばエレクトロニカのような音楽性も制作できないというわけではないのに、ピアノ曲を中心に書き続けている。これは高木正勝と同様、アーティストにとって、これらの日常の中にあるささやかな安らぎを表現するのに、ピアノというシンプルな楽器が最も理にかなっているからで、それは近年も変わらないことなのでしょう。今年始めにも『88 Keys Ⅱ」を発表していますが、この最新作『Seasons』はこれまでのピアノ作品の集大成をなすとともに、最高傑作の一つと称してもおかしくないような作品である。


以前からそうであるように、この作品での小瀬村晶のピアノの演奏は、淡々としており、例えば、シューマンやショパンのような劇的な旋律の飛躍があるわけではない。しかしながら、ミニマル・ミュージックの要素を交えて一定の音域を打っては返す波のように行き交うピアノは心地よさと沈静を与えてくれる。近年では、ピアノ曲としての瞑想性を探し求めていた印象のある小瀬村晶は、アルバムを体験するリスナーをこれらのノートの持つ世界のなかにとどめ、そして、何かを気付かさせたり、自分の考えをあらためて見つめるような機会を与えてくれる。

 

ただ、基本的には、ドイツ古典派の楽曲を彷彿とさせる叙情性(シューベルトの作曲家のピアノ・ソナタのB楽章を参照)が込められているとは言え、その上に、日本的な旋律や日本的な感性をあ音楽家が探し求め、それらを純粋なるノートとして紡ごうとしている様子も伺える。「Dear Sunshine」では、そういった試みがはっきりと表れ、シンプルなポスト・クラシカルを象徴するピアノ曲に加え、坂本龍一のピアノ曲の影響や、久石譲のジブリ音楽の和風の旋律をそっと添えており、それは、曇りがちな日の憂愁、または、窓を滑り落ちる雨滴の切なさにも喩えられる。


これらの印象を通じて紡がれるアブストラクトな音楽は、静けさに満ち、繊細で、協調性を重んずる調和的なピアノ曲という形で、アルバムの前半部の主要なイメージを形成している。例えば、坂本龍一は、クラシックやジャズを親しみやすいポピュラー・ミュージックという観点から解釈し、それらの音楽を一般の音楽ファンにも開放しようと模索した音楽家だったわけですが、ある意味では、『Seasons』は、その作風にも親和性が感じられ、かの作曲家の系譜にある作品と称してもおかしくはない。

 

小瀬村晶のピアノ曲には、日頃、わたしたちが見過ごしてしまいそうな日常のささやかな風景が描写的な音楽として紡がれている。パンデミックの時から、その後の時代に到るまで、そういったささやかな日常にある喜びを賛美し、それらを音楽家みずからの持つ美的なセンスで表現しようとしている。四季おりおりの風景や、日常の細やかな観察の成果は「Niji No Kanata」のなかにはっきりと現れていて、わたしたちが見過ごすことの多い、ささやかな喜びをこの曲は思い出させてくれる。また一般的な幸福とは異なる別の解釈による心の潤いを、美麗なピアノ曲を通じて、繊細なる鍵盤のタッチ、指が鍵盤から離された瞬間、束の間に消えるノート、その間が持つ休符という、既存のキャリアで培われた技法を通じて表現されている。十数年をかけて小瀬村晶が培ってきたもの、それは、フランツリストの超絶的な技法とは対極にある、ドビュッシーの作風の中にある感性の豊かさと安らぎでもある。

 

アルバムの収録曲の中には、清々しく爽やかな雰囲気を持った繊細なピアノ曲も際立つものの、中盤から終盤にかけては哀感に充ちた単調の楽曲が主要なイメージを占めるようになっていく。そのプロセスでは、「Vega」、「Left Behind」、「Towerds The Dawn」といったアーティストが深い森の情景を描写した「In The Dark Wood」の作風を受け継いだ楽曲がじんわりと余韻を残す。一方で、「Gentle Voice」、「Zoetrope」といった主要な楽曲では、個人的な感覚を率直に表現しようしている。以前の作品を見るかぎり、これほど虚心坦懐に書かれたピアノ曲はそれほど多くはなかったように感じられる。もちろん、それは淡々とした情景や個人的な感覚を、ピアノの繊細な旋律で細やかに描写するという小瀬村晶らしい形式で書かれている。そしてこれまでと異なり、あえて演奏時のミスタッチもそのまま粗として音源に残しているのを見ると分かる通り、瞬間瞬間のアコースティックのレコーディングにこだわったという印象も受ける。


結局、自らの心情や世界情勢、そういった広範な出来事を、この作曲家らしい慧眼で見つめ、日記のようにそれらを丹念に記していったことが、本作に少なからずの聴き応えをもたらしている理由だろうと思う。

 

アルバムの最後には、「Hereafter」という単調の曲が収録されている。しかし、エリック・サティの作風、その不可思議な和音を思い起こさせる最後の曲だけは、今までの作風とは何かが異なる。この曲は、旧来のあっさりした小曲の形式から離れ、次なるステップ--構成力を持った作風へ進むための布石--となりえる。この曲に溢れる言葉では表現がたい何か、それは艷やかな高級感のある光沢、または、暗闇の最中に光る一瞬の煌めきとも称するべきものなのだろうか。

 

