Kara-Lis Coverdale 『A Series of Actions in a Sphere of Forever』
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Label: Smalltown Supersound
Release:2025年9月12日
Review
カナダ/ケベックを拠点に活動する音楽家、カラ・リス・カバーデールは、2012年頃からソロ・ピアノ作品をリリースしてきた。専門的な音楽教育を学習した演奏者で、後にMITプログラムでも学んでいる。若い時代から、カナダの教会のオルガニストや音楽監督を務めてきた。著名な音楽からの賛辞も絶えない。ブライアン・イーノやアルヴォ・ペルトから称賛されているという。
近年、ミニマルミュージックに関しては飽和状態に陥っている様子があるが、その上にどのような音楽性を付け加えるかで、結果が変わってくるかもしれない。
最新作『A Series of Actions in a Sphere of Forever』は、アルバムのアートワークと呼応するかのように、深い霧とミステリアスな雰囲気に彩られている。
基本的にはミニマリズムがベースとなっている作品だと思うが、一曲の中で同じリズムを用いながらも、作曲家/ピアニストは、多彩な和声感覚や主旋律の変奏力を見せている。無調の和声が入る場合があるが、無調のセリエリズムというより、フォーレ、メシアンの高度な半音階法であったり、現代音楽に根ざしたカウンターポイントを取り入れた作曲。やはり侮れないものがある。
すでに一曲目において、作曲家としての敏腕の才覚がほとばしっている。「Kone Vatu」では対位法の形式を受け継いでいるが、その後、この曲はきわめて独創的な展開を見せる。低音部と高音部を明確に対比させ、フォーレ、メシアン以降の無調の和声感覚を取り入れ、主旋律はそれとは対象的にジャズ的な即興演奏の自由な音の連なりが感じられる。
エストニアのアルヴォ・ペルトによる名曲「Fur Alina」のような現代音楽のミニマリズムに依拠したコラールの形式の音階の構成は、賛美歌の教会音楽の作曲形式に根ざしている。その中でペルトを彷彿とさせる、クリスタルのように澄明なハーモニーが形成される。
特にこの曲では、低音部の音響性が強調され、叙情的で迫力のある響きを聴くことが出来る。あるいはドビュッシー以降の色彩的な和音の要素が拡張され、それらがオリヴィエ・メシアンの響きに縁取られていると言える。作曲や和声感覚こそ、古典主義に根ざしているが、その雰囲気は、武満徹のピアノ作品にも近似する。若い頃の武満はメシアンを専門的に研究していた。
カバーデールの作曲の主要な特徴は、フレドリック・ショパンの『ノクターン』のように、低音部の音域の通奏低音を強調し、それらを徹底的に持続させ、背景のアンビエンスとして見立てるということである。これは、ドビュッシーが、『映像』に収録されている「ラモーを讃えて」で好んで用いていた作曲技法である。それらが現代的な電子音楽のセンスと融合し、音響的に研ぎ澄まされたピアノ音楽として昇華されている。ドローン的な通奏低音と主旋律の美しい対比は「In Change Of Hour」に見出すことが出来る。
しかし、カバーデールの作曲法については、クラシック音楽ほどかしこまりすぎない印象をおぼえる。ニルス・フラーム、マックス・リヒターのような、洗練されて聴きやすいピアノ音楽として昇華されていることもまた事実であろう。それは何が要因かといえば、主旋律の音の配置にあり、それほど流れるようなパッセージは登場せず、一貫してコラール形式の均一なリズムの和声構造が維持されているのである。
現代音楽のメチエが明確に取り入れられた「Vortex」は、20世紀以降追求されたセリエリズムの形式が見出される。メシアンやリゲティを始めとする無調音楽の領域が探求されている。しかし、ピアノの響きは一貫して洗練されている。この曲を聴きやすくしている理由は、ジャズ的な遊び心のあるパッセージがあるからではないか。また、同時に、サウンドエフェクトの面でもこだわりが感じられ、沈黙に根ざしたサイレンスの要素が楽節の間に登場することもある。
この曲でもまた、通奏低音の残響が徹底的に強調され、主旋律の音楽の雰囲気が変化してもなお、それらが維持され、空間的な雰囲気を作り出す契機となっている。
