Weekly Music Feature: Alexandra Savior 『Beneath The Lilypad』


Alexandra Savior

パートナーのドリュー・エリクソンとパンデミックの最中に始めた『Beneath the Lily Pad』は、過去半世紀にわたるアレクサンドラ・サヴィアーのありようを通じた幽玄な旅である。それはまた、自分が何者であるかを探る、果てしないアイデンティティの確立への道のりでもあった。

 

「自分自身と自分の音楽の、ソフトで、感情的で、フェミニンな面が弱いかなと何年も感じてきた後、自分が何者で、何を望んでいるのかを見極めるために、はてしない靄の中を彷徨っているような、ほとんど夢のような時間だった」


2020年のアルバム「The Archer」をリリースしたあと、次の作品をリリースするレーベルもないからと思っていたところへ、伝説的な名門レーベルからコンタクトがあった。それは彼女の果てなき逡巡からの脱出するための契機となった。


以前、Paper Rocksとのインタビューで彼女はいかに次のアルバムの見通しが立たないかを笑いを交えて話していた。


「私は長い間曲を書いてきましたが、アルバムの最終的な形をまだ頭の中で見つけていません。しかも、またリリースするレーベルがない(笑) 前のアルバムとは違う音楽となりそう。この一年が私たちを停滞の段階に導いたので、それは映画的ではなく、遅くて穏やかになるかもしれない。正直言うと、このアルバムがいつリリースされるかさえわかりません。レーベル契約がなければ、お金がありません。運が良ければ、今年末に発売されるかもしれませんね(笑)」


しかし、他者との関係、彼女を取り巻く世界の中で、アレクサンドラ・サヴィアーはそういったシュールレアリズムのような不確かな時間を生きながら、本能こそ自分の頭の中にあるどんな疑念よりも強力であることを学んだ。 「今回は音楽がどう受け止められるかをあんまり考えていなかった。 他の人がどう思うかではなく、ただ自分のために自分の好きなように作ることができた」


過去に自己が決めつけていた水準を越え、なんでも出来るという自信に満ち溢れた感覚、心理学的に言えば、エフィカシー(自己肯定感)の影響は、リスナーが最初に耳にする "Unforgivable "のように、アルバム全体に波及している。 「この曲は、私がエゴの外に生きることを学んだ最初の例のひとつ。誰か他の人(この場合はパートナーのドリュー)を心から信頼することにより、私と曲を私の頭の中でしっかり聴こえるようなところまで導いてくれたの」と彼女は言う。 この曲は、セラピストとのフェイス・タイム・セッションの後に生まれた。


人生は映画や物語のシナリオのように入り組んでいる。果たして、筋書き通りに進む、曲がりくねったり入り組んでいないものが人生と言えるのだろうか。そして、そのメガホンを取るのは、制作者である”自分自身”である。アルバムの奥深くでは、"The Mothership "や "Goodbye Old Friend "といったシングルがアレクサンドラ・サヴィアーの次章のページを埋め尽くしている。また、それは自己紹介以上の人生のシナリオを解き明かすような働きをなすのである。


前者は、彼女がメンタルヘルスと双極性障害の診断と闘う中、パートナーのドリュー・エリクソンとの絆と人間的な優しさを解き明かす。後者は、彼女自身がその終結に果たした役割を見つめ直すことで、人間関係の再構築を迫られた。 「All of the Girls」は、アレクサンドラが "ローズマリーの赤ちゃん "に夢中になっていた時期に生まれ、ソーシャルメディア上で他の女性と比較することが大流行した、きわめて破滅的な出来事から生まれた。 「Let Me Out」には過去のデモへのリンクもある。この曲は、彼女が最初のツアー以来、何らかの形で温めてきた。このアルバムのために再アプローチし、ストリップバックするのがようやく適切だと感じた。