 86/100

 

©Hana Tajima

 

Spencer Zahn(スペンサーザーン)は、8月11日にCascineからリリースされるニューアルバム『Statues I』を発表しました。

 

2枚組アルバムの第1章で、後半は秋にリリースされる予定です。この発表と同時に、ブルックリンのマルチ・インストゥルメンタリストは、ニューシングル「Two Cranes」を公開しました。アーティストがピアノを演奏する、ポスト・クラシカル調のナンバーです。以下でご覧ください。


昨年、スペンサー・ザーンはアルバム『Pigments』でドーン・リチャードとコラボしている。最近では、ハリー・スタイルズの「ハリーズ・ハウス」をデイヴ・ハリントンとジェレミー・ガスティンと共にフルカバーした。

 

「Two Cranes」

 



Spencer Zahn 『Statues I』


Label: Cascine

Release: 2023/8/11


Tracklist:

1 Short Drive Home


2 Snow Fields


3 Lullaby for My Dog


4 Never Seen


5 Lawns


6 I Used to Run


7 Curious Frame


8 Two Cranes


9 Sway



Gia Margaret

 

シカゴ出身のピアニスト/アーティスト、ジア・マーガレットは、2018年に発表した素晴らしいデビュー作『There's Always Glimmer』に続いて、ちょっと意外な作品をjagujaguwarから発表した。


これは『Glimmer』のリリースとその後の成功後、ジアの人生における試練の時期から生まれた美しく瞑想的で癒しのアンビエント・アルバムです。病気で1年近く歌えなくなり、ツアーもキャンセルせざるを得なくなったジア・マーガレットは、シンセとピアノを中心とする、さまざまなファウンドサウンドやフィールドレコーディングを加えたインストゥルメンタル曲を、セラピーとしての音楽実験のような形で作り始めた。


「これらの作曲は、音楽制作者としてのアイデンティティを保つのに役立ちました」とジアは説明している。「時にはこの音楽は、セラピーや他の何かよりも、私の不安を和らげてくれた...。私は希望が持てるようなものを作りたかったんだけど、このプロセス全体において私は本質的に絶望感を感じていたからちょっと皮肉ね。私は自己鎮静のために音楽を作っていたのです」


その結果、光り輝く、温かく感情的で、穏やかなカタルシスをもたらす曲のコレクションは、ジア自身の自己治癒の旅を楽にしてくれ、私たちがこの怖い不確かな時代を乗り切ろうとするとき、新たなレベルの親近感と重みを帯びてくる。「私の人生の中で、完全に忘れてしまいたいような、本当に奇妙な時期の感覚をとらえたかったのです」と彼女は言った。「このプロセスは、私自身について何かをより深く理解するのに役立ちました」これは「悪夢の追体験のようだった」と回想する数年前の出来事から完全に立ち直るためには是非とも必要な事だったのだ。


「ロマンティック・ピアノ」は、エリック・サティ、エマホイ・ツェゲ・マリアム・ゲブロウ、高木正勝の「Marginalia」などに通じるものがあると説明されている。「ロマンティック」はドイツの古典的な意味を示唆し、その構成は、ロマン派の詩人たちの崇高なテーマ、自然の中での孤独、自然がもたらす癒しや教え、満足感に満ちたメランコリーなどを想起させるものがある。


「結局は、人の役に立つ音楽を作りたかったのです」とマーガレットは言い、このレコードの魅力を表現している。「ロマンティック・ピアノ」は好奇心旺盛で、落ち着きがあり、忍耐強く、信じられないほど感動的である。しかし、1秒たりとも曲を長引かせ、冗長に陥らせることはない。


デビュー作「There's Always Glimmer」もまた叙情的で素晴らしい内容だったが、ツアー中の病気で歌えなくなり、アンビエントアルバム「Mia Gargaret」を制作したところ、「There's Always Glimmer」の叙情的な曲では発揮しきれなかったアレンジや作曲に対する鋭い直感が現れた。


同様に「Romantic Piano」もほとんど言葉がない。「インストゥルメンタル・ミュージックの作曲は、一般的に、叙情的な曲作りよりもずっと楽しいプロセスです」と、彼女は言う。「そのプロセスが最終的に私の曲作りに影響を与える」そして、マーガレットにはもっとソングライター的な作品がある一方で、「Romantic Piano」は彼女を作曲家として確固たるものにしている。


幼少期からピアノを演奏しており、当初は作曲の学位を取得しようとしていたマーガレットだったが、音楽学校を途中で退学する。この時期について、「オーケストラで演奏するのが嫌で、映画音楽を書きたかった。そして、ソングライターになることに集中するようになった」と語っている。その後、ジア・マーガレットは録音を行い、youtubeを通じて自分のボーカルを公開するようになる。当初はbandcampで作品の発表していたが、その成果は「Dark & Joy」で実を結んだ。以後の「There's Always Glimmer」からは自らの性質を見据え、本格的な作品制作に取り掛かるようになる。近年は、より静謐で没入感のあるアンビエントに近い作風に転じている。

 

 

『Romantic Piano』jagujaguwar

 

