Chihei Hatakeyama  『Hachirogata Lake』- New Album Review

 Chihei Hatakeyama  『Hachirogata Lake』

 


Label: Field Records

Release: 2023/9/1



Review



畠山地平の『Hachirogata Lake』は映画のサウンドトラック『Life Is Climbing」に続く作品となる。ライフワークとも称すべき『Void』シリーズでは、グリッチを主体とするアンビエントに取り組んだ制作者ですが、今作ではフィールド・レコーディングとアンビエントの融合に着手しています。

 

音楽の舞台は、秋田の男鹿半島に位置する八郎潟。今作は、湖付近のフィールド・レコーディングをもとに制作されたという。八郎潟という場所は、諫早湾と同様、以前から様々な社会的な関心を集めて来た経緯がある。以前は、琵琶湖に次ぐ面積を誇る湖であったが、現在は干拓事業により、その多くが埋め立てられ、調整池となった。陸地の部分は、大潟村と呼ばれ、市民が暮らす。昔は大きな湖であったが、現在、沼沢地とも称すべき地帯になっている。


『Hachirogata Lake』は、アーティストとしては珍しく、フィールド・レコーディングを主体とする作品である。アルバムの冒頭から湖の付近のフィールド・レコーディングで始まり、水の流れ、泥濘を長靴で踏みしめる音、また、草むらの水棲生物の声がサンプリングとして取り入れられている。

 

オープナー「By The Pond」は、アルバムの一連のサウンドスケープのストーリーの序章のような感じではじまる。そして、面白いことに、このフィールド・レコーディングは、どうやら八郎潟という地域の早朝から夜までを描いた「実録的なアンビエント」となっているようです。つまり、収録曲が移り変わる毎に、八郎潟の時刻ごとの別の風景が描写されています。記録的なフィールドレコーディング作品という面では、ロンドンを拠点に活動するHatis Noitのデビュー作の福島の海の録音に触発されたとも解せる。ロンドンのライブで、アーティストは、ロスシル(Loscil)と同じ日に出演した際に、Hatis Noitと少しおしゃべりをしたということです。

 

#2「Water and Birds」では、最初は気づかなかった八郎潟の無数の生き物の息吹が間近に感じ取られる。鳥類の声や水が陸地に淀みながら寄せては返す録音の後、アーティストの代名詞であるアンビエントの抽象的なテクスチャが出現する。従来、畠山地平は、グリッチに近いアンビエントにも取り組んで来た経緯があるが、ここでは、シンプルなシークエンスを取り入れて、空間性を押し広げていこうとする。当初は、波際の一部分の小さな光景であった印象が、カメラのズーム・アウトのような技法を駆使することで、被写体の姿がだんだん小さくなっていき、それにつれて遠景が視界全体に充ち広がっていく。私の知る限りでは、ここまで制作者がサウンドスケープを細部に至るまで描写しようとしたケースは、ほとんどなかった。


畠山地平さんは、ベテランのカメラマンや、映像制作者のように、半島の風景の隅々にいたるまで詳細かつ克明に記録しようと試みる。アーティストが表現しようとするのは目に映るもの、つまり、生物の気配だけにとどまらない。風の音、空の景色、その場にしか存在しないアトモスフィア、つまり「気」のような得難い繊細な感覚まで、五感で感じ取られるすべてのものをアンビエントとして克明に表現しようとしている。八郎潟の無数の生物と無生物が多角的に描き出されることによって、宇宙の無辺に顕在する万物の流転のような奥深い瞬間を形作っている。


#3「Lakeside」で風景は様変わりし、八郎潟の水が橋桁を舐めるような音、遠くの方で木製の小舟が浮かびながら波間に揺らめくような音のサンプリングが、イントロにフィールド録音という形で配置されている。それらの環境音を合間を縫うようにして、ギターの演奏がはじまる。


旋律はロマンティックで、オーストリアのFennesz(フェネス)が志向していた甘美的なギターラインを彷彿とさせる。また、抽象性は、心地よさという感覚に重点が置かれている。セリエリズムに近いフレーズであるものの、船で波間を漂うような快適さ。基調とする調性が明確ではないにも関わらず、不思議と調和的な響きが含まれている。これは、オリヴィエ・メシアン、アルフレッド・シュニトケ、武満徹の作曲の中に頻繁に見受けられる「不調和の中の調和」を感じさせる。やがて、アンビエントのテクスチャーが強調されると、自然はやさしげな表情を帯びる。この曲には、制作者が体感した八郎潟の美しい真実性が留められていると言えるでしょう。

  

またまた風景は変化し、#4「Distant View」では、空の遠景の風景が描出される。それと同時に、午前の風景が変化し、午後のサウンドスケートが呼び覚まされる。ここでは、Loscil,Tim Heckerが好むようなドローン風のテクスチャーを駆使し、男鹿半島に満ちる独特な空気感のようなものを表現しようとしている。


