New Album Review  Christina Vanzou 「Christina Vanzou,Michael Harrison,and John Also Benett」

 Christina Vanzou 「Christina Vanzou,Michael Harrison,and John Also Benett」

 


 

Label:  Seance Centre

Release:  2022年9月2日
 
 
 
 
 
 
Review 
 
 
現在、ベルギー、ブリュッセルを拠点に置いて活動する現代音楽家クリスティーナ・ヴァンゾーは、元々、Stars Of The LidのAdam Witzieとのアンビエントプロジェクト、Dead Of Texanとしてミュージック・シーンに登場した。
 
 
その後、ソロアーティストに転向し、近年ではアンビエントの領域にとどまらず、モダンクラシカルの領域にまで音楽のアプローチの幅を広げつつある。昨年には、鳥の声や自然の環境音のサンプリングを取り入れたベルギーのぶどう農園をストリーテリング調にアンビエント・ミュージックとして表現したアルバム「Serrisme」をリリースしている。
 
 
今回、クリスティーナ・ヴァンゾーは、指揮者としての役割を果たし、二人のコラボレーターとの共作に挑戦している。
 
 
マイケル・ハリソンは、作曲家兼ピアニストとして活躍し、2018年-2019年のグッゲンハイムフェローに選出されている。ハリソンは作曲家、ピアニストであり、ジャスト・イントネーションと北インド古典音楽の熱心な実践者に挙げられる。ラ・モンテ・ヤングの弟子で、「ウェル・チューンド・ピアノ」時代にはピアノ調律師、インド古典声楽キラナ流派の師範であるパンディット・プラン・ナートの弟子として活躍し、その後は独自の調律システムを開発している。
 
 
もうひとりの共作者のジョン・アルソ・ベネットは、シンセサイザー奏者として活躍している。クリスティーナ・ヴァンゾーの2020年の作品『Landscape Archtieccher』にも参加し、このアンビエント作品に新鮮な息吹を吹き込んで見せた。既にお馴染みのコラボレーターとなっている。


既に、全ての音楽は出尽くしたと一般的に言われる現代音楽シーンであるが、それはおそらく多くの場合、音楽における無理解あるいは、想像力の欠如を表すシニカルな批評の言葉でしかない。なぜなら、この最新作「Christina Vanzou,Michael Harrison,and John Also Benett」で、クリスティーナ・ヴァンゾー及び二人の共作者は、全く新しい音楽を出現させているからであり、これまでになかったインド音楽に根ざした西洋音楽の方向性を急進的に推し進めているのだ。
 
 
このアルバムでは、バッハの「平均律クラヴィーア」に近い教会音楽の時代から続く西洋音楽の1つの象徴でもある対位法的なアプローチが取り入れられているが、それは西洋音楽を肯定するものであるとともに、それを否定しもする二律背反とも言うべきインド思想的な作品となっている。おそらく、アルバムの全体的な構想としては、クリスティーナ・ヴァンゾーが最初期から得意としてきたピアノと環境音、そしてシンセサイザーの融合というきわめてアンビエント音楽としてはごくシンプルなものである。しかし、マイケル・ハリソンのピアノは明らかに西洋の純正律の音階にはない東洋的な音響ーー「微分音」を劇的に取り入れている。この微分音というのは、インドネシアの「ガムラン」に象徴される西洋の平均律には存在しない音階で、平均律の音階(スケール)を細かく微分したものとなる。日本の作曲家としては、若い時代の西村朗が尾高賞を獲得した「二台のピアノためのヘテロフォニー」において、微分音をミニマルミュージックとして取り入れている。 
 
 
ピアノ、環境音、シンセサイザーとの組み合わせは、かつてブライアン・イーノとピアニストのハロルド・バッドがアンビエント・シリーズにおいて取り組んだ主なテーマでもある。つまり、この三者の共作による「Christina Vanzou,Michael Harrison,and John Also Benett」はブライアン・イーノ&ハロルド・バッドの最初期のアンビエントの系譜に位置づけられると思われるが、そこにマイケル・ハリソンのラーガへの傾倒を顕著に表すこれまでの西洋の音楽にはなかった要素が込められているのも事実である。

 
 
ピアノの旋律は常に単旋律を元に教会旋法のような対位法によって組み上げられていくが、その手法は、どちらかと言えばかつてモーリス・ラヴェルがシェーンベルクの前衛的な音楽を称して言ったように「建築物」のごとく堅固だ。和音というのは常に縦向きの構造であるが、マイケル・ハリソンが組み上げる横向きの和音は、実際の音の反響音(倍音)を活かすものとなっており、実際の音を組み上げるというより、ピアノハンマーが鍵盤を叩いた後に減退していく「サステイン」の過程で生ずる倍音を縦向きな対旋律として組み上げていく。例えば、エストニアのアルヴォ・ペルトが「Fur Alina」という曲で、独特な倍音を単音の旋律進行の倍音によって生み出したように、インド音楽「ラーガ」に象徴されるような東洋的な和音が、倍音として緻密に建築物の一つずつ礎石のごとくハリソンの優雅な演奏によって積み上げられていくのである。
 
 
この作品に見られるインド、チベットの瞑想的な響きについて評論的な言辞をいくら弄したところで無益に等しい。それは、ピアノの旋律、倍音、ドローンに近い環境音を実際に聴いてみてもらいたいとしか言いようがない。


シンセサイザー奏者としてのジョン・アルソ・ベネットの関わり方も素晴らしいもので、マイケル・ハリソンの繊細かつ格調高いバッハ風の演奏の雰囲気をシンセのシークエンスによって調和的に引き立ててみせている。 それはアンビエントの究極的なテーマであるその場の雰囲気を常に尊重するもので、沈思的であり、瞑想的な音響をベネットは強化させることに成功している。
 
 
これらの二方向からのアプローチをひとつに取りまとめるのが指揮者のような役割を果たす、クリスティーナ・ヴァンゾーである。これらの電子音楽的なアプローチを、ヴァンゾーは、モダンクラシカルの「芸術的領域」まで引き上げている。ピアノとシンセサイザーを融合した革新的な音楽に流れる気風は、消え入る寸前で保持される静寂及び東洋的な音響に象徴されるが、それはかつてアーノルト・シェーンベルグのもとで学んだジョン・ケージの最初期の調性を限界点で保持する繊細なピアノ音楽を想起させる。もちろん、その上で、セバスチャン・バッハのように緻密な数学的設計がなされることで、本作はまったく非の打ち所のない傑作として組み上げられたと言える。



100/100(Masterpiece) 
 
 

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