ツアー中の病により、治癒の経過とともに発表された前作アルバム『Mia Margaret』は、オープナーのバッハへの『平均律クラヴィーア』の最初の前奏曲のオマージュを見ても分かる通り、シンセを通じたクラシカルミュージックへのアプローチや、フィールド・レコーディング、ボーカルのサンプリングを織り交ぜたエレクトロニカ作品に彼女は取り組むことになった。制作者は、この音楽について、”スリープ・ロック”と称しているというが、電子音楽を用いたスロウコア/サッドコアや、オルタナティブ・フォーク、ポピュラーミュージックの範疇に属していた。

 

そして、今回のアルバムでも、そのアプローチが継続しているが、今作は、アコースティクピアノという楽器とその演奏が主役にあり、その要素がないわけではないにしても、シンセ、アコースティックギター、(他者のボーカルのサンプリング)が補佐的な役割を果たしている。そして前作アルバムと同じように、制作者自身のボーカルが一曲だけ控えめに収録されている。

 

このアルバム全体には、鳥の声、雨、風、木の音といった、人間と自然との調和に焦点を絞ったフィールド・レコーディングが全体に視覚的な効果を交え、音楽の持つ安らいだムードを上手に引き立てている。アルバムの制作段階で、制作者はピアノを用い、(まずはじめに楽譜を書いて)、その計画に沿って演奏するという形でレコーディングが行われた。前作のアルバムは、最初にボーカリストとしてのキャリアを始めた彼女が立ち直るために制作されたと推測出来る。しかし、二作目で既にその遅れを取り戻すというような考えは立ち消え、より建設的な音楽としてアルバムは組み上げられた。それは制作者が語るように、「人の役に立つ」という明確な目的により、緻密に構築されていった作品である。それはもちろん、制作者自身にとっても有益であるばかりか、この音楽に触れる人々にも小さな喜びを授けることになるだろう。言い換えれば、氾濫しすぎたせいで見えづらくなった音楽の本当の魅力に迫った一作なのである。

 

人間と自然の調和というのは何なのだろう。そもそも、それは極論を言えば、人間が自然を倣い、自然と同じ生き方をするということだ。ある種の行動にせよ、考えにせよ、また長いライフプランにせよ、背伸びをせず、行動はその時点の状況に沿ったものであり、無理がないものである。例えば、それは木の成長をみれば分かる。木は背伸びをしない。その時々の状況に沿って、着実に成長していく。苗が大木になる日を夢見ることはない。なぜなら他の木と同じように、大きな勇ましい幹を持つ大木に成長することを、彼らは最初から知っているではないか。それと同じように、この回復の途上にある二作目のアルバムの何が素晴らしいのかと言えば、音楽に無理がなく、そして、音の配置の仕方に苦悩がないわけではないというのに、制作者はそれに焦らず、ちっとも背伸びをしようとしていないことなのである。これが端的に言えば、「Romantic Piano」に触れる音楽ファンに安らいだ気持ちを与える理由である。はじめに明確な主題があり、そして計画があり、それに準拠することにより、 ささやかな音楽の主題の芽吹きを通じ、創造という名の植物が健やかに生育していく過程を確認することが出来るのである。


「Hinoki Woods」


自然との調和という形はオープナーである「Hinoki Wood」に明確に表れている。シンセサイザーを用いた神秘的なイントロから音楽が定まっている。制作者は、予め決めていたかのように、緩やかで伸びやか、そして情感を込めたピアノ曲を展開させる。ピアノの音のプロダクションは、レーベルが説明するように日本のモダンクラシカルシーンで名高い高木正勝の音作りにも近似する。加えて、徹底して調和的なアンビエント風のシンセがその音の持つ温もりをより艷やかなものとしている。そして聴き始めるまもなく、あっという間に終了してしまうのである。

 

すべての収録曲が平均二分にも満たない細やかな作品集は、このようにして幕を開ける。そして、なにか得難いものを探しあぐねるかのように、聞き手はこの作品の持つピアノの世界へと注意を引きつけられ、その世界の深層の領域へと足を踏み入れていくことを促されるのである。そして二曲目の「Ways of Seeking」では、より視覚的な効果を交えたロマンティックな世界観が繰り広げられていくことになる。


二曲目では、足元の土や葉を踏みしめる足音のサンプリングが聞き手の興味を駆り立て、前曲と同様、シンセサイザーの連続した音色と合わさるようにして、ロマンティックなピアノが切なげな音の構図を少しずつ組み立てていく。ピアノのフレーズは情感に溢れ、ドビュッシーのような抽象的な響きを持つ。催眠的なシンセは、そのピアノのフレーズの印象を強め、それまでに存在しなかった神秘的な扉を静かに押し開き、フレーズが紡がれるうち、はてしない奥深い世界へと入り込んでいく。また、例えれば、茫漠とした森の中にひとり踏み入れていくかのような不可思議なサウンドスケープが貫かれている。ピアノとシンセの合間には高い音域のシンセの響きが取り入れられ、視覚的な効果を高め、聞き手の情感深くにそれらの音がじっくり染み渡っていくかのようである。

 