このアルバムは、直線的な道筋をたどるとはかぎらない。言い換えれば、その音楽的なストーリーの弧は、アーティストが困難な時期から癒されるまでの期間をなぞるのではなく、単純には解き明かしがたい。そう、だからこそ音楽を作る必要があった。「人生とはそういう簡単なものではないし、私のメンタルヘルスの旅もけしてそうではなかったから」と彼女は述べている。 


「このアルバムのトラッキングには、複雑な過程をそのままのかたちで反映させたかったの。 人生には浮き沈みがつきものでしょう。生きていれば、物事は良くなることもあれば、落ち込むようなことだってあるでしょう。たぶん、それ以外の方法で、この物語を語ることは、私という人間や私がいる場所に対して誠実とはいえなかったでしょう」



『Beneath the Lilypad』は奔放な創造的自由から生み出された。「そのおかげで、アルバムの制作のプロセスを通じて、ミュージシャンとして、ソングライターとしての自分により自信が持つことができた」サヴィアーは述べている。

 

「私はこれまで自分にかなりのプレッシャーをかけてきた。 正直に言えば、"難しい "と思われることを気にするのはうんざりしている。 今回、私は、パートナーのドリュー・エリクソンと一緒に仕事をしていて、彼は私の頭の中にあるネガティブな声に耳を傾けないように、よく励ましてくれた。 そのおかげで曲に何を求めているかを主張することに不安を感じなかったし、音楽はその恩恵を大いに受けたでしょう。 できれば、その教訓を10年前に学んでいればよかった」


このアルバムはマン・レイやマヤ・デレンのようなシュールレアリズムの超現実主義的な映画作家へのオマージュとなっているという。サヴィアーはこのことについてくわしく説明している。


「マヤ・デレンの短編映画『At Land』には触発を受けることが多いわ。私にとっては、夢のシーンの中を歩いている女性を表しているんだけど、私の精神衛生上、ここ数年の多くは夢の中(あるいは悪夢の中)を歩いているような不思議な気分だった。 私の視点から、ダークで神秘的な要素を伝えたかったし、このようなことを追いかけることは、いつもその中で生き続ける助けになるの」


アウトサイド・ランドを含む今夏のフェスティバルを控えたサヴィアーは、クールな一世代前の才能として名を馳せてきた。最新の新曲ではノワール映画やヴィンテージのシュルレアリスム映画、そして予言的なイメージメーカーのマン・レイ、ジャン・コクトー、マヤ・デレンに敬意を表している。


アメリカの伝説的な名門レーベル、RCAから、次世代のラナ・デル・レイやミツキとして、とびきり個性的な実力派シンガーが登場する。その名はアレクサンドラ・サヴィアー。ポップ界のニュースターの誕生。

 

 


 Alexandra Savior 『Beneath The Lilypad』- RCA

 

 

 

『The Archer』を聴いたことのある音楽ファンは、このアルバムを聴いて、同じシンガーソングライターによる作品であるとは思わないかもしれない。それほどまでに『Beneath The Lilipad』はシンガーとしての劇的な転身ぶりを伺わせる。

 

ロサンゼルスの歌手、アレクサンドラ・サヴィアーは、まるでその人が生まれ変わったかのように、作風に大きな衝撃的な変化を及ぼした。前作までは、現代的な音楽という観念に振り回されていた。


今回は、古典的であると言われるのを恐れず、ポピュラースタンダード、ジャズ、そしてミュージカルの影響を交えて、リバイバル的なポピュラーソングの魅惑的な世界を構築している。しかし、『Beneath The Lilypad』を聞けばわかるとおり、フォロワー的ではない。ダークでアンビバレントな感情が、アレクサンドラ・サヴィアーのこよなく愛する20世紀のシュールレアリストの世界観と見事に結びついた。

 

