New Album Review: Kae Tempest 『Self Titled』

Kae Tempest 『Self Titled』 



Label: Island/ Universal Music 

Release: 2025年7月4日

 

 

Review

 

ロンドンのヒップホップ・ミュージシャン、ケイ・テンペストによる5thアルバム『Self Titled』は象徴的なカタログとなりえる。テンペストは、これまでアート志向のヒップホップミュージックを追求してきたが、前作よりもはるかに洗練された作品を提示している。すでにブリット、マーキュリー賞にノミネート済みのシンガーは、この作品で双方の賞を完全にターゲットに入れている。このアルバムは、UKドリルを中心とするグリッチを用いたサウンドで、その中には、ディープハウス、テクノ、ユーロビートのEDMのリズムも織り交ぜられている。近年では、ヒップホップのクロスオーバー化に拍車がかかっているが、それを象徴付けるアルバムだ。

 

また、ドリルの音楽に加えて、シネマティックなSEの効果が追加され、それらが持ち前の巧みなスポークンワードと融合している。ミュージシャンとしての覚悟を示唆したような「I Stand In The Line」は強烈な印象を放つ。ジェンダーのテーマを織り交ぜながら強固な自己意識をもとにしたリリックをテンペストは同じように強烈に繰り出す。テンペストのラップは、アルバムの冒頭を聞くと分かる通り、余興やお遊びではない。自己の存在と周りの世界との激しい軋轢を歌うのだ。さらに、この曲では、ハリウッドのアクション映画等で用いられるSEの効果がダイナミックなパーカッションのような働きをなす。シネマティックでハードボイルドなイメージを持つヒップホップという側面では、『GNX』と地続きにあるようなサウンドと言えるかもしれない。ドリルの系譜にある「Statue In The Square」でも同じような作風が維持され、エレクトリック・ピアノでリズムを縁取り、独特な緊張感を持つサウンドを構築する。同じようにテンペストの繰り出すスポークンワードもそれに呼応するかのような緊迫感を持つニュアンスを持つ。

 

こういった中で、テクノの範疇にあるダンスミュージックとヒップホップの融合が示される。「Know Yourself」は反復に終始しがちなトラックメイクにエレクトロの導入部を設けることにより、スポークンワードの序奏のような構成を作り出し、トラック全体に抑揚と起伏を設け、メリハリをつける。

 

同様にボーカルという面から見たスポークンワードもまたR&Bのコーラス的な盛り上がりを見せるイントロとは対象的に、中盤以降はストイックで低く、そして緊張感に満ちたスポークンワードが繰り広げられる。これらは音響効果としてのボーカルという観点を踏まえて、背景のエレクトロやリズムの効果と上手く連動させるようにし、一つのグルーヴやうねるアシッド・ハウス的なウェイヴのような独特な音楽効果をもたらす。その後、イントロのR&Bとの融合に舞い戻り、色彩的なヒップホップサウンドを構築していく。これらの音楽的なひらめきがあって作曲構造としても優れたサウンドは、このアルバムを聞く上で聴き応えを付与することだろう。それはNew Order、Underworldのようなエレクトロのグルーヴとも共通性を持つようになる。

 

アルバムの序盤は、先にも述べたように、自己と世界の激しい軋轢やそのせめぎ合いのような感覚がときに激しく、また、ときに静かに歌われるが、それらが内的な側面で宥和に近づく瞬間もある。「Sunshine on Catford」はチルウェイブのサウンドを踏まえ、それらをヒップホップと結びつけるという点では西海岸のラップとも共通点が見出せる。そして、必ずしもラップを中心に構成されるからといって、ヒップホップは非音階的な音楽であるとは限らない。この曲ではダンスフロアのクールダウンで流れるサウンドを参考にして、メロディアスなEDMとヒップホップを巧みに融合させる。しかし、この曲でも前作では少し頼りない印象もあったケイ・テンペストの繊細なスポークンワードの影はどこにも見当たらない。自己の存在を無条件で認めるかのような自信、それは確かな自負心となり、この曲にパワフルかつクールな印象を及ぼす。