その後も素朴で静かなピアノ曲が続く。「Cicadas」では、Peter Broderick(ピーター・ブロデリック)のピアノ曲のように抽象的でありながら穏やかな音の構成を楽しむことが出来る。ピアノの音は凛とした輝きを持ち、建築学の構造学的な興味を駆り立てるような一曲である。もちろん、言わずもがな、ロマン派としての情感は前曲に続いて引き継がれている。イントロに自然の中に潜む虫の音のサンプリングを取り入れ、情景的な構造を呼び覚ます。まるで前の曲と一転して夜の神秘的な森の中をさまようかのように、それらの静かな雰囲気は、ジア・マーガレットの悩まし気なピアノの演奏によって引き上げられていく。そして、ひとつずつ音符を吟味し、その音響性を確認するかのように、それらの音符を縦向きの和音として、あるいはまた横向きの旋律として、細糸を編みこむかのようにやさしく丹念に紡いでいく。そしてそれはボーカルこそないのだが、ピアノを通じて物語を語りかけるような温和さに満ちているのである。

 

その後の2曲は、澄明な輝きと健やかな気風に彩られた静謐なピアノ曲という形で続いていく。「Juno」はアルバムの中で最もアンビエントに近い楽曲であり、自然との調和という感覚が色濃く反映されている。ジア・マーガレットはシンプルでおだやかな伴奏を通じて、「間」を活かし、その休符にある沈黙と音によって静かな対話を繰り返すかのようでもある。そして、禅の間という観念を通じて、自らそれをひとつの[体験]として理解し、その間の構造を介して、一つの緩やかな音のサウンドスケープを構成していく。


曲の後半部では、シンセのサウンドスケープを用いることにより、微笑ましいような情感が呼び覚まされ、聞き手は同じように、その安らいだ感覚に釣り込まれることになるだろう。さらに続く、「A Strech」は、日本の小瀬村晶に近い繊細な質感を持った曲であり、日常の細やかな出来事や思いを親しみやすいピアノ曲に織りこもうとしている。分散和音を基調にしたピアノの演奏の途中から金管/木管楽器の長いレガートを組みあわせることで、ニュージャズに近い前衛的かつ刺激的な展開へと繋がる。


「A Stretch」

 


前作のアルバムと同じように、ボーカル入りのトラック「City Song」が本作には一曲だけ控えめに収録されている。しかし、タイトルにもある通り、アルバムの中では最も都会的な質感を持ち合わせ、そして他にボーカル曲が収録されていないこともあってか、全体を俯瞰してみた際、この曲は力強いインパンクトを放っている。



アルバムの前半部と同様、ピアノの伴奏を通じて、ジア・マーガレット自身がボーカルを取っているが、オルトフォーク/アンビエントフォークのようなアプローチを取り、古びたものをほとんど感じさせない。ジア・マーガレットのボーカルは、Grouperことリズ・ハリスのように内省的で、ほのかな暗鬱さを漂わせる。不思議とその歌声は心に染み渡ってくるが、しっかりと歌声に歌手の感情が乗り移り、それらが完全に一体化しているからこそ、こういったことが起こりうるのだ。当たり前ではあるが、歌を歌う時に言葉とは別のことを考えていたら、聞き手の心を捉えることは不可能である。これはシンガーソングライターとして声を失った経験が、彼女にその言葉の重み、そして、言葉の本当の意義を気づかせるに至ったのではないだろうかと推察される。

 

「Sitting Piano」はアルバムの中で間奏曲のような意味を持ち、米国のモダンクラシカルシーンで活躍するRachel Grime(元Rachel's)のピアノ曲を彷彿とさせる。例えば、20世紀のモノクロ時代の映画のサウンドトラックの要素が取り入れられ、それが製作者の一瞬のひらめきを具現化するような形で現れる。前半部と後半部を連結させる働きを持つが、おしゃれな響きを持ち合わせ、聴いていて、気持ちが沸き立つような一曲となっている。続いて、アルバムの中で唯一、ジア・マーガレットがギターを通してオルトフォークに取り組んだのが「Guitar Piece」である。

 

ここでは、黄昏の憂いのような雰囲気があらわされ、それがふと切ない気持ちを沸き起こらせる。シンプルなアルペジオで始まるアコースティックギターは途中で複雑な和音を経る。英語ではよく”脆弱性”とも称される繊細で切ない感覚は、レイヤーとして導入されるアンビエントのシンセパッドとピアノの装飾的なフレーズにより複雑な情感に導かれる。内省的で瞑想的な雰囲気に満ちているが、その奇妙な感覚は聞き手の心に染み入り、温かな感覚を授けてくれる。


「La langue de l'amitie」では、モダンクラシカルとエレクトロニカの融合が試みられる。基本的には、アルバムの他の収録曲のようにシンプルなピアノ曲ではあるが、トラックの背後にクラブ・ミュージックに代表される強いビートとグルーブ感を加味することで、クラシカルともエレクトロともつかない奇異な音楽が作り出される。


ここではローファイ・ヒップホップのように、薄くフィルターを掛けたリズムトラックが軽快なノリを与え、シンプルで親しみやすいピアノの演奏にグルーブ感を与えている。例えば、日本のNujabesのようなターンテーブル寄りの曲として楽しむことが出来る。ここにはピアノ演奏者でもソングライターでもない、DJやエレクトロニックプロデューサーとしての制作者の一面が反映されている。