このアルバムの中に内包される、モノクロの世界の反映、それはとりも直さず、シンガーの精神世界の反映の意味を持つ。サヴィアーは、その鏡をのぞきこみ、そして歌をうたうごとに自己が様々な姿に変身するかを見届ける。サヴィアーは気がつく、自分の意外な姿がどこかにあったということを。そして、音楽の世界をつなげるアーティストとファンとの関係が続くシナリオを完成させる。音楽ファンは、「アリス・イン・ワンダーランド」のような音楽世界をおそるおそる覗き込む。そして、恐ろしく不気味なように思える、その世界の中に足を踏み入れると、不思議なほど精妙で高らかな感覚を発見することが出来る。これは単なる音楽世界ではない。パートナーのドリューとの信頼関係の中で構築された”人間的な愛情の再発見”である。

 

アレクサンドラ・サヴィアーの音楽観は完成されている。20世紀のミュージカルのような音楽を下地に、カントリー、フォーク、ポピュラー、ジャズ、シャンソンのような音楽性が一緒くたとなっている。これは、サヴィアーの2020年以降の複雑な心理状態の写し身のようになっている。しかし、それが制作者の志向するソフトで感情的、そしてフェミニンという感覚が上手く音楽を中和させ、マイルドにしている。それほど音楽自体は重苦しくはならない。その証だてとしてオープニングを飾る「Unforgivable」は、カントリーをベースにしたポピュラースタンダードである。イントロの後の歌い出しは軽やかで、ボーカルの抑揚と平行して、華やかなホーンの演奏が音楽を陽気にしている。サビの最後の部分で曲のタイトルが歌われると、音楽の深い余韻が表れ、そしてコーラスが加わり、音楽全体がより華やかさを増していく。

 

 

 「Unforgivable」

 

 

映画的ではないと説明されているが、音楽的に言えば、そのかぎりではないかもしれない。アルバムの冒頭では、マカロニ・ウェスタンやヘンリー・マンシーニの音楽が登場する。例えば、「The Mothership」は西部劇の映画風のギターのイントロの後、 グロッケンシュピールのようなオーケストラの金管楽器を交えて、魅惑的なオーケストラポップの世界を敷衍させていく。普通、こういった曲は恐れ多い感じがし、わざとらしい歌い方になることが多いが、背景のトラックや演奏にまったく気後れしていないのが見事である。ただ現代的なイディオムがないわけではない。サビの部分では、2020年頃のポップネスを活かしてモダンな印象を形作る。

 

サヴィアーのペシミスティックな音楽性は続く「Goodbye, Old Friend」に見出される。ここではマンシーニのような映画音楽や、ロネッツのような最初のガールズグループのR&Bを吸収し、鋭い立ち上がりを見せるスネアのドラムの演奏を中心に、魅惑的なバラードを提供している。弦楽器の組み合わせが芳醇なハーモニーを形成し、過去の友人、そして自らに別れを告げるという内容だ。そこには過去の自己の姿を少し憐れむような視点で見る現在のシンガーの姿が見いだせる。時間的な経過を上手く反映させたコケティッシュな魅力を放つポップソングである。美麗なストリングスのハーモニーは、日本の歌謡曲にも比する独特な音響空間を作り上げる。

 

フレンチ・ポップやイエイエの系譜に属するヨーロッパ的な音楽が続く。「All Of The Girls」はフランソワーズ・アルディ、シルヴィ・バルタンのようなフランスのポップシンガーの音楽を復刻させる。しかもアメリカ的な方法によってである。

 

これらはクラシックとポップ、そしてジャズの次世代の音楽として、20世紀のフランスのヌーヴェル・ヴァーグの運動の一環として発生したのだったが、この曲は同時に、20世紀のシュールレアリストの巨匠のモノクロの世界観とぴたりと重なり合う。つまり、未だ女性的な権利が確立されていなかった時代への共感性のようなものが紡がれている。

 