一転して、アーバンフラメンコ、レゲトンを通過したディープハウス・ミュージック「Bless The Bold Future」は、現代的なポップスのトレンドの影響を踏まえつつ、ビヨンセライクなサウンドを提供する。しかし、ケイ・テンペストの場合、中音域の渋いスポークワードがニュアンスと平行するようにして、そのボーカルの性質を変化させながら、色彩的な感覚を敷衍させる。背景となるコーラスは、同じようにダンスフロアの屋外のシーンに最適であり、トロピカルな印象すらもたらす。必ずしも今作は、同じようなサウンドに陥らず、バリエーションが豊富である。さらに続く「Everything All Together」は、風変わりな楽曲で、アンビエントとヒップホップとの融合が示される。いわばアブストラクトヒップホップに属するこのジャンルの未来形を示している。ヒップホップの過激な側面とそれとは対象的な静かな音楽性が中盤には共存している。

 

 

個人的には続く「Prayers To Whisper」がクールだと思った。今流行りのWu-Luのドラムテイクの影響を踏まえ、フィルターをかけたりしながら、リズムの革新性を示す。もちろん、この曲の魅力は、リズム的な側面にとどまらず、ヒップホップからポピュラー・ソングへと移行していく中盤以降の展開力にある。ピアノの断片的な演奏を用いながら、サビ的なフレーズに差し掛かる。そして、イントロのリズム的な側面から跳躍し、メロディアスな印象を持つ楽曲へと変化する。一分半以降のテンペストのボーカルには圧巻の覇気が宿る。 当初は、個人的な実存から始まったこのアルバムの主題は、より広い視点を得て、民衆的な視点へと代わり、広義の文学性を持つに至る。また、曲の中盤以降には、ゴージャスなストリングスも導入され、ドラマティックな印象を持つようになる。こういった曲を聞くと分かる通り、テンペストはアートや総合芸術、もしくは舞台のような要素とヒップホップを結びつけようとしている。ヒップホップを旧態化させるのではなく、前衛的なものだと捉えようとする視点が、アルバム全体に才気煥発な印象を及ぼす。もちろん、ケイ・テンペストの言葉のちからがそれを高水準へと引き上げている。

 

 

アルバムの終盤では、いわばシカゴドリルをドラムンベースやフーチャーベースのようなEDMと結びつけた''UKドリル''の音楽性がより一層強まる。それはこのアーティストの作品として、近年になく過激でエクストリームな印象をもたらす。「Diagnoses」、「Forever」などはその象徴となるだろう。しかし、同時に音楽家としてのキャリアを重ねてきたことによる円熟味も出始めている。「Hyperdistilattion」はラップの技術が高く驚嘆させられる。「Punch」のような一つの言葉を起点にし、鋭いグルーブやうねりを作り上げていく瞬間は、このジャンルを志す人にとっては指針や手本になるかもしれない。しかし、ラップだけではなく、ビートやリズムを構成が巧みであること、楽曲の背景となるシンセがごく稀に美麗なハーモニーを形成することも決して忘れはいけないだろう。2020年代のヒップホップは複合的な音楽であり、必ずしもひとつのジャンルだけで作り上げられるものとは限らない。そういった多彩な性質がこの楽曲の魅力なのだ。

 

ケイ・テンペストが白人だからとは言え、このミュージッシャンが書くのは必ずしも白人的な音楽とは限らない。タイラー・ザ・クリエイターが最新作で示したアフリカ音楽からの引用やリズムは、アルバムの終盤の注目曲「Breath」に強烈なスピリットとして乗り移り、同じように、現代的な文脈に位置づけられる音楽として濾過され、テンペストのリリックは、アシッド・ハウスのようなディープな質感を持つに至る。これは、2025年のヒップホップの最高峰の一曲と言えるだろう。特にこのアルバムは、ボーカル録音として近年にはないクオリティに達している。ある種のナレーションとも解釈出来るアルバムのクローズ「Till Morning」は、ホーンをフィーチャーしたジャジーなアウトロである。本作の解題となるわけでもなく、明確な結末を描きもしない。徹底したリアリズムのラップアルバムだ。そして、このアルバムには、明らかに余白や行間が残されている。ミステリアスな余韻を残し、聞き手に奇妙な印象を抱かせる。言葉が単なるワードに終始したり上滑りしたりせず、それ以上の力を持つことは稀有なのではないか。そういった卓越した言葉のセンスを感じさせ、それが音楽的にも高い水準に収められている。


 

 

 

90/100 

 

 

 

Best Track- 「Breath」