アルバムの終盤に到ると、前作の重要なテーマであったスポークンワードのサンプリングという形式が再び現れる。「2017」では、ポスト・クラシカルの形式を選び、多様な人々の声を出現させる。そこには、壮年の人の声から子供の声まで、幅広く、ほんとうの意味での個性的な声のサンプリングが絵画のコラージュさながらに散りばめられ、特異な音響空間を組み上げてゆく。年齢という概念もなければ、人種という概念もない。ピアノの伴奏は、それらのスポークンワードの補佐という形で配置され、様々な人々の声の雰囲気を引き立てるような役割を果たす。

 

「Apriil to April」は、エイフェックス・ツインの「April 14th」に対するオマージュであると推察されるが、ピアノの演奏にエレクトロの要素を重複させ、実験音楽のような音響性を作り出している。Aphex Twinの「aisatosana[102]」と同じように、鳥の声のサンプリングを取り入れ、アンビエントとエレクトロの中間点を探る。この曲は前者の二曲と同様に安らいだ感覚を呼び覚ます。


アルバムの最後に収録されている「Cinnamon」では、雨の音のサンプリングをグリッチ・ノイズの形で取り入れ、このアルバムの最初のテーマであるピアノの演奏に立ち返る。おしゃれな雰囲気に充ちたこの曲は、視覚的なサウンドアプローチにより映画のエンディングのような効果がもたらされている。そして、それはアルバムの序盤と同じように、徹底して制作者自らの感情を包み込むかのような温かさに満ちている。もちろん、それは細やかな小曲という形で、これらの音の世界は一つの終わりを迎え、更に未知なる次作アルバムへの期待感を持たせるのだ。


しかしながら、これらの調和的な音楽が、現代の人々に少なからず癒やしと安心感をもたらすであろうことはそれほど想像に難くない。それは現代人の多くがいかに自分の感覚を蔑ろにしているのかに気づく契機を与えることだろう。このアルバムでピアノを中心とし、制作者が追い求めた概念はきっと自らの魂を優しく抱きしめるということに尽きる。そしてそれは彼女自身が予期したように、多くの心に共鳴し、癒しと潤いの感覚を与えるという有益性をもたらすのだ。

 


88/100

 


Weekend Featured Track 「City Song」



Gia Margaretの新作アルバムはjagujaguwarより発売中です。

 

Anat Moskovski


Anat Moskovskiはイスラエル/テルアビブを拠点に活動するミュージシャンです。アラビア語とフランス語を駆使し、ミステリアスな音響世界を作り出します。


Anat Moskovskiは ヴォーカリスト、作曲家、ピアノとクラリネットを演奏する。彼女のデビューEP "Happy as a Dog "は2017年にリリースされました。セカンドEP「Loud & Clear」は2019年にリリースされ、両EP-sはShuzinがプロデュースを行った。

 

フランス語でリリースした最初の作品「La Petite Fille La Plus Jolie Du Monde」はイスラエルで大成功を収め、2020年12月に最もシャザームされた曲となり、Spotifyの数千のプレイリストに追加されました。


近年では、Yoni Rechter、Nurit Hirsh、Shlomi Shabanと共演し、The Hazelnutsと世界ツアーを行うなど、活躍の場を広げています。現在、3枚目のアルバムを制作中です。(アラビア語で宣伝が記載されているので、定かではありませんが、アルバムが完成し、発売間近との情報もあり)

 

©Ascaf Avraham

Yehezkel Raz(1980年生まれ)は、作曲家、ピアニスト、サウンドアーティストです。彼のソロ・デビュー・アルバム「för Nils」は、シンプルな美しさ、親密なピアノ演奏、ミニマリズム、音と沈黙に対する彼の情熱が反映されています。


5歳から音楽教育を受け、バイオリン、ギター、ピアノを弾く。2003年、テルアビブのイスラエル音楽アカデミーを優秀な成績で卒業し、電子音楽への情熱を見出した。2005年と2006年にヴィルクローズ音楽院(フランス)の作曲家賞を受賞し、現在、イスラエルで最も優れた教育者の一人です。またAbeletonで教育プログラムを担当しており、プロデューサーとしても活躍しています。


Yehezkel Razの作品は、映画、演劇、ダンスのための音楽だけにとどまらず、エレクトロニクスやシンセサイザーを使ったライブパフォーマンスも行っています。

 

今回、AnatはYhezkelと組んで、「J'Oublie(Remake)」というタイトルのニューシングルをリリースしました。


ニューシングルは、Yehezkel Razが原曲を制作し、Anat Moskovskiによる編曲がなされ、彼女がピアノに合わせてフランス語で歌っています。フレンチポップとポスト・クラシカルを融合させた上品なナンバーです。

 

この短調の曲には、ピアノの分散和音とがもたらす哀愁とそれと相反する低音の和音の凛とした気品が全体に漂っています。ECMのエキゾチック・ジャズに代表されるアラビアの雰囲気もわずかに内在しています。


Anat Moskovskiの作曲/編曲は、ギリシアの国民的な女流作曲家、Eleni Karaidrouの方向性に近く、映画のような視覚的な効果を与えています。シングルと同時に公開された映像も公開されています。下記よりご覧下さい。 

 


「J'Oublie(Remake)」


 

©Ash Dye

シカゴを拠点に活動するマルチ・インストゥルメンタリスト、Gia Margaret(ジア・マーガレット)がニューアルバム『Romantic Piano』を発表しました。

 