そして、それは、悲しき女性のスターへの憧れ、という20世紀の女性の社会通念のメタファーのような働きを持つ。それらの古典性がチェンバロ(シンセ)の伴奏、そして弦楽器やピアノの録音によって紡がれ、短調のバラードソングという全体的なイメージを形作っていく。現代的な女性の地位、実はそれは、20世紀にはほとんど確立されていなかったのである。制作者は、その報われないような恋愛や感情をペシミスティックな音楽に上手く乗せている。現代的な自己主張のような行動は、男性側から見ると、ラディカルな印象を受けるかもしれない。しかし、考え方によってはそれらの未然の時代に対する強い反抗を意味しているのだ。

 

 

同じく、「Hark!」はマイナー調のフォークソングで、前の曲の流れを受け継いでいる。しかし、前の曲が心情的な悲しみを歌ったものであるとするなら、この曲はそこから少し立ち上がる瞬間を描いている。 こういった曲は、WW2の後、結構流行ったという印象があり、”ムード歌謡”のような雰囲気で始まり、その後、次第に幻想的な雰囲気が強くなっていく。妖精的な雰囲気を持つサヴィアー歌声は、ある意味では、この曲が作られた時点の制作者の姿と理想の姿との乖離を暗示していると思われるが、なぜか、心地よい空気感に満ちあふれている。陶然としているようで、どこか冷然としており、また冷たいようでいて、うっとりとした感覚がある。直線的ではないという音楽的な流れのようなものが、以上の二曲には分かりやすく表れている。

 

 

「Unforgivable」と並んで、「Venus」はハイライト曲である。同時にジャズ・スタンダードを意識した曲で、ジュディ・ガーランドから出発するディズニー音楽にも通じるものがある。他の曲に比べて、ヴォーカルの録音がクリアな音像を持つ。「RCAの録音のレガシーの精華」ともいうべき曲である。シンセとピアノを組み合わせ、その後、弦楽器のトレモロで夢想的な雰囲気を盛り上げるというガーランドの録音の系譜を受け継ぎ、ノラ・ジョーンズ以降のモダンジャズのエッセンスを盛り込み、古典的だが新鮮な味わいを持つ音楽が生み出された。


器楽的な効果も重視されている。メロウなムードを盛り上げるエレクトリック・ピアノ、そして雰囲気をゴージャスにするチェロやバイオリン(もしくはビオラ)のユニゾンが美麗な雰囲気を放つ。特に二番目の変奏は素晴らしく、ピアノがグロッケンシュピール、そして新しくデューク・エリントンやカウント・ベイシーに象徴されるビッグ・バンドを彷彿とさせるホーンが加わっている。

 

 

「Venus」

 



アルバムの終盤に至ると、表向きの曲の派手さは薄れるが、その一方で、音楽そのものの求心力が強まる。それは、サヴィアーの持つ音楽世界に惹き込まれたということである。ギターとサヴィアーのコケッティッシュな歌声はブルージーな印象を放つ。しかし、渋い曲であるが、メロディーメイカーとしての性質は依然として薄れず、強固な音楽性を維持している。

 

この曲もまたボーカルの録音、そしてミックス/マスタリングが傑出している。特に、大きな音像を持つウージーなギターが歌声の持つブルースの魅力を盛り上げていき、それは悲しみから勇壮さという印象へと移り変わっていく。この曲でも、ヘンリー・マンシーニのような哀愁のある音楽性が、アレクサンドラ・サヴィアーの持つ世界と混ざりあい、特異な音楽性を作り上げる。後半部では、大掛かりなストリングスのレガート/トレモロの演奏が、ウインドチャイムのアルペジオ、そしてサヴィアーの催眠的なボーカルの広がりと合わせて、その音楽の世界を完全にしていく。フィル・スペクター級のきわめてハイレベルな録音と楽器編成が敷かれている。

 

 