たとえば、開けた場所に行くと、そよ風が頬を柔らかく撫でることがあるように、視覚性とは別の感覚を表現しようとしている。ここには、アーティストの画家としての一面性が表れ、抽象的な音楽の中には色彩的な音響性が含まれる。アンビエントのテクスチャーは奥行きや空間性を増していき、宇宙的な何かに繋がっていく。表面的には、抽象的な音が建築物のように組み上げられていくが、音の核心に踏み入れていくと、その中に奇妙な和音を掴み取ることが出来る。以前、武満徹は、「そこにすでにある音を捉える」と話していましたが、それに近い感覚です。

 

#5「Pier」では、再び、波打ち際の水の音のフィールド・レコーディングに立ち返っている。アーティストは「最近まで、ブライアン・イーノを聞くことを避けてきた部分があった」と話しているが、ここではアンビエントの原初的な音楽性に立ち返り、ブライアン・イーノ/ハロルド・バッドのアンビエント・シリーズの音作りに類する音楽に取り組んでいる。 


このアンビエント・シリーズの最大の特徴は、内向きのエネルギーにあり、それが無限に内側に向かっていくような不可思議な感じにありました。それこそがアンビエントの音楽性の主な特徴を形成していたのだったけれど、この曲では、それらに類する内省的なシンセのテクスチャーが組み込まれている。そして、それはやがて、ある種の悲しみやノスタルジアという形に結びつく。

 

#6「Twilight」では、八郎潟の風景が徐々に夕景に移ろっていく。この曲も同様、ブライアン・イーノの「Apollo」の作風を継承している。ここでも、パン・フルートをベースにしたシンプルなシンセの音色を使用し、懐古的なサウンドと内省的なサウンドの中間域を探る。正直なところ、これまで書かれて来た曲の中で最高傑作だと思う。多分、複雑化されたサウンドの無駄な部分を削ぎ落とし、シンプルなものにすることほど難しいことはないけれど、実際、制作者は難なくやり遂げているのが凄い。というか、これは旧来のアンビエントという印象が覆されるような画期的な一曲であり、NYのアンビエントの大家、William Basinskyに比するクオリティがある。


#7「Fish Flying In The River」は、Fennesz/Sakamotoの「Cendre」のようなノイズ/グリッチを主体としたドローンが自然味溢れる感性と上手く溶け込んでいる。それほど真新しさのある作風ではないものの、モダン・アンビエントの王道を行くような楽曲として楽しめる。しかし、最も刮目すべきは、イントロのドローンに続いて、曲の中盤にかけてのドローンがより深遠な領域へ差し掛かる箇所である。アンビエントのシークエンスの中には、水音もかすかに聞き取れるが、#2「Water and Birds」と同じように、宇宙の万物が内包されているようにも感じられる。これらの深淵かつ深甚な感覚は、刻々と移ろっていき、4分20秒ごろから、ノイズが取り払われ、音像がクリアになる。雲や霧で覆われていた情景が風の中に途絶え、突如、視界が明るくなってくるような感覚である。断続的なテクスチャーは、控えめにフェードアウトしていく。


 #8「Lake Swaying In The Wind」は、明確な時刻こそ不明であるが、夕暮れの名残りの雰囲気に満ちている。夜の間近の湖や海の風景は、考えられるかぎりにおいて最も美しい刻限である。なぜなら、水面に夕日が映し出された時、この世界が形も際限もなく、果てない空間であることを直感させるから。水音のサンプリングが取り入れられているのは同様であるが、シークエンスの雰囲気は他の曲と少しだけ異なっている。トラックの中盤では、枯れたパンフルートの音色を追加して、夕闇の淡い情景を見事な形で描出している。さらに終盤では、イギリスの画家のウィリアム・ターナーが後期において描いた自然における崇高性を感じさせる瞬間もある。


全般を見ると、このアルバムがフィールド・レコーディングのバリエーションとなっているのがわかる。本作の一番の面白さは、ミクロとマクロの視点を交えながら、八郎潟の風景が朝から夜にかけて刻々と変化するサウンドスケープを緻密に描き出している点に尽きる。また、その瞬間にしか捉えられない偶然性を捉えようとしている点に、音源としての価値があると考えられます。

 

クローズ「Insects Chirping at Night」は、オープニングの「By The Pond」と呼応していて、プロローグとエピローグの対の形式となっている。しかし、虫の声や水棲生物の息吹の様相がアルバムの序盤とは若干変化している。つまり、八郎潟の水辺の情景は、夜の雰囲気に飲み込まれ、作品全体を通じて長い時間が経過したことが分かる。アンビエントの作曲家としてもマスタークラスの域に達しつつあり、プロのカメラマンのような鋭い観察眼にも驚かされる。さらに、秋田の八郎潟の実録的な音楽としても、文化的な価値のあるアルバムと称せるのではないでしょうか。


以前、畠山地平さんのロング・インタビューをご紹介しております。こちらも合わせてお読み下さい。


アンビエントとはどんな音楽なのかよく知りたい方は、ぜひこちらの名盤ガイドを参照してみて下さい。

 

 

90/100