2020年に発表したセルフタイトルアルバムに続くこの作品は、ミュージシャンの新しい所属レーベルであるJagjaguwarから5月26日に到着する。

 

リード・シングル「Hinoki Wood」には、Gaia Alariによるクレイ・アニメーションを使用したストップモーション・ビデオが収録されています。また、アルバムのアートワークとトラックリストは以下の通りです。

 

この新曲について、マーガレットは声明の中で次のように述べています。「ヒノキの木 "は、私が使ったことのない色で作られたように感じる。(そして、レコーディングの時、たまたまヒノキのお香を焚いていました)ヒノキの香りは、ストレスや疲れを軽減し、脳を刺激することで知られています。ある意味、この曲は自分自身/聴いている人にとっても同じような効果があると思ったんだ」

 

「ロマンティック・ピアノは初心者を意識して書いた」とマーガレットは説明する。この曲集では、"もし私がピアノについて学んだすべてのことを、頭の中から消し去ることができたら?その曲はどんな音になるのだろう」と。さらに彼女は、「役に立つ音楽を作りたかった」と付け加えた。

 

 「Hinoki Wood」




Gia Margaret 『Romantic Piano』


Label: Jagujaguwar
 
Release: 2023/5/26

Tracklist:

1. Hinoki Wood
2. Ways of Seeing 
3. Cicadas 
4. Juno 
5. A Stretch 
6. City Song 
7. Sitting at the Piano 
8. Guitar Piece 
9. La langue de l’amitié [feat. David Bazan] 10. 2017 
11. April to April
12. Cinnamon 
13. A Hidden Track (vinyl only)

 


映画、アニメ、CMなど多方面で活躍する中井律子によるソロ・プロジェクト、Rayons(レイヨン)がニューシングル「Luminescence」を本日発表した。アーティストのオリジナルとしては8年ぶりの新作となる。

 

彼女の尊敬するJóhann Jóhannssonへのオマージュともいえるような壮大な世界観の中、繰り返されるムーブメントと余韻、絶えず図と地が入れ替わっていくように展開する美しいリフレインが生き生きと交わり合っていく感動的な楽曲に仕上がっています。配信リンクは以下より。

 

 

Rayons 「Luminescence」 New Single

 


発売日:2023年3月22日
フォーマット:DIGITAL
レーベル:FLAU


配信リンク:https://rayons.lnk.to/Luminescence



Rayons(レイヨン)


音楽家・中井雅子のソロプロジェクト。

 

音大にて、クラシック、管弦楽法、ポップス、スタジオワークなどを学び、卒業後、音源制作を中心に据えた活動を開始。作曲、ストリングスアレンジ、ピアノ演奏等を行う。彼女が紡ぎ織りなす世界は、ファンタジーとダークネスな感情が重なり共鳴し特有の美しさとノイズを生み出している。

 

デビューミニアルバム『After the noise is gone』、Predawnをゲストに迎えたファーストアルバム『The World Left Behind』(2015)をリリース。映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」「サヨナラまでの30分」、TVアニメ「サクラダリセット」の音楽を手がける他、ゴンチチ、ももいろクローバーZ、小山田壮平、majikoらの作品に参加。Rayonsとは、フランス語で「光線」「半径」の意。

 Hanakiv 『Goodbyes』


 


Label: Gondwana Records

Release Date: 2022年3月10日



Review


エストニア出身、現在、ロンドンを拠点に活動するピアニスト/作編曲家、ハナキフの鮮烈なデビューアルバム。マンチェスターの本拠を置くGondwana Recordsは、同国のErased Tapesとならんで注目しておきたレーベルです。最近では、Olafur Arnolds、Hania Raniらの作品をリリースし、ヨーロッパのポスト・クラシカル/モダンクラシカルシーンにスポットライトを当てています。

 

ハナキフの記念すべきデビューアルバム『Goodbyes』は一見すると、ポスト・クラシカルを基調においた作風という点では、現代の著名なアーティストとそれほど大きな差異はないように思えます。多くのリスナーは、このアルバムの音楽を聴くと、アイスランドのオーラヴル・アーノルズ、ポーランドのハニア・ラニ、もしくは米国のキース・ケニフを始めとする音楽を思いかべるかもしれません。しかし、現在、停滞しがちな印象も見受けられるこの音楽シーンの中に、ハニキフは明らかに鮮烈な息吹をもたらそうとしているのです。

 

ハナキフの音楽は、アイスランドのヨハン・ヨハンソンのように映画音楽のサウンドトラックのような趣を持つ。ピアノのシンプルな演奏を中心に、クラシック、ニュージャズ、エレクトロニカ、これらの多様な音楽がその周囲を衛星のように取り巻き、常に音楽の主要な印象を曲ごとに変えつつ、非常に奥深い音楽の世界を緻密な構成力によって組み上げていきます。特筆すべきは、深いオーケストレーションの知識に裏打ちされた弦楽器のパッセージの重厚な連なりは、微細なトレモロやレガートの強弱のアクセントの変容によって強くなったり、弱められたりする。これらがこのアルバムを単なるポストクラシカルというジャンルにとどめておかない理由でもある。

 