そして、表面的な印象はさておき、本当の凄さはアルバムの最終盤に訪れる。歌手としての圧巻の才能を感じさせることもある。「Old Oregon」は王道のピアノバラードのスタイルを踏襲し、メロとサビの箇所を行き来しながら、特にサビの箇所で精妙な感覚をボーカルで表現している。こういった曲を聞く限り、MAGAとは、それぞれの人々の心の中にしか存在しないと思わせるほどだ。しかし、少なくとも、カントリーやフォーク・ミュージックといった楽曲、つまり米国の遺産は、現代的な歌手に受け継がれ、それが新しい形式に生まれ変わったことを伺わせる。そしてこの曲でも、アルバム全体の一つのテーマやモチーフのような役目を果たす夢の中を歩いているような感覚が上手く音楽に浸透し、聞き手を同じような陶酔的な領域に誘う。もちろん、それは録音の水準の高さはもちろん、聞き惚れるような歌声があるから為しうる。

 

 

ビートルズの「Strawberry Fields Forever」に見出されるようなバロックポップは、チェンバロのような楽器と組み合わされ、独特な音響効果を形作る。タイトル曲「Beneath The Lilypad」は、明らかにイエイエとチェンバーポップの影響下にあり、同時に、ポピュラーソングのリバイバル運動の一環に属する。この曲では、悲しみと暗さの間を行き来しながら、感情の落とし所を探る、という局面が反映されている。それは制作者の浮き沈みの多い感情を映し出すように、上がったり下がったりを繰り返す。そして素晴らしいのは、音楽全体が感情や心情の流れを形作る機能を果たし、機械的になることはあまりない。機械的なものであれば、AIでも制作出来る。とすれば、人間にしか出来ないことをするのが今後のアーティストの急務ともいうべき点だろう。そしてこの曲の場合は、プロデューサーの遊び心が色濃く反映されていて面白い。

 

 

去年あたりに、西海岸のある有名シンガーが「今後の米国の商業音楽の主流はカントリーになるかもしれない」と言った。このアルバムを聴くと、それはある部分では当たったと言える。少なくとも、古い時代から良いものを学び、次の世代に活かすというのは、有益なことではないかと思う。 

 

「The Harvest is Thoughtless」は、カントリーとオーケストラ、ジャズの融合を通じて、ニール・ヤングの音楽的な土壌の豊かさを受け継いで、見事に現代的なイディオムに置き換えている。曲の間奏の弦楽器の演奏には、アジアのヨナ抜き音階も登場し、エキゾチズムが表現されることもある。何より、この曲はまだ他の地域の音楽が一般的に知られていなかった時代の未知の期待感に満ちあふれている。 それが壮大なスケールを持つクラシックのオーケストラで真摯に表現されるとあらば、さらっと聞き流すというわけにもいかない。それだけ念入りに音楽が作り込まれているので、心を惹きつけたり、しっかりと集中させる何かが存在するのである。そして、素人ではなしえないことをするのが、プロフェッショナルな人々の仕事なのだ。

 

「You Make It Easier」は、過去を見ながら未来を見つめるともいうべき、驚くべき希望に満ち溢れた一曲である。この曲では、オーケストラの編成を通じて繰り広げられるポピュラーソングの大まかな歴史の変遷が含まれている。このクローズ曲は、アメリカ音楽の偉大な遺産とその系譜の集大成とも言える。いかなる音楽も、外的な文化干渉なしには完成しえない。つまり、外的な干渉なしに確立された音楽は完全には完成されていない。という側面を見ると、アメリカの音楽が、外国の音楽文化との交流により、どのような結末を迎えつつあるかの道筋である。

 

同時に、このアルバムや、その制作者のアレクサンドラ・サヴィアーに関して言えば、シンガー”ソングライターとしてのアイデンティティの確立”という付属的なテイクバックがもたらされたというわけである。他地域の様々な文化の外的な干渉を受け、古典性と新規性の間を揺れ動きながら、2025年のアメリカの音楽は、重要な分岐点に差し掛かっていることを痛感する。

 

 

 

98/100

 

 

 

 

「Old Oregon」