Weekly Music Feature: S.C.A.B.
当初は、バンドメンバーの名前(ショーン、コーリー、アレック、ブランドン)の頭文字を表す仮タイトルだったS.C.A.B.は、活動の年代ごとに、意味が変化する頭字語である。その発音の二重性は、常に互いを支え合ってきたグループにとっての保護と癒しの比喩として機能している。
2019年にデビューアルバム『Beauty & Balance』をリリースした直後、COVID-19の流行によりブルックリンを拠点とするバンドの急成長に急ブレーキがかかった。ただじっとしているだけでは満足できず、バンドは、ジョージア州へ赴き、自らエンジニアリングとプロデュースを手掛けたセカンドアルバムとなるセルフタイトルのLP(S.C.A.B.)を録音することを決意した。S.C.A.B.の「B」にあたるブランドンは、このアルバムに参加しているが、その後ソロ活動「Hayfitz」に専念するため脱退した。この未曾有の悲劇的状況下で愛する街から距離を置いたことが、かえって彼らに一層ニューヨークらしいサウンドを確立させるきっかけとなった。
フロントマンのショーン・カマルゴは、10代でエクアドルとボリビアから移民した両親のもと、クイーンズ区エルムハーストで生まれた。彼の歌詞には、祖父母が後に定住した90年代のブッシュウィックへのノスタルジックな記憶と、メリーランド州やマサチューセッツ州を経て再びたどり着いた現代の都市への皮肉な観察が色濃く反映されている。 『S.C.A.B.』の各楽曲には、ノスタルジーに霞むニューヨークの瞬間が切り取られている。しかし、それらは、いかに些細に見えようとも、変革の渦中に身を置くことで生まれた産物なのだ。セルフタイトル作として、このアルバムは、バンドの真価を確固たるものとしている——荒々しく歪んだギターと、きらめくような語り口、ポップなメロディの自信を絶妙に融合させる技量を。
リードシングル「Tuesday」の鋭角的なギターフレーズは、老朽化した地下鉄のホームを滑走する電車を想起させる。カマルゴが「愛した全ての人を手放そうとしている」と歌うのは、意味ある繋がりを築こうとする努力にたいする共感できる幻滅と、価値ある何かを無目的に探し求める心情を映している。 テーマ的には、S.C.A.B.は、悲嘆(「Small Talk」でカマルゴが親の死をきっかけにバンドメンバーと絆を深めた体験を綴る)から、結局は自分に良くないと知りつつも相手への執着(「Why Do I Dream Of You」)まで、多様な題材を網羅している。
S.C.A.B.は4人のミュージシャン、結束の固いグループ、親友同士という稀有な条件がもたらした、生々しく感情的な音楽の結晶である。バンドメンバーがこれほど親密で、外の世界から互いを守れる時、彼らは圧倒的な存在となる。 フランク・シナトラが比喩的に歌ったように「鋼鉄の緑の光が、まるで故郷に戻ったような気持ちにさせる」。S.C.A.B.はその想いを体現し、ニューヨークという街が持つ形而上の魔法を呼び起こす。
S.C.A.B.は、夜遅くの可能性に満ちてひび割れた都市の響きである。クイーンズ区リッジウッドで結成されたこのバンドは、ニューヨーク生活の息づいた緊張感を、落ち着きのないが思索的な何かへと昇華させる。フロントマンのショーン・カマルゴは、まるで空から瞬間を摘み取るかのように次のことについて書く。地下鉄の柔らかな衝突音、パートナーの沈黙の重み、変化のゆっくりとした悲しみ。バンド名も、かつては単なる頭字語だったが、今や再生の象徴のように感じられる——個人と集団の成長痛が年月をかけて形作った、硬く研ぎ澄まされた刃のように。
『Somebody In New York Loves You!』でS.C.A.B.は内省を深め、表現の幅を広げた。抽象性に逃げず、脆弱性に寄り添う楽曲群は、カマルゴのサイケデリックな体験、親密な日記、生々しい感情の断絶からインスピレーションを得ている。
アルバムの大部分は、インスピレーションを受けた後に訪れたクリエイティヴな高揚の中で書かれた。その体験はカマルゴに奇妙な確信をもたらした。この魔法的リアリズムの感覚がレコードのDNAを貫いており、アートワークにも表出している。カセットプレーヤー、擦り切れたマッチ箱、散らかった机の上のコニーアイランドのアトラクション券、失われた両親が戻ってくる夢、ニューヨークのポストパンクの小路を通過した2000年代初頭のスタジアムロックへの音響的な回顧。 バンドのサウンドは時に広大なフィールドを埋め尽くすかのように巨大に響き、また時には不気味なほど近くに迫る——まるで聞くべきではなかったボイスメモのように。
『Somebody In New York Loves You!』-Grind Select
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S.C.A.B.は、Flood Magazine、Stereogumで紹介済み。B級感があるにしても、 『Somebody In New York Loves You』は素通りできない一枚となっている。本作には、S.C.A.Bのメンバーの思い出が凝縮され、それがノスタルジックでパワフルなロックソングの中で胸を打つ瞬間がある。演奏や音質がどうのこうのではなく、良質なロックソングがぎっしりと詰め込まれているのだ。
ここには、フロントマンのショーン・カマルゴを中心とする追憶の数々が、感情的なロックソングの中に揺らめく。それは物置の奥からそっと出てきた旅行カバンのトランクか、それともアートワークに表されているように、引き出しの奥から飛び出てきた昔の旅行券なのか、そういった思い出の品を見るような愉しみ、そして喜び、さらに懐かしさを思わせるところがある。
S.C.A.Bの音楽は、Enumclawのロックソングに近い。 骨太のハードロックからの影響があり、そしてパンクからの参照もある。しかし、それに個性的な色を添えるのが、シューゲイズの要素と、2010年代のブルックリンやニューヨークのベースメントのインディーズロックである。彼らは、ヒップホップのミックステープのような手法や、チョップの手法を踏襲しながら、サイケデリックな感じを持つロックソングを提供する。それは意図してそうなったわけではない。様々な追憶や記憶を音楽の箱に詰め込もうとしたら、結果、カオスになっただけなのだ。
S.C.A.Bの書くロックソングは、メロディアスな性質がある。これが、Oceanatorのような、80年代のハードロック・リバイバル勢とは少し異なり、メタリックな性質を合わせ持つ。そして、彼らは、確かにスタジアムロックを参考にしているかもしれないが、スターシステムの管理下にあるロックソングではなく、個人的な感情に寄り添う、ささやかな曲を書き上げている。バンドアンサンブルは、それを実現するために存在する。背伸びをしたロックソングや脚色を込めたロックソングではない。等身大のロックソングを彼らはさらりと書き上げてしまう。
ブルックリンの四人衆の書くロックソングが、ローファイな感覚に満ちているのはおわかりであろう。「7:47」のように、冒頭を飾る曲は、Enumclawのようなパワフルなロックソングの性質も感じられ、PavementやPixiesのような正真正銘のインディーズロックの魅力を兼ね備えている。歪むギター、ハーモニクス、8ビートのシンプルなドラム、ルートの演奏を厭わないベース、人情的な雰囲気のある旋律なヴォーカル、これらが合わさり、アルバムの序章を構成している。
なおかつ曲の展開も巧みで、パワーポップのように長調から短調に転調する箇所を設けながら、要所要所でタムの連打やシューゲイズ風のギターのトレモロでトーンの変調を交えて、巧緻なバンドアンサンブルの力量を披露する。耳をすますと、90年代のカレッジロックのような失われた正真正銘のインディーズロックソングが聞こえる。これらがどことなく、エモーショナルな雰囲気を呼び覚ます。彼らのロックソングの持つセンチメンタルな嘆きが聞き手の琴線に響く。何より、ダサいとかくだらないとか、そんなことは度外視して、生のハートを歌い上げる。
一方で、ニューヨークのインディーフォークシーンと呼応する曲が続く。「Strawberry Jam」は、彼らが現在の時間軸から必ずしも距離をおいているわけではないことがわかる。 しかし、イントロからヴァースに至ると、フォークからAORの曲へと変化していく。ここにS.C.A.Bらしい音の魔法があり、2020年代からいきなり80年代へとタイムスリップする。同音反復のベースを中心に曲が組み立てられ、ミュートのギター、そして、ささやくようなボーカルなど、多彩な器楽的な音響効果を用いながら、特異な音楽的な世界を構築していく。ニューウェイブの性質を受け継ぎ、ギターロックを展開させ、清涼感のあるアトモスフェリックなサウンドを打ち立てる。ここにはきっと、現代性と古典性の混在という、現代のNYのテーマが発見出来るはずだ。
その後、この曲は徐々にジャンルが広がっていき、リバーヴやディレイの多いギターが音像を拡大し、マクロコスモスの音楽を醸成し、ドリームポップやシューゲイズの極大のサウンドへとたどり着く。あまりジャンルを決め打ちしないで、スタジオ・セッションの中から最適解を導く。しぜんと曲のイントロから想像もできないようなクリエイティヴな変遷をたどっていく。
これは、個人的な印象論に過ぎないが、ローワーイーストサイドっぽい雰囲気が漂うロックソングも収録されている。「I Hate Expectations」は、The Strokesの初期ー中期のサウンドを参照し、ミニマルな構成から、メロディアスな音楽性を引き出そうとする。ショーンのボーカルは、ジュリアンほどにはかっこよくないかもしれないが、親近感という側面には分がある。全体的には、ドリームポップ風のサウンドが際立っているが、ドラムのハイハットの小刻みな連打など、ニューウェイブやポストパンクからの参照もあり、これが楽曲に力感をもたらしている。
曲全体としては、Geeseのようなルーズな印象を保ちながらも、やはりS.C.A.Bのロックソングはメロディアスなハードロックが優勢となり、その底から温かいエモーションが立ちのぼってくることがある。ロックの基本的なリズムを維持しつつも、曲としてじっくり聴かせる要素を軽視することがない。これが結果的に、キャッチーなトラックを生み出す要因となっている。特に、ギターとベースの2つのパートが、Strokesに近い見事なハーモニーを形成することがある。また、混然としたアンサンブルからベースラインが単体でクリアに浮かび上がってくる瞬間がすごい。この曲はたぶん、ブルックリン仕立てのロックソングの象徴的な内容ではないかと思う。
そういった中で、 S.C.A.Bのもう一つの重要な音楽的な核心の部分となるのが、UKロックの要素である。彼らはオアシスのようなスタジアム級のロックをベースメント風に置き換えている。曲には、青臭い感じや洗練されていない部分もある。そして、「LOVE」であまりにも率直に愛を説く姿は、むしろカッコよさよりも、四人組のダサい側面を象徴づけている。しかしながら、理想的なロックソングというのは常にダサさとカッコよさが混在するものなのである。それでもなお、ニューヨークの2000年代以降のDIIVのようなサウンドがこれらに加わると、唯一無二のオリジナリティに変化する。ダサいけど、カッコいい。こういった相反する要素は、インディーズバンドならでは。ダサくても愛を直情的に説こうとする姿.....、それはあまりにも純粋にも思えて、意外の感に打たれるが、最終的には、それがクールな印象に変わるのである。さらに、そういった洗練されていない箇所から、研ぎ澄まされた感覚が出てくることもある。
「Red Chair」では、ポリスやスティング的なポップセンスを受け継ぎ、その中で中南米の風を呼び込む。全体的には、ディスコポップなど80年代のサウンドを彷彿とさせるが、この陽気なボーカルの空気感は、メキシコや中南米にしか見出しづらいものである。まるでアステカの太陽神やその文化性が乗り移ったかのように、独特なエキゾチズムやエッセンスを付与している。
前曲と並び、大きく称賛したいのが「L.A.A.Y.G.S.G.M.」である。間違いなく本作のハイライトとなる。 初期のPixiesのようなサイケデリックな雰囲気を持つクロマティックスケールを用いたサウンドに、風変わりな抑揚を持つボーカルが融合している。体裁よく見えることを考えないボーカリストの姿を捉えられる。しかし、実際的にそれは一部にすぎない。その先に見えるのは、一般的な価値観を疑問視し、それに疑念を投げかけようという姿だ。どことなくエキゾチックな雰囲気に縁取られたこのワイアードな一曲は、Meat Puppetsのような南米的なロックには収まりきらず、叙情的な性質が曲の途中から強調され、迫力味のあるロックソングへと変貌していく。ボーカルのスポークンワードの手法を巧みに織り交ぜつつ、メロディアスでキャッチーなサビ(コーラス)と対比させる。S.C.A.Bは、大きなものを作ろうとして、表現そのものを小さく縮こまらせるのではない。ここには、小さなところから大きなものが出てくる素晴らしい瞬間がある。そして、ロックバンドとしては、これが素晴らしい箇所である。最終的には、グリッターロックやT-REX(マーク・ボラン)のような素晴らしいロックソングが出てくる。
「L.A.A.Y.G.S.G.M.」
その後の二曲は、いかにもB級な感じがある。「MK」、「4th of July」の両曲は、お世辞にもうまくいったとは言えないだろうが、荒削りなローファイ風のロックソングからメロディアスなボーカルフレーズが浮かび上がってくる瞬間に注目だ。前者のトラックは、パンクの側面を突き出し、それとは対象的に、後者のトラックは、ロックバラードのゆったりしたテンポを重視している。これらの網羅性のある音楽は、今後まだまだ改善の余地が残されていると言えるだろう。しかし、その中にも彼らの追憶的なテーマが見出され、それには首肯すべきところがある。ここでは、制作者やグループとしての歴史や記憶が重要なファクターとして機能している。
中盤から終盤にかけて注目したいのは、やはりジャングルポップやパワーポップの要素を併せ持つロックソングである。これらは先にも述べた、Enumclawのような骨太のハードロックの要素を帯びながら、曲として絶妙なコントラストをアルバム全体の中で描いている。「Star」に見いだせるメロディアスなロックバンドとしての性質は、ときどき、センチメンタルなパワーポップの印象に縁取られ、このバンドの等身大の姿を映し出して、聞き手に親近感をもたらす。
長調から短調のお決まりのベタな和声進行もあるが、これらは、全体的なバンドの演奏のエネルギーやパッションが録音に乗り移ったといえ、ひと方ならぬパワーを感じさせる。録音は、演奏や音を収めるだけではなくて、エネルギーを刻印するためのものでもある。これらのライブレコーディング的な感覚は、アルバム全体を聞いたときに、最大の魅力となるかもしれない。
続く「Erika」は、インディーフォーク、アルトロック、そしてパワー・ポップを結びつけたような曲であるが、アルバムのアートワークと上手く呼応している。この曲に見いだせる懐かしい感じは喩えがたい。この曲を聞くと、ほっと息をつけるような安らぎを感じることが出来る。心地よいロックソングはアウトロに至ると、フランク・シナトラ的な雰囲気を帯び、ピアノがフィールド録音の話し声と混ざりあい、映像的な印象を構築し、記憶としての装置を果たす。
「Never Comes Around」はクラシックなロックのリバイバル。これはリアルタイムのバンドに比べると、ニッチなインディーズの枠組みに収まっている。しかし、その中で、 チューブアンプの音響を活かし、ライブなサウンドを追求している。さらに続く「Nothing More」では、ロックバラードに挑戦している。タンバリンの使用など、ストーンズやオアシスの最初期のロックソングを参照し、ブリットポップ風のフレーズを導き出す。これらの清涼感を持つロックソングは、本家には遠く及ばないかもしれない。しかし、アメリカのインディーズバンドもUKロックの影響を受け、ポスト・ブリットポップの曲を気兼ねなく書く時代になったということなのだろう。
全体としては、上手くいかなかった部分もあったと思うが、その中で目を惹く魅力的な曲もある。言うなれば玉石混交のアルバムと言えるが、最後の曲「How Long Has It Been?」は、強いインスピレーションを感じさせる。音楽自体が高次のセンターとつながり、そこから音楽の着想が降りてきている。そしてこれは、アステカのような特別な儀式から出てくるものではあるまい。
とりもなおさず、日頃の生活や人生観からそれとなく滲み出てくる、誰にも真似できないものーーオリジナティーーなのである。また、それこそロックやフォークの本質と言える。お世辞にも巧みとはいえないボーカルと美麗なバイオリンの意外な融合は、The Poguesのような独特な雰囲気を呼び覚ます。これこそ他のバンドが持ち得ない彼らのマチューテ(武器)が出てきた瞬間だ。
84/100
「Red Chair」
▪S.C.A.Bによるニューアルバム『Somebody In New York Loves You!』はGrind Selectから本日発売。ストリーミング等はこちら。






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