アーティストはそもそも、エストニアが生んだ史上最高の作曲家、アルヴォ・ペルト、他にもジョン・ケージのプリペイドピアノ、ビョークのアートポップ、エイフェックス・ツインの実験的なエレクトロニック、他にもカナダのティム・ヘッカーのノイズ・アンビエント等、かなり多くの音楽を聴き込んでいる。それらの音楽への深い理解、そして卓越した作曲/編曲の技術がこのデビュー作ではいかんなく発揮されている。このアルバムには、現代音楽、ニュージャズ、エレクトロニカ、アンビエントと一概にこのジャンルと決めつけがたいクロスオーバー性が内包されているのです。

 

オープニング「Godbyes」において、ハナキフはみずからの音楽がどのようなものであるのかを理想的な形で提示している。ミニマルなピアノを根底におき、ポリリズムを用いながら、リズムを複雑化させ、リズムの概念を徐々に希薄化させていく。最初のモチーフを受けて、ハナキフは見事なバリエーションを用いている。最初のプリペイドピアノのフレーズをとっかかりにして、エレクトロのリズムを用い、協和音と不協和音をダイナミックに織り交ぜながら、曲のクライマックスにかけて最初のイメージとはかけ離れた異質な展開へと導く。モダンクラシカルとニュージャズを融合させた特異な音楽性を最初の楽曲で生み出している。曲のクライマックスではピアノの不協和音のフレーズが最初のイメージとはまったく別のものであることに気がつく。

 

続く二曲目の「Mediation Ⅲ」は、ジョン・ケージのプリペイド・ピアノの技法を用いている。ポピュラーな例では、エイフェックス・ツイン(リチャード・D・ジェイムス)の実験的なピアノ曲を思い浮かべる場合もあるでしょう。そもそもプリペイド・ピアノというのは、ピアノの弦に、例えば、ゴム等を挟むことで実際の音響性を変化させるわけなんですが、演奏家の活用法としては、必ずしもすべての音階に適用されるわけでありません。その特性を上手く利用しつつ、ハナキフは高音部の部分だけトーンを変化させ、リズムの部分はそのままにしておいて、アンビバレンスな音楽として組み上げています。特に、ケージはピアノという楽器を別の楽器のように見立てたかったわけで、その点をハニキフは認識しており、高音部をあえて強く弾くことで、別の楽器のように見立てようとしているのです。その試みは成功し、伴奏に合わせて紡がれる高音部は、曲の途中でエレクトロニカのサウンド処理により、ガラスのぶつかるような音や、琴のような音というように絶えず変化をし、イントロとは異なる印象のある曲として導かれていくのです。

 

3曲目の「And It Felt So Nice」は芳醇なホーンの音色を生かした一曲です。前の2曲と同様、ピアノを基調にしたトラックであり、ECMのニュージャズのような趣を持った面白い楽曲です。ピアノの演奏はポスト・クラシカルに属するものの、複雑なディレイ処理を管楽器に加えることでサイケデリックな響きをもたらしている。ピアノの叙情的な伴奏やアレンジをもとに、John Husselのような前衛的な管楽器のアプローチを踏襲しています。ここでも前曲と同じように、電子音楽で頻繁に用いられるエフェクトを活用しながら管楽器の未知の可能性を探求している。


4曲目の「Lies」では、二曲目と同じプリペイドピアノ技法に舞い戻る。一見して同じような曲のようにも思えますが、エストニアのアルヴォ・ペルトの名曲「Alina」のように、低音部の音響を駆使することにより、ピアノそのものでオーケストラレーションのような大掛かりな音楽へと導いていきます。前曲とミニマリズムという点では同様ですが、印象派の音楽として全曲とは異なる趣を楽しめるはずです。特に、ミニマルの次のポストミニマルとも称すべき技法が取り入れられている。ここで、ハナキフはプリペイドピアノの短いフレーズをより細分化することによって、アコースティックの楽器を通じてエレクトロニカの音楽へと接近しているわけです。

 

5曲目の「No Words Left」は、Alabaster De Plumeをゲストに迎えて制作されたミニマルミュージックとニュージャズの要素を絡ませた面白い楽曲です。ハナキフはジャズとクラシックの間で揺らめきつつ抽象的な構成を組み上げている。特に、「Goodbyes」と同様、モチーフのバリエーションの卓越性がきらりと光る一曲であり、時にその中に予期できないような不協和音を織り交ぜることにより、奇妙な音階を構成していきます。 時には、ホーンの演奏を休符のように取り入れて変化をつけ、そのフレーズを起点に曲の構成と拍子を変容させ、映像技術のように、印象の異なるフレーズを組み上げています。これが、比較的、ミニマル・ミュージックの要素が強い音楽ではありながら、常に聞き手の興味を損なわない理由でもあるのです。

 

6曲目の「Mediation Ⅱ」はおそらく二曲目と変奏曲のような関係に当たるものであると思いますが、ダイナミックなリズムを取り入れることにより、二曲目とはまったくその印象を変え、 作曲家/編曲家としての変奏力の卓越性を示している。時には、弦楽器のピチカートらしきフレーズを織り交ぜ、シンコペーションを駆使しながら、本来は強拍でない拍を強調している。そこにプリペイドピアノの低音を意図せぬ形で導入し、聞き手に意外な印象を与える。ある意味、バッハの鏡式対位法のように、図形的な作曲技法が取り入れられ、カンディンスキーの絵画のようにスタイリッシュでありながら、数学的な興味を駆り立てるようなトラックに昇華されている。