また、アイスランドや北欧のモダンクラシカルに適応したようなポピュラーなピアノ曲が続く。オーラヴル・アルナルズの音楽性を彷彿とさせる「Circulrism」では、叙情的で親しみやすいピアノ曲を聴くことが出来る。ピアノの弦の音をマイクで拾い、それにディレイやリバーブなどを施したマスタリングの手法は、もはやこのジャンルの基本的な形とも言えるかもしれない。
ジョン・ケイジと一柳慧が試みたプリペイドピアノの前衛形式が登場することもある。これは20世紀のニューヨークの現代音楽で、また、ジャズ的な手法とも言える。厳密に言えば、ピアノの弦をミュートさせる方法で、音にフィルターをかけたような音響効果が主に得られる。また、デチューンを施したサウンドとも言える。
「Lowlands」では、この現代音楽の技法が導入されている。現代的な音楽とは異なる音律を強調させ、Goldmungが坂本龍一と行った共同制作アルバムのような従来とは一風変わったピアノの音響を際立たせている。
しかし、このあと、それらの現代音楽は、ブレイクビーツのような手法を用いて、ティム・ヘッカーのような電子音楽の前衛主義と結び付けられる。間違いなく、アルバムでは革新的な気風が反映されている。これはピアノ音楽の革命と言っても過言ではない。
ピアノの音色は、低音部から中音部に移り変わり、オルゴールのような音色に変わる。それらがミニマルミュージックの反復構造やトーンクラスターを形成する。しかし、倍音の効果が強調されていて、ダウンテンポのような響きに縁取られている。電子音楽とミニマル音楽、そしてダンス・ミュージックの要素が合致した前衛音楽である。
「Comulative Resolution」はジャズのインプロやクラシックのアンプロンプチュの印象が強い。印象主義や叙情的なピアノ曲の系譜にある。ここでは、和声的な縦の音の構成ではなく、横向きのポリフォニックな音の連続が強調されている。ピアノ音楽の自由な側面が反映されている。徹底的に音を削ぎ落とし、澄明な音響性を得るという点では、エストニアのアルヴォ・ペルトの作風にも近い。これを映画的というのは誇張となるが、描写主義の音楽性も含まれているような印象を覚える。また、それは内的な感覚を表現した新しいロマン主義の音楽とも言える。
こういった中で、アンビエントやドローンのようなアブストラクトな音響とミニマル音楽を結びつけた「Tuning Multitudes」がピアノ曲として傑出している印象を覚える。この曲では、叙情的な感性とコンポジションのメチエにおいて絶妙な均衡が保たれており、現代的なピアノ音楽を象徴付けるような曲が誕生している。また、ミニマル音楽の中にも、独創的なパッセージが登場することがあり、それらは分散和音や音階の華麗な駆け上がりの中に発見することが出来る。特に曲の終盤では、8Va(オクターヴァ)の音階が頻繁に登場し、即興的な演奏の性質が強くなる。ここでもまたジャズのインプロヴァイゼーションの演奏法を取り入れている可能性がある。
「Soft Fold 3/4」は、エリック・サティの''家具の音楽''をコンパクトにし、コラールの和声構造に組み替えている。また、この曲は、Hans Otteの「Das Bach Der Klange」のようなクラシックとミニマルミュージックの中間にある曲として楽しめるに違いない。全9曲が収録された『A Series of Actions in a Sphere of Forever』は、ピアノ音楽の卓越的な側面は控えめで、古典から現代にかけての系譜を受け継ぎ、普遍的な音楽性が抽出されている。それはまた、サティが実験していたBGMのような音楽とも言えるかもしれない。アルバムの曲は、音楽的な印象が強められたり、それとは対象的に、弱められたりというように、起伏に富んだグラデーションが配置されている。
クローズ曲は一曲目と並んで強固な印象を持つ。「Suspension of Swallowed Earth」は、音楽そのものがときに言語的なメッセージを持ちうるということを示唆している。 再び低音域と中音域を強調させた叙情的なピアノ曲へと回帰し、演奏家は前衛的な和声や旋律を探求する。演奏力が傑出しており、流れるような旋律のパッセージは一聴の価値あり。最後は、マックス・リヒター、ロジャー・イーノ(ブライアン氏の弟)のようなモダンクラシカルの曲。瞑想的な趣がある。
88/100
「Lowlands」
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