 

7曲目の「Home Ⅱ」は、このデビュー・アルバムでは最も映画のサウンドトラックのような雰囲気のある一曲で、アイスランドのヨハン・ヨハンソンやポーランドのハニア・ラニの音楽性に近いものを多くの聞き手は発見することでしょう。ピアノの演奏はすごくシンプルで簡潔なんですが、対比となるオーケストラレーションが叙情性を前面に押し出している。特に弦楽器の微細なパッセージの変化がまるでピアノ演奏と呼応するかのように変化する様子に注目です。

 

8曲目の「Home I」は、ポスト・クラシカルの曲としては王道にあるような一曲。日本の小瀬村晶の曲を彷彿とさせる。繊細でありながらダイナミックス性を失わず、ハナキフはこの曲をさらりと弾いていますが、その中にも他の曲にはないちょっとした遊び心が実際の鍵盤のタッチから感じ取ることが出来ます。フランスの近代の印象派の作曲家の作風に属するような曲ですが、それはやはり、近年のポスト・クラシカル派の楽曲のようにポピュラー・ミュージックのような形式として落とし込まれている。演奏の途中からハナキフはかなり乗ってきて、演奏そのものに迫力が増していく。特に、終盤にかけては演奏時における熱狂性すら感じ取ることが出来るでしょう。

 

近年、 ポストクラシカルシーンは似通ったものばかりで、少し停滞しているような印象を覚えていましたが、先日のポーランドのハニア・ラニとエストニアのハナキフを聴くかぎりでは、どうやら見当違いだったようです。特に、ハナキフはこのシーンの中に、ニュージャズと現代音楽という要素を取り入れることで、このデビュー作において前衛的な作風を確立している。MVを見ると、前衛的なバレエ音楽として制作されたデビューアルバムという印象もある。

 

エストニア出身のハナキフは、作曲家/編曲家として卓越した才覚を持ち合わせています。今後、映画のスコアの仕事も増えるかもしれません。活躍を楽しみにしたいアーティストです。

 

 

90/100

 


 



ドイツ/ハンブルクのポストクラシカルシーンに属する作曲家、Niklas Paschburg(ニクラス・パシュブルグ)が3rdアルバム『Panta Rhei』の最新シングル「Delphi Waltz」を公開しました。このシングルは先月公開されたシングル「Darkside of the Hill」に続く作品となる。新作アルバムは2023年3月17日に7K!からリリースされます。


タイトルと音楽は、ヘラクレイトスの「すべては流れる」というギリシャ哲学からインスピレーションを得ており、ハンブルク出身のアーティストが自身の奥底から引き出された電子音楽とポストクラシック音楽の無制限の世界を探求している。


現在ベルリンを拠点とするパシュブルグは、過去2枚のアルバムを通じて、バルト海の動き(2018年『Oceanic』)と北欧の冬の闇(2020年『Svalbard』)に魅了されてきた。パンデミック時に旅を断念した結果、この最新アルバムでは彼自身の心の内側を見つめることになった。「それは音楽で表現された内省であり、また一方ではポジティブな感情、他方ではダークな感情という2つの異なる顔を見せることになった」



2016年のデビューEP『Tuur mang Welten』で注目を浴びて以来、Paschburgはその独創的な作曲スタイルで人々を魅了してきた。


これまでのキャリアを通じて、アンビエント、ポップ、クラシック、エレクトロニック・ミュージックを現代的に融合させてきた彼は、今回、中心的な楽器であるピアノを通して深い感情を伝えようとしている。RY X、Hania Rani、Robert Lippok、Ah! Kosmosとのコラボ、2021年のフランス映画「Presque」(「Beautiful Minds」)のサウンドトラックを作曲している。新作では、エレクトロニック・デュオ、ÂmeのFrank Wiedemann、Jóhann JóhannssonからThom Yorkeの作品までを手がけた敏腕サウンドエンジニア、Francesco Donadello(フランチェスコ・ドナデッロ)と共に制作した1曲が収録されているのに注目したい。


『Panta Rhei』は、ニクラスが概念的な境界を取り払い、直感に従ったサウンドである。彼はまずピアノでそれぞれの曲を書き、ドラマー、サックス、シンガー、アコーディオンを加え、さらにエレクトロニクスによってユニークな質感を加えている。


「これらの新曲は、私が自分の中で訪れた場所、私が持っているもの、または他の人の中で観察したものを描写しています。ヘラクレイトスのPanta rheiの理論にあるように、同じ川に2度入ることはできないという事実を念頭に置きながら、すべてを含む1つの川につながれたさまざまな音楽の場所や雰囲気を探求することが目的だった」


ニクラスの個人的な旅は、彼のメランコリックで繊細なピアニズムとシンセや電子ビート、示唆に富むアンビエント、ドイツ人シンガー、lùisa、スペイン人、Bianca Steck、アイスランド人ポストパンクバンドFufanuのフロントマン、Kaktus Einarssonの喚起的な声が融合した魅惑的でカラフルな音楽の旅であり、親密で瞑想的でありながら、ポジティブで高揚したヴァイブスを持つアンビエント・ポップへの移